人間のいろいろ 5



記事は上に追加されます。


<セッションはヒント>(2007年7月24日)


「書く行」を始めたTさんとの会話。

書く行してないと気付かなかったかもしれない・・・=_=;
だらだらしょーもないことを書いていますがそれにも意味があるように感じました。


「書く行」すると、潜在意識が表に出てくるので、問題が解決して行きます。
気長にやることです。

一度のセッションでは、ヒントはもらえるけど、人間は変わらない。

そうなのでした^^;;反省!

どうもありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

書く行、苦しい面もありますが頑張って向き合おうと思います。
とりあえず3ヶ月から始めていますが場合に応じて、可能であれば延長させてもらお
うかとも考えていますし。


>一度のセッションでは、ヒントはもらえるけど、
>人間は変わらない。


名言ですね。大事にとっておきます。

〜で、今週アンジュ先生のセッションだったり。w
過去を振り返るヒントをいただこうと思っています。

感謝、感謝です。!


どんなに良いセッション、鑑定を受けても、それを受け取る側の人間が
わからずやったら、何も変化しません。
なので、受けたセッションから何事かを学べるまでの波動量を毎日の生活から
つけて行くのがいいです。

<平行線>(2007年7月23日)


人間関係における平行線とは
決して交わらない関係。
絶対、一致を見ない言い分。


人には大きく分けると二種類居る、いや、二種類居ない、という風に、
大きく分けると二種類居るようです。
(※便宜上二種類に分けて考えております。
   いや、居ない!と、思う方はこの記事は飛ばしてください)



どういうことかと言いますと、片方の主張を片方は絶対理解出来ない、
受け入れられない、賛同出来ない関係です。
これはざらに見られますね。
事例を挙げてみましょう。

AさんがBさんに「ブログで愚痴など言うものではない」と、忠告しました。
するとBさんはすぐ「わかった、もう愚痴は書かない。」と、約束しました。
ところが、すぐブログが愚痴になってしまう。
AさんはBさんに「ブログに愚痴を書かないと言ったはずなのに、
何故あなたは愚痴を書くんですか?」と言う。
するとBさんは「わかった。」と答える。
しかし、Aさんから見てBさんは何一つわかっていない、と判断出来る。
苦々しく思っていると、Bさんから自分は精進している、進歩している、と
自画自賛の報告が来る。
Aさんは「あなたは何もわかってないのに、何故わかったと言うのですか?」と
言う。すると、Bさんはいかに自分がわかっているかを主張するのです。

でも、それはAさんから見てとてもわかったとか、進歩したとか、
言えるようなものではありません。
Aさんから見ればBさんは何もわかってないのに、わかったという、
悪く言えば詐欺師、良く言えば自分に甘い人です。
そこを指摘するが、Bさんにはワケがわかりません。
Bさんとしては自分はこれでもわかって来た、のですから。

で、AさんはBさんに「あなたは何もわかってない」と指摘します。
するとBさんは「いやわかってます」と、答える。
AさんはBさんに「いや、全く何もわかってない」とさらに指摘。
Bさんは自分ではわかっているのに、何でAさんが自分に
「あなたはわかってない」などと言うのか理解できない。



これが平行線です。

Aさんが言う物事がわかることは、「本当にわかること」なのです。
客観的に見て、私情を排除しても、誰が見ても「わかった状態」を
「わかった」と認める。
しかし、Bさんは自分がわかったつもりになっていることを「わかった」状態だと
言っているのです。
Bさんにとってはそれでも充分「わかった」ことになるのです。
意識としてはBさんはそれ以上の「わかり方」がわからない。
なので、傍から見たらわかってなくても、それがBさんにとっては「わかったこと」
になっている。



AさんはBさんにその点をわからせようと奮闘努力しました。
結果は「全くわかってもらえない」に、落ち着きました。
逆恨みもされたようです。

さて。
皆さんはどちらの立場に賛成しますか?
◆本当にわかることを「わかる」と言うAさん。
◇わかってなくても自分の意識ではわかったのを「わかる」というBさん。



次は数年前、戦時下のイラクに普段着で一人で「遊びに行った」青年。
彼を巡って掲示板で賛否両論になりました。

◆戦時下のイラクに物見遊山で出かける人が悪い。
◇それはわかるが、彼は悪くない。悪いのはイラク人だ。
◆それはわかる。一番悪いのは殺したイラク人だ。
  しかし、彼は戦時下の国にのこのこ出かけて行くという
  無謀なことをしたのだ、彼にも責任はある。
◇それはわかる。彼だって、悪い。でも、一番悪いのはイラク人だ。
◆それは当然だ。しかし、彼にも責任はある。
◇それはわかる。しかし、悪いのはイラク人だ。彼を責めてはいけない。
◆いや、誰も責めてはいない。
  彼にも責任がある、と当然至極のことを言っているのだ。
◇彼にも責任はあるだろう。
  でも、もう死んでしまったのだ。
◆いや、そういうコトを言っているのではない。
  死のうが生きようがこの際、関係ない。
  彼に責任があるかどうかを論じている。
◇あなたは彼を気の毒だと思わないのですか?
◆そりゃ気の毒だ。
  しかし、この場合、気の毒かどうかではない、
  誰に責任があるかを論じているのだ。
◇責任なんかどうだっていいじゃないですか。
  同じ日本人が殺されたんですよ!
◆日本人だろうが、アフリカ人だろうが、これは関係ない。
  戦時下の国に遊びに行くことの是非を論じている。
◇気の毒だと思わないんですか!
◆殺されたのはたしかに気の毒だ。
  しかし、そうなる原因を作ったのは本人だ。
◇それがどうしたって言うんだ!
◆何を感情的になっているのかね?
  ここは「原因と責任の所在を明らかにするスレッドではないのかね?
◇原因だとか責任だとか、そんなものはどうでもいいんだよ!
  無実の人が一人殺されたんだよ!
  あんたはそれでもいいと言うのか!
◆私は最初からこの件に関して「良い」などと発言した覚えはない。
  ただ、原因と責任の在り処をはっきりさせようとしているだけだ。
◇◆・・・∞・・・


キリがないので止めますね。
これが平行線です。
お互いにお互いの立ち場に立ち、一歩も譲りません。
こういうコトは日常的に起こります。

心が立つ、立ち場が違うのです。
心が所属する「霊界が違う」と言えます。
お互いに理解不能であります。
一緒に居ればお互いに消耗するだけ、何も生み出しません。
不毛です。


これに陥ったらいち早く(ああ、∞ループに陥ったな)と悟り、
早めにリタイアすることです。
そして家族関係でない関係なら、断ち切るのが利口でしょう。




さて、上のAさんとBさんの事例ですが、Bさんは何をどう言っても
Aさんから「あなたはわかってない」と言われてしまうので、困ってしまった。
Bさんが言うべきことはただ一つ。
「はい、私はわかってません。」と、言うことです。
しかし、Bさんは自分ではわかっているつもりなのです。
これが問題。

Bさんが「自分はわかってないのだ」と、たった一つわかれば、
∞ループはなくなるのに。

こんな簡単なことすらわからないBさん。
やはり「何もわかってない」ひとなのだと、言わざるを得ない。

<平行線事例1>(2007年7月24日)


