相似象の考え方 1




相似象の中の一分野の中のほんの少しだけを勉強したので、思い出して書いてみました。
私のサトリのレベルを超えるものではありません。
単なるメモ書きです、お気楽に♪後から何度も加筆・訂正しています。

また、相似象の勉強はとりあえず十年はやってくれ、と、女師匠が言ってます。
私は適当に20年やりました。
中途半端に知ることは却って悪い結果を呼ぶので止めた方が良いという考え方があります。
しかし、少し知るだけでも頭が変わり、世の中や人間の見方がガラリと変わった人がいるので
そういう方は少数でしょうけど、それに期待して一応書きます。

相似象学会誌「サヌキ・アワのサトリ」を抜書きしているブログ

<少数者>


相似象は少数の方向けの思想です。
少数者とは生まれつき心の量が多く、
将来長(ヲサ)になるべき人
少数者と言っても選民思想とは逆で人の中にあっては人知れず苦労をする人のこと。
決して「選ばれた人」ではありません。

これは生まれつきで
人口の7%の人にこの素質があるそうです。


周囲の人が作り出す矛盾を引き受けそれを甘んじて受け、
不平を言わない、縁の下の力持ちのような性格です。

勿論私は少数者ではありません

少数者は周囲の理解は得られず、ひたすら苦労して生きています。
昔はそれを認める社会でしたが、今は世の中が大変低次元になってしまったので、
少数者を認める社会ではなくなりました。

その結果、少数者の素質がある人は自分の素質を伸ばせずに苦しんでいます。
その結果

ウツ・リストカット・登校拒否などが起きていますが、これらをする人が皆、
少数者というわけではありません。


※少数者はアワ量(心)が生まれつき多いのですが、レベルが上がれば感情的にはなりません。

<サヌキ・アワ>


サヌキ=男性型
アワ=女性型


です。
これは生まれつきで、型は一生変わりません。

男性には・・・サヌキ型とアワ型が半分づつ
女性には・・・サヌキ型とアワ型が半分づつ

生まれて来ます。

世界中、この割合は同じです。

<サヌキ型社会とアワ型社会>



外国はサヌキ型社会、日本はアワ型社会です。

アワ型社会が少ないです。
原始状態、未開状態をアワ型社会といいます。
それが人間がさまざまな苦難に遭ううちに
だんだんサヌキ型して(男性的に)なって行ったのです。

アワ(女性)型社会はサヌキ(男性)型社会の前では戦争になればひとたまりもありません。
(※戦争はサヌキの最たるものです)
その文明は滅ぼされます。
(※一例はアメリカ大陸の原住民が西洋人に滅ぼされたことなど)

そして今世界の殆どの国がサヌキ型社会になってしまいました。



現在サヌキ型社会の欧米諸国も古代はアワ型社会でしたが、
戦争、飢饉、疫病の流行などでアワ型社会ではやっていけなくなり、
早いウチにサヌキ化したそうです。

アワ型社会はサヌキ型社会の前ではひとたまりのもないのに
唯一日本だけがアワ型(女性的・母性型)社会で巧くやっていけることが奇跡に近いのです。

それは日本だけがアワとサヌキの両方のバランスがよく、
お互いに認め合うような社会だったからです。
(※これをフトマニといいます)
さらに、精神レベルが高かったからです。
これが日本の特徴で、日本は異質な国だということが外国にも感じられています。
先進国ならサヌキ型であるのが普通だからです。

外人が日本へ来て「優しい・おとなしい」と感じるのは日本がアワ型社会だからです。
反対に日本人が外国へ行って「厳しい・冷たい」と感じるのは外国がサヌキ型だからです。


サヌキ型社会に生まれたアワ型人間は生きるのが大変です。
アワ型社会に生まれたサヌキ型人間はやりたい放題になります。

<サヌキ・アワ>


サヌキ=判断力=男性型=行動=頭人間=能動的=父性
アワ=感受性=女性型=精神=心人間=受動的=母性


ですが、自分がどちらのタイプか知りたい時の見分け方を教えます。


トラブル(喧嘩・怪我など)があった時に

怒る。泣き喚く。怒り方は、怒鳴る、暴力を振るう=サヌキ
泣く。怒り方は拗ねる、脹れっ面をする、へそを曲げる=アワ
です。
ただし低次の場合ですが。


※女性の中にはサヌキ型でも怒って泣く人がいて、
  それは泣いていてもサヌキ型です。

 泣き方は泣き喚くので分かる。
  さめざめとは泣きません。


また、

それを「するな」というのが我慢出来ない=サヌキ
それを「しろ」というのが我慢出来ない=アワ


という傾向があります。

サヌキはあくまでも行動するし、アワはあくまでも行動しません。
その生まれつきを
タチ、その性格の表れをナリといいます。

<タチのままに生きる>


それぞれのタイプが自分のタチのままに生きるのが一番楽です。
サヌキ型はその男性的、行動的な性格と生かして、会社員なら営業などに向いているでしょう。
それ以前に会社という組織が人のサヌキを発揮させて、それに対して賃金を払っているので
会社はサヌキです。

アワ型はその女性的、受動的な性格を生かして保母や介護員、
誰かのサポートをする仕事に向いています。

ただし。

仕事を「する」のですから仕事自体がサヌキです。



サヌキ性(行動)がゼロのアワ人間はいないし、アワ性(心)がゼロのサヌキ人間もいません。

<好みにふける>


それぞれの性向を持った人が自分のタチのままに生きていることを
「好みにふける」と言います。
それをやりがちですが、それではいけない。

サヌキ型の人は忍耐・我慢を覚え、
アワ型の人はもっと積極的に生きなければなりません。
それをしないということは自分を甘やかしているということです。

<アワ男にサヌキ女>


男性がサヌキ型、女性がアワ型というのが普通のようですが、違います。
上にも書きましたが、それぞれ半数づつサヌキとアワがいるのです。


アワ男は男性ですが、心の量が多く優しくおとなしい。
レベルにもよりますが、喧嘩や怪我、困った時など「泣いて」しまう人もいる。

私の弟が二人アワ型で、そういえばよく泣いてました。

(※っつうか私が苛めて泣かせてたのかなぁ・・・それだけではないと思うな。
  特に弟のうちの一人は泣くか、怒る時は拗ねてましたね。
  すぐ脹れっ面をするので嫌になりました。
  彼は怒ってガオガオ吼えたことは一度もありません。
(私が吼えてました)
(っへへっへ!)

アワにはレベルによりますが、自分を責めるタイプもいます。


サヌキ女というのは私のようなタイプでして、情緒があまりなく
喧嘩や怪我の時には泣いたことがありません。
喧嘩で怒るのは勿論、怪我しても怒ってます(爆


(※友人と料理をした際に熱い油が友人の腕に跳ねたことがあります。
   友人がそのことで打撃を受けたのを見て驚きました。
   かなり精神的にダメージを受けた様子で、それが信じられませんでした。
   私なら「熱っ!ちっくしょ=!」で終わり。
   そのままにします、手当てなんかしませんよ。
   友人はティッシュを濡らして「患部」に当てたりしてました。
   がくっ)


しかし、私は根がサヌキなので心に貯めておくということがあまりありません。
全然ないのではありませんよ。
心の中のを全部表に出すなんてのは不可能です。

アワは思うだけで行動に出すことがあまりない。
心の中に貯めます。

(だから怖いのです。後で説明しますね)


私ごとですが。

サイトを運営していると中には???な方も来ます。
トラブったりもします。
ところが根がサヌキなせいか「他人とトラブルこと」が「アワ人間よりも平気」
なのです。
そりゃ気分は悪い。
でも、それで終わり。
(あ====、気分が悪かったな!)
で、済むのです。

で、すぐ「忘れます」。
(※決して老人ボケだけではありません。タチもあります)


トラブルというのはどんどん向こうからやって来るものだ・・・と思っているのです。
トラブルのが嫌だからサイトを縮小しよう、止めようとは思いませんね。
防ぐために手立てを考えよう・・・とも思いません。
こんなところに「低次のサヌキ性」が役立ってくれているようです。
良かった♪
(少しは反省しろって?)

