人間のいろいろ 2

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<いるかさんの石鹸>(2007年1月25日)


キリ番取ったNさんに石鹸を送りました。
すると、治らなかった炎症が薬をつけてもいないのに
この石鹸を使っただけで、治ったそうです。
うちには肌が弱い人がいないので、そういうコトがあるのか、と
驚きました。

プレゼント用に石鹸サンプルを50個購入した際、
オマケについてた通常サイズの石鹸が
余っているのでNさんに送ってあげました。



if様



石けん、拝受いたしました。
大きめの石けんで、長く愛用させていただくことになると思います。
本当に、ありがとうございます...

大学病院に一年通っても治らず、
ホメオパシーでも効果のなかった皮膚病が、
こんなに短期間で良くなるとは思っておりませんでした。
使うたびにキメが整って、あとは首周りのみ、といったところです。

もう一つ驚いたのは、洗顔の後。
以前は化粧水や美容液を欠かさなかったものですが、
この石けんを使った後では、そういったケアが
特にいらず.....乾燥からくる小ジワに、確実に効果あり、でした。


本当に信頼のおける石けんに、やっと巡り会った、という感じです。


一人でも多く、特に私のように肌のトラブルで困っている方に
海豚さんの石けんを知ってもらえたら、と強く願っています。
パンドラでのご紹介を、楽しみにお待ちいたします。
必ず、友人や家族の分も合わせて、購入させていただきます。


この素晴らしい石けんを作って下さった海豚さん、
そして、ifさんのご好意に、心から感謝いたします!!!


Nさんが石鹸の感想を送ってくれなければ、
私にはNさんの肌の炎症のことを知らなかったのだから、
メールをしたNさんが正解だったんですよ。

私が皆さんに「動きなさい。」と言いますが、
こういうコトなんです。
何も特別なことをしろってのではありません。
ちょいと気を利かせる、気が向いたらやってみる、
一応ダメ元でやってみる、言ってみる、というくらいの
簡単なことなんです。

それが出来た人はこのようなラッキーがありますね。

さて、いるかさんの石鹸を皆さんにも紹介したいと思います。
下はいるかさんからのメールです。

いつも、お心に掛けていただいてありがとうございます。
 
PANDPORAで紹介していただけるのはとても嬉しいです。
 
石けんを使っていただいて多くの方の喜んで頂けることが
一番の励みやステップアップの力となります。
ifさんにご縁をいただけたお陰で、又幅広く色んな方々に
使っていただけることが本当に嬉しく思っております。
 
宜しくお願いいたします。

<可愛い>(2007年1月22日)


Yさんからの情報です。

高校の時、性病の感染が低年齢化してるとかなんとかで
市民病院の看護士さんが公演にきてですね、

わたしは子供をかわいぃかわいぃと言って育ててます。
もう、うんざりするほどかわいいわね〜と言っています。
そうするとですね、変なおじさんに「君、可愛いねぇ」なんて言われても
ホイホイ付いていかない子に育つんです。

ですとー。


なんと!
そうでしたか。
想像もつきませんでした。
さすがその道(性病専門家)の言うことは違う。

我が家もねぇ・・・もっと、娘達に可愛いと言って育てれば良かったですよ。
私が言ったことといえば・・・

「ぶす」
「ちび」
「でぶ」

ど=しよう!(汗
後悔先に立たず!

でも、末っ子の◎ちゃんには毎日1時間毎に「可愛い♪」を連発してます。
15年間毎日です。
だって、可愛いんだもん♪
この子は変なおじさんについていかないでしょうね。
良かった♪

<デトックス・フットバス>(2007年1月20日)


テレビでデトックス・フットバスというのをやってた。
お湯に足を足首まで入れて3分経つと
お湯の色が茶色になってとても汚くなる。
足の裏から毒素が出るそうだ。

私は以前、寝る時に足裏シートというのを数ヶ月間
使っていたことがある。
朝になるとそのシートは茶色くなっていた。
その色はシートの成分=樹液の色ではないそうだ。
ところが安いシートが手に入らなくなり、
一年以上足裏シートは使ってなかった。

先日、暇な日があったのでデトックス・フットバスを
体験しようとスーパー銭湯へ行ってみた。
銭湯に入場するのに1000円。
フットバス使用料が2000円だから、3000円かけたわけ。
高い・・・。

さて、フットバスに足を入れてみたが、お湯の色が殆ど変化しない。
ほんのりオレンジ色になっただけ。
重金属は少し浮いた。
30分足を入れていたのに、お湯の色の変化が(え?これだけ?)


なんだか損をした気分。


係りの女の子が首を傾げて「代謝が悪いのだと思います。」だって。


なんだか損をした気分。


でも、毒素が少ないのかもしれない。
喜ぶべきなんだろうか?

<岩盤浴>(2007年1月20日)


岩盤浴は数回体験した。
30分ほど寝転んでいればいいので楽だ。
汗を沢山かくし、その汗はベトベトしていなくて
さらさらしている。

普段運動をしないので汗をかかない私なので
気持ちが良いような気がする。

<ゲルマニウム温浴>(2007年1月20日)


腕(ひじも)と足首をゲルマニウム入りのお湯に入れて
25分間ほど、じっとしている健康法。
この姿勢でじっとしているのがちょっと退屈だけど
汗をだらだらかくのが凄い。
岩盤浴よりゲルマニウム温浴の方が汗をかく。

これはあとが気持ちいい。

<教える人>(2007年1月12日)


Yさんからのメールです。
ここんとこ硬い話しが続いたので笑える話をしましょう。
教え方はひとそれぞれです。


千葉だかどこかに『ナンパ待ち』のスポットがあるそうです。
男の人が(いい)車でやって来て女の子をナンパするそうです。
そのコースに橋があるそうです。長い橋が。

ある高級スポーツカーに乗ってる男の人は、いつもそのナンパスポットで
女の子をナンパし、車に乗せ、橋の途中まで来ると
「ここは夜景がキレイなんだ。見てきてごらん」と外に出させ、
女の子が「わぁ、きれぇ〜」とか言ってるうちに走り去るそうです。

この男の人は、
ほいほい見ず知らずの男の車に乗るとヒドイ目にあうってコトを
教えてやっているんだ。と、言ってるそうです。

この男の人の内心に楽しんでる節もあるかもです。
つか、むしろそっちがメインかもです。


ま、そっちがメインだとは思いますが、でもタチは悪くないです。
その女の子達は貴重な教訓を得たことでしょう。
それは一生の宝になりますね。

この例のように「一見悪」で実は「善」てのがある。
日月の神も
「悪の総大将は善の顔して御座るのぞ」と言ってます。
さて、あなたはどちら?

<クソガキな過去>(2007年1月11日)


下の方の記事ゲイダイさんの<過去の自分と向き合う>を読んだ、
トウダイさんからメールが来ました。

件名が「クソガキではなかったけれど」とあります。
内容はコレです。

小学校ではほんとに勉強した記憶が全くないけど、
「給食係」とかやっていました。何をするかっていうと
給食当番が配膳している間、席でお喋りしている奴を
注意して、3回注意されたら1分食事お預けとかを
命令できる係。自分で勝手に作りました。嫌な奴だ〜。

あと理科係。担任の先生から理科室の鍵をくすね、
怪しい薬品(なんちゃらマグネシウムとか)とかを
持ち帰ったり、試験管や分度器やアルコールランプを
ガメたりしていました。危ないし犯罪だって。




立派なクソガキじゃありませんか!

鑑別所には入らずに済んだようだけど
「給食の決まり」には笑いました。
マフィアだって、ここまではやらないと思いますよ。
かなり、嫌なガキですわね。

子供時代は自由にさせてあげたいですね。
子供の心を縛らず、自由に伸び伸びとさせてあげたいです。
小さい頃から勉強漬けにしなくたって東大や芸大に入れます。
入れなかったら、その方が良かったのです。

たまたまメールをくださった方が高偏差値ですが、
それよりも魂が活き活きとしている方が重要です。


<好きなことなのに>(2007年1月11日)


好きなことが見つかった人でも問題があるものです。
Yさんの体験談は多くの人に心当たりがあると思います。
参考になると思うので載せますね。


私は絵を描くのが好きです。好きなだけに時間が経つのを忘れてしまいます。
家族より早起きして描けばいいのですが、そんな日に限ってみんな早く起きてきたり、
前の日かなり夜更かししたり、なかなか早起きが定着しません。
我ながらへたれ・・・。と思ってふと考えました。

「好きなことは楽しくできるはずだ」詭弁です。
でも頭のどこかにこういう意識がありました。
「好きなことを仕事にしているから苦なりません」「楽しくて楽しくてたまりません」
雑誌などのインタビューによくそういう答えが書いてあるような。



何で好きなことなはずなのに迷うんだろう?
何で好きなことなのに踏み出せないんだろう?

YoshikoさんのブログでKさんの「エネルギー実験場・2」を知り、行ってきました。
あ〜、本当に進歩してないなと思いながら。
言葉をいただくとそのときは理解したような気持ちになる。
はい、わかりましたと言葉をいただく。
なのに行動に移そうとすると一歩が踏み出せない。
そこでKさんにいただいた言葉
「本気で進もうとすると、楽しくという訳にはいきません。
「動機付け」が必要になってくると思われます」
、「えっ?」と思いました。
あれほどの方でも楽しいばかりで進んでいらっしゃる訳ではないのだと驚きました。
何だ、時間のやりくりや自分の絵の下手さに苦しんで嫌になって当たり前なんだ。
「すすむ」という一言は何の抵抗もなくただ進むということではなかったのだ。

Kさんの「すすむ」という言葉には
「いろんな障害を乗り越えながらすすむ、自分で悩みながら考えながらすすむ」
という重みがさらりと加えられていたのです。
「言葉の重み」についてわかったわかったといいながら、実はわかっていない。

す・す・む。
Kさん自身そうやってすすんでこられた方なのだと理解できました。
まだまだです。

<過去の自分と向き合う>(2007年1月11日)


向き合うと言っても大層なことではありません。
思い出すことです。
ただ、思い出すだけではなく、その時自分はどうだったか、
大人になった自分が、当時の自分や周囲の状況を考えてやる。

今の自分に何か問題があるとしたら、原因を発見出来るかもしれません。
と言っても、別に刑事のように疑ってかかるのではなく
ただ、思い出せばいいんですよ。
そして、滅多にあることではありませんが、当時の感情が
リアルに甦ることがあり、それは魂の癒しになります。

さて、芸大出のKさん。
今、何か仕事に熱中出来ない、何か足りないという思いがある。
それで、過去を検証することにしました。
順番通りに思い出す必要はありませんよ。
出て来るに任せてみましょう。

思い出し方の実例として載せますので参考にしてください。


幼少の頃の自分が少年期の自分が、いまの自分に何かを言ってきます。ここで過去の
思いを精算しろと言うことなのでしょうか。
冬の間、じっくりと過去の自分と見つめ合います。

ばっさり大くくりして小学生までの自分、中学、高校までの自分、大学から今までと
分けられます。それぞれが、かなり境遇?心境?もろもろ違うのです。


幼少から小学生時代。
我が人生の春でした。ノープロブレムな人生。順風満帆。高学年になるに従いやや陰
りがでてきたか、という感じですが。
自分で言うのも恥ずかしいかぎりですが、家では姉に苛められても幼稚園に行けば俄
然リーダー。春生まれは得です。何やってもそこそこできる。目立ちたがり、誰も
苛めたりしないし、とにかく楽しく過ごしてました。

唯一嫌いだったのが絵を描かされる時間。嫌いでした。
なぜって遠足だ、運動会だ芋掘りだ、って描かされる。
覚えてないもん。で、子供の描く絵が下手なのは分かる。ぼろくそ言うんです。

お姉さんがぼろくそ言ったのですか?

そのくせ自分は運動会の絵は綱引きの縄、太く一本とか、芋掘りは土だけ、とか描い
てました。いい加減なのが嫌だったのを覚えてます。立体的に見えてるのにぺったと
しか描けないのが嫌なのです。上手く大人に説明出来なくて歯がゆかったのです。

ところが密かに自分で休み時間に描いている大作があった。
UFOの絵です。なぜでしょう?分からないんです。ただそれがお気に入りでよく描い
てました。想像のものは形に縛られないから良かったんでしょうね。


小学校低学年。春真っ盛り。多分、男にも女の子にも人気あったと思います。
地球は自分が中心で回ってるような感じで、みんなが自分に集まってくる。
辛い思いは剣道の寒稽古。1年生は出なくて良いと言われていたのに、なぜか私は行っ
ていました。よーく覚えてます。
時計が5時になると起こされて、真っ暗な冬の道を防具をくくりつけた自転車で急な
坂をのぼる。氷のような床。声だけはでかくだして、何とか1週間乗り切った。稽古
が終わってから学校に行くので、他のヤツよりは強い気がするんです。
剣道は強くなる前にやめましたが。
成績は大体中の上、程度だったかな。とにかく手を上げて発言するのが好きで手を上
げてから答えを考える。
だから周りは出来るヤツだと勘違いするのか小学校6年間全て学級委員。



4年生で××の団地から○○の海辺のマンションに引越。少し陰り始める。
港町はワルが多くて、おまけにマンションラッシュで小学校が収容しきれないほどの
転校生。
学級崩壊してました。そこで不良達との付き合いかた、距離の取り方を学んでゆきま
す。
つづく




頼みもしないのに、続き物になっているところが
小学生時代から(お調子者の)性格が変化していないように思えます。
しかし、創作をする人にはこの感性が必要ですね。
永遠の少年、みたいな柔軟な魂が必須だと思います。
分別は創作活動の邪魔になりますね。
分別は他の場所、家庭内や社会で発揮すればよろしい。

意外なのは、Kさんが絵を描くのが嫌いだったこと。
まさか後々芸大に入るとは本人も周囲も予想していなかったでしょう。
人生、そんなモンかもしれませんね。

だからお母さんがたに言いますね。
お子さんのことを早めに諦めないようにしましょう。
長い目でみましょう。

ウチもそうしてます(泣


さてさて、Kさんの話しには続きがあり、クソガキそのもので笑いました。
まぁ、そういう体験が心を豊かにしたんだなぁと、どんなコトでも「良い方」に
解釈する私はそれで「よし」と言いましたが。


世のお母さん方に言いますね。
たとえおたくのお子さんがろくでもないないことばかりしていても
それは将来芸術家になるための基礎作りかもしれません。
大目に見ましょう。

<本当の友>(2007年1月10日)


政府関係の銀行にお勤めの方から、なるほどぉ・・・と
思えるお話を聞きました。


残ってくれた人が本当の友です。

銀行の融資も世の中の仕組みもまったく同じです。
おらーITだー不動産REITだーという時には一斉に群がります。
でも債権放棄とか事業整理とかいう段階になるとぱっと掌を返して
一抜け二抜けしていく。そこで最後まで歯を食いしばって一緒に
やり続けられたメンツが「こいつとならまた仕事をしよう」と
いう関係になって生涯つきあっていきます。

後ろ向きの時に人間の本性が現れます。
そこで付き合えた人は本物です。



困った時の友が本当の友って言いますよね。
さすが”現場”の人の声は説得力ある。

<お婆さんの夢>(2007年1月8日)


これは或る男性が見た夢です。
人も羨む芸大を出ている、芸術家です。
精神世界に興味を持ち、求道の日々を送っているこの方が「書く行」を始めました。



以前見た夢でとても印象深いものがあります。
優しそうなお祖母さんがちょこんと座ってます。私になんでも話しなさいと言ってい
るようでした。私は人に比べてストレスが少ない気がしていますし、改めて相談に乗っ
てもらうことはないと思っています。っと思ってなぜかお祖母さんの差し出された手
をとったのです。すると堰を切ったように溜まっている感情が言葉となり(何を話し
たか覚えていません)嗚咽しながらすがってしまいました。
自分はこんなに話したがっていたのか、理解者を求めていたのかと思ったのです。
目覚めはもちろん最高にスッキリでした。


◆そういうのは、ユング派に言わせれば、グレートマザーとか
  「名前」をつけるところですね。
  学者、医師、カウンセラー、全ては「名前」を付けていますね。
  そして、そういう名前(語句、単語)をなるべく沢山知ってる人が
  何となく偉いような気になってます。
  あと数年でそういう世が終わるのですね。
  いいことだと思いますw

◆そのお婆さんは、あなたの先祖や守護霊などかもしれないし
  あなたの中にある「英知」を映像化したものでしょう。
  それが女性の姿なのは、「理屈ではなく、情緒、感性が問題になっている」って
  ことを示しているのでしょう。
  老人なのは「経験による知恵を持っている」ということが
  映像となっているからです。

  本当に潜在意識、魂の頭は良い。
  一つの映像であらゆることを盛り込んでいるからです。
  あなたも、その夢からメッセージをちゃんと受け取れているようで
  いいことだと思いますよ。

◆そのお婆さんはあなたが普段意識することがないモノを意識化してくれました。
  「誰かに聞いてもらいたい」という思いがあったのに、
  あなたはそれに気付かなかった。
  多分、何年もです。
  そのまま行ったらまずいことになっていたでしょう。
  そうなる前にあなたの潜在意識は、夢で「何でも聞いてくれるお婆さん」を
  登場させ、あなたの「誰かに聞いてもらいたい」気持ちを「意識化」させました。
  そして、あなたは今、「書く行」をしています。
  
◆ってことはだ。
  あなたの夢に出て来たお婆さんて、現実世界ではアタシのこと?
  ガ===ン!





