相似象の考え方7




思いつくまま書いています。
ここに書いてあることは私なりのサトリに基づいているので決定されたものではありません。
あくまでも一意見として参考にしてください。

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相似象学会誌「サヌキ・アワのサトリ」を抜書きしているブログ

分かり方の喩え話し「ビル」へ

<悟るということ>(2012年7月25日)


悟るという言葉に宗教的な意味あいが無いのが相似象です。
ただ「分かること」なのですが「なかなか分からない」と
いう人が多いのでちょっと説明してみます。

例を挙げてみます。
(例を挙げると今度は例に囚われてさらに分からなくなる人がいますが
  例を挙げれば分かる、という人を対象に説明します)



【知る】
アメリカ。
テレビや学校でアメリカという国が有ることを知る。
アメリカについてのいろいろな情報を知る。

【知る→分かる】
算数。
1+2=3
これは小学校一年生の頃知りました。
何故そうなるのかという決まりが有ることを知った。
そして決まりごとを理解して「分かった」


知ること、分かることは頭が良ければ可能ですが
悟ることは頭が良くても難しい。
心の境地のことだからです。
しかし心がいくらきれいで素直で良い人でも、だから悟れるか、
と言うと違います。

<悟るということ/実例1>(2012年7月25日)


欲張り。

欲張りな人が居た。
その人は他人にモノを分けてやるなんて思ったことが無い。
そんなことをしたら損だと思っている。
その欲張りに或る人が
「他人に分けてあげたら良いのに」と言うが
欲張りはそれが出来ない。
或る人は
「食べものでは無いものなら分けてあげなくても良いかもしれないが
  これ、食べ物ですよね?
  あなたはこんなに食べられませんよね?
  腐ってしまいますよ。
  だから他の人に分けてあげたらどうですか?」

しかし欲張りは理屈は分かっていても
他人に食べ物を分けてあげることが出来ないのです。

それはこの欲張りが「他人と食べ物を分かち合う」という
境地に達して無いからです。
もし、この欲張りが他人と食べ物を分かち合う境地に達すれば
それを「悟った」と言います。



悟るとは他人が注意するから嫌々ながら従うのではなく
自分が心の底から思うこと。
以前は他人に食べ物を分けることなんて考えたことも無かったが
悟ったので他人に食べ物を分けるのは嫌では無い、というか、
当たり前のこととなりました。

この境地に達するのは特に難しいことでは無いですね。
日本人なら普通に出来ます。
でもそれ以外の国だとしたら、難しいかもしれない。
ここらへんが日本人が世界で最も波動が高いと
言われる所以(ゆえん)かもしれない。

<悟るということ/実例2>(2012年7月25日)


人種差別。

これは本当にあったことです。
今から20年ほど前かな?
「ちびくろサンボ」という子供向けの絵本が
人種差別に当たるとして
黒人の団体などが抗議をしたために
出版できなくなったことがあった。
それに関することです。




そういう問題が有る、というのをテレビで知りました。
そこに黒人の権利団体のような人達が出ていた。
※国でのことです。

権利団体?の黒人達は老いも若きも男も女も
「ちびくろサンボは怪しからん!」と怒っていたのです。
その中に若い男性が居てなかなかイケメンでしたが
彼は何かを悟ったのだそうです。

「これは黒人差別では無い」と。

で、皆に「これは黒人差別では無い」と説明するが
他の黒人は全員、彼が言う言葉を理解しない。
彼らの頭の中は
ちびくろサンボ=黒人差別
という図式が出来ていて変えることが出来ない。
変えてはいけないとすら思っている。
これを差別と言うのだ、と信じている。

そういう人達にいくらこの若い男性が
「差別では無いんだ」と言っても
誰も理解しない・・という話しでした。

その境地
(これは差別では無いと思うこと・分かること、
 分かるまでの理解力・波動)

に達してなければ決して分からないのです。

多くの黒人の中でたった一人、男性が悟ったわけですが
世の中でどのくらいの人が「悟れる」か観察したら
こんな割合だと思います。

<悟るということ/実例3>(2012年7月29日)


人は生まれた時から人を見習って育つ。
多くの人がやるように、自分も行動しないと生存も危ういからです。
本能的なものです。
また生まれた時からそれを行っているため、自分が他人、世の中の多くの人のやり方を
真似しているのだ、という自覚を持つことは難しい。
(犬が「オレって犬だから」と自覚するのが難しいのと同様です)

世間一般の”常識”や風俗習慣から一歩外へ出て、客観視することは大変困難です。

しかし、神様(?)は、世界に様々な国を作ってくれました。
その国のやり方は外国から見ると奇異に映る。
だったら「自分では意識出来ないが、
自分の国だって外国から見たら多分『奇異』なのだろう」と
類推することは、人間なら出来る。



たとえばスペインの闘牛。
あれは日本人から見たら残酷で意味が無いと思えるが、
闘牛士はかの国では英雄です。
ところがその英雄が「悟る」日が来たようです。
巧く行ってない人が「こんな国、嫌だ!」と悟るのは簡単ですが
その国の英雄が悟るとは奇跡に近い。
(まぁ、生きるか死ぬか、真剣勝負をしていると感覚が研ぎ澄まされるのだろうが)


「つむじ風 純粋な理知をブログに注ぐ。」

2012-07-24

これには驚いた・・・・! 闘牛士の突然の悔悟!




日月神も言ってますが、日本人には悟れるだけの能力を与えてあるのに
ちっとも悟らない。外国人の方に悟れる人が出て来る、と。
日本人は「自分さえ我慢すれば」と我慢してしまう、「弱い善人」が多い。
それがサトリを邪魔する。

外国人は日本人より潜在アワ量は少ないのだと思う。
アワ性が開発されるような文化でも無い。
しかしサヌキであることは余計なことを考えない、という利点もあり
それが良い結果を導く。

<悟るということ/実例4>(2012年8月2日)


悟るという言葉に宗教的な意味は無いのが相似象です。

悟るとはただ、「分かること」です。
が、知るとか、理解する、ということでも無いのです。
概念を理解するのが難しいですね。



たとえば、他人を嫉妬しない、という境地が有ります。
これに達している人は「他人に嫉妬しない」ことは当たり前であり
全然難しく無い。
しかし、この境地(レベル)に達してない人は
「他人に嫉妬しない」ことは、そりゃ理屈では分かるが難しいのです。



他人に嫉妬することが当たり前の人たいたとします。
その人にいくら
「他人に嫉妬してはいけない」(道徳)
と言っても、頭では分かるが、心が言うことをきかないのです。


「他人に嫉妬するような低レベルではアセンション出来ない」と
スピリチュアル好きな人から言われたとしましょう。
そりゃ困るわけです。
その人はアセンションしたいのです。
だから様々な知識を得て、セッションも受けている。
でも自分は他人に嫉妬してしまう。
そこを「他人に嫉妬するようなレベルではアセンション出来ない」と言われてしまった。
それはなんとしても避けたい。
でも自分は他人に嫉妬してしまう・・・苦しみの発生です。



それを知る前は平和で幸せだったのに、そんなことを教える人が出て来たから
自分の心はジゴク状態になってしまった。
その人が憎い!
と思うか
ぜひその境地に達してみたい。
と思うかは、その人の自由意志です。



そしてその人を「他人に嫉妬するレベルからは抜け出した人」が見ているのです。

「早くここにおいで」と祈りつつ。

祈ってはいるが、他人はその人に何もしてあげることは出来ない。
何故なら、その境地(レベル)に達するのは、全て本人の意思、意識、努力、決意によるからで
他人には何も出来ない、ということを知っているから。

<悟るということ/実例5>(2012年8月11日)


女にとってはそれほど重要でもないのですが
(中には最重要になっている女もいるがw)
男性にとっては最重要なことになっているようです。
学歴のことです。

頭が悪くて勉強が出来ない、勉強が嫌いだという人はそのままで結構。
不味いのは頭が良く勉強が出来たのに、不本意な学歴にならざるを得なかった人や
頭は良くはなく、勉強もまあまあにしか出来なかった人が
「もっと良い学歴を付けるべきだった」と悔やむ例とか。


自分が今、このような惨めな境遇にあるのは学歴のせいだ、とか
自分は今、惨めでは無いがもっと高い学歴が有ったらもっと良かったはずだ、とか
自分は今、人も羨む境遇にあるが職場では学歴が原因で
残念な思いや悔しい思いを度々する、とか
俺はすんごい良い大学を出ているのに、この待遇は何だ、とか、
俺の方が奴より偏差値高いのに、奴の方が出世するのは何故だ?とか
学歴に関連するマイナスな思いには様々なものがありキリが有りません。



人間を構成する要素として学歴というのはその人の一部分でしかないのですが
その全体に占める割合(重要さ)は人によって違っていて
大きな人(割合が大きい)から小さい人(割合が小さい)まで居ますね。
半分くらい占めている人もいますね。
8割くらい占めている人もいます。


学歴重視とか学歴偏重というのは人間が作ったものです。
明治以来作られて来たものです。
100年以上多くの人が毎日作り上げた結果、こんな世になりました。
集合意識が作り上げたのです。
(※日本神界は日本人の集合意識である、と私は思うが
   この場合の集合意識はジュネさんが言うところの集合意識に当たる。
   日本神界はさらに上の次元の集合意識、と私は定義する。
   個人個人の上の方の意識が集合したものが日本神界)



学歴偏重、重視はたしかに日本人の集合意識です。
しかし、その上を行けばその集合意識からは抜けられる。
その上とは「神界レベル」です。
しかし通常、そのレベルに意識を向ける人は居ないし
絶対数が少ないんだから、その界に自分の精神を所属させることが出来る人も少ない。
(神界=カミ界=上ってこと)


トンデモですが既に心の世界では住む世界が分かれているようです。
この分離はこれからは目に見えるようになるでしょう。
今既に見える人(分かる人)には分かるが(
潜象勘が有る人
多くの人はそもそも「分離」なんて考えることも無いので何も見えない。
意識を向けないと見えないのです。
(見えない=分からない)



今、集合意識から抜けないと「下」に引っ張られる。
そっちの方へ引っ張る(堕とす)力はなんたって数が圧倒的に多いから強大です。
なので本人が何もしない、考えない、感じないで生きていれば
集合意識(下。このままで居たい。このままでよい。このままが良い)に引っ張られる。




集合意識から抜け出すには自分が今まで「当たり前」だと思っていたことを
捨てることです。
その一例として「学歴偏重」を挙げたまでです。

よくセイシンセカイで「今までの生き方を捨てましょう」とか教えていますが
そういう言葉をセミナーで聞いたりHPで見たりすれば「はい、そうしたいです」と
思うかもしれないが、ではいったいどうやったら「そこ」(捨てた方が良い世界)から
抜け出せるのか?

捨てましょう。

と、言われたら自分や状況や日本をなんとかしたいと思っている素直な
人は「はい」と答えるが言葉の中身が分かっているのでしょうか。
漠然としていていったい何をどうすれば良いのか分からないと思う。
もしそれで何をどうすれば良いか分かる人は凄いです、聖人級。
そういう人はセミナーなどには参加しないだろう、自力で悟る。



漠然と「今までの生き方を捨てよう」と言われても分からないと思うので
具体的な方法として一例を挙げました。

「まずは学歴偏重の意識を捨てましょう」

理屈は分かるが非情に難しい。
個人の単位で言えば生まれてこのかた毎日、社会と学校と家庭が
学歴偏重を刷り込んだのです。
それを捨てるのは至難の業です。
身体の細胞ひとつひとつに染み込んでいると思って良い。

それを捨てるのです。

殆ど不可能に近いですね。
頭(理屈、思考)は捨てたいと思っているが、身体(心、感情、無意識)が
捨てられなくしている。

ちょっとやそっとの「分かりたい」気持ちでは捨てるのは無理です。
これで捨てられたらたいしたものです。



悟り方の課題として「学歴」を挙げてみました。
集合意識には沢山の分野が有ります。
職業もそうです。

男女の差もそうです。
信じられないことに或る年齢以上の男性(オヤジ)は
心の底から「女は男よりも劣っている」と思っているので
それを捨てるのは非情な苦しみを伴うが、社会を見てみれば
その意識を捨てなくてはならない、という場面が無いので苦痛を感じることが無い。
だから悟れない。

こういうオヤジ(〜爺い)は死ぬまでその意識を持って生きる。
それが本人にとっては幸せだからで、他人のアタシがどうこう言うことでは無い。




たとえば「上司が女」とか、そういう場面。
オヤジは既に年齢が高いので上司が女という場面に出くわすこと自体が無い。
若い男性には有りますね。
そりゃ女の中にもバカは多いので大変だとは思います。
しかしそれは男の上司だってバカが多いんだからその点では「同じ」なのです。
女ならではダメさは勿論あるがそれは男ならではのダメさが有るのと同じ。

上司が女だからダメなのではなく、ダメな人間が上司をやっているのがダメなのです。


多くの人は本当に無意識に生きているのでこの世界はなんとか維持されている。
しかしこの世界はこれからは維持できなくなる、というのは誰が見ても明らかですよね。
これ、相似象でも書いています。
滅亡の方向に進んでいると書かれています。
言葉はこの通りでは無いかもしれないが、いったん低次のサヌキ社会になれば
それを食い止めるのは殆ど不可能なので滅亡に進む、とか。

その、滅亡への流れ(集合意識)から抜けないと不味いですよね。




なので集合意識から抜け出す手段の一つとして
「学歴意識から自由になってみる」ことは分かり易い課題です。
心の底から「学歴なんて何でも無い」と感じられる日まで
頭に情報を入れてそれが心(潜在意識)に届くまで自分に教え返す。
「逆序のサトリ」です。
生まれてから今日(こんにち)まで毎日圧倒的多数の人の念(意識)が
「学歴が重要」と個人に迫って教え込んだ結果が、今の自分の意識である、と
まず気付くこと。
生まれて何十年も経っているし、周囲の教え込む力は強大だし
「学歴は有れば有ったに越したことは無いが、人間を構成する要素の
ほんの一部でしかない」と悟るのは大きなエネルギーが要る。
(国民に余計な情報を与えずエネルギーが余らないようにしている連中はいる)