Aさんの体験談です。

平行線のはなし。
 
 
私も家族と同居していた独身の頃は、家族と平行線でしたねー。
もう、うんざりです(笑)
 
 
昔、MCハマーが流行っていた時、
コント赤信号の小宮が、「MCコミヤ」とかいって ハマーの真似をしてTVに頻繁に出てました。
 
 
私は、「せっかく芸人になってTVに出られるのに、
人のマネで食っていくなんて切ないだろうなぁ」と言ったら
母は、「 TVに出られるだけいいじゃない 」 と。
 
私「いや、そうじゃなくて、芸人として一人前に、自分のオリジナルの芸で
  スポットライトを浴びたいに違いない」
 
母「 いいじゃない、有名になれるんなら、なんだって」 と。∞ですよ。
 
 
物まね芸人として一流の方もいらっしゃると思いますが、
コント赤信号ですよ。モノマネで出てきたグループではないと思うし
当時はリーダーばかり目立ってましたからね。
石井さんはどうだったか覚えていませんが、小宮だって目立ちたいだろうなぁと
子ども心に思いました。
 
 
例えがうまくないのですが、家族(主に両親と) 私は一事が万事こんな風。
本当に平行線でした。
 
 
「心が所属する霊界が違う」 うまい!まさにピッタリな表現!
 
当時は、心ある人には 
「 あなたと両親とは家族だけど、人種が違うと思いなさい」 と諭されました。
それだけでも随分救われましたね。。
 
 
だから、今も私は両親と精神的な話はしません。
上っ面のはなしばかり。。。
この事に関しては寂しくて虚しいけど、自分の選んだ道です。



有りがちですね。
家族にそのようなのがいると、消耗しますね。
早めにリタイアしたあなたは賢明でした。
リタイアとは「こういう話題はしない」ということです。


また「人種が違う」という表現を聞いて
「差別するのかっ!」と、短絡するわからない人がいます。
そうではなく、ただ「違う」と言ってるだけのに理解しない。
そういうコトを言うヒト自らが
◆人種が違う=差別
という思考方法に陥っていることに気づかない。

「違う」という言葉はたた単に「違う」ということだけを表しているのに
それに余計な「判断」「付加価値」をつけてしまう人。
多いのではないでしょうか?

思考するべきところで思考せず(本人は思考しているつもり)感情的になる人。
こっちの方が割合としては多いと思いますよ。

<平行線事例2>(2007年7月24日)


数年前、ウチの次女の大学入試の頃の話。
その時、私は「落ちたら浪人するしかない。」と言いました。
すると主人の母が「浪人は絶対しない方がいい。」と言う。

では、どうしろと?

◆通う大学はない。
◆浪人してはいけない。

では、どうしろと?
この二つの条件をいっぺんに満たすには
◆大学へは進学せず、就職の道を選ぶ。
ということです。
しかし、義母は次女に大学へ行かせたいのです。

???

???????????????????

私  「お義母さん、そりゃ浪人はしない方がいいですよ。
    でも、大学に落ちたら浪人するしかないのでは?」
義母「いや、浪人は絶対しない方がいい。」
私  「では、落ちたらどうするんですか?」
義母「だから落ちないように勉強すればいいのよ。」
私  「それはそうだけど、もし、落ちたらどうするんですか?
    これは落ちた場合の仮定の話ですよ。」
義母「ウチの○○が大学落ちて浪人した時、
    だんだん不安になって来て、余計なことばかり考えていた。
    だから、浪人はしない方がいいのよ。」
私  「それはそうです。
    浪人なんかしない方がいいに決まってる。
    でも、もし、落ちたらどうするんですか?
    浪人しないってことは就職するってことですよ。
    落ちたら大学へは行かず、就職しろってことですか?」
義母「・・・・・・・・・・・・。」

思考停止か?

なんだかな〜。

私は寛容な方ですが、思考力のない人と会話することが一番苦痛です。
義母はとても優しく家庭的ですが、そっちは半分にしてもいいから、
「人語」を解してもらいたい。




この義母、とても良い人ですが、やはり思考力の無さからくる
「言い張り」が多い。
思考しないで、言い張るのです。
爺さん・婆さんは殆どコレです。
論理という教育を受けていないのです。
(※この年代の人が受けた教育は、目上の者の言うこと、お上の言うことに
  無批判に服従せよ、というものです。
  論理性を発揮する輩は非国民、トンデモねえ野郎、はねっかえりとして
  非難されました)

老人の会話の特徴として重要なことは
◆大声で言う。
◆何度も繰り返す。
というのがあります。
人生の中で論理を身につけることがなかった人達です。
そういう境遇に生きて来たことは歴史的な事実であり
この人達の責任ではありません。

しかし。

たとえそのような境遇に育ったとしても、本気なら、
素直なら、脳の機能が良ければ、そこから抜け出し
最低限の論理を身につけることも可能なのです。

平均値から傑出すれば、可能です。
でも殆どの老人は傑出してないので、論理を使うということは不可能ですわね。
(※これは老人の事例ですが、実は全ての年代に言えるのです。
   せっかく戦後教育で論理を教わったはずなのに、
   学習能力が乏しいために、とうとうそれらを理解出来なかった人たちです。
   全ての年代に、論理性無し、の方が見受けられます)

周囲を見ると不幸な老人が圧倒的に多い。
大変気の毒ではあるが、全て己が招いた結果だと言わざるを得ない。

<口をきかなくなる人>(2007年7月21日)


怒ると会話をしなくなる人がいます。
話しかけても無視する人のことです。
こういう人を検証してみましょう。



ウチの主人は結婚してから10年間ほど、怒ると口をきかなくなってました。
そうなった原因を考えてみたら、多分主人の母が
◇口をきかなくなった人に対して、なだめたりすかしたり、ご機嫌を取ったり
  して、育てたからではないか?
と、思いあたりました。
なので、主人は普通の人ですから、
◇自分が育てられたように、無意識・無自覚にふるまう
のです。

これ(クチをきかない)をするその心を見てみれば「大変幼稚」であることがわかる。
言ってわかるものではありません。
こういう行動は、それをする人の身体に沁み込んでいるからです。

ところが女房の私は「ひとが怒ってくちをきかなくなっても、なだめたりすかしたり、ご機嫌を
取る、なんてことは間違ってもしない」ひとなのでありました。
なので、主人はさらに怒る・・・・・ということを結婚以来十年ほど繰り返していました。

或る時、主人がまた怒ってくちをきかなくなったので、私もとうとう勘忍袋の緒が切れまして、
(そうか、わかった。
 それなら私もクチをきくのはやめる。
 言っておくが、持久戦なら得意で御座る。
 そっちが降参するまで一切、クチはきかない)
宣戦布告。
あ、クチをきかないので、布告はしませんでしたが・・・

それからは一切クチをきかず、主人の母が来ても勿論私は主人とは会話しないわけですよ。
主人の母がおろおろしましたが、構いません。

「徹底抗戦」

ビクともしません。
困ったのは主人。
自分の母親に格好悪いところを見せているわけですから。
一週間か二週間か忘れましたが、クチをきかずに過ごしたら、
継続することが面白くなって来ました。
(こうなったら「一生クチをきかなかった夫婦」としてギネスブックに載ってやるぞ)と、
新たな目標まで生まれる始末。