 まぁ、いいさ。
 どんどん送って頂戴。
 読むから(泣

<旧友>(2007年1月8日)


Rさんからの報告です。
こういうことはありがちなので、多くの人が同じような体験をしていると思います。
参考になるので、ここに掲載しますね。



今回はちょっと報告です。
昨日、友人と食事に行ってきました。
ゆっくり会って話すのは久しぶりでした。
 
彼女は中学のときからの友達です。
私が動かない(動けない)タイプだとすると、
彼女は、常に何かをしているようなタイプの人間です。
どちらかというと姉御肌タイプで、
いつも周りには慕ってくる人でいっぱいのようです。
 
私から見ても、
いつもどんどん行動していてすごいなぁ。
と思うと同時に、
それに比べて自分はなぁ。。
というのもありました。

 実際、
あんたは、いつもそんな小さいことばかりで喜んで。
もっと、大きなことしなさいよ。
そんなんじゃ、つまんないじゃん。
そんなようなことを言われたこともありました。
でも、その時には、
私は、小さいものでも喜べる、得な人間だ。
大きなことを求めるのはよいけれど、
それでなくちゃだめだ、という考えには疑問を持つな。
と思っていました。
それでも、
やっぱりそうなのかなぁ。そうとも言えるよなぁ。。
と、まただんだんと迷いが出てきてしまいました。

その彼女と昨日会いました。
いつものように、彼女の独擅場でした。
去年もまた、国内・海外問わず旅行に行き、
今までのように、憧れの有名人たちに会って、
お話が出来るくらい接近できているそうでした。
とても嬉しそうでした。楽しそうでした。
でも。
そういう彼女を見て私は、
なにか焦っているように見えました。
なにか、拠り所を必死になって探しているように見えました。
 
容姿も身につけているものも、よい(悪くはないと思います)。
行動的だし、明るいし・・人気者の彼女です。
今までなら、正反対の自分を卑下していたところもありました。
それが、昨日は、そんな気持ちを感じることはありませんでした。
逆に、ちょっとかわいそうだなぁ。とさえ感じてしまいました。
 
帰りに、最近具合が悪いと言っていました。
去年に一度会ったのですが、
そのときも、胃の調子がよくない、頭痛がする、薬が手放せないと言っていました。
昨日聞いてみると、もうよくなった、と言ってはいたのですが、
やっぱりまだ、完璧ではないみたいです。
(胃カメラのむ価値はあるな、とか言っていました)
(そんな価値なくてもいいよ)
 
なにかココロにあるものが、
胃の痛み等で出てきてしまっているのかなぁ。と思いました。

 ifさん、私のことを「絶好調のようです」と書いてくださってましたが、
私もまだまだです。
不調の時期が長すぎて、慣れてしまっていたんだと思います。
でもそのお陰で?
少ぉ〜しだけのことでも、カラダが軽くかんじる!笑
これから、もっともっと、
本格的な「絶好調」笑 に向けて、頑張ります!
頑張り続けます。
 
カラダは正直。
本当に、本当に、そう思います。
有難いですよ。。
それは違うのよ=!って、
一生懸命教えてくれているんですよね。
私なんか、そうとう小突き回されているんだろうけど、
ちっともわからない笑
実際の不調もそうですが、
自分の中に、
「もやもや」があるときは、
なにか「違う」のかな、と思いました。
そういう細かい小さなサインを逃さないようにしたいと思います。
少なくとも、気づかないフリをするのは、
もうやめよう。
本当の意味で、
自分を大切にしたいですから。
今まで、蔑ろにしてきたからなぁ。。

 それと、
この友人と会った帰りに思ったことがありました。
自分の居場所は、自分だけなんだろうな。
どんなに遠くへ行っても、
・・海外だったり、知らない土地へ行っても、
自分のココロの置き所は見つからない。
行くこと自体は否定しません。
その経験は、経験として、糧になると思います。(それも本人次第かな?)
でも、それは、それだけであって、
・・極端な表現ですけど、
行く、行かない、にはそれほど意味はないのではないかと。。
それよりも、
心持?なのではないのかなぁ。と思いました。

 よくわからないですが、
みんな、本当は、本当の自分で生きたいんだと思います。
それに向けて、
自覚を持って頑張っている人、
そうはしたいんだけど、どうしていいのかわからない人、
問題や不調は自覚しているけれど、それがなんなのかわからない人、
それから、
わかってはいるけれども、やろうとしない人、
わかってはいるけれども、どうしていいのかわからない人、
とにかく、わからない人・・・
もう、たっくさんの・・人の数だけの意識の場所?があるんだと思います。(当たり前)
だけど、
本当の、本当の、奥にあるものは、
一緒?というか、
その人のままを生きる、生きたい、という、
原動力?は、同じようにある、ように、なんとなく思いました。
 
人それぞれに、
タイミングや、機会が訪れるときがあるのだと思います。
だから、
今は、とんでもないことをやってしまっていたり、
悲しいことの真っ最中にいたり・・・
あるかもしれませんが、
それぞれに、
自覚はなくとも
頑張っているのではないかなぁ。と、(都合よく)思いました。
 
・・・凄く高飛車な言い方ですけれども。
人間は、愚かだけれど、愛らしいなぁ。と思いました。

  でも、それは、それであって笑
 
私にだって、のほほ〜んとしている時間はない。
いや。
のほほ〜んは、ある意味あるかもしれないですけれど(というよりほしい)笑
後悔とか、良くも悪くもないことを悪く取るとか・・・
そういうのにかける、時間もエネルギーも私にはない。
というより、もったいない!
たまに(楽しみとしてw)切なさを感じたりするのは勝手だけど。
それと同じく、陶酔次元も、自覚を持って楽しみたいと思います。



Rさんのように旧友と久し振りに再会すると驚くことがありますね。
以前は気が合っていたのに、今は話しが合わなくなっているということがある。
波動量が増したからです。
知恵がつき、能力がupしたのです。

その反対に昔は敬遠していたが、今は話しが通じて付き合うのが楽しい、とか。



今、心の世界での離合集散が激しいです。
気付いて進む人、そこに留まる人、違う方面へ行ってしまう人がいます。
変化が速い。

今までは混在していたそれらの人達がある刺激によって、それに対する好悪
から分かれて行く、ということが現実世界でもネットの世界でも起きている。
ネットの世界の方が、心が純粋に出るので、
現実世界よりも変化が速く、ハッキリしていますね。

この「好悪」を元にして分かれていくとはどういうことか。。。。と言いますと
それこそが、魂の声であり、意識レベルの差から生じるものであり、
それで構わない、いや、それしか分ける、分かれる原動力はないのではないか
と思いますよ。

だから、自分の心を見つめることが出来るようになった人、
正直になった人、自分の好き嫌いがハッキリわかって来た人が
変化を早く起こしていますね。

今まで個人の単位でも、混沌としていたのです。
個人が混沌としていたので、個人が属する集団も混沌としていたのです。
その混沌が次第に、はっきりと分かれて来ただけです。

面白い現象です。


この現象はこれからさらに進むでしょう。
その時、自分の選択を謝らないようにしたいものです。

<ジャンベに思う>(2007年1月8日)


Kさんからの報告です。

私も和太鼓のずんずんと腹に響く音は大好きで、感動して泣きます。
和太鼓でなくても打楽器が好き。
今回はアフリカの打楽器に関するエッセイをいただきました。

今日は、民族学博物館で色々な国の打楽器の演奏がありました。

西アフリカのジャンベという太鼓の演奏を聴いたときのことです。

その男の人は、たぶん、アフリカをルーツに持っている人で、
そのグループの指導者だと思われます。

彼がジャンベを叩くと、その音がまるで言葉のように聞こえたのです。

アフリカでは、太鼓が会話の代わりになるのだとはっきりわかった瞬間でした。

音の強弱、叩く場所での音色の違いが、彼の手から生み出されていく様子は、
大昔からジャンベと共存している人ならではだと思いました。

そして、彼からジャンベを学んでいる子どもと女性たちが、
とても楽しそうに、演奏していました。


しかし、そんな中、浮いている音がありました。

男の人たちでした。彼からジャンベを習っている日本人の男性。
ソロになると「俺は上手いんだぞ」とばかりに必死で叩いていました。
その音色は、きんきんとして固く、ただ「すごいだろう」と言わんばかりで、
聞いていてあまり気持ちのいい音ではありませんでした。

楽器はその人の心を写すものだと思いました。

また、こうして会話する太鼓は、きっと人と人だけではなくて、
天に何かを伝えるための大事な楽器だったろうということも想像できました。

博物館の館長さんによれば、打楽器は「トランスする」時に使われるそうです。
除夜の鐘のように。

新しいステージに向かうときに打ち鳴らされるもの。

帰りは気持ちがすーっとして、お祓いを受けた後のようにさわやかでした。



Kさんはウツだそうです。
どこが?
って思いませんか。
ウツで悩んでいます、とKさんから相談メールが来たので
試しに「書く行」してごらん・・・と勧めたら、文章が巧い。
なので「小説形式にしてごらん」と注文つけたら小説を書いて送ってくれます。
これがまた、面白い!

毎回、読みきりの短編小説になっている。
表現力が豊かで観察眼は鋭く、何かしら学びがあり、最後には必ずオチがつくという優れもの。
とても面白いので次の「作品」が来るのが楽しみです。
小説を毎日書いてる、この才能・・・どう、思いますか?皆さん。



私はウツは病気ではなく性格由来の、一時的な心の状態だと思っています。
身体で言えば風邪にあたるのでは?と思う。
風邪は病気といえば病気だけど、病気とはいえないような病気です。
こっちは体質由来の身体の病気ですが。

風邪を引き易い体質の人がいれば、引いたことないくらい丈夫な人もいる。
軽ければ半日で治るが、長引けば一ヶ月は苦しむし、重くなると命にだって関わる。
ウツと似ていますね。

ウツとは「心が風邪を引いた状態」だと思うのです。
いくら風邪でも罹れば苦しい。
また、何度でも罹ってしまう。
厄介っちゃぁ厄介。
ウツも同じく、何度でも繰り返す。
でも、本当に身体を鍛えれば風邪を引かなくなるように、
心を鍛えればウツにもならなくなると思いますよ。



Kさんのウツ状態は、これほどの文章の才能がありながらそれに気付かず
(そういう育ち方をしたので)、その才能が表に出られないので
不都合を起こしていた、と思うのです。
あるのに表現されないものはいつか必ず表に出ようとします。
自覚出来ない怒りや悲しみなども、です。
それを表に出すことも精神の健康のためには有効だし、才能を発揮するのも有効です。

Kさんだけではなく、「書く行」している他の方からも「身体の調子がとてもいいです」と報告がありました。
良かったです。
「書く行」の受取人は無料でしていますが、「書きたての小説」を読める、という役得があるし
面白い話が聞けるので、私は満足しています。

<ありがとう>(2007年1月8日)


師匠と、師匠の友人の中山氏、「ありがとう」ということに反対しています。
中山氏はDVDで「ありがとうなんて言わなくていいんですよ」と
語っていたので笑いました。
(何もココまで言わなくても・・・)
しかし、これだけでは誤解されるので説明しますね。



多くの人の思考の大半を占めているのが、マイナスの感情です。
恨み、嫉み、やっかみ、怒り、悲しみ、嫉妬、悲観、憎しみなどです。
感謝すべきところに感謝できる人が少ない。

何故なら、上に挙げたマイナス感情は別に訓練しなくても
自然に出て来るからです。
(これを動物次元と言います)
感謝するには「そのことが感謝するべきことなのだ」という、
意識がないと、感謝出来ない。

感謝するには、感謝するだけの知恵(知識、波動量)がないと無理なのです。
だから、昔の日本人は
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」と言いました。
感謝できない人=馬鹿者
感謝出きる人=賢い人

あらゆるものに感謝できる人=大変賢い人
昔の日本人は大変波動量が高かったから、この仕組みがわかっていた。



だから、「ありがとうと言う運動」は、ありがとうと言えないレベルの人には
分かり易い、意識革命なのです。
放っておけば恨みつらみ憎しみでいっぱいになってしまう、
そのレベルの人達に「いや、感謝しましょう」と、まずカタチから入らせる。
感謝出来なくてもそれがミにつけば、「ああ、これは感謝することなんだな」と
自分に教え込むことが出来るのです。

全ての宗教や道徳教育などはコレですね。
まずわけなどわからなくてもカタチを仕込んで、心に後からついて来させる。
有史以来世の大半を占める人用の、教えです。


ここまではいいですね?



しかし、師匠並びに中山氏は「その上」を言っているのです。
「ありがとうと言ってるだけではダメなんだよ」と。
その通り。
そのレベルではダメなんですよ。

大方の人はありがとうと言えるようになるでしょう。
でも、そこで留まっていては本当はダメなんですよ。
しかし、本当はダメだけど、それを超えて行ける人って、
例外的に少ないのです。

師匠も中山氏もかなり「ありがとう」を言います。
師匠などは私が師匠の命令でHPを更新するたびに
「迅速な更新、ありがとうございました」と、メールくれるので
「お師匠さま。
あなたは私の上司なんだし、私は仕事でやってるんだから
いちいちありがとうメールくれなくていいです。」とたしなめました。
「うむ、ご苦労であった」って言えばいいし、言わなくてもいいの。



「ありがとうと言うな」と言ってる超本人がコレです。
師匠と中山氏はありがとうを言わないのではなく、
「ありがとうと言ってそれで済ませるような、その程度の意識レベルに居ては
いけない、その上を目指せ」
と、言っているのです。

万人向けではありませんね。




このようにコトは「ありがとう」だけではなく、全てに意識レベル(波動量)の
差があります。
その差がわかる人が殆ど居ません。
何故なら、「意識レベル」というものがある、「波動量」というものがある、
ということを殆どの人は知らないからです。
その視点がないので、自分がしていること思っていることを無意識に
「これが全て」「これが正解」と、思っているのです。

ここで「自分が思っていることを超えているものがあるのではないか?」と
勘の良い人は気づきます。
しかし、そういう人は少ない。

自分の意識レベル(波動量)を超えているものは感受出来ない。
これが誤解のもとです。
ハッキリ言いますね。
誤解はする方が悪い。
誤解したなら赤面して考えを改めましょう。
それが出来ないから誤解するのですがね。

<トリックを見破った人>(2007年1月6日)


下の方の記事<トリック>に、書いた記事と関連していますが、
このRさんからのメールは去年もらったものです。
わかる人にはわかっていたのですね。
だから、<トリック>と、書きましたが実はトリックでも何でもないのです。
「当たり前」のことなんですよ。

<トリック>という言葉を使ったこと自体が<トリック>でした。



前に、BBSで誰かさんが、
「ifさんは、ご自分で、『ろくなことを言ってません』としておきながら、
まだやっているのはどうしてか」
のようなことを書き込んでいたのを目撃しましたが、
私はあの文を読んだときには、逆に『すごい!』とさえ思いました。
だって。。
自分の言っていることを『ろくでもないこと』って、自覚出来ているんですよ!

Rさんにはわかったんですね。
他にもわかった方が沢山いると思いますね。
ただ、私にメールをくれないだけだと思います。

私は、自分の言っていることなんて・・・どれくらい自覚出来ているんだろう??
しかも、『ろくでもないこと』っていうのは、
「言いたくないこと(世間体とかで)」だと思うんですよ。ふつう?は。
だから、
ないものにしてしまう。
正当化してしまう。
その前に、
『言っては、いけないことだから』
『考えては、いけないことだから』
で、
思考からも、ないものにしてしまう。
そのうち、それらは無意識の領域に入ってしまうのかしら。。

入ります。
でも、なくなったわけではない。
心の奥底に沈潜している。
それは折に触れ表に出ようとします。
(※これってちょうど低級霊がどんなことでも切っ掛けにして
   三次元に出て来ようとするのと似ています)
 
想念帯、汚れまくり。
 
小さい子なら違うだろうが、大人なら多かれ少なかれ汚れていますね。

自分の思ったことを、
そっくりそのまま受け入れるということは、
どれだけ、勇気のいることでしょう。
だからこそ、
それをふつうにやっているifさんはすごいし、
頑張って、そこまできたFさんも本当に素晴らしいと思うんです。

ぶっちゃければいいんです。
その点私もFさんもおばさんなので平気です。
根拠のない自信に満ち溢れているものですから。

また、無知が足を引っ張るので、やはり勉強も必要ですね。
本を読むことも有効で自信に繋がりますよ。
「知は力なり」です。

そして現実世界をしっかり生きましょう。
経験から学びましょう。


何かを継続してやってみましょう。
「継続は力なり」です。

それが自信を生みます。
世のオバタリアンの根拠のない自信はここから発生しています。
つまり・・・

「人生を長く継続している」というだけのことなのですが、
凄まじい威力を発揮しているでしょ?
 
・・・私、神様じゃないですけど、
Fさんなら、なにかご褒美あげたくなるかも知れないです笑
 
同感です。
本当にFさんは神様だと思います。

私も頑張ろう。
来年は、さらに、良い年にします。
たくさんのものを吸収、収穫するぞ。(そして要らないものは捨てよう。)

Rさんは私から
「不必要な感情、思いを持っているので捨てるように」
注意されました。
これはなかなか理解し難いモノの一つです。

不必要って?何?

頭が真っ白になるところです。

これがわかったってのは凄いです。

<気付き>(2007年1月6日)


Kさんから。

さっき、メールを送ってからお風呂に入っていると

「わたしは、待つのが苦手なんだ」と気が付きました。

それだけのことでした。

書くまで気が付きませんでした。

書く行はすごいです。

だから、どうするのか、どうしたら待てるのかまではわかりませんが。


人間が気付くのに最適な場所とは
「トイレ」
「乗り物」
「風呂」
らしい。

その通りになったようですね。

Kさんのように「〜〜なんだぁ!」って、いきなり結論が出るのも気付き、悟りです。

しかし、こういうことは日常的にあると思うのです。
でも、忙しくて忘れてしまう。
「書く行」をしていると、記録しよう、という心の姿勢になるので
ふとした思いを忘れることなく、ハッキリ自覚出来る。
その点でも「書く行」は有効です。


<成績の良い子が危ない>(2007年1月6日)


「書く行」始めて一ヶ月にならないKさんからのメールを紹介します。

Kさんは最初、私に電話で相談をしました。
Kさんはウツで病院に通ったり仕事を辞めたり、去年は落ち込んでいたようです。
Kさんは高偏差値有名私大を出ています。
それなのに・・・

私は電話でKさんの話しを聞いて「それはあなたがバカだったから」と何度も言いました。
ウツの人にw
通常は落ち込んだ相手には気を使って、そういうことは言わないものですが、
真実なんだから言いますよ。
それが嫌なら相談持ち掛けなければいいんです。

(厳しいのが嫌なら他のサイトにいくらでも優しいカウンセラーがいるので
  そちらへどうぞ)

こんばんは。

Ifさんにばかだと言われたことについて。

その節は失礼しましたね。

わたしは、とてもうれしかったです。

え?

