苛めについて


<苛める子は親が隠している本心を表す>
(2006年11月24日)この記事は下に続きます。
 我が家の苛められ体験を書きました。



世の中にクソガキは多い。
クソガキの親はくそ親です。

子供は親が隠している本心を、表しているだけなんです。
最近ホームレス襲撃事件がまたありましたね。
あれ、そのクソガキどもの親が
ホームレスなど人間の屑だ、居ない方が良い、と思ってるから、
子供が代わりに実行しているだけですよ。

子供と親は潜在意識で繋がっている。

PANDORAをご覧の皆さんは、赤の他人同士がテレパシーで
潜在意識の部分で繋がっている例を沢山ご存知ですよね?

赤の他人でもそうなんです。
ましてや親子、特に母子なら、当然繋がっているってことは納得出来ますね。

実はこの考え方は倫理研究会で提唱しているものです。
それ以前にも他の研究者が「親子は潜在意識で繋がっている」というのを
知って(本当だろうか?)と、思い観察を始めました。
今から15年以上前のことです。

すると、やはり親子、特に母子は潜在意識で繋がっている、
子供は母親が隠している本心を演じているだけだということがわかりました。

<苛められる子とは・・・一般論>

苛められる側にまわってしまう子は
◆周囲が見えない
◆物事がわからない
◆おとなしい
◆弱い
◆他人と対立するのが嫌い、出来ない
  (他人を対立するのが嫌いでも出来る子なら苛められない)
◆なので苛められても反撃しない、出来ない

こんな感じです。
全てが当てはまらなくても幾つか当てはまっていれば
苛められます。

<苛め・・・我が家の体験>


我が家は十年以上前に或る市の郊外から、
郡部に引っ越しました。
すると・・・

◆前の学校で苛められっぽかった長女は、新しい学校では
  人気者になりました。
  前の学校にはタチの悪い女の子が沢山いたのです。
  初めての子で私が未熟だったために、やられていても
  私が担任にクレームつける程度の反応を
   していたのが悪かったようです。
  もっとちゃんと対応するべきでした。

◆次女は、転校した当日、給食の時間に机を対面にして
  食事をした。
  すると合い向かいの男の子が次女の足を蹴ったそうです。
  次女は即、蹴り返した。
  その男の子(皆に嫌われている子)は、反撃しなかったそうです。
  転校した翌日には「入学当初から居た」ような顔をしていたそうで、
  人気者になっていました。
  この子はサヌキなので、心への打撃がアワの子に比べて少ない。
  大変さっぱりしています。

◆長男は保育園に入りましたが、担任のおばさんが殆ど
  思考力がなく、何もわからない人だったので、
  元々わからずやで浮くタチだった長男はますます
  クラスで浮いてしまい、苛められる方になりました。
  途中から入ったので、既にグループのようなのが出来ていた。
  その子たちの親を見ていてわかりましたが、
  グループ内では仲良くするが、そうでない人には冷たい
  低次のサヌキ集団でした。

  親がそうなので当然子供は親とイコールになります。
  担任に何度もクレームをつけましたが、担任は殆ど何も
  理解することが出来なかったので、感情が拗れただけでした。
  どんどん担任が意固地になっていく。
  私が後悔しているのは、この時「徹底的に担任初め園長、
  及び最終責任者たる自治体にクレームをつけるべきだった」
  ことです。

  やるなら徹底的にやらないとダメですね。
  「担任はわかってくれるだろう」というのは甘い。
  わからないからこそ、このような事態が起こっているんです。
  私はまだ未熟だったのでそれを思いつきませんでした。
  大変、後悔しています。

◆次男はタチの悪い子にたまにやられていましたが、
  苛められっ子の方にまわらずに済みました。
  性格が可愛く無邪気なのでたまにはやられていたようですが、
  苛められることもありませんでした。
  また、物事がよくわかる子なのも苛められない理由の一つです。

<親が知恵をつけないと>


どうしても苛められる側に廻ってしまう子はいる。
その時、親の対応で改善出来ます。

親が未熟、能力不足の場合、解決出来ません。
最初からその能力があることは稀なので
日々、知恵をつけていくしかありません。

<苛めっ子の原因は親の心>


苛めっ子というのはタチが悪い子です。
何故そんな子になるかというと、親がタチが悪いからです。

親がタチが悪くても、それを表面に出していて
「ああ、自分はタチが悪いな。」と自覚していれば子供は
タチに悪さを出さずに済みます。
しかし、タチが悪いにも関わらず、それに気付かない場合、
これが殆どですが、この場合は子供が親の心を表現します。
それが「苛め」です。

<タチの悪い子>


長男の同級生で、我が家に一番近い所に住んでいる
タチの悪い男の子がいました。
この子はどうも、親の前では良い子のようです。

大変、タチが悪い。

語る言葉は殆どが相手をバカにした、攻撃的なもの。
普通の会話が出来ない。
聞いていて大変不愉快です。
常に何かあげつらっては攻撃する。

長男は小学校入学以来、この子と遊んでいました。

どうも長男にはこの子がタチが悪い、悪い子だということが
わからないようです。
それほど、物事がわからない子なのです。

私は「あんな子と遊ぶんじゃない。」とは言わないで
放っておきました。
誰と付き合おうが倅の自由です。
ただし・・・
私が見てる前で無礼なふるまいをしたら、その時は
物理的な刺激とともに、何故無礼なのかを悟ってもらいました。
あ、鉄拳食らわすことです。




一度、主人がこの子と将棋をしてあげていたら
大変無礼なクチをきいたので、私は本気で腹が立ち、
思いっきり鉄拳を、その子の脳天に振り落としました。
頭蓋骨が陥没するかと思ったけど、人体というのは
思いのほか丈夫に出来ていますね。

その子は親にも殴られたことがないそうです。
「今までこんなに痛かったことはない。」と、7年間の人生を
振り返って感想を漏らしています。

「また、言ってみな、今度はもっと痛いぜ。」

今後のことも視野に入れて注意を喚起しました。

倅はこの子のことを3年生になった時初めて
「○○大嫌い。」と言いました。
それを聞いた娘達
「やっとわかったのか、このバカ。」
と言いました。
容赦ないですね、お姉ちゃんて。




傍から見て、どんなに嫌な子でも付き合うのは本人の自由です。
嫌なら何がどう、嫌なのか体験してわかった方が良い。
利口な子なら一度〜3度で相手が嫌な子だと悟るのですが
倅のように頭が働かないタイプとレベルの子だと
何十回も嫌な思いをしてからやっと悟ります。
倅には必要な体験だったんですね。

何でも子供の先回りをして、失敗も嫌なことも未然に防いでいる
母親がいます。
それを悪いと思ってはいません、むしろ「良い」と思っているのです。
これは間違いですね。

そういう人に育てられた子は失敗や嫌なことは少ないというか、
それから学べない。
それで、後でもっと重篤なことになるのです。
母親のせいですよ。

<登校班>


小学校は登校班で学校に行きます。
長男達のことは次女がしっかり見張っていました。
たまに朝、登校班の集合場所を見ると
皆で集まっています。

するとそのタチの悪い子が班長である次女に逆らっている
声が聞こえます。
私は即、怒鳴ります。

「校長に言いつけるぞ!!!」

村中に聞こえる大声です。
構うものか、悪いのはそのクソガキだ。

しかし帰宅した次女
「お母さん、私がちゃんとやるから吼えないでよね!」
「はい。」

<年下を苛める場合


さて、対等な関係にある場合なら放っておく私ですが、
年齢が違う、多数対個人の場合は放っておきません。
上の二つを大義名分として、闘ったり未然に防いだりします。



次男が小学校へ上がる時期になりました。
近所のタチの悪い子と同じ登校班になります。
その時はしっかり者の次女は中学生なので居ません。
これは困ったな、と思いました。
それで「未然に防ぐ」ことにしました。

まず、小学校へ行き、校長に挨拶をしました。

「Kの母ですが、今度弟の◎が入学します。
それについて、ちょっと警告をしに来ました。
同じ登校班の××、大変タチの悪い子です。
兄のKが苛められるのはいいでしょう、
年が同じなんだからやられるのは情けない。
しかし、年下の子にそれをやったら許しません。
弟の◎に指一本でも触れたら、私は火の玉に
なって(登校班まで)走って行き、××を引きずって
学校へ連れて来ます。
これは本当にヤリますから、学校としてはそれを
全力を挙げて阻止してください。
以上です。」

校長は
「まあまあまあまあ、お母さん(慌。
仰ることはよおおおくわかりました(愛想笑。
年下の子を苛めるなんてのはもってのほかです。
そういうことがないよう、こちらとしても最大限努力しますので
どうか一つ(子供を引きずって学校へ連れて来る
なんてことのないよう)お願いしますよ(お世辞笑」




話しのわかる校長で良かったです。
この校長は私が知ってる校長の中では一番マトモでした。

さて、この後、次男が通う保育園で卒園式がありました。
そこにこの校長も来賓として招かれていました。
卒園児達は来賓の前でお辞儀をします。
見ていたら校長が次男を見て凄く笑っています。

後で校長に聞いたら
「◎君の顔はお母さんそっくりだったので、『この子かあ!』
と思って可笑しくなった。」そうです。

私も笑ってしまいました。
私と次男は顔がソックリなんです。
あははh!