そんなに苦しく大変なら「最初からそんなことやらない方がいいや」というのも
選択の一つです。

多くの人と一緒になって流れに逆らわずに進む方がずっと楽です。



コトは学歴だけに限らない。
全てにおいて「そこ」
(今の日本の常識、集合意識)から抜けないと
心は自由になりませんが「学歴から自由になる」ことはひとつの方法です。
コトが単純なので、そこらへんから自由になってみたら如何でしょう。

<低次のサヌキ女>(2012年8月22日)


いったんその国が低次のサヌキに傾斜すれば、それを押し留めるのは
至難の業、と相似象にあります。
日本は明治維新〜大東亜戦争敗戦によって、低次のサヌキ化に傾斜してしまい
それから60数年・・・とうとう、こんな世になってしまいました。

ルーマニアで殺害された益野友利香さんに対する喪女の反応ワロタwwww

相似象は「日本を変えるにはまず家庭から。家庭を変えるにはまず女から」という
意図の下、女性の意識を向上させ、ひいてはこの国を救おう、という
勉強会だったのです。

でも良いものは広まらず、広まるのは低次元のものばかり。
低次元の人が圧倒的に多い。
で、そういう人達を相手(購買層)にする仕事は金になる、儲かる。
本当に良いものは売れない・・・
で、とうとうこんな世になってしまった。

<嫉妬>(2012年8月30日〜9月2日)


嫉妬は女のものだ、と言われていたんですかね。
今も言われているのか、改正されたのか、分からないのですが嫉妬は男性の方が強い。
男の嫉妬は凄まじい、と聞きます。


ここに相似象から見た嫉妬について書かれています。
「温故知新〜サヌキとアワのサトリ」
「嫉妬」は「女」の本性ではない



嫉妬という感情はサヌキ性の成せるわざです。
だから男性はそのタチから自然に嫉妬する、ということが分かる。
しかし女の半数はサヌキ女なので、やはり嫉妬するのでしょう。
それが目立つので世間的に「女は嫉妬深い」ということになるのではないか。

しかしサヌキ女でも他人に嫉妬するなんて低次元なことをするのは
低次のサヌキ女に限定されますよ。
その次元(レベル)を越える波動量が有れば嫉妬なんてくだらないことはしません。




私はサヌキのタチですが、サヌキ女にしてはアワ量が多く
適当に波動量化されているので嫉妬はしません。
そして私の友人達も他人に嫉妬する人はいません。
我が家にも居ないようです。
ウチの旦那は他人がどうであろうと関係無いタイプなので。
親族はどうかな。
主人の弟の奥さんも嫉妬しません。
かなり女王様性格ですが、女王様だから他人に嫉妬なんかしませんw
主人の妹はどうかと言うとヤバそうです。
面倒なので関わらないようにしています。




ま、家族と親戚は選べないからね・・・

友人達には嫉妬する人は本当に居ませんね。
PANDORAでお話し会を開くと若い閲覧者の方が沢山参加してくれますが
そういう人を見て、私と同年輩の友人達は
「若い人はきれいでいいわねw」と目の保養が出来て楽しんでいます。
私も同感です。
同波長だから友人をやっているのだと思う。




主人の弟の奥さんがスタイル良くて美人で婿取りで
実家が裕福なのでどうも周囲から嫉妬されているようです。
私はこの人が大好きなので幸せな環境に居ることを祝福しています。

この人は女王様性格なので他人に意地悪も嫉妬もしないのですが
そういう人を妬んで妙な発言や行動を取る人が周囲に出現するようで。
今から20年以上も前のことです。
この人は(何でかな?)と思ったらワケを知るおばさん
(多分当時のこの人よりやや年上の人)が
「妬んでいるんだよ」と教えてくれたそうです。
で、この女王様は「なんで!」とさらに疑問を持ったのですが
他人が何故嫉妬するかその理由が分かるわけが無いので
「冗談じゃないよね!」という結論を出して終了。

で、この女王様が私に「if子さん、世の中には嫉妬する人が多いんだよ。
てか、殆どは嫉妬するんだよ」と教えてくれたことがある。
それを聴いた私は「へえ!本当かい!」と驚いただけで何の感慨も無く終了しました。

サヌキ女はこういう場合、悩むということが無いので気楽ですわw




で、それからは「世の中の人は殆ど嫉妬する」という情報が
本当なのか違うのか、折に触れて検証しているわけです。
20年経って分かったことは
「世の中には嫉妬する人は多いが、しない人もいる。
  どのくらいの割合で存在するかは分からない。
  しかし私の周囲には他人に嫉妬する人は居ない」

ということ。
これが同波長の法則です。

世の中がどうあれ、他人がどうあれ、肝心なのは自分の意識、心である、
ということね。



何も考えないで生きていると周囲の嫉妬深い人の嫉妬心を刺激するようです。
そしてその反動として妙な発言や行動を取られて驚く。
それを体験して(ああ、世の中には嫉妬する奴が居るんだ〜)と分かる。
次からは他人の妙な行動を「嫉妬していないか」という
新たな尺度を持って見られるようになる。
新たな視点獲得した、というわけです。
そして次には
「他人の嫉妬を買わないよう、勤めて自分の惨めさをアピールする、
 簡単な方法としては愚痴を言う」

という方法を取るか
「他人が自分をどう思おうとそんなことは知ったこっちゃないから、
 今まで通り自由にふるまう」

という方法を取るか、大きく分けると二通りの生き方が有ります。
アワな人は他人と敵対したくないので上の方法を取り
サヌキな人は他人の自己責任の分を
何でこのアタシが背負い込まなくちゃならないんだ、と
平然と生きます。

タチが決めます。


サヌキの人に「他人を刺激しないよう惨めさをアピールして生きた方がいい」と
忠告したら、そんなことをするくらいならいっそ付き合わない、と
サヌキ(切断、削除)します。
アワな人に「他人がなんと思おうとあなたは自由に生きればいいんですよ」と
忠告すれば、それをした結果他人から敵愾心を持たれることを即座に想像して
怖くなり決してそういうことは出来ません。


自分のタチのままに生きるのが一番楽で幸せ、ってことです。



男性の嫉妬については周囲に「他人に嫉妬する男性」が居ないので
よく分かりませんが、過去には知り合いに居ました。
こういう人は自分の判断力を上げて自力で改善するしかないのですが
通常、そういう人はそのような努力はしませんから改善していないのではないか。
そこんとこ自力で改善しないと一番困るのは他でも無い自分です。
間違った想念、劣悪な想念、低次元な想念が本人を苦しめ、病気になっていました。
悟った方が生き易くなるのになあ、と思います。


嫉妬をしなくなるためには物凄い苦労をして自分の波動を上げなくてはならない。
これは勉強してどうにかなる、というものでは無い。
方法も分からない。

私がここに記事を書いてもその記事を読んでいる人の波動量なりにしか
理解できない。

そもそも嫉妬する自分に気付いてない場合が有る。
この場合、改善することは絶望的です。
PANDORAの閲覧者の方に、もしこのレベルの人が居たら
PANDORAが気持ち悪くて腹が立って読めない。
実際にそういう人は多いのです。
(友人に教えたら気持ち悪くて読めないと言われた、という報告。
  以前は読むと腹が立った、という本人からの正直な報告など)


私の意識や想念はロクなもんじゃないという自覚が有るのですが
そんな低次元な私でも嫉妬などという最悪な感情が無いの
はラッキーとしか言いようが無い。
<嫉妬と妬み>(2012年9月2日)


厳密に言うと嫉妬と妬みは違うものですがここでは区別しないで語りました。
ここの記事は学術論文ではなく私の思いつき&殴り書きなので
そこらへんを考慮しつつ記事を読んでみてね。

<整序の例>(2012年9月10日)


よく「あの人は本物の霊能者だ」とか「あの霊能者は偽者だ」と言う人がいます。
その言い分を良く聴いてみれば
本物の霊能者=高い霊、神霊と繋がっている
偽者の霊能者=低級霊、動物霊と繋がっている
という意味で使っているのです。


こういう言い方をする人は例外ではなくてむしろ
大多数の人が言ってますね。
実はこれ、全く整序されてない、感覚的な言葉なんです。
こういう言い方をするのは論理的では無く感覚的なのです。
つまり・・・この件(霊能者)についてちゃんと考えて無い、ということ。
感じているだけだ、ということ。




まず、霊能者が本物である、という定義。
これ、霊能が有れば本物ではないですかね。
繋がっている相手が高かろうと低かろうとそれは今は問題では無く
霊能が有る=本物
霊能が無い=偽者
です。
ここで霊能者を本物と偽者に分けました。


次に繋がっている相手のレベルが問題になります。

             高級神霊と繋がっている人
           /
本物の霊能者
           \
             低級霊と繋がっている人


これで良いのでは?



「いや、だから繋がっている相手が重要なんだよ!」
と思う人がいるかもしれない。
そりゃそうです。
繋がっている相手は大変重要です。

でも、そのことは、その霊能者が本物か偽者かということにはならないのです。
たとえどのような相手と繋がっていようと、霊能が有るということは事実だからです。


多くの人は論理が感覚よりも下に有るというか後になっている。
それが混乱を引き起こす。
勿論、そういう人が言いたいことは分かるんですよ。
でもその「論理」を認めるわけにはいかない。
だってそのような感覚的な言葉は論理では無いから。




整序のやり方は数学のようだ、と思った方はいませんか?
その通りです。
論理をひとつひとつ積み上げて行くのは数式を解くのと同じです。
だって相似象は物理なんだから。

<イの次元からミの次元まで/徐々に悟るしかない>
(2012年9月25日)


悟るにはそれまでの蓄積が無いと難しい。
何も無いところにいきなり悟るというのは多分有りません。
自分の心(頭)の中に「この件について分かりたい、悟りたい」
という気持ちが無いとならない。
そういう気持ちが湧くのは
「この件について、自分は分からない、分かっていない」という
意識が有ることが前提である、ということ。
この理屈は分かると思いますが。




徐々にしか悟れないのです。

たとえば「あ、この件分からない」→「分かりたいな」→(1時間後)→「分かった!」
というのは通常は無いと思う。

A=「あ、この件分からない」→「分かりたいな」→
    (数ヶ月〜数年〜十数年〜数十年)→「分かった!」

B=「あ、この件分からない」→「分かりたいな」→(数ヶ月)→「分かった」→
   (数年)→「あ、分かった」→(十数年)→
   「また分かった、以前は分かってなかった、いや、分かってはいたが、
   それは分かってないのと同じだった」

とか。

AとBの二種類の分かり方が有るのではなく、Aを何度も繰り返すのがBです。



どういうことか、具体的に説明します。
(時期などはウロ覚えなので適当です)

今から25年ほど前かな。
30年以上前からトンデモ話しが好きだった私は興味本位で
或る宗教団体が「○○の霊言」という本を買って読んでいました。
その中に「いまどき新聞記事を信じているのは子供と老人だけだ」と書いてあった。
当時の私は(へえ)と思っただけでした。
しかし心の片隅に(それ、本当なんだろうか?)(いったいどういうことなんだろう?)と
小さい疑問が芽生えました。(イの次元での知識)

それから10年ちょっと経ってから或る陰謀に巻き込まれてしまった女性が
自費出版した本を読んだら「日本の政財界の一部の連中が医療関係者と組んで
トンデモ無い人体実験をしている」ということを知った。
その時(ああ、日本は私が見ているような日本では無いのだ。見えないところでは
このようなことが行われているのだ。しかしそれは表には出てこないのだ)と分かった。
(まだイの次元)

その後或る情報誌を読むことになり新聞だけでなくテレビのニュースも嘘ばかり、と
いう主張を知った。
その時からさらに(日本の裏の連中が国民から見えないところでやりたい砲台している)
と分かった。(イの次元からミの次元に入った)

その当時もネットはやっていたし陰謀論なども読んでいたが
それは一般論とか外国の事情だし、あまりにも壮大でひとごとのような理解の仕方だったが
だんだん「陰謀が日常的に行われていること」を知って行った。

以前は多分一部の人だけが警告を発していたのに、その情報を知った人が
今度は自分で発信するようになり、今では多くの人、主に男性や若者ですが
女性、主婦の中にも陰謀について発信するようになり、今では
「日本や世界を牛耳っている連中が裏でトンデモ無いことをしているがマスゴミはそれを
一切報道しない、なぜならマスゴミは連中の仲間だからだ」とようやく私は
それらの情報が完全にミの次元に入ったのです。



お客さんの中にトンデモな情報を近しい人に教えると
相手に感情的になられたりする経験をする人がいますが
イの次元で知ったことをミの次元に落とす(納得させる)までには
それを「知りたい」「分かりたい」と思っている人でさえ
時間が掛かるのですから、感情的になられるのは当然です。




イからミまでの時間は個人差は大きいと思います。
それから今は昔よりも情報が溢れていることもあるためか
イからミまで到達するまでの時間が早まっているような気がします。

<悟り方/さらに上の概念を獲得(理解)する>(2012年9月28日)


先日PANDORAお話し会「祭り」がありました。
その時、幹事に相談もなく勝手にお客を
呼び込んでいたブースが幾つかありました。
祭りの説明に「お客さんはAから一つBから一つサービスを受けられる」
と書いておいたのですがルールを無視した人がお客さんにも店側にも居たのです。

ウチに遊びに来たM氏が
「○○さんの店でお客さんを募集していたので(いいのかな)と思ってお客になった」
と言うのを聞いて驚き呆れました。
M氏は
「店が言うのだからそれで良いのだと思ってしまった」そうですが
何故確認しないのだ?と訊いたらそういうことは思わなかったそうです。

なのでM氏は久しぶりに私に〆られることになりました(わらい)




M氏は大変性格が良いので
「私は幹事側の人間として、その時考えるべきでした」と反省したのですが
私からさらに
「いや、それは違う」
ここは一つ、M氏はその件をうんと考えて頭を訓練した方が良いと判断したので
さらに〆ることにしました。



多くの人は物事を何となくしか捉えていません。
ボンヤリとしか受け取れない、だからその上に思考する場合は
ボンヤリの上になんとなく・・・ということになり
マトモに考える人など殆ど居ません。
では何をしているのかといえば感覚と感情で生きています。
それを「動物次元」と言います。

M氏はそこからは抜け出ているのですが日頃の言動から察するに
その境地(レベル)に甘んじているようなので
今回、良い機会なのでさらに思考してもらいました。
決して苛めではありません。
M氏のような頭の働き方をする人は、この社会の中では
賢い部類に入るし性格も良いので不都合を感じることがあまり無い。
自分が原因で不都合が生じることがなく、
殆どは周囲から不都合がもたらされている。
それを処理して生きているのですがでは肝心の自分の思考力は?
上げていますか?
そのレベルでいいんですか?
という話し。

