相似象の考え方 3


私が20年間やって来た、相似象から得た知恵をメモしました。
今まで文章化したことがないので、難しいです。
サトリ(理解力)が進むにつれて新たにわかることがあるので
追加と訂正があることをご了承ください。
特に断ってない場合、サヌキ=低次のサヌキ、アワ=低次のアワです。


相似象学会誌「サヌキ・アワのサトリ」を抜書きしているブログ

<低次元>


可笑しいことに私にメールをくださる方が皆
「私は低次のアワだと思います。」
「私はきっと低次のサヌキです。」と書いてきます。
多分そうだろうと思います。


相似象の著者が曰く
「低次のサヌキ人間ほど、自分をアワ人間であると誤解する」そうです。
「アワ人間は優しい」と知ると、低次のサヌキ人間は自分に甘いので、
そのように考える、それが低次の証拠だそうです。

<低次元2>


ところが、ひとくちに低次元といってもその中にピンからキリまであるのです。

<低次元3>


たとえば私は低次のサヌキですが、
他人の不幸を喜んだり、他人を邪魔したり恨んだり妬んだりしたことがありません。
ひたすら自分の好きなように勝手に生きています。
かなり、親切です。
ちょっとしたことでは怒りませんね。
寛容だそうです。



寛容というのは、昔★占いで、そう出ました。
でも、私の自覚としては自分は寛容ではない、と思っていました。

ところがそれから十数年経ち、
世の女ドモがあまりにも不寛容な有様を見るにつけ
(ひょっとしたら自分は寛容なのではないか?)と、思ったのです。
それから検証が始まりましたが、やはり、自分の自覚とは別に
自分が寛容な方である、という結果が出ました。

それほど、女性達が心が狭く、不寛容であるということです。
呆れます。
病気になるわけです。

日月の神が言ってます。
「女のメグリ怖いのぞ。」と。
つまり女性にはカルマがあり、それが怖い作用を及ぼしているってことですよ。
男性にも勿論カルマはありますよ。
でも、神は「女のカルマは怖い」と言ってます。
そういうコトです。



話が脱線しましたが、私も低次元の人間なのです。

そして低次元にもいろいろあり、とても同じ低次元とは思えないほどである、
ということです。

<高次とは?>


では高次の人間とはどんな人なんでしょう?

<高次とは?2>


まず、その素
質のある人は全人口の7%だそうです。
少数者のことです。

<高次とは?3>


将来はヲサになる素質のある人のことです。
昔はこのタイプの人が成長して、ヲサになっていました。
ヲサ社会の時は。

素質のある人が全員、高次の人ではありません。
高次になる素質があるだけです。

その豊富なアワ量を波動量に変えないと、高次にはなれません。

だから、
高次の人は1%くらいしかいないのではないでしょうか
昔は、素質のある人がほぼ全員高次になれたはずです。

<高次とは?4>


特徴は・・・
他人の矛盾を一手に引き受けて、何も言わずに我慢し、
苦労を背負い込む
と言えます。

これを
「苦労する能力」(相似象)と言います。


ただし。

このタイプの人は7%生まれてきますが、最初からそれは出来ません
豊富なアワを波動量(知恵)に変えないと出来ません
その素質があっても、アワが波動量化されてないと、
心だけあって知恵がない状態ですので、
本人は苦労するタチなので、ひたすらわけがわからないまま
苦労を背負い込みます。

そしてその時に低次のまま(アワが豊富でも波動量となってない状態)
なら、誤解したりします。
試行錯誤が続きます。

自分の心の中の思いを言語化出来ないのは苦しみです。
周囲にわかってくれる人はあまりいません。
なので、精神がおかしくなる場合があります。
ウツです。
(※ウツの人が全員少数者ではありませんよ。  
   そうでない人の方が多いですよ)



高次の素質を持った子供がまっとうな育ち方をして初めて
高次の人間になれる
のだ、と覚えておいてください。

<高次とは?5>


昔は7%の子供が殆どヲサとなれるような社会でした。
(アワ型社会)
(ヲサ社会)
(未開の土地)


でも、今は社会がサヌキなので、アワだと生きづらく
アワが波動量化するような音楽、遊び、などがありません。
アワが成熟しようがない。
なのでこれだけ引き篭もりなどが増えているんです。

(※ただし、引き篭もってる人全員が少数者かというと、
  私は調べてないのでわかりません)

<どこが違うのか?>


高次のサヌキ人間と、低次だけどアワ量が多い人間の違いは何?
高次のアワ人間と低次のアワ人間の違いは何?

<どこが違うのか?2>


それは「苦労できる量」の差です。

<苦労とは?1>


相似象で言う苦労は普通にいう苦労とは意味が違います。

普通に言う苦労は
●汗水流して苦労する
●子育てに苦労する
●資金繰りで苦労する
●人間関係で苦労する
というように使いますね?

<苦労とは?2>


相似象でいう苦労は・・・

「理解力の差から生じる」
のです。

<苦労とは?3>


人間が二人いた場合、理解力(波動量)が全く同じ場合というのは
滅多にありません。
すると二人の理解力に差が生じます。

その差を
Aさん>Bさん
とすると、
Aさんが必然的に苦労させられます

<苦労とは?4>


その時、Aさんが取る態度には幾つか考えられます。
低次の人の場合を、幾つか想定してみました。
実際は「人の数だけ反応の種類がある」のです。



サヌキの場合
Aさんがかなり低次のサヌキ=即、不満を感じ、
                    Bさんをバカにする、苛める、意地悪する。
                    全く苦労は出来ない。

Aさんがアワ量の多い、低次のサヌキ=大抵は大目に見るが、
                          無視出来ない場合は、
                          相手に対して愛情があるので、
                          Bさんのためを思い、Bさんを説得する。
                          Bさんが理解しなくても
                          あくまでも「このレベルまで来い」と、自分を曲げない。

                          Bさんよりもレベルが高いので苦労するはめになる。
                          ある程度は出来る。
                          しかし、限度を越えてはしない。
                          Bさんに対し「他人に苦労をさせているようではダメだ。」と
                          Bさんに今いるレベルよりも向上するように指導する。
                          或いは文句を言う。

                          説得が有効でないとわかると説得は止める。
                          しかし、これ以上苦労はしたくないので
                          このままBさんが向上しない場合
                          相手をすること自体を止める方向へ持っていく場合がある。

                          心(情緒)よりも頭(理屈)が先に来るタイプ。
                          感情的にはならないが、頭(理屈)で押し通す。
                          (※このタイプにもピンからキリまであります。
                             感情的になるレベルもあります)

アワの場合
Aさんが低次のアワ=Bさんに対して黙るが、心の中は不満で、その不満は愚痴になる。
              あるいは、大目に見て何も言わず、苦労を背負い込む。

Aさんがもっと低次のアワ=心の中は不満だが、何がどう不満なのか自分でもわからない。

Aさんがちょっと高次のアワ=Bさんの理解度を見て優しく説得する場合もあるが、
                   殆どは何も言わない。
                   Bさんよりもレベルが高い分、苦労させられる。
                   平気で苦労出来るレベルの場合と、出来ない場合がある。
                   出来ないレベルになると、苦しむ。
                   



この他にもいろいろなケースが考えられますが、
レベル(波動量)の差によって、出来る苦労のレベルが違ってきます

<苦労とは?5>


高次の人間の場合は、理解力の差から生じる苦労を
殆どの場合、背負い込めるのです。

ここが低次の人とは違います。

<苦労とは?6>


<苦労とは?4>のちょっと高次のアワ人間の説明と似ていますが・・・



Aさんが高次のアワ=Bさんの理解度を見て優しく説得する場合もあるが、
              殆ど何も言わない。
              感情的にはならない。
              Bさんがレベルが低いことから生じる、苦労を引き受けるが苦しまない。

Aさんが高次のサヌキ=Bさんの理解度を見て優しく説得するが、
               Bさんの反応を見て、有効でないとわかると説得を止める。
               感情的にはならない。
               Bさんがレベルが低いことから生じる苦労を引き受けるが苦しまない。

<苦労の具体例>


幼児が散らかしたおもちゃを母親が片付ける、なんてのも「苦労」です。

でも、この苦労は子供が幼児なら簡単に出来ますね。
これくらいなら大抵の母親には苦労ではありません。
(人によってはこれくらいでも苦労になりますが)
しかし、小学生、中学生、高校生になったら?
だんだん簡単には出来なくなると思います。

中には亭主が散らかしたモノまで片付けている主婦がいます。
これも、簡単に出来る人と出来ない人がいます。
(サヌキの人は簡単には出来ないと思います。
  サヌキは頭が働くので、大人なんだし、子供の手前、
  あんたもちゃんとしなさい・・・と、亭主への教育が始まります)




アワ人間の行動は「相手を助ける、面倒を見る」という風に
働くのでサヌキ人間よりも苦労が簡単に出来ます。

サヌキ人間なら、程度にもよりますが
相手が幼児であっても、本人に片付けさせる・・・という風になります。

「ココまで来い」という考えが働きます。
教育です。

<苦労の具体例2>


上の例は簡単に出来、母親なら大抵は
苦労と思わないけれどではこの場合は?



女子社員だとします。
お茶汲みをしています。
他の女子社員がお茶汲みをし、上司から「あのコはよくやっている。」
と、評価されている。
しかし、その女子社員は給湯室のお茶ガラを掃除したことがありません。
表面はやるけど、裏ではズルをしているのです。
当番で掃除をすることが決まっているのに、です。

その時。

苦労する能力のある、他の人より高次の人は
不満を感じないで給湯室の掃除をすることが出来ます。
でも、上司はそれを知りません。
「ったく、少しは○○君を見習ったらどうだ。」くらいに
低い評価を、その高次の人にします。

(※これが潜象勘がない、と言いますが、大抵こんなモンです。
   給湯室で何が行われているのか、その上司には見えない。
   部下がいる人がコレでは本当はダメなのですが、こんなモンです)


これが普通のアワの人なら怒るか、泣くかするところですが、
少数者は少しは悲しいと思いますが、それでも何も言いません。
言ってもしょうがないので、諦めて給湯室の掃除をし続けます。
(神様です)



余談ですが、ココにアワ量の多い低次のサヌキ女子社員がいたら・・・
高次の女子社員が給湯室の掃除をしていることを上司に言うでしょう。
「課長、そんなコト言ったって、給湯室の掃除をしているのは○○さんだけです。
掃除は当番制なのに、▲▲さんが掃除したところを見たことはありませんよ。」
とか。
黙ってられない性分です。
また、頭タイプなので
「当番制にしたなら、全員が義務を果たすべき」と、思っています。

このタイプは社会の潤滑油です。
別に世のため人のために生きようとしているのではなく、
そのタチのままに動くと結果がそうなるのです。

<苦労の具体例3>


上の例はまだいい。
まだ耐えられます。

(私は耐えられないが、皆さんのように心優しければ)

コレは耐えられないのではないでしょうかね?


相手が100%悪いとわかっている。
しかし、相手はそれを認めない。
認めないばかりか、こちらに対して
「謝れ!」といきり立っている。

どうします?

私ならブン殴る(低次元・サヌキ性強し)ところですが、
ブン殴らないにしても
あくまでも相手の非を主張し譲らないでしょう。
だって事実なんだから・・・と、考えるのがサヌキです。

大方の人は腹が立つ(サヌキ)か、泣く(アワ)か
するんじゃないでしょうか?