<大事(おおごと)にする>


さて、また長男に戻ります。
長男は話しがわからず従って周囲も見えないし、
性格はアワ男なのでさっぱりしていません。
わけのわからないことをぐちゃぐちゃ言います。
優しくて良い子なのですが、子供は優しいとか
良い子だとか、他人のことを理解はしません。

大人だって理解しないのだから当然です。

中身の優しさに気付くには、相手にもその優しさがなければ
感受出来ないのです。

従って表面上の「周囲が見えない、わけのわからんことを言う」
というわかり易い点で、苛められる方に廻っていました。

数人がかりで意地の悪いことを言う。




ある時、誰かが教えてくれたのだと思うのですが、
校庭の端、鉄棒の所でおたくのKちゃんが数人に苛められていた
という情報が入りました。
私は火の玉になって飛んで行きました。
すると、鉄棒のところに倅のランドセルがあるが倅がいない。

そのまま職員室の窓のところまで行って、職員を怒鳴りつけます。
あ、私は教員などなんとも思っていませんから。
教員だけでなく、「全ての職業に対し、特別な思い、憧れ、見下しなど」
ないのです。
そんなもの=人間としては二次的なもの=職業=などは、
私には何でもありません。
中身でしか人を判断しません。

教頭が窓のところまで来て事情を聞いてから
「お母さん、それをしたら大事(おおごと)になるから・・・」
それを聞いてさらに怒りが込み上げたので、
さらにトーンを上げて怒鳴りました。
「こっちは大事(おおごと)にしたいんだ!」
教頭は黙ってしまいました。

大事(おおごと)にするのは全然構いませんよ、解決方法として
それしかないなら、いくらでも大事(おおごと)にします。
とことん、やりましょう。
みんなを巻き込んで嵐や竜巻にしましょうね。
本当言うと面倒だけど、この場合は仕方ないです、覚悟しました。

その後倅はランドセルを置いたまま帰宅しました。
倅が情けないのはわかります。
しかし、「苛められる筋合いはない」のです。

<訓練>


さて苛められる側にも問題はある。
なので、倅には特訓をしました。

私の妹がサンドバッグを買ってくれました。
中にはぼろきれが入っています。
これを使って倅を訓練しました。

まずは蹴りの練習。

次にパンチ。

よおし、よし!

<発声練習>


お風呂に入ったら発声練習です。

私「お母ちゃんと同じことを言うんだよ。」
倅「は〜い。」
私「何すんだよ===っ!」
倅「何すんだよう」
私「声が小さい!」
倅「何すんだよ==」
私「もっと大きな声で!」
倅「何すんだよ===っ!」
私「よし!次は・・・
   校長に言いつけるぞ!」
倅「校長に言いつけるぞ!」
私「よし!次は・・・ブッ殺すぞ!」
倅「お母ちゃん、ブッ殺しちゃダメでしょ。」
私「いいんだよ、
  そんなクソガキはブッ殺した方が世のため人の為なんだよ。」
倅「可哀想だよ〜」
私「何が可哀想なモンか!
   Kを苛めるクソガキはお母ちゃんがクビを締めてやるからね!」
倅「お母ちゃん、そんなコト言っちゃダメなんだよ。」




これが三〜四年生くらいの時でしたかね。
勿論ブッ殺しはしませんよ、冗談ですよ、冗談、あはは。

毎日意地悪をされる倅に代わって学校へ行きたかったですね。
中身だけ私でね。
昔は今のような形の苛めはありませんでした。
苛めはあったけど、今とは形態が違う。
私も主人も苛めることもなければ苛められることもありませんでした。
なのに、倅は誰に似たのでしょう?

とほほ・・・

<実践>


次は実践です。

倅は優しく弱いので人間を蹴るとか殴るなんて出来ません。
サンドバッグを殴れても人間は殴れない。
これがサヌキとアワの違いですね。
あ、低次の場合ね。

だから生身の人間で慣れておく必要があります。

日本が戦争をしていた頃。
中国大陸は群雄割拠、軍閥割拠というか、つまり大変
混乱していた。
中央の政府の力はなく、あちこちで強い奴が勝手にやってた。
そこへ行った日本人の話しです。

○○流という剣術の使い手だという人と、そうではない人と
一緒に大陸を廻っていた。
「○○センセイが居てくださるなら安心だ。」
するといきなり馬賊が現れた。
強盗山賊の類です。
○○流の人は手も足も出なかった。
腰を抜かしていたかもしれない。
そうではない人達が日本刀(軍刀?)で
山賊をあっという間に斬り殺した。
(これはある思想家の伝記にあった実話です)


剣術のセンセイの剣術は道場の中だけで通用するモノだったらしい。
これでは困る。

次女が情けない弟のために実践の相手をしてくれました。
ボクサーがつけるグローブをしてパンチの練習。
あとは蹴りの練習。

<バカ>


ところが、情けない弟のために協力してくれた姉に対して
数年後、中学生になった倅は反抗期に入ったのか、
いちいち逆らっていました。
わけのわからない屁理屈を言う。
反抗期てのは重々承知しています。
でも、恩義を仇で返すようなコトをしてはいけない。
反抗期だとしてもしていいことを悪いことがある。

バカです。

本当のバカです。

何がバカかって、これが一番バカではないでしょうか?

このように物事がわからないから苛められるのですよ。

<苛められる理由・・・倅の場合>


苛めについて話しを沢山聞きましたが、
殆どのケースは苛められる側にもそれなりの理由がある。
「それで苛められるなんて信じられない!」と
思うケースがありません。
殆どの場合「それじゃぁやられるよ。」と思います。

倅の例で言いますと、やはり物事がわからない、
それは実は罪なんですよ。
時間差はありますが、庇ってくれたり強くなるよう訓練をしてくれた
姉に対して、逆らいまくりとは、これが罪でなくて何でしょう?

中学生になったから急にそういう性格になってのはありません。
元々、倅が持っていた性格です。
言葉を覚え、へ理屈を言えるようになったので、屁理屈という形で
やっと表面に出て来ただけです。

小さい頃はその素質があっても表現は出来なかった。
何故なら屁理屈を言うほど言葉やその他の知識がなかったからです。

小学生時代は屁理屈は言えませんが、
元になる性格、思考のタイプが屁理屈なので
たとえ屁理屈を言わなくても考え方が屁理屈なのです。
(※物事がわからないくせに、自分勝手な論理を構築するので
   他人に伝わらず賛同も得られない。
   しかも、本人には他人の言葉を理解する能力がない)

これではやられて当然ですね。
(苛め、苛められにはいろんなケースがあるので、
 皆これだとは言いません)

<言論>


さて、苛められる子のタイプの一つとして、バカがいるとわかった。
だったらこういうバカにはどう対処すれば良いのか?