長い間、自分ははりぼての人形だと思っていました。

Kさんは生まれつきのタチが従順なのと、親の愛情を兄弟間で争っていたのとで
「親に気にいられよう」と、無意識に思っていたようです。

中身は幼児のままなのに、なぜか誰も気が付かない。

大人も、表面しか見えない人が殆どだからです。

小学校の勉強はとても簡単で、中学生までは暗記で対応できました。

脳の機能が良いので勉強が出来てしまうのですね。

でも、それと中身とは違います。

この場合の中身とは「本当の賢さ」のことでしょう。

それなのに、テストの点がいいというだけで、
放って置かれたことがとてもいやでした。

周囲の大人が所詮その程度だからです。
でも、数は少ないが中にはわかっていた人もいると思います。

後に、シュタイナー学校では、
点数がいい子どもは要チェックだ(悪い意味で)と知って、

ああ、やっぱりなと思いました。

問題を起こす子どもは、大人が本気で心配する。

理解しようと試みる。

でも、テストの点がいいと、「何も問題ありません。」と言われる。

そうなりがちですね。

昔も今も、勉強ができる張りぼての子どもはたくさんいると思います。

いるんですよ。
そして、そういう子がいつか突然豹変したりする。
普段良い子でいきなり親兄弟を殺すのは、こういう子ですね。
しない場合はウツになります。

そのどちらでもない場合も沢山いて、そういうのは社会が教えてくれたか、
当人が盆暗か、です。

いろいろなケースがあるのです。

そして、やっぱり寂しい思いをしていると思います。

幸いなことに我が家には全く問題のない子がいません。
なので良かったです。

Ifさんにきちんと言っていただいて、生まれて初めて「ほっとした。」

それは「やっとわかってもらえた」という安心感ですかね。
やっと、自分を理解してくれる相手が登場した、のかな。
Kさんの家庭にはそういう人が居なかったらしい。
これは寂しいです。
心を病むのは当然です。
いくら優しい言葉を掛けてくれても、自分を理解しないで優しくしてくれても
それはちっとも嬉しくないのでは?
虚しいと思います。

本当は自分で気づくべきかもしれないけれど、
何をどうしていいのかさえわからなかったのです。

頭の中に何もアイディアが浮ばない、というのはありますね。
考えるための道具がない。
取っ掛かりがないのです。
私はその取っ掛かりを一緒に探すお手伝いなら出来ます。

若いんだから別に恥じることはありません。
これから知恵をつけていけばよい。
充分間に合いますよ。

一番大事なのは「自分は頭が悪いのだ、何も知らないのだ」と、自覚することでしょう。
これは若い人だけに当てはまる言葉ではありません。
私達、老いも若きも全員、この言葉を常に念頭に置いておかないと。
「アタシは何でも知っている。」と、思った時が終わりです。

やっと、自分を作っていけるという実感を持つことができました。

その通り。
これから作りましょう。

私の同じ年の友人がまさにそれでした。
彼女は大人になり、結婚して子供が生まれてその子供がヒドイ苛めに遭い
登校拒否をして高校中退してグレて警察のお世話になってから
「実は自分がなかった」ということに気付きました。

しかし、それでも遅くはないと思います。
だって、まだ生きてるんだもん。
生きてるうちに悟ればいいんですよ

オズの魔法使いに出てくるかかしや、ライオンのように、
探し求めてやっと一つ見つけたという感じです。


あれは心の旅ですよね。
Kさんは良いところに気付きました。
冒険をしてヒドい目に遭ったり面白いことを見つけたりして進んで行く話です。
RPGもそれです。

ヒドい目に遭うことも必要ってことですよ。
そこから学べばいいんだから。
これからさまざまな経験をしてその都度宝物(悟り)をgetして行きましょう。

男性のメル友から
「if さんはラスボス」「いや、さっきのは訂正、ifさんは超ボス」
なんて言われてますが、決してそのようなことは御座いません。
オズの魔法使いのメンバーだと思ってくださいね。




だから「東の国の魔女」でもないってば。


<カリスマ>(2007年1月5日)


「書く行」最中のRさんからのメールです。

前よりも・・恐れ?のようなものが少なくなったような気はします。
 
 
以前までは、とても中途半端でした。
しっかりみなければ・・でも、それは怖い。
しかし、
陶酔次元(もちろんこの言葉は知りませんでしたが)に陥ってはいけない。
 
その間で、うろうろうろうろ・・・
相当長い間、してました。
 
皆、しますね。
私はもっと長いこと、ウロウロしていました。


友達からは、
イヤなことを真正面から受け止めるのなんてすごいね
とか、言われていましたが、
私の中では、
「そうよ。私は、あんたらと違って考えているんだから。」
というのもあり・・でも、その奥には、
「違う違う違う!!まったくもって、勘違いもいいとこだぜ。
受け止めている、考えている、フリ、しているだけ。
かっこだけだよ。
なにやってんだよ。こんなんじゃだめだ。」
そういうのがありました。
 
でも、本当のことをみるのは怖い。
だからと言って、陶酔次元に入ってしまったら戻れなくなるのを幾度も経験している。
だからそれも怖い。
好きなものさえも避け始めた。
どちらも怖くてできなくなった。
それで、感情を持つことを避けるようにしていたときもあった。
 
でも。やっぱり。
違うんだって、いうのが、
私の中で、鳴っていたんだと思います。
そのどれもが、違う。
私は、そんなことをしたいんじゃない。
そんなことしてたら、していても、
このもやもやからは、逃れることはできない。
 
あの体験は、そんな状態だった私にくれた体験だったんだと思います。
後押しをしてくれたのだと思います。
なにをするべきなのか、わかっているのにもかかわらず、
それをしようとしなかった、
それをわからせるためだったのではないかと思います。
 
その通りだと思いますね。
過去「愚かだった」「痛い目に遭った」という経験が、今
「どうしてもわかりたい」という原動力になっています。

過去、ヒドイ目に遭わなかったら、このような原動力がないのですから
わかろうと思わず、従ってわかることは出来ないでしょう。
過去の痛い経験はこのためにあったのだと、言えます。
でも、痛い経験をした際、周囲が悪い・・・と、全て周囲のせいに
していたら、やはりわかろうという気が起こらず、わかることは出来ません。

過去の失敗の原因を「自分のわからなさのせいである」と、
認めることがRさんに出来たから、今、こうしてわかることが出来るのです。
こういう方を「素質が良い人」と言います。
素質が良い人とは失敗しない人のことではない。
失敗から学ぶ人のことです。



今では、
好きなものを好きだと思えることに、恐れを感じなくなりましたし、
ifさんも、ただのifさん(?)と思えるようになってこれましたし、
他にも、今までだったら、やっぱり、カリスマにしていたような人に対しても、
恐れを持つことなく、ただ、
すごいよな〜、と思えるようにな・・っていました。
(これは、正直自分でびっくりしました)
(あれ〜?カリスマ化してないよ!って、かんじでした)
なにかに意識が取り込まれ?そうになっても、
『自分を動かしているのは、自分だけ』
というのが、頭に浮かぶようになりました。
 
このカリスマですが、最近気付いたことがあります。

最近私はある神社へ初詣に行きました。
滅多に行かない土地なのでちょっとしたドライブ気分でした。
帰り道、或る有名な女性評論家の工房の看板が出ています。
それを見て(ふ〜ん)としか、思いませんでした。

そして気付きました。
私は昔から有名人に憧れる、という面がありませんでした。
子供の頃、タイガース(阪神じゃない方の)に憧れてファン
だったのが最初で最後です。
そのくらい憧れるという感情がない。

カリスマというものに対しても何も感じない。

憧れることがなかったのですが、最近は
有名人を「何とも思わなくなっていた」ことに気付いたのです。
いいな、とも特別だな、とも、何とも思わないのだ、ということを
確認したのです。

そして、その時
(これはきっと私だけではないだろう)と、思いました。
ネットがこれだけ広まり、普通の平凡な人が自分で発信するようになった。

有名人と無名人の違いは、過去においては
発信する人と受け取る人・・・・の差がありましたが
それが今では、その差がなくなって来ている。
だから、有名人の特殊性がどんどん減っている。
だから、無名人が有名人に抱く感情も変化しているのでは?
と、思いました。

Rさんの体験と私の体験がシンクロしたので面白いです。

これは、他にもいろいろなところで、影響が出ている感じがします。
 
 
これもifさんのおかげです。
PANDORAへ行くと、最近特にですが、
どんどんエネルギーが湧いてくる感じがします。
よし!がんばるぞ!
というかんじになります。
(あ、あとFさんにも感謝です)
 
これら、やろうとしていることというのは、
自分でしか出来ないことではあるのですが、
それでも、自分ひとりでは、出来ることではありません。

その通りで、私も他人に説明しながら、さらにわかることが出来ます。
また、私も他人から教えられているのです。
相手は子供だったり、昆虫だったりします。


でも、それに気づきにくいのも確かです。
特に、私のような「わからずや」は、そうです。
だから、PANDORA(ifさん)のように、
わかりやすく、文章化してくださっているのを、
とてもとても有難く感じています。
 
まだ、「分かり方」について、それほど説明していませんが
それなのにここまでわかったとは凄い。

わからないのですから、
愚かなことをしてしまうのは、ある意味当然のことだと思います。

そうなんですよ。
どんなに心のきれいな人でも、無知が原因でトンデモないことを
考えてしまう場合があります。
きれいな心なのに穢い考えが浮んでしまう。
しかも、それを穢いと自覚せずにです。
これはいかにも勿体無い。
また、誤解はさらに罪が深い。
わからないなら「わからない」とわかればよいものを、
わからないのに、わかった気になる・・・・これは大変悪い。
誤解です。
私はあらゆる不幸(病気、怪我、子供の問題、不妊、事故)の
原因はこの「誤解」が元であると、考えています。

でも、魂を傷つけるに至らなければいいのだと思います。
(ほんっっとうに、あれは、酷いダメージでした)
 
身体は正直ですね。
すぐ反応してくれます。有り難いことです。

わかることの喜びを、私は、もっともっと感じていきたいです。
 
わーいがんばろう。
 
どうも有難うございます!
 
そういえば、
あの頃に比べると、今は体調もめちゃくちゃいい!です笑
(今考えると、おかしいくらいにあちこち痛かったりなんたり・・・でした)
(病院に行ったりしないで、今のこの状態ですよ!)
(病は気から・・・って、ちょっと違うかな?でも、そんなかんじなんでしょうか笑)

Rさんが「病は気から」と書いていますが、本当だと思います。
よく、婦人科系の病気になっている人がいますが、
それは間違った女性性が原因ですね。

(※子宮の病気は「隠す」ことが原因だそうです。
   隠すべきことは隠した方がいい。
   でも、隠すべきではないことまで、隠す。
   それが子宮を痛めます)

心を変えれば、そういう病気は全部とは言わないが治るでしょう。
自分ではそういう想念が間違っているとは自覚出来ないので
(自分が普通に思ってることがまさか、間違いとは思わない)
代わりに身体が病気になってくれています。


Rさん絶好調のようで良かったです。
それに対して私はまた風邪を引いてしまいました。
夜、ビールを飲むので身体が冷えてしまうからですね、どうも。
何度も風邪を引いてから、やっと「わかり」ました(呆
(ホントに物分りが悪いんです)

Rさんは最近やり始めた(わかる訓練を)のに、もう、効果が出ている。
それに対して昔からやってた私がこの体たらく(恥
このように
「後から来た者が先になる」のです。

遅すぎることはありません。
皆さんにも今、この場で始めることをお勧めします。
たった数ヶ月でこの効果。
一年経てばまるっきり違っていることでしょう。

<欲しい物をゲットした話し>(2007年1月5日)


Fさんからのメールです。
Fさんは別に「書く行」とは銘打っていませんが、毎日数回メールをくれます。


Ifさん、
おはようございます!

おはようございます。

欲しいものが、簡単に手に入ってしまった。

あら、それは良かった。

潜在意識と、顕在意識がひとつになると、
当たり前になるらしいと、聞いていたが、これもそうかもしれない。
「へぇ〜」って感じ。

あまり簡単だったから、「キャホー!」って言う間もなかった。
「あらっ?! (?_?) 」・・・こんな感じ。

他人にとっては、大したこと、物ではないけれど、私は欲しかったもの。


これも訓練?
意識するってことね。
集中する。。。だけど、執着するのではなく・・・さらっと・・・ね。

そう、さらっと、です。

この、「さらっ」・・・が、結構難しい。
「かげん」がね。

これを「いい加減」・・・「好い加減」というのですね〜

そうです。
多分元もとは良い意味だった。
しかし、次第にその言葉を使う人間の波動レベルに成り下がったのでしょうね。
今ではすっかり悪い意味になってしまった。
全て人間のせいです。
その程度の人間が一番多いからです。


この、「加減」が、加減なんですね〜・・・


そうね、
職人で言ったら、口で教えきれない経験でしか解からない「びみょ〜う」な部分。
やってみないと解からないのね。

う〜ん・・・この感じ・・こんな感じで・・・こんな風にするの。。。って、教えるかな〜

伝えるのはとても難しい。

そう、「こんな風にする」・・・ここから始まるね。
何度かやってると、あるとき突然、「出来た!」になるのね。

そう。
そしてその時初めて「自分が何をわからなかったか」が「わかる」。
だから、わかってみないと、わからないのです。


まぐれもあるから、「もう一度」って思うと、出来ないことがあるけれど、
感じをつかむまで、やってみるのね。

これって、教えられないんだな〜・・・
けちとか、意地悪ではなく、、、「教えにくい」のね。

だから、「やってみて!」・・・ってことになっちゃうのね。

全部教えても、この感覚は人それぞれで、受け取り方が違うのね。
一度コツをつかんだら、今度は、何度でも同じことができるわ。


ここまでが、個人差があるわね。

大いにありますね。
Fさんはかなり勘が良い。
私は鈍いんですよ。


私は遅いわ。
勘が鈍いのね。。。(_ _#)

いや、かなり、勘が良いです。

興味のあることは、何度でもするわ。

だから、わたしのことを、努力家だという人がいるわ。

とんでもないのね。
実態は怠け者。。。家族のみぞ知る。。。(▼▼)

その感じ、わかります。
私もそうだから。


だから・・感謝してる。。。(_ _#)

好きなことだけ、夢中になってする。
単細胞だから。。。

好きなことをするとき、人はそれを努力といは言いませんね。
だから、本人は楽しんでいるので、努力と思わないのです。
そしてこれが一番望ましい働き方ではないでしょうか?
別に仕事に限らず、自分が楽しいことをする・・・・・・それには努力が要らない。



Ifさんは全部?かな・・・教えてくれてる。

来たメールに返信しているだけですが、それがいいのだと思います。
相手の興味のないこと、無関係なことをいくら返事で書いてもそれは理解されない。
メールに返信する方法が一番いいですね。


私は、興味があるのでやってみる。。。。
心のうちでね。

「判断」するときも・・・
事例では、
「これこれ、しかじか・・」・・・と、いうことは、
私は、「こういう状況にあるので・・」どんな風に思考し、行動したらいいか?

今まではどうやってた?
その結果は?

でしょう〜!?

だったら、今度は?・・・・そうね。。。φ(゜▽゜*)♪


読んだだけでは、だめね。
知識ね、知識が広がったのね。。。深く(高く)なったわけではないの。

なぜ?・・・経験してないから。。
経験して、結果どうなったかが必要なのね。

それがミ(身体)で分かるということです。
頭の先で分かることをイ(意)の次元で、知った・・・・と、相似象では言います。
これは知識を得ただけで、知恵にはなってないという意味です。


そうか!
結果ね!
結果を出す前に、あきらめちゃうのね。

一人でするとそうなることが多いわ。


一緒に励まし、喜んでくれる人がいるのよ。
そうよ、それも、たった一人でいいのよ。

多くはだめね。
バラバラの意見が出るから。。。迷いが出るわ。

この人と決めたら、その人だけなの。

そうなの、そうなの・・私はその方法でやってきたの。

Ifさんは、みんなの「その人」なの。

今の所は私程度でもちょうど良いと思います。
そのうち、もっと意識レベルの高い人がFさんの前に出て来るかもしれない。
それまではここで練習しましょう。


もっと、もっと、「聞け!」「学べ!」

そしてどうする?


途中経過を報告するのね。

なぜ?

時々、道がずれちゃったりするから。。「この道でいい?」って聞くの。

ずれてもいいの・・・
でもね、私、時間がないから最短距離を行く。


私、、、真っすぐ行ってるつもり・・・・
なぜ、そんなこといえるの?

欲しいものが簡単に手に入ったから・・・φ(゜▽゜*)♪
こういう思考。。。単細胞。。。

この先に・・今以上の「しあわせ」がある!

みんなにありがとうです!


何も言うことがありません。

よく「あなたはそのままでいいです」と言う言葉がセイシンセカイに見られる。
私は多くの人に、その言葉は当てはまらないと思っています。
私にも、です。
私はまだまだダメですね。

「あなたはそのままでいいです」という言葉が当てはまるのはFさんくらいでしょう。

PANDORAのお客さんの中には他にもFさん級の方が沢山います。

そのうち、「あらゆることから学べる」ようになります。
その時、師匠は「全ての事物」です。

<トリック>(2007年1月5日)


下の<図書館>もそうですが、私がここに書くことには
あちこち、トリックが仕掛けられています。
気付いた方はいますかね?



◆「人間のいろいろ3」の<我が子に異常に反抗される母>
  で、このお母さんが「こんなことを書いたらアホだと思われる」
  と、書いたので、それを受けて私が「本当にアホだと思ったと、答えました。

  で、このお母さんはアホでしょうか?

  私はこの方をアホだと思いましたが、それって「思った」だけですよね?
  思うこと=事実
  でしょうか?
  違いますね?

  この方は、実はアホではないのです。

  何故なら「自分がアホであることをわかっている方」だからです。
  本当のアホとは「自分のアホが自覚出来ない人」のことです。



  
◆常々、私は自分を「ロクな想念ではない。」と自称しています。
  その言葉は真実です。
  すると、何故、if は自分の想念を改めないのだ?という意見が来ます。
  なかなか改められません。
  
  しかし、私が自分の想念をロクなものではない、とするその証拠を
  書いておきました。
  これを読んでどう思いましたか?
  こう言ってはナンですが、(これなら私の方が悪い)と思いませんでしたか?