その時、高次の少数者はちょっと残念に思っても平静になって
「謝れます」!!!
「それは申し訳ありませんでした。ゴメンなさい。」と。



このように、誰でも多かれ少なかれ、相手よりも波動量が多い
場合、レベルが高い場合には、苦労をするものですが、
少数者の場合は、その度合いが大きいということです。

<苦労の具体例4>


高次の人が謝れるのは「それを相手に言っても仕方ない」
ということを「わかっているから」です。

(低次の人が自分のために一応そこでは謝っておいて、
  後で悔しくて悪口を言いふらすのとは根本が違う)


高次の人は自分のためではなく、相手に対する思いやりや愛情
会社全体のため・・・という思いから、謝れる。
アワというのは愛情ですが、それが高次になるとこのように
高い愛情になるのです。

一番上の例、幼児が散らかしたおもちゃを片付けるのと同じ心理なのです。

つまり、高次の人は相手が大人であっても、子供に対する
ように、何も言わず、物事の是非を論じず、
一人で苦労を背負い込めるのです。

こういうタイプの、素質のある人が
人口の7%生まれて来るというのが信じられません。
神様ですよね。

<苦労の具体例5>


低次の人は愛情の対象が自分(われよし)なのです。
高次になるにつれて、愛情の対象が他者になります。




アワ量の多い低次のサヌキ人間は高次の人に近く、
愛情の対象が自分よりも社会になりますが、
「〜〜〜するべき」という考えが先立つ。
「ここまで来い」です。
男性的、父性的だと言えます。
苦労は出来ても、ある程度までしか出来ません。

<苦労する能力>


上の方に、こう書きました。


<苦労とは?3>


人間が二人いた場合、理解力(波動量)が全く同じ場合というのは
滅多にありません。
すると二人の理解力に差が生じます。

その差を
Aさん>Bさん
とすると、
Aさんが必然的に苦労させられます


AさんはあることをBさんに理解してもらいたい。
しかし、Bさんにはそれが理解出来ません。

Aさんが何をどう、説明してもBさんにはそれが全くわからないのです。

その時、Aさんが低次なら感情的になります。
が、ちょっと高次の場合は、Bさんへの説得を諦めます。
そして、Bさんが理解力がないことから来る、矛盾を
Aさんが引き受けることになります。

この場合、Aさんは苦労します。

その時に、Aさんが嫌々ながら、苦しんで苦労する場合は、それを
「苦労する能力がある」とは言いません。
苦しんでいるだけです。
(苦労させられているので、感情が苦しみ、
そのはけ口としてそれが愚痴や悪口になります。
それをしなければ、自分の心や身体がおかしくなるからです。
自衛手段といえるでしょう)



苦労する能力とは、全てをわかった上で、自分の感情が
苦しまずに淡々と苦労できることです。

<苦労する能力2>


サヌキ人間にも苦労は出来ます。
それが仕事だ・・・と思えば、
頭が先に来るので、この職場に他にやる人がいない、
これを言っても同僚は理解しないだろう、と、
頭で判断すれば、苦労を背負い込めます。

サヌキのタチとして「ここまで来い」「こうあるべき」とは
考えますが、言っても仕方ない、と頭で判断すれば
自分の気持ち(感情)を後回しに出来ます。
そして、感情を動かさずに淡々とやれます。

自分で自分に「それが仕事だ」と、命令できるからです。



だから男性の場合、職場であまり感情的にならずに
仕事が出きるのですが、それはこういうことから来ています。

女性の場合、職場で感情的になる場合があるのは
そのアワのタチ(男性に比べて)からです。

よく職場で泣く女がいます。
私も若い頃は悔しくて泣いたことがありますが、
やはりその時は(わかってくれない)と、思っていました。

でも、相似象をやって(ああ、わからないんだな)と
冷静に考えられるようになったら、感情が動くことが
あまりなくなりました。
全然とは言いませんがね。
やはり腹が立つ時は立ちますわね。

でも、これは決してトシを取ったからではありませんよ。
いくら年を取っても、感情的になってる方がいますから。

<苦労する能力3>


またアワ人間でも低次の場合は苦労は出来ません。
アワ人間は自分の気持ちをわかって欲しい、と
一番に思うので、一人で給湯室で苦労をしている、
この自分の気持ちをわかって欲しい・・・・などと、思うからです。

低次のアワ人間は常に「自分の気持ちをわかって欲しい」
と思っているので、わかってもらえないと思うと、苦しみます。



苦労とは「他人の気持ちや立場をわかってやれること」で、
自分の気持ちをわかって欲しいと思うことではありません。

「自分の気持ちをわかって欲しい」と、すぐ思う人がいますが、
そういう本人が、他人の気持ちを全くわかっていない場合が多い。
何故なら「他人にわかって欲しい」と思うこと自体が低次なことなので
そういう人は他人の気持ちなどわかるわけがないからです。

これを低次と言います。
勿論、ここまで低次だと自分を分析したり、自覚したりするのは
不可能です。
(「善人」に多いです)
つまり、他人に苦労をさせるレベルです。



勿論、このような人は低次のサヌキにも当てはまりますよ。
だから低次のサヌキ人間が最も
「自分はアワだ。」と、錯覚しています。
両者はレベル(波動量))が同じ。
違うのは感情的な反応が違うくらいです。
泣くか怒るかの違い。

<苦労する能力4>


つまり、苦労できるのはアワタイプだからではなく、
相手より高次だからです。

<苦労する能力5>


素質があっても、最初から平気で苦労を背負い込めるケースはありません。
物事がわからないうちは???で、苦労を押し付けられているだけで、
わけがわからないからです。

例えば、子供なのに低次の親に苦労をさせられている人がいます。
閲覧者の方の中にもいます。

親や兄弟、周囲の人よりも素質が良い場合ですが、やはり苦しんでいます。

(それが非行など、いろんな問題になります)

その中に少数者の素質のある方もいます。
(少数者でも、波動量が低い、開発されていない場合はまだ低次です)

ただ、少数者に生まれたので、生まれつき、
苦労をさせられる側に回っているのです。
しかし、苦労はしても苦労をする能力が足りないので苦しい。
能力はあるのだから、それを自覚して訓練するしかないのではないでしょうか?
つまり
(ああ、相手はわからないんだな、よし、わかった)と、
自分と相手のレベルを比べて理解することです。

日本人は古来からカタカムナの伝統の通り、
これが得意でした。
諦めるという言葉を使いますが、
諦めるとは明らめる・・・明らかにするということです。
相手のレベルを明らかにした結果(相手を説得することを)諦めることが
出来るからです。


親にわかってもらおうと思うのは止めて、自分の苦労する能力を伸ばした
方が早いです。
残念ながらあなたの親は多分、一生悟ることはないでしょう。
理屈を頭に入れ、日々訓練(普通に生きることですが)すれば
その能力は高まります。
一年経てば、知らないウチに能力が高まっていて驚くはずです。

<苦労・・・>


以上、苦労について書いてみました。
自分が苦労する能力があまりないので書くのが大変でした(あっはは!

しかし苦労する能力なんか私には殆どないにも関わらず、
判断力(波動量)の差から、
必然的に苦労をさせられる立場になるので
状況はわかりますけどね。

何故、「苦労する能力」について長々と書いたかというと
この言葉を頭に入れておけば
苦労させられる羽目になった場合に思い出せるので
苦しみが半減するからです。

まず言葉ありき・・・新たな概念が少数者他、心ある人を救います。
世の中のどこを探しても少数者の心を救うものはないからです。


あ、少数者以外の私のようなモノでも、この言葉が頭にあれば
救われます。
苦労なんかしたくもないのに、させられるという状況は沢山あり、
その都度腹を立てているのは、健康に悪い。

少数者以外の人をも、救う概念であります。

<Mさんからのメール>


私が「苦労する能力」について書いたら、こんなメールが来ました。


if様

ご無沙汰しております。
ここ最近ぐっと夏らしい暑さになってきましたね。
空気を吸ったら夏の匂いがします。

なんとも情感豊かですなぁ!
アワな方かも・・・
(ちなみに今、”ジョウカン”と入力したら「上官」が出ました・・・・
ううっ!サヌキだ!勿論低次の)

相似像の更新、お疲れさまです。
日々ちょこちょこ読んでは、なるほどなあと思う毎日。
私は低次のアワと思われます。
何かあると泣いてしまうほうなのと、もし私がサヌキなら
もう10年早く実家を出ていたでしょうから。
(溜め込んで爆発して家出決行しました)

アワ人間は表現をしないでいて、心の中に溜め込み、
それが溜まりに溜まっていつか爆発します。
アワですな。


ifさんが書いておられた「サヌキメッキ」や「好みにふける」は、どれも
自分にあてはまり、なんか「どれも身に覚えがあってイタすぎる」感じでした。

痛くても自覚出来て良かったです。
ここで自覚出来ないと、それが心の中に燻り、次第に運命を狂わせたりします。


確かに時代はサヌキでいることを求められていたし、サヌキライフが楽しいという
のが雑誌でももてはやされていましたねえ。

そうなんですよ!
マスコミが取り上げる「トレンド(流行)」・・・これは全てサヌキです。
勿論低次の。
だからそれを見たり読んだりした人は、そういうのが「良い」と、錯覚し、
自分もそうありたいと、さらに錯覚をします。
それが、こう言ってはナンですが「病気」を作ります。

サラリーマン時代で実家にいた頃は、サヌキになろうと必死でした。
(しかし、いつも体力と気力が続かなかった)
家出してからは、何かが自分から抜け落ちた感じがありサヌキメッキ終了。

そりゃ良かった!
でも、それまで大変でしたね。


さて、実家を出て××年過ぎて今はぼちぼち実家と(もとい父親と)
つきあっています。
オラクルでも出た通り、普通の親子のように仲良しとはいきませんが
一時期に比べると数段楽にはなりました。
普通につきあおうと父親から申し出があったくらいなので、父も変わったのだと
思っていたら、実はそうではありませんでした。
私が実家を出た頃よりはマシになったというくらいで、中身は変わってない。

「親にわかってもらおうと思うのは止めて、自分の苦労する能力を伸ばした
方が早いです。
残念ながらあなたの親は多分、一生悟ることはないでしょう。」


これを読んで、「ああ〜、やっぱりな〜(TT)」と思いました(笑)。
最後通告を受けた感じです。
私はできれば苦労したくないほうで(要するに楽したいんですよね)、

私も苦労はしたくないです。
みんな苦労はしたくない。
だから、他人に苦労させる人は好かれません・・・てか、嫌われます。
皆に好かれる人は、他人の苦労を背負い込める人です。
そういう人に、人は甘えます。


話上でははいはいと聞いておいてよそで愚痴を言うという低次のアワ。
他の人とのつきあいでは別にむかつくことも、嫌な想いをすることもないのに
父と(時々姑)にだけは、はらわたの煮えることがたまにあります。
苦労する能力をのばす・・・・・orz
解決方法はそれだけですか(TT)

それだけです。

最近の克服方法は、父親に何か言われたらそれを笑い話にすることです。
ネタにしてしまうんです。

笑いにするって手もいいですね。

とりあえず、こうすることでいちいち言われたことで泣くことは減りました。
でも、まだ腹は立ちます。むかつきます。悲しくなります。
で、結局マイペースでつきあう(つまりあまり会わない)というのが
精神衛生上一番よいなあと思ってしまうのです。
この人はもしかしてこんなタイプの人ではないかなという分析まではいきますが
だから腹が立たないかというと、やっぱり腹立つんですよ・・・・・orz

ええええっと、私も相手がそういうタイプだってことは理性でわかりますが、
感情はまた別物なので、腹は立ちますわね。
でも、相似象がミについてからはだいぶ、それが軽くなりましたが。