言論で示して欲しいですね。


何のためにクチがついているのでしょう。


言葉で言いなさい。


「あのさぁ、K君、君のその考え方はおかしいよ。
君はいつも周囲が見えずあさっての発言ばかりしている。
僕らとしてはこれ以上フォローのしようがないんだ。
だから君も少しは物事を考えて向上して欲しいな。
せめて僕らに迷惑をかけたり白けさせたりしないでくれ、頼むよ。」

と言えば済むことですよ。

それでも多分倅には言葉が理解出来ないでしょう。
だったら次にこう言えば良い。

「K君、君は僕達の再三に渡る忠告を無視したね?
いまだに理解してもらえないようだ。
僕達としては君と楽しく遊ぶことを断念せざるを得ないな。
僕達は警告した。
義務は果たした。
僕達の言うことがわからないなら共通言語を有してないということになる。
それでは対等な交友関係は結べないだろう。
一方が理解し、一方が理解しない、そのような交友関係は
有り得んのだよ、キミ。
残念ながら君とは付き合えない。
しかし、いつでも門戸は開放しているから、
君が以上のことを理解したなら来給え。
喜んで迎え入れよう。」
と言えばいいのです。



上のことを言えるようにするのが教育ですね。
教育を受けている最中の子供にはそれは出来ませんが、
これが出来るようになるのが目標の一つではないでしょうか。

実際は大人でもこれが出来る人は殆どいませんが。

<旗振りで>


さて、倅の方は特訓するとして
タチの悪い子への対処も忘れない私です。

小学生がいる親は朝、交差点で旗振りというのをします。
その時、倅の同級生でタチの悪い子が登校してきます。
その子の姿を遥か彼方から発見して捕捉したら視線を逸らしません。
ずっと睨み続けます。

300m、200m、100m、50m、30m・・・だんだん近づいて来ると、
その子の顔は恐怖で引きつっています。
いよいよ旗振りのおばさん(私だ)の横を通り過ぎる時、私は
「GARRRRRRRRRRRR!」と唸っています。
狼を想像していただくといいかな。

苛めっ子、タチの悪い子は泣きそうですが、構うモノか。
これが原因でその子が悪夢にうなされようが
登校を拒否ろうが構いませんね。

全ては「苛めたオマエに原因がある」。

だったらその責任を取ってもらおうじゃないか。

本当の責任はその子の親にあるんですが。

また、子供は親には言いつけません。
鉄拳を食らわしても怒鳴っても面倒を見ても買ってあげても
親には言わないですね。

これはその子と私の真剣勝負です。
本当は倅がしっかりしていれば倅とその子でやって欲しいんだけど、
倅が情けない状態なので、親がしゃしゃり出ました。

ただし、学校内では倅本人が苛めっ子と対面しなくてはならない。
倅も戦っているのです。
だったら親は(喜んで)援護射撃しましょう。

<愛想笑い>


ところが援護射撃をするどころか、
こういう母親の方が多いようですよ。



「苛めっ子に対して愛想笑いする」



いったい何なんでしょう?



これは本当です。
自分の子に意地悪する子、苛める子に
こともあろうに「愛想笑いする」人(母)です。

これはアワのタチの人だな。

相手に取り入るのです。
アワのタチの人は本能的に他人と対立できない。
それだけは全力をあげて抵抗します。
出来ないのです。

愛想笑いの理由はこうです。

(ね、××ちゃんとおばさんは仲良しよね?
 だって、ホラ、おばさん、こうして思いっきり
 笑っているでしょ?
 ××ちゃんとおばさんは仲良しなんだから
 ウチの○子と××ちゃんも仲良しよね?
 仲良しなんだから、仲良くしてね〜。
 苛めないでよ、おばさん今、頼んだからね〜。
 ニコニコ!!!!!!)




さて当の××ちゃんには勿論、上のような
このおばさんの考えていること、意図していることなど
わかりません。
ひたすら(気持ちの悪いおばさん)と映っています。

気持ちの悪いおばさん、不気味に笑うおばさんの
子供も気持ち悪いし不気味です。
だから・・・・・・






苛めます。

<担任へ>


担任には電話をかけたり連絡帳の書いたり学校に会いに行きます。

そして相談ではなく宣言をします。

私  「苛めの責任は、苛められる子にもあります。
    ウチの倅も悪いです、これは承知しています。」
担任「いやいや、お母さん、苛められる子が悪いなんて言ってはいけません。」
私  「しかし!
     苛める子の方が苛められる子より責任が大きい。
     これは理解してもらえますね?」
担任「は、はい・・・。」
私  「担任の先生には苛めに関しては責任がありません。」
担任「いや、苛めに関しては担任にも当然責任があります。」
私  「いや、担任にあるのは『苛めの監督責任』だけです。
    つまり、苛めを未然に防ぐ責任と、
    苛めが発生したら即、対処する責任ですよ。 
    苛めそのものについての責任は担任にはない。
    その責任は苛めっ子本人と、苛めっ子を育てた親にあります。」
担任「は、はい。」
私  「なので、苛めが発生したら全力をあげて問題解決してくださいね。」
担任「はっ、わかりました!ラジャー!」


ラジャー!はうそです。

大抵は担任を信頼して解決を任せます。
それが出来ない場合、初めてその上司を相手にしますね。

<管理職へ>


もし、担任が解決出来ない場合、初めて校長に話しをします。


そして、校長や教頭にも同じことを言います。
そして私が持っている考えを披露します。
苛め解決についてはこちらとしては不退転の覚悟であることを宣言します。
こちらの要望を宣言して終わり。
相談などしませんよ。
(相談てのは、センセイ、どうしたらいいんでしょう?って訊くことでしょ?
私は自分がどうしたらいいのかわかっているので相談しません)

頭の中では
(もしこれで解決出来なければ、次は県教委、警察、マスコミかな)
と、冷静に考えています。
これは計画なので別に興奮してもいません。
腹も立たない。
黙々と任務を遂行するだけです。

後は学校がそのように動くかどうか見極めるだけです。
大抵真剣になってくれます。




さて、世のお母さん方は
何でもかんでも一緒くたになっている人が殆どではないでしょうか?
ただひたすら困っている人。
それは物事を分別して思考出来ない人ではないか?

私はコト分けるのが好き、というか、そういう考えしか出来ません。
ハッキリとこれはこれ、あれはあれ。。。。と分類してしまう。
情に流されたりうやむやにしたりが出来ないのです。
アレとコレとは相殺出来ません。
あくまでもアレはあれ、コレはこれです。

これはタイプですね。
私が別に人間が上等に出来ているわけではないですよ。

ただね、情緒で苛めは解決出来ないでしょうね。
つまりいくら困っても解決は出来ないってことです。

<苛められっ子>


たしかに苛めっ子は存在する。

しかし、苛めっ子はクラスの全員を苛めるわけではありません。
苛められない子もちゃんと存在しています。

では何故、苛められっ子は苛められるのでしょう?
苛められる原因があるはずです。

あるんですよ。

<働きかけ>


さて、学校や苛めっ子相手に対して現状を打開するために
さまざまなことをする私ですが、一番働きかける対象は
苛められている我が子です。

苛めっ子と学校への働きかけを1とすると、
我が子への働きかけは、100でした。

よくあるケースでは「苛められたらやり返せ」というのがあります。
これでは根本的な解決にはなりません。
が、目の前の障害や困難に目をつぶるのもおかしい。

物事には長期的なことと短期的なことがあります。
例えば・・・

受験生の勉強。
受験のために1〜2年の復習をしなくてはいけないが、
指し当たって来週の定期テストの勉強もしなくてはいけない。

病気の場合。
基礎体力をつけるのは勿論大事ですが、指し当たって
今、病気なら薬を飲んで安静にしなくてはいけない。

大抵のことには長期的なここと短期的なことがある。
片方だけってのはないのではないか?

<苛められる子の特徴>


なので、苛められる子に対しては物事がわかる子になるよう
生まれた時から毎日生活の中で教えていくのは勿論
必要だし、我が家でもやっていたのです。

しかし、子供の素質は皆、違います。

或る子は一回で理解しますが、或る子は何度言っても理解しません。
或る子は性質がさっぱりしていてすぐ立ち直りますが
或る子はいつまでも感情的になっていて、さっぱりしていません。

苛められる子は
◆物事がわからない(周囲が見えない)
◆いつまでも感情を立て直せない
◆優しい、弱い
という特徴があるように見えます。

いろんなケースがあるでしょうが。

<苛められないように>


たしかに苛めっ子が一番悪いのですが
苛めれないようにするのも、必要です。

我が家では二人ほど苛められっぽい子がいたので
「優しい、弱い」のは良いとして

◆物事がわかるよう
◆感情をすぐ切り替えられるよう
訓練しました。

訓練と言っても普通の生活の中で、直していくことです。

<環境の変化>


こちらの訓練は心の訓練なので、長期的です。
喧嘩の仕方など、短期的な対処法は頭で覚えられる。
でも、性質そのものを変えるのは難しく時間がかかります。
しかし、これをしない限り苛められるでしょう。

長男の例でいえば、5歳の頃から苛められっぽかったのですが
中学に入ってからは苛められなくなりました。
苛めが発生してから解消まで7年かかりました。

中学入学で環境が変わったのも、理由の一つですが
環境が変わっても苛め続行のケースがあるから
本人が変化しなければ、環境が変わっても解決しません。
環境の変化は切っ掛けに過ぎません。

その切っ掛けを巧く捉えることも大事です。

<苛めっ子対策>


苛め問題。
苛めっ子が一番悪い。

私の意見としては苛めっ子は都道府県が苛めっ子専用の
全寮制の学校を作り(校舎は適当な空き校舎を使用)
ダメ親から隔離するのが良いと思う。

親には莫大な金銭的負担がかかるようにする。
   
それをしない限り、苛めっ子の親は真剣にならない。
隔離するのが目的ではありません。
親を真剣にさせるための手段です。

そうすれば苛めっ子の親も真剣になり、
何事かを悟るかもしれません。
今の状態では真剣になるのは苛められっ子の親だけです。
これではいけませんね。

苛めっ子の親が真剣になるのは「子供が問題を起こし
警察沙汰になり、マスコミに載った時だけ」です。
それほど重篤にならない限り、事態の重大さが
わからないほど、苛めっ子の親はわからずやなのです。

