人間のいろいろ12


皆さんのおかげで記事を更新するのが忙しいです。ありがとう。

<The Spirit Of the Hawk>(2009年5月2日)





♪ヘヤマヘヤママ ヘヤママ ヤヘヤマヤ オマヘ♪

娘達から「レッド・ホーク」と呼ばれている私です(何で?)
そういう娘達は「スタンディング・ベア」と「スリーピング・ベア」ですが。
私はアメリカ・インディアンが好きです。
先日見た映画「ベッドタイムストーリィ」に、インディアンが出て来ました。
主人公が「良い乗り物を探している」と言ったら長老が「フェラーリを持って来い」と
部族の者に言いつけた。すると・・・(ネタバレするので内緒)


この曲はインディアン風なロック曲ですが、いい感じ。
出だしが「プロジェクトX」に良く似ている。
他の曲もいいです。  

Indianie-Mohicans
http://www.youtube.com/watch?v=Hxpw7ivJZMs&NR=1

sacred spirit−Yeha Noha
http://www.youtube.com/watch?v=XPd9be8R5bA&feature=related




インディアンとはwikipedia

インディアンはヨーロッパから来た白人によって虐殺され人口が激減しました。
インディアンのシャーマンの中にはそういう未来が来ることを予知していた人も
いましたが虐殺を逃れることは出来ませんでした。
しかしシャーマン達は予言しています。
「いずれ白人達は我らに生き方を教わりに来るだろう」と。
そしてその通りになったのです。

<読んでない人>(2009年7月28日〜30日)


以前の記事で「聞いているが聞いて無い人」について語りましたが、
それと同様、読んでいても読んでない人がいます。
ざっと目を通すだけの人がいる。
それでは何も理解出来ないですね。



物事が分からない人が私に相談を持ちかけたりしますが、
それらは「人間のいろいろ」他を読んで波動を上げれば殆ど解決できるものです。
殆ど、と書いたのは、まだ全てを言い尽くしてないからです。
それでもこれまで書いて来たことをちゃんと理解出来ていれば、
分かるのに何も分かってない、ということは「読んでない」ってことです。

読んでいるが読んでないということ。
そういう人は読んでいても気を入れて無いのです。
「イマイマにキを入れて無い」
イマイマにキを入れてなければ、他人の言葉も他人の文章も何も理解出来ないでしょう。



語る言葉も文章も、真剣に聴いたり見たりすれば分かるのですが、
それはその人の波動量なりに分かるのです。
波動量(レベル)を超えては分かりません。
なので、分からずやは他人の何を聞いても見ても読んでも
何も分からず徒に時が過ぎて行きます。

ではどうしたらいいんだ?

真剣になることです。
これしか無い。
分からないのに分かった気になる人が殆どです。
分かった気になればその時から成長(向上)は止まる。
そしてそういう人が殆どなのですよ。
<率直な言葉に対して>


沖縄の聖人は素晴らしい人ですが、言うことはきつい、辛辣です。
容赦しません。
容赦しない人を残酷だ、意地悪だと感じることは傲慢です。
と、書いてもそれを納得するには納得出来るだけの波動量が必要なのです。

沖縄の聖人は「当たり前のこと」「本当のこと」を言ってるだけです。
それに対してああだのこうだの言う、ってのは、我が強い。
あ、スマナサーラ師も優しい人ですが、言うことはストレートですよ。
それに対してああだのこうだの言う人もいるでしょうが、我が邪魔をしている。

ストレートなモノ言いに対して、クレームを付けるような手合いは
本当のことなど分かりたくも無い、それより大事なのはこのオレの我だ、
アタシの我だ、というところでしょうね(あ、勿論そのことは自覚していません)。
それでも良いと思います。

分かる生き方を選ぶも分からない生き方を選ぶも自由です。
<これでひとまず終了>


「人間のいろいろ」ですが、PANDORAのファイル量が多過ぎて新しいページを作れません。
これでひとまず終了します。
<読んでない人は私です>(2009年7月30日)


Kさんから上の記事を読んだ感想が来ました。


「人間いろいろ12」の<読んでない人>(2009年7月28日)
これは私のことだとすぐ分かりました。
そしてあらためて「人間いろいろ」を始めから読み返し始めました。
恥ずかしい話ですが、まさに私のことだらけでした(汗)

以前は理解できなかっただろう内容も、
やっと理解できるレベルになってきたということなのかもしれません。
実際の具体的なケースに対しての内容なので、とても理解しやすいのです。
(というかあてはまったケースばかりでした。)
こんなふうに気付ける機会・場所があったことに本当に感謝しました。
すべて読み終わってからも定期的に読み返していこうと思っています。


相似象も最初読んだ時から、しばらくしてもう一度読むと以前より理解出来ている
自分に気づきます。
それは自分の波動が上がったからなのです。
(私は霊視は出来ませんが、きっと魂が大きくなっているはずです)

相似象の本は「サヌキアワのサトリ」一冊だけ買って、何度も読み返すのが良い。
最初の方の小さい物理の本は別として、別冊は一冊あれば良い。
内容は殆ど同じです。
一つのことを様々な角度視点から細かく書いただけです。
全部買って毎日熱心に読んでもいいが、それだけやっている人はあまりいないでしょう。
それより、一冊買って何度も読み返す方法を、私はお勧めします。

<ふわふわふわふわ>(2009年7月24日)


メールをくださる、PANDORAのお客さんの中には居ないのですが、
世間には精神世界に興味を持つのは良いが
あっちを少しかじり、こっちを少しやってみる、ということを延々と繰り返している人がいます。
傍目に見ればそういう人はいったい何を求めているのかしたいのか、分かりません。
でも、本人はそのつど、興味を持った対象について真剣なのでしょう。
しかし、その対象を掘り下げる能力が無い、乏しいために何をやっても中途半端。
どれもこれも楽しい。
ただ、それだけ。
になっている人がいるのです。

こういう人は何か月経とうと何年経とうと同じことをやっている。
で、身についたものは?と言えば、様々なことの表面をなでた「知識」と「情報」だけです。
傍からみればふわふわしている。
見る人が見れば一目(ひとめ)で分かる。

(※そういう人が自分のそのような状態を分からないのは、
   周囲に自分と似たような波長の人が多いからです。
   なので「あなた、それは変」と言ってくれる人が居ない。
   たまに善意で言ってもらっても、言葉の意味を理解しません。
   なので、何年経とうと自分の状態を分かることが出来ない。
   これって
   既に幽界の状況ですよね・・・)

   
そういう人は「グラウンディング」などと言っているようですが、
最もグラウンディング出来てないのは本人ではないか?と、思います。
それが悪いとは言わないが、時間とエネルギーが勿体無い。

もっと言えば魂にとって大変、勿体ない。

<後の者が先になります>(2009年7月23日)


以前にも書きましたが「後の者が先になる」のです。

私がサイトを開設する前は、いろいろなサイトでお客をやってました。
そこで様々なコトを学びました。
主に占いのサイトを巡っていたのですが、殆どの管理人さんは優しく思いやりに溢れた良い人でした。
その体験があるので私は自分で占いをやってみようと思ったのです。
(※ごくたまに低級霊に憑かれている人がいました)

自分でHPを作りサイトを開設し運営を始めたのですが、その時の体験が役立っています。
とはいえ。
私はサイト運営で稼ごうと思っていたわけではありません。
何かしたいと思っていただけです。
自分が書きたいことを書いていただけですが、今では仲間も増えてその人たちの繁栄を祈りつつ
クレームつけつつやっています。


思うに、後から参加した人の方が先へ行く傾向がある。
例えば絵のリーディングですが、最初の頃より格段に質が上がっています。
最初やっていた方の中にも素晴らしい人がいましたが才能があるのに、心の姿勢の点で惜しい部分があり、
そこらへんを説得しましたが、本人は自分の今の状況が不味いと思っていませんでした。
とても惜しいです。
こればかりは本人が悟らない限り、こちらとしてはどうしようもありません。

これはほんの一例ですが、最初の頃の方達は、PANDORAの「人間の話」を読まなかった方達です。
途中から参加した方達は「人間の話」を読んでいたので、心の姿勢とは何かを理解したし、
思考の仕方も一応頭に入っています。
なので最初の頃の方達はその後PANDORAについて行けなくなったが、
途中から参加した方にはそこらへんのサトリがあったのか(全員ではありませんが)
その後精進する(向上する)ことが出来たので、憑いて来られない、ということが無いようです。
なので途中から参加した方が、もとからいた人よりも「先へ行く」ことが出来るのだと、思います。

PANDORAに限らずどこでもそうです。
心の姿勢が↑の方、素直な方が向上できるのです。
向上出来る人が会社でも家庭でも物事が分かるので中心になって行くか、
状況によりますが縁の下の力持ちとなって環境改善出来る。

事態は刻々と変化している。
その変化について行ける人が、これから発展する人です。

<多重人格のうそ>(2009年7月21日)


過去にも記事にしました。
テレビなどでたま〜に「多重人格者」を扱った番組があります。
私は多重人格などというものは認めないのです。
3歳児になる人がいますが、それなら公衆の面前でおしっこをしなされ、それなら信じます。

3歳児ならおむつも取れてないだろうから、おむつにおしっこやうんちをしてもらいましょう。
うちの子供の一人が3歳頃ウンチを食べたことがあるので、その人にも食べてもらいます。
3歳児なら二階の窓から何かになりきって飛び降りるし、使用中のアイロンを持つ、
ストーブに裸のお尻をつける、棚の上のサボテンを落として顔や手ににトゲが刺さりまくる、
スズメバチに触る、獰猛な犬に手を出す、など平気でやります。全てうちの子がやりました。

うちではありませんがシュレッダーに平気で両手を突っ込みますから、やってもらいましょう。
他にもいろいろ楽しめそうですが、今のところこれくらいしか思いつきません。
上のことをやれた方に限り、私が「この方は本物の多重人格者です!」と、
太鼓判を押してあげますから、どうぞウチに遊びに来てくださいね♪
あ、来る時3歳児では来られないので、その時は大人のあなた、あなたが連れて来てくださいよっ♪


と、まぁ、もし実行したら「幼児に対する虐待&監督不行き届き」でタイホされそうなので、やりませんが、
ほっぺをつねって苛めるくらいのことはやります。
3歳児なら言葉を巧く喋れないから「コノオバチャンココチュネッタノ」と、大人に言いつけても
「えええ?おばちゃんが?うっそ〜♪やるわけないでしょw嫌だ、この子ったらwwwwwww」と、誤魔化します。

さて、私のように多重人格者というものを信じない人が他にもいました。
霊的能力のある方です。
その方の日記を掲載します。
「超スピリチュアル体験記」(2009年7月21日)より。(改行などを私が編集してあります)


私の霊視による多重人格というイメージはですが、多重人格という病気自体を
認めちゃうと、依存傾向にある方にとっては都合の良い世界になって行くのではないかと思います。

何年か前に狂牛病という病気が世間を騒がせて、アメリカからの牛肉を
輸入禁止になった時期がありましたが、狂牛病という病気は、肉牛の餌に
肉コップンという、同じ牛の脳や、内臓を混ぜた混合物を入れた事によって
牛の脳に異常をきたし狂って死んでしまう病気でした。

人間にもこれに似た病気が存在しますが、生物学的には、同じ種類の動物を
共食いしないように自然界の摂理的なイメージで、そのシステムが出来ているようです。
どこかの国のある地域の住民の間には、女性は肉を食べてはいけないという風習があって
唯一、女性が肉を食べられるのが、その地域の住民の誰かが亡くなった時に
その遺体の肉は食べていいという決まりでした。
そのため、女性だけが人間の肉のほかに脳みそや内臓などを食べてしまったことで、
ヤコブ病という狂牛病とほぼ同じ病気が多かったことを、何かの本で見た事があります。
人間が集団生活をする上で、この共食いと同じ以上に、多重人格を認めることはとても
危険なイメージです。


多重人格者のイメージに深く入ってみますと、自分の社会的なストレスや自分の
自己表現のために、意識的にまたは無意識的に多数の人格を作っているイメージです。

神経科的には、主人格が居て、副人格が多数いるとも言われて居ますが、
実際は、主人格である本人が一人そこに居るだけのイメージです。
演技性の人格障害という病名もありますが、お医者さんがしっかり診断を下せる方であれば、
あえて多重人格とは診断しないで、演技性でいいのではないかと思います。

多重人格という病気を病名として認めてしまう事の大きな弊害はですが、たとえば
社会性のはずれた方や、頭のいい方、人を凄く恨んでいる方等が、罪もない人に
対して殺傷を犯してしまったとします。
そこで、神経科医などが、その犯罪者の心理分析をした時に、社会的な責任を
逃れるための言い訳をほとんどの犯罪者の方はすると思います。
そこで、多重人格という病名が常識的に認められている病気になってしまったなら犯罪者の言い訳として、
「私は何をしたかよく解らないが、もう一人の自分が犯罪を犯したかも知れない」と

自分が犯してしまった自分の責任であるはずの犯罪を
居るはずもないもう一人の自分(副人格)のせいにしてしまうと思います。
この犯罪者の言い訳に関しては、ほとんどの精神分析医の方はその心理を分析して
言い逃れ的な意味合いを認識できるものと思います。
しかし、本当に怖いのはアメリカなどの大国が多重人格の病気そのものを認めたり
日本でも権威のある医師がその病気は実在するものと認めてしまった場合の時です。


縦社会の日本の医療現場においては、多重人格自体が診断名となって
常識的な病名となってしまうものと思います。
これと並行して、一般市民の中にも多重人格という病気が認識されるものと思います。
これって、とても危険な事だとは思いませんか?

犯罪を犯したときに、自分の中のもう一人の人格のせいにすればいいのです。
また、犯罪を犯す前にもう一人の人格を架空に作って、もう一人の人格のせいにすればいいのです。
これって、本当に怖い事だとは思いませんか?
もし、そんな風に、多重人格という副人格の存在を私たちの精神神経科の世界でも
病気の治療と言うよりも、その患者さんの言い訳の治療となってしますものと思います。

結局、霊視的にも、心理学的にも、一人の人間に人格は一つなのが絶対的に
曲げてはいけない人間社会の摂理であると思います。
人間は自分の弱さを言い訳する動物です。
言いわけは自己責任においてクリアしなければいけない自分自身の課題でもあります。
もう一人の自分などという人物に、意識的または無意識的になり切ることの責任も自己責任です。
これを人が認めることではありません。認めることで、もう一人の自分という
いい訳を他人が容認することになります。
受け止めはいいですが、受け入れは、本人の想像やいい訳を拡大することにもなります。

霊や過去生や副人格などに興味があったり、証明されていない分野だったりしますので、
もしかしたら、自分以外の霊的なエネルギー支配によって、多重人格という病気が
発症していると思われている方も多数おられると思います。
でも、現実社会においては、犯罪となりうるケースも出てきてしまったり、患者さんの
その後の治療も困難になるだけなので、多重人格を認めることは、絶対にタブーであると思います。

いろいろな意見があるとは思いますが、人間には一つの人格しかないという事が
私の職業的な経験と、霊視的なイメージでの答えです。
本当に長くて、解りずらい文章を、最後まで読んでくださいましてありがとうございました。
この方の霊視だけが正解とは思いませんが、この意見を大いに参考にしたい。

多重人格者は人格が多重なのが問題ではなく、人格が未熟、低次元なのが問題だと思いますよ。
未熟でも低次元でも楽しい生活があればそちらを楽しんで生きれば良いが、
楽しいことが無いと、このようなコト(多重人格)を考え出し、楽しむのでしょう。
こういう人は居ても良い、居るなとは言えない、自由にやれば良い。

情けないのは医師がそれに乗ってしまうことです。
そして〜〜症候群などという言葉をつけて病人扱いをする。
たしかに多重人格やっている人の精神は病んでいる。
が、治療法は沢山の人格がどうこう、ではなくて、そのような低次元のことを思いつくことに対して
行われるべきではないだろうか?

しかし今の医学ではそれは不可能なのかもしれない。
殆どの医師には通じないことかもしれない。
少数のマットウな人格を持った医師になら通じるだろうが、その医師達も他の医師が治療している
件について、無関係であるから敢えてくちなど挟まないのでしょう。
営業妨害になるし。

これは医療に限らず全てに言えることです。
誰も敢えて自分には無関係のことに口を挟み、トラブルを発生させようとは思わないから。

<豊かさについて4・・・無駄をなくす>(2009年7月17日)


「plus en plus」のamanesuさんから。

「収入が減っても平気」ってお話である実験を思い出しました。
「生活費が足りない」って言う人は幾らあったら足りるのか?
って実験をしたのだそうです。
一ヶ月の生活費+5万円を渡して様子を見ると・・・
「やっぱり足りない」って答えが返ってきたので、
今度は、一ヶ月の生活費−5万円を渡したら・・・
なんとか生活したそうです。
 
足りなくても人間平気、むしろ無駄が無くなるみたいですね。

この実験の信ぴょう性は置いといて、そういうコトもあるだろうな、と思います。

今から20年ほど前に「母原病」という言葉を発明した医師がいました。
母親が原因で子供がおかしくなる、という論理です。
これは言えてます。
当時社会に変な子供が増えたのでそれを憂えた医師が何とかしようと努力したのです。
それを理解した人もいれば理解しない人もいましたが。
(※理解しない方は、「母原病とは何だっ!」と、感情的になっていました。
   その人たちは幽界に逝っていることでしょう)


それは置いといて、この医師が行った母親の治療法は
「なるべく少ないお金で暮らす工夫を母親にさせる」というものでした。
その結果子育てが改善されたようですよ。

何故、このような指導をしたのか、私には分かりますが、分からない人が多かったのではないかな。
世の中の殆どの人は学歴学力に関係なく、本当の思考力が無いのでね。

<豊かさについて3・・・金が無いと感じない>(2009年7月15日)


さてさて。
下の記事を読んだしずさん(「つれづれなるまま」管理人)から感想が来ました。
ifさん こんにちは^^

人間の話で収入が減っても幸せ〜
は、正に家もそうです。

夫の収入サラリーマン時代に比べると、おそらく半分くらいになったかもしれません

でも自称社会不適合者が普通にサラリーマンをするストレスたるや
想像を超えるものがあったと思います。
いつもストレスを抱えて心が怒っていたので蕁麻疹や湿疹で皮膚を病んでました。

私も嫌なことをさせて生活させてもらっているという
妙な申し訳ない気持ちを持っていました。
今よりずっと夫に対して気を使ってました。

今は我が家を運営していく為の上納金を納めていれば
後は何をしててもいいよ〜って感じで
好きなことを仕事にしているのでストレスも無いみたいで
皮膚の悪化も少なくなりました。

私も妙な罪悪感から解放されて
本当に収入は減ったけど
今の生活の方が何倍もいいですし
収入が減ったのは感じません

夫のこづかいを家計から出さなくなったので
その分、楽かもしれません^^

ストレスの無い生活が一番です
お金より心の平和が大切なんだな〜と思います



しず



そうなんですよ。
収入が減ったのに、何故か
減ったと感じないのです。

我が家もそうです。
主人が役職定年になる、と一年くらい前に聞かされたので(へえ!)と思いました。
そして年間500万円も収入が減れば、こりゃ大変だ、と覚悟していました。
すると・・・・・・・・・・・・・・・収入は減っているのに特に変化が無いのです。
あれ?
人間は入った分だけで生活していけるんですね。

またしずさんも書いてる通り楽しく暮らしているとストレスが無く、
毎日適当に張りがあって楽しいので、病気や怪我もしません。
よって金がかかりません。
また、最も大きな理由は「金がかからない状況になる」ことです。
家族、子供、家や車のローンなど、様々な面でお金が掛からなくなるのです。



余分な金があると、変な理由で出て行くものです。
(たとえば、県立高校に入れないので偏差値の低い私立高校に行くことになる、とか。
 私が住んでいる県では県立高校がレベル高いのです。
 金持ちの家は不思議なことに学費の掛かる私立高校に行く羽目になるようです。
 我が家は貧乏=余分な金が無いので、全員県立高校に入ってくれました)


また、毎日が楽しいので「事故に遭う」というのが無い。
事故に遭えば金が掛かるが、金が無いので事故にも遭わない。
(金が無いだけでなくて、毎日楽しく暮らしているからだとは思うが)
(金が無い!どーしよう!と心配していると、その心配が具現化するおそれあり)
(勿論事故に遭うような想念でいれば、金が無くても事故に遭う。
  これを泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、と言います。
  マイナス想念がさらなるマイナスを現象化させる、という意味です)


しずさんは

収入が減ったが出費も減ったので
感じない。

ストレスが無い分、以前より楽に感じる

っといった感じです。


と言ってます。
その通りですね、うちもそうです。




まぁ誰でも金が無ければ良い、というものではなく、
金が無くても平気なレベル(意識レベル、精神、心、波動量)に達していれば良い、ということ。
そのレベルになれば、幸せは金の有る無しに左右されない、ということです。
ということは、やはりそのレベルに達することが求められる。
誰のためでもない、自分と家族のために、ですよ。

このレベルに達するには特別な修行は要らない。
ただ、普通に生きていれば良い。
毎日明るく楽しく素直に無邪気に生きるだけ。
生まれ赤児の心となること(日月神)
生まれ赤児は心配などしませんから、それに倣うこと。
簡単だけど難しい。

なので普通の人にはかなり困難かもしれない(中途半端に発達した頭が邪魔する)。
この境地に達するには
◆社会に適合するのを辞める
◆ひたすら素直に明るく無邪気に生きる
◆病院行き一歩手前くらいの楽天家になる
◆何とかなる・・・・・・と、潜在意識にまで到達させる
◆他のことを考える(心配する)余裕が無いほど、一つのことに打ち込む(ネットの店でもOK)

◆他



簡単なんですよ。
社会不適合者にも出来るくらいですからw
(だからこそできるのだ、とも言えるが)

<豊かさについて2・・・富とアセンション>(2009年7月15日)


アメリカ・インディアンのタロット占いサイトの「Vision Quest」の管理人MWさんからメールが来ました。
何でも自分のブログに書ききれなかったことがあるそうです。
ブログの文章があまり長いと読みづらいので全部書けないですね。


ブログのほうに書きませんでしたが
実は火の母とメディスンマン以外に
一緒に引いたカードに共通していることがありました。
それを読んで少し感想を書きます。
 
 
 
大地の10 Wealth〜富〜
 
(キーワード)
富、満ちあふれている、贅沢、豊富、豊かな実り、この上ない意思、創造性が実りをもたらす
 
「内なるメッセージ」

あなたは内なる宝物庫が開かれているのを見出しました。
これからあなたは、このすばらしさと温もりを世界中に広げることが出来るのです。
他の人たちとこの幸運を分かちあって下さい。
何であれあなたが与えたものは、何倍にもなって還ってくるのです。
あなたが持っている最も尊いものは、あなた自身の内的存在、そのあるがままの姿です。
そして真に豊かさとは、内なる自分を無制限に与えることにあるのです。
 
「外的世界で起きること」

自己発見のために使ったエネルギーの全てが、今実を結びます・・・・それもたっぷりと!
自分の中の価値観に誠実であればあるほど、より沢山のエネルギーが降り注ぐでしょう。
しかしながらこの内的、あるいは外的な富をしまっておいてはいけません。
賢く使ったなら、その富は循環し、さらに豊かになって戻ってくるからです。
今は、満ちあふれているあなたのエネルギーのいくらかを新ことに注ぐのに向いている時期と言えるかもしれません・・・・
それも、物質的な、儲けを得ることを目指して何かをするというよりも、
むしろ愛情から生まれる寛大さをもって何かを行うのにいい時期でしょう。
 
 
水の4  Abundance 〜豊富さ〜
 
(キーワード)
豊富さ、多量、贅沢さへの誘惑、富、儚い満足感、貪欲な、差し迫った変化
 
「内なるメッセージ」

あなたの中にある何かが決定的な成熟を迎えています。
杯は満たされており、あなたは今こそこのカードの重要性を理解し始めるのです・・・・
縁までいっぱいに満たされたものは、自然に空っぽになってしまうでしょう。
なみなみと満たされるやいなや変化が起こり、
そしてそのうちに最初と同じように空の状態に戻るのです。
 
「外的世界で起きること」

満ちること、そして豊かさは、状況がピークに達した印です。
あなたの人生の重要な領域で、成功が頂点に達しようとしています。
いまや環境は変わり(そうは言っても、あなたが失敗するという意味ではありません!)
あなたの束の間の満足は、振り返ってみればいささか陳腐なものに感じられるでしょう。
こういったたぐいの満足というのは、
あなたの心を虜にしたかつての魅力を失ってしまうに違いありません・・・・
外的な豊かさとビジネスにおける成功は、もはやあなたを精神的に満たしてはくれないのです。
----------------------------------------
 
 
大地の10 Wealth〜富〜はアセンションの質問の時にも引きましたが、
再び引きました。
 
で、
パンドラの記事にあった、ifさんが思い出された夢を読んで
 実は今ある環境は既にアセンションの世であるのでは?と感じました。
 そのアセンションの世を渡ってゆくのは、
心の次元が明るく楽しく素直に生きてゆくだけでいいのだと
 その環境は既に整っているのだよ、と 「富」「豊富」を表すカードが告げているように感じました。
 
 
それと、
アセンションを知らない旦那とかおばあちゃんが
この変化についてゆけるか?という質問もしました
 
カードは3枚のうち2枚が逆位置でしたので答えはNOなのですが、
カードを読めばifさんが言われる「明るく楽しく」過ごしてゆけば
それはYES、変化についてゆけるのだ ということなのだと思いました。
<変化についていけない人>


MWさんのメールの最後に
 
それと、
アセンションを知らない旦那とかおばあちゃんが
この変化についてゆけるか?という質問もしました
 
カードは3枚のうち2枚が逆位置でしたので答えはNOなのですが、
カードを読めばifさんが言われる「明るく楽しく」過ごしてゆけば
それはYES、変化についてゆけるのだ ということなのだと思いました。

と、あります。

この方達はアセンションという言葉を知らないからついていけないのでは無いと思う。
アセンションと言う言葉、概念を知っていても、それはただ知っているだけです。
知っていることと、その境地になる、到達することは全く別なのです。
少しは知ってた方がいいのでは?と、思うかもしれませんが、そうとも言えない。
ただ、その概念を知って、それに向けて努力することが可能な人は知っていた方が良いが。
アセンションという言葉を知らなくても、毎日楽しく明るくむじゃきに素直に生きている人ならOKだと思いますね。


とは言え。
普通の人達は地球の波動の変化と、それに伴う自然の変化、世界情勢の変化に
ついていけない場合が多いと思う。
ワケが分からず暗くなったり右往左往したり・・・日月神もそのようなことを言ってますよ。

MWさんの家はMWさんが一家の要(かなめ)となれるので、大丈夫でしょう。
一家に一人ワケの分かった人が居れば良いと思います。
<変化が遅れているわけ>


パンドラの壺→etcX→<夏至の頃>で、「変化が遅れている」とあります。

変化が遅れているという言葉の意味は、人間の意識の変化が遅れている、ということでしょう。
何故遅れているのか?
その前に「人間とはなかなか変化しないものだ」と言えます。
本能的に変化を嫌う、とでも言いましょうか。

アインシュタインの言葉に
「人間は二十歳(はたち)までに身に付けた”常識”で一生を過ごす」
みたいなことを言ったそうです。
この言葉はウロ覚え。
「アインシュタインの名言集」は面白いのでお勧めします。



そうそう、人間が変化しない生き物だ、ということについて、その理由を挙げてみます。

◆一つは、アインシュタインが言うように、人間は二十歳(はたち)までに身に付けた
 常識で人生の最後まで逝ってしまう存在なのです。
 二十歳を過ぎて十数年〜数十年経つとその”常識”を変えるのは至難の業です。
 身体の芯まで教育(洗脳)されていますからね。

◆次は、家族や友人の中で、あまりにも変化をあからさまに出すと周囲の人からの評判を落とすので
 勇気が無くて変化出来ない。
 というよりは「和」を大切にしたい人。
 表向きは変化していないように見せる必要がある、とか。

 たとえば・・・「年賀状を出す」「盆暮れの贈りもの」「冠婚葬祭に出席」など。
 変化させるとカドが立つ、と思えるようなことは変化させない人が多いのでは?
 私は10年以上前から年賀状を止めました。
 法事などくだらないから出ないと宣言しています。
 結婚式にも欠席します。
 理由は「面倒だから」と言います。(新郎の親にメールしました。親からは「分かった」と返信有り)
 私の真似しろ、とは言いません。
 最後まで、冠婚葬祭をキッチリやって、皆から信頼されて、彼らを良い方向に善導するという手もありますからね。

◆もう一つは。
 「自分がここでコレを変えても、殆ど無駄である」と、思っている点です。
 たとえば環境に良いことをしよう、ゴミを減らそうというのを分かっていても
 
「自分一人がやったって他の人はやらないんだから、効果が無い」と、思ってしまったり。

 「癌には外科手術も抗がん剤も放射線も効かない、却って拗らす」と分かっていても
 それを目の前の患者に言ったとしても、この患者は他の医師の所へ行って
 それらの治療を受けるだろう・・・・・それなら、自分がやろう、、、、と、多分多くの医師は思っている。
 何故なら医師の殆どが自分には抗がん剤治療を拒否するらしい、それなのに
 自分には使わないモノを他人(患者)には使うらしい。
 その理由は上に挙げた通りです。
 
だから世の中は「昨日あったように、明日もまたある」のです。
 変化無し。

これらの「変化無し」から意識して離れる必要がある。

心で離れる、という意味ですよ。
  たとえば、法事には出てもいいんです。
  それが本当は要らない風習なのだ、でもカドが立つので私は今出ているのだ、と分かりつつ出席すれば良い。
  最悪なのは、出席しない人を「非常識だ」と非難することです。
  そんなくだらない風習をやらないのは、個人の自由です。
  何故私が法事をくだらないと言うのか?
  坊主はあの世のことが分かっているのだろうか?
  分かっている坊主に限り、やっても良いと思うんですよ。
  そして法事の際にはあの世の先祖からのメッセージを伝えやがれ、と思います。
  お経を読んでも故人には何ら変化はないので、供養にはならないのだそうです。

  もう一つは、そんなに大事なことなら何故国によってやることが違うのだ?と言いたい。
  何故日本人には日本人だけの風習が必要なのか?
  無国籍で生きたい人がいるのです、私のように。
  アマゾンのヤノマミ族の風習ならやっても良い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、やはり止めておくけど。

  いや、法事、葬式は「生きている人のためにやるのです」と、坊主が理屈を言う。
  だったら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今、生きている私がそんなモノは要らないと言っているのだ。
  だったら、葬式要らないじゃん?



  と、まぁ、ここまで言うと絶対カドが立つし、離婚だ、という騒ぎになるので、お勧めはしませんが。

  法事や葬式をする場合なら(これは本当は要らないコトだが、家族や親せきのために一応やるのだ、
  くらいの意識でいれば良いと思います。
  意識化する、ということです。
  イマイマにキを入れる、ということです)



そうじゃないと、多くの人の「変化無し」という集合意識の中に自分が埋没することになります。
飲み込まれてしまう・・・・
このことを、「変化が遅れている」と鑑定したのではないでしょうか?
世の中は一見凄い早さで変化しているように見えるが、多分見掛け上(現象=サヌキ)の変化だと思いますね。
心(潜象=アワ)の方が変化している人も勿論いますが、数は少ないでしょう。

<豊かさについて1・・・収入が激減しても平気>(2009年7月15日)


今、世の中はみぞうゆうの不景気、100年から120年に一度の不景気だと言われています。
PANDORAのお客さんも経済的に苦労していると思います。
が。
或る方からこのような内容のメールが来ました。
メールがどこへ逝ったか分からないので、覚えている限り書いてみます。

「うちの主人の月給が下がり、年収にして100万〜120万円くらい減りました。
 私の収入も減っています。
 子供が三人いて学費もかかります。
 が。
 不思議なことに楽なんです。
 来年子供の一人が学校を卒業するので、それまでの辛抱と思えば心が楽です。
 夫婦合わせて年収が150万〜200万円は減っているというのに、
 心が楽で、何とかやっていけるし、毎日が楽しいです。」

という内容でした。


年収が減ったことに関して
「収入が減った!」というコトに意識を向けると
(つらい苦しい心配だ、政治家が悪いんだ、金持ちが妬ましい)と心の波動がどんどん堕ちて行く。
しかし
「今、仕事がある」というコトに意識を向ければ
(世の中には派遣切りに遭っている人もいるのに、うちは仕事があって有り難い)となり
今の状況に感謝出来る。
そして自分よりも恵まれない人たちのために何かしようと言う気にもなる。
子供にお金がかかっても(この子が卒業するまであと半年の辛抱だ)と、
短期目標を設定すれば心は軽くなる。
こういうのをポジティブ・シンキングと言うのでしょう。

ちなみに我が家は去年、主人が役職定年というのになり、年収が500万円減りました。
でも子供にお金がかからないので(今は県立高校生一人)生活は前と変わりません。
別に苦しくなってない。
というのは以前から余裕が無かっただけなんですけどねw
なので以前と比べて特に変化が無いのです。
(私は楽天家なので、通常の人なら貯金も出来ない状況を苦しいと感じるのかもしれないが
  何も感じないのが災い、じゃなくて幸いしているのです)

何とかなるさ。

という気がしてなりません。
(脳の病気を疑った方が良いかもしれないが、まぁ、それならそれでいいし)
(いっそ最後まで脳の病気でいた方が幸せだ)
(中途半端に治療したら却ってまずいことになる)
(金もかかるし)

<シャンバラ>(2009年7月13日)


雑誌「ムー」の8月号に「楽園シャンバラの扉を開く・トンパ叡智の秘密」という記事があったので
「とんぱ。」管理人みつきさんに参考にしてもらおうと、そのページをコピーして郵送しました。
すると、コピーのお礼とともに
「パンドラの壺」→「etcX」→<夏至の頃>→<ホラリー占星術>を読んだ感想が来ました。




こんにちは、みつきです。
いつもお世話になりありがとうございます。

さっき、送っていただいた郵便を受け取りました!
トンパの記事ありがとうございます。

シャンバラというのは名前くらいしか知らなかったので
なるほど…と興味深く読みました。


-------
彼らは武器を持たない。
権力も欲しない。
科学力も現代的な知識も持たない。
ただ、神歌を歌い、絵文字を書きつづり、
ニコニコと笑うだけだ。
そして楽園は彼らと共にある。

-------

という部分を読んでふと気づいたんですが、
PANDORAのetcの夏至の記事(面白いですね)、
ホラリーの結果のここに似ている気がするんです。


-----------
《 ノース・ノードが第8ハウス 》

ノースノードが第8ハウス。
つまり第8ハウスの方向へ進んでいくことで道が開けるようです。

第8ハウスはとても複雑なハウスです。

第8ハウスの対極に第2ハウスがありますので
第2ハウスの「個人の財産」などに象徴されるものは手放していきます。
(第2ハウスは過去を表します)

第8ハウスも第2ハウスも「財産」を表しますが、質が違います。

わたしたちは金銭的な事柄からもっと自由になっていくことが求められているのかもしれません。
(金銭=物質主義と置き換えても良いかと)

第8ハウスが象徴するように
「他人と共有すること」で自由になってくるのではないかと思います。
物質にかぎらず、知識なども分かち合えます

経済的には、世の中はまだまだ混乱するかもしれませんが、
経済事情だけを考慮して節約したり計画するような「個人的に溜め込む行為」は止した方が良いかもしれません。

また、第8ハウスは「オカルト」のハウスでもあります。
スピリチュアル的な保護も期待でき、直感に従うことで第8ハウスの「財産・遺産」が築けるようです。

しかし一方では衝動買いに走る人も多く出てきそうです。

ここで言う「財産・遺産」は、「徳」も意味するかもしれないし「才能」や「時間」のことでもあるかもしれません。
お金のことだけじゃないと思います。

例えば、他人が羨む物、妬みの対象となる物は全て「財産」と言えるのではと思います。
健康、お金、美しさ、時間、若さ、才能、なんでも当てはまりますが、これらをより多く所有するよりも、
財産として認めて、精神的により自由なアプローチをする時代になっていくことが
本来の自然な流れであることを星は告げているのかもしれません。

いずれにしても"富"に象徴されるものへの扱いは注意が必要で、
財産が象徴するもの(物質)に関して自由になっていける側と、
自己のコントロールを失う側の二通りに別れていく
、という事ではないかと思います。
-------------

自由になっていける側を選択するとトンパの人達みたいになるのかな、と。

確かにここ数年でかなり楽になってきた気がします。
なんだか本当に毎日毎日生きていけたらそれでいいね、というか、
決していい加減な意味ではないんですが、
安定なんて意味がないなあって思うんです。
安定とか保身とか確かなものにすがるよりも
流れに身を任せながらその時その時自分にできることをすればいいじゃないか、
という感じです。
とても心が軽いです。
笑っている時間がすごく増えました。

好きなこともたくさん増えた気がします。
夏休みには役員仕事なんかで奉仕作業がたくさんあるんですが、
すごく楽しみです。
で、どうして楽しみと思えるかと考えると、
人と一緒に楽しく作業ができるその時間が好きだから、
に尽きると思うんです。
物よりもお金よりも時間よりもやはり人であり心なのだなあと感じます
苦を楽しくするコツは、私の場合は人と和気あいあいと
笑いながらすることにあるような気がしています。

まだまだ分からないことはありますが、
分からないことが分かるという楽しさがあるので頑張れます。
これからも精進していきたいと思います。

記事ありがとうございました!

それでは!



私はPANDORAのリンク先のお店の方には商売繁盛してもらいたいのと、
判断力を上げて欲しい、質を高めてほしいので参考になる資料などがあれば
メールや郵便で教えてたり、本を送ったりしています。

「ムー」を買ったのが9日。
その日か翌日に、とんぱの記事をコピーしてみつきさんに郵送しました。
ホラリーの結果が出たのは12日です。
みつきさんに郵送してから、ホラリー結果が出て、その後みつきさんが手紙を受け取った。
ホラリーの内容に「物質や知識を他人と分かち合う」とあります。
まさに、それを私がやっていたわけです。

みつきさんに「ムー8月号にとんぱの記事が載ってるよ〜」と連絡するだけでも良いが
それだとみつきさんが670円出して雑誌を買わなくてはならない。
手間も金もかかります。
なので、コピーを郵送することにしました。
役に立ったようで良かったです。

個人では入る情報には限りがある。
でも友人知人が情報をくれれば助かる。
皆が皆、他人のためにほんの少しの苦労を背負いこんで(この場合はカラーコピー代50円と切手80円)
あげれば、時間とお金の節約になります。

本当に「ほんのちょっとの協力」で済むのです。
そのような人間関係を築いて行ける人が、成功する人ではないだろうか?
みつきさんが「物よりもお金よりもやはり人であり心なのだなぁと感じます、と書いてますがそういうことですね。



そういう人と人との結びつき(そういう人達が作る精神世界)をシャンバラというのではないか?
シャンバラとはたしか三次元には無い。
高次元にあるのです。
なのでシャンバラと波長が合う人なら、その人は心がシャンバラに住んでいるのです。
ホラリー占星術の結果では地球は、シャンバラ化している世界(ひと)と逆に進んでいる世界(ひと)との、
二極分化が進んでいるそうです。

<マイケル・ジャクソン>(2009年7月10日)


2009/6/25に50歳で亡くなったマイケル・ジャクソン。
私は彼の歌は好きです。
ダンスもいい。
彼は天才ですな。
私はマイケル・ジャクソンが好きです。

彼は天使だったのではないか、と思います。
心がとてもきれいで優しかった。
なので、8割が獣の入れ物となっている一般やマスコミからは誤解されていたのでしょう。

今になってマイケルがホテルの窓から子供をファンに見せたことや
子供に顔が分からないようにお面をかぶせたことなどについての理解が始まったようですが、
何故そのようなことをしたのか、当たり前のように分かる人もいれば
分からない人もいて、彼はこの世を生きるのは大変だったでしょうね。

Wikipediaより。
マイケルの友人であるユリ・ゲラーは「マイケルには多大な精神的プレッシャーがかかっていて、
また時差ぼけもあります。彼のしたことは間違っています。何も考えていなかったのでしょう。
興奮しすぎていたのかもしれません。でも最高の父親です」と語っている。

バカか、ユリ・ゲラー。
このような「自称友人」という、俗物に囲まれていてはマイケルはさぞかし孤独だったでしょう。



マイケル。
大天使ミカエルを連想させますね。

今頃は天国で清々していることでしょう。

<楽しいことをすればいいのだ>(2009年7月8日)


今日、似たような内容のメールが続けて二通来ました。


一通目。

自分はこれまで(特に直近5年ほど)、苦境を乗り切るために、
ひたすら黙って耐えることをしてきました。

で、その期間はそれが最善策だったのだろうと思います。

今、唐突に新たな環境に放り込まれて(自分を放り込んで)
ふと思ったのは、
今後は、むしろ逆の手法、望むものを手に入れるために、
発言するなり好きなようにするなりが必要なのかなということです。

人は、好きなことをする(そのように生きる)ために生まれてきたんですね。


二通目。

今までぜんぜん興味なかった、というか、
コンプレックスでもありました。
先日、子供達の鼻歌歌当て合戦が面白くて、
しかもけっこううまいので、
カラオケでも行ってみる?ってことになりました。

昨日、思い切って行ってみました。

平日の昼間なので、安いし、ガラガラ。
とりあえず1時間で・・・で始めましたが、
歌い始めたらノリノリで、結局3時間歌ってきました。

こんなに歌うのが楽しかったとは・・・。
いったい今までなんだったんだろう・・・?

カラオケとともに、今までいったい・・・?っていうものが
もうひとつあります。
それは、「ラーメン」。

猫舌だし、ラーメンはあんまり好きじゃないと思い込んでて、
今まで主人に誘われても、やだね、と断っていましたが、
突然、「ラーメン食べてみたい!」と思って、何ヶ月か前に
食べて以来、すっかりラーメン好きに!

楽しみが増えると、得した気分です。
これからも、じゃんじゃん出てきそうな予感です。


同じ日に「自分の好きなことをすれば良いと分かった」「誘われたことに乗ってみた」
という内容のメールをくれましたが、そのとおりです。
ただし、法律の範囲内でねw

ところで私は普段から自分の好きなことを最優先させて生きていますが、
いくら好きなことをすると言っても、予算の関係や状況が整わないと出来ないので
何でもかんでも好きなことをしている、というわけではありません。
やりたいな、と思ってもやってないことは沢山あります。
ところが最近やりたいな、と思っていて実行したことがあります。

前から一度やってみたかったことがあります。
それは「庭に大きな甕を置いて、その中で金魚を飼う」ことです。
これをやるには準備が必要ですよね。
なので、たまに(やってみたいなぁ)と思ってもなかなか実行できないで数年経ちました。
ところが2週間ほど前。
行きつけの骨とう品店に大きな甕(壺)があるのを発見。
気に入って買って来て、木と木の間に置いた。
ここなら直射日光が当たらない。
そこに水を入れて一日置いた。
翌日、ホームセンターに金魚を買いに行きました。

◇金魚
◇金魚藻
◇浮き草
◇小石
◇麦飯石(ばくはんせき)
◇餌
などを買って、金魚を飼い始めた。

BSWも入れました。
金魚は今日も元気に泳いでいます。
とても可愛い。
(私は人間の世話も動物の世話も嫌いなので、金魚くらいがちょうど良い)


これは一つの例ですが、以前から何となく(やってみたいな)(一度やりたい)ということを
思いきってやってみると良い。
思ったことは自力で実現できるのだ、という実績を積むことになる。

小さい頃からやりたかったことをやるのも良いです。
子供の頃やってみたかったが、事情が許さずやれなかったことがあるはず。
買えなかったものもある。
それらを今、実現することは
インナー・チャイルドの癒しにもなる。

やろうと思ってもやれない。
そればかりでは自分で自分に「無力な自分」「どうせ何をやってもダメ」
「自分は何も出来ない」「自信が無い」などと、マイナスなイメージを植え付けることにもなる。
自分で自分から自信を奪ってどうする?
ちょっと意識を変えればやれることならやってみればいいんです。

また、今までとは違うことをする、ということは心を変えることにもつながる。
秋山真人氏によれば、人間は

心(思い)→行動→環境(状況)→心→行動→環境・・・
という具合に変化するそうです。

その通りだと思う。

この中で一番簡単に変えられるのは「行動」です。
まず行動を変える。
すると環境が変わり、その結果心が変わる。
まぁ、最初に「〜〜をしよう」と決心するのは心が変わったからだとも言えますが。

でも、最初はただの決心ですが行動が変わり、環境が変われば、心も変わり、
その心は以前の心とは違っています。
「私はやろうと思ったことはやれるのだ」「これをすることは楽しい」「人生は面白い」と
良い方向に変わり、満足し自信もつく



もう一つは二通目の方の例。
「やろうと思っていなかったが、誘われたのでやってみたら楽しかった」
他人からの働きかけに素直に乗ってみるのも良い
自分だけだと思考が、自分が制限を作っている、そのはんい内に納まってしまう。
そういうときは自分では無い誰かの言葉を受け入れて、やってみるのが良い。




あの日月神も言ってます。

「日月神示とともに」(2009年7月6日)より。

型にはまることをカタマルと申すのぢや。こり固まつては動きとれん。
固まらねば型出来んで、人民には判らんし、型外して、型をつくらねばならん。
法律つくらねばならんが、つくつてもならんぞ。
神から命令されたミタマでも油断は出来ん。
曇りたらすぐ代りのミタマと入替えるのであるぞ。
コリ固まつたものがケガレぢや。ケガレはらさねばならん。
絶えず払つて払つて払ひつつ又固まらねばならんし、人民には判らんし、
肉体あるから固まらねばならんし、常に払ひせねばならん。


いつも同じことだけしていると、心が固まるでしょうな。
或る範囲内で安全安心に過ごす。
そういう生き方をしていると心は変化しにくいかも。
そりゃ変化はするだろうが安全圏内での変化に留まるかも。
たまには違うことをして自分の行動のカラを破り、自分の思考のカラも破るとよい。
満足しつつ、自信をつけつつ、心を癒しつつ、変化するのは良い方法だと思います。



何かやってみましょう。

<正しさについて>(2009年7月7日)


「正しさ」という面倒臭い話題を、「Sunrise」のまはるださんが解説してくれているのでちょっと拝借♪

正しい

Theme: 雑記

私の好きなミスチルの「Not Found」という曲のフレーズに


矛盾しあったいくつものことが正しさを主張してるよ


というのがあります。

それぞれに正しさがあり、それぞれの正しさを並べてみると矛盾してる

ということなのかなと思います。

私が今「正しい」と感じている価値観は、今ここをご覧いただいている

あなたにとって必ずしも「正しい」とは言えません。

私の書いている内容に違和感を感じるならば、私はあなたにとって

正しい人間ではないと言えるでしょう。

あくまでも「あなたにとって」ということですが。


ではあなたと私、どちらが正しい考えをもっているのでしょう?

そこがようわかりません。

「ひふみ神示」によりますと、正しさはそれぞれのレベルに存在するのだそうです。

しかし、真実は一つであり、皆その真実に向かって進んでいく必要がある、とのことです。

その解釈を借りますと、「一つの真実に近い方がより正しい」と言えるのでは

ないでしょうか。

その判断も一つの真実に近づいていないと下すことは難しいかも知れません。

誰が正しい正しくないということを論ずる前に、

真実に近づくことが先決ということではないでしょうか。



◆正しさはそれぞれのレベルに存在しますか?


アメジスト→「精神」:長期的ものの見方

アクアマリン→「家族・友人」:人間関係次第

カーネリアン→「健康」:ストレス

ローズクウォーツ→「隠された資質」:変更

トルマリン→「自己」:一歩前進


答えはyesです。

しかし、ローズクウォーツを見ますと、先々変更することが求められています。

将来のために変更するべきであり、時間がかかるかも知れませんが、

自分の持っている資質で十分可能であることが示されています。


なぜ変更するべきなのでしょうか。

「長期的に見て価値があると思われる目標に取り組む必要がある」と

示されています。

この度の結果での「時間」や「長期」は魂という長いスパンでのことに

なるでしょう。

より正しいと思われる方向に向かう必要がある、と出ています。

つまり「それぞれの正しさは存在するがそのままではいけない」

ということであるようですね。

「ひふみ神示」にありますように一つの真実に向かって進んでいくことが

魂的に必要なことだと言えると思います。


結果を得るのは「人間関係次第」であることが示されています。

「ひふみ神示」には「それぞれのレベルのものが和すことが本当の調和である」

というようなことが書かれています。

色々な正しさをもつ人とかかわって和をなしながら成長していくことが望ましい、

ということではないでしょうか。


ストレスの暗示がありますが、別の正しさをもった人と関わると

そのように感じてしまうこともある、ということかも知れません。

そのような状況は「自分で地獄を作る」というものだと思われます。

実際障害などない、ということが示されています。

そのような状況の時こそ成長のチャンスである、ということを

頭に置いておく必要があるかも知れません。

あなたの人生の主役はあなたです


私と同意見です(おいおいおいおいおい!)
えへへh〜

<聞くこと、読むこと>(2009年7月5日〜2009年7月7日)


H氏から。

ブログ、My Soul WIZ You〜魂の神秘学〜で、「傾聴」が取り上げられましたね。

これ、本当にうれしかったですし、少し安心もしました。

実は、私が師からいただいた瞑想方法というのが、「聞く」という瞑想でした。

オレサマのように、とてもその深部にはまだ達していませんが、耳に入る全ての
音にとにかく、ただただ耳を澄ます。気が散ればまた耳を澄ます。

これだけ貰って行っています。



H氏は瞑想を始め様々な修行のようなことを、師匠についてしている方。

「聞く」という作業が出来ない人がいます。
うちの主人は殆ど出来ていません。
ただ、音声として聴いてるだけで、意味を理解していません。

女性にも「他人の話を聞けない人」がいます。

また、今の時代メールでのやり取りが多いので「読む」ことも「聞く」と同様、重要です。
読めない人がいます。
文字は見ているが、意味が取れない人がいます。

「聞く」も「読む」も情報を取り込む、という作業です。
これが出来ない人がいる。
「ちゃんと聞け」と言っても、そういう人には「自分がちゃんと聞いて無い」という自覚は無い。
自分では無意識無自覚に「ちゃんと聞いてる」と思っています。
無意識無自覚に、というのは、本人は「自分がちゃんと聞いてるか聞いて無いか、
意識したことが無い」という意味です。

他人の話を聞かず、メールも文字を見ているだけの人がもし、自分の不運や不幸を嘆いていたら
それは自業自得ですよね。
それを分かれば良いのですが、他人の話を聞かないメールをちゃんと読めない人は
「全ては自分が原因」「すべては自分の責任」であるなどという、高度なことが
分かるわけがありません。
<驚くこと>(2009年7月7日)


オレさまが良いことを教えてくれました。


聞く対象の深部に入っていく前に、
聞き続けると、「驚く」ことができるようになる。
 
たとえばただの雨音や風の音や虫の声など、ありふれた音に、「驚く」ときが来る。

驚くことがある、とは驚いた。
シュタイナー理論ではたしか、対象に自分の意識を入れる、みたいなことがありました。
相手に成りきるというか・・・
詳しいことはオレさまに訊いてください。
その前にオレさまのブログを最初から読めば、或る程度シュタイナーの思想が分かる。

え?
くだらない記事ばかり?
やっぱり・・・・・・・・
私もそう思うんですよ。
でも、たまにはマットウなことも書いてあるので、そういう箇所を探して読んでみてね♪

対象に成りきる、入り込む、このくらい真剣に全身全霊を傾けて「聞く」ということを行うなら
それは聖者への道でしょうな。

私はその道は興味無いけど驚いてみたいので、やってみるかな!

<特殊たらんと欲する心を読んで>(2009年7月5日)


上のH氏から<特殊たらんと欲する心>を読んでの感想が来ました。


こんばんわHです。

PANDORAの「特殊たらんと欲する心」読ませていただきました。

多いですね、チャネリング、ヒーリングのブログやサイト。正直驚きました。。。

以下は、何かifさんの参考になればと思い、自分が初めて「瞑想」というものを
学んだときののことを書かせてもらいます。

えーっと、文章長くなるので、思いっきり簡単に書きます。


「瞑想(念祷)中に見えるビジョン・幻聴等を自身で否定できなければその時点
でアウト」です。

アウトというのは、瞑想の道はやめなさいと言われることです。

そのビジョンや、声がたとえ高次からのものであろうとも、それを自身で切れな
ければ、ほぼ確実にノイローゼに突入です。

身体的には感情と思考のバランスが崩れます。

他の師もこの点は、恐ろしいほど厳しかったです。

霊感体質の方はどうしても、体験した、感じたことに引っ張られますし、それを
「守ろうとしてしまう」特徴があります。

これでは、本来の瞑想の意味もなくなります。最悪一生気がつくこともできなく
なる危険性があります。

もう一つの特徴は、エネルギーワークを瞑想と捉えて行っている場合も注意が必
要じゃないかと思っています。

これも、感じること、体験することに非日常的なことが出てくるので、こんどは
これを求めてしまう傾向が強く出てきてしまう。

己の意思で「切る」作業ができないと、この後に出てくる「姿を変えた自分の心」
に対峙できなくなります。

では、どうすれば良いのか?


>「神秘学の真理に向かって汝の認識を一歩進めようとするなら、
>同時に善に向けて汝の性格を三歩進めねばならない」


どうしても、この部分が大変重要になってきます。

あえて付け加えるならば、「3年は一つのテーマを継続して思考できる体力をつけ
る」ことかな。

私自身が、今まで七転八倒してきた者なので、今回の「特殊たらんと欲する心」
で自分を振り返ることができました。

先週まで、「まさか精神世界が好きな若い人なんて、もうおらんやろ。」

と思っていたのですが。。。。自分の認識が甘かったです。



若い人の方が心が柔らかいので精神世界に興味を持つと思いますよ。
私は瞑想をしないので、H氏が書いてることはよく理解出来ませんが
参考までに載せておきますね。

<発酵場>(2009年7月3日)


「日常の異次元U」の記事
<天鳥船(あめのとりふね)>(2009年6月14日)
日本一の納税者斎藤一人氏の弟子、寺田啓佐という人が書いた
「成功する人くさる人」という本に、面白いことが書いてありました。


この本の中に「発酵場」という言葉が出てきました。
発酵場とは、酒蔵のことです。
酒蔵は雑菌が繁殖しては困るのです。
酒造りに必要な麹菌が沢山繁殖してくれると良い酒が出来る。
でも、雑菌の方が多いとそれに負けてしまう。

鈴木酒店が各地の酒蔵見学会を開いています。
参加者はその日の朝は、納豆などの発酵食品を食べないでね、
と言われます。
納豆菌が酒蔵で繁殖したら困るからです。
<善玉悪玉>


なので酒蔵の主人は菌には大変気を使います。
ところが、この本の著者の寺田氏の酒蔵は「発酵場」が出来ているので、
どんな雑菌が来ても麹菌が勝ってしまうのだそうです。
全国の酒蔵から見たら羨ましい限りですね。

麹菌を善玉菌、雑菌を悪玉菌とします。
寺田氏の酒蔵は善玉菌が強いので、悪玉菌が来ても負けません。


人間に当てはめて考えてみます。
発酵場が出来た人間は、基本は善なのですが、悪にも強いので
悪を毛嫌いして入れさせない、付き合わない、という正義感は無い、ちょうどそんな状態。
悪よ、来るなら来い、仲良くしよう、と悪を抱き参らせることが出来る。

別に相手が悪でも、自分に危害を加えないならいいと思いますよ。
悪も、この善(悪を抱き参らすレベルの善人)が相手だと悪いことが出来ません。
抱き参らせちゃっているので手も足も出ないのです。
善がここまで強くなれば怖いもの無しですね。

通常の人は弱い善人なので、相手にちょっとでも「悪」を見たら途端に
避けたり排除したりします。
小さい善を発揮する。
本人は当然の如く、得意にさえなって、それをします。
実に「小さい」w
ただし、当人にはその自覚はありません。

(ただ、自分は善だと思ってて実は悪玉菌の場合もありますよ。
 いつの間にか悪に染まっているが自覚が無い。
 自分では発酵場のような気になっている、勘違い人間もいます)



発酵場を作るのは大変なんですと。
寺田氏の酒蔵でそれが出来たのは、杜氏に歌を歌わせながら酒造りをさせたからだそうです。
杜氏が歌いながら作業をすると、酒の発酵が巧い具合に進むのだそうです。
酒蔵の主人(寺田氏)の意識が高いので、杜氏もそれに感化されるだろうし、
低い意識の杜氏は異波長なので居られないだろうから、
発酵場が出来た理由は歌だけでは無いと思いますが。
<悪抱き参らせよ>


善だ、悪だと書くと「善悪は無い」とか理屈を言う人もいます。
そういう人に限って無意識無自覚で自分を善だと思い込み、
他人を悪だと、排除したりする。
ここまで無意識無自覚だと、物事は何をやっても巧く行きません。

(※善悪については日月神が説いています。
  本来善悪は無い、と言ってます。
  ただ、そのように現れているだけだ、と。
  私が言う善悪も、そういう意味の善悪です。
  本来なくたって、ちゃんとこうして現れているので、それについて論じているわけです)


理屈をいう人は理屈を言えるので、自分の頭が良いと錯覚しているが、
その上(のレベル・判断力)から見たら噴飯ものなのです。
ただ、そういう人に説明をしても(頭が悪いので)理解しないから、
誰も何も言わないか、親切な人が例外的に言ってくれるだけ。

しかし理屈を言う人はその言葉を勿論理解しません。
そうやってどんどん自分の位置が下がっていくのですが、その自覚があるかどうか・・・

こういう人も発酵場が出来てない人です。
いろいろなタイプの分からずやがいます。
私などは相手が悪でも何でもそれを承知で付き合えば良いのだから何とも思いません。
普通に付き合いますね。

ただ、悪と知らないで信用している人には
「その人は悪ですよ」と、情報を送ります。
別に排除するのが目的はなく、ただの情報です。
その情報が来たら、
「そうですか、教えてくれてありがとう」と、情報を取り込めば良い。
その情報に対して
「良いの悪いの」という裁定はこの際、要らない、と、私は思うんです。

と、いう芸当が出来ない人の方が多いようだが、
小さくまとまった小さい善人になるより、発酵場が出来た人になりたいものです。

<一家に一人、一族に一人>(2009年7月1日)


トンデモ・陰謀論(日本の政治や社会の裏なども含む)・心のこと、が好きな人はいますね。
でもそんなに多くないようです。
PANDORAのお客さんの感触では「一家に一人」くらいです。
奥さんがトンデモ好きだとご主人は興味無い、のが普通。
ご主人がトンデモ好きだと奥さんは現実的、とか。
そんな構成になっているようですよ。

というか。
良く考えてみると、親戚を見渡してもトンデモ好きは「自分一人」ではないでしょうか?
親兄弟叔父さん叔母さん伯父さん伯母さん従弟にはとこ、甥に姪、
その人たちの中にはそういう話をしても全然乗って来ない人が多いのでは?
ただ子供の場合は面白がって聞くかもしれませんが
大人の場合はちょっとでもそのような話(トンデモ)をすれば、
話しをロクに聞かず呆れたりバカにしたり一笑に付したりするのでは?
或いは何かの宗教にでもはまったかと、心配するか怖がるか。
反応はそんなモンです。

一家に一人というタイトルにしましたが、本当は「一族に一人」くらいですね。

これから起こるだろうと言われているみぞうゆうの変化に、乗って行けるのは一族に一人でしょう。
ただ、その人の子供の場合はかなりラッキー。
配偶者もラッキーですかね。


ゲリー・ボーネルが「一人がアセンションすれば先祖と子孫何人も助かる」ようなことを書いてます。
ゲリー氏の説を採れば、その時、何をすれば良いか「分かる」そうで、
そうなった時全く知らない名前も知らない人よりは、「親戚」の方が意識を向けてもらえる可能性が高まる。
だとすると同時代に生きている親戚にとっては大変ありがたいことです。
つまり一族に一人、モノの分かった人がいればOKなのです。

と、いうことは。
日本中にトンデモ(心のこと)好きな人が散らばっている。
一族に一人、くらいの密度で、です。
見事に散らばっている。
「ウチは一族郎党全員トンデモ好きで心の勉強している」というケースはありません。

(※散らばっているのが最も効率が良い。
   もしも、或る一族は全員モノが分かっていて、或る一族は誰も分かっている人が居ない、
   という状況だと、助かる魂が偏ってしまう)


皆、その一族にたったひとりで少しはワケが分かり、そのために苦労を背負い込んでいる人ばかり。
「何でウチの親ってこうなんでしょう?」
「うちの旦那、こんなにヒドいんです。」
と言う人ばかりです。
「家族全員、理解があってとても楽です」
と言う人は居ません。

しょうがない。
だって、「一族に一人」くらいしか居ないんだから。
その一人になることを生まれる前に自分で設定したのでしょうよ。

<アンダラ論争>(2009年6月28日)


偽物のアンダラが市場に出回っているそうです。
コスミックハートの記事によれば、アメリカのネリーさんというお婆さんから買ったとウソをついて
アンダラを販売している人が居るそうですね。
コスミックハート内の、ミッキーさんの記事を載せます。

関係諸氏の皆様へ、

私の名前はミッキー・マジックです。私は真正なる本物のアンダラが産出される土地の所有者であるネリー夫人の親しい友であり、
彼女とは長年一緒にアンダラに関わってきております。
ネリー婦人ご本人を除いては、おそらく私が誰よりもアンダラのことを知る権威とみなされ、その世話人、流通人であろうかと思います。
これまでアンダラに関するほとんどの情報は,私の研究と私の書いた文章が元になっております。

私は息子と一緒に何度もアンダラが産出されるネリー婦人の土地に足を踏み入れており、これまで数トンものアンダラを見てきました。
なかにはとても変わった希少なものもあります。
しかしながら、決して、一度たりとも、以下のサイトに見られるような石はネリーランドで見たことはありません。

http://www.dnaalchemy.com/Rare_Andara.html ,
http://www.lady-nellie.com/item/434936.html ,
http://www.lady-nellie.com/item/922177.html ,
http://www.lady-nellie.com/item/855853.html

これらのサイトの大半は真正なる本物のアンダラではなく、こういった色のアンダラというのは存在しません

さらに 「レディ・ネリー」 という商標は、当のネリー婦人の許可なしに勝手に使用されているものです。
ネリー婦人自らがこのことを私に明かしており、
このような欺瞞に満ちたやり方でことを進めているその人に、ネリーは大変、憤慨しているのです。
これらの石、そしてそれらを扱う人々にはまさに正直さが欠如しています。
また石を見、エネルギーを感じる者としては、これらの石はあなた(持つ人)にいい影響よりも、
むしろ害悪をもたらすこともあると信じています。ですからご注意ください!!

この美しい年老いた御婦人を利用し、自分たちの利益のためだけに彼女を資本化している人々を見るのは実に腹立たしいことです。
こうした状況がますますひどくなってきております。
英国で同じことをしているある女性は、私は会ったことも聞いたこともないのに、
私のことを知っていると公言するほどの神経も持ち合わせているようです。
彼女もまた真正アンダラの色のスペクトル(範囲)を外れる、いわゆる「アンダラ」を売っています。

ミッキー・マジックとレディ・ネリーによって正式に真正アンダラを扱う代理店の許可を得ているのは、二箇所だけです。
ひとつは日本のメロディストーンの遠藤久美子氏、http://www.melodystone.com/1andara.htm、
そしてもうひとつは米国のコスミックハート・プロジェクトの鈴木Knight美保子氏 www.mycosmicheart.com のみであります。
その他については、くれぐれも御注意ください。

ありがとうございます。祝福を!

ミッキー・マジック
http://www.mickeymagichealing.com



ミッキーの言いぶんは分かったけど、*Dia Soleado*のlenさんのことも、加えて欲しかったと思います。
lenさんは直接ミッキーさんから仕入れているのにね。
この記事はlenさんがアンダラ販売を始める前に書かれたのかもしれませんが。


このように、アンダラが高価格で売れると知って、それに便乗する人が出てきます。
そういう人からアンダラを買うことになった人は、販売者と波長が一致したのでしょう。
ということは、そういうモノを持っていることはまずいことになりますね。
ミッキーさんもそのように書いていますが。


(※ここで本物と偽物、もう一つの事例について書きますね。
   実は祈願文にもそれがあります。
   詳しくは書けませんが、祈願文やその上の写経などやったことのない人がこれに関したことをしている。
   本を買って読むと自動的にそちらの方へ行くことになる。
   まずいですね。
   PANDORAに縁の有った人は、どうかこちらのやり方を実践してください。
   著者の後継者はこちらにいます)
<もう一つの論争>


さて、アンダラはガラスです。
アンダラ・クリスタルという名前がついているので、水晶だと思う人がいるかもしれませんがガラスです。
クリスタルという呼び方は、日本では水晶だけを指すようですが、アメリカでは鉱物、というような意味です。
(クリスタルオラクルでは水晶では無い石も全て、クリスタルと呼んでいます)

なので、アンダラが「人工物」か「天然」かということを気にする人がいるようです。
アンダラはガラスですから、人工物でしょうね。
天然ガラスというものもあって自然に出来たガラスもありますが。
(黒曜石、モルダバイトも天然ガラスです。モルダバイトは大変高価です)

アンダラクリスタルはレムリア人が何かを意図して作ったのだそうです。
詳しいことはコスミックハートに書かれています。
また、レムリア人が姿を変えたものがアンダラクリスタルである、という考え方もできます。
(たしか超古代の人達が様々な姿になった。いるかやくじらもそうですが、石になったのもいると本にありました)

また人工物と言ってもレムリア人は今の人類とは違っていたので、今の人工物と同様に考えることは出来ません。
今の地球ははっきり三次元ですが、レムリア人の時代は夢の中のような世界だったらしい。
半霊半物質の世界だったのではないか?
そういう時代に作られたものを「人工物だから価値が無い」とは言えませんね。

しかし、そういう考え方をする人達にとっては、アンダラが人工物なら価値が無い、
鉱物では無い、ただのガラスだ・・・としか思えないのだろうから、それはそれで良いと思います。


アンダラは縁の有る人にしか行かないと言われていますが、金さえ出せば縁の無い人にも買えますよ。
そういう人達はアンダラがただのガラスなら要らない、ということになって、手放すのではないか?
そしてそのアンダラは今度こそ本当に必要な人の元へ行くのではないか、と思います。

アンダラは縁の有る人のところへ行くと言われているが、それは二段階で行くのではないだろうか?
まずは広く世界に行き渡る。これが一段階。
次に、本当に相応しい人に行く。これが二段階。
と、いうようなことを考えてみました。

<ブスの壁>(2009年6月25日)


「社会不適合者TJの独り言」(2009年6月25日)より。


さて前回の美人ネタをもうちょっと引っ張ってみようと思います かなり大雑把に進めますが

『美人は3日見たら飽きる ブスは一生見ても飽きない』

って小学生の頃 先生が言ってましたが

あれは将来ブスになるであろう女子に向けての精一杯のエールだったのだろうか

将来ブスをつかむ羽目に合う男子に対しての洗脳だったのか いずれにせよFUCKな教育だ

『美人は性格が悪い』

っていう都市伝説(笑)聞いた事あるでしょう? 絶対ブスが言いまわったんだってwww

オレ20代の頃、長く水商売やってたのよ キャバクラの雇われ店長とかね

そこで【あなたの知らない女のドロドロした世界】を垣間見てきたのだけど

No1、2のホステスさん(美人)は皆性格いいんだよね よく気も回るし

ブスじゃないけどそんなに美人でもないぞって女が酷いんだ ハンパなくね

実体験からの個人的な考えなんで気に入らない人はスルーしてもらいたいのだが

女性だって自分を魅力的に見せたいもんでしょ 外見を含めて

その為に髪型やら化粧やら鏡を見ながら研究し、あげくは整形までして努力を惜しまないでしょう?

その努力がね ブスは10しなければならないのに対し、美人は1で済むんでしょう 永久に

ゆとりが違いますね 美人は残りのエネルギーをもっと高次なレベルに向ける事でしょう

そこが『美人はなんか近寄りづらい』っていうオーラを出すのでしょう 人間レベルが違うのですよ


ブス女は基本 他人をねたむ事を好み、日の当たらない湿気のある石の下などに生息してます

他人の陰口をいう 仲間外れにする いじめる 呪う 等の陰湿な習性を持ち

主に小さな群れで行動し 井戸端会議 他人の不幸 自分だけの幸せ等を好物とします 

特筆すべきは、一部の上質なブスは『自分は美人だ』と錯覚している事が挙げられます 

もはや外見という基準ではなく【ブスのオーラ】をまとった女性全てを指しますが

いったんこの【ブスのオーラ】をまとってしまうと、どんな美女でもブスに見える働きがあり

複数の男性から 『ウザい』 『早く死ねばいい』 と思われる事例が数多くよせられています


以上 オレが見てきただけの非常に視野の狭い研究論文

【美女の方程式】カニブックス 【ブスの壁】厚顔社 より抜粋してお送りいたしました




あれ?何か気分を害されましたか?

