相似象の考え方8




思いつくまま書いています。
ここに書いてあることは私なりのサトリに基づいているので決定されたものではありません。
あくまでも一意見として参考にしてください。

記事は下に追加されます
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相似象学会誌「サヌキ・アワのサトリ」を抜書きしているブログ

<サヌキ・アワ>(2013年4月15日)


サヌキ、アワという考え方は簡単なようで意外と難しい。
相似象の本には
「低次のサヌキ人間ほど自分をアワ人間だと勘違いする」と書いてあります。

サヌキ人間は
自分>相手(他人)

アワ人間は
相手(他人)>自分

ナンだ簡単じゃないか、と思うかもしれませんが、
人間はそんなに単純なものでは無いので分類は難しい。

<低次と高次>(2013年4月15日)


低次と高次の二種類があって、人間はそのどちらかに属している、というわけでもありません。
最低の低次から最高の高次まで無数の段階、それこど人間の数だけ段階が有る。

<分類>(2013年4月15日)


では何故、何のために人間をサヌキアワで分類するのだ、といえば
「人間を知るため、理解するため」です。
学校の勉強やその他の知識を基にした学習では使わない分野の頭を使い
頭(脳)を訓練するためです。

その結果思考力、判断力が増し、結果的に精神が向上します。

<向上心>(2013年4月15日)


普通言うところの「向上心」とは目に見える分野で向上すること。
たとえば
○成績を上げる(学校でも会社でも)
○数字を増やす(金銭を増やす=数字を増やす)
○目に見える分野での向上
  きれいにする、モノを買う、所有する、どこそこに住むなど

長女が言ってましたが、ラジオか雑誌か忘れたがそういうところで
40歳以上の男性が「今の若者は向上心が無い」と言っていたそうです。
この40代男性が言う向上心の中身は
「免許を取って車を買って乗る」
「働いて金を貯めて家を買う」
などです。
全て目に見えることです。
長女はこの40代男性の思考力の浅さに呆れて
「そうじゃないんだけどなあ」と言ってました。
が、この40代男性に「今の若者は向上心が無いのではないのだ」と説明をしても
この男性の定義としては「向上心」とはそういうものになっているので
言葉の感覚と定義が違うので理解させるのは不可能でしょう。

相似象で言うところの「向上心」とは「波動を上げること」です。
波動が上がった結果、自分の環境が改善し
結果的には見た目も向上する場合が有る。
(勿論見た目などどうでも良い、と本人が思っていればそういう結果にはならない)

<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする1>
(2013年4月24日)


相似象に「低次のサヌキ人間ほど自分をアワであると勘違いする」
と書いてあるのでどういうことか考えてみました。
これは私の意見であって相似象には書いてありません。

下に例を挙げてみます。
これは架空の話で、人間の多様性は「人の数だけ有る」と思うので
下の例は「そういう傾向が有る」程度に受け取ってください。



AさんがBさんに「どこそこに旅行に行きたいな」と言った。
Bさんも「いいわね」と答えた。
Aさんは「一緒に行こう。じゃBさん、旅行の計画立ててね。
 乗り物とホテルの予約もお願いね。」
Bさん「アタシがやるの?」
Aさん「だってBさん、そういうの得意じゃないw」




「スカっと速報」「本当にやった復讐」「修羅場速報」「キチママまとめ保管庫」
にありそうな話です。
世の中には本当にこういう非常識な人間は居るのです。
杉下右京ならここで「は〜い〜?」「それ、本気で仰ってます?」と言う場面です。
私がBさんだったら
(Aを殴ってやろうか)
(それとも怒鳴るだけにしておくか)
(待て待て、しばらく様子を見てみよう)と考えますが
それは私が低次元なサヌキ人間だからで
世の中の人全員がそう考えるわけではありません。




まず、Aさんが「低次のサヌキ人間」であることは間違い無い。
低次と言っても様々な段階(レベル)が有りますが。
このAさんは物事が殆ど分からない「我よし」「自己中心」「利己主義」で
Bさんを思いやる気持ちが殆ど無い低次のサヌキ人間の典型です。

次にBさんですが、様々なタイプに分けて考えてみましょう。


<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする2>(2013年4月24日)


Bさんが低次のアワ人間の場合。



これも全員がそうだというわけではなく、やはり様々な段階(レベル)が有りますが。
Bさんは常に他人のためになろうとしています。
他人が喜ぶのを見るのが嬉しいので常に奉仕の精神と態度でいます。
だからBさんはAさんが言い出した旅行でも、Aさんに頼まれると
嬉しいし、Aさんのためになりたいし、喜んで旅行の計画を立てます。