(まあ、私の場合は腹が立つというより、
そんなこと言われても困るなあという感じですが。
要するに受け入れられないんです)
先は長いなあ。

あなたは若いから、当然です。
気長に生きましょう。


今回も長々とメールしてしまいました。
読んで頂いてありがとうございました。
更新、楽しみにしております。

<Fさんからのメール>


こんばんは、Fです。
 
相似象の苦労、更新されるのを心待ちしながら、
毎日何度も読んでました。
 
私にとってタイムリーな話題だったので、
感謝の気持ちを伝えたくなりました。
 
ifさん、ありがとう。
 
 
私は「アワ量の多い低次のサヌキ」かな。
 
大体のことは、やれるとこまで自分の力で何とかしようと頑張るのですが、
限界を超えると怒ります。
 
ふうむ。
サヌキかな・・・

限界を超えると、
私がどれほど大変なのかわかって欲しい・・・と怒ります。
もっとレベルが上になると、限界がもっと上になるんですね。

そうなんです。
だから、毎日自分の精神レベルを上げて行った方が自分と周囲の人の幸せにも
繋がるんです。

その後、相手の矛盾をとことん指摘します。
 
論理で行くってところがサヌキですね。

また、「これが事実なのだから、これを認めて頑張れ」という考えを、旦那にも子供にも示します。
 
「ここまで来い。」はサヌキですね。

別にサヌキは悪くないので、いいと思いますよ。

その家のアワ(精神・心)のレベルは大抵、主婦のアワで決まります。
ご主人は男性なのでサヌキ(行動)なのです。

つまり、ご主人は奥さんのアワのレベルを超えることはあまりないってことです。
(※私が見たところ、例外が10件に一件くらいでありますが)
アワがサヌキに前駆する・・・つまり、その家の主婦が隠れた(見えない)世界では
主導権を握っているのです。

Fさん、ご苦労さまです。

てか、主婦の皆さん、ご苦労様です。

<Aさんからのメール>


ifさん、こんばんは。Aです。いつもお世話になります。
人間の話、本当にご苦労様でした。
エーッと、途中は相変わらず理解できない所が多かったのですが、
というか、時間が掛かりすぎて挫折。


理解しようと思わないで読んでください。
ただ、読むだけにしてね。
理解は出来ないから。

つまり、言葉で理解しようとしてもそれを理解するだけの知恵(波動量)がなければ
理解は出来ないということです。
理解できるだけの知恵をつけるには、生活をして経験をし、
そこで少しづつ知恵をつけていくしかない。

その時、何も情報(知識)がないと、知恵をつけるのが難しい。
そのための言葉なんです。
今はまず、言葉や理屈を頭に入れるだけでいいです。

最後の結論だけは、ストンと納得・・・。
 
と言うかですね、アワのレベルなんですが、ここの所が理解できる人と
出来ない人がいる気がするんです。
理解できない人は、いつまでたっても
「あの人が、○○してくれないから、自分では、どうしようもない・・・」と言ってるタイプ。
自分で、動こうとしないタイプ。(家の夫ですねぇ・・・)
もしくは、考えるまでは出来ても、実行できないタイプ。
後は全部、他人に投げて実行してもらって、それについていくタイプ。

います。


 
もしくは、自分が低い所にいて、他の人がしてくれるのを待つタイプ。
自分を弱いとか、弱者だとか、そういう位置づけを自分の中にしてる人・・・ではないですか?
あっ、でも、それで充分幸せなんですよ、その人は、きっと。
そういう人が、世の中に意外と多いような気がするんですけど・・・、気のせいかな?

いや、多いです。
アワタイプの人ですね。
「工事現場の友人」がそれです。

この友人は子育てで大変苦労をしましたが、自分で解決しようとせず
常に他人を頼っていました。
他人の知恵を借りるのは良いとして、他人に自分の子を説教、説得して
もらっていました。

よく、子供が事件を起こすケースがありますが、そういう家はこの友人と同じ。
カウンセラーに解決してもらおうとしたケースがあります。

(佐賀県のバスジャック殺人少年など)

カウンセラーに相談に行くのはいいんですよ。
しかし解決するのは親である自分なのに、それをせずカウンセラーや
精神科医に「お任せ」しちゃうのが悪いのです。
人生の主役は自分である、という「当たり前のこと」がわからないレベルに
ある、ということが一番悪いのにね。

そこがわからないほど、低次だってことです。
それが一番問題。



今まで、夫と私は同じレベルにいて、同じように思っていたから、喧嘩になった。
私も、今までは、人がしてくれるのを待つタイプでした。
○○したいけど、○○だしなぁ・・・とかね。
自分では、最終結論を出さないでいた。
でも、それが上手くいかないと、不満だけはどんどん溜まっていく状態。
最後の方にかかれてましたが、確かに、
主婦の方がアワのレベルがかなり高くないと、家の平和は難しいですねぇ。
(家のように、屁理屈ばかり言う夫だと、特にねぇ・・・)

屁理屈言う夫は私も嫌です。
第一オトコらしくない。
そういうご主人に合う奥さんとはこんな人です。

●全ての苦労を自分で背負い込み世話を焼く、母親のような人。
  これだとご主人の成長は有り得ませんが、家庭は平和。
●年齢が親子ほど離れた年上の女房。
  これならご主人が何を言おうと腹が立たない。
  これも上に同じでご主人の精神の成長はなし。
●おとなしくて判断力がご主人よりも↓なので、ご主人が言うことを判断出来ない人。
  この場合は夫婦が仲良しなら子供がおかしくなります。
  しかし、ご主人が奥さんのレベルの低さに呆れて暴力を振るう場合あり。
●サヌキ性が強くご主人が何を言おうと意に介さず、一人でバリバリ生きている人。
  ご主人よりも奥さんの方が男らしい場合。
  そのうちご主人が追い出されます。
   (こういう家を何件も知ってます)
●ご主人よりも低次のサヌキで、ご主人が苦労をする場合。
  ご主人は苦労するが、奥さんは平然としています。
●ただし、この場合ご主人が苦労出来ないタイプなら
  奥さんが嫌になり、外で楽しむようになる。
●そして、ご主人が暴力を振るうタイプなら、奥さんが殴られます。




つまり、ご主人よりも奥さんがうんとアワのレベルが高いか、低いかだと、
まぁいいかな。
(問題が起こる場合があるが)


Aさんの家の場合は、Aさんがご主人よりちょっとだけレベル上。
実はこれが夫婦としては「普通」です。

よく
「オトコのバカと女の利口が釣り合う」と言いますね。
それはこのことです。
別に女を貶める意味はありません。
そういうカップルが最も多く、それが当たり前だからです。

もし、オトコの方が利口だったとすると、暴力を振るうタイプなら振るいます。
オトコは女よりもサヌキだからです。

相手がどうであろうと暴力を振るう病的なのもいるし
  相手がどうであろうと暴力を振るわないタイプも勿論いますが)

(ウチの隣の家も、奥さんがああでもご主人は暴力を振るわないようです。
 が、この間奥さん顔に青痣が出来ていたので、とうとう殴られたのか!と思いました)
(我が家のダンナも暴力は振るいませんがね)
(振るえない、と言った方が正しいかな・・・)
 
「私のほうが一段上に立て」って、よく家の母なんかに言われてて、
私にはどうしてもそれが理解できないと言うか、許せないよなぁと思っていた。
だって、向こうが言う事の方が無理があるんだもん・・・。
 
それがレベルの違いから来ているのです。
同じレベルなら、言う事に無理があるとは「わからない」のです。
Fさんはご主人の分からなさが見えるほどにはレベルが高い。
しかし、それを受け入れてやれるほどには高くない。
中途半端なのですが、これも「一番多いケース」です。

普通の夫婦の組み合わせです。

でも、ifさんのを読んで、何となく、納得・・・。
良く、相手を変えようと思っても無理だ、自分が変わる方が先。
と言うじゃないですか・・、まさしく、このことでしょうね。
 
そうなんです。
別に我慢しろっていうのではないし、相手に対して寛大になれってことでもありません。
人間は性格(タイプ・タチ)は変わりません。
変えられるのは精神レベル(波動量)なので、それを向上させるっきゃないって
ことです。

自分の中の、判断力、理解力を自分で深めていくしかないんですよねぇ。

そうです。

うーむ。まだまだ、これからです。

実は私もまだまだこれからです。

 
なんだか、すごく勉強になりました。
 
巷でよく言われている言葉もこうやってきちんと考えるとわかるでしょう?
それを
「整序する」と言います。
頭の中のごちゃごちゃした、感情が取り付いた、考えとは呼べない代物を
きちんと考えて、整理して序列化し、きちんとした考えにすることです。

お陰さまで、最近、人のことを羨ましく思う感情が少なくなって来ました。

えええええっ?羨ましがっていたんですか?
こう言ってはナンだが、それはかなり低い波動ですよ。
そのレベルにいたら、やることが殆ど裏目に出るくらい低いです。
そういう感情がなくなって良かったですよ。
セーフです。
そのまま行ってたら多分お子さんに問題が出ていたでしょう。

あの人が○○というのは、こういうレベルの感情から来てるセリフだなぁとか思ったり。

それが大事。
感情もそうですが、状況を考えてあげる、とかね。
また、どうしてそういうコトを考えるようになってしまったのか、
生育暦を考える、とか。
とにかく感情的にならず、考えることです。
それも、相手を掬い取るような気持ちでね。
それをしても、掬い取れない場合は勿論ありますが、最初からやらないのよりはマシ。

すごい、我ながら、どこかが少しだけ進歩したぞ!!って感じです。

きっと、進歩していると思います。

いや、もっと早くきづけよ!!なんでしょうが・・・。
 
ありがとうございました。

<相似象とは「当たり前」のこと>


相似象とは、この世界の中にある法則を言葉化したものです。
だから秘密ではないし、勘の良い人なら既にわかっていることばかりです。

私が二十代前半、ある職場にいた頃、こんなことを思いました。



「私が楽しくやっている時、相手は我慢しているのではないだろうか?」

私は職場で最年少でした。
世の中を知らないのと、生来の粗忽のせいでトンチンカンなことばかり
しでかしていました。
そんな私が自分の思う通り、発言したり行動している時、
年上の同僚はそれを「良し」としているのではなく、
(あ〜〜〜あ、しょうがないなぁ、でも、言ったってわからないだろうからなぁ)
と、思っているのではないか?と、私は思ったのです。

それから数年後に相似象を知った時、この勘は当たっていたことを知りました。
「低次の人が(自分の思い通りに)楽しくやっている時、
それよりも高次の人は我慢しているか、大目に見ている」



また、

「学歴と賢さは違うな。」と、思いました。

これも当たっていましたが、誰もが知っていることですよね?
(わかってない、知らない人もいます)
これは経験からわかりますが、相似象で説明がつきます。
学歴・学力=サヌキ(才能)
本当の賢さ=アワ(心の能力)

だからです。

物事を素直に観察すればわかります。

<釈迦の悟り>


相似象のサトリは宗教的な意味はありません。


仏教ですが、
釈迦は悟ったけど、あれだって別に宗教的な意味はないのです。
宗教にしたのは、弟子達が釈迦の言いたかったことが理解できなかったから。

何故なら釈迦が言うことを理解するには、
釈迦と同等の波動量が必要だからです。

弟子達が釈迦の言うことを理解できず、
神秘思想にしてしまい、釈迦そのものを祀り上げた結果が仏教です。
釈迦は宗教をやってたわけではありません。



相似象によると、釈迦以来、釈迦が言いたかったことを理解した
「仏弟子」は一人もいなかったそうです。
釈迦が晩年、ある言葉を言いました。
それは釈迦が悟った概念を表す言葉でした。

その言葉の意味を釈迦入滅以来、一人も理解する人がいなかったらしい。
それを理解したのはただ一人、相似象の宇野女史が若い頃
師事した
T老師(日本人)だけだったそうです。

その老師が、自分が得たその真理を、今度は自分の弟子に教えようとしました。
ところが一人もそれを理解出来なかったそうです。
この老師には、相似象のサトリ(
同じ波動量がなければ、理解は出来ない
がなかったので、自分が得た悟りを何とかして弟子に伝えようと
しましたが、それが叶いませんでした。



釈迦が残した謎の言葉は、勿論世界中の仏教研究者が解いています。
これこれこういう意味だ・・・と。
しかし、それは真実からはほど遠いそうです。
研究者には「自分にはこの言葉は理解出来ない」というサトリがないからです。
そして、「それを自分はわからないのだ、ということがわからないから」です。
わからないのに、「わかった気になって」いるのです。
(こういうことは沢山あります。
  日月の神も「慢心と取り違え、多いのぞ」と言ってます)


それらを知った上でT老師は、正確に釈迦の言葉を理解したが
今度はそれを弟子に伝えるスベがなかった。
そして宇野女史はその老師の苦労を見て、何故伝わらないのか?
を真剣に考え、その理由を知りたいと思った。



その思いが数十年後に、女史がカタカムナと出会う「因」となったのでした。

楢先教授と出合った宇野女史は、釈迦の謎の言葉を教授に尋ねました。
すると教授は紙にその言葉を書き、しばらく考えてから
「こういう意味ですね。」と示したそうです。

カタカムナの文字の一つ一つに音声思念があり、それを組み合わせれば
意味がわかるのです。
宇野女史は驚き、このサトリがあったなら、T老師の弟子達が何故
師匠の言うことを理解しなかったのかが、師匠にわかっただろうと
残念に思ったそうです。

釈迦の言葉の意味は仏教徒や仏教学者ではなく、物理学者が解きました。

面白い話だと思いませんか?

