子育ての本

子育てが苦手な人、失敗した人が沢山います。
そういう私も沢山失敗したし今も失敗し続けていますが
数々の失敗から学んだ教訓を書いてみますね。
一番の失敗は失敗することではなく「それを失敗とわからないこと」です。

子供の問題の原因は親にあり親を初め家族の問題が子供に現れているのです。
見えない世界(心)が見える現象(行動)になる。
実例を挙げながら「問題点の見つけ方」を解説しているので参考にしてください。

「子供にふさわしいものを、差し出すことができたとき、私の心は弾む。
子供の差し出すものを、受け止めることができたとき、私の心は満たされる。
そっと差し出し、しっかり受け止めることができるように、と思う。」

  (「育てるものの目」より)

「こういう大人になってはいけない」


アルボムッレ・スマナサーラ師の本。
師はスリランカ人。
仏教者の立場から日本人に向けて
さまざまなことを教えてくれています。

この本は子育ての参考になります。
私の意見とほぼ同じなので
嬉しくなりました。
つまり、当り前のことが書かれています。
しかし、その当たり前は日本人にとっては
当り前では無いようです。


師には他にも沢山の著書があります。


 
「育てるものの目」津守房江著(婦人の友社)



 これは名著です。
 この本を読むと
 (ああ、子育てってこういう心構えでやるんだな)とわかります。
 津守さんのようには育てられないけれど大いに参考になります。
 実行は難しいけど常に頭の片隅に入れておきたい
 言葉が沢山載っています。
 
 子育てしているといろいろと考えると思いますが
 その程度の考えが考えとは呼べないな・・・とわかるのです。
 津守さんのように気付き、わかってこそ、
 それを「考えている」というのでしょう。
 
 この本を初めて読んだ時はあまり理解できませんでしたが
 今、読んでみると意味がわかるのです。
 津守さんはそれを「現役の幼児の母親の時に」
 わかっていたのだから驚きますね。


子供の「問題」

子供の問題は何故起こるか


私の周りには子供が登校拒否になってしまった人が多い。
友人・知人・親戚にいます。
子供が登校拒否になるのは親が「わからずや」だからです。
ただしわからずやの親の子が全員、登校拒否になるわけではありません。

親のわからなさが結果として子供に出ますが出方はいろいろ。
○病気
○怪我
○嫌われ
○登校拒否
○非行
○犯罪
○引きこもり
○苛め
○苛められ
○家出
○自殺
○死亡
この中から「本人の性格」と「家庭環境(親の性格も含む)」
によっていろんな出方をします。
どれか一つというのではなくていくつも複合している場合もあります。

原因は親の「わからなさ」(思考力・理解力・判断力のなさ)。

また、親にこれらの能力がなくても子供の素質がそれ以下だったら
問題は起こらないようです。
だから(ウチの子には何も問題ない)と、喜ぶのは早いw
あなた以上に(以下に)子供の素質が悪くて助かっているかもしれない。
おかしくなる子供は全員ではないが感受性の強い
本来なら意識レベルの高い子が多い。
インディゴ・チルドレンは魂のレベルが親の世代よりも
格段に高いので却ってレベルの低い親の元で
精神を病んでいるらしいです。

問題が起こると問題の親が他人になんとかしてもらおうとするみたいです。
しかし親が原因なんだから他人には何もできません。
ていうか、他人に頼るともっと問題を拗らすこともあります。
だからカウンセラーに何とかしてもらおうと思ったケースで
子供が自殺したり犯罪をおかしたり(佐賀県・バスジャック事件)
してしまうのです。

親が自力で変わろうとしない、ということを(無意識で)
わかった子供が絶望するからです
子供が何故問題を起こすかといえば
「親にわからせること」が目的だからです。
ただし、本人は無意識・無自覚。
子供が犯罪を犯す場合(何故やったのかわからない)と言ってますが
こういう理由からです。。

他人にウチの子をナントカしてもらおう・・・と思っている親は本当に
そうなります。
他人がなんとかしてくれるようになるのです。
どういうことかというと・・・
○まず、学校の担任がナントカしようとする。
○近所の恐いおじさん、おばさんがナントカしようとする。
○警察がナントカしようとする。
○マスコミがナントカしようとする。
○不特定多数の世間の人がナントカしようとする。
大体この順で展開します。