自分が原因で不都合が生じにくいレベル(高い方、という意味)にある人は
自分の思考力を上げなくてはならない、という必要性を感じる場面が少ないので
却って思考力がつかないのです。

世の中を見てみると分かります。
そこそこモノが分かる人は殆どの場合それ以上思考しようとしません。
だから普通善人はいつまで経ってもわからないままなのです。




PANDORAのお客さんの中にも殆ど向上しない人が何人も、
いや沢山いると思います。
それは「分かろう」という必要性が無いので
今のままでもやっていけるので上がらないのです。
本気なら上がるが、本人の意識(自覚)としては本気なのです。
でもそういう人の本気は傍から見たら本気とは言えない。
しかし本人は本気だと思っている。
と、いう状態ね。
(ふうこさんの知り合いの、特殊な能力を持ったお子さんが小学生の頃
  「人間には黒い人白い人灰色の人がいる。
   一番悪いのは灰色の人」と言っていたそうです。
  なんとなく生きていて不都合が生じてない人が灰色の人です)



M氏が「私は幹事側の人間として、その時考えるべきでした」というのは
一見マトモな意見ですがそうですかね?
細かいことを言うようですが
「では幹事でなかったら、気付かなくて良かったんですか?」
「幹事だろうとお客だろうと、大人なら気付かなくてはならないのではないですか?」

M氏はそう言われてピンと来ない顔をしました。



これでピンと来ないようだから、当日、適切な行動が取れないのです。
分かるようなら当日適切な行動が取れたはずなので
それが取れなかった、ということはこの件が分かってないのです。



私が言葉で説明をしたにも関わらず、M氏はそれからも
「でも私は幹事として・・・」と言うので、私は「そうでは無いのだ」ということを
M氏に分かってもらうために、二度三度同じことを言う羽目になりました。



だから幹事として行動するべきだった、というのは正解なんですよ。
でもその前に、人間として行動するべきだったのでは?ということを言っているのです。
幹事じゃなかったら、適切な行動をしなくて良かったのか、というと違いますよね。
M氏が言うことも分かるのです。
普通の人でも気付かなくてはならないが、私は幹事なんだから
もっと気付かなくてはならなかった、ただのお客になっていた、点を反省している。

M氏はお客と幹事とに差をつけているのですが、それもそうだが、
そんなことはどうでも良くなるくらい、その前に「人間として」という条件が存在している
ということを分かってもらおうとしたわけです。
M氏は自分がただのお客になってしまったことを反省していたので
「それは違う」と言ったのです。
ただのお客なら気付かなくて良い、という前提が有ればそれでいいですよ。
気付くのは幹事の役目で客は気付かなくてよい、ということでは無かったですね。
お客さんには条件を示していたのだから。
(AとBから一つづつ、サービスが受けられる、ということを)



これは概念ですから相手に理解、納得させるのは至難の業なのです。
しかしこの訓練はM氏には必須だと思ったのでやりました。
これでM氏が分からなければ物事をきちんと捉える訓練が出来なかったことになる。
そしてこの課題は未来に持ち越されます。
何度も似たような課題がやって来ます。




M氏は社会生活には何ら支障が起きないほど賢い。
しかし取る道が二つあります。
@支障が無いのでこのままでいる
A支障が無くてもさらに向上する
ところが支障は@でも「有る」んですよ。
でも、その「支障」はM氏からは「見えない」のです。
つまり、@の場合でも立派に支障が存在しているのです。
ただ当人がそれを分からない、気付かない、見過ごしている
感受出来ないだけなのです。
というか、@の場合は支障が有ることすら分かってないので
そのレベルの人の周囲に支障が生じないはずが無いのです。



M氏は私が何度か説明をしたらやっと何か分かったようです。
M氏は他人に「分かってもらいたい」という気持ちが豊富なため
自分の気持ち「幹事として云々」を訴えるのですが
私が問題にしているのはそこでは無い、ということを
まずM氏が分からない限り、この件については二度と分かるチャンスは来ない。
(私はチャンスを捉えて言うので、そのチャンスが来ないと無理だし
  そのチャンスが有った時、一緒に居られるか保障は無い)



M氏が考える「原因」より、もっと正確な「原因」を私が提示した際に
自分の気持ちを分かって欲しい、という態度をM氏が取るのはおかしなことである。
それは「分かりたくない」つまり「自分は分かっている」ということですね。
無意識、無自覚に、です。
それでは物事が分かるようになりますかね?

物事を思考する際にボケたりズレたりしていることが多々ある、というか
今の社会ではそういう人が大多数である。
それで支障が生じてない・・・そういう人達は無意識に思っているが実際は
支障が生じているのです。
(だからM氏は何も考えないでお店の人の呼び込みに応じてしまったのです。
  支障というのはこの程度のことを指します。
  もっと重篤な支障も勿論世の中には存在します)


思考力を上げたいのならより上の正解を理解した方が良い。
M氏はそれを目指して生きているはずなのに
実際の行動言動がそうでは無いので私から〆られた。
M氏の思考力には限界があり、勿論私にも限界があるが
少しでも限界を上げていくのが相似象を学ぶ人の態度(心の姿勢)ではないだろうか。
M氏はそれを重々承知はしているがいざ、実地となると
その件についてはあまり分かってないのだ、と私が分かった。




どうですか?
何が問題か分かりましたか?
凄く単純な話しなんですが文章を整序していないので分かりにくいかな。
幹事だから分からなくてはならない、客だって分からなくてはならない、
どっちだっていいや、そんなこと、とも言える。
それで良い人はそれで良い、この件はたいしたことでは有りません。

<興味が無いとキが入らない>(2012年10月4日)


自慢では無いが私は頭があまり良くない。
そりゃ良い分野も少しは有ります。
しかし「悟り」となるとこれは難しいです。
しかしモノは考えようです。
私が悟りの分野で頭が良ければ悟るなんて簡単で簡単で
(え?悟れないの?うそ!)
と、思うことでしょう。
そして悟り方を説明するなんて無理だったでしょう。
だって即座に分かって(悟って)しまう人は、悟り方なんて分から無いからです。
悟り方が下手で四苦八苦している私だから、こうして文章化できるわけです。



今回の事例はアグネス・チャンのことです。
アグさんは私と同年代で香港人でしたっけね?
昔は可愛いアイドルでした。
そのアグさんが「日本人から好かれて無い」「評判悪い」と知ったのは
今から30年近く前のことです。

「無名人名語録」そのものか、そのシリーズ本の中で
「アグネス・チャン?嫌いですよ。そうでしょ?」とかいう
無名な一般人の証言を見て
当時の私は(へえ)と思っただけでした。
この本は編者のエイロクスケ氏が「他人に言わせた言葉を収録したもの」でして
本当はエイ氏がそれを言いたいのですが、他人が言ったことにして・・・
いや、本当に他人が言ったとは思ってますが、
それを載せる、というところに「エイ氏はこの発言をおおやけにしたいのだ」という
意図を感じる本でして。
で、エイさんは多分アグさんを嫌いなのだな、と分かる。
でも何故アグさんを嫌いなのか、私には分からなかったのです。




その後アグさんが何か社会活動をしていることを知りました。
(へえ)と思っただけでした。

さらにその後アグさんがネットで批判されていることを知りました。
(へえ)と思っただけでした。

そして今・・・

アグネスはやはりおかしい、と思います。


言っていることとやっていることが矛盾しているが
本人はそれに気付かない、ということが私にも分かった。
今まで調べようと思えば調べられたのにそれをしなかった私。
なんとなく知っていてそれで放置していた私。
物事をきちんと正確に受け止めなかった私。

まあ、アグさんに興味が無かったからなんですけどね。


興味が無いということはそちらへ意識を向けない。
イマイマにキを入れない、ということ。
だから私はこの件については真剣に考えたことが無かったのです。

全てのことに注意をして真剣になる、なんてのは不可能です。
人は自分が注意を向けたもの(コト)しかキを入れない。

世の多くの人は日本が置かれている立場や
日本の裏にいる利権集団のことにキを向けない。
興味の対象が違うからです。
私がアグさんに興味を持たないのと同じ理由です。




この世界にある無数の事案に対して
どれが重要でどれがどうでも良いことかは
本人の価値観が決める。
それは他人はどうしようも無い。

日本がおかれている危機(主に国内の闇勢力のこと)について
いくら情報を発信しても、それを受け取る側にとって
そのことが興味の対象では無いことが多いので
意識(キ)を向けられることは殆ど無い。




私がアグさんについて「変」と思うに至ったのは
時事問題が好きだからです。
アグさんには興味は無いが時事には興味が有る。
アグさんについて昔から何度も「変」であるという情報を得ていたが
アグさん自体に興味が無いものだから、情報を目にしても
そこで考えることもなく通り過ぎていたのでした。

アグさんに関する情報は今まで何度も来ていたが
受け取る側(私)に受け入れ態勢が無いものだから
何度情報が来ようと(へえ)で終わってしまっていた。

人はキを入れる分野が違う。
価値観が異なるからです。

<サトリを邪魔する人>(2012年10月10日)


「Viva!」の記事より。


「なんとはなしの話し」

この世の全ての艱難辛苦は
「そんなことでもないと真剣にモノを考えない自分」のためにある・・・


だから自分に苦しみを与える人を恨むのはお門違いなのだ。


自分に良いことばかりしてくれる人は、本当に良い人だろうか?


「物事は平面でなく立体で見ないとだめ」
って日月神も言ったことだよ。


と自分に言い聞かせる今日このごろです。


理不尽は本当は理不尽じゃないんですよね。




ひとが経験をして失敗をし、そこから学ぶチャンスを奪う善人がいます。
ひとが自分で考えつくのを待たずに「正解」を教えてしまう善人がいます。
これ、不味いですよね?

世の多くの母親がコレをやります。
勿論善意からなので、悪気など全く無い。
悪気が無いから余計不味い。
悪気が有った方がまだ良い、というのは分かりますね?

失敗することは貴重な体験です。
@失敗をする
A自分がしたことを失敗であると認識する
B原因を考える
C原因が分かる
D知恵がつく
E次回から失敗しなくなる

この人は自力で知恵をつけました。

せっかくの失敗体験なのに意味を理解しなかったら
この体験は無駄になる。
しかし同じ失敗を何度もやるうちにはいつか悟るかもしれない。
でも、それでも悟らない人が大多数かな。
その時始めてこの人では無い人がこれは失敗であること
を教えれば良いと思うのです。

しかし、この時に失敗した本人が「自分には分からないことは無い」と
無意識に思っていれば、他人の忠告は無駄になりますがね。

しかしこの場合、その人に忠告したその「他人」の人。
その人は貴重な体験をすることになります。
(ああ、この人は「自分には分からないものは無いと思っているんだな」)
と悟れるからです。

無駄なことは何も無い。

とはこのことです。

世の中には無駄が有る。
しかしそこから学べる人には無駄など無い、という意味です。



それはともかく他人のサトリを邪魔する人に対して「それを辞めろ」と言おうものなら
かなり抵抗されます。
つまり感情を害される。
だから殆どの人はそういう善人には何も言わない。
従ってその善人の人は多分一生涯何も悟ることは無いでしょう。




ぱとりさんの記事にある「優しい人」がこの善人に当たります。
善人が常に人のサトリを邪魔するとは言わないが
本人が経験して学ぶべきことをかっさらってしまうのは大抵善人です。

<思考の落とし穴>(2013年1月16日)


PANDORAをご覧の皆さんの中で分かり方が分かった人が何人も居るように感じますが
同時にまだ分からない人もいます。
そういう人は「思考の落とし穴」に陥っているのです(相似象)
思考の落とし穴に陥っても、本人にそれを自覚することは出来ない。

<図式化>(2013年1月16日)


私と直接会う人には相似象を基にした考え方を
実際のケースに当てはめて説明することが出来ます。

また紙に書いて図式化して説明をすることが出来ます。
言葉だけで通じさせようとすることは大変難しい。

<分かり方の喩え話し>

<ビル1>(2013年1月16日)


あくまでも喩え話しなので、それを頭に置いて読んでみてね。


5F
4F
3F
2F Bさん
1F Aさん

ビルが有ります。
品物を売っているビル・・・デパートとします。
2Fに居るBさんはAさんに或る品物のことを伝えます。
「リンゴ」とします。

Aさんは1Fでリンゴを探すが、そこに有るのは「リンゴの写真」です。
BさんはAさんに「それでは無い」と言う。
「そうじゃなくて食べられるんですよ」
1FのAさんからは2FのBさんの姿は見えないが声は聞えます。
不思議なことにAさんはBさんが見えないのに、BさんからAさんは良く見えるのです。



しかしAさんは「食べる」という概念が無い。(仮想現実の世界の話なので)
Aさんはいまだかつて食べたことなど無いから
食べるものという概念が分からない。

AさんはBさんに言います。
「食べるって何だか分からない」
「そして今私が持っているのはリンゴです」

BさんはAさんに
「でもそれはリンゴの写真ですよね」

Aさんはそれが写真であることは分かるが
そこにはちゃんと「リンゴ」と書いてあるし、これで正解だと思っている。

Bさんはなおも「そうでは無い」と言う。
ここらへんで殆どの人は腹を立てるがAさんも腹を立てました。
Bさんが言うことが感覚的に分からないし
自分はちゃんと「リンゴ」を持っているのだから
それを「そうじゃない」というBさんを「頭がおかしい」とか「意地悪だ」と感じる。

Aさんは「これがリンゴなんだから、これでいいでしょう!」
「もう私に構わないでください!」と言います。

Bさんは「Aさん、2Fにおいで。くれば分かるよ」と言いますが
Aさんは、Bさんがワケの分からないことばかり言うので
すっかり嫌になって言うことを聞きません。
Aさんは「これがリンゴなのだ」と思い、それ以外のリンゴが有ることを
認めず、ビルから出ました。
その時、ビルに入って来るCさんと入り口ですれ違いました。



次にCさんが1Fに来ました。
同じくBさんがCさんにリンゴを探してくれ、と頼みます。
Cさんが1Fを探すとそこに「リンゴの写真」が有りました。
Cさんは「有りました〜」とBさんに報告します。
するとBさんは「それでは無いんです」と答える。
Cさんはおかしいなあ・・と思いますが、
とりあえずここで(Bさんが言うリンゴとはこのことでは無いんだろう)と
受け入れてみました。