<レベル>


タチは生まれつきなので一生変わりませんが、レベルは上げられます
レベルと聞いただけで嫌な感じがしたり、拒絶反応が出ること自体、
レベルが低い証拠です。
(いったい、どういうコトだろう?)と、確かめる必要があるのに
それをしないで思い込むって点が低次です。


(※本来レベルという言葉には何ら情緒的な意味はないはずですよね?
   それが聞いた人に情緒的な反応を呼び起こすということ自体、
   おかしいのです。
   そして、このおかしな状態になった人が多いのです。
   まず、そこから始めなくてはならず、前途多難です。
   レベルという言葉に情緒的な反応をするというのはわかりますよ。
   学校で植えつけられた思想です。
   それが身体の奥まで沁み通っているのです。
   まず、ここを直視し、解決する決心のある人だけが相似象を読んでください。)


レベルという言葉自体には何も良い悪いの意味がありません。
それを良いの悪いのと、受け取るその意識そのものが
「低レベル」=低次元
であると、言えます。

人は生まれてからさまざまな経験をして、自分の心のレベルを上げていくものですが、
今は上げられるような手段がなくなりました。



昔は心のレベルを上げるための、子供用の歌(童謡)や遊びがあり、
周囲には高レベル(心のレベルが高い人=少数者がちゃんと大人になった場合)の
人が居てくれて、子供や若い人を導いていましたが、今はそれが望めなくなりました。

何故なら心のレベルが高くても、その人は金持ちでも有名でもない、
良い大学も出ていない場合が多く、
「見えるモノしかわからない人」にはその人の高レベルが見えないからです。

なので、誰もそういう人
(隠れた偉人)=高次の人間=の話は
バカにして聞かなくなりました。
いったん、世の中が(低次元の)サヌキ化すると、
あとは雪崩のようにどんどん低次元化して行きます。
止められません。
今がそういう状態です。

<低次元>


サヌキが悪いのではなく、アワが良いのでもありません。
心のレベルが低いのが悪いのです。

ヲサの素質があり(人口の7%)、その人が自分のタチを知り、
心を育てることが出来た場合(多分人口の1%)を除いて
皆、「低次のサヌキ人間」であり「低次のアワ人間」です。

殆どの人が低次と思ってください。
私も勿論、低次のサヌキ人間です。

サヌキなので、こうして書くという行動をしているし、
相似象の内容を公開すること自体が低次なのです。
世の中の殆どのことは低次のサヌキ人間がやらかしていることだと
思っていて間違いないでしょう。


ただし。


高次と低次の二種類があるのではなく、
レベルの低い方から高い方まで、あらゆる段階があるのです。
○×式ではないのでlご注意。

ちょうど、高次を白、低次元の最低レベルを黒とすると、
「殆どが灰色」だということです。
そして、高次といえるのは「真っ白」な場合だけなのです。

<男性と女性>


サヌキ=判断力=(行動)=頭=表に出る
アワ=感受性=心=隠れている

男性は全員、サヌキのタチです。
女性は全員、アワのタチです。

さて、わからなくなりましたね?

<男性と女性  2>


男性はアワ(心)よりもサヌキ(頭・行動)が多い
隠れた部分が少ないのです。
もし、隠れた部分が多ければ「女性に生まれます」。

女性はサヌキ(頭・行動)よりもアワ(心)が多い
女性も行動しますが、行動よりもさらに隠れた部分(心)が多いのです。

<男性と女性  3>


男性の中のサヌキ男はアワ(心)量が少なく、サヌキ(行動)がずっと大きい。
男性の中のアワ男はアワが多いが、それでもサヌキ(行動)の方が多い。
どんなアワ男でも、アワ(心)より行動が大きいのです。
でも、心の量も多い。まぁ人によって量はさまざまですが。。。


女性の中のサヌキ女はサヌキ(行動)性が大きいが、アワはそれ以上に大きい。
アワがサヌキよりも多い。
サヌキ(行動)の方がアワよりも大きいということはありません。
もしそうなら男性として生まれます。

つまり、どんなにアワな男性でも女性よりは行動(サヌキ)する。
どんなにサヌキな女でもアワ(心)の方が行動よりも大きいのです。

<男性と女性  4>


どんなにおとなしいアワ男でも女性より行動的(サヌキ)ということです。
どんなにキツイサヌキ女でも、行動(サヌキ)の裏には
心(アワ)があるということです。

<サヌキとアワ>


アワとは心(感受性・思い)なので、サヌキ(判断力・行動)の前に働きます
まず、アワがあってそれからサヌキです。
つまり、思考があって、判断があり、行動します。
これをアワがサヌキに前駆すると言います。

<サヌキにアワが巻く>


アワ人間の行動・言動(サヌキ)にはアワ(心・思い・感情)が取り巻いています。
サヌキ人間の行動・言動(サヌキ)にはアワ(心・思い・感情)が取り巻いていません。
やることに心(思い)がないと言える。
一見悪いようですが、裏が無く、さっぱりしていると言えます。

アワとサヌキに良し悪しはありません。

<波動量>


波動量とは心の量、知恵、愛などのことですが、
主に
感受性・知恵・判断力のことを言います。
波動量の少ない人を低次の人間、多い人が高次の人間です。
上は聖人から下は類人猿レベルまでいるのが人間です。

<潜在アワ量>


その人が持っているアワ量です。
生まれつき多い少ないがあります。

アワ量が多い人をアワ型人間、少ない人をサヌキ人間と言います。

ただ、生まれつきアワ量が多くても、それだけです。
アワ型人間だ・・・で終わり。

これを
波動量に変えて初めて高次の人間
(知恵のある、判断力のある、思いやりのある、人間力のある、徳のある)
になれるのです。

<波動量を増す>


潜在アワ量を知恵・判断力や徳に変えることを波動量を増す、と言います。
学習や生活の中でこれをしますが、周囲に波動量の多い人がいないと
それが巧く出来ません。
これは毎日鍛える必要があるのです。

それで、潜在アワ量の多い子供はおかしくなります。
問題児はほとんどこれです。

引き篭もりや登校拒否、ニート・・・になりやすい。
ただし、これらをしている人が全て少数者かというと違いますが。

<アワ量の多い人>


アワ量の多い人は数字や物質などの、目に見えるモノでは心が満足しません。
目に見えないモノで心が満足します。

アワ量の少ない人は目に見えるモノで満足します
金銭・数字・物質です。
何故なら彼らには「目に見えないモノが見えないから」です。

アワ量の多い人はたとえ金銭的に恵まれても、
それだけは虚しくてしょうがありません。
アワ量の少ない人にはこれが理解出来ません。

<アワは見えない>


アワとは潜象なので見えません。
それを見るには心の目が必要です。
これを「心眼」と言います

昔の人は相似象を知らなくてもたしかにそれ(見る眼)があるってことを
経験で知っていたのです。
昔の人の方が波動量が高かったそうです。



心の目がない人にはどうやっても見えません。
目の見えない人に見ろというが如し。
不可能なのです。

だから、相似象はそれらの人にとっては不愉快極まりない思想です。
読まない方がいいのです。

アワを見るにはアワが必要です。

<潜象勘>


「せんしょうかん」と読みます。
見えないモノを見る勘、感覚のことです。

見えないモノとは幽霊や天使のことではなく、
他人の心や、状況、理由、原因のことです。

<心があるということ>


ここで言う「心がある」ということは一般的に言われている意味とは違います。

一般的には心があるというと、優しい、思いやりがある、という意味ですが、
相似象ではそのことではありません。

心があって優しかったり思いやったりはしても、それだけでは「心がある」とは言いません。
高次の判断力があって、初めて「心がある」と言います。
相似象の心とは「感受性」のことなのです。

例えば、大変低次の人でも思いやりで行動できますが、
相似象ではその行動のレベルを問題にします。
たとえ思いやりから行動しても、それが「自己中心」や「無知」、
余計なお世話、杞憂、下衆の勘ぐり、蛇足・・・となるなら
その行動は「心がない」と言います。