また、一番わからなくてはいけないのは母親ですが
母親がわからずやの場合、家庭に一人でもわかる大人がいれば
まだ問題が起こるのを防げます。
(神戸の事件はお祖母ちゃんが生きていた頃は大丈夫だった)

人間の問題は数学ではなく、社会科なので公式はありませんが
それでも問題を解かなくてはなりません。
それには知識とそれを応用する思考力が必要。
「正解」はありません。
○×式では答えは出ません。
「より、正解」という答えがあるだけです。
つまり「上手い手」とか「ヘタな手」とか・・・
なのでこういう思考が出来ない人にも難しいかと思います。


潜在意識の海


倫理研究会によると
子供が小さいうちは「潜在意識の中で生きている」そうだ。
倫理研究会だけが言ってるのではないが
子供が小さいうち・・・赤ちゃん〜幼児のうちは「母親の潜在意識の中で生きている」らしい。
つまり「母親の無意識の海の中で生きている」。
生まれてきて体は二つに分かれたのにまだ心の方はへその緒が繋がっているみたいです。

そして次第に「意識」(顕在意識)というものが生まれてきます。
顕在意識が潜在意識よりも優勢になるのが12歳ころ。
なのでこの時期になると「自分の意志」「自分の意見」が生まれます。
顕在意識が潜在意識を圧倒するのが15歳頃から。
つまりこの頃には能力はどうあれ、大人と同じ意識の配分になるらしい。

大人でいえば大体
顕在意識(95%)>潜在意識(5%)
と言われています。
(いろんな説や基準の違いはありますが)

つまり・・・・・・・・・
子供が小さい頃は母親の潜在意識を自分の潜在意識として生活している。
なのでその時の母親の精神状態が重要ってこと。
「胎教」といいますが勿論その時もそう。
妊娠中と生まれて数年間の母親の精神状態が子供の潜在意識を作るので
これは凄いことであるし怖いことでもありますね。

その時に母親が幸せならOKですが悲しいことや苦しいことがあると子供の心が影響されます。
では父親はどうなのか?
父親の仕事は「母親の精神の安定を作る」ことです。
普通にしてりゃぁいいんですが極端なことをして女房を悲しませると
あとあと自分が子供によってヒドイ目に会います。

「因果応報」ってやつです。


困った親たち

<心の姿勢>


心の中の潜在意識は物心つかないうちに作られるので本人には意識できません。
ていうか、意識できないから「無意識」ともいうんですけどね。
(ここでは「集合無意識」は置いといてます)

 潜在意識が何をやってるかというと
 その人の人生・社会・他人・環境への取り組み方=「心の姿勢」
 を担当しているように思えます。

 心の姿勢が悪い人がいますね。
 どういうのが悪いかといえば
 ○物事を悪く受け取る
 ○捻くれている
 ○覇気がない
 ○いつも疲れている
 ○悲観的
 ○憎しみ
 ○軽蔑
 ○怒り
 ○妬み
 ○恐れ
 ○不安
 ・・・・・・
 きりがないからやめときますが。

 私も欠点が多い人間ですがここ10年くらいで
 女の心の姿勢の悪さ(タチの悪さ)を学びました。
 恥ずかしながら私も女なのにそれを知りませんでした!
 友人にはそういう人が一人もいないので知りませんでした。

 そのことを中学時代からの友人にメールしたら
 「オマエは女子高出たくせにそんなことも知らなかったのか、バカめ」
 と、言われました・・・・・(く、くそうぉ!)。

 バカやアホはいますよ、私も含めて。
 それはそれで腹が立ちますが
 でも性格が悪いとかタチが悪いというのがいなかったのです。
 ていうか、そういう人がクラスにいても(???)わからなかったのです(爆
 相手のそういう部分を見ても(???)で理解できなかったですね。
 (いったいこれは何?)で。
 兄弟に男が多いせいかもしれない・・・
 母親が男性的だったからかもしれない・・・
 生まれつき、いや生まれる前からからかもしれない・・・
 とにかくそういう女特有ののズルさとか性格の悪さに気付かずにきました。
 ここ10年くらいでだいぶわかるようになって来たのはたいした進歩です。