Bさんは2Fから「こっちにリンゴが有ります」と呼んでいます。
「こっちのリンゴは本物で食べられるんです」
Cさんの概念には「食べる」ということが無いのですが
Bさんが言う「食べる」ということがどういうことなのか興味を持ちました。


「Bさん、そちらから本物のリンゴを投げ込んでくれませんか?」

Bさんの答えは「それは出来ないんです。
床に穴が空いてるわけでは無いし、
こちらから階段に落してもそちらのドアが閉まっています。
そのドアはこちらからは開かなくて、そちらからしか開けられません。
だからあなたがこちらに来るしかない」

「Bさん、2Fに行きたいんだけど階段もエレベーターもエスカレーターも有りません」
「天井には穴も開いてないし、入り口なんか有りません」
「どうしたらそちらへ行けますか?」
「そちらへ行くのは不可能だと思う」



Cさんは考えました。
1Fに有るリンゴの写真ではなくて本物で食べられるリンゴが2Fに有るのか。
それを見るには私が2Fに行かなくてはならないんだ。
でも入り口は自分で探さないとならないんだ。
Bさんは入り口を開けられないのだ。

ひょっとしたらBさんにからかわれているのだろうか?
でもそんな感じでも無いしな。
Cさんは手に持っているリンゴの写真をしばらく見ているうちに
Bさんを信じてみよう、と思いました。

Bさんの声がします。
「どこかに2Fへ上がれる場所が有るはずです。
 私からは見えないのですがあなたには見えるはずです。
 諦めないでそこを良く見てこちらに来てください」

Cさんが1Fを見回すと白い壁にちょっとだけ他とは違う箇所を発見。
それは注意を払わないと見えないが、注意を払ったら見えて来ました。
そこにはドアが有ったが全部真っ白だったので騙し絵のように
見えなくなっていたのでした。

Cさんがそのドアを開けると階段が有り2Fへ行くことが出来ました。
2FではBさんが待っていて「良く来ましたね。これが本物のリンゴです」と言って
リンゴを見せてくれました。
Cさんは生まれて初めてリンゴを食べることが出来ました。




その時3Fから声がしました。
Dさんが呼んでいます。
「BさんCさん、こちらに来てください。
 こちらに生きている本物のイルカが居ます。
 2Fに有るのはイルカの模型です。
 そちらのイルカには生命が有りませんが
 こちらのイルカには生命が有るのです」

BさんもCさんも一度「上の階に上がる経験」をしているので
今度も上に行く方法を探せば行けることを知っています。
二人の概念には「生命」というものが無いので、3Fのイルカに生命が有ると
いうところに興味を惹かれました。
BさんとCさんは顔を見合わせて「お先にどうぞ♪」



と、いうお話しでした。
あくまでも喩え話しなので、そこんとこを汲み取ってね。

<ビル2>(2013年1月17日)


5F
4F
3F Dさん
2F Bさん・Cさん
1F Aさん・Eさん

さて、いったんはビルから出たAさんでしたが
自分より後から来たCさんがどうなったのか見てみようと、また1Fへやって来ました。
するとそこにはCさんは居ませんでした。
驚くAさん。
新たにEさんが入って来ました。

2Fから声がします。
「さあ、お二人ともこちらへおいでください」
それはBさんの声でした。
「Cさんはどうなったのですか?まさか・・・あなたが・・・」
とAさんが訊くと
「Cさんは問題を解いて3Fへ行きましたよ」
「何故あなたはそこに居るんですか?」
「私は既にこの階を全部クリアしたので、ここでお客さんをお迎えするのが仕事なんです」
「そんなこと、信じないぞ。Cさんをどこへやった!」



EさんはAさんとは違う考えを持っていました。
Bさんの声を聴くと悪い人には見えないし、面白そうなので自分も2Fへ行きたいと思ったのです。
「Bさん、私も2Fへ行きたいです。行き方を教えてください」
「では『思いやり』を分かってください」

Eさんは(は?)と思ったが、ここはBさんの言うことを素直に聞いてみることにしました。
(思いやり・・・思いやり・・・なんだろう?)

Aさんは勝ち誇ったように言いました。
「私は『思いやり』ならとても良く知っています。
 だからそちらに行けますね?w」
2FからBさんの声。
「いえ、違います。あなたは言葉を知っているだけです。
  私が言っているのは『思いやり』を分かること、です」
Aさんはまた腹を立てました。
自分ほど『思いやり』に関して詳しい人は居ないはずだ。
周囲の人間と比べても私の知識は群を抜いているのだ。
その私がこんな簡単なこと、分からないはずは無い。
やはりBさんはおかしい、キチガイだ。



すると黙っていたEさんが何かを悟ったようです。
「Bさん、分かりました!
  今、あなたが発揮しているのが『思いやり』ですね。
  あなたは私達のために、そこに留まって迎えてくれている。
  それこそが『思いやり』です」
「Eさん、良く分かりましたね、入り口が見えるはずです、そこからお入りください」

Aさんは驚きました。
自分より後から来た、頭が良さそうには見えないEさんが答えを分かってしまたことに。
自分より物知りは居ないのに、何故Eさんが!
AさんはBさんがエコひいきをしていると思いました。
Eさんはズルをしているのだと思いました。
この二人は前から知り合いでこれは二人で仕組んだことに違いない。

とAさんが邪推をしている間に、いつの間にかEさんの姿が見えなくなっていました。
Aさんは怖くなると同時に、自分を置いて一人で行ってしまったEさんを恨みました。

2Fから声がします。
「Eさん、良くいらっしゃいました。よく『思いやり』が分かりましたねw」
「いや〜気付くのって難しいですねw」
仲の良さそうな声を聴いているとAさんはどんどん自分が惨めに思えて来ましたが
それ以上に腹が立ち、周囲の人間は皆、自分を貶めているのだと思い始めました。
「Aさんも、ゆっくりでいいですから『思いやり』を分かって、こちらに来てくださいね」
というBさんの声を聴くと苛立ちで頭がおかしくなりそうです。

「Bさん、あなたは人をからかって楽しんでいるんでしょう! 最低ですよ!」

<ビル3>(2013年1月17日)


5F
4F
3F Dさん・Cさん
2F Bさん・Eさん
1F Aさん・Fさん

Bさんの声「Aさん、落ち着いて良く考えてください。
あなたが『思いやり』を分かればこちらに来られるんです」
Aさん「だから!私はそんなこと、とっくに知っていると言ってるんです!」
Bさん「あなたはただ知っているだけなんです。
     分かってください、と言ってます」
Aさん「だから!!!私は『思いやり』については凄く良く分かってますよ!」



Aさんの声があまりにも大きかったので外を歩いていたFさんが「何事だ」と
ビルに入って来ました。
「どうしたんですか?」
「どうもこうも有りません。
  上の人が私に無理難題を吹っかけるんです」
「どういうことですか?」
すると2Fから声がしました。
「あなたはFさんですね。
  ようこそ、おいでくださいました。
  『素直』とは何か分かったらこちらに来られます」

Fさんは素直にそれについて考えてみました。
(素直素直・・・Bさんの言葉に素直に従ってみることかな?)
「あなたの言うことに素直に従ってみること・・・ですか?」
Bさん「はい、その通りです。入り口が見えるはずなので、こちらにおいでください」
Fさん「そんなに簡単なんですか!わはっは!」
Fさんは魔法のように何も無い壁からドアを見つけて階段を登りました。




それを見ていたAさんは驚きました。
自分は「素直」という言葉は良く知っているし、毎日使っている。
知識の点では自分以上に「素直」について分かっている人は居ないほどだ。
「Bさん、素直とはこれこれかくかくしかじか、のことです」
Bさん「意味としては合ってます」
Aさん「意味として合っていればいいんじゃないですか?」
Bさん「違うんです」

ショックを受けるAさん。
だったらいったい何なんだっ!
いい加減にしろっ!このバカ野郎!

<ビル4>(2013年1月17日)


5F
4F Cさん
3F Dさん・Eさん
2F Bさん・Fさん
1F Aさん・Gさん

AさんがBさんを罵っているとその声を聴きつけてGさんがやって来ました。
「どうしたんですか?」
「どうもこうも有りませんよ!
 2Fの人が私をからかい馬鹿にするんです」
「それはヒドいですね。
  2Fの方、どなたか存じませんがAさんを馬鹿にするなんて止めた方がいいですよ」
「あなたはGさんですね。ようこそ。
  Aさんは私がAさんをからかっていると思っているようですが違います。
  それはAさんの誤解です」
「どういう事情でしょうか?」
「お話ししますから2Fへ来てください」
「見たところ上へ行く階段もドアも無いようですが・・・」
「『心の眼』で見ると見えるようになっています」
「『心の目』ですか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?」
「見えたようですね」
「はい、見えました!今からそちらに行きますね」



Aさんは驚きました。
今、来たばかりのGさんが入り口を見つけたことに。
AさんはGさんにくっついて入ろうとしましたが、不思議なことにその入り口はGさんが
入ると跡形も無くなってしまったのです。

「Aさん、入り口は一人しか入れないのです。
  あなたは自分で入り口を探さなくてはなりません」

Aさんはガッカリしました。
あまりにも怒ったのですっかり疲れ果ててしまいました。
放心状態になって部屋の隅に腰をおろした。
情けなくて涙が出て来ました。

「Aさん、2Fへ来たいですか?」とBさんの声が聞えました。
返事をするのも嫌なのでAさんは黙っていました。
「『謙虚』が分かったらこちらに来られるのですがねえ・・・」
Aさんは(ざけんな)と思い、黙っていました。

<ビル5>(2013年1月17日)


5F Cさん
4F Eさん
3F Dさん・Fさん
2F Bさん・Gさん
1F Aさん・Hさん

そこへHさんが偶々(たまたま)通りかかりました。
「何故泣いているんですか?」
Aさんは黙っています。
するとまた上からBさんの声がしました。
「Hさん、お待ちしていました。こちらへ来ませんか?」
「どうしたらそちらへ行けるんですか?」
「『謙虚』が分かれば来られます」
「『謙虚』・・・はて?」

Hさんは自分は特に謙虚では無いが全然謙虚では無くも無いと思いました。
Bさんの言っていることが分からないので、Aさんに事情を聴くことにしました。
Aさんは今までのことを全て話しました。
(なるほど)
「2FのBさん、私は特に謙虚では無いのですが、
かといって全然謙虚で無いわけでもありません。
良く分からないけどこんな答えでいいですか?」
「良く分かりましたね。さあ、2Fへ来てください」

Aさんは驚きました。
自分は物知りなので「謙虚」という言葉は良く知っている。
それに引き換えHさんは、こう言ってはナンだが「謙虚」について良く
知っているようには見えないし、第一Hさん本人が「良く分からない」と
言っているじゃないか、それなのに合格なのか!

Hさんは何も無い壁から見えないドアを探し当てました。
ドアに入る前にAさんを振り返って「Aさんも一緒に来ませんか?」と言いました。
Aさんは他人の思いやりやお情けに素直に従う謙虚さが乏しかったので
断りました。
だってBさんだって「ドアは本人しか通れない」と言っていたし。

Hさんは「そうですか・・・」と言って一人でドアに入りました。

<ビル6>(2013年1月17日〜18日)


5F Eさん _
 |
  _
   |
    _
     |
4F Fさん
3F Dさん・Gさん
2F Bさん・Hさん
1F Aさん

Aさんは涙も出なくなって放心していました。
もう誰もビルに入って来ません。
たった一人で1Fに取り残されたようです。

他人より知識は有るし頭も良いのに
何故自分だけが上へ行けないのか、全然理由が分かりません。
考えても考えても分からない。
とうとう考えるのを止めました。
心は沈み、次第にウツ状態になっていきました。



するとそこへ外からCさんが入って来ました。
驚くAさん。
「Cさん、何故?」
「Aさん、また会えて嬉しいです。
 私、このビルの最上階まで行ったんだけど、
 そこから非常階段で外へ出られるんです。
 中で待っていても良かったのですが
 Aさんがなかなか来ないので、いったん外へ出てまたやって来ましたw」
「何故?」
「Aさん、2Fへ行きたがっていたから、お手伝いをしたいな、と思って」
「何のために?」
「いや、特に理由は無いんですけど、Aさんと一緒に楽しみたいなと思って」

他人のためにそこまでやるCさんの真意が分からないので
Aさんは黙っていました。
Cさんを信用していいのか、しない方が良いのか分かりません。
自分が何も得をしないのにわざわざ外に出て
また1Fから始めるなんて、何か裏が有るかもしれない、とAさんは思いました。

「今度Bさんから問題が出されたら、一緒に2Fへ行っちゃいましょうw」
「でもドアは一人しか通れないって・・・」
「それはあくまでも原則。大丈夫ですよw」
「でも決まりは決まりだし・・・」




そこへBさんの声がしました。
「Cさん、楽しんでますねw
  では問題を出しますよ。
  『信頼』の意味が分かったら上へ来られます」
「私はBさんを信頼しています♪」と言って壁の方へスタスタ歩いていくと
そこにドアが出現しました。
「Aさん、私と一緒に入っちゃいましょう!」
「ええええ?」

Aさんは躊躇しました。
●決まりを破ってはいけない。私は決まりを破るような悪い人間では無い
●Cさんのお情けに縋るなんて格好悪いことは出来ない。
  自分のプライドが許さない
●ズルをして2Fへ行ったら、Bさんになんと言われるか、
  それを思うと嫌になる
●自分で問題を解けないなんて恥ずかしい。正々堂々としていたい


「Aさん、さ、早く。私と一緒に入れば大丈夫ですから」


話しはこれでお終いです。
Aさんがその後どうしたのか私も知りません。


実を言うとAさんはCさんを”信頼”すれば2Fへ行けるんですけどね。
Aさんは言葉は知っているが、言葉の中身を知らないので
1Fから上へ、なかなか行けないのでした。

<「ビル」まとめ>(2013年1月22日)