<頭>


サヌキ人間とは頭人間のことですが、
これには「頭が良い」という意味はありません。
心よりも頭が先立つという意味です。

頭の悪い頭人間

となります。
誤解なきよう。

<低次の人間>


低次の人間の多くは「自力では幸せになれない」
低次でもマシな部類なら自力で何とか幸せになれます。

アワでもサヌキでも、そうです。
自力で自分を幸せに出来ないのだから、間違っても他人を幸せには出来ません。

ただし、程度(レベル)の違いはありますよ。
千差万別、全ての人間がレベルが違うと言ってもいいでしょう。


<低次と高次>


低次の方は類人猿並から、
高次の方は聖人級までいるのが人間です。

低次から見ると自分より高次の人の言うことは理解出来ません。
ちょっとの差でも「見えないものは見えません」。
高次から低次を見ると「手に取るように見え」たり、
「気を入れれば見えたり」します。

<理解>


ではどうすれば低次の人が高次の人を理解するのでしょう?
不可能なのに。

この場合子供のような純粋な素直な心があれば、
難しいけれど可能です。

<大人の心に子供の頭>


ところが殆どの人は大人の心(アワ)(可変性なし・向上なし)なのです。
自分が大人であると思っています。
わからないことはないと無意識に思っているのです。
子供のような素直で柔軟な心を持った人は稀です。

なのに、判断力(サヌキ)は子供並。
判断力がありません。


これが殆どの人の姿です。

<昔は・・・>


昔の社会はヲサがいて、周囲の人は彼の判断力を理解出来ないまでも
信頼し、素直に従順に従うことが出来ましたが、今はその伝統は崩れました。


なので低次のサヌキ人間のやりたい放題になり、
おとなしいアワ人間が生きづらくなっています。
それで問題が生じているのです。
が、これを政治や教育ではなんとも出来ません。

政治や教育をやってる人間が低次の人間だからです。


<少数者>


少数者とは「潜在アワ量の多い、アワ型・サヌキ型人間」のことです。
「波動量の多い人」です。

<アワ量の多い低次のサヌキ人間>


さて、アワ人間とサヌキ人間の二種類がいる、と説明しましたが、
実はもう一つのタイプがありました。

それは
「アワ量の多い低次のサヌキ人間」です。

私みたいな人のことです。

特徴は・・・

親切、気が利く、明るい、粗忽、失敗が多い、後悔が多い、
行動的、臆せずものを言う、文句を言う、クレームつける、
その場を盛り上げる、弱者を庇う、黙っていられない、
励ます、お節介、協力する、必要とあらば喧嘩も出来る・・・


こんな感じです。
とても忙しいのがおわかりかと思います。

根がサヌキなのでうじうじくよくよしないで、サッパリしていて男性的。

が、やはりレベルやタイプによっていろいろな出方をするので、
これも千差万別です。

<例えばクラスで。。。>


例えばクラスを想像してください。

苛めっ子は低次のサヌキ人間です。
苛められっ子は低次のアワ人間です。

それを遠巻きに見ているだけの子の中で
(いい気味)と思っているのは低次のサヌキ人間。
(可哀想)と思っているのが低次のアワ人間です。
もっと低次元になると「何も感じない」。


苛められている子を庇うのがこの
「アワ量の多い低次のサヌキ人間」です。
少ないのがわかりますね?

ちなみにウチの娘は二人とも苛められっ子を庇える子でした。


高次の子がいませんね?

高次になるには生まれ持った大きな心を、良き相談相手がついて
毎日理解してやって訓練しないとなりません。
子供に高次の人はいません。
高次の人間になれる素質のある子がいるだけです。

その子を「潜在アワ量が多い」と言います。

ただ、比較すればより他よりは高次であると言えます。

また大人でも子供より低次元の人が多い。



ですから同じサヌキでもアワ(心)があるので、
サヌキ人間とアワ量の多いサヌキ人間の行動は反対になります。

(※日月神示でいえば、低次のサヌキ=悪や獣、
   アワ量の多い低次のサヌキ人間=強い善人)


このタイプは少ないけど、存在しています。
周囲にもいると思いますよ。

<アワ人間>


アワ人間は他人と争うことが、、本能的に怖くて出来ません。
だから優しいといえば優しい。

(※でも、我慢に我慢を重ねた場合などは、陰が陽に反転する如く、怒る場合があります)

<心とは>


「心がある」とは、他人の心や周囲の状況、理由・原因など、
諸々を「わかる」ことです。
それがなくて、ただ相手を思いやっている人が殆どです。

親・・・特に母親が心のない人(判断力のない人)だった場合、
子供がおかしくなります。
非行や登校拒否その他です。

逆に言えば、子供が問題を起こしている場合は母親に「心がない」のです。



ところがそういう母親ですが。
自分では一生懸命やっているつもりになっています。
それは「自分がわからない(判断力のなり)人間である」と、判断出来ないからです。
判断するまでの「心」がないからです。

まず、自分に判断力がないのだ・・・と、悟るところから始めなくては子供は直りません。

<サトリ>


相似象で言うサトリには宗教的な意味がありません。

サトリ
サ=差
トリ=取る


「差を取る」ということです。
つまり
「分別をつける」という意味です。
「分かる」ということです。

<整序する>


人は頭の中がさまざまな思考とは呼べない代物で混乱しています。
これでは思考していることにはなりません。
頭の中を整理し、きちんと思考することを「整序する」と言います。
これをしないといつまで経っても堂々巡りで結論は出ず
ウツ病や病気になったりします。

オラクルでも何でも依頼した方の相談に乗ると
依頼者の方の頭が整序されるため、本当に思考できるようになる。
するとわからなかったことがわかったり、
悟ったり、運命が良い方向に転換しているようです。


「他のところでありとあらゆるセッションを受けたが、ここのは全く違う。」
「今まで出会ったヒーラーの中で一番凄い。」と
言われていますが、それは霊能のせいではなく(霊能ないモンで)
ただ、私が依頼者の状況がわかるのと(メール読むとね)
依頼者はそれを何とかしたいと思って来たのだろうから、
本人が悟れる方向へ、発展する方向へお手伝いをしているだけです。
(※本人にその気がないと不可能なので全員ではありません。 
   ただ、あちこち体験して最終的に私のところでサトル人が多いです)
理解できずに誤解しているから、病気になってることが多いので
理解=ヒーリングであるともいえます。


また「あなただけの絵」などで、私が依頼者さんのメールを記事としてupしますね。
それを編集して少々コメントをつけたりしていますが、それを依頼者さんが読んで
さらに事態をハッキリと認識できるので、理解が深まっているようです。

それを
サトリと言います。

<神秘思想>


相似象は物理なので天使や神、霊、超能力、霊能力を扱いません。
ないと言ってるのではなくて、扱わないだけです。

上に挙げたことを
神秘思想と言います。

それらが好きなレベルの人が昔から存在するということです。
ここでは存在する、という事実を言ってるだけで、
それが良いとも悪いとも言ってるわけではありません。

<陶酔次元>


たとえば何かに熱中することです。
サッカーはや宗教、金儲け、趣味・・・何でも熱中したり、熱狂したりすること。
それをする人のレベルを陶酔次元と言います。

<陶酔次元とは>


例えば釈迦を偲んでインドへ旅をする、サイババに会いに行く、巡礼するなど、
具体的な、目に見えることをして心が満足する人たちのことです。
今は天使ブームなのでそれらも入ります。

やってはいけないというのではなく、「それは陶酔次元ですよ。」ということです。

<良い・悪いがない>


相似象は物理で、道徳ではありません。
なので、良い・悪いはありません。
ただ、事実を観察するだけです。

しかし、
低次の人には思考に必ず感情が取り付くので
すぐ良い・悪いの話しになってしまい
ます。
そういう人には相似象は無縁なので関わらない方がいいでしょう。



相似象には一切感情が入りません



それを人間的ではない、と思う方にも無縁です。

<知るとわかるの違い>


分別がつかないと言葉の意味の差がわかりません。
その分別をつけることを「サトル」と言います。



知るとは知識で、分かるとは悟ることです。
この二つは全く違います。

普通の本からは知識が得られますが、知恵は得られません。

(※例えば『お祖母ちゃんの知恵袋』という本を読んでも
   お祖母ちゃんの知恵を知るだけで、読んだ人には知恵はつきません)


相似象は知恵(判断力)を増すための方法が書かれています。
最低限の用語の知識は必要ですが、目的は「悟る能力を上げる」ことです。
なので他の本とは全く違います。

<相似象>


相似象には難しいことは書いてありません。
当たり前のことが書いてあります。
ただ、その当たり前のことは普通意識化しないことなので
難しいと思うかもしれません。

また、
「それを理解するには、をれを理解できるほどの理解力がないと無理」なので
わからないものを無理に分かろうとするのは無理です。
或る人に本を貸したら難しくて3ページ読めなかったのです。


何故理解しようとしたのでしょうか?