 なので「子供が家庭内暴力を起こして母親を殴る・蹴る」が
 理解できなかったのですが、今では「当然の結果」だと思っています。
 だから原因は「母親の性格が悪いから」。

 性格は悪くてもいいんですよ、自覚していれば。
 私はしょっちゅう腹を立ててますが、これなどは嫌でも気付きますよね、
 だって、怒っているんだから。
 問題は「自分の感情に気付かない」ってことです。
 大変、妬み深いのにそれを「自覚できずに」「普通だと思ってる」ことです。
 人間は当たり前になっちゃってることは自覚できないのです。

 同じことを目にしても人によって受け取り方が違うのは心の姿勢が仕業。
 心の姿勢(心的態度)が悪いと一生を棒に振るかもしれません。
 そんな大事な心の姿勢を母親によって作られたらたまったモンじゃありません。

 なので・・・・・母親の心の姿勢が悪いと後で・・・子供に殴られたり殺されたり。
 これは「やったことは返って来る」という法則が働くからです。
 母親が表面上、一生懸命子供の世話をして尽くそうと身を粉にして働こうと
 それは表年上のことなのです。
 肝心なのは「見えない世界」「原因と理由の世界」「心の世界」だから。
 子供の潜在意識は母親の潜在意識を見ていたのです。
 だから表面を飾れば飾るほど反作用が生じ
 「オマエはそうじゃねぇだろうっ!!!」となります。

 あちこちで子供に尽くしてきた母親がヒドい目に会っていますが
 それも子供が母親に教えようとしているのです。
 「自分が思った想念の結果がコレである」と。
 怖いと思いますか?
 私はスリルがあってワクワクしますね!
 (私は息子に殴られたらすぐさま応戦・・・・あ、いや、何でもない)

 これだけでは無責任なので対策を教えますね。
 それは
 「それを当たり前と思ってはいけない」
 「母親が自分の無意識を意識化すること」
 「自分の本当の思いを点検すること」
 「必要以上に善人にならないこと」
 など。


<心配する親>


世間の母親ってどうしてこうも気が小さく心配するのだろうか?

 例えば・・・
 次女の同級生は女の一人っ子。
 中学校へ自転車で通っていたが母親は心配でしょうがない。
 「裏通りは痴漢が出て物騒だから表通りを行きなさい」と娘に命令。
 でも表通りは遠回りなので近道の裏通りを行きたい娘。
 それで・・・
 母親は毎日裏通りを帰る娘を車で迎えていた。
 それが嫌で娘が怒ると「心配だから」と親子喧嘩。
 これをほぼ毎日続けたらしい。
 母親が交通事故に遭うまで。
 交通事故に遭って入院入院したので娘のお迎えは出来なくなりました。

 通学路が
 表だろうと裏だろうとどっちだっていいですよね、聞いただけで疲れます。
 表通りは痴漢は出ないだろうが、車の往来が激しくて危険だし。
 私なら痴漢なら逃げればいいが、車にブツかったら命が危ないと思いますがね。

 この娘とうちの次女が中学時代、一緒に東京のコミケに行く約束をした。
 数時間で行ける距離だから何でもないんですが、
 前の日の夜まで一緒に行く気になっていた次女なのに
 直前になって「お母さんが行っちゃダメと言うから」とキャンセルの電話。
 それはないと思うな。
 もう夜だし行くのは明日朝早くですよ。
 代わりの人を見つけるには手遅れでしょう。
 ガッカリする次女。
 「お母さん一人で東京へ行っていいかい?」と言うので
 「いいよ。行っといで。」
 「え?本当?」
 「だっておまえ漢字もローマ字も読めるだろ?だったら大丈夫。」
 次女は一人で行きました。

 後でその子の母親が一人で行かせるなんてと驚いていたそうだが・・・
 「約束を直前にキャンセルするという非常識さ・思いやりの無さ」には気付かないのだろう。
 私は腹は立たないがガッカリしました。