<サトルということ>


サトルとは差を取る・・・違いがわかる・・・というくらいの意味です。
わかるってことです。
言葉は簡単です。

しかし、これが難しい。

<サトルということ2>


誰かから教えられて(ああ、そうか)と、理解することが
簡単に出来るのは子供くらいのものです。
大人になると、これがなかなか出来ません。

頭が固くなっているからです。

<サトルということ3>


知識を得るのは頭の良い人なら簡単に出来る。
しかし、知恵をつけるのは大変です。

サトルことは知恵をつけることに似ています。

つまり、知識を得るのではなくて、考え方をミにつけることです。
これは頭が良いだけでは出来ません。

子供のような素直な心、柔らかい頭が必要。

<サトルということ4>


大人はそれまで自分が経験によって身につけた
考えを変えるのは、難しく苦しい作業になります。
子供は経験が少ないので捨てるべき情報、
否定するべき情報の量がそもそも少ないので
これが簡単に出来ます。

<サトルということ5>


サトリには子供並の素直な感受性(アワ)と
大人並の判断力(サヌキ)が必要。
つまり、素直な心で感受したものを
高度な判断力(高次のサヌキ)で判断することです。

つまり、
心=子供
頭=大人

でないと難しく、
女師匠の宇野女史は
「私は若い人にしか期待しない」と言ってます

<サトリの実例・・・電話>


どういうことをサトリというのでしょう?
実例を挙げますね。
相手の状況や理由をサトッた例です。


私には東北に親戚があります。
先祖が東北なのです。

私が結婚してからは東北の親戚がお米を送ってくれるので
こちらからも特産品を送ったりしています。

私は、電話は相手の時間を拘束するので好きではありません。
自分からは緊急の連絡以外、殆どしません。
メールか、手紙で事足りるからです。

ところが、親戚はハガキや手紙で良いのに必ず電話をくれる。
その県の中でも田舎なのと、老齢なので言葉はもろ、
東北弁なので、喋っていることが良くわかりません。
しょうがないので適当に相槌を打つ始末。

(何で手紙やハガキではなく、電話なんだろ?)と
かなり前にふと思いました。
理由はわからず、答えが出なくても保留にしておきました。

それから十年ほど経ち、或る日突然、わかりました。

(東北の親戚は老齢ゆえ、手紙やハガキを書く場合、
  「菊香る候、貴方様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?
  ・・・とか、
  きちんとした書きかたをするべき、と思っているのだろう。
  しかし、その通りにする自信がないのではないか?
  きちんとしなくてはいけないと思うと、何も出来なくなる。
  だから、電話を使うのではないか?
  また、私の声を聞きたいという理由もあるし。
  心あるタイプには違いない)


こんな感じです。

お米を送ってもらうようになってから、もう25年ほど経ちます。
何で電話なんだ?と、思ったのは10年くらい経った頃。

これが感受性ですが、10年経たないと(???)と感じることもないほど
感受性が低かったのです。

理由がわかったのはさらに10年経った頃です。
感受したものを判断するまでに10年かかっています。
何と言う波動量の低さでしょう!
かなり、「サトリが遅い」です。
はい。
私は頭が良くありません。



それもあるのですが(頭悪い)、やはり心構えもあります。
真剣にわかろうとする意欲がなかったのです。

本気で考えればもっと早くわかったかもしれませんが、
最初に(何故?)と、思った時点で、すぐ「わからないや」と
投げ出したのが、時間がこれほどまでにかかった、理由の一つです。

お中元、お歳暮は年に二回ですよね?
毎日、この問題に直面していれば、早くわかったかもしれませんが
なんたって「年に二回」なので、(???)と、思っても忘れてしまうのです。

で、半年後にまた、同じ刺激(電話)がやって来ますが、
やはり、その時だけちょっと(何でだろ?)と、思ってすぐ忘れてしまう。

で、とうとうサトルまでに10年かかったというわけですよ。

こりゃヒドイ。



理論的に考えると、もしとっても頭の良い(波動量の高い)
人がいたら、最初の電話の時点で、「手紙ではなく電話の理由」が
わかったはずです。
これほどではないにしても、二、三回それ(電話)が続けば、その理由を
悟れるでしょう。
勘の良い人です。

一回の電話〜数回で、悟れる人を高次の人、潜象勘がある人、と言います。
これが本当の意味で「賢い」人です。

<サトリの実例・・・ワンピース>


上の例は相手の状況(手紙より電話が良い理由)を理解した例ですが、
相手の気持ちを理解することもあります。


これも数年前のこと。
近所のリサイクルの店に娘どもを連れて行きました。
そこにピンクハウスの素敵なワンピースが格安で売ってたので
買ってあげようと思い、娘に試着させました。

すると・・・

太っているので胸のボタンがはまりませんでした・・・

それを見て私は初めて
(ああ、デブって悲しいんだな)と、やっと太った人の気持ちがわかりました。
娘の気持ちだけではなくて、一般的な太った人の気持ちです。
わかったというか、その悲しさを自分で感じました。
涙が出そうでした。

それまでは太った娘をからかってデブだの豚だのと言ってましたが、
太っていることがこんなにも悲しいものとは知らなかったのです。



よく、相手の立場になれ、とか気持ちをわかれ、と言いますが、
大抵はこんな感じではないでしょうか?

(自分が相手の立場だったら、絶対あんなコトはしない、違う方法を取るね)とか、
(自分が相手だったとしたら、こうしてやる)とか。

それって、「自分が変わらずに立場だけ、相手に置き換えているだけ」で、
相手の立場になる、気持ちをわかるってことではないですね。

自分は絶対変わらない、この自分の立場から一歩も出ない、、、ってことですよ。

「相手の気持ちになる」・・・
これは自分を相手のレベルまで合わせるということです。
自分よりも上のレベルは感受しように出来ませんから、自分以下の人とですが。
また、タイプが違うと感受のタイプも違い、相手と同調するのは困難。

つまり、「相手の気持ちになる」ことは大変難しい。


相手の気持ちを推理することは出来ます。
が、推理している自分は、そのタイプでそのレベルなのです。
タイプとレベルが近ければ推理が当たるかもしれないが
かけ離れていれば、当たりません。

「相手の気持ちになる」のは推理することとイコールではないのです。
「わかる」(サトル)ことです。



で、私は今、運動不足が祟ってかなり太ってしまいましたが、
そうなってみると自分がデブでも悲しくもなんともありません。


こういうところが情緒のないサヌキです。
アワな人なら悲しいかも、です。

履けるGパンがないってのが不便なので(ああ、不便だな!)と
腹を立てるくらいです(おいおい)。
(Gパンを買わなきゃなぁ)と、どういう行動を取るべきかを考えます。
頭(サヌキ)人間です。


ってことは。

数年前に娘に対して(うううっ、悲しいなぁ)と、思ったのは単なる妄想(誤解)
だったかな?と、思います。

ま、いいや。

<サトリの実例・・・Nさん>


友人Nさんの体験。

Nさんの息子は中学生。

Nさんは普通の主婦で、殆どの人がそうであるように
物事がわかりませんでした。
(勿論私だってわからなかったし)



この子が幼児の頃、町内のイベントに参加したことがあります。
その時、参加していた幼児におみやげを渡しました。
一人づつ名前を聞いてから、手渡していました。
他の子は素直にニコニコしながら
名前を言い、お土産を受け取ったのに、
この子は名前を聞かれたら態度が普通ではなくなった。

「キ、キヨちゃんだよっ!!!」
口を尖らし、目を剥いて怒っているのです。
世話人の主婦は皆、唖然としました。

それから数年経ち、この子は小学生になりました。
うちの子と同級生なので一緒に遊ぶことがあります。

或る日、この子の家まで何かの用事があって行ったら、
子供三人で遊んでいる。
見ていると二人がうちの子をからかいながら、
逃げて意地悪をしているのです。
子育てをして4人目の体験なので、
これは気のせいでも見間違いでもありません。

私はその場でそういう遊び方をさせたくないので自分の子を連れて帰りました。
二人にも、そういうことをするんじゃない、と言いましたが
まだ小さいのでわけがわからないようでした。

後日、Nさんが来たのでこの顛末を話し、
もっとちゃんと子育てをするように言ったところ
「はいはいはいはい、わかりました!」という返事。
(ああ、全然わかってないな)と、私はわかりました。

数年後、今度はその子のクラスで苛めが発生。
苛めっ子が何人もいるのです。
その子も入っています。
それを知ったNさんが心あたりのある家に電話をしたら
皆Nさんの息子に苛められた、と言うので、Nさんはショックを受けました。

三日間(どうしてこんな子になっちゃったんだろう?)と泣いたそうです。
私の子供は違うクラスでそういうことは全然知りませんでしたが、
Nさんから電話をもらった時、
●私が意見した時に、「はいはいはいはい!」と、勢い良く答えただけで
  何もわかってなかったこと。
●幼児の頃、その子の態度は既におかしかったこと。
  を伝えました。

Nさんは、自分の子がまさかそうだったなんて
思っても見なかったことを言われてさらにショックを受けました。



そして初めて自分の子育てを反省したのです。


その時に相似象を教えました。
本を読む習慣のない人なので、読んでないと思います。
殆ど私から聞いた耳学問です。
でも、ないよりはマシ。

Nさんは性格の良い、大変聡明な人です。
他人とも巧くやれます。
働きモノでいつも元気です。
常識はあります。
常に他人のことを考え、思いやりを持って生きています。

が。

「わかる」とはそういうことではないのです。

<サトリの実例・・・Nさん2>


Nさんは苛めの件で、心底反省してそれからは
子育てに気をつけるようになりました。
息子の顔が初めて子供らしい顔つきになりました。
それまでは暗い歪んだ顔をしていました。

それをNさんが気づかなかったのです。
いかに無意識か、ということです。

それから数年経ちました。

息子はサッカーをしています。
或る日、監督がNさんの家に遊びに来て
「○○、オマエ、もっと自由にやっていいんだぞ。
 親がなんと言ったってオマエは自分の好きにやれ。」と言ったそうです。
驚くNさん。
Nさんは子供に自由にさせていたのです。



自分は子供に自由にさせている。
なのに何故監督はそんなことを言うんだろう?
考えてもわかりません。
そういうことを言われたのがショックでした。
次の日にサッカーの試合を見たら、息子が実に伸び伸びと
サッカーをしているのを見ました。

Nさんは大いにショックを受け、また
自分はこの数年間、何をして来たんだろう?と、思うと
悔しく情けなくなりました。

私に数年前に言われて、自由にさせて来たつもりだった。
なのに、自由にさせてなかった・・・ということを「知り」
落ち込みます。

私が、自由にさせなさい、子供がやりたいようにさせなさい、
子供に判断させなさい、子供に決定させなさい、
子供に責任を持たせなさい・・・と言ったのは
「知識」「情報」です。

Nさん自身には知恵がついてなかったらしい。
というか、知識をいくらつけても知恵にはならないのです。
「悟らない限りは」知恵にならず、ただの情報です。

言われてすぐ「ああ、わかった」ってのは、知恵でもサトリでも
何でもありません。
とことん、思い知って獲得するのが悟り(サトリ)です。

Nさんのように、私よりも頭が良くてもそれは関係ない。
頭の良し悪しでもないのす。

「私、わかったと思ってたのに、何もわかってなかったんだね。」
Nさんの言葉です。

そう、一回わかっただけではダメでしょう。
小さいサトリを何度も繰り返して知恵をつけていくのだから、
毎日、自分が何をわからないかを、わかろうとしない限りは
何も悟ることはないでしょう。