対象物を理解する力がなければ何事も理解は出来ないのに。



その人は女性でしたが、わからない本を頭で理解しようとしたのです。
理由はその人が「頭人間」(低次のサヌキ女)だったからです。

私はこの本を読めますが、別にわかろうとはしていません。
ただ、読むだけです。
面白いから読んでいるのであって、わかることは二の次です。
つまり、この点で私はアワ量が多い方だ。。。とわかります。

相似象はアワ量がある程度多くないと「読めません」。

<理解は別>


では相似象を読める人は理解できるのでしょうか?

実は出来ません。

本を読んだだけでは理解は出来ません。
相似象は「理解する力をつけるための方法」が書いてあるので、
読んだだけでは理解できるようにはなりません。

まず、本を読んだらそれを一応頭に入れておき、
生活の中でそれを考えながら、十年経てば「まぁ、わかるようになる」
ので、
女師匠は「若い人にとりあえず十年はやってくれと指導して」います。

私の周囲にも読んだだけで終わった人の方が多いです。

<これを知りたかった!>


ところが中には「これを知りたかった!」と、いう人が出てきます。
潜在アワ量が多く、ヲサの素質のある人です。
男性にいました。

<相似象の本は>


世の中にはさまざまな思想や情報があります。
それらを「地図」に例えると相似象は何に例えられると思いますか?



「目」です。

つまり、「地図を見る目」です。
どんな地図も目で見ないと見えません



どんな良い思想や情報でもそれを受け取る人間のレベルが低ければ
理解出来ず誤解する。
全てを「自分の頭のレベルにまで引き下げて誤解する」ので
中途半端な理解やいい加減な理解、曖昧な理解になってしまいます。
これを完璧に理解しようとしている人はあまり見当たりません。
全てムードでやっています。
そして本人はそれを「ただムードに浸っているだけだ」という自覚はありません。
自分ではその状態を「理解した」と呼んでいるからです。

<頭ではわからない>


学力や学歴の高い人でも理解出来ません。
相似象では
「たとえノーベル賞受賞学者でも、それは低次の人間である。」と言います。
知能指数も関係ありません。
頭の良い人・・・・これでもダメです。


頭の良さだけでは理解出来ません。
頭が悪ければもっと理解出来ません。



例えば上の言葉「たとえノーベル賞受賞学者でも、それは低次の人間である。」
を悟るまで、私は全くわかりませんでした。


私は頭が悪いので、
ノーベル賞受賞学者は高次のサヌキ人間だと、思っていました。
それは違うのです。

(受賞者は才能のある、サヌキ人間ではありますが、それをアワとは関係がなく、
  もし、彼が物事がわからない人間だったなら、低次のサヌキ人間です。
  実際、日本にもそういうのがいました。
  名前は忘れましたが、部下の研究を横取りして賞を取った教授がいました。
  また、人気があった受賞者がいます。
  或る会社の社員で、かなり謙虚で手柄を一人占めせずに
  会社のおかげだ・・・言って、社長が報奨金をあげおうとしても辞退するほどです。
  彼はアワ人間です。
  高次か低次かは、アワのレベルで決まるので、サヌキの才能とは関係がないのです)


でも、たった一つをわかるまでかなり長い期間、誤解していました。

このように知恵や判断力というものはつけるのが難しく、時間がかかります。
知識をつけるのは瞬時に出来ますが。

一つ一つ、悟って行くしかありません。
道のりは大変遠い。
しかし、それしか「わかるようになる」道はないので、それを進むしかありません。

<思考の落とし穴>


考えていると、思考の落とし穴に落ちることがあります。
全くそこに気付かないで陥ってしまうことです。

例えば「あなたは頑固だ。」と言われても、頑固なので、理解できずに
受け入れないことなど。
自分では通常、意識化出来ないので厄介です。

また、袋小路に入ってしまい、そこを目的地だと錯覚することがあります。
「袋小路に入る」とは、或る思想にかぶれて他の思想を受け付けなくなることです。

<共鳴と共振>


ある思想(意見)を唱える人がいたとします。
その思想(意見)に共鳴する人がいます。

では、その言い出した最初の人が沈黙したらどうなりますか?
共鳴した人は、最初の人が鳴っていたからそれに反応して共鳴していたのです。
最初の人が鳴り止んだら、あとの人も鳴り止みます。

これではいけない。

共鳴する人は一生他人に共鳴するのでしょうか?



女師匠は言います。
「共鳴するのではなくて、共振しなさい。」と。


共振とは「自力で鳴ること」です。
他に誰もいなくても自力で鳴ること、自らが発信人になること、それが大事。
これが出来ないと全て他人任せになってしまいますよね?
誰かがやらないと何も出来ない人になってしまいます。

師匠とエハン・デラヴィ氏が「独立個人」と主張していますが、
共振する人=独立個人
です。

<サヌキとアワ>


サヌキ人間=する
アワ人間=しない


と、いえる。

あくまでも「傾向がある」という意味です。

<アワ>


アワは「受け身のタチ」ですが、「受け入れる」ことと同じではありません。
低次のアワの場合はただ、「受けている」だけで、「受け入れること」が出来ません。
「受け止める」ことが出来ないと言ってもいいです。
受け入れるには高次のアワ(高い波動量)が必要です。
(※この場合の高次とは、相手よりも高次という意味)

つまり相手より高次のアワ人間や高次のサヌキ人間でないと、
相手のことを受け入れられないのです。
ただ、アワとサヌキでは受け入れ方が違うので後で説明します。


低次のアワの人は受身でいるだけで相手を受け入れることが出来ないので、
これが母子だった場合、やはり困ります。
子供の気持ち、考え、要求を受けているだけで、受け入れてやれません。

受け入れるには理解力が必要なのに、それがないからです。
ひたすら「受け」ています。
それで子供はおかしくなります。



だから「あんなに優しいお母さんの子が何故?」ということになるのです。

<サヌキとアワ>


サヌキ=判断力
アワ=感受性

<感受性>


アワが感受性ですが、まず、感受してからそれを判断しますね?
アワが前駆しているのです。
まず、アワありきです。

この感受性がマットウでないと、マットウな判断も出来ません。
どうすれば感受性をマットウに出来るのか?
それは
潜在しているアワを波動量(知恵)に変えることです。

<では、どうすれば知恵がつくのか?>


物事を良く見、良く観察することです。
それにはイマを意識することです。
それを
「イマイマにキを入れる」と言います。

今、この時に意識を働かす。
無意識で生きない。
方法は簡単です。

それを毎日、一年中一生続けると、知恵がつきます。

<何故知恵がつかないのか?>


それは思考する代わりに感情的になってしまうからです。
感情的になったら思考は出来ません。
そして殆どの人がコレです。
アワでもサヌキでもいます。

落ち着いて冷静に思考できる人は殆どいません

<観察することです>


相似象がちょっと分かってくると他人が見えるようになります。

次に自分が見えるようになります。
自分を見るとは・・・

自分のことも他人を見るように冷静に見る、ということです。
客観視せよ、ってことです。
これを
「自分の中にもう一人の自分を持て」
女師匠は言います。


私が得たレベルのサトリを書いています。
「その程度」だと、思ってください。
何も知らないよりはいいかな?
くらいに受け取ってください。


<潜象勘(せんしょうかん)>


潜象とは目には見えないがたしかにある事象のことです。
幽霊や妖精のことではありません。
それらは
神秘思想なので相似象では扱いません。

目に見えない事象。
理由・原因・仕組み・事情・状況・気持ち・・・などです。
小さなモノは原子から大きなモノは宇宙までを
カタカムナ人は望遠鏡や顕微鏡なしで、それらの存在を感受し、
それを文字に書き記しました。
(カタカムナ古文献)
それら目に見えない事象を
「感受する能力」のことを潜象勘と言います。