主人は相当参ったようです。
だって、家庭内のことは
◇私は主人と会話しなくても済むが
◇主人は私と会話しないと困る
からです。
主人の見通しが甘いのです。
これでは戦には勝てません。
あ、戦しなくたっていいんですよ。
ご主人を甘やかすのが好きな人、平和が好きな人には勧めませんよ。
私は常に
「根本解決」が好きなだけです。
好みの違いです。



私の母も怒るとクチをきかなくなった人です。
どうも「相手を罰する」のが目的のようです。
私の妹も普通の人なので、無意識・無自覚に「親がした通り」を再現する。

人間は意識化しない限り「親の行動を再現」します。

母がクチをきかないと困るけど、妹がクチをきかなくなっても他の兄弟は
「何ら困ることはない」ということを、妹はわからないw
そこが低次元の低次元たる所以。
放置してあります。

怒るとクチをきかなくなる人の心は
◇他人を罰している
◇自分は悪いと思ってない
◇相手からの謝罪などを求めている
という大変傲慢且つ、幼稚な人間性であります。

勿論
◇思考力無し
であります。

このような低次の人には何を言っても無駄なので、放置するしかありません。
勿論、なだめたりすかしたり、という手段もあります。
使いたい人は使えば良いと思います。



さて。
10年ほど前に主人にクチをきかないで、思い知らせた甲斐があり、
それから主人は怒ってもクチをきかなくなる、ということは殆どなくなりました。
たまに、それが出ることがありますが、そういう時は犬や幼児の躾と同じく
◇主人がクチをきかなくなったら、私も即、クチをきくのを止める。
という対応をしています。

自分がクチをきかない→女房がクチをきかない

この因果関係を何度も体験し、最終的には
(そうか!
オレがクチをきかなくなると、女房がクチをきかなくなるんだぁ!)と、悟ってもらい
態度を改めて欲しいからです。

良く
◇他人を変えることは出来ない。
  変えられるのは自分だけ。

と言いますが、その通りです。

相手に「怒っても会話しろ」と命令することは出来ません。
だったら、「相手がクチをきかなくなったら、こちらもそれを実行し、
それがどれほど不愉快なことであるかを、相手に体験させ、
今後、クチをきくかどうかを選択させる」という手を使うように、私も変化したのです。

◇他人を変えることは出来ない。
  変えられるのは自分だけ。

という言葉は、たいていの場合、「諦めろ」というような意味合いに使われますが
私はこの言葉を拡大解釈、自己流解釈しております。

お陰さまで主人の行動も少しづつ改善されたようです。
何よりウチの子供たちの中で「怒ったらクチをきかなくなる」などという
不愉快な性質を持った子供が一人もいないのは、幸いです。




また、他人の場合。
元の同僚がご主人と喧嘩すると、自分はクチをきかなくなる、と言うので
「それって最低だ。」と言いました。
すると、同僚はご主人に理屈で言い負かされてしまう、怖いのでクチを
開けない、というようなコトを言いました。
そうか、それもあるか。

だったら、理屈を言えるまでに、自分を鍛えたら如何でしょうね?
勉強したらどうでしょうか?
考えたらどうでしょうか?

自分は今のレベルから動かず低いままでいて、「その場所」で抵抗する。
これもかなりな低次元です。
素直さ、謙虚さ、向上心、思考力がない。

しかし、ほとんどの人はこのレベルです。
ど=しょうもないな、と思います。

この人はとても良い人で、常に他人のためにやってましたが裏目に出ていました。
それで愚痴を言ったり怒り狂って文句の電話をかけたりしていました。
被害者は知ってるだけでも3人います。
何の罪もない3人は凄くショックを受けていました。

言いたい放題言ってる私にも当然文句電話が来るかな?と思って待機していましたが
(応戦準備完了!)
とうとう(核弾頭ミサイルは飛んで)来ませんでした
ありゃ肩透かし。
せっかく迎撃準備してたのに。




(2007年7月22日)

この記事を読んだ方からメールあり。
奥さんと喧嘩すると、奥さんがぎゃあぎゃあまくしたてる。
奥さんに説明をしても理解しないので仕方なく「黙る」ことにしている、
という内容でした。
そういうケースもありましたか!

まぁ、言ってわかる相手ではない場合、しょうがないでしょう。
暴力を振るうよりはいいです。

<鏡の如く>(2007年7月21日)


さて、上の記事は「相手を変えることは出来ない、こちらが変わるしかない」という
私流解釈の実例でしたが、ここのご紹介するのは、通常使われている意味の実例です。
閲覧者のRさんが送ってくれました。




ムカつく婆さん=「自分のやり方」を貫き通すサヌキ婆さん
と、
お店の押し付け善意サービス
の話です。
 
(覚えていらっしゃることを前提に話を進めてしまう私・・)
 
今日、久々にこの婆さんのレジをやりました。
店に入ってきたときすでに気付いていたのですが。
「あぁ〜あの婆さん、久しぶりじゃん。」
今までならこの時すでに心の中は、
「めんどくせぇんだよなぁ。またビニール袋どうこう言いやがってよぉ。」
とかなんとか、イヤァ〜な感じが渦巻いていたのですが、
今日は
「お!あの婆さん!」
という程度でした。

で、レジで婆さんの番になったとき、
「いらっしゃいませ。」
そしてこともあろうに笑
「こんにちは〜」
とか言っちゃってんですよ!私!笑
で、また、ビニール袋うんちゃら言うのはわかっていたのですが、
それでも最初から最後まで婆さんの言っていることを聞いていたんです。
「この袋でよかったでしたっけ?」
とか言いながら。
で、私は言われるままなにもせず、金銭の受け渡しのみやりました。
婆さんが希望したからです。

その後も相変わらず
レジでそんなに急かすのは一体なんだったのか?
というほどトロトロと袋づめを(なにやら別のお店で買ったものを入れなおしたりしている?)
していたのですが、
それも関係ないことなので別の作業をしていました。
ここでも今までだと、
手伝わない声も掛けないのは一緒でも
心の中は婆さんの方へ意識が向いていたのです。
(絶対手伝ってやんないよ。とか←嫌な奴)
でも今日は全然そんな気はなくて、普通に仕事してました。

すると、
婆さんの方から話しかけてくるではありませんか!
いえ、手伝え、とか、そんなのではなかったのですが。
世間話みたいなのをしてきたんですよ!
今までそんなことなかったんでびっくりしましたよ!
で、普通にお話しました。
いつもレジではお互いイライラしてるのがわかるくらいだったのに笑
 
こんだけのことなのですが、
なんだかすごい気分良かったです笑
 
いつもこういう感じでいられるといいなぁ〜と思いました。


<天変地異>(2007年7月16日)


師匠の情報誌INTUITIONの最新号のサンプルを載せました。
サイト「INTUITION」→「購読するには?」→「INTUITIONサンプル3」
です。
面白いです。
最新の90号のタイトルは
「衝撃に備えよ」でした。
そして、今日、新潟地震。
あまりにもタイムリーなこの時期に現地在住の読者からメールが来ました。



アセンションから遠い場所で天変地異・・・

ぎゃふ===ん☆

あ、ああ、それは気にしないで・・・(汗
そおいうコトもなきにしもあらず、というような感じで・・・


面白かったス!情報誌。
友人に見せてもらった時はチンプンカンプンでしたが、
ちっとはワタクシのノーミソも「面白い!」と感じられるようになったのですか
なぁ?