それは貴女が ブス女 だからですね わかります(笑)



あまりにも可笑しいので自分の顔を棚に上げて思わず「拍手」しちゃいましたが、TJさんと同意見です。

「美人は性格が良く、ブスは性格が悪い」
「中途半端で自分を美人と勘違いしている女、最悪」

同感ですな。(自分は棚に上げて)

たとえばPANDORAのお客さん。
送ってくれた写真を見てビックリしたのが数名います。
凄い美人だったからです!
そこらへんのタレントよりずっと美女ですわいなぁ。
(元ヤンキーの●●嬢、九州の双子姉妹、住所は忘れたが孤独な美女の方、ウチに来るnicoさんなど)
皆さん「普通の顔の方より性格良い」のにはさらに驚きました。

美人の方が性格は良い、これは”真実”でしょう。

また、「ブスは性格悪い」について。
これも言えます。
あまり込み入った話は出来ませんが某霊能女史。
う===む。
こうなるにはやはりそれなりの理由があってのことですな。
同情しませんが。

え?

アタシですか?

えええええええええええええええええええええええええっと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何の話題でしたっけ?

<奇跡>(2009年6月22日)


Aさんがアメリカのジョークを教えてくれました。
これ、「幸せの力」という映画(とても良い映画です、お勧め)の中で
主人公の息子が父親に語る、という場面がありました。



奇跡の話題がでたので、アメリカでこんなジョークがあるのを思い出しました。
割とわかりやすいかなあと

信仰深いクリスチャンが海で溺れていた。
そこに一隻の船が通りかかり船員が「今助ける」と男に言った。
しかし男は「神が助けて下さる」と断った。
しばらくするとまた船が通りかかったが男は同じ理由で助けを断った。
だが直後に男は溺れてしまい、死んでしまった。
天国で神に会った男は「なぜ助けて下さらなかったのですか?」と神に問いかけた。
神「二隻も船を差し向けただろ!馬鹿!」


見えない世界を怖がったり理想を描きがちだけれど現世で一番強いのは何よりも生きてる人間。
神様は実際に手助けにくるのではないのだよなあとこれを見て思いました。
当たり前の奇跡を見逃さないようにしないと。



「神の見えざる手」という考え方が欧米にあります。
神の為さることは人間からは見えないが、確かに助けてくれたりチャンスを与えてくれる、
というほどの意味です。

このジョークの例でいえば、神は溺れそうな男を無重力状態にして浮かび上がらせるとか、
水中でも呼吸が出来るようにはしてくれない。
それは物理の法則に反しているから。
でも、神はちょうどそこへ救助の船を差し向けることは出来る。
物理の、三次元の法則の範囲内で、です。
ところが、この奇跡を求める男にはそれが理解出来ない。
だから死んでしまったのだ、という話。

目に見える奇跡(まぁ、トンデモな現象のことですが)を求める人がいる。
でも、本当の奇跡は心が無いと見えないんですよ、という話でしょう。
良く出来たジョークです。
神が作ったのかもしれませんw

<繋がる次元の高さは精神性による>(2009年6月21日)


まはるださんのブログ「sunrise」2009年6月18日の記事に
あの世のモノと繋がっている人のことが体験談とともに書かれていて参考になります。



つながる次元の高さは精神性によるTheme: 雑記

私は「スピリチュアル好きの」色々な人と関わって、色々な人を見て

そう(今日の日記のタイトル)いうことなのだと知りました。

「精神性の高さ」についての意見は様々でしょうが、

正直難しいことはよくわからないし、色々言葉を使っても

わかりづらい(説明できない)ので一言にすると

「空飛ぶ高度の高さ」なのではないかなと思われます。

「魂の真実」に近ければ近い人ほどつながる場所が高いというのは

当然といえば当然の話かも知れません。


また、次元が高ければ高いほど

メッセージやらなんやらの与え方は「静か」なのだそうです。

「メッセージを与えられた」ともなんとも分からない形で与えるようです。

ビカビカ光ったり、ぺちゃくちゃしゃべくり倒したりしないらしい、という話です。

私もそう思います。

どうやら精神的に不安定な人が見える存在ほど「派手でうるさい」、

というような例をいくつも見たのでおそらくそうなのだろう、と納得しているのです。


その理由は「ひふみ神示」に書いてあります。

「はっきり見える霊は低い次元に決まっとる。

だって3次元に近いからはっきり見えたり聴こえたりするんじゃい。」

という感じの話です。

隣に座っていれば話し声も大きく聞こえる、遠かったら聞こえづらい、

という道理らしいです。

至極尤もな話だなと思いました。

普通、隣にいれば直接話はできますが、

遠くの人と話をする時は「電話」したりします。

それを考えると、高次元の存在は「人」とか「メディア」とか

そういうものを介して通信している、というのにも納得です。


なので「ひふみ神示」の道理で言えば、

「バシバシ見えたり聴こえたり」という現象があれば

「あぁ、低次とつながっちゃったかも。」とか「病気かも」とかを

まっさきに疑う方がよいかも知れません。

もしも「バシバシ見える」と自慢している人がいればそれは

「自分は低次とつながってるかもしれないの」と大きな声で叫んでいるようなもの

ということになりますね(「ひふみ神示」の道理で言えばですよ)。

例外もあるでしょうが、そうでない人の方が多そうです。

そしてそうでない人ほど「自分は例外だ」と思いがちだね、という例も

「スピリチュアル」を謳ったブログなどにはゴロゴロしていらっしゃいます。


「ひふみ神示」が絶対的だとかは私には確認しようがないのですが、

上記の「ゴロゴロ」よりは信じられる、そう思っている次第です。


<奇跡無いのが奇跡ぢゃ>(2009年6月19日)


さて。
下の記事<特殊たらんと欲する心>の締めくくりの記事を書きます。

心、精神のレベルが低い人、波動量が少ない人ほど「目に見える奇跡」を重視します。
見えない世界が大事である、という言葉を知っていても、
実際には「目に見えるモノ」しか感受出来ないので、結果としてそうなる。

たとえばイエス・キリストも目に見える奇跡を行ったそうです。
では、イエスが行った目に見える奇跡と、彼が言おうとしていた心のことと、どちらが大事ですか?
彼が生きていた時代には、目に見える奇跡を行って人に「目に見えない世界がある」ということを
知ってもらう必要があったので、彼はいろいろな奇跡を行ったのでしょう。
これはこれでそういう時代だったのだから、良いと思いますが。
<次元が違う>


この場合の次元とはレベル、というような意味です。
(沖縄の聖人が使っている用法)

霊が見える・霊と会話出来るなどの目に見える奇跡(霊と会話している、という人は見える)を
人は凄いな、と思いがちです。
たしかに凄い。
面白い。

でも、それよりも
「目に見えない奇跡」の方が実は次元が高いのです。
<M氏の「奇跡」>


何の霊的な能力の無い人がいます。
しょっちゅう登場してもらっているM氏などです。
彼は霊的な能力は何もありませんが、不思議なことだらけなのです。
たとえば

◆高校受験の際、その年だけ受験の方法が違ったので、合格した。
  M氏が出た高校は職業高校ではありませんが科が沢山あり、どの科を選ぶかが問題でした。
  その年だけM氏に大変有利に変更されました。

  入った科はM氏にとって不本意でしたが、入学後、これで正解だったと分かったそうです。
  初めに希望していた科の雰囲気よりも、実際に入った科の雰囲気の方がM氏に合っていた。
  しかもその科を出たことによって、その後のM氏の人生にかなりプラスになったのです。
  15歳の子供には分からなくても、未来が見える人なら、その科で正解だったのです。
  では、「誰が」M氏をその科に入れたのでしょう?
  当時は分からなかったけど、亡くなったお母さんがやっていたそうです。
  このことは最近、霊能力の有る人から教えられたそうです。

◆民間企業にいたM氏。親の面倒を見るために県庁に入りました。
  すると民間企業に居た時の知り合いが、今の仕事にとてもプラスになっているそうです。
  その分野では日本一の人とも企業に居た頃知りあっていたので、
  気軽に連絡取れるし、このようなことは普通の職員ではあり得ないそうです。
  一度民間に居たことが彼にとってはとてもプラスになっている。

◆出会うべくして出会う。
  M氏は数年前にすぴこんに行って或る霊能者と会いました。
  その縁で、さらに或る人と会いました。
  するとその人がM氏に「Mさんが住んでいる町にifさんという人がいますよ」と教えた。
  M氏はすぐPANDORAを見て私にメールをくれました。
  それからM氏はトンデモ街道をばく進中です。
  今、M氏はすぴこんで会った人と、PANDORAを紹介した人とは交流がありません。

  
この二名は「仲介役」だったのでしょう。
  仲介役をする人は沢山います。
  みんな、誰かにとって誰かの仲介役になっています。


  私が思うに、M氏をすぴこんへ行かせ、仲介役の二人に会わせ、
  PANDORAに導いた存在がある。
  それは勿論見えない存在です。

◆M氏の元の勤務地は、M氏宅→if宅→karen宅→勤務地、でした。
  なので、karenがブログを開設するのを手伝ってくれました。
  もしそうでなかったら、無理だったでしょう。
  M氏は上役の一人に憎まれてしまい、異動(出世)が一年遅れてしまいましたが、
  それが私とkarenにとって吉と出ました。

  またM氏自身にとっても「今、この状況にあることがとても有利」なのだそうです。
  M氏にとって最も仕事をし易い状況にあるのだそうです。
  では「誰が」M氏の異動を一年遅らせたのでしょう?
  見掛け上は狭量な上役ですが、それはあくまでも見掛けだけですね。
  その上には見えない存在が居て、M氏をちょうど良い時期に動かしたのだと思います。

◆PANDORAに来たM氏は、ひと使いが荒い私によって「DVD、CDをコピーする」仕事を
  一年間させられました。
  (我が家のPCはCDを入れるところが壊れてしまったので出来ないのです)
  M氏は喜んで引き受けてくれました。
  その間、M氏は日月神示を知り、勉強を始めました。
  すると神示の研究家と知り合う。
  (M氏が研究家の勉強会に出席したのですが)
  すると研究家、M氏の人柄と能力を見抜いた(と、いうか、研究家には霊能者が憑いていて
   その人が見抜いた)今ではM氏は研究家の片腕となっています。
  
  M氏がその研究家と知り合うには、まず日月神示を知らないとならない。
  なので、やはりPANDORAに来て日月神示を知ったことが研究家と知り合う切っ掛けになった。

◆まだ沢山ありますが、このくらいにしておきます。
  このように、M氏のやることには無駄や寄り道が無いのです。
  M氏自身は未来のことは見えません。
  でも、まるで未来を見ているかのような動きです。
  これは何故でしょう?
  見えない存在が上の次元(5次元以上)で、M氏が進む道を整備しているのではないだろうか?
  人間には未来は見えなくても、その時その時、真剣に考え、行っていれば
  最短距離で運ばれるのではないか?
  そうとしか思えません。


必要な人に会わせる、という芸当は、高い次元にいる存在が人物AとBをちょうど良い時に
会わせようと、あの世で画策しているのだと思いますよ。
高い位置から見るから「見える」のでしょう。
誰と誰を会わせる、とか、様々なことを先の先まで見て、本人に分からないように導いている。
高い次元の存在、と言ってもそれは「本人の心の中」にいるのですが。



目に見える奇跡。
それは霊を見たり、声を聞いたり、です。
それはそれで良い。
(ただしそういう「奇跡」は通常4次元の存在が行う。次元が近いから。
 勿論高次元の存在もそれはやるようですよ。ただし、自分から天使などと名乗ることは無い)


でも、もっと上の次元からの導きや働きは、見えないし分からない。
でも導きがたしかにある、としか言いようが無いのです。
このように、一見奇跡が無いような日常において、それは見えない存在が導いているからであり、
次元が低い世界(3次元)に住んでいる我々には感受出来ないだけなのでしょう。

これを
「奇跡無いのが奇跡ぢゃ」と言います。
<私達全員>


実は私達全員が、M氏のように毎日奇跡の連続なのです。
(たとえば、もし、この「奇跡」が無ければ交通事故は今の何倍も増えるでしょうね。
  理屈で考えれば分かります)

ただ感受出来ないだけです。
目に見えないし耳にも聞こえないだけ。
高次元の存在がやることは、そこより低次元(3次元)に住んでいる私達には感受すら出来ない。
でも、たしかに高次元の存在は私達を守り導いている。


良く考えてみるとこのことが分かります。

<特殊たらんと欲する心5>(2009年6月16日)


オレさまのブログ「My Soul WIZ You」(2009年6月14日)の記事より。


(前略)
あ〜。さて。世の中には「スピリチュアル・カウンセリング」ってやつで一、二時間で数万稼ぐあこぎなヤシがいるようだな。


霊視力にものを言わせ、あることないこと喋ってウン万円。いい商売だ。
例によってアストラル界を突破してねぇヤシらのカウンセリングがどこまで有益かはしらんが、それなりに流行っているようだ。

しかし。霊視力を開発したヤシにとって罠はしっかりある。 「いか超」を引用する。


…周囲の人について考えるとき、人間の尊厳や自由を妨げるような考え方をすることがもはや許されなくなる。
ひとりの人間を単なる観察の対象に過ぎないかのように考えることが、
もはや一瞬たりともわれわれには許されなくなる。
(85ページ)


ところが。人間とは哀しいものだ。
霊視力を得たばかりのヤシは自分ではそんなつもりはなくとも、
新しい視力で淡々と周囲の人間を眺め、あいつはこういうヤツだ、と冷たい判断を積み重ね始める。


魂は共感することをやめ、自己中に拍車がかかる。自分の新たな基準が生む判断によいしれ、溺れる。
果ては自分の判断を絶対的に正しいと思いこむ。


エゴイスティックな霊能力者の末路だ。


この道で能力を開発しようとするなら同時に精神も進歩させねばならんとはよく言われる。
シュタイナーは言う。
「神秘学の真理に向かって汝の認識を一歩進めようとするなら、
同時に善に向けて汝の性格を三歩進めねばならない」
と。
(以下略)



青い文字のオレさまの文章は無視するとして、さすがシュタイナー(赤い文字)は良いことを言ってます。
超(霊)能力を開発するなら、人間性をその三倍も向上せよ、ということですかね。

「普通」の人が霊能力を開発してしまうと、殆どの場合、ロクなことにはなりません。
故・高橋信■でさえ、その失敗をしています。
高橋氏の弟子達の霊道を開いてしまったため、私が知っている限りでは3人、変なコトになっています。
◇数年前に世間を騒がせた白い衣装を着た集団、パナウ工ーブの教祖の女性。
  この人は高橋氏の著作にも出てきます。
◇エルラソティ●●。これは男性。これもおかしい。
◇氏の娘。気の毒に。


こうならないためにも、とにかく「普通」でいることが大事なのではないか?
霊能力が高ければ高いほど、他人から認められたいなどと思っているようなレベルでは憑いてるモノが推察される。
また、自分のことを「天使」「大天使」「マスター」などと、本物なら「名乗らない」。
名のらせたい場合は三回尋ねると、霊的存在は本当のことを答えなくてはならない、という決まりがあるそうです。
なので、三回訊いてみましょう。

<特殊たらんと欲する心4>(2009年6月15日)


以前、天使と会話しているという人がいました。
その人は既に中年でしたが、当たり前のことが分からなかった。
かなりの分からずやでした。

そういう(意識)レベルの人が考えることは・・・
「自分の霊的な能力が上がれば上がるほど周囲の人が賞賛する、認める」というものでした。
私が思うにこのようなことを考えることは非常に低レベルです。
なのでそれは違うよ、と説明しましたが
その人は「その理屈を分かるレベルに達して無い」ので理解しませんでした。


まぁ、霊的な能力が優れていると言って賞賛する人、憧れる人もいます。
そういう人はそういう(意識)レベル、そういう魂の位置、霊的な世界、精神世界に住んでいるのだ、と言えます。
なのでその霊能者の言うことは私から見ればトンデモなく的外れなのですが、
それを「良し」とし、それしか分からない人もいるので、それはいいんです。
そういう世界で楽しくやれば良いのです。

いろいろなレベルの人に応じた様々な人やコトやモノがあります。
ちゃんと用意されています。
そして皆がそれぞれ自分が理解出来て楽しい精神世界に落ち着けば良い。
棲み分けすればいいのでこっちが正しいとかあっちは間違っているとか、考えることが間違いです。

正誤は無い。
段階(レベル)があるだけ
です。

私が分からずやの霊能者に「それは違う」と言ったのは、
「それは私の考え方と違う」という意味です。

(※これだけを読むと私が自己中を発揮して、その人のやり方を否定しているように見えるが、
   その人があまりにもその状態で苦しんでいるので、アドバイスしただけですので。
   そんなに苦しいなら考えを変えれば良いのではないか?
   楽しいなら続行すれば良いのではないか?
   ただ、この人は言動や行動が既に低級霊に憑かれていたのです。
   このような考え方をするレベルがそもそもそのような世界と繋がる下地なのだ、と言えます)

(※低級霊に憑かれている人は、自分の意識がその世界と通じているからで、
   憑かれたくないなら意識を上げなくてはならない。
   でも、意識を上げることはそういう人にとっては大変困難です。
   なので、意識を変えさせようとする人に対しては低級霊の本性を表します)


御互いに違うのです。
私が考えている世界と霊能力の有るその人との考えている世界が違う。
それを精神世界と言います。
精神世界は無数にある。
そして似たような世界観の人が同波長の法則で集まっている。


日月神示に
「空を飛ぶ人と地を這う人に分かれる」とあります。
これは浜本氏に言わせると「獣の本性が出て、身体は人間でも中身は獣なので地を這う人が
出て来る」ということです。

(※浜本氏は日月神示を書いた岡本天明氏と交友がありました。
   天明氏が他人の思凝を受けて晩年健康を害した時、天明氏を救うために霊感によって
   「祈願文」(仮名)を編み出したのです。
   尚、浜本氏は相似象の基となったカタカムナを発見した楢崎博士とも交友がありました)


空を飛べる人は普段から今から空を飛ぶような、意識と行動をしている。
地を這う人は普段から今から地を這うような意識と行動をしているだけです。
日月神示の予言がいつ成就するのか分かりませんが、2012年までにはその二つが
どんどん分かれて行くのではないか?
地を這う人は空を飛びたくない、地を這いたいのです。

<特殊たらんと欲する心3>(2009年6月13日)


下の記事<特殊たらんと欲する心2>に、霊的な能力はあるが、心や判断力がその能力に見合うほど
高く無かったお婆さんの事例を挙げました。
このお婆さんは善意でやっていたので全身に癌があっても20年生きるという奇跡が起こりました。
善意で良かったです。
もしこのお婆さんに少しでも「我よし」の心があれば、奇跡は起こらず普通に癌で死んでいたことでしょう。

もし、ヒーラーの人で他人の悪想念(思凝)を自分が引き受け、心が清くない場合は奇跡は起こらず癌死することでしょう。
また、自分の思凝を無意識に相手に送り、自分の思凝を減らしているヒーラーの場合は、
癌死では済まなくなるでしょう。
こっちの方が怖いです。
これに比べたら癌になって良かったと思えるくらいです。

ヒーラーの方達はこの点を、常に大丈夫かと自分で自分に問いかけてやった方が良いと思います。

<特殊たらんと欲する心2>(2009年6月12日)


下の記事<特殊たらんと欲する心1>から発展して。
<見て分かる奇跡を求める人>


見て分かる奇跡を求める人が普通ではないでしょうかね。
たとえばチャネリング、霊視、超能力などを求める。
分かり易い。
自分もそれが出来たらいいな、と思う。

そりゃ私だってそういう力があったらいいな、と思います。
透視なんて要らないから、「一週間後」が分かる能力が欲しい。
そうすれば一週間後の新聞を見て、今週のロト6の当たり番号を知ることが出来る。
それを毎週やる。
そうすれば私は大金持ちです・・・・うわ===はっはは!笑いが止まらんぞい!

毎週2億円×4週×12か月=96億円。
これを10年間続けると960億円!
しかも税金がかかりません。
で、宝くじファンは自分には絶対当たらないということが分かるので(だって一等は必ず私のもの)
宝くじを買う人が居なくなる。
ありゃ。
それじゃ困るんですよ。
皆さんが買ってくれないとアタシの一等賞金が少なくなっちゃう・・・どんどんジリ貧に・・・

という妄想はこれくらいにして。
<怖い顛末>


「マリアノ工房便り」(リンク2)(2009年6月11日)の記事「普通である幸せ」に
「神事(かみごと=霊的なこと)を続けたお婆さんが全身癌に侵された話し」が載ってます。
このお婆さんは、霊的な能力が高い人から
「いい加減にしなさい」と叱られて、神ごとは数年で止めたのだが、
後年全身を癌に侵されてしまった。
なのにその状態で20年間生きたそうです。
不思議な話です。

このお婆さんは自分が施術(ヒーリング)する人の思凝を自分が引き受けていたのかもしれない。
だから後年癌になった。

霊的な能力の高い人は、このお婆さんの心や魂の状態を一瞬で見抜いたのではないか?
だから「いい加減にしなさい」と忠告したのでしょう。
世の為人の為というのは良いが、やはり何も分からずやってしまうのは問題ですね。
そういう神ごとをするならその思凝を自分が引き受けても良いが、それを一瞬で浄化できるほどの
魂の高さ、霊的な能力の高さが無いとならないのでは?
引きうけるだけで思凝を自分で浄化出来ないのなら、他人の想念(邪念)を引き受けることは無謀ですね。

ただ、このお婆さん。
世の為人の為に行ったのは本当なようです。
なので全身を癌に侵されながら、20年生きたのです。
たとえ癌でもいじくらなければ良いのです。
(いじくる、とは現代医学で癌を突っつき回し、痛めつけることです)
この点は神霊もお婆さんの思いやり溢れる心を汲んでやり、生き永らえさせたのでは?と、まりおさんも書いています。
私も同感です。
<中途半端な霊能力は危険>


このように、受けた思凝を浄化する方法を知らない、或いは魂がそこまで行ってない人が
霊能力と称していろいろするのは危険です。
(※だからレイキ伝授も、思凝を浄化できるまでになった魂の人を見抜いた上で
   初めの頃は伝授していたのでしょう、これは私の想像ですが)

<特殊たらんと欲する心1>(2009年6月10日)


PANDORAでこれだけ「霊能力などよりも、人間としての心の方が大事」と、書いているにも関わらず
字面を追っているだけで何も理解しない人もいるようです。
多くはないと思いますが。

PANDORAは100人の人がいたら、その中の10人くらいは「読める」。
トンデモ話や簡単なサインとか夢・前世の話も載っている。
でも、
「人間の話」を理解するとなると、その10人の中の1人(か2人)くらいでしょう。
(過去に100人に一人がPANDORAに来る、と書いたが、それは来て理解できる人のことです。
  なので、正確には、上に書いた通りです、書き方が甘かったですね、申し訳ない)
<特別な人になりたい>


なので、お客さんの中には「特別な存在になりたい」人もいるようです。
その「特別」とは、霊能力やチャネリング、ヒーリングの力のことのようです。
他の特別な存在ってのはあまりないようです。
(たとえば、「一生他人の後始末と尻拭いをして縁の下の力持ちで過ごす特別な人」って人は居ないようです)

で、この霊能力ですが。

これはそういう素質に生まれたのなら、嫌でもそういうコトになるわけです。
たとえばお世話になっている「謎の方」です。
その方は物ごころついた時から見えないが、感じたり分かったり後ろの人から教わったりして来たようです。
でもそれを売り物にするわけでもなく、普通の会社員として仕事をして来ました。
今は仕事は辞めて家にいるようです。
どういうひとかと言うと「凄く普通」です。
真面目ですが、最近載せた記事<デスノート>と<耳鼻科>に大受けしたようで堅ブツではありません。
普通のおばさんです。自分では「無職のおばさん」と名乗っています。

ジュネさんに謎の方のことを訊いたら即、
「この方はチャネラーですねぇ。」と言ったので、
◇ジュネさんのチャネリングは本物だろう
◇謎の方はチャネラーだろう。
と見当をつけました。(まだまだ調べる気はありますが)

で、ジュネさんはレイキか何かを学んでいたのかな?そして途中からチャネリング能力が開花したそうです。
ジュネさんも至って普通の人です。
多分舞い上がるには年を取り過ぎていたのかもしれないが(わらい)でも、いくら年齢が高くても
舞い上がる人はいくらでもいるので、やはりジュネさんはマトモだなぁ、と思いますよ。


で、私はこの二名を信頼しているのですが、それは霊能力が有るからでは無いんです。
人間として普通だからです。
他にはありません。


こう言ってはナンですが。
霊能者なんてネットで探せば掃いて捨てるほどいるんですよ。
そういうのと知り合いになったからって嬉しくも何ともありません。
私はこの通りおばさんなのでね、少しのことで舞い上がったりしないんです。
堕ち込むこともないが。(つまり鈍感ってこと)

よく閲覧者の方が自分に特殊な能力があるようなコトを書いて寄こしますが
そういうのを読んでも「全く」「心は1ミリも」動きませんので。
反対に「心が明るい素直無邪気」な方を見ると(いいなぁ)と笑みがこぼれます。
<人間性最低でも霊能力がある場合>


人間性が最低でも霊能力が有る場合の方が多いのではないか?
つまり、どこからそういう情報が来ているか、です。
「ジョーティッシュ」(リンク1)に或る宗教家の記事が載ってます。
これを読むと大変参考になります。
抜粋しますね。


従って、このおそらくアストラル界から来ていると思われる歪んだ情報を信じている●●氏も、
これを有難がって信じる信者も、
共に真偽の確かめようのない情報によって踊らされ騙されている状態
であると言えるのである。
これこそが、8室支配の木星であり、法則を損失したグルから支配されることを表している。
牡牛座ラグナの人は木星が8室を支配するので、霊的教師との関係であまりよい体験をしないのである。

(中略)
チャネリングというアストラル界からもたらされる信頼性の乏しい情報を用いているからである。
このアストラル界から来る情報を受け取っている本人自身はそれが正しい情報なのかどうか、
まったく自己評価するすべを持たないため、仕方がないのであるが、
しかし、霊界通信と称するようなアストラル界の書籍に触れて思うことは、
その内容が幼稚に感じるということである。
政治経済や政治に関する高度に知的な議論と比べると、チャネリングの情報は少し幼稚に感じるのである。
例えば、●●氏の夫人を「文●菩薩」「ナイチン●ール」の生まれ代わりとして崇めているところなど、
幼稚な感じである。
こうしたことで、マハダシャー木星期の最後の木星/火星期に至って
自分が仏●の生まれ変わりであると、宣言するに至るのである。
この錯覚をもたらしたのは、チャネリングによって接触した法則を逸脱した
幻惑・錯覚の霊存在であり、
8室支配の木星であると考えられる。

※こういうあの世の世界についてはシュタイナー学徒のオレさまが詳しいので彼のブログを読んで勉強してください。
  ブログはリンク2の「My Soul WIS You」です。



霊能者の99%は偽物である、という説があります。
霊能者の意識レベルと同等のモノと繋がるのだからそれは言えるかもしれない。
殆どの霊能者は上の宗教家のレベルであろうと思います。
特殊たらんと欲する人。
そのような人の意識レベルがそもそも低級なので、それと通じる世界は99%の方ではなかろうかと思うのです。

たとえばレイキです。
レイキを十数年〜数十年やっているベテランの教師達は
「レイキをする人の中に人間としてどうかと思う人(つまり低級霊の入れ物)となっている人がいること」を
経験で知っている。
なのでそういうベテラン教師に「レイキをやると中には変になる人がいる」と言ってもそれは当たり前のことなので
即理解するし、間違っても感情的はならないし、「そのとおりです」と答えるらしい。

ところが、レイキを習いたての人。
初めて半年とか1年とか数年とか・・・そういう人の中にはレイキに関して少しでも批判と思えるような
文章を目にするとたちまち本性を表す。
本当は批判などしていないのですが、そういう手合いは思考力が無いので批判であると誤解する。
こういう箸にも棒にもかからない手合いが居るのだ・・・・・・・とういうことを、レイキのベテランは知っているのです。
凄い話です。
レイキを誰も批判していないのに、良く読めば分かるものを、思考力が無いために誤解しては獣の本性を剥き出しにするレベル。
これは繋がっている次元がどういうものか想像が付きますね。



また、天使や女神などと会話しているという人がいました。
私は物臭なのでそういう人が相手だと、自分が言ったことを相手は誤解しないだろうと思ってしまう。
たとえ言わなくても天使がそいつに教えるので、本人は理解するだろうからこりゃ楽だわい・・・・と思っていると大違い。
態度の良さは演技だったのです。
あれは間違い無く低級霊に憑かれた者の所業。
わはっは!
何故私がこの事実を知ったかというと、相手が途中で豹変したからです。
言ってることが滅茶苦茶になったので驚きましたが、別に不思議でも何でもない。
最初から低級霊に憑かれていたのでした。
そりゃ
(言ってるコトが幼稚だな)とは思ったが、年齢によるものかもしれないし
憑いてる天使がちゃんと教えるだろう・・・・とタカを括っていたら、違いました。
やはり思考力に乏しい者にマットウな霊は憑かないのでしょう。

これも良い体験でした。
まぁ、私が物臭なのでね、言わなくても(天使が説明するだろうから)大丈夫、と思っていたのでそれも悪いんですよ。





本物は1%だろうと思います。
<それでも特殊になりたい人へ>


特殊な能力がなくたって途中からおかしくなる人は多い。
特殊な能力が有る人が途中からおかしくなったら、普通の人より悲惨なことになります。
なので「普通の人」は特殊な能力など持たない方が身のためです。
(※ちなみに私が特殊な能力、チャネリング能力などを持った日にゃ大変なことになります。
  何がどう大変なのか分からないが、ろくなコトにならないってのは予想が憑く。
   なのでそういう能力が無いことが幸いしているのです)


特殊な能力を持ちながら普通でいられる人はモノ凄く特殊であると思いますよ。
そこまでの人間性、レベル、心、魂、波動量を獲得しなくてはならないのだから。

上に書いたことを読んでそれでも特殊な存在になりたい人がいると思います。
その場合はまず、意識レベルを上げ、波動量を増し、人間としてマットウになるのが先です。
霊能力はその後です。
そうじゃないと
「獣の入れ物」(日月神示)となってしまう。

獣の入れ物になったって構うもんか、私は特殊な能力が欲しいんだ、という方。
覚悟の上ならどうぞ、おやりください。

<もう一段下のぢごくあるのぞ>(2009年6月9日)


日月ブログ「ひふみ〜神の理〜」(2009年6月8日)の記事より。
秋の空のすがすがしさが、
グレンと変るぞ、
地獄に住むもの地獄がよいのぞ、
天国ざぞ



ご主人の転勤で当地にやってきたという人がいました。
私から見れば、恵まれた条件で暮らしていると思えましたが、
その人は絶えず不安を抱えていました。
入眠障害になるほどに。

そんな彼女が最も望まなかったのが、持ち家のある故郷での生活でしたが、
皮肉にもご主人のの急な転勤にともない、
数日前にその故郷へと引っ越していきました。

彼女は安らげる場所(天国)にいながら、心にいつも地獄を作っていたために、
その心にふさわしい場所(地獄)に行くことになったのかもしれないと思いました。

あんな状態でいたら、あんなふうになるんだと、
何ものかが実例を私に見せてくれたのかもしれません。

どうせ生きるなら、現実にないことを心配するより、
今を楽しく生きて、楽しい未来を引寄せたいですね。



本当に何の不足も不自由も無いのに自分を不幸だ、と嘆いたり
他人を妬んでいる人がたまにいます。
傍から見ると「こんな幸せな環境は無い」と思うのですが、
本人は「そんな幸せな環境」に居ても「心はヂゴク」を生きている。それが

地獄に住むもの地獄がよいのぞ、天国ざぞです。

下の記事<夢を叶えられる人>の対局に居る人です。

心がヂゴクに住んでいる人にいくら言葉で
「あなたは天国にいるでしょ」
言葉で説明しても理解しません。
或いは頭で理解しても心が理解しない、納得しない。
それを「分からない」と言います。


すると運命は本人が自分で自分を「分からせるために」
さらなるヂゴク的な環境へ、自分を運びます。
それは、そうなって初めて
(ああ、あの時は天国だったのだ)と、分かるためです。

miwa5さんの日記には「もう一段下のヂゴク」へ自分の身体を運んだ実例が載っていて
とても参考になります。
さて、この「本人が一番望まない環境に移転させられた人」ですが、
そこで何かを悟ればよし。
悟らねばさらなる(心の)ヂゴクが待っています。
もう一段下のヂゴクです。
このように心の姿勢が間違っているために、どんどん「もう一段下のヂゴク」に堕ちて行く。

堕ちて行きながらどこかの時点で悟れば良いが、どうでしょうね?
悟るために堕ちて行くのですが、それでも悟らない。
それを
「業が深い」(カルマがきつい/我が強い)と言います。

そういう人に何とかしてあげようと思っても、助けようとすれば逆に逆恨みをするので
何も出来ない人が殆どではないでしょうか?

<夢を叶えられる人>(2009年6月8日)


俳優の役所広司(字はこれでいいのかな?)が、初めての監督作品「がまの油」について語っていました。

彼は今から40年前に、本物のがまの油売り(大道商人)から
「家に帰ったら、仏壇を掃除してみろ。きっといいことがある。」と言われ、実行したそうです。
当時役所氏は10歳くらいですかね。
インタビュアーから
「それで何かいいことありましたか?」と、訊かれて役所氏
「40年経って、こうして『がまの油』という映画を作れるようになったので、それが良いことなのかな。」と答えていました。


役所氏は自分が俳優をしていて、今から10年ほど前(?)に、なんとなく(監督もしてみたいな)と、思ったそうです。
で、それからは俳優をしながら監督だったらどうするだろう?と考えたり、撮影の仕事を観察したりと
心の中でずっと思っていた。
そのこと(自分が監督やりたい)は誰にも言わなかった。
すると役所氏の働きぶり(演技の巧さなど)を見ていた、スクリプターという仕事をする女性が目を留め
役所氏に「監督をやってごらんなさいよ。」と言った。
そして数年(?)後、本当に監督をすることが出来たのです。

@子供時代に「きっといいことがある」とインプットされた。
  しかしそれは役所氏が
他人の言葉を素直に受け止めたからでもある
  (その時、何をバカな・・・)と、思えば何も起こらない

A平凡な公務員だったが、或る時俳優養成学校へ入る。
  これは
ふと思いついたことに素直に従ったからでしょう。
  その時
  (どうせダメだ)
  (何をバカなこと考えてんだ)
  (安定した公務員の職を捨てるのか)
  と、理屈で打ち消せば、今の彼はいなかった。
  きっと役所内で出世していただろうけど、俳優役所広司は居なかった。

B俳優をやりながら
ふと(監督をやってみたい)と、思い、それからは誰にも話さず心の中に夢を抱き
  温めていた。

Cするとその心を見透かした如く、彼の働きぶりを見ていた女性が「監督をやってみない?」と提案。
  女性は男性に比べると「見えないモノ(心や状況のこと)」が見えるので、周囲にそういう女性がいたことはラッキー。
  しかし、逆を言えば見抜かれるので、
役所氏の人柄が良かったからだと言えます。

D役所氏は初監督をする初日にスタッフ一同を前にして
  「何も分からないのでお願いします。」と挨拶したそうだ。
 
 彼の願いが順調に叶って来たように見えるのは、彼がとても素直だからでしょうね。
  私も役所氏は好きな俳優の一人です。実力があると思います。
<人柄が良い>


上の記事を読んだYさんから。

役所さんの記事読みました。
劇団員のテストで、何の下地も無いドシロウトだったので、
「こいつに合格点をやる審査員はいないだろうから、
自分だけは合格にしてやるか。。」
と、審査員全員に思われて満場一致の合格だったそうですね。
(ドヘタだけどすごくイイ奴なのを皆感じたらしい)

すごいなーーって思いました。
役所さんも、入団許可した劇団も。


いい話ですね。
意外と役所氏、そこまで考えに入れてわざと朴訥(ボクトツ)な演技をしたりして・・・まさかね

<今までのやり方が通用しなくなる・・・・個人の単位>(2009年6月7日)


今までのやり方が通用しなくなってますね。
デパートが苦戦しています。
今までのやり方では売れないということに気づきました。
当然です。
だって、気づかないと倒産してしまう。
国もね。
今までのやり方ではやれなくなっているんですけど、こちらはまだ気づいてません。
いつも一般人がいち早く気付き、次に商人が気付き、最後に公務員が気づきます。

さて、個人のレベルでも今までのやり方が通用しなくなっています。
今まで通りで良いと、無意識に思って来た人達。
本当は今まで通りではいけない、というコトに気づかされているようです。
日月ブログの「ひ☆ふみの歌」に参考になる記事がありました。

下の記事だけでなくブログの過去記事も神示について自分の感想を述べていてとても面白い。
全部読むと良い学びになります。

二日んの巻 第1帖(P.380)

生前、生後、死後は一連の存在であって、
そこには存在以外の何ものもないのである。
存在は生命であり、生まれつつあるもの、そのものである。
何者も、それ自らは存在しない。弥栄しない。
必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する


-----------------------------------------------------------------
この少し前の行に、「思うことは行為することである」という言葉もあります。

今、父が入院中です。入院した時点ですでに、癌の末期であり余命を言われました。
先日、放射線治療をし、その病院から、
「これからどうされますか?緩和ケアに移行するために病院に移っていただくか?
それとも、危険が伴いますが抗がん剤を打ちますか?」
と打診がありました。
今の医療は、癌であること、その状態包み隠さず本人に告げるんですね。
そして、担当が言われるには、
「選ぶのは、あくまで本人です。決して家族のものが勝手に決めないでください」という事でした。

癌になったこと自体は、本人の今までの思考回路の結果ですのでなんとも言いようがありません。
が、さて、あの父がどう選ぶんだろうと思っていました。
なんせ、今までも、物事を自分で決めれない。決めない。
まずは、母に向かって「どう思うか?」意見を聞き、そこらじゅうの意見を聞き、
たいていは、自分が信用している兄だったり、
自分が見識者と思っている人がこういったから、自分はそれに従う。
というそのパターンで今まで生きてきた人です。
自分で全く考えない・・・人なんです
結果、父は、自分で抗がん剤を選んだそうです。
抗がん剤については、云々いろいろな事が、言われています。
それで、今更余命が伸びるということもないでしょう。苦しむかもしれません。
それでも、私は父が自分で、道を選んだということに関して、なんとなくうれしくなりました。

今更ですが、自分で、病に対して(いや、自分の人生に対して)前向きになろうという、
その意思が見て取れたので、その事がなんとなく嬉しかったんです。


ふみ☆23さんのお父さんは今まで自分で何ひとつ決定することが無かった。
周囲の人がそれを可能にしていたのでしょうね。
(我が家なら必ず本人に最終決断をさせます)
日本中に世話焼きのお母さんや奥さんがいるので、ふみ☆23さんのお父さんのような人は
珍しくないと思います。

ところがこのお父さんは主治医から
「自分で決めろ」と言われてしまいます。
自分の命を預けた主治医が言うんだから従わなくてはならない。
たとえどんなに嫌でも出来なくても実行しなくてはなりません。

自分の身に起こる全てのことは、自分が自分に課した試練です。
全てを自分の責任であると自覚しない限り、自立した人間とは言えないのです。
(殆どのことを他人のせいにして、甘え怨んでいる次元が低級霊です)
ふみ☆23さんのお父さんは、長年自分では決定しない人生を歩んで来て
自分で自分を病気にし(無意識下で)、自分が避けて通って来た「自分で決定」という
「新しい方法」を学んだのでしょう。
自分で。
ふみ☆23さんのお父さんはこの年になって新しい生き方を一歩踏み出した、と言えるのではないか。
<皆、同じです>


翻って私達も同じです。
今までのやり方が通用しなくなって来たことを分かり、新しい生き方を始める必要があります。
それは自分が病気になって強制的にさせられる場合もある。
リストラや失業失恋離婚子供の問題などは、
「それを解決できるレベル」になるか、
「解決できないまでもそれの意味を分かるレベルになる」必要がある。

相手があることなので全ての問題を解決は出来ません。
その場合は
「心で解決」するのが良い

ふみ☆23さんのお父さんは自分で「この問題から逃げられない状況」を作る必要があったが
そうなる前に分かれば良い。
(日月神は
「大難が小難に、小難が無難になる」と言ってます)
どのような小さいことからも気づき、学べる素直で明るい心の姿勢で居たいものです。

<誤解を恐れず>(2009年6月3日〜2009年6月4日)


私が他人の誤解を恐れないのは
「分からないものは分からないのだ」
「分かるにはそれが分かるレベルに達しないと不可能である」

というサトリ(理解)があるからです。
別に特別気が強いからだとか、傍若無人だからだ、とかではありません。
<リンクを切る理由(わけ)>


私はたま〜にリンクを切っています。
それを見ると90%の人は( if ひどい!)と思うだろうが、意に介しません。
理由は上に挙げた通りです。

私がPANDORAからそこのサイトへのリンクを切る理由は至って単純。
「そのやり方をしていると、精神が向上しないから」です。
別に憎いからでも嫌いだからでもありません。
みんな好きです。
<理由>


そのサイトのやり方をやっていると、心が向上しない。
だから切っています。
そのサイトが間違っているなどとは思いません。
それはそれで良いのです。
そのやり方が良い人にとってはとても良い。
お勧めしたいくらいです。
そのサイトには繁盛してもらいたい。
これは本気ですよ。

ただ、そのサイトと同波長の方は
◇今の自分を認めて欲しい
◇心は向上しなくて良い
と、無意識に思っているだろうから、それは私のやり方と違うので
「ではそちらでやってもらいましょう」と、思うのです。

たとえば
◆悪霊が憑いているので腕利きの霊能者に取ってもらう

悪霊が憑くのはその人の波動が低いからです。
本人が波動を高めれば良い。
それをせず他人の力で取ってもらっても悪霊はその人の波動に惹かれて来るのだから
悪霊のせいではありません。
本人が波動を上げない限り何度でもとり憑きますよ。

本人が自分の波動を上げることが出来ない人には、腕利きの霊能者は必要でしょう。
でも、それをすると何度でも除霊しなくてはならなくなる。
そういう人はそういうサイトへ行き、何度でも除霊してもらえば良いのです。
そしてお金がスッカラカンになり、その時心底反省し原因を分かり根本的に
解決しようと思えば良いのです。
そういう学びも必要です。
なので、私はそういうことをしているサイトを嫌うどころか(御苦労様)と思っています。

◆情緒的な人

サイトの管理人は良い人です。
でも思考力は無い、情緒不安定である。
そういうサイトの管理人さんと波長が合う方。
こういう人はPANDORAを閲覧してもしょうがないのではないか、と思います。
もし管理人さんが思考力に乏しくて情緒不安定なら、
管理人さんに忠告出来るくらいの方がPANDORAに居て欲しい。
情緒不安定な管理人さんを慰めてどうするんですか?

言いたくはないが。

私はこういうタイプの人が嫌いなんです。

世の中に居てもいいです。
優しくて良い。
でも、こういう優しさは私は嫌いです。


或るサイトの掲示板はこのような人で溢れています。
誰かが愚痴を言う。
すると周囲の人がこぞって我先にと慰めるのです。
そういう場所が存在します。

そういう場所も必要です。
三次元に病院があるように、掲示板にもそういうのがあって良いのです。
必要です。
でも、PANDORAは違うのです。
PANDORAは心の病院ではありません。
心を科学(物理)する場所なのです。
自分に起こったことを誰かの責任にして当人は何も考えない、という場所ではなく
「自分の身に起こったことは全て本人の責任であり、それは思考力によって
  理解することが出来、防ぐこともできる」という厳しい心の姿勢で生きる
  方法を
書いている所です。
これが出来るようになると世の中のつまらないことで堕ち込むことがなくなります。
根本的に解決できるようになる。

情緒不安定な管理人さんを慰める人、あなた。
優しい人だとは思いますよ。
でもあなたにとってPANDORAは場違いな場所なはずです。
あなたの励ましや慰めによって、その管理人さんは本当に気付かなくてはならないことに
気付くことが出来ません。
(「他人のサトリを邪魔する人」という記事参照)
無責任な思いやり、考え無しの思いやりは決して良い結果を生みません。
本人のサトリを先送りするだけです。
その責任を取れる人なら何をしようと良いのですが。
<わけ>(2009年6月4日)


さて、私は自分がつまらないな、と思うサイトのリンクを切っています。
切ると言っても記事からはリンクしています。
全くなくすわけではありません。
ブログなら皆さんに紹介したいと思うし、お店なら繁盛して欲しいからです。
また、お互いに一個のサイト同士なので上下関係もありません。
管理人さんに或るレベル以上の判断力があればいいかと言うとそうでもありません。
判断力については皆さん私の予想以上にありません。
正直に書いておきますね。

私が重視するのは「自分には分からないことが有り、それが何だか分からないが
分かって行こうと決めた」心の姿勢です、それだけ。
「あんた分からずやだからリンク切ります」ということはありません。
ここらへんが理解が難しいところではないかと思っています。
<ブログについて>


それから私が「つまらない」と思う文章について。
今日或る方が意見を送ってくれました。


話は変わりますが
昨日のリンク解除のお話ですが
ifさんが近々リンク解除されるだろうなというリンク先は
なんとなくわかります。
文章がきらきら光らなくなっていくからのような気がします。
 
なんだかえらそうですみません。
そういう私自身まだまだですが
もっともっとわかりたいです。


つまらないのは

◇犬ねこ家族子供の話ばかり

犬の話を書いてもいいんですよ。
犬の話を書いていると見せて深い話をすればいいんです。
犬は単なる素材です。
これが出来ている文章はとても面白い。
子供の話だって勿論OK。
それと絡めて深いコトを言っていればいいんです。
なるほどなぁ、と読者が思えるような文章なら良い。

◇食べ物の話

食べ物の話だって、いいんです。
昔夏目漱石がイギリスに留学していた時、紅茶とマドレーヌ(クッキー?)を
食べたら昔のことをまざまざと思い出した。
それをイギリス人に言ったらイギリス人驚いて
「そういうことは(我々イギリス人には)無い」と答えたのを聞いて漱石驚いた、という話。
イギリス人(に、代表される西洋人)にはそういう感覚が無い、
つまり「味覚によって記憶が喚起されること」が無いということに
彼はカルチャーショックを覚えた、、、、、、とかいう風に
膨らませた上で、この違いはどこから来るのだろう?
やはり日本人の脳は世界の中で特殊なんだろうか?
と、今度は角田博士の「日本人の脳」に話が展開する、、、、、すると今度は
「日本人と同じ脳の反応をするのはポリネシア人だそうだ。
 ということはコレッて超古代のムー大陸と何らかの関係があるのではないだろうか?」

と、無理やりなこじ付けに持って行き、収集がつかなくなった・・・のはやり過ぎですが、
そのくらいの芸当が出来れば食い物の話も面白くなります。

が。

大抵の場合は画像付きで
「こおんな美味しいモノ食べちゃいましたぁ!」で終わり。

だから?
アタシはそれ食えないけど?
希望者にはコレをくれるの?
え?それは無いって?じゃあこの記事の目的は?
と、ここまでクレームをつける人は(私以外には)居ないでしょうが、
書いてもしょうがないコトしか書いてない日記が多いのではないでしょうか?
(別に食べられないからって僻んでいるのではありませんよ)
(ホント)


◇旅行の話

「こおおんな素敵な土地に行きました〜♪景色がきれいでしょ?」(画像付き)
もつまらない。
その土地で何か不思議なことが起こったのなら読んでいて面白い。
風景写真に幽霊が写り込んでいればなお、良い。

◇やたら本やCDを紹介

紹介したっていいんですよ。
それは役に立つ情報です。
でも、毎日そればかりではつまらない。
また本やCDの感想や意見、そこから発生する諸々のことなどが
書いてあると面白いのに、書いて無い場合はつまらない。


要するに「語れない」からつまらないのです。
深みが無いのです。
知識や素養が乏しいのです。
せっかくの素材を料理出来ないのです。
だからつまらない、食えたものではない。
文章の料理の才能があれば、どんなつまらない素材も
「ええええええっ!コレってアレなの?うっそ===!」
と、お客が驚く一品になります。(どんな一品だ?)


知識が乏しい・・・・・・・・・・・・・それなら感覚を研ぎ澄ませれば良い。
モノ凄くきれいな心で、書く。
「feel〜感じるままに〜」なんかまさにそれです。
どう感じたかを大変素直に書いてあるブログですが、それでよし。
不思議話を絡めるのも上手い。
知識は最低限でも良い。
(えっと、ここの管理人さんの知識が最低限と言ってるのでは無し)
素材の料理の仕方が実にきれいです。
心のきれいさが出ているのだと思います。

何も全員に「物知りになって知識を披露しろ」と言ってません。
感覚を大事にしてそれを素直に書けば良い。

ブログを書く時邪魔をするのは多分、認められようとする心ではないか?
私はブログを書いたことが無いので想像ですが、アクセス数を気にする、とか。
そんなモノ気にする必要は有りません。
自分が楽しければいい。
だが中には「アクセス数が増えるのが楽しい」という人もいるのでね、一概には言えませんね。



◆自分はコレを書きたい
◆私はこれが楽しくてこれが好きだ
◆私はこれが嫌いだ、これは改革したい
◆理解してくれれば嬉しいがそれは結果であって、目的ではない
◆他人が認めなくても良い
◆他人の目は意識しない、しかし他人が読み易いようには書く
◆でもこれを読んだ人が楽しくなったり知識が増えたりするのもいいな
◆反論する人に怯えてはいけない
◆他人を妬まない
◆自分の個性を出すのが楽しい
◆誰に遠慮がいるものか
◆これだけは言っておきたい

とか、こういう意識で書くのが良いと思います。


個性に関して言えば
先日M氏がウチに遊びに来ました。
彼もブログを書いてます。
彼はオレさまのブログを読んでいるそうです。
「ああいう風に書けたらいいなって思いますが、なかなか書けません。」と言うのです。
「オレさまの奴、私が何か書きこんだら『これだから老人は困るぜ』だって!」
「あっはっはははh!」
可笑しいです。
そりゃオレさまの個性なのでね、他人は真似は出来ません。
真似する必要もないしね。


上の条件を満たしているブログ(全部満たしてなくてもOK)
キラキラしているように思えますがどうでしょう?
閲覧者の方が送ってくれた意見にヒントを得て私の意見を書いてみました。

勿論これは私だけの意見です。
世の平均値とは違うのであまりこれに囚われないようにしてください。

<聞き方>(2009年6月2日)


人の話をちゃんと聞ける人がマットウな人、賢い人です。
ところがコレが出来る人が殆どいません。
うちの主人なんか殆ど出来ません。
「話を聞かない男、地図が読めない女」と言って、男はひとの話を聞けないものだ、
という説があるようですが、女にも「人の話を聞けない奴」が多いので、私はこの説は採用しません。


人の話を聞けないのは
◇心が閉じている
◇思考力が無い
◇無意識に相手をバカにしている
◇たいしたことでは無い、と勝手に悪い頭で判断している
◇相手がいつもうるさいコトを言う、と感じているので聞かない
◇他のことを考えている
◇自分には確固たる考えが有り、他人の意見を聞いても音声として聞こえるだけで素通りする

のどれか、或いは複合的なものかと思います。

他人の話をマトモに聞けない人は仕事をすれば
◇リストラされる
◇出世出来ない
◇店は潰れる
◇会社は倒産する
◇家庭は崩壊
◇本人は病気

でしょうね。
これを自業自得と言います。

昔の人が賢いことを言ってます。
「心、ここに有らざれば見れども見えず、聞けども聞こえず」と。
<聞き方2>


オレ様のブログに参考になることが書いてあったので引用します。


あー。ども。


人生修行中なリーマン兼神秘学徒、オレさまです。



ぽまいらはいかが人生悟った気になってうかれた気付き自慢したがりなスピ系でいやがりますか。




さて。スピ系に対する偏見に満ちた発言はともかく。



オレさまの短所のひとつに、自分の周囲に壁をはりめぐらせるというものがある。



もちろん、基本的にコミュニケーションは苦手というかおっくうだし、
他者を自分の小さな壁の穴から見える姿だけで判断してしまう傾向がある。



わかってはいるが、なかなか治らない。



しかし、現実とはたいしたものだ。


いまオレさまが多くの部下を見るポジションにいるのも、この欠点を治す環境に放り込まれたと言える。


この人はこういう人。


あの人はああいう人。



ろくすっぽ知る前に判断していると、とんでもない思い違いをしていたと知ることになる。



やれやれ。いまこそオレさまは壁を壊し、他者に耳を、心を傾けられる人間にならねばならない。



伝えるべきは伝える。そして聞く。



そう、傾聴だ。



それはより高次の認識へと至るプロセスに他ならない。



傾聴が魂の認識器官を育て、霊聴(インスピレーション認識)へと至らせる。



自分の欠点に目をつむることは許されない。



歩みは遅くとも、進むしかあるまい。



ま。そんな話だ。



やたら行間が空いているので、上の方に何が書いてあったか忘れてしまいますが
良いことが書いてあるに違い無い。

「ケイチョウ」が大事だとか書いてあります。

いふ
人は耳で聴くことから始まり、やがて全身、全器官を動員して聴くようになる。
そして自分の思考、判断を停止させ、他者と一体化するがごとくの聴き方をするときが来る。

このときハートチャクラが開き高次の霊的な聴覚が開く。
あたかも他者の本質を書を読むように読み取り、悟る。
ここに至れば人だけに限らず、すべての存在が開示する秘密に触れられるようになる。

風の歌を聴け-それは魂の耳で聴くことなのさ。

耳で聞くだけではなくハートで聞け、という意味だろうと思います。
オレさま自身がそれをやれているかと言うと・・・・・・・・やれてます。
どんな人にも長所はあるものです。

<書店にて>(2009年6月1日)


先日、久しぶりに市内の書店に行きました。
いちおう「精神世界」的な本が並んでいる棚があります。
そこへ行って少々驚く。

そこに並んでいたのは・・・
降伏の化学
行けだ代策
深身問う臭
鷹嘴よし子

の著作がズラリ。

高橋信次の著作はたった二冊。
一冊は持っていたので、持ってない方を買って帰りました。



世の中こんなモンかもしれません。

<自分を知って楽になった>(2009年5月29日)


ジョセットさんのブログ「神のかけら」(2009年5月29日)より。


トンボ玉で知ったこと

2009.05.29 *Fri
PANDORAの<自分を知ると楽になる>を読んでから、
ずっと記事にしようと思っていたことなのですが…。

私、自分が不器用だと言うことをつい最近知りましたw

昔から、絵を描いたり工作をしたりということが好きだったので、
周りからは「器用なんですね」と言われてきました。

私は器用かどうかは分かっていなくて、単純にそれが好きだったので
「そうか?」と思ってました。
好きだから、それをする→慣れる→出来るようになる→楽しい→好き→最初に戻る
だと思ってました。


…で。
ワタクシ、トンボ玉を1月から始めたのですが、
同じ日に体験教室を受けた人が、初日から大変巧い。
その人と私は、そのまま教室に通うことになりました。
通う曜日も一緒。
最初は、差が無かったのですが、だんだん、
その人の方が私よりも1段階も2段階も先の工程へ進むようになりました。
同じ日に通い始めた私は、なかなか巧くならずに、だんだん落ち込んできました。
そんな時です。
教室の先生がこう言いました。

「ものづくりはね、不器用な人のほうが向いてるんだよ」

がーん!
私って不器用だったのか…!!
と、しばしショックを受けましたが、思い返せば不器用な思い出が多い。

なーんだ、そういうことか。私不器用だったんだ♪


このときから、トンボ玉が楽しくなりました。
巧くできないのを、どうしたらコツを掴める様になるのか、
とか、そういうことに面白さを見出せるようになりました。
巧い人は1コマで済むところを私は2コマで進めているのですが、それでもとても満足です。

相似象の考え方4の記事<アワの底力>を読んで、ますます自信がつきました。
私はこれでいいんだ、と。

これがマンガの方でも当てはまれば良いのですが…

とはいえ、もう言い訳はしない。
なかなか自分の本当の才能や気持ちに気づかないものです。
気付く(知る)ために、ジョセットさんのように「何かしてみる」のも一つの方法です。
しかしジョセットさんは気付くことが出来たが、何をやっても気づかない人もいるので
全員に当てはまるわけではありませんが。


自分の意識を(気づこう)(分かろう)(理解しよう)と、いう姿勢にしておくことが大事です。

<草なぎ君>(2009年5月30日)


Wikipediaより↓
2009年4月23日未明、東京都港区の檜町公園にて酔っ払いが騒いでいると近隣住民から通報があった。
警察官が駆けつけたところ、その酔っぱらいとは、ひとりで裸になって騒ぐ草gだった。
警察官の注意に対し「裸になって何が悪い」と従わなかったため、公然わいせつ罪の現行犯で逮捕。
その際、草gは手足をばたつかせて抵抗し、保護シートにくるまれ赤坂警察署に連行された。
草gの供述によると、「記憶がなくなるくらいのかなり量のお酒を飲み、この時の事をまったく覚えていない」という。
その後、東京地検に送致されたが、草gが十分反省し社会的制裁も受けたとし、
5月1日、起訴猶予処分(不起訴処分)を下した。


にこりん^^さんから意見が来ました。

無事復帰したみたいですね。
新聞にも全身写真入で大きめに取り上げられ、あたたかく迎え入れられたみたいで、
よかったよかった♪
(写真写りもいつもよりよかった)

今回の事件によって、草薙君はつらかっただろうけど、
得たもののほうが多かったんじゃないでしょうか?

いろいろなところで取り上げられて、さらに有名に。
スピリチュアルっぽいサイトでも、いっぱいとりあげられてて、しかも好意的なところが多い。
大臣も非難されて、謝罪するはめになる。
新聞の雑誌の広告欄しか見てないけど、
CM違約金も企業はファンや世論の非難がこわくて請求できなかったとか。
テレビももう悪くは言えない。


SMAPの中ではなんとなく影がうすいイメージだったけど、
(ファンはそんなことないけど)、
いろんな人たちに、草薙君って、すごい人なんじゃ?とアピールできてしまったと思う。
ある意味、キムタクも超えていたと思う。

キムタクだったら、こんなにいろんな層から応援はされなかったんじゃないかと思うので。

デビューしてからの年表とかも出ちゃったりしてて、ああ、そうだ、「黄泉がえり」は
泣けたなあ〜、としみじみしたり。

不思議な現象の1ヶ月でした。

今後、さらに活躍していくことでしょう。
わからないものですね〜。


政治家も企業もマスコミも、国民の声を無視出来なくなった、ということでしょうね。
これからどんどんその傾向が強まるでしょう。
彼の名前が草なぎの剣と「強い」を意味しているのも暗示的です。


「ジョーティッシュ」(リンク1)にも草なぎ君に関する面白い記事があります。

<聞き役>(2009年5月29日)


アクセサリーと石鹸の販売サイト「Lotus〜蓮〜」(休止中)を運営している都里さんは
マッサージ(か何かの)お店に勤めています。
都里さんからの報告です。
PCに向かう時間も極端に減っているのですが、先日のPANDORAでの記事の中に
病気の原因は邪気・・・と言うのがありましたが
人様の体を触るようになってから、何となくそれが分かります。
 
病は気からと言いますが、ストレスを溜めている人は体が強張っています
 
例えば、1時間体を触らせてもらいながら
はじめに特に気になる場所(凝っているところ)を訊くのですが
その時は「体全体がだるくて喋るのもエライ!」と魚の死んだような目で仰います。
しかし、私もお喋りな方なので(あ、でも時と場合に寄っては静かに施術してますw)少しのきっかけで
その方は延々とお喋りをして、「喋り疲れたけど気持ちよかったわ♪」なんて言ってくださるのですが
マッサージが気持ちよかったのではなく、喋って自分の中のガスを抜いて
心のケアが出来たのかな?なんて思います。
 
私はカウンセラーでもないし、そんな事も出来ませんが
軽い症状の人くらいだと、こうして他愛もない話をするだけで
ストレスが軽減されているのではないかと思うのです。
 
この仕事に就いて思うのが、やはり「気」の弱い人やネガティブな人は
慢性化されている凝りがあるように思います。
 
でも、心の持ちようでそれはなくなるのではないでしょうかねぇ。
 
もちろん、体を動かしての筋肉疲労なんかだと
マッサージは有効的だと思います。
 
ただ、気疲れしている人なんかは「人の手」でマッサージされる事に寄って
心身共に癒されることもあるのではないかと思いました。
 
もちろん、それなりの技術や教養がないとマッサージをされても気持ちよくありませんが
私はキャリアが短い分、口で誤魔化しているワケですw
大きな口は叩けませんが、施術を受ける方の固まっている何かを溶かしたと感じることがあります。
 
それが凝りなのか、心の中のわだかまりなのかはわかりません
もしかしたら私の勘違いかもしれませんが、施術後のお客さんのだら〜んと
緩んだ顔を見るのが今の私の楽しみであったりもしますw
 
長い拘束時間さえクリアされたら、本当に楽しいお仕事に出会えたと思いますw


なるほど。
都里さんのように相手の話を聞くのが上手い人は
相手から話を引き出すので、お客は安心して喋る。
それが「心の凝り」をほぐすことになるのでしょうかね。

都里さんは「ただ聞いてるだけ」と言いますが、聞くことは難しい。

<少数者の素質>(2009年5月28日)


昨日M氏がウチに遊びに来ました。
またまたオヤヂ達のトンデモない冒険談を聞かされました。
その他にもいろいろ話をしましたが、その中の一つ。
M氏は本当に腹が立たなくなったそうです。

M氏は私が見るにヲサの素質のある人です。
皆に優しく親切でいつもにこにこしている。
でもただ人が良いだけではない、仕事はバリバリやる。
上司の受けは良く部下は可愛がって尚且鍛える、、というスーパーマン。
物事が分からない人にも優しく親切で、自分にできることなら何でもしてあげようと、
待機している人です。

そんなM氏もかつてはつまらないことで腹を立てていたそうです。
◇乱暴運転するドライバー
◇自分のことしか考えない人間
◇世の中の不正

などに対してです。

ところが2年前の今頃PANDORAに来てから、
◇相似象
◇日月神示
◇様々な鑑定

を知り、だんだん腹が立たなくなって来ました。
一番効いたのは謎の方が出した
「怒ると瞬時にレベル20」でしたが。

本による勉強と鑑定結果によって2年経った今では本当に何にも腹が立たなくなったそうです。

M氏は私と違ってヲサの素質の有る人ですから、本来の自分に戻ったと言えるのではないか。
私はといえば少数者ではありませんから、今でも怒ってますがね。
(これが素質の違いです)

M氏以外にも
「感情的にならなくなった」「心がとても楽です」と報告してくれる方が沢山います。
(当の私が今でも怒っているのにねぇ・・・・・・・・・・・・・・・・素質の違いでしょうね)

私が無謀にもここで相似象を紹介したことが良い結果を生んだようで良かったです。
当の私がこの程度なのは不思議でも何でもありません。
だって、たとえば高校教師を見てみましょう。
クラス担任だとしましょう。
自分は東大を出ていなくても、一流大学を出ていなくても、有名私大を出ていなくても、
「自分のクラスの生徒をそれらの大学に入れること」は出来ますよね?
それと同じですよ。

<仲よきことは美しき哉>(2009年5月27日)


仲が良いということは良いことです。
悪いよりずっといいです。

仲良くするには、或るレベル以上の波動量が無いと無理なような気がします。
人間として最低限のレベルと言っても良いでしょう。
勿論低〜いレベルでも仲が良いってのはあるよ、と思うでしょうが、
その低〜いレベルが人間として最低限のレベルをクリアしているのでは?と思うのです。

我が家に一か月に一度、karenとK子がお互いの都合を合わせて遊びに来ます。
来ると二人はとても仲良しです。
私より仲良しですが、まぁ、いいでしょう。
とても楽しそうです。

ネットのお店の場合。
売り物が違う場合仲良しってのは分かりますが、売り物が同じ場合でも
仲良し、という例があります。
(※先日、しずさんがまはるださんに絵のリーディングを依頼していました。
   自分でも出来るけど、第三者の客観的なリーディングも知りたいという心の現れですが、
   でも、仲良しには違い無い)


売り物が同じ場合、低次元だと相手を「商売仇(かたき)」にしてしまって
敵対視する場合が多いのではないでしょうか?
それは「同じ商売同志で仲良くするレベル」に、意識(心、波動)が達してないのです。

世の中には他人をライバル視しながら生きている人が実際にいます。
その人はそういう「精神世界」を生きているのです。

<4年前の記事>(2009年5月25日)


昨日ふと思い立って、「パンドラの壺」→「時事問題」のページを整理しました。
すると驚きました。
あまりにも記事が荒い(粗い)ことに。

4年前の私の波動がここまで低かったのか・・・と愕然とした。
これは読んだら気分が悪くなるわい、と。
これは事実の確認。
ここからが反省。








4年間でなんと進歩していたことよ!
偉いな自分
・・・(←反省してねえじゃん)



思えば4年前になんとなく始めたサイトなので、何を目的にするかまだ明確ではありませんでした。
思いつくまま書いてました。
今もそうだけど、今はテーマが決まった上でのことです。
当時は、ただ思いつくままを書いていたのです。
大変低次元であると言えます。

そして、そのような低次元なサイトと同波長の人が御客さんの中に沢山混じっていたのです。
最初の時点で怒って離反する人がいました。
開始してすぐファンになってくれた人は途中から(自分の願望が形になった時点で)
怒って離反しました(この人は憑かれていたようです)。
夢の実現のためにずいぶん協力したけど、それは仇になったようです。
あ、恩に着せる気は毛頭ありません。
自分もあまり恩に着ない方なので(とてもアッサリしているので)。
感謝されようとは思わないが、途中から変身するってのはどうもねぇ、異常ですね。

でも、そのような人も自分の低波動のサイトが呼び込んでいたのでしょう。
納得です。

今はそのような人はすっかり居なくなりました。
皆さん心優しい常識人ばかりです。
ワケが分かるかというと、これは誰でも分からずやなので、ひとそれぞれ分かるレベルは違います。
それよりも心がきれいで優しく明るく素直であることが一番です。
そういう人が殆どです。

私はサイトを運営しながら、波動を上げていて、それに見合うお客さんが集まったようです。
本当に同波長の法則ってありますね。

<思凝が来た?>(2009年5月24日)


お伺いしたいことがあります。
先日、祈願文のキットを購入し、
子供、両親、兄弟の分を作り、持ち歩いていますが、

もしかして
もしかしたら、
思凝って
その時々に変化しますか?

私、左足を肉離れして(2月)
それ以来、良くなったりぶり返したりします。

これは私も含めて、日々の思いがこの左足に
現れている…?
のかもしれない。
と思うのですが、
どうなんでしょう?

痛いときは(脚が硬くなり、ひきつる感じ)
脚をさすって、よしよし…そうかそうか、とわからないなりのさすり方をしているのですが、
思凝と関係ないのでしょうか?


来ていると思います。
祈願文を書いた人に、名前の人の思凝が来るそうです。
来た思凝を、自分が心で溶かしてあげるそうです。
(悪抱き参らすことと似ていますね)
なので、善意で名前を書いてあげると、書かれた名前の人の思凝が
書いた人に来ます。
他人の分は家に置いておいたら如何でしょう?
持ち歩くのは自分の分で良いと思うけど。

ありがとうございます。
今はもう自宅を出てますので、
また帰ってから、
分けて、自分以外のものは、置くようにします。
全て持ち歩かないと、いけないのかと思ってました。

自分以外のものの思凝を自分の体で受けるって、
深く考えなかったです。
その結果がこれか…と改めて思います。
両親、家族の為!
なんてこういうたぐいは軽々しく思ってはいけないのだな。
と思いました。


いま、祈願文をビニール袋にまとめていたので、
私のは免許証入れに入れ、
他のを戻そうとしたら、ビニール袋がぱっくり開いてました!

そして、
分けたら!
嘘みたい!
足が楽になってる!
ありがとうございます!
嬉しい


気軽には出来ないということですね。

<なんか凄い>(2009年5月22日)


PANDORAのお客さん、どんどん良い方に変化しているようです。

◇彼氏が出来た
◇離婚したが、すぐ彼氏が出来た
◇離婚して母子家庭だったが、彼氏が出来、今度入籍する
◇彼氏と結婚する
◇結婚した
◇赤ちゃんが出来た
◇就職出来た
◇収入が上がった

など、人生の節目のような大きな出来事が沢山起こっています。



Mさんという方から報告がありました。

今年の1月にダンナに突然離婚を切り出された話を覚えてますか?