上に喩え話し、寓話を書いておきました。

読んでみて何のことか分かる人と分からない人とが居ます。
分からない人にとっては全然分からない話しです。
また、分からない人を相手に喩え話しをすれば、今度はその喩え話しに引っ掛かってしまう。
たとえば上の例で言えば「その部屋の構造はどうなっているんだ?」「照明は有るのか?」
「外階段が有るならそっちから入ればいいじゃないか」
「Aさんって男?女?どっち?」「AさんとCさんは以前からの知りあいなんですか?」
「Aさんはどんな服装ですか」「季節はいつですか?暖房が要らない季節ですかね」
「Bさんはもっと上の階に行けるのに何故行かないんですかね。
  そこで待つのが仕事とか任務とか・・・Bさんの職業は何ですか?」
とか・・・
そういうことに引っ掛かってしまい、そっち方面を熱心に思考する人が出て来る。
なのでやたら喩え話しをするのは不味いのですが
しかしここ(PANDORA)ではあの手この手で分かり方を説明しているので、
多少の危険は承知の上であること、また分からない場合はスルーして欲しいこと、
などを知って欲しい。



ここの記事(PANDORA全般)を読んで分からない場合はスルーすれば良いのだから。
しかしそこで「分からない」と分かれば(自覚すれば)問題は無いが
このサイトは日本語で書いてあり難しい用語も英語も使ってないので
読めば分かると無意識に思ってしまう。
それが問題なのです。
自分がそれについては分からないのだ、という自覚を持つことは難しい。
まずはその自覚を持つことが何をするにも必要ですね。



若い人なら社会のことはあまり知らない、という自覚が有るのでまだ良いが
問題は大人のほうです。
50代以上のおばちゃんがわからずやなので被害に遭っている人の
怨嗟の声がネットに上がっていますが、私から見れば若いのに既に精神が50代の
おばちゃんになっている人がいます。
つまり無意識に(私には分からないことは無い)と思っている、という意味です。

35歳未満はまだ良いが(自分は何でも分かっている、と無意識に思うことは少ないようだ)
35歳以上になると社会に出て十数年経ち、知識の点では殆ど知る頃なので
無意識に自分に分からないことは無いと思ってしまう人が出て来る。
(厳密にはその年齢になる前から発生している)
(こういうことは個人差が大きい)
(50歳過ぎても心が柔軟な人も居る)


そういう意識になる人は「ビル」のAさんなわけです。

<「ビル」実例1>(2013年1月22日)


「ビル」の話しは作り話し、寓話ですが、実際にそういうことは有るのです。
というか、世の中のことは殆どコレで有ります。


今話題の大阪市長と大阪市教育委員会。
市長が2Fから一生懸命、声を枯らして「こっちへ来い」(これを分かれ、悟ってくれ)と
言っているのに、1Fの市教委の連中には市長が言っていることの意味が分からない。
分からないなら分かるために自分達の判断力を上げれば良いし
分からないことを自覚すればいいし、分からないのなら素直になって市長の命令に
従えば良いのですが、連中はまさか自分達がわからずやであることを知らない。
なので無意識か意識的には知らないが1Fで頑張っているわけです。

「ビル」の話しではビルに来た人がAさんを除いて、皆、すんなりと分かって2Fに
行くように書きましたが、現実には分かる人の方が少ない。
何を分かるか、何を分からなくてはならないか、そのテーマによっても
分かる人と分からない人とが別れる。
大阪市の高校入試の件では市長が言うことが分かる人と分からない人とでは
アンケート結果では「分からない人」の方が多い。
ネットで意見を述べている人は「分かる人」の方が圧倒的に多い。
YESかNOかボタンを押すだけなら感じたままに押せば済むから
「ここは一つ穏便に」「受験生の気持ちになって」「よく分からないが揉め事は嫌だ」
という感情論や感覚的な人の支持を集める。
ネットで意見を公表しろとなると、自分なりの意見を言えるほどの能力が必要なので
大阪市長を支持する声が大きい。


1Fに居たい人はそこに居るのが快感であり幸福なのです。
1Fの人は2Fが有ることを知らないのです。
せっかく1Fで快適に過ごしているのに2Fから不愉快な声が聞える。
言ってる奴は誰だ、ああハシモトか、気に入らん・・・という感じ。
1Fに居る市教委に対して「事なかれだ」と指摘しているわけですが
市教委自身には自分達が事なかれであるという自覚は無いのです。
ここで謙虚になって(ハシモトさんが言っていることの意味を分かりたい)と
思う人は稀です。

<「ビル」実例2>(2013年1月22日)


知り合いにAさんという人がいました。
頭は良いのだがいかんせん物事が殆ど分からない。
分からないのですが、そういう人に有り勝ちなことに
「自分は何も(殆ど)分かってない」とは思わない。
分からないのは周囲の人間である、と思っている。

Aさんと一緒に仕事をしていた人達がいました。
Bさん、Cさん、Dさんです。
同じ場所で仕事をしていたので喩え話しで言うところの1Fにいました。
最初は一緒に1Fで仕事をしていましたが、BCDはだんだんAの
分からなさを知るようになる。

いえ。
分からないだけの人でもいいんです。
私の周囲には分からずやだらけです。
それでも大事な友達です。

BCDは人間的に優れていました。
最初、一緒に1Fに居た、と書いたが、
BCDは5Fまで行って外階段で降りて来た人達でした。
Aに対しては協力してあげよう、と思いやりの心で接していたのです。
でもそのことはAからは見えない。
1Fの人から2F以上の人のことは見えない。
物理的に目の前に居ても心、思い、考えが見えない。
意図や真意など全然見えないのでした。

最初は大目に見ていたBCDはだんだんAの居る1Fに居る意味が無くなったので
2Fに行くことにしました。
その時のAから見たら三人が共謀して
自分を陥れているかのように見えたことでしょう。
しかしいつかAが悟るまで待っていたBCDも
それぞれのやり方で階段を上がってしまったのです。
BさんはAに説教をしたが、Aはそれに対して理屈(言い訳)をするだけだった。
Cさんは何となく去って行った(それを著書にちょこっと書いたw)
Dさんが一番温厚だったのか、去って行ったが後にAが苦境に陥った際にはまた
面倒を見た。

Aさんは自分と同等(つまり分からずやレベル)なら良いのだが
自分のレベルを超えたところからあれこれ言われると全く理解出来ず
そういう人に有り勝ちな疑心暗鬼、ウツ状態、ヒステリーなどを起こしてしまう。
それって苦しいだろうからと、周囲が「2Fまで来ればそういうことは無くなるよ」と
思いやりの心から手を差し伸べても、それを「自分に敵対する」「自分を陥れる」と
感じてしまうのだから始末に悪い。


また、こういう人に有り勝ちなことは無意識に他人をバカにすること。
自分の後からビルに入って来た人を新参者だと勘違いをする。
実際は5Fまで行って外階段で降りて来たのですが
心眼が無いので自分より後から来た、自分より劣る者であると思ってしまう。



世の中の多くの人がAさんなので、困ったものです。
しかしたとえ判断力思考力がAさん並みでも良いのです。
2Fから声がしたら素直に従ってみれば良いだけの話。

<「ビル」事例3>(2013年1月22日)


今から10年くらい前のことだと思うが、オリンピック柔道で優勝したとても強い選手が居た。
彼の言動がぶっ飛んでいたので話題になった。
面白い人だな、と思った。
その後彼とたしかUが一緒にテレビに出ていた。
彼がまたぶっ飛んだことを言ったら隣のUが「止めろ」と小突き、彼は黙ってしまった。
その時私は(ああ、このUには彼のレベルとスケールが見えないんだ)と思った。
もっとハッキリ言えば(U阿呆だな)と思っていた。
優勝した人=2F以上の住人
U=1Fの住人




その後、この強い選手はすっぱり柔道を止めてしまったようだ。
Uはどこかの大学の女子柔道の教授?か何かになった。
その大学でUがしたことは女子柔道部員とHなことをすることだった。
Uのレベルとスケールはその程度だったのだ。
強い彼は日本と世界の柔道界のこと、柔道の本質を見抜き、
ことあるごとに発言していたのだが、理解する人は殆ど居なかっただろうし
マスゴミに至っては全く理解せず、ただ「トンデモ無いことを言う奴」ということで
話題性を作り金にしていただけだったと思う。
一人でも彼の言うことを理解する人が居れば(居たかもしれないが)
彼は柔道に見切りをつけなかったのではないかと残念だ。
傑出した人のことは誰も理解しない。
理解しないだけなら良いが認めない。
認めないだけなら良いが寄ってたかって「矯正」しようとする。

コトは柔道に限定していませんで、全てにおいて言えることです。

Uの事件を知って、私の直感は当たっていたなあ・・・と感慨深かったです。

このように阿呆な先輩や阿呆上司はどこにでも居るものです。
こういうのは後輩や部下のレベルもスケールが見えない。
見えないのに本人は「見えている」と無意識に思って「指導」とやらをするのです。

全国の、無能上司や無能先輩を持った方、ご苦労様です。

<「ビル」事例4>(2013年1月23日)


1Fと2Fの話し、何も特別なことでは無くて日常の有りふれたところに
普通に有るのです。
ただ殆どの人が気づかない・・・というか、1Fの人には分からないのだ、という話し。



物凄く有りふれた、普通の、つまらない、平凡な話しをします。
友人のM氏が数年前にMIXIに誘われて始めました。
M|X|も良いと思う。
でも、いつまでもそこに居てはいけない、時間が勿体無いよ、と忠告しました。
こういう場合、M氏は不愉快になったり感情的になったりしません。
ただ、私が言っている意味が分からない。
なので忠告してからも半年は続けていたようです。
そしてだんだん「M|X|をやる意味が無いこと」「時間が勿体無いこと」
「それをやるくらいなら他の、もっと生産的なことをした方が良いこと」
「別にM|X|を『悪い』なんて言ってないこと」などをやっと悟ってくれました。




物理的には私とM氏は同じフロアに存在しています。
でも、私はたとえ身体が1Fに居ても、実は精神は2Fに居るのです。
私は2Fの経験が有るのでM|X|をやる意味(つまり意味が無いということ)を
知っている。
M氏がM|X|をやっているというのを聞いて、一度はそういう体験をして
早めにその体験の意味を悟ればいいな、と待機するのですが
通常人はなかなか悟りません。
これをやることによってどんなに時間を取られ、やらなくてはならないことの
時間を損しているのか、分からない。
何でもM|X|でも体験するのは良い。
でも早めに悟ることが大事です。
(悟らなくても勿論いいんですよ。それが楽しければ一生やれば良いんです。
  だって楽しいんでしょう?)


M氏はなかなか自力で悟れないので、申し訳ないが1F人なので
あえて忠告したのでした。
幸いにもM氏はワケは分からなくても忠告は聴く(音声として聴く、という意味w)人
だったのでよかったが。



次にM氏がセイシンセカイの様々なことをちょっとづつやっていたので
一つに絞った方が良い、と私は判断しました。
あれこれ少しづつやってもそれでは数年後に「いろいろやったな」という
感想が残るだけで、膨大な時間を無駄にしますからね。
一つのことを十年やれば、やりようによってはその道の専門家になれます。
(勿論それでもいいんですよ。
  一生あちこち食い散らかしたって誰も文句は言いません。
  それが好きならやればいいんです)

なので奥が深くやりがいの有るものとして「日月神示」を勧めました。
M氏は私がそれを勧めたら(何故そこまでコレが良いと言いきれるのか?)と
疑問に思っていたそうです。

ええええええと。

言い切れるので言い切りましたが、それが?



こういうことは世のなかに沢山有るというか、殆どがこれなんですが
1Fの人に2Fから声が掛かっても1Fに居たら「2Fの人が何を言っているのか
全く分からない」のです。
2Fの人の言うことを理解したいのなら、まずは自分が2Fに行かないとならない。
「他のことをちょっとづつやるより一つのことをやった方がいい」
「ついては日月神示ならやりがいが有るよ」
という2Fからの声は1Fの人には理解し難い。

自分が理解出来ないことは受け入れない、という態度を取ることも可能です。
というか、世の殆どの人はそういう反応をします。
そして一生1Fに居続けます。
(別に日月神示に限ったことでは無いですよ。全てにおいてそれが言える)

幸いにもM氏は(何故それが言えるのかと)非常に疑問でしたが
試しに読んでみたら、それまでM氏が読んでいた本
たとえば「引き寄せのなんちゃれ」などとは比べ物にならないほどの内容だったので
今までの読書の面白さの何百倍も面白く、読めば読むほど
一生掛けてもまだ理解できないほどの内容であることを知りました。
M氏は2Fの住人になった、と言えます。
実際にはM氏が悟らなくてはならないことが沢山ありました。
その都度、ワケは分からないがifの言う通りにしてみようと素直になり
一階づつ上がって行きました。




1Fの人が2Fの人から問題を出されたり忠告されたり説教されたり
答えを提示されたりする。
その時1Fの人の理解力では分かるわけが無いのです。
分かるならとうの昔に2Fに居るのです。
そして1Fから2Fへの行き方は全く分からないのです。
だったら1Fから2Fへ行くのは奇跡でも起こらなければ不可能ですよね。
そうなんです。
奇跡です。
分からない人が分かるようになることこそが奇跡です。
こういう小さい奇跡を起こすと心に決め、理屈(1Fの理屈)が出て来るのを
自分(理性)で抑え、その邪魔(知識理屈プライド他)を乗り越えない限り
2Fへは行けない。
これが出来る人は非常に少ない。
PANDORAのお客さん(管理人さんも)にはこれが出来る人が沢山いる。
まさに奇跡です。

<「ビル」事例5>(2013年1月24日)


上の事例で私がM氏に分からないことが分かったのは
単に私の方がこの方面では先輩だからです。
知識の差です。
人間性や能力とは関係有りません。
その道の先達(せんだつ)は新人には無い知識と情報を持っているので
教えてもらったら素直に聞いた方が良い。
こういうことは日常生活において沢山ありますね。

ただその知識や情報を教えられても、
1Fの人は2Fの人が言っていることは分からない。
分からないので言うことを聞けない、ということが往々にしてあります。
その場合は生まれ赤子のように素直になって聞いてみたら如何でしょう?
2Fの人が言う台詞に
「騙されたと思って」と言うのが有りますが
私も以前鈴木酒店の奥さんに言われました。