情報誌が面白い人とつまらない人がいるようです。

やぁ、今回特別面白かったってのもあるのやもですなぁ。
ifさんが公開を進言したほどですからねぇ。

師匠は、私が「ねえねえ、サンプル載せましょうよぉ!」って言わないと
何もしないお方なので・・・


いやぁ、ありがたかったス。

年に一度サンプルを載せてます。
来年をお楽しみに♪

<「言い方が悪い」というヒト>(2007年7月15日)


私の「言い方が悪い」、キツイと言う方がいます。
さて、「言い方が悪い」という言葉の中身を検証してみましょう。
断っておきますが、言い方が悪いと非難されたので怒ってるワケではありません。
呆れているんです。

「言い方が悪い」という言葉の意味は
「同じコトを言うならもうちょっと優しく言えないものか」ってことですかね。
答えは・・・「私は優しくないので優しく言えない、言う気がない、言う必要がない」です。
以上。

他に、「言い方が悪い」という言葉の意味としては
「論理的ではない、ワケわかんない」というのもあります。
これならわかる。
まず、論理が通っていることが重要です。
ワケわかんない語り方をされると、私も困る、理解出来ない。
しかしこれはこの記事には関係ないので、除外します。



「言い方が悪い」という人に対して私が呆れるワケを書きます。

まず、第一に
他人に「言い方が悪い」と言うヒトは多分、自分では「言い方が良い」のでしょう。
それは結構なことです。
これからも「良い言い方」を推進してくださいね。

それと、「他人に良い言い方をしろ」というのは別問題です。
自分が良い言い方をしたいならすればいいし、
他人が悪い言い方をするのはあなたには関係ありません、ね?
自分がこれをしているのだから他人もしろ、という論理は「どこにもありません」ね?

もし、「良い言い方」をしたいなら自分ですれば良い。
他人に強要するのは僭越ですね?
善人は自分がしている良いことを他人がしないと非難するのでタチが悪いのです。
(自分が良いことをしていても他人に強要しない本当の善人もいますよ)

これは「言い方」に限らず全ての点で無意識にしているので、
大抵善人の方は「常に周囲に不平不満を抱き、心はヂゴク」に陥っています。
気の毒です。



二番目に「言い方が悪い」という他の側面は、
そういう言葉を発する方の心に、私は「何さまのつもり」というのを感じます。
「いったいどこまで不遜を続ける気だ?」です。
何さまの私でも太刀打ち出来ないほどの何さまぶりです。
自分に対し、こういう言い方なら聞いてやるが、そういう言い方なら聞かない
受け入れないぞ、みたいな。



三番目にどういう言い方であれ、言ってる内容は同じですよね。
内容が同じなのに何故、瑣末的な「言い方」などに拘るのでしょう?
一番大事なのは「言ってる内容」であって、「言い方」は二の次のはずです。
これを本末転倒と言います。
「言い方が悪い」などと言う人が本末転倒に陥っているのは、個人の自由なので
構いませんが、本末転倒を他人に強要するのは問題ですね。

まだ他にもあるかもしれませんね。
頭の良い人がきっと私の代わりに考えてくれるでしょう。



結論を言いますと
「『言い方が悪い』という言い方をする人が悪い」です。
これは私の意見ですよ。

さて、他人に言い方が悪いと指摘する方が読んだらブッ飛ぶ事例を挙げます。

ちょっと前に私はある方にこう言いました(実際はメール)。
「あなたには低級霊が憑いてます。」
するとその方はその言葉を素直に受け止め、みちるさんのプチ・ヒーリングを受けた際、
「私に低級霊は憑いてますか?」と、訊いたそうですw
そしたらみちるさん、
「はい、憑いてました。
でも、さっき浄化しときました〜♪」と、答えたそうです。

これは憑いてた方が私に報告してくれました。
低級霊が憑いたら、
◆理屈で説明(説得)して、本人に自覚させる
◆外部からヒーリング
両方しないと取れないような気がします。

この方は両方することが出来たので、とりあえずは取れたようです。
しかし、本人に思考力がないとこれからも誤解をしたり、物事を悪く受け取って
また低級霊をつけてしまう(意識が低下する)ので、定期的にヒーリングは必要でしょう。

さて、私はこの方に単刀直入「低級霊がついてます」と指摘しました。
こういうのを「言い方が悪い」と感じる方は感じるでしょう。
ではこう言えばいいのでしょうか?

「あのぅ・・・大変気を使って申し上げますが、貴方様の周囲というか、すぐそばにですね、
密着した形で、憑・・・でなくて、何と言うか、『居る』ようなので御座います。
そんな気がしてなりません。
ただの紀憂、勘違い、思い過ごしに思い込み、私メの妄想なら良いので御座いますが、
・・・・・・・・・あ、いや!決して悪いモノではなさそうな、今のところ
正体は掴めておりませんが、もしもですよ、万が一それが『悪いモノ』で
有る可能性が無きにしもあらず、、、、かもしれませんので、念のために
ヒーリングを受けることを、老婆心から伏して、十重(とえ)の膝を二重(はたえ)に
折り曲げまして、平に平にお願い申し上げる所存にて候」

これでOK?

上の記事、大変言い方がキツイです。
なので、さぞかし反論が来ると思ったら
反論は1通、賛成が9通来ました。
まぁ、反論な人は黙っているだろうから、数ではわかりませんが。

でも、思うんですよ。
上の記事を読んで気分が悪くなる方には
PANDORAはお勧めしません。
読むのは自由ですが、
気分が悪くなっても自己責任でお願いしますね。



<「言い方が悪いと言うヒト」を読んでの感想1>
(2007年7月15日)


Ifさん

<「言い方が悪い」というヒト>(2007年7月15日)
読みました。

変だと思うことがあります。

それは、
Ifさんからその方に質問等メールをしたわけではないと思うのです。
Ifさんが忙しい中、返事をなさったのだと思います。
それは、親切でなさったことだと思います。

見ず知らずの人なら、放っておいてもいいことですから。

意見を求めたなら、
どういう返事が来ても仕方がないと思うのですが違うのでしょうか。

まして、HPをご覧になって内容を読んでのことならなおさらと思うのです。
私は、HPを開いて「違う」と感じたら、間違ってもメール等、書くことはしませんが、

勘違いの低次元の善人・・・するかもしれません。
私がそうだったので解かります。

きっとその方、無駄な時間をたくさん使っているのでしょうね。
私は、そっけないほどシンプルな生き方を教わりました。

よかったと感謝しています。

Ifさん、
私ときどき言われます。
「言葉がきつい」って。

そうかな?と思うのですが、
はっきり、「飾りなし」で言わなければならないときってあります。
そういわないと判らない人がいます。

自分でも「声が怒ってる」って感じる時があります。

Ifさんが、どれほど親切かということ、解かります。
親だってこんなに教えてくれませんでしたから。

私は、もっと学びたいです。
感謝しています。

Fさんからでした。
Fさんの言い方がキツイなら、人間の9割はキツクなってしまいます。

この場合のキツイという意味は「装飾語がない」というほどの意味ですかね。
Fさんに「言い方がキツイ」と言うヒトは装飾された美辞麗句が好きなのかな。
「巧言令色少なし仁」という言葉があります。
君子にしか理解出来ない言葉です。
※君子とは中国の歴史用語で人口の1%より少ない人たちのこと。
  多くの人は小人(しょうじん)と呼ばれ、人間とは看做されてないようだ。