ところが旅行先で・・・Aさんは「乗り物の席が悪い」「宿の飯が不味い」と文句を言います。
Bさんの「真心」を無にされた、台無しにされたわけですが
その時Bさんが低次のアワ人間なので自分の真心がAさんに通じないので悲しくなります。


悲しくなりこの件について考えます。
そして判断力がつけば「今後、Aさんとは付き合わない」方向に持って行こうと思います。
自分からは絶交しませんが徐々にAさんの目の前から消えて無くなろうとします。

或いはほとぼりが冷めた頃、またAさんから電話をもらい
断れなくてまた相手をしてしまいます。
そして今度は「ナニナニの○○」について、また面倒をBさんに押し付けようとします。
Bさんは断るのですがAさんに押し切られてしまい、またナニナニの○○をさせられる。

Bさんがハッキリ断れば良いのに
「他人と敵対することが本能的に出来ないアワ人間」なので断れません。
ここでBさんが
「断ることは他人と敵対することでは無い」というサトリ(理解)を
得れば良いが、それができないのが「低次元」なのです。




Bさんが何事かをサトリ自分の考えを変えない限り
たとえAさんと離れても次に登場するCさんがこれまたAさんと同じタイプなのです。
いや、Cさんだけでなく、Bさんが心を変えない限りで会う人は皆、Aさんタイプであると言えます。
Bさんの悩みの原因は相手にあるのではなく、自分の性格なのです。

世のなかにはAさんのような人とBさんのような人との組み合わせが大変多いですね。
何故か一緒に居てAさんが常に得をしBさんが搾取されています。
AさんにとってBさんは便利な奴隷であり
BさんにとってAさんは上の赤い文字の部分を悟るために必要な「悪」なのです。


実例

※私の知り合いのBさんは、Aさんから何度も寸借詐欺をされていましてw
  それを私に愚痴っていたのですが、私はAさんから一度もそういうことをされていません。
  では誰が悪いのでしょうね?
  煮え切らないBさんが自ら進んでAさんの餌食になっている面が有るのではないでしょうか?


※Bさんと会うたびにBさんがAさんからこんなことをされた、と愚痴るので
   私はBさんに説教をかました上で、今度Aさんと会ったら絶対やれ、と
   ある知恵を授けました。
   それが出来なきゃあんたは一生Aさんにやられっぱなしだ、と言いました。
   Bさんは勇気を奮って「スーパーのレジの前でAさんに金を返せ」と言いました。
   Aさんは鬼の形相で返してくれたそうですw

※アワ量多い低次のサヌキ人間はアワ量、つまり心や思いやりは有るが
   それがサヌキ性=男性的でさっぱりしているのです。
   Bさんに同情することはなく、Bさんにしっかりしなさい、と激励します。
   Bさんが決心して動くなら協力しましょう、という態度

※おっちょこちょいの傾向が有り後悔することが多いのだそうです、
  アワ量多い低次のサヌキ人間。
   でも上のように即座に行動を取れるのもそのタイプで
   立派な人格者では無いが役に立つ

※世の中には、この可哀想なBさんを助けて、Bさんの代わりにAさんに文句を言ってあげる
  という行動を取る人が居ますが、それだとBさんは
  いつまでも「そこ」(その境地)に留まるので根本的に解決しません。
<感想が来ました>


Kさんから。



私、昔はAのような人がいれば、まるで修行のようにその人の言われるままに
なってました。みんな当然Aからは離れていくのですが、なぜかその人から
離れることが悪のように思っていました。離れるどころか自分から近づいていた
ような気がします。馬鹿だったなぁと思います。

「断ることは他人と敵対することでは無い」
本当にそうなんですよね。そうすると段々と楽になっていくんですね。
そして楽になるのは自分だけでなくて、周りもですね。

でしょ?でしょ?
低次のアワ人間はサヌキ人間はしない苦労をする。
苦悩を抱えるので、ぜひとも自分の生まれタチの好み
(アワで生きること、それしか知らないこと)にふけらずに、意識化してみてください。


すいません、また話が長くなってしまいました。



私、相似象をifさんの記事で知ったときに、自分を「低次のアワ人間」だと
思いました。

今回の記事を読んでいても
>自分の真心がAさんに通じないので悲しくなります。
というのが良く判るのです。

ただ
>「これをやったらAさんは私に感謝する」とこれまた自己中心に思います。
というのも良く判るのです。
「今度は自分が得をしよう」「50:50ね」「感謝しなさいよね」
…とっても良く判ります。