  例えば、女には多いのですが
  妬む、僻む、羨む、悲しむ、嫉妬する、悲観する、物事を悪く取る・・・などが
  私にはありません。
  男に多いのは
  バカにする、差別する、増冗慢になる・・・などですが、
  それも私にはない。

  ということは、上のようなことをしている方は「私よりも想念が悪い」
  ということです。
  
  私の想念は悪いが、他の方はもっと悪い・・・と、言いたかったのですよw
  別に私は自分を卑下するために書いたのではありません。
  「 if がこれで悪いと言うなら、自分はもっと悪い」と
  気付いてもらうためです。
  
  きっと、気付いた方がいると思います。



◆或る会について。
  別に私はこの会が活動しようと存続しようと、どうでも良いことです。
  人のレベルは無数にあり、それぞれのレベルに見合ったモノが
  この世には存在している。
  
  ただ、そのレベルの会に行き、同調すると、そのレベルが到達点に
  なってしまう。
  それはいかにも惜しい。
  私と無関係の場所でならOKですが、関係するところで
  そのようなことが行われると、それは紹介した私の責任になる。
  なので、一応、警告を出しました。

  この一連の騒ぎを見て、或る若い方がメールをくれました。
  そして、このことの意味を
「if さんは・・・・・・・・・・・・・・・・ですね?」
  と、とても簡潔に書いてくれました。
  それが正解でした。
  
  若い人でもちゃんと見抜く力を持っている。
  というか、若いから直観が働くのでしょうか。
  目が曇ってないということでしょうかね。




◆某チャネラーについて。

  あちこちブログを移動しながら、選別された人だけを対象に
  何かを教えています。
  そのやり方が気に入らない方が多いようです。

  しかし。

  実はPANDORAも同じですよ、と言ったら驚きますか?

  PANDORAは万人に開かれています。
  しかし、内容的には開かれていません。

  あちこちに仕掛けてあるトリックに引っ掛かり、誤解し、憤慨する人が
  少なからずいると思います。
  が、敢えて放置してあります。

  わからなかったら「わからない」と、思えばいいのです。
  (※<図書館>の話しを読んで、わからなくなって困ってしまった方のように。
     この方は、自分がこの件についてはわからないと自覚しているので
     凄いです)

  わからないのにわかった気になり、誤解して反発する。
  申し訳ないがそのような方の相手をしている余裕がありません。

  最初から狭き門か、広い門に見えるが、実は狭き門か、
  やり方が違うだけで実質は同じと言っていいでしょう。




◆「当たり前」という言葉について。

  私はあちこちに「当たり前」と書いています。
  この「当たり前」という言葉ですが、当たり前ではありませんね。
  何をもって「当たり前」とするか、それは人それぞれです。
  人によって「当たり前」の内容が違います。

  なのに、何故「当たり前」という言葉を使うのでしょう?

  自分の「当たり前」のレベルを上げて欲しいから、
  上げた方が良いからです。

  私があちこちに書いてる「当たり前」のことを読んで
  (ああ、これが当たり前なのか、知らなかった)と、思い、
  それが当たり前と感じられるレベルには最低限なってないとこれから
  厳しいかもしれません。

  私が書いてることは最低限のことなので、最高のことではありません。
  最高のことを書いてるサイトは沢山あるので、そちらへ行けば
  何が最高かわかりますから、私が書かなくてもいい。
  「全ては愛」「全ては光」・・・・・・・最高ですねw

  このサイトに書いてるのは唯一絶対の真理などではなく、
  「少しでも自分の知恵を増し、思いを明るくする」ための方法です。
 

<図書館利用について>(2007年1月4日)


閲覧者の方から
「私の家族は図書館を利用して、大学合格しました。
お師匠さまが言ってるように、循環を止めてしまったのでしょうか?
if さん、教えてください。」
と、メールがありました。
困っているようでした。
それに対する私の返信です。



師匠の師匠、A師が言ってることは極論。
 
勿論マットウな図書館利用者もいますってば。
大丈夫ですよ。
 
師匠はああやって極論を投げかけて、読んだ人に考えさせているだけよ。
だって、あなたもそのおかげで「考えた」でしょ?
それでいいんです。
別に師匠の師匠の言い分が、唯一絶対の真理ってわけでもないんだし。
 
(へえ!こういう考え方もあるのか!)
(呆れたなぁ)
でも、いいんですよ。
 
だって、無料で読むために図書館があるんだから。
 
 
 
if



師匠も人間だし、私達も人間です。
人間として対等なのです。
別に異論を唱えたって罰など当たりません。

いけないのは
◆他人を盲信する
◆他人の意見に感情的に反応する
ことです。


あなたはあなたの意見を持てばいいんです。
そして、その意見の意識レベルがなるべく
高いものになるよう、普段からモノを考える
練習をしたら如何でしょうか?

何事も練習ですよ。
師匠や師匠の師匠に出来て私達に出来ないことはありません。
(しょっちゅう師匠に逆らってる if より)

<なんてことをしてくれた!>(2007年1月4日)


━━…………‥‥‥‥・・・・・・・・‥‥‥‥…………━━
よく他人のために「良いこと」をする人がいます。
でも、判断力のない人がする「良いこと」が、本当に良いことでしょうか?
「徳二、三ならば動いて凶ならざるなし」と孔子が言いました。
これは「判断力のないものがやたら行動しても決して良い結果にはならない」と
いう意味です。
良いことをしたいなら、判断力を上げましょう。

うんと判断力が上がればもう、「良いこと」などしなくなります。
やることなすこと、いう事思うこと全て良いことになるはずだからです。
あえて「良いこと」をする必要がなくなります。
━━…………‥‥‥‥・・・・・・・・‥‥‥‥…………━━

まさに、勤務先で、これがありました。
彼女は良かれと思って、彼女の正義感でしたことでしょう。

結果は、「なんてことをしてくれた!」
口を開いてしまった以上、すでに遅しです。

本人は責任を感じてないのでしょう。。。
「みんなを代表して、自分は良いことをした。」

ただ、喝采を浴びれない自分を「???」と思っているかな?

ここで、その人がそれを理解すればよし。
理解しないまでも、「自分は失敗したのだ」とわかればよし。
しかし大抵の場合、そういう風には思わないものです。
「私は皆のためにやったんだ」という気持ちが勝ってしまう。
そして、その「自分の気持ちを受け入れてくれない周囲の人」に対して
感情的に反応します。
つまり・・・・・・・・・・・・・・泣く(アワ)か怒る(サヌキ)かのどちらかです。

しかし、そのように感情的になることが間違いです。
間違った考えに基づく間違った感情は、全て「自分に返り」
魂傷つけるでしょう。
これが一番恐ろしいことだとは、本人は気付いていません。
だから、「無知ほど恐ろしいものはない」と言うのです。
これを教えてあげようにも、感情的になっていれば跳ねつけてしまうでしょう。
これを繰り返せば、タイプにもよりますがウツになるでしょう。


周りを読む・・・これが足りないと、こういうことになると言うことを経験した。

日本人は周囲を読むことが、世界的に見ても得意な民族らしい。
他国の方から見ると、まるでテレパシーを使っているかのように
映るらしい。
アグネス・チャンもそのような発言をしていたそうです。
しかし、中にはこの人のようにそれが出来ない人がいる。
潜象勘のない人です。
潜象勘と言っても別に特別なことではありません。
「当たり前の能力」なのです。
しかし、それがない人から見ればまるでテレパシーです。


判断力だけが上がるわけではないので、全て総合的にですね。

そうです。

見せてもらったから・・・分かって良かった。

本当に。
みせてもらったのでしょう。
有り難いことです。


だからと言って、褒めれない。。。私が同じことをしなければいいのだ。
勉強した。。。ありがとう。

おだてに乗って、うぬぼれてはいけないね。

人間は自分を褒めてくれる人が好きです。
たしかにそれは嬉しい。
でも、それで舞い上がってはいけない。
常に「地に足をつけて」いましょう。
とはいえ、あなたにはそれが出来ていますが。


心して今回のことを受け止めよう。
修復作業に時間が必要。。。こういうの、愚か者。

私が、これ以上愚か者にならないための学び。
覚えておこう。


その通りです。
この方は私より年上。
この年までには散々愚かなことをして来ているんですよ。
私もそうです。

だから、愚かとは何か?がわかっている。
だから、賢くなりたい、と切に思えるのです。

若い人はこれから愚かなことを経験するんでしょうが、
私達くらいの年齢になると、愚かなことは散々経験しています。
その経験があるので、賢さの価値が身に沁みてわかる。
だから、本当に賢くなりたいと思うことが出来る。

今、このような状況にある・・・ということはとても有り難いことです。
私もこの方も全く同じ気持ちでいるのです。
若い方に言いますね。

勇気を持って「愚かなこと」をしてください。
そしてした後は(ああ、愚かだったな)と、その都度「わかって」ください。
時間があまりないようですよ。
心して生きてください。

文字通り老婆心からのお願いです。

<他人のコントロールがわかった話し>(2007年1月4日)


「書く行」を始めてまだ一ヶ月にならない方からのメールです。

毎年、正月にはお互いの実家に行き、大変疲れるのですが、
今年は疲れ具合が格段に減りました。

ほおおお・・・

子ども達が成長したというのもありますが、わたしも、
冷静に周りを見ることができるようになってきたのかなと思います。

子供が小さいと常に子供に気と頭を使ってなくてはならず
周囲のことがわかりにくい、というのはたしかにあります。
仕方ないですね。

夫の実家は、なぜか疲れるなと思っていました。

夫のお姉さんが二人いるのですが、そのうちの一人が、ひたすらしゃべっている。

しかも、その場をそれとなく仕切っていることに気づきました。

そういうことに気付くことだって「気付き」です。
よく観察出来ましたね。

豆腐を切っていると、「丁寧に切るのね」と言いながら、
二つ目の豆腐を自分で切ってみせる。

「こうして方が早いと思うんだけど」と言いながら。

なるほど、こうしてコントロールするんだ、と思いました。

正直いってこれだけで、コントロールであると、私は思いませんが
体験者がコントロールであると感じるからには
これ以外にもいろいろあったのだろうから、この方の感じ方を尊重したいと思います。


参考にさせてもらって、同じようにやってみたら
「別に同じようにしなくてもいいのよ」と。

いったいどっちやねん!

どこからでも言葉が飛んでくる家だとわかり、
その時点で気を遣うことを放棄しました(笑)

それがええ、それがええんじゃ。

やっと、夫がなぜ会話が下手なのかが見えてきて、
家でも「仕方ないな」と思えるようになってきたような気がします。
まだまだいらっとしますが。

わたしは、人をコントロールしたがる方ですが、
お姉さんを見てかなり驚きました。

これには笑いました。

そして、究極のコントロールを見せていただいたので、
わたしも大いに反省することができました。

「ひとの振り見て、我が振り直せ」ってことですね。

夫や子どもが自分の頭で考えられるようになって欲しい。

そのためには、わたしが、自分の言葉に気を付けることができますように。

そう願った一日でした。

凄い。
一日でこれだけのことに気付けたとは。


<図書館の話し>(2007年1月4日)


「師匠との会話[」の<図書館>を読んで、元公立図書館の司書だった方が
メールをくださいました。




こんばんは。

「裏の話」を読んでみました。

(※この「裏の話し」とは、「INTUITION」→「INTUITIONの裏がわ」の話しのことです)

なるほど、と思いました。

確かに、誤解されかねない話ですが、よくわかるような気がしました。

というのも、私の上司や同僚は
「図書館の本で勉強しても身に付かないだろう。」ということで、

大方意見が一致していたからです。


寝る前に読む本や、暇つぶしに借りる雑誌はいいとしても、
自分の勉強のために、図書館の本を自分の物のように借りたり返したりするようでは、
身に付かないだろうと思うのです。

図書館はあくまでもきっかけや、緊急の調べ物、
自分ではできないことの補助のためにあるのであって、

本当に買って勉強しなければいけないものまで、
借りてすませるのは違うよな、と思います。

このことをおおっぴらに言っていた上司は、おもしろい人でした。

しゃべってばっかりで仕事はあまりしないのですが、
時々はっとするような事を言っています。

「俺は、電子レンジは好かんのや。
 どうも、食べ物が変わってしまうような気がする。」とか。

60近いおじさんですが、独身で、ほとんど男性を感じさせない人でした。

最初は仕事をしない人なので、苦手だったのですが、
辞める頃には「この人が一番まともなことを言うな。」と思っていました。

 

パンドラに図書館の話が出てきて、おもしろかったです。


貴重な情報、ありがとうございます。
私自身が最近図書館を利用してないので、最近の図書館の様子がわからなかったので
有り難いです。

よく、図書館で自分の子供に本を借りる人がいますが、私には考えらないことです。
私は面倒臭がりなので、借りた本を親が完全に管理する、、、ということをしたくない。
もし、私が本を借りたら子供に預けて、勝手に読ませるでしょう。
しかし、それをしたら本がどうなるか・・・予想がつくので、子供のためには本を借りません。
子供のために本を借りる親は、完全に管理していることでしょう。
もし、それをしないなら、その行動は無責任であると思います。

また、もう一つ。
借りた本では本当の知識はつかない。
これは「もらった本」にも言えることですね。
本当に知識を得たいなら自分で本を買うことです。
借りた本がもし、面白ければ私はあとで買っています。

友人・知人から面白い本を紹介してもらうのは、情報なので有り難いです。
借りて読んだら面白かったので買った本が何冊もあります。

友人が或る本を大変気に入り、いっぺんに10冊ほど買って、友人知人に配った、
と聞いて「それは止めた方がいい。」と言いました。
「もらった本など誰も読まない。」と。
友人は納得していました。

そんなモンです。

本一つでもこれだけ考えさせられることが出て来ます。
常に考える人でありたいものです。
この史書の方の元上司のように。

<ウツ>(2007年1月3日)


Ifさん
おはようございます!

ウツのことが書いてありました。

これもやっぱり、「我」なのですね。
私の周りに・・・お客さんでウツの姉弟がいます。

私が知っているのは、姉のほう。(私と同年代)
弟さんは一度お目にかかった。
見てすぐ解かった。。。ウツとは思わなかったけれど「変!」。

彼女も素晴らしいものを持っている。
弟さんは、有名大学卒だそうだ。
今回の文章を読んで、「そういうことね」と思った。

話を聞くかぎりでは、「そんなことで?」と思った。
もしそうならば、「あたしなんざぁ、一生病院住まいだわさ」・・・と思った。

そう、そんなことで?
そうなってしまうのです。
誰にでもそんなことはある。
でも、ウツにならない人がいる。
この差に着目せよ、ってことです。

ウツの人は環境や周囲のせいにするが、ウツの原因はそれらにはありません。
自分の心が原因です。


いまどき、・・・もしかしたらいらっしゃるかもしれないけれど、
深窓の、お坊ちゃま、お嬢ちゃまはいない。

もし、いらしたとしても、ここには(私の住む近辺)いないはず。(お忍びで? まさか!)

ここに一緒に住むならば、「そんなことで」くじけちゃいけないのね。
誰か、「くじける」のに、力を貸しているとしたら、家族ね。

「かわいそうに・・」・・これね。

周囲が助長します。
低次の同情心や事なかれや諦めからです。

或いは「なんとかこの事態を改善してやろう」という思いやりもある。
でも、ウツは自力で治すしかないので、本人が治したいと本気で望んでいる
ケースなら協力のしようもあるが、望んでない場合は、放っておくしかないのでは?

(私は私なりに最善の手を尽くした。
 見て見ぬふりはしなかった。
 忠告も助言も沢山した。
 私は私の義務を果たしたのだから、これでヨシとしよう。)と、
手放す。

物理的にも心でも手放す。
ウツの人の中にも必ずある神のスパークを信頼して、一人前と認めて手放す。
ウツの人と、それに関わった経験から学び、以後は自分の道を行く。
後悔もなく憎しみも恨みも悲しみもなく、自分の人生を明るく生きる。
それでいいんじゃないでしょうか?


「かわいそう」と思ったら、まず、親が厳しく鍛えなければならない。
だって、物の順序で普通、親が先にいなくなるのよ。

母が生きているとき、「最後の脅し」の決めセリフはいつも一緒だった。
「お父さんも、お母さんも、いつまでも、あなたたちと一緒にいられないのよ・・云々・・」

まるで、水戸黄門の印籠のようだった。
子供たちは一斉に、静かになった。
「死」とは、、、、親が「いなくなる」ということが、とてつもなく恐ろしいことのように感じてた。

親の役目って、一人で生きていけるように育てることだけなのね。

その通りです。
それしか出来ない。


学校へ行かせるのも、ある意味おまけかも。。。(ご好意)

我が家では高校以上の学歴は親の「サービス」としています。
行きたいなら金を出してやろう・・・みたいな。


ウツは、これに限らずだけれど、親子共々の「甘え」、「共依存」もあると思う。

或る親子の場合。
自分勝手な母親のせいで、娘(Fさん世代)がウツになってしまった。
本人には子供も居るしダンナさんもいるんだから、そんな母親は切り離して
考えれば良いものを、「お母さんはわかってくれない」と、中年過ぎてからウツに。
この、「わかってくれない」という気持ちは精神を病ませますね。

「〜〜してくれない」と、いう考え方こそ「甘え」です。
しかし多くの人はまさか、それが甘えだと気づかない。
だから、当然のように「〜〜してくれない」と、思い落ち込んだり恨んだりします。
Fさんの観察の通りです。
この場合、「ああ、相手はわからないんだな、だから〜〜しないんだな」と
考えれば良いのです。
こう考えると感情を動かす必要がありません。


母は、言葉を荒げるとか、手をあげることもなかったけれど、
形を変えたら、Ifさんが倅さんを教育するのと同じだと思った。

心を鍛える。

これが凄く大切なことだと感じる。

今まで、特別考えたことがなかった。

親が意識していなくても、心の姿勢が良ければ子供はウツにはならないのでは?