2月の半ばに離婚して今は介護の仕事に就いてます。

ふら〜っと就活して深く考えず3日目には働いてました。

これが私向きでなお且つ勉強になって一石二鳥以上です。

そして離婚後すぐに新しいダーリンができました。

長い付き合いの友人でしたが、これまた深く考えず直感で軽〜くOKしました。


この方は離婚→就職→彼氏登場と、半年足らずの間に境遇が激変しています。
凄いですねw

勿論、身内の方が病気だ・・・という人も何人もいます。
でも、そういう方は家族の中で一人、しっかりしていられるようです。

心の状態が運命に反映されているのだと思います。
心の進歩は早い遅いがあります。
今、到達しているレベルはそりゃ高い方がいいが、
もっと大事なのは「心が進歩の方向を向いていること」です。
「↑」です。



物事が分かってくる、真実が分かってくると、余計な感情や情報に
振り回されなくなり、時間と金とエネルギーの節約になります。
たとえば今、皆さんは豚インフルエンザの真相をご存じなので
右往左往したり、マスクを買いに行列したりしなくて済んでいるのではないでしょうか。
時間と金とエネルギーを消費せずに済んでいる。
その分「考えなくてはならない事」に時間とエネルギーを費やせる。
さらに心と運命が向上する。

という仕組みです。




勿論、お客さんの中には「今まで自分が考え違いをしていた」ということを
思い知らされている最中の方もいます。
思い知るチャンスがあって良かった。
思い知れる環境にあることはラッキーです。

そして散々思い知った後は上の方達のように彼氏が出来たり
結婚したり赤ちゃんが出来たり良い職場に就職出来たり、が待っていますよ。

<正直>(2009年5月22日)


正直と言っても
◇思ったことを全て言え
というのではありません。
(思っていること全て言ったらうるさいだけです。
 主人の母がそうなのでうるさくてかなわない、それは止めて欲しい)


◇一つも秘密が無くなるまでさらけ出せ
というのでもありません。
(ブログで自分のことを赤裸々にさらけ出している人がたまにいますねw
  あれ、何が目的なんでしょうね?あっはは!まぁ、ひとはそれぞれなのでいいけれど)



なるべく、出来る限り正直に生きろ、という意味です。
仕方なくウソを言う場合は自覚して言いなさい、という意味。
自分で自分の意識を
◇あ、今は本当のことを言ってる
◇あ、今はウソを言ってる
と、意識化すれば良い
のです。

問題なのは
◇ウソを言っているのにその自覚が無い
◇自分の気持ちがウソなのか本当なのか、分からない
これはまずい。


常にウソを言い、それが当たり前になり、従って「これをウソである」と
認識出来なくなると、自分の本当の気持ちが分からず、
従って、自分の願望は叶わなくなります。
だって、自分で自分が何を考えているのか分からないのだから、
もし、本当の願い(潜在意識の願い)が叶ったとしても
顕在意識の方が「こんなの嫌だ」と思っていれば
その人の願望は叶わなかったことになる。
この理くつは分かると思います。



殆どの人は自分の本当の気持ちや願望に気づいていない。
だから、願いが叶わない(ように見える)。
本当は叶っているのにね。
<しずさんに行ったおみくじは「正直」>


絵のリーディング、カモワンなどをやっている「つれづれなるまま」のしずさんが
自分の願望が叶ったことを日記に書いています。
絵のリーディングをまはるださんにやってもらったそうです。

絵について来たおみくじが「正直」というものでした。

しずさんがそれまでウソをついて生きて来た、とは言いません。
でも、ほとんどの人がそうであるように、自分の本当の気持ちに正直に生きて来たか、
と言えばどうでしょうね。
そこらへんに意識を向けないと分かりませんね。

なので、このおみくじはしずさんに
「正直であるかどうか」という新たな視点を与えたようです。
しずさんは大変勘の良い人なので、おみくじの意味を受け入れて自分の意識を見てみたようです。
その時から運命が良い方向に変化したようですよ。

詳しい話はしずさんのブログでどうぞ→  まはるださんのリーディング

<怒り>(2009年5月21日)


下の記事<karenの転機>と関連しています。


アワ人間とサヌキ人間は感情的な反応が違う(動作も違いますが)。

karenのようなアワ女は、怒りの規模は小さいが怒りの感情が持続する。
私のようなサヌキ女は、怒りの規模は大きいが怒りの感情を持続させることが出来ません。
私などは怒ることがあると「烈火の如く」怒りますが、持続出来ない。
「ぐわっ!」と、怒っても数秒〜数分で怒りが収まります。
(※勿論私のようにサッパリしたサヌキ人間だけではありません。
   相手が憎くてずっと憎み続ける低次元のサヌキ人間の方が多い)
(※アワ人間もサヌキ人間も悔しい思いをし、その感情を手放しません。
   それは低次元だからです。
   アワとサヌキの違いは悔しがり方の様相の違いにあります。
   アワの人は相手の心無い言動や仕打ちに悲しく残念な思いを抱く。
   サヌキの人は悔しく憤り腹を立てる、という傾向がある。
   低次元のサヌキの人でも怒りを抱えて相手に言えない場合があるため、

  
 そのことや他のことから「自分をアワだと勘違いする」そうです)


以前バカな奴
(父親、叔母、低級霊憑きのオヤヂ、電話セールスなど)から我が家に電話があり、
対応していたら怒りが湧いて怒鳴りまくったことがあります。
不思議なことに
karenが居る時に限ってそういう電話が来るんですよ。
で、電話ぐちでぎゃんぎゃん怒鳴るわけですよ、私が。
(だって、向こうも怒鳴ってんだもん、相手をしてやってるわけよ。
 叔母さんとセールスの人は怒鳴って無いけど、いいのさ、私に怒鳴られるだけの理由はあるんだし)


電話を切ってkanrenのところへ行くと
「うわ〜〜〜ifさん、怒ってな〜い(驚」と言うんです。
つまりさっきまで殺しそうな勢いで怒鳴っていたのに、数秒後には何事も無かったような顔をしている、という意味。
これには笑った。
karenは喧嘩の声を聞いてるだけで心臓がドキドキして気が気じゃなかったのに、心配して損した、
みたいな?


ここではおとなしいアワ人間について語ってみます。



おとなしいアワ人間は、怒りの規模は小さいが、持続するんですね。
表に出さないこともあり、怒りが内向するのでしょう。
その怒りは小さいが長時間持続するのと、内向するので健康を害すでしょうね。

どちらが良いとは言いません。
ただ、そういうタチなのだ、と言います。

しかし、怒りが長時間内向すれば病気になりますから、そういうタチの方は特に意識して怒りを解消しましょう。
自分のためです。
おとなしいアワ人間の怒りは大変規模が小さいために、自分でも怒っているのを自覚出来ない場合がある。
これが最もタチが悪い
のです。
この「自分では意識出来ない怒り」を長年抱くと病気になります。
癌ですね。
自分でも自覚出来ないほど小さい怒りを持ってしまうタチのアワな人。
気の毒です。

見掛け上は私のような低次元のサヌキの方が、怒りを我慢せず表に出すので格好悪いし
みっともないし、人間が出来てないし、アホだし、最低です。
でも、それらが「表に出ている」のでまだ良いのです。
アワな人はこららのことが「隠れている」のです、だから怖いのです。


アワな方達。
本気で心の掃除をした方が良い。
余分な感情や思いを自覚し、それらをきれいにしましょう。
(BSWやフラワーエンセンスや、宣言が役に立ちます)
また、判断力(思考力)を上げることも必要です。
判断力が乏しいと何でもないことまで怒る、誤解して怒る、ということをしてしまう。
それはやってはいけませんね。
なので、一刻も早く判断力を上げましょう。
全ては自分のためです。

そして一人の波動が上がれば周囲にも良い影響を与えるので、結果的に環境が良くなります。
自分のため。そして人のために、波動を上げましょう。(判断力を上げ、波動量を増し、感受性を高めること)。
<ヒーラー>


ヒーラー全員に当てはまるわけではありませんよ。

さて、上に書いたように「怒りを自覚出来ない人」がいるとします。
その人にはどんどん思凝(怒りなどの低級な感情)が溜まるわけです。
それをし続けていると自分の身体がダメになることを、心の奥底では知っている。
でも、それをきれいにする方法が分からない。

(情報としては知っているのです。
 「感情、思いを手放せ」とか「心をクリーニングしましょう」とか「グラウンディングが必要」とか。
 でも、言葉を知っているだけで、言葉の中味を知らないし、理解していません。
 或いは自分なりにしか理解していない)


で、何をするかと言うと、
ヒーリングと称して自分の思凝を「受け入れ態勢を取った相手」に送るのです。
これは私の想像であり、意見です。


自分の感情の解決が出来ない人はこれをやってはいけないので、レイキの創始者は
この点の理解があったので、人間としてマットウになった人(思凝を浄化した人)だけに
レイキを伝授したのでしょう。
想像ですよ。
創始者は相手を良く見て、これなら大丈夫である、とはっきり確認してからレイキを伝授した。
そこまでは良かった。
それからがだんだんまずくなって行ったのだと思う。

だんだんレイキ伝授がピラミッド型の組織的なものに堕し、単なる金儲けになって行った。
勿論レイキを伝授してもらった人の殆どの人は善意なのです。
でも、善意であることと、思凝が無いこととは別ものですよね?

かくしてヒーラーには思凝を沢山持った、善意の人が溢れるようになったのではないか?

芯から、真からの善人なら問題はありません
私が確認しているのはゆかえんじぇるさんならOKかな、と思います。
そうでは無い人も実際にいました。

人のためにと始めたはずのヒーリングなのに、相手によって態度が180度変わる人、とか。
相手をみくびれば凄まじい暴言を吐くとか、非常識なことを平気でやるとか、
これらは低級霊に憑かれた者の所業です。
何人もいますよ。

レイキを習ったので、仕事としてやりたい、と言う人がいたので
「何故それをしたいのですか?」と、何度も確認しました。
その人はkarenタイプで、怒りが小さくて自覚出来ない方でした。

自分の心に思凝がある人は無意識に、命を永らえさせるためにヒーリングと称して
受け入れ態勢を取ってくれる無知で善意の相手に、自分の思凝を送ることが出来ます。
こういうひとは「やってはいけない」からです。
この方はとても優しく善意に満ち溢れていますが、自覚化出来ない怒りがあるので
この方が開業してもPANDORAからはリンク出来ません。
まずは自分の心から余分な感情と考えをなくしてから、ヒーリングすれば良いと思います。


「無料鑑定」と称して受け入れ態勢を取った無防備な相手に思凝を送る、、、、、
トンデモないことをする人達が登場する時代となっています。
(私も興味本位でやってもらったけど)
タダだから悪いのではなく、料金取ってても同じことですから、やたらなエネルギーの受取りは
やらない方が身のためです。
(反対にエネルギーを取ることも世の中にはあるそうです)

自力では自分の思凝を解消出来ない(きれいに出来ない、なくせない)人達が考えたことであろうと思います。
(当の本人はその仕組みには気付いていないはずです)
(本気でヒーリングしている、と思っているはず)



勿論、これらのことはヒーラー全員に当てはまるわけではない。
PANDORAからリンクしているヒーラーさんは皆さんマトモですが、
「ヒーリングが効く相手」というのがあります。
パンドラの壺→etcX→<奇魂(くしみたま)とヒーリング>(2009年5月18日〜2009年5月19日)
自分に効くヒーラーと効かないヒーラーがいますから、
依頼する際は自分で「これを受けて良いか」「受けない方が良いか」を、調べてからにした方が良いでしょう。
<暗魔山>


まりおさんのブログ「マリアノ工房便り」を見てみたら・・・ぎょっへ===なことが書いてありました。

私は「レイキを習いました」「皆さんをヒーリングしてあげたいのです」と言う人、全員では無いが
「あなたは何故それをしたいのですか?」と、確認することがあります。
決してレイキ他ヒーリングを落としめるつもりはありません。
ただ、ヒーリングをするという人の中に、大変「我」が強く、低次元で非常識な人がいることはたしかです。
これは確認済み。
なのでレイキをしている・・・という人が何を考えているのか、そこらへんを確認したいだけです。
そう、ただ知りたいだけ、他意は御座いません。

まりおさんのブログの日記を参考にしたいと思います。
<レイキ>(2009年5月23日)


Tさんから。

パンドラでレイキの話がありましたが、昔受けてみたいなと思って問い合わせをしようとしたのですが、
『あなたには合いません』とどこからか声がして、電話も何回かけてもつながらないのでやめた憶えがあります。

声が聞こえたとは凄い。

<karenの転機>(2009年5月20日)


アライカードを引いてチャームを作っているkarenは元同僚です。
私と同期に採用され、同じ店に配属されました。
私とは最初から仲良しです。

今日、karenとK子がうちに遊びに来て、ビーズ分け作業をしました。
(K子も指輪を作っているので注文どうぞ♪)

karenの仕事は・・・
一週間の半分出勤しかも半日、一人で店番、仕事は簡単、冷暖房完備。
嫌な同僚は居ないし、自宅から近い、時給良い、定年まで勤務OK、というとても恵まれた仕事です。
「良かったね〜♪」と言ったらkaren曰く
「if さんが一言言ってくれたから」と言うんです。

それはこういうワケです。


karenと私が勤務していた店に後輩が入って来ました。
どこにでもいる●●女です。
自分のことしか考えない。
分からずやで我儘。
でも、仕事は簡単なのですぐ覚える。
しかし、その上のこと(アワを使うこと)は分からない。
しかし、自分は仕事が出来ると思っている、どこにもいる社員です。

私がまずその店を辞めました。
karenはその後輩と一緒に勤務すると、とても嫌な思いをします。
仕事中に
「嫌な女!」とメールが着たこともありますw
いくらおとなしくて優しい人でも嫌なものは嫌、と感じますよ、そりゃ。


すると本部からkarenに「他の店に転勤して欲しい」という通達が来た。
karenは
「私の方が先に居たのに!」と、その命令に納得できない様子でした。
なので私は
「でも、今度の店はkarenの家から近いし、いいんじゃないの?」と言いました。
karenは
(そうかぁ、こういう考え方もあるのか)と、思ったそうです。
そして転勤を承諾しました。

新しい店には前の店に居た●●女のようなのは居ませんでした。
ちょっと話が分からないかな・・・・・くらいの人はいたけど、それは我慢できる範囲内です。
駐車場は目の前で、ついでに買い物もし易く、前の店より良かったのです。


また本部から「○○店に転勤してくれ。」と通知が来た。
その店はkarenの自宅から一番近い店でした。
駐車場は目の前、前の店より大規模な店舗の一角なので、買い物するなら何でも揃います。
欲しいものがあれば勤務のついでに買って帰れる。
同僚は皆、良い人ばかり。
最高です。


karenは私が「今度の店は近いし、いいんじゃないの?」と言った時驚いた。
その時karenは
「自分の方が先に居たのだから、移動するのは新入りよ!」と、思っていたのでした。
そして自分がそういう古い硬い考えでいることを、私の言葉によって思い知らされたのでした。
この時、karenが私の言葉を理解しなければ、今のような楽しい勤務はなかったかもしれない。

私としては当たり前のことを言っただけですが
(サヌキなので感情が入らない。距離だけを考えた)
karenはアワ女なので、いろいろなことを思い感情を拗らせていた、そこに気づいたそうです。
(私のようなサヌキ人間は「バッキャロー!」と思ったあと、何に怒っていたのか忘れます)
ここで、気づくのが凄いですね。
分かったわけです。
自分がつまらないことに意地を張っていたことを自覚したのです。


一つ悟ると運命が良い方に展開します。
「異動させられた」と本部を恨んだり後輩に怒ったりするより、気持ちを変えて明るくなれば
それに見合った(同等の・同波長の)環境がやって来るのです。

私にとっては当たり前でもkaraenにとっては「思い」を大転換したわけです。

その後、数年経ってから、私が絵で忙しくなり、karenに「手伝ってくれ=!」コールをした時も
喜んで来てくれました。
それから数年。
今ではネットのお店を開くまでになりました。
本来の勤務だけでは時間が余ってしまうのと、やはり創作をしたい気モチがあるのとで
今の状態は理想的で、毎日楽しいようです。
皆さんから作品を喜んでもらえるのも励みになっているようです。

また、指輪のK子とは御互いのスケジュールを合わせて一か月に一度くらいしか会えませんが、
会えばとても仲良しです。
私より二人の方が仲良しですが、まぁ、いいでしょう。



怒るより、理性を働かせるべし。
素直に運命に乗るべし。
一つ悟ると運命が好転する。
自分(の意識)が分かって来ると同波長の楽しい人間と知り合える


という教訓でした。
<私のグレン>(2009年5月21日)


上の記事を読んだYさんから。

おはようございます。
Karenさんの記事読みました。お幸せだろうなと思います。
*******************************************************

私の「グレンの日(契約を切られた)」から半年、
職探しを始めて3ヶ月たちました。

自分の心が外界に投影されるとか、
意識しないと人は過去(思い込み)を再生し続けるとか、
理解したことが頭から心の中まで下り(浸透し)た状態です。
すると、仕事への考え方もまったく変わりました。

自分は「頑張る人」でしたが、
そもそも、なぜ「頑張りYちゃん」が出来上がったかに気付くと、
もうこれ以上「頑張る私」は要らなくなりました。
(なぜは長くなるので略します)

例えば、Karenさんの環境も、以前の私なら恵まれているとは
感じなかったと思います。価値観の相違ですね。

過去:仕事(頑張る自分)>暮らしや家族(創造的なこと)
現在:暮らしや家族>仕事


頑張る自分に、「一般常識」「男社会の洗脳」を上塗りしていた
のかもしれません。なまじ根性ありすぎて、「頑張りという抵抗」を
とても長く続けてしまったなと、半年前のグレンは必然だったと
今は思います。



価値観はひとそれぞれなので、どのような価値観で生きようと良いと思います。
ところが、その「価値観」が、自分が本当に心の底から価値を認めているのか、
ということがここでは問題になっているようです。
自分が心の底から価値を認める、価値とは何なのか、それを知らない限り
目の前にはつまらない、不幸が展開するでしょう。
自分の本当の気持ちを知ることが幸せ(満足)への道だと思います。

ちなみに私が生きたい人生は・・・
◇程々に稼ぎ
◇程々に遊び
◇程々に学ぶ

という
平凡極まりないものです。
私は他人が価値を認めたものには興味は無く、「自分が価値を認めたもの」しか興味がありません。
なので、他人がどこに住んでいようとどんな車に乗っていようとどんな家庭だろうと
一切興味が無いのです。
(※世は男社会ですが、これについては別に怒りは湧かず、認められようとも思いません。
   世が世なら世の男どもは皆、上様の家来〜素っ町人〜百姓ですからね。
   私は前世がお局様なので、そのような者どもに何の遠慮があろうか・・・いや、無い。
   前世がお局様であるなんて知らないうちからこのような考えでいたのです。
   ピラミッド型から外れていた、と言えます)
(※早めにビョーインへ逝った方が良い、とも言えます)


私は私の価値観にのっとって世の中を見、感じ、考え、行動するのが好きなのです。
それが一番楽しく楽で、そこに最も価値を置いています。
(他人の考えは常にセカンドオピニオンです)
トンデモない自己中我儘人間ですが、他人に迷惑をかけているわけじゃ無し。
総合すると「モノ凄く平凡でモノ凄く独特」であると言えます。


自分が本当は何をして生きていきたいのか、どういう考えでいるのが楽なのか、幸せなのか、
考えることは無駄ではないと思いますよ。
Yさんは良い学びをしましたね。



失職後から、ずっと継続してフラワーエッセンス飲んでます。
心の問題に本気だったし、メソッドとしての相性も良かった
と思います。

昨年秋口から日々の記録をつけているので、
「半年前の今日は何を考えていたか」が分かるのですが、
すでに何らかを理解してはいるんです。


それが心まで届くのに、自分の場合は半年は
かかっているようです。
まだ心まで届いた「つもり」かもしれませんが。。


半年で腑に落ちた(ミの次元で理解した)のは早い。

まず、頭での理解(イ=意の次元での理解)から始まり、
それが心に届く(ミ=身の次元での理解)のです。
この間の長さは個人差があります。

個人差は大きいです。
私などは分かりが悪いので数年かかったこともあります。

早くて半年から一年。
遅くて数年、もっと遅くて十数年数十年・・・かかります。

<タクシードライバー>


「マリアノの工房便り」(2009年5月18日)より。


(略)


四条烏丸の交差点まで行って、タクシー乗り場からタクシーに乗りました。

で。

親切なタクシー・ドライバーのおっちゃんならば、比較的すいている烏丸通を北上して、
御池通りに出て、これまた比較的すいている堀川通、中立売り通りを経て、私の目的地である北野天満宮に行ってくれます。
が、ちょっと悪どい運転手に当たると、いつも渋滞している四条通を、これまた渋滞している千本通までひたすら西に向かいます。
大体両者を比べると、
400円ぐらいの差が出ます

だから、悪どい運転手に当たってしまうと、いつも舌打ちでもしてやりたい気持ちになってしまいます。


それで。

私が乗ったタクシーの運転手は...
悪どい方でした

込み込みの四条通を平然と西へ向かう。

.....

一瞬、ええぇ!と唖然としましたが、
ちょっと今回は『ムカつく』のを止めてみる事にしました
だって、
400円は大きいですが、400円の為に自分の波動を下げる必要も無いだろうし、
悪どい事をしてお金儲けを企むおっさんには、私が別にムカつかなくてもそのうち自然にどこかでしっぺ返しが来るでしょう。
だから、ま、渋滞している道をどんどん行ってくれても良いさ、わたしゃあ寝不足なので、
その間ゆっくりと眠らせてもらいますから。と、昼寝をかまし始めたのです。


が。

お、おかしい。

その日は土曜だと言うのに、いつも込み込みな四条通が信じられない位すいていたのです。
私は産まれてこの方ずっと京都に住んでいますが、四条通がすいているのは初めてでした。

へぇぇ、そんな事もあるのだなぁ...と思っていたら、案の定、おっさん焦ってまたもや込み込みな筈の千本通りに突入。
しかし。

どー言う訳か、千本通もその日は空きすきで.......
ものすごく早く、しかも
親切なドライバーさんに払うお金よりも安い料金で、目的地の北野天満宮の前に着いてしまいました。

ま、おっさん、普通タクシーの運転手ならば必ずお客が降りる時に
『忘れ物が無い様に確認して下さいね。』と『ありがとう。』は言いますが、
何も言わずにお金を受け取って、私が降りるとそそくさとドアを閉めて行ってしまいました(笑。)

何だか良く解りませんが、
『ムカつかない』方が、ものごとが上手く運ぶと言うお手本の様な体験でした


これは奇跡でしょうな。

「心が変わると運命が変わる」
「全ては心次第」
と言いますが、その良い事例となっています。
本当にたった400円のためにムカついて、自分の波動を下げるのは勿体無い。

波動の維持>400円

です。
(4000円なら違って来るかもしれないが・・・まぁ、400円だし)

まりおさんがちょっと「ムカつくのを辞めた」だけでこの運命の変わりよう。
素晴らしいです。
ぜひとも参考にさせてもらいます。

心の心で取りて下されよ(2009年5月18日)


日月神の言葉です。
「心の心で取る」とは、神が言った言葉(神示)を、心の心で取れ、ということです。
では心の心で取れ、とはどういう意味でしょう。
一つは・・・


物事を分かる際に芯から素直でないと分かることが出来ません。
心の底から「分かろう」「分かりたい」という姿勢にならないと分からない。
そして、その姿勢になっていても分かるのは難しい、のです。

殆どの人は「分かろう」と思っていませんから、分かることが出来ませんが。

分かるには「分かろうとする心」が無いと分からない。
この「分かろうとする心」つまり「素直な心」のことを、
「心の心」と言うのではないか、これが一つ。
もう一つは・・・


普通に言うこ心とは、誰もが持っている心(思いや考え)のことです。
「心の心」とは、相似象で言うところの「物事が分かる心」のことです。
(私の考えでは)

物事が分かる心とは
◇知恵のある
◇分別のある
◇波動量大きい
◇動物次元では無い
◇低次元では無い
心のことで、これらは訓練しないと得られない。

日月神示の言葉は或る程度相似象で理解出来ます。
(専門的なことを知らないと理解出来ない場合は理解出来ないが)
<心の心とは>


心眼のことです。

たとえば、小中学生の子供がいる家庭。
朝「お腹が痛い。」と三日続けて言ったら(学校へ行きたくないのだな)と分かる、とか。
心眼が無いと「お腹が痛い」という言葉の表面しか分からず、病院へ連れて行こうとします。

分別のことです。

また、登校拒否の原因を「クラスの○○ちゃんが意地悪するから。」という、子供の言葉を真に受けて
その○○ちゃんを何とかしてもらおうと担任に言う、とか。
この時、「その○○ちゃんはウチの子だけを苛めているのかどうか」考える必要があるし、
◇もし、そうなら何でうちの子だけが苛められるのか原因を探る必要がある
◇そうではなく、クラスの子の多くが苛められている場合、うちの子だけが登校を拒否っていたら
  その原因を探る必要がある
のです。

ここまで頭が回らないのなら、子供の登校拒否は親が原因です。

とかね。
いくら優しく明るく思いやりに満ちていても、それは子供レベルの心なのです。
子供なら子供レベルの心でOK、だって大人の心なんて持ちようがないもの。

でも成人した人がこれでは・・・
20代ならまだ子供のようなものなので私は、それでもOKと言います。
しかし30代になってもこれでは・・・

心の心とは
◇素直な心で本気で相手の話を聞こう、分かろうとする姿勢=子供の心
と、
◇知恵と分別のある心(頭)=大人の頭
のことでしょう。

(他にもあるかもしれませんが、今私に分かるのはここまで)

日月神示を理解するのに必要なだけでなく、上の態度(子供の心に大人の頭)は
生きていく上で必要なのです。
どのようなことも
◇子供のように素直な心
◇大人の分別(理解力・心眼)
がないと理解できない。


たとえばPANDORAの「人間の話」は理解出来ない。
(こんなコト言っちゃって)
(前言ってたことと違う)
(アレとコレと矛盾している)
(めちゃくちゃじゃん)
と、思おうと思えば思える。

何故なら同じ言葉を違う意味で使っているし、違う言葉を同じ意味で使ったりしているからです。
それほど厳密にやっていません。
ここに書いてる文章は「私が思いつくまま書いている」もので、学術論文では無いからです。
もし、論文だったら、誤解の無いように、あちこち
◇注釈
◇索引
◇参考文献
◇出典
◇図版
などを載せ、注釈だらけで読み進むのに登山の如き苦労が必要となる。

それは面白くない。
私は苦労が嫌いです。

なので、ここに書かれていることは完璧からは程遠いのであるから
足りない部分は「心の心」で補い(〜〜ってことかな)(〜〜という意味だろう)と
見当をつけて読むのが良いです。

何も「人間のいろいろ」に限ったことではありません。
全てのことについて言えます。

この、「心の心」が無いと人生が大変困難なものになる。
それはその人が「心無い」人だからで、その原因が「人生困難」という結果を呼んでいるのです。
また、その人が知恵に乏しい場合、物事が分からない場合は
心眼を獲得出来て無いので、そういう人がつけた見当(予想)は「見当外れ」となります。
そのことをその人が自覚出来れば良い。
(自分は見当外れのことを考えているな、と)

そのことに気づかず、本人としてはその「誤解」を「理解」であると、「誤解」する。
そして誤解(邪推)し続ける。
これを「心が無い」と言います。

<途中で堕ちる人>(2009年5月17日)


下の記事と関連して何か書かなくては、と思っていたら、ちょうど良い記事を発見したので紹介します。
オレさまのブログ「My Soul WIZ You」(2009年5月10日)の日記より。

カルト

ふと考えていた。最近、ヨーガ系の霊能力者が堕ちたのを見ていた。
ここでよく触れる■山さんじゃねぇよ、念のため。(笑)



ホームページもあるのでたまにウォッチしていた。能力的には内部の人に聞いても高そうではあった。
ホムペに書いてある通りなら、コーザル界以上には達していそうだった。



ただ、知識として語っているのか、体験で語っているか、混在していてよくわからん点もあった。



個人的には、シュタイナーよりもブラバッキーだのベンジャミンクレームを評価していたり、
イエスがすでに受肉して活動していたりだのがあるので疑問符はあった。



まあその人の一番のベースがヨーガらしいので、
ヒンドゥ回帰路線であるブラバッキー系「神智学」のほうをシュタイナー路線より評価しちまうのかな、とも思ったが。



しかし。たいていシュタイナーよりもブラバッキーを評価するヤシって、山師傾向がある。どういうわけかさ。
不思議なもんだけど。



さて。この人も、結局、堕ちた。


弟子たちをいつのまにか「そんなことをすれば地獄に落ちる」といった恐怖で縛るようになっていった。


その動きに反発してたもとを分かち始めた元弟子たちを自分の手のうちにあるときは散々評価していたのに、
離反すると分かった途端、「闇に堕ちた」扱い。


カルトの教祖って、みんなこうなる。発言が一緒だな。(笑)



もちろん、自分への評価はどんどんデカくなり、最後はナンとかカントカな神となる。
バモイドオキ神とどっこいだ。もちろん。(笑)



ほんと、笑えるくらいカルト教祖は同じだよ。



なんか、霊能力者堕落専門悪魔でもいて、まったく同じ手口でからめとられているのか、と疑いたくなる。(笑)


面白いもんだ。



まあ、なんつうか。



どうも最近は堕ちるヤシらはさっくり堕ちる時代にいよいよ入ってきたのかもしれない。



よくスピ系が言うような2012年が近くなったからなのかは知らないが。



このブログにわざわざ来るくらいだから、ぽまいらも精神世界には興味があるのだろう。



だが、ほんと、誰に学ぶかはしっかり、ゆっくり考えて選ぶんだぜ。



金をとって商売でやってる連中がすべて駄目とは思わんが、
適正価格を越えてるようなところ、すぐに値上げだのなんだの料金体系が変わるところは、やはりダメだ。



主目的がただの商売になっている。



もちろん、それ以外にも色々とオレさまなりの基準とかはあるが、ぽまいらも自分でよく考えていくことだ。



せっかく霊的成長を願って誰かの門を叩いたのに、単に搾取の対象にされたり、
主催者の後ろのヤシのエネルギー供給源にされるだけじゃ憐れってもんだ。



気ぃつけるんだぜ。ぽまいらがすべてを捧げるに値するマスターは、ひとりしかいない。







キリストの愛と光輝を一身に背負う、あのマスター・・・。




迷妄を払い、右手に光を、左手に闇を従えるあの男・・・。





神秘界でもっとも薔薇の似合う男。

(以下略)(続きはブログで)(閲覧者のコメントが秀逸(藁)
<一般社会にもいる>


途中で堕ちる人は何も精神世界だけに限りません。
某県の昔の知事さんは、途中まではマットウだったようですが、
途中から明らかに顔付きも変わり”以上”だったそうです。
間違った想念が表に出た(裏返った)結果であると思われます。
怖いですね。


私達もそうならないよう、常に自分の意識を見張っていないとね。

<最近思うこと/Mさん>(2009年5月15日)


Mさんという方が最近の「精神世界」を見ていて思うことを知らせてくれました。


『一番トップに発達した魂が、今度は一番下の弱い魂に回って他を押し上げるんだなあ』
という言葉を読んで、私も何だか似たようなことを少し前に感じ出して、
この方の思っていることと同じなのかどうかは分かりませんが、
ちょっと強く感じるものがあったので、メールさせて頂こうかな〜と思いました。

私自身の考えなのですが、これから先の時代は、「霊能」とか「スピリチュアル」と称される、
いわゆる “分かる人にしか分からない” ような世界はもう要らないのだと感じているのです。


現在、スピリチュアルリーダーと呼ばれる人達には、信者だけを集めて、
「分かる人だけ分かれば良い!」「信じない人は来ないで!」・・というスタンスでいる
人たちが多い感じなのですが、今後は、「分からない人」や「信じない人」の“パイプ”になれる人たちこそが、
真のスピリチュアルリーダーとして活躍していくのだと思うのです。
これが、
上の言葉(『一番トップに・・・』)を借りると、 “一番トップに発達した魂が、
今度は一番下の弱い魂に回って他を押し上げる” ということなのかな、と。

 
ここ数年、スピリチュアルブームと言われていましたが、それももう終盤となっています。
 
これから先は、これまでスピリチュアルブームの中で養ってきた経験や知識や情報を、
もっと現実的なアプローチによって、今までそういう世界に「免疫のなかった人たち」へ
伝えていくことが必要になってくるのではないかな、と個人的には思っています。
 
そのためには、自分の足場や表現方法を変えなければなりません。
 
というのも、「分かる人」に話すような方法では伝わらないし、相手の目線に合わせて
対話せねばならないので、より「現実的な方法」でアプローチしていかねばならないのだと思います。
例えば、守護霊が〜・・とか、神様が〜・・とか、何とかの法則が〜・・
という表現方法ではダメだということです。
 
本当は、「次元上昇がどうの」とか「アストラル界がどうの」なんて全く重要ではないと思いますし、
そういう世界に通じている人(「魂の世界」に詳しい人)でさえ、
「こころの世界」を蔑ろにしている人は多いと思います。
 
そして、「現実的な方法」でのアプローチとは、
いかに “こころの世界” を巧みに伝えられるか・・ということです。 
(“こころの世界” とは、地に足の着いた現実的な「心の哲学」のこと)
 
スピリチュアルリーダーにおける今後のステップは、
「スピリチュアルな世界を理解している上で、こころの世界を説けるか」・・が重要なのだと思います。
「スピリチュアルな世界を理解している上で、魂の世界を説けるか」・・は
今後は大して重要ではないような気がします。
 
今まで、ファンだけに囲まれて、異端世界(違う価値観や世界観を持つ人達)と触れ
合ってきていないリーダーには難しい課題なような気がします。
吸わないといけない空気がまったく違ってくるので、そこに適応できるかどうか・・だと思います。
 
・・説明がややこしくて難しいので分かりにくいかもしれません。
でも、何となく書きたかったので長々と書いてしましました!


つまり、常識を身に付けた普通の人(沖縄の聖人やウイックランド博士のような人)が
常識と普通の感覚で精神(心)のことを説いて行く時代が来た、ということでしょうか。

<そういえば、私もムカついた>(2009年5月14日)


今から20年以上前のこと。
相似象を始めて読みました。
アワ量があるので読めたが、どう読んでもこのアタシが
「低次のサヌキ人間」であると、
本に書いてある。








ムカついた!
(こういう反応をするところが低次のサヌキの典型)





一通り相似象を読み、その後6年間は読みませんでした。
(育児で大変だったからです)
で、6年後に久しぶりに相似象を読んでみたら、今度はすんなりと頭に入るではありませんか。
そして
「これこれこういう人は低次のサヌキ人間である」という文章を読んだ時
(ああ、そうだよね、全くその通りだ)と、思ったのです。
反発心はゼロです。

6年間は忙しく、他の本を読んだりしていたが、その間、毎日のように
「波動・波動量・高次元・低次元・サヌキアワ・タチ・ナリ・感受性・向上心・ヲサ・少数者」
などの言葉を頭の隅に置き、それに照らし合わせて考え、
その上で経験し、また考える、ということをしていたのでしょう。
一度言葉を覚えるとそういう視点が出来あがるようです。
(※言葉を知ると、概念=脳内に回路が作られる)

特に本を読まず勉強をしなくても、毎日の生活の中で少しづつ悟って行ったようです。
その結果6年後に「相似象の言葉がすんなりと頭に入る」までに進歩していたのでした。

<だんだん腹が立たなくなって来た>(2009年5月14日)


Tさんからのメールです。

去年の話なんですが、丁度今ぐらいの時期に、ここにはとてもきれいな砂浜が
あるんですが、そこに子どもを連れ散歩に行ったら、ゴミやら漂着物やらで散々
な状態でした。
せっかくきれいな砂浜なのにもったいない、と思いつつ、何も準備していなかったので、
その日はそのまま帰りました。

しばらく経ったある日曜の午後、ふと、この砂浜のことが頭に浮かび、ゴミを拾いに行き
たくなったので出掛けました。
砂浜の方は、個人では分別するにも難しいようなゴミが多く、しかも中国や韓国からの
注射器や薬品などが漂着しているので近づかないようにとの注意があったので、
とりあえず車に戻ってみると、駐車場のゴミが目につきました。

それで、駐車場のゴミを拾うことにし、手当たり次第拾っていきました。
拾いながら、ゴミを捨てた人は“汚してやろう”なんて悪意をもっているわけじゃなく、
ただ何も考えていない、何も見えてないんだなぁ、となんとなく感じていました。
ふと、今、目の前でゴミを捨てられたら私はどう思うだろう?と思いました。
今、目の前で悪意をもってゴミを捨てられても、私はそれを拾うだろうなぁ、それにきっと、
その捨てた人に笑顔まで向けられるかもしれない、と思いました。

・・・うわ〜、思いっきりヤバイ人だよ!と思いましたが。
ちょっと前の自分なら、もちろん自分の正義を盾に怒りまくってたと思います。
ゴミを拾いながらも、ゴミを捨てた人に腹を立ててたと思います。
でもそのときは全く腹が立たなかった。

なぜだろう?と考えたら、それは、自分がゴミを拾いたかったから拾っているだけだから
ということに気付いたんです。
「してやってる」という思いがどこかにあるから、腹が立つのかな?と。
 
PANDORAに出会って2年半程、少しは自分が見えるようになったかな?と思える出来事でした。


以前より堕ち込まなくなった、腹が立たなくなった、という方が非常に多い。
良い傾向です。
腹が立ったり、悲しくなったりするのは「感情的になる」という点において
「同じ」なのです。
見掛けは違うし正反対に見えるが「同じ」です。
レベルが同じ、という意味です。

多くの方が感情的になるよりも、そこでちょっと考えることができるようになっています。
すると感情を動かさなくて済むのです。


よく、宗教や精神修養、スピリチュアルな世界で
「怒ってはいけない」と教えます。
すると多くの人は(それもそうだな)と、思い、怒らないようにします。
でも、腹は立てているのです。
つまり本当は腹を立てているんだけど、我慢をしている状態です。
これは何も精神的な勉強をしない人もそうですがね。
世間一般的にやたら腹を立てる人って、人間が出来て無いってのが見て分かるから
格好悪いし、良いか悪いかで言えば「悪い」ので、怒って無いというそぶりをする。

でも、本当は怒っているのです。

で、本当は怒っているのに「それはいけない」という道徳的な観念に凝り固まっていると
怒っているのに怒っていないということにしてしまう人がいる。
自分では怒っているのに、それに気づかないで生きる。

そういうのをネタにして怖いハリウッド映画を作られたり、
実際にそういう事件が起きたりしています。
(去年か一昨年か、大変温厚なオヤヂが一家全員、娘の一家まで、自分の孫まで
 惨殺するとか、数件発生しました)



こういうことになるのは、まず最初の時点が間違い。
最初に怒るという感受性が間違っているのです。
同じモノを見ても同じコトを聴いても、或る人は怒り、或る人は笑うのです。

感受性が狂っていて、何でもないことまで怒り、その怒りの感情は
「怒ってはいけない」という頑固な考えによって、自分では意識出来ない場所に
押し込められる。
それが積もり積もって押し込めていられなくなり、表に出て来るのでしょう。
何が悪いかと言えば「最初に怒ってしまうという感受性の低さ」なのです。

最初から怒らなければ良いのです。
海岸を掃除するTさんのように怒らなければ我慢をする必要もありません。
常に心は平静で明るく楽しいのです。

◆感受性が低く、怒ってしまうがそれを我慢する人
◆感受性が高く、最初から怒らない人

この差のことを「次元が違う」と言います。
(相似象でも次元という言葉を使っています。聖人から獣まである、と)

<水>(2009年5月13日)


最近、やたら水の絵を描くことが多かったのですが、今朝のテレビ番組「とくダネ」によれば、
世界では水が足りないそうです。
現在水(飲料水)が不足しているのは5億人。
2025年には35億人の飲料水が足りなくなる
、と予想されているらしい。

それで、今外国資本が水を求めて日本の山林を買う動きが出ているそうです。
平地で地下水を汲み上げると地盤沈下をもたらすので、法律で規制されている。
でも山林の場合は規制する法律が無いのだそうです。
中国までもが工業用水も足りないので、日本の山林を買収する動きがあるらしい。
飲料水を販売している海外の企業は勿論日本の山林から地下水を汲み上げる気でいます。

海外では水が足りない

のです。

映画「007」でも、登場する悪人は水を売買する人だそうです。

ジュセリーノ氏が予言していますね。
水が足りなくなり、水を求めて争い(戦争)が起こる、と。

世界中の資本家が日本の水を求めてやって来ている様子は
「世界が一つに成りて攻めて来る」という日月神の言葉を思い出させます。

一刻も早く、海外資本が日本の水を採集出来なくなるよう、法律を作って欲しい。

<ムカつく!>(2009年5月11日)


PANDORA、特に「人間のいろいろ」を読むとムカつく、前はムカついた、という方が多いです。
私も以前はそうだったので別に腹は立ちません。
(やっぱり)と思うだけです。

今から20〜30年ほど前に、或る大学教授(女)が書いた本を読みました。
「レジで口から泡を飛ばして店員に文句を言っている主婦を見ると(救われないなぁ)と、思う。」
書いてありました。
私はこの一文を読んで大いにムカつきました。
(オマエは自分が救われているからと言ってナンだ!
 だったらその気の毒な主婦を救ってやれ。オマエの義務だろうが!)
と。


それから10年ほど経って、この大学教授が言うことは尤もだ、と分かりました。
当時の私が若くて体験が少ない上に頭も悪かったので、理解出来なかったのだ、と理解したのです。


(※これを「若い人は傲慢」と言います。
   体験が少なく知恵も無いのに、低次元の判断力で他人を批判することです。
   この文章そのものが、ムカつくだろうけどw)

(※私が住んでいる地区で、もし若くて物事が分からないのにその自覚が無く、
   一人前に(バカな)意見を発言しようものなら即、
   「てめえは黙ってろ!」と、周囲のオヤヂから怒鳴られます)

(※私が住んでいる場所はまだ文明開化していない未開社会なので)
<自分の判断力を超えたモノは理解出来ない>


このことは「人間のいろいろ」などに何度も書いてきました。
理解出来なくて良いのですが、その時人間は様々な反応をします。
その一つが「ムカつく」という反応です。

皆さんが良く
「PANDORAにムカついた」とメールをくれるので(わらい)
事例が沢山ありますが、最近の事例を挙げようと思います。
Oさんより。

こんばんは、Oです。遅ればせながらPANDORA四周年おめでとうございます!
見始めた当初、すごく面白いし、書いてあることは自分の感覚でみても間違っていな
いのにも関わらず、何故かときどきムカついてしまっていました。
何でだ!?と思いつつも「自分がムカつくときは、何かそっちに進んだ方が良いこと
がある!」と思って読ませていただいて、もう二年くらいになります。
今もやっぱり未熟だなー自分!と思いつつ。どうか他人の尻ぬぐいを楽しめる人にな
れますように。


だいたいこういうパターンが多い。

@前はムカついた
A今はムカついてない


という人が多い。
或いは
A今でもたまにムカつく
A今でもしょっちゅうムカつく

という方もいますが。

Oさんは最初はムカついていたようですが、だんだんムカつかなくなったようです。
ムカつかなくなるまでに、読み込んだものと思われます。
ムカつくあまり途中で投げ出しても良かったのですが、そこを踏み留まったようです。

Oさんからメールが来たので、これを記事にしようと思っていたらちょうど良い具合に
「サンライズ」のまはるださんからメールが来ました。
<まはるださんの鑑定〜ムカつきを超えて>


クリスタル占いサイト「Sunrise」のまはるださんから。


暇だったのでちょっと占ってみました。
↓こんな感じですね。耳が痛いですわ・・・
 
「思考力のない人たちがパンドラとかかわるにはどうするべきか」
 
アメジスト→「隠された資質」:心の底から望む
アクアマリン→「協力」:協力関係を続ける
カーネリアン→「健康」:エネルギーが必要
ローズクウォーツ→「精神」:変化を恐れずに
トルマリン→「活動」:カーネリアンの意味を強める役割があるのと、
            活動的になる、という意味がある
 
まとめますと
 
「本気」が求められるということだと思います。
なので別に「かかわっていたい」と思わなければそれでよいでしょう。
しかし「よくわからんがパンドラとかかわっていたい」と思うのであれば
(「思考力のない人は関わった方がよい」という結果は出ています。
「将来必ず役に立つ」ということだそうです)
心の底から望むこと、そうすれば思考力はついてくる、と出ています。
 
また、私も経験済みですが、パンドラと関わるとイヤでも
変化が起こります。
大体の人は変化を好みません。
未知なる場所へ移るということへの不安よりも、
どういう状況か勝手がわかっているという小さな安心の方を選んでしまうからです。
そういう人はパンドラには向きません。
「変化を恐れない」という気持ちがかなり重要である、というのが出ています。
覚悟が要るということですね。
 
そして大変がんばらなくてはならない、というのも出ています。
相当なエネルギーと、再三の自己確認を要します。
この自己確認にしても、思考力のないとされる人がそのレベルで
判断するのは甘いでしょう。
 
本気で心の底から望み、自己確認し、パンドラに関わり続けた結果
目標の大半は達成できる、と出ています。
ここで言う目標は「思考力を上げる」ということでしょう。
 

要するにムカつきを超えて行けば良い、ってことですかね?

<世界が一つになって神の国に攻め寄せて来る>(2009年5月10日)


「ひふみ〜神の理〜」2009年5月9日の記事より。

富士=普字の巻 第23帖  2009/ 5/ 9
世界は一つになったぞ、
一つになって神の国に攻め寄せて来ると
申してあることが出てきたぞ。

臣民にはまだ分るまいなれど、
今に分りて来るぞ、
くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。

覚悟はよいか、
臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、

学と神の力との大戦ぞ、
神国(かみぐに)の神の力
あらはす時が近うなりたぞ。



・学=我欲  
・神の力=調和(まつり)=「汝の敵を愛せ」
・神国の神の力=大和魂 (神国の臣民の集合意識の特性)         
          =相反するものをも、
           まつり合わすことが出来る大いなる力(心)

私の今の理解の範囲では、上記のような解釈になります。



『世界は一つになったぞ、
一つになって神の国に攻め寄せて来ると
申してあることが出てきたぞ。……』

世界の人々の多くが、欲望の虜となってしまい、
神国の人々もそれに感化されて、
欲望を満たすことに重きを置くようになってしまった。
と、いうことかな。

経済の高度成長、先進国、経済大国,、グローバル経済
世界同時株安、という言葉が思い浮かびます。



『臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな』とは、
どういうことなんだろう。

我欲優先になって、
他者を顧みることがないということだろうか。

それとも、
一人一人の心でも
『学と神の力との大戦』が起きているということだろうか。


そういうコトです。

世界=実際の人間同士の戦い=外国魂が日本(神国)に攻めて来る(脅かす)
個人=心の中での戦い=幽界(がいこく)魂=低級霊が、神性を脅かす

相似象
となっています。

日月神示では「日本に起こることは世界に起こる」とあります。
日本は世界のひな形です。
そしてその日本を構成している日本人(血は外人でも心が日本人=神の魂ならOKだそうです)
個人の心の中で、それ(幽界が神界を脅かす、攻め入る)が起こっている、という意味。
規模でいえば
世界>日本>日本人
ですが、これらは相似象なので意味としては
世界=日本=日本人
です。

ちょっと意味が分かりにくいですね。
巧い説明を思いつかないので、今はこんな感じで。

<何度も何度も1>(2009年5月9日)


25さんには親子ほどの年が離れた年下の友人サナちゃんがいて、十年以上前からいろいろ教えてもらっていたそうです。
サナちゃんは25さんが知らない(精神の)世界を知っている、ということは25さんにも分かる。
でも、サナちゃんがどんな(精神の)世界にいるのか、25さんにはさっぱり分からない。
その様子を見ていたサナちゃんは或る時期まで熱心に相手をしてくれたが、25さんが一向に分からないので
敢えて距離を置き、25さんが一人で自力で何かを悟るよう待機することにしたようです。
(ようです、とここで書いたのは、距離を置いた理由を私は知らないので、今想像で書いただけ)


その間数年が経った。
一人で考えていた25さんはサナちゃんの世界は分からないが、でも、分かりたい・・・・と本気でした。
或る日PANDORAに偶然来て、どうもここにはサナちゃんが言ってたことと似たようなことが書いてある、と分かった。
(理解は出来ないが感じた。感受性)

そして25さんはやっと
「自分には分からない世界を分かること」が出来たのです。
相似象とは「自分には感受出来ない従って理解出来ないことを、分かるための方法を教える学問」だからです。

それからの25さんはPANDORAの「人間の話」を暗記するほど熱心に何度も読んだそうです。
(中には冗談もあるのに御苦労さまです)
読む→生活する→考える→読む→生活する→考える→読む→生活する→考える→・・・を繰り返す

これをするとたまに
「悟る(分かる)」ことがある。
小さい悟り(気づき)は毎日ちょこちょことあるだろうが、大きな気付きは年に数回、
さらに大きな気付き(一生を左右するほどの)は数年に一回くらいでしょうかね。
そのくらい悟れない(分かることが出来ない)ものです。

でもやらないよりはマシです。
25さんは数年前に居たステージより数段階、経済・人脈・心境が上がったようです。
<何度も何度も2>


もう一人の人。
この人のことは最初から
「モノの分かった人だな」と、思っていました。
物事が分かるので文章は適格、視点が独特で読んでいて面白い。
物事の分かり方と商売の売上は比例する(傾向にある)のでこの人のお店は繁盛しているようです。
御客さんからの信頼も篤い。

先日その人からメールが来て「アクセス数の話」になった際、
「私はPANDORAを一日30回クリックすることもある」と言うので驚きました。
この人が物事が分かるのは毎日の努力の結果だったのだ!と、初めて知りました。
<通り一遍>


上の二名とは反対に「人間の話」他を「通り一遍」にさら〜〜〜っと読んで一応読んだ気になっている人がいる。
その人もネットで商売をしているが、何度か御客さんに対してトンデモ無い対応をしたので下火になって来たようです。
試行錯誤という言葉がある。
それでOKなんですよ。
私だって失敗だらけで粗忽しまくりで記憶喪失で惚け進行中なんだから「失敗するな」なんて絶対言わない。

でも
失敗したらその都度「何をどう失敗したのか」「失敗の原因は何か」を分析し「失敗しないでやる方法」を考えるべき
(中国の賢者がそんなようなコト「失敗したって改善できたら失敗じゃないのさ」とか言ってますよね)

試行したら錯誤しなくちゃ

かたほうしかやらないのはまずいのでは?

問題のこの人は失敗はするが分析が出来ない、または失敗していることすら気付かないのです。
「それ失敗しているよ」と教えても「どこが?」「それが失敗ですか?」みたいな反応。


こういう心の姿勢では失敗しても何にもならないのです。
ただ失敗するだけ。
何度も何度も失敗する。
そのつど何も学ばない。
当人は
「失敗してことすら感受出来ない」

思考力が殆ど無いからです。
「人間の話」は読まないか、読んでも「通り一遍」に読み流すだけ。
本気では無いと言えるし、読んでも理解力が無いのでつまらないから読めない、とも言える。

◇思考力が無くたって本気で取り組めば読める。
◇本気で読んでいればだんだん思考力がついてくる。
◇思考力がつけば「人間の話」が面白くなる。
◇「人間の話」が面白ければ、本気で読める。


という、良い循環になるのに、まずは本気で読まないのでこの循環に入りません。

で。
私の持論としては読めないモノを無理して読むことはない、というもの。
人間は最低限の義務を果たせば、後は自分の好きなことをやればいいと思う。
何も皆と同じことをしなければならない、ということはない。
つまらないことで、必要では無いことをやらなくても良いと思う。

なのに、本来なら「人間の話」などつまらなくてつまらなくてあくびが出る人が何故読もうとするのか?という点ね。
◇それを好きならやればいいし
◇それを好きでは無いならやらなければいい

のにね。
好きでは無いのなら「人間の話」なんか一顧だにしなければ良いことです。


或いはこういうタイプかな。
◇頭の先で知識や情報として読み、それなりに面白い
こういう人が一番多いのではないか。

暗記するほど本気で読む人は例外だと思う。
<大きく分けて二種類>


<何度も何度も>の人と<通り一遍>の人とがいます。

何度も何度も暗記するほど読む人、自分なりに理解するまで読む人がいる。
そういう人は波動量が増す。
もともと潜在アワ量(心)が大きいからです。
だからその大きな心のレベルを上げないと自分の人生を生きている気がしないので、
相似象と出会うと
「やっと出会えた」「これこそ私が探していたものだ」と嬉しくなる。
(私自身はそれほどではありませんでした。
  私は素質のある少数者では無い、つまりヲサになれる人ではないからです。
  なりたくもありませんが。
  私が相似象を気に入ったのはトンデモが好きだったのと、珍しいから。つまり頭の先で面白がった。
  さらにアワ量も或る程度あるので内容が面白かったからです。
  この本で自分が救われた・・・・・・という思いはしていません。
  長年の疑問が解けた・・・・と、やはり頭で理解し満足しているタイプであり、レベルです)


<通り一遍>の人は、<人間の話>は知識、情報として受け取れば良い。
サヌキ人間ですね。勿論低次の。
読むと
(へえ、そうなんだ〜)(ああ、面白かった)と、頭で思って終わる人です。
それはそれで良い。
でも他人の心を扱う仕事はしてはいけない。

このタイプの人が、アドバイスめいた仕事をしたいというので、何事も試行錯誤なのでではやってごらん、と言った。
失敗すればその都度悟って行けば良いのだし・・・・・・、と思ったら大間違い。
そういう人は失敗しても何も学ばないのだ、ということを「私が学びました」
(というワケで私も日々学び続けています。
 頭悪いのでなかなか悟れないが、それでも何もしないよりはマシです)

なので、途中から
「あなたは他人を指導してはいけない」と言いましたが
当人にはその理由が分からずとても不本意なようです。
なので、
「人間の話」を読みなさい」と言いますが、当然<通り一遍>にしか読まない(読めない)のです。
こういう人を相手にするとこちらとしては何もやりようがありません。



「箸にも棒にもかからない」という言葉が浮かぶ。
こういう人は一人ではありません。
<読み方には無数の段階がある>


勿論上のは極端な例です。
実際はその中間に沢山の段階があり、<何度も何度も>の人の上にも沢山の段階があり、
<通り一遍>の人の下には無数の段階がある。
相似象を全く読めない人もいます。
腹が立つ人もいます。
攻撃したくなる人もいます。

やりたきゃやりゃいいし、やりたくなきゃやらなきゃ良いんです。
誰もが自分の好きなことをすれば良い。
でも、本気ではないが嫌いでもない、という多くの人。
頭の先に知識や情報として取り込むのが楽しい人、がいる。


ただ、
相似象を分かりたいのなら、気を入れて本気にならないと分かることは出来ませんよ、
そして人間のこと・心のことを分かれば分かるほど波動量が増し、それに見合った環境が周囲に出現しますよ、という話。

<数年経って悟った話>(2009年5月8日)


数年前にNさんのブログの記事を読んだら、
Nさんが何か勘違いをしているようなので老婆心を発揮して
「それは違う」と書きこみました。
その後の話です。



ifさんから言われて最近になって理解したと思われることがひとつ。
 
以前ブログで既に退職した上司が当時、
部下が失敗ばかりしていても放置していることを
サディスティックと書いたら、ifさんから
「何がサディスティック?上司の方は稀に見る大物です」
というコメントを頂いたことがあります。
当時はそうなんだ!とわかったつもりでいたのですが、
なんだか心に引っかかっていて、ずっと考えていました。
 
失敗するとわかっているから指摘する。
これは、相手が「失敗する→自ら学ぶ」という機会を
奪ってしまうお節介。
失敗するとわかっていて放置する。
これは、決して無関心で冷たい行為ではなく、
相手を見守り、自分で学ばせるということ。
 
教えたり注意することは簡単だけど、それはすぐ忘れられて
本人の身にならない。
周囲になんと言われようと、相手が失敗しながら
学んでいくのを根気強く見守るほど、
本当に相手のためになるのかもしれない。
 
そう考えるようになって、やっと、ifさんのコメントがしっくりきました。
そんな簡単なこともわからなかったなんて、恥ずかしいです。
 

Nさんは若いので、そこらへんのサトリが無くても当然。
そこらへんのことが分からなくて当然です。
ただし、本当はNさんが言う通りのサディスティック上司かもしれないのです。
それは実際に見てみるか(百聞は一見に如かず)もっと情報を集めないと分からない。
見れば分かります。

@本当はサディスティックな野郎だった
A稀に見る高能力な方だった

この差を分かるのが「分別」
です。
見えない人には分別が無いので、目の前のことも分からないのです。


PANDORAにも書いてありましたが、私も
最近悩むことが少なくなりました。
それに、他人からどう思われようがあまり気にならなくなりました。
ifさんが仰るように、例えば、ばかにされた、されないなどは
本当にどうでもいいことだと思えるようになりました。

Nさんのように賢くて優しく感受性が強い人は良いのだけど、
判断力が低いと悩まなくて良いことまで悩んでしまう・・・
そのためにPANDORAであれこれと書いています。
Nさんは数年間で波動を上げたようで良かった。


 
これも、PANDORAのおかげです。
たくさん学ばせていただいています。ありがとうございます。

私も皆さん(良い人からも変な人からも)から学んでいるのでお互い様です。
これからもよろしくね♪

<向上心>(2009年5月8日)


精神世界で様々人と出会うようになったM氏。
中にはどう見ても陶酔している方がいるそうです。
陶酔している人は自分のレベル(判断力)を上げようなどとは思ってません。
今の自分に理解できる範囲内で(陶酔して)楽しんでいるのです。

M「向上しようと思わないんでしょうかね?」
私「いや、Mさん。
   まず『向上』」と言う言葉を知らないので向上しません。
   知らないモノを感受するのは不可能。
   よって、彼らは向上しません。」
相似象で言う「向上」について説明します。
これは一般的に使われている意味とは違います。
一般的な向上とは・・・
◇スポーツが上達する
◇語学が上達する
◇営業成績が上がる
◇勉強が出来るようになる
など、見て分かる向上のことです。

相似象で言うところの向上とは・・・
◆物事が分かるようになる
◆相手の話を理解できる
◆状況が飲み込める、分かる
◆当たり前のことが分かる
ということです。

◇と◆の違いは、◇は数値化出来る、◆は数値化出来ない、ということ。
勿論、この違いは「見掛け上の違い」です。
本当の違いを「分かる」には分かるほどの知恵(判断力、思考力、波動量)が必要。
これが無いと何も見えません(分かりません)。
従って「向上心」を持てる人は少ないのです。
向上心が無くても生きていける。
たとえ無くても自分にはそれを感受出来ないのだから、
従って「それ(向上心)が無くて恥ずかしい」とか「困っている」と
いう事態にはなりません。
その人はその世界(精神世界・自分の心の範囲内)ではとても楽しい。

せっかく楽しくやっているものを「それではいけない」と言おうものなら
大変なことになります。
なので、祝福して手放すのが良い。
さて、M氏にはいろいろなコトが見えてきたようです。
何故見えて来たのか?
それは言葉を知ったからです。

言葉=概念

M氏は「向上心」という言葉を知り、理解したので頭の中にその概念が出来た。
そしてそれを土台にした視点が生まれた。
その視点を持って世界を見るようになったので、見えるようになったのです。

まず言葉有りき・・・ですね。

ということは語彙が乏しい人はそういう視点が少ない、ということです。
物事を深く分かるには単純な思考では無理でしょう。
感じることは言葉を知らなくても出来ます。
しかし、それを言語化する際には豊富な語彙、概念が必要となってくる。


相似象のサヌキアワ、波動、波動量、ヲサ、陶酔次元、神秘思想
など最小限の言葉を知るだけでも、今までは見えなかった世界が見えるようになります。
そして自分は今まで世界の半分も見てなかったことに気づく。
これは凄い経験です。
超能力でも何でもない能力。
通常能力です。

たとえ霊能力があろうと超能力があろうと、通常能力を身に付けた人が見ている世界が
見えないなら、それは「通常未満」ということになる。
多くの人は霊能力や超能力に対して憧れを抱き、自分もそうなりたいと思う。
そりゃ面白いとは思いますよ、そうなれば。
でも、それよりも通常能力をつける方が大事、ということです。
重要さは
通常能力>霊能力&超能力

このサトリが無いと生きるのが困難になるでしょう。
無いモノをねだるのは苦しいですからね。

<自分を知ると楽になる>(2009年5月8日)


さてさて。
私は自分が怠け者であることを知りませんでした。
どうも母親がマインドコントロールが巧くて乗せられていたようです。

小さい頃から家事を手伝わされていました。
勉強しろと言われたことは一度もありませんが、毎日家事をしろ、と命令されていました。
下に4人も弟妹が居たのでしょうがないですね。
毎日家事をさせられていたので、二十歳になるまでには一生分の家事をした、と自分で思い、そう決定しました。
そして今、家事は殆どしていません。
だって一生分の家事をしたのだから、これ以上する必要はない(と、いうへ理屈を言う)。


自分が怠け者である、というコトを知ったのは若い頃読んだ星占いの本です。
そこには
「天秤座=12星座中一番の怠け者」と、書いてあった。
(ええええっ?)
驚きました。
自分が怠け者だとは思ってもみなかったからです。

それからその言葉を頭の方隅に入れつつ生きて来たら・・・本当に怠け者であると分かったのです。
そうかそうか。
私は怠け者だったんだぁ・・・

私の心がこの点に関しては軽くなりました。
若い頃読んだ星占いの本はとても出来が良い優れモノでした。
図版が多いビジュアル系の本でしたが、この本に救われたのです。
一冊の本は一生を変えることがあります。

良い本と出会いましょう。

<悟れ!>(2009年5月5日)


私が「人間のいろいろ」に書いている記事、読むと(本当だよね!)とか(そうだよそうだよ)と、
思う方が多いと思います。
(勿論さっぱり分からず反発する人もいますが、その場合の人のことはここでは論じません)

が。

それと、自分のこととは全く別になっているのが普通ではないだろうか?

一般論なら分かるが、ひとたび自分に置き換えてみると途端に分からなくなるのが人間です。
もし一般論を自分に当てはめることが出来る人がいたらその人は素晴らしい人です。
かなりの高波動です。


事例を挙げましょう。

PANDORAのどこかにも書いた記事です。
その人は「子供を甘やかしてはいけない」と思っている。
そして他人と「子供を甘やかしてはいけないよね」という会話をしている。
ところが、自分は子供を甘やかしている。
何故?
その人はそれを「甘やかし」であるとは思っていないからです。

もう一つ。
「人間のいろいろ」の記事を読んで(そうだよそうだよ)と納得する人がいる。
その人が、ではその件について分かっているかと言えば分かって無い。
その人は知識としてPANDORAの記事を受け取り、理解、参同しているだけだからです。
そのことと、自分が分かることとは別モノなのです。


殆どの人には
◇知る
◇分かる

の差が分からない。
(※知ると分かるの違いは何だろう?と、考えない限り、この差は分からない。
   そして通常の人はそれを考えたことが無い。
   従ってその差が分かるわけが無い)


この差を分かることが
差、取る
つまりサトリ(差取り)=悟り

なのですが。


いくら参考になることを読んでも、それは知識を得ただけで何も悟って無いのが普通です。

人から教えられるとそれはその時点で「知識」になってしまう
それをやったら知恵がつかないので、私はその人が自力で知恵をつけられるよう、
敢えて放置します。

◇教えられたら知恵はつかない=波動量は変化しない

のです。

「知る」だけの人から「分かる」人になるには次元(レベル)を上げなくてはならない。
そこを悟らない限り、そのままの場所に居続けることになる。

先日も一般論は分かるが自分のこととなると途端に分からなくなる人がいました。
その人はかなり苦しい思いをして、その差を分かることが出来た。
良かったです。
この方が良かったのは性格。
素直さがなければ途中で放り出し、その件の相手と私と自分の境遇を呪って御終いでした。
そうならなかったのは心が素直だったからです。


殆どの人には
◇知る
◇分かる

の差が分からず、分かった気になっているだけなので、そこを自覚した方が自分のためです。

この差を分かるように導くのは大変面倒です。
本人が何が分からないか、分かるのは、分かった時点、だからです。
殆ど不可能。
やりたくありません。
大抵の場合は憎まれて終わりですからね。
私は他人から好かれようと思ってないので、それはいいんだけど、面倒臭い。
でも困って相談を持ちかけてくれば(しょうがないなぁ)と、相手をします。
絵のお客さんだしねw

まぁ、商売人ですからお客さんへのアフターサービスということで。


他にもその方の分からなさを指摘したら、その方大いに感謝して
「これからも教えてください。」と言うので断りました。
自分で
「自分が何を分からないか」気づかないとだめだからです。
「いつか誰かが言ってくれる」などと考えることが、分からない人だからです。
自分の分からなさを自分で発見しつつ生きなくてはならないのに、他人に依存するということは
心(波動・波動量)の向上の逆を行くことになる。

絵(やその他)のお客さんには要望があれば分からなさを指摘しますが、一回だけです。
幼児や小中学生では無いのだから、自力で歯を食いしばって「分かり難きことを分かって」いかなければ。

その人が本気で向上する気があれば一度で「分かって行くことの重要さ」を悟ります

管理人の例で言うと、「サナの真法」の25さんは一度で分かりました。
(※25さんは心の勉強の先輩である、37ちゃんから何かを悟るよう、長年導いてもらっていた。
  でも、悟ることが出来なかったのです。
  25さんのように、本気で長年願っていても分からないものは分からないのです。
  そこに私が登場して喝を入れたら、そのショックで(笑い)一度で悟れたようです)



PANDORAからリンクしているお店の管理人さんの中にも一度で分かる人と分からない人がいます。
例外的に数回言った場合もありますが、一度で分からない人は数回言っても分からないのだ、
ということを私が悟りました。
(※私も日々悟り続けています)
その反対に「何も言うことがない」管理人さんもいます。

@何もクレームをつけるところが無い人、管理人。最初から分かっている、自力で分かる。

Aクレームをつけると即、理解する人、管理人
  その中で
  a.一度言われたら、その後は自力で自分に分からないことを分かっていける人、管理人
  b.その件については分かるが、別件になると途端に分からなくなる人、管理人
    こういう人は自力で分からない。

B言われた言葉の意味が分かって無い人、何度言っても分からない人、管理人

 
 a.言われるとああだのこうだのと理屈を言う人、管理人
  b.言われてもああのこうだのと理屈は言わない人、管理人
  一見bの人の方が良いように見えますが、同じです。

これらの中で、「分かる人」とは@の人とAのaの人です。
Aのbの人は自力で分かるようになることが求められる。



PANDORAは常に変化して(進んで)います。
将来、リンク先サイトの管理人は@とAのaだけにする予定です。

(※Bの人は論外です)
(※Aのbの人の中で見込みがある人には、こちらからそれを伝えて気付きを促しますが、
   全員ではありませんので、自分が上のどれなのか知りたい人は私にメールをください)
(※と、書いたが@の人は殆ど居ません。Aのaの人も殆どいません。
   ということは・・・よくてAのbですね。
   これが一番多い)
(※これは分かる人には分かると思いますが、人を序列化して楽しむものではありません)
(※これから本気になって欲しいからです)
(※分かる人に分かれば良い)
(※分からない人は、私の対象外)
(※管理人として仕事をする中で、波動量を増していくチャンスがあったのに活かせない人は
   仕方がありません。これからはお客の側に立って活動することが望ましい。
   お客さんの方がマトモです。
   中にはサイトを運営したらさぞかし成功するだろうと思われる人がいます)
(※サイトの管理をすることが、何か自分が偉いものにでもなったような錯覚を起こしたり
   自分の存在理由の証明のようなことを考える人は、私には必要ありません)
(※サイト運営はあくまでも自分の波動量を増し、それによって周囲を良く出来ること、これが目的)
(※そんなこと目的にしたくない、と言う人は遠慮なく申し出てください)
(※何故そういうことをするかというと、お客の方がレベルが高過ぎてクレームがこちらへ来るからです)
(※それが来ると私はその管理人に「いつこれを言おうか」と、仕事が増えることになるのです。
   そして、クレームが来るような仕事をしている管理人は、言っても分からないレベルにある。
   なので、言う時期を見計らって・・・とか、言い方を考えてとか・・・非常に面倒臭い。
   お客さんならともかくお店の管理人がそのレベルではいけません)



AのbとBの人は、分かるとはどういうことかを本気で学んでほしい。
Bの人はPANDORAの人間のいろいろを全く読んでないか、たまには読むくらいか、
読んでもざっと目を通すだけのようです。

物事が分からない→記事を読んでも分からない→だからつまらない→だから読まない→
だから分かるようにならない→なので分からない→だから記事を読んでもつまらない→
だから読まない(読んでも目を通すだけ)→分かるようにならない→わからないまま→(省略)
こういう人が実際います。

「将来は@とAのaだけにする予定」と書くと
「if は人を排除するのかっ!」と短絡する人が必ずいると思う。
そうではない、ということが分かる人を対象にして「人間のいろいろ」を書いています。


こういう人がいるかもしれない。
「分かるように言ってください。」
「分かり易く説明してくれ」




違う。



何故
「自分に分かるように言ってくれ」という言葉は「違う」のでしょう?
「人間のいろいろ」のあちこちに答えが書いてあります。

<波長の話>(2009年5月4日)


日本一の金持ち斎藤一人氏の弟子
小俣和美さんの本「ココから」から抜粋します
(文章通りではありません)


私達は一人さんから「ガンコにしてるとガンになっちゃうよ」と
教わっている。
「人から教わったことは、できるだけ”そうだね”って言おうね」
「教えてくれたことに感謝しようね」と話し合うことが多いが、
皆、「自分だけはガンコじゃない」と思ってる。

この間ガンになった人がいた。
その人は二回目の癌だった。
「この程度で済んで良かったね」と言ったら
「自分が頑固だとやっと気がついた。」と言った。


(※忌野氏はロックで政治を風刺したりしていたようだ。
   彼は頑固だったのだと思う)
人から幸せになってほしいと願われる人は幸せ

指輪のK子の子とうちの子は同級生です。
子供4人のうち3人が同級生です。
K子の子は出来が良いので推薦で一あし先に合格した。
そしたらその日からうちの子のために合格を祈ってくれたそうです。

有り難い。

私はPANDORAのお客さんには全員幸せになって欲しいと思っています。

それから最近upしたアメリカ・インディアンのミュージシャン達には
ぜひとも金持ちになって欲しいと演奏を聴くたびに思っています。
彼らに幸いあれ!
<牽引の法則>


同じ波動の人が集まってくる。
中には「私は穏やかな人が好きなのに、攻撃的な人しか近寄ってこない」と
言う人がいます。
それはなぜでしょう?
本人は自分では気づいてないかもしれませんが、そういう人は
自分の思っているものと違う波動を出していることが多い。
波動は牽引の法則があるから、穏やかな人が好きなら、
自分がまず穏やかにならなければ、穏やかな人は近づいてきません。


何故か私の周囲の人は全員穏やかです。
M氏、K子、karen、まぁ、旦那?義母、子供達、ネットの知り合い、
PANDORAのお客さん、皆さん私より穏やかです。

ってことは私って穏やかだったのかっ!