<苛めではないのに>


また、厳密にいえば苛めではないような場合に
弱い子が必要以上に傷ついてしまうというケースも
勿論あります。
強かったり、物事がわかってたり、明るい場合は
笑って済ます場面で何を勘違いしたのか
勝手に傷ついてしまうケースはたしかにある。

学校に求められるのは、もっと児童生徒を観察して
苛めを見逃さないのは勿論、きちんと判断することです。

見る目がなければ目の前で起こっていることも見えない。
それほど見えない人が多い。
教師も、です。

<教育制度>


今の教育制度はあまりにも判断力に乏しい連中が
ワケもわからないままいじり過ぎました。
「改良」するたびにどんどん悪くなって行きます。

まずその連中から何とかしなくてはなりませんが
これがなんともなりません。
非常に難しいです。
天罰が下るのを待っているだけでは徒に時間が過ぎていく。

制度を変えるのは勿論必要ですが、それは長期的な計画にして
私達はさしあたって今出来ることをするしかありません。

<登校拒否生徒の親>


ある時、登校拒否児童、生徒の親と子の会合に行きました。
うちの子は拒否ったことはありませんが、知り合いに誘われて
行きました。
知り合いのお子さんも別に拒否ってはいません。

その会合に行って驚いたのは、自分達には何も悪い所は
ないかのような口ぶり。
そして発言内容は「何を言いたいのか、さっぱりわからない、
ダラダラと途切れなく喋っているだけで、結論がない」。
「こうなった責任は学校にあり、自分達と子供にはない」
「今の学校は異常だ、そこへ行かないウチの子の方が
正常だ」という、大変異常な意見ばかりでした。

では、おたくのお子さんは正常なのだから、別に困ったり
解決しなくたっていいじゃないですか?
何故、皆で集まってまるで「この現状を打開したいようなコト」
を言ったりしたりしているのでしょう?

?????

私はこれでわかりました。

それまで数人の登校拒否の子供と親を見て来ましたが
共通点は
◆物事がわからない、周囲が見えない
◆思考力、判断力がない
◆だから、自分達に責任があるとわからない
というもので、
◆だから、何も変化しない、解決しない
という結論になります。

たしかに、登校拒否の発端、切っ掛けは他の子がおたくの
子を苛めたことでしょう。
しかし他にも苛められている子はいるのに
「何故、あなたのお子さんは登校を拒否るのですか?」

「ウチの子は繊細だからですよ。」
「ウチの子だって大変繊細ですが、でも学校へ行ってますよ。」
「ウチの子は優しいんです、荒々しいことには耐えらないんです。」
「ウチの子も大変優しく、友達思いですが、学校へ行ってます。」
「ウチの子は学校で苛められたんですよ!」
「ウチの子だって苛められてましたが、何か?」
「・・・・・・・・・・・・。」

思考力があれば、即わかることですが、親に思考力がないので
わかりません。
そしていつまでも他人のせいにしているので、全く事態は
変化せず、とうとう子供は大人になります。
引き篭もりで三十過ぎます。

このように人間はなかなか「意識」を変えられないのです。

子供は親の意識を変えるため、親に思考力をつけるために
問題を起こしてくれているのだから、苛められたり
登校を拒否ったら親は真剣に考えれば、その分知恵がつくのに。

<つまらない>


倅が小学生の頃の口癖。

「あ〜〜あ、つまらないなぁ、何か面白いことないかなぁ?」

なので私はすかさず
「オマエが一番つまならないんだよ。」
と、突っ込み入れてました。

子供の癖に人生がつまらないそうです。
それは本人がつまらない人間だからです。

他の三人は人生が面白そうです。
特に次女は自分が面白い性質なので、どんな状況でも
楽しめる逞しい子でした。

本人はつまらないんだから、それと付き合うお友達は
さらにつまらないでしょう。




そういう人、いますよね?
主人の父親(故人)がそうでした。
大変、つまらない人でした。

自分がつまらない人は周囲の人に面白く楽しい気持ちに
してもらわないと、つまらないのです。
自力で楽しくなれません。

で、嫁の私達としては(主人の弟の奥さんもね)
「自力で面白くなれない奴の相手などしない」
サヌキ女(勿論、低次の)なので、お愛想は言わないし
褒めないし(だって褒めるところないもん)
お世辞は言わない(だって、必要が無いから)
お守りなんか絶対しません。

お義父さんがつまらない話しをすると、あからさまに
つまらなそうな顔をしているだけです。
だって、つまらないもん。
お義父さんはおとなしい人だったので、怒りはしませんが
陰口は叩いていたようです。
しかし、私も義妹も
「自分の意に反した行動など取りたくない」のです。
わがままっちゃあ我がまま、正直っちゃぁ正直。
私達はとても仲良しです。
トラブルはありませんよ。




どうもね、倅はお義父さんに似たようです。

本当かどうか知りませんがこういう研究をした人がいます。
「家系の因縁や、性格や運命は男子が受け継ぐ。
息子が二人いる場合、次男は父親、長男は祖父に似たり
運命を再現する。
息子が一人しかいない場合は、父親の運命、人生、性格
因縁を再現する。
息子が三人いた場合、末っ子は父親、次男は祖父、長男は曽祖父
の運命、性格を再現する。」ですと。

これ、本当なのかなぁ?って、今も研究中です。

しかし、この考え方からいうと、長男である倅は性質温厚な点、
つまらない点で祖父の性格、運命を再現しているように見えます。

本当に倅はつまらない子だったのです。

<生きていたくないなぁ>


そういう子なので小さい頃は人生が楽しくなかった。

しょっちゅう言ってたのが
「つまらないなぁ、生きていたくないなぁ。」です。
子供のくせに何ちゅうこと言うんだ、と呆れました。
特に遊び相手が居ない小学校4〜6年生の頃は
盛んに言ってました。

学校の休み時間には皆の遊びの輪に入れず
一人で図書室に行ったりフラフラしていたそうです。
苛められなくても、一人で居るのはつまらない。

でも、その子が一緒に遊んで楽しい子でない場合、
誰も一緒に遊ぼうとは思わないでしょう。
私だって、つまらない人と付き合うのはゴメンです。
楽しみたいのに台無しになるのは嫌です。

だから、誰も遊んでくれない・・・・と嘆く前に
自分が皆から見て、一緒に居て楽しい面白い子に
なる必要があるのです。

さらにつまらない子であっても、他人の話しを理解するなら
まだ、いい。
こっちの方が必須ですが、倅はそれも出来ない。
これもウチの子供の中で一人だけなのです。

また、理解出来ないだけならまだいい。
聞き分けがないのに自分の気に染まらないことがあると
温厚なのに、それを押し通すために意固地になる。
これも義父とそっくりです。
こういう義父は嫁から相手にされませんでしたが、
そういう倅も同級生から相手にされません。
当たり前です。

<意固地>


もって生まれた性格ですが、それへの対処法はいろいろあると
思いますよ。
例えば主人の母などはアワ人間なので、おだてたりなだめたり
すかしたり、お守りをしていました。

が、私はアワではありません。
サヌキなんです。

その場合は「その根性を叩き直す」という行動になります。
間違ってもお守りはしないのです。
言ってわからない奴は痛い目に遭う・・・・・
文字通り「叩き直し」ました。

叩いたってわからないモノはわからない。
しかし、いつかわかる日が来るかもしれない。
その日のために、一応情報として
「そういうコトをするんじゃない」と、教えておきました。

<アワのタチ>


しかし、こういう意固地な子でも気が合う友達はできるもので
3年生くらいの時に仲良しが出来ました。
倅はその子が大好きです。
このように相手が大好きになる、思い入れる
・・・というのも、アワ人間の特徴です。

心が相手に向かい、親和する。



人間としてはそれが望ましい。
しかし、問題はそのレベル(波動量、知恵、意識レベルなど)
なのです。

思い入れるのは悪くはない、むしろいいのだけれど
程度が低いのが悪いのです。
子供だけの問題ではありません。
勿論大人にも言えます。

<グループ>


サヌキは心が乏しく行動的なので、一緒に遊ぶこと自体が
楽しいのです。
相手に対する思い入れはアワの子ほどありません。
別にその相手ではなくても一緒に居て楽しい相手ならOK。
サッパリしている。