「低次のサヌキ人間ほど、自分をアワ人間だと思う(勘違いする)」

改めて自分はどうなのか考えてみようと思います。




Kさんは低次のアワ人間だと思います。
低次元というのは人間性が低い・・・のではなくて、物事が分からない、という意味です。
物事を分かっていけばだんだん高次に近づくので。

ただ
>「これをやったらAさんは私に感謝する」とこれまた自己中心に思います。
というのも良く判るのです。
「今度は自分が得をしよう」「50:50ね」「感謝しなさいよね」
…とっても良く判ります。


それを思う、自分の意識が重要です。
サヌキ人間の言動行動にはアワがまとわりつかない。
アワ人間の言動行動にはアワが巻いている。
何をするにも「心」「思い」「真心」がついているのです。
サヌキ人間にはそのようなものはつきません。

ただ、やりたいからやる、これだけです。

これをやったら相手は喜んでくれるだろうとは低次元のサヌキでも
アワ量多い低次元のサヌキでも思うのですが、その思い方にアワが巻いていないのです。
ここらへんの理解(サトリ)がちょっと難しいかな。

自分を理解することは難しいが、頭の訓練になるし、ぜひともやってみてください。
やると言っても特に何もしなくて良いのです。
ただ意識化すれば良いだけです。
簡単でしょう?


多くの人が自分を知らず、他人も知らず、何も知らないで考えないで生きています。
それをしていると50歳を過ぎても知恵が無く、「自分には分からないことは無い」などと
無意識に思っている中年になってしまう。
それを予防するためにも、考えて生きた方がいいです。

<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする3>
(2013年4月24日)


BさんがAさんと同程度の低次のサヌキ人間の場合。



Aさんが「旅行の手配やっといて」と言った時点でBさんは怒り心頭。
文句を言って喧嘩をし絶交するでしょう。
そしてその後BさんはAさんの悪口を皆に言い触らします。
Aさんも負けじと皆にBさんの悪口を言いふらします。
同じレベルとタイプの組み合わせ。
同レベルだとすぐ仲良くなるが、お互いにアワが足りないので
その友情は続かない。
離合集散が激しい人達。

<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする4>
(2013年4月24日)


さて、ようやくタイトルのケース。
「低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする」場合です。



Bさんは低次のサヌキ人間ですが、Aさんよりちょっとマシだった場合。
Aさんに「旅行の手配」を頼まれたBさんは低次元ですから
「今回私が手配をすれば次回はAさんが手配をするだろう」と勝手に
頭の中で妄想して決定します。

或いは「これをやったらAさんは私に感謝する」とこれまた自己中心に思います。
別に恩に着せるわけではないが、Bさんの価値観ではそうなっているからです。
これもかなり自己中心です。

低次元の人は大抵これをやっています。
常に「自分に都合の良い解釈」をしています。



で、Bさんが旅行を手配してAさんと旅行したら
お互いに低次元(物事分からない)ですから旅先でトラブります。
旅行中に喧嘩をして口もきかないで現地で別行動。
帰ってからAさんとBさんはそれぞれ相手の悪口を友人知人に言い触らす、と。

Bさんの思いとしては
「アタシがあれだけ一生懸命、苦労したのに、それをAのやつが貶した、許せない!
 アタシは全然悪く無い」というものです。
アタシが被害者だ、アタシは可哀想、と延々と思います。
なのでこの可哀想な自分を周囲に認めて欲しくて、多くの人に愚痴ります。



相似象に「
低次のサヌキ人間ほど、自分をアワ人間だと思う(勘違いする)」とあります。
このBさんのようなタイプです。

もしBさんがアワ人間だったら旅行の手配をするのは真心、思いやりからですが
このBさんは低次のサヌキ人間なので「今度は自分が得をしよう」
「50:50ね」「感謝しなさいよね」と思っているのです。
勝手にw
(勝手に思うところが低次元)

勿論、意識としてはBさんに真心や思いやりが1ミリも無い、ということでは無い。
そこにはたしかに人間の心のようなものが有ったのでしょう、1ミリくらい。
たった1ミリでもBさんにとっては「最大限の思いやり」なのです。
だからBさん本人としてはその最大限の(1ミリの)「心」の分だけ
「相手を思ったのだ」という実績になっていてそれを「Aさんは裏切った」ことになる。

低次のサヌキ人間ほど、自分を「アワ人間」だと思う仕組みはここらへんに有ると
私は思っている。



※ケースはいろいろ有ります。
  たとえばBさんがAさんから旅行の手配をして、と言われた時点で怒り狂い
  喧嘩になり、その後、Bさんが皆に「Aにこう言われた」と愚痴る場合も
  Bさんの思いとしては自分は「アワ人間」つまり「心有る人間」となっているものです


<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする5>
(2013年4月24日)


ではBさんが高次元のアワ人間だったら?