鈴木酒店に置いてある「だしの素」という醤油味の調味料。
当時私は使ったことが有りませんでした。
鈴木さんの奥さんが「これは便利よ〜」と言うのですが、
料理に興味は無いし、こんな製品は知らないし・・・で「う〜〜〜ん」と
迷っていたら
「騙されたと思って使ってみて♪」と言う。
それで言うことを聞いて一本買いました。
使ってみたらとても便利で美味しいので、それからは料理に使いまくり
これが無いと困るほどになりました。
あの時、騙されたと思って素直に言うことを聞いておいて良かったと思います。




「それ」をするのが良いのか悪いのか全く分からない時に
その道の先達の言うことを聞くことは、ワケは分からないが
とにかく2Fに行ってみる、ということと同じ。
頑固な人というのは良いのか悪いのか分からない時点でも
新しいことに拒否反応を起こす人のことです。
そして頑なに昔ながらのやり方を通す。
それがその人にとって最も居心地が良いからです。

心が硬い人は中高年に多いが若い人の中にも居ますね。
何故か頑なに1Fに居続ける人。
そのレベルで固まってしまう人のことです。
傍から見るとその頑迷さが見えて可笑しくもあり、気の毒にも思うが
それを周囲が指摘しても、その言葉は2Fからの声なのでその境地に
なったことがなく、言えば言うほど拗れるだけです。

<「ビル」注意書き1>(2013年1月25日)


上の方の記事<「ビル」事例5>でM氏の事例を挙げましたが
M氏が常に何事においても1Fに居る人なのだ、ということでは無いのです。
偶々、それらの件では私が先達なので2Fに居ただけです。
私とM氏が会話する際にはどうしてもセイシンセカイやオカルト、心や魂の話しになる。
その分野においては私の方が先輩なだけです。
他の分野ではM氏が先輩だし、M氏の方が人間的にもずっと優れているのです。
思考力の乏しい人は「M氏をバカにしている」と短絡するかもしれないが
M氏は人の集団の中で上から数%に入ることは間違い無いほど
優れた素質の持ち主です。
だから2Fから言われたことを理解できなくても素直に受け入れることが出来る。
そして実行した結果2Fに行けるのです。
(オカルトとセイシンセカイの分野限定ね)
(通常子供や青年では無い男性がこれを出来ることは殆ど無いが
  M氏は相似象で言うところの少数者だから出来る)




それから「事例」として挙げる記事は、
私が体験したことや私が傍から観察したことなので
私は2Fに居る立場で書いてます。
しかし私も常に2Fに居るわけでは無いのです。
心の在りかたの面では1Fに居ることが多いかな?(照笑)

たとえば2FからM氏、karen、K子、PANDORAのお客さんが
「ifさん、こっちはいいよお、平和で。ifさんもおいでよ」
と声を掛けてくれるのですが
「はあ?あたしはここで充分楽しいし不都合感じないし」とか言ってる、
という図式が目に浮ぶ・・・
当人としては「そこ」(1F)が心地よいのです。
しかし1Fは2Fから見ると殺伐としたフロアに見える(かもしれない)。
重火器コーナーにしか見えない。
「製品の実演販売」もしているので爆発音がうるさい。
てか命の危険まで有る。

でもそこに居る人はそれを越える境地を知らないので
「面白い」「楽しい」「すっげーーー」とか思っているわけですよ。
そんなifを哀れんで2Fから声が掛かるのですがそれをifは「余計なお世話だ」と
感じる・・・とかね。
2Fの人が慈悲の目でこちらを見ると1Fの人は「なんだその目は!」と
怒り出すとか、有りそうです。
こういう人(仮に、ifとする)にいくら「平和が一番」と言っても
1Fに居る人(仮に、ifとする)は「平和」の境地なんか知らないし
そんなもの興味無いし、2Fの人の声は音声として聞えているが
(いや、1Fは戦場なので爆弾の音でうるさくて聞えないが)
いやうるさくて「なに?今、なんつった?聞えないよ=」だし
2Fへ行くなんて今はそれどころじゃない、
生き延びることが最優先だ、と心に余裕が無い(のだろうな)。

2Fの「平和」の境地に行くには自分の境地を「平和」にすれば行けるのですが
それを「知らない」から行こうとも思わない、従って「行けない」という人多いようです。



あ、これは全部妄想なので本気にしないでね。
喩え話しだから。



この世界には様々な分野(サヌキ)が有り
様々な境地(レベル、波動量、アワ)が有ります。
全てにおいて他人より勝っている人など居ません。


そこらへんを整序して読んでいただきたい。
頭が粗雑に出来ている人はそこでひと考えをしない。
考えないで鵜呑みにしたり信じ込んだり拒絶したりします。
このサイトは
「考える能力を養うこと」も目的としているので
そういうタイプの人は読んでいても苦痛を感じるだけだと思うし、実際そのようです。




それから相似象を読んだことが有る人なら分かるのですが
相似象の本の内容は同じテーマを何度も何度も繰り返して書かれています。
一つのことを違う面から説明したり。
「こう言ったら分かるかな?」
「まだ分からない?」
「ではこう書いたら分かるかな?」
「まだ分からないか!」
「困ったな、ではこう説明してみよう」
とでも言うように、同じことを様々な角度から説明しているんです。
「感受性について」の別冊はどの本もそんな感じになっています。
勿論新たな情報も載っているので全く同じではないが
基本的には同じような内容となっています。
宇野女史がこのような書き方をしたのは無理も有りません。
「感受性について」読者に教えるためには、それしか無いのだと思います。

<「ビル」事例6>(2013年1月25日)


さて話しが殺伐として来たので今度は優雅にバレーの話。
「ありがとう♪見つけた!」のてらすさんが報告してくれました。


相似象のビルのお話
私が習っているバレエで痛感しています。

先生が言っていること、して欲しいことが、自分の体の能力とかけ離れている場合
分かりたいけれど、今の自分の体のレベルでしか理解出来ない。
先生から見れば、分かっていないな〜となります。

そこに行くには、自分の体の機能を上げなければ行けない。
そこで先生の言っていることを素直に聞き、実行して体の鍛錬をするわけです。

それに伴って、やっと、あっ、こういうことなのかな。と分かってくる。
そんな訳の分からないことはやってられないと、やらずに辞めていった人は
そこにたどり着けないのです。

心のレベルのこと、日々のいろいろなことでも同じですね。
鍛錬していきたいです。



てらすさん感想を有難う。

てらすさんは素直で謙虚なので「ビル」の喩え話しでいえばAさん以外の人です。
またバレーに興味を持っているのでそのことが「分からないことを分かろうとする」
原動力になっています。

バレーに興味を持って入門しても先生の言うことが理解出来ない生徒は
嫌になって離れていくというのは分かりますね。
先生が生徒に指導する内容は生徒には分かることでは無いのだから
理解できなくてもそこは従わないとならない。

「理解できないことには従えません」

などと思っていたらどのようなこと(会社、学校、社会、家庭)にも従えない。
(勿論不用な決まりごとも多いが)

<「ビル」事例7>(2013年1月25日〜26日)


上の記事<「ビル」事例6>のてらすさんは
バレーの先生の言うことを一度では理解できないが
とにかく先生が言う通りにやっている。
やろうとしている。
やろうとしていてもやれてないから先生が指導するのですが
この時てらすさんのように
(自分はまだやれてないんだ)と自覚する人は少ないと思う。

大抵は
(やってます!)
(やってますよ!)
(先生の仰る通りにやってるぢゃないですか!)
(それなのに「やってない」「やろうとしない」ってヒドくないですか!)
(先生は私のことを分かってくれない)
(私の努力を認めない)
(○○さんばかり褒める)
(えこひいきだ、許せない)
(こんなこと辞めてやるっ)

と、ブチ切れて去って行くと思うんです。
こっちの方が多いのではないか。


そういう人に「そうじゃないんだよ」と言っても
そういう人はそれを理解出来ないんだから
何を言っても無駄なようです。




たとえ分からないことで有ってもそこは素直に聞いてみるとか
聞いておくとかしないと「何も出来ない」ですね。
私の知り合いに滅多に居ないほどのわからずやがいました。
その人は頭が良いのですがわからずや。
なので「自分は分かってないのだ」ということが分からなかった。

どういう根拠の基にそのような思考方法を採れるのか謎でした。
何でこのようになってしまったのだろう?
多分頭が良かったから勘違いをしたのだとは思いますがね。

その人は何故か自分の流儀、価値観でモノごとを見ていた。
人間だもの(笑)基本的に全員そうなのですが
その際、本当に賢い人は
「自分だったらこれはこのようには考えないがこの人はそうなんだな」とか
「自分は決してそういうことは思わないがここではそうなんだな」と
思考することが出来るので、
「だったら自分の価値観と相手の価値観とをスリ合わせて」
「足して掛けて引いて割ればより良いものになるのではないか」
とか
「相手の言うことも分かるので相手が満足するよう、こちらが譲歩するのが
ここでは一番大事だ」とか
「相手はこの件を理解しないようだ、困ったが今は言っても仕方ないので
 相手がこの件を理解するようになるまでもうちょっと待ってみよう」とか
「自分のやり方より相手のやり方の方が優れているな、分かった」とか
要するに
そこで「ひと考え」出来るのが賢い人です。

この知り合いにはそれが出来てなくて何の根拠が有ってか知らないが
「自分の意見が一番正しい」と思っていたようです。
その結果・・・「そして誰も居なくなった」(by アガサ・クリスティ)




こういう人は1Fから人がどんどん2Fへ行ってしまっても
姿が消えてしまってもそれに気付かない。
そして(おかしいなあ)と思うのです、勿論自分ではなく「他人が」w
<その通りw>(2013年1月26日)


上の記事を読んだてらすさんから感想が来ました。

掲載していただいた記事を読みました。

私の事例の後にアップされていた<「ビル」事例7>中の青い文字を読んで
思わず笑ってしまいました。

ifさん、見ていたのかしらと思うくらい、辞めていった人が言っていた言葉です。
特に拗れていた人は、全部言っていたし
腹いせなのか、意地悪な態度をずいぶんされました。

辞めていった彼女たちは今自分にあった波長のバレエ教室に所属し
楽しんでいるようです。
関係者の方に聞くと、
大人に真剣に向き合って正しく教えることは、
生徒を減らすことになる
そうです。
なのでほとんどの先生は、適当にほめて楽しませるようにするとのこと。

私は、大人にも容赦せず、厳しい中にも楽しく、
きちんと教えてくださる今のお教室でお稽古出来ることが幸せです。
人によって、幸せと思うことが違うんですよね。

バレエで、パンドラで、たくさん学ばせていただいてます。



その辞めて行った人って私のことじゃないですよね?(汗



この件をもう少し考えてみましょう。
その人の意識としては「私はちゃんと先生が言う通りやっている」というものです(多分)。
しかし先生から見るとその人は「私の言う通りにやってない」のです。
その生徒は1Fの人で先生は勿論バレエに関しては2Fの人です。
見る人が見れば、1Fの生徒がやっている演技が不味いのが分かるが
その「見る目」は2Fに行かないとつかない。
1Fに居る人がいくら「私は先生の演技をちゃんと見て、そっくりに真似をしている!」と
言っても「いえ、違います」。



この時、大抵の大人向けの教室(セッションでもセミナーでも何でも)は
1Fで満足したい人の気持ちを優先させます。
理由は・・・満足させないとお客が離れてしまい、お金が入らなくなるからです。
もとも子も無い、という状態になってしまうのが前もって「分かる」ので
大人相手の商売は適当にやるわけです。
真剣にレベルを上げてあげよう、という先生(商売人も)は従って殆ど居なくなります。
特に実際に通わなくてはならない教室のようなところで
真剣に授業を行ったらお客が減ってしまう。
(日月神の「世は八分通りケモノの入れ物」という言葉)

二つのやり方が考えられる。
一つは「真剣に生徒に技術の向上を教える教室」
一つは「適当に生徒を楽しませる教室」
どちらが多いかは明瞭
ですね。



真剣にやっても生徒が居る教室は人口密度が高い都会じゃないと無理ですね。
だから都会のそういう教室(でも何でも)はそれが可能なので
質の高い授業を行う教室が存続出来る、というわけですね。

と、いうことを分かった上で厳しい授業を行っている先生は只者では有りません。
そしてそういう先生の教室に頑張って通っている生徒も只者では無い。
同レベル、同波長であると言えます。

<「ビル」注意書き2>(2013年1月27日)


さて、喩え話しなので上の方の<ビル1〜6>では
そのフロアから上の階の人が見えないとか
同じフロアから人が居なくなるような書き方をしましたが
実際には
「自分が居る場所から相手が居なくなる」
「自分が居る場所から相手が見えない」
と、いうことは有りません。

実際の世界においては
「見えるし」
「居るし」
何の不都合も感じません。

物質的には目の前に居るのです。
会話もしています。
トモダチだったりします。

<ビル1〜6>の喩え話しは「心・精神・意識」の話しです。

物質的、肉体的には「同じ場所」「同じ次元」に居ますが
心、精神、意識は「別の場所」「別の次元」に居る。




世のなか、殆どそうじゃないですかね。
友人同士でも片方は片方の分からなさが分かるが
それを指摘して良いものやらいけないものやら悩んでいるとか。
よく「知恵袋」に「非常識な友人」のことを相談する人がいますが
回答者が「そういうのは友人とは言えないのではないか」と答えている。
相談者の、「友人」の定義が曖昧なために、「その点について良く考えろ」と
運命に迫られているのだと思う。
こういうことでもないと人はそのことについて考えないからです。
多くの人は不都合や不幸から学びます。

2ちゃんまとめサイトを読むと夫婦の波動が違い過ぎて
片方が片方には内密に離婚計画を進めているとかねw
普通に有りますね。

同じクラスや同じ家に住んでいても心は全然違う場所に有る、なんてのは
普通に有ります。



<「ビル」実例2>(2013年1月22日)のAさんは
BCDさんと「一緒に」仕事をしていたのです。
同じ場所で同じことをしていたのです。
仲間として。
でも、心が有る場所は、AさんとBCDさんとでは違っていた。

身体は同じ場所に居る。
心は違う場所に居る。

数年間この状態が続いた後で、とうとうと言うかやはりと言うか
AさんとBCDさんは物質的にも離れました。




変化はまず、心の世界で起り次に物質の世界で変化する。

まず、「離れよう」と思う。
その後で現実でも「離れる」ことになる。
「離れよう」と思わないのに離れてしまうことも有るが
それも無意識に「離れたい」と思ったことが実現したのかもしれない。