「牽引の法則」とは「同類魂の法則」「同質結集」「同波長の法則」のことですね。

<悩みを手放す人が増えている>(2009年5月4日)


ホラリー占星術「あなたへのTruth & Integrity」管理人rindenさんから。

なんとな〜くですが、
最近悩みを手放していく人が増えているのかなと思ったりします。
以前は、悩んでるなーと感じる依頼の方が多かったのですが、
それがあまり無いからですが・・・。
また、ホラリーで占うことは状況整理のような感じなので
自分で解決していこうと前向きになっている人は、
占いに頼らなくても自然と解決策が見えて、
解決に向かって展開しているような気がします。

まぁ私も以前よりグルグル悩むことが大幅に減ったから
そのようなお客さんを引き寄せないのかもしれないし、
それ以前に、他のお店、皆さんそれぞれ良いから
お客さんも自分にあったところに向かわれるんじゃないですかね。
でも私もやる気はありますよー!!



rindenさんには悩みを手放す人が増えたという感触があるらしい。
いつまでも悩むのは止めたい、というお客さんが増えたようです。
良い傾向ですね。

そうなった原因としては
◇本人の決意
◇本人の波動上昇
◇地球の波動上昇

などが挙げられると思います。

順番的には
1.地球の波動上昇
2.本人の決意
3.本人の波動上昇

となる。

@地球は日々波動を上げているそうです。
 毎日徐々に上げているらしい。
Aさらに年に何度か大きく上げているようです。
 (謎の方が感受しています。夏至の日とか、そういう節目に上がるらしい。
  今まではそうでした)
Bさらに数年に一回、さらに大きく波動が上がるらしい。
 (世界的なチャネラーの説)

@日々上昇する地球の波動について行けるよう、自分を高めておく必要があります。
そうじゃないと、
A地球の波動が大きく上昇した時は当然ついて行くことが難しい。
なので
Bの時は殆どついていけないでしょう。


勿論、後からでも本人の気づき→決意→悟りによって、ついて行けます。
とても困難ではあると思うが、素直になりさえすれば良いと思う。
「地球の波動に素直について行く」
それで本人の波動が上がる。
地球の波動と関係無く本人の努力で上げるのでは無いと思う。
「自分を高める」という言葉の意味は
「地球の波動について行くことが可能なほど、素直になること」です。

動植物には「我」が無いので(本能だけなので)
地球の波動にそのままついて行っているそうです。
(人間に飼われているペットは人間に準じているらしい)
このこと(動植物は天然である)は相似象にも書いてあります。
人間には「我」があるので、これが素直になることを邪魔しているそうです。
動植物はそのままでアセンションできる。
人間だけがそのままではアセンション出来ない。
「悔い改めないと」(素直になること・生まれ赤児の心となること)アセンション出来ない。

動植物には悩みが無い。
人間だけにあります。
何故悩むのかと言えば原因は「我」にありそうです。
言いかえると「悩みが無い人」はそれだけ素直だと言える。
rindenさんの報告によれば悩みを手放す人が増えている、というので
「我」を捨てる人が増えてきている証拠になるのではないだろうか?
<素直になれば良い>


つまり素直(生まれ赤児の心)になりさえすれば良いのです。
◇素直でない人は素直になる必要がある。
こういう人は「我」を折る、捨てる、手放すことが求められます。

また、
◇既に素直な人は判断力をつける必要がある。
こういう人はOKなんですが、判断力(思考力)が乏しいために厳しい環境によって
不要な感情、考えを抱き、せっかく素直な心がまずい状態になってしまう。
暗くなり堕ち込みます。
そのために相似象を紹介して、判断力をつけていただこうとしているのがこのサイトです。


これら両者の方達に効果が出ているようです。
沢山の方が「数年前と今では心の状態が違う」「一年前と比べると心の状態が良くなった」と
報告してくださり、私もお役に立てたようで嬉しいです。
これこそが私がやりたいことだからです。

そうなった方はこれからさらに向上(素直さ促進)していけるはず。

<目的/失敗を恐れる心>(2009年5月3日)


最近のM氏はとても楽しそうです。
以前も楽しそうだったけど、楽しさに深みと高さ、幅や広がりが出てきた。
バカバカしさの度合も進化しているように見えます。

私「Mさん、2年前から見たら、今は全く状況が変わったんじゃないですか?」
M「あっはは!
  そうですねw
  何でこうなっちゃったんだろう?と思います。
  この間女房から『あなたはどこへ行こうとしているの?』と、言われちゃいました。
  『そんなのオレにも分からないよぉ』と言っておきました。」
私「どこへ行くなんて、目的なんか無くたっていいんですよ。
  今、楽しいことをすればいいんだから。
  まぁ、波動量を上げながらね。」
M「本当にそう思います。」


M氏は2年前の自分が思いもしなかった地点に到達しています。
もしM氏が自分で目的地を決定していたら、ここには居なかったことでしょう。
(※でも自分がどう決定しようが設定しようが、自分が進みたい方では無い方向へ
   向かわされてしまう人がいます。
   「白光真宏会の五井昌久師」などがそうです。
   師は若い頃は工場で働いていたができたら歌をやりたかったそうです。
   でもそっちへ進もうと思ってもダメになり、何度もそういう目に遭いながら
   とうとう宗教家になってしまったそうです。
   どうしても自分を宗教家にさせたい、という見えない存在の働きのせいでしょう。
   しかしその見えない存在とは自分の潜在意識なのです)
M氏の場合も同様です。
自分の顕在意識では分からないが潜在意識は知っていて、それに任せれば
自分の進む道を選んでいる。
潜在意識の言う通りとは「楽しいことをする」こと。
いくら頭で「これをすることが正しい」と思っていても、心が楽しくない場合は進めない。

ちょうど頭はそっちを向いているが、身体が嫌がって反対を向いている状態。
これじゃあ進めない。
自分がやって楽しいことをする、これで良いのですが多くの人が
「何をしたら楽しいのか分からない」状態です。

M氏のように素直に生きること、これしかないでしょう。
M氏はああだのこうだの、理屈を言いません。
では頭が悪いかというととんでもない、凄くキレ者です。
理屈を言わせれば上の上の理くつを言います。
でも、それはしないで素直な
「生まれ赤児の心」でいるのです。
<目的>


今の自分が考えつく目的なんて小さい小さい。
まず目的を設定しそれに向かって努力するのもいいが、それだと
「自分が考えた範囲内」に収まってしまう
日月神曰く
「神のことは人間には推し量ることは出来ない」と言ってます。
この言葉通りではありませんが。

そりゃ細かい目標や目的は設定するのが良い。
それを一つひとつこなしていくのが良いです。
でも、最終的な目的地の中間に幾つかの目的地があると思うんです。
そこはどこなのか今の自分には分からない。

つまり・・・
@出発地点
◆小さな目的地
A中間地点=中間の目的地
B最終目的地

があります。

このうちの@は
「今、ここ」であるとしてそれでよし。
@とAの中間の小さな目的地は自分なりに設定したり、
状況が生みだしたりするので、それをどんどんこなして行かなくてはならない。

Bは「毎日幸せを感じる生活」「アセンションする」「皆さんのお役に立つ」
「大往生」「笑いながら死ぬ」「5次元に移行する」とか設定する。
Bの最終目的地を「宝くじで3億円当てる」「会社を設立する」とかに決めると
それが実現したら終わりですかね、違うと思いますよ。
これが実現したらさらに「年商3億円になる」とか新たな目標が生まれるから。
なので、そういう目的の設定の仕方はまずいです。
最終目的は抽象的なコトで良いのでは?

つまり
@出発地点=今、ここ
◆小さな目的地=Aへ行くためにやらざるを得ない状況が発生
A中間地点=中間の目的地=神(潜在意識)が導く
B最終目的地
=自分で設定

中間地点はどこだって良いと思う、だって最終的な目的地は決めてあるんだから。
そこへ行くのは心で決定したんだから、その途中はどこへ寄り道しようと良いと思う。
中間はどこへ行こうとそれは神様(潜在意識)が運んでくれるのだから、
お任せして楽しんで進むのが良い
です。
そして失敗するのもまた良い体験です。

自分の失敗ほどバカバカしく可笑しいものはないのに、失敗を極度に恐れる人が
これまた多いようだ。
<失敗を恐れる心>


いったい、何が怖いのだろう?
失敗したら恥ずかしいからだろうか?
誰に対して恥ずかしいのだろうか?
自分は失敗をしない、素晴らしく賢い人間だとでも思っているのだろうか?
しかし失敗したら恥ずかしいなんて誰が決めたのだ?
私では無い誰かです。
私はそんなコト自分で決めてないので、従っていくら失敗しても全く恥ずかしくありません。
賢い自分が失敗するのが許せないのか?
許すとか許さないとか裁判官ではあるまいし、何故そのような思考になってしまうのだろう?

上に書いたようなことは全て「余計なこと」ですが、こんな簡単なこと
(上に書いたことが余計なことであるということ)が分からない人が多い。
そして常に心の中に余計なこと(情報や感情、考え)を詰め込み、後生大事に抱えている。

難しい理屈を言える人間の方が賢いと思っているフシがある。
 トンデモない思い違いです。
 賢いか賢くないかで言えば『物事(ひとの言う言葉)が分かる人』の方が賢い。
 もっと賢いのは『明るく優しく親切で素直で無邪気な人』(一見バカな人)が最も賢い。

 だって、人間の真価は魂で計られるからです。
 子供のように無邪気な人の魂が最も高い場所にあり、最も助かり易いのだから、
 そういう人が(結果的に)一番賢いのは分かりますね?
 いくらコ難しい理屈を言おうと水も漏らさぬ完璧な論理を構築しようと、それで魂は助かりますか?」


と、こういう話を先日M氏としました。


このページのTOPにアメリカ・インディアンの歌を載せました。
アメリカ・インディアンは白人が来る前は「恐れ」「心配」「疑い」が無かったのだそうです。
頭の中のどこを探してもそういう感情や概念が無かったらしい。
これは日本のアイヌも同様です。(北海道は北米と相似象です)

今こそ彼らに学ぶ時。

<お金との付き合い方>(2009年5月2日)


お金の扱い方、関わり方、付き合い方はひとそれぞれ。

◆お金が勿体無いのでなるべくお金を使わないように生きる。
これは良いと思うんですよ。

◆しかし必要なお金は使う。
これも良いと思います。

しかしこういう言葉では物事は分からないのです。
<必要、不必要は人によって違う>


当たり前ですが、
@どれが必要で
Aどれが必要でないか
はひとそれぞれです。

なので、上の欄に書いたような
「必要なお金は使うが不必要なお金は使わないようにしましょう」という一般論は
個人の単位になると、中身が全く違ってくるのです。

それはそれでいいぢゃないか。

その通りです。

我が家の近所には「学校の給食費を払わない家」があります。
ベンツとVWを持っている家ですが。
私は他人がどうだろうと関係無いのでOKですが、うちの主人は許せないようです。
その家は
◆ベンツは必要だ
◆給食費は払う必要は無い
と考えているのでしょう。
変わった価値観の方ですが私が困るわけでは無し、自由にやれば良いと思います。
<お金の愛し方も人それぞれ>


お金を嫌いな人もいるかもしれませんが、ほとんどの人は好きなのではないかな。
お金を好きになり方にもいろいろあります。

@使うのが好きな人(私などがそう、とても楽しい。母の「使うの大好き病」が遺伝したのだろう。
              日本の景気回復に貢献する人。
              世の為、人の為に買い物するのを義務とすら思っているフシがあり、
              お客の少ないスーパーなどはとても一人では買い支えられない、と思うと残念。
              この病気に罹るととても楽しいが、使えるお金がなくなるととてもつまらなくなるのが欠点)

A金を使わないのが好きな人(上の病気に罹った人が、使える金がなくなった場合の次の症状。
                    我が家は給料日の2週間前からこれになるので、毎日サバイバル出来て面白い。
                    そういう病気の人ではなく、普段から金を使うのが好きでな無い人がいます。
                    浪費をしない人です、素晴らしい。その症状が進むとBになります)

B溜めるのが好きな人(貯金通帳の数字が増えるのを見るのが好きな人。
                ある弁護士が書いた本には「夫婦で金を溜めるのが好きな人達が居る。
                そういう人は相手が死んだらこの金を一人で使おう」と思っている」と書かれていた)

C地道に稼ぐのが好きな人(普通の人で最も多いタイプ。偉いと思う。日本の国を支える人)

Dもらうのが好きな人(まぁ、私も嫌いでは無いが、特に好きでは無い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・が、嫌いでは無いので
               お金があり過ぎて処分に困っている方は、こちらの口座へ→ゆうちょ銀行××支店××××)

E増やすのが好きな人(金を何とかして増やそうとする。株や商売などで増やすのは良いが、
                ギャンブルで増やそうとする人もいる)

F借りるのが好きな人(我が家も家のローンや教育資金など、まとまったお金を借りますが
                借りるのが好きなのではありません。無いから借りるしかないだけ。
                なので借りている状態が嫌いなのでせっせと返済しています)
                (借りること自体が好きな人は当然返さない)
               (Dの人が転落するとこうなるしかない)

Gあげるのが好きな人(使うのが好きな人の症状がさらに悪化した人か、人徳の有る人)

H盗むのが好きな人(金は好きだが真面目に働いて稼ぐのは嫌な人で
              他人からお金を沢山もらえない場合や、借してもらえない場合はこれをするしかない。
              詐欺・窃盗・強盗など)
             (Fの人が転落するとこのアイディアが浮かぶ)

I金を作るのが好きな人(やってはいけないが偽札作りなど。このタイプが最も少ないはず)

                
(Fの人が転落するとこのアイディアが浮かぶ)

他にもあるかもしれませんが、こんな感じに分類してみました。
実際には上のタイプのうちの複数に該当しているはずです。
<自分に投資>(2009年5月3日)


絵のリーディングから行けますが「つれづれなるまま」のしずさんが参考になる記事を書いていたので引用します。
上の記事の中のAの人にはやれないかもしれないが、やる対象が「必要か必要でないか」によるので
Aの人でもそれをすることが必要ならやれますね。

陰では苦労しとるのよ〜

たまに言われる。

「いいよね〜手に職があるって
私なんて何の資格もないからさ〜」
とか・・・

そういう時は
「今からでも遅くないですよ^^
美容学校に入学されては?」

と答えます。

いいと思うなら美容師になったらいいじゃないですか
資格が欲しいなら取ればいいじゃないですか・・・・
(以下略)

しずさんは結婚して子供を産んでから美容師になろうと決心したそうです。
そのためにかかった費用は100万円だそうです。
何もしないで他人を羨む人がいる。
その他人の「今」だけしか見えないからですね。
その「他人」は今まで努力をし、自分に100万円も投資して来たのに、それを知らない。

私は子供の頃からトンデモ好きです。
結婚してからどんどんトンデモの方向になってしまいました。
本を買う・不思議ぐっずを買う・セッションを受ける・占いを依頼するなど・・・
子供がどんどん生まれたので外へ働きに出られなかった。
なので勉強するしかなかったのです。
相似象は3番目の子がお腹に居た頃から始めました。
30代前半です。
母乳をやりながら両手が空いていたのでひたすら本を読んだ。

また、本に書かれていることを実践したり実験したりしていました。
試行錯誤の20年間でした。
好きだからやれたと思います。
途中からPC教室へ通いました。
月謝は高いがやってみた。
これからはPCが出来ないと何も出来ないと思ったからです。
最初は普通にワード&エクセルを習いました。
そのうち習うことがなくなりHP作成を習った。
若い人なら教科書があれば簡単に作れるだろうが、私はダメ。
機械に弱い。
1年弱ならってからHPを開設したのです。

ここまでにかかったお金は200万円にはなると思います。
でも、楽しいからやれました。
かけたお金の200万円は半年で回収しました。

お金をかければ良いというものではありません。
でも、何かをする場合お金がかかることは事実です。
はっきりとした目的があってやるのも良いが、無くても良いと思います。
「今、やりたいこと」「やって楽しいこと」をすればいいんです。



もう一つしずさんのブログの記事から。

購入が先、理解は数年後。

不思議だな・・・・・
と思う。

ず〜〜〜っと前に私は養老孟司さんが好きなので

「唯脳論」という本を買ったが・・・・・

意味が分からず10ページくらいで挫折・・・・・・・・
その後放置。

それから数年経って
ある時、再び手にとって読んだら
(私が本を選ぶときは電車に乗る時)

え?これってこんなに面白い本だっけ?

と、購入当時は10ページも読めなかったのに
超面白い!と思いながら
あっという間に読破。
とても面白いです
    (以下略)

「本は出会った時に買っておかないと手に入らなくなる」と、誰か賢い人が書いてました。
その通りだと思います。
今はネットで本が買えるので昔ほどではありませんが、本に出会ったら入手することをお勧めします。
今は忙しくて読めなくてもいつか暇になったら読めば良いのだし。

        ******************

もう一つしずさんのブログから得られる教訓は「波動量が増すと理解できる」ということ。
当初は読んでも全く分からなかったものが、数年経ったら面白く読めるようになった。
波動量が増したからです。

波動量は本を読んでも上がりません。
生活をして上げて行くしかない。
この生活、という言葉の中には全ての意味が入っています。
家事、育児、仕事、遊び、勉強、運動、行動、ひと付き合いなど全てです。
これらを体験しつつ
その都度感じ考えて心を鍛えること、それが波動量を増すことになる。
これ(その都度感じ考えること)をしない場合は、何年経とうと変化無し。

<次元up>(2009年4月28日)


この次元というのは意識レベル、判断力、波動量、のような感じで語ってます。

沖縄の聖人、S師が
「神心(かみぐくる)」の著者をしょっちゅう叱っていたようです。
この著者は大変、反省心が豊かで人間性も素晴らしく謙虚で素直。
でも・・・・・・・・・・・・・・・分からないコトは分からないのです。

その件については「考えたことも無い」ので分からないのです。
だから分からなくて当たり前。

皆そうですよ。
私だってそうです。
「考えたことも無いこと」をどうやって分かるんですか?
それは不可能だ、と分かりますね?
(相似象はこういうコト−−分かる、分からないを延々と語る学問です)
さて、S師に叱られた著者は、その都度分かることが出来ました。
並み外れた魂の持ち主だからです。
普通の人ならキレてお終いです。
(PANDORAのお客さんや関連サイトの方は、分かることが出来る人が多い。並み外れています)

すると、
分かった時点で「次元が上がる」のだそうです。
沖縄の聖人は、次元という言葉を「意識レベル、判断力、魂の質の高さ」のような意味で使っているようです
沖縄の聖人は、著者の方(女性)の魂を鍛えたのでしょう、訓練したと言える。

この訓練に合格すればよし、不合格なら縁が切れるのでそれもよし、だったのではないかな。
分からないことがある。
それを分からせてくれる人がいる。
その時、分かればその人の次元が上がるのです。

分からせてくれる人は通常いません。
誰もそのようなつまらないこと、嫌な役目などしたくないからです。
そこを敢えてしてくれる人を、通常の人は「怨み、憎んで」終わるのです。
その、通常の人のことを「(中身が)ケモノ」と呼びます。


その人は同じ次元をグルグルと周り続ける・・・・・・・・・・・・・・・・・・死ぬまで。
そしてその人の魂の次元が決定します。
それがその人にとっては幸せなのです。
ブログ「carillon(カリヨン)」にちょうど良い記事(2009年4月27日)がありました。

卒業と逃げ

同僚が二人近々、退職するとの話を聞いた。

一人は出会った頃から、明るくて、素直で言葉の語彙は少な目ですが、
年配の方にも、だめなもんはダメ!って、言うことのできる若いのにお母ちゃんの面がある
多くの人に愛される人。

もう一人は、先ほどの彼女を妬み
(あの子ばっかり、可愛がって!と知り合ったばかりに聞かされた。)
周りのアドバイスを聞かない、すべて悪く取っている
(と思われるような節あり。そう思っている発言もあった。)
そんな彼女。


私は、第三者だから客観的に見ることができ、知り合った頃から、今までを振り返ると、
一人は「卒業」
もう一人は「逃げ」

そう思えて仕方ない。

日々の暮らし方、人との接し方、考え方、それが「卒業」か「逃げ」か、に分かれる。

余談ですが、肌にも現れている。

怒りは、炎症の現れ。
痒みを引き起こす。
なにをそんなに怒るのか?

自分の気持ちの整理の仕方次第で、
怒りの基準が変わるのに。


「逃げ」の人のことは残念だと思う。
どこへ行っても、このレッスンをクリアしない限り、
課題はどんどんドンドン大きくなって目の前に表れる。

もっと素直になればいいのにね。

聞けば、世界が変わるよ。

聞けば、耳に入る音も、目に見えるものも、違ってくるのに…。


一人は「物事がだいたい分かっている」人で、一人は「物事が分からず、分かろうともしない人」です。
分かる人は、一つ課題をクリアすると次の課題が目の前に現れる。
それをクリアして行く。
それを一生繰り返す。

一人は「物事が殆ど分からない人」で、分からない頭(心)で周囲を見るので
当然理解出来ずにどんどん拗れ、心を歪ませていく。

(私が見たところ、女にはこういうのが多い。それを知って驚いたのが40歳を過ぎた頃でした。
  それまでの私はそういうモノがこの世に存在することすら知らなかったのです。
  私の周囲にそういう女が居たのに、見ていながら分からなかったのです!
  アホにもほどがある!
  勿論私も全てを分かるわけではありません。
  私が分かるのは「私が分かることが出来るレベル」までです。
  こういう拗れた女ども・・・これじゃあダメだわ、癌その他の病気になるし、どんどん不幸になるわ。
  男はこの点単純なのでまだ良いが、たまに一人で拗れている女性的な奴がいます)
自分の魂が住んでいる次元を上げたいなら、分かり難(がた)きことを分かって行くしかないのです。

<「人類は生き残れるか」>(2009年4月25日)


最近読んだ何かの本に「人間の姿を取れなくなる人」のことが書いてありました。
何の本だったっけな!忘れてしまった。
その本とは別に
「霊的見地から見た世界史(中)」に、生前極悪非道の限りを尽くした
本来高い霊性を持っていた人の、死後の様子が書かれていました。
彼は或る星で巨大な昆虫となっているそうです。
その星は大気が毒なので、呼吸することが苦しみなのだそうです。
でも昆虫は死ねずに、生きること=苦しみ、という運命にあるそうです。
気の毒ですね。


「人類は生き残れるか」
(浜本末造著/霞が関書房)の中に、
「人間の行動を取れなくなる人」のことが書いてあります。
この本は昭和49年に書かれていて、あと数年で世界が終わる
(アセンションする)ようなことが書いてあり、その点は外れましたが
他の部分はなるほど、と思える箇所が沢山あります。

この本に先祖やその他の霊、土地を浄化する般若心経の行の方法が載っていますが、
般若心経が特殊な書き方をするのでこの本だけ読んでも実行できません。
特殊な文字(漢字)を使って、決められた行数で書きます。

トンデモ本ですが、私が普段考えていたことと同じことが書かれていて面白い本です。
下に本から抜粋した文章を載せます。
<憑依>

一般に霊界といっているのは、この自己以外の各所に同居している霊の世界のことをいうのであって
各自の霊魂の中にも同質の霊はある。
この霊魂は波動であって形は見えないが、自分以外の他のものと同居すると、
そのものの生命の波動を借りて働くことが出来る。
たとえば自分の霊魂の波動が蛇の生命と同居すると、蛇の生命の波動をもって働き出すが、
原動力が蛇であるから蛇の心として現れる。
そしてその心は自分にもある同じ波動の霊魂に結んで、自分にも蛇の心を起こさせるのである。
これが俗に言うケモノ(化け物)に巻かれているというのであって、
波動は同じ性質の波動と呼び合い、イザナヒ合う。
これを
同類親和の法則という。
<使命>

使命を顕象するためには使命の波動が働かなければならない。
その使命の波動を押さえているのが自我欲であり、迷いである。
<用意すれば起こる>

まさかのことがあったらと、自己のために用意したら必ずまさかのことが起こるし、
もし病気をしたら困るとお金を用意したら、用意が出来た時点から病気になる。
それは生命が知っているからである。

(※これは潜在意識がそのように動くからですね)
<物質の波動>

正宗の鍛えた刀は昔から人を斬らないといい、村正の鍛えた刀は人を斬ると伝えている。
正宗の魂の波動は人を斬る波動ではないから鉄を何千回も鍛えている間に、
正宗の生命の波動と融合する波動を生じる鉄(金属)が刀の中に浮いて出てそれを融合し、
他の金属の波動とは融合しないから、自(おの)ずから正宗の魂の波動だけが働くようになる。
この刀を持つ者が正宗と同じ魂の波動を持っていると、刀の波動と融合してその波動は
ますます強くなり、その強さに相手は戦わずして剣を引くことになるのである。

それと反対に、村正は刀を鍛える時に斬る波動が起こり、
それが同じ波動を持つ金属が浮いてきたのと融合して、斬るという波動を強くする。
そしてこの刀を持った者が、斬るという波動と融合してますます強くなり、
相手を圧倒して無能にさせ一気に斬ってしまうのである。

これと同じ原理が今日(こんにち)の神祭りになっている。
神主や坊主の魂が強欲の波動に満たされ、それが祈りをかけると強欲の波動がお守りやお札にくっつき、
それを信者が拝むことになり、ますます強欲になっていく。
これが今日のご利益信仰になっているのである。
<読経では成仏しない>
<癌>

癌を治すぐらい簡単なものはない「死ねば治る」「生きながら死ねば治る」
これほど簡単に治る病気はないのである。
生きながら死ねないから治らないのである。
癌細胞は肉細胞の裏なのである。
肉細胞は癌細胞を肥やしにして成長して働いている。
ちょうど好気性菌が嫌気性菌を食って生きているのと同じであって、
もし嫌気性菌は害になるからといって殺してしまったら、好気性菌も死んでしまう。
ちょうど浄溜水ばかり十日も呑めば死ぬようなものである。

もし人体から癌細胞は害になるからといって殺してしまったら、肉細胞もなくなって死んでしまう。
癌の遠因は肉を食うからである。
癌細胞は初めから肉細胞の裏にあるのに、それに力をつけるようなもので、
ちょうど好気性菌を嫌気性菌が均衡が取れて平和であるのに、
急に嫌気性菌を余計に働かせて好気性菌が衰えていくようなもので、
獣肉を食うから癌細胞が活発に働くようになるのである。

それでも、ふだんはたいして心配はないのだが、人に言えない秘密があって内心苦しんでいる者が、
何かのショックを受けた時、秘密にしていたことを大声で叫ぶぐらいにすればよいが、
ジッとこらえていると、肉細胞と癌細胞がひっくり返って、癌細胞が表になり肉細胞が裏になって
癌細胞が肉細胞を食ってだんだん育っていくから肉細胞は反対に減ってゆく。
だから、癌患者は眼水までも食い尽くすまでは中々死なないので苦しみ続けるのである。

そして、癌細胞は人体の表面を構成する物質ではなく、
異質のものであるから、癌で死んだら人体は異質な細胞に変わってしまっている。
故に死者の顔は二、三時間ごとに変わっていって、二十四時間経って出棺の別れの時には
人間の顔をしているものはほとんどない。
死んでからすぐに成仏させる方法を取ると顔は変わらない。
故に癌患者は死ぬ時は成仏することが大切で、成仏すれば血縁の者に遺伝することはない。
どんな病でも成仏して死ななければ、必ず血縁の者に類を及ぼすことは間違いない。

(※成仏させる方法とは、或るやり方で般若心経を書き、決められた方法で処理すること)
<坊主>

しかし坊主では成仏させる事は殆ど不可能であるというのは、そんな坊主は今の世の中に殆ど居ないからである。
成仏とは肉を成仏させるのではない。
思凝を成仏させるのである。
それに訳のわからぬ難しい経文を唱えて誰が分かるのか。
あんなものは金儲けの商品であり、芸題のようなもので、坊主は金儲けの街道芸人と同じような者である。
<人は一度仮死する1>

地軸に変動があると気が瞬間に変わるから、万物は一時仮死状態になると考えなければならない。
そして蘇生する時は、仮死状態になった時点の心の状態のままの人間になって生き返る。
仮死状態になる直前にケモノの気が働いていた者は人体を持ったケモノになって蘇生するし、
蛇の気を働かせていた者は蛇のように地を這う者になって蘇生するであろうし、
牛馬のような気を働かせていた者は、強力で頭の働かない奴隷のようになって蘇生するであろう。
故に人は望みのままになるというのである。

(※日月神示にも、「神と獣をたて分ける」とあります。空を飛ぶ者と地を這う者とに分かれる、と)

仮死状態になる寸前に働かせている波動の通りになるのだから、
虫に蘇生しようが、牛馬や蛇に蘇生しようが、それは本人が望んでいたことなのだから不足を言うこともあるまい。
しかも、人体を持ったままなのだから喜ぶべきであろう。
さあ、ではそれで良いのか。
そうではあるまい。
やはり人は人として生きていきたいであろう。
では人とは何か。
分かる者は一人もいない。
生命は自分の住む家を人体として作った。
それは人体以外に作ることを知らないからである。
即ち(すなわち)生命は人なのである。
虫の生命は虫しか作れないし、牛馬の生命は牛馬しか作れない。

人体しか作れない生命が人体を作って住んでいるのに、その生命をは他人である不幸・病、強欲、欺瞞、
殺傷、憎悪の感情を体内に入れるから、生命は自己の住家を荒らされることになる。
しかし、これらを家族、従業員にしてしまうと生命の手足となって働いてくれる。
故に生命以外のものが邪魔になるのではない。
単独で勝手な事をするから邪魔になるのである。
<人は一度仮死する2>


仮死状態になる時左の場合の人は蘇生した時人となり、ケモノの気は自然に消えて人の生命の肥やしとなり
家族・従業員になる。
右の場合の人はどんなに立派な人であっても、地位の高い人であっても、財産があっても蘇生する時は
人体を持ったケモノになる。
(※通常人間はケモノ7割、人3割だそうです。ケモノの部分がなければこの世で生きていけない。
   子孫を残せないので、どんなに偉い人立派な人でもそうです。
   ケモノが悪いのではなく、ケモノが前面に出ていることが悪いのでしょう)


そしてこの者は死ぬことも許されず、生涯ケモノとなって生きなければならない。
しかも今度は、地球が永遠の生命を持つ順廻りになるのだから、なかなか死ねないし、
たとえ子を産んでもその子もまたケモノと同じ役をすることになる。
故に仮死状態の寸前、人になっておればよい訳で、少なくともその瞬間だけは人になっていて欲しいのである。

(※仮死状態に関しては、ゲリー・ボーネルが「続・光の12日間」に書いています)
(※ポールシフトは沖縄の聖人の働きによって、食い止められたようですが、
   ポールシフトでなくてもゲリー氏が言うような、何かが起こるのかもしれません)
<人とは何か>

では人とは何か。
さあ分からない。
自分にも知らない。
どんなに頭で考えてみても解釈してみても、人だけの世界に生きたことのない人類に分かるはずはない。
しかし、分かる方法がたったひとつある。
人に生まれたのは、生命が人であったからであることはわかるであろう。
それなら生まれた時点に帰ればわかるはずである。
しかし、生まれた時点には帰れない。
過去は返ってこないのだから、仕方がない。
最後の手段は生きながら死ぬより他に道は無いのである。
ではどうするのか。
<生きながら死ぬ方法>

これから書くことは、好むと好まざるとに関わらずやってもらわなければケモノにならねばならない。
故に無理だと思うことでもやってもらわねばならないのである。
もちろんケモノになりたい者は好きなようにすれば良いので決して無理に勧めはせぬ。
難しいことのように思うであろうが、これほど簡単で楽な方法はないので、
やってみれば、何だこんな事かと思うようなことである。
<人に帰る道>

人の本質は理論や観念で定義づけられるものではないが、人体を持っている以上、
人であることは事実である。
しかし、人以外の観念を人と思い込んで生きて来た現在の我々には、真実の人の世界は分からない。
故に人の本質を知るためには、今までの観念を一度全部捨てて素っ裸になった上であらためて見直す以外にはない。
と言って素っ裸になるということすら分からない。
そこで次に書くことを理屈無しにやってみる以外にはないであろう。

(各項目に説明がありますが、省略します)

@自己の生命に偽らないこと
A物や金に支配されないこと
B弁解はしないこと
C自利本位を捨てること
D自分の善行を他に知らさないこと
E自己を主張して自説を主張しないこと
F自分の適職を得ようとする前に、今の自分の場に精一杯生きていること
G人生を遊びにすること
H全て罪は自分が背負うこと
I思想、主義、団体から離れること
J宗派宗団教団等からすみやかに脱退すること
K人の為、世の為と思凝らぬこと
                        (中略)

人の為、世の為と相手を意識しないで、ただ今を精一杯生きておれば、
人の動きも世の動きも見えて、自分の進むべき道がはっきり分かってくる。
これがこの世の道の極意であろう。
とてもそんなことは出来るものかと思うであろうが、生死を超越して今に生きれば至極簡単なことである。
相手に勝とうとも思わず、負けようとも思わない。
自分が生き延びようとも思わず、死のうとも思わず、ただ、その時を精一杯生きているだけであるから、
そう難しいことではない。
難しいと思うのは、自分を捕まえているからである。

(※悪い頭で理屈をこね、必死で自分を守っていたり、何か偉い者のように錯覚している人がいます。
   私は大抵のことは笑って済ますが、こういう人を相手にするとセンサーが働いて嫌になります。
   所謂頭の先だけが良い人のことです。
   頭の先が良いこと自体悪いことでは無い。
   しかし頭の先しか良くないのは、上の条件の殆どを満たさないのではないだろうか?
   頭の先が良い人は心の底まで良くないと何にもなりませんよ。
   頭の先だけが良い人・・・・・・・・・・・・・そこのところを私の感覚が感知し、嫌になるのです。
   日月神が理屈を言うな、と書いているのはこのことですが、理屈のレベルもあるのです。
   頭の先だけが良い人の理くつは、噴飯ものですよ。
   こういう手合いには何を言っても通じないばかりか、自分の理くつを返してくるので相手にする意味が無いので
   相手にはしません。何にもならないからです。
   自分の我を折り、理屈を捨て子供のように無邪気になれる人のことしか、本気で相手にすることはありません)


自分は精一杯やっているとも、生死を超越しているとも思わない、
ただ精一杯やっているだけのことである。
<幸せと不幸>(2009年4月26日)

他人を怨み憎む人はその人にとって幸せであり、怨み憎しみを奪うことはその者を不幸にすることである。
愛する者は愛することが幸せであって、愛することを奪うのはその者を不幸せにし、同時に己をも不幸せにする。
誰かに憎まれたら、その人を幸せにしていることなのだから素直に憎まれれば、憎まれる者もまた幸せである。
誰かに怨まれたら、その人を幸せにしていることなのだから、素直に怨まれれば怨まれる者もまた幸せである。

(※本人の意識の或る場所、レベル、次元にいるのが一番気モチが良いので、書かれていることは言えてます。
   誰かが「そんな低いところにいないで、向上しろ」と言ったら、言われた方は途端に苦しくなります。
   また、逆も言える。
   低い人が「自分と同じになれ」「自分と同じように感じろ、考えろ」と、
   レベル高い人に言ったら高い方の人は気モチが悪くなります。
   愚痴を言う人は愚痴を言うのが楽しいので愚痴を言う。
   だから言わせておけば良い)


病で苦しんでいるのは病もまた不幸せになっているのであるから、病の苦しみをなくしてやるが良い。
それが病も自分も幸せになる道である。
病は苦しいから暴れるので、暴れるから人もまた苦しむのである。
怨み憎しみは己の場に居れば苦しむことはないし、幸せである。
病は病の場にあれば幸せなのに、それを出して暴れさせるから病も苦しむし、自分も苦しむのである。

(※これは健康診断などをして、病気を探し出し、却って拗らせることを戒めているのだと思います。
   病気は理由があって存在している。
   たとえば癌です。癌は、昔なら敗血症などでアッという間に死んでしまうところを、
   本体を生き延びさせてくれているのだ、としか思えません。
   本体はやる気があればその間に十分反省が出来るからです。

   健康診断で無理やり発見して、病気をやっつける、というのが病気を苦しめることになっています。

   先日、身体の中にできモノが出来た人がいました。
   ちょっと堕ち込んでいるようなので、その方から絵の依頼があった時、私は病巣の絵を描きました。
   名前を◎◎ちゃんと名づけて可愛く描きました。
   その◎◎ちゃんは本体の間違った想念の結果生まれてしまった気の毒な存在ですが、
   そのおかげで本体は生きていられます。
   何とけなげで可愛いんでしょう!と、その方に言ったら、その方も全く同感だったようです。
   その◎◎ちゃんを作りだした、その方の想念が浄化されれば消えるし、
   消えなくても一緒に生きて行こうね、ありがとう♪と、思って付き合っていけば良いと思います。

   現代医学は人間を機械的に調べ上げて、数値の異常やX線などで病気を見つけ出しますが
   病気であることによって本体が生きている場合もあるので、犯人探しのように見つけるのは如何なものかと思います。
   以前、絵のお客さんで子宮がんの前の前の前の状態だ、と言われて何度も検査した方がいます。
   私はこれだったら癌では無いと思いますが、病院はそれを発見し治療することが仕事なので
   念には念を入れて検査し、治療する。
   病気を大袈裟に扱う。
   癌の前の前の前の状態が癌になるまでやる勢いです、呆れます。

   浜本氏に言わせると
X線で見える影は思凝(しぎょう)なんだそうです。
   肉眼では見えない思凝も、X線には映る、それは心霊写真と同じ理屈だそうです。
   肉眼では無いことになっているものも、特殊な見方をすれば「ある」のだそうで。

   また、癌家系というのがあります。
   思凝が癌の原因ですから、同じような考え感情を持った人が同じような病気になり易いという点と、
   思凝自体が受け継がれていくようです。
   祈願文で自分は当然として親と兄弟の名前を書いても良い、というのは
親兄弟は「自分と同じ思凝」を
   受け継いでいる関係
だから。全く無関係では無いからです。
   勿論自分の子供には自分の思凝が伝わっている、分けられている、影響しているわけです。
   小さいお子さんには本人の思凝はないが、親の影響(思凝)をもろに受けるのです。
   なので小さいお子さんには祈願文は書く必要がなく、親の名前を書けば良いのです。

   それはともかく、癌家系の方は特に自分の思凝を浄化することをお勧めします。
   自分で「これは変だ」と、自分の性格や欠点を意識化出来るようなのは、本当の欠点では無い。
   意識化出来ないほど普通に当たり前になってしまっていて、
自覚出来ない欠点が本当の欠点です。
   なので、ほとんどの人には自分の欠点は意識化出来ないのです。
   それがいろいろと悪さをしますが上に書いた理由により、自分では原因が分かりません)


我々は病や貧乏や怨み憎しみや不幸せが我々を苦しめると思っているが、
それは反対で病や貧乏や怨み憎しみや不幸を我々が苦しめている報いが、我々の苦しみとなって現れるのである。


(※貧乏は楽しむと良いですね。
   我が家は子沢山で家を買ったので、お金の余裕が全くありませんが、私は平気です。
   何とかなるだろう、という気がしてならない。
   娘達には仕送りも出来ませんでしたが、娘達は貧乏自慢番組に出ようか、とか
   ホームレスするなら○○駅が最適だ、とか言ってました。
   金がなくても心が参らないなら良いのです。
   世の中には貯金が一千万円あっても、「デノミネーションになったらどうしよう」と怯えている人がいるそうです。
   デノミになったらどうなるのか分かりませんが、その時はその時でしょう。
   我が家には貯金が無いので良く分からないが、なったらなったでその時考えれば良いし)

<特殊であろうとする心>(2009年4月23日〜2009年4月25日)


エムニマさんが古本市を開いていました。
その中で「神ぐくる」という本を読みたかったので応募したら当たりました!
エムニマさん、ありがとう!

この本は「宇宙心」などに書かれている沖縄の聖人、S師について書かれた本です。
私はS師は「言うことは言う人ではないかな。」と、思っていました。
今まで読んだ本のどこにもそういうことは書いてない。
でも、この人はとても率直で言葉を飾らない人なので、言うべきことは遠慮なく言う人、
だと私は勝手に思っていたのです。
で、この「神ぐくる」を読んだら、やはりその通りでした。
「神ぐくる」65ページより。


<特別なものは求めなくていい>

こんなこともありました。
北海道のある場所を訪ねるようにとのメッセージを感じて、
先生(S師のこと)に打ち明けた時のことです。
「行ってきたらいいさ。」と勧めてくださる先生に、つぶやくこともなく
自分の迷いを正直に口に出してしまいました。
「でも、そこへ行っても先生のようにお祈りできるわけでもないし、
私が行っても意味ないですよね・・・・・・・・」
「それが傲慢なんだよ。」
先生に一喝されてしまいました。
「自分に何か出来ると思っているところが傲慢なんだよ。
 (自分はせめてそこに落ちているゴミの一つでも拾えたらいい・・・)
 そう思っていればいいんじゃないの。
 まったく、自分はたいしたことが出来ると思っている人たちが多いよ・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「何も出来なくたって、感謝することはできるんじゃないの・・・・・・・・。」
まぁ、傲慢ですな。
S師に賛成します。
(自分の傲慢を意識化出来ない人が殆どです。
 おとなしい善人ほど、それが出来ません。なので問題なのです)
(え?私?
 私は自分の傲慢を意識化出来ているので、まだ良いのです)
(そりゃ、自分が傲慢かどうかを常に問い、検証しつつ生きる人が良いけど)
(私が見たところ、おとなしい善人の傲慢の方が重症ですね)


この人(神ぐくるの著者)のような人、善意で、モノ凄く謙虚なんだけど、
何か勘違いしちゃってる人が沢山います。
何か自分に特別な使命があると思っているとか、
人のために何かしたい、とか、何かしなくてはいけない、とか、
誰も頼んでいないのに、そう思い込んでいる人。
良い人、善人に多いです。

上のような理由(妙な使命感、根拠の無い使命感)でやるならやらない方が良い。

「それをしたいんです。」
「楽しいからしたいんです。」
「面白そうだからしたいんです。」
「面白いからやりたいんです。」
「だって面白いんだもん。」
「楽しいからやるだけです。」

それで良いのでは?


ちなみに私には使命感などありません。
このサイトを運営しているのは
@楽しいから
A忘れちゃうのでメモ代わり
B私と対等に会話できる人と知り合いたい(対等というのは、判断力の点で)
      ↓
  そしてバカっ話をする
Cそうだそうだ忘れてた、小遣い稼ぎもあった
D私に個人的なことを質問してくる人が多いので、個別に対応するのはキリが無いので
  「人間のいろいろ」を読んで、波動量を上げ、判断力を増して自分で考えてね
Eバカバカしいことが好きだから
Fネットで仕事する人を応援するのが好きだから
G惚け防止のため(切実)
H相似象の宣伝?
Iその他


また、「神ぐくる」の著者は簡単なことをわざわざコ難しくしている。
中途半端に発達した頭脳のせいです。
こういう人も沢山います。
こういう人はいくら頭で考えてもちっとも分かることは出来ない。
こういう人は「分かってない」という証拠を日夜、見せ付けられることになります。
(子供が登校を拒否る、会社をリストラされる、どんどんジリ貧になる、など)
これは自分が自分に見せているのですが・・・

もっとシンプルになった方がいいな。
「生まれ赤児の心と成りてくだされよ」(日月神)
シンプルに素直になれば良いのに、こんな簡単なコトが出来ない人が多い。
もし、赤ちゃんだったらどうするだろう?と、考えてみると参考になると思います。
付けくわえておきますと、この著者は本当に謙虚な人なんです。
文章にも謙虚さが滲み出ています。
私の何倍〜何十倍も人間が出来ているマットウな人。
そういう人がその件について思考しないために、間違った考えでいる、
という点を、師匠であるS師から指摘されたのです。

何故指摘したのか?

この著者はしょっちゅうS師に叱られていたそうですが、
魂が高く心が清らかでも知らないものに関しては悟れない。
なのでS師はそこを指摘し、さらに魂が向上するよう、導いていたのです。
著者は大変謙虚で頭が良く人間としてマットウなので、言語によって指導することが可能だった。
だからS師は指導したのです。
S師はこの方を何度も叱りましたが、そのつどこの方は悟ることが出来た。
その結果次元が上がっそうです。
S師が何も言わなければこの方の次元は変化しません。


これが著者では無い他の普通の凡庸な人間だったら、S師は指導が出来ません。
愛をもって放置するしかないでしょう。
この著者は後日、とても重要な祭りに参加させられました。
S師を入れて16人で東西南北とその間の方位全てを分担し、地球のために祈ったのです。
その祭りには意識の低い者が一人でも参加していたら祭りが無効になってしまったのだそうですが
この著者は大変霊の格が高いので、OKでした。

この著者がダメだからS師に説教されたのではないし、辛辣に意地悪なことを言われたのではありません。
殆どOKなのに、無知からくる誤解をしていたので、指摘しただけです。
勿論、著者が「言えば分かる」人であることをS師が見抜いていたからです。

このように見込がある人は鋭く指摘されます。
見込みの無い人は何も言われません。
(言っても、理解しないので無駄であり、そのことによって感情が拗れ、さらに悪化するからです)

<心が住んでいる世界=精神世界>(2009年4月22日)


昔、精神科医が書いた本を読みました。
精神異常者を観察した本とか、正常者のことを分析した本。
そこに
「精神世界」とありました。
精神世界とは
「その人の心が住んでいる世界」のことです。
狭い意味、今、流行りの意味では
「スピリチュアルなことをああだのこうだのと言ってる人たちの世界」
或いは
「心のことを扱ってそれを金にしている人たちの業界」のことになっていますが
本来は、いたってシンプルなものです。
<無数にある>


その人の心が属している世界、その人が見た世界ですから、万人の数だけ精神世界があることになります。
でも、似通った人達は似通った世界に、心が住んでいるものです。
イエス・キリストが
「天の父の家には部屋が沢山ある」と言ったそうで・・・
それは似通った霊で構成されている、精神世界(霊界)のことでしょう。
<たとえば>


たとえば、バカにされたりしたり、という世界に住んでいる人がいます。
その人は自分をバカにした人を恨む。
しかし自分は他人をバカにしている。
自分が他人をバカにしているので、他人の言動を「バカにしている」と感じます。
その他人が
@本当にその人をバカにしている場合
A本当はその人をバカにしていない場合

がありますが、これらの分別がつかないために、自分にYESと言わない相手は
@全て自分をバカにしている
と受け取ります。
自分の感受性が「バカにする・しない」ということが基準になっている。
(ああ、なんてつまらない世界だ、そんなコト、どうだっていいや)


ここで謙虚な心の持ち主だったら、
一見、相手が自分をバカにしているように見えるが、本当は違うのではないか、と思うか、
賢い頭の持ち主なら本当は相手は自分をバカにはしていない、と分かります。
相手が自分をバカにしているか、いないか、という視点を持つなら
@心を素直にする、謙虚になる
A理解できるほどの知恵を獲得する

か、どちらかの方法を取らないと事実は分かりません。
それをしない場合は、この人は世の中を
「自分をバカにしている人」「自分がバカにする人」という見方で物事、全てを見ることになります。
これがその人の「精神世界」です。

貧しいです。

貧しいので、そんなところに居てはいけない、と忠告してもそういう人は相手を無自覚でバカにしているので
聞き入れません。
この人が聴き入れるのは「自分に賛成する人」「自分を賞賛する人」の意見だけです。
そういう世界に、心が住んでいるのです。



バカにしたの、されたの、するの、という大変貧しい心の世界に住んでいますが、
当人にはその自覚はありません。
これが普通だと思っているのです。
<私が属している世界>


ちなみに私の場合は、私をバカにする人はどうぞ、ご自由に・・・です。
怒りも湧きません。
そのようなつまらないことに関わっている暇が無い。
心をそのような低次元のことで占めている余裕がありません。
私は誰もバカにはしませんが・・・

そういえば私はかなりバカにされているんですよ〜
私の弟妹からはバカにされまくっています。
いつも笑い物にされていますが、それが可笑しいので笑っています。
そういえば・・・・・・ウチの子供達からもバカにされているようだ。
あはっは!
こりゃ可笑しいや!
おうおう、好きなだけバカにしな、と思いますね。

私にとってバカにするとかしないとかはどうでも良いことです。
私が住んでいる精神世界は、それ(バカにする、しない)が重要事項の人たちの上であることは間違いありません。
と書くと
「バカにしたな!」
と憤る人がいると思うが、どうぞ、憤慨してください。
誰もが自分の心が属している世界の中でしか、感受できないのだから。

そして私も
「愛に満ちて皆に愛の波動を送っている人」のことは理解出来ません。
中にはバカ野郎がいますから、そういう人を私は憎まないが放置する方針です。
(バカ野郎を憎む人は、そういう世界に住んでいるのです)
私は憎みはしないが、愛を送ることもしません。
そういう世界に私は住んでいることになります。
(え?バカにする、される、が重要な人達とたいして変わらないですと?・・・・・・・・・・・・・バカにしたな!)
<とは言え>


私は怠け者の天国(別名怠け者ヂゴク)に住んでいるので、他人のことをとやかく言えませんわね。

<差取れない人>(2009年4月17日)


悟るという言葉について。
相似象では、この言葉に宗教的な意味はありません。
悟る=差取る
というだけです。

差というのは「違い」のことです。
違いが分かる人が、差取れる人=悟れる人です。
違いが分からない人が、差取れない人=悟れない人です。
<貶す人、欠点を指摘する人>


事例を挙げるのはちょっと面倒ですがやってみましょう。

貶す人、というのがいます。
何でも貶す。
貶す対象は何でも良いが、貶すからには対象を見なくてはならない。
全く意識にも上らない場合は貶しもしませんからね。

その対象ですが、下の方の記事に
<妬む人><羨む人>というのを書きました。
自分がそうなりたいのになれない場合や、自分の方が腕や環境などが「上」と思っているのに
自分は認められない場合、貶す人がいます。

以前、そういう人がいました。
その人は霊感があるようで自慢しているようでした。
また、もう一人、こちらは霊感でお金を稼ぎ皆から人気のある人がいました。
霊感があるのに誰も注目しない人は、皆から注目されている人を貶していました。
貶されている方の人だって、完璧では無いので言われるだけの理由はある。
なので、私は貶されている人に足りない部分を改善するよう忠告したことがあります。
(足りない部分というのは、問い合わせのメールへの返信が非常に遅いところとか、
  事務処理の不手際です)

人気がある人はとても性格が良く、だから皆に好かれるので私はそれを「良し」としていました。
私は他人がどんなに人気があっても、妬むことはしないので。

ところが、妬む人は、その霊感があり、人気がある人を貶しまくっていたのです。
上にも書いた通り貶されている方も不完全なので、この人の言いぶんも分かります。


さて。
私は貶す人でしょうか?
違いますね。
私は「足りない部分を本人に気づかせ、改良した方が良いよ、と忠告し、
完全を目差すお手伝いをする人」です。
意識は↑を向いています。
たとえて言うなら、いびつな円があるとしたら、凸凹を修正し完全な円になるよう、
協力するという意識の下に行動しています。

貶す人はそうではありません。
貶す対象を憎んでいるので、その対象を何とかして引きづり落したい、というのが目的です。
↓を向いています。

しかしこの両者はもし、言動を比べたらどうでしょう?
両方
「相手の足りない面を指摘する」ことになるので、その差は分かりません。
いや、分かる人はいるのです。
これが
差取れる人=悟れる人=分かる人、です。
差取れない人には、↑も↓も、その差が取れないのです。


モノの分かった人は少ないけれど、私はそういう人に分かれば良い、と思っているので
モノの分からない人が勝手に誤解しようと、それはその人の人生であり、
そのような心の姿勢で生きて行ってこれから先まずいことが起ころうと私には関係ないので
平気なのです。
勿論、そういう人にも説明はしますが99%理解しません。
却って拗れてしまいます。
そうなっても私の関知するところではありません。
<悟れる人=分別のある人>


要するに悟れる人とは分別のある人のことです。

<女性版ワン・チャンス>(2009年4月15日)


アメリカ在住のLenさん(アンダラクリスタル販売)が教えてくれた情報です。
現在、この映像のアクセス数が大変多いそうです。


http://www.youtube.com/watch?v=Il5TBgD9kHI

歌を歌うのに本当は外見は関係ない。
いつからでしょうかね、歌唱力より外見重視になったのは。
芸能界には美男美女ばかりですが、ブ男ブ女(ぶなんぶじょ)だって才能があったら活躍して欲しい。

<手放す>(2009年4月15日)


下の記事で「思うと相手の念と同調してしまうので止めた方が良い」ようなことを書きました。
この場合、相手を嫌がって切り離すのではなく、心の姿勢としては
「祝福して手放す」のが良いでしょう。

別に本気になって真剣に祝福する必要はなく、
人間の意識を
嫌悪−−−−−どちらでも無い−−−−−祝福
としたら、真ん中の「どちらでも無い」からひとつ右の−に入っていれば良い、と私は思います。
もっと詳しく言うと
どちらかと言うと祝福・やや祝福・普通に祝福・だいぶ祝福・かなり祝福・完全に祝福(祝福)
という感じ。

最低限自分の心の状態(姿勢)が、
普段何も無い時でも
「やや祝福」になっていれば良いと思います。


そして、その心の状態で相手のことを手放すのです。
気の毒ですが相手は忠告は聞かないし、何を言ってもというか言えば言うほど誤解し
拗れるので相手の人生の責任は本人に取っていただくとして手放す。
その際
(バッカ野郎、どうなったって知らねえや!)とか(なにさあのバカ女!)
放り出すのではなく
「祝福して手放す」ということ。
<記事を読んだ感想>


上の記事<手放す>を読んだWさんから。

TQ霊の影響下にあるママ友との係わりを昨年8月に絶つことを決めた私でしたが、
彼女のことが毎日毎日頭に思い浮かぶ最中(7月下旬)にジュネさんの解読を受けたので、
どう対処すればいいのかを尋ねました。
 
彼女のことが頭に浮かんだら、その度に彼女が光りに包まれて笑っている好いイメージする。
そうすることで私の潜在意識内の彼女のイメージが修復され、
また同時に、彼女の幸せを祈ることにもなる
、ということでした。
 
ジュネさんの教えに従って、今でも彼女のことが気になったらイメージングしています。
もっとも私の記憶の中の彼女は、『どうにもならない人』に分類されたままですが。
 
そのママ友は今のところ「どうにもならない人」というジャンルに入れられても仕方ないですね。
まぁ、しょうがない。
この時、相手をバカにするのではなく、それこそ司書が本を分類するような
態度で淡々と作業をすれば良いと思う。
モノ凄い分からずや(箸にも棒にもかからない)−かなりの分からずや−普通の分からずや−
ちょっと分からずや−やや分からずや−どちらでもない
・・・・とか。
今のところそれしかやりようがない。



Eさんから。

ちょうど今、ブログを更新したところですが
書き終えた後にパンドラに行きましたら
『手放す』の記事が書かれていました。
 
祝福して手放すことだと
友人の件のときにifさんが下さった言葉が思い出されていて
 
パンドラの資料室を見ていましたら
昔の記事に目が留まりました。
 
たとえ今はその人が
まぁいわゆる悪想念に凝り固まっていて、
誰かが届けてくれた善なる想いを
受け取れる状態になかったとしても。
その想いは、届けられた人のオーラに跡を残し、
受け取れる状態になったら届く、と。
「善は決して死なないのだ」
 オレさまの日記より転載した記事)

祝福して手放すことは
こういうことなのだなと感じました。
 
99%無理だと言われていても
残りの1%の可能性である元に戻ったなら
 
その時に伝わる祝福の想いなんだと。

そうそう。
いつか相手が正気になるとか、波動量が増すとかするかもしれない。
可能性はあります。
1%の可能性に賭ける気でやれば良いと思います。

<思うことは同調すること?>(2009年4月14日)


Wさんからの報告です。


念の話を読んで、昨年の4月から8月にかけての私の体験を思い出しました。
 
昨年4月上旬のことですが、あるママ友から、
彼女に霊道が開き亡くなった彼女の祖母からメッセージが伝えられたという話を聞きました。
それについて語る彼女の様子があまりに異様
(眼が潤み変な輝きを放っている。足元がフラフラしっぱなし。
いつもはあまり自分の気持を表に出さないタイプなのに得意気な話しっぷり)。

なので、TQ霊に騙されているのではないかと心配になった私は、
パンドラに書かれていたことを思い出して彼女に忠告をしましたが、
私の言葉に耳を貸す様子はありませんでした。
私は彼女から距離をおくことにしました。
 
このことがあってから、私は彼女のことが気なって気になってしかたがありませんでした。
なんで気になるのか自分自身にも分らない。
頭から排除したいのに、どこからともなくと彼女のことが想い浮かぶのです。
また、ふと窓から外を見ると彼女が家の前の道を自転車で通過している
(彼女は我が家の方を気にしている様子無し)とか、
ゴミ出しに出ると200〜300m先の路上に居るなどということが数ヶ月続きました。

これらについては、家が近いので当然といえば当然ともいえるのですが、
ところが8月のある日彼女からかかってきた電話で全てが一変しました。
数ヶ月ぶりの彼女からの電話の内容は、私には???な自慢話ばかり、
明らかに霊道が開く前の彼女なら口にしない事柄を延々と喋り続けたのでした。
それを聞きながら、「私はもう彼女の相手はするまい」と決めたのでした。

それからは、彼女のことがしつこく頭に付きまとうことがなくなり、
不思議なことに私の家の前を彼女が通ることがピタリとなくなりました。
もちろんゴミ出しのときに遠くに見かけることもありません。
 
念の話を読んでの想像ですが、彼女の念が飛んできていて、
私の中途半端に彼女のことを思う気持(〜今はどんな様子だろうというような〜)が
念に同調したためにあのようなことになっていたのだと思います。
相手を跳ね除ける自分自身の固い決意が必要だったとしか思えない結果です。
自分自身の心構えが大事なのだと思い知らされました。


Wさんはおかしくなってしまった知り合いのことを気にしていた。
ところが相手を思うことが同調することになり、しょっちゅう出会うという
シンクロニシティを引き起こしたものと思われます。
相手の現在を気にする念と、相手の「相手にして欲しい」「認めて欲しい」という念と
逆ではあるがレベルが等しいので波長が合ってしまったのではないでしょうか。

人は常に念を発している。
また、常に念を受けています。
それが良い方に働けば「相手の人が必要としているものを調達して渡す」ことになるし
(これは私がしょっちゅうやっています。心の姿勢がお役に立ちたい、
 一緒に繁栄しよう、というものだからです)

悪い方に働けば「悪想念=邪念」が来てまずいことを起こすと言えます。
なのでどうせ念を発するなら良い念を発しましょう。
まず念というものがあるということを理解し、次に自分の心の波動を高めましょう。

<念を送って寄こす人>(2009年4月13日)


Hさんから。

ifさん
 
こんにちは!色々な記事を読んでの私の体験です。
 
まず「念」
 
一昨年から去年の半ばくらいにかけてですが、
うちの子がお化けがいるから怖いと言って泣き眠れないときが続いたときがあります。
ジュネさんに聞いたところ、それが実は人の「念」だったようです。
ある方(今はまったく連絡を取っていない)がうちのことを気にすると、
「念」になってきていたようでそれを敏感にキャッチしていたようです。
最近はそれもほとんどなくなったので、
あちらの方も気にすることがなくなったのかな?と思いますが。
よほど怖いものに見えたののだと思います。
ただ、「怖いもの」と認識しなければそうは見えないらしいですけれど。

へえ、その念の送り主は友人知人?
おたくのお子さんは霊感があるんだね。
本当に子供って、凄いや。
 
 
母親が子供を心配すると念を飛ばしてしまうという。
父親が娘を心配したら、それが生き霊となって現れた、とか、写真に写ったとか。
母親が子供を心配しないで、安心すると、子供は母親の安心オーラに
包まれるので、大丈夫なんだって。
これは神智学や人智学でなくても、日本の宗教家も言ってる。
「白光真宏会」だっけな。
「生長の家」かもしれないが。

その「念」を送っていた人は友人だった人です。
TQ霊に憑かれてしまい、なんだか危ない方へいっちゃったようなんです。
それから突然連絡が来なくなって周りには
「●●さんの目指している(スピリチュアルな)方向と違うから」
と言っていたらしいのですが
私自身は特にスピリチュアルな何かに傾倒するということなく
普通にしていたので、なんのこっちゃ?という感じだったんですけれどね。
彼女はパンドラが見られなかった人です。
 
ジュネさんにお聞きした最初はそんなにTQもそんなに大きくなかったのですが
半年だったか後に聞いたら大きく育っていたそうです。

これを使わせておくれ。
「いかなる霊もこの家には入ることを禁ずる!」と宣言するといいみたいだよ。

掲載了解です。
 
確か、「この家に入れない」だったかの宣言をしてからは
落ち着いていますよ。
その方はなんだかわからない宗教に入れ込んでしまったという話を聞きました。
 
パンドラが見れないといっていたのは確か××月あたりだったように思います。
で、そのあたりから連絡が途絶えたんですよね。
そのときは何がなんだかわからなかったんですよ。
 
まぁ、道を分かってよかったということなのでしょうね。


良かったですね。
Hさんの話から幾つかのことが分かります。

@同波長がだんだん異波長になる。

これは本当は最初から異波長だったのかもしれない。
というか、その可能性の方が高い。
御互いに異波長同志なのにも関わらず、或る点(分野)では
波長が一致していたために友人関係になっていた。
しかし御互いに自分というものがだんだん分かってくるにつれて
異波長がハッキリして来たのだろうと思います。


APANDORAが読めない理由

「友人知人にPANDORAの人間の話が参考になるから読んでみれば?」
紹介する人が多いようです。
そして、
「紹介したのに読んでいないようです」「読めないそうです」と報告してくれます。
PANDORAが高波動だから低次元な人に読めないのではありません。
(だって、高波動じゃね=し)(トンデモ話を集めただけのサイトですから)
PANDORAが読めないのは、PANDORAが分からずやのお守りをしないからです。
心の姿勢が読めるか読めないかを決定しているようですよ。

片方(Hさん)は、PANDORAを読み、時々痛い思いをしながら↑方向へ進むことを選んだ。
片方は自分が痛い思いをするのは嫌なので、最初からPANDORAは見られない。
最初はPANDORAが見られなかった人の中にも意識を変えたら
(自分の我を折って
向上の道を選ぶこと)
記事の内容を理解できるようになった人も多い。
勿論最初から
「これこそ私が長年探していたものだ(相似象)」と言う人も多い。

100人の人のうち99人に気に入ってもらうとか、好かれるためには優しいことを言い、
本当のことを言わなければ良い。
すると100人のうちの一人は
(信じられないな)と言って去って行きますが99人は残ります。
でもそれをすると98人のためにお守りをしなくてはならない。
それが出来る人はそれをすれば良いのです。

私はゴメンです。
そんな面倒臭いことは絶対したくありません
(それが低次のサヌキ)(低次元のサヌキでもやる場合があるがそれは金のため)
なので、私のやり方は
「100人のうち1人来れば良い」という方式です。
これなら楽。
だから殆どの人はPANDORAの「人間の話」などを読めないのです。
向上の方法を知らない人には読んでいて不愉快になるだけなのです。
勿論向上の方法を知らなくても素直で謙虚な人なら読めます。
「生まれ赤児の心」の人なら読める。

PANDORAが読める人は100人のうちの1人になる道を、たとえ自覚は無くても選んだ人です。
だから殆どの方は私よりマトモなので、私はとても楽です。
(私はとても怠け者なので自分が楽をするためなら何でもやります)(法律の範囲内で)


B念を飛ばすこと。

思うだけで念が行くようです。
念が来てもそれと異波長なら何も害は有りません。
霊感のあるお子さんが影を見たようですが、ただの念なので何も出来ません。
そりゃ不気味ですけど。

また不気味な邪念を飛ばすだけでなく、遠くにいる我が子を自分の念(オーラ)で
守ってやることもできるそうです。
なので念にもいろいろあるので、怖がってはいけない。


C念に対処する方法

「いかなる霊(念)もこの家に入ることは許さん!」
と、ハッキリ宣言することです。
そう言ってるこちらの言葉にも念がこもっていますから、
念VS念の戦いになります。
負けなければ良い。
勝つためには自分の心の波動を上げれば良い。
低ければ相手と同調してしまいます。
これが
「魂(たま)の戦(いくさ)」(日月神)です。(魂の戦の一種、というほどの意味)
相手が邪念を送ってきたのに、こちらも邪念で応戦したらそれは「負け」なのです。
邪念に対しては
A・憐れむ(バカにするのではなく本気で、ヂゴクに堕ちる相手を気の毒がること)
B・明るく笑う(相手をバカにしたら、それはこちらも邪念を発していることになるので注意)


何が難しいと言って自分の意識のコントロールが一番難しいのです。
たとえば妬み。
妬んではいけない、ということはよおおおおく知っているが、それと自分が妬まないこととは
別モノですよね?
理屈では分かるが心が言うことをきかないのです。
こんなに難しいことはありません。
(行動なら変えることは簡単。たとえば怒っていても笑うことは出来ます)
心とは簡単には変わりませんから、たとえば相似象などを使って自分の心を監視し
分析して、毎日を過ごして行くのが良いでしょう。
一年経てばかなり変化しているはずです。
(個人差はあります。何年も同じ状態の人も多い)

片方の心(波動・意識レベル・判断力)が変わり、片方が変化しなければ
両者の波長の差はどんどん開いて行きます。
一年経つとHさんのように、相手と全く交流がなくなる。
Hさんのような報告をしてくれるお客さんが大変多い。
不要な縁が切れるのです。

そこまでは良いのですが、向上しない道を選んだ相手の人から妬みや羨み、やっかみ
憎しみ怒りなどの念が送られて来ることがある。
(下の方の記事<念の話2>の英さんの体験談)
そういう場合は気にしないで、とにかく自分の波動を上げることです。

<他人のコトは見える>(2009年4月12日)


「人は叶う夢を見る」(2009年4月11日)より。

事実を述べる 其の2

テーマ:オカルト トンデモ話

人生に役立つサイトPANDORA
に少なくとも夫よりはモノが判ってる様に書いて頂いたが
実は1年位前は
PANDORAに書いてある事の半分くらいしか
理解出来なくて 
ただ
「このサイトは私に必要だ」
という直感(きっとね後ろの人だわ 教えてくれたの)
だけで一生懸命 ここに書いてある事が判るように
判らないととりあえず子供がダメになる
判るにはどうしたらいいかと考えて実践してみて
日々を過ごし結果
「夫はモノがみえてない」と言う事が判ったのだ

私のレベルがいかに低かったか
そんな事すら見えてなかったの
自分でもビックリよ



いつか書こうと思っていたことを蓮月龍さんが書いてくれたのでちょうど良かった。
実はその通りなんです。

相似象を始めるとモノが見えてきます。
心眼というやつです。
ところがこの心眼は他人のことしか見えない。

相似象を始めるとやたら他人のコトが見えるようになります。
今まで自分がいかに何も見て無かったかが分かる。
これは皆さんそうです。
ここまでは普通の人。
それに他人のことを見るのは別に相似象は要らない。
普通の賢い人なら見えるものです。

問題はこれからです。
次に見るのは「自分の意識」なのです。
これが重要で他人のコトなど普通に生きていれば見えるものです。

自分の意識を見ることが出来る人は殆どいません。
相似象を勉強していても至難の業です。
しかし自分の意識を見ることが相似象の目的なのです。
これから書くことは相似象には書いてなくて私の勝手な意見ですが、
今まで何も見えなかった人が他人のことや周囲の状況が見えて来ると
蓮月龍さんのように、驚くことになる。
これはまるで今まで闇の世界だった所へ光が射したようなものです。
旧約聖書にたとえればまず神が
「光あれ」と言い、その通り世界に光が満ちた状態に似ている。
相似象です。

ところがこれではまだ世界は完成していません。
Wikipediaより。
  • 1日目 原始の海の表面に混沌とした暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
  • 2日目 神は空(天)を作った。
  • 3日目 神は大地を作り、海が生まれ、植物が出来た。
  • 4日目 神は太陽と月と星を作った。
  • 5日目 神は魚と鳥を作った。
  • 6日目 神は獣と家畜と、神に似せた人を作った。
  • 7日目 神は休んだ。
他人のことが見えるようになった人は「1日目」に当たります。
多くの人がこの段階でこれ以上進歩していません。
自分のことが見えないくせに他人のことだけはよく見えて、批判するようになる。

近所の奥さんに相似象を教えたら、他人のことやその場の状況、見えない事情が見えるようになった。
その人は「今まで何も見えて無かった」と驚き、喜んでいたが進歩はそれで終わりました。
その人はそれ以後全く進歩していません。


重要なのは2日目からです。
2日目を「初めて自分のことが見えた段階」とします。
3日目からは、「自分のことが見えるようになった段階」とします。
6日目にやっと人間が登場している。
私の考えでは自分を見る訓練が充分為されて初めて「人間が登場した」、つまり「人間になった」と言えます。
2日目から6日目まで自分のことが見えると言っても段階があるのです。
さらなる精進を続ければ7日目には完成します。

1日目の、他人のことや周囲の状況が見えるようになった人も
自分のことが見えてないので、他人のことの見方は不完全です。
見ている方がまだ人間では無く、判断力が無い。
つまり心が低い段階でも他人のことは見えるのです。
ただし見方は低い段階から見た見方でしかない。
非常にに不十分で偏っています。
知恵も思いやりも無い。その結果ただ、批判的に見る、という状態になってしまう。
これなら何も見えて無い子供の方がマシです。

この考え方はどうでしょう?