相似象をやっても「人間の出来た人」にはなりません。
相似象の目的は「わかり方がわかること」です。
その結果今より少しはマシになります。
そして、不必要な感情がなくなり
心の中、頭の中がスッキリするだけです。

<サトリについて>


Sさんからのメール。


PANDORAの人間のはなし、毎回楽しみに読んでいます。
悟るという意味が漠然としていたのが具体的になってきたような感じです。
ああ、そうゆう意味だったんだなぁっと。
言葉の意味がわかると頭がついてくるので面白いですね。

そうなんです。
まず言葉=概念が、頭に入らないと、それは「ない」に等しいのです。
だから、ここで言葉を解説している。

相似象とは当たり前のことを言葉化したものに過ぎません。
当たり前のことがつまらない人の方が一般的なんですよ。
だって、当たり前だから。

その、当たり前のことをいかに、意識化するかが相似象です。

好きな人と嫌いな人がハッキリ分かれます。

<サトリの実例・・・ロッド使い>


私の友人にはロッド使いが数人います。
中でも二人は腕利きです。
皆、良い人ばかり。
で、私は彼女らと当然「普通に」付き合うわけですよ。
そして、今日までそのことについて何も考えずに来ました。
で。
今日、「わかった」ことがあるんです。

ロッドってYES/NOが出るんですよね・・・
ってことは、もし、ロッド使いの友人達が私の言動をロッドで
調べていたら・・・全てお見通しだということに・・・ぎょええええっ!
バレていたかな?
ど=しよう!!!
わ、私、何かマズイこと思っちゃいましたっ?

って、何もやましいことは思ってなかったですけどね。
ほっ♪
本当に良いと思えば褒めるし、クレームはどんどんつけてるし。
そのまんまやって来ました。

もし、その気になれば、
「ifがウソを言ってるか、お世辞を言ってるか、皮肉か、口と腹が裏腹か」
わかる。
そんなこと調べている暇はないだろうが、それが可能だってことです。
やっば〜〜〜い!

と、いうことに、今日、気がつきました。
これが頭の良い人、勘の良い人なら、
そんなことは当たり前だから、最初からわかっていることです。
ところが、私は鈍いんです。
元々他人にどう思われようと気にしないタチ。
だから気にしない。
だから気付かない。
考えもしない。




でも、それ(ロッドでお見通し)は当たり前なんだから、ちょっと気と頭を働かせれば
簡単にわかることですよね?

この、ちょっと頭と気を、対象に向ける、考える、というのが
「イマイマにキを入れる」ということです。
簡単でしょ?
どうってことない、当たり前のことでしょ?

でも、人間は大抵の場合、そういうところが無意識なのです。

つまり、気にしないのです。
「キを入れる」という簡単なことが一番難しく、なかなか出来ません。
私だって、この例の通り、出来ていません。

これが
「イマイマにキを入れてない」ことなのです。
(※だから、私は東北の親戚が電話をよこす理由がわかりませんでした。
   真剣に考えない、イマイマにキを入れなかったからです)

と、いうことを今日、サトリました。
サトリってこのように簡単なことです。
ただ「わかる」ってこと
です。



見抜かれていたのかな?
私・・・


さらに、わかったことがあります。
アセンション後の世界は、全てお見通しの世界だということです。
これ(ロッド、キネオロジーなど)は来るべき次の世の「型示し」だということです。
参考にしてくださいね。

<潜象勘の実例・・・兄弟>


地元の友人との会話で。

友人のお父さんは貧しい家の子で、若い頃から田舎の山の斜面を開墾し
早く父親が亡くなったので、父親代わりに弟妹の面倒を見ていたそうです。
自分は貧しくて学歴はつけられなかった。
でも、年の離れた弟には大卒の学歴をつけてやろうと頑張りました。

その話を聞いて。

「でもさ、その弟『オレは別にアニキの世話になった覚えはねえ』
 ぐらい、言ってんじゃないの?」
と、私が言ったら、友人は目を丸くして
「そうなんだよ!」
「そんなモンだよ。弟には世話になった自覚はないと思うよ。」
「そうなんだよ!」

お父さんは弟のその言葉を聞いてショックのあまり、
頭の血管がプッツンしたのか、半身付随になってしまったそうです。
その後、弟は兄に謝りました。
お父さんの半身不随は徐々に治りました。

そんなモンですよ。

何故、私がわかったんでしょうね?
それは、これまでの人生でいろんなことを見聞きしてきたからです。
そして残念ながら、お父さんの弟のような人の方が多いと
いうことを
「知っている」からです。
だから、その
データに当てはめただけです。

よくテレビのニュースを見てて、犯人は誰かと、
当てることが出来るのも、それです。
当然のように、わかるのです。
ニュースを見ながら、その時、対象について神経が集中するから、わかるのです。

<潜象勘の実例・・・医師>


昔読んだ本にこういう体験談が書かれていました。
著者はベテラン医師です。



或る女性患者が母親に連れられて来た。
その若い女性は、女性なのに毛脛でひげが生え、
声が太く筋肉質でまるで男性そのものでした。

言葉遣いも男性そのもの。

母親が困って診察を受けさせるために連れて来ましたが、
その女性患者は「診察など必要ない。」と、これまた
男性口調で威張っています。

医師は診察を終えてから言いました。

「あなたは、どこも異常はない。
染色体は女だし、病気でもない。

思うんだが・・・仮に、こういうケースが考えられるので
参考までに聞いて欲しい。」
と言って、或る女性の話をしました。

その女性は、子供の頃、母一人子一人になってしまい、
貧しくて自活は出来ないので親戚(母の兄弟)の家に
母娘して居候をしました。

その家にも子供がいましたが、皆男の子でした。
母親は居候なので、身を小さくして生活していて、
何かが起こると、たとえば喧嘩などをすると
常に自分の娘を「女の子だから」と叱っていました。

本当は「この家の子ではなくて、居候だから遠慮しようね」
なのですが、それを子供に言っても理解されないので
表向きの理由を「女の子だから」としていた、母親でした。

しかし、娘は毎日一年中何年も「女の子だから」ダメ
と言われて育ったので、とうとう「男性化」してしまいました。
女の子でダメなら、男ならいいのだ・・・と、
潜在意識まで思いが到達してしまったのです。

それが身体の変化にまで現れました。
生理などもありません。
完全に身体が男性になってしまったのです・・・。

と、この話を医師がしたところ、目の前の女性患者が
泣いていました。
そして
「先生、それは私の人生です。
 そのお話の通りに育ったのです。」
と。


その後、この女性患者は、どんどん女らしい体型と性格に
なって行き、正常になりました。



何故医師はこの話を女性患者にしたのでしょう?
多分、似たようなケースかもしれない、という潜象勘が
働いたからでしょう。

医師の頭の中には沢山の事例がデータとして入っている。
その中から、最適なケースを瞬時に選び出したのです。

これは一つのことに熟練すると、勘(潜象勘)が働くという
実例です。

職業人の場合、豊富な経験と事例が頭や身体に蓄積されて
いるので、このような芸当が出来るのです。
ここまでに達した人を達人と言います。

勿論、この医師の「何とかこの患者を治したい」という意志が
あるからです。
なので、目の前の患者の表面は勿論、内面にも
キを入れて見ることが出来たのです。

素晴らしいですね。

<潜象勘の実例・・・新聞作り>


私の体験です。

娘が中学生だった頃中学の役員になり、
新聞係りをしました。
放課後中学校へ行き、新聞作りをします。
7人くらいのグループを幾つか作って、
グループ毎に新聞の紙面を作ります。

その時、大変賢い友人がいました。
Sさんという人です。
この人は物凄く勘が良い。
何でも見抜いていました。

彼女が言うには


「このメンツを見て、仕切り屋は○○さんにさせよう。
ていうか、○○さんに仕切らせておけば無難。

その補助を○○さんが喜んでするだろう、
二人は仲良しだから。
この二人が新聞作りを進めて行くと思うので
あえて異を唱えないでおこう。

ifさんは一人で勝手にカットを選んだり
レイアウトしてるから問題なし。
誰とも特に親しくないので安心だし、勝手にさせておこう。

○○さんと○○さんは適当だけど、
仕事を頼んでも嫌な顔はしない。

○○さんは話が通じない、わからずやだからちょっと困る。

って思ったよ。」ですと。


その通りでした。


良かった、私が困りものに入ってなくてw

Sさんは勘がいいのはたしかですが、やはり個々の
人をよく知っていました。
データもなければ勘を働かせることが出来ませんから。

Sさんはこのメンツを見て(では私の役割はコレだな)と、
わかったそうです。
その内容は忘れました。

何故、Sさんがこういうことを考えたかというと、
新聞作りを巧くやろうと思ったからではないか?
Sさんは穏やかで芯が強い、気配り人間です。
考える人はそこまで考えて仕事をするのです。

<潜象勘の実例・・・興味の対象>


で、上のSさんが<実例・・・兄弟>に出て来る地元の友人です。

新聞作りでは全く発揮されなかった私の勘ですが
(メンバーのことをよく知りません)
(それに興味もない)
(良い新聞を作ることしか、気が働きません)
Sさんのお父さんと弟の話では、凄く発揮したのです。
これは興味の対象が違うことから生じています。
「人間とは・・・」という話なら好きだし、興味があります。

Sさんは自分でも「何でこんなに私は勘がいいのか、わからない。」と
言うほど、勘が良い。
それに比べて私は自他共に認める「鈍い人」です。

なのに、Sさんのお父さんと弟のことは見抜けたのです。
やはり、キを入れる(興味を持つ)対象が違うのだ・・・と、思いますよ。

<潜象勘・・・子供は?>


子供の頭の中にはデータがありません。
なので、潜象勘もありません。

生まれた時は、誰も潜象勘がない。

育って行くうちに体験して覚えるものです。

<潜象勘・・・大人は?>


ところが育つ時、体験してもキを入れてなければ何も覚えません。

体験する都度、キを入れることが出来れば大人になるまでに
かなりの潜象勘を持つことが出来ますが、
実際は殆どの人が殆どのことに
無意識に過ごしているので、それほど跳びぬけた勘を持った人は
少ないでしょう。

<潜象勘・・・女の勘>


これを忘れてはいけません。
女の勘です。
これなどは典型的な潜象勘です。

テレビで「女の勘特集」をしていました。

◆夫が眼鏡からコンタクトレンズに変えた。
◆以前は妻の女性雑誌はパラパラと見るだけだったのに、
  最近は食い入るように見ている。
◆「このデブ!」と夫をののしったらニヤリと少しだけ笑った。
◆酒場の女の名刺を妻に見せるのが習慣だったが、
  その中の一枚にピンと来た。
  手書きで電話番号が書かれていたから。
◆朝のテレビの☆占いを、夫が見て参考にしているようだ。
◆夫のケイタイ電話がロックされている。
  或る飲み会で或る女にピンと来た妻が、参加者全員に
  誕生日を言わせたら、怪しい女の誕生日がロック番号だった。
◆朝のゴミ出しを夫がしていたが、燃えるゴミと不燃ゴミの日を夫が
  間違えるようになった。


これらで、夫の浮気を見抜いたそうです。
怖いですね。

やはり、これは対象となるモノに興味があり、注意を向けているから
わかるんですね。
女性は生活や家族が興味の対象だから。

男性はこうはいきません。
アワ量では女性に敵わないし興味の対象が違うのです。

<イマイマにキを入れる方法>


上の方の記事<サトリの実例・・・ロッド使い>について。
何故、私がそんな当たり前の簡単なことに
一年近くも気付かないで来たのでしょうか?
アホだから・・・
まぁ、それもある罠。

それだけではなく、まず私の性格です。
「他人の思惑が気にならない」のです。
だから、「他人が私をどう思ってるか」を考えない。
(※ヒューマンデザインでもそう出ました)
だから、思いもしない。

女は勘がいいです。
アワが男よりもあるからです。
そして、興味の対象が「自分と周囲の人間」になる場合が多い。

ところが私は、それらに興味がないのです。

(※実は近所の家のこと。
  一件は一年前、一件は二年前に離婚していることを、半年前に知りました。
  そういえば奥さんがいないな・・・と、思っていたけど、家の中にいるんだろうと
  思っていたし、そういえばご主人の車がないが、朝早い勤務だからだなって
  思って、気にしませんでした・・・・が===Nn!)