何とか周りに順応してこれたから。。。これは社会のご好意。

最初は自分が物差し、基準。
比べると言う意味ではなく、考える、行動する基。


そうそう・・・
今朝は、目が覚めたのが早くてもう一度寝た。
その時なんとなく考えていた。

判断力。

判断力に限らず、みんな「ステージ(次元)」の問題。。。。レベルの問題。

判断力をつける、つけないも、自分が「どこにいるか」理解する必要あり。

それなんです。
まず自分を知ることなんです。
レベル云々、能力云々と聞くと、そこで短絡し誤解し感情的になる人がいる。
別にこの考え方は人間の価値に上下をつけて、得意になろうってものではありません。
自分の位置を確認し、まだ向上の余地はあるな、と自覚するためです。


人に迷惑を掛けない(なるべく)、楽しく生きる・・・
これを望んだなら、レベルアップしかない。

それしかないでしょう。
よく他人のために「良いこと」をする人がいます。
でも、判断力のない人がする「良いこと」が、本当に良いことでしょうか?
「徳二、三ならば動いて凶ならざるなし」と孔子が言いました。
これは「判断力のないものがやたら行動しても決して良い結果にはならない」と
いう意味です。
良いことをしたいなら、判断力を上げましょう。

うんと判断力が上がればもう、「良いこと」などしなくなります。
やることなすこと、いう事思うこと全て良いことになるはずだからです。
あえて「良いこと」をする必要がなくなります。


私は、楽しく生きたい。
だから、学ぶ。
この時間は惜しくない。。。。くじけない。

誰の為でもない、私のため。



今のところ、我が家の一人息子は、元気だ。
親の出来が良かったからでなく、反面教師。

ということは・・・息子に判断する能力があったってことだ。
有り難いことです。

感謝しておこう。。。ありがとうっ!

息子に見えないところで、私は学ぶ、頑張る。
親だから・・・(_ _#)


本当にそう思いますね。
我が家も同じです。
こんな親でも子供は病気もせず学校に通い、グレもせず逞しく育ってくれています。
有り難いです。

もし、私が親でなかったら、自分を向上させよう、
ということとは無縁だったと思います。
なにしろ怠け者で苦労も努力も我慢も忍耐も嫌い。
ただ楽しい人生を送りたいくちだからです。

しかし、さらに考えてみると楽しい人生を送るためには
判断力をつけないとなりませんでした。
だから、自分の希望が叶ったといえば叶ったのですね。

<新年のメール2>(2007年1月2日)


ifさん、あけましておめでとうございます。Aです。
人間のいろいろ3の最新記事は身につまされました。
講座の先生を理想化してた自分にアイタタ…
試験で「こんなのダメ」と一喝されてぶつぶつと文句を言ってた…
せめて次はがんばりなさいといってくれたら
こんなに物々言わないのに〜とぶつぶつ…
(自分がおかしいとうすうすわかってるけど認めたくなかった)
 
>女はアワの部分が大きく、それが穢れていたら、
見るもの聞くもの全てを自分の心の歪んだフィルターにかけ
勝手に感情を悪化させる
 
今までどれだけ勝手に感情を悪化させて、事態を悪化させたか…
不都合が他人のせいと怒ったり拗ねたり
過去のうん十年の自分が痛すぎ(あわわわ)
今年は陶酔次元を超えて、普通のまっとうな人間目指したい(祈)
 

話し変わります。
大祓式でちょっといいことがありました。
式に遅れ、仕方ないのでお札を焚き上げ場に持って行ったら
知らないおばあさんに色々教えてもらいました。
「この火にあたると一年風邪を引かないのよ」
「寒いならもっとあったまっていきなさい。
体が寒いと心も寒くなる。
何度でも暖かくなるまで当たればいいの。
最近の若い人は心の冷たい人が多いから。
想像力がなくなるから、色々な事件が起こる。

何か宗教を信じていればいいというのではないの。
宗教を信じていても悪い事をする人はいる。
目に見えない何かに向かって手を合わせることが
もっと広がったら、
心が暖かい人が増えたら、色んな問題が解決するの」


すっぴんでかなり若い子に見られた?(汗
(成人式は十年以上過ぎてます)
大祓式に遅れたけど、神社に行ってよかった(^^

それは神様(守護神守護霊)からの、
Aさんへのプレゼントですね。

<新年のメール>(2007年1月2日)


今年もよろしくお願いします。

新年早々、おもしろいことと、あ痛っと思うことがありました。

先に痛い話。

「人間のいろいろ3」を読みました。

わたしのことだー>右の人。

◆ウツの人は、だからウツになるのです。

  そこらへんを見ようとしない。

  でもあなたはそれをハッキリ見ることが出来ている。

  あなたのウツは治るでしょう。



こういうのが、私の中にいました。

それから、「ウツ」の人は魂に原因があるということ。

◆原因身というはず、たしか。

 カルマです。

  原因が生まれてからのことにはないので、

  だから、治すのが困難なのでしょう。 

  前世がらみなのです。

  でも、今世、今、その前世を癒すことは出来ます。

  やりましょう。


「ほんまに、変われるやろか。」とちょっと不安になりました。

かなり、根性入れないとだめみたいですね。

ちょっと気を引き締めました。

 

◆そう。

 本気にならないと。

 ウツの人はまず、これが出来ない。

 本気になれないんですよ。

 だって、殆どのウツの人は「自分が悪いと思わない」からです。


それから、大学時代の友だちから年賀状が来ました。

とても活躍しているようでした。

わたしは、素直に喜ぶことができませんでした。

そんな自分をはっきりと認識して、「まだここにいるんだ」と思いました。

人の持っている物をうらやんで、目に見えるきらきらしたものに憧れて、何してるんだろう。

自分の中にあるものをようやく見つけたのに。

地道に書いて、書いて、出していくしかないと思いました。

負けず嫌いなので、かなり悔しいです。

◆正直でいいですw

 正直にならないと、自分の感情を見据えられない。

 まず、見据えることが先決なんだからさ。

 殆どの人はここで、止まってしまう。

 これが障害になり、先へ進めない。


※この方は有名私大を出ています。
 勉強が出来る人です。
 でも、それだけだったので社会に出てから「他人に語るべき言葉がない」
 ことに気付き、ショックを受けて自信喪失し、次第にウツになりました。
 私にそこを指摘され、それを自分で認めました。

 それも気付きです。
 たとえ私が指摘しようとそれを認めたのは本人ですから、
 自力ではないにしても気付けたのでそれを気付きと言います。


  私が何を言ったかというと「あなたはバカだったんです。」と言いましたw
   しかし、さすが高偏差値な方です。
   脳の機能そのものが良いので、反発せず即、理解しました。


  あ、頭が悪ければ悟れません。
   ガッコーの成績など、どうでもいいけど、頭の機能そのものが良くないと理解出来ません。
   さらに、性格が素直でないと新しいことを受け入れることが出来ない。


※人は
◆素直だが頭が悪い
◆頭は良いが素直ではない
◆頭が悪く素直でもない

という人が殆どだと思います。
一番多いタイプが最後のです。
どちらか一つでも良ければ、かなり良い方です。

◆頭が良く素直
というのは滅多に居ません。

でも、このタイプでないと悟るのは難しい。

片方だけ良いならかなり、良いので(笑)、PANDORA閲覧をお勧めしますが、
両方悪いタイプの方にはPANDORAは害毒でしかないので、閲覧をお勧めしません。
それでも読みたければどうぞ。
しかし、内容に関するクレームは受け付けません。



おもしろかったことは、年末に図書館で出会った友だちに、今日出会ったことです。

わたしに、不思議な話をしたくて溜めていたそうです。

パンドラのことも知っていました。

これから、どういう展開になるのか楽しみです。

◆不思議ですよ。

  だって、pandoraをサカナにして、会話出来る相手が地元に居る。

  これは楽しいし、有用な展開になりましたね。

  メールのやり取りもいいけど、三次元で、すぐそばで

  実際に会話出来る相手も居た方がいい。

  メールには限界があります。 

  この出会いは偶然ではなく、準備が整ったしょうこ。

  あなたが第一関門突破したので、

  次のステージが用意されたってことですね。

  良かった。

これからも、ばしばし突っ込みをお願いします。

そう、「指導」と言わず「突っ込み」というところが素晴らしい。
言葉のセンスが良い。
お友達とPANDORAをサカナにして、批評したり批判したり笑ったり、してください。
そのためのサイトです。


<大晦日のメール3>(2007年1月2日)


Rさんからのメールです。
モノの見方が鋭くて、大事なことに気付く人です。



ifさま
 
今年は本当にどうも有難うございました。
 
BBSへの書き込みや、ブログへのコメントさえもほっとんどしたことのなかった私が、
ifさんとこんな風にメールのやりとりをしているのは、改めてびっくりなことです。
 
こんなどこぞの人間相手に、
「書く行」という方法で、
私の、もっともどうにかしたいところ、であり、
でも、もっともどうしていいのかわからないところ、を、
全部引き受けてくださり、
私は運がいいなぁ、有難いなぁ、と思っています。
 

私は弱い人間のようで、
師匠のような人がいないと駄目なようでした。

意志が弱い、という意味ですかね?
それなら私も同じ。
っつうか、私の場合、凄い怠け者なので良いからやれって言われても続きません。
楽しくないとダメなんです。
それなら私も弱いです。


今までなら、
ifさんは明らかに
私の教祖的な人物になってしまっていたと思います。
でも今はちょっと違ってきています。
そうは思わなくなってきているのを感じました。
 
「ああこの人は!」と思える人がいるとつい、
すべてをその人に託してしまうというか。。
自分の中で、作り上げてしまうんでしょうね。

そう、います。
私にファン・メールくれる人がいるけど、私は困ってます。
100%OKな人間など、この世にいません。
あのマザー・テレサだって、突っ込みどころ満載ですよ。
それなのに相手をわけもなく信奉するのは
大変言いにくいが「その程度の人間」だという証拠です。


私がその人に対して知っている部分だけが同じな
理想の人物を。聖人君子を笑
だから、その聖人君子さんが、
自分の考え以外の行動や発言をしたときには、
幻滅する・・・
なんじゃ、そりゃ?
それは、その人じゃあないのに笑

そうなんです。
私が危惧するのはその点もある。
勝手に相手を自分の理想像にしてしまう。
陶酔したいからです。
まず、心の中に陶酔したい気持ちがある。
その対象は何でも良い。
天使でも人間でも良い。
格好の対象が見つかったら後は陶酔し続ける。
それが快感だからです。
全ては「陶酔次元に居る人」に原因と責任があります。


勝手に他人に自分の理想像を押し付ける。
正体を見極めようともせずに。(その能力はありません)。
相手が自分の言い分を「そうだそうだ」と聞いてくれているうちは良い。
しかし、人間である以上、それは有り得ません。
ましてや「他人に自分の理想像を押し付けるほど低次な人」
の考え、言い分ならなおさら、NOという場面が多くなります。

すると、その人は自分の理想の人からNOと言われて感情を害します。
原因が自分である、ということを分かる能力もないので、
全ては相手が悪い・・・と結論づける。

こういったことが今まで何度もありました。
なので、やたら「ifさんが大好きです」メールをもらっても
正直困るだけで嬉しくないのです。
こういうことを書いてくる方が全て上のような困った人だとは思わないが
その可能性がある・・というくらいですがね。

そのような困った人達は別に私を好きなのではない。
「自分の理想像」が好きなのです。
もっと言えば「自分」が好きなのです。

自分の言い分=我がままを、うんうん、と聞いてくれる相手が
好きなだけです。
だから、一度でも「それは違う」と言われると途端にその理想の相手
(ここでは私)が地に堕ちますw
そして悪感情の限りを吐き出して去って行きます。
その際、散々相手を(だから、この場合はif)自分なりの正義の鉄槌を
振り下ろして裁いてから。

この繰り返しを何度も経験しました。

別に腹も立ちませんがね。

(ああ、わからない人だな)で終わり。

また、心の法則、霊的な見地からしても、私には何のマイナスもない。
しかし、それをやった人にはかなりのダメージが来ます。
その点が気の毒ではあるが、自業自得だし私の責任でもないし。
放置するしかないです。

それから、「言い方が悪い」という人もたまにいます。
「同じコトを言うにも言い方がある」とか。
これもおかしな言い分であることを知らない、言い方です。
では、どのように言えばいいのかな?
気を使いに使って遠まわしに丁寧な言葉で言うなら「わかってやっても良い」と
まさか、思っているのだろうか?

理解の度合いと言い方には因果関係はありません。

何故なら同じ言い方をしても「理解する人」と「理解しない人」がいるからです。
片方は簡単な言葉で理解するが、片方はどんなに言葉を尽くしても誤解する。
ということは「理解しない原因は言葉にはない」ということです。

全て受け取る側の能力(理解する能力)にある。
自分の理解力のなさ(性格の歪みから来ている)を棚に上げ、相手の
言い方に、理解出来ない原因を押し付ける・・・・・ありますね。

むしろ、私は簡単は言い方で理解しない人には勝手に怒って去って行って欲しい。
すると残るのは素直で理解力があるか、理解力をつけようと思ってる人だけになり
こちらとしては好都合なのです。
私は相手を切ることはしません。
殆どの場合、相手から去って行きます。
有り難いことです。



と、こう書くと「そういう目に遭ったifさんにも原因があるのでは?」
と、言う人が出て来ます。

だから、言いましょう。

ここは霊界ではなく、三次元なんですよ。
何でもアリ、の世界です。
上は十数次元から下は四次元(幽界)まで、見えない世界に限っていえば
「同じ空間に存在」しているんです。
上から下までごちゃまぜに存在している、面白い世界です。
霊界であったら「決して出会えない相手」と出会える、そして勉強出来るのです。

いろいろな体験をここでするのが目的です。
だから、出あった原因があるとすれば
「三次元でしか体験出来ないことを体験するため」
これっきゃないでしょう。

学ばないなら霊界に居ればいいんですよ、わざわざ生まれて来なくたっていい。

全てが教科書、テキストです。
実に面白い。

出あった相手と同波長なら親和(アワ)します。
異波長なら反発(サヌキ)します。

それだけです。


 
ifさんは、ifさんであり、
そのほかはありえない。
私も同じ。
だから今では、
ifさんは、いろんなことを知っている大先輩で尊敬はするけれども、
ただそれだけ。

尊敬なんかしてくれちゃってありがとう。
でも、この点では・・・という限定つきでしょうね、勿論。
それでOKです。

個人が全てに得てているわけにはいかない。
当然知識が少ないか全くない分野があります。
その苦手な、暗い分野で一歩先んじている人がいたら
便利だから、参考にしたり教えてもらったりしちゃおうっと♪
で、いいと思います。


例を挙げると「師匠との会話」のお師匠、この彼はトンデモの師匠です。
また、三次元のこともで大変目先が利くので重宝しています。
また、セイシンセカイの裏がわにも大変、詳しくその点でも師匠ですが、
その他の点では別に師匠ではありません。
基本的に友人です。
また、オレさま。
この彼はシュタイナー理論に詳しくいろいろなことを知っていて判断力もある
だから、重宝しています。
それから他の方々。
私の知らないことを知っています。
その分野について判断力があり、大変重宝しています。
皆、私の師匠です。


ifさんだって、毎日意識レベルを上げることに精進しているわけだし。
だから・・というか、だからこそ、
私も頑張ろう!という気がしてきます。

そうです。
別に私は特殊なことは出来ない、してない普通の人間です。
だったら、自分も同じ普通の人間だ、ifに出来て自分に出来ない
ことはない、と思わなくてはなりません。

一番いけないのは「if さんだから出来るんだ」と思って
自分は何もしないでサッサと諦めてしまうこと。
これは私も昔
「if さんだから出来るんだよ(だからアタシには出来ない)」
と、言われてムカついた覚えがある。
自分はそこ(心のヂゴク)から一歩も出ようとしないでそれを正当化する人。

この人は10年経過しても変わっていませんでした。

まだ、同じような愚痴を繰り返していたのです。
一度怒鳴ったら次第に疎遠になりましたw

この人は愚痴を聞いてくれる人が必要だっただけです。
自分の問題を明らかにし、改善しようとは思わないのです。
そういう人にはそういう人用の人、モノ、サイト、宗教などがあります。
そちらへ行けばよろしい。


今までだったら、
無責任な頑張り?だったと思います。
なにも考えずに、
その人の考えを鵜呑みにする、ような。
甘え、ですね。卑怯です。
(まぁ、気づけず続けてきたことですが。。)
 
思考力がないとそうなります。
悪気はないのです。
でも、それ(思考力がないこと)が悪いのです。


ifさんもそうだし、Fさんもそうだし・・・たっくさんの人たちが頑張っていると思います。

そうなんですよ。
別に私は悟りきった完成された人間ではない。
今も発展途中なんです。

そこをまた誤解して
「ifは何でも知っているだろう」とか
「ifは何でも知っているつもりか」とか
誤解する人が居るが、そういうのを聞くと私は
(ああ、この人はこの程度か)と、思うだけです。

では何故、このように中途半端に悟った私(宗教的な意味はゼロ)
が、悟り方など解説しているのか?
それは・・・
私は、というか、誰でも一生かかっても悟ることなど無理だからです。
全てを悟るのは無理。
自分が全てを悟ってから皆を指導しよう・・・などと言っていたら
死ぬまで出来ないでしょう。

自分も途中ではあるが、一歩ほど、この分野で先んじているようだから
では、少しでも通じる人がいれば手遅れにならないうちに
教えておこう・・・・くらいの気持ちです。
使命感もないし。
ただの親切です。

そういう風に感じます。
感じられてうれしいなぁと思います。
感じさせてもらえて嬉しいです。
 
感じない人も中には居るようですよ。
感受性の問題です。
相似象の分野です。

まず、感じなくてはならないのに、感じることが出来ない。
あとは、その間違った根拠の上に自分勝手な邪推を構築する人がいる。
間違った土台の上に何を立ててもそれは間違いです。

これはもう、手の打ちようがありません。
だって、マットウに感じることが出来ないのだから。
だから、まず、虚心坦懐、心の中に余分な情報、感情がない
状態にしておいて、物事を見なくてはならない。
しかし、これが出来る人はあまり居ない。
大抵は、自分の心の穢さを他人に投影して誤解し悪感情を
抱き、さらに自分の感情を悪化させ、魂と穢して行きます。