或いは「ひふみ神示」でも良い。
ひふみ=123とします。
0=何も見えて無い状態
1=ひとのことが見えるようになった状態
2=初めて自分のことが見えた時点
3=自分のことを見ることが出来るようになった状態
上に書いたことは私の思いつきでたいした意味はありません。
分かり方の段階は別にミシュランの3段階評価でも学校の5段階評価でも
10段階評価でも良かったのですが、適当に旧約聖書やひふみ神示を引用しました。


とは言え。
他人のことや状況、事情が見えるようになったことは、闇の世界に光が射したことには違いない。
この段階(1日目)に到達した方は次の「自分のことが見える段階」に向けてさらなる精進を続けてください。
最初は見方が分からず大変でしょうが、一度でも「自分を見る」ことに成功すれば(2日目に相当)
後はそれを続けるだけです。(3日目〜7日目に相当)

<意識レベル判定は必要か?>(2009年4月11日)


必要か必要でないかと言えば必要ではないと思います。
では不必要か?と言えば不必要では無いと思います。
どちらでもないと思う。

次に「意識レベル判定は役に立つか?」と言えば「役に立つ」と思います。
自分の意識を意識化するための道具としては大変便利です。

たとえば「腹が立つと瞬時にレベル20」であると分かった人。
この結果に驚いていましたが、考えたら即、分かりました。
車を運転していて、自己中運転、乱暴運転をする人を見るとかーーーっ!となっていました。
(アレがレベル20か!)
と、この人は理解しました。
そしてこの怒りは「何人(なんぴと)たりといえども正しくあらねばならない」という、
正義感から発生しているのだと分かった。

そして「正当な」怒りを発生させている正義感について、考察しました。
その結果、
@自分で正当だと思っているが
A相手も相手なりのレベルでそれ(乱暴運転)を正当だと思っている
B判断力は人それぞれ違う
C下のレベルの者に上のレベルのコトを理解させるのは不可能である
D従って乱暴運転に腹を立てるのは、不可能なコトを可能にしようとするとことから発生している
E不可能は不可能である、と悟る


このサトリが身に付けば正義感から腹を立てることは減ります。
もっと進化すれば腹が立つことが本当に少なくなります。
感情を動かすより考えるのです。

この方を始め、レベル判定をしてもらった皆さんは自分の意識を意識するようになり
その結果、不要な感情が減りました。
これは「レベル200未満」の意識が減ることになるので、低い意識に普段の意識を引っ張られることが減る。
その結果、意識レベルの平均値が上がるのと、不要な意識が無いコトから
普段から冷静に思考出来るようになり、意識レベルの上限も上がることが可能です。

意識レベルは固定的なものではなく、謎の方が「その時」のレベルを読んでくれたものですから
それを活用しましょう。

<邪悪な人>(2009年4月9日〜続いています)


「人は叶う夢を見る」(リンク2)の記事(2009年4月8日)より。改行するなど、編集してあります。

基準値(悪)

テーマ:宇宙人話

ついでに我家の悪い人だねえという基準値は
「人を駄目にしてお腹の底で哂う人」
意外といる
私の母もそう 最近気が付いてへこんだが私基準で一番酷いタイプが夫の職場にいる
仕事場で「やっておくよ」 「俺に出来る事ある?」「何でも聞いて」と言って
実は人に仕事を教えない 育てない 依存させる

影で「あいつ駄目だね〜」と嘲り笑う
酷いときは「やる気の無いやつです」と上長に報告する
でも休憩時間やプライベートまで囲い込む 仲良しの振りして
もちろん経営など考えてないそしてそこに気が付く人間をひがむ陥れる

ウチの夫はがっつり陥れられた夫も馬鹿で判断力が無い部分があるし
兎に角妻の意見を最後に聞くという悪い癖があるので
しょうがなかったのだが(冷たい妻だ)一時期会社で口を利いてくれる人がいなかったらしい
でも「アンタねえそれやられちゃってるわよ〜」というと私に腹を立てるという洗脳されっぷり恐るべし悪い人

基準値(悪)其の2

テーマ:宇宙人話

夫が陥れられた
原因は悪い人に向かって
「変わりにやってあげてばっかりじゃ 仕事覚えませんよその人」と何気に言ったのと
夫と私は外国製のバイクに乗ってるのだ
心当たりはそれだけなのだが一時期 攻撃的な女性従業員に絡まれたり 総スカン食らったり
上長から「都会から(Iターンなんで)来たからってえらそうに」と
言われたり「息子さん大変なんですってね奥さんノイローゼ寸前ですってね」とか言われたり
(微塵もないんだがねそんな事 心労の原因は夫が9割だ)

悪い人暗躍 大活躍 後から判ったけれど
前もチラッと書いたが色々調べて上手にやり過ごす対人関係とか上司への
上手な報告の仕方とか教えたのだが夫 自分が妬まれたり 
苛められたり 陥れられた 経験が
会社組織の中ではあまり無いので
落ち込むばかり 使えねえよ 頭わりいよ夫(冷たい妻)悪い人って自分の手は汚さないのね 

基準値(悪)其の3

テーマ:宇宙人話

会社以外の人間関係を充実させたり趣味の時間を充実させて
夫は自分のペースを崩さずめげず誤解を自然と解いていった
私の協力があってこそだと思う感謝がないのが玉に傷だまそれはおいといて
悪い人は使い魔みたいに仕込んだ人物に今度は仕事上で振り回されるようになり

こちらまで手が廻らなくなった本当に普通の人なんである
普通の人だが
「気に入らない事を言った」
「俺より良いバイクに乗ってる」
だけで暗躍するのだ
だけど一つだけ普通ではない所があった(やっぱりここからオカルト方面へ突入)

準値(悪)其の4

テーマ:オカルト トンデモ話

私は脳が自閉脳なので髪型や服装を替えられると同じ人物かどうか
見極めが
出来なかったり時間がかかったりする
例外はライダー 「○○に乗ってる●●さん」というのは一発で覚える
悪い人もライダーなのだが私はどうしてもどうしても顔が覚えられな
もう3年以上も経つのに後ろの人が目隠しして「みたらいかん 関わったらいかん」
といってるに違いないということにしてある

そういう人、いますね。
当事者のご主人より奥さんの方がモノが見えています。
これは通常の家庭ではそうです。
賢い亭主とは・・・・・・・・・・・・・「女房はオレよりモノが見えている」ということが分かる人です。


さて、邪悪な人。
いますよね。
テレビで見たけど、トンデモ無く邪悪で馬鹿な奴がいた。
ある時、ある人が近所の人の写真を撮ってあげた。
そしたら、その人、目をつぶっていた。
それは目をつぶったその人の責任。

その後、写真を撮った人の家の前に生ゴミが散乱していたり、誰かが嫌がらせをすると
いう事件が続いた。
犯人は「写真を撮ってもらった時、目をつぶってしまった、近所の人」だったのです。
せっかくの写真なのにオレが目をつぶった時、シャッターを切った、というのが
生ゴミを捨てる理由だそうです。

世の中にはトンデモないのがいます。
獣の入れ物です。
そういうのが人間の格好をして「自分は正しい」と無意識に思って生きているのです。

上の記事の最後の方は、蓮月龍さんを守護する存在がやっているのだろうと思わせますね。
不思議なことですが、そういうことはあると思います。



今は獣が跳梁跋扈する時代。
もうしばらくの辛抱です。
<邪悪な人を読んで>(2009年4月10日)


Uさんから感想が来ました。

人間のいろいろの〈邪悪な人〉読みました。すごい人っていますね・・・
私も邪悪な人にやられた一人なので、「ああ、わかるわかる〜」って思います。

今思えば、社宅に住んでた頃、うちも外車を買ったことがありました。
私に嫌がらせをした彼女は、コンパクトな国産車に乗っていました。
外車はただ単に、主人の趣味でしかないのに(ホントはそんなに
お金があるわけじゃない)、そんなお金があるんなら、社宅を出て
いけば?っていう感じで嫌がらせをし始めたのかもしれませんね。

周りの人たちも〈全部とは言いませんが〉邪悪な彼女の言うことを
正しいと信じる人たちだったので、私は呆れて社宅を去りましたが、
本当に当時は邪悪な人が暗躍していたなあって思います。


邪悪な人は日本中、世界中にいますね。
低次の人間のことですね。
周囲の人間がそういう人に同調するのもどうかと思います。
でも、いるんですよね=!
そういう人に「居るな」「存在するな」と言ってもしょうがないので放置するしかありません。
いつか自滅するでしょう。
また、生きている間に悟れば良いがそうでは無い場合は魂にとって怖いことになります。
「魂(たま)の怖さは見当取れまいがの」とは日月神の言葉。
魂の怖さとは「粉も無きようになる」ことでしょう。

人間は死んでも自分というものがあります。
死ぬことは物質の身体から魂が抜けるだけなので、自分という意識は続いています。
それが「無くなる」とはかなり、怖いのでは?
そのような目に遭う人を見れば怒りよりも、憐れみが湧いて来ませんか?

<念の話2>(2009年4月7日)


下の方の記事(2009年3月27日)を読んで、
「思いは生きている」を買った方がいます。
ブログ「こころ」の英さんです。
英さんが「こころ」に体験談を書いているので、
それをここに転載させてもらいます。
2009年4月6日〜7日にかけて書かれた記事です。



またもう一人「思いは生きている」を読んで
ブログに抜き書きしてくれた方がいます。
「日月神示とともに」のあっちゃんです。
2009年4月19日の記事に「思いは生きている」が
引用されているのでご覧ください。
今、私の周りで起こっていることは
家族のものに話しても
何を言っているんだと一蹴されてしまうようなことです

けれど、
それは気のせいではなく
実際に起こっていることです


友人が闇の中へと行ってしまいました

それは2極化という言葉を目にするようになった頃だったと思います

一時は毎日のように会い、語り
この人は私のソウルメイトかもしれないと
思ったこともありました

けれど昨年末に
友人とこの先進む道が分かれてしまったことを感じました

連絡を取らない日々が流れ
ある日突然メールが来ました

このメールを受けたとき
ひとつの事件がありました

私の心の未熟さゆえのことでした
が、それもすぐに解決し

また、以前のように話せるときが来たのかな?と
そんな風にも思っていましたが
まったく逆の展開が待っていました

変わってしまった友人
霊能が開くことの恐ろしさを
間近で見せてもらいました


まずその友人の曲がってしまった念は
同じく霊能のある2人の人へと向けられました

その2人からお話を聞いて
初めて友人の低級霊化を知りました

2人は感じるが故に大変苦しい体験をされました

私はその話を聞いている時に
私にも友人の念がきていると言われましたが
はっきりと感じることができませんでした

が、それから毎日のように
肩にチリチリとする違和感と頭痛が始まりました

最初は何が起こったのかわかりませんでしたが
その2人霊能者の人に、「それが念なのよ」
と教えてもらいました

信じられないという気持ちしかありませんでした

けれど、振り返って思い当たる友人の行動に
もしかしてそうなのか?という思いが強くなりました

そんなことを思っていたら、その友人から
こんなメールが届きました

全てのものをシャットアウトして
1つの段階上がりました
その経過報告をしたいので
一度会いませんか?



この時、私自身予定が入っていて
しばらく会えないと連絡を入れて数日が流れました

2人の霊能者の1人は私の習い事の先生で
講習の時にまた一段とひどくなった友人の話を聞きました

私は、ミルラさんの浄化ロウソクで場の浄化と
ブラックソルトのお風呂に入って自身を浄化するなどの
今自分の出来ることをしていましたが
その時は楽になるのですが、
時間が経過するとまた肩への違和感がひどくなっていました


友人なのか
違うものなのか疑心暗鬼の心で
私自身が辛くなっていました


そして、今回の件を
まはるださんのクリスタルオラクルの占いを依頼しました



まはるださんに依頼した
クリスタルオラクル結果から


「友人が本当に低級霊化して私に念を飛ばしてきているのか?」

yes、noで言えばyesです。

5つの石がそれぞれ

アメジスト→「家族・友人」のライン上
アクアマリン→「家族友人」と「恋愛」のライン上
カーネリアン→「金銭」のライン上
ローズクウォーツ→「活動」のライン上
トルマリン→「金銭」のライン上

まず「金銭」のライン上に落ちたトルマリンが外側の目立つ位置に落ちましたので
警告と判断します。
トルマリンの「金銭」は幸運の波が高まっている状況を示します。

「家族・友人」のライン上に落ちたアメジストを見ます。
誰かこの件に関して味方があることを示します。

「家族・友人」と「恋愛」のライン上に落ちたアクアマリンを見ます。
アクアマリンの「家族・友人」は事をオープンにした方がよいことを示します。
アクアマリンの「恋愛」は大きな喜びを表します。

「金銭」のライン上に落ちたカーネリアンを見ます。
金銭に関しては恵まれていて、問題の解決も金銭がポイントになると示しています。

「活動」のライン上に落ちたローズクウォーツを見ます。
気分が高揚してくると出ています。


まとめます。
答えはyesなのですが一見吉兆の結果です。
しかしこの吉兆は質問内容から英さんということであると判断します。
ご友人から見ると英さんは金銭的めぐまれて見え、それを妬ましく感じている。
また、家族にも恵まれているように見える。
この方が独身かどうかはわかりませんが・・・

もっと違うものの見方、新しい生き方を考えればよいのですが、
念を飛ばすような思考に執着しているようです。

味方があると出ています。
これは念が英さんに飛んできていると教えてくれた人かも知れません。
この件は腹を割って話をする必要があるようにも出ています。

以上です。




まはるださんに今回の質問をお願いした時、
私は心のどこかでそれでもと思い

もうひとつ占ってもらいました


「低級霊がついたそのご友人を救うことができるか」

yes、noで言えばnoです。

5つの石がそれぞれ

アメジスト→「奉仕」のライン上
アクアマリン→「精神」のライン上
カーネリアン→「障害」のライン上
ローズクウォーツ→「反対」のライン上
トルマリン→「金銭」のライン上

に落ちました。

特に他の石よりも外側に落ちたローズクウォーツが目立ちますので
警告として判断します。
ローズクウォーツの「反対」はお祓いが必要であると出ています。

「奉仕」のライン上に落ちたアメジストを見ます。
人に尽くすようにと出ています。

「精神」のライン上に落ちたアクアマリンを見ます。
切り抜ける力があるとでています。

「障害」のライン上に落ちたカーネリアンを見ます。
今は結論を出さないようにと出ています。

「金銭」のライン上に落ちたトルマリンを見ます。
幸運の波が高まることが出ています。

まとめます。
ご友人に関しては結論を急いではならないようです。
また、お祓いなどをすることがよいようです。

英さんはこの事態を乗り越える力はあると出ています。
これは精神のラインということなので精神的なものだと思います。
また、サイト運営のことだと思いますが、
それをするようにと示しています。
スピリチュアルな仕事というキーワードがそのまま出てきましたので。
「スピリチュアルな仕事をする」「人に尽くす」ことが今英さんのするべきことのようです。
それによって金銭的にもめぐまれて(これは先の結果にも出ましたね。
英さんの金運が高まっているのだと思います)くると出ています。

以上です。




今回のクリスタルオラクルの結果は
まはるださんに詳しいことをお話していなかったにも拘わらず

今までの経緯や私の心の在り方
また、今後の友人への対応がしっかりと答えとなって出ていました

それでもと
友人を信じたかった気持ちは消えてゆき

それはそのまま
あんなにあった肩への違和感もなくなっていました

もしかして まだあるのかもしれませんが
気にならなくなったといったほうがいいのかもしれません



「今は結論を出さないように」

この件は時期が来るまで
私がきちんと見極めることができるようになるまで
保留です



そんな今日
こんな文章に出会いました


善い思いや悪い思いが個人に対して投射される場合には、
たとえこれらの思いが直接その使命を成就しようとする場合にも
思いは送られる相手のオーラの中に
その思いの振動に応じて共鳴することの出来る材料を見つけなければならない

どんな組合わせの資質も或る一定の制限の中で振動できるに過ぎない

もし想念形体の振動率がそのオーラの振動率と異なるとすれば
その想念形体は全くそのオーラに影響することは出来ない

従って想念形体はそのオーラからはね返される
(「思いは生きている」より)



今回の件は
元をただせば
私の中に友人が送っている念に
共鳴するものがあるということなのです

パンドラに出会う前は友人のことを
自由に自分の思うように振舞う様が羨ましかった…

少しずつそういった心は薄れてきていましたが
何とかしてあげたいと思う気持ちは
実は間違った思い
相手を立ち直らせたい=コントロールしたいということだったように思います

今 友人が霊能者である2人に送っている念は
コントロールしたいという念です

私の中にも
コントロールしたいという気持ちが隠れていると
まはるださんが指摘してくれました

言われてみればその通りでした

これまでしてきた
自分の心と向き合うこと
1つのことをそれが正しいと思っている時は
その心は向き合う範囲外に押しやってしまっていました

客観的に見れるもう一人の自分を作る

答えは確かに自分の心のなかにあるといいますが
気付くとき
1人ではなかなかたどり着けないものなのだと感じます


今回の件はとても勉強になったと思います
いろんな方のアドバイスがあったから
こうして今書くことが出来ることに感謝します

ありがとうございました



(以下、「思いは生きている」より)
想念体がオーラにぶつかった時の
エネルギーに対する最良の保護物となるといわれているのはこの為である

このような清いハートやマインドは精妙な材料のアストラル体、メンタル体をつくり、
これらは粗雑で濃密な資質を要する振動には応じることが出来ないからである。

もし、悪い思いが有害な意図で投射されて、
清浄なアストラル体やメンタル体にぶつかっても、
それははね返されるだけである。
しかもその悪い思い自体のエネルギーも全部もってはね返される。
そして何の抵抗もなく、
磁力の線を沿って戻ってくる。
まさに、逆戻りしてその思いを発した人を打つのである。

この人にはアストラル体とメンタル体の中に
自分がつくった想念体と同じ資質があるので、
同じ振動の中に投げ込まれ、
他人に与えるつもりだった破壊的な結果に苦しむことになる。

このようにして呪いや「祝福」は自分にはねかえって来るのである。

つまり「人を呪わば穴二つ」である。
悪い利己的な思いに関係のある粗悪な資質が人間の体の中に残っている限り、
この人は自分に対して悪感情を持っている人達から来る攻撃に自分を解放していることになる。

しかし、自己浄化によりこうした資質を完全になくしてしまうと、
この人を憎む人々は害を与えることが出来なくなる。

そうしてこの人はこの人達の敵意の槍先の中で静かに平和に進んで行くことが出来るのである。
だが、このような槍先を突き出す人々は不幸なことである。



パンドラで紹介された本です
書かれたのは1901年
今から100年昔のことです

人間は変わってきているようで
実は変わっていないのだと

二極化が進んでいる今を生きてゆくのに
必要である心が
この本にはあります
<まとめ>


よく皆さんが他人の念が来ている、怖い、と言ってますが、私は怖くないのです。
それはこの本を読んでいたからです。
今から15年ほど前かな?この本と出会いました。
とても面白い本です。

念は自分と同波長の念を探して彷徨う。
その念と異質の念には感応することが出来ない。
これが波長が合わない、ということです。

三次元の現実世界においては、異波長であったとしても、物質的には同じ次元にいるので
出会ったり縁が出来たりしますね。
でも、念の世界は異次元なのでそれは不可能。

私などはこのように言いたい放題書いているので、誤解する人の方が多いはず。
それでも怖くないのはこの本の御蔭です。
ただし、物質的には「絵をウソの住所で注文する人」や「未払い者」が出て来ますが
私にはそのようなことはどうでも良い。
そのことによって損害が出るのはそれをした人の方だからです。
(なので、相手のために「払いなさい」と脅すこともありますw
 一見893まがいの取り立てですが、実は相手にダメージが行かないようにしているのです。
 でも、ま、こういうのも通じる人と通じない人がいることはたしか。
 しかし大事なのは相手がどう思うかでは無く自分がどう思うかです。
 やるだけのこと(自分の責任の及ぶ範囲)をやったら、後は手放しています。
 相手をコントロール出来ないのと、相手のことは私の責任では無いからです)


さて。
上の英さんの場合。
英さんのような善人が堕ち入り易い思考と行動で、とても分かり易いので皆さんの参考になると思い、
掲載させていただきました。
英さんは無意識無自覚に、他人をコントロールしていたことが問題でした。
コントロールは別に悪いものではありません。
躾や教育も飛行機の操縦もコントロールです。
これが無ければ世界は闇となります。

悪いのは「無意識・無自覚」の点です。
意識してコントロールするなら良いのです。
ここらへんがたぶん分かりづらい点ではないだろうか?
殆どの人は自分の思考と行動を意識化(イマイマにキを入れること)が出来ないからです。

<除霊と浄霊の話>(2009年4月6日)


人に憑いてる低級霊を超能力、法力で取り除くのを除霊と言います。
取り除いたら、その霊はまたフラフラととこかの同波長の人に憑いたり、
また舞い戻って来てさっきの人に憑いたりします。
よく除霊ではダメだと言われるのはここらへんです。

浄霊は、憑いてる霊を言語で納得させて改心させ、逝くべきところへ送ること。
「迷える霊との対話」でウイックランド博士がやっていたことです。
この方法は良いのですが、言語で納得しない霊もいます。
この場合は有効ではありません。


M氏お勧めの写経は、迷っている霊にも成仏した霊にも効くそうです。
霊の思凝(しぎょう)を溶かすからだそうです。
霊の思凝を写経している人がいったん引き受け、浄化するそうです。
これは日月神が言う
「悪抱き参らせよ」の発想と似ていますね。
勿論迷っている霊や成仏した霊を悪と言ってはいませんが。

方法は般若心経を決められた枚数書きます。
一般に流布している書き方とは違います。
書いたものを決められた行法にのっとり、処分します。
指導者についてやらないと細かいところが分からず自己流ではダメなようです。


M氏が語るには、自分の父母が亡くなった時悲しいと思わなかった。
が、この行をした時初めて心の底から込み上げるものがあった、ということです。
悲しみというのでもなく、何なのか自分でも分からないようですが。

M氏の場合、お父さんは、まぁ、迷っているとして(笑)お母さんは霊界の高いところにいるそうですが、
それでもお母さんの行をした時に感極まるというか、不思議な感情の体験をしたそうです。

御母さんは魂が清らかで霊格も高い。
しかしM氏が受け継いだお母さんの部分があり、それはM氏の身体や心に残っています。
M氏の中のそれらの感情がこの行によって成仏したようなのです。
これは先祖のためにする行でもありますが、何より自分のためにするようですよ。

また、行としてはお経を水、火、土で浄めるそうですが特に火の場合。
成仏していない場合は燃え残ってしまうそうです。
M氏の両親のために書いたお経は燃え残ることはありませんでした。
特にお母さんの場合は勢い良く燃えて霊界の高いところにいる、という証拠のように見えました。
このことは一緒にいた霊能者が教えてくれたそうです。

浄霊のために高いお金を霊能者に払うのも良いけど、子孫が自分のためを思って
行をしてくれる方が先祖も嬉しいだろうし、何より行をする本人の心が浄化されるそうなので
この行はかなり良い方法だと思います。

4/11にはこの霊能者が伊勢崎に来て説明してくれるそうです。

<必要なお金>(2009年4月6日)


昔、多分今から20年ほど前になると思うが、生命保険会社か何かがアンケートを取った。

「あなたはお金をどれくらい欲しいですか?」

Aさん「必要最低限だけ欲しい、余分には要らない」
Bさん「うんと沢山、いっぱい欲しい!使いきれないくらい欲しい!」


「では、具体的な金額を教えてください。」

Aさん・Bさん「1億円」

さて、AさんとBさんはどちらが欲張りでしょう?

<良かった>(2009年4月5日)


リンク2→「人は叶う夢を見る」2009年4月2日の記事より。


世界自閉症啓発デー

テーマ:宇宙人話

世界自閉症啓発デー

なのです今日は
なので 自閉の皆さん
今日は一つ言っちゃいましょうよ
言えば実現する言霊の国の人ですもの

Open your mouth (口を大きく開けて)

Shout out with loud voice (大きな声で叫ぼう)

Do not be afraid Do not be hesitate(躊躇せず 怖がらず)

to the limited sky(限りない空に向かって)

Autism is happy(自閉はシアワセ)

Autism is funny(自閉っておもしろい)

Autism is excite(自閉はワクワクする)


I'm proud of autism
(自閉で良かった)


世界って付いてるから英語でも頑張って考えてみました


笑った!
これは何にでも使えそうです。

◆デブ(ブス・バカ・ちび・ハゲ・近視)で良かった
◆離婚して良かった
◆病気になって良かった
◆失業して良かった
◆騙されて良かった
◆貧乏で良かった
◆婆さんで良かった
など、様々なバリエーションでやれそう。


私も困難や嫌なことがあると面白がってしまう方なので
蓮月龍さんに賛成です。

<知恵・愚痴・言いわけ>(2009年4月5日)


リンク2→「日月神示とともに」(2009年4月4日)の記事に参考になることが書いてありました。

「真剣だと知恵が出る。
 中途半端だと愚痴が出る。
 いい加減だと言い訳ばかり。」

<見て分かる「ありがとう」の凄さ>
(2009年4月5日)

http://www.binchoutan.com/arigato.html

<生きることは修行・・・あるタクシードライバーの言葉>
(2009年4月4日)

Yさんが教えてくれました。

おはようございます。
私の尊敬するAV監督村西トオルさんのblogをご紹介したいと思
います。50%がシモですがご愛嬌を。
http://www.policejapan.com/contents/muranishi/20090121/
私も生きることは修行を肝に銘じます・・・

<死後の世界と意識>(2009年4月3日)

http://www.asahi-net.or.jp/~pa6c-isi/ekinikki200901.htm#tsugi

<羨ましがる人>(2009年4月3日)


妬む人ほどではないが他人のことが羨ましくなる人がいます。
他愛ないことなので、まぁ、そういう感情を抱いても良いとは思う。
でも、それも「時間とエネルギーの無駄」だと思う。
私なら抱かない。
抱いても意味が無い。

たとえば、よその旦那が羨ましくなる人がたまにいます。

今から20年以上前に友人Zから聞いた話。
Zの知り合いが
「Aさんのご主人、とても優しいんだって」と羨ましがっていたそうだ。

A氏は、陶芸家です。
なんだかロマンチックというか、ファンタジーな作品を作っていた。
小人が沢山いる風景、とか、そういう作品です。
(私の審美眼では、全く興味無し、眼中に無し)
当然そういうのは日用品では無く、芸術作品なので売れません。
当然貧乏です。
私なら
(Aさんの家はどうやって食べているのだろう?)と、現実的なことをまず考えてしまう。
Aさんに憧れている主婦は「A氏の優しさと貧乏」をセットで考えない。
良い点しか考えに入れず、羨ましがっているのでしょう。


他人を羨ましいと思ったことの無い私には、そのような(他人の旦那に憧れる)ことに
時間を費やすのは無駄、と思います。

他人のことを羨ましいと思えば「自分以外の他人の殆ど」が羨ましいのではないだろうか?
誰でも他人より恵まれている点や優れている点を持っている。
その良いところだけに着目して羨ましがるのは意味がありません。
一点を羨ましがるなら、それに付随する他の点、欠点にも着目しなくてはならないと思う。

◆Bさんのご主人、とってもイケメン!でも浮気ばかりしてるんだって。
◆Cさんのご主人、金持ち〜!でもチビでハゲでデブで不細工〜
◆Dさんのご主人、スポーツマンで男らしくて素敵〜♪でも仕事が長続きしない、今無職。
◆Eさんのご主人、東大出てるんだって!でも、凄いマザコンなんだって。

とか。

他に考えることが無いので、他人の持ち物(旦那も入る)が羨ましくなってしまうのでしょう。

子供も同様。
よその子供が出来が良いと羨ましがってみたり。
こういう母の子は気の毒ですね。

<妬む人>(2009年4月1日)


妬む人、いますね。
私は我ながら想念が悪いのですが(すぐさまブッ■す相談になってしまうところとか・・・)
他人を妬んだことがありません。
努力してそうなったのではなく最初からそうなのです。
これは自分の生まれつきの性質に感謝しなくてはなりませんね。
それから母に似たからだと思うので母にも感謝です。
<ベンツ>


私は他人がどんな車に乗ろうとそれはその人の趣味だと思うので何とも感じません。
私は私が選んだ車が大好きです。
ウチのベルタちゃんは50キロまでの加速が悪いのが難点ですが、50キロ以上の加速は実に優秀です。
だからまぁ、いいや。
そりゃ全てが気に入ってるわけではありませんよ。
ボディの長さと幅は今の2/3でいいし車高も2/3で良いと思う。
もっと小さくて良い。
私の理想の車ではありませんが、私が車をデザインするわけにはいかないのでこれでOKです。

何故世界の金持ちがあんなベンツなんてつまらない車に乗るのか理解しかねます。
私が金持ちだったら車をオーダーで作りますね。
自分でデザインした世界でたった一つの車に乗りますが。。。

ところが世の中にはひとがベンツに乗っているときーーーっと感情的になる人がいるようです。
そこで感情的になる必要はありません。
でも、他人がちょっとでも自分より優れている、良いモノを持っている、恵まれた環境に居る、というだけで
感情的になる人がいる。
妬みですね。
実に低次元です。

このように低い感受性でいながらアセンションも何も無いものだ、と思いますよ。
ハッキリ言って妬みの感情が湧く人は獣の入れ物(日月神)獣次元(相似象)だと言えるでしょう。
<妬む人>


で、世の中には妬む人がいるのですが、私は全く気にしません。
何故なら妬むという感情を全ての人が持つわけでは無いからです。
妬みの対象となっている人には何ら原因が無く、原因は妬んでいる人にあります。
なので、私には何ら責任が無いのです。

世の中にいる、妬む人の嫉妬心の対象となりたくないために他人が自分を妬まないよう、
画策する(気を使う)人がいますね。

たとえば、こんなことがありました。

近所の主婦の家に行ったら外車がありました。
友人はその外車を買ったことについて何か言いわけをしていましたが、それは無用でした。
何故なら私はそのようなモノ(外車のこと)には何の興味も無く、従ってそれに関する会話は
時間とエネルギーの無駄だったからです。
その主婦が自分が妬まれないように、いろいろと語るその無用さを思うと同時に
それに費やされる私の時間が勿体無くてなりませんでした。

頼むから「他人に妬まれないよう、言いわけをするのは止めて欲しい。私は妬まないから」と
これからは先に宣言しようと思います。
が、これも面倒臭いのです。
言いわけを聞くのも、宣言するのも面倒臭い。
どっちにしろ、面倒臭い。
だからこの世は苦しくないが面倒臭い。
と、いうのが私のこの世に感じる感想です。
<そういえば・・・>

妹も前の車は外車でした。
母親と妹で外車の店へ行き、気に入ったので買ったそうです。
(へえ)
としか感じません。
母と妹は自慢げで楽しそうでしたが、私に関係の無いことには全く興味がわかないので放置しました。
「うう女」だからかな。
http://www.nimaigai.com/pc/usausa/shinso/index.php?shinsonum=9
<他人が・・・>


要するに他人がベンツに乗ろうとリヤカーに乗ろうと(乗れないか)私に関係無いのです。
従って何ら感情を動かす必要もなく、そのまま過ぎて行きます。

それなのに世の中には他人がベンツに乗っていることが悔しくて妬ましくて仕方ない人がいるようだ。
その件に関してかける時間とエネルギーが無駄なのにね・・・
<不幸になる近道>


他人を妬むということは不幸になるには最短距離だと思います。
もう一つは「他人に甘えること」です。

妬みと甘え。

これを持っていたら最強です。
速攻で(心が)ヂゴクへ逝けるでしょう。
<改善するには?>


率直に言って「他人を妬む人」はTQ霊と化していますね。
なので同等のモノが憑いていることでしょう。
そんな自分に気づき、妬むことを止めれば自分がTQ霊から脱するので、憑いてたTQ霊も
離れて行きますが、心は簡単には変えられません。
まぁ10年かかりますかね。
でも、そんな悠長なことは言ってられない。
決意すれば数か月でも心は変わる。
今は見えない世界からの助けもあるようなので、変えるなら今のうちです。
<妬む人は成功出来ない>


私は酔狂な趣味があります。
他人が成功するのが楽しいのです。
素人が様々なことを悟りながら才能と能力を上げて行き、成功に向かって楽しく生きるのを
見るのが好きです。
これは子育てと同じです。


さて。
妬む人は成功している人を見ると感情的になり、悔しく妬ましい。
ということは。
そういう人は成功できるでしょうか?
だって、もし成功したら人から妬まれる存在になる。
だって、自分だったら成功した人を妬むんですよ。

自分が、成功した自分を妬む。

のです。

これは自分に「成功してはいけない」と、命令しているようなものです。
それに反して成功出来ますか?
成功すればするほど、自分の心が「あんな奴、きっとずるいことやったに違いない」と責めたてる。
成功するのは自分ですが、自分が責めているので成功出来ない。
頭では成功する、といくら理屈でインプットしても、それをPCが受け付けない。
PC本体は「成功してはいけない」と思っているからです。

これでは頭の思惑とは反対に、感情(身体の声)通りに失敗し、「妬まれない自分」を
顕現し、身体が勝利を納めるでしょう。
凄いな身体=潜在意識。

妬んでいる人。
決して成功出来ませんよ。
お気の毒に・・・
<バカなことに>


妬む人の中には
◆自分が持ってないモノ(物質に限らない)を他人が持っていると妬む
◆他人が持ってないモノを自分が持っているのに、それは数えない
という人がいます。

思考力が無い人です。

誰でも他人が持ってないモノを持ち、他人が持っているモノは持ってないのに。
比較の仕方が、大変頭が悪い。
思考力が無いという点がTQ霊の特徴ですね。

子供が居ない人でTQ霊が憑いている人がいるが、子供が居てTQ霊が憑いている人もいる。
◆自分には子供が居ない→悔しい、妬ましい
◆自分には子供がいる→独身の人が妬ましい、私も自由になりたい
とか。

自分と他人をこのように比べることには何の意味も無いのに、それが分からないほど
思考力が乏しい人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いますね。
不幸への早道です。
どんどん不幸になります。

どうぞ♪
(アタシには関係無い)



こういう思考の落とし穴に堕ちないためには
◆他人が持ってなくて自分にあるモノを数えること
ですね。
この時、低級な人は自慢したり、他人をバカにしてしまいます。
TQ化をさらに一歩進める人ですが、これは論外です。

◆自分には子供が居て良かった。おかげで家は貧乏、贅沢なんてのは夢だけど、
  でも子育て出来て面白かったな。

と、プラスに考えることが望ましい。
(某女優もポジティブ・シンキングで、旦那にマイナスな言葉を言わせ無かったそうですが、
 かなり低次元の捉え方です。
 ポジティブと言っても、それを受け取る人の心・感受性のレベルになります)


子供が居ない場合は・・・
◆ああ、子供がいなくて清々する。おかげで海外旅行にも行けるし夫婦だけでとても楽しい♪
  神様、ありがとう!
と、感謝すれば良い。

感じ方考え方の違いで天国にも地獄にもなる。
全ては自分の責任です。
他人や環境のせいではありません。
<再びベンツ>


私はベンツには何の興味もありません。
隣の家の人はベンツとVWのマイクロバスのようなのに乗ってますが、(モノ好きな)と思うだけです。
ウチに来る人がベンツが我が家の前に停まっているのを見て893と思って怖がるので
「◎◎さん、ウチに来る人がお宅のベンツを見て怖がってるんだけど」と苦情を言っておきました。
そのオヤジ
「ベンツたって今は国産の高級車の方が高いよ」と言い訳をしていました。
「それからお宅のバスみたいにデカイVW、邪魔」
「悪かったねw」
まぁ許してやるけど。
<自慢の裏返し>


記事を読んだYさんから。

>頼むから「他人に妬まれないよう、言いわけをするのは止めて欲しい。私は妬まないから」
>とこれからは先に宣言しようと思います。

面白すぎて御昼ごはんを吹き出しそうになりました。
言い訳をするような人は、妬まれなかったらそれはそれで面白くないでしょう。
こんな良い車買っちゃった→みんな羨ましいに違いない、
と思考する時点で本人も妬む人なんでしょうね。


多分ね・・・

本当は自慢したい。でも、それをあからさまに自慢すると、相手からバカにされたり嫌われたりする、
なので、自慢心を隠しつつ、自慢する、と。
ああ、面倒臭い。

昔ある人と電話で会話した時。
その人は金持ちだった。
で、金が有る話になったら、言いにくそうにしていた。
多分、自分が自慢していると思われたくなかったのか、妬まれたくなかった。

でも、私は「他人がどんなに金持ちでも、私とは無関係なので何の感情も湧かない」のです。
その人が私に「if さんに500万円あげますよ」と言えば、私と関係あるので嬉しいです。
でも、金持ちの人は大抵ケチなので、そういう展開にはなりませんね。
いったい、何なんでしょうね?
金持ちが金が有ることを言いにくそうに言う、というこの回りくどさは。
私と全く関係の無い話に付き合う趣味は無いので、時間とエネルギーの無駄なのでこういう会話は
本当にしたくないです。
<邪眼>


エジプトでは妬みを避けるということが常識なんだそうです。
たとえば、他人が良い家に住んでいる、良い車に乗っている、子供が可愛い場合。
人はその人の持ち物や子供を褒めないのです。
褒めるとその邪念が褒められた人に来ると言われています。
とても羨ましそうな顔をするのもいけないそうです。
特に目つきが(いいなぁ!)(羨ましい!)という表情になるとまずい。
それを
邪眼という。
(この思想は西欧にもあります)
だから、どんなに良い家や車や可愛い子供でも、ひとは褒めないそうです。
うっかり褒めて後で家が火事になったり、車が壊れたり、子供が怪我や病気をしたら
褒めた人の責任になるのだそうです。
これも妬みを避けるための風習ですね。


妬みというのは世界中にあるようで、ウイックランド博士の本「迷える霊との対話」には
職場の人の恨みを買ってしまった、ひとも羨む幸せな家庭の奥さんが何の理由もないのに
無意識になって、念に操られて自殺した例がある。
この人は死んでしまってから、自分は何んということをしてしまったのか!と、驚き
迷える霊となってしまいました。
このようなことがあるのでウイックランド博士達は迷える霊を救うために何千ものケースを
解決したのです。

妬まれる方も災難ですが、
妬んだ方は確実に自分の霊性を落としている
魂はどんどん低級化していることでしょう。
自分が妬んでいることを自覚したら、改めることです。
でも、普段の思いが妬みモードになっている人には「それが普通」「それが通常」なのです。
自分が妬んでいることを自覚することが難しい。
相似象では「自分の中にもう一人の自分を持て」と言います
自分の思考と感情を常に見張る存在が必要です。
自分を客観視せよ、ということです。

しかしこれが出来る人は少ない。

<ヲサの人>(2009年3月30日)


相似象では高次の人間を「ヲサ」と呼びます。
判断力が有り、しかも苦労を背負い込める人のことです。
人口の7%はその素質の有る人が生まれてくるそうです。
(ただし、その素質の有る人が全てヲサになれるわけではなく、心の訓練をして潜在アワ量を波動量に
  変えなくてはならないそうです。
  それは大変難しい。何故なら方法を教えてくれる人がいないし、導いてくれる人が居ないからです。
  なのでせっかくヲサの素質に生まれても、それを巧く伸ばせずに心を病んだりする人が多いのだそうです。
  勿体ないですね)


PANDORAのお客さんにはヲサの素質の有る人、つまり少数者が多いように思いますよ。
私は判断力はまあ有ったとしても苦労なんか背負いこむのはゴメンなので、少数者ではありません。
多少アワ量が有り、それが波動量(思いやりのある判断力)となっていても、
苦労を背負いこむタチでは無いので、ヲサではありません。

M氏のような、他人の世話に奔走していてしかも相手の分からなさに腹を立てることもなく、
面倒を見られる人はヲサの資格の有る人と言えます。

閲覧者のTさんが2ちゃんねるでヲサを発見したそうで、報告してくれました。
<Tさんの報告>


こんばんは、Tです。
「育児板拾い読み@2ch」というサイト(http://ikuzi2.blog73.fc2.com/)にいい話があったので転載です。
こんなカッコイイひとになりたい!と思いました。
Kさんも、きちんとしなきゃと思ったこの人もすごいと思います。


苦笑しながら話してた
2009 / 03 / 25 ( Wed )
日本びいきの外人を見るとなんか和むpart115
changi.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1237610812/l50

446 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2009/03/24(火) 21:13:18
ID:jimJwDng
ちょっと前まで某中東の国に電線を引きにいってたんだが、
そこの現地人の人たちが凄かったんで書いてみる。
  
まぁ何が凄いってね、その人たちねすげぇ整然としてるの
んでもってそんな偉くないんだけど、滅茶苦茶なんか尊敬されてるの俺

なんでだろうと思って元受の会社から派遣されてる通訳さんに聞いてみたのね
そしたら俺の前任の人が凄かったのよ

Kさんにしとくんだが、まぁこのKさんが凄かった

まず現地の人間に朝礼をさせるようになったの。
もちろん朝礼なんざ向こうではやらないから、最初はぜんぜん集まらないの

でもKさんは来ない人たちの家にいって一人一人説得していったんだわ
朝礼っていうのは面倒なものだが、安全の為やらなにやらで必要な物なんだよって

で3週間ぐらいで全員が仕事始まる30分前には揃って朝礼ですよ
これがどれくらい凄い事か分からない人もいるかもしれないが、マジで凄い事です。


でこのKさんの凄いところはまだまだある
簡単な仕事を現地の人間に任せるなんて使い方しなかった
とことん使ったの。でもちろん出来てなかったら容赦なくやりなおせた
お前なら出来ると思って任せてる、やり直し

そんな風に現地の労働者を使う外国企業なんて無いらしい、現地人はこれで発奮というか
やる気みなぎったらしい。自主的に残業してまで仕事をやり終える人間まで出る始末


あり得ない、マジあり得ない。
対立してる部族同士の連中もKさんの前では絶対に争わない。


450 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2009/03/24(火)
21:14:40 ID:jimJwDng

で更に凄いのはこのKさん、電線が対立する部族の境界線を通るという話しで
色々揉めてるという話しを聞いて、日本酒の一升瓶もって対立する部族の族長二人と
会合ひらいて話を付けた

漫画かよと思ったが、一緒に連れて行かれた通訳はAKもった人間に囲まれて
族長二人とKさんが日本酒飲んで最後には握手する現場を見たと真面目な顔で言って
た。

そんな事になったら現地の新聞に載るだろ、とか言ったら
地元の新聞記者が取材に来たらしい。Kさんハンパネェ
でもKさんは仕事の邪魔だって言って追っ払った、カッコよすぎ。

現地の労働者が事ある毎にKさんはKさんはと俺にKさんの凄さを語る。

いわくKさんは現場で一番偉い人なのに一緒に汗水流して働いた。
出身部族で判断せずに個人の能力で見てくれた。
俺の息子の腹痛を魔法の薬で治してくれた(正露丸です)
Kさんの現場では死人は一人も出てない、怪我人も軽い打撲と擦り傷が数名しかいな
い。
俺の妹の旦那が暴力を振るうって相談したら一日で改心させた。

と続々Kさん伝説が出てきた。何者なんだKさん。

というかそんな凄い人間の後任なのか俺と思いながら頑張って任期を勤め上げた。

帰国後ひょんな事でKさんと会ったが、眼鏡のひょろいオッサンだった。
一番気になってた部族同士の話し合いの事を聞いたら

「いやぁ町内会同士の争いみたいな物かと思って」

と苦笑しながら話してた。あんたマジハンパネェよ。


このサイト、いい話がいっぱいで元気が出ます。正露丸効くんだ(オイ)!
アワ量の多いサヌキのヲサというのはこんな感じなんだろうなあ、と勝手に想像して
います。
では。



日本人にはKさんのような人がたまにいます。
戦時中にもいました。
朝鮮半島で小学校の教頭をしていた人の話。
彼は現地の子供も日本人の子供も差別をせず、可愛がっていたそうです。
でも、校長は毎朝朝礼で「朝鮮人がいかに劣等人種であるか」を語っていたそうです。
それを教頭は硬い表情で聴いていた。
戦後その小学校に居た人が大人になり、教頭先生に会いに来たか、同窓会に呼んだそうです。
朝鮮民族は心優しい人が多いのではないかな。
儒教の国なので恩義に報いるとか、目上の人を尊敬するという美徳があるし。
いい話です。


もう一つ。
今から10年ほど前に船長は日本人、乗組員はフィリピン人の漁船が難破した。
海の上を何日も漂流しました。
その時、船員は日本人船長を殺して食べる相談をしていた。
日本人船長はフィリピン人船員をなんとかなだめてまとめ、最後には救出されました。
波動量が大きかったからやれたことです。

日本では当たり前のように居る、普通の人が外国では傑出している、ということも言えます。
それほど日本人の波動の平均値は高いのだとも言えます。
「パワーかフォースか」でも日本人の平均値は高いと書いてあったと思います。
またエハン・デラヴィ氏(本の訳者)が日本人の波動をキネシオロジーで測ったところ、
やはりとても高かったそうです。

私達日本人はもっと自信を持った方が良いと思うな。

<叱られるために>(2009年3月29日)


今から20年近く前に読んだ雑誌か何かに書いてありました。
或る料理研究家(女性)の言葉。


「私は毎年梅干しを漬けます。
梅干しを漬けると失敗することがあります。
私はその時、梅干しに叱られているのです。
家庭の主婦は叱られることがありません。
叱られるためにも私は梅干しを漬けるのです。」


なるほどなぁ、と思いますね。
悟るには相似象は便利だけど相似象を知らなくたって、賢い人はちゃんと悟れる。
物事を良く見て考えれば分かる。
この料理研究家の言葉は深いですね。



今から20年ほど前に私も梅干しを漬けたことがありますが、
塩漬けの時点でカビが生えたので一度で懲りて二度とやりません。
あれはこっぴどく叱られたのかな?

<女性性と男性性2>(2009年3月29日)


下の記事は主に「自分の女性性を嫌って、問題が起こっている女性」について語りました。

人間はどちらの性であっても、女性性と男性性を持っています。
どちらに偏ることもなく、バランス良く発揮することが望ましい。
また、出来たら女性性と男性性のレベルを上げることが望ましい。


「女らしくしなさい」と、言われたのがもし、私だったら頭の悪い頭人間なので
(どういうのが女らしいんだろう?)と、「悪い頭で考えて、それでも良く分からないので放置」されたでしょう。
だって考えても分かんないし。
この時「女らしくしろと言われた」と、それだけで感情的になり傷つく人がいます。
(こういう人は「あら、痩せたわね」と言われて「じゃ前は太ってたってこと!」と怒り
 「太ったわね」と言われて「し、失礼な!あんたよりマシよ。何よあんたなんかまるで豚じゃない!」とか、
  どんどん一人で拗れる人がいます。女性の中の頭とタチの悪い人です。半数はいるかもしれません)


上の、タチの悪い人ほどでは無いが
女だから女らしく・・・と、言われて育ったので女性性が歪んでしまう人がいます。
同じことを言われても歪まない人がいます。
受け取る方のタチや波動の高さによって、差が生じます。
「嫌なことを言った相手」のせいには出来ません。
歪んでしまうのは、受け取る側に問題がある。
つまり「相手の言葉をそのまま受け取る能力」に歪みが生じているのでしょう。

その歪みは生まれてから生じたものだそうなので(高橋信次)生まれてからのことを思い出し
一つ一つ検証し、反省しなさい、と言ってます。
「だって悪いのは親じゃん!」と、ここで反発すればそれで終わりです。
歪んだ女性性はそのままです。
長年の歪みがガンを発生させるかもしれません。


歪む人と歪まない人がいる、と書いたが
◆大きく歪む人
◆歪みが少ない人
がいると思います。
全く歪まない人はいないでしょう。

同じ言葉を受けても受け取る方のタチによって違ってくるのです。
そのようになってしまう原因は生まれてからの生育歴にあると言えるがでも、
◆歪み易いタチ
◆歪み難いタチ
が生まれつきいます。
なので、歪んでしまった原因は
◆生まれつき歪み易いタチに生まれて、その上家庭の環境が悪かった
ケースだと思います。



また、男性も「ここまで来い」「かくあるべし」の男性性だけを伸ばしたようなのがたまにいます。
オヤジや爺いですね。
これも間違ですね。
何故こうなってしまったのか。
◆自分の父親のコピーをしている。
◆社会が洗脳した結果
◆タチ

ですかね、他にも原因はあると思います。
こうなると他人の言うことを聞かないので(だって受け入れる能力であるアワ、感受する能力であるアワが無いので)
人生がどんどんおかしくなって行きます。
本人に悪気はなくても結果がまずいことになりますよ。



男性も女性も自分の心にある女性性(アワ)と男性性(サヌキ)を、ともに発揮させ、
少しでも能力が上がるよう生きるのが良いと思います。
ちなみに、男性性に偏った上の爺さんのような人は「女が書いたもの」など読めません。
従ってこのサイトは読めないことになってます。
人生の半分を知らない人達です。
また、女でもPANDORAを読めない人はいますよ。
こちらの方は男性性が足りない人です。
論理的に思考出来ない人には読めないで感情的になる、感覚的に気モチ悪くなって終わりです。

PANDORAが読める男性は心が有るタイプが多い。
従って私より皆さん優しい方ばかりw
優しさを比較すると

アワ男>サヌキ女

ですからね。


男性が成功しようとすると、上の爺さんのようにサヌキ(勿論低次元)を発揮して、自分の考えだけでやりがちですが
それでは成功は出来ないばかりか、先(将来)へ行って大きく失敗して終わるのです。
(このような例は世の中に沢山あります)
女性のように心優しく感受能力があり、しかも男性並みの論理性を持っているのが理想です。
そして身体が男性の方は必ず成功出来ますから諦めないで、サヌキアワのサトリを身につけてください。

ちなみに「倫理研究会」でも、同じことを説いていますよ。
或る潰れそうな会社の社長が倫理研究会の勉強会に出て、指導者に叱られた。
社長は悔しかったが、会社を潰したくないので我慢して指導者の言うことを聞いた。
(たぶん生まれて初めて他人の言う言葉を本気で聞いたのだろう)
社長は指導者が言う通り、やってみた。
それは
「社長は男の身体に女の心(頭)」を実践したのです。
これはサヌキアワでも説明出来ますね。
(このように相似象で言ってることは、秘儀でも何でもない、当たり前のこと)
その社長は見事会社を立て直しました。
その日からコンニチまで「社長は男の身体に女の心(頭)」と、唱えているそうです。
(※相似象で言う心とは「頭の有る心」のことです。物事を分かることが出来る能力を持った心のこと)

PANDORAは男性性と女性性どちらに偏ることもないようです。
これが読める人なら人間性(性格)はそのままで、能力を上げていけば良いと思う。

<女性性と男性性>(2009年3月27日)


「女性性と男性性の統合」とか、そういうのに意識が向いている人が多いですね。
OSHOもそういうことを説いていました。
その教えは良く知らないのですが、相似象と似たような感じだったので間違いでは無いと思います。
が。
そんなに意識しなくてはいけないものなのかな、はて。
その件に関して意識が向く人の意識が私にはどうもわかりません。
「自分が女性であることについて嫌悪感を持っている人」が、そういう考え(女性性と男性性の統合など)
に意識を向けるようです。

私は子供時代、親から性差による差別を散々されたので、男だったら良かった、と思っていました。
それほど強いものではなかったけど、長女だったので家事の殆どをさせられ弟妹の面倒を見させられたり、
母親が弟には学習机を買ってやったが、私には買ってくれなかったので自分で買ったりとか。
家が事業をやっていたので父親からしょっちゅう
「おまえが男だったらなぁ。」と、残念がられたり、とか。
(すぐ下の弟はとてもおとなしいアワ男だったのと、この業界喧嘩が強くないとやれないので)

私は長子なのと下に3人弟がいるので「国立大学」しか進路が無かった・・・それはいいでしょう。
でも、大学受験時、家の暖房設備の音がうるさくて寝付けず母親に「暖房がうるさいので止めてくれ」と訴えたら
「来年は弟が受検なんだよ!」と叱られたことなどは頭に来ましたね。
これから受験するのは私なのに何で「来年の」ことを言い出すのか。
しかも大学へ行かせたいのは「子供を良い大学へやるものだ、という洗脳受けた親のため」だというのに。
何で来年の弟のことをここで持ち出す?
はあああああああああああ?
でした。


今思えば私の親の世代は「殆ど思考力は無い」のです。
なのでその場その場で思いつきで感情のままに発言する。
自覚症状はありません。
PANDORAのお客さんの親にも多いようですね。
思考力が殆ど無い親の言葉をいちいち本気に受け取るのは止めましょう。

子供時代は親に振り回されますから、こういうバカな目に遭う。
しかし今は大人になったので(ああ、親は何も分からない人間だったのだ)と、理解出来ます。

女性性と男性性の統合に意識が向く人は何かしら原因があるはず。
それを意識化し、その件を解消した方がいいでしょう。
しかし。

女性性と男性性とはアワとサヌキで説明がつきます。

子供や他人の世話をうるさいほど焼く人はアワ(女性的)なサヌキ(行動)を発揮しているのです。
一見、面倒を見てあれこれを行動するのでサヌキですが、アワなサヌキを発揮しているのです。
心がサヌキの人(サヌキ人間)は他人の世話などしません。
低次元なら苛めるし、ちょっと高次なら「ここまで来い」と訓練します。
相手のレベルはそのままで「世話する」というのはやりません。

また
子供や他人を放っておいて失敗させ学ばせる人はアワ(心)がサヌキ(男性的)なのです。
一見、何もしないのでアワに見えるが中身(心)が違う。
男性性を発揮しているのです。

このように相似象で説明出来ますから、感情的にならずその都度考えてみましょう。


ちなみにウチの旦那。
子供の世話をあれこれと焼きたがり毎朝息子の弁当を作っています。
アワ(女性的)なサヌキ(行動)です。
私は、
「高校生なんだから弁当くらい自分で作れ」と言って一切何もしません。
これがサヌキ(男性的)なアワ(心)です。

本当は教育のために本人にさせるのが良いのですが、旦那が世話を焼きたいので勝手にさせてます。
これはアワです。
旦那がやりたいことをさせているのは私がアワ性を発揮しているから。
サヌキなら「自分がしたいことを押し通す」ので、旦那に弁当を作らせないで「止めろ!」と怒鳴ります。


人はその都度、状況によってアワとサヌキを使い分けているのです。
なので、女性性男性性と言っても固定的なものではありません。
という考え方をするのが相似象なのでOSHOの説とはちょっと違うと思います。

OSHOの説はOSHO個人の考えで、相似象は古代人の知恵です。
「そんなにサヌキじゃifさん男性的で困ったことありませんか?」
という疑問が生じるかもしれません。
でも、私は自分の女性性に嫌悪感を抱くことはなく、生理もお産もとても軽かったのです。
頭が悪いので・・・というより、サヌキなものですから考えてもしょうがないことをいつまでも考えるとか
解消できない心のマイナスな感情(怒り恨み妬み悲しみなど)があまり無いのです。
若い頃は親への恨みがあったことはあったが、身体に影響するほどではありませんでした。
やはりアワな人より感情が拗れることが少ないのではないか。
そして恨みや怒りは隠さず表現(意識化)するので身体に潜伏しないようです。

(女に生まれて損をした、だから嫌だ)という思いを長年抱けば女性性の最たるものである器官を痛めるでしょう。
つまり子宮がんとか乳がんですね。

私はポジティブシンキングなのと(たとえ悪くても)頭人間なので、
女に生まれて損をした面もあるが得をした面もあると理解しています。
今の世の中、男に生まれていれば良かったということがあるだろうか?
文章にしてみると良いでしょう。
それほど無いと分かるはずです。
私は男性は大変だな、ご苦労様、と思いますよ。

女は損だ、つらい、苦しい、男に劣るなどは
「殆ど思考力の無い親世代」から教え込まれた洗脳だと思うべき。
私はここで女の方が男に勝るとは言いません。
両者は比較出来ないものではないだろうか?
或る分野では男性が優位だが、或る分野では女性が優位です。
比較することに意味が無いのです。
そんな暇があるなら他のことをしていた方が良い。

親の世代の考えを変えることは出来ません。
そう思いこんで信じ込んでいるからです。
彼らのことは放っておきましょう。
説得は不可能です。
他人のことよりまずは自分がしっかりとした意識を持ち、ちゃんと思考することです。

<念の話>(2009年3月27日)


Nさんから。

パンドラの壺、怪我・病気の掲載見ました。
 
シュタイナー理論のBや、他人の念が来るというのはあると思います。
私も何年か前に特定の人の念にやられて、
その時は喉のチャクラあたりに反応したのか
数か月も咳が止まらず困ったことがありました。
でも、今思えば、その時の相手の念を受信してしまったのは
相手のレベルに合わせてしまった自分なんですよねー。
四方八方に放射されてる念を拾ってしまうのも、
結局その時の自分の想念が悪いとか
波動を下げるようなことをしているから
キャッチしてしまうのではないかと思いました。

Nさんが思っている通りだと思います。
他人の念をやたら怖がっている人がたまにいます。
でも、念とは所詮念です。
物理的にどうこうされるわけでは無し。
念をやたら怖がる自分の「念」が、怖い念を呼んだり、
同波長だったりすれば怖いことになりますよ。


これは面白い本です。
念が見える人が複数いて、彼らが念を図式化した本です。
シュタイナーの理論の流れを汲んだ人達なので
精神レベルの高い霊能者達です。






<インナー・チャイルド>(2009年3月23日〜2009年3月25日)


インナー・チャイルドの私流の定義は
「本人が子供時代に心が傷ついたが、言語化意識化出来なかったために
その不満足で悲しい残念な気持ちがあり、それを意識化することなく大人になった。
しかし心の中には子供時代の傷が存在している。
それを意識化して癒さない限り、本人を脅かし人生を狂わせるモノ」
です。

たまに
「私にはインナー・チャイルドがありません」と言う人がいます。
インナー・チャイルドは本人が気づくまで居続けるのです。
気づいたらそれは既に「インナー・チャイルドでは無い」と言いますね、私の場合。
「居ません」と言う人は気付いてない可能性が高いのであって、
100%「居ない」「無い」ということではない、ということをまず理解して欲しい。
<K子の例・・・どんな小さなコトもインナーチャイルドになる>


この間K子とkarenがウチに遊びに来ました。
その時、子供時代の遊びの話になりました。

「花いちもんめ」という遊びがあります。
「いちもんめ」というのは「一匁」でしょうかね。重さの単位でしょうか、意味が良く分かりませんが。
子供が二組になって向かい合い、お互いに歌いながら仲間を増やしていく遊びです。

「勝って嬉しい花いちもんめ♪」
「負けて悔しい花いちもんめ♪」

「あの子が欲しい」
「あの子じゃ分からん」
「相談しよう」
「そうしよう」


相談しながら次に仲間にしたい御互いに子供の名前を言うのです。

「●ちゃんが欲しい」
「×ちゃんが欲しい」


●ちゃんと×ちゃんがじゃんけんをする。
●ちゃんが勝つと●ちゃんは今までのグループに居られるが×ちゃんは罰として
●ちゃんのグループに入ります。

そうやって遊んで行くと「名前を呼ばれない子」というのが出てきます。


K子は花いちもんめでよく遊んだそうです。
私が
「だけどさ、最後になって二人だけになったりすると名前を呼ばれないと悲しいね」
「うん。次呼んでもらえるかな?と思ったりね」
「で、最後の一人になったことある?」
「あるよ〜」

karenと私で大笑い。
次に名前を呼んでもらえるかな?と思ったのに呼ばれなかったら、そりゃ傷つきますわいなぁ。
笑い過ぎて涙が出てきました。
K子も笑いながら涙を流しています。

子供の遊びは「他人に気を使う」ということが無いので残酷な面がありますね。
でも子供はそうやって少しづつ傷ついたり苦しかったり悲しかったりしながら
心を作っていく面もあるのです。

しかし呼ばれるかな、と思ったのに呼ばれないで最後の一人になったら悲しいです。
その悲しさはたいしたことでは無い、と思うのは大人になった自分です。
大人の自分なら大抵のことは大丈夫になっているのです。
それは子供時代に少しづつヒドい目に遭い、心を鍛え育てて来た結果だからです。
大人の目で見たら「殆どのことはたいしたことない」んですよ。

でも、
インナーチャイルドとは「自分の子供時代の気持ち」なのです。
それを大人になった自分が「あ〜〜、そんなコトたいしたことないよ」と言うのは間違い。
それが間違いです。
「子供時代に自分はどう、思ったか、そしてそれを言語化出来ずに大人になったこと」
が問題になっているのです。

K子は涙を滲ませながら大笑いをして言いました。
「私もインナー・チャイルドがあったんだねぇ。
 でも、今こうしてハッキリさせることが出来たのでいいんだね?」

そうだよ、K子。
そうやって話のついでに思い出し、当時の自分の気持ちを再現して行くことは
インナーチャイルドの癒しになります。
これでひとつ、K子のインナーチャイルドが昇華しました。
一つ、クリアになった。

これを続けて行けばいいんです。
<アワな人のインナー・チャイルド>


次は優しいアワ人間、Aさんのインナー・チャイルドの話です。


Aさんは子供も居て立派に主婦をやっているんだから、
もうちょっと自分に自信を持ち、どっしりと構えるといいね。
 
 
自分に自信を持つことを他の方にも言われています。
ifさんにも今そう言われて、
 どうしてこんなに自分に自信がもてないんだろう?と考えていました。
 
私、インナーチャイルドは無いと思っていました。
両親に愛され、普通の幸せな家庭で育ちました。
でも、じゃあ なんでこんなに自信の無い自分ができたんだろう?
と少しずつ年代をさかのぼって、思い出しながら考えましたら出てきました。
 
小学校の頃です。
自分の思うようにしていて、
気付くといつの間にか回りに誰もいなくなっていてひとりぼっちだったこと。
みんなに合わせるとまた仲間になるのですが、
自分のペースでやるとやっぱりはみ出しちゃう…
それが中学高校と何度か体験して、
自分を出さないようになっていったなぁと。
 
自分のやりたいことをすると他の人から浮いてしまって
だんだんと自分に自信がなくなっていったなと…
 
今に思えば、そんなたいした事ではないのにと笑えるのですが。
 
自分に自信をもてない原因はここら辺にあるんだと気付きました。
 
心のブロックを外すと言葉では簡単に言えますが
手で外す訳にはいかないし、
意識の世界で長年覆ってきたものをはがしてゆく作業です。
でも、その剥がす方法は
今少しずつ見つけて行っている途中であると感じています

アワ人間は心の中にいろいろ溜めてしまいますね。
サヌキ人間なら感じないようなことも感じてしまうし、それを表に出すこともしない。
なのでその感情はクリアにならないのです。
サヌキ人間より厄介です。

Aさんは「自分に自信が無い」という言葉からその原因を探りました。
原因の一つが明らかになりました。
他にもあるかもしれないので折りにふれ、考えてみましょう。

さらに「自信の無さ」が原因となってその後いろいろと困ったことが発生したはずです。
それも思い出してみると良いでしょう。

幸いBSWがその手助けをしてくれます。
じゃんじゃん飲みましょう。
<周囲の大人の心無い言葉が原因になったケース>(2009年3月24日)


こんばんは^^
Sです。

参考になるかどうか分かりませんが・・・・・・
自分の思考の癖を克服することに関しての考察です。

自分が、嬉しい感情の表現が下手。
というか出来無い、どう表現していいか分からない。

ということから、何故か?を考えました。

子供の頃に一旦、褒められて喜んでいると
その後に、ドーンと落とされるという体験が何度かあって
とても傷つきました。
記憶しているだけで3回。

一度はクラス全員の前で
これはかなりショックでした。

小さい頃から絵を描くのが好きで
暇さえあれば描いてました。
大人や同級生は上手だねと褒めてくれました
絵画教室にも通っていて楽しかったです。

中学に入って美術の授業があることを楽しみにしてました。

その美術最初の授業でクロッキーを描くことになり
ルンルンしながら描きました。

描き終えて提出すると
私の描いたクロッキが先生に紹介されました

悪い見本で!