サヌキタイプの子は行動面でリーダーシップを取るので
(本当のリーダーという意味はなく、
  リードする、仕切るという意味)
その子に好かれないと相手にされません。

だから男子がよくグループを作って群れていますが、
こういう男性のタチ(サヌキ)が原因です。
リーダーとそれに同調する構成員が「楽しい」と
認めない限り、グループには入れない。
(同じことはサヌキの女子児童、生徒にも言える)

<あるレベルを設定>


サヌキの子には相手の良い点を救い上げようなどという
心がそもそもないので、目先が楽しく
自分が面白ければよいのです。
暗黙のうちに無意識にあるレベルを設定していて、
それに満たない人の相手をしません。
(まぁ、私だって、義父の相手はしなかったけど。
 この場合の相手をしない、とは、別にくちをきかないとか
 ではありませんよ。
 適当にしか相手をしないという意味です。)

なので、地味な優しさを発揮してもそれが見えないので
周囲に認められない。
それを認めるには「自分にも優しさがないとわからない」。

低次の子供にはそこまでの優しさはないので、
いくらおとなしい子が優しさを発揮しても伝わりません。
双方の程度にもよりますが。
(※これは子供に限ったことではなく、大人の世界でも同じ)

<〜〜して欲しいと思うのがアワ>


弱い子、おとなしい子も、「本当の良さをわかって欲しい」
などと言ってないで、「オレの本当の良さをわからせてやる」
くらいに思わないとダメでしょう。
〜〜させてやる、って思い実行するのはサヌキです。
〜〜して欲しいと思うのはアワです。
これが周囲から見ようによっては「甘えている」と映る。

そのサヌキ(行動、気の強さ)がない子がアワなんですが、
それでも
自分のタチの好みにふけるのはやめないと外されますね。
大人も同じですよ。

自分が変わらないでいて、つまり改善、改良、向上しないで
(アタシの良さをわかって欲しい)
ってのは言ってはナンだけど、わがまま、自己中、傲慢ですよ。
夢にも思わないだろうけど。
これ、多いです。

<アワの子とグループ>


なのでアワの子(サヌキでも心がある子)は
群れることはしないで、少数の気が合う子と遊びます。
遊び方、付き合い方は「ここまでに達しないなら切り捨てる」という
サヌキのグループとは違って、思いやり助け合い融通しあうと
いうものです。

サヌキのグループには心がないので、そういうことをしません。
(※全くしないのではなく、心の分だけします)
なので、常に我の張り合いブツけ合いで、グループ内での
抗争が耐えない。
これはサヌキの為せる業ですね。
心が休まる時がないのですが、元々心が乏しいタチなので
打撃は少ない。
打撃は心の量の分だけありますから。

よく出来たもので、アワの子はこのようなグループには入れない。
しかし、間違って入ってしまうと、サヌキの子の子分、パシリ、餌食に
されます。
が、小さいうちはそれが何なのか、理解出来ません。
何も考えずパシリをします。
嬉しくさえ、あります。
自分がコキ使われてバカにされているのだ、という自覚がないのです。

(※これは大人にも当てはまる。
   7年ほど前に、東京で或る主婦がグループの主婦の娘を
   お寺のトイレで殺しました。
   これもグループ内での立場、タチの違いから生じていました。
   大人でも子供でもレベルが低いとこうなります。
   犯人の主婦は何故自分がそれをしたのか、わからないそうです)

<抜ける時が怖い>


それがだんだん成長するに従って知恵がついてくると、
それが嫌になって来ます。
嫌なコトも皆がするからしなくてはいけない、とかで抜けたくなります。
嫌なこととはゆすりたかり万引き喧嘩ひったくり強盗殺人などです。
なので、グループを抜けたいのですが、それが難しい。

よく、おとなしい子が不良グループに入っていて、そこから抜けようとして
怪我させられたり、殺されたりしていますがコレですね。
他の構成員は何故そんなグループに居られるかというと
「悪バランス」を取っているからです。
どんどん状況が悪くなっても(万引き→強盗)、その環境とバランスを
取れてしまうので、居られるのです。

<女子のグループ>


これは慢性的なグループではなくても、一過性のものでも
必ずグループ内の力関係で順位が出来、それが巧くいっていれば
秩序が生まれますが、破られることもあり、内部抗争は大変でしょうね。

小学校の場合、内部抗争は女子の方が凄いです。
女子は男子より先に心が大人になる。
女子は男子より心があるのですが、その心のレベルが低いと
心がない場合より厄介だからです。
まだ、男子の方が心がないだけ、単純で良い。

小学校高学年の女子児童は男性の担任を簡単に騙すらしい。
(※ベテラン小学校教師(女)の言葉)
この頃になると女子児童は母親とイコールです。
母親が年だけ取って中身(精神)が小中学生で
止まっている場合が多いからです。

こういう親は子供と本気で喧嘩する。
物事は勿論わからないので、子供もいらつく。
当然、非行化するでしょう。
全員ではありません、程度と子供の素質によります。
千差万別です。

<グループ>


グループが全て悪いとは言いません。
悪い傾向に進むグループがありますよ、という話しです。
似たような子が集まるので傾向はすぐわかります。

ほほえましいグループか、将来心配なグループか、です。

倅はグループに入れなかったけど、一人の気が合う子が
居てくれたので助かりました。
その子が転校して居なくなってからは一人で過ごしていたようです。
それが三年間続きました。
学校では一人でしたが家の近所には友達がいたので
それも良かったです。

<苛めの経験>


倅は苛められと言っても、皆で執拗に苛める、というものはありませんでした。
ただ、タチの悪い子に意地悪なコトを言われる、態度をされる、
休み時間に遊ぶ相手がいない・・・くらいでした。

多分四年間くらい、休み時間は一人で過ごしていたようです。
それは倅が何かを思い知るために必要な時間でした。
賢い子飲み込みの速い子なら、その期間は短くて済みます。
しかし、物分りが悪い子(人)は、わかるまで悟るまでその状態が続く。

倅の場合はそれが四年間。
そのくらいかかるということですね。

<グループで一人を苛める>


噂で或る人の息子(ウチの子の同級生)がグループから
苛められていることを知りました。
偶然、その子のお母さんに会った時
「おたくの子、苛められているんだって?」と訊きました。
「そうなのよ。登校班の子、近所の男の子にやらてるの。」
「そのグループに入ってる、○○君のお母さんはとてもいい人だから
 そのことを教えてあげようか?」
「それは言わないで。
 本人が強くならないとダメだから、もうちょっと様子を見てみる。」
ですと。




グループのボスは誰だかわかりませんが、
グループに入ってる○○君はマトモな良い子です。
良い子ですが、「それは止めろよ。」と、言えないほど子供なのでしょう。
やってる奴も同調する奴もやられている奴も、精神が未熟なので
これは何なのか、事態が飲み込めてないのではないか?
全員、無意識なのです。

小学生の男子の場合、こんな感じですかね?
○○君は全然意地悪ではないけれど、他人の意地悪をあまり
意地悪と思えない、気付かない。
ランドセルを全部その子に背負わせたりしても
それは「遊び」であって、別に苛めだと思ってないようです。
そこまで低次で物事がわからないのですよ。




そういう時は報復を恐れて何も言わないとか、
拗れるのを怖れて何も言わないとか、そういう考えは止めて
大人なんだから堂々と子供に教えれば良いと思うんです。
一番良いのは、現場を押さえることです。
そうすれば「チクった」と、思われません。
思われたら、今度は「チクる奴」と定着するので、これは防ぎます。
まぁ、程度にもよりますがね。

本人が強くなるのは勿論ですが、悪いことは悪いと教えるのも
大人の務めではないでしょうか?

<誰でも、という考え方>


苛められる方にも原因がある、という実例でした。

苛めっ子はクラス全員を苛めるのではありません。
苛められる子を苛めます。
その点、苛められる子にも原因があると、いえる。

また、クラス全員がその子を苛めるわけでもありません。
苛めない優しい子もいますよ。

つまり、これは苛める子と苛められる子の問題です。
「誰でも苛められる可能性はある」と教員は言いますが
そういう言い方をすれば

◆誰でも癌になる可能性はある
◆誰でも宇宙人にアブダクションされる可能性がある
◆誰でも隕石が頭に当たる可能性がある
◆誰でも北朝鮮に拉致される可能性がある
◆誰でも臨死体験をする可能性がある
◆誰でも小学校教師になってから、
  子供の死体写真をHPで公開する可能性がある

と言えます。

可能性の話しにすり変えれば「なんとでも言える」んです。
だから、可能性の話しをするのは無意味ですね。
可能性があるなんて人間なら「当たり前」じゃないですか。
それと、今学校が苛めが行われていることと
いったい、何か関係がありますか?
可能性があるから・・・それで苛めはなくなりますか?