友人が来て「ウチの子の同級生と、その母親の話」をするのが一番退屈です。
それよりも「殺人犯は誰か?」の方に興味がある。
はい、私はそういう人間です。

なので、
「他人が自分をどう思っているかに興味がなく、
なのでその件に関してはイマイマにキを入れることが出来ない」
のです。

が===ん!

相手に興味がないのではありませんが、ない場合も多いです。
相手が考えていることに興味がないというより、考えている内容にもよります。
「相手が自分をどう思っているかに、殆ど興味がない」のです。

潜象勘を働かせるにはまず、対象となるモノ(こと)に、
キを入れる(注意する・興味を持つ)ことが先決。
だから私は「大変鈍い」ですよ、女としては。

興味の対象となるモノやコトが違うんです。

<ここまで来い1>


サヌキ人間は相手の立場に寄り添う(受け入れる)ことはしません。
自己を主張するので、「相手を自分に合わせさせます」。

ただし、
通常、いくらサヌキ人間でも常にこれをやるわけではありませんよ。
時と場合にもよりますが、根底がそういうタチだということです。

<ここまで来い2>


この「相手を自分に合わせさせる」ことを、
私はくだけた言い方で「ここまで来い」と、表現しました。

なので、これは喩えであって事実ではありません。

<ここまで来い3>


サヌキ人間は、根底となるタチが「ここまで来い」ですが、
それを自覚出来るのは、それがわかるレベルに達した人だけです。
殆どのサヌキ人間はそこまで達していないので、
無意識・無自覚です。

つまり、無意識に「ここまで来い」という、
心の姿勢で生きているのです。

<ここまで来い4>


低次のサヌキ人間は、自分の考える或るレベルを
無意識に設定しています。

つまり、最低限「ここまで」というのがある。

しかし、それを設定していることについては無意識です。

高次のサヌキ人間などは、それを意識して設定しています。

<ここまで来い5>


では、ここまで来いとはどういうことでしょう?
低次のサヌキ人間の「ここまで来い」を説明しますね。



或る低次のサヌキ人間は「学歴・職業」で人を区別&差別しています。
それで、○○高校に合格することを、最低限のレベルとして設定しています。
その高校に合格すれば「人間」、しなければ「人間として扱わない」みたいな。
あ、勿論その自覚はありませんよ。

理論的に考えてやってるわけではありません。
全て、感情次元です。(動物次元)
その高校に合格すれば、親として鼻が高い、自慢できる。
だから良い子だ。
何でも買ってやる。
しかし、いったん落ちたら、蔑みバカにする。

あるんですよ、沢山。

あとは、職業差別。
自分が尊敬する職業に就いた人を尊敬する。
尊敬ならまだ良い。
その人に対して卑屈になる。
妬む。
尊敬しつつ妬む、憎む・・・という、二律背反のことをも平気でします。

それから、自分が考える「常識」を知らない人をバカにする。
たまたまその人が知らないんだぁ・・・とは、考えません。
そのように相手を救い取るような考えは「アワ」ですから。

自分が知らない常識については、元々知らないのだから意識化できず
反省のしようがない。
でも、自分が知ってて、相手が知らないとなると鬼の首でも取ったような
勝ち誇り方をします。


いますね。

決して
(たまたま相手は知らなかったのだな。オレだって、知らないことは沢山ある)
とは考えません。
精神がそこまでわかるレベルにはありません。

<ここまで来い6>


上の例は低次のサヌキ人間の例です。
「ここまで来られない人」をバカにするというレベルです。

アワ量の多い低次のサヌキ人間の場合はちょっと違います。

相手の精神レベルに「ここまで」を設定します。
そこへ来るように、誘導します。
叱咤激励もします。
しかし、今、言ってもわからないだろう・・・と
判断すれば、わかるようになるまで待ちます。
どのくらい待てるか、どの程度に設定するか、
それはまちまちです。
アワの量と波動量化によって違います。

相手をバカにすることはありません。


と、書くとイエス・キリストや孔子、釈迦と同じですが、
違うのは「苦労出来る量が生まれつき違う」ことでしょう。

アワ量の多い低次のサヌキ人間は、
豊富なアワ量で相手を観察し、誘導することが出来ますが、
相手が誤解して感情的になると、苦労することが出来ません。
元々サヌキのタチですから。

中途半端といえば、中途半端ですがね。

しかし、この世にイエス級の人物は殆どいないので、
彼ら聖人だけに任せなければいけないとしたら、
殆どの人は途方に暮れるでしょう。

人類を救おうという意識はありませんが、
「この場を良くしよう」
「少しでも相手の役に立とう」
というだけでも、周囲の環境改善には役立ちます。

<ここまで来い7>


聖人級。

彼らも「ここまで来い」を設定しました。
しかし彼らの「ここまで」は実に単純でした。

イエスは「愛しなさい」。
これだけではなかったでしょうか?
つまり、聖人級になると難しいことは言いません。
言っても実行は出来ないということを知ってるし、
一番大事なこと一つだけを悟らせようと考えるからです。

だから、最も簡単で難しいことを最低レベルに設定し、
それだけを実行できるように誘導したのです。

低次のサヌキ人間がくだらないことを最低レベルとして
設定し、それが出来ない人を軽蔑するのとは違いますね。

さらに、聖人はアワ量の多い低次のサヌキ人間のように
レベルをクリア出来ない人に対してガッカリすることもありません。
ただ、愛情を持って「相手がクリア出来ないということ」を
受け入れ(高次のアワ)ることが出来るのです。

<ここまで来い実例・・・ロッカー>


私の実家は事業をしていたので職人が何人もいました。
父は職人一人一人にロッカーをあてがっていました。
しかし、職人は高齢なので現代風のものが使えません。
ロッカーが使えないのです。

ロッカーを使うには、ロッカーを使えるだけのレベルまで
精神が達してなくては無理です。

(※ちなみにケイタイを使うにもケイタイを使えるまでの
   意識レベルになってないと、無理。
   私?持ってるけど使いこなせていません。)

(※ちなみにパソコンがあっても、受信を見ない人がいます。
   これも意識レベルがそこまで達してないので出来ないのです。
   友人にそういうのがいますが、この人はケイタイを使いこなしています)

(※皆、そういうことに無意識で生きていますが、
   生まれた時から社会に順応するよう、鍛えられるので
   特に考えなくても自然に出来るようにはなります。
   何の抵抗もなく努力も要らずロッカーを使うレベルにまでなるのです。
   実はこれって凄いことです。  
   社会の教育力の凄さです)

   


さて、父は「何故みんなロッカーを使わないんだ?」と、
いつも怒っていました。
無理やり職人にロッカーを使わせようとしましたが、
どうやっても使えませんでした。
そこらへんに置いてある職人の荷物を「父が」毎日ロッカーに
しまっていました(爆

父が職人にロッカーを使わせようとしたことが、
「ここまで来い」
の一例です。

しかし、考えてもみてください。

私の年齢以下の人達なら子供の頃からロッカーを
使って来ていますよね。
でも、高齢の人にはロッカーを使えと言う方が無理です。
「職人にはロッカーが使えないんだな」と、
わかる(高次のアワ)のが経営者ではないでしょうか?

<ここまで来い実例・・・会社>


会社は典型的なサヌキです。

会社は社員に「ここまで来い」しか言いません。
あ、文字通りは言いませんよ。
そういう思いが根底にある、という意味です。

決して
「ああ、○○君は仕事が出来ないんだね?
そうかいそうかい、わかったよ。
いつか出来るようになるよね?
それまで簡単な仕事をしていてもらおうか。
え?
それも出来ない?
困ったな、どうしようかな。
君に合う仕事を探すのって大変だな。」
とは言ってくれませんよね。

「何ぃ?
出来ないだとぉ?
出来るとか出来ないとか訊いちゃいないぞ。
四の五の言わずにやれっ!」
ではないでしょうかね?

<ここまで来い実例・・・学校>


もう一つありました。
学校です。
学校の存在意義が「ここまで来い」ですよね?
教師は生徒の学力を「ここまで」引き上げるのが仕事です。

小学校は小さな子供相手なので、なだめすかしつつ
楽しませつつ「ここまで」来させますね。
これは並大抵の苦労ではありません。
この苦労が高次のアワです。
そして学力をつけさせる行動がサヌキです。

子供を良く見て、認めたり褒めたりしながら
相手にわかる言葉を使って「ここまで来させる」
のがいかに大変か。
頭が下がります。

<ここまで来い実例・・・ATM>


これが典型でしたね、忘れていました。
「機械」です。
機械を使う時、機械は決してこちらのレベルまで下がってはくれません。
容赦したり、気を利かせたり、親切にしてくれません。
私達が「機械を使えるレベルにまで」上がらないと使えないのです。

機械には「アワ(心)」がありませんからね。



たとえば銀行のATM。
あれ、老人には難しいですよ。

大昔、ATMの暗礁番号に三桁の数字を入力しているおじさんがいました。
私は「暗証番号は三桁ですよ。」と、教えてあげましたが、
私の言ってる意味がわからないようでした。



数年前に、近所のコンビニのATMに行ったら、二台ある機械のうちの
一台は若い人がどんどん交替で使っていましたが、
一台は年配の親子が使っていて、何度もやり直している様子。

私が片方のATMを使い終わっても、まだ年配親子はお金を入金出来ない。
なので、見てあげることにしました。
そうでないとこの親子が諦めない限り、一台は終了時間まで空かないでしょう。

見ていると、お婆さん(90歳くらい)と、その息子(65歳くらい)です。
息子が扱えば良いのに、お婆さんが使っています。
???
やり方を見ていたら、「暗証番号」を入力しなくてはならないのに、
いきなり「金額」を入力しています。

私「お婆さん、ここでは暗証番号を押すんですよ。」
婆「そうかい。」
私「はい、やり直しを押して。」
婆「はいよ。これかい?」
私「そうです。で、最初からやり直しになっちゃいましたよ。」
息子「だから、言ったろ。」
私(だったら、オマエがやれっ!)(怒!)




その後も間違い続け、最初から何度もやり直し、
やっとお婆さんは入金することが出来ました。
最後にそのお婆さん
婆「姉ちゃん、ありがとよっ♪」と言って
私の背中をドン!と、叩いて逝きました、じゃない、行きました。



ドッと疲れた・・・・・



このように、世の中はサヌキ社会なので機械(サヌキの最たるもの)が
どんどん人間の代わりをするようになっています。

これは悪いことではない。
でも、それを使えない人がいて、その人たちのために
「簡単なATM」とか「老人用ATM」とかが発明されたという話をききません。
ATMの方が使えない人間のレベルにまで、下がって来てはくれない。
使えない人が沢山いるにも、関わらず、です。

これが「ここまで(使えるレベルまで)来い」です。
厳しいというか、心がウソ寒くなるというか・・・

<ここまで来い実例・・・日米>


アメリカでは外人でも何でもあるレベルに達していれば
仕事につけるし、才能があれば成功する、らしい。
外人だったり人種が違えば勿論ハンデはあるだろうけど
それが致命的にはなりません。

「或るレベルに達してさえいればOK」なのです。
これも「ここまで来い」の一例です。

日本では最近はどうなのかわかりませんが、
外人だということで積極的に差別はないだろうが
日本人と認めるレベルというものもなく、
外人は一生外人=お客様・門外漢・部外者
のような立場らしい。
(これは昔、こう言われていたのです。
  今はどうでしょうね?)