線を何本も描き
そこから本線を探り出すように描いたのがいけなかったようです。

良い見本は一筆書きのように描かれたものでした

単純に絵が好きで描いているので
本来は人の評価なんてどうでもいいと思いますが
子供だったので?傷つきました

調子に乗ると痛い目に合う
褒められてもそれは煽てられているだけ
もう、あんな思いはしたくない

褒められても信じるな
期待するな。

嬉しいと感じても
これは嘘だと思い
嬉しい気持ちを感じることをシャットアウトしていたら

嬉しい表現をどうすればいいのかが
分からなくなった。

と自己分析しました。
で、原因をつきとめれば、対処方は見つかります。

これは喜びの感情の表現が分からないということを元に思考してますが
「自信が持てない」ということにも繋がっています。

素直に喜びを表現して
その後、否定的なことを言われても

「だから?」
と切り返せるように
アワな人は、サヌキの「で?それがどうかしましたか?」的
ズッパリ切捨て御免方式を取り入れ
人の評価を気にしすぎるのはやめましょう
な〜んて思いました^^



これは本人が記憶している例です。
記憶している場合は、記憶していない場合よりも心が苦しい。
でも苦しさが表面化しているのでそれは徐々に解消(浄化、昇華)されているとも言えます。
それでもこれだけ人生に悪影響を及ぼしてしまう。
これが無意識の分野に傷が出来た場合はどれほど人生を狂わせるか分かりません。
怖いですね。

Sさんのように心の姿勢を「インナーチャイルドを癒す」と決めて日々生きると良いでしょう。
まず決める。
それが自分の潜在意識に届く。
そうすればインナーチャイルドの原因となっているものが、徐々に表面化しますから
何故そうなったのか原因を探り、ひとつひとつ癒していける。


これは良い例なので掲載させてくれるよう、Sさんに頼みました。

はい。
どうぞ 少しでも自分の弱点を克服して
(弱点はどこなのか分析して)
純粋に自信を持って自分の人生を楽しんで生きて欲しいと思います。

自分もそうでしたが、人の評価を気にしすぎな人が多いです
また、そういう人は自己評価が低く自己愛が無いか足りません
(自分もそうでしたが)

そして、それが今の自分の願望や望みを阻止していることに
気づくといいなと願います。



「認められようとする人は認められない」ものです。
自分の意図とは逆になります。
理由は・・・
「他人から認められようと思うこと自体が低次元だから」です。
低次元と言うのは「思考力、判断力が乏しい」という意味。
そういう人のことは普通、ひとは認めませんからね。

それから私がこれだけ低次元でいながら他人の評価を殆ど気にしないのは
何度も書いてますが「個人主義、マイペース」だからです。
他人から好かれようと思わないし。
これは思いだしてみたら子供の頃からそうだったのです。
母親に似たとも言えるが、そういう日に生まれたからだ、というか、そういう性質なので
同じ波長の親の元に、その日に生まれた、とも言える。


また、今から10年ほど前に他人が私のいうことをあまりにも理解しないので
心底ガッカリしたのですが、それから「ああ、ひとは理解しないものなのだ」と、
私が理解したので、「他人が自分を理解しなくても平気になった」のです。
訓練の結果です。

苦労というか苦痛を通り抜けたのです。
そのおかげで心の中に余分な感情があまりありません。
なので、心は大抵平常心です、たとえ低次元でもw

訓練も必要なので嫌なことは一切嫌だ、という態度も良くない。
それを経験して心を鍛えつつ生きなくては。
<インナーチャイルドの癒し方>(2009年3月25日)


Fさんから。

インナーチャイルドについての記事を読んで、
ちょうど今セラピストの方に付いて
「インナーチャイルド(NHK出版)」
「愛しすぎる女達(中公文庫)」
「毒になる親(講談社)」という本などを参考に
インナーチャイルドを癒すというワークをやってたので、
参考になるかどうかわかりませんが…メールしてみました。


インナーチャイルドは自分が覚えている
インパクトのある出来事でももちろん生まれますが、
日常的なささいなことの積み重ねで生まれた
インナーチャイルドのほうが自分で気付きにくいし、
影響が大きいのだそうです。

母親(以外でも日常的に継続的に接する大人)の
影響って子供にとっては巨大なので、
ifさんがサイトでも書いてらっしゃるように
知恵・判断力のない母親に育てられた子供が
おかしくなってしまうというのに通じると思います。


私の場合は
自分の意見がどこにあるかわからず、
他人に迎合するようなことが多く、優柔不断、八方美人、
何を考えているかわからない、信用できない…
という見方をされていました。
私としては何についても「そのほうが丸く収まる」
「相手が望んでいる」という選択をしがちでした。
自分はどう思うかなんてあまり考えたことがなかったのです。

幼い頃、しつけとしてよく殴られたり怒鳴られたりした上、
叱られる基準が明確ではなく
親の気分次第のような所があったので、
自分の意見が言えませんでした。
そして、意見が言えないだけではなく
自分でも何を感じているのかも見失ってるような感じでした。
で、感じていることがわからないから
表現することも出来ないという状態。
だから人とのコミュニケーションが上手くいきづらくなっていました。
これも自分では自覚がなかったので
何が問題かもわかりませんでした。無意識ですね。

意識化する為に、
私がやったのは自分の人生を幼い頃から現在まで
細かく見ていく、ということです。
ノートなどに書き出していきました。

そこで自分の人生のパターン(人間関係、お金、仕事など)を
分析していくのです。
「書く」ことで客観視できるので「書く行」と似ているかもしれません。

書き出すことでその無意識の根を探り、
意識化すると心のしこりもほぐれやすいように思います。
根がわかれば枝葉の問題はたぶんすぐ解決できます。


私は、今は自分の意見も言えるし、
他人の意見は他人の意見として考えられます。
おばちゃんになったとも思えますが(汗)
それで気持ちが良いんです。


インナーチャイルドを見つけて癒すということは
本来の自分に戻る、ということ
だとセラピストの方はおっしゃってました。
これは自分にしか出来ないことなので少しずつ進めていくとともに、
「子供の頃こういうことがショックだった」と知っていれば
今後の子育てにも活かせるんじゃないかなぁと思いました。
インナーチャイルドに気づかないまま育児すると
さらなるインナーチャイルドを生んでしまうそうです。怖。


Fさん、ありがとう。

<エナジー考>(2009年3月21日)


どうでも良い話ですが、エネルギーを「エナジー」と言うのが流行っているのでしょうか。
エネルギーという言葉はドイツ語、エナジーは英語ですね。
エネルギーは元はドイツ語ですが、外来語として日本語に定着しています。
でもそれを使わずエナジーという言葉を使うのが特に精神世界では流行りのようです。
それもいいでしょう。

私は外来語はそのまま準日本語として使っています。
その方が自然であり面倒臭くないからです。
だってもしエナジーという言葉を使うなら、
他の外来語も使わない方針になるのではないでしょうか。
それが
一貫性のある態度というものです。


たとえば、パンなんてのは英語ではありませんね。
なのでエナジーという言葉を使う方は勿論ブレッドと言ってますね?
パン屋さんに行った時は「この食ブレッドください」「餡ブレッドください」と注文しているはずです。

また、イエス・キリストなんてのも英語ではないので使ってないと思います。
ジーザス・クライスツ、です。
マリア様・・・・・・・・・・・有り得ないですね、マリーです。
ヨハネ・・・・ジョンですね。
大天使ミカエル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・違いますね、大天使マイケルです。
なんか聖人や大天使がぐっと身近になった感じがします。

それからマンションという言葉。
wikipediaより。
マンション(和製英語:Mansion)とは、
日本語ではアパートより大型の集合住宅を表す一般名詞として、
主にマスコミ関係の間で使われている。
ただし、
語源である英語では豪邸などの意味で用いられる。
兎小屋(英米人が日本人の住宅を指して使う言葉)に住んでいるのに、
それをマンション(豪邸)などと呼ぶのは変です、即刻改めましょう。
マンションに住んでいる方は●●マンション(兎小屋)と、但し書きをしましょう。

ナイターは正確にはナイト・ゲーム、チームはティームです、N工Kを見習いましょう。
エナジーという言葉を使っている方は既にそうしていると思いますが。
勿論上の記事は冗談です。

流行りの人、モノ、言葉に飛びつく陶酔次元の方をからかっただけで他意は御座いません。

<楽しいことをすれば良いのだ>(2009年3月16日)


いきなりバカボンのパパのようですが、最近悟ったことがあります。
私だってこの年で悟ることや分かることがあるんです、あなたとは違うんです。

最近「自称シュタイナー学徒・住所不明」の人のブログをリンクしました。
以前もリンクしていたのですが、彼が〜〜な人をかばって優しく相手をしてやれば
〜〜霊が離れる、という思想だったのでとりあえずリンクを切っておきました。
(記事からはリンクしていました)

喧嘩したわけではありません。
低次元な人は何んというか何でもかんでも「喧嘩」と認識するようです。
その様子を見ると(あ〜〜〜あ)と思います。
こういう人には分からないので、説明しても理解しないのが私に分かるので敢えて説明はせず
「喧嘩」と思うならそれでよし、と放置しています。
それしか方法が無いので。

さて、しばらくリンクのページからリンクを外していたサイトは超真面目な学説をおバカな日常と絡めて
解説しているバカバカしくもためになるサイトです。
たとえばこんなやりとり・・・


日記は管理人が最近
「女だらけの大奥のような職場に異動になった」記事でした。
まわりが全員女だそうで・・・・・・・・若い子とおばちゃんに囲まれて「上様気分」・・・
じゃないようだけど、大変な中にも学ぶこともあり、楽しいと書いていた。

ううううっ!
とうとうオレさま、左遷されたか!
泣けるなぁ・・・

うぉい
幹部コースだぞ。(苦笑)
まったく。これだから老人は困るぜ。


…この不況で潰れたら幹部もクソもないが。(藁

な〜んだ
順調なのかい(落胆

・・・・
ここは喜ぶなり応援するところだろ・・・。


まったく。


ヂゴク逝きが決定しているヤシはやっぱ違うな。


感性が。(藁


正直言って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あまりのバカバカしさに笑った。
それを見たamanesuさん(「utura-utura」管理人)から感想が来ました。

ども、こんばんは。
 
以前オレさまのブログをとても面白く魅力的に感じていたのは
ifさんのコメントがあったからなんだなぁ〜。
と、思い至りました。
相手の良い所を顕著化させる。
ifさんならではの特技ですね。
感心したぁ〜。

いや、オレさまが面白いんだよね。
だから(ばかっ)話が弾む。
私は自分が面白いと思うことをやればいいのだ、と痛感したよ。
「あの人は良い人だから」などと言って付き合う暇はもう、無いや。
これ、面白いから掲載させておくれ。


自分が好きなこと、楽しいことをやればいいのだと思います。
誰に遠慮することも無い。
毎日楽しく生きましょう。

楽しいこと面白いことは人によって違う。
どんどん正直になって自分の楽しいことを発見しましょう。
(アタシの楽しいことはバカっ話)

<依存の怖さ>(2009年3月16日)


Aさんから下の記事<依存する人させる人>を読んでの感想が来ました。

ifさんが記事をUPされていましたが
「依存する」ということは恐ろしいことですね・・・。
スピリチュアルな世界に足を踏み入れて四ヶ月になりましたが
中途半端に知れば知るほど、
「依存する」ということはスピリチュアルにありがちな罠だと思うようになっています。
 
最近思うことは
自分の求めているものは、他人が持っていたり
簡単・お手軽に手に入れられるものではなく
地道に研鑽を積んで
いつか、自分の中にその答えを見つけることができるのではないか、ということ。
答えは、自分の中にあるということ。
 
それを忘れず、自分自身が「依存」しないよう心がけたいです。
 

世の中が変化して
コンビニ・百円ショップ・ネットショッピング・・・どんどんと便利になって、お手軽になって
苦労しなくとも何でも手に入れられる時代になって
人・物・自然に対して「感謝」する気持ちが薄れると同時に
地道に努力することを忘れてしまい、何かが狂っているように思います。
 
それでも、世の中は確実に変わってきていると思いますよ。
周囲でも
カネ・カネ・カネと、物質ばかり求めて生きてきた人たちは
どんどん堕ちています。
反対に、目立たなくとも地道に努力を重ねていた人が
少しずつ報われてきています。
 
少しでも上にいけるよう、研鑽を積んで・・・
でも、辛いだけじゃ続かないので
ifさんが記事にされていたように、何事も楽しく♪ですね(笑)
 
 
嫌なことばかり考えていないで
 
どうしたら(苦手なことが)早く終わるかな?
どうしたらみんなの手間が省けて楽に仕事ができるかな?
どうしたら楽しくなるかな?
 
そんなことを考えて、工夫して
時間を有効活用したいものです♪


素晴らしい考察です。

<迷える霊(スピリット)との対話>(2009年3月16日)


古本市で「迷える霊(スピリット)との対話」が当たったしずさんが
本の内容を一部、ブログ「つれづれなるまま」に掲載しています。
迷える霊との対話より

<依存する人させる人>(2009年3月13日〜記事を追加しています〜2009年3月21日)


とても面倒臭いテーマです。
以前から(このテーマで書かなくては)と思っていましたが、
面倒臭いのと他の記事の掲載でここまで遅れてしまいました。

下の方の記事<迷える霊との対話>にも少し書きました。
最近では「パンドラの壺」→「etc X」→<ホラリーでそこまで分かるか!>にも書きました。
或る、他人に依存する人が低級霊化を促進させて、とうとう犯罪めいたことをするまでに至った話です。

言っておきますが、私はこの件に関して全く怒っていません。
ひたすらガッカリしています。
分からない人に分かるようになるよう、説得すると却って悪い方向へ逝くのだなぁ、とガッカリしているのです。
(ガッカリと言っても感情は動きません。頭の先で、情報としてガッカリしているだけです)
勿論そうなる可能性の方がずっと高いのも分かる。
99%は逝くでしょう。
私は根がギャンブラーでポジティブ・シンキングなので、1%に賭けてみようと思うんです。
で、結果はやはりダメだった、と。


さらに、この記事を当人が読むかもしれませんが、その時万が一悟るかもしれないと思っています。
1万分の1の可能性に賭けています。
<依存する人>(2009年3月13日)


他人に依存する人がいる。
依存の仕方はひとそれぞれです。
<愚痴を言う人>


人間だもの、たまには愚痴の一つや二つ出てもいい。
でも
「会話の中身、発言の内容の殆どが愚痴」だとしたら?
異常ですね。ここではそういう人のことを語ってみます。

こういう人はいますね。
電話を掛けて来て愚痴を1時間も2時間も言う人。
悩みがあるなら、解決方法を一緒に考えてあげようと親切心を出すとヒドい目に遭います。
愚痴を言う人は
「愚痴を言うのが目的」なので、悩みが解決してしまったら
「言う愚痴がなくなってしまう」ので、「解決なんかしたくない」のです。

こういう人は思考力に乏しいのは勿論ですが、さらに
コミュニケーションの手段が「愚痴」になっている。
他に言うコトが無いのです。


雨が降れば「出かけるのが大変、ああ、嫌だ嫌だ」
晴れれば「こんなに晴れるんだったら布団を干せば良かった」
雨が降れば「洗濯ができやしない、溜まっちゃってしょうがない、雨なんか降らなけりゃいいのに」
晴れれば「庭の花に水をやらなくちゃならない、雨でも降ればいいのに」
つまりどのような状況でも愚痴を言う。
愚痴しか頭に浮かびません。
愚痴のタネなら毎日見るもの聞くもの全てです。

こういう人に反対のことを言うと、たとえば
「雨が降って良かったね。庭の木に水をやらなくて済んだね」などと言おうものなら
「とんでもない!洗濯は出来ないし出かけるのも大変だし、泥で汚れるし、冗談じゃない」となる。
他人の言うことなど聴きません。
音声としては聞いてるし、意味も分かる。
でも、聞き入れないのです。
賛成しない。
自分の愚痴を相手が聴き入れるまで、言い続けます。
相手が降参して「そうだね」と言うまで主張を続ける。
愚痴を言って相手を言い負かす。


こういう会話をする人とは、ひとは通常付き合っても、会話しても楽しくないので
その人を知るにつれてだんだん離れていきます。
しかし本人には理由が分かりません。
この人は自己中の権化ですから、人が離れて行った原因が自分であるなどとは夢にも思わない。
その結果
「離れて行った人が悪い!」と他人を恨みます。

思考力が人並みにあれば他人を恨むなどということはしない。
ましてやこの場合は他人を恨む筋合いなどないのです。
でも、愚痴を言う人は「常に自分の愚痴を聞いてくれる人」を探している。
せっかく聞いてくれていたのに離れて行かれたら愚痴を聞いてもらえない。
その結果自分が苦しむ。
自分が苦しいのは離れて行った人が悪いんだ・・・・となります。


こうなるので最初から近づかない方がいいですね。
でも、世の優しい人、思いやりの有る人は気の毒だな、と思って慰めてあげるのです。
そして途中から何をどう言っても、愚痴を言う人が他人の話を一切聴き入れないのを体験すると離れて行く。
そして、愚痴を言う人に恨まれるのです。

◆愚痴を言う人を慰めようとする、心優しい人(アワ人間)は逆恨みされる
◆愚痴を言う人を根本的に解決しようとする、親切な人(アワ量多いサヌキ人間)も逆恨みされる


愚痴を言う人が恨まないのは、その人に関わらないのが得策だ、と分かっている賢い人と、
愚痴を言う人がいても別に何とも感じないし助けるなんて思いもしない薄情な人です。
これらの人は愚痴を言う人と関係なく過ごせるので良いでしょう。


「愚痴を言う人は自分の言い分を全て肯定してくれる、神様のような人を求めている」
のです。
そういう人は例外的に居るかもしれないが、出会う確率は限りなく0に近いですね。
沖縄の聖人も言うことは言う人なので愚痴を言う人にキリも無く付き合うような時間の浪費はしないと思います。

愚痴を言う人は到底不可能な欲望を持っているために、それが叶えられずに苦しむのです。
自分の、低級で我れよしで自己中な
「我」のために苦しむ


この時点で既にTQ霊と化していますね。
TQ霊は別に悪霊ではなく(高橋信次師は区別はしなかったが、私はする)思考力の無い人の霊のことです。
この時点で悟れば良いが、愚痴を言うということが既に思考力の無さの現れなので悟るのは難しいでしょう。

他人とのコミュニケーションの手段が愚痴なので、「愚痴を言うな」と、他人から言われたら
他に言うことが無いので怒ってしまうでしょう。
ここで本人が生まれ変わった気になり、心の姿勢を改めればいいのですが、かなり難しい。


さて、常に自分の愚痴を聞いてくれる人を探している、このような人は
現実世界では愚痴を聞いてくれる人が居なくなってしまいます。
それで
ネットの世界に相手を求めます
ネットなら相手をしてくれる人は沢山いますからね。
そこで愚痴を書き続けます。
こういう人、多いですね。
私は数人に注意しましたが、本人には自覚が無いので理解できないようでした。
そのうちの一人はさらに低級化を一歩進めました。
他の一人は一応、私の言い分を聴きました。(聞いただけで理解はしていない)
一人は堕ち、一人は現状維持ですかね。もう一人居て、この人は堕ちていきました。

また、
愚痴を言う人の周囲には「愚痴を言いたくなるような現実」が展開します。
だって、その人のコミュニケーションの手段が愚痴なのですから、常に愚痴のタネを必要としているんです。
良い環境になったら愚痴が言えないので困る、だって他にコミュニケーションの方法が無い。
後から後から愚痴のタネが発生する。
幸いなコトにこういう人には思考力が殆どないので、困った事態がどんどん発生してくれます。
有り難い!
これでまた愚痴が言える!

そして(大喜びで)愚痴を言う。
楽しい・・・・・・快感だ・・・・・・愚痴を言うのって・・・・・気持ちいい・・・・・
(ここで「苦しいのに何で喜ぶの?」という疑問が湧くと思うが、苦しいのが嬉しい人ってのはいます。
 変態の人とか・・・・・感覚がそういう人です)

目的は相手から優しい言葉を掛けてもらうこと。
ここが
依存です。
誰も相手にしなければ、愚痴を言えないので常に愚痴を聞いてくれる人を求めています。
自分が望むとおりの反応をしなければ逆恨みをします。

無限地獄です。
でもそういう人はそこが良いのでそこから出ろと言われると苦しい。
それを私は低級霊と呼びます。
<地獄からの生還>(2009年3月14日)


上の記事を読んだNさんから感想が来ました。

随分前ですが、一時、私も会話の内容が愚痴ばっかりになっていたことがあります。
過酷な事態に負けていた時です。
当然、周りの人は離れていきました。
(そりゃ、客観的に考えたら自分が逆の立場でも離れますが)

ただ、私の場合、そこから脱することができました。
なぜ脱することができたのかはよく覚えていないんですが、
周囲から人がいなくなったことで
「会話の内容を愚痴にしてはいけないんだ」というのが身にしみてわかったのと、
一人だけ、損得抜きで心配してくれた人がいたのですが、
その人のためにも、こんなぐにゃぐにゃな状態ではいけない(犯罪を犯したわけではないし)、
太陽に向かって堂々と歩ける身なのだから、胸を張ってカラ元気でも笑っていよう、
と思ったことがきっかけだったような気がします。

気付けたのは、若かったからでしょうか。
とにかく、運がよかったなあ、と思います。


若くても気づけない方が多いのではないかな?
Nさんの心が柔軟で素直だったから気づけたと思いますよ。
その時Nさんの心が↑を向いたのでしょう。
それまでは↓を向いていたのでしょう。

その短時間の方向転換が良い循環を呼び、運命を良くし明るい人生を作ったのでは?
ほんのちょっとした差なんですけどね。
心を上(明るい・光)に向けるか、下(暗い・闇)に向けるかの違いだけです。
行動は変わっていません。
心の姿勢をちょっと変えただけです。
向きを変えただけ。ハンドルを切っただけ。

人生の転換期とはこのようにほんのちょっとした方向転換なのではないでしょうか?
大きな事件もイベントも要らないのです。


記事読んできました。
心の一瞬の差が、本当に大きく違う結果を招くのですね。
私は、↑に考えることができて本当に運がよかったんですね
(状況的に、負け続けて↓に成り果ててたって
おかしくなかった)。それだけの心の柔軟性を残していた
若いときの自分に、ありがとうといいたいです。

でも、これはその時だけでなく、今現在進行形のことでも
あるわけですから、一瞬一瞬、下を向かないように常に
気をつけていないといけないんですよね。怖いなあと
思うけれども、恐れていても仕方ないので明るく行きます。

ひふみ神示にも、記事のような、一瞬の心の動きのことが
確か書いてあったような気がするので、久しぶりに読み返してみようと思います。


どんな言葉ですか?

「人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ」
「此の世では、人間の心次第で良くも悪くもでてくるのぢゃ。
人が悪く思へたり、悪くうつるのは己が曇りているからぞ。」
です。

なるほど、その通りですね。
<依存させる人>


上の記事中の、優しい人がこれに当たるようみ見えますが、ちょっと違います。
依存させる人とは「積極的に相手を自分に依存させる人」のことです。
私の定義です。
こういう人も多いですね。


家庭の主婦に多い。
子供に知恵を付けさせない。
何でも「お母さんの言う通りにしなさい」という人。
こういう言葉を言わなくても心の姿勢がこうなっている人のことです。

子供の世話を何から何まで焼く。
子供が自分で出来ることや自分でするべきことにも手や口を出す。
無意識でやっています。
<拒否児童になりますよ>


指輪のK子の子供が小学校4年生から登校拒否になりました。
原因はクラスの苛めっ子だと思った。
しかし違いました。

私がK子の家に行ったら一発で分かりました。
何から何まで手出し口出しをしています。
K子は優しいのでやってあげてしまうのです。
子供が言う台詞まで親が言ってます。
(ダメだ、こりゃ)と思った私はそれを指摘しました。
K子は自分の何が悪いのか分かりません。

子供が中学生になりました。
ウチの末っ子とK子の子供を連れてラーメン屋へ行きました。
大人の席と子供の席を別々になりました。

するとK子はわざわざ子供の席に行って面倒を見ているのです。
「そんなコトをするんじゃない。中学生なんだから自分で注文できるよ。」と言ったら
K子はとても意外な顔をしました。
半分泣きそうです。そして
「でも、ウチの近所では皆、こうやっているよ。」と弁解をする。

あああ・・・

問題は他人の家ではなく、自分の家庭です。
自分の子育ての方法です。

子供を拒否らせる親にはそこらへんの概念が無いのです。
何も無い。
他人がするように見よう見真似でやっている。

皆がやっているのに何故自分がやってはいけないのか、何で文句を言われなくてはならないのか。
悲しそうです。
そうでは無いのだ、ということを悟るまで数年かかりました。
拒否が始まってから完治するまで6年間かかりました。
拒否が治ったのはK子の心が変わったからです。
心が変わるまで6年かかりましたが決して長い方では無いと思います。
何故なら心とは簡単に変わるものでは無いからです。

拒否の原因は「子供の世話を焼き過ぎるから」ではなく、「母親が分からない人だから」です。
通常、それを認めたくない、自分がそうだなんて信じられない、何も悪いことはしていない、という
意識なので心が変わるのに、短くて数年かかるのです。
<アワな行動(サヌキ)とサヌキの心(アワ)>


しかし、分からずやの人の行動の一つとして「他人の世話を焼く」というものはあります。
善かれと思ってやっているのです。
優しく親切なので、アワな心が行動となって出ると「世話をする」という行動になります。
サヌキの場合はなりません。
低次元の場合は「放任する」「苛める」。
アワ量の多いサヌキ人間の場合は「ここまで来い」ですw
子供を鍛えます。
子供が出来ることを親が代わりにやってしまう、、、、という行動はアワな心から発生したサヌキ(行動)
なのです。

アワ量の多いサヌキ人間は、サヌキな心から「世話を焼かない」、何もしないのです。
子供に「させます」。
<アワ人間が全て世話焼きではない>


なので世話を焼く人は良い人だと言える。
優しく親切な人です。
問題は「レベル」なのです。

低次元だと盲目的に世話を焼きます。
低次元とはそこに「考えが無い」「知恵が無い」ということです。

アワ人間でも考えが深い人なら盲目的に何から何まで世話を焼く、という愚かなことはしません。
黙って見ています。
そして心を砕き、その人が一人前になるよう、無言で示し導くでしょう。
滅多にいないので、モデルが無く、ほとんどの人はこういう人を知らない。

また、居ても分からない。
本人にそれが分かる知恵(波動量)が無ければ見てても見えない。
<親の世代は無理>


世話を焼く人が高次では無い、ということが分かりましたね。

K子が子供の世話を焼くことよりも、低次元なことが問題だったのでした。
6年間で母親が進歩したから治った。
言い替えると子供は母親のために登校を拒否ってくれたのです。
子供は意識はしていません。
潜在意識の発動でしょう。

でも、そのおかげでK子は「考えることの重要性」を学んだのです。
勿論K子が並み外れて素直だったことも、このことを可能にしています。
本当はK子の親が「考えることの重要性など」を教えるべきでしたが、
私たちの親の世代は殆ど何も考えて無いので無理でした。
親の世代は殆どが「他人がするように行動して生きてきた」のです。
それを「それではダメだろ」と言っても理解は出来ません。

だったらその世代の子供である私達が自分の考えと行動を変えるしかありません。
私達の使命はそこにあるのだと思います。


世のため人のため、人類のために行動するのも良いが、まずは自分の意識を変えることです。
自分の意識を変えないで世のため人のためにやっている人がいますが、
そういう人はやはり「何も考えてない」「何も分かって無い」と言えます。

何も分かって無い人、考え無しの人の行動は他人にとってはただの迷惑になるでしょう。
<世話好きは困りもの>


さて、大変前置きが長くなりました。
実はK子のような世話好きなお母さんは普通にいるのではないでしょうか?
罪が無いと言えば無い。
でもその結果依存人間になってしまうのは子供たち。
子供が順調に育てば途中で母親のコントロールが嫌になり、反抗するので、まだいい。
母親がこの時点で気付けば良い。
気付かない母の場合は困ります。
<他人を依存させたがる人>(2009年3月21日)


困るのは上のような人をもっと程度を悪くした、というか症状が重い人達です。
その人達は他人をコントロールして依存させます。

このような依存させ人間が求めるのは「自分に依存する人」です。
当然「依存人間」が、「依存させ人間」に依存する。

まず、依存人間が愚痴を言う。
現実でもネットでもいます。
ネットに限定して考えてみましょう。
ネットで愚痴を書き続けている人がいると、そこへ「依存させ人間」が群がります。
慰め励まし、優しい言葉をかけます。
優しい言葉をかける自分が好きな人達です。


依存人間は他人から優しい言葉を掛けて欲しいので、ここで「需要と供給の関係」が出来る。
御互いになくてはならない相手となります。
@愚痴を言う。
A慰める。
Bもっと愚痴を言う。
Cもっと慰める。
Dさらに愚痴を言う。
Eそれならこっちだって、もっと慰める。
Fおお、そうか、こっちはもっと愚痴ってやるわ。
Gあら、そう来たの!もっと慰めてやるわよ、励ましてやるし。
Hそれでもまだ愚痴を言うわよ!
Iおお、上等じゃないの!もっと励ましてやるわ!
Jなにぃ?これならどうだ。
Kはああ?ビクともしないわね!あんたもまだまだね、甘い。
Lこれならどうよ!もう励ませないでしょ!
Mあんた、アタシが慰めたり励ましたりしているのに、何?その態度は。
Nえ?アタシを慰めてくれるんじゃなかったの?
Oアタシはあんたのためを思って今まで散々慰めて来たのよ、何よ、その態度は。
Pアタシがいつ慰めろって言いましたか?
Qはああああああああああああ?あんた、何言ってんの!
Rアタシはあんたがあれしろ、これしろって言うのを今まで我慢して聞いてきたのよ!
  自分ばかり苦労したようなこと言わないでよ。
Sちょっと!冗談じゃないわよ!その言葉撤回しなさいよ!
(以下略)


(これはこの二人が本音で会話したとしたら・・・です。
 実際は本音は言いませんから、表向きの会話となります。
 なので、喧嘩ごしのようにはなりません。
 戦いは心の中で行われます。
 非情に低次元であり、TQ霊の所業であると言えます)



途中まではいいんです。
ネットで愚痴を書いて皆から慰められていたが、周囲が何をどう言っても聴き入れなかった
異常に我の強い男が最後に秋葉原で無差別殺人を起こしました。
理由は「皆がオレの言うことを聞いてくれないから」でしょう。

愚痴を言い続ける人は「自分が何を言っても相手が100%受け入れること」を望んでいるのです。
依存させる人も、相手が自分の言うアドバイスを100%聴き入れることを望んでいるのです。
相手を褒めておだてて優しい言葉を掛けて、自分の言うことをきかせたい=コントロールしたい、
のです。
でも、依存する人は相手のアドバイスなんか聴きたくもないのです。
自分が言いたいことを相手が100%受け入れてくれるのを望んでいる。
依存する人とさせる人は、同じレベルにあり、魂の質も大変似ていると言える。

そこへ私のようなのが「根本的に解決の方向」へ向かわせようとして(アワ量多いサヌキ)
両者に「波動を上げなさい」と言っても両方の人に通じませんでした(実話)。

<灰色の世界>(2009年3月10日)


世に分からずやは多い。
そう書いてる私だって分からずやです。
この世には「分からずや」と「分かっている人」の2種類が居るのではないのです。

ここらへんの考え方ですが、憑いて来れない人がいるようです。
口では「善悪二元論ではない」と言いつつ、考えていることは善悪二元、つまり
○か×か、になっている人がいます。
そうでは無いのだ、と私は言いたい。


仮に「全てを分かっている人」を純白とします。
また「全く何も分かって無い人」を漆黒とします。
この両方は現実的にはこの世には存在しない。(私の意見です)

人は理論的には
◆純白に一滴の黒が混じった人
から、
◆漆黒に一滴の白が混じった人
まで居る。

しかし、多くの人は
◆白っぽい灰色
から
◆黒っぽい灰色
なのです。



でも、ま。
私はこの通り現実主義者ですから、
殆ど白に見える灰色なら「白」と呼んでも良いのではないか、
殆ど黒に見える灰色なら「黒」と呼んでも良いのではないか、
と思います。
あくまでも私の意見です。



なのでこの世には
◆一見白に見える人、殆ど白と言って良い人
◆灰色の人
◆一見黒に見える人、殆ど黒と言って良い人
が存在することになります。



さて。
様々なアセンション関連のサイトや書物によれば
これから「灰色」が居なくなるそうです。
灰色でいることが不可能になっているらしい。
それは今現在、どんどん進行しているそうです。

家庭や学校や職場で、そうと思える体験をしている方が沢山います。
そういう報告を沢山受ける私は「人類の二極化」が進行していると思います

<男性エネルギーと女性エネルギーを強める方法>(2009年3月8日)


パンドラの壺→「アセション」→<チャクラと男女とアセンション>に記事を書きましたが、
男性と女性ではチャクラの働きが違うそうです。

「アセンションの道しるべ」(リサ・ロイヤル著)には
男性エネルギーと女性エネルギーを強めるための方法が書いてあります。


女性エネルギーを強める方法 口を少し開いて、右の鼻孔を指で押えながら、左の鼻孔から深くゆっくりと息を吸う。
胸いっぱいに吸ったら、口からゆっくりと力まないで息を吐きましょう。
息を吐き終わったら、再び左の鼻孔から、ゆっくりと深く息を吸ってください。
あなたの理想とする女性の姿を思い浮かべて、彼女にエネルギーを送ってください。
雑念が湧き起こってきても、目を閉じたままの状態で、呼吸法を続けましょう。
約5分間続けてください。
男性エネルギーを強める方法 口から息を吸い、左の鼻孔を指で押さえながら
右の鼻孔から、力強く深くゆっくりと息を吐いてください。
この呼吸法をしながら、あなたが理想とする男性の姿を思い浮かべて
彼にエネルギーを送りましょう。約5分間続けてください。
心の中の男性と女性のエネルギーを
統合する呼吸法
右の鼻孔を指で押えながら、左の鼻孔からゆっくりと息を吸い、口から吐いてください。
次に口から息を吸い、左の鼻孔を指で押えながら右の鼻孔から息を吐き出してください。
再び、右の鼻孔を押さえて、説明した手順を繰り返しましょう。
呼吸法を続けながら、心の中の男性と女性が手をつないでいる姿をイメージしてください。

難しそう・・・

<人狼再び>(2009年3月7日)


下の方の記事<人狼ゲーム>(2009年2月25日)の方からメールが来ました。


ifさんへ

「人間のいろいろ12」に転載していただいた記事、読みました。

>分からない人を分かるようにするのはとても難しい。
>Hさんが師匠のAさんについて努力してみたが、A氏には説明の根拠が無いのでつい
  て行くのは大変だったのでしょう。

そうなんですよね。
A氏と出会ったばかりの頃は、A氏が何を喋っているのか、全然わからなかった。
頭すらついていかなかったんです。
A氏は日本語を喋っているはずなのに、その日本語すら理解するのにとても時間がかか
った。
当時の私は、それを「私の頭の回転が遅いからだ」と思っていました。
それでも、一生懸命A氏の言葉について考えることだけはやめませんでしたね。

このとき私がわからなかったのは、私には”経験”がなかったからなんですよね。

そうでしょう。
知識が無いものを理解出来ない。
理解出来ないものは記憶出来ないのです。
小さい子は丸暗記が出来ますが、この能力は成長するにつれてどんどん衰えます。


A氏は、”A氏の言葉”で喋っていた。
その”A氏の言葉”は、A氏のこれまでの経験などから考えてきたことの、集大成みたい
なもの。
氷山の一角にすぎないんですよね。

勘やコツは言語化が難しいので、A氏には全てを語ることは出来ません。

頭の良い人は、表面上、A氏の言葉をすぐに理解できます。
なぜなら、A氏は日本語を喋っているからで、ここで言う「頭の良い人」は、その日本
語を理解することができるからです。
でも、それは”真の理解”じゃあないんですよね。

当時の私の周りにも、「言葉を理解しただけ」の表面的な理解を勘違いして、わかった
つもりになってしまう人が結構いました。

あなたに良く、それが分かりましたね。
やはり女はそういうのを見抜くことが出来るからでしょう。
今日、「パンドラの壺」→「アセンション」→<チャクラと男女とアセンション>という
記事を掲載したので見てみてね。


多くの人は素直で、いわゆる”学校で頭の良い”人たちのようでした。
現代の"勉強”と言われるものが、深く考えることではなく、記憶や情報処理能力を重
視する傾向があることに関係があるのかな、と思ったりもします。

そのとおりです。
なのでたとえ東大生でもノーベル賞受賞者でも分からずやや知恵の無い人が
沢山いるわけです。
近年「考える力をつける授業」などと、小学校あたりで言ってますが、
これが出来る教員が殆ど居ないので、無理です。
その無理なことを、やはり頭の先だけが良い文科省の役人が頭の先だけで
思いついて提唱しているのです。
バカがバカを導く・・・・世も末です。



ifさんが相似象のところで、

>まず、本を読んだらそれを一応頭に入れておき、
>生活の中でそれを考えながら、十年経てば「まぁ、わかるようになる」
と仰っていますが、私にとってのA氏の言葉も、そうだったんだと思います。
聞いた時はわけがわからないけれど、とりあえず聞いておく。
それを自分の中で考えながら、人狼ゲームをしたり、日常の中でも考える。
自分なりの答えが出たとき、やっと「わかった」と言える。

その時、悟ったのです。
知恵が付いたのです。


そうすると、”自分の言葉”で語れる。
ここまでくると、あとは誰がどんな”言葉”で語っていようと、「何を話しているのか
」はすぐにわかるんですよね。
私が相似象を読んでわかったのは、そういうことなんだと思いました。


当時人狼ゲームをプレイしている人の中に、こんな人がいました。
その人はA氏を慕っていて、いろいろと話を聞いていたそうです。
ところが、どうもその人はA氏の言葉をそのまま”答え”として自分の中にインプット
してしまい、それだけで自分が全て理解している、と勘違いしてしまったようです。

そういうのを「オウム返し」「猿真似」と言いますね。
意味が分からず暗記しただけです。
その人には丸暗記と理解の違いが分からないのです。
でも、ほとんどの人にはこの二つについての差が分かりません。
そのサトリが無いのです。


その人は、A氏の言葉を頭で理解しただけで、身にはついていなかったので、実際ゲー
ムをやっても、上手くいかないし、勝てなかった。
だからまた、新しい”答え”を貰いにA氏のところへ話を聞きにくる。
A氏も途中からそのことに気付いて、これ以上話してもダメだ、と思い、その人を突っ
ぱねたそうです。

その人は信者さんですね。
教祖が言ってることは分からないが憑いて逝きたい、という人たちです。


私は一度この人と対戦したことがありますが、この人の話す言葉は、そのまんまA氏の
言葉でしたね。

A氏に心酔したので、A氏の言うことを丸暗記していたのでしょう。
男には有りがちですね。


だけど本人は、それで自分はわかっている、と勘違いしてしまっていた。
ゲームが終わってからこの人は私と話をしたがっていたんですが、私のほうは全然魅力
を感じなかったので、お断りしてしまいました。
なんだか、この人の言葉には魂が篭ってない感じがしたんですよね。
それはきっと、「自分の言葉」で話していなかったからじゃないかと思います。

そうです。
そういうのを「受け売り」と言います。


こういった「教科書通りの答え」をする人や、その前の「言葉上の理解のみでわかった
つもりになる」人は、きっと学校では、”頭の良い成績優秀な子”になるんだと思いま
す。
でも人狼ゲームでは、それでは勝てない。

最低限の知識の上に知恵が必要だからでしょうね。
暗記しただけの人には知恵が無いのでそれでは勝てません。

>Hさんは今度「人狼ゲーム」やったらきっと負けませんね。

ifさんの記事で人狼ゲームのことを思い出したので、久々に当時のゲームのログを読ん
でみたんです。
その時私も、「今やったら負けない気がする」って思いました(笑)


この方は人狼ゲームでとことん考えたので、考えるという経験をしているのが
幸いしたようです。
考えることが出来ています。
人生、何が幸いするか分かりませんね。

この方が言っていることは、その通りだと思います。
特に「分かっていると思っている、分からない人達」に関しては、その通りです。
そこらへんの観察が秀逸なので掲載しました。


本当に今度やったら勝てそうなのでぜひ、挑戦してみてください。

<感受性ゼロの母親>(2009年3月7日)


Nさんからの報告です。

今朝のテレビで、ベビーカーの特集をやってました。
近頃では、歩けるようになっても4-5歳までベビーカーに乗せるんだそうです。
 
その理由として、
「すぐに抱っこして、というから。」
「買い物中にうろうろしたり、商品を触るから。」
「自分のペースで動けないから」
 
だそうです。
 
そのために子供は、自分の興味を持ったことに関心を示せなかったり
好奇心を発揮できなかったり、運動量が足りずに体力不足になるそうです。
しかも、親はそれもわかってながら、自分の都合で
強制的にベビーカーに乗せているそうです。(調査では半数以上でした)
 
映像を見ていても、窮屈なベビーカーに乗せられて、
「ワンコが見たい」ってつぶやく子供の言葉は、無視されてました。
 
この子たちが、大きくなったらどうなるのでしょう。

凄いね。
紙おむつも、あれも子供にとっては拷問だけどね。

「子どもの目線」で見たり考えたりしないんですね。
 
知り合いで紙おむつが重さで下に落ちるまでつけさせてた人がいました。
「もったいないから」って。ぐちょぐちょですよ。
 
それに綺麗に拭いてあげないで
お尻にウンチがいっぱいついたままで、新しいおむつをつけるので
「お尻、かゆいと思うよ。かわいそうに」
って、言うと
「そんなこと考えたこともなかった」って。
「そんな風に、赤ちゃんのこと考えるんだねー」って。
 
自分自身に置き換えたら、お尻に残ってたらどうよ?って
思いますけどね。
 
 
「自分が嫌なことは、人にはしない」
これって基本だと思うんですけど。

ここまで簡単な当たり前のコトが分からない母親が増えているのでしょうか。
紙オムツをしている赤ちゃんのストレスは凄まじいものなのだそうです。
女性が生理の時に小さなパッドを当てるだけで不快なのに
その何倍もの大きさの紙オムツ(実際は紙では無い、ビニール製)を
あんな小さい体に当てるのは、どんなに不快か分かりそうなものです。

私はこの通り凄く物臭で、子供にロクなモン食わせてませんが、紙オムツは使っていません。
外出する時も使いませんでした。
たま〜〜〜に何度か使ってみたが、意味が無いので習慣化しませんでした。

赤ちゃんの頃紙(ビニール)オムツで、凄まじいストレスにさらされた赤ちゃんは
授乳の際に母親の乳首を噛んだりストレスがあることを知らせようとするらしいですよ。
でも、母乳ではなくてミルクで育てればそれも母親には分かりませんね。

そういう子供が成長してからが怖いですね。
インナー・チャイルドが苦しみまくっているわけですからね。
でも本人にはその記憶がありません。
だから怖いんですよ。


無知ほど恐ろしいものは無いです。
また、こんな簡単なコトが分からない母親は当然、他のもっと複雑なことは
分からないだろうから、母親にとって、これからの人生も大変です。

<花粉症が治った>(2009年3月7日)


最近upした「パンドラの壺」→「怪我・病気」→<花粉症>の記事。


March 04, 2009 07:57:48

役に立つはず!

テーマ:趣味 日常

奥様 花粉症の季節ですわね
気功の先生と話をした所
解決方法の一つとして
「自然に感謝する事」
だそうです

自分が生きている上で自然と言う物は
絶対役に立っている物で
其の事に気が付き感謝する事
すると花粉も「異物」として体が認識しなくなるので
症状が緩和されるそうです

さあ今日からレッツトライ!
お金も掛からず副作用も無いので騙されたと思って

を読んだMさんから報告がありました。

 
こんばんわ。Mと申します。
パンドラの壺→病気・怪我・事故→「花粉症」を読んで、自分にタイムリーだったのが
うれしかったのでお礼のメールです。
 
私は20数年以上花粉症です。
ピークは過ぎ去り、最近ではだいぶ軽くなってきてますが、やっぱりつらいです。
今まで、花粉症の人が回りにとても多くて、花粉症でない人の方が少なかったんです。
しかし、今通っている職業訓練校では逆で、花粉症の人の方が少ない。
びっくりしました。
なぜ、自分は花粉症なんだろうと漠然と考えていたところ、
きっと地球の波動についていけてないからだ、そのレベルに達してないからだって思ったんです。
なんの根拠もありませんが。

それまでは花粉をつけた杉の木をみるとイラっとしてカーテンをピシャっと(自宅の部屋の
前に杉の木があります)閉めてたんですが、それからは心を入れ替えて
杉の木もほかの植物も春に向けて命を繋いでいってるんだし、地球ががんばってるんだから
毛嫌いしてちゃダメだよなって思うようにしました
最初は心から思えなかったんですけどね・・・(汗っ)
 
そして昨日、「花粉症」の記事を読んで、自分の考えていたことが
間違いじゃなかったというか、同じように考えてる人がいるんだなって分かったのが
うれしかったです。
心なしか、今日はあまり花粉を感じません。マスクなしで、くしゃみひとつしてないことに
びっくり。予報では多いって言われてたんですが。
早速の効果かな?なんて思ったり。
感謝は、対人間にだけでなく自然にもしないといけないってことを
花粉が教えてくれてんでしょうか。

きっとそうだと思います。
Mさんの心が変化したので、花粉症の症状も出ないのでしょう。

我が家は皆原始人並みなので誰も花粉症がいません。
我が家のすぐそばに雑木林があり、杉の大木が何本もあるのに、です。
家の目の前に杉の木があっても誰も花粉症では無いのです。

ウチの家族が花粉症にもならず大きな怪我も病気もしないのは、心が素朴だからだと思う。
他人の悪口など滅多に言いません。
興味が無い。
余計なコトを考えない家族なのです。
私の母がそうだったので、私がそれに似て、子供達もそうなりました。
主人は・・・・・・・・・・昔は余計なことを思いついては発言してその都度私がヒドイ目に遭わせていたら
いつの間にか余計なコトを言わなくなりました。
考えてもいないと思う。
考えたら言う人なので。

昔から杉の木はあった。
なのに昔の人は花粉症にならなかった。
それは余計なコトを考えなかったからではないか?
毎日素朴に生きていたからではないか?
そう思うのです。

一つの病気を退治してこの世から消したと思っても、新たな病気が発生します。
「病いは気から」が本当なら、これらの新しい病気を現代人が作っていることになりますね。
ジュセリーノ氏の予言ではコレラが流行るそうです。
そのコレラは海中に休眠状態ですが、地球温暖化によって目覚めるのだそうです。
コレラ菌は摂氏47度で目ざめるそうで、工場排水や海底火山で海の温度が上がればそれが実現するそうです。

それを恐れていても仕方ない。
それが「余計な考え」です。
同じ場所にいても一人は伝染し、一人は伝染しないですよね?インフルエンザなど。
やはり心が先だと思いますね。
病気に罹らない心を作るのが大事ですね。


もう一つ。
Mさんは以前「花粉症の人が多い環境」にいた。
でも、今は「花粉症の人が居ない環境」にいます。
これはどういうコトでしょう?
お分かりだと思いますが、同波長ですね。
Mさんの波長が向上したので、環境が良い方に変化したのでしょう。

私が不思議だな、と思うことがあります。
PANDORAの閲覧者の方の中に「以前の境遇より良い所に居ます」という方が多いのです。
境遇とは仕事、会社、学校、家庭、友人付き合いなどいろいろです。
「人間のいろいろ」や「パンドラの壺」などを読んで波動が上がったので、
その波動に相応しい場所に移動したのだと思います。
良いことです。


<迷える霊との対話>(2009年3月4日〜2009年3月7日)


1920年頃のアメリカで、精神科の医師が当時盛んに行われていた
降霊実験を用いて、あの世に行けず、彷徨っている霊と、霊媒と通じて対話した、その記録。

浮遊霊、自縛霊のことですが、要するに低級霊のことです。
低級霊が生きている人間に「それと分からずに取り憑き」その人を苦しめ、
精神病のような状態にしてしまうことを、著者のウイックランド医師はつきとめました。

それら、低級霊との対話集です。
とても読み易く、参考になり、これは面白い!

私は今まであちこちで起こる異常な事件の原因を低級霊の仕業であると、
記事にしてきましたが、それは当たっていたようです。

低級霊とは・・・・・・・・・・・・・生きているうちに低級だった人が死ぬと、
自分が死んだことに気づかず、闇の中の彷徨ってしまうらしい。
ウイックランド医師が説得をしても、なかなか理解しません。
ああだのこうだのと、理屈を言います。
でも、全然物事が分かりません。

医師はこれらの霊達に
「理解しなさい、悟りなさい」と、言うのですが、
霊達は相手の話を聞かないのです。
聞いてもそれについて、真面目に考える、ということをせず、
自分が言いたいことだけを主張する霊が多い。

これなどは、生きている人間にも沢山いますね。
そういう人達が死後、低級霊となり、浮遊したり自縛したりするのでしょう。



低級霊と化してしまった人達の中には、毎週真面目に教会に通っていた、という霊が多い。
これに関してウイックランド医師は「キリスト教会の教えは本当のキリストの教えでは無い」と述べています。
当時、このような発言をすることは大変勇気がいったことでしょう。


低級霊と化してしまった霊達は、自分が死んだことに気づかない。
自分より前に亡くなった人が霊を迎えに来ても、自分が死んだことに気づかないので、怖がって逃げてしまう。
そして、人間は死んだら天国へ行くのだ、天国には神様とキリストが待っているのだ、と思っているので
当然それらが見えないので、自分が死んだと思わない。

頭がハッキリしなまま彷徨っていると、自分を惹きつける光がある。
それはいわゆる霊感体質の人のオーラなので、霊はそこに引っ掛かり、そのオーラから逃げられなくなってしまう。
なので、霊達は自分が人に憑依しているとは知らず、逆に霊感体質の人が、この自分に憑依しているとさえ、思っているのです。

死後の世界のことに関する知識はなく、思考力も乏しく、性格も悪い場合があったり、罪の意識にさいなまれたりしている場合もある。
なので、彼ら霊を説得するのは大変な作業です。
ウイックランド医師は、奥さんの守護霊団とともに、彼らの救済(行くべき世界へ行かせること)を30年間行ったのです。
彼の仕事はあの世との連携によって為されましたが、これらのことは彼が生まれる前から取り決められていたのでしょう。
そうでもないと、自殺者の霊がどんどん他人に憑依して、さらの自殺者を増やしたり
殺人鬼の霊が霊感の強い人、憑依体質の人に取り憑いて殺人を犯させたりしていたので、それらを阻止する使命があったのだと思います。
<或る霊との対話1>(2009年3月5日)


相手の話を真剣に聞かず、ああだのこうだのと理屈を言い、真面目に思考せず、その前に思考力が乏しいのだろうが、
とうとう最後まで理解することの無かった事例を挙げます。
他の例では、大抵最後には理解をし天国の光を見たり亡くなった人が迎えに来たりして、成仏するのにこの事例は例外です。


スピリット(霊)=C
患者=B夫人(霊媒体質で、Cに憑依されていた人)
霊媒=ウイックランド夫人(ウイックランド医師の奥さんで、優れた霊媒。
                 守護霊団に守られている)
質問者=ウイックランド医師
(博士)

博士 「お名前を教えてください」
霊   「手を押さえつけないでくださいよ」
博士 「じっとしてないといけません」
霊   「なぜそんなに手荒なことをするのですか」
博士 「名前をおっしゃってください」
霊   「なぜそんなことが知りたいのですか」
博士 「あなたは初めてここへおいでになられた。それで、お名前を知りたいのです」
霊   「知ってどうなさろうというのです?」
博士 「話をする相手が誰であるかを知りたいだけです。
     あなただって、もしも見ず知らずの人が訪ねて来たら、名前を知りたいとは思いませんか?」
霊   「私はこんなところにいたくありません。
     あなたたちの誰一人として知らないのですから。
     誰かが私をここへ押し込めたのです。
     あんな手荒なことをするなんて・・・・・入ってきて、腰をかけたら、今度はあなたがまるで囚人のように私の手をつかむのですから。
     なぜこんなところへ押し込めるのですか
(守護霊団によってウイックランド夫人の身体に乗り移らされたこと)
博士 「あなたは多分、暗いところにいたのでしょう?」
霊   「誰かに無理やりここへ連れて来られたみたい」
博士 「それには何かわけがあったのでしょ?」
霊   「わけなんか知りませんよ。
     あんなひどい目に遭わされないといけないわけなんか、身に覚えはありません」

博士 「なぜそういう扱いをするのか、そのわけは聞かされなかったのですか」
霊   「その扱いのひどさといったら、ありませんでしたよ。
     もう死ぬかと思いましたよ。
     あっちへこっちへ、いたるところへ追いまくられどおしで・・・・。
     あんまりひどいので、もう腹が立って腹が立って、八当たり気分ですよ」

博士 「その人たちは、あなたにどんなことをしたというのですか」
霊   「それが実に恐ろしいのです。
     私が歩き回ると、ひどい目に遭うのです。
     なんだかよくわからないのですが、時には私の全神経が叩き出されるような感じなのです。
     まるで雷と稲光に襲われたみたいな時もあります。
     それはそれは凄い音です。あの凄い音・・・・ああ、怖い!
     私はもう我慢できないわ。これから先もあんな目にあうのは、真っ平ごめんだわ!」
(これは、研究者が開発した、人体から憑依霊を取り除く装置=静電気を患者に与える装置のこと)
博士 「真っ平ごめんと思っていただけるのは、私たちにとっては有り難いことです」
霊   「私は招かれざる客ってわけなの?それならそれで結構よ!」
博士 「あなただけ特別というわけではないのですがね」
霊   「これまでは辛いことばかりでした」
博士 「亡くなられてどれくらいになりますか」
霊   「それはいったいどういう意味ですか。
     私は死んでなんかいません。
     この通りぴんぴんしています。
     むしろ若返ったみたいです」

博士 「なんだか他人になったような感じがしませんか」
霊   「時折妙な気分になることはあります。
    
 特に例のもの(静電気発生装置)が私を打ちのめす時に。
     嫌な気分です。

    
 こんな苦しみにあういわれはないはずです。
     なぜだか分からないのです」

博士 「多分それがあなたにとって必要だからでしょう」
霊   「好きな時に好きな所へ行けて良いはずなのに、なんだか自分の意志がなくなったみたいです。
     行こうとしてみるのですが、すぐに誰かが私を捕まえて、ある場所へ押し込め、そこで気を失いかけるほど打ちのめすのです。
     そうと知っていれば行かないのですが、なんだか私を好きに連れ回す権利をもった人物がいるみたいです。

    
 (患者である、B夫人のこと)
    
 でも、私の方こそ、その人物を連れ回す権利があるがあるはずだと思うのです」
博士 「その女の人とは、いったいどういう関わりがあるのですか」
霊   「私はそのつもりで生きているのですが、その女性が私の邪魔をするのです。
     それで私が叱ると、逆に私を追い出そうとするのです。
     私もその人を追い出そうとします。
     そんな調子で、大変な取っ組み合いになるのです。
     私だってそこにいる権利があるはずなのに、なぜいけないのかが分からないのです」

博士 「多分あなたの方が、その人の邪魔をしているのでしょうね」
霊   「その人はすぐ私を追い出そうとするのです。
     私は何も迷惑なんかかけていないはずなのに・・・・。
     ただ、時たま話かけるだけなのです」

博士 「話かけるのが通じてますか」
霊   「時たま通じるみたいです。
     通じるとすぐさま私を追い出そうとするのです。
     なかなか礼儀正しい方なのですが、カッとなるところがあって・・・・。

    
 カッとなると、すぐ例のところ(静電気発生装置)へ行くものだから、私は気が遠くなるほどひどい目に遭うのです。
     とても怖くて・・・。
     私の方からその人を連れ出す力はありません。
     その人の方から私を追い出そうとしているのです」

博士 「あなたはその人につきまとわない方がいいですよ」
霊   「だって、私の身体なんですからね。
     あの人のものではありません。
     あの方にはそこに居座る権利はありません。
     なぜ私の邪魔をするのかが分からないのです」

博士 「あなたの自分勝手な振る舞いに抵抗しているのでしょうよ」
霊   「私にも生きる権利があるはずです・・・・・・・・・そうですとも」
博士 「あなたは自分が死んだことに気づかないで、これまでずっと一人の女性に取り憑いていたのです。
     あなたはスピリットの世界へ行くべきで、こんなところをうろついていてはいけません」
霊   「私がうろついているとおっしゃるんですか?
     そんなことはありません。
     誰にも迷惑はかけてはおりません。
     ただ、少しばかり喋りたいことがあって・・・・」

博士 「それが”雷”や”ひどい目”
(静電気発生装置のこと)にあう原因なのです」
霊   「最初の頃はなんとか我慢できましたが、最近はとてもひどくて・・・・。
      どうしてこんなことになったのか、少し考えないと・・・・」

博士 「今、それが分かりますよ」
霊   「あんな怖いものを止めにしてくれるのなら何でもやります」
B夫人「私もあなたにうんざりですよ。どなたです?あなたは」
霊   「赤の他人ですよ」
B夫人「お名前はなんとおっしゃるのですか」
霊   「私の名前?」
B夫人「あなたにも名前があるでしょう?」
霊   「Cです」
B夫人「C・何とおっしゃいます?」
霊   「C・H」
B夫人「どこにお住まいでしたか」
霊   「テキサス州のサンアントニオ」
B夫人「すると、ずいぶん以前から私に憑いていたのね」
(B夫人は永いことサンアントニオに住んでいた)
霊   「あなたの方こそ私に永い間つきまとってるじゃないの。
     なぜそんなに私の邪魔をするのか、それだけが知りたいわ。
     今の私には、あなたの姿がはっきり見えるわ」
(霊は、B夫人から離されて、今は霊媒のウイックランド夫人に乗り移っているので、B夫人を見ることができる)
B夫人「何と言う通りに住んでいましたか」
霊   「あちらこちらを転々としたわ」
博士  「あなたはもう肉体を失っておられるのですが、そのことが実感できませんかね。
      ずっと病気をなさっていたことは覚えてますか」
霊   「最後に記憶しているのはエル・パソに住んでいたことです。
      それ以後のことは何ひとつ記憶にありません。
      エル・パソに行ったことまでは覚えておりますが、そこを離れたという記憶はございません。
      どうやら今もエル・パソにいるみたいです。
      ある日、大病を患ったことを覚えています」

博士  「おそらく、その病気でお亡くなりになったのです」
霊    「エル・パソのあと、どこへ行ったかは知りません。
      かなり遠くまで行きました。
      列車で行きましたが、なんだか自分が空っぽになったみたいでした。
      誰一人話しかけてくれず、私はただその夫人
(B夫人)のあとを召使いみたいに付いてまわりました。
      不愉快でなりませんでしたけどね」

B夫人「あなたはその間ずっと歌いどおしだったので、私は気が狂いそうでしたよ」
霊   「だって、あなたは私の言うことをひとつも聞こうとしないから、注意を引くためにはそうでもするほかなかったのですよ。
      あなたが列車に乗るものだから、私は家からも家族からも遠く離されてしまい、それが辛かったのです。
      お分かりかしら?この気持ち」

B夫人「あなたの方こそ私の気持ちを理解していないのよ」
博士  「御自分の身の上に何が起きたか、お気づきになりませんか」
霊   「あの雷みたいなものだけは、もうご免です。私は退散しますよ」
博士  「御自分の身の上をよく理解してください。
      あなたは今はスピリットとなり、愚かにも人間に取り憑いているのです。
      あなたにはもう肉体はないということを悟りなさい。
      おそらくあなたは、重病になられた時にそのまま死なれたのです」
霊    「幽霊と話が出来るのかしら?」
博士   「実際にあることです」
霊    「私は幽霊なんかじゃありません。
      だって幽霊じゃ喋れないじゃないの。
      死んだのならそこらへんに転がっているはずよ」

博士   「死ねば肉体はその場に転がってますよ。
       しかしスピリットは転がってはいません」
霊    「スピリットは神のもとへ戻ります」
博士  「その神というのはどこにいるのでしょう?」
霊    「天国です」
博士  「天国はどこにあるのでしょう?」
霊    「イエスさまがいらしゃるところです」
博士  「バイブルには”神は愛なり。愛の中に住める者は神の中に住めるなり”と、ありますが、
      その神はどこにいるのでしょう?」
霊   「天国でしょうよ。
      とにかく、そういう難しいことは私は何も知りません。
      ただ、あの雷みたいな衝撃のために私が地獄のような苦しみを味わっていることだけは確かです。
      私にとって何の役にも立っていません。
      真っ平御免です」

博士  「だったらこの夫人に近づかないことです」
霊   「今その人の姿がよく見えます。ちゃんとした会話ができます」
博士  「でしょ?でも、これが最後となるでしょうね」
霊   「どうしてですか」
博士  「この場を離れたら、ご自分が別の人間の身体を使って話していたことに気づかれますよ。
      その別の人間というのは私の妻のことです」
霊   「ご冗談を!あなたのことをもう少しは物分かりのいい方と思ってましたが・・・」
博士  「突拍子もないことに思えるのも無理はありませんが、でも、この手をごらんなさい。
      間違いなく自分の手ですか」
霊    「私の手ではなさそうですが、このところ変なことばかり起きてるものですから、頭の中がこんがらがっているのです。
      
あの婦人(B夫人)のすることは気狂いじみてるのです。
      私はそれに振り回されて、いったい何をしようとしているのか、なぜそんなことをするのか、そればっかり考えているのです」

博士   「あなたが出て行ってくれれば彼女
(B夫人)は喜びますよ」
B夫人 「Cさん、お年齢は幾つですか」
霊   「女性は年齢を言いたがらないことくらい、あなたもご存じでしょう?」
博士  「特に未婚の方はね」
霊   「どうかそれだけはご勘弁を。適当に想像なさってください。私の口からは申しませんから」
博士  「ご結婚はなさいましたか」
霊   「ええ、ある男性と結婚しましたが、好きになれませんでした」
博士  「その方の名前は?」
霊   「それは言えません。絶対に口にしたくありません。彼の姓を名乗りたくありません。
      私の名はC・H・・・・・・・・・・・これが私の本名であり、彼の姓は使いたくありません」

博士  「ところで、霊界へ行きたいとは思いませんか」
霊   「なんというバカげた質問ですこと!」
博士  「あなたにはバカげたことに思えるかもしれませんが、霊界は実際にあるのです。
      霊的なことは人間の常識ではバカバカしく思えるもののようですが、
      実はあなたはもう肉体をなくしていらっしゃるのです」
霊   「なくしてなんかいるもんですか。
      私はずっとこの婦人と一緒に行動しているのですが、私の気に食わないことが一つだけあります。
      それは食べ過ぎるということです。
      もりもり食べて元気をつけるものだから、私は力で敵わなくなるのよ。
      私のしたいように出来ないということです。
(B夫人に向かって)
      
あなた、少し食べる量を減らしてよ。
      私はいつもあれは食べるな、これは食べるなと言ってるのに、あなたはちっとも感づいてないわね。
      聞こうともしないのだから・・・」

B夫人「私が行きなさいと言っていたのは、ここのことですよ。
     でも、あなたはどうしても一人で行こうとしなかったわね」
霊   「分かってますよ。
      でもあなたは、私をこんな雷の鳴る場所へ連れてくる権利などありませんからね。
      あんなひどい目に遭うんだったら、一緒になんか居たくないわ」

博士  「雷の仕掛けは隣の部屋にあるのですが、少し掛けてあげましょうか」
霊    「いえ、結構です。もうたくさんです」
博士  「だったら、私の言うことをよく聞きなさいよ。
      言う通りになされば、あんなものは必要ないのですから。
      いいですか。
      あなたは何も知らずにいるスピリットなのです。
      今、置かれている事情を知らないという意味です。
      あなたはもう肉体を失ったのです。
      ご自分では気がついていないようですが・・・・」
霊    「そんなことがどうしてあなたに分かるのです?」
博士   「あなたは今、私の妻の身体を使って喋っているのですよ」
霊    「私はこれまで一度もあなたにお目にかかったことがないのですよ。
       その私があなたの妻だなんて、そんなバカなことがこの広い世界にあり得ますか?冗談じゃないわ」

博士  「私もそれはご免こうむりますよ」
霊   「こちらこそ!」
博士  「実はこれ以上、私の妻の身体を使っていただくと困るのです。
      あなたはもう肉体がなくなっていることを悟らないといけません。
      この手
(ウイックランド夫人の手)をごらんなさい。ご自分のものだと思われますか」
霊   「近頃私の私の身の上にいろいろと変化があったものですから、頭が変になりそうなのです。
      もううんざりですわ」

博士  「これ!C、いい加減に目を覚ましなさい」
霊   「私はちゃんと目を覚ましていますよ。そんな言い方は止めてください。
      さもないと、あなたの聞いたことをもないことをある人に言わせてやりますからね」

博士  「これ、C!」
霊   「私はC・Hでございます」
B夫人「C、先生のおっしゃることをよくお聞きなさい」
霊   「私は誰の言うことも聞く気はありません。
      きっぱりそう申し上げておきます。
      あの人になったりこの人になったり。もう、この先どうなっても平気です」

博士 「今、あなたは、私の妻の身体を使って喋っていることをご存じですか」
霊   「バカなことをおっしゃい!そんな気狂いじみた話は聞いたことがないわ!」
博士  「そろそろ分別心を働かせないといけません」
霊   「分別心?私は立派な分別心を持っておりますけど・・・・。
     ではあなたは完璧な人間ですか」

博士  「もちろん完璧ではありません。
      私が言っているのは、あなたはもうスピリットとなっているのに、そのことを理解せずに、身勝手なことをしているということです。
      あのご婦人をずっと苦しめていらっしゃるのです。
      それで、例の”雷”を使ってあなたを追い出したわけです。
      あなたが認めようが認めまいが、今はもうあなたはスピリットなのです。
      その事実にあなたは無知でいらっしゃる。
      素直に言うことを聞かないと、隣の治療室へ連れてって、またあの”雷”を見舞いますよ」
霊   「あれはもう勘弁してください」
博士  「だったら、その態度を改めなさい。
      生命に死はない・・・・・肉体を失っても人間の目には見えなくなるにすぎないことを、素直に理解しなさい。
      私たちからはあなたは見えないのですよ」
霊   「私はお二人とは何の関係も御座いませんので」
博士 「私たちはあなたの力になってあげたいのです。
     なんとかして今の身の上の真実を分からせてあげたいと思っているのです」
霊   「お力添えは無用ですよ」
博士  「どうしても言うことを聞かないとなったら、高級霊の方たちに連れて行っていただいて、牢に入れてもらいますよ」
(高級霊=ウイックランド夫人の守護霊団は、あの世に念の力で「牢」を作り、そこに不成仏霊を閉じ込めることができる)
霊   「私に脅しをかけるつもりなのね!
      そんなことをしたら、あなたこそヒドい目に遭いますよ。覚えてらっしゃい!」

博士  「その意固地な態度を改めなさい。
      あたりをごらんなさい。
      あなたに気づいてもらおうと思っている人が目に入るでしょう?
      その人を見たらあなたは泣きだすでしょうよ」
霊   「私は泣いたりなんかするものですか。
      反対に歌い出しちゃいますよ」

博士 「お母さんは、今、どこにいますか」
霊   「永いこと会っておりません。え、母ですか?ああ、母ね!
      母ならもう天国へ行ってますよ。立派な女でしたからね。
      今頃は神と聖霊と、その他もろもろの人たちと一緒にいることでしょうよ」

博士  「あたりを見回してごらんなさい。そのお母さんがいらっしゃいませんか」
霊   「ここは天国じゃありませんよ。とんでもない!もしここが天国だったら、地獄よりひどい所ですよ」
博士  「お母さんを探し出すことです。
      今のあなたの恥ずべき状態を聞かせてくれますよ」
霊   「私は何も恥ずべきことはやっておりません。
     いったいなぜ私にあんな雷なんかを落としたり牢へ入れたりなさるんです?
     私はそこのご婦人と話合って取り決めたことがあるのです」

博士  「この方は私のところへ来られて、あなたを取り除くための取り決めをなさったのです。
      そこで電気仕掛けで、あなたをこの方の身体から追い出したというわけです。
      もうこの方はあなたの仲間ではありません」
霊    「そうね、みんなしばらく私から離れちゃったわね。
(B夫人は霊感体質なので、他にも沢山の霊を自分のオーラの中に捕まえてしまっていた。
 それらを博士達が一人一人説得しては取り除いていた)

     
 見当たりませんもの。
      あの背の高い男をなぜ追い出したのですか」

博士  「それは自分の身体が大事だからですよ。
      地獄霊に苦しめられたくはありませんもの。
      あの連中と一緒がいいのですか」
霊   「あなたのおっしゃっていることの意味が分かりません」
博士  「あなたはご自分がこの婦人を悩まし、地獄のような毎日を送らせていたことがお分かりになりませんか」
霊   「
(B夫人に向かって)私はあなたを悩ませてなんかいませんよ」
B夫人「今朝だって私を3時に起こしたじゃありませんか」
霊   「あなたに寝る資格はないわよ」
博士  「あなたはあなたなりの生き方をしなきゃだめです」
霊   「そうしているつもりです」
博士  「言うことを聞かないと暗い牢の中で暮らすことになりますよ」
霊   「どうしてそんなことが言えるのですか」
博士  「あなたに、いつまでもそのままでいてもらっては困るのです。
     もっと素直になって助けを求めた方が身のためですよ。
     私は妻とともにこの仕事を何年もやってきました。
     妻はこうやっていろんな性格のスピリットに身体を使わせてあげて救ってあげているのです」
霊   「(皮肉っぽく)まぁ、立派な奥さんですこと!」
博士  「恥を知ることも大切です。
      如何です、お母さんの姿が見えませんか」
霊   「見たいとも思いませんね。
     天国から呼び戻すこともないでしょう」

博士  「天国というのは、”幸せである状態”のことですから、
      あなたのような娘がいては、お母さんも天国なんかに居る心地はしないでしょう。
      いかがです、もしもあなたが天国にいて、地上に一人の娘が居て、その娘があなたのような状態でいるとしたら、
      あなたは平気でいられますかね」
霊   「私はヘソ曲がりではありません!
      私のどこがいけないというのですか。おっしゃってください!」

博士  「それはもう言いました。あなたは私の妻の身体に取り憑いているのです」
霊   「私にどうしてそんなマネが出来るというのです?」
博士  「物質を超えた霊的な法則があるのです。
      そして今はもうあなたは一個のスピリットなのです。
      スピリットや精神(マインド)は肉眼では見えないものです。
      あなたは我儘で、物事を理解しようとなさらないけど・・・・」
霊   「ここは天国なんかじゃありません」
博士  「ここはカリフォルニア州のロサンゼルスです」
霊   「御願だから冗談は止めてよ!
      私はどうやってここに来たのかしら?」

博士  「こちらの婦人に取り憑いて来たのです。そういうわけです。
      おかげでこの方は、あなたを取り除くために、あの雷を受ける羽目になったのです」
霊   「おバカさんですね、そんなマネをするなんて」
博士  「なんとしてもあなたに離れてもらいたい一心からなのです。
      なんとしても離させるでしょうよ」
霊   「あの雷だけはもうご免こうむります」
博士  「素直に言うことを聞かないと、高級霊の方たちがあなたの嫌がるものをお見せしますよ」
霊   「(或る幻影に怯えて)それだけは止めて!」
博士  「お望みでなくても、こうするしかありません」
霊   「そんなのないわ!」

どうしても理解させることが出来ないので、このスピリットは高級霊団に引き取ってもらった。



<低級霊とは>(2009年3月6日)

これを読んだ方数名から、「こういう人はいる。姑だ」「前の職場の上司がそうだった。」「母の知り合いに居る。」というメールが来ました。
居ますね、実際に。
「こういう人」とは・・・
◆相手の話を聞かない
◆相手の話を理解しない
◆相手の話を聞いてないし、理解していないが、その自覚が無い
◆それなのに自分は常に正しいと無意識無自覚で思っている
◆それなのに、当然の、当たり前の、とても簡単なコトが理解できない。
  たとえば自分の身体が本来の自分のモノでは無い、ということが分からず、
  それを指摘されても少しは変だと思っても、それ以上は考えない。
  この点はどう考えてもその感受性、感覚はおかしいのだが、当の低級霊には別におかしいことでは無いようだ。
◆自分がこのような当たり前のことすら理解出来ないほどの、低級な頭と精神の持ち主なのに
  その自覚は無く「自分が知っていること」については、当然知っているので、たとえばこの事例で言えば
  やたら「権利」を多用し、自分が決してバカでは無いことを話し相手に印象づけようとしているかのようだ。
  このような人は普通に見られます。
  誰もが「自分が知っていることは知っている」し「自分が分かっていることは分かっている」のです。
  そんなのは当たり前なのです。
  人間に求められる最低限のモノは何かと言えば「相手が喋る言葉の内容を理解すること」
  「当たり前のことを理解すること」です。
◆この低級霊も、ウイックランド医師をこバカにしているが、低級霊を何人か見た感じでは、皆、
  自分のバカさに気づかず相手をこバカにしています。
◆謙虚さというものが無いので、相手を話を真剣に聞くという態度すら取れないが、勿論その自覚は無し
◆なのでどうやっても理解させることは出来ない。


要するに「低級霊」(不成仏霊・地縛霊・憑依霊)とは「悪い霊」ではなく、「分からずやの霊(ひと)」です。
「良い人なんだけどなぁ・・・分からずやでなぁ・・・」と、ひとから言われてしまう人。
この状態が拗れて世を恨み、他人を害する気持ちが強くなっているのを「悪霊」と言います。(私の定義です)


他の事例では、乱暴な殺人犯でも、最後にはウイックランド医師の説得を理解するのです。
ということは、
「己を高くする者」が一番「低い」と言えますね。
そして、そのような人が私達の周囲のあちこちにいるのです。


さて、閲覧者の方から「周囲に居ます」というメールをもらいました。
「彼らから離れて良かった」と書いてあるので、「いや、それは甘い。彼らが死んだら、あの記事のような存在
(低級霊、憑依霊)となるんですよ。何か防護策を講じておいた方がいいですよ。」
と、返事をしました。