その前にAさんが子供だったら、と仮定します。
その場合、低次のサヌキでアワ量多い私でも「子供だから」と大目に見ます。
だって子供はやれないことが多いので、そこらへんを頭(サヌキ)で理解し
代わりにやってあげます。
だって子供には旅行の計画など出来ないんだから。

あくまでも子供には旅行の手配は出来ない、ということを「頭」で考える。
さらに「出来ない子供のために」「子供が喜ぶ顔が見たい」というのは
「アワ量」がなせるわざです。

ただし私に旅行の手配をさせておいて、文句を言ったら相手が子供でも許しません。
それは自分がムカつく、ということもあるが
その子供がそのような心得違いをしていることは「本人のためにならないから」です。
なのでサヌキ性を発揮して、その心得違いを矯正します。

説明だけで分かればよし。
わからねばさらなる刺激を与えなくては、と思います。


つまりサヌキであっても常に「相手のために」と思うのがアワ量多い低次のサヌキ人間です。
自分がムカついたからと喚き散らすことは有りません。
常にさらなる向上を、と思っているのです。
(とは言え。
  アワ量多い低次のサヌキ人間にも様々な段階が有るので、
  これまた一概には言えません)




しかし、頭人間であるサヌキ人間の場合、相手が大人だったら
「出来ないから」などとは思いません。
得て不得手が有ることは頭で理解する。
だから相手が「どうしても出来ない」場合にのみ、出来る人間として協力はする。
が、あくまでもそれは頭の作業です。
相手のAさんは子供では無いのだから、してあげて喜んでもらおう、などとは
理屈から言ってもおかしいからです。
と、頭で処理するのがサヌキ人間です。
(頭が良い、悪いは関係ないのです。
  心ではなく頭で処理するのがサヌキ人間です)



ところがBさんが高次のアワ人間だったら?
相手が大人であっても「心で」「真心で」「思いやりで」やってあげようとします。
そして旅行に行ってAさんが不平不満を言っても怒ることは無い。
悲しくなる(残念に思う)かもしれませんが。

Bさんが手配した旅行に文句を言うようなAさんが再びBさんに旅行の手配を頼んだら?
Bさんはどう思うでしょう?
Aさんが満足するよう、今度はきちんとやろうと思うのでしょうか?
自分より高次元の人の反応など私には想像を絶するので分かりません。

<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする6>
(2013年4月25日)


Bさんが高次のサヌキ人間だったら。


高次元と低次元の違いは判断力が有るか無いかと
感情的になるかならないか、の違い。

Bさんが高次元のサヌキ人間だった場合、Aさんが「自分から言い出したくせに」
「旅行の手配を全部Bさんにさせた挙句」「不平不満を言った」としたら
Bさんは怒りません。
が、そういうことをするのは「Aさんのためにならない」ので優しく諭すのではないかと。
それでも相手が理解しない場合は(大抵しないが)BさんはAさんに教えるのを諦める。
と、思う。
だってそれしかやりようが無いから。

<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする7>(2013年4月28日)


自分がアワなのかサヌキなのか分からない、
上の記事を読んだらさらに分からなくなった、という人がいるので
アワ人間の特徴を相似象に書いてあったことを思い出しつつ、それを基に書いてみますね。

◎アワ人間は、一人で食事が苦手。
  それは一人でこんな美味しいものを食べる、ということについて後ろめたさを感じてしまう。
  この美味しい料理を家族などとともに分かち合いたいと思う。
  まあ、美味しくなくても普通の食事でも、これ(食事)を誰かと一緒に楽しみたい、と思う。

◎アワ人間は褒められるのが苦手。恥ずかしい。
  褒められると穴があったら入りたくなってしまう、身の置き所がなくなる。


私の友人のアワ人間は、私が褒めると「全力で否定」しますw
いつもおとなしくて自己主張などしないのに、褒められると凄いのです、そのパワーが。
このパワーを他のところ(自己主張しなくてはならない場所)に
使えばいいのに、と私は思ってしまう。
しかしそれが出来ないのがアワ人間なのです。