潜象勘のある人とない人がいます。
ある人が(他と比べて)高次のアワを持っているのです。
つまり、アワが波動量化して、知恵や判断力になっていることです。

これのない人にはいくら見ても「何も見えません」。

潜象勘とは心眼のことです。

よく、女性が男性よりも勘が働くといいますね?
女性は男性よりもアワ量が多いからです。

ところが、女性でもサヌキ型の人にはこの勘がないか、少ないか。
なので、物事は「目に見えることでしか判断出来ません」。
また、アワ型でもあまりにも波動量が少ない(=知恵になってない)
場合も、何を見ても何もわかりません。

こういう人に育てられると子供はおかしくなります。

<低次のサヌキ人間>


低次のサヌキ人間が相似象を学ぶと自分はアワ人間だ、と錯覚するそうです。

何故なら、アワ人間には心がある(正確には潜在アワ量がある)と
書いてあるので、自分にも「心がある」と思っているから、
では、自分はアワ人間なのだ・・・と、考えるからだそうです。

低次の人には
「自分で心と思っている、呼んでいるモノが実は心などとは呼べない代物なのだ」
と、いうことが理解出来ません。
どんなに低次の心(それを動物次元と言います)でも、
本人にとってはそれしか知らないので、それを「心(心ある心)」と錯覚するからです。

<見分け方>


なので「考え方 1」にサヌキとアワの見分け方を書いておきました。

<向上心>


一般的に言う向上心とは、目に見えるコトが向上することを指します。
○勉強が出来る
○運転が出来る
○運動が出来る
○料理が巧くなる
などです。

これらは目に見えますね?
そして心(低次・動物次元ではない心)がなくても「出来ます」ね?

相似象でいう向上心とは
●潜在アワ量を鍛えて、波動量を増し、物事がわかる人間になること


です。

<勘違い>


私の友人に簡単なことが出来ない人がいます。
○時刻を守る
○期限を守る
○最低限の報告をする
これらが出来ません。



私がその都度注意すると、この友人も私と同じ頃に相似象を知ったので
用語は知っているので、こういう言い訳をします。

「だって、アワだから(出来ない)。」



これは勘違いです。

アワ人間はたしかに「しないタチ」ではあります。
するかしないかと言えば「しない」。
しかし、それと時刻を守るということは「別物」ですよね?



どういうことかというと、
では時刻を守るというこを低次のサヌキ人間ならやれるでしょうか?
やれませんね。
時刻を守るというレベルに達していない人にはアワだろうがサヌキだろうが
出来ません。
つまり、
友人が時刻を守れないのはアワだからではないのです。
「低次だから」出来ないのです。




このように人というのは、もとい、
低次の人間は全てを「自分の都合の良いように解釈して生きて」います



私はこの友人にそこらへんを説明しました。
理解は出来ないようでしたが、逆上することはありませんでした。
何故ならこの友人がアワのタチで怒ることはないからです。
困ったような複雑な顔をしていただけです。
私がもっときつく言えば泣いたでしょう。
さらに責め立てればとうとうキレて怒ったと思います。



上のレベルの人を「動物次元」と言います
これは悪口ではなく、申し訳ないが事実なのです。
おとなしい動物次元というのもあります。

<見かけではわからない>


アワ人間(勿論低次の)は、表に出す部分が少ない。
行動・言動・表情にあまり出ません。
出しても出し方がおとなしい。

さて、高次の人間(アワもサヌキも)も、波動量が多く、レベルが高いので
感情的にはなりません。

すると・・・



この両者は見かけが殆ど同じになります。
なので低次のアワ人間が他人から「出来た人」と、誤解される場合があります。
どういう人が誤解するかというと、
低次のアワ人間と同じかそれ以下のレベルの人から誤解されます。

その上のレベルの人の目から見たら、わかるので上のレベルの人からは
誤解されません。
見抜かれます。

<どうやって見抜くの?>


行動・言動・表情(これらは全てサヌキ)に出ないもの(アワ)を
どうやって見抜くのでしょう?



アワ人間といえども全く何一つ表に出さないということは有り得ません。
ほんのちょっとした行動・言動・表情に、それが表れます。
沢山でなくてOKです。
ほんのちょっとでも見ればわかります。
これを「心眼」と言います。

心眼とは「高次のアワ」(波動量が高い)のことです。

(※この場合の高次とは低次と比較して、という意味です)

<何故見抜けないの?>


それは心眼がないからです。
それを「開き○○○」と言います。

また、何が見えるのか?
どのレベルのものが見え、どのレベルのものが見えないのか?と
いう話になります。

自分のレベルを超えたモノは見えません
何故ならそれを感受するアワ(心・賢さ)がないからです。

だからバカな人には周囲の賢い人間のレベルは見えません。
周囲の賢い人間がやらかす失敗や間違ったことは見えます。
つまり、低次の人間の目には聖人・賢い人・高次の人が見えないのです。

<低次のサヌキ人間>


なので低次のサヌキ人間は常に周囲の人間を誤解し、
誤解するだけならアワ人間もやりますが、それに加えて
相手をバカにする・・・ということをしでかします。

(※ただし、サヌキ性の強い・弱いがあり、レベルもさまざまですが)

これは法則から言っても間違いなので
(道徳から言っても間違いですが)
その結果さまざまな不都合が生じます。
事故や病気その他あらゆる災厄が訪れます。
全て自分の心が招いています。

低次のサヌキ人間は常に混乱しているのです。
これを
「ジタバタ運動」と言います。

<低次のサヌキ化>


日本は明治維新によってアワ型社会が崩れる方向に動き始めました。
そして敗戦によって低次のサヌキ化が加速しました。
今の日本は世界でも珍しいアワ型社会が崩れ、サヌキ化が加速度的に
進行している状態です。

だから、アワのタチの子供がまず、おかしくなっているのです。



そして、このサヌキ化を押し留めるには高次のアワの人が必要ですが、
そういう人が育っていません。
素質のある人(子供)がどんどんおかしくなっているのです。
こうなったら誰にもそれを止められません。



今がそういう時です。

<心ある人>


なので心ある一部の人が何かを求めています。
精神世界の流行もその表れです。

しかし、それでも飽き足らない人がいます。

高次の人間になる素質のある人は精神世界では救われません。
虚しいのです。
精神世界で救われるのは陶酔次元の方、神秘思想の方だけ。

本当の本物の人は陶酔しないし、神秘思想に没頭しません。

<精神世界>


陶酔次元の方用に神秘思想が用意されています
それは悪いことではありません。
それぞれの段階の人にちょうど良いモノを提供するように
世の中はなっているからです。


その人にとってはそれがちょうど良く、面白いし、理解できるのです。
だからそれを取り上げるようなコトをしない方がいい。
たとえ見るからに間違っていても、仕方ないからです。

人間のレベルには上は聖人級から下は類人猿までいる、と
女師匠は言いますが、全ての段階の人に必要な最適なものが
用意されているのです。

私が観察してて思うのは精神世界を学んでいる人がそれ以下に見える
ことをやっている人をバカにするのが見受けられます。
これは本末転倒していますが、その人にはそれは自覚できないんですね。

精神世界をやるなら、最低限他人をバカにするような低次のサヌキ人間から
脱却しなくてはなりません。
他人をバカにするために精神世界を学んでいるようなレベルの人が
やっている、精神世界とは?