 気が小さい人は器が小さく小さいことしか「感受」できない。
 だから大きなことは感受できないのだ。
 そういう人って男女を問わずいるけれど。

 私は今まで子育てで心配したことは数えるほどしかないのです。
 ○長女がヨチヨチ歩きの時にいなくなった時。
 ○長女の高熱が続いた時。
 ○息子が目に石をブツけられ痛がった時。
 ○この間娘のアパートに早朝電話したら二人とも出なかった時。
   (殺されたかと思った・・・・汗)
 ○先日変な電話がかかって来た時。
   子供の声で「○○ちゃんが事故起こしちゃったの。」と。
   その時次男はスキー教室へ行っていたので、本当に事故を起こしたかと心配。
   すぐ中学校へ電話して現地の先生に連絡を取ってもらい、無事を確認。
 いろんなコトがありますね。

 次女は一人で東京へ行ってからその後何度も行ったので
 東京へ行くことが平気(日常的)になり、それが自信になったようです。
 大人と子供を比べて何が一番違うかといえば「経験量の違い」しかないですね。
 子供にはいろんな経験をして欲しいです。
 母親が心配していたら出来ませんね。

<もう、おまえらの言うことは聞かない>


 子育てがヘタな人というのは要するに
 「人間がわからない」(その他のこともわからない)人です。
 本人にはわかってないという自覚はなく
 「これで良いのだ」という意識もなく
 何もわからず無意識・無自覚で生きています。
 当然「子供が自分とは違っていて『他人』であること」なんてわかりません。
 自分がやらせたいことを「他人である我が子」が当然やるものだ、と
 これまた無意識に思っています。

 そういう実例。

 ある一家の息子は小さい頃から出来が良かった。
 親はその子を塾へやったり勉強には期待をかけた。
 息子は途中までは親の気持ち・願いに応えようとしていたのか
 「良い子」だった。
 息子は大変成績が良かったので親は公立高校ではなく
 他県の有名大学付属高校を受けさせた。
 地元にもレベルが高い進学校があるのだが
 親はそれでは飽き足らなかったようだ。
 地元進学校へ通うよりも、他人の評価はもっと高いから。

 息子は成績が良かったので有名大学付属高にも合格。
 親の鼻はますます高くなった。
 ところが・・・
 息子は合格した後いきなり宣言したのだ。
 「もうオマエらの言うことはきかない。」と。
 そしてとうとう入学しなかった。

 親の「これ以上高くなることはないほど高くなった鼻」はいっぺんにへし折られた。
 それから息子は引きこもっていたらしいが、今は二十歳過ぎているはずだ。
 どうなったかは聞いていない。

 これは「親と子は違う考えで生きている」ということを親にわからせた例。
 ここまで極端でない例は沢山あります。
 ていうか、日常的に思い知らされます。
 私だってそうです。

<本末転倒の親>


本末転倒している親が沢山いる。

 例えばこんな感じ。。。

 私の従妹は大変賢く性格も成績も良い。

 この子の母が私の叔母で本末転倒していた。
 母は娘を全てにおいて自分の思い通りの素晴らしい娘にしたかった。
 まず「夜遅くまで勉強」をさせたがった。
 なので娘はどうしたかというと・・・
 学校から帰って「すぐ寝た」。
 そして夕飯時に起きてきて「テレビを見た」。
 そして夜10時頃から風呂に入り髪の毛を乾かしたり飲み物を飲んだりして
 そして11時頃からやっと勉強を始めるが明日も学校があるので
 早く寝ないと起きられないから遅くても2時には寝たが
 母親の言う通り「夜、遅くまで勉強」はしたことになる。
 (従妹もよくやるw)

 娘は母の言う通り「夜遅くまで勉強していた」のに
 母は娘がなかなか勉強を始めないのを見ては毎日イライラしていた。
 これを数年間続けたらおばは病気になってしまった。
 イライラが原因なので心臓に来た。
 原因不明で検査を受けても何も異常が見つからない病気です。
 (イライラすると心臓病になります)

 また他の例では。。。
 親は子供に良い高校に受かって欲しいので「勉強させた」。
 しかし本来の目的である「高校合格」に意識を合わせていれば良かったのに
 「勉強すること」が目的になってしまった。
 勉強することって手段だと思うんだけどね。
 私なら「○○高校へ行きたい」と子供が言えば○○高校に入れるように
 協力するね。
 本人が本人なりに努力すれば良いと思う。
 ところが大方の親は
 本来の目的である、志望校合格よりも「今目の前で子供が勉強していること」
 に意識が向いてしまう。
 目的を忘れ手段に目が行ってしまう。
 本末転倒なのだが、それに気付く人はいない。