女には多いです。

この点男性には元々心の部分が少ない(アワが少ない)ので
そういうコトにはなりにくい。
私にとっては男性の方が付き合い易いですね。
私が言う言葉を言葉通りに受け取ってくれるからです。
誤解がありません。
誤解があっても、「それは誤解だ」というと、「あ、そっか」と理解します。
本当に余分な感情がないということは楽ですw

これにたいして女はアワの部分が大きく、それが穢れていたら
見るもの、聞くもの全てを自分の歪んだ心のフィルターにかけ
それに気付かず、勝手に感情を悪化させる。
頭の良し悪しには関係ありません。
ただ、低次のアワが為せる技です。


心にあるものをなくすということは大変、困難です。
「あなたは心に余分な感情があります」と言われて
「あ、そうか、はい、では消去します。」とは行きませんね?
簡単ではありませんよ。
感じるな、と言われて感じなくなるってことはありません。
でも、なんです。
それでもやらなくては。
そのままそこに居たくないなら、やらなくてはならない。


 
さきほどのメールのお返事。
私はいつでもFさんの(ような)方を選びたいと思います。
選ぶ自分でありたいと思います。
選ぶのだって、自分ですからね。
そうだ。
選べなかったら、選びなおせるように。
いつでも選びなおせるんだから。

そうですよ、まだ時間はあります。
遅すぎるということはありません。


そういうの、いつももっていたいです。
いつももっているように、教えてくださって、有難うございます。
 
また来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

<大晦日のメール2>(2007年1月1日)


PAMDORAに来てから、激動の三ヶ月間だった・・・と言ってる方が何人もいます。
今、変わらなくてはならない。
しかし、何をどう、変わらなくてはならないのか、多分大方の人はわからない。
変わり方(分かり方)が、わからないからです。



知識をいくら詰め込んでもダメ、ということを「分かる」。
これも分かることの一つです。
知り合いに精神面での指導者がいる方がいます。
やはり情報だけではダメで、その指導者から情報や知識以外のものを
教わっているのですね。
そういう方は揺るぎません。
他人の話しを鵜呑みにしたり、恐怖にかられたりがない。
常に安心立命。

私は指導者ではないけど、「分かり方」を知っているので、その方法を皆さんに
教えているだけです。
この考え方(相似象)は万人向けではないので、殆どの人には「無用のもの」です。
大っぴらにしてはいけない代物。
でも、もう、いいだろって、私が勝手にここで紹介しました。

93%の人には無用なばかりか、害毒になる、という危険物ですが
7%の人(素質ある少数者)には必要なものです。
閲覧者の中にはそれが必要だった、やっと巡り合えた、これが知りたかったと
いう方がいるので、そういう方には有効です。
公開して良かった、と思います。

下のメールはFさんからのメールですが、同じような感想を他からもいただいています。
代表としてここに載せますね。



Ifさん こんばんわ!

嬉しいですー! φ(゜▽゜*)♪

自分の知らないところで、花丸をいただいてるなんて夢みたいです。
なんだか、人ごとのようだけれど、嬉しい。。。感謝。<(_ _)>

Fさんと同じ気持ちだ、Fさんに励まされる、という方が多く、
 それをFさんに教えてあげました。


本当に、本当に嬉しい2006年でした。
おかげさまの年でした。

Ifさん
これぞまさしく、「他力」ね。
だって、私は何もしてないのですよ。
してないどころか、教えていただいているのです。
教えていただいていることが、どなたかのお役に立っているなんて不思議です。

ありがたいです。
Ifさんのおかげです。<(_ _)>


> 「ちょうど良い時期に、ちょうど良い形」で来るものです。』
そうなんだぁ。。。力強いわね。。。。すっごく安心!

これって、歯車が回転している状態ね。

良いたとえだと思います。
自力で動かせるのは「自分の歯車」だけ。
でも、自分が動かなければ、他人の歯車を動かせませんね。

また、遠いところにある歯車は、自分からは見えないし、それがどういう風に
動いているんだか、さぱりわかりません。
遠いところにある歯車の動きが他の歯車を沢山動かしながら、自分を動かして
くれる時まで、時間がかかります。
その間、自分は何もわからないし見えないのです。
でも、自分が歯車となり、回転していなければ、その動きが自分に来た時、
動きはそこで止まり、エネルギーが無駄になるでしょう。
つまり、錆付いて動かない歯車に、なっていてはいけないのです。

そういう人に他力は働きません。
お助けもラッキー・チャンスも来ない。
だから私は皆さんに
「動きましょう」と言っています。

また、小さな自分の歯車を回転させるとします。
小さいが動きは動きですね。
それが周囲の人を動かすかもしれません。
そしてそれが、最後には大きな動きになる、大きな歯車を動かすかもしれない。
それによって多くの人の歯車が回転始めるかもしれない。
これを
「御神業」と言います。
何も特別なことなどしなくていい。
自分に出来ることを楽しんですればいいだけです。


追い風?っていうかな?
とにかく、有難い応援。

解かるってとっても楽しいです。
もっともっとって、思います。

「解かる」って、何年机にしがみついていても出来ないって、解かりました。
外にでて、いっきに、疑問が吹き出ましたから。

Fさんには長い間わからないでいた期間がありました。
自分よりずっと年下の人がどうも、わかっている。
その方が何かを伝えたがっている。
でも、Fさんにはわからない。
何となく、自分で「自分にはわからないことがあるのだ」と、思っていた。
でも、それが何なのか分からなかった・・・という体験。
それをしていたのでPANDORAで、分かることが出来ました。
他にもいますよ。
「分からない体験」のある人の方が、やはり、わかることが出来ています。


「やれやれ・・・」の暇がないのね。
まあ、次から次から・・・でるは、起こるは・・・
教材に事欠きません。。。。です。

そう、全てが教材です。
お金がかかりません。
有り難いです。


ただ、いつも思っていたことは、
「状況がどうであれ、大丈夫、良い結果になる」・・・そうなった。

それを「心の姿勢」と言います。
これが悪いと同じ体験をしても、全ては悪く受け取られてしまう。
魂がどんどん黒くなっていきます。


信じる者は救われる・・・です。

悩むことなかった。

悩むって?
あれっ?・・・考えること?
考えることを全て悩むとは言わないわね。

悩むというのは、真の意味で「思考」ではないと思います。
感情の産物です。
思考力がなく、感情が悪い方に働いていることです。


私やっぱり、暇かも?・・・単なる、おバカ・・・
私、年齢は隠さないのです。
だって、そうなのだから。

でも、今の思考力、判断力を考えると、仮面をつけていたほうが良いかも。。。


━━…………‥‥‥‥・・・・・・・・‥‥‥‥…………━━
魂の芯の部分は神の光のスパーク
だそうです。
が、心が汚れたり曇ったりしていると
神が見当たらなくなるのでは?



Ifさん、
おバカをひとつ・・・

今朝、起きる少し前・・・
私?神様?誰か?・・・わからないけれど、

真っ白でキラキラして、座っている感じね。
光がさして透明感があって美しいのね。

これは、前にも感じたことがあった。
今朝はおまけがあった。

その、私か誰だか分からない人から「パァー!」と、
クリスタルのような、七色の光が外に向かって放っているの。

一瞬だったけけれど、「あっ! きれい!」と思った。
ほんの一瞬だった。

これを見た(感じた)のは初めてだったから、嬉しかった。
こういうことって、意味も何もわからないけれど嬉しい。

きっと、いいことに違いない。。。な〜んて、勝手に思い込んじゃう私だから。

帰宅して、
パンドラを開いて
「神の光のスパーク」・・あ〜意味なんかわからなくてもウッキウッキ!

見た、見た! φ(゜▽゜*)♪

どうして他の人は、楽しいほうを選ばないのでしょうね。
難しくて、暗いほうを選びたがるのね。
みなさん頭がいいのね。

私、楽がいい。
だって、楽だもの。。。

もっと楽したいと思っているのに。。。
そのためなら、なんだってするわ。

先に楽があるなら、頑張れちゃう。
私は、そう思うのだけど。。。。

あとわずかで来年だけれど、
本当に良い年でした。

ありがとうございました。
心から感謝しています。

ちょっと肩の力が抜けた状態です。

自然体で、思考行動が出来るようになりたい。
良い意味での、無意識。



下の記事の右側の人は多分或るサイトにいた人ですね。
その方は良い人を演じていたがために、精神を病んでいました。
その原因が私にはわかったので、その状況から脱出する方法を
教えてあげたら、良い人の仮面がいきなり剥げて逆上し凄まじい
怒りと恨みのエネルギーが爆発しました。

今まで蓄えていた、その人から或る人(家族)へのエネルギーがあり、
それを憎むべき相手にブツけられないので、ウツになっていたようです。
本当にブツけたい相手にブツけず心が真っ黒になっていた。
だから、それを解消すればいいのですが、そのこに気付くのは嫌なので
気付かせようとした私を憎い、、、、となってしまったのでした。

周囲の人はその様子に唖然としましたが、その人に忠告したのは
伊吹さんと画家のまゆみさんだけでした。
(正確な人数はわからないが、100人いたとして、私を入れて3人。
  つまり、3%。
  うん、こんな感じですね、世間も)
きれいごと、どうでも良いことなら書けるが、重大なことに関しては
何も言えなくなる多くの人達。
判断力も勇気も思いやりもないのです。

その中の一人の言い分。
「だって、言ったってわからないからいいのよ。」ですと。
勿論言ったってわからないさ。
でも、「皆があなたが悪い、あなたこそ反省するべきですよと、
あなたを判断しましたよ。」と、言うのはその人もわかる。

それを切っ掛けに(では自分の方がおかしいのか)と考えるかもしれない。
しかし、多くの人はこのような人に、忠告して逆恨みされたくないので
避けて通るのですね。
ハッキリ言いますね。
その多くの方達はアセンションすることは大変、困難でしょう。


*************************

それはいいとして、右側の方は一年前から変わっておらずまだ同じところにいます。
変わりたくないのです。
ウツの人の特徴です。

少しでも向上させようとする人がいると猛烈に反発する。
自分が今、居る場所から動きません。
今居る場所とは、精神がある場所、精神の状態のことですよ。
ウツの人は思考力がないにも関わらず、我が強く、妙なプライドが高い。

ある霊能者(男性)が言ってましたが、ウツの人は業が深いと。
業が深いというのは前世からの因縁でしょうね。
魂に原因があるのでちっとやそっとでは治りません。
だから苦しんでこの状態から抜け出させようとしているのですが、
苦しいのに抜け出さない。
堂々巡りです。

切っ掛けになることを教えてもそれには猛反発します。
そして同じ場所(精神のね)に居続けるのです。

もし、ウツ病者が本気で治そうと思ったら、素直になりさえすれば良い。
しかしそんな簡単なことが出来ない。
態度だけ素直にしている人がいます。
右側の方などは或る家族に対して大変素直にしているようです。
でも、それは素直ではない、ということも知らない。
それは従順と言います。



下に対照的な二人を載せましたが、本当にクッキリと分かれました。
一人は日進月歩、毎日毎時間何かを感じながら悟りつつ生きている。
一人は一年経ってもまだ同じ場所にいる。


変化することが正常なのです。
天体も動いています。
地球も変化しようとしているそうです。
その地球の変化についていけないのは「我」のある人間だけらしいです。
動植物は地球の変化に楽について行くそうです。

人間には自由意志があるので、そのどちらかを選べます。
◆地球の変化についていくために自分も変化する。
◆地球の変化についていかないので自分は変化しない。
どちらを選ぼうと自由です。

<大晦日のメール>(2006年12月31日)


大晦日に対照的なメールが二通来たので載せますね。
クレーム・メールの方は件名が「HPのネタにでもどうぞ」で「全文載せてください」と書いてあるので
ご要望を受けて載せました。
Fさんからのメールです。

Ifさん
おはようございます!

お早う御座います。


Ifさん、
今年は素晴らしい年になりました。

ほおおお・・・

過去、もっと良い年があったかもしれない。

しかし、今年のように、
「自分に向き合っていたか?」
と言うとそうでもない。
だから、いつも良くなったと思っても、
一時的なことで終わっていた。

飽きっぽいのかとも考えた。
そうではないようだ。
基礎、根本的なことがわかっていなかったから、
その場かぎりだったのだ。

う〜〜〜ん、ていうか。
今までは知識を集めていたのでは?
知識は頭の先にしか留まりません。
頭の先のことから、どんどん消えて行くのです。
だから、知識をいくら増やしてもダメなんです。


今年は、約3年の「引きこもり行?」から、
世間に出た年でもあった。
しかし、パンドラと出会わなかったら
どうだっただろうか?

「我」・・・もっと「我」が出たかもしれない。
なまじ、学んだから・・・知ったかぶりね。

大抵、そうなっています。
だから、やたら精神のことは学ばない方が
いいのです。
少し知ったくらいで、知ったかぶりになる
人が殆どです。
そういう人は難解な言葉や英語を多用し、
さまざまな目に見える、分かり易いことをします。
それで「わかったつもり」になっている。

それだけならまだ良い。

わかった自分を自慢する。
他人を見下す。
これが一番自分の魂を傷つけると
いうことを知らない。

だったら最初から精神のことなど
関わってはいけない。
普通のことだけをしていれば良い。
自分のために。

タイミング良く・・ではないのですね?
これぞ、神様のおなさけ。

だって、年齢的に、
もう後戻りしている時間、ないですものね。


いや、若い人だって、同じですよ。

父が生きているとき、よく言ってました。
「勉強ばっかして、なんになる!」・・・
父は職人でした。

講釈ばかりで、本当にできる人間が少ない。。。
そう言って、嘆いていました。

故・司馬遼太郎も言っていました。
彼は職人を初め、下町の人間が好きでした。
職人は理屈を言わない。
それでいてやることはやる。
心は素朴で傲慢ではない。
彼が一番嫌うのはインテリでした。


今年は、実践を始めた記念すべき年。
勉強が本当に理解できたか、
頭でっかちになっただけか?

頭でっかちを、ことごとく叩きのめされましたわ。
それも、心地良くね。

何度か叩きのめしましたねw
それでも嫌にならず、ついて来てくれました。


起こること一つ一つが、
クリアになって、清々しかった。

相似象の考え方はその通りで、
頭を整理するってことだけなんです。
整理するのでクリアになります。
その結果、運命が良い方向に転換します。


まだ、数ヶ月だから、助走ね。。。予行練習。

来年は、本番。
う〜〜ん!・・・楽しみ、わっくわく!
喜んで、調子付かないで進まないとね。

元来が、おっちょこちょいで、
考えが浅いんだから。。。(_ _#)

うっ、それは私も同じく。

慢心しないのね。
ちょっと働いたくらいで、えばらないことね。

殆どの人は慢心しがちですね。
しかも、それを自覚出来ない。
日月の神も
「慢心と取り違え気つけてくれ」
言ってます。


どうしたら、どうなるか・・・
今年いっぱい見たわね。

だったら、私はどうなりたいか?
人に聞かなくても解かるわね。

「自信」を持つこと、「自分を信じる」ことと、
「慢心」は違うのね。
素晴らしい1年にするの。
誰かがしてくれるのではないのね。

はい、面倒だけど自力で
やらなくてはなりません。
あ〜〜あ、面倒だ。


もちろん応援あってのことだけれど、
自分でするのね。
自力ね。
自力と他力・・・
あるところまで出来たら他力かな?
でも最初は、ほとんど、自力・・・逆かな?

自力では出来ないことがあるので
その部分は他力が来ます。
まず、自力で出来るところまでやれば
それに相応しい他力が
「ちょうど良い時期に、ちょうど良い形」
で来るものです。


どちらにしても、軸がしっかりしてないとね。

それには○にゝを入れましょう。
心に神様を住まわせましょう。

魂の芯の部分は神の光のスパーク
だそうです。
が、心が汚れたり曇ったりしていると
神が見当たらなくなるのでは?


うん。。ちょっといい感じかな?
太く、しなやかに。。。。そう思うと、
まだなってないわね。。どちらも。。。

育ってから行動する?
育てながら、行動する。。。
実践しないと育ち具合が解からないから、
育てながら。

とにかく、すでに助走した。。。。現在進行形。
「うふっ!」ですね。

うふっ♪
パンダdeりんりんさんからのメールです。
この方からは初めてメールをもらいました。
大体、ここに書いた通りに返信しました。
順序は入れ替わっていますが。

唐突で失礼ですが、一つ忠告があります。
スピリチュアルや精神世界の事などは
よく知りません、が、
いや、だからこそおべっかなどを挟まずに
素直に書かせてもらいますと
if様の堂々としている所は
とても素敵なのですが、
他人の自殺や鬱や癌などの
病気にについての話を
軽々しく自らのスピリチュアル論に絡ませて
話すのはよしたほうがよろしいかと。


他人のウツやガンの話しを、
では重々しく載せればいいのか。
ちょっと考えを変えれば良い方に転換できるのに、
重々しく難しく複雑にすればそれでいいのかな?
そうやって殆どの人はこれの触れるのを
タブーにしている、
あなたもね。
あなたも大方のわからずやの一人です。
 

確かにif様は霊界の事はよく
分かっているのかもしれない。

私は霊界のことなど殆ど知りません。
私が知ってるのは三次元、
この世のことの中のほんの一部です。


そして正しい人なのかもしれない。

正しいと正しくない、の二種類の人が
いるわけではないと思う。
正しさにはレベルがあるので、
それを頭に入れてから
正しい、正しくない云々を言いましょう。

だが、自殺した人間、鬱になった人間、
癌で死んでいく人間
そしてその周囲の人間の気持をあまり
ご存知ではない。
 
そんなものは知りたくもない。
知らなくてはならないのは、それらの人達です。
それらの人達が、
「そうしないで済む方法、意識レベル」
を生きてるうちに知る必要があった。
では、あなたはウツになったり
自殺したほうが良いというのですか?
そうではないでしょう、普通。
 
自分達がそうならないで済む意識レベルを獲得もせず、
「このままの自分を認めろ、受け入れろ」と、
いうならおかしい。
それは「我」であり「甘え」であり
「自己中」であり「尊大」だと思う。
 
上に挙げたことを捨てれば、病気もウツもなくなります。
 
当たり前のことを聞いて、自分が傷つくから言うな
・・・・・・・・いったい、何様のつもりだろうか?
 