<「言い方が悪いというヒト」を読んでの感想2>


ifさん
 
おはようごございます。
<「言い方が悪い」というヒト>読みました。
笑ってしまいましたよ。
 
私はifさんの 言い方 は全く気にならなのですが、
気になるようなことも言われていないのか・・。
 
私は誰に対しても平等なんですけどね。
私にとってはそれが「普通」の言い方です。
中にはそれを「キツイ」と受け取る人がいるってことです。


でも相手の言い方を直すよう強制する当たり
その人は他人の人生の領海侵犯をしているわけで・・・。
その時点で自分の人生を生きていないし、満足していないのでしょう。
それに、その方がいう 良い言い方 をしているのであれば
その方の周りには 良い言い方 をしたり、
その良い言い方を真似る人ばかりになると思うのですがね。
 
言い方  に限らず これは考え方や思いでもそうですよね。
自分の考えが全て正しいと他人に強要してはいけない。
本当に正しければその人の行いをみてその人の周りには同じような考えを持つ方が
出てくると思うんですよ。
合わなければ居心地が悪くていなくなってしまいますし。。。
波長の法則でしょうか?
 
まっこんな事を言いつつ、私が今必死でこのことを自分の心と行動に
一致させようとしているところなんですがね・・・。
 
私も同様です。
心と行動は意識しないと離れてしまう。
努力が必要ですが、その前にあなたが言う通り
「意識化」が必要でしょうね。


失礼致しました。

<「言い方が悪いと言うヒト」を読んでの感想3>


<「言い方が悪い」というヒト>を読みました。
読んでいて途中で、
これ、言い方だけじゃないよな。。。と思っていたところ、
 
『これは「言い方」に限らず全ての点で無意識にしているので、
大抵善人の方は「常に周囲に不平不満を抱き、心はヂゴク」に陥っています。』
 
ははは・・・。。 仰るとおりです。
 
 
ナゼ自分でヂゴクを選ぶのか。(無意識ではありますが)
みんな一緒ならば、ヂゴクであっても心地よい♪なのでしょうか。
でも。それは違う。
まず、「みんな一緒」なんてことは幻想だし。
それに、しっかり、しっかり、よぉぉぉぉく心を見たり考えたりすれば、
ヂゴクにいること、それは違うということ、がわかると思います。(多分・・うーん・・でもわからない。。)


 
どこかに書かれていたのですが、
(これは、と思うものをノートに書いておくのですが誰の言葉かは記さずじまいで不明)
 
 
『他人があなたにどのような態度を取るかはその人の問題である。
あなたがそれに対してどのように反応するかはあなたの問題である。
他人を判断しているとき、あなたはその人を定義しているのではなく、
自分を定義しているのです。
感情は選べるのです。
問題の解決策を外に見出そうとしてはなりません。
あなた自身が解決策でありましょう。』
 
 
ifさんはよく仰っていますが、
私はまず、私自身が「善人」であることを自覚することだな、と思っています。

そうなんですよ!

あとは、他人のことは他人のこと。
これは少しずつですが出来るようになってきました。

 
前までは、例えば職場で機嫌のよくなさそうに見える人や、
挨拶をしてもそっけないような人や・・そういう 感じ を受ける人に対して、
なんなんだよムカつくなぁと思ったり、逆になんか気に障るようなことしてしまったんだろうか、
と思ったり、
そんなモノをひきずりながら仕事をしているからか、
その日一日(酷いと次の日までとか)その人に対してだけでなく、
仕事そのものがスムーズに進まない感じがありました。

それは私だってムカつきます。
今から二十年近く前、子供が通っていた保育園に、自分の子を通わせていた女。
朝会う時挨拶をしても絶対挨拶をしない。
何度実験してもやはり挨拶をしない。

ムカつきました。

で、それから十年くらい経ってからわかりました。
(そうか、あの人は挨拶をしたくないからしないのだ。
私はあの人が挨拶をしないからと怒っていたが、それは筋違いというもんだ。
だって、あの人は挨拶をしたくないので、しないと決めているのに
それを私が挨拶しろよ、と思うのが間違っている。
そうか。
わかった。
あの人は挨拶をしたくないのだから、こちらからもしないでおこう。
それをあの人は望んでいるのだ)

実はその時は引っ越して来て違う土地に居たのですが、
そこにも「挨拶絶対しないぞ女」が棲息していたのです。
どこにも似たようなのは居るもんです。
で、私はこの二回目の「挨拶絶対しないぞ女」に対しては
こちらも挨拶をしない(それが相手の流儀だから)と決めたら、心が軽くなりました。

私も善人なので、挨拶はするべきだ、とつい思ってしまう。
それが盲点でした。
相手が挨拶したくないなら、挨拶をしなくて済むよう環境を整えてやるのが
アワってもんです。
実際はアワではない私ですが、相手と比較した場合の話です。


おっとだいぶ話が脱線しました。

しかし、最近、それは必要のないことなのでは、と思い、ある日実験しました。
 
朝から機嫌の悪いオーラを出している社員さんに挨拶をしました。
案の定そっけなく、まるで私がなにか悪いことでもしたような雰囲気でした。
もちろん私はムカつきました笑
でも次の瞬間、お!これは実験できる!と思い、
ああ、でも私には関係のないこと。
ひきづられてたまるかい!
それに別に私は気分がいいんだし〜ららら〜♪
と思い、切り替えて仕事をし始めました。
すると、
その社員さんがさっきとは打って変わって穏やかなのです。
雰囲気が全然変わってしまっていました。
この間になにかあったのかとははわかりませんが。。。
でもこの際そんなことはどうでもよかったです笑
それからその日一日はやる気のある状態で楽しく仕事が出来ました。
 
ほおお・・・

ほんのちょっとのことですが、
私にはとても大きい嬉しいことでした。
 

他にも日々実験しています。
もちろんうまくいかないこともあります(というか行かない方が多い・・)。
でもやってみて、思ったことは、
意志の力、と、自覚、だと思いました。
ネガティブに考える自分や、(だから?)憑依体質っぽい自分はもうわかっています。

あら、あなた憑依体質だったんですか?