上のような性格と能力の人たちが「死後の世界」についての知識が無いまま死ぬと、
かなりの確率で(私は90%以上は行くと思うが)不成仏霊、地縛霊となり、誰かに憑依することでしょう。
憑依する相手は「縁の有る人」だそうです。
家族親戚は危ないです。

地縛霊とは「地面に縛られた霊」ではなく「地球に縛られた霊」のことらしい。
地球を取り巻く
パラダイスという次元に行けず、この三次元地球(物質)から離れることが出来ない存在のようです。
<低級霊が増えるのを阻止するためのミッション>(2009年3月6日)


低級霊は低級霊を増やします。
低級霊に取り憑かれておかしくなった人が低級霊になっていく・・・1920年から30年間の研究で
ウイックランド医師は警鐘を鳴らしました。
その後死後の世界については様々な人が本を書いたりして、やはり警鐘を鳴らしています。
それは「死後の世界」についての知識を、まずは人々の頭に入れようという、上の方の計らいだと思います。

日本では今から20年ほど前に俳優の丹波哲郎氏が「自分は霊界の宣伝マン」と称して
自分の趣味を兼ねて、霊界について宣伝していました。
彼の使命だったのでしょう。
それを可能にするために、霊界は彼に仕事で成功させ、お金持ちにさせたのでしょう。
そして彼は心が素直なので、自分がやりたいことをやっていたのでしょう。
彼の活動によって、知識として「霊界は有るのだ」というのが日本人に広まったことは良いことです。

また、さらにその前は新倉イワオ氏が「あなたの知らない世界」というテレビ番組を作り、
霊能者のギボ愛子さんとともに死後の世界について啓蒙していましたね。
これも日本人全体に「死後の世界が有る」ことを知らせる上の方からの働きかけなのでしょう。
<悪人は居ない、低級な人が居るだけ>(2009年3月7日)


悪人というのは厳密に言うと居ないのではないかと思います。
居るのは「分からずや」です。
憑依していた霊の中に、子供の頃継母から毎日殴られていた少年が、大人になってからは世の女全てを憎み、
捕まえては身体を切断して殺していた人がいます。
この人の悪いところは、殺人をする前に「自分が子供時代に女から苛められていたことと、大人になって自分が他人の女を
殺害することには何ら関係は無い」ということが「分からない」ことです。

日本でもいましたね。
自分が子供時代に飼っていた犬を保健所の人が殺処分した。
それをずっと憎んでいて、大人になってからコトもあろうに厚生省の役人を殺害した事件。
子供時代に飼い犬を処分したのは父親なので、父親を憎むのならまだ、話は分かりますが、全く関係の無い役人を憎んで殺すとは
いくら思考力が無くても、ここまで無いとは・・・と、世の人たちは驚いた。
でも、当人にしてみれば、自分の考えではちゃんと辻褄が合っているのです。
この犯人も思考力が変、乏しい、無い人です。

悪人というのは、このように普通の人より思考力に乏しい。
それを私は判断力や思考力が低いという観点から「低級である」と言います。
波動量が低次元である、という意味です。
低級な(試行力の乏しいか無い)人の霊=低級霊
です。
生きているか居ないかの違いがあるだけで、内容的には同じなのです。
<徳の賊>


クリスチャン・サイエンスという思想の創始者である、エディ女史は、その間違った考えから死後、低級霊と化していました。
それをウイックランド医師達は彼女の霊と対話することにより、魂を救いました。
ウイックランド医師のところにはあの世の霊が何百人も列をなして順番待ちしていたそうです。
エディ女史は最初の思いつきは良かったのですが、途中から「自分の事業を拡大したい」という低次元の欲が入ったため
真実を見なくなり、その結果中途半端な世界(地獄)に堕ちていたようです。
もっと悪いことに彼女はその思想で沢山の信者を作ってしまいました。
信者が全て救われないと彼女も困ります。
(こういう状態を相似象では「徳の賊」と言います。
  そのままでいたら正しい道、真っ直ぐ上、天を目指す道を歩めた人を、間違った思想で横道に逸れさせてしまう人のこと。
  この罪は自分一人が地獄(的な状態)に堕ちるのではなく、それを信じた沢山の人を道連れにするので大変重大な問題です)


エディ女史がウイックランド医師によって救われた後、彼女の思想の熱心な信者だった人の霊が出て来ました。
<或る霊との対話2>(2009年3月7日)


1918年6月16日

スピリット=女性であること以外は不詳

霊  「ここはどういうサークルですか?」
博士 「無知なスピリット、暗闇の中にいるスピリットを救ってあげることを目的としております」
霊  「あんなに歌うのは良くないです。静かにして、精神を集中して理解すべきです」
(歌は賛美歌で、参加者の精神を統一するためと、この場を浄化し高次元の守護を強化するために歌われるのでしょう)

博士 「何を理解するのですか」
霊  「正しい悟りです」
博士 「それは何ですか」
霊  「神の霊性です」
博士 「それはどんなものですか」
霊  「お分かりにならなければ勉強なさることです」
博士 「神とか霊性とかについて、ご説明いただければ有り難いのですが・・・」
霊  「神とは万物の中に存在し、かつ、万物そのものです。
     私たちは、その医大な霊性の一部なのです。
     その大霊に向かって心を集中するのです。
     内部に宿る高等なエネルギーを発達させるのです。
     でも、今日はそんな話をしに来たのではありません」

博士 「我々を啓発してくださらないのですか」
霊  「クリスチャン・サイエンスの教会の会員でないと・・・」
博士 「さっき、神は万物の中に存在するとおっしゃいませんでしたか。
     我々の中にもいらっしゃるのでしょう?」
(博士、ナイス突っ込み!)
霊  「正しい悟りを得ればの話です。
     正しい悟りを得なければ神の一部ではありません。
     皆さんは俗物の部類に入ります。」

博士 「神は万物の中にあるのに、私たちは神の一部ではないのですか」
霊  「あなた方の質問にお答えする気はありません」
博士 「俗物も神の一部ではないのでしょうか。
     死後はどうなるのでしょうか」
霊  「私は死とは何の関わりもありません」
(クリスチャン・サイエンスでは”死”を無視するように教えている)

博士 「神は見出されましたか」
霊  「神は、宇宙の謎を理解した時に自分の心の中に見出すものです」
博士 「あなたの場合は如何ですか」
霊  「私には悟りがありますから、大霊と一体です」
博士 「何の悟りですか」
霊   「神と、自分の開発についての悟りです」
博士  「私の見るところでは、あなたは利己心を開発しただけです」
(博士、ナイス突っ込みぃ!)
霊   「そんなものは俗界の話です」

博士 「肉体を失った生命はどうなるのでしょうか」
霊  「無限なる生命のもとに戻ります」
博士 「それはどこにあるのでしょうか」
霊   「ご存じないのですか。私には分かっておりますが、今その話をする気になれません。
     議論はしません。私自身は知っていますが、教えたくありません。
     私は”神によって選ばれた者”の一人なのです」

博士  「無知な者には教えたくないわけですか」
霊   「はい、教えたくありません」
博士  「何という教会に属しておられたのでしょうか」
霊  「”悟りの教会”です」
博士 「それはどこにあるのでしょうか」
霊  「本当は世界中にあるべき教会でした、悟りを開き、物質を俗物性を克服し、無限なる生命と一体となるための教会です」
博士 「クリスチャン・サイエンスの信者なのですね?」
霊  「そうです。
     なんでこの私が、あなた方のような俗物根性の塊のような人達のところへ降りて来なければならないのでしょうか」

博士 「そこですよ。
     あなたほどの方が、こんな土くれで出来た人間どものところへ降りてきたことを変だと思いませんか。
     そんなことになるような、何か大きな過ちを犯しておられるに相違ないのですが、いかがでしょう?」
霊  「多分、俗界での使命があるのでしょう。
    俗物根性を棄て去るように、そして無限の大霊と一体となるようにと教えるためでしょう。
    あなた方はまだ悟りを開いていらっしゃらない。
    正しい悟りへと導くのが、私が、今回こうして降りてきた目的なのかもしれません。   
    そのためには、まず最初のステップとして、エディ女史のお書きになられたものを読まないといけません。
    それから無限と一体となって俗物根性を棄てるのです。
    今はまだまだ無限なる存在を理解していらっしゃらない」

博士 「その”無限なる存在”は、あなたのことを何とお呼びになっておられますか」
霊  「そんなことをあなたと語り合ったり、議論したりするつもりはありません」
博士 「あなたが、まだ俗物だった時のお名前を教えていただけませんか」
霊   「名前?名前というのは俗界のものです。
     私にはもう関係ありません。
     そんなことに関わると霊性が下がります。
     私は無限なる存在・・・・・・・あなたの内部に宿る大霊について教えにまいったのです」

博士 「そのご足労に対して2ドルお支払いしたいのですが、いかがでしょうか?」
霊  「それを俗物根性と言うのです。
    内部の神性の火花に点火するのです。
    そうすれば神のもとに近づけます」

博士 「こんな私達でも、そんな高いところまで上がれるものでしょうか」
霊  「上がれますとも・・・・・・・・・勉強に勉強を重ねなければなりませんが・・・・・・・・・・。
     それしか救いの道はありません」

博士 「あなたはとても高度な段階まで進んでいらして、私たちとは話が合わないみたいですね」
霊  「私は俗界からはるか遠くへ隔たってしまって、本当は戻ってくる必要はないのです。
     向上あるのみです」

博士 「こうして俗界へ降りてこられるのは大変な苦痛を伴うことでしょうね?
     でも、古い諺に”上がる者は下りなければならない”というのがあります」
霊  「あなたは、いったいいかなる素性の人間なのですか」
博士 「ただの常識人・・・・あなたのおっしゃる俗物ですよ」
霊   「では、私が少しでも高いレベルへ導いてさしあげましょう」
博士 「お名前は何とおっしゃるのでしょうか」
霊  「”インフィニット”と呼んでくだされば結構です」(”無限”の意味)
博士 「キリストは罪深き人間のもとに降りてこられました。
     あなたはそのキリストをも超えていらっしゃるわけですね?」
霊  「私は無限なる神と一体です」
博士 「その神とお会いになられましたか」
霊  「神は内部にましますのです。
     すべては無限なる神の一部なのです。
     大宇宙の神とともにあるのですから、幸せなのです。
     喜悦と調和があるのみです。
     私はその神と一体となっています。
     あなた方は、まだ土くれの中に宿っていて、そういうことを何もご存じない」

博士 「これはまた、大そう念の入ったご教示ですね」
霊  「その無知を克服するのです。一種の過ちなのですから・・・・」
博士 「誰の過ちでしょう・・・・・・・・・神の、それとも人間の?」
霊  「私は、あなた方を向上させてあげないといけないのです。
     悟りを開かせ、神と一体となるように導くために遣わされたのです」

博士 「論争してみるのも面白そうそうですね」
霊  「私にはこれ以上の教えは無用です。神と一体なのですから」
博士 「クリスチャン・サイエンスでは、死後はどうなることになっているのでしょうか」
霊   「神の一部にしていただけるのです。
     地上で私はクリスチャン・サイエンスの総本山であるボストンの教会に通っておりました。
     ”選ばれし者”の一人なのです」

博士 「エディ女史にはお会いになりましたか」
霊  「エディ女史はキリストそのものです。
    女史は、私にとってもキリストです。神そのものなのです。
    地上で最も優れた女性であり、全ての者が崇拝の対象とすべきお方です」

博士 「あなたはいつからクリスチャン・サイエンスに、そこまで夢中になられたのですか」
霊  「答えません」
博士 「エディ女史は他界されてどれくらいになりますか」
霊  「あなたと話をする気はありません」
博士 「あなたとエディ女史のどちらが先に死なれましたか」
霊  「(毒々しい言い方で)あなたの質問には答えません」
博士 「神と一体のあなたに、それほどの毒気があるとは知りませんでした」
霊  「エディ女史は死んでいません。
     これから先も永遠に死にません。
     無限なる大霊についての教育者なのですから」

博士 「エディ女史にお会いになったことがありますか」
霊  「今、ボストンにいらっしゃいます」
博士 「もう亡くなりましたよ」
霊  「亡くなっていません。永遠にお亡くなりになりません」
博士 「数年前に死にました」
霊  「女史自ら死なないと説いておられるのです。
     土くれから一気に無限の存在になられたのです」

博士 「あなたは死んでどれくらいになりますか」
霊  「私は死んでいません。土くれの肉体から離れただけです」
博士 「このロサンゼルスまでどうやって来られましたか」
霊  「ここはロサンゼルスではありません。ボストンです」
博士 「ある高級霊の一団があなたをお救いするために、ここへ連れて来られたのです」


結局このスピリットは、この方法ではラチがあかないと判断され、霊媒から引き離された。


この対話を読むと、ひとつの思想に凝り固まった人の考えを変えることは容易では無いことが分かります。
一つの思想に凝り固まってない人の考えを変えることも困難ですが、それ以上に何倍も困難になる。
せっかく自由に生まれながら人はこういう不自由・・・つまり「信仰」を選び、教祖に「服従する」人がいる。

過去世で信仰を持たないため、或いは或る信仰を持ったたために迫害されて虐殺されたり拷問されたりした、その記憶が
身体に有る人、そこまで行かなくても他人と仲良くするため自分の身を守るために信仰していた人、
信仰することが当たり前な時代の記憶が身体に有る人などが、その心の癖やカルマによって、今世また熱心な信者になって
しまうのではないかと思います。

私は自由が好きなので自分の考えを狭める信仰は持たない。
真面目では無いので信仰に付随する諸々の面倒臭いコトもやりたくありません。
その時間があったら自分が好きなことをしますね。
謎の探究がいいな。
トンデモの道を探りたいです。


もう一つ。
この霊の「己を高くする態度」「己を高くする心の姿勢」はどうでしょう、凄いですね。
その結果大変低い境地にいるわけですがそれには気付きませんw
幸せなのか不幸なのか・・・・・・勿論不幸ですけどね。

しかしこういう人はいるのではないでしょうか。
精神世界というところに沢山いそうですね。
常識、当たり前のことが分からないのに、何か特殊なことが分かったような気になっている人。
その前に当たり前のことを分かれって言いたいですね。
私に叱られたりするのはそういう人です。

相手が多少分からずやでも私はOKです。
人は誰でも多少は分からずやだから。
自分もそうだし・・・

しかし分からずやなのにそれに気づかず、自分がさも何かを悟ったような態度をしている人は、私のセンサーに引っ掛かり
ズバリ指摘されることになります。
殆どの場合、そうなっても(あ、そうか!)と悟ることはありません。
勿論、逆上したり堕ち込んだりします。

私は「せっかく指摘してあげたのに」と恩に着せることはしないし、「何故分からないのだ!」と、怒ることもしません。
一応義務として相手に伝えるだけです。
(分かっちゃった者の義務、という意味)
(正直面倒臭えです)
(いっそサイレント化したいです)

その後相手がどのような反応を示そうと、それは相手の責任です。
私の関知することではない。


人によってはそれを無責任だ、言われた方の身にもなれ、とか、その発言でさらにおかしくなったのなら責任を取れとか、
お門違いの忠告をする人がいますが、事実を言われて裏目に出るのは全て「本人の責任」ですよ。
そこまで考えてみれば分かることです。
本人の受取方が悪いのは本人の責任です。
情報の処理の仕方がまずいのも、本人の責任です、他の誰の責任でもありません。
(これが、よく言われる「全てのことについて、責任を持て」ということです)

同じ指摘をされながら一人はすぐさま悟り反省するが、他の一人は逆上して逆恨みをし低級霊の度合を一歩進める。
これは発言した方に責任がありますか?
受け取る方の責任ですね。
感受性の違い、思考力の違いからきます。

また、「人を見て説法せよ」「人を見てモノを言え」と言います。
これはそのとおりです。
誰も子供相手に難しい話なんかしやしません。
相手は「大人」なのだから、大人相手に話をします。
しかも精神世界に首を突っ込んでいるような、一応心や精神、魂についての知識がある人です。
何も知らない人に対しては、私も何も言いません。
その、精神世界の大人の思考力が乏しかったり感受性がマットウで無いのは、こちらの責任では無く
全て指摘を受けた方の責任ですが。


世の中に、自分の責任を取れる人と取れない人がいるようだ。
たしかにいます。
でも、自分で自分の責任が取れない人には、責任がやってこないかと言えば、そういうコトはありません。
誰にでも「自分の責任は自分で取る」ことが求められる。
誰に求められる?
神と言ってもいいし、自然の摂理と言ってもいいでしょう。

たとえばここに登場する霊です。
彼女らは生きていた時、相当な分からずやでした。
なので死んでからも同じく分からずやを続けています。
これも「自分で自分の責任を取らされている」と言えるのです。
分からずやに恩赦があればいいが、そういう特別扱いはありません。
ただの分からずやであるだけなのに、成仏出来ず何年も幽界を彷徨っているのです。
そうやって生前の自分の意識の責任を取っているのです。


よく、物事が分からない人に対してそれを指摘せず、お守りをしたりおだてたり褒めたりして導こうとする人がいる。
しかしそれは成功しないでしょう。
相手に信頼してもらって自分の言うことを聴き入れる体勢になってもらって・・・と、考える人。
相手を懐柔しようとする人がいます。
(仏の刑事のほうです)
何故ならそれをされる人はお守りをされているうちはいいが「では」と事実を切り出せば、やはり理解出来ず、
感情的に反応して終わるのです。
ということは・・・・・・・・・・・・・・・・それまでに費やした長い時間が勿体無い。

(そういう霊、ひとは他人に自分のお守りをさせたいのです、なるべく長期間。
 それが低級霊です。
 生きてていても、こういう人はいますね。
 そして同波長のモノを呼んでしまい、秋葉原で無差別に人を殺傷するのです。
 彼も長いことネットで他人に甘えては相手をさせていました。
 ネットで彼の相手をしていた優しい人達も、彼が絶対に自分の考えを曲げず
 ひとのいうことを聞かないので皆離れて行きました。
 それで彼が反省すれば良かったのですが、さらに低級化を進め最後には悪霊と化してしまったのです。

 不幸になる早道は「他人に甘えること」です。
 自分の責任を自覚せず、他人が自分を気持ち良くさせてくれることを常に望む人。
 自分を気持ち良くさせることとは、自分が何を言っても「そうだねそうだね」「あなたは悪くないよ」
 「あなたは間違ってないよ」「あなたはそのままでいいよ」と、「YES」と、言ってもらうことです。

 こういう人の中には自分がそれを言われるのが嬉しく心地良いので、他人もきっと喜ぶだろうと思って他人にも言う人がいます。
 私などはそういうコトを言われるのは気持ち悪いので、興味を失って離れていきます。
 するとそういう人は自分は相手が喜ぶことを沢山発言したのに、何で離れるのだろうと不満に思う。
 そして、さらに相手が気に入りそうなコトをしてみせるのです。
 たとえば・・・・・・・私が相手の場合は「物事が分かること」だと、そういう人は見当をつけるw
 まぁそうですよ。
 私は「自分が楽をしたいので、話が通じる人がいい」のです。

 ところが、上のような人は殆ど物事が分かってないのにも関わらず「分かりました」と言うので、私からさらに鋭く指摘されることになる。
 「あなたね。分かって無いのに分かったと言ってはいけないな」と。
 この人は「自分で分かったと、誰かに申告すること」と、「本当に自分が分かったこと」との違いが分からない。 
 相当な分からずやです。

 さて、私から「それは違う」という返信が来た。
 自分が思った反応では無いが、一応の返事が来ました。
 なのでそれからは「自分が少しは分かったこと」や「分からないが努力する」などという、私には全く無関係の話をします。
 こういう話をするということが、そもそも「何も分かって無いことの証明」になっていますが、本人にはそれが分かりません。
 私にとって他人が分かろうと分からなかろうと、関係が無いのです。
 そんな簡単なコトも分からない。
 自分が分かるようになれば、ifが喜ぶと思っているようです。
 あり得ません。
 自分が分かるようになって一番喜ぶのは自分ではないでしょうか?

 こういう自己中の分からずやをそのまま放置をしてもいいのですが、
 そのままでは全く向上が認めらないので、それでは気の毒と思い
 「だからあなたは分かって無いのだから、分かったと言うのはおかしいんですよ」と、言います。
 かなりのサービスです。

 これだけではなく、こういう人はトンデモない場所でトンデモないことをしているので
 そこを注意されると、こういう人は私が好みそうな態度をします。つまり「平謝り」です。
 でも、私は態度だけ謝られても困るのです。
 謝らなくていいんです、理解してくれれば。
 でもこういう人は殆ど全くと言ってよいほど何も理解しません。
 そこのところがこういう人には理解できない。

 この人は最初は大天使(低級霊)と会話(妄想)していましたが、何も悟ることが無かったので状態が悪化する一方でした。
 BBSを荒らしたり最後には警察沙汰になりそうなコトまでしました。
 絵をウソの住所と名前で注文するとか・・・私の損ならいいが、無い住所を探しまわった郵便配達の方が気の毒です。

 他人から指摘された時、反省か理解をして↑を向けばいいのです。
 指摘されたことに感情的になり↓を向いて行くことを繰り返せば、ここまで堕ちます。
 これを低級霊、或いは悪霊と言います。
 死んでから低級霊となる人は生きているうちも勿論低級霊です。
 生きているか居ないかの違いがあるだけです。
 この人は一人ですが、指摘されても理解せず堕ちて行く人、ひとの話を誤解する、常に悪意を持っている人などはいます。
 生きながらにして低級霊と化した方たちです)

 
これを「勿体ない」と思うか、「いい経験だった」と思うか、それも自由です。
しかし、そのような時間の無駄をしないのは過去にそういう体験(何をしても相手には通じない体験)をした上で、
その経験が何にもならないことを経験しているので今はしないだけなのです。
「相手を懐柔すること」が有効であると、思っている人はやれば良いし私はしないだけです。

精神世界にこの霊のような人はウヨウヨいますが、幸いにしてそういう人とは縁が無いか、有っても切れるようなのでよかったな、
と思っています。
<本音で語ること>


ウイックランド医師も、霊に対してなだめたりすかしたり、褒めたりおだてたりはしていませんね。
彼はとても率直に正直に語っています。
ユーモアすら感じます。



「アセンションの道しるべ」(アメリカでは1980年代半ばから1990年代にかけてチャネリング)
という本の中でリサ・ロイヤルが書いています。(日本では2003年に発行されています。内容的にやや古い感じ)


「自分の本音を知る」

人間関係において、あなたが他の人々に与えることができる最良のプレゼントは、百%自分の本音で話すことです。
「本音で話す」とは、慈愛に満ち溢れた心で、敬意を持って正直に人と接することです。
長い間、自分の本音を押し殺していると、抑圧されたエネルギーが感情体で滞ってしまい、やがてそれが体内で毒素に変わります。
すると、あなたの心身は内側から蝕まれていき、やがてそれが病気になって、あなたを苦しめることになります。
「私は人から愛される価値の無い人間だ」と自分を責めて、ガンや心臓病になる人々もいます。
本音を押し殺す人ほど、病気になり易いのです。
あなたの中を流れている、宇宙の創造的なエネルギーが堰き止められて、一定の限度を超えると、それが病気に変わります。
また自分を制限するさまざまな思考パターンが、あなたの心に不調和を生みだし、やがてそれが、
あなたの人間関係にも悪影響を及ぼします。

<勝ち組負け組の逆転始まる?>(2009年3月3日)


リンク1の「愛の日記」(2009年3月2日)より。
マドモアゼル愛氏が感じる、実感として紹介します。
勝ち組負け組の逆転スタート New! 2009年03月02日(MON)

一時期はやった勝ち組と負け組だが、大体は負け組だった。
しかしここに来て、その差がつまっているというか、逆転がスタートし出した。
 いま、一番困っているのは、仕事を失った低所得者層であり、派遣に代表される人たちなどかもしれないが、
その一方で、これまで自分のことをエリートだと信じて疑わなかった人たちのほとんどがやられ始めた。
具体的に言うと、一流企業などの部長以上だが、その中でも、不要なエリート意識を持っていた人である。
一流企業の上層部でも人格的に立派で、エリート意識とは無縁の人も多いが、そういう人はあまりやられてない。
やられているとは、要するに、デリバティブにやられている。
日本はこの十年、西欧の金融デリバティブには完全な遅れをとり、
たんなる円キャリートレードという潤沢な資金を世界にばらまく役割を担ってきた。
小泉、竹中の時代は西欧の要請により、金利をゼロに固定し、世界に資金をばらまく役割を担った。
頭のいい、エリート意識の強い人は、そうした状況を見て、自分も西欧のように儲けたいと思い、
デリバティブに段々と積極的になっていった。麻布や六本木の億ションが飛ぶように売れたのがそうした時期だ。
また、日本の銀行は西欧とは異なるのでその体質は大丈夫と言われたが、
ふたを開けてみると、とんでもないことになっていた、、、というのが、このところの株価落下の原因である。
銀行がそうなら、上の管理層の人間も同様である。面白いのは、ここに至る意識があるのだ。
自分をエリートだと思っている人が抜け目なく、こうしたスマートに見える金儲けを逃さない。
遅ればせながら参戦し、そして今散っている。

(以下略)

<私が出会った宇宙人たち>(2009年3月1日)


「私が出会った宇宙人たち」という本に興味深いことが書かれています。
文中のGA氏とはジョージ・アダムスキーのことです。
著者は今まで何人もの宇宙人から、接近され、仲良くなって来たアメリカ在住の日本人です。
(今は日本に帰国しています)


長年、GA氏の近くにいた協力者の中でも「宇宙人に合わせてくれ・・・」という要望は後を絶たなかったようで、
それに対するGA氏の返答は「会わせても、あなた方にはその人が宇宙人だと分からないだろうから、だめだ・・・」
と言って断ってきたということを聞いている。
しかし、その返答に腹を立てた協力者や友人たちが少なからずいたことも確かなようだ。
きっと、彼らは心の中で思っているでしょう・・・
「私は長年、宇宙人のことについて理解してきたし、GA氏の活動にも協力してきた。
だから、今すぐ宇宙人を紹介てもらってもおかしくないだけの信頼を得ているはずだ・・・」と、
「それなのになぜ、私を宇宙人に会わせてくれないのだ?・・・」とも。


私は今、GA氏の協力者であった人物たちを例にとって話しているのだが、
どれだけ活動に協力したとしても、またその人自身に社会的地位を教養があったとしても、
ここでは何の役にも立たないようだ。
ただ、
宇宙人を認識できるだけの、一人間としての素朴な「心の目」を持っているかどうかだけを、
宇宙人たちは重要視しているように感じる。
一言でいえば、それは
「魂の信頼」ということかもしれない。


私が言えることは、もし宇宙人と名乗る者が現れて、自分の名前を言ったり自分の来た星の名前を言ったりしたら、
まちがいなく偽宇宙人だということだ。


現在でも少数の者たちは口ばかりの美しい宇宙哲学を話したがる・・・。
進化した宇宙人たちに認められようと、ある人物がどんなに口先で高貴な哲学ばかり語っても、
彼ら宇宙人は一個人の心の中を見抜いているようだ。
だから
「完璧さ」を頭や言葉で追及しているような、お堅い哲学ばかり語る”みかけだけの賢者”には
見向きもしない。

そんな人よりも、
彼ら(宇宙人)が本当に興味を示す人は彼らにとっても魅力的な何かを持った人・・・
自分の愚かさをよく知っている素朴で子供のような楽しい人など
・・・ではないだろうか?


なんだか私がしょっちゅう書いている「生まれ赤児の心」を持った人間が宇宙人から見ると好ましいようです。
いくら宇宙人問題に詳しくて理屈を述べることが出来ても、それとこれとは違う、ということですね。
「人間のいろいろ」を読んで、書かれていることが理解でき、その境地に達している人なら
宇宙人からも好かれそうです。


また、宇宙人に会いたいのに合わせてもらえない人。
或いは、すぐそこに宇宙人が居ても気づかない人、が殆どだそうです。
これなどは「意識レベル」「波長」などで説明が出来そうですね。


この本には他に「何故地球人がこれほど好戦的なのか?」についても書かれています。
安いし、一度読んでみると良いでしょう。



<無心は神の境地>(2009年2月28日)


M氏の体験談です。
M氏が日月神示研究家から頼まれて御神業を代行しました。
研究家が富士山で御神石を拾う必要が生じた。
でもちょっと行けない・・・・と思っていたらちょうどそこへM氏から
「実は明日富士山へ行きます」というメールが入った。
(これは神仕組み!)と、思った研究家、M氏に「これこれこういうサイズの石を●●個拾って来て欲しい」と頼んだ。
喜んで代行するM氏。


川は直前の雷雨で増水しています。
雨が止むのを待っていたので夕暮れ時になってしまったので川の中の石が見えません。
M氏は適当に石を拾いました。
70個ほど拾ったでしょうか。
拾っている最中は(オレも真冬の川に入ってこんなコトしてバカバカしいなぁ)と、思いつつ、でも、面白いので
楽しんでやったそうです。

それから2か月・・・

M氏が拾った石の中に「さざれ石」という、特別な石が相当混じっていたのだそうで、研究家仲間から
驚嘆の目で見られているそうです。
その後、この話を聞いた地元のK氏が川へ入って探したけど同じものが見つからないのだそうです。
M氏は理系の人ですから(これは◎◎岩だな)と思いながら拾ったのだそうで・・・
まさかそれが日月神示に書かれているさざれ石だとは思わず・・・
<無心が良い結果を生む>


M氏が拾ったさざれ石。
研究家の間では垂涎の的。
でもM氏は「何も考えず、ただ楽しんで拾った」のでした。
(拾う直前に雷雨が降り、上流からさざれ石が流れて来たのだと思います。
  M氏の御神業に神、龍神も協力したのだと、私は思っています)

M氏には(これは御神業だから特別なのだ。御神業をやっているオレって凄い)などとは思わず
(真冬の川で何やってんだ、オレ)
(バカだよなぁ)
(でも、ま、いっか)
と思っていたのです。


M氏が「さざれ石」を多数拾えたのは
◆自分のためでは無い
◆無心
◆楽しんで行った
からでしょう。
<御神業とは>


人はただ生きているだけでも御神業をやっていると言える。
仕事する。
家事をする。
子育てする。
御近所付き合いをする。
全ては御神業であり、祈りであると言える。

でも、それとは別にちょっと改まって祈ることがありますね?
日々の生活そのものが祈りだと言っても、それとは別にちょっとキを入れて祈ることがあるはずです。

日々の生活=御神業
特殊な行=御神業

です。


そのどちらも大事です。
日々に生活が御神業なんだから、わざわざ祈る必要なんてないさ、という考えは一見もっともらしいが、
私に言わせれば
「浅いサトリ」としか言いようがない。
もっと厳しい言葉で言えば「野狐禅」の類です。
判断力の無い、或いは判断力の乏しい人が頭の先で考えた産物ですよ。




日々の生活は大事です。
でも、特殊な行も日々の生活と同じくらい大事です。
この両者に差をつけ、あたかも特殊な行など要らないが如くの論理は、到底高い見地から来るものでは無い。

もしそうなら人は祈ることなど要らない。
祈ることは御神業の一種ですからね。
意識して神ゴトを行うわけだから。

人は自分の力では何んともし難い時、祈ります。
日々の生活そのものが祈りであるのに、敢えて祈るでしょう?
祈りも「行」ですから、上のようなことを言う人はそれを否定することになります。
勿論形だけの祈りをする人が多い。
でも、だから本気の祈りも要らないのだ、という論理は成り立たないはずです。
カタチだけの祈りや行をする人の場合は、それはそれで別に論じれば良い。
カタチだけの祈りをする人がいるからと言って全ての祈りや行を全否定するのは論理的では無い。
<たとえば>


上のような野狐禅に堕ち入っている人の思考。
左に赤い餅、右に白い餅があるとします。
左が「キを入れて行う御神業」で、右が「日々の生活である御神業」です。
ハッキリ分けています。
食う時は一緒には食えません。

私はこう考えます。
左に玄米、右に白米が置いてある。両方米です。ただ状態が違うだけです。
この二つは同じ米ですから、混ぜて炊くことが出来る。
両者には何の差もありません。
両方「御神業」なのです。

特殊な、キを入れて行う御神業と、日々の生活である御神業とに差をつけるか、つけないか。
私はその両者に何の差もつけませんが?

私は特殊な御神業は殆どやりません。
神社にもあまり行かないし滅多に祈らない。
でも、御神業をする人の行動はそれはそれで意味があるのだろうし、
日々の生活である御神業をきちんとした上での行動であるなら、賞賛こそすれ意味の無いことであるとは思いません。
<聖人も>


たびたび話題にしている沖縄の聖人。
彼は日々の生活は大変質素です。
特殊なことは何もしていません。

でも、ことあるごとに彼独特の祈りを行っています。
これも御神業です。
彼が御神業だと言ってないだけで立派に御神業なのです。

御神業は日々の生活をきちんとした上で行うものであり、無心に行うものです。
この境地に達してない人が、達している人についてとやかく言う、その傲慢を思い知れ、と思いますね。

私も傲慢不遜のケが多いにありますが、そこまでではありません。
<無心になれる人にしか出来ない>


ついでに言うと・・・本当の御神業とはバカしか出来ないのだと思います。
富士山で石を拾ったM氏に言いました。
「Mさん。御神業はバカしかできないと思う。」

これをやって手柄を立てようとか、オレは今御神業をしているのだ、という低いレベルにある人。
我のレベルの低い人には出来ない。
生まれ赤児の心で無心に無邪気にやれる人しか、本当の御神業は出来ないと思います。
素人のM氏がこれをやってのけたのは無心になれるからです。
一見、バカです。
でも、知能は高いし仕事は出来る。人間を知っている。やり手だ。
でも、バカなんだろうと思いますよ。
彼は理屈を言いません。
研究家に頼まれたので素直に代行しただけです。

理屈をこね、ああだのこうだの言う人には神は懸れないので、もしそういう人が「御神業」と
称していろいろなことをしても、それは狐や狸や蛇、不成仏霊の類に使われているのでしょう。
危ういですね。

傍から見れば神に使われる人も、狐狸に使われる人も同じようなことをしますがよく見れば差は明らか。
その差を良く見て本当の御神業かどうかを判断する能力が求められます。

幸い私は御神業には興味がありませんが、見る目だけはあり、狐狸(こり)の類か、本当の御神業かは分かります。
なのでM氏に
「御神業するのはバカしか出来ません」と、M氏を褒めるのです。
(※バカとは・・・・・・・理屈を言わず自分のことは二の次にして、世のため人のために動ける人のことです)

<考えない人>(2009年2月26日〜2009年2月27日)


私のことです。


たとえば先日エジプトへ行きましたが、お金が無いので借金しました。
それを毎月少しづつ返済する方法で、これから返します。
お金を作ってから・・・・・・だと、私の場合は「永久に」作れないからです。
「借金してまで行きたかねえよ」という方はそれでいいんです。
行かなければよいだけですからね。

「でも、海外に行ってる間の家事はどうするの?」
はい、主人の母に毎日来てもらいました。
「へえ、いいお義母さんですね。」
そうなんです〜、とても良い義母なんです。

で、〜〜してください〜と頼むと喜んでしてくれます。
でも、私も義母が「旅行中、庭の植木に水をやってね」と言われると
「はいは〜い!」と喜んでやります。
御互い様です。
そのような関係を普段から作っておきます。
別に自分が海外旅行をしたいからではありません。
私は自分が気軽に海外旅行出来るようになるとは思ってもみませんでした。
当時は義母が頼むので「他にやる人が居ないんだから、OK〜い!」と
引き受けていただけなんです。


コレをしてくれたらアレをしてやろう、などとセコイことは考えないのです。
素直に流れに乗るだけです。
私は殆ど何も考えて無い人なのですが、それが良いみたいですよ。
これを言うと
「え?if さんて、凄く考えるんじゃないの?」と、言われそうだ。
それは違うな。
殆ど何も考えません。

〜〜したらああなるだろうから、こっちはその前に〜〜しておいて、
相手が〜〜と言ったら、私は〜〜だと答えてやろう・・・その方が
〜〜だろうから、私も〜〜となって、〜〜になり、〜〜するだろう。
とか、まだ起こってもいないことを考えたことはありません。

それから
〜〜さんはああ言ってるが本当は〜〜なんだろう。
だったらこっちは〜〜してやるさ。

こういうコト考える人がいますね。
根拠が無いのに勝手に想像して、それと戦っているような人。
御苦労さまです。

私の場合も推理はするが、それはあくまでも推理であり、
事実とは違うということは分かる。
推理や想像と、事実とを混同する人がいることは驚きですがいるんです。
この場合も、根拠のないことを土台にしていくら考えたところでそれはムダになります。
私は合理的なのでそのような無駄はしません。
金の無駄遣いはやりますが・・・

<策士、策に溺る>


それで、「考える」というと、上のようにアレコレと策を巡らすことだと
思っている人が実際にいます。
そういう人にとって「考える」とは「策を巡らすこと」なのです。
悪いこととは思っていません。
逆に賢いとすら、思っています。


「策士、策に溺る」とは中国の賢人の言葉です。
素直さが無い人は何か(事件や人)によって(痛い目に遭って)
「自分に素直さが無いこと」を思い知る
のです。
<ここに実例が・・・>


で。
とても頭の回るM氏は常に世のため人のために考えているのです。
自分のためでは無いのですが、頭を巡らすという点では同じです。
なので、私はいつもM氏をからかって
「策士、策に溺る!」と言ってやります。
するとM氏
「いや〜〜〜いやいやいやいや(笑
 そうでしたそうでした(照
 全くもって、その通りです!」




いったいどこまで人間が出来ているんでしょう。
<考えないんだけど・・・>(2009年2月27日)


私は必要最低限のコトしか考えない人です。
必要最低限のことしかやらないし。
(必要最低限のコトすらやらない場合もあるが・・・)
(なあに、死ななきゃいいのさ)
(人間、そんなに簡単に死にはしません)
(我が家で実証済みです)


絵を数枚買ってくれるお客さんが沢山いるので、感謝の気持ちを表すために
「願望実現ボード」を配ることにしました。
これを作り始めたのも偶然(考え無し)で、画材屋に廃材として売られているので
廃棄されるのは勿体無いから何か描いてみようと思って買っておいたボードに
そうだ、願望を書いてみよう、と思いついたんです。

で、自分で試しに書いてみたら・・・忘れた頃見てみたら実現しているじゃありませんか!
実現していないのは「宝くじ高額当籤」くらいです。
あとは実現していました。
それで(へえ!)と、思ってそれからは画材屋へ行くたびにボードを買っては
暇を見て絵具を塗っていました。


それが溜まったので、(ではどうするかな)と思ったら「絵を沢山買ってくれた人にあげよう」と
思いついた。
(しょっちゅう思いつく奴だわい)
で、そうねぇ・・・絵4枚につきボード一枚差し上げましょう、と決めた。



すると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな何の変哲もないただのボードが人気があり
「ボードが欲しいので絵を注文してくれる人」が出てきました。
これは意外でした。
(まさか、こんなモノを欲しがる人がいたとは!)


もう一つは最初の祈願文100件につけたオマケです。
私はgermaniaとkaren’sアクセサリーで買い物した方へ
何かお礼をしたいな、と思っていました。
それで数か月前から雑貨屋で面白そうなモノを見つけては買ってました。
総額・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5万円以上になりました。
それをいつか自分で送料払って発送しようと思っていたのです。

ところが或る日、M氏が祈願文の実物を見せてくれました。
それで「これは売れる。必要なものだ。」と閃いた。
自分で100件の注文を受けるのは嫌なので(おいおいおいおいおい)
おとなしいkarenに「やってくれる?」と頼んだら「やります」という返事。
オマケを祈願文に乗っけることが出来ました。
その結果、オマケの金額と送料がタダになったのです。

オマケを買っている時はとても楽しく
(これを見たら驚くぞ=)と思ってニヤニヤしながら買っていたんです。
買い物が好きなのでね。
自分のお金が損する、とか考えない。
それより買いモノの楽しさの方が勝ってしまう。
相当な考え無しであることが分かります。

でも、楽しんで人のためにやろうと思ったら、
結果的には「自分はお金を出さずに済んだ」のです。

しかもkarenは私よりもっと考えない人なので
「アタシがこんなことさせてもらっていいの?悪いわ〜」と恐縮までする始末。
「本当はifさんがやればifさんが得をするのに、本当にいいの?」
(だから、あたしゃ100件の受付&発送なんかやりたくないんだってば)
(karenがやってくれるので助かってるのは私なの!)

このようにあまり物事を深く考えず常に感謝の気持ちで生きてる人には良い結果が来ます。

最低限は考えなくてはならない。
でも、深読みしたり、自分の損得のことを最優先させるくらいなら、いっそ考えない方が良い。
つまり
「余計なコトを考える人はあまり良い結果は待っていない」
<上の計らいに任せる>


このように普段からあまり何も考えてない私ですが、思いつきが良い方に転ぶことがあります。
自分の損得を度外視しているからではないかな。
御客さんのために、と思ってやったことが結果的に自分の得となって返ってくるのです。
よく宗教やそのほかの精神世界の教えでこのようなコトが言われていますが、
本当にその通りだと思います。

考えないと言っても何も全く考えないのではありません。
策略を巡らすことが無い、ということです。
いくら策略を巡らしても、それは当人の頭のレベルまでの策略しか練ることは出来ません。
それを超えた所にある、目に見えない守護存在達が良いように計らってくれるほうが
自分で考えないで済むので楽ですね。

面倒臭いから考えないのですが、私の代わりに考えてくれる存在がいるようで楽です。
<私も!(実例)>

上の記事を読んだNさんから。


ifさん
 
あの記事で、損得を考えないでやると、自分の得になるってありましたね。
私は今日ちょうどそのことを実感していました。
 
会社の独身男性(50代後半)の人が、数年前に父親を亡くしてから
母親を扶養してきました。
でも年末調整の申告をなにもせず「独身」のままでしてたので
高額の税金を徴収されてました。
 
なので、「もったいないから修正申告したら税金が戻りますよ。」って
教えてあげました。
でも「面倒くさいからなー」というので、「じゃ、ワタシ暇だし、やったげる。」と
3年分を遡って修正申告してあげました。
 
そしたら、30万以上の税金が返ってきたそうです。
私は「そらよかったですねー」と素直に思いました。
そしたら、「お礼に」と1割の3万をくれました。
 
私はお金をもらうつもりでやったのではなかったので
ビックリしましたが、有難くいただきました。

そうそう。
ここで変な遠慮をしてはいけない。
もし遠慮したら
「バカ遠慮」です。
せっかく相手が感謝の気持ちを表そうとしているのに、それを拒否することになります。
実に思いやりの無い態度だ。
これをやる人は多いが、非常に低次元であるということを、その人は知らない。
良いことだとすら、思っている。
とんだ勘違いです。
こういう時は相手の気持ちが満足するよう、有り難くもらっておくことです。
もらってあげることが思いやりなのです。


 
見返り考えずに、人のためにするとかえってくるんだなーって・・
思いました。
 
そして、その3万の意味を考えてましたら
ちょうど行きたくて仕方ない、セドナの美保子さんのツアーの申込金が3万でした。
神様が「行っといで。」ってくれたのかなって思います。
 
おお、絶対そうですよ、金額が同じだし、これは良い兆し。
海外旅行は行ける時に行った方がいい。


そういえば、エジプトでまた転んだって記事ありましたね。
宇宙心にもありました。
S師が旅行中、メッセージがあるのに気づかずに通り過ぎようとすると
必ず転んだり、靴の紐が解けたりと「足を止められる」って。
 
う〜〜〜む。
しかし宇宙心のS師は、転んだとしてもちょっと転ぶくらいでは?
私はガツンと音がするほどの激しい転び方。
この間は額を石畳に当ててしまい、小さな傷を作ってしまった。
沖縄の聖人と同様のものとはとても思えないんだけど・・・

「気づかされる」なんてモノではなくて「罰が当たった」としか思えないんですよね(暗澹
人徳の有る人と無い人の差ですかね・・・


どれもこれも今の私にタイムリーでした^^

<シャーロック・ホームズ>


下の記事<人狼ゲーム>の方からの報告です。


ところで、「人間のいろいろ12」で書かれている「頭の中を整理できない人」の話を
読んで、思い出した話があります。
それは、私が上述の人狼ゲームに嵌っていた時期に読んだ「推理と論理-シャーロック
・ホームズとルイス・キャロル」内田惣七 著(ミネルヴァ書房)という本に書いてあ
った、シャーロック・ホームズのセリフなんですが…こんな話です。


『ぼくの考えでは、人間の頭脳などというものは、もともと小さな空っぽの屋根裏部屋
のようなもので、自分の好きな道具だけをしまっておくようにできているんです。

ところが、愚かな人は、出くわした種々雑多ながらくたを何でも手当たりしだいに取り
込むものだから、肝心の役に立つ知識ははみ出してしまうか、はみ出さないまでも、ほ
かのものとごちゃまぜになって、いざ取り出そうとしても、それがどこにあるのか、わ
からなくなってしまうのです。

それにひきかえ、熟練した職人は、頭脳の屋根裏部屋に何を取り込むべきかについて、
じつに周到な注意を払うのです。彼は自分の仕事に役立つ道具だけを選別して取り入れ
、しかもそれを十分細かく分類し、もっとも完全な方法で整理しておくのです』---(
「緋色の研究」第一部・第二章)


この本を読んでいた当時、私は自分の辿り着いた先を上手く言語化できずにもやもやし
ていたんですが、このシャーロック・ホームズ、もといコナン・ドイルがわかりやすく
言っていて、とてもすっきり明解!…になりました。「これだ!」…って感じです(笑)

ifさんも仰っているように、この「頭の中を整理できない人」は、人狼ゲームのプレイ
ヤーの中にもたくさんいました。
そういう人はたいてい、よく喋るんです(笑)喋るというのは、ここではゲーム内のこ
となので、とにかくダラダラと自分の思っていること、考えていることを書き込むこと
です。(それを私たちの間では”脳内駄々漏れ”って呼んでました)
言っていることに無駄は多いは、あっちへいったりこっちへいったりしているわで…解
読するほうは、大変でした。

<脳内駄々漏れ>


この方が言う「脳内駄々漏れ」の人を一度に沢山見たことがあります。
それは今から15年くらい前に行ってみた、或る集会でした。
知り合いの有機農法の人が「if さん一緒に行こうよ」と誘ってくれたので
行ってみたらそこは・・・・・・・「不登校の親の会」でした。

その親どもが発言するのを聞いていたら、どんどん不愉快になりました。

帰りに有機の人が
「if さん、今日はどうだった?」と訊くので
「会場にガソリン撒いて火を点けたかった。」と答えたら大笑いされた。

不登校の親。
親がああだから子供がああなるのだ、と、私は悟りました。
全員、「脳内駄々漏れ」でした。

<人狼ゲーム>(2009年2月25日)


Hさんから或るゲームのことについてメールが来ました。
私はこのゲームのことは知りませんでしたが、相似象がこのゲームに勝つために有効だという内容でした。


今から4年ほど前ですが、ネット上で行う「人狼ゲーム」というものに嵌っていた時期がありました。
ifさんがご存知かどうかはわかりませんが…これは簡単に説明すると、15人くらいの人が1つの「村」に集まり、
誰が”村人”で誰が”人狼”かを議論しながら推理する、というゲームです。
「村」というのは掲示板のようなもので、そこにそれぞれが書き込みをしながら、
”村人”は全ての”人狼”を当てて排除できれば勝ち、”人狼”は最後まで”人狼”だと
バレずに生き延びることができれば勝ち、というような感じです。

それに嵌っていた私は、ひたすらstrictに「推理とは何か?」「勝つためにはどうしたらいいのか?
…なんてのを、追求していました(笑)
そんな時、同じように人狼ゲームの真髄(?)を追求していた人に出会いまして。
仮にA氏、としておきますが、そのA氏から、「物事の考え方」というのを、人狼ゲームを通して学びました。
まぁ、師匠みたいなものですかね。(とはいえ私はA氏の言うことはとりあえず一旦疑ってましたが・笑)

「相似象」を読んでいるとそのA氏から学んだことと被ることがあるんですが、
でもたぶん、A氏は「相似象」を知っていたわけじゃない、と思いました。
単に、これまでの自分の経験や、人狼ゲームを通して考えて行き着いたものだった、というだけで。
だからifさんが書かれている「相似象」を読んでいて、私がこれまでA氏や人狼ゲーム
やその他モロモロのことから考えて追究して行き着いた答えは、不安定なものだなぁ、と感じました。
なんというか、基盤が不安定な感じです。辿り着いた先が同じことには変わりないけれど、いつでも崩れてしまいそうな。

だから今回、ifさんのサイトに辿り着いて「相似象」のことを知られたのは、とても良かったと思っています。
こういうしっかりした基盤があるのとないのとでは、だいぶ違いますね。


いいところに気がつきましたね。
相似象で言ってることは秘儀でも秘密でも奥儀でも何でもない、「普通のこと」です。
だから、ちょっと頭が回る人なら誰でも知って(分かって)いることです。
でも、Hさんが言うように「それはその人の経験から得られたもの」でしかない。
勘が頼りです。
なので他人に伝えるのは難しいし、勘だから「何故だか分からない説明は出来ないがそうなのだ」としか
言いようがない。
根拠があやふやなのです。

分からない人を分かるようにするのはとても難しい。
Hさんが師匠のAさんについて努力してみたが、A氏には説明の根拠が無いのでついて行くのは大変だったのでしょう。
Hさんは人狼ゲームで苦労したことがあるので、今、相似象を読むとすぐ分かるようになっていた。
A氏について必死に考えた経験があるから、今スラスラと相似象が頭に入るのでしょう。

「人間のいろいろ」が役に立ったようで良かったです。
Hさんは今度「人狼ゲーム」やったらきっと負けませんね。

<詐欺に遭わないために>(2009年2月14日)


以前、PANDORAでも記事にしましたが、「九星気学の竹下氏」の人間の読みは深いです。
(リンク3→方位→九星気学→「竹下宏の九星気学」)

メルマガ「竹下宏の今月の運勢  2月後半」が来ました。
今回の記事は「詐欺マニュアル」です。
詐欺をするマニュアルではなくて
「詐欺に遭わないためのマニュアル」です、念のために言っておきます。
その中から結婚詐欺について抜粋しました。他にも様々な詐欺の手口が紹介されています。
臨場感たっぷりの読み物ですので、ぜひ、メルマガの方、ご覧ください。

*****アンコール特集******これで貴方もだまされない!!
************************************************
■平成21年度改訂版 ★最新 竹下流、詐欺マニュアル
************************************************
★結婚詐欺
**********

先ずはオーソドックスな結婚詐欺です。
先ず詐欺師がターゲットに接近する場合、35歳から45歳の、
適齢期は過ぎつつあるが、まだ希望は捨てていない女性を狙うケースが多く見られます。
特に、公務員、一流企業に勤務する女性、又は実家がある程度裕福な女性を狙います。

多くの場合、詐欺師は、知り合ってからしばらくは、とても羽振りの良いふりをします。
どこに行っても、すべてお金は出してくれます。3−5万円(この金額が重要)のプレゼントをあげたり・・・・
仕事は非常にうまく行っていて、いつも今後の夢を語ります。
先ず、この状態を約1ヶ月続けます。


ここで一回大喧嘩します。又は一方的に別れを切り出します。
理由は言わずに「離れた方が言いと思う・・・・」と告げます。
ここで、多くの場合、女性がすがりつく形になります。
ここで一回よりを戻すのですが、ここからは完全に男性主導の恋愛が始まります。
逆に、ここですがり付いてこない女性からはお金は引き出せないと判断する場合が多いようです。
そして、この状態を2ヶ月から3ヶ月続けます。

その間に、架空の自分の収入を彼女に話します。当然架空です。
月収が120万円前後、貯金額が1800万円前後・・・ぐらいがリアルで良いでしょう。
自分の収入を明かすとともに彼女の収入、貯金額もチェックしておきます。
場合によっては、この時点で親に挨拶に行ったり、式場の予約をしたりする場合もあります。
結婚と言うことをよりリアルに相手に意識させたほうがお金の出がいいのです。



そしてある日突然、死にそうな顔をして彼女の前に現れます。
「会社が詐欺にあった」
又は
「取引先が倒産した」
等、突発的なトラブルが起きたと言います。そして、
「ここで2億円用意しないと不渡りになる」
「何とか1億9千万円は用意したんだけど、後一千万円がどうしても足りない。」
と彼女に告げます。
ここで「あと・・・・円足りない」と言う金額は、彼女の貯金額の半額を狙うと良いでしょう。
貯金額の半額程度であれば、割とすぐに出してくれる場合が多いのです。
ここでプロの詐欺師は、絶対に「援助してくれ」とは言いません。
彼女の前で「こまった・・・」「本当にやばいかもしれない」
又は
「俺は殺されるかもしれない」
と言う話はするのですが、お金を出してくれとはいいません。ここで出してくれと
いってしまうと、ことが表に出た場合、不利になるからです。
そして・・・・
「俺は重病で手術が必要だ・・・・・」
と言ったり、泣いたりする場合もあります。


結婚と言う話が具体化したうえで、いつもは男らしい彼が、目の前でここまで取り乱せば、
普通の人なら、多くの場合はお金を出してしまうのです。
でもこれは法的に見れば詐欺ではなく、お金を借りたに過ぎません。
「私に限ってそんなことはない・・・・」
と、皆さん言いますが、その場になるとそうは行かない場合は多いのです。


詐欺の怖さはここで終わらないところです。
一回お金を出した人間は、ある程度何回でもお金を出します。詐欺師はそこを見落としません。

一回お金を出してしまうと・・・・・
先ずは、一旦感覚が麻痺します。一度でも100万円単位のお金を貸してしまうと、
「数百万円までは、たいしたこと無い・・・・」
という、間違えた感覚が頭の中を支配します。
一番多いパターンは100万円以下の金額を何回も引き出されると言う場合です。

次に芽生えるのは、「元を取ろう!」根性です。
詐欺師はここをついてきます。
すでに数百万円貸している場合、
「ここで、あと100万あれば何とかなるのだが、それがなければ、全部パーになる。
そうしたら、君に借りたお金も返せない」
と言われると、やはり、多くの場合、お金を出してしまうのです。

そして最もたちが悪いのは
「今ここで○○百万無いと、ヤクザが来てしまう。
 俺のところだけではなく君のところにも来てしまう可能性がある」
と言うものです。
これは間接的な脅迫なのですが、刑事的に恐喝になるかどうかは微妙だそうです。

ですので、上記のような誘導には絶対に乗ってはいけないのです。


このようにお金を何回も出していると・・・・・更に感覚が麻痺してきます。
そして最後に最も恐ろしいのは・・・・・・
女性の貯金が尽きると、上記と同じ手口でゆさぶり、女性を保証人に立てて借金をするか、
又は女性自身に借金をさせて、そのお金を女性から借ります。
このレベルになると・・・・・勤務先の会社のお金に手をつけたり、借金の返済のために風俗で働いたり・・・・
と言う現象が起きてきます。

「そんな、ドラマの中だけのことでしょう?」

と、思われるかもしれませんが、これは紛れもない事実であり、
このような古典的な方法に引っかかった人の鑑定は後を絶ちません。
見事に、皆さん、同じパターンに引っかかります。
そして、今まで溜めた貯金の殆どをとられてしまったり、数百万円の借金を負わされてしまったりするのです。


そして・・・・・ここまでされると、女性のほうも半分やけくそになってきます。
又、ここまでお金を貸してしまうと、いまさら後に引けなくなってきます。
そして・・・・風俗に身を落として行く人は多いのです。

「まさかそんなことはないでしょう」

と思うかもしれませんが・・・・このような状況に陥った女性に
「風俗だけには行くな。」というと・・・・・
「ここまできたら、それもいいかな?と思っていた」と言う答えが帰ってくることが多いのです。
人間、追い込まれると自暴自棄と言うか、正常な判断力がなくなってきます。
このように、一度騙されると、何回も騙されることになります。
これが詐欺の恐ろしさなのです。



上記は典型的な結婚詐欺の例ですが、これのスモール版?ともいえる詐欺も多いのです。
この場合、世間を知らない若い女性がターゲットになる場合が多いのです。
基本パターンは上記と同じ。経営者を名乗る男性が接近してきて、最初は景気よくおごってくれます。
しかしある時から
「会社が傾いた」
「税務署が入ってお金が動かせない」
「手形が落ちるまでお金が動かせない」
等ともっともらしいこと言って、
「今月だけお金を出してくれ」
と5万、10万と、ちびちびお金を借りていきます。
ある程度の額になると男性と連絡が取れなくなり、調べてみると会社等は全て嘘だった・・・・
と言う感じになります。

不景気になると、このパターンは本当に増えます。皆さん、本当にご注意ください。
俺の人生の師匠に言われた言葉です
**********************************
現段階でどんなに損をしていようとも、
これ以上損が増えるようなら、即刻中止し、
ひたすら謝れ。
**********************************
どんなにお金を貸していても、それがパーになったとしても、
詐欺だとわかったら、即刻手を引くのが良いのです。

でも借用書があるから平気!

とあなたは思うかもしれません。でも・・・・借用書など、殆ど役に立たないのです。
では、借用書があっても、相手が支払いをしなかった場合どうなると思いますか?
普通の人であれば、家まで行って、強い口調で言い聞かせれば払ってくれると思います。
では相手が詐欺師だったら・・・・・・そんなことで払うわけがありません。適当にあしらわれてしまいます。

では法的手段に訴えた場合どうなるでしょう?
借用書がある場合、又は振り込み記録がある場合(人に金を貸す場合、絶対に振込みにしましょうね。
手渡しはダメよ。いざと言う時の証拠にならないからね)あって、
相手が支払いをしない場合、裁判をすれば(普通は)こちらが勝ち、裁判所から支払い命令が出ます。
まあ、裁判をするにもお金と手間がかかりますので、殆どの場合、
100万円以内の借金であれば、皆さん泣き寝入りだそうです。


でも、裁判をしたとして、その命令を相手が無視した場合、どうなると思いますか?
裁判所が変わりに取り立ててくれる?・・・・・そんなことはありません。
取立てを行うのは、あなたなのです。
※ 俺の記憶が正しければ
裁判に勝った場合、相手の財産を差し押さえることができます。
財産とは・・・・土地家屋等の固定資産、家財道具等、そして振り込まれる給与です。
土地がある場合、差し押さえれば良いですが、その人が住んでいる家を差し押さえる場合・・・・・
その人を先ずは追い出して、その上で土地家屋を差し押さえ、売却しなければなりません。
実はこれを行うには、とんでもない手間とお金がかかるのです。


立ち退きを要求して相手が応じない場合、強制執行という手段を行います。
裁判所の人の立会いの下、相手の家に押し入り、家財道具全て運び出し、強制的に家を明け渡させます。


しかし・・・・・

一軒の家の家財道具全てを運び出す労働者の給料、又運び出したものは
一定期間保管しなければならないので、その場所代・・・・等、全て取り立てる側が負担しなければなりません。

家財道具を差し押さえる場合も同じで、その手間賃等は、差し押さえる側が負担します。

この手間とお金を考えてしまうと、取り立てても殆どお金が残らず、それであれば、
放っておいて返してくれるのを気長にまった方が良い・・・・と言う判断になる場合は非常に多いのです。

借用書があって、素直に払ってくれるのは、立場があって、財産がある人だけです。
失うものが無い人は、ある意味怖いものはないのです。


又、更にやっかいなのが、相手が返済の意思を示した場合、こちらは法的にどうすることもできないのです。
例えば一億円貸したとして、その返済が月々一万円だったとします。
月々一万円だと、返済に何百年かかるでしょうか?

でもこれでも「返済の意志あり」と言うことで、こちらは法的な対処はできないのです。
俺の知り合いでも、1000万円前後貸したのはいいが返済が滞り、月に2万円づつ返してもらっている人がいます。
相手に返済意志がある限りどうすることもできませんし、
変にもつれて、月に2万円も入ってこなくなるより、2万円でも貸してもらった方がマシ・・・・
と言う考えに変わり人が殆どです。


しかしこのような返済も・・・・・最初は毎月あるのですが、一月遅れ、二月遅れ・・・・
いつの間にか、なくなってしまうのが殆どです。


いかがでしたか?

このように、残念ながらお金は、貸した方が弱いのです。
相手が普通の人で社会的な立場がある場合、事を荒立てられると、会社の出世に響いたり、
子供の進学に響いたり、プライドが傷つきますし、何よりみっともないので、
何らかのアクションをおこせば返済に応じてくれます。
しかし・・・・相手が確信犯だったり、失うものが無い人種の場合、一切の法的処置は無力であると言えるのです。

したがって、自分の身は自分で守るしかないのです。

そして・・・・・・・
もう一度書きますが、本当のプロにやられてしまった人を除いて、
詐欺に引っかかる人の大部分が、楽をしようとしている人たちです。


(この後にさらに面白い、興味深い話が続きます。メルマガをご覧ください)
竹下氏の、まるで当事者のような人間観察にはいつも感心させられます。
とても想像だけで書いたとは思えない、この臨場感・・・・・・・・・・・・・・・・・凄い慧眼です・・・

<頭の中を整理出来ない人>(2009年2月13日)


下の下の記事<或る葛藤>の友人。
頭の中を整理出来ないので、問題を解決するのにモノ凄く時間がかかってしまいました。
友人は頭はいいんです。
成績も良いし知能テストも良い。
でも、それと「物事が分かること」とは全く別物なのです。

人は通常最初は何も分からない。
分かるためにはまずは素直に情報を受け入れる。
それを頭(理屈・言語・イの次元)で理解し、その次に心(感情・納得・ミの次元)で分かることが必要。
友人は素直なので情報は受け入れます。

ところが頭の中を整理出来ないのです。
頭の中は全く分類がされておらずあっちのモノとこっちのコトがくっついていたり、
同じようなモノやコトが頭の中のあちこちに分散している。
なので、考えることが出来ない。

日常生活を送るにはそれほど思考力は要らない。
皆がやっているのを真似ていればいい。
でも、ひとたび問題が起こったら、それでは解決できません。
<バラバラTOP>


頭の中を整理することを相似象では「整序する」と言います。
分類したり、筋道立てて思考したりすることですが、これが出来ない人が多いのです。

そういう人はネットでも探せますよ。
TOPのページ。
そこにコンテンツを、かるたをバラまいたように散ばしているサイトをたまに見かけます。
こういうTOPを作成して何も感じない、変と思わない管理人さんは「頭の中を整序出来ない人」です。
そういう人は「TOPにコンテンツがバラ撒かれている」とは思わず
「なかなか洒落ているだろ?」くらいに思っているか、何も思ってないか、です。


事実、このような作り方をする人は殆ど頭の中が整理されないので、
その結果まずいことになっています。
こういう人に「それはダメでしょ」と言っても、それを分かる能力が無いので通じません。
言って分かるくらいなら最初からこのようなコト(バラバラTOP)しません。

これほどでは無いが、ジャンル別にして整理してあるような居ないような中途半端な人が一番多い。
こういう人に何度もアドバイスしてもすっきりしたサイトにはなりません。
一応頭ではジャンル別にしよう、整理しようと考えているのですが、
いかんせん、それを実行するための能力が追いつかないのです。
もっと考えて改善する必要があります。
もし、能力(物事が分かる能力)を改善したいなら。
そんなコトは考えて無いなら、それでもOKですが。



とは言え。
コンテンツを整理するのは大変な作業です。

私もそうです、PANDORAも気をつけてないとどんどん乱雑になって行きます。
厳密にジャンル分けするのは大変な作業。
整理整頓するのは現実の部屋でも大変ですが、サイトも同様です。
面倒臭いと思わず、やらなくてはね。
<会話でも>


会話もそうです。

何を言いたいのか、話題がどんどんズレて行く人が居ます、女に多い。
聴いていると「この人はいったい何を言いたいのだろう?」と、思います。

自分が話したいこと、聴いている相手に伝えたいことを要領良く話せない人。
それでいてお喋りな人。
本人が気づくべきですが、殆どの場合、気づかない。
なので私が敢えて
「えええっと、それはいいから、さっきのことは?」
「だからそれは分かったから、何が言いたいの?」と、喋る言葉を遮って口を挟むことになります。
これをやられた方は気付き、改善することをお勧めします。

話しているうちに木に譬えれば「幹から枝」「枝から小枝」「小枝から葉っぱ」「葉っぱから葉脈」・・・と
話がどんどん逸れて行く人。
いったい何が言いたいのか聞いてる方は分かりませんが、喋っている方も分かって無いのでしょう。

大事なことを伝えるために電話をしたのに話がどんどん逸れて行き、
話し手は一番大事なことを最初に言ったが、聴いてる方は忘れてしまう・・・とか。
ワケ分からない状態になっている女達もいます。
<低級霊が憑くのは>


低級霊が憑くのはこのような人達です。
考えを整理出来ないので思考出来ない。
なので、常に頭が混乱している。
さらに、混乱した頭で発言&行動するために周囲に迷惑をかけている。
でも本人はそれを理解出来ません。
そして(誰も私を分かってくれない)などと、見当違いのことを考えているのです。

自分ではちゃんとやっているつもりなのに、実際にはちゃんとやれてないとしたら?
本人の意識はどんどん低下し、暗くなりますね。
その結果、本人が低級霊と化します。
勿論あの世のお仲間は、本人と「同波長」の低級霊です。

本人に悪気(わるぎ)は無いだけに気の毒ですが、でも他人としては何もしてあげられない。
本人が気づき、改善するしか無いのです。

<電話セールス>


私などはこのようなサヌキ女ですから、家にいてセールス電話が来て女がぐちゃぐちゃを喋り始めると
「済みません、要件は何ですか?」と訊きます。
すると相手が「●●なんですけどねw」と答えるので
「それなら要りません。」と言います。

でも、相手はここで電話を切られちゃかなわん、とばかりなおも●●について語るので
「●●は要りません、とさっき言いましたが。」と言います。

すると全く違う話題をふってくる場合があるので
「申し訳ないけど、時間が勿体無いので要件だけ言ってください」と、頼みます。
すると「●●・・・」と言うので「だからそれは要りませんと、最初に言いましたよね?」と答えます。
最後には相手が私を(なんだ、この変な女!)と、思ってくれて電話を切ってくれます。
<訪問セールス>


家にいるといろいろな人が来ます。
セールスマンも来ます。
男性が多い。
その場合も何だか客の心を掴むセールスのマニュアルなんだか分からないが
やはり「要件とは無関係の会話」をする人がいます。
そういう場合も「済みませんが、時間が勿体無いので要件を先に言ってください。」と頼みます。
すると相手は要件を言ってくれるので「それは要りません。」と、答えます。

それでも「一度断られてもそれで諦めるな」という会社のマニュアル通りにコトを進めようとするので
しばらく無言で聴いていて「済みません要件だけ言ってください。」と言います。
すると相手はうろたえます。
「私は家で仕事をしているので申し訳ないですね。」と言うと相手は
(なんだこの変な女!)と、思って退散してくれます。

若者はマニュアル通りにやろうとするので、もっと賢くなるよう、鍛えてあげたのです。

これで分かればよし、分からねばもう一段下のヂゴクが待ってます。
<爺さんも>


爺いも同様です。

爺さんのセールスマンが来たことがあった。
「ちょっとこのそばを通りかかったモンだからw」みたいなことを言うので私は無言&無表情。
何故ならこの爺さんがちょっとそばを通りかかったことと、私とは何の関係もないからです。
そこに何らかの関係性が見つかれば良いが、この爺さんの行動と私の存在とに何か関係があるだろうか?
いや、無い。
なので、私とは無関係の話題を語られてもこちらとしては何のリアクションもするわけにはいかず
ひたすら「無言&無表情」でいるしかないわけですよ。

すると爺さん(???)とうろたえます。
「普通なら」ここで家庭の主婦は「あ〜〜〜ら、そうですかwそれはご苦労様♪」と、答える。
しかし目の前にいる女はひたすら(般若顔で)黙っている・・・何故だ?
ちょっとパニクる爺さん。
セールスなどというものは相手のペースに巻き込まれるから、契約してしまうのです。
相手をこちらのペースに巻き込んでやればいいんですよ。
力量があればやれます。
あとは、「このバカ女!」と思われても平然としていられるくらい、心臓を強化することです。

<或る葛藤>(2009年2月12日)


私の友人の話です。
詳しく書くと長い話になるのでかいつまんで粗筋だけ紹介します。
<子育てヘタ>


私の友人Zさんとは小学校〜高校まで一緒。
とても仲良しでした。
結婚して第1子が生まれてから再会し、付き合いが再開しました。

ところがZさんは
「殆ど何も分からない人」だったのです。
小学生時代には全く気付かなかったけど大人になって再会したら、何も分かって無い人になっていた。。。。
当時(二十代後半)は私も何も分かっていなかったけど、Zさんの分からなさは凄かった。
でも、心がきれいでさっぱりとした良い性格。
なので、一緒に子育てをしながら協力しあい、話し合って来ました。

でも、Zさんは相当な分からずやなので子育てが上手くいきません。


この頃、高橋信次の本や相似象を読んでいた私は、何とかZさんに「自分で考える人」になってもらおうと
いろいろ提案説教しましたが、殆ど理解しません。
その間にも 子供が成長するにつれどんどん問題が出てきて、それを解決できないので
事態は重くなるばかり。
10歳から20歳くらいまでは凄く大変でした。
その前も後も大変でしたが。。。
<母親が原因>


Zさんに何も考えない無意識でいる、子供に何も言わない言えないのは
「母親が原因である」と指摘しました。

するとZさんは自分の母親が原因なんだ・・・と、今度は母親を恨み出した。

おいおい・・・・・・・おいおい!
母親が原因であるのだから、自分がしっかりしてちゃんと子育てしよう、と何故決意しない?
それをせず
「母親が悪い」
「お母さんがもっとしかっりしてくれたら良かったのに」
「何でお母さんはちゃんとアタシを育ててくれなかったの!」

と、感情的になるばかりで、ちゃんと思考出来ないのです。

私だったら
「何?母親が原因?」
「あ、そう、了解!」
「では私がしっかりすればいいんだな。」
「よし!ではさっそく作業開始!」

と、感情が動きません。
頭の中で作業します。
淡々とやります。


でも、低次のアワ人間のZさんは
「母親が原因」→「私のお母さんのせいだ!」→「お母さんが悪い!」→「何でちゃんと育ててくれなかった(泣」
今更言っても仕方が無いのに、こういう感情的な思考になってしまう。
感情的になれば思考は出来ず、感情がどんどん悪化していく。
堕ち込んで泣く。

泣けば感情は解放されますよ、そりゃ。
泣くことが有効な場合は多い。
でも、泣いているだけでは何も事態が変わらないのです。
今、自分が直面しているこの問題を解決できない。
なので、困った事態はずっと続く。
困った事態を解決するには「その事態を解決するだけの波動量(知恵など)を獲得することが必要」なのに。


こういうタイプが多いのではないでしょうか?
一つモノを動かすと他のモノを動かさなくてはいけないので、それを動かすと、他のモノを動かさないとならないので
他のモノを動かすと、他のモノを動かす必要が出てきて、やはりそれを動かすと、やはり他のモノが邪魔で・・・
と、大変なことになる人。
そう。
頭の中が思考と感情が入り混じりそれらは一体化しているので、一つきれいにしようとしても
他のモノが関連していて、感情を動かしてしまう。
一つ解決するために、二つも三つも解決しなくてはならないことが出てくる人。
<一人で考える時間を作った>


Zさんは私が提案したことは何も実行しませんでした。
聴いても理解出来ないからです。
説教も、左の耳から右の耳へ抜けて行きます。
何も覚えていません。
なので、一人で考えてもらおうと思いました。
ここまでで17〜8年はかかっています。


その後私は主にパソコンで通信するようになりました。
長電話に付き合う時間が勿体無い。
Zさんはケイタイ電話は使うけど、パソコンは殆ど使いません。
なので通信手段が異なるために会話がなくなったのです。
それでOKです。

でも、年に一度味噌作りのために会います。
久し振りだけど、とても仲良しなので違和感は全くありません。

私は子供が四人いたので勤めることが出来なかったけど、Zさんは様々な仕事に就いて来ました。
Zさんは今、介護職員をやっています。
介護職員になる前に私はタロット・カードで占って欲しいと頼まれました。
出たカードは
「審判」でした。
Zさんにとって精神が目覚めるような体験が出来る、その仕事とは「運命の出会いになる」かも、と出ました。
その後Zさんは介護士になり「天職」となったのです。
とてもやりがいがあるのだそうです。
<葛藤を超えて>


先日、一年ぶりにZさんと会いましたが、家を新築していました。
素晴らしい家になっていました。
私も嬉しくなり、良かったね!と喜びました。
「前の家は悪夢のようだったもんね!」と、言ったら
「本当に悪夢のような家だったよw」

ゲリー・ボーネルの本の内容を教えてあげました。
「Zさん、葛藤があるとアセンション出来ないんだってよ。Zさんは無いようで良かったね。」
「数年前まではお母さんのことで葛藤があったけどね。」
「今は無いのか、良かったね。間に合った。」



一つ分かるためには他のことも分からなくてはならなかったZさん。
私がZさんに子育ての不味さを指摘してから25年経っています。
一時は家庭内が荒れましたが、Zさんが物事が分かるにつれて平穏になって来ました。
Zさんは物事を分かるためにいろいろな職場へ行き、体験し、勉強したのです。
家庭内でも学ぶことが沢山ありました。
Zさんは何も考えないで大人になってしまったので、大人になってから考えざるを得なかったのです。

無駄とは思ったが十数年間、説教し続けて良かったと思います。

このように人はなかなか分からないものなのです。
分からないからと言って、その人をバカにする人こそが低次元の人です。
<葛藤>


さて。
Zさんは25年もかかりましたが、これからはあまり時間が無いようです。
今から数年で葛藤をなくす必要に迫られているようです。
(ゲリー・ボーネルの説を採用すれば)

でも、地球の波動が高くなっているので、地球の波動に憑いて行けば良いのだし、
ネットなども使えるので、昔のように時間がかかりません。
自分に必要な情報が簡単に得られます。
なので、25年も必要はありません。


また素質の点は個人差が大きいので、25年はかからないでしょう、大丈夫です。
葛藤を手放すためには、自分の葛藤を探すことから始め、それを理解して行くしかないのでは?
感情では怒っているのに「許します」と無理矢理言っても解消できないのではないだろうか?
まずは理解すること。
例えばZさんの場合。
御母さんに対して恨みの念を持っていて解決出来なかったのは、理詰めで考えることが出来ないからです。
まずは理詰めで考える必要がある。
「そうか、お母さんはあの当時、それが精いっぱいだったんだな。
 お母さんは精神のことなんか何も学んでないんだし、情報は無いし、分かれと言ってもそりゃ無理だわ。
 そうか、分かった。」
と、分かればいいんですよ。


でも、実際には「頭(理屈)では分かるが心(感情)が納得できない」状態になると思います。
その時、
BSWやフラワー・エッセンスがあります。
それらの助けを借りてでも、葛藤を解消しましょう。

不思議なことにPANDORAのリンクページにはフラワー・エッセンスのお店が三件もリンクされています。
特に意図したわけではありませんが、絵のお客さんのサイトをリンクしていたらこうなっていたのです。
こういうのも上の存在の計らいでしょうかね。

<最終ランナー>(2009年2月11日)


或る方からメールが来ました。


今日は具現化するお話
事実ではあります。
人それぞれに考えもあり受け取り方もあるでしょうから・・・
私の中では事実であり真実であります。
 
ある女性Qさんのお話
Qさんはマイナス思考が強く全てにおいてマイナスに考える傾向があり
ほんの小さな・ささいな事でも辛いと思い生きていたくない・死にたいと
自殺願望がある人でした。
そんな中でも再婚したい。女の子が欲しいと願ってました。
30歳くらいの頃そんなQさん再婚して子供を授かり女の子が生まれました。
女の子は先天性心疾患でした。
心臓は生・死を司る臓器で
どんな名医でも心臓が動くメカニズムは解明されず
神の領域≠ニ言われる部分です
 
パンドラで母子の潜在意識は繋がっている
そうです・・・繋がっているのです
母の潜在意識(死にたい)が女の子の肉体となって具現化した。
母の発する心・言葉・行動(身口意)がブーメランとなって
母に戻ってきたのです。
女の子の魂はこの母親に短い命と知りながらこの肉体に宿ったのだと
思います。
Qさんは3年程かけて娘が生まれて来た意味を探し続けました。
他人から何を言われようと聞き入れず自分が納得するまで・・・
Qさんは娘の事を字に書いて目で確かめ思考しを繰り返し
娘が生まれた意味をパズルのピースをはめるように探していたのです
 
具現化するのが事実であり真実なら
心の中はワクワクドキドキで人生を豊かに生きたいものですよね?
 