 その結果どうなるかというと
 「勉強はした。志望校には落ちた。」ということになる。
 この例も大変多い。
 これも親に「目的と手段を混同していますよ」ということをわからせているのだが
 こうなってもわかる親は滅多にいないので
 そうすると滑り止めの高校にまで行かなくなる。
 「登校拒否」です。

 親がわかってさえいれば防げることなのに。

<世話焼きの母>


女ってどうしてこうも「世話好き」なんだろうか?
 私は他人の世話など嫌いです。
 してもらうのも嫌い。
 「私はOK、あんたもOK」な人なので。
  前世がフランス人でとっても個人主義なんですね。

 相手が乳児や幼児なら他人の世話が必要だから「仕方ない」が
 子供は成長するのだから成長に応じて
 世話の%(全活動に対して)を小さくする必要があるんじゃないだろうか?

 自分が世話などしない人なので世話好きな人の気持ちがわからないが
 多分「世話をすることによって生きがいを感じている」のではないだろうか?
 また、自分が何でもできることを子供に見せ付けて勝ち誇っているのがいるんですよ。
 (おいおい)
 そして私が必要以上の世話をしないのは世話することに生きがいを感じないし、
 自分でできることは自分でやれば良いし、
 そんなコトで子供に勝ち誇る趣味がないからです。

 子供が登校拒否になってしまった人がいる。
 その人の家に招かれて見ていたら気がついたことがあった。
 出前の寿司を取ってくれたのだが
 寿司が届いたら世話をすること、すること。
 そのあいだ中子供に喋り続けていた。

 私なら最初から最後まで「黙っている」。
 子供が質問したら「自分で考えよ」と言い
 子供が手伝って欲しがったら「自分でできるだろ。」と言う。

 この人のように世話を焼き、子供が言うより早く動いていたら
 子供が自分で考える必要も暇もなくなる。
 結果的に自分で考える力のない、常に受身の子供が出来上がる。
 「指示待ち人間」のこと。
 うすら○○のこと。
 一見素直なようだが、似て非なるモノで素直でなくて良くて「従順」なだけ。
 自発性がないだけ。
 これも世の母親がわかってないところだ。
 素直と従順の差がわからないのだ。
 どうか分別をつけて欲しい・・・子供のために。
 難しいことなんかわからなくたっていいから「当たり前のこと」をわかって欲しい。

 「○○さん・・・・ずいぶん口うるさいね。」
 「え?」
 「自覚ない?」
 「???」
 ○○さんには自分が口うるさく世話を焼きすぎているという自覚がないのでした。
 口うるさくても、世話焼きでもいいんですよ、自覚さえしていれば。
 それなら「世話の焼きすぎで子供がダメになっても」
 それは自分が「世話を焼き過ぎたからだ」とわかるでしょう?
 世話焼き・・・・・・それは「個性」っちゅうモンだし。
 私に足りない”美徳”でもあるしw
 問題は「無自覚・無意識」なことです。

 ○○さんの子供が登校拒否していると聞いてこれまでもいろいろ話を聞いてきたが
 本人が自覚して、話せる部分に問題はないのです、
 だって「自覚」しているんだから。
 本人が言葉化できることには問題はありません。
 問題は「言葉化できないこと・無自覚なこと・無意識でやってること」
 にあります。
 なのでカウンセリングなんてのはあまり効果がないと思いますね。
 カウンセリングというのは「親の申告に基づいている」わけでしょう?
  つまり親が自覚していることしか話題にならない。
 カウンセラーは普段の生活を見ていないんですよ。
 それでは本当の問題点はカウンセラーには見えません。

 ○○さんは私に「口うるさい」と指摘されてビックリしていました。
 すぐには納得が行かないようでした。
 それは○○さんにとってはちっともくちうるさいことではなく
 「当たり前のこと」だったからです。
 でも、子供の問題を解決したいという強い思いがあり
 理解できないながらも毎日「口うるさい」が心に引っ掛かっていたんですね。
 また、いつも正直に指摘してくれる if さんの言葉だから・・・・と
 怒らずに考え続けたらしいです。
 半年くらい経ってから、わかる時がきました。
 「本当に私って口うるさく世話を焼き過ぎていた」と。