日本は世界一アワ(女性的)な国なので、
やはり「ここまで来い」=「これ以上になれば認める」
という、概念がなさそうです。

<つまり>


低次のサヌキ人間は自分が考える(我の)レベルを無意識に設定して、
それに当てはまらない人間を片っ端から軽蔑して生きている
、と言える。
(※私の父など)
その度合いもまちまちです。
少し〜沢山まで、いろいろあります。
設定の内容もいろいろです。
金銭、学歴、「常識」、諸々です。

誤解してまで、軽蔑している場合が多いですね。
そこまで低次になると理解できることも少ないから、
殆どのことを誤解して生きているからです。
このレベルもいろいろです。

(なので自分が何かについて誤解していないか、常に探す心の姿勢を取った方がいいです。
何に誤解しているか、自分ではわかりません。
だから探すのは困難ですが)


逆に、高次(ある程度高次ってのも入りますよ)の人は
「相手のわからなさ」を理解し、
それをそのまま受け入れるか、いかにしたら、少しはましになるか、
考え違いをしていたら、どうやって正してやれるか、心を砕いています。
バカにはしません。
また、どんなことからも学べるので、たとえ相手が低次でもそこから学べるのです。

つまり、低次の人ほど、常に周囲をバカにし、高次の人ほど謙虚になります。

(表面だけ謙虚な人が殆どですが、それは高次の人が少ないからです)
(本当の謙虚さを知らなくても態度行動だけは真似出来ます)
(それをする理由は世の中ではそういう態度をすることが求められているからです)
(それをしている限りは自分が安全なので、しているだけです)
(自分のため・・・というのが既に低次そのものです)


低次=自分のため(我善し)
高次=他人のため(自己犠牲)


昔の日本人は賢く(高波動)だったのでこれを
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」と言いました。

<ではアワ人間は>


他人より高次のアワ人間は受身です。
なので、「ここまで来い」とはやりません。
相手をそのまま受け入れます。

(ただし、低次の場合は、受けてるだけで受け入れてやれるまでの波動量がありません。)

例えば低次の人を相手にした場合、
高次のアワ人間は「相手のわからなさ」を
受け入れ、相手をどうこうしようとは思いません。
ただ、(こうだったらいいなぁ)とは思うでしょう。
それを通常は「言いません」。
言わないのがアワのタチです。
思ってるだけです。

しかし、言わなくてはならない状況になったら嫌でも言います。
言ってあげたいな、と、思いやれば言います。
言わないタチでも、全く言わないのではないのです。

(この例を過去に挙げました。
 友人のお母さんが婿が孫にヒドイ説教をしている時、やむにやまれず
 ポツンと一言「あまりいいことじゃないねぇ」と言ったことです)

アワ人間が必死で出したサヌキです。

アワ人間は他人と敵対するのが本能的に出来ない。
思いやりのある行動ならしたいのです。
しかし、思いやりのある行動を取る際、それが結果的に
誰かと敵対する怖れがある場合がありますね?
その時、どちらを取るか・・・自分のタチを曲げてでも思いやりを示すか、
恐怖に負けて思いやりのある行動を取らないか・・・
葛藤します。


(電車で席を譲れば良かったと後悔する人など。
 サヌキ人間なら簡単です、
 思い、即、行動だから。
 でも、アワ人間は「譲っても断られたらどうしよう」などと考えるのです。
 席を譲るならまだいい。

電車内で迷惑かけている人に対して、サヌキ人間は我慢が出来ません。
サヌキ性が強ければ、文句を言います。
大抵は文句を言いたいのを我慢しますがね。
アワ人間は注意してあげた方がその人のためになると思いますが、
やはり敵対するのが怖いので言えません。

サヌキ人間が「これを言って敵対し、怒鳴りあいになり、障害事件になったら困る」と、
頭で考えてやらないのとは違います。

サヌキ人間は心の中は怒っています。
アワ人間なら困っています。

高次の人間なら困ったものだ・・・と思うが、感情的にはなりません。)


サヌキ人間でも、心(アワ)がないわけではないので、
同じような状況にはなります。
行動だけ見れば同じに見える。

(両者とも電車内の迷惑行為に文句を言わない、というように)
違うのは、タチです

アワ人間が行動に出る前には大変な勇気とそれをしなければならない
理由がありますが、サヌキ人間はそれほどありません。
元来、やるタチなので葛藤はありません。
単純です。
頭で考えます。

だから、行動だけを見てもわからないのです。

<子育てで>


高次のアワ人間は相手に合わせる、添うことが出来る。

相手が幼児の場合、幼児のわからなさに合わせることが出来ます。
汚せば「汚すな」とは言いません。
自分が掃除や洗濯をします。

(低次のサヌキ親なら、幼児が汚すのが耐えられないので、汚すな、と
 命令し、幼児は勿論実行など出来ないので、頭に来て虐待します)


アワ人間は幼児が早く、巧く出来なければそれに合わせて待てます。
本来は。

ところが、世の中が時間を区切ってどんどん進んでいますね?
時間が無制限にはありません。
なのでアワ人間も、本来はいくらでも待てるタチなのに
幼児に対して「早くしなさい」と言わざるを得ない。
これがサヌキメッキです。
低次のアワ人間が陥っています。


(サヌキメッキとはキャリアウーマンになるだけではないのです。
 この世がサヌキ社会なので社会に合わせようと思えば
 どんな小さなことをも、サヌキでやるしかない状況にあります。)



ところが、サヌキ人間でも、子育てをしているうちに乏しいアワが鍛えられ
(高波動化して)待てるようになります。
幼児のわからなさをそのまま受け入れて、可愛いと思えるようになるのです。
これが出来ない母親は子育てが大変です。

大抵は毎日否応なしに鍛えられ、何人か育てるうちに出来るようになります。

元々、低次のサヌキで「ここまで来い」だった人も、
その「ここまで」から我が抜けていきます。
そして「ここまで」の設定レベルが低くなるはずです。

「良い高校、良い大学へ入る、ピアノが上手になる、
水泳が巧くなる、素直で元気で挨拶できる、○○・・・○○・・・」と
際限なくあった「ここまで」が、だんだん寛容になり、数も減少する。
最終的には「生きていればいい」くらいになります。


あ、全員ではありませんよ。
そういう傾向が見られる、というくらいです。
個人差があります。
中には何人育てても、何年育ててもまだ、
「医学部に入って医師になれ」などと、思ってる人も大勢いますよ。

子供の状態そのままを「これでよし」と思える人ならいいのですが
いつまでも「ここまで来い」と我で設定したモノを子供に押し付けていると
子供がおかしくなります。

それは設定されるからというよりは、その程度の親の子だからです。

元来、アワ人間でそういうことはしない人も無意識にサヌキメッキされているので
無理な要求を子供にしています。
だから、そこらへんを意識化した方がいいですね。

<アワなのに行動的>


アワ人間のタチは「相手を受け入れて、合わせる、添う」タチですが、
アワ人間だって、自分が持ってるサヌキ性の分だけサヌキを出します。
行動します。
その行動のレベルはアワのレベルとなります。


(だから、アワ人間にもいろいろいるのです。
 殆ど何もしないアワ人間もいるし、行動的なアワ人間もいます。
 相手を受け入れる能力のあるアワ人間もいるし、
 受身なだけで、相手を受け入れる能力のないアワ人間もいます。
 物事がよくわかるアワ人間もいるし、殆どわからないアワ人間もいます。
 よく気がつき気が利くアワ人間もいるし、何も気付かず、したがって気が利かないアワ人間もいます)


アワ人間の行動は、アワ量の多い低次のサヌキ人間と似たような感じで
「あるレベルを設定し、そこへ行けるよう世話を焼く」という行動に出ます。
これは「ここまで来い」ではなくて「そこまで行けるよう手伝いたい」という感じ。


この際、アワ量の多い低次のサヌキ人間〜高次のサヌキ人間なら、
相手を「それが出来る波動量まで高めてやる」ことが出来るし、行動はそうなります。
しかし、低次のアワ人間はそうではなく、相手の波動量を高めることはせず
(そういうことを知らない、思ってもみない)
ただ、「それを実行するための具体的なお手伝い」をする=行動=になります。

アワ人間は行動しない・・・と、前に書いたので、アワ人間はおとなしく行動しないのだ、
と思ったことでしょうが、行動しないという傾向があるという意味です。
アワ的(○○して欲しい)行動では、かなり、行動します。
子供の世話が典型ですかね。
よく、何から何まで世話を焼いている母親がいます。
それは「○○してあげたい」のです。
行動を駆り立てているのは、愛情(アワ)です。
アワ人間の行動は愛情の表現です。


サヌキ人間の「ここまで来い」とはちょっと違ってて、
そこまで行かせたい、そこまでになって欲しい(この、欲しいってのがアワ)
と思い、行動します。

サヌキ人間が自分では動かず
相手を自分に合わせさせるのとは違い、
アワ人間は、相手をあるレベルまで押し上げようと行動します。

(例えば、学校へ行けるようにする、とかですね。愛情が基本です)

よく母親が世話を焼きますね。
これです。

アワ人間だって勿論行動するし、サヌキ人間だって思考するんですよ。
しかし、行動の仕方と思考の内容が違うのです。
やはり前者は女性的、後者は男性的です。

子供の世話を焼くお母さんと、子供に「こうあるべき」と説教するだけで
何もしないお父さん、て感じです。

アワ人間の行動、サヌキ人間の思考、こんな感じです。

<何故アワ人間が>


何故おとなしくて、どちらかといえば行動しないアワ人間が
必死になって子供を学校へ行かせようとするのでしょう?
それは「世間が子供は学校へ行くモンだ、と思っているから」です。

アワ人間は世間を受け入れているので、自分の子供も同じように
世間を受け入れる人間、
世間に受け入れられる人間
にしようと無意識に思っているからです。
世間に受け入れられないのが恐ろしいのです。
心配します。
あれこれ、悪い予想をしては(アワのタチ)まだ、起こってもいないのに
本気で悩んだり苦しんだりします。

(※なんとななるさ、と割り切るサヌキならそこまで考えません)

目立ちたくないのです。
サヌキ人間が常に、自分と周囲の違いを際立たせたいのに対し、
アワ人間は周囲に埋没したいのです。

なのに子供が登校しなければ、世間からズレてしまい、
目だってしまいますね?
認めてもらえない、非難されるかもしれない。

(※○○してくれない、と思うのが低次のアワ、
   非難=攻撃なので、敵対するのが本能的に出きないアワ)

それが耐えられません。
なので、子供を学校へ通わせようと必死になります。

この時の行動力は潜在アワ量の違いによって
個人差はあるでしょうが、大変大きい。
子供を世話することになら、いくらでもパワーが沸いて来ます。

(※三年間子供を学校まで送り迎え、なんてのも平気で出来ます)
(※おとなしくてもパワーがないのではないのです。
   パワーは潜在しています。
   サヌキ人間のパワーとはあり方が違う)

(※アワ人間の隠されたエネルギ−は凄まじいですよ。
   だからそのエネルギーの使い方を間違ってはいけないのです。
   女のメグリ怖いのぞ、と日月の神も言ってます)

そこには「これが愛情だ」「この子のためだ」という
錯覚(無自覚)があるからです。

残念ながらこのレベルでは登校拒否(引き篭もりなども)は直りません。

原因を解決出来ないで、行動だけを改善しようとしているからです。
低次の人は物事を解決出来ないのです。

<登校拒否の理由・・・親が低次>


私が見たところ、登校拒否をしている子供の親に、まあまあ高次の人はいません。
高次の人とは物事、相手の気持ち、状況、理由が「わかる人」のことです。
そういう人の子は登校拒否をしません。

アワ量の多い低次のサヌキ人間の人のお子さんが
高校で登校拒否していた例を知っていますが、
これはアワのレベルが低かったです。

(※他人に迷惑をかけるほど低くはない。
   しかし、高校へ通えるように子育てが出来ないほどには低い)