現在のQさんは前向きに生きています。
 
 
 
ifさん私はずっとメールで思いを伝えたいと考えてきましたが
何がどうってないのですが行動に出来ませんでした。
色々伝えたい事があり思うのですが文章にするのが難しく・・・汗
でも意識レベルの判定の申し込みが出来て夢の話をメールする事が
出来て・・・ジュネさんに申し込みをし
自分が変わりたいと言う思いが少しずつ行動に移す事が出来ました
 
どう変わっていくか楽しみです・・・楽しみながら人生勉強出来たら最高です。
パンドラに出会えた事感謝しています<(_ _)>
 
(補足 Qさんは私です・・・><;  )

聞けばこの方は自殺願望が芽生えても仕方ないような育ち方をしていました。
気の毒です。
この方の長年の「自殺したい」「死にたい」願望を具現化するため
女の赤ちゃんが生まれて、親の代わりにその思いを成就したのだと思います。
赤ちゃんは3か月半、108日目に亡くなったそうです。


人間の煩悩の数と言われている日数だけ生きて亡くなった赤ちゃんは哀れと思いますか?
私は「勇者」だな、と思います。
誰かが、この方の長年に渡るマイナス思考を引き受け、具現化して相殺し、ゼロにする役目を
果たさなくてはならなかった。
そうでない場合は本人がガンになっていたでしょう。
その赤ちゃんはこの方と縁の深い魂で、この方の(生まれてからの)カルマを背負ってくれたのだと思います。

この方がガンになっていたら今頃生きていないでしょう。
するとこの世での学びが出来なくなります。
この方には「今生きてこの世で学ぶ使命」があるので、縁のある魂がこの方を生き長らえさせるために
身代わりとなってくれたのでしょう。


この方はそれだけの重い、尊い使命を持っているのだと思います。
ゲリー・ボーネルによれば、「アセンションを果たせば先祖7代子孫7代が救われる」そうです。
(この言葉通りではありませんが)
この方は血筋の最終ランナーとしての役目を持っているので、
縁の有る魂は何んとしてでもこの方にアセンションを成し遂げさせようとするのでしょう、
私はそう思います。

そしてこれを読んでいる皆さんも私もそうです。
自分のためだけではない、縁の有る魂のためにも、勇気を持って進んでいきましょう。
赤ちゃんとして生まれて108日で亡くなった勇者の魂もいるのです。
大人の私達に出来ないはずはありません。

<或る新興宗教>(2009年2月11日)


Sさんから報告がありました。

Sさんはまだ大学生です。
Sさんの同級生が◎◎会という新興宗教に入って、Sさんを熱心に勧誘するのだそうです。

今回のことは、私にとって大きな経験でした。
●●(同級生)のことは嫌いではありません、でも彼女のやっていることは良いこととは思いません。
何年か前の私だったら、あっという間に流されて、洗脳されてしまっていたと思います。
でも、パンドラに出会って、いろんな記事を読んで、いろんな本を読んで・・・たくさんのことを知りました。
思考力って、本当に大切ですね!
身をもって実感しました。
◎◎会は、若い人たちを中心に、勧誘で広がっているみたいです。
未成年者の間でも多いようです。
前の中学校の同級生に紹介されて・・・とか。
とても怖いです、これからもこのことを教訓に気をつけていきます。

私が物事を信じる態度は
@まずは相手の言ってることは本当だろうと信じる。
  或いは間違いである場合もある。
  これは誰でもあるので、それを考慮して受け取る。
Aでも、たまに相手がウソを言っている場合があることも頭に入れておく
B相手の言動を観察する。
C様々なことを基にして判断する。

です。

たま〜にウソを言う人がいます。
滅多にいませんがね。
常に冷静に考えることが大事ですね。
若いSさんが洗脳されなくて良かったです。

<些細なコトから教訓を得る人>(2009年2月11日)


「人間の話」→「if の周辺」→<M氏との会話>を読んだ方から。

ifさんが書かれた、人間のできているM氏の記事を読み気が楽になりました。
M氏の様に対処することができればとても楽に生きられると思います。
参考になりました。
ありがとうございます。


なんだっけ?と思って見てみたら・・・



<M氏との会話>(2009年2月9日の記事)

私には弟が三人います。
そのうちの一人がM氏に良く似ているのです。
(M氏は私より年下)

M氏「どの弟さんに似ているんですか?」
私  「一番低能な弟です・・・・・・こいつがバカでバカで・・・・・はっ!
    あら〜〜〜ゴメンなさ〜い!」
M氏「いえいえ、いいんですよ、いいんですよw」


ミゾウの不況で今、公務員への風当たりが強いです。

私  「好景気の時は、民間はしこたま儲けてバブルで良い思いをしていたのに
     不況になった途端、公務員を苛め出しましたね。」
M氏「景気が良くても我々は関係無いですからね。
    恩恵に預かれなかったんだし・・・」
私  「そうですよね!
     好景気の頃は公務員は食うや食わずだったのにね!」
M氏「・・・・・・・・・・・何とか食ってましたけどねw」

私 「あっら〜!ゴメンなさ〜い!」
M氏「いえ、いいんです、いいんですw」


M氏ってホント人間が出来てる・・・


という、ど=でもいいような会話文。
この記事は「何の教訓にもならない話」ということで載せていますが
このようなど=でもいい話からも、何か気付ける人がいるようです。


一つは・・・

M氏は人間が出来ていますが、その前にやはり思考力、判断力に優れている。
相手の話を誤解しない。
性格が良いので受け取り方も良いです。
悪感情が湧かない。

もし、この会話の相手がM氏でなかったら・・・

Z氏「どの弟さんに似ているんですか?」
私  「一番低能な弟です・・・・・こいつがバカでバカで・・・・はっ!
    あら〜〜〜ゴメンなさい〜い!」
Z氏「if さん、それはちょっと失礼じゃないですか?」
私  「へ?」
Z氏「一番低能な弟さんが私に似ているなんて失礼でしょうが。」
私 「え?だって顔が似ているだけで別にあなたが低能と言ってるわけではありませんよ。」
Z氏「それにいくら弟でも人のことをバカでバカでとは、if さん、あんたはひとをバカにしている!」
私 「え?私は事実を言ってるだけですよ。だってこいつは本当にバカなんだもん。
    何故バカなのか?姉の私に似たからだけど。」
Z氏「じゃあ人のことは言えないじゃないですか。」
私 「でも、今話題にしているのは私ではなくて、あなたに顔がそっくりの弟についてですが。」
Z氏「私はバカじゃない!」
私 「はああ?私はそんなことは一度も言ってませんが?」



と、どんどん拗れて行くことが予想されます。


面倒臭いです。


事実、これに近い思考と、会話をする人がいるんです。
その人達はとても良い人ですが、いかんせん思考力が無い。
彼らの人生はどんどんジリ貧になって行くことでしょう。


もう一つは・・・
感想を送ってくれた方です。
凄いな、と思います。
こんなバカっ話から、自分で教訓(M氏のように生きれば楽)を引き出している。
こんな些細なコトから人生の重要なヒントを受け取っているのです。
記事を書いた私がそこまで意図していないのに、
受け取る方に能力があれば
「何を見てもメッセージ、教訓」になる
のでしょう、素晴らしいです。

<気になる予想>(2009年2月10日)


リンク1→精神世界→世相→「愛の日記」→<ディスインフォメーション>2009年2月10日より。


政府は日銀がお金を刷ってくれないからというので、政府紙幣を出す、、、という論議。
もうこれだけで何がどうなっているかは明白。
なのにマスコミは何ひとつ物事の本質を語ろうとしない。
いずれ大きな責任を追及されることになるだろう。
とはいえ、私はしばらくは問題も起きず、4月か連休頃までは平穏を装うと思う。
株価も多少は上がっていくのではないか。
13日に大暴落があるという話しがいろいろなところで出ているが、その日はともかく、大したことはないと思う。
春から初夏頃までは一見平穏な姿に見えていくと思う。
その理由は今度語るとして、きっとそうなる。
しかし大きな崩落はそのあとにまたやってくる。
そして運悪く、食糧問題や為替の問題、また経済縮小とリンクしてそのスピードがアップする。
おそらくこれから数か月は円安ではないか。
かなり常識と反対のことを言っているが、これはあくまで私の予想にすぎないので
真に受けない方がいいと思うが、きっとそうなる。


政府もマスコミも本当のことは何も言わないので、私たちがしっかりしなくてはならないようです。

<サイレント現象2>(2009年2月9日)


下の記事<サイレント現象1>に登場する「よろしく♪」メールの或るサイトの管理人さん。
(ああ、ヒドいレベルの人がいるなぁ)と、思った方がいるかもしれませんが、
実はヒドくないんです。
その反対に「この人は沢山あるサイトの中でもかなり良い」のです。
かなり良い人(頭も性格も)なので、この人なら言えば分かる、と私が分かるので忠告したのです。

たとえて言えば・・・
小学生だとしましょう。
この方は成績が良い。
算数=5(値段設定よし、計算力あり)
理科=5(理詰めで思考できる)
です。

でも、
国語=4(文章は巧いが相応しい使い方が出来ない)
社会=3(状況を把握していない)
という感じ。
なので、
苦手科目に関して「もっとしっかりやるように」と、叱咤したのです。
この人が苦手科目を自覚すればオール5になれる。
なので真剣になるよう、忠告しておきました。


この方法がやれないサイト、管理人さんもいます。
(言っても無駄)というところがあります。
勿論私のことなので(黙っていられないので)何度か注意はしますが、
注意されたことだけは「理解する」が、言われてないことは「自力で分からない」ので
私は何から何まで全てに口出しし続けなくてはなりません。
私の性格としてそんな面倒なことはしませんから(世話焼きではありません)
それ以後は何も言いません。

サイレント化します。

一つ忠告されたら
(自分には自覚出来ない欠点があるのだな、そうか、分かった。
 この問題については私は全く自覚していなかった。
 他にも自覚出来ない問題が沢山あるだろう。
 それをこれからは自力で探して行こう)
と、思えばいいのです。


これを思えない人、思いつきもしない人、手のつけようが無い人、がいます。

(言われた!悔しい!ifさんは分かってくれない)と、恨みに転ずる人。
います。
そのようなレベルにある人も自分では、というか、自分の精神が所属しているレベル内では
「正しい」と、思っているのです。
思っている、というのは自覚するしないに関わらず、です。

そのレベル内ではそれは「正しい」何ら「問題は無い」。
低ければ低いほど自分は「正しく」「問題は無い」と、ぼんやりと(或いは無自覚で)思っている。
そしてそのレベルから向上することがありません。
ずっとそこにいます。
そのままです。


どこかに書きましたが「向上すること」は苦しい作業です。
自分では無意識に今の自分が正しいと思っているのにそれを「ダメ」と言われる。
認めるのが苦しいので、99%の人は認めません。
我が邪魔をする。
弱い人ほど我が強く苦しむ。
弱い人は強い我で自分を守っているような気がします。
多くの人を見た私だ出した結論です。

弱い人の我は凄い
強い人は、強い我よりも強いのです。
弱い人は弱いので我に負けています。


(たとえばたびたび事例に挙げるM氏。
 かなり行動派で積極的です。
 我も強そうだw
 でも、その「我」に負けないほど、自分の意志が強いのです。
 こういうひとは滅多にいない。
 日月神も「我の強い人間を集めて神の御用させる」と言ってますが
 我が強く、それに負けない人でないと、神の御用だけでなく
 何をやっても務まらないのです)

(if よ、オマエはどうなんだ?と、思われた方、そうです私も超「我」が強いです)

(我は強くていいんですよ。神も言ってるし。
  問題は「我」のレベルであり、我に負けないこと」です)



こちらとしても弱い人に「それはダメだ」と言うと99%良い結果にはならないので
敢えて言いません。

サイレント化します

これらから「よろしく♪」メールでこっぴどく叱られた管理人さんがいかに素質が良いか
分かると思いますが、どうですか?


分かれば分かるほど商売は繁盛します。
分からなければ良くて現状維持ですが、その場合は少なくてやはりジリ貧になっていきます。
ジリ貧になった人は「自分には何か分からないが分からなくてはならないことがあるのだろう」と
思った方がいいですね。

精神世界の鉄人さんの記事に戻りますが
「100人の派遣社員の中から正社員に抜擢される人」と「派遣期間が終わったらさよなら」の
人と分かれていきます。
(この部長さんが取った方法は多くの企業で採用しているそうです)
(コピー取りで知恵を働かせることが出来ない正社員はリストラされるのでしょう)
会社はボランティアでは無いのです。
最低限の出費で最大限の売上を出さなくてはなりません。
非情というより合理的、会社とはそういうモンだ、と理解するしかないでしょう。

<サイレント現象1>(2009年2月8日)


ブログ「精神世界の鉄人」さんが提唱?している用語(かな)。
詳しいことは「MONO」→「仕事あれこれ」→<1%>をご覧ください。


他人のちょっとした(???)な点、欠点、改善した方が良い点などについて、
昔は言って教えてあげたが、今はどんどん言わなくなって来ている、それを「サイレント現象」と呼ぶそうです。
(鉄人さんの造語かな?)

鉄人さんも他人のちょっとした欠点などは当人に指摘はしていないと思います。
でも、サイレント現象というのは「ある」ので、それをブログで一般論として発表し、
各自が自分で考えるよう、気づきを促しているのでしょう。

私も鉄人さん同様、ちょっとしたことやどうでも良いことは敢えて言いません。
それは当人が自分で気付くべきものだからです。
本人が自分で気付かない限り、知恵にはならないのです。
他人から言われた時点でそれは「知識」(情報)になってしまう。
知識は知恵では無いので、他人から言われたら知恵がつかなくなってしまう
のです。

なので、他人に忠告する場合は
◇事態が重い場合
◇スペシャルな親切
ですね。また
◇忠告される方が「頼むから私の欠点を指摘してください。聴き入れますから」という態度を表明している場合。
でも、そもそもこういうケースは少ない。

なので殆どの場合、ひとは「サイレント現象」化するわけですよ。
勿論私もそうです。
<お店の管理人さんには例外的に言います>


私がPANDORAからリンクしているお店に仕事の仕方でアドバイスしますが、
それは発展するため、です。
また、お店の管理人さんがお店以外のことで変なことをしていればクレームつけます。
それは「お店の管理人はお客さんよりも、人間について分かり、本人も向上していることが前提」だからです。
これはいちいち文章化していませんが、お店を運営するということは、上のようなことなのです。

で、たまに変なことをしでかして私にひどく叱られる管理人さんがいます。
上のようなことを本人が想定していなかったのでしょう。
つまり「何も考えないで店を始めた」「お金が儲かるのでやってみた」「面白そうなので始めた」
というレベルの人達。

御店の管理人さんがお客より、物事が分からないでいられると、無意識に思っている人たち。
が、存在するということを私は知りました。
私が前もって説明しなかったのも原因の一つです。
何故ならこれは「言うまでもない、当たり前のこと」なのです。
でも、その当たり前は私が考える当たり前なので、お店の管理人さんの当たり前とは違っていたのです。
当たり前だけど。
なので、今からでも遅くないので「御客より向上するのが条件だなんて聞いてないよ。それなら辞める」という
御店は申し出てください。
最低限PANDORAの「人間のいろいろ」を読むことも条件とします。

ネットでお店を始めた途端忙しくなりPANDORAの記事を読む暇がなくなるか、
読んでも「ざっと目を通すだけ」の人が実際にいます。
「読んでます」と言いつつ内容を全然理解しません。
ただ、読んでいる。
そこにキを入れて無い。

このレベルにある人も遠慮なく申し出てください。
先日、或るサイトの管理人さんが普通のお客さんでもしないようなことをしました。
件名はメールの内容とは全く無関係で、本文は「よろしく♪」と書いてあるだけ。
私は「何を?」と返信しました。
この方は意識レベルを判定してもらおうと思ったらしい。
でもこのメールでは何をよろしくなのか、全く分かりません。
意識レベル判定を依頼する際には
◇住んでいる県名
◇名前
◇生年月日
◇謎の方に一言
を書くことが条件ですが、何も書いてない。


ここで私が
取るべき道は二つあります。
@即、リンクを切る。
A説教する。


本当はここまで分からない人に説教をする時間とエネルギーが勿体無い。
でも、最初から「こいつに説教は無駄」と結論を出さずもう少し様子を見ようと思いました。
その反応を見て
@を選ぶかさらに忍耐してAを選ぶか、決めようと思ったのです。
私は意外と忍耐強いのです。
(子育てで鍛えられたからです。子供の御蔭♪)
(いつかマットウになるだろう、と、もう20年も待っているのです)
(倅のこと)



この管理人さんは頭も性格も良いので素直に謝りました。
私はアワ人間では無いので「他人に謝って欲しい」とは思わないのです。
感情的に「〜〜して欲しい」とは間違っても思いません。
「ここは謝るべきだ」と、思う頭人間です。
必要か必要でないか、を考えます。
感情は動きません。

白黒つけたいので謝らせるのではありません。
謝る、という行為は「自分がそれをしたことが間違っていた」と、分かることです。
私はその人が分かったのか分かって無いのか、分かる気など無いのか確認したいのです。
謝る≒分かる
(※謝ったからと言って本当に分かったわけでは無いのは分かりますね?
   でも、一応「それは間違いであると認めます」という心の表明である、と私は受け取ります。
   ここで「本当かどうか?」とさらに詮索するようなことはしません。
   イの次元で分かったのかミの次元で分かったのか、それはこの際よいとしましょう)
この管理人さんには「MONO」→「仕事あれこれ」の記事をコピーして送信し
「暗記するまで読んでください」と言いました。

このように、少し売れると途端に天国に舞い上がり、何かちょっと失敗すると途端にヂゴクに堕ちるような
地に足のついてないうわっ調子の人がいます。
御店の管理人さんに多いです。
御客さんの方がずっとマトモです。

私は管理人さん達に向上が見られなければ本気で考える状況になってもらうために
いつでもリンクを切ります。
これは意地悪ではなくて「厳しい思いやり」です。
この文章を理解すればよし、出来なければそれも良し。
「でもifさん、リンク切られた人がその後、全然理解しなかったらどうするの?」
「悟らない場合もありますよね?」
そうですね、あります。
分かるか分からないかの確率は半々です。


その管理人さんが取り得る道は(大きく分けて)二つあります。
@リンクを切られても理由が分からない。
Aリンクを切られて真剣に考えたので、理由が分かった。

さらに@の場合
a 理由は分からないが感情的にならない
b 理由が分からないので切られた、ということに対して感情的になる

さらにbの場合
α 感情がどんどん悪化して●級霊化する
β 感情を浄化するセッションを受ける、第三者に相談して問題点を理解し、知恵をつける
θ その問題は悪夢だと思い、忘れることにする
凵@その他
とか。
でも、どの選択肢を選んでいこうと、それは「本人」が選んだ結果であって、私は関係ありません。


自分の人生の主人は自分です。
自分で選べば良いのです。
毎日が選択の連続というか、選択の連続の結果、自分の今日(こんにち)があります。
人生を明るいものにするのも闇にするのも、小さな選択を続けた結果です。

<見えない事情>(2009年2月7日)


さて、下の記事<分からない女>の中に


先日このようなことがありました。
或るサイトの管理人さんが既に行っているセッションに加えて、総合的に御客さんの
悩みに対応するmenuを始めたい、と私に相談しました。

この時点で私が取り得る態度としては
@どうぞ、ご自由におやりください。PANDORAからのリンクは切りますが。
Aそれは止めた方がいいですよ、と注意する。

どっちにしようか、と思ったけど、やはり「通常の思いやりコース」を選びました。



と、いう文章があります。
これを読んで大きく分けて
@ヒドっ!何て言い方するんだ、脅しているのかっ!
A何か知らないがそうしなければならない事情があるに違いない

の二つの感じ方に分かれると思います。

分からずやの常(つね)として、「事情が分からないのに分かってしまう」というのがあります。
これをやっていると自分の周囲に常にまずいことが起こりますが、当人はまさか
自分の判断力が足りない(低い)からだとは思わないでしょう。

分からずやは「自分には分からないことはない」と無意識に思っている。
分かる人は「自分にはこれは分からない」ことが分かる。
たったこれだけの差です。

<分からない女>(2009年2月6日)


さて、下の記事にも書いてますが、女なら全員直感が優れているかといえばそうではありません。
女なのに、ほとんど分からない人がいます。
男より分からない女も沢山います。

◇勘が無い
◇物事が分からない
◇何を聞いても見ても分からない
◇自分が何を分からないか分からない
◇自分が分からないことを分かっていくことは出来ない

という人。

こういう人が結婚していたら
◇旦那に離婚される
◇自分が分からずやなのに、その自覚が無いため、旦那に離婚してくれ、と思う
◇そうならない場合、旦那に浮気される、別居される
◇子供がいたらおかしくなる
◇その他常に周囲に問題が起こる

「サイレント現象」というのがあるそうです。(ブログ「精神世界の鉄人」より)
誰もその人達、困った人達にはは何も言いません。
昔はそれでも言ったけど、世の中がどんどん言わない方向になって来ているそうです。
実際そうかもしれません。
言っても分からない人と関わりたくない人が増えています。
利口になったのでしょう。

いくら説明しても決して理解しない人には、最初から何も言わない方が良い、
そのために費やす時間とエネルギーが勿体無い、と多くの人が気づき始めた。

とは言え。
私はまだ聴く耳を持っている人には、問題点を言うようにしています。
これはあくまでも親切からです。
それ以外にはありません。
これを言っても私には何の得もないからです。
なので上に書いた文章も、親切からである、と思ってくださいね。
離婚した人された人を決しておとしめたいからではありません。
先日このようなことがありました。
或るサイトの管理人さんが既に行っているセッションに加えて、総合的に御客さんの
悩みに対応するmenuを始めたい、と私に相談しました。

この時点で私が取り得る態度としては
@どうぞ、ご自由におやりください。PANDORAからのリンクは切りますが。
Aそれは止めた方がいいですよ、と注意する。

どっちにしようか、と思ったけど、やはり「通常の思いやりコース」を選びました。


@を採用して、その管理人さんに「何が悪かったのか」を真剣に考えてもらった方が
その人のためになるのですが、止めておきました。
@は「厳しい思いやりコース」です。
自分で考えないと知恵がつかないから、これを採用しても良かった。
なので、どちらを採ろうと良いのです。
@を取っても思いやりからだし、Aの思いやりは分かり易い。

殆どの人は@の方をされたら「相手を恨み憎んで終わり」なのではないでしょうか?
私は今まで相手憎しでリンクを切ったことがありません。
信じられないでしょうが。
これが分かるのは私と同等の判断力を持った人だけです。
私はおばさんなので年齢的に見ても私と同等のお客さんは殆ど居ないから
多分、同等の判断力を持っている人は少ない。
なので誤解されているとは思うけど、私は「人の評価」では動かないので平気なのです。


さて。
私はAを選びましたが、それは一度や二度くらいはAを選んであげようと思いました。
最初から@ではやはり厳しい。
しかし、優しくされると本人は真剣になりません。
本人が真剣にならないと波動量は変わらないので変なことをまた言いだすことが
容易に想定されますね。
多分またやります。
その時は@を選ぼうと思います。

世の中がサイレント現象化しているなら、分からずやの人、分からないことがある人にとって
どんどん自分の状況が悪化することが予想される。
(これも世の中の、人間の二極化が進む理由の一つです)
そうなっても本人には理由が分からない。
そのためにこうして「人間のいろいろ」でヒントを出しています。
それをも読まないなら本人の責任です。
読むか読まないか本人が選べば良いのです。

<女は分かる>(2009年2月4日〜2009年2月6日)


女は論理が苦手、勘は良いと言いますが、本当です。
男性のように理詰めで説明は出来ないが、何故か分かってしまう、ということです。

相似象は「理詰めで説明する」能力を上げるための学習です。
勘だけで分かってしまうと他人に説明出来ないので、それを言語化するための方法を学ぶためにある。


この記事で言う「分かる」とは、「直感、勘で分かる、分かってしまう」という意味の「分かる」です。
自分が分からないものは何か、それを分かる、という意味ではありません。
<部長の話>


「MONO」→「仕事あれこれ」→<1%>に登場する部長さんはモノの分かった人ですね。
でも、そのくらいなら「普通の女」は出来ます。
とは言ったけど、女は「知っていてもやらないタチ」(男性よりアワに出来ている)ので
分かっていることと実行することは別ですが。


なので、一見女って無能に見えてしまう。
「新入社員を採用する方法を考えてくれ」と言われたら
このアイディアを出す女史社員はいるかもしれない。
でも、訊かれてもいないのに提案する女(女子社員)は居ないと思う。
なので、見る目の無い上司は「女性社員は無能」くらいに思っているかもしれません。
男性が最初から何故か「女はダメ」と、無意識に決めているところがあるので、
その中でやっていくのは大変なのです。

相談されても居ないのに回答する人はいない。

女子社員に相談を持ちかける上司はいない。

なので、誰も女子社員の真価を知らない。
(勿論ダメ女子社員もいると思いますよ)

大抵の女は男よりもモノが分かっているが、それを発表しないので(する機会もないので)
男はそれを分からないのです。


また、女に分かっていることを男に説明しても男がそれを分からなければダメですよね。
女子社員が生き生きとしている会社は、そこらへんが上手く行ってる、
つまり上司が物事が良く分かっている、と言えます。


と、いうことは、その会社は発展します。
分からずやのオヤヂが理不尽なことを言ってる会社はそのうち潰れます。
<女には見えている>


M氏の話です。

M氏は上司の受けもよい。
部下にも慕われている。
女子職員にも慕われていてしょっちゅう相談を持ちかけられるそうです。

男は通常女よりモノが分かって無いので男性上司に相談を持ちかける女はいません。
(たまにいますよ。その職場にM氏級の人がいれば)
ところがM氏はその女子職員から相談を持ちかけられるのだそうです。

女子職員は男性よりも人間を見る目がありますから、
M氏の人徳(能力)は並大抵ではない、ということが分かります。
<ところが・・・>


ところがその上を行く人がいるのだそうです。

M氏の奥さんです。

M氏の奥さんには全てが見えていて(笑)、毎日、痛いところを突かれて叱咤されているそうです。

この事例を見ても「女がどれだけ物事が見えているか」分かりますよね。
<或るメルマガに>


或るメルマガに「女性には高い見地が無い」「視点が高くない」「見えない」ようなことが書かれていた。
私はこれを読んで(あ〜〜〜あ、何も分かっちゃいない)と、思いました。
でも、多分この方の周囲の女性が分からずやか、分かっていても分かって無い
ふりをしているのか。
或いは、周囲の女性は勿論、この男性よりは分かっている。
しかしそれがこの男性には見えないか、です。

この方はまだ三十代くらいですが、よほど傑出している男性なら違うだろうが、
このくらい物事が分かってないのは「普通」だと言えます。


女がどれだけ分かっているかは、発言しないし(その機会が無い)
男性に敢えて逆らわないし(基本的にアワなので表さない)
逆らう女のことは敬遠するし(サヌキ女が怖い、嫌い)
だから、殆どの男には女が何を考えているか見えないのです。

気が強いサヌキ女OK!のM氏のような人なら、女にもいろいろいるのだ、ということ、
それがちゃんと見えています。
性格から能力まで見えているのです。
(※M氏がサヌキ女OKなのは、心が強いからです)
<見えない>


男性は見えない世界が通常見えないのです。
これはオカルトの話ではありませんよ。
「当たり前のこと」「隠れた理由」「見えてない事情」「状況」などのことです。

なので男性は理屈でやるのですが、理屈もレベルの高い理屈なら良い。
低い思考力のままで理屈を振りかざせば、たちどころにして女にバカにされます。

女はアワのタチなので、よほどのコトが無い限り他人をバカにすることがありません。
でも、「何も分かって無い癖に自分を分かっていると錯覚するバカ」のことは
そりゃもうバカにするしか無いでしょうよ。

サヌキとアワというのは、それを表すか表さないかの違いです。
(情感こもっているか、こもって無いかの違いがあります)
なので感じることは同じなのです。
アワ女なら「情感を込めて」その上司をバカにするだろうが、発言しません。
サヌキ女なら「情感はこもらないが、発言する」でしょう。




「あのバカ!」と。
<データより>


データで分かることは限界があります。
例えば「この人を採用するべきか否か」という場合。
データでは「出身大学・出身地・現住所・生年月日など」が分かる。
でも、「物事が分かるかどうか」「仕事が出来るかどうか」は分からない。

なので、<部長の話>の部長は「仕事が出来るかどうか」を確かめるために「コピーさせた」のです。
それを見れば入社希望者の能力が分かるからです。

この部長さんのやり方は見事ですね。

しかしまた言いますが、女にはこのくらいのことは見えている。
男性社員は女子社員から「値踏み」されていると思って良いでしょう。

女子社員から人気のある方。
将来有望です。




(※勿論例外はあるし、全ての女が物事が見えているわけではありません)
<何が見えているのか?>


何でも見えています。

たとえば或るサイトの管理人さんのこと。
最近リンクを切ったのですが、その後
「途中から変だな、と思ってました」というメールが10通以上来ました。
そのサイトへ多数回訪問しないと分からないと思うので、
多分このサイトを最初から見ていた方たちだと思います。

本当に見えているのです。
そしてやっぱり「黙っている」w
そう、女は通常黙っています。
アワだからです。
コトが露見して初めて「実は・・・」というのが女。

人の言動のちょっとしたこと、表情などから分かるのです。
それが男性には分かって無い。



と、この記事を読んで「実は私も」とメールをくれた方がいます。
思ってても言わなかったそうです。
ね?
女は言わないのです。

だってもし、それを言ったとして if が激昂し、自分が嫌な思いをしたら・・・と思うと
そのようなどうでも良いこと、自分には関係の無いことなら黙っている方を選びます。

一人だけまだ何もない時に「正直イラつきます」とメールをくれた方がいます。
それを読んで
(ああ、やはり分かるんだな。事情を知らない人もこのように感じるのはまずい。困ったものだ。)
と、私は思いました。
<潜象勘>


そういう能力を潜象勘(せんしょうかん)と言います(相似象)。
通常の女にはコレがある。
たまに無い人がいます。
(これが無い女は悲劇です。旦那や彼氏に殴られる人もいます)

全員ではありませんが、女には潜象勘がある。
男性にもこの勘がある人がたまにいます。


そういう人が会社員なら出世します。
自営業なら商売繁盛します。
女にはモテます。

これが無いとその反対になります。
会社員なら出世は出来ないか、リストラされる。
自営業なら潰れる。
女にはモテない。

間違っても女に当てにされないが、女の方もこの勘が無い場合もあるので、そういう女なら
周囲に寄ってくることでしょう。
ま、それでもいいんだけど。

<怠け者の天国>
(2009年2月3日)


通常、ひとは「自分の次元を上げよう」とは思わないのではないだろうか?
たしかに上の次元の人は素晴らしい、楽に生きているとは感じます。
いいなぁ、とは思う。
ではその次元になれよ、と言われたらどうですか?
面倒じゃないですか?
自分はこのままでいいよ、って思いませんか?
私は思います。

面倒です。

上に行くのは・・・・

あ〜〜〜あ、考えただけで面倒です。

人は無意識に「自分はこれで良い」と思っているのです。
で、次元や意識レベルを意識化したとしましょう。
まだまだ向上の余地が沢山あります。

上がりたい。

でも、上がるためにはとても面倒というか、自分の心を変えなくてはなりません。
<わかっちゃいるけど>


たとえば私の場合。
とっても怠け者で、特に家事が大嫌いです。
その中でも料理が大嫌いです。

仮に私が自分の怠け者を治そうとします。
ということは・・・「料理を好きになる」「料理をする」と言うことです。
でも私は料理などしたくないんですよ、嫌いだから。

ってことはですね。

頭では料理をしたいと思っても本当はしたくないのです。
料理を好きになるくらいなら他のことをしたいのです。

もう一つ。
無駄遣いを止めたいと思ったとします。
でも、私は無駄遣いが好きなのです。
きれいなものや面白いもの、センスの良いもの、上質なものが大好きです。
買えるものなら買ってます。
それが楽しみなのです。

で、無駄遣いを止めようと思うが、無駄遣いが楽しみなのです。
じゃ止める気ないんじゃん?

私は運動が嫌いです。
殆ど運動しない上に美味しいものが好きなので、どんどん太って来ました。
とても醜いです・・・
だったら適度な運動をすればいいのに運動が嫌いなのです。
だったら太っていてもいいや、と思います。


このように人間というものは、とても怠け者でどんなに現状が悪くても
無意識に「これでいい」と思っているものなのです。
そりゃもうちょっと◎◎すればいいのは分かる。
でも、これでいいや、と思うのです。
変化を嫌うのです。

上に挙げたのは簡単なことですが、それすら出来ません。
意識レベルを上げない限りは改善出来ない。
だったら意識レベルを上げればいい。
でも、それ(料理をする、無駄遣いをしない、運動する)をやりたくないんだから
困る。
意識レベルを上げた結果、料理したり運動したりするようになったら嫌なんです。

何がそれを嫌だと思うのか?

それは私の「現時点での心(意識レベル)」が、それを嫌だと言ってます。

そうなりたくないので、苦労してまでその境地に到達しようとは思わない。
怠け者の心理です。

その境地(怠け者の天国)にしがみついているのです。
<それを抜けて>


向上を阻むのは「変化したくない心(思い)」なので、まずはこの怠け心を
克服しなくてはなりません。
もし私が向上して怠け心がなくなれば、その時は
◇毎日三度料理をして
◇適度に運動して
◇無駄遣いをなくせる
のです。

今の私の心の次元での楽しみである「料理と運動しない、無駄遣いする」を
「手放し」、心機一転すれば可能
です。

しかし、それをやりたいと思わないのだからねぇ・・・

<泥棒に入られても心が軽い>


Yさんから。

こんばんは。
唐突ですが、泥棒に入られました(--;)
被害額も、結構な額いきそうです。

被害は、100%私の持っていた貴金属類なんですが、
負け惜しみでも強がりでもなんでもなく、

「ま、いっか」
「私には不必要なものだったから、(みえないところから)
引き取りにきたんだな」

と、案外冷静でした。

そりゃ、泥棒に入られた、という事実をかいまみた瞬間から
10分ほどはショックでパニクりましたが、この程度で
済んでよかったかも...と思い直し、引きずらずに済んでいます。

実況見分に来た警察官のお兄さんがイケメンだったので
目の保養〜♪実況見分も見ていて面白かったです。

これ、気持ちの立て直しの究極の試験かもしれない、
なんて思ったり。

おっとは、「あ〜あ、怨念こもっているものもっていっちゃて、
多分死ぬぞ」と言っていましたが...

エンゲージリング、持っていかれましたからね。
そりゃ、怨念こもってそうだ。
泥棒さん、大丈夫かしら???


実は私も泥棒に入られたのか自分で持ち歩いていてどこかでなくしたのか
分かりませんが、高価な指輪をなくしました。
母の形見だったので気づいた時は(っが===ん!)となりました。
ただの貴金属なら全然惜しくないけど、よりによって形見の品・・・(泣

あちこちに電話して「店に忘れ物は無かったか」訊いたりしましたが
だんだん(そうだ、もしアセンションがあるとすればその時、思うことは全て
現実化すると言う。だったらその時戻ってくるだろう)と思うようになりました。


なので、今は(ま、いっか♪)と、思っています。
アセンションの際に障害となるのは「葛藤」だそうです。
心の中に解決出来ない事柄があったり、それに関して納得がいかない
思いや感情があるとまずいです。
日頃から自分の心の中に葛藤がないか注意を払い、見つけ出し
昇華させたらいいのではないか?

泥棒に入られたYさんにはそれがすぐできたようで素晴らしいです。
大事なのは物や金(かね)ではありません。
心です。
その人の心は本人にしか分からない。
なので、自分で点検し常に軽くいられるよう精進するしかないのです。


エジプト神話に、ジャッカルの頭を持ったアヌビス神がいます。
彼は死者の心臓が「一枚の鳥の羽根」より「重いかどうかを測る」のです。
心臓が鳥の羽根一枚より重ければ天国へ行けないのです。
私はこの話を子供の頃知って(そんなぁ!)と思いましたが、
今は理解出来ます。
子供の頃は文字通り「心臓の重さ」と解釈したのです。
実はこの場合の心臓とは「心、魂」のことでした。
これなら分かる。


心に余計なモノ(葛藤、悩み、苦しみ、恨み、憎しみなど)があれば
アセンションは出来ない、ということを語っているのではないでしょうか?
<心を軽くするために>


心を軽くするためには
◇知識
◇知恵
が必要
です。

素晴らしい善人が思考力(知恵)に乏しいために何でもないことで
苦しみ、相手の言葉を理解出来ないために、誤解しては苦しむ。
そうならないために「人間のいろいろ」を書いてます。

知識は人間についてや、アセンションのことや、あらゆることです。
一応知っておく必要があります。

知恵と知識はどちらか片方だけあれば良いというものではなく
車の両輪の如く、両方不可欠です。
知識が無いところに、それに関する知恵が湧くわけがありません。
知恵だけあっても(頭の良い人でも)それに関する知識がなければ
何も出来ません。

たとえば、とても賢い人が新しい職場に行く。
そこでの知識が無いので、全てをその職場に居る人に訊くことになる。
この時、バカな先輩が「こいつ(新入り)はバカだ」と思う可能性が高い。
でも、違いますよね?
本当のコトが見える人は本当に少ないのです。

昔のことですが、或る新入りが或る役所でプロジェクトを任された。
その新入りは、そのプロジェクトの情報を役所の先輩達に
訊いて回った。
すると質問された役人達はその新入りを
「奴は馬鹿だ。」
「出来ない奴。」と思って軽蔑した。

新入りは皆から集めた情報を基に、そのプロジェクトを見事成功させた。
この新入りとは孔子のことです。


話が逸れましたが知識も知恵も必要なので偏ることのないよう
淡々と進んで行けば良いと思いますね。

<次元の話>(2009年2月3日)


日月神は
「御霊(みたま)には上中下(かみなかしも)」の三種類ある、と言ってます。
また、他からの情報では
「オーラには三重の人、二重の人、一重(ひとえ)の人がいる」とあります。
これはどういうことでしょう?
やはり人間には生まれながらにして、というか、生まれる前から、
魂のレベルで三種類あるのだ、と思います。

次元の違いとも言えます。


沖縄の聖人の講演ビデオを見ました。
その中で聖人が「次元」の話をしていました。
この場合の次元とは精神のレベル、意識レベルのことです。
聖人は何度も次元という言葉を使って、様々なことを語っていました。

聖人が「次元」そのものを説明しました。
聖人が講演会場に来る間に道端(通路?)に空き缶が落ちていたそうです。
聖人はそれを講演に使おうと思って拾って来ました。
聖人曰く
空き缶を見て思うことはひとにより様々です。
◇空き缶を見ても何も思わない人、次元
◇空き缶を見たら拾った方が良いと思いつつ拾わない人、次元
◇空き缶を見たら人に隠れて拾う人、次元
◇空き缶を見たら他人の目など構わず拾う人、次元

ホーキンズ博士が「ホームレスを見た、その時の思いが意識レベル」と書いていますが
同じことです。

思うこと(行動すること)がその人の次元

です。
思ってもやれないのは、その次元なのです。
沖縄の聖人は
「勇気が足りない」と言ってますが、同感です。
上の境地(意識レベル、次元)に行くには勇気が必要です。
ほんのちょっとした勇気なんですけどね。

さて、それぞれの次元(レベル)内でのことを考えてみます。
<下(しも)>


下(しも)の次元にいる方、多分オーラは一重(ひとえ)。
その方たちは道端に空き缶が転がっていても何も感じません。
その方たちに「感じろ」と言えば、その方たちには意味が分からず
大抵の場合は感情的になって終わります。
獣次元とも言います(これは相似象)。

で、その方達は不幸なのではないか?と思うけど、そうではありませんね。
そのレベルの中では幸せなのです。
笑ったり泣いたり儲けたり威張ったりして、とても楽しいのです。
苦しんでいるようなので「そこに入ると苦しいからもっと上の次元へ行きましょう」と
提案すると、凄まじく苦しみます。
そして自分を苦しませるモノ(つまり提案した人)を憎み、嫌います。
彼らには自分の次元での幸せがあるので、それを壊すことが「悪」なのです。
<中(なか)>


中(なか)の次元にいる方、多分オーラは二重。
その方たちは道端に空き缶があれば(拾おうかな?)とは思いますが拾わないのでは?
でも、拾わなかったことに対して罪悪感を抱く。
或いは拾う。
でも、人目を避けてこそこそしています。
それは
「他人の目を意識する」という次元にいるからです。
善いことをする自分というものをとても意識してしまうのです、自然にやれない。
人目を気にして拾えない次元と人目を気にしつつ拾う次元とはやるかやらないかの違いで
同じだと思う。

素直ではありません。
生まれ赤児が「人目を気にする」でしょうか?
しませんね。
なので、空き缶を見ても何も思わない人よりはいいかもしれないが、
勇気が足りず自意識が過剰なのです、これもダメですね。

この次元を「良い、合格だ」と思う人がいるとは思うが、私は「ダメ、不合格」と言います。
日月神の言葉でサニワしています。

何をするにも「他人の目を意識してしまう段階、次元」にいるのは、私は賞賛しない。
こういう次元の人に「気にせずやれ」と言うと途端に苦しいことになります。
この次元の人たちの幸せは「他人の中で安心すること」なのです。
決して目立たないこと。
目立たなければ攻撃されませんからね。
自己保身。
この人達の特徴です。
善い人達であります。

私は賞賛しませんがw
<上(かみ)>


上(カミ)の次元にいる人達。
オーラは多分三重。
カミというからにはカミに近い。
とは言え、神のことではありません。
相似象ではカミとは上の次元のことです。
簡単に言うと「上」(うえ)」のことです。
ま、あまり難しく考えない方が分かります。

この次元になると人目を気にしません。
生まれ赤児の心と成りているからです。
他人が自分をどう、思おうと自由、と考えます。
てか、あまり他人の思惑を考えません。

これを下の次元の人から見ると「他人のことを考えないとはなんて自分勝手なのだ!」と
思われますが、そうではありません。

上の次元の人は考えることは全て「世のため人のため」が基本になっています。
それをすることによって、他人が誤解し、恨み憎み、呪おうと「意に介さない」のです。
これが「他人の思惑を考えない」ということです。

一つ、何か行動すればそれに対して
◇賛成
◇反対
◇どちらでもない

の三通りの反応があります。
これらにいちいち感情的に反応しない、という意味です。

もし、自分がやりたいことよりも他人の反応を重視すれば
他人>自分
身動きが取れなくなります。
100%の人に賛成してもらうことは不可能なのです。

中の次元の人はこれをやろうとしています。
なので、いまいちであり、不可能であり、苦しみを生むので、私は賞賛しません。
下の次元の人はそもそもこの中の次元に入る人が抱く苦しみは持っていません。
だからその点は幸せであるとも言えます。

上の次元にいる人の喜び楽しみは下(しも)の次元の人の喜び楽しみとは違うが、
中(なか)の次元の人の喜び楽しみとも全く違います。
このように人は魂が住んでいる(所属している)次元によって、喜びや楽しみ
生き甲斐、面白いと感じること、全てが違ってくる
のです。

幸せとは「自分が属する次元内にある」ので、次元が異なることは「苦しみ」です。
自分が所属する場所で楽しめば良い、というか、それしかありません。
下(しも)の次元の人に「そんなところに居ると苦しいからこっちへおいで」と
誘うことは下(しも)の次元の人にとっては苦しみ以外の何者でもありません。
<アセンション後>


アセンションは来るそうです(100%来るとは思わないが)。
心に葛藤が無ければアセンション出来るそうで、心配は要らないでしょう、良かったです。

でも、アセンション後には「自分の魂の次元」に行くことになるでしょう。
日月神は
「魚屋は魚屋、八百屋は八百屋と永遠に決まる」と言ってます。
決まってしまうのです。

なので、今上(カミ)次元に入る人はそのまま上(カミ)次元なのでよい。
問題は中(なか)次元の方です。
そのままでも良いが、ちょっと勇気を出して一歩踏み込んでみたら、と思います。
ただし心が中のままで行動だけを上にすると、苦しいのです。

つまり、空き缶を何気なく自然に広い空き缶BOXに入れる、ということを葛藤なく
やれればいいが、それをするのが葛藤を生むようなら、やらない方が良いということです。

アセンションの際に障害となるのは心の中の葛藤だそうで、それなら
いっそ何もしない方が良い。
空き缶だったら、「こそこそ人目を避けて拾って捨てる」のが良い。
でも、練習してそれをしても何も気にならなくなるまで、自分を訓練するのも良い。

好きな方を選べば良いと思います。
<空き缶だけではなく>


このことは空き缶拾いだけに限っていません。
何をするにも小さい心で、自分が大事で、自分の保身を考えてしまうひとに
「それを止めろ」と言ったら途端にジゴクの苦しみが襲ってくるはず。

取る道は二つ。
◇心がヂゴク化するので、今まで通りをやる
◇心がヂゴクにならないよう、何度も体験して自分に覚え込ませる

楽な方とキツイ方とがありますよ。
好きな道を選べます。
どうぞ♪
<Yさんから感想>


今、パンドラさんの「人間のいろいろ12」の「次元」の記事を読みました。
自分は「中」です・・・。
さらにそれを3段階くらいに分けたとすると、そのなかを行ったり来たり。
空き缶を平気で捨てられる時もあれば、気にして出来ないときもあるからです。
 
そうそう、いいところに気づいてくれました。
「中」の中にも段階があるということに。
まぁ、厳密にいえば「人間の数だけ段階がある」と言える。
大きく分ければ「三種類ある」と言えますが。


モゾモゾと隠れて行動するのは気持ちが晴れない。
出来ればすっきり行動できる自分になりたい。
でもその次元に行くにはジゴクの苦しみが待ってる・・・。
根性無しの自分に、何度も体験して覚えられるかなぁ。
でも、なりたいと今は思います。
昔の自分なら「目立たないようにしよう。他人に紛れていれば安心だから」でした。


<「他人を悪と思ってはいけない」と、思う「悪」>(2009年2月2日)


最後の「悪」は「間違い、まずいこと」くらいにとってください。
或る方からメールが来ました。

やっぱり鈍いなぁ。
まだまだと思いますが、やはり、いやいやそんなことはない、
この人は悪い人でないよ。
という考えが根本的にあるんですよね、私は。
人を悪く言うことに対して、罪悪感ありましたが、ああこんな人なのよね。
とやっと落ち着いてきたかな、私と思います。
ほんの少しですが。


多くの善人の方が堕ち入ってる落とし穴です。
自分から見て「悪い」と思える人がいる。
でもその人を「悪い」と思ってしまうことに「罪悪感」=(悪い)を持ってしまう、ひと。
多いのではないでしょうか?
「他人を悪いという自分は嫌だ」という人です。
ここまで言語化している場合はまだ良いが殆どの場合は無意識無自覚でやっている。

こういうひとは何でも「良いか悪いか」「正しいか正しくないか」と、
善悪、正邪を基準にして判断する人です。
道徳的に物事を見てしまうひと。
これは一見正しいように見えますが、世の中には
「正しいか正しくないか分からない、どちらでもない」ことが多いというか、それが普通ではないかな。
価値判断は置いといて、対象そのものをただ、見る訓練が為されて無い人です。


またその相手の人を悪いと思っても、全人格に関してではないでしょう?
どんな「悪い」奴だって良い面、良い点はありますよ。
だから相手を悪いと言う場合は
相手の一部分に対して「その点は悪い」と言うのではないかな。

たとえば・・・
A君は成績はとても良いが、遅刻が多い。遅刻は良くない。その点は悪いので、改めるように。
とか、
Bさんは人柄がとてもよく会社では出来る上司だが、飲酒運転をしたよね、とか。
それは法律的に「悪い」だろ、とか。


これなら全人格ではなく、一部分です。
一部分ならどんな人も「悪い」部分は持っています。
だからそこを指摘することに罪悪感など抱く必要は無い
(と、私は思う)。


またこれも多いと思うのですが、相手を「悪い」と思うことがイコール「嫌い」となってしまう、
思考と感情が不可分になっている人
思考と感情を切り離せないレベルの人はこのようになりがちであり、大変多いと思います。
思考と感情を切り離せる人は(女には)少ないです。
これも本人には自覚しづらいことです。
思考と感情が常にいっしょくたになっていれば、思考など出来ません。
思考出来ないので、自分が思考出来ないことが分かりません。
かなり大変です。
いくら良い人でも思考のレベルがコレでは・・・

そういう人はその「思考力」の結果、常にまずい結果を呼んでいます。
それを見て何が原因か分かればよし、
分からなければさらに学ぶための試練(体験)がやってくるでしょう。
<感想>


こんにちは。
今日の「他人を悪と思ってはいけない」と思う「悪」について、本当にそうだとおもいました。
善とか悪って裏をかえせば同じものなんかな・・・なんても思えてきました。
見方により善くも悪くもとれるし、結局のところ「わからない」でいいんですね。
 
今の自分の判断力で判断すればいいし、またそれしか出来ないのでは?
また、「悪」と判断した場合、問題となるのは感情を動かすことです。
これは大抵の人がやるのではないかな。
「悪」と判断した。
それで済ませればいいんですよ。
問題はその次です。
「悪」な相手を感情込めて「憎む」のです。
恨んだり呪ったりします。
これがいけない。
判断に感情が憑いてしまうことが悪いのです。
これが一番「悪い」と言えます。

思考力が未熟なのです。
頭の中を整理出来ない人は、あっちもこっちもいっしょくたになります。
頭の中がごちゃごちゃしています。
論理も感情もいっしょくたでごちゃごちゃさせていることが「最も悪」ですね。
私に言わせれば。


だから、この方が言ってるように「分からない」と判断すればいいのです。

小さい時から母に呪文のように「自分が人を嫌うと相手もそう思っているよ」と言われて育ち、人を嫌うことが悪いよりも嫌われたくないとの思いが強かったです。だから、人に嫌われたくないから嫌わないでおこう!と思ったのが徐々に変化し「嫌われることは悪いこと」となり、終いには「人に嫌われるのが怖い」まで底の底にまで落ちて自分を苦しめていました。振り返ればどうでもいいことなのにね!

この方のお母さんは「本能的に敵を作ることが怖いタチである、アワ人間」ですね。
なので、なるべく人と敵対したくないのです。
常に穏便に済まそうとします。
これは本能的なものなのでどうしてもそうなります。
それに一見平和的でいいですからね。

なので、このお母さんはそういう自分の考え方や価値観を基にして娘に教えました。
このように親から、親の価値観を押し付けられた人が沢山います。
こんなのなら却って「何も言わない方がまし」だとも言える。
でも当時のお母さんはそれが精いっぱいで正しいと思っていたのです。
大人になった人は、その当時のお母さんの考えを分かってあげる必要がありますね。
たとえそれが「正しくなくても」、それは当時の親にとっては「正しい」と思っていたのだなぁ、と。

これが出来た時初めて大人になった、と言えます。

これだけに限らず
「親を子供としてではなく、第三者として、
同じ大人として見る(判断する)ことが出来るようになった時」が、大人になった時
です。
だいたい40歳以降にこれが出来るようになってきます。
45歳とか、50歳とか・・・
(もっと早く出来る人もいますよ。35歳とかね)
大人になるというのはかくも時間がかかるものなんです。

<ある能力者による2009年の予想>(2009年2月2日)


参考になるサイトをリンクしときます→  スピリチュアル・エッセイなど  そこから抜粋しました。

1月26日、2月6日、7月、8月、12月末と、2009年は食が6回 (も) 来ます。 

 

ヒトの意識、世の中のリセットがどんどん加速するでしょう。 
水瓶、獅子、蟹、山羊のエナジーの強い人は、とくにリセットかかるでしょう。 
シートベルトしっかりしめて (腹に肝すえて)、生まれ変わっていってください。 

 

地獄を見る人は地獄を経験していくでしょう。 
地獄は自分の心の中にあります。 
地獄の底 (心の奥底) まで落ちないと這い上がらないヒトは、地獄の底まで降りるもよいでしょう。 

 

苦しいでしょうが、自分の魂がそこまでいかないと改心しない場合は、仕方ないですね? 
自分のことだから。 
自分がそこまで気づかない、改心しない、意固地である、天の邪気 (アマノジャク)である、
プライドが高すぎる、やらないうちから失敗を心配している、勇気がない、自信がない、逃げている、
人のせいにする、人生に対する期待が甘すぎる、何でも人にセットアップしてもらうのがアタリマエだと思っている。

人生は楽しいものだと思い込んでいる、楽して成功したい、楽してお金もうけしたい、
楽して有名になりたい、ストレスにすぐ負ける、怒る、甘えている、
子供すぎるにもほどがある、エゴのバリアが弱い、エゴのバリアが弱くて、すぐつけこまれる 
(自分の中の邪心、楽したい、という気持ちが、憑依をうける原因カルマでしょう?) 

 

・・・ ああ もう〜〜〜っていうくらい・・・ 言い出すとキリがありませんが・・・ そういうことだから。
誰のせいにもできません。 自分のせい、ですよ。 


<消えないもの>(2009年2月1日)


ブログ「こんな毎日」2008年10月10日の記事より。

消えないもの。

先日のエネルギー整体のレッスンで気になっていることを聞いてみました
open*sesameでは、エネルギー整体の手法を、ボディ&ソウルヒーリングというセッションで行なっています)。

最近、浅井先生のところへいらっしゃるお客様で、他のところで受けた、
エネルギーワークやヒーリング、波動調整、アチューメントの影響を取ってください、という方が増えているそうです。

私のサロンへいらっしゃる方でも、

「ブログを読んで、ホント、もう今の蔓延しているスピリチュアルって、アホらしいなと思って、
いままで色々なところに行きましたが、自分を信じることが一番大事なんだなって思いました。
もう、自分以外のエネルギーはデトックスして、本来の自分で生きて行きたい」

とおっしゃる方も出てきました。

浅井先生いわく、「アチューメントだけでなく、その他のセッションやヒーリングで受けた、
マイナス(ネガティブ)エネルギーも、そのうち抜けていくものではありません」だそう。

アチューメントのように、エネルギー回路をつなぐものだけでなく、
(ヘンな)セッションを受けた場合の影響も、ほっといたらそのうち消えてなくなるものではないとは・・・。

エネルギー整体では、クライアントの方に対して、「エネルギーを入れる」ことは一切しません。
マイナスエネルギーを除去し、その人本来のエネルギー状態に戻すだけです。
その人に、新たにエネルギーを注入していくことはありません。
ですが、その人本来のエネルギー状態にすることによって、色々な不調や状況に働きかけます。

その人以外のエネルギーを入れないために、
施術では、施術者のエネルギーがクライアントさんに入らないような手法も教えていただきました。

私も以前、何箇所かでセッションを受けたことがあります。
自分でチェックしてみると、その人のエネルギーが自分に残っている・・・。
ひとつひとつチェックして、浄化していってみたいと思います。どんな結果になるか、楽しみです。

以前、浅井先生のレッスンを受けたとき、とても納得したことがあります。
それは、「トラウマやカルマというものは、エネルギー的に解消することができるのか?」という質問したときのことです。

たぶんその頃、そういった話をよく聞いていたりしていたのでしょう。
なんだか、話によっては、「昔はダメだったが、今はそれをやってもいい時代になった」ということも聞いたりしました
(あー、やだ、またこんなことを書くと、ブログがあやしくなっていく・・・(苦笑))。

聞いたときは、「なんだそれ、誰がOKって言ってるちゅうねん!
(自称神様からのメッセージですか??)」と思っていました。出来るからって、やっていいことなの?と。

浅井先生の答えは、

「エネルギー的に、出来る人はできます。
しかし、トラウマをエネルギー操作したときには、施術者の○○○○○が○○○ます。
カルマの場合は、施術者の○○が○○ます。
できるからといって、人が扱ってはいけない領域があるということだと思います」

というものでした。

なんか、それにすごく納得したのでした。

それが、その人の抱えているものならば、かならず意味があるのでしょう。
それをその人が本当の意味で解消することなく、
エネルギードーピングで取り去っても、根本的な解決にはならない気がするのです。
それを奪うことは、その人の学びの、成長のチャンスを奪っているのと等しいのではないかと。

もちろん、つらい状況にいる方もいるでしょう。
ですから、一概に言えることではないですが、これだけお手軽になってきた今、なんかちょっと違和感を感じるのです。

(余談:まぁ、なかには、自分のことを「神」くらいに思っていて、
「選ばれし人間の自分なら、やってもOK」と思っている方もいますが・・・私は例外はないと思っています。
大体、「選ばれし、特別な存在」と自分のことを思っている自体、私的にアウトなんですけど。イタイ、イタイわぁ〜と)



私は伝授やヒーリングについて懐疑的なのですが、ここに理由が書かれています。
伝授を受けるなら人間性がマットウな方から受けたいですね。
PANDORAのリンク先のサイトはマットウだと思います。
中でもゆかエンジェルさん(リンク1)のエネルギーなら繋がりたいな、と思います。
この方は本当に本当に天使のような人です。

親に「性格が消極的」と叱責され…
公園で男子高生自殺か

2月1日13時58分配信 産経新聞


1日午前2時ごろ、埼玉県鴻巣市赤見台の公園で男性が滑り台の手すりに
バッグのショルダーベルトをかけて首をつっているのを近所の男子大学生が見つけ110番通報した。

鴻巣署の調べでは、首をつっていたのは吉見町の県立高校2年の男子生徒(17)で、すでに死亡していた。
現場の状況などから自殺とみている。遺書は見つかっていない。

男子生徒は1月29日夜、両親に「性格が消極的過ぎる」などとしかられて家出。
両親が翌30日に家出人捜索願を出していた。


子供を死なせた親に対して気の毒だとは思うが、何で「消極的」くらいで叱責するかな。
考えられません。

我が家の次男、高校二年生の◎ちゃんはとても消極的で
休みの日は朝からアニメかゲーム、たまにDVDで、夜はお笑い番組見ています。
親が県外へ連れて行くと言っても行かないし、たまには一人で行って来いと言っても行かない。
何もしません。
行きたいのはゲーセンかゲーム屋、たまに貸しビデオ屋。
部活動もアルバイトも何もしません。
ただウチに居てアニメやお笑いを見て笑っています。

我が家の◎ちゃんは殆ど喋らない。
自分から話しかけることは殆どないし、こちらが質問しても
「あ」
「い」
「う」
「え」
「お」
しか言いません。
でも、日本語は理解しているようです。


先日、我が家へ来た一家のお子さんがとてもハキハキしていたので
「ずいぶんハキハキしたいい子だね!」と言ったら親は意外な顔をして
「何も喋らないので喋らせようとしていた。」ような答えが・・・
何で?
喋らない方が静かでいいのに。
しかもこのお子さんはとてもハキハキしていて、自分からどんどん喋っているし・・・???

その時、親の要望にはいろいろあるものだ、と感心したのですが、今日のこの暗いニュースです。
世の中には子供に「積極的であれ」と求める親がいるんですね。
うちの主人も次男に対してはがゆいようですが、主人には何も見えていません。
この子の本当の価値(凄く賢いこと、とても優しいこと、真面目、丈夫など沢山)が見えないのです。
見る能力が無いので見えない。

その自殺したお子さんがウチに来ていれば「良い子だ」と褒められたことでしょう。
(次男の友人の中でも褒められるのはおとなしい子です。
 うるさい子は私が「来させるな」と言ってます。うるさいから)

子供が消極的で何か不都合があるのかな?と思いますが、親の方は積極的なんでしょうね。
そして「自分のようであれ」と、叱咤したのでしょうか。
それとも、親が自分が元々消極的だったのでそれを「努力によって」
積極的になったのだから「オマエも」なれるはずだ・・・・と、叱咤したのだろうか?
親が世間が
積極的=善
消極的=悪

という感じであると、世の中を捉えているのでしょうか?

やはり分かりません。

@自分に出来ないことを子供に強要するのはおかしい
A自分が出来ると言って子供にも強要するのはおかしい
どちらにせよ「おかしい」のです。


このことを学ぶために払った犠牲は大き過ぎましたね。
多分自殺の原因は叱咤ではないと思います。
生まれてから両親ともどもずれた感覚、考えで育てたのではないか。
それでとうとうそれから逃れるには自殺しかないと思ってしまったのではないか。
考えてみれば自殺なんて、かなり積極的な行為です。
皮肉なものです。

私は◎ちゃんがどんなに成績が悪くても何もしなくても何も喋らなくてもいいです。
◎ちゃんが元気で明るく生きていればそれで満足です。
<感想が来ました>


Mさんから。

人間のはなしの最新記事を読みました。
最後の2行で泣きました。
 
本当にそうです。
明るく元気で笑っていてくれたら満足です。
 
ありがとう。
いい記事を読みました。

Nさんから。

人間のいろいろを読みました。
ifさんが息子さんの◎ちゃんの事を

私は◎ちゃんがどんなに成績が悪くても何もしなくても何も喋
らなくてもいいです。
◎ちゃんが元気で明るく生きていればそれで満足です。

と書いてあったのを見て

神様は私たち人間に対して、きっとifさんのような思いでいら
っしゃるのだなと感じて涙ぐんでしまいました。

私は誰に対しても、こうあってくれ、と要求ばかりしていて元
気でいればOK、と思ったことなどありませんでした。
私に子どもはいませんが、子どもがいたら、締め付けるばかり
の母親になっているのだろうと思います。

ifさんのような気持ちになれたらいいなと思い
またそんな日が来るのだろうかとも思いますが
この2行にとても心打たれましたのでメールしました。

いつも役に立つ事をありがとうございます。



いや〜〜〜、そ、それがぁ・・・・実は書き忘れていたことがあります。

勉強のことでは一度も叱ったことはないが、仕事をちゃんとやらないと・・・
◆拳骨で頭のてっぺんをブン殴る
◆パンツ脱がせて尻が赤く腫れあがるほどブっ叩く
◆おもちゃの刀でめった殴り
◆髪の毛を掴んで風呂の水に沈める
◆裸にして外に放り出す
などなど・・・虐待母です。。。

先日、可愛い可愛い◎ちゃんが「風呂を洗った後、お湯を溜めておかなかった罪」で
拳骨二発食らいました。
まぁ、価値観が他の家庭と違うだけで「もっと凄い」ことやってますので

どんな家庭でも我が家よりは天国かと思います。