 やっと一つ問題点がわかり、それを自覚したことによって解決しました。
 が、まだまだ問題はありました。
 それらのまだ、自覚できない問題をこれからどんどん探していかなくてはなりません。
 これは相当苦しい作業です。
 自分で「何が問題なのかわからないこと」を探すのだから。
 不可能に近いんですよね。
 でもやらなきゃ。
 ○○さんは何度も気付いては泣き・・・繰り返してだんだんわかってきたようです。

 もう少しです。

<先回りする親>


自立を妨げる親の代表は
 子供の気持ちを勝手に汲み取り「先回りして」面倒を見る親。
 これは多いですね。
 子供が言うべき言葉も全部母親が代行している。
 とにかく喋り続け、手を出し続けている。
 よその子に質問すると横から母親が口を出しているのが多いが、それです。
 特に母親はそれが仕事と勘違いしているフシがある。
 でも母親の仕事は「子供を自立させること」ではないだろうか?

 もう一つは子供に自分の意志を押し付ける親。
 私は自己主張が強いので自分の意志を子供に押し付けるように見えるが違う。
 私は私の意見を述べているだけて押し付けたことはない。
 意見をハッキリ述べないくせに「自分の気持ちを押し付けている」母が多い。
 意見を述べないのはそれを言葉化できないだけで気持ちが押し付けモードになっている。
 これは本人は自覚していないし、他人にもなかなかわからない。
 言葉で押しつける親も勿論いて、父親には多い。

 ウチにいた下宿人の実家がそうで、下宿人はそれだけが原因ではないが
 登校拒否を起こした。
 我が家で来てあまりにも「静か」なのに驚いたそうだ。
 「このウチって静かですね!」だって。

 私は「子供が自主的にやるのを最大限尊重する」人だったのでした。
 人は見かけによらないのです。
 何故私がそうなのかと言えば
 「自分が自分のしたいことを自分のしたいようにやりたい」から。
 それなら子供にもそうさせたいから。
 つまり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私も自分の考えを子供に押し付けていたのでした(爆
 ところがこれには問題が生じないのです。
 何故なら私は「それが押し付けであるということを自覚しているから」です。
 またそのやり方が押し付けよりも「より正しい」から。
 「正解」とは言いませんがね。
 きっと世の中のどこかにはさらなる「より正解」があると思いますよ。

 可哀想なウチの子達。
 全てに責任を持たせられちゃって。
 「自分の命は自分で守れ」なんて小学校一年生の頃から言われてた末っ子。
 近所に「ハンマーおばさん」が出て子供の頭を殴る・・・という事件が発生した時も
 「ハンマーおばさんがいたら逃げなさいよ。」と注意するだけ。
 ノロマでは生きては行けない・・・と思う。
 親がつきっきりで守ったり世話したりするのは不可能ですよね。

 子供が自分のことを自分の考えでやるのは多いに結構。
 何も言いません。
 そして最大限「協力」してやります。
 私が面白いと思った時か、手伝いが必要と思った時に本人の申告があれば、の話。
 協力が必要だな・・・と私がわかってても「本人が言うまで」何もしませんね。
 つまり、決して「先回り」なんかしません。
 協力して欲しければそれを「自分で」言わないとね。
 自分で考えて何をして欲しいか言葉化する能力は必要です。
 だからそれを家で訓練しないと後々大変。
 子供が苦労します。
 常に周りの大人に世話を焼かれていた子は成長するにつれて
 どんどん周りの子が普通に出きることや普通にわかることが
 わからなくなり置いていかれます。
 同級生にも相手にされなくなります。
 その結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登校拒否。

 でも世の中の多くの母親は「先回りして」子供の願いを叶えたり面倒みたりしている。
 先回りが「自分の意志の押し付け」であると、わからないで。
 そして満足している。
 ではいったい子供はいつになったら「自立」するのですか?
 子供が長い間かけて身につけるべき「苦労を背負う能力」を
 母親が代行したら「苦労背負う能力」が身につかず
 後で大変な思いをするのに。
 学校ならまだしも(学校でもこういう子は苛めやシカトの標的)社会に出たら
 本人が大変困る・・・・・のでいっそのこと社会には出ません・・・・引きこもり。
 でも、そういう人の親は子供の面倒を見たいタチなので面倒を見続けるのかな。