とても良い人だ、心はある、しかしレベルがいまいち高くなかった。
状況などを理解する力が足りませんでした。

低次のサヌキ親の子供の場合。
親が物事がわからないので、子供もわからずやに育ち、性格は良いのに
クラスで浮きまくり友達が出来ず中学校へ行けなくなりました。

この親に何度が注意しましたが、理解せず逆恨みされただけです。
これに対して私は感情的にはなっていません。
(ああ、わからないんだな)と、相手を理解するだけです。
このレベルだから子供が問題を起こすんだなぁと、思いました。

(※相似象をすると、感情的になるより、まず頭で考えることが出来るようになる)
(※したがって気が楽になります)

<登校拒否の理由・・・親がアワ>


アワ母は無意識、無自覚に子供の世話をしています。
何から何まで世話を焼いています。

すると、子供は「母親に世話を焼かせることで、母親の気持ちが済む」
ことを無意識に知っており、それなら「世話を焼かせて満足させてあげよう」
という状態になります。

母親は「子供を学校へ行かせるという厄介な仕事」を
背負い込みますが、しかし、それは「本人が無意識に望んだ」ものです。

(※たとえば私なら、このような面倒なことは背負い込みたくない。
   もし、子供が学校へ行きたくないと言えば、あ、そう・・・と受け入れます。
   だって、本人の人生をどうしようと本人の責任ですから。
   この、受け入れるというのはアワです)


(※アワ親は、子供が学校を休みたいと言い出すと、途端に心配する。
   一日だけ休むくらいどうってことはないのに、もう、このまま拒否するのでは?と心配する。
   これが低次のアワです。
   そして休ませても、これが続かないように予防するために説教や小言を言う。
   これが低次のアワ=心配=から来る低次のサヌキです。
   この母は子供を受け入れていません。
   私は子供がたまに休みたいと言えば、何も言わずに休ませていました。
   だって、毎日学校へ通うなんて、自分が今やったらどんなに苦痛かわかるからです。
   私は週一回のパソコン教室だって、怠けたいのでたまに休んでいます。
   大人の自分がコレなんだから、たまには子供にも休ませてあげたいです)

(※しかし、アワ親は一日でも休むともう心配してしまう。
   私はこのレベルのアワなら、ない方がマシとさえ、思いますね。
   だから、こういうタイプの方は一刻も早く波動量をあげないと)

この母は常に「子供の世話をしたい」のです。
もし、子供がしっかり自立したら、
自分はどうやって子供の世話を焼けばいいのでしょう?

当然、世話を焼けなくなってしまいます。
それは、この人のタチから言ったら、大変寂しく、
自分の存在意義はなく、虚しいことです。
世話を焼く=愛情表現
になっているからです。

なので表面の意識では「子供を学校へ通わせたい」のですが、
潜在意識では「子供が自立したら困る」のです。
子供は親の潜在意識を無意識にわかるので、潜在意識の方を取ります
(※倫理研究会)
結果的に登校を拒否ります。

よく「あんないいお母さんの子が何故?」と言われるケースです。

<登校拒否の原因・・・受け入れてない>


低次元の人間は受け入れるということが出来ません。
サヌキなら勿論ですが、アワでも出来ません。

アワ人間なのに何で受け入れないんだ?
アワ人間てのは受け入れるタチではないのか?

と、思った方。

アワ人間は受身なのがタチです。
しかし、受け入れるには波動量がないとなりません


アワ人間でもレベルが低い(波動量が低い)と、
相手の気持ちがわかりません。
言ってることの内容も理解出来ません。
ただ、聞いてるだけです。

子供は受け入れてもらえずに苦しみます。
が、いくら子供が苦しんでいてもそのレベルのアワ人間にはわかりません。
潜象勘がないからです。

子供が言葉で訴えてもわかりません。
言葉はたしかに聞こえていますが、意味がわからないのです。

これ、本当にあるんですよ。

子供は仕方なく、行動に出ます。
それが登校拒否(病気・怪我・非行)です。

サヌキ人間の親も同様で、受け入れてやれるほどの
アワがなければ同じことです。
低次のサヌキ人間でも受け入れてやれるほどの波動量があれば(レベル高い)、
子供のことを始め、さまざまなことがわかるので
子供を受け入れることが出来ます。

つまり、アワの量が多ければ良いというものではなく、
それが波動量化していなければならないのです。

<登校拒否の原因・・・親が真面目>


学校へは行くモンだ・・・世間はそう思っています。
私だって思っています。

だから行かなくてはならない・・・世間も、まぁそう思っていますね。
私はそうは思いませんが。

この〜〜しなくてはならない、
というのが思考の殆どを占めている方がいます。
そりゃありますよ、そういうこと(〜〜しなくてはならない)は。
ないとは言いません。

しかし、そういう思考が頭の中身の殆どを占めているのは
問題ではないでしょうか?

これは真面目な人がそうですね。

世間は真面目であることを高く評価するし、
世の中には不真面目な人も多いのでそれに比べたら褒められる
ような気がします。

しかし。

この真面目であることは人間の基本ではあるけれど
真面目なだけではいけないですよね?

所謂世間体を気にする人や、紋切り型の人がこれですね。

世間一般で言われている常識は常識で、それは尊重していいと思います。
でも、それと個々の事情とは別物です。
それらがいっしょくたになってしまっているケース。

これも低次元です。
世間>個々
になっている。

こういう態度でいると、目の前の子供の状態を見ることが出来ません。
目の前に子供がいるのに、頭の中は「世間では・・・」と思考している。
こういうケースも多いと思います。
「受け入れてない」のところにも書きましたが、
受け入れない理由の一つです。

こういう人は「世間では・・・」と子供に言うが、子供の言葉を聞きません。
だから、拒否られるのです。

子供が登校を拒否ってから慌てて、数年間苦しんで
初めて子供の言い分を聞けるようになるか、何年経とうと聞けないか、
どちらかですよ。

この親には「子供の気持ちをわかる、言い分を聞く」という
簡単なことすらわからないのです。
わかっている人は最初からわかっているのに、です。

これほど、分かり方のレベルが人によって違うのです。

<登校拒否の原因・・・まとめ>


とりあえず、登校拒否の原因を思い出すままに書きました。
これが全てではありません。
メモ程度に捉えてください。

これらは一つ一つが独立しているのではなく、
幾つも重複しているケースが多いと思います。
ハッキリと分類できるものではないのですが、
一応、項目別にしてみました。

<登校拒否・・・おまけ>


上の方に「子供が登校拒否を起こす親に高次の人はいない」
と書きました。

これは、登校拒否をしていない子の親が高次であるということではありませんよ。
していなくたって、低次ですよ。
高次の人というのは大変少なく、例外的にしか存在していないのです。

高次の人間になれる素質を持って生まれて、
苦労を重ねて知恵をつけ、やっと高次になれるのです。

現在、お子さんが登校拒否をしている方。
ガックリしないように。
感情的に反応しないで、理性的に反応してくださいね。
思考しましょう。

本来、大きなアワ量を持って生まれて来たのにも関わらず
周囲に理解者がなく、高次にならずに低迷している方もいると思います。
そういう親に考えさせるためにお子さんが登校を拒否っているのかもしれません。


潜象勘のあまりない、というか、普通の人は悟るのに時間がかかります。
一つ悟るのにン十年かかるのでその実例を挙げたいと思います。
何を隠そう、私がその「鈍い人」です。


<悟り方の実例・・・弟の就職>


今からン十年前のこと。
弟が大学生だった頃の話です。

弟は当時東京の大学にいて教職をとっていたので
地元の教員採用試験について父あから私に問い合わせがありました。
私は地元の大学の方が教員採用試験には有利なので
小中学校教員の方を受けたらどうか、と父親に言いました。

すると弟は東京の高校教員の採用試験に受かりました。

父親は息子を地元に戻したい。
できたら小中学校より高校の教師にしたい。
弟が東京の高校の教員に受かったら、私に
「オマエが余計なことを言うから、地元の採用試験を
小中学校に希望してじゃないか。」と、私が責められました。

父に関わると必ずこういうことになります。
好意が逆の結果になってしまう。

私が小中学校などと言わなければ息子は地元の高校を希望し
そこだって受かったはずだ、と怒っています。
私は最初から「知らない。」と、答えておけばよかったですね。



ところが、弟は地元の小中学校教員の採用試験に落ちてしまいました。
成績が良い弟なのにおかしいな、と思いました。
弟は東京の高校の教師(数学)になり、今日に至っています。



それから20年ほど経ってからやっと謎が解けました。
弟はわざと地元の教員採用試験に落ちたのだ、と。

理由は地元に帰りたくない、父親と離れていたいからです。
近くに住めばなんだかんだと面倒なことばかり起きるから
故郷に帰りたくなかったのです。

何て頭がいいんでしょう!

ちょっと考えれば、推理すればわかることなのに、
私にはわかりませんでした。
わからなかった理由は自分のことではないので真剣に考えなかったからです。

勘の良い人ならたとえ自分に関係なくても、即、わかったはずですが、
私は勘が鈍いのです。
だから、わからない。

<悟り方の実例・・・ダンナとその家族>


結婚してン十年経ってからやっとわかったことがあります。
私はなんと、見合い結婚です。

彼氏がいたようないないような・・・もごもご・・・でしたが、
相手にはウンザリしていたのと、職場が××でその職業の人とは
結婚したくなかったのと、諸々とで、見合い話に乗ってしまいましたw
でも、外見が好みのタイプ(まぁゴリラ)だったので気に入ってしまいました。
(えええっと私は安田大サーカスのクロちゃんみたいのが好みです)
(趣味が悪い?)
(お互い様ですよ)



で、ダンナの父親は公務員です。
ダンナは会社員です。

で、私の実家は商売人なので公務員とは対極にあるのです。
生活の仕方、考え方が180度違う。
お互いに「考えられない」間柄です。

例えば、商品を買うのに実家はデパートの外商を呼んで買います。
ネクタイ買う時は何十本も持って来させて、その中から10本買う、とか。
ダンナの実家は広告を見て商店街で安売りしている時に買うので
それまで不便をしても我慢します。
ポット一つ買うのにこの違い。
(※新婚当時ポットを買おうとしたら、ダンナにダメと言われて大喧嘩)

必要なら今買っておけばいいじゃないか、と私は思うが、
ダンナの実家は我慢する。
しかし、不便な時期が長い方がこの場合良くないと、私は思う。
さっさと買って便利になった方が仕事が捗ると思うのです。
つまり、時間が節約出来る。

また、なるべく支出を減らす方向を考えるのがダンナの実家。
節約しても限度があるので、それなら稼げばいいぢゃないかというのが
私の実家。

全てが正反対です。

どっちが良いとも言えませんがね。



それで、結婚してン十年経ってやっとわかった。

ダンナの家族もダンナも、私が公務員だったから、
そこを気に入ったのではないかと。
自分達と同じ価値観でやっていけるだろうと思ってしまったのだなぁ、と。

実は私公務員をやってましたが、公務員の仕事が大嫌いでした。
こんな仕事は冗談じゃないな、と思ってました。
民間のやりかたとは全く違うのです。

Yさんの体験談にもありましたが、官庁のような職場に民間から
新入りが来たら、今までのやりかたが実に手ぬるいことを指摘された話です。
当たり前です。
そこにいる人には自覚出来ない、外部から指摘されて始めて
(そうなのかな?)くらいの意識です。
(※公務員の方ゴメンなさいね、民間だってダメなところは沢山ありますよ)

ダンナの実家は私が公務員なので「手堅い、真面目だ、地味だ」と
勝手に「我が家の家風に合うだろう」と、錯覚したんですね。

それをわかっていればなぁ!
結婚しない罠!



でも、もう一考えすればダンナは公務員ではなく会社員なので
私が相手でちょうど良かったかもしれませんね。
私は常に経営者の立場で考えているのです。

それが出来ない人は出世しません。
会社のためにお金を使える人だけが出世できるのだから。