こういうコト(誰にでも可能性はある)を言っても何にも
ならず、焦点がボケているので、こういう考えでは
問題は解決出来ないでしょう。

苛められる可能性の話しをするよりも、今、苛められている
この現実をハッキリと確認して焦点を当て、
対策を考えることが
求められているんですよ。

「誰でも・・・」という考え方は、正確に言うと考えてない。
思考放棄しているのです。

ここまでわかっている教員や親は殆どいないようなので
だから苛めはなくならない。

<チャンス>


中学入学と同時に苛められたり一人で居ることはなくなった
倅です。

小学校の時のグループは解散の形になるし、
他の小学校から来た生徒が居るので、今までの「秩序」が
なくなります。
この時が苛めをなくすチャンスです。

その時、本人が「苛められない子」になってないと
またやられます。
そして、改善を怠るとどんどん事態が悪化するので
小学校よりも悲惨な目に遭います。

それは「本人にも自分を改善する必要があったのに
それをわからず、変わらなかった罰」に近いものがある。
いったい、何を体験して来たのでしょうね?
小学校時代。
悪いのは全て苛める方だと思っていたのでしょうか?

では、何故、他の子は苛めの標的にならずに済んだのでしょうか?
何故、そこを考えないのでしょうか?

大変残酷ですが、「思考力がないと、痛い目に遭う」のです。
だから、思考力をつけなくては何度でも痛い目に遭うし、
それだけではなく、もっと痛い目に遭うようになります。

ここら辺のことは<〜〜して欲しいと思うのがアワ>
読んでくださいね。
良い悪いではなくて、事実ですから。

<チャンスを掴んだ倅>


倅は中学入学と同時に仲間外れも苛められもなくなりました。
タチの悪い子は居ても、小学校の時のグループはバラバラだし
自分が他の小学校から来た生徒の力(サヌキの)を見極めなくてはならない
自分の死活問題です。
だから、それどころじゃない。

でも、その時苛められっぽかった子が変化していなければ
今度は他校から来た生徒と一緒になって、前からの子を苛めます。
中学生になっても苛めている子は相当タチが悪いし、
成長しているのでやりやり方も悪質になります。

この時、苛められていた子とその親がまだわかってないと、
新たに他校の生徒からも苛められますね。
せっかくのチャンスを生かせないほどのわからずやです。

<チャンスを掴めなかったP子>


近所のP子は小学校高学年から苛められるようになりました。
親と祖母の対応は「苛める子が100%悪い、ウチの子は可哀想」
というものでした。

(後で私がP子と同居したら、これでは絶対苛めれるとわかりました)

なので本人は変わらなかったので、中学に入るとさらに苛めが
定着してしまいました。

それでも、親にはわかりません。
相変わらず「苛める方が悪い、ウチの子は悪くない」でした。

P子は三年間、友人が出来ず一人で過ごすか、変な子と
付き合って嫌な思いをするか、でした。
しかし、高校入学というチャンスがあったのです。

<またチャンスを逃したP子>


さて、P子は高校へ入学しました。
小学生が殆ど同じ中学へ入学するのとは違って
高校は同じ中学出身者は数人です。
だから、以前の記憶=苛められっ子、というのは殆どありません。

なので、高校入学が苛めとさよならする絶好のチャンスです。

ところが、P子は高校では苛めに近いことは少しはありましたが
それよりも誰からも相手にされなくなりました。
友人が出来ない。
いつも一人。
意地の悪い子には嫌がらせをされる。
いつも浮いてる。

そうなったのはP子も親も、自分に非があることがわからず
悪いのは全て苛める子、無視する子、遊んでくれない子であると
本気で思っていたからです。

それでP子は入学後すぐ精神的に参ってしまい、
プチ家出、深夜徘徊、登校拒否などを繰り返すようになったのです。

そしてその秋にとうとう私の家に来て
「家出して来ていい?」と訊いたのでした。
私は
「事情はわかった。明日おいで。」と言いました。

<長女の場合>


長女が5年生の最後の方、春休みに引っ越しました。
6年生からは新しい小学校に通うことになりました。
私は
「転校して可哀想だったね。」と言ったら
「私、今度の学校の方がいいよ。」ですと。

前の学校には低次のサヌキ女がたくさんいたのです。
母親も同じです。
しかし、今度の学校は田舎でのんびりしています。
さらにその学年は優しい子が多く、タチの悪い子がいても
それが主流ではないのことも良かったのです。

長女は転校をチャンスにしました。

<チャンス>


このように環境がガラリと変わる時がチャンスです。
その時を巧く掴まないと事態はさらに重篤になります。

<教師>


夏休み中、登校日を忘れて寝坊した倅に学校から電話が
来たことがあるのです、その時の会話です。
倅を起こすと
「あ、今日だった!忘れてた!」と言います。
もう、かなり時間が過ぎてしまったので私が
「今から学校へ行くかい?」と尋ねると
「今日は休みたい。」と言います。

そりゃそうだ。

こんなに遅刻するなんて恥ずかしいもん。

なので、その気持ちを汲み取ってやりました。

私「倅が今日は休みたいと言うので休ませます。」
教「え?そういうことを許していたら、登校拒否になりますよ。」

はああ?

一日休んだら、即、登校拒否と結びつけるこの教師、
頭がおかしいのではないだろうか?
で、私はムカついたので、厳しい口調で意見を述べておきました。
あ、怒鳴っちゃいませんよ。
ちょっと唸っただけです。

登校拒否の真の原因は
「子供の素質」と「親の無理解・無能」です。

さらに、こういうことを言う教師も、
子供を理解していない無能教師です。
別に私は子供を甘やかしているわけではなく
「自分で考え判断し決定しているだけ」です。

この教師は、そんな育て方をしていたら今に(必ず)
登校拒否になる、と言わんばかりでした。




その後、この教師は主人が勤務する会社に研修員として
一年間(?)派遣されましたが、仕事ぶりは無能でど=しょうも
なかったそうです。

<教師の対応>


教師は文部科学省と教育委員会とにがんじがらめに
なっている面があり、気の毒です。
有能だと同僚に足を引っ張られるのも事実だそうです。
中学校の校長は県の教育委員会では、係長クラス。
パシリだなぁ、こりゃ。
それだもん、権限など殆ど「ない」に等しい。
教育長は雲の上の存在でしょう。



しかし、上に挙げた教師のような無能教師は例外であってほしい。
もし、上の教師ばかりだったら苛めも登校拒否も解決出来ないでしょう。
幸いウチの子は担任に恵まれました。
上の教師は担任ではなくたまたま職員室にいたか
学年主任だったかのようです。

教師に特殊技能は要らず、学歴があればなれます。
そして、教師に求められる能力は、才能ではなく
「人間がわかる能力」なのです。
これがある教師は1割くらいですかね、全員を調べてないけど。

しかし私は基本的に担任を信頼しているのでお任せしているんですよ。
それでも解決しない時、次の動きに出ますが、それは例外です。

<最後に>


主に倅の場合を実例として挙げました。

中学生になってからは苛めや仲間外れとは無縁になった倅。
高校時代も何事もなく過ごし、専門学校生の今は
毎日張り切って通っています。
勉強が面白いらしく、毎日楽しそうです。

先日冗談で
「K、おまえ、まさか学校で苛められているんじゃないだろうね?
 苛められたらお母ちゃんに言いなさいよ。
 苛めっ子の首を絞めてやるからね!」
と言いました。

倅は笑っていました。




<意地悪な子に・・・1>(2006年9月10日)この話は続き物で、下に追加されます。


小学生の息子さんをお持ちの奥さんからこんな相談を受けました。

if 様
 
先日母のインナーチャイルドでお世話になったNと申します。
この数日気にかかった事があるので読んで下さると嬉しいです。
この時期秋の運動会へ向けて、小学校では連日練習があります。
息子が帰ってきて「足が遅いってからかわれたよ。」と言うので

「仕方ないね。本当に足は遅いから。母ちゃんも遅かったしなあ。
だけれど、自分が足が速いから相手が悲しい気持ちになることも考えられずにからかうのは
心が寂しい人だから、それを怒っているとやっぱり寂しい人になる。
からかう子が近くに来るってことは、あんたがその子とまだ心が同じところがあるからかも知れないよ。
いつもニコニコしているとニコニコしたお友達がやってくるよ。」
自分でも難しい事を息子に言ってみました

「走るのが速いのは凄いけれど、母さんは別に早く走れなくてもいいと思っている
(←皮肉られるのは親兄弟にからかわれて自分がいやだったから)。
あんたにはたくさん母さんにとって一番があるからそれでいいんだ。」とも言いました。
からかわれてムッとする事は無くなったものの、からかわれるのは続いている様子
(からかうのはその子一人なので私も気にせずそれっきりでした)。