矛盾していますが、低次元とはそういうものです。

<神秘思想>


ではifは神秘思想が嫌いなのか?と訊かれたら
「大好きです。」
と答えます。
へっへ・・・。

でも、好きなだけで陶酔はしていません。
のめり込んだり信じ込んだりは出来ないタチなんです。
趣味として楽しんでいます。

<アワのレベル>


それぞれの分野、モノにはレベルがあります。
野球が高くてサッカーが低いというのではありませんよ。


たとえば、歌。
高レベル〜低レベルまであります。
絵画もそうです。
小説もそうです。
商売もそうです。

さまざまなものにそれぞれレベルの高低があり、
人は自分のレベルと共鳴するものを好むのです。

<レベルと好み>


上の記事の補足です。

自分が何を好んでいるのかがわからない人が多いことに驚きます。
たとえば私に使命を訊く人がいます。
好きなことをやればいいんじゃないですか?と私は言います。
が、相手は「自分の好きなことがわからない」と答えます。
私は本人がわからないものをわかりようがないので、答えようがありません



それから、その対象を本人が好きだと錯覚している場合があります。
流行だから、有名だから、格好いいから、ただ何となく・・・
理由はさまざまですが。

例えばクラシック音楽というのは高尚な趣味である。
それを好む人は高尚な人である。
故に私は自分を高尚と思いたいので、クラシク音楽を好む。
(ような気がする・・・)


とかね。



これ、笑い話のようですが、本当にあるんですよ。
「歌舞伎を好き、と言ってる自分が好きってことに気付いた。」とかね。
低次のサヌキですね。



本当にクラシック音楽が好きなら問題はありません、結構なことです。
問題は本当は好きでもないのに好きと錯覚している場合。
これは本当はそれを好きではなくポーズを取っているのですが、
そこらへんを自覚していない人もいる。
自覚していればいいのですよ、何でも。

本心と違う行動を取っていると、理由もなく苦しくなります。
だって、本当は「つまらない」んだから、いろいろと精神に不具合が生じます。
これを解決するには「それを好きではない」ということを
ハッキリ認識すればいいのです。



もう一つ。
女の場合は男に比べてアワのタチなので、相手の寄り添うことがタチ。
好きな男が好きなモノを好む(振りをする)というのがあります。
男にとってはこういう女は都合がよく、従順で良く見えます。

女はサヌキでも男よりはアワのタチだし、一時的なことだし(恋愛中だけw)
そういう振りをすることが出来るのです。
あ、別に詐欺ではありませんよ。
多かれ少なかれ交際中はそうですね。

私はしませんが・・・・・

結婚後もダンナの趣味に同調(これがアワのタチ)している友人がいました。
ダンナの趣味が縄文式土器でした。
歴史好きな私なので縄文式土器は好きです。
でも、毎日一年中一生縄文式土器に明け暮れるってのは???ですね。
そこまで入れ込みませんよ。

ところがこの友人、歴史なんて全く興味ない人なのですが
縄文式土器の話しを私にし続けるのです。
「早期・前期・中期・後期・晩期・バンバン期・ババンガバン期・・」と、
縄文式土器の話しが延々と続くのです。
(天にまします我らが父よ、願わくばこの女の口を閉じさせ給え)
祈りました(うそ)。

私はとうとう言いました。

「ねぇ。
 あんた縄文式土器の話し、面白い?」
すると友人
「うううんん、つまらない。」

だ========っ!

だったらしないで欲しい。

この友人は縄文式土器が大好きなダンナに同調していたのです。
してもいいですよ。
とことんすればいいと思いますね。

しかし、それを私に対して実演しないで欲しい。
それを私にして何か効果が得られるのだろうか?
歴史好きな私に縄文式土器の話しをして、自分の知識が本物であることを
試したのだろうか?
私から凄いね、と言われたら成功だったのだろうか?
それとも、歴史好きな私を楽しませようと思ったのだろうか?

しかし、歴史ってのは膨大なので好きなジャンルはその中のほんの一部であるということ、
好きなジャンル以外は普通は興味がないこと、という
当たり前のことがわからないくらい、歴史音痴である、ということは私にも良くわかったが。

何だかな〜。

自分の好きなモノを素直に好きと自覚している人は幸いです。
この人のような状況下で好きでもないものを好きと錯覚している人も多いと思います。
それは精神にダメージを与えるし、友人をなくすので(ははh!
なるべく早く自覚した方がいいです。

<アワのレベル 2>


このレベルとは、たとえ相手が異性でも外国人でも年齢が違っていても
「同じレベルのものを好きだということは、
意識レベル(波動量)も同じだ」ということです。
まぁ、全く同じというよりは「近い」と言った方がいいけれど。

だから同じ日本人同士で理解し合えなくても、外人と意志の疎通が巧くいき、
意気投合するケースが当たり前にあります。

私ごとですが仕事をしていた頃、同僚はわからずやが多かったのですが
(どこも同じだと思いますが)
イギリス人の同僚とは片言でも意志が通じたことがあります。
彼はオックスフォード大を出ていて、気さくな明るい人でした。
彼も私に「一番話しが通じる!」と日本語で言いました(爆

これはお互いのアワのレベルが等しかったためで
サヌキ(学歴・学力など)が等しいという意味ではないので、
私がオックスフォード大卒者と同じ学力レベルがあるということではありません。

ちなみにソルボンヌ大卒者はわからずやで閉口しました。
たまたま彼がわからずやだっただけで全てのソルボンヌ大卒者がそうだと
いうのではありません。

<レベル>


アワが優しいサヌキが逆上する・・・などと書くとアワの方が良いように
思えるかもしれませんが違います。
肝心なのはレベルなのです。

同じレベルならアワ人間もサヌキ人間も「同じことを感じ、考えます」
ただ、タチが違うのでそれに対する反応が違ってくるだけです。

<タイプは違うが同じレベルの実例>


我が家の場合です。



十年くらい前のこと。
主人の母を夕食に呼んで食事をしていました。
末っ子(当時三歳くらい)が味噌汁をこぼしました。
すると・・・

主人の母が反射的にピョン!と、立ち上がり台所にふきんを取りに行こうとしました。
主人は「こらっ!」と叱りました。
私は黙って末っ子を見ていました。



あなたならどうしますか?




私は反射的に立ち上がった主人の母に座るように言いました。
主人には怒鳴るんじゃない、と注意しました。

上の子供達は口々に
「お父さんは怒るんじゃないよ!」
「●が自分でふくんだから黙っててよ!」
「何でお父さんは怒るんだよ!」
「●は自分でふけるんだから、自分の責任を果たさせろよ!」
ガオガオ怒ってます。

それを聞いた主人は照れくさそうに黙ってしまいました。
主人の母は驚いて、へなへなとそこに座り込みました。



三歳になれば自分がしでかした不始末の後始末が出来ます。
そのように育ててます。
「後始末をしなかったら」その時に嫌というほど叱れば良い。



主人の母は我が家の子育てを見て驚いてしまったのです。
さて、この母に育てられたウチの主人。
母親と同レベルです。



片方は後始末をするために立ち上がった。
片方は怒鳴った。
これのどこが同じでしょう?


両方「三歳の子に後始末は出来ない」と思っている点が全く同じじゃないですか。
現れ方は正反対ですが、レベルが同じなのです。
片方は「お守りをするアワ」で、片方は「しかりつけるサヌキ」ですが、
両方、三歳の子を信頼していないという点では同じなのです。

主人の母はこの件でショックを受けてしまいました。
自分のやり方とは全く違っていて、
しかもそれが「より上」だということがわかったからです。
主人の母は頭が良く素直なので、わかったのです。
そうではない場合は理解出来なかったでしょう。

<レベル 2>


どのようなモノにもその人のアワのレベルが表れます。
たとえばメールにも出ます。
なので、一読するとその人のタチとレベルがわかります。
それで、私としては(どのように返信したらわかってもらえるか?)を考えます。

ただし、私は「人と敵対することが本能的に出来ないアワ人間」ではありません。
ましてや相手の足りない分を補ってお守りをしてあげられる
高次のアワ人間ではありません。

お守りということが出来ないし、やりたくないのでやりません。

(※やりたくなくてもやっている人がいるし、やらざるを得ない場面があります)
これはアワとサヌキの違いなので後で書きます。

<レベル 3>


さて、その結果、わかる人には容赦なくビシバシ本当のことを書きます(笑

その文章はわからない人(物事がわからない人・低次の人)が読んだら、
サヌキなら逆上、アワなら泣くかもしれません。
しかし、本当のことを書かないと通じませんよね?