 あちこち子供や大人までもが「親」を殺していますが
 これは殺さないと「自分が自立できない」からです。
 怖いですね。


 <説教好き>


 父親に多いのが「説教好き」。
 私は暴力親よりももっと悪いと思う。
 勿論暴力は悪いですよ。
 その、悪い暴力よりも「もっと悪い」ってことです。

 幼児相手に1時間も2時間も”正座”させて説教するというおかしな父がいる。
 いまのところ、2例を確認している。

 こういう父の特徴は「女性的」であるということ。
 せっかく男なんだからもっと男らしく生きれば良いものを・・・・
 (そういうオマエはどうなんだ?って言われそうだけど)
 性分なんだから仕方ないといえば仕方ないかもしれないが
 性分だからと言って自分を甘やかしてはいけない。

 説教をしたくなってもそこはグっとこらえて。
 私が女房だったら、まずダンナを黙らせるけどね。。。
 (その前にそんな気持ち悪い男とは結婚しないが)
 そういう男の奥さんておとなしい人ですね。
 おとなしいだけではなく
 「説教するダンナをおかしいと思わないほど奥さんもわからずや」です。
 男は「自分はきちんとしてて頭も良く論理的」と思い込んでいる。
 こういうことを考えるってこと自体思考力も判断力もない証拠で
  つまり「頭が大変悪い」証拠なんだけど頭が悪いので
 勿論自覚はないです。

 そもそも言葉がわからない幼児に言葉で説教するというのがおかしい。
 言葉を理解できない相手に何故言葉で説教する?
 そんな簡単なことがわからない「わからずや」です。
 説教を父親の義務と思っているし・・・。

 また、母親がいくらヒドく叱っても子供にはあまり堪えないが
 父親がちょっとでも叱れば子供への打撃は大きい。
 これは不思議なことに、そうです。
 だから叱り役は奥さんに任せて自分は子供と遊んでやればよい。
 男じゃないとできないことが沢山あります。
 肩車とかちょっと乱暴な危険な遊びとか
 小さいうちしかやれないのだから
 説教する暇があったら子供と遊んだ方がいい。

 が、説教好きの父親は身体を動かすのが嫌いなので口だけ動かすのです。
 (あ〜〜〜ヤダヤだ)。

 こういう父親の子は気の毒。
 自分の「こうなりたい」モデルがいないわけだからね。
 変な歪んだ子になってるケースと、グレて非行に走ってるケースがあります。
 非行の子の方がマシです。
 問題は歪んだ子。
 これは性根が腐るので更生は難しいかな。

<教育相談>


 県や市町村で開いている教育相談に行った人を二人知っている。
 行った感想は二人とも
 「???」
 だったそうだ。

 二人はそれぞれ今置かれている状況を説明したそうだ。
 それを相談員は聞いているだけ。
 具体的に何をせよ・・・という指示は一切なし。
 ただ「愚痴を聞いただけ」だそうです。
 それではみのもんたの「思いッキリテレビ」と同じじゃないですか。
 二人は住んでいるところが違う。
 なのに同じ結果。

 不思議なのは二人がそういう目にあって
 「???」で済ませているところ。
 私が同じ目にあったら黙ってはいないと思う。
 まず相談員に対して
 「具体的に私が何をすれば良いかを示せ」と言うでしょうね。
 それでも回答がなければこんな教育相談は税金の無駄遣いだから即、中止せよと言います。
 これは「県民」「市民」としての当然の義務であります。

 でも、こういうことを言ってる保護者はそもそも教育相談に行く必要がないのです。
 どんな目に会うのか、行ってみたいんですけどねw
 「我が子を虐待」という名目て相談してみようかな?

 思うに・・・
 そういう目に遭っても「???」で終わりにしてしまう人だから、
 教育相談に行く破目になるんじゃないだろうか?
 つまり「物事がわかってない」ってことです。

 厳しいけれど、そうです。

 子供の問題は「親に判断力・思考力をつけさせるため」発生します。
 
 ただ、教育相談に行く親が行かない親よりもマシということはありません。
 もっとヒドイ状態なのに相談もしない親が多数いますからね。
 行くのは良心的だし、何とかしようと思っているだけマシです。