◎何をするにもそこに「心」(アワ)がまとわりついている。
  ただ単にそれをすることが出来ずにそこに万感の思いを込めたりする。


たとえば料理。
サヌキ人間の場合「空腹を満たすため」「腹が減ると動けなくなるのでそれを防ぐため」
「死なないように」食事を作りますが、アワ人間はそこに「心や思い(アワ)」を込める。
そのアワとは
○喜んでもらいたい
○美味しいと感じてもらいたい
などです。
なのでその料理に対して「美味しいね♪」と言われないと不安になります。
相手が満足してくれないと不安で(不味かったのだろうか?)と心配になる。
量は充分足りていただろうか?とか。
(こういうことは言いたくないが、それ、サヌキにアタシから見たら全部余計な情報です。
  足りないなら当人が「足りない」と申告すればよい、と思う。
  黙っているってことはその量でいいのだろうと思う。
  そしてもし、相手が「実は足りなかった」と後で言ったら
  「その時言え、ばか者」と言うか思うか。
  アワ人間は後から相手が「実は足りなかった」と言ったら、自分が悪いと思って
  ひたすら恐縮してしまう)




なので万感の思いを込めた何かをサヌキ人間にあげたとする。
サヌキ人間にとってはそれは普通の「モノ」ですから「さんきう」とか言って受け取ります。
アワ人間にとってのモノには万感の思いが詰まっている

(まとわりついている、アワが巻いている)

サヌキ人間にとっては他のものと変らない「モノ」です。
ここで低次元のアワ人間だったら、
自分があげた万感の思いの詰まった(巻いた)モノに対して
相手が素っ気無い態度をすれば
「自分の思いを無視された、分かってくれない」ということになり
アワ人間なら悲しくなります。
(※アワ人間にもいろいろあり、相手の反応がどうであろうと、その相手の態度を受け止める
   アワ人間も居るし、相手が素っ気無くても気付かないこともあるし
   一人のアワ人間でも様々な条件の下に様々な心の態度を取りますから
   一概には言えませんが)

<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする8>(2013年4月28日)


で、自分をアワだと思っていることが多い低次のサヌキ人間の場合も
たとえば相手にモノを上げたりする場合、そこに自分の思いを込めるわけです。
その「思い」がたとえ「心」とは言えないような代物であっても
(※相似象で言うところの「心」とは人間の心のこと。感情では無い。
   判断力を備えた、モノの分かる、人間の心のことです)

当人にとってはそれしか知らないのでそれが「心」です。

当人なりに「心」
(アワ、乏しいアワであるがそれしか知らない)を込めたのに
それに対して相手の反応が「素っ気無い」と感じれば「自分の思いを無視された!」と
怒りの気持ちが湧く。
相手には相手の事情
(性格的なものや文化的なもの)がある。
何故、他人が自分の価値観通りに行動しないとならないのか、と考えない、自己中心。
それが低次のサヌキ。
(事例は「スカっと速報」などに沢山有ります)

<低次のサヌキ人間ほど自分をアワだと勘違いする9>(2013年4月28日)


アワとサヌキの違いはあれど、両者とも
「相手が自分を分かってくれない」
「相手が、自分の期待通りの言動と行動をしない」
と言って(思って)不満を抱く点では全く同じ、同レベルです。

だから両者は一見似ているので、低次のサヌキ人間ほど
自分をアワであると勘違いをするのです。
自分を客観視出来ないことが原因です。

そこ(その境地、レベル)から抜け出すには、一刻も早く判断力をつけ
相手が自分の思った通りの言動と行動をしなくても
(ああ、相手は分からないんだな)
(これを分かるための判断力が無いんだな)
(相手は判断力が乏しいんだな)
と、こちらが分かるしかない。
それが出来る方向に生きることが望ましい。

PANDORAのお客さんで以前は低次元のアワ、サヌキだった人でも
その多くの人が相手の判断力のレベルを思いやるまでに成長しています。
そしてその結果生きるのが楽になっています。
以前は思ったって仕方の無いことに躍起になっていたのです。
そこ(その境地)から抜け出ることが出来て本当に良かった。
後は(今後の人生では)それ(自分の波動量を増すこと)を続ければ良い。

<体感>(2013年4月28日)


高額なセミナー合宿に三泊四日参加しても、それ(波動量)は身にはつかないでしょう。
短期間で頭に叩き込めば頭(イ)の次元の理解に留まるだけです。
身(ミ)の次元に届かせるには時間が掛かるのです。
勿論、その高額のセミナーは、そこで教わったことを習慣にして
半年〜一年続ければ、いつかミにつきます。
だからそういうセミナーは最初の起動というか、
エンジン始動の意味ではよいかもしれない。
でも、それをするのは「自分」なのです。