やりがちなんですが、自分に出来ないことを子供にさせるのが親ですね。
しかし、あまり良くないです。
こういう場合は「お母ちゃんだって、出来ないんだけどさw」と、ことわりましょう。
そうしないと、「お母ちゃんにも出来ない」ということをハッキリと親に認識させるために
いろいろと不都合が生じます。

さて、まだNさんの話は続きます。
私が参考までに模範解答しておきました。
青字がNさんです。



 
Nさんの受け答えは素晴らしい。
私なら・・・・そのクソガキにこう言ってやります。
 
今日その子と出くわした時その子が
「どうしてN君はいつまでたっても足が速くならないの?いつ速くなるの?」
◆「はあ?それがあんたに何か関係がある?
   うちの子の走る速さとアンタの人生と、何の関係があるのかな?
   言ってみな。」
 
 
と言うものだから「速くはならないかも。でもおばちゃんは別にいいと思ってるよ。」と答えました。
「どうして?足が速いほうがいいに決まってる。」と言うので
◆「何でだよ?
  理由を言ってみな。
  さぁ!
  早く!!!」
◆「言えない?
  何で言えない。
  オマエさぁ、喋るときはもちっと考えて喋ろや。」
◆「じゃあ、他のことはどうなんだよ。
  おめーは何でも出来んのかよ?
  人には得意不得意っつうモンがあんだよ。
  全部出来る人間なんているわけね=じゃねーか。
  それとも、てめえは何でも出来んのかよ?
  じゃぁ、今すぐ見せてもらおうぜ。
  逆立ちしてあそこの電柱まで歩きな。
  何?
  歩けねえだとぉ?コラ!
  ざけんじゃねーぜ!(以下略)」
 
 
「そうだね。足は速いにこした事はないかも。
でもおばちゃんはこの子が一番じゃなくてもいいんだ。
走ることがすべてじゃないって事。おばちゃんはこの子には
たくさんいいところがあると思っているから、速くなくてもいいんだ。
笑ってくれるから。」と言っても腑に落ちない感じでした。
それでも「僕、N君と一緒に帰りたくないんだ。だって走るの遅いんだもん。」と言うので
◆「ああ、そうかい、そうかい。
  こっちだってテメエみてえなクソガキと一緒にいると、
  身体が臭くなるから一緒になんかさせたかねえや、とっとと、あっちへ行っちまいな!
  このクソガキ!
  担任と校長に言いつけてやるからな、覚えてやがれ!(以下略)」
  
 
「うん、それでいいんだよ。帰らなくてもいいんだよ。この子はゆっくり帰るだろうから。」
と答えはしたものの、こんな答え方でよかったんかいな・・・と思ってしまいました。
 

まぁ、模範解答は冗談ですけどね。
だいたい、私に子育て相談する方が間違っていますよ。
しかしここまで罵ると疲れますな。
それから、この方法はナントカ罪になりそうなので、皆様にはお勧めしません。



しかし、子供というのは素直に育っていれば、N君の足の速さ(遅さ)に
クレームなどつけません。
他人のことに気を回すことはありません。
子供が自力でそんなことは考え付きません。
他人がどうだろうと、気にしないものです。

その子供がそういうことを考えつき、それを語るというのは99%、親(特に母親)
の子育ての結果です。
母親が常にそのような気持ちで生きているからです。
たとえ、そのことを言葉として出さなくても
「そういう心の姿勢」で生きているのです。

「子供は親を映す鏡」です。

この例だけではなく、私の友人もこぼしていました。
中学生になる子供の友人がやはりこの意地悪な子と同じようなことを言うそうです。
勉強出来ないとダメなんだよ・・・と。
そして、いい高校に入っていい大学に入らないとダメなんだ。と。
友人はそんなことはないよ、毎日楽しく生きていればいいんだよ、と言ったら
それじゃぁダメだ、と、その子は言うそうです。
そして「お母さんが言ったもん。」と。

この子も母親の洗脳を受けてしまっているんですね。

一番の被害者は「変な洗脳を受けたその子達」です。
(※えええっと、毎日楽しく生きる・・・って方が変だと思う人はいますね。
   価値観が今、どんどんハッキリとして来ていますわね)

表面上嫌な目に遭っているのは、N君ですが、本当の被害者は変な思想を
植えつけられてしまった、その意地悪な子なのです。
嫌な思いをするのはたしかに嫌です。
でも、もっと重篤なのは
「(母親から毎日)嫌な目に遭っているのに、それを意識化出来なくなっているその子」
です。
これは怖い。
後が怖い。
とりあえず、3〜5年後が怖いですね。

母親の洗脳は一生続きません。
その子が中学、高校、大学と進み、社会に出てから世間と自分のギャップに
愕然とするでしょう。
コトは「走る速さ」の話ではありません。
全ての点で変な洗脳を受けてしまった子供が社会に出たら・・・反動が凄いでしょうね。

5年後が怖い・・・そう思わせる子は沢山います。
そういう子の親に忠告したいが、そういう子の親は忠告されると逆上するので
説得は不可能です。
だから、子供が問題を起こすのです。
つまり、
「言ってわからない場合は痛い目に遭う」のです。



if 様
 
そのお答え、胸が空きます。
内心そういう答えも浮かんではおりましたが、
(わっはは!)
その子の心のトラウマになることから逃げてしまいましたw
ヘタレです。
(いや、正常です)
息子が言われたという事より、どうしてその子はそういう思考回路なのだと気になったのです。
(そうそう、それに考えが及ぶのがいいんです)
一般的に自分で物の価値観を考えられる時期ではないだろうから、
この子の親の普段の言動がどれほどの感じなのかと興味半分でした。
(面白がれば成功です)
いや、if さんのサイトを知る前ならきっと感情的になって最悪な回答をしていたかも・・・
自分の言動にも一歩引いて少しは考えられるようになったから、超低次よりは成長したなと思いたい。
しかし、同じことをまた言われたらどれが一番いいのか(その子の心に響くのか)
・・・トラウマ回答しかないかしらw

(たとえば「ぶっ■すぞ!」とかかしら?)
親が成長しなければ何を言っても同じなのかも知れないですね。
(そうなんです、子供が親の影響下にある時は無駄です)
どうして「十人十色」がわからないんでしょうか。
 

本当にねぇ。。。
この子の親はどうやってわかるのでしょうかね?

人間は何事かをわかる(サトル)ために生きています。
わかることが出来るような場面に遭遇するよう自分で設定しているようです。
たとえばNさんはこの体験から何かを悟ったようです。
それでいいんです。

その子のことは神様(とか、悪魔)に任せましょう。
人間である私達はただ、見守っていましょう。

<意地悪な子に・・・2>(2006年9月10日)


if  様
 
「子育てのいろいろ」拝見してきました〜。
赤い文字のところ、読んでて体が縮こまりました・・・。
そうですね、気づかずに自分が色々強いられて苦しかったのに押し付けてしまいました。
息子は私よりもニコニコ笑顔が素で出来るので、期待してつい言ってしまいました。
自分のような子供になって欲しくないあまりに、
結果「そういう子供になって欲しくない」という自分のエゴを押し付けることになるんですね。


そうなんです。
でも、それは親としては当たり前なので、いいのです。
ただ、その時、「自分には無理だったが今、努力している」ということを
自覚していさえすればいいんです。

息子の笑顔が好きなのに、遠ざけるようなことをしているのかも知れません。
よう気をつけんといけん
そりゃいけん。
次に同じことを言われたら、模範解答のようには行かないけれど
模範回答じゃないですよってばw
「問いかけ」てみようかなと思います(トラウマ回答になったりして)。

相手(子供)の出方によりますね。
素直に聞けばよろしい。
ナンだかんだと屁理屈を言ったり、素直ではない態度を取った場合は
「これをやるとトラウマになる」ということを自覚しつつも、
愛情を持って説教すればいいと思います。
少し前、私はマンションの近くから息子の下校する様子を部屋から見ていたことがあります。