アワはサヌキに前駆する、とはこのことです。

心の世界で1Fと2Fに分かれていると
いつか実際に1Fと2Fに分かれる日が来る。
(100%とは言わないが・・・でも、既に人類は分かれているそうですね)

<「ビル」事例8>(2013年1月28日〜30日)


お客さんの中に素質は私よりずっと良いのだが
人生において本当の意味で考えてこなかったために、
思考方法がいまいちになっている人がいました。
その人はスピ系のことをちょっとやっていて、なんと申しましょうか
スピ臭がしていました。
よくいるのですが、その道を突き詰めてなくてかぶれた程度でその道の
いっぱしのような態度をする人。

まあ、お客さんですから。
相手をしていました。

そしてその方は1Fに居て、スピに触れてまだ間も無いし
ま、いっか。
私より若いしモノをちゃんと考えるなんて今までしたことが無いし・・・と
その点では私は2Fから見守っていました。
何故ならその人に「あなたスピ臭しますね」と言っても
理解しないだろうから何も言わずに見守るしか無いのです。




それから半年後。
その人のメールからスピ臭
(知識だけ有って、それに見合う波動量が無いこと)
が無くなり
普通の文面になったので「実はね・・・」と「スピ臭がしていたこと」を指摘しました。
「でも、今はそういうところは全く無くなったよ。普通です」と。

その人は
「私がそういうレベルに有ることを承知で相手をしてくれていたのですか?」
と訊くので
「そうです」と答えた。
この方はややスピ臭がするだけで他の面はとても素晴らしいのです。
やや物分りが悪いかな、というだけ。
その物分りもこの方は「私はモノを知らなかったんですね」と自覚してからは
半年でモノが分かる人になったのでどれほど素質が良いか、と驚きました。
もし、私がこの人の立場だったらこうはいかない、
数年〜十数年は掛かると思う。



1F、2Fと書いたが、物質的には同じ次元にいるのです。
1F、2Fは「心が存在している階」のことです。
同じ場所に居るので会話は出来る。
でも片方が分かってない境地を片方は分かっているものです。
全く同じように分かっているケースの方が少ないはず。
たとえ友人同士であっても。
<補足>(2013年1月30日)


半年前に1Fに居てスピ臭を漂わせていた方ですが
その後私とのやり取りでかなりモノが分かるようになり
いつの間にかスピ臭が消えたので「実は・・・」と正直に指摘したのです。

もし、もっと前にこの方のスピ臭を私が指摘しても
その当時のこの方には意味が分からなかったろうと思います。
分からないからそれをやっているので、分かっていたらやりません。

何か問題が有る人に対して、問題そのものを指摘しても
殆どの場合は理解されず拗れることになります。
その人が1Fから2Fに上がったところを見計らって指摘する手も有ります。
もう問題は無くなったのだから指摘しなくても良いのですが
敢えて指摘することによって、モノを分かるとはどういうことか、を
体験してもらう、という方法も有ります。
親切の一形態です。
サトリということを体験してもらうのが目的です。

上の記事の方のケースだと、この方が半年経って2Fへ来たので
私とは対等のサトリ(その点に関しては、という限定つき)を得たので
教えたのです。
(説明、分かりますかね)


また、この方は常に1Fに居るということも無いし
ではもう2Fの住人なんだね?ってことでも無いのです。
この方から見たら「自分よりものが分からない人」が沢山いる。
その中でも目に余る人が居て、その人をどうにかして分からせたい、と
いう意志が有る。
この場合だとこの方が2Fでわからずやが1Fに居るのです。

1F、2Fというのはモノの喩えであって、固定的なものでは無い。
一人の人が1Fに居る場合も2Fに居る場合も
3F(さらに上のサトリ)に居る場合も有る。




たとえば、この方は、もっとわからずやの或る人を分からせようとしていました。
この方=2F
わからずや=1F
とします。
それを見て私は
「他人の天国は放っておけ」と忠告しました。
それはビルの喩えで言えば
if=3F
だと言えます。

そのifですが、では常に3Fに居るかといえば決してそんなことはなく
境地の点から言ったら「平和なM氏、karen、K子、PANDORAのお客さん」
が2Fだとすれば、「戦時中のif」は1Fに居ると言える。

これらのことは相対的なものなのです。
絶対的なものでは有りません。

一人の人が1F、2F、さらにその上の3F・・・に存在している。
場合によって、です。




あれだけモノの分かった人が何故これ(この境地)が分からない?
という場合も有り得ます。
盲点とか。
知識が無いから、とか。
理由はいろいろ有ります。

<「ビル」事例9>(2013年1月28日)


ネットには嫁と姑とのバトル記事が多いですねw
とても参考になります。
大抵は頭が古くて硬くてダブルスタンダードの姑の方が悪いです。
これなら嫁に殴られるのも当然だと思いますよ。

また嫁と姑はどちらが悪いということが無くても両者の感覚に隔たりが有り過ぎて
お互いに譲らず諍いになるケースも多い。
たとえば・・・

@若い嫁が第一子を産んだ
Aそれは男の子だった
B姑も姑の友人知人親戚も皆「でかした!男児か!」と喜び
  嫁を「良く男の子を産んだ♪」と褒めた
C嫁は「男児を産んだこと」で自分が褒められることに我慢ならない
D嫁の反応を見た姑他はびっくり仰天
Eトラブル発生
F嫁、夫に「姑との別居」「姑を自宅に入れないこと」「付き合いを切ること」を要望
G夫、仰天→実家の親に事情を聞きに行く
H舅姑、息子に「嫁を甘やかすな」と説教→息子弁明→老夫婦さらに激昂
  「うちの敷居は二度と跨がせん!」と爺さん宣言。
Iおう、上等だ、と息子。
  横から「寝たきりになっても介護なんかしません!」と、嫁。
Jおう、いいとも!貴様らに財産は一銭もやらん!
  老後は有料老人ホーム入りを宣言!
Kあ〜〜〜清々した!と嫁。


とかね。
これは本当に有ることなのです。




いったい何が悪かったのでしょう?
それはお互いの感覚が違い過ぎることです。
姑は自分が若い頃男児を生むまで舅姑小姑親戚から許してもらえなかった、
のが普通。
だから今度は自分は「良い姑になって」
最初に男児を産んだ嫁を「褒めた」のです。
それなのにウチの嫁ときたら
「私がどっちの性別の子を産もうとお義母さんには関係有りません!」
などと驚くことを言うのです。
私は嫁のために言ってあげたのに!

ということですね。

思いやりも時代を間違えるとこのような結果に。

だからこの姑が賢ければ今の時代を読み、
30年前の自分の体験などを基にすることなど無かったのですが
今の姑世代・・・私も入りますが、それ(思考すること)が出来る人は
殆ど居ない。
その点では若い人の方の方がずっとマシ。




このケースは1Fに姑が居て、2Fに嫁が居る、と考えてもいいが
これはむしろ「両者が1Fで争っている」と言えます。
嫁が賢くて2Fへ行き、お義母さんの愚かさを理解した上で
姑が「天晴れ、男児!」と褒めたら「そうですね、有難う御座いますw」と
答えても良い。

が、しかし。

嫁が常に姑に対して「言っても分からないから」と甘やかせば
姑は図に乗り、何も考えずに自己中、ダブルスタンダードを発揮するので
そこはさらに知恵を使って、早めに思い知らせておく、
つまり「あえて1Fまで降りて来る」という手も有りかな、と思いますよ。
こういうのを「鬼手仏心」と言います。




ネットの体験談を見ていると2Fに居た嫁が、あまりにも姑が
図に乗るので仕方なく1Fに降りて来て「同じ土俵で」
つまり同じフロア(1F)で、敢えて喧嘩し、のちの自分を楽にしておく、と
いう手を皆さん使っているようで、なかなか賢いです。
それで良いと思いますよ。
言っても分からない相手にはこの手しか無いと思われ。

<「ビル」注意書き3>(2013年1月30日)


上の<「ビル」事例9>では、同じフロア(1F)に居る者同士が
いがみあっているのですが仲良くしている例の方が多いのかな、
同数かな、よく分かりません。

それともアレかな。
仲が良い、悪いは別として「同レベルである」という言葉が一番相応しいかな。
或いは、本当に仲を良くしたい場合は、1Fに居てはダメです、
そこは低過ぎます、ってのでもいいかな。
この点について皆さんも考えてみてね。



それからこの一連の記事は整序してありません。
ただ思いつくままに書いています。
このテーマについて、もっと考えればきちんと分類して分かり易く出来ると思いますが
それをやっている暇(時間)も能力(知恵、波動量)もないので
とりあえず、こうして記事にしているのだ、ということを了承してください。
各自でもっと考えて分類してみると、思考の訓練になると思います。


ここの記事に限らずPANDORA内の全ての記事は
その上さらに思考するための叩き台にしていただきたい。
後は任せましたw

<「ビル」事例10>(2013年2月1日〜2日)


人は皆見えているモノが違う。
もっと言うと「見えている次元が違う」
これについて説明しましょう。




人間は幾つもの身体、ボディが有る。
そっち方面のことは良く知らないし、
知ったとしてもそっちの専門の分野においては
さらに細かく分類されていたりするので、そこらへんは適当に書きます。

まず物質としての肉体が有る。
その上の次元(高級という意味は有りません)の幽体。
幽体離脱する人はこの身体が肉体から抜けるわけです。
「ヘミシンクピンポンパン」のマサトさんがやっているのがこれです。
私も一度抜けたけど恐怖で肉体に戻ってしまいました。
(子育てで疲れたので幽体が離脱したのだと思う)

その上の次元の身体には「精神」その上は「心」その上は「魂」とか
何段階もの次元が有り、それが一人の人間に重なっているわけです。
夢はどの身体が見るんだっけな、知りませんが。
(夢を見る身体は次元が上なので、あ、高級って意味はありません、
  とにかく次元が高いのでそこには時間が存在しないから
  過去現在未来、相手のこころ、動物や品物の心、思いまでが「分かる」のです)


さらにその上が有り、さらにその上が有る・・・



素人考えの思いつきですが、これが所謂「次元」ではないかと。
その人がどの身体(ボディ)に主に反応しているというか
使っているというか、優勢か、それがその人が所属する「次元」ではないかと思います。
これは相似象とは全く関係が無いことですが書いておきます。

それから申し遅れましたが「ビル」の話しは相似象とは関係なく
相似象で言うところの「波動」の差を説明するために私が今のサトリで書いているものです。
相似象の主流の意見ではありません。
私個人のサトリに過ぎません。


前置きが大変長くなりましたが、上のことを説明するために事例を挙げてみましょう。

今、上映中の映画「ライフオブパイ」。
この映画の評判をネットで探したら面白かった。
見事に「その人が属する次元」で反応していたからです。


図式化してみますね。これは便宜上ビルにしたもので決定的なものでは有りません。

反応する身体(ボティ) 見た人の感想
4F
相似象で言うところの「心有る人」
或る程度の波動量を有している人
主人公は大事なことを悟ったんですね
そしてこれ(この場面)がこの映画で一番言いたいことですね
魂に響く映画で傑作です
3F 頭・精神 これは宗教の話しだな
あれがあれで、これがこれで・・・喩えているのだと思う
ああ、これは心理学でいうところの○○だろう、分かった
2F 心・善悪
通常「心有る人」という場合の「心」
所謂「善人」
良い人と悪い人がいた
ずっと主人公を心で応援していました
主人公は可哀想だと思ったのに・・・ショックです
1F 肉体・物質(目に見えるもの)
感情・感覚
トラと漂流して食われなかったって
事実を基にしているそうですが
本当なんですか?信じられないんですけど

トラの名前、実際に有った事件の被害者の名前ですってね!
食べ物も水も無いのに生きられるわけが無い
トラなんか助けないほうが良かったのでは?
あり得ない話しだ、第一おかしいや、クソつまらない映画だ

ネタバレするのでこれが精一杯なので何のことか分からないでしょうがw
またこの図は適当に書いたので私も厳密にはどの次元がどの位置なのか知らないのです。
絶対的なものでは有りませんのでそれを了承してください。




それから肉体次元で反応する人の中には心・善悪でも反応している場合が多いと思う。
悪い人が出てくると主人公に感情移入して感情を高ぶらせるとか。

また、魂次元で反応する人も当然「トラと漂流在り得ない」と思うし
「あれとあれは悪い」「これは良い人」と思う。
そして「ああ、これは宗教の話しだ」と頭で思う。

つまり「上は下を包含する」ってことです。

もっと言えば
「上から下は見える」(分かっている、理解出来る)
しかし「下から上は見えない」(分からない、理解出来ない)。


いきなり「上」だけでは存在出来ないということ。
人の心の進化(というか、進歩、向上)は、下から上への変化であること。
よく「人は発展途上の神である」と言いますね。
この図のさらに上には「全て良い」「全ては光」という境地が有るのでしょう。
下の次元に居る人は今はまだそこ(肉体次元)に居るが
何度も転生を繰り返して「上」(通常、神とか)を目指している。
価値の点では良い悪いは無い。
早い遅いは有るだろうけど。




多くの善人は上の図で言えば「心・善悪」のレベルに居るようです。
私が見たところね。
そこに居てはいけない、気付け、ということで
自分が自分に、向上するよういろいろ仕掛けるわけですよ。
それが一般的には不幸と言われるものです。

と、いうのはその上の「頭・精神」に達すれば当たり前のように分かる実感出来る。



以前、私が「人は上を目指すのが人生の目的だ」というような記事を書いたら
それを読んだ方が「人はそれぞれ目指すものが違います」とメールくれた。
私はその記事で「魂」のことを書いたのですが
閲覧者の方はそれを「肉体・物質」「心・善悪」次元で受け取ったようです。

このように人はそれぞれ意識が属する次元が異なるので
このような齟齬は沢山あり普通に見られます。
そしてこういうことを書くと必ず「それが悪いと言うんですか?」と「善悪次元」で
反応する人や「ifさんは魂次元に属しているんですか?」と反応する人がいます。
そうでは無く私はその記事を「魂次元の視点から書いた」だけです。

<「ビル」事例11>(2013年2月4日)


1Fと2Fは「境地」に差が有るのだ、ということを書いてみます。

2F 切ると治らない、転移する、苦しむから、切らない
1F ガンは切って治す。切らないと不安で怖い。

よくガンは切ると拗らせるので切らない方がいいと言いますが
それが通用するのは2F以上の人だけ。
1Fの人には通用しません。
1Fの人は切らない方が不安です。
世の常識が「ガンは切るもの、治療するもの」というものなので
切らないと不安だから切らずに居られない。
患者の周囲に意識の高い人(2Fの人)がいて、患者にガン治療を止めさせたとしたら
患者は不安で不安で恐怖とストレスのあまり「ガンが悪化」することでしょう。