なのでたとえ逆上しようとしまいと泣かれようと泣くまいと
本当のことを書かざるを得ないのです。

私から歯に絹着せぬメールをもらっているあなた。
あなたは見所がある人です(笑
(※ただし、相手がわからずやでど=しようもない場合にもズバズバ書いてますがね)
(※要するに遠慮しないでガンガン書くのが私には一番気持ちが良いだけです)
(※これがアワ量の多い低次のサヌキ人間の特徴です)

そしてこれが実は好みにふける、ということです。
他人のお守りなぞやりたくもない!と、いうのが自分のタチですが
そのナリのままに行動する(或いはしない)ことです。

<アワ量の多い低次のサヌキ人間とは>


要するに、他人を苛めたり社会を混乱に陥れるようなことはしないが、
かと言って素晴らしい人格の持ち主でもありません。
ただ、明るく、環境を整えたり、人と人を結びつけたり
積極的に社会を明るくするのが好きなタチだというだけです。

この中にもレベルの高低はあり、
素晴らしい人から、困り者まであらゆる段階のがいます。

<高次のサヌキ人間>


高次のサヌキ人間の例。

○イエス・キリスト
○釈迦
○孔子

○マザー・テレサ

<高次のサヌキ人間の特徴>


まず、感情的になりませんね。
常に平常心です。
あ、キリストは一度ユダヤの神殿内で品物を放り投げて暴れましたが・・・
あれはキレた振りをしたんでしょう。
ああでもしないと連中がわからないので仕方なく、ね。


大変頭が良く何でもわかります
その頭の良さは頭の先の良さではなくて

(頭の先だけが良いってのは高偏差値の人とか。
  ただし、高偏差値でも、本当に賢い人だっていますよ)

本当の賢さを持っている。


心が広い、大きい
他人の心の痛みを分かり、救ってあげることが出来ます。
そして、それに対する見返りは求めません。


こんなに高次のアワを持っているのに、何故サヌキかと思うでしょう?


この三人は何事かを成し遂げました。
成し遂げる=行動する
なのでサヌキなのです。


この三人は或るレベルを設定して「ここまでになりなさい」と、
人を導きました。
それが高次のサヌキです。
高次のアワなら相手がどんなにダメでもそれをそのまま「認めます」。
とても優しいのです。
というか、最初から相手をどうこうしようなどとは思いません。
諦めています。



でも、高次のサヌキ人間は優しいけれども、それをしていたら
相手がいつまでもそのレベルに留まっているだけで
本人の向上がないので、
本人のためにもっと向上しなさい、
と、教えているのです。



この三人は並外れた行動力を示しました。
なので高次のサヌキ人間だと思います。
(あくまでも現時点の私のサトリでは)

<私が・・・>


私がもうちょっと低次だったら、きっと今頃舞い上がっていたと思います。

例えばPANDORAの一日のhit数は700越えてます。
でも、私はサヌキ(頭)人間なので(へえ・・・)って思うだけなんです。
頭で「そっか、一日700か。」と認識するだけ。
感情が1ミリも動かないんですよ。
そりゃあ嬉しいです。
でも、「嬉しい」と「頭で思うだけ」なんです。

あとは「絵の不思議話し」ですね。
私がテキトーに描いた絵が次々と不思議なエピソードを生んでいます。
これも、もうちょっとだけ私が低次なら
ワクワクして自慢はするわ、興奮するわ、鼻が高いわで、
大変な騒ぎになっていたと思うんです。
まるで自分が何者かになったように錯覚してね。
が、感情が一切動きません。
私はたしかに低次ですが、そこまで低次ではないのです。

そりゃ不思議話しは面白いですよ。


でも、そのことによって得意になったりしないんです。
そればかりかそんな不思議な絵が描けるってことがまだ「信じられません」。
なので描く時自信満々かというと、全然。
(描けるかなぁ?・・・でも、いいや、描いちゃえ!)
つまり、適当かつ無責任の産物なのです。
他人よりも、真っ先に「自分がそれを信じてない」んですよ。

<徳の賊>


相似象には「徳の賊」という言葉があります。

徳の賊とは・・・

何もわかっていないくせに他人を導こうとする人のことです。
つまり、低次のサヌキ人間なのに他人を導いている人のこと。
沢山います。

低次のサヌキ人間は「自分がわかってないこということが
わかっていません」ので、他人よりちょっと勝っていることがあれば
有頂天になり、それを吹聴します。
するとその人よりもさらに低次の人が面白がってついてきます。
さらに低次の人から見たら、その人だってレベルが上だからです。


吹聴する人よりも高次の人は騙せません。
見抜かれています。
が、命に関わる問題ではないし、自分とは関係ないし、
吹聴する人につき従う人達にとってはその「教え」がちょうど良い、
ということもわかっているし、彼らを説得しても理解しないということを
レベルの上の人は知っているので何も言いません。
沈黙しています。

で、言われない(批判されない)ことをいいことに徳の賊は
ますますいい気になり活躍します。
サヌキ人間で行動力があるので可能です。

その程度の人が言うことをレベルの低い人は「本当だ」と認識します。
それよりもレベルの高いことを言われても理解出来ないのに
その程度の人が言うことは自分で理解できる範囲内にあるので面白いのです。

で、世の中にはどうでもいいようなコトが溢れるようになりました。
何故ならそれが「売れる」からです。
その程度のこと、ものを買う人が多いからです。

本物は売れません(笑
本物がわかる人が少ないからです。



品物ならまだいいが、思想を売るということが問題なのです。
放っておけばもっといい、マトモな思想に巡り会えたかもしれないのに、
途中で変なモノに引っ掛かってしまったからです。
その人の精神に対して甚大な損害を与えていますが
徳の賊の方はそんな自覚はありません。
賊本人にとっては「それが本当」で「素晴らしい真理」に思えるからです。

オウム真理教は勿論そうですが、そこまで行かないにしても
まるで本当のような思想を売り出し、それを商売にしている人ばかりです。
ある程度は本当なのです。
めちゃくちゃデタラメではありません。
だから、良い面もたしかにある。
しかし、それに入り込んだらもっとマットウな思想に行き着けなくなるので
問題なのです。

それに引っ掛かった人は精神と人生においてダメージを受けますが、
途中で飽きたり嫌になって止めることも出きるし、
その経験が勉強になるのでいい面もあります。
徳の賊が主張する思想にはまってしまい、
精神の袋小路に入り込んだままの
人も多いと思いますが、そもそもマットウな感受性を持っていたら、
そういう目には会わずに済んだので、当人のせいでもありますね。

<下の人は上の人を理解出来ない>


上のようなこと(妙な思想にはまってる)になってる人に対して
高次のサヌキ人間と、アワ量の多いサヌキ人間なら
「止めなさい」と忠告します。

(※場合によっては忠告しませんが)
アワ人間はしないタチですが、あまりにも危険な状態の時は
力を振り絞って忠告するでしょう。

サヌキでもアワでも高次の場合はそれを「わかっている」のです。



アワの人は「仕方ないのでそれをそのまま認める」かもしれません。
アワのタチは「相手をそのまま受け入れる」からです。
或いはその人のことを気の毒に思うかもしれないし、不気味に思うかもしれない。

サヌキ・アワと言ってもレベルの高低、サヌキ性アワ性の強さによって
出方が違って来るし、場合によっても違って来るからです。

低次のサヌキならバカにするでしょう。
サヌキ性が強ければオウムを追い出す、という行動を取ります。
低次のアワの人は何もわからない人もいるでしょう。
アワの人は思うだけで何もしませんが。



オウムの時は日本中がフィーバーしましたね。
殆どの人は感情的になり、オウムを嫌いました。
「出てけ〜」と叫んでいましたね。
オウムをバカにする人が多く、それがオウムに対する日本人の普通の態度
のように報道されると、オウムなど良く知らないのにその報道に同調し
一緒になってバカにしていました。

これが低次のサヌキです。

最低の態度だと思いますがいかがですか?