家も近くとあって例の男の子ともう一人二人がグループになって一緒に帰ってくるのが見えました。
帰りに小さな公園のようなところがあるのですが、よく寄り道してそこで遊んでいるんです。
どうやら延々と鬼ごっこをしている様子で、一旦戻って「もう帰ってくるだろ」という頃にまた
見に行くとまだ鬼ごっこをしています。
見た感じ例の男の子もめちゃめちゃエンジョイしている様子でした。
子供は鬼ごっこをして遊ばなければね。
小さいうちは小さいうちにやらなければならない「遊び」があります。
これをしないで大人になると・・・・確実に心がやられますね。
だって、散々遊んでもまだ足りなくて、多くの大人が心に問題を抱えてますもんね。
子供から遊び(ゲームやマンガなども)を取り上げてはいけないな。
ぐるぐるぐるぐる回ってキャーキャー言って楽しそうでしたが、
あんまりにも長いから息子に声をかけてみたんです。
習い事をしている子や、親御さんが仕事を持って忙しい方もいて
時間通りに帰らなければ心配されるので
「もうそろそろええやろ?汗もかいたからきりのエエところで帰ろうね。」と言うと、
例の男の子がそばにやってきて
「僕は家に帰りたいのに、Nくん(うちの息子)とA君が帰してくれな〜い。」
と言うのです。


そういう子供はいますね。
かなり歪んでいます。
きっと母親が管理型の人ですね。
勿論わからずやです。
母親がわからずやなので、その子は無意識に母親には良い子の振りをしますね。
だって、ありのままを出すと叱られるからです。
なので、いつも演技をしているのです。

なので、この場合、N君のお母さんが登場してもN君のお母さんに良い子の態度を
します。
そうすれば大丈夫、安心なのです。

この子が「N君足が遅いから嫌だ」と言ったのは、それを「悪いこと」だとは
夢にも思ってないので言ったのです。
これ以上「正しいことはない」くらいに思っているのです、無意識でね。

この子は小さいながら、母親の前では良い子を演じなくてはならず
自分が思う正さが周囲とずれていることにだんだん気付くだろうし、
大変ですよ、将来が。
い、いやあんたさっき一番エンジョイしてたやないか、
と思ったのですが呆気に取られておもしろい答えが言えませんでした。
いや、もしかしてお笑い好きでボケただけなのかも知れない、
それなら素敵ですが(吉本ばりにずっこけてやったのに)。
「あんた・・・一番楽しんでたよ。」が正解でしょうか。
◆うん、それが正解。
  「このボケ=!
   オマエが一番楽しんでたやろうが!
   ちゃんとみとったぞ、ゴルァ!」
  なら、さらなる効果が期待出来ます。
◆クソガキが屁理屈を言ったら、普通の大人は「屁理屈を言うモンじゃありません。」
  と、説教するでしょうが、屁理屈を言うとその後嫌な気分になる、というのを
  実際に体験して味わってもらうために、こっちは「それ以上の屁理屈」を
  言ってやればよろしい。
  つまり、鋭い突っ込みで返す・・・・と。
 
 
 
何度かズレたやり取りがあったので、今回の事はいかにも彼がいいそうなことだなとも思ったのです。
興味深くもあり、今後ナマ暖かく見守ろうと決意しました。
出来れば早めに親が気づいて、良い方向に育ってくれるといいのですが・・・
◆生暖かく・・・・・・・・・・・いい言葉です。
  冷たくじゃないところがいいです。
  その子の親と会話出来ない現状からすれば、
  暖かくというのは、頭ではわかっていても、心がついて行きません。
  それでいいんです。
  人間なんだもの。
◆しかし、子育てって、いろいろと考えさせられますよね。
  私も子育ての体験で、思い出すと無性に腹が立つことがありました。
  今では、思い出しても感情は動かなくなりましたが、数年前までは、ダメでした。
  何に腹が立つかというと、相手の親子よりも、
  「巧く処理出来なかった自分に対して」腹が立つんです。
  本当に子育てには知恵と勇気が要りますね。
  頑張ってくださいね。

<意地悪な子に・・・3>(2006年9月13日)


Nさんからまた、報告がありました。
今度は面白い解決方法の話です。

if 様
 
「人間のはなし・意地悪な子に」のご相談させていただいたNです。
昨日ついでがあったので学校へ息子を迎えに寄ってみました(なんだか気が向いたんです)。

運動会の練習があるのでペットボトル入れを持って行かせているのですが
「それが無くなった」と困った顔で言いました。
姉(車で連れてきてくれた、いじめられ慣れしてる)が何かピンと来たらしく
「一緒に探して来い」とのことで
「無くなったって別にエエやん。」と思いながら
(数日後に中身が腐って見つかってもいやだしとも思うので)
教室へ行ってみることに。

担任がまだ残っていて
「昼間クラスの皆で探したんですが見つかりませんでした。」と言われたので、
「無くなったら仕方がないんですけど、腐って見つかったらヤですよね・・・」
という私の「腐って見つかったら」という言葉に反応し
再び探し始めました。
そしたらありました、掃除道具入れの中に。

私は故意にされた事だと判断しました。
(息子が冷蔵庫と間違えて無意識に入れてしまったのかもという可能性も捨て切れませんが)。
犯人は大泣きする息子を横目に何食わぬ顔で探すフリをしたのでしょう。
「こりゃダメだ。性根が腐っておる。寂しい子だ。」と思いました。
きっと息子が反応すればする程おもしろいと感じているに違いないし、
その子は何か穴があいている、こちらからはどうしようもない。
息子の心持ちを変えていくしかないのだ。

「ねぇ、母さん黙っていたんだけど・・・実は宇宙人がいつも私たちを見ているんだ。」と言いました。
「???どういうこと?」

「周りの誰に言っても信じてもらえないと思ってたから、あんたにも信じてもらえるかどうか
わからないから言わなかった。でもやっぱり言う。
宇宙人はいつも見ていて、あんたが怒っているところも泣いているところも
すべてお見通しなんだよ。怒ってばっかり、恨んでばっかりいると素敵な世界に行けないんだよ。
素敵な世界に連れて行ってもいいかどうかいつも見てる。その証拠に母さんが『UFO見たいなぁ、
すごく見たいなぁ』と思ったらその日にすぐ夢に出てきてくれたんだ。(←これは事実)
あんたが出てきてくださいって言うときっとすぐ出てきてくれるよ。お願いしてごらん。」
「わかったっ!!!」と目を輝かせながら息子は眠りに就きました。

次の日の朝
「母さんっ!出てきたよっ!」と言うのでどんな感じか聞いてみました。
     ・飛行機の形をしていてボディは金色、翼は銀色
     ・宇宙人は息子と同じ顔、アンテナがあって鼻筋にマイクロチップ、目は黒いが光っている
     ・高速回転しながらゆ〜っくり左右に大きく揺れて飛んでいった
のだそうで、
「それからね、UFOに赤く英語の字が書いてあったよ。」というので
ユー・エフ・オーとでも書いてあったのかな(←想像力貧困)と思って聞くと
「『エス・シー・エー』って書いてあったっっっ!!!」というではないですか。

息子を送り出した後、ワクワクドキドキしながら「SCA」をネットで検索。
最初に目に入ったのは「埼玉サイクリング協会」・・・・・
長文の雑談失礼しましたm(_ _)m

オチまでついてます。

ところで、小さいうちに「自分をいつも見守っている、高次元の存在」について
子供に教えておくのは良いアイディアです。
高次元の存在は
◆神
◆天使
◆妖精
◆守護霊
◆ご先祖様
◆宇宙人
なんでもいいです。

それらの存在がいつでもどこでも子供を見守っていてくれて、時には助けてくれる。
良い子にしていれば助けてくれる・・・と、教えておくのです。

うちの子が皆、良い子なのは小さいうちから親が私なので
神、天使、先祖、守護霊、宇宙人が、見ていると教えたからかもしれません。
それらが出て来るビデオを見せたりもしていました。
趣味で。

キリストの言葉に「小さいうちに神の存在を教えなさい」とかいうのがあります。
そういう存在がいつでも自分を見守ってくれているとわかれば
子供は勇気が出るし、悲しみや苦しみが半減しますね。

Nさんのお子さんは意地悪な子に毎日のように嫌がらせされていますが、
それを切っ掛けにして心の中にちゃんと宇宙人が棲みついてくれました。
災い転じて福と為す・・・
良かったじゃないですか。
何もなければNさんが息子さんに宇宙人の存在をインプットすることはなかったろうから、
意地悪されて却って良かったんですよ。

息子がすんなり信じてくれたのは、私がドップリ信じているからだと思います。
息子とは「ここだけのヒミツ」で誰にも話してはいけない、信じる人は少ないからと
いう事にしています。
合言葉は「いつもニコニコ、宇宙人が見ているぞ」です。

ほえ〜!
そういうお母さんならお子さんは大丈夫です。
どんなに苛められても大丈夫です。
うちの息子も苛められていたけど、登校拒否にならなかったし、学年が進むにつれ
だんだん強くなり、苛められなくなりました。

「トンデモが子供を救う」
「トンデモの母が子供を救う」

ですな!

Nさん、面白い話を有難うございました。