だったらセミナーに参加せずとも自力でやれるはずですよ。
自分の意識を変えるには高額なセミナーは要りません。
本を読むだけでもOKです。
相似象は最適です。

ただ、実地で覚えること目にすること耳で聴くことも良い刺激になります。
ネットや本だけでは分からない、体感できないことがある。
また自分を観察してもらえるという利点が有ります。


その一助としてPANDORAでたまに「お話し会」を開き、ネットや文字だけでなく
体感をしてもらっています。
たまにウチに遊びに来る方も居ます。

しかし体感しても体感するだけに留まってしまう人も当然居ます。
お話し会に参加しても自分が何かを感受しなければ、参加して終わります。
ウチに遊びに来て何泊かしても「ただ宿泊するだけ」になっている人もいます。
相手(私とか)が何かを自分に教えてくれるのではないか、と期待していたら
ほぼ100%裏切られます。

相手は自分を物事が分かる人間にはしてくれない。
相手は自分が期待したとおりには動かない。
(※たとえば私が何かを教えてくれるとか、です。
   相手が質問もしないのに私は何を教えたら良いのか?
   何かを期待していて、それが何か分からない、という人がいます。
   こういう人は何をしても買っても参加しても殆ど効果は無いでしょう。
   まあ、それを知るためにセミナーなどに参加することも良いけれど)

動かしたいのなら、自分が発言しないとね。
それが分からない人はお話し会に出ても手も足も出ず、そこに居るだけになってしまう。
或いははしゃいで笑って楽しんで終わる。
それでもいいです。
楽しみ方は自由ですからね。




しかし中には・・・というか多くの人がお話し会に参加して何かを感受し
終わってからじっくり考え波動を上げているようです。
その何かとは・・・
たとえばお話し会に参加したが凄く緊張してしまい、
周囲の人に話しかけることも出来ず、ただ時間が過ぎてしまった。
焦るだけで何も出来なかった、という人は初めて参加した場合に多いです。
その時
(誰も私に話しかけてくれない!)
と不満に思って
(二度と参加するもんか)
と思うのも自由です。
でも
(誰も私に話しかけてくれなかった)
(でも、私も誰にも話しかけなかった)
(今度は私が勇気を持って話しかけてみよう)
という方向に考えることが出来ればいいですね、自分のために。




もし主催者(アタシのことだ)が優しく気配りするアワ人間だったら
一人ぼっちで居る人を「可哀想に思って」世話をすることでしょうが
それをすると、その参加者は「してもらうこと」が当たり前になってしまう。
この社会で大人で居たら、本人が何もしなくても
周囲が何かしてくれる可能性は低いので
もしそのような心構え(誰かが自分に何かしてくれる)で生きていたら非常に不味い。
だからあえて私は何もしません。
本人のために、ですよ。
(ま、面倒臭がりだから、という理由の方が大きいが、
  逆を言えば、こういう性格なのでボッチの人を
  放置していても何の罪悪感も感じない
  そこがむしろ良いのだ、と思っているわけです)
(低次のサヌキ人間はこのように自分の行動を常に自分に都合良く解釈しています)




その結果、参加者の多くがその体験を活かせているので良かったな、と思います。

<アワ人間の実例>(2013年6月13日)


この方は典型的なアワ人間ですね。
「言えない人と言える人」

アワな人は文句は言えない。
言うときは最後の最後。
言わないで済む方法を考える。




http://ameblo.jp/holypurewhite/entry-11550303655.html
この記事で男性が読むかもしれないのに
生理のことを書いていることを
ちょっと恥ずかしがっているところがアワですね。
私は男性が読むかもしれないのに
金●蹴り上げる話を書いても平然としているのはサヌキだからです。
さらに言うと、そんなDV野郎は
蹴りあげただけじゃ足りない、と思っていますがそれも私が

サヌキだからです。



上の記事の管理人さん女らしくて優しくていいなあ、と思います。
でもそういうのが裏目に出るのでしょうか
離婚を繰り返す人、女らしい人が目立つのです、私から見ると。
男から理解できないような独特の思考方法だからかなあ、とも思うが
真相は分かりません。


いや、サヌキ女も離婚をします。
「亭主が働かないから追い出した」というのがありました。
二件くらい知っています。
うちの近所のサヌキ奥さんも離婚したようですが
これも旦那が家から出て行ったので追い出したのでしょうな。

アワでもサヌキでも離婚する、ということで。

<2Fから1Fは良く見える>(2013年7月7日)