でも、ネガティブに考えなきゃ済むことなんですよ。
考えるのは誰でもない私なんだから。
私が考えなきゃいいことであって笑
憑依体質だって、わからないけど、
自覚があるんだからそうなのだろう。(チェックでも明らかにそうだった。。)

でもそれだって、PANDORAをはじめ色んなところに対処法のヒントや情報があるわけだし(有難うございます!)、
やろうと思えばやれる。
そしてやってくうちに、
あんまりやりすぎるのも自分に呪いをかけてることに繋がる気がする。。
とも思ってきて、
それからは自分に合うもの、続けられるもの、これは〜♪と思ったものだけ続けたり。
でも続けてみて飽きたら笑、別の面白そうなものがあったら笑、
またそっちに変えてみたり。
そしてそして、最終的には、とどのつまり、
自分の意思だな、と思っています。

あなたは日々の行動を無意識ではなく、意識化してやっているんですね?
だから、こんな短期間でいろいろ物事がわかるようになり、
それにつれて心も安定し、余分な感情はないし、どんどん良くなっている。


『私の主人公は私』って、凄く強い言葉ですね。
私は揺らぐとき言います。
私の場合は『私だけが私のマスターだ!』と言います。
泣いても笑ってもそれだけが事実であるなら、
笑っていたほうがいいですもんね笑
 
ちょっと長くなってしまいましたが、
そしてかなり(相当)話がそれてしまいましたが、
読んでくださってどうも有難うございました。

大変ためになるお話、有難うございました。

<「言い方が悪いと言うヒト」を読んでの感想4>
(2007年7月16日)


それから、今日、
<「言い方が悪い」と言うヒト><置いて行かれる人>を読んで、
なんだか自分にとってタイムリーだなぁと思いました。
ある意味シンクロですかね?

つい先日、職場で同僚(女性)が「言い方が悪い!」と店長(上司)の注意に対して
陰口を言っているのを耳にしました。
その同僚は、やるべきことをきちんとやってない、
何度も同じミスをする、担当の部署なのに自分で判断しない、
などのことをよく注意されています。
愚痴を聞いていた別の同僚(男性)は、
「自分にも原因ってあるかもしれないよ」みたいなことを言っていたのですが、
注意された方は
「私はきっと店長に好かれてないから」などと言っていました。

愚痴を言っていた彼女は
、自分が感情で判断するので、
他人も感情で注意してくると思っている
ようです。

低次元の人間の自己中です。

しかも、彼女が注意されているらしい場面も見たことがあるのですが、
店長が間違ったことを言っているようには思いません。
言い方が多少きついかも、とは感じますが、
優しく言ったからといって きちんとできるとも思えません。
以前、私も「真剣に仕事して」というようなことを彼女に言ったのですが、
キレられたので、何か言うのはやめてしまいました。

その人はいったい何なんでしょうね?
当り前のコトを他人から言われると感情的になる。
ではいったいどうすればいいんでしょう?


ここで、「仕事は真剣にやるべき」という押し付けを
中途半端にした私も低次元の善人なのかなぁ、と思いましたが、
なかなか「自分」を考えるのは難しいです。

店長の話では、同僚の彼女が 自分の仕事について自分で考えて、
論理的に判断し、責任を持つ ようになって欲しいので
よく、
「自分で考えろ」と言っているそうです。
が、いつまでたってもできない、やろうという姿勢が見えないので、
だんだん放置するような感じになっているようです。

その人は「自分で考える」ことが出来ないんですね。
だから、自分に「考えさせようとする人」を憎む。
考えさせる人が悪い、と、思考力のない頭で結論づけてしまう。
思考力のない人はこうなります。


一人の人が<「言い方が悪い」というヒト>と<置いていかれる人>を
実践して見せてくれたような気がします。

その通りです。
両方、同じレベルにあります。


「言い方が悪い」というのは、「悪い」というよりは、
ハッキリ、キッパリ、ストレートに物事を言うことのように思います。


そうらしいです。


私自身も難しく言うのも聞くのも苦手なので if さんの言い方というのは
わかりやすいし、気持ちがいいくらいに感じます。
自分ではサヌキ人間だと思っているので言葉を言葉どおりにしか
受け取らない性質なのかもしれないですが。

私も言葉は言葉通りしか受け取りません。
世の中には言葉を言葉通りに受け取らない人もいます。
この事例もあるので、いつかお話しますね。


何故、そういうコト(言葉を言葉通りに受け取らない)のか不思議なのですが、
単純なコトをわざわざ複雑にする人が実際にいるんです。
低次元の人ですよ、勿論。


キツイ言い方だとしても注意してくれる人ってすごく貴重ですよね。
言いづらいことでもちゃんと言ってくれるのなんて、親くらいなもんだし。
そういえば、私最近、ぜんぜん誰からも何も、柔らかい注意さえされてません…
かえって、見捨てられてるのかなぁ と心配になります。

謎の方が仰るには
「25歳を過ぎると周囲の人間は誰も注意してくれなくなります。」ですと。
凄い観察眼です。
そうだったのかあ!と、思いました。


ただ、自分を育てるのは自分しかいないと思うので、
他人に何か言われても変われない人は変われないのかも。

その通りです。
誰も他人をわからせることは出来ない。
わかるのはあくまでも「本人」です。


私はもっともっと学んで変わりたいと思っています。
今年が2012年だとしたら、ギリギリでPANDORAに出会ったのでは…
と思ったりします。



いつも、とても考えさせられる話をありがとうございます。

こちらこそ、参考になる事例を有難う。

<「言い方が悪いと言うヒト」を読んでの感想5>


それから「言い方がキツイ」の記事ですけど
私もいつも「キツイ」とか「愛想ない」って言われます。
前はそのたびに、傷ついたり気にしたりしてましたが
「ふーん」って思うだけになりました。
 
言い方がキツイという言葉には
「愛想がない」
というのもあるんですね。


そういうひとは自分が愛想良くしているんですね。
きっと愛想笑いをしながら発言しているんでしょうね。
愛想笑いはカルマを生む。
宇宙人の言葉なので、真偽のほどはわかりませんが、
参考にしたいと思ってます。


ホントに色々な状況に振り回されないようになってきたなーって
思います。
 
そうなんですよ。
物事がわかってくると周囲の状況に振り回されなくなります。
肝心なのは「自分の心」であるというサトリが
ミ(身体)についたのです。


周囲の環境も人間関係も
大きく変わってます。
そんな時期なんですね、きっと。

面白いほどですよね。
楽しくなって来たぞ〜

<「言い方が悪いと言うヒト」を読んでの感想6>


ifさん、こんにちは!
 
Nです。
 
 
<「言い方が悪い」というヒト>、読みました。
 
私も上司や部下や同僚から(全部じゃん!(笑))

ははは!

言い方がキツイ、冷たい、とよ〜〜く言われます^^
 
気にしてませんけど(爆)
 
はははh!

 
私は決してキツイ言い方をしているわけではありません。
 
感情を交えず、「単刀直入」に言っているだけです。
 
ほおお・・・

「この業務の仕方は効率が悪い。こうすべきじゃないですか?」
 
とか
 
「担当部署へ連絡しておかないと、みんなが迷惑します。」
 
とか。
 
それは仕事をする上で必要なことですよね。
それなのに、キツイなんて言われるんですか。


 
私に「キツイ」とか「冷たい」とか言ってくる人達は、ただ単に、
自分が図星を指されてバツが悪いがために、私に苦情を言っているようにも感じます。
 
なるほど。

私が言っている内容にケチをつけられないので、言い方が悪い、と言う。
 
そう来たか。

それに、「優しい言い方をする方が正しい」という「思い込み」もあるのではないでしょうか。
 
「常識」ですわね。

自分が正しいと無意識(または意識的)に思っているからこそ、そういった発言ができる。
 
そして、そういうふうに言ってくる方は、私に「甘えている」のかもしれません。
 
私って傲慢やさんでしょうか?
 