それらの人達が私に異論があるなら、
メールを寄越せばいいんです。
また、今のような状況を変えたいなら
メールをを寄越せばいい。
変えたくないならそのままでいればいい。
 
あなたは上のケースに当てはまるんですか?
当てはまるなら自分を改善すればいい。
当てはまらないなら、
無関係の第三者が何故、
それらの人達の代弁など
出来るんでしょう?
本人でもないのに。

「他人の痛みが分からないの♪」は
人を傷つける言い訳にはならない。

「他人の痛みが分からないの♪」って
誰の発言ですか?
私はそのようなことを書いた覚えがありません。
私は過去に書いた覚えがないものを、まるで
私の発言であるかのように今、ここに書いている。
いったい、これはどういうコトでしょう?
あなたの妄想ですかね?

私も基本的に他人の痛みは分からない、

私も・・・というからには、
他にも「他人の痛みがわかってない」
人がいるんですね?


しかし他人の人生に敬意は払っている。
この先悪魔に魅入られようと天使に
連れ去られようとどんなふうになったとしても
他人を軽視しない
という分別くらいはある。
 
その分別のある人が何故
「事実でもないことをまるであったことのように」
書いてるんですか?

その上自分の正しさを信じすぎて
他人の人生や気持を、
自分の実質的な言葉と行動の内容の
正否をどうも軽視しすぎる所がある。

私は私の意見を述べているだけです。
正しいも正しくないも、ありません。
正しいことしか述べてはいけない、という
決まりでもあるのだろうか?

また他人とはどのような人を指すのでしょう?
他人、全員の意見をまとめて、どの人にも満遍なく
気に入られるような意見だけを書けば良い
ということですか?
もしそうならそれは不可能だということは
自明の理では?
ン十億人の意見は皆、違うと思いますが。

お友達が多い事はすごく良い事です。

友人はそんなに居ませんよ。
まぁ、ここで多い少ないと言っても、
それは個人の感覚の違いだろうから、
10人でも多いと感じる人、100人でも少ないと
感じる人がいるでしょう。


だが友達や仲間の耳良い甘やかしごとのみを
飲み込み続けるのは自分自身にとっての
毒ですよ。


だから、何で上のようなことを言われるのか
わけがわかりません。
上のようなことを言う前に、
私が既にそういう状況であることを
調べなくてはならないのでは?
何故確かめもせず、書けるのだろう?
それをおかしいと思いませんか?
上のようなことを書く前にはきちんと、
「ifが、友達や仲間の耳良い甘やかしごとのみを
飲み込み続けている」という
証拠がないと、不可能なのでは?
 
人に苦言を呈したりするのは基本的に
嫌いなのですが、

嫌いなことならわざわざやらなきゃいいのにな。

言わせていただきました。
あ、この文章、HPにそのまま是非遠慮も
何もなく原文そのままに載せてください。
そしてできれば貴方の「ファン」でなく
本当に心底「友達」だと思っている方々に
意見を求めてみてください。

甘い論拠で確認もせず、思い込みで文章を書く。
なんという、無知から来る傲慢さだ。
あなたこそ、自分ではそれを正しいと思い、
周囲に害毒を撒き散らしていることに気付かないか。

 思考力がないくせに他人に忠告をする、
その低劣さを見据えよ。

<我が子に異常に反抗される母>(2006年12月30日)


一年前にこの方がそのような状況にある、と本人から聞きました。
アレから一年。
まだ変化していないようです。
この方が何かを悟れば事態は好転するのに
それが変化なしということは、悟ってないということです。

私は今まで身近な人、数人から「我が子に異常に反抗される」と
聞かされたことがあります。
その方達に共通しているのは、わからずや、という点です。
わからずやなので、自分がわからずやであることもわからない。

自分では一生懸命やっているつもりなのです。
だから、子供がマトモなら反抗されます。
子供がマトモでなければ反抗されません。
また、マトモな子供が全て反抗するわけでもありません。
違う問題を起こすか、起こさないか、いろいろです。




ifさんから頂いたメールを、読んでからずっと
噛み締めています。
これだけは言える。
 息子さんはあなたのために異常な反抗をしている。
 あなたの精神の進歩のために。」
この言葉が頭の中をグルグル回っています。
 
実はまだ本当には理解できていないのだと思います。
でも、息子と話す回数が増えた。バトルする回数が減った。
いつももう一人の私の声に従ってしまっていたけど
「ええ!それでも親なの!?」
「そんなんじゃ、まともな人間になれないよ」
「ちゃんと導くのが親の務めでしょうが」・・などなど。
その時の自分の直感に従うようになった。
たとえ常識外れと言われようとも。。。(全部じゃありません^^;)
そんな事を出来る限り続けていけばいつか本気で
変われるでしょうか。。
(こうして書いていても、ifさんに「あほぅ」って思われるんじゃ
ないかって思ってしまう私・・・・)
 
 

本当だ、アホって思ってしまった。
特に青字の部分。
一刻も早くそんな洗脳から抜けた方がいいです。
まず上から順に突っ込み入りますよ。

◆それでも親なの?=どんな親でも親です。
              バリエーションがいろいろあるので、楽しい。


◆そんなんじゃまともな人間になれないよ
     =では、あなたはマトモなんですか?
       自分がマトモじゃないのに、何で他人を導けるのだろう? 
       すっごい傲慢で世間知らずだ。


 
◆ちゃんと導くのが親の務めでしょうが。
     =あなたのその頭のレベルでいったい、どうやって子供を導くんですか?
 
 
別にあなたに喧嘩売ってませんがw
 
あなたの子供が、自分では意識していない声を代弁しました。
この部分を、HPに使わせてもらいますね。



するとこの方から「掲載OK」の返事が来ました。
が・・・


(ここで「もちろん載せるか載せないかは
ifさんが決めてください」って追記するのは
傲慢なんでしょうか。。自分の気持ちを考えると
「私は言う事いえたから。後はifさんに
任せた!」なんですけど・・・・・。わざわざ追記するって事は
やっぱり「私は嫌われたくない。ずうずうしいと思われたくない」
なのかな?とも思います。

載せるか載せないかこの方に言われなくても、自分で決められる私です。
そんな当たり前のことをわざわざ言う点がおかしいです。
自分では気付いていませんがこれは
「操作」です。

よく、無意識に我が子を操作してばかりいる母親がいます。
小さいうちは子供も、自分が操作されていてもなんとも思いません。
でも成長するに従ってだんだん操作されることに耐えられなくなります。
しかし、ここで「操作されている」という、言葉は子供には思いつきません。
そういう言葉を思いつくようにするのが教育なので
教育されている途中の子供は、まだ知りません。

しかし、言葉を知らなくても感覚と感情はたしかにあり、
それが異常な反抗という形になって現れる場合がある。
この方は、上のメールのように
「無意識で他人を操作してる」のでした。

これは無意識なのでなかなかわからないんですよ。

友人がいてもこの方が友人を操作しないとわからない。
また、友人も自分が操作されている、と、ハッキリ言葉化出来る人は稀です。
だから、交友関係でも、この方の操作はなかなか発見されない。
やはり、家庭内で子供に反抗されてわかるしかありません。



この方のように大変性質が良くても、物事がわからない人が沢山います。
ひとは多かれ少なかれ、全員わからずやですが。

私にメールをして良かったですね。
そこらへんを説明出来ました。
説明を読んでもそれを理解するかしないかは、また別ですが、
とりあえず「わからなくてはならないこと」が明らかになっただけでもいいとしましょう。

<離れて良かった人(笑>(2006年12月29日)


下の方の記事<離れる友人>を読んだ、Sさんが実例を教えてくれました。

ifさんこんばんは☆
離れる友人を読みまして、私の親友にも
似たようなことがあったのでメールしました。

4・5年前のことだったと思いますが、
友人がお見合いをしました。
で、その相手が、すごくケチ男だったらしいんです。
とにかく、お茶代も、何もかもキッチリとワリカンにされたそうです。

友人は、かなり寛容な性格なのですが、
ケチ男に対してあまりにあきれたので、
ある時、一番凄かったワリカンのエピソードとともに、
こんなケチ男、こっちからお見合いをお断りしようと思う。
という内容を書いたメールを私に送ろうとしたら、
何を間違ったか、うっかりケチ男本人に送ってしまったそうです。(笑)

がーーーん!

その話を聞かされて、私も青くなりましたね。あはは。。

Sさん、笑ってるじゃん・・・

もちろん、この見合い話はチャラになりました・・・

おお・・・

絶対に読まれたくないだろうメールをよりにもよって、
何でケチ男に送ってしまったのでしょうか?
彼女は、とてもしっかりした子です。

・・・無意識でケチ男に本心をぶちまけたかったに違いないと思います。

Sさん、鋭い。
そうだと思います。
潜在意識が働いたのでしょう。
そんなドケチ男、願い下げですよ。
似たような話ってあるんですね。


ifさん、この話には後日談があります。

ケチ男に誤ってメールを送ってしまった友人Nは、
次のデートの時(それで最後のデートにしようと思ったらしい)に、

「私、友人宛てのメールを間違って送ってしまったんですけれども・・・」
と、ちゃんと侘びを入れようとしたそうです。

その人、偉いなぁ・・・・・あたしなら「シらをきる」ね。

でも、ケチ男はかたくなに、そんなメールは届いていない、
読んでいないと言ったそうです。
何度聞いてもそう言うので、

Nも(もしかしたら、私に気をつかってくれているのかも。)と
良い方に解釈したのですが、その時のデートも
絶対におごるものか!といった態度で、Nにワリカン代を請求してきたそうです。

その態度で、Nは、やはりケチ男はメールを読んでいたんだと
ぴんときたそうです。

女の直感ね!

そして、「あのメールを送ったことは申し訳なかったけれど、
でも私の本心ですから。」と言ってやったら、やっとケチ男もメールを
読んだことを認めたらしい。

つまり、プライドが高い男であったというのも
バレバレになったというわけです。w 

あ〜〜あ、それはヒドイ。
それでは彼は一生結婚出来ないだろう。
そんな奴と縁が切れて本当に良かった。




一見、失敗のようだけど、結果的にはその友人の方は助かった。
だからこれは「天恵」ですよ。
守られているんですね、やっぱり。

Sさん面白い事例をありがとう。

<精算>(2006年12月29日)


下の記事を読んだFさんから「精算ていうの、あるんですね、
そういえば、ありました。」と、メールが来ました。

Ifさん
おはようございます!

今日は良いお天気です。

今から出かけます。
年内清算・・・私が思っている以上に、いろんな意味であるのかな〜と感じている。

もちろん、私も清算される。

気持ちの良い年を迎える為に、私は全て受けとります。
嬉しいことばかりではない。
人に迷惑を掛けるのは、できるだけ最小限にしたい。

たとえどんなことがあろうと、良くしていただいた事を思い出そう。
たくさんあるはず。
感謝を忘れないように。
それが原点。




それに対してお返事。

if 「そうそう、アタシも他人から精算される。
  それは覚悟の上ね。
  誰もそう。
  皆が皆を精算している。

  特別に精算専門の人がいるわけではないもんね。」

Ifさん
こんばんわ!

少し前に帰宅しました。

Ifさんでもあるのですね。
うれしいといっちゃいけないけれど、感慨深いものがある。
これで良いんだと思いました。

今までこれが出来なかった。
ここでも良い人していた。

今、誰はばかることなく・・・かな。
誰に遠慮してたんだろう?・・・自分でありながら自分でなかったってことかな?

今も私、おバカだけれど、おバカな部分が変わってきた。
楽です。


皆、無意識に「そんなコトをしてはいけない」「それをするのは悪いことだ」と
思っているのです。
無意識なので始末が悪い。
意識化すればいいんです。

「私は他人との付き合いを精算するような、そんなことはしない。」と
思うなら「まだ良い」。
そうすれば
「何で?」と、質問出来ます。
「え?だって、それって悪いことじゃないの?」
「何でそれが悪いことなの?」
「え?だって、当たり前じゃないの?」
「何でそれが当たり前なの?」
「え?・・・・・・・・・・・・・・・・・」

意識の向上の切っ掛けにはなるからですよ。

勿論それをしたから全員向上するわけではありませんよ。
全く向上出来ない人が沢山・・・というか、『殆ど』ですが。

<離れる友人>(2006年12月28日)


友人と巧くいかなくなり、トラブり疎遠になってしまったAさんへアドバイスです。



あの友人とは波長が合わなくて苦しかったのでしょう。
でも、Aさんがそれを無視してなおも付き合って行こうとしていた。
それが心の声、魂に素直ではないってことよ。
心が嫌だ=って言ってるのに、それを無視する。
だって「他人とトラブルのは悪いことだ」と、何故か思ってるから。
それは生まれてこの方、毎日のようにインプットされた「間違った考え」なのにね。
良い人ほど、そういう状況に陥っている。
それを、その友人が教えてくれたんだな。
勿論、その人は教えようなどとは思ってない。
でも、いろんなことを教えてくれるのは、周囲の良い人や好きな人ではなく
嫌な奴、バカ女ですw
これは誰でもそうです。
どんな人だって、その人に教えるのは嫌な奴、バカ野郎&バカ女。
有り難い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌いだけどw

(ヒデえ乱暴なアドバイスですわね。おほほ!)

そうですね。意外にソツのない、洗練された人から教わることってないですね。
あ〜、嫌だなと思う面を持った人からたくさん教わってます。
反面教師としてですが、嫌だと思う自分となぜ嫌だと思うのかを
突き詰めて考えたら答えが出てくるから。
今度のことは当然の帰結というかなるべくしてなったことですね。

 

過去のことを話しますね。
Aさんは優しいので「他人と仲良くしよう」と思ってるし
人格者なので「他人とトラブってはいけない」と、思って生きて来ました。

しかしこの件の場合、
Aさんの心の奥底、身体はそれとは反対のことを願っていました。

Aさんのその問題の「友人」の方が他の友人宛てのメールで
Aさんの批判をしていたことがわかった。
「友人」が間違って、こともあろうにそのメールをAさんに送信してしまったのです。

自己中且つ偏狭ではあるが、趣味の点でお世話になっているし
Aさんとしてはその「友人」とは仲良くしようと、思っていたのですが
そのメールを読んでショックを受けてしまった。

「友人」の本音を知ってしまったからです。

それで私にアドバイスを求めて来たのです。

「Aさんはその『友人』とは親しくしたいと本当は思ってなかった。
  だから、今回、友人の失敗という形で、交友関係がなくなった。
  それはAさんが望んでいたことではないのか。
  だから、落ち込んでないで、このように物事が巧く運んだことを
  喜ぶべきですよ」と。

Aさんは冷静になったらこの理屈を理解して、明るくなりました。

本当にその通りだった、と。

 
言葉を軽んじる。自分の頭で考えない。
これはいけませんということを学びました。
これでよかったんです。

その通りです。




思うにAさんの体験は、見た目は嫌な事件でしたが、結果的には良かった。
これはAさんの天恵です。

Aさんを守護する存在が、Aさんに体験させて悟らせた。
Aさんは相手を恨むでもなく嫌うでもなく、良い学びをしました。
だから、この件はクリアしたのです。

次は違う課題が待っているでしょう。
でもそれも必要な体験なので、その件で苦しむのではなく
ただ、「学び」と捉えて解決していけばいいのです。

Aさんにはそれが出来ます。

そうやって悟り、学んでいくのがいいですね。

<間違ってるかどうか、確認する方法>(2006年12月28日)


私はこの通り類稀な「クレーム人間」なので
気付いたらその都度、誰かれ構わずクレームつけてます。
だっておばさんだもんね。
文句ある?

情報誌のお師匠も、たまに私にクレームつけられて
「すみませんでした。」とか、謝ってますわ。
どっちがお師匠なのか上司なのか、わかりませんや。

だって、おばさんもん。
文句ないよね?