2Fから1Fはハッキリ良く見えるが
1Fから2Fは見えない、という事例。


「En”Dolphin”」

****今日のつぶやき***********************
★7月6日


<サヌキもアワも同じ行動をするが中身が違う>(2013年7月10日)


念のために書いておきますね。

サヌキが厳しくて(低次元の場合は意地悪になる)
アワが優しい傾向にありますが、行動だけを見ればその差は取れないのではないか。



たとえば「親切」。
サヌキの人は親切です。
勿論他人に親切が出来るまでの波動を獲得した人のみに言えますが。
アワの人は優しいが、全員親切とは言えない。
親切をするにはそれを出来るまでの波動が無いと無理なのです。

サヌキの人は不親切だと思っている人がいるかもしれないので
一応書いておきますね。
またアワの人は全員親切だと勘違いをしている人がいるかもしれないので
一応書いておきます。

さて、親切を例に挙げましょう。

サヌキの人もアワの人も「他人に親切を出来るまでの波動を獲得した人」なら
親切が出来ます。



しかしその親切の中身が違うのです。

サヌキの人の親切はサヌキであり、アワの人の親切はアワなのです。

ここがサヌキとアワの人の違いです。

サヌキの人の親切は親切をする(実行する)ことで完了する。
親切をすることが目的であり、それ以外には無い。
(低次元のサヌキになると、自分がした「親切」に対して相手が応えないと
  途端に不機嫌になる。それを低次元と言う)


アワの人は自分がした親切によって相手が喜んでくれるのが嬉しい。
喜んでくれないと悲しい。
この感情には様々な段階が有ります。
高次になると相手から感謝されようと言う気は無くなります。
それを超えているからです。
だから低次元のアワの人よ、一刻も早く波動を挙げましょう。
自分のために。

<好みにふける>(2013年7月10日)


自分がした親切を他人がどう思おうがそれは相手の自由だ、と私
アワ量多い低次のサヌキ人間は思う。
(ただの低次のサヌキでは無いので他人に親切をすることが出来る)
なのでその反応が思いも寄らないもの、たとえば逆恨みなどであった場合でも
(あ、そう)(分からないんだな)
(相手が分からないのだ、ということが分かった)
(これで一つ情報が増えた)(良かった良かった)(収穫が有った)


あくまでも「頭」で処理します。
そりゃあ、多少はムカつきますよ。(いや、とてもムカつくがw)
結論は「ま、いいや、勝手にしろ」で終了する。



ところがアワ人間の場合は相手が自分の親切を分からず
あまつさえ逆恨みをしている、と知ればこの世の終わりが来たような気になる。
アワなので心のダメージが大きい。

そこへ私のようなサヌキ人間が「そんなの放置しろ」とアドバイスをしても
アワだから放置(突き放すこと)が出来ない。
まとわりつくのがアワのタチだからです。
本質的に出来ないのです。


難儀ですね。



いつまでもうじうじしている人、ぐだぐだ言っている人に対して
最後には「いい加減にしろ!」と怒鳴るのがサヌキ。
怒鳴られてもさっぱり出来ないのがアワw




だから仕方ないのだ、とは宇野女史は書いていません。
そういうタチなのは分かるが、そこ(そのレベル)に居てはいけない。
アワなんだから、サヌキなんだから、と諦め
自分を甘やかすことが低次元なのです。

自分のタチを知り、それを意識化してそこ(そのレベル、波動)から
抜け出しましょう。

<低次のサヌキは自分をアワだと勘違いする>(2013年7月10日)


アワの人の親切は、自分が他人に対して行う親切に「心」それをアワと言いますが
アワが篭っているのです。
アワの人の言動行動には必ずアワがまとわりつく。
心をこめて、行う人です。
アワの人は他人に対して常に優しく奉仕の心で生きていますが
厄介なのは低次元のアワの人は自分がした親切に対して相手が応えてくれないと
(つまり、分かってくれたり、喜んでくれたり、感謝してくれたり)しないと悲しくなる。

見かけは同じ親切ですがその性質は全く違う。

ここで一つ。
低次元のサヌキ人間は自分がした親切に対して相手が気付かないと感情を害す
=怒る
低次元のアワ人間は自分がした親切に対して相手が気付かないと感情を害す
=悲しむ


怒るのも悲しむのも感情を害すという意味では同じです。
同じレベルの人は同じ反応(思考)をするものです。
なので低次元のサヌキの人の多くは自分を客観視できないので
「自分を他人に親切で優しいアワ人間である」と勘違いをする。