絶対違うと思います。

ifさんに「言い方が悪い」というヒトも、ifさんに「甘えている」と私は思いますけど。
 
「もっと優しくして」と。
 
でも自分では甘えていることに気付いていない。
 
それどころか、自分は正論を述べている、としか
思っていないのではないでしょうか。
 
 
私はそう感じました^^

鋭い意見有難うございました。
このように冷静な方が他人から言い方がキツイと言われるケースが多いようです。
一体、日本はどうなってんでしょう?

<「言い方が悪いと言うヒト」を読んでの感想7>


ところで、パンドラ「人間のいろいろ」で「〈「言い方が悪い」というヒト〉を読んでの感想」を
読ませて頂きました。

私も感想書きましたが、私の考えが足りていなかったことや、他の方のもっと深い考察が
よくわかり、とても勉強になりました。
特に3番目の方の感想がいいなあと思います。

 『他人があなたにどのような態度を取るかはその人の問題である。
 あなたがそれに対してどのように反応するかはあなたの問題である。
 他人を判断しているとき、あなたはその人を定義しているのではなく、
 自分を定義しているのです。
 感情は選べるのです。
 問題の解決策を外に見出そうとしてはなりません。
 あなた自身が解決策でありましょう。』



この言葉は、肝に銘じておきます。
(その他の内容全部も・・でありますが。 笑)

同じテーマの感想がこうして掲載されるというのは、とてもいいですね。
ifさんが伝えたかった内容が、さらに深くわかるようになります。

ていうか、皆さんの方が私よりもずっと深く考えていると、わかりました。

それに、私もとりあえず感想という形を書いてよかったです。
他の方の感想を通して、またまた自分の考え違い部分を修正できるし♪

私、まだまだ批判だけになる感想をつい書きがちですが、
批判は批判でおいといて、最終的に自分はどうあるかが大事なんだ、
できればそこまで考察しなきゃ!と再度教えて頂いたと思います。

「自分の考えは自分に返ってくる。」ということですよね。

つい、ささっと読んで早く結論を出してしまう癖があります。
気を付けないと人を批判して自己満足しているだけになってしまい
足りない思考が自分を低級にさせる怖さがあるように思います。

そうです。
思考力の無い人は思考しない。
本人はそれでも思考しているつもりなのです。
これが間違い。
しかし、それは本人の感覚なのでどうしようもありません。
これを解決するには、本人が「自分は思考してないのではないか?」と
気づくことしかない。
滅多に出来ないことですが。


考えること(思考すること)にも慌てず丁寧に行いたいです。
そして、今は時間がかかっても、丁寧に「思考」できたら、
いつかは迷わず素早く思考できるようになると思って
頑張りたいと思います。


<置いて行かれる人2>(2007年7月14日)


下の記事<置いて行かれる人>を読んだFさんから感想が来ました。

Fさんは着付け教室の教師です。
週に一度着付けを教えていますが、生徒の中にほとんど向上心のない
人がいて、苦労をしているそうです。
以前、その生徒さんにキレてしまったそうです。
Fさんはとても温厚な方なので、よほどのことがあったのでしょう。



<置いて行かれる人>(2007年7月13日)
読みました。

先日のことと同じ状況のようです。

(Fさん、キレましたね。(^-^)」)
と、他の生徒さんに言われて苦笑したFさん。

その通りの人がどこにでも居るものですね。

はい。
不思議なことにそういうヒトはどこにでもいます。


私は置いていくことにしました。。。。宣言しましたから。

意地悪は趣味でないのでしません。
他の人より余分に手も掛け声も掛けます。

しかし、
それを当然と思って努力をしない人は伸びようとしている人の足を引っ張ります。

これは公平にはなりません。

頑張っている人に頑張っただけ・・・これが公平だと思います。

巧いこと言うなぁ!
私も賛成します。


情では人が育たないことを経験しています。


同感です。


どこで気付かせるか?

気付かせる・・これさえもおこがましいことなのか?

私はそれを親切だと思います。
そういうひとよりちょっとだけわかっている人の義務だとさえ、思ってます。


淡々と自分が信じたことをする。(
言動)
それしかないのかな・・

それしかないと思う。

そういうことなのかな・・


教師は大変です。
生徒の何倍も大変です。
頭が下がります。

<置いて行かれる人>(2007年7月13日)


Mさんからの報告です。


さて、今私は職業訓練校に通っています。
 
1クラス30人ですが、その中にはパソコンが出来る人が9割、全くの初心者が1割います。
 
私の隣の席の人が出来ない人です。
先生は基礎の基礎からテキストに添って授業を進めます。
その出来ない人は分からないから授業を聞けば良いのに、聞かない。
やり方を覚えない。出来ないなら家で復習すれば良いのに、しない。
 
最初のうちは、私も教えていましたが、何度も同じ事を聞いてくるので、これは覚える気がないなと思って
自分の作業に没頭し始めました。
そうするとその人は、反対側の隣の人に聞き始めました。
でもやっぱりまた同じ事を何回も聞くからその人も嫌になったのか、その人も自分の作業に没頭し始めました。
 

パソコンの出来る人は空いた時間をタイムを計ってタイピング練習したりテキストを進めたりしています。
私はタイピングをやっているのですが、その分からない人は私がタイムと戦っていてもお構いナシに聞いてくる。
休み時間もパソコン講習に付き合わされる。今は逃げるように教室から私は出ますが・・・。
 
いえ、努力をしているのなら良いんですよ、教えます、私も鬼じゃありませんから。
でも、覚える気がない人に教えたくはないし、そんな暇はない。
 
私は仲良しこよしをしたくて学校にいっているのではなく、資格をとったり自分の技術向上の為に行っているのだから
目標意識や、向上心がない人には教えたくないし、関わりたくない。

 
今日、その彼女の携帯が授業中になりました。しかも2回も。
1回目は音を切り忘れたのかな?ぐらいに思いましたが、なんと2回もなった。
1回目で音を切っておけばよかったのに、1回目は自分の携帯ではない みたいな平然とした顔をしていましたが、
2回目なった時は、「なんで携帯かけてくるんだよ!」と独り言でかけてきた相手を怒っていました・・・。
携帯の音を切らなかった自分を反省することもなく、向上心もなく、
向かっている方向が違うから的外れな事を言う。
 
他の全くの初心者は、向上心があるのでしょうね、どんどん上達し、検定も受ける!と頑張っていますが
彼女は 受けない。明日からの3連休、どこに遊びに行くの? って聞いてくる。
私は検定が間近なので家で検定の勉強するよ って答えましたが・・・。
 
 
そうやって、その場で置いていかれる人、頑張って登ろうとする人、様々だな と学校で学んだのでした。
こういうところでも二極化が進んでいるのでしょうね。

その困ったさんには人並みの思考力がないですね。
携帯電話の電源を切る、ということもわからない。
そういう人は平気で他人に迷惑をかけますが、勿論自覚無し。

こういう人はどこにでも一人はいるものです。
まだ、一人で頓珍漢なことをしているだけなので害はない、症状は軽いと言えますね。

<お節介と親切の違い>(2007年7月12日)