だからこの場合は1Fの患者本人が一番納得のいく方法、
つまり切ったり放射線浴びたり抗がん剤投与してもらったりをするしかない。
2Fの人が1Fの人のレベルを受け入れ、1Fの人の好きなようにさせるしかない。
もしここで無理矢理2Fの方法、つまり「ガンと共存」「ガンを作る心を先に治療」を
1Fの患者に強いればガンは悪化することでしょう。

この方法でガンが治るのは1Fの患者が何かを悟り2Fに行けた場合のみ。
ガンは「分からなければ殺すぞ」と脅されているようなものなので
脅しが効く場合も有る。
しかし殆どの場合、脅されようと分からないし脅されたらますます分からなくなる。
なので1Fの人には1Fに居ていただくしかないのです。



体験談を書くと、私の義母がガンになりました。
義母にはそれが分かる前から「ガンは切ってはいけない」ということを
何度も語っていたのです。
しかし義母にはそれが分からない。
それ(ガンは切ってはいけない)が分かるには、
いくら情報(ガンは切ってはいけない)を入れてもダメで
それが本当に分かる境地(レベル)、つまり2Fに上がらないと無理です。

いくら情報を入れてあげても、受け取る本人が1Fに居るので
それらの情報は「ただ聞えるだけ」「音声」に過ぎません。

私と主人は義母に「切らない方がいい」と言っておいたのですが
義母は担当医師から手術の予定を告げられると
「お願いします!」と即答したそうです。
それを見ていた主人と妹は絶句。
義母は誰にも相談しないで担当医師の言うことを信じているのです。
(医師がウソを言ったとは言いませんよ。正解は人それぞれなので)




1Fの人は信者タイプなので自分が信頼する医師の言うとおりにやれば
良い、と無意識に思っているので、これで良いのだと思います。
(こういうタイプの1Fの人は無意識に医師をランクづけしています。
  町医者の言うことよりも病院、それもなるべく
   大きな病院の医師の言うことを信頼する。
   勿論患者本人には差別している気持ちは無い。
   全て無意識に行われていることなので。だから厄介なのですが)

ガンを切って治すという方法は患者本人が決めたことなので
それを実行すれば良いと思います。
無理矢理止めさせたらこの件は拗れますからね。

ガンを切らずに治せる人は限られる。
まず、前提として2Fに居なくてはならない。
切らないで治すには「自分の意識を変えること」「自分の潜在意識から
変えること」「自分が意識出来ない怒りや悲しみを意識すること」などですから
これが出来る人はあまり居ない。
だからガンは切って治す、という方法を採らざるを得ない。
だから通常、人は「ガンを切って治す」

<「ビル」事例12>(2013年2月7日〜8日)


今までの例は或ることを分からなくてはならない場合
答えを提示されるか誘導されて答えまで辿りついたり辿りつけなかったりした例が多かった。
その中で「スピ臭が強い人がいつの間にか判断力が上がり、自分で問題を解決していた」例が
ありましたが、今回、それと似たような記事を書きます。


結論を先に書きますと、「何かが分からない時、その何かはいったん忘れて
(離れて、手放して)判断力(波動量)を上げれば自然に分かって来る」
ということです。


私が若い頃の話し。
忘れたがここでは25歳としましょう。
友人に洋裁が巧い子がいました。
その子は洋裁の専門学校を出ていて洋裁でお金を稼いでいました。
結婚してからも少しはしていたようです。




その頃は私と友人は結婚したての頃です。
その友人の、どんな関係なのか知らないが、友人のご主人がやっている
事業の従業員だったかもしれないので、そうだとしておきますが
その人をAさんとします。

Aさんは当時40歳独身としましょう。
非常に勝気な女性でした。

その他にBさんという、今の私くらいの年齢、仮に55歳とします。
Bさんは家庭の主婦で基本善人で、この年相応にモノが見える人です。


登場人物
友人=25歳(洋裁のプロ)
私=友人と同じ年齢
Aさん=勝気な40歳独身
Bさん=分け知り55歳おばさん
とします。




勝気なAさんも洋裁をしていました。
でも友人と違って正式に洋裁学校を出ているわけではなく素人でした。

或る日、Aさんは友人に
「型紙を作って」と頼んだそうです。
(型紙の作り方を教えて、と頼んだのか忘れたが)

友人はとても気が良いので気軽に請負ました。
それを知ったワケ知りBさん曰く
「Aさんがあなたに型紙を頼んだのは、それはよほどのことなのよ」と言いました。

と、いう話を聞いて私は(???)

何?

って感じでした、25歳だったので。




それから私は子育てとわからずやの旦那のおかげで
非常に苦労をしたので(わらい)少しは知恵が付いた。
たまにBさんの
「それはよほどのことなのよ」という言葉を思い出していましたが
数年前には分かりました。
毎日この課題を考えていたわけではなく、時たま思い出していただけなので
もっと前、10年ほど前には分かっていたかもしれませんが、
こういうことは一度分かっても、さらに深く、さらに上の感受性で、さらに正確に
何度でも分かっていくものなので、一回分かったからそれで「分かった」って
ことでは無いのです。



で、当時のBさん(55歳)の年齢になった私がその当時のことを
検証してみれば「Aさん(40歳独身勝気)が友人に型紙作りを頼んだこと」は
よほどのことである、と手に取るようにわかるのです。
この記事をご覧の皆さんも分かると思います。
そして分からない人には全然分からないと思います。

そして分かりもしないのに分かってしまう人も居ると思いますw


多分友人も、当時のBさんの年齢になったし、この件を分かっただろうと思う。
毎日苦労をしているうちに、様々な体験をして、失敗をしているうちに
波動量が増えて波動も上がり、ものが分かって来る。

30年前には全然分からなかったことが
30年の間に分かるくらい、分かり方が向上している。
それは1Fに居たのだが、そのフロアが床ごと上昇して
いつの間にか2Fと同じ位置になっていたよ、みたいな感じです。

ネットの世界では50代のおばさんの評判が非常に悪い。
しかしこのBさんのようにモノが見える人も居るのです。
ただ、やはり数は少ないのかもしれない。
どんなに年をとってもちっとも知恵が付かないおばさんが居ることは認めます。




どの世代にもモノが分かる人と分からない人とがいる。
若いうちはモノが見えない人も年を経るごとに次第に分かって来る人もいる。
だからやはり「若い人よりは年輩者の方がモノは分かる」と言えます。
勿論全員では無いですよ。




上の記事の<「ビル」事例8>(2013年1月28日〜30日)の方などは
半年足らずで、その方がいるフロアが1Fから2Fに上がったことになり
この方は「分かることが出来る人」なのです。
今まで分かることが出来なかった理由は「分かり方が分からなかったから」です。

私が「型紙を友人に頼むのがよほどのことだったAさん」の件を分かるのに
30年掛かっていますから、この「スピ臭」の方がたった半年で分かったことは
どれほど素質が良いか、お分かりいただけますね?



このようにものが分かるということは時間が掛かる。
分かるためには「自分が分からない人間であること」を受け入れ
本気で「分かろう」としない限りは、分かりません
<感想>(2013年2月8日)


「星舟庵〜せいしゅうあん〜」のゆみさんから感想が来ました。

PANDORAの<ビル事例12>の洋裁の話、

勝気な40歳が、洋裁に関して

自分よりかなり年下の子の能力が上だ、と認めたから頼んだ。

40歳が25歳を洋裁の分野で「自分より上だ」と

言わば膝を折った形、それが「よほどのこと」だと55歳女性は

言いたかったんですね?

◆そういうことだね。

  いくら年上でも心が素朴なら「教えて〜」「頼む〜」で済むよね。

  でも、この40歳女性は勝気だそうなので

  そこにかなりの葛藤が有ったんだろうね。




<「ビル」事例13>(2013年3月8日)


「その場に居る殆ど全員が分かっていることなのに、一人だけ分からない」
ケースが有ります。
これは多いですね。
たとえば「クラスに(最低)一人」は必ずそういう生徒が居ます。


登校拒否の親。
これなどは「殆どの親が無意識にクリアしていることをクリア出来てなくて
それを分かってない親」の子は全員では無いが、条件が整えば
登校拒否になります。
(※この条件というのは・・・
   もしこの子が病弱なら病気になるし
   程度が低ければDQNになり犯罪者に向けて人生が開けるなどするので
   これらの要素が無い、というのがその条件です)


子供を登校拒否にさせる親は「普通の親が分かっていることが分からない」レベルに有る。
では何を分かれば良いのか?
と訊かれても困る。
何を・・・というようなものでは無いからです。

物事の分かり方のレベルを上げないと登校拒否は治らない。
普通に登校させている親が、登校拒否の子がいる親に
「ああしたら」「こうしたら」と指摘出来るようなものでは無いので
「自分がいったい何を改善したら良いのか」さっぱり分からない。
だから改善は非常に難しい。


5F   
4F   
3F   
2F 子供を登校させている親(多数)
1F 子供が登校できない親(少数)

子供の登校拒否を治したいのなら、親が2Fに行かなくてはならない。
親が1Fに居ながら何をどう、改善してもそれは「そのフロア内のこと」です。
そのフロアから出なさい、2Fへ行きなさい、と運命が言っているのだから
そこをまず分からないと改善しません。




ところが1Fに居る親は大抵は「自分は悪くない」「悪いのは子供だ」と思っているので
なかなか2Fに行こうとしません。
だから改善しないのです。

たとえば自分の子が登校拒否になった。
子供を普通に登校させているよその奥さんがいろいろ忠告してくれた。
治したい一心でその奥さんの言うことを素直に聞いた。
そして「悪いのは子供では無いのだ」「学校へ行かないことはそれほど重要では無い」と
分かった人がいます。
(※この場合、学校へ行かないことは悪いことだ、という、
   強烈且つ無意識の思い込みが有るんです。
   そこらへんも子供を普通に学校に通わせている、他の親と違う。
   学校に対する、いや、学校だけでなく、様々なことに対する意識が幼いのです。

   なのでまず、そこから改善しないとならないので、
   学校へ行くこと=良いこと
   では有るが
   学校へ行かないこと=悪いこと、恥、有ってはならないこと
   という思い込みを外すために忠告するわけです)


で、その人は「悪いのは子供では無い」し「学校へ行かないことはそれほど重要では無い」と
分かり、そう「思った」のですが、すると今度はその人のもう一人の子までが
登校拒否になりました。


その人は1Fに居ながら(本当は分かってないのに)2Fに居るような気(錯覚)が
していただけでした。
無理矢理自分に思い込まそうとしたのです。
だから、もう一人の子までが学校に行けなくなった。
だって、親が何も分かってないのに分かった気になってしまったから
今度はさらに事態を悪化させる必要が生じるわけですよ。
勿論これらのことは全て無意識に行われているので
拒否っている本人(子供達)には何の自覚も有りません。




その人は泣きました。
そして自分が自分にウソをついていたことをやっと自覚したのでした。

これで登校拒否は治ったか?

いや、まだまだです。

一つ二つの事案が「分かった」くらいでは登校拒否(も、その他も全て)は
治らないのです。

何度も書きますが、「それ」を分かれば良いというものでは無いのです。

親が1Fから2Fに行かないと登校拒否は治らない。




悪戦苦闘すること10年。
その人の子供の登校拒否は治りました。

10年は長いか?

いいえ。これくらい掛かると思います。
刑務所でも、囚人を10年入れておかないと治らないそうです。
相似象も「まずは10年やってくれ」と、宇野女史は言っていたそうです。
人の心が変るには最低でも10年は掛かる、という見本ですよ。

何かやっても10年何もしなくても10年はあっと言う間に経ってしまう。
それなら「自分の波動を上げる」10年にした方が良いと私は思う。



波動を上げなければ何の専門家になろうと、何をしようと1Fの住人なのです。
他の人が2Fに居るような、このような場合、2Fの人達は1Fの人達に対して
説明のしようが無いので途方に暮れます。
マトモに相手をしてくれる人はしだいに減っていくことでしょう。
いくら言語で説明をしても、概念が掛け離れているので、理解しないし
下手をすれば拗れてしまう。
それは避けたい、と普通(2F)の人は思う。

何もしなくていいし、何の専門家でなくてもいい。
波動を上げればいつの間にか自分が2F(それ以上)の住人になっていることに
気付く日が来る。

<「ビル」事例14>(2013年3月8日)


「その場に居る殆ど全員が分かっていることなのに、一人だけ分からない」
ケースが有ります。
これは多いですね。
たとえば「職場に(最低)一人」は必ずそういう社員が居ます。


私が良かれとおもってしてきたことが、実は周りをイラつかせていたと言われて倒れそうです

2013年02月26日 19:05




必要無いとは思いますが念のためにビルの図を書きますね。

5F   
4F   
3F   
2F 世の多くの人、普通の人、人並みの人
1F
【キジョ】スレ立てるまでもない悩み・相談81【限定】の相談者

「空気読む」という言葉は、或る面ではこのような現象
(多数に分かり例外には分からないこと)を言い得ています。
全くイコールでは有りませんが。




この相談者は善人なので周囲の心有る人、他人に忠告出来るだけ強い心を持った人、
アッタマに来た人だけが例外的にこの方に忠告してくれますが
あとの人達は
「我関せず」という態度を貫くのが普通です。
だって、言ったって分からないんだもんw
分からない相手に説明をしても、その説明を理解しないので
下手をすれば拗れて逆恨みされるので、多くの人はこういう人には何も言いませんね。
よく
「本当のことを言ってくれるのは十人に一人」と言いますが、このことです。

この相談者、会社内でも分からずやで孤立していて、
困って2ちゃんに助けを求めたが
そこは完全に「言語だけ」の世界なので、さらに理解は難しい。
毎日対面していて分からないものをネットで分かろうとするのは非常に難しいと思います。
しかし、この場合分からなくても仕方ない。
2ちゃんで多くの普通の人人並みの人から「アンタが悪い」と言われて初めて
「今まで意地悪な周囲のせいだと思っていたが、違うのかもしれない」と思い至れば良い。
ていうか、それしか出来ない。