これは本当で私は今までモノごとが分からない人達が自分を「優しい」と
評していたのを数例知っています。
その都度私は
「はああ?どこが?」という反応(をするところが低次元のサヌキ)
(アワ人間なら???と思っても黙っているw)



<相似象の用語と一般の言葉>(2013年11月2日)


相似象では一般の言葉を使いますが意味は一般的では無いことが有ります。
そこらへんをきちんと理解しないと何も分からない。

<「心ある」について>(2013年11月2日)


一般的に言うところの「心ある」状態とは
思いやりがあり優しく親切な様子を指すと思うが
相似象ではそれは勿論ですがそれだけでは無いのです。
そこに「波動量」を足します。

分かりづらいと思うので事例を挙げます。
私の友人の体験談です。



今から30年ほど前のこと。
私の友人のMさんは結婚したばかりだった。
Mさん夫婦は関東住まいだがご主人の実家は西日本の遠いところだった。
ご主人は次男だから家を継がなくて良いが年に二回は実家に帰省したい。
(Mさんが魅力的なので家族や親戚に自慢したいことも有ると思う)
Mさんがご主人の実家に行きたくないとか行きたいとかは
ここでは問題にしません。



さて、ご主人の実家に帰省する時電車を使いましたが遠いので大変だった。
だからMさんは「いつか寝台車に乗ってみたい」と言いました。

それから子供が出来ました。
妊娠期間中と子供が乳児の時は
多分ご主人だけが帰省していたのではないか。
で、子供がやや大きくなりました。
多分1歳過ぎたのかもしれない。1歳とか2歳とか、そういう年齢です。

その時、ご主人は帰省のために勝手に「寝台車」を予約していたのです。
それを知って驚くMさん。
「何故、赤ん坊が居るのに寝台車で行かなくてはならないのか」
それを聴いたご主人が怒り出す。
「だってオマエは寝台車に乗りたいと言っていたじゃないか」
「あの時と今は事情が違うでしょ!」
「オレはオマエを寝台車に乗せてやりたかったんだよ!」
「赤ん坊連れで乗れるわけないじゃない!」
大喧嘩になり、その年はご主人だけが帰省することになったのかもしれない。



通常の「心有る」とは単純に「思いやりが有る」ことなので
上の例のご主人はその点では「心有る」と言える。
しかし知恵が無い。
数年前の、子供が居ない状態と、今の子供が居る状態とでは
全く事情が違ってくるのだ、という当たり前のことが分からない。



相似象で言うところの「心有る」とは
「通常の心有る状態にプラス知恵が有ること」です。


2F 相似象での「心有る」 周囲の状況などを考慮した上
1F 通常の「心有る」 自分の気持ち、考えだけ(自己中心)

世の多くの善人は精神が1Fに住んでいますから
相手の状況事情気持ちなど無視して自分の気持ちだけを押し付けたカタチの
「心有る」を発揮します。
大抵はそれでもやっていること自体は「良いこと」ですから
とてつもなく変なことにはならないが、微妙にズレていたり大きく外したりしますね。
「心有る」を発揮した当人がそれに気付けば良いが
それに気付くような人なら自己中心な「心有る」は発揮しないのだから
当人は気付かないわけです。
気付くのは周囲の人間のうち、その人の波動を越えた人だけ。



このように思いやりを発揮することは本来、難しいことなのです。
世の中には闇雲(やみくも)に他人に親切をする「心有る人」(通常の意味)が
居ます。
そういう人に対して書かれた本が「良い人であることを止めよう」とか
「良い人を止めればウツは治る」とかの本ではないかと思っています。

1Fに居ながら自分が理解出来るレベルの「心有る」を発揮する人。
2Fから見たら困りものなのですが、1Fの人にはそれが分からない、見えない。
だから1Fに居続ける。

<向上心>(2013年11月2日)


普通に「向上心」と言いますね。
でも相似象で言うところの向上心は普通の向上心とは違います。

普通に言うところの「向上心」には「1Fから2Fへ行く」サトリ(方法)が無い。
向上するのは「腕前、技術、数字」だけです。

3F      相似象で言うところの
「向上心」を持った人の未来
2F     相似象で言うところの
「向上心」を持った人の現在
1F 普通に言うところの「向上心」を
持った人の過去現在未来
相似象で言うところの
「向上心」を持った人の過去

通常の意味での向上心は上の図で言うと「同じフロアを動いているだけ」です。

3F               
2F               
1F 普通に言うところの
「向上心」を持った人の過去
普通に言うところの
「向上心」を持った人の現在
普通に言うところの
「向上心」を持った人の未来