報道に左右される、何も考えず何もわからない人達が沢山いるのです。
まだオウムの一般信者の方が純粋な分、マシだと思いますよ。

アワのタチの人は他人をバカにすることはありませんが、
低次だと理解することが出来ないので不気味に思うでしょうね。

オウムの信者を理解したり会話しようとした人は大変少ない。
あるおじさんがオウムに建物を貸し、信者を説得していました。
そのおじさんは町の人から「オウムの味方をする裏切り者」のように
誤解されていましたが、まず建物を貸した上で説得をする、という
おじさんのやり方を理解出来ない人が多かったのです。



レベルが下の人から上の人が考えていることはわかりません。
理解出来ない。

それで誤解されます。

高次のサヌキ人間は大変なのです。

<アワ人間の行動>


アワ人間だって行動しますよ。
発言だってします。

友人から聞いた話です。

今から20年も前のこと。
友人の子供(当時三歳)が何かしでかしたら
ご主人が三歳の子に正座させて1時間も説教したらしい。
このご主人は暴力を振るうのは悪いと思ってるので
言葉で躾けようと思ってる人です。
それが親の義務と思っているのです。

ご主人がまだ三歳の子に説教するのを1時間も見てても
この友人は「何も思いません」でした。
あまりにも低次なので見てもわからないのです。
いいとも悪いともなんとも思わないのです。

それを見ていた友人のお母さんがやっと一言
「あまり、いいことじゃないねぇ。」と言ったそうです。



友人はアワ人間です。
友人のお母さんもアワ人間。

何が違うかといえばレベルが違う。
友人は目の前のことがわかりませんがお母さんにはわかった。

しかし、お母さんもアワのタチゆえ、おとなしい。
出来れば「何も言いたくない」のです。
誰か他に言ってくれる人がいれば有りがたい、そういう人にいて欲しい。
ところが、今、ここにそういう人(皆より高次の人)がいない。

今、ここで娘婿の行動に対して異を唱えることは相手と敵対することになる。
それは避けたい。
本能的に嫌、出来ないのです。
しかし、目の前で可愛い孫が気の毒な目に会っている。
可哀想で仕方がない。
でも、誰も止めさせないようだ。
迷いに迷った挙句、一大決心して言いました。



やっと一言「あまり、いいことじゃないねぇ。」と。
これが精一杯です。
これ以上は言いたくないし言えません。
たった一言ですが、自分の何も言いたくない気持ちに逆らって
勇気を振り絞って言いました。
孫が可哀想だから言ったのです。
これが自分のためなら言えません。



さて、このお母さんの発言を聞いた友人ですが、
お母さんの言ってる意味がわからなかったそうです。
そりゃ意味はわかりますよ。
「あまりいいことじゃない。」
そんなのはわかります。

何がいったい、どのように、どういう理由でどんなふうに
「いいことじゃない。」のか、わからないのです。
言葉は音声として聞こえていますが意味が全然わからない。
それを波動量が低いと言います。



もし、この友人に人並みの波動量があったら、ご主人に
三歳の子供に正座をさせて1時間説教させるなんてことは「させません」。
喧嘩してでも止めさせるでしょう。
でも、それが「あまり良いことではない」ということを夢にも思わないので
何も思わないし、何もしなかったのです。

アワのタチとはこういうことです。



これがサヌキな私だったら即、文句を言い止めさせますね。
言おうかどうしようかなどと躊躇しませんね、この場合は。
そしてついでにこの父親の方に1時間説教します。

相手が怒ったら当然喧嘩になるでしょう。
喧嘩になったら勝つまで止めません。
まぁ、怒鳴りあいの場合ねw
殴られたら警察沙汰にすればいいんだし、
殺されそうになったらこっちも出きる限り応戦したいです(わははh!
それがサヌキのタチです。

しないのを我慢出来ないのです。

ええええっと、if のダンナさんが気の毒、と思った方います?
それは誤解よ、誤解。

<サヌキとアワ>


サヌキだからいつも行動するわけでもなく
アワだからいつも行動しないのではありません。



サヌキの人でも
時と場合によって行動しないことが多々あり、
アワの人だって行動はしますよ。

<勘違いし易いところ>


Nさんが相似象を読んで疑問点を書いてくれました。
勘違いしている部分がありました。
多分Nさんと同じように勘違いしている方がいると思うのでNさんに見本になってもらいました。


こんにちは、ifさん。
Nです。
相似象・・・、難しいですね。
人間の話の所に、UPされていましたが、ネットで調べても、
相似象について、そんな内容はどこにも出てきません。
それをあえて、解釈をUPしてくださったことに、すごく感謝です。
 
■女師匠が私がネットで解説してるのを知ったら驚きますよ。
  即、破門されます。
  でも、師匠はネットやらないだろうから、いいかな?と。
  それと、正確には弟子ではないし・・・
  一読者です。
何度も、読み返してるんですが、読み返せば返すほど、???ですね。
最初に読んだとき、きっと私は、高次のアワのある低次サヌキに違いない。
と一人合点してました。


■高次のアワを持った人は高次の人間なのです。
  高次のアワ人間(しないタチ)と高次のサヌキ人間(するタチ)とがいます。
  高次のアワを持った低次の人間というのはいません。

が、考えれば、考えるほど、私はそのレベルにさへ到達してなかったのでは・・・という気がしてきて、
いったい私は何者だ!!ということになるんです。
もしかして、アワにもサヌキにも引っかからない、というか、

■どんな人でもアワかサヌキのタチです。
  両方ではないという人はいません。

自分が思っていた以上に、動物的に低次なのかも知れない・・・
ということを思っています。(生活パターンとか、人との付き合いとか)
 
それが、確かにifさんのおっしゃるとおり、「舞い上がっていた自分」に気付いたことなんでしょうね。
 
■相似象で頭を鍛えて初めて「本当に考えること」が出来ます。
  少し知っただけでも違って来ますよ。
 
共鳴と、共振も考えさせられますね・・・。
その違いに気付いたとき、いつか、共振が目指せるようになるのでしょうねぇ…。
 
私の周りで、きっとこの人が共振してる人だって人がいます。

■ええええっと・・・
  その人は何に共振しているんですか?
  共振するには元となるものや人間がいないとならないんですが。
私にとっては、ある意味見本のような人です。
でも、そういう人って、何かのメッセージを残すと、目の前から消えていくんですよね。
 
(多分相手のほうが、ワンランク UP する  波動が上がるんだろうなぁ)
とにかく、その彼女は、目の前のことを、どんどん片付けていきますから。
多分、サヌキが強いタイプの人なんでしょうね。

■目の前のことをどんどん片付けるのはサヌキのタチですね。
 
その人がいなくても、自分が共振できるようになっているのか?
今の所は、全くもって、NO。

■えええええっと、この場合、Nさんがその人に共振するという意味ですね?

私は、かなり、ほぼ100パーセント、その人に共鳴してるだけだったんですよ。

■それは有り得ます。
  
(まあ、それが、今までの私の生き方だったのだから。
今まで随分楽してきたなぁという感じなのです。特に物事を判断、決定することにおいて)
そういう意味できっと、私は、やっとスタート時点が見えてきたようなものですね。
 
サヌキのふりをするって説。面白い!!というか、良いですねぇ・・・。
なりきる必要はない。そういう、ふりをしておけば良いんだなぁ・・・。なるほどなぁ・・・と思いました。
そう思うと、肩の力が抜けて楽になれますね。

■違います。
  本来アワのタチの人がサヌキの真似をするということが無理があるのです。
  社会がサヌキ社会で、アワ人間は生きづらい。
  例えば会社、仕事というのはサヌキです。
  なので、サヌキ性の発揮(行動すること)が求められます。
  サヌキ人間は行動することが自分のタチなのでいいのですが、
  アワの人は行動しないで思考するタチです。
  でも、それでは会社や社会で評価されませんね。
  だから、アワの人は見よう見真似でサヌキの振りをする、それがサヌキメッキです。
  これはメッキなので本当ではないし、自分のナリではないので本人は苦しい。
  メッキなのでいつか剥がれます。
  
 
全部読み返せば、読み返すほど、今の自分に抜けている所が沢山あります。
ちょっと愕然とします。
毎日、せっせと読み返すことにしますね。
そしたらば、また何かに気付けるかもしれません。

■何度も読んでくださいね。
  私も書き始めたからには最後まで書かないとなりません。
  大変だけど、しょうがない・・・



Nさんには犠牲になってもらいました、ありがとう!
しかし、本当のことを見つめる勇気がなければ向上しません。

相似象に対する質問は個々には答えません。
ここで答えます。
その方が皆のためになるからです。