さて、絵のリーディングでお世話になってるyumilynさんからも
「もし、自分が間違っていたら」という内容でメールが来ました。
間違うというのは、変なモノをつけてしまうことも、含まれています。
実際、ヒーリングやエネルギー伝授を仕事にしている人で
「とり憑かれている」人がいるんですよ。

これはヤバイ・・・ここで、そのサイトを紹介はしません。
それこそ「同波長の法則」を胆に銘じて、サイト巡りをしてください。
そりゃ誰でも変なサイトには、行ってしまうでしょう。
でも、異波長なら大丈夫です。

異波長なら「そこがつまらない」からです。

面白いのは「同波長」だからです。

要するに自分がしっかりして、意識を高く持っていれば大丈夫なのです。


yumilynさん曰く

私の事も、自分でみていますが、又ほのみさんやオレ様から、Yumilynはおかしいと
言われたら、私にも教えて下さいね。 注意します。

それに対する私からの返事。

◆常に祈っていて。
 
  そうだなぁ・・・龍神に祈る。
  「私が間違っていたら、教えてください」と。
  間違うと、いろいろと不都合が起こるよね?
  それで、確認することね。
  私は既にやってるよ。
 
  やってるったって、別に何もしない。
 
  ただ、自分が何かを言ったりしたりした後、
  それが間違っていたら、教えてくれ、と念じる。
  もし、間違っていたら、不都合が起きて教えてくれるからさ。
 
  これは、別に念じなくたって、誰でもそう。
  間違っていれば、間違った反応が来るよ。
  だから大丈夫。

自分で自分がおかしいとわかるうちはおかしくない。
本当におかしくなると、自覚出来ないのです。
例えば、通常ならとてもしないようなおかしなことをしてても、
それを「おかしいと思わない」どころか、得意になって吹聴する。
これはおかしいw

そんな時のために友人が居てくれると助かります。



私が卒業した中学校に纏わる話しをしましょう。
ある地方都市の繁華街にあるその中学は、保護者の職業の9割が自営業。
親の気風(自立)がそのまま子供に現れたような学校でした。
私が通った学校の中で一番バカバカしくて面白かったです。


<勘違い男>(2006年12月28日)


中学時代の話しです。
このことがあってから20年以上経って、関係者から聞いた話。

当時、とても可愛い女の子、H子がいました。
目が顔の1/3くらいあって、小柄でマンガに出て来るような
可愛い子です。
しかし、性格は悪く同性からは嫌われていたようです。
私は同じクラスになったことはなかったので
正体は知りませんでしたが。

でも、可愛いので彼女を好きな男子は居たようです。
その中にF島という、「猿の惑星の軍人」のような奴がいました。
このF島、H子を好きになった。
それで、自分の友人A沼に相談しました。

このA沼は大変、モテる男でした。
同級生は勿論、下級生からも上級生からもモテていた。
外見はどうってコトないのですが、とにかく頭が良い。
勉強が出来るだけではなく、頭の機能が良い。
スポーツ万能、ユーモアたっぷり、気が強く女には優しい。
これでモテないはずはありません。

ナニを血迷ったかF島の奴はA沼にある計画を打ち明けた。

F島「オレ、H子を(体育)部室の前に呼び出して告白するから
   オマエ、証人になってくれ。」
A沼「ああ、いいよ。」
F島「それで、その時、H子がオレのことを断ったら
   引っ叩いて、グっと来させようと思う。」
A沼「えええっ?それは止めといた方がいいんじゃねえかぁ?」
F島「ドラマでよくあるじゃねえか、それをやろうと思うんだ。」
A沼「止めといた方がいいと思うけどなぁ。
    第一H子は性格悪いしさぁ。」
F島「いいんだよ、オレが好きなんだから。」


と、いうワケでF島はH子を部室の前に呼び出しました。
”証人”A沼は部室の二階の窓から様子を見ていました。

F島「H子、オレ、おまえが好きだよ。」
H子は、それを聞いて鼻でせせら笑いました。
H子「ふん!」
すかさずF島がH子のほっぺたに平手打ち。
バシっ!
H子は大きな目に涙を溜めて一言
「オマエなんか死んじまえ!」
F島、本気で泣きそうになっていたそうです。
部室で必死に笑いをこらえるA沼。






この話し、”事件”から20年後に「A沼」から聞きました。

F島さぁ・・・おまえがモテないのは顔がゴリラだからじゃないな。
頭がゴリラだからだな。

<毎時間屁理屈>


同級生にK沢というのがいました。
頭も成績も良かったけど、何故か国語の時間になると
国語の教師(50代のおばさん)に、
屁理屈を言って困らせていました。

三年生なので受験を控えているのに、
国語の授業は毎時間K沢によって乗っ取られていました。

とにかく学習内容について、屁理屈の限りを言うのです。
それに対して国語の教師は優しく諭したり
ムカつきつつ説教したり説明したり、
攻撃をかわしたりして、一時間が潰れました。

これが毎回続くのです。

他の生徒はというと、(また始まった)という感じで諦め顔。

これが半年も続いた頃、とうとうF島がキレた。

F島「K沢!オマエいい加減にしろよ!」
他の男子生徒もそうだそうだと、参戦し、混戦状態。

そういう学校でした。



今、思うとK沢君はこのおばさん先生のわからなさ、
俗物ぶりが嫌いだったので、突っ込み入れてたのだと
思いますね。

よく家事も子育ても一生懸命やってるのに、子供に異常な
反抗をされているお母さんがいますが、それもこれと同じですね。

<同窓会>


卒業してから20年ほど経ってから同窓会がありました。
一人一人近況報告をします。

N田という体格だけは良い奴が自分の近況を語ります。
どうも、N田の姉の子供が通ってる小学校の担任が
ダメな奴らしい。
姉の子は担任のせいで気の毒な目に遭ってるらしい。

N田は姉から聞いた話だけどと、
散々その担任の悪口を言った挙句、ある同級生に向かって

N田「それで、その担任の苗字がW辺ていうんだけど、
    W辺、オマエのことか!」
W辺「ええええええええええっ? 
    お、おれじゃね=よ!」
N田「本当だな?」
W辺「ほ、本当だよ!オレ、そんな学校知らねえよ!」
N田「そうか・・・・。」


命拾いをするW辺。

N田君はいったい何をするつもりで同窓会に来たのでしょう?

<ドカタ>


ドカタって入力しても出ませんね、差別用語なんでしょうか?

W辺ですが、同窓会で私のそばへ来て嬉しそうに
「オレ、大学出てからドカタやってたんだぜw」
と、言いました。

高学歴なのに肉体労働していたオレ・・・ってのが自慢なのだろうか?

すかさず
「はあ?
そんなの、大学行かないでやってる方がずっと偉いじゃん!」

突っ込み入れる私。
(あああっ、意地が悪い!)

W辺が言いたいことはわかるけどね。

W辺、いい奴です。

<独立個人>


A沼のことです。

A沼は大変個性的なので高校生になったら
ある教師から嫌われてしまったそうです。

授業中、その教師がA沼をあからさまに差別したそうです。
教師「A沼、オレはおまえが大嫌いなんだよ。」
A沼「先生、そんなコト言わないでくださいよぉ。」


最近どこかの中学校で担任からタチの悪いふざけをされて
それにバカな生徒達が同調した結果、その子が自殺した
事件がありましたね。
どこにでもいるんですね、そういうバカ教師は。

生徒の方が大人ですわね。




さてA沼も大人になり、結婚して子供が生まれました。
或る時、小学校の運動会でリレーの選手決定があり、
俊足だったA沼の子供もやはり俊足で、選手に選ばれたらしい。
それについて、同級生の親で近所に住んでいるある女が
自分の子供が選手になれなかったのが悔しいらしく、
運動会の当日
「ふん、A沼の子が走るよ。」と周囲の主婦仲間にほざいたらしい。
周囲もそれに賛同している様子。

大変、低次です。

それを聞いたA沼、カチンと来た。
それからはその主婦どもが挨拶しようと何をしようと
一切、会話もしないし顔も見ない完全無視を決めた。

普通は「我が子が苛められたら嫌だから」妥協するところですが
そういうことはしない奴なのです。

とことん無視をしているそうです。

A沼、凄い。
周囲がどうあれ、自分の気持ちを押し通すこの強さ。
それでいて、彼は大変気配りが出来て優しく面白いのです。
凄い男です。
こういうのを
「独立個人」と言います。

<授業中>


中学時代の話し。
さてA沼は大変ひょうきん。
地図を指差し級友に質問します。

埼玉県秩父地方を指して、
「ここはどこ?」
級友は
「秩父?」
するとA沼
「ちちぶさ〜w」


乳房って言いたいらしい。

お茶目♪




また、前の席の女の子のブラジャーの背中のひもをつまんで
はなしてパッチンとさせては遊んでいる。
それをされて、私のおとなしい友人Z子ははにかんでA沼の方を
振り向いていたそうです。
これは20数年後にA沼から聞きました。

さらに私にもA沼はそれをしていたそうです。
こっちは全然覚えてません。

A沼「それがif さんの場合は、パッチンすると
    Zさんと同じく振り返るんだけど、その時の顔が

    この世のものとは思えないほど恐ろしい形相
    だったんだよね。」
ですと!
わっはは!

覚えてませんやね。



でも、性格ってのは変わりませんやね。

<バカ医者>


町医者も沢山いた地区なので
そこの子供が医師になっています。

ある時同窓会で、ある同級生の悪口を皆で
言って盛り上がったそうです。
ああ、そいつなら私も恨みがある。
一緒に悪口に参加したかった!




そいつTは耳鼻咽喉科の医師。
一度休日診療に子供を連れて行ったら、Tだったのでちょと驚く。
それならいいが、このバカ医者は待合室で子供が
耳が痛くて泣き叫んでいたら、診察室から
「ちょっと静かに」してくれよ!!!」と吼えた。



大いに呆れました。
うるさくて診察に差し支えるなら、防音装置つきの部屋を
作れ、このバカ野郎。

大変ムカついたので私は、おとなしい友人Zに
ある計画を持ちかけました。

私「ねえねえ、Tの野郎の医院の噂して嫌がらせしてやろうよ。」
Z「え?どうやって?」
私「例えばさ、人が沢山集まる銀行とかスーパー・マーケットで
   あっちとこっちで遠く離れて、アタシとあんたが会話する。
   会話の内容は
   『ねえねえ、○○医院て知ってる?』
   『え?××町の?』
   『そう、耳鼻科の○○医院。』
   『知ってるけどどうかしたの?』
   『ああ、あそこには耳に穴の開いた患者が沢山いるそうだ』
   『ええええっ!何それ、怖〜い!』
   『それから患者の中には死んだ人もいるんだって!!!』
   『うわ=っ!そんな怖いよぉ!ナニ医院だったっけ?』
   『××町の○○医院だよ!』
  こんな感じで噂話しをする。」
Z「でもなぁ、ウソを言ってはいけないと思う。」
私「ナニがウソなものか。
   だって、耳に穴が開いてるのは当たり前じゃない。
   ほら、アタシだって耳に穴が開いてる。」
(勿論通常の耳の穴のこと)
Z「えええっ?あはっは!」
私「それに、患者の中には年寄りもいるから、耳の病気とは
  関係なく、そりゃ死ぬだろ、寿命でw
  ○○医院の治療が原因で、なんて一言も言ってないし
  大丈夫だよ、やろうよ♪」




いいアイディアだったんですけどね。
Zが善人過ぎたせいかまだ実行していません。

<カバ>(2006年12月28日)


上の記事に出て来た国語のおばさん教師のあだ名は
「カバ」でした。
顔が似ているからです。

いい先生だったんですよ。
でも、いまいち物事がわからない人でした。
仕方ないかな、教師だから。

でも、中学生はそんなこと容赦しません。

或る日、そのクラスの男子生徒全員で、このセンセイが
教室に入って来て、「礼」をする時、皆で一斉に
「カバ!」と言おう、と決めました。

さて、国語の時間になり、センセイが入って来ました。
皆で一斉に




「カバ!」



と叫んだのは、N村一人だけでした。

他の生徒は皆裏切ったのです。
(オレ一人くらい言わなくてもみんなが言うだろ)と。

可哀想に一人で正直にカバ!と言ったN村だけが
センセイに叱られました。
笑いをこらえる他の生徒達。
その彼はその後
「穢ねえなぁ!」と、皆を恨んでいたそうです。



正直者がカバを・・・いや、バカを見るなんて
あってはならないことです(くくく・・・笑)

このN村は、野球部で投手、背は高めで眉目秀麗。
あのハンカチ王子の100倍も格好良かったです。
成績は中の下くらいですかね。
いい奴です。

<モテ男1>


モテモテの男子生徒K村がいました。
成績優秀、性格温厚、必ず学級委員に選ばれる奴。
でも腐ったトマトのような顔していたので
私は嫌いでしたがね。。。
あ、かなりハンサムです。
だからモテたんだろうが、私の趣味ではない。

或る日、そのクラスの
女子生徒の殆どがK村の
筆箱だか上履きだかを隠して鬼ごっこしていたらしい。
K村は腐ったトマトのような顔を真っ赤にして
困って(本当は嬉しいくせに)いたそうです。



嫌いだ。



K村も、女どもも。

他の人にいくらモテようと、私は嫌い。
理由?ないですよ。
好き嫌いに理由などありませんや。

あ、強いて言えば真面目なだけでつまらない奴だから。

<モテ男2>


T雄ちゃんと呼ばれていた男子生徒がいました。
身長は低いが目がクリクリしていて可愛い顔。
(99のオカムラにちょっと似ている)
この彼はスポーツ万能、成績優秀、性格は単純で男らしく
この彼は皆に人気がありました。

私は体育が苦手でしたが、陸上競技会みたいなのがあり
「一番距離の短い種目」に出場することにしました。
それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80mハードルでした。



なんてバカだったんでしょう。



(今もだけど)



ハードルなんて実は「跳べません」でした(泣

マジ困った私をT雄ちゃんは
「大丈夫、跳べるよ!」と励ましてくれました。
そしたら本番で跳べました。

昔はこのように男らしい子がいたものです。
今も居るかな?

<モテ男3>


Y木という奴がいました。
こいつは小学校時代からモテモテでした。
私に言わせれば「とんだバカ野郎」ですわ。

私が或る日教師と喧嘩した際、
学級委員の職務をまっとうしようとしたのか
この私に「謝れ」などと差し出がましいクチをきいたくらい、
嫌な野郎です。


オメーには関係ないだろうが(怒


中学校を卒業して20年ほど経った頃、こいつも同窓会に
来ていましたが、隣に座ったのでちょっと話しをしてみたら
つまらない。

何を質問しても、「はい。」と「いいえ。」など
単語しか返って来ない。

私は反対の側に居た同級生(女)に

「なんだ〜こいつ、つまらない野郎だ=」
聞こえるように言ってやりましたが、
こいつはバカだから自分のことだとわからなかったでしょう。

こいつは国際線のパイロットになったらしいが、
会話がつまらない男など何の価値もないな。
あ、私にとってはね。

無口だっていいんですよ。
受け答え、合いの手が巧ければいいんです。
お喋りじゃない方がいいんです。

こいつは失格!




思い返せばこのY木。
小さい頃から人気者でした。
女子児童に好かれて騒がれていました。
私は「一度も良いと思ったことがありません」。

何故かな〜って考えてみたら、こいつは所謂「良い子」だった。
大人が望むことを率先してやるので、教師からも受けが良かった。
頭の先が働くので「良いこと」というのを知っていた。
そしてそれを実行する実力があった。

それだけです。

周囲にいる、目に見えることしか見えない連中には
「それで充分」だったのでしょう。

では、何故私がこいつを認めないか?

今思うと当時から「物事や人物の本質を見抜いていたから」
だとしか、言いようがない。
たとえそいつがどんなに人気者だろうと、
他人の評価より自分の評価を優先させていたのですね、
当時から。

私が教師とトラブった際のY木の「if 謝れ。」という
物事の本質など微塵も理解せず、上や周囲の受けだけを
狙った言葉に私は当時バカながらも何かを感じて
反発したのでしょうね。

あ、バカでも、感受性の感度の良さってのはまた別なんです。


自分の気持ち(だけ)に素直に正直に生きていると
そこらへんの感覚が鋭くなるのです。
誤魔化して生きていれば、感受性はどんどん鈍り、
このY木のようになり下がります。

世の多くの人・・・勿論、子供も、目に見えるモノ(成績など)
しか見えない。
だから、そういう連中に受け入れられるのは「その程度」の
奴なんですよ。

Y木の胡散臭さを感じながらも、何たってこっちは
頭が悪いんだからさぁ・・・理由を言えないわけですよ(悔
理路を整然とさせるために教育があり、
その教育を受けている最中なんだから言えるわけがないんです。

で、このY木のように、同級生より一歩ほど
先んじていればそれだけでクラスのスターになれるのでした。

子供時代のヒーローなんてその程度ですよ。

本物の男はゆっくり成長します。

師匠のように(ぶわっはっは!

(いやぁタイちゃんもね、親から半分以上見離さ・・・
 おっとぉ・・・いけねえいけねえ、危うく喋っちまうトコだった)

<K田君>


小学校からの同級生です。
男子の(低脳)グループの一員だった・・・・
でも、20年後に再会したら親のあとを継いで
恰幅の良い立派な社長さんになっていました。

あの、K田が?
オマエ、本当にK田か?

変貌ぶりに皆が驚いた。

K田君は金持ちらしくニコニコしていました。
バカはバカでも風格あるバカに成長していたのです。

成績はY木とは月とすっぽんだけど、
人間性ではK田の方がず===っと格上だ罠。

男子はこうありたいものよ。

<S井君>


小学校時代、男子生徒の(低脳)グループがありました。
S井君もその一員。

※当時のクラスでは、学級委員をやるような、成績優秀な男子の他に
  休み時間になると、ほうきとハタキと塵取りを持って
  当時流行っていたグループ・サウンズの真似をしては
  皆を笑わせていたおバカな連中がいました。
  当然、私はこっちの方が好きでした。

そのS井君が、県内一の進学高に入ったと聞いて
(S井、よく入れたなぁ)と、感心したら
三年後にS井は東大に入りました。



えええええっ?
何だ、あいつ頭良かったのかい?



人は見かけによらないものです。
S井君は性格が良く平凡で、決して目立つ子ではなかった。
生徒会長とか学級委員とかそういうものになったことがありません。
でも、実力があったのです。
活発で同級生よりちょっと大人になるのが早い子は
目立ちますが、S井君はひたすら地味に、皆と仲良く
過ごしていたのですね。

いい奴です。

<総じて>


小学生時代は、早く生まれた子が遅く生まれた子より
早く大人になるので、他を圧倒します。
「早生まれ」(1〜3月生まれ)の子が、同級生に追いつくのは
中学二年生だという研究結果もあるそうです。


小さい頃は具体的なことに得てている子、成績の良い子、
体育が巧い子、活発な子がどうしても注目を集めますね。
それが中学に入ると、成績の良さに加えて
リーダーシップがある子が注目を集めますが
やはり具体的なことに得てている子が有利です。
この頃はまだ哲学とか抽象的なことに対する適性などが
たとえあったとしても、それを発揮する場がないのです。

人間の真価は小さいうちはわかりません。
むしろ小さい頃はダメで地味だった子ほど、
大人になってから能力を発揮しているように見えます。

小さい頃の秀才はだんだんただのつまらない奴
になっていきますね、Y木のように。
長い目で子供を見ましょう。
あなたのお子さんがたとえダメでも
大器晩成と思って気長に育ててくださいね。
ウチもそうしてます(泣



<クイズ!>
(クイズは終了しました)


さて、ここでクイズを出題しますね。

上に登場した男子生徒の中で
◆私が好きだった人
◆私を好きだった人

がいます。

さて、それは誰でしょう?

回答はBBSに書いてください。



◆F島=勘違いゴリラ
◆A沼=学校一のモテ男、独立個人
◆N田=身体は凄い水泳部
◆W辺=性格良い大卒のドカタ
◆K沢=理屈屋の柔道部
◆T=最低耳鼻科
◆N村=「カバ!」と叫んだ野球部エース
◆K村=トマト顔の学級委員
◆T雄=人気者の陸上部
◆Y木=つまらないパイロット
◆K田=低脳グループから社長に
◆S井=地味な東大



正解者にはパワー入りストラップ
を差し上げます。
(こんなくだらないクイズに賞品出ます)

ふるってご応募ください。
なお、一度しか応募出来ません。

期間は1/15までとします。