Fさんの考察です。


だんだん解かってきたこと。

・本人の準備が出来ていないと外から与えても実にならない。(お節介)
・傲慢慢心が表に出ると良い話も一瞬で終る。(つぶれるな、と解かる)
・口(言動)と心がひとつになって初めて実を結ぶ。
・私利私欲も同じ。

<2012年は今年>(2007年7月11日)


師匠の情報紙INTUITION最新号にブッ飛びなことが書かれていました。

「2012年とは今年のこと」

だそうです。
なんでも西暦は5年ほどズレているそうです。

で。

今年がその年なら、変化が大きく早いワケですよ。
去年からこのPANDORAもどういうワケか、変化が起こっています。
どういう変化かというと、「人間の入れ替え」です。

PANDORAは

◇ダメな人のお守をしない。
◇迎合しない。
◇仲良しクラブではない。
◇戦いを恐れない(私の魂が戦士だそうで、済みませんね)


なので、

◇向上しない人には苦しい。
◇真実を知る勇気のない人には苦しい。
◇陶酔次元の人には苦しい。
◇思考力のない人には苦しい。


サイトなのです。



まず、去年の秋、霊能者のKさんがPANDORAに来てくれました。
私はその前から、PANDORAが仲良しクラブ化しているので、
なんとかしたいと思っていました。
Kさんのおかげで、振り分けが行われ私はありがたいと思っていました。
私がKさんを召喚したようです。

Kさんについて行った人が数人いますが、彼らはKさんと前世でも
関係があり、今世はカルマを果たすべく、一緒にいるようです。
私とKさんとは前世出会ったことがないそうです。

Kさんの仕事は
◆人を地獄に堕とすこと。
です。

闇系の仕事なんだと思いますよ。
どうぞ、やってください。
私は他人が何をしようと構いません。
Kさんを嫌いでもない。
むしろ「教養があり、知能は高く、他人には出来ない仕事をする人」
として、認めているくらいです。
ただ、Kさんは小物で自分自身には目的はなく、バックにいる
存在に操られているだけだそうです。
バックの存在は闇系です。



Kさんは私がつけた
「K」というHNをいまだに使用していて、
それは私から見ると「可愛いな」と思えます。
Kさん自身には悪意も何もない。
ただ使命を遂行しているだけなので、ご苦労さま!と、エールを送りたい。



さて、PANDORAが荒らされました。
その犯人は同じHNを使っていますが、複数いることがわかります。
そのうちの一人は普段から低級霊にとり憑かれている言動を繰り返していました。
でも、まぁ、放置していました。

しかし、荒らしたとなれば放置するわけにはいきません。
本人が真実を見て反省すれば低級霊は離れて行くので
反省する方向に持って行きましたが、やはり反省は出来ない。
それで、今回はその人に追随する人もろとも一掃しました。

これで二回目の掃除が出来ました。



何でPANDORAがこういうコトになるのか、わからないけど、
これも仕事のうちなのだろう、と諦めています。

アセンションの一側面は
光に向かうヒトと、闇に留まる人とが分かれることです。
なので、PANDORAがその「型示し」をしているのかな、と思います。

これからはどんどん自分の正体が現れて行くことでしょう。
隠せないのです。
政治家や官僚、企業の不正が毎日暴かれていますが、彼らだけの話ではない。
私たちも同じです。
毎日毎時間毎分毎秒、「どちらを選ぶか」を迫られている。

「正念場」です。

うかうかしていてはいけない。

「いい顔」をしている場合ではない。

真剣勝負なんですよ。



私は相似象、高橋信次、日月神示、INTUITIONを頼りに進んで行きます。
仏教で言うところの
「自灯明、法灯明」です。
皆さんも真剣に生きてくださいね。

<ある別れ>(2007年7月11日)


ソウルメイトであると、数人の霊能者などから判定されていた彼と
最近別れた方がいます。


「ソウルメイト」だと言われた人と別れたんです。
もう「暗さ」に耐え切れなくなりまして。
 
それでお金を出してました。
結構な金額でした。
「これだけは必ず返す」と何度も約束していました。
 
でもとうとう連絡がとれなくなってしまいました。
以前は、そんなことになったら「耐えられない」という感じでしたが
「連絡がとれなくなった」とわかった瞬間
多少のショックはありましたが、「やっぱりか」だけで
自分で驚くほど落ち込みもなく、悲しくもなかったんです。
 
付き合ってるあいだは、ささいなことで感情が落ちたり
大変でした。自分でもコントロールできないところがありました。
 
それをケロッとしてる自分がおかしかったです。
そして今朝友達にその話をしてましたら
(その友達のお母さんは霊感が強い人で、その子もあるのかもしれません)
「今やから言うけど・・・実は今年の初めにアンタ(私)が死ぬ夢を見てさ」と。
その頃の私は本当に真っ暗でした。
その友達も「顔がおかしかった」と言ってましたが
妹たちも「病気?」というほどでした。
本人に自覚は全くありませんでした。
 
その後です。パンドラで絵を依頼したのは。
私がその時から、どれだけ変わっていったかは私が一番よく感じてます。
(その頃、最初にたどり着いたのはHさんのところです。)
そして、すっかり切れた今。
私、きっとかなりの成長ではないかと思ってます。
 
そんな裏切りに動じることなく、怨みもまったくありません。
周囲が「警察に行こ!」とか「訴えよう」と躍起になってるのに
私はなんだか、かえって穏やかです。
「くれるのか、くれないのか」とヤキモキすることもなくなり、
受け止めることができました。
 
私が訴えたりしなくても、相手にはきっと返るでしょう。
私の闇の心が引き寄せてしまったことだと思っています。
そしてifさんはじめ、みなさんに引っ張り上げてもらえたと感謝しています。
ソウルメイトかどうかはわかりません。
前世の話もわかりません。
でも少なくとも私はその人との出会いの中で
いろいろなことに気づき、今こんなに動じない心になれたんだと思います。
 
アセンションが今年なら、どんどん分かれていって当然ですね^^
今、流されよう・・って思ってます。
フラフラするんではなくて、しっかり立ったまま流れに任せてみようって思います。

何ぃ?
 
ソウルメイトってあの彼氏のこと?
病気で、ウツの爺いがいて、
家に来るのか、来ないのか、ハッキリしなかった奴?
 
そうです。
ハッキリしなかったヤツです。

これを匿名で載せたいな。

全然いいですよ^^
私が呼び込んだ闇でしたね。
 
きっとヤツは今頃まだ闇の中だと思います。
でも一緒に上がれなかったから、後は知ったこっちゃない!
 
やるだけやりましたから^^
 
そういうことだったのか、大変だったね。
でも、Mさん、全然普通だったので、
わからなかったわ。
Mさん、強いね。

強くなりましたね。
泣くこともなかったです。
彼はさっさと役目を終えて
離れていったんですね^^
 
結婚して、長引かなくてよかった!と思ってるぐらいです。

Mさんはソウルメイトなので、彼のことを自分と一緒に
光の方に持って行こうとしたんだよ。
 
だってソウルメイトだもん。
 
でも、彼がこの世の常識にまみれ、光を落としてしまったのだろう。
Mさんとは波長が合わなくなったんだよ。

ホント!聞かなかったですよ。
私の言うこと。
何一つとして。
だから「あーだめだな。」って思いました。
災難が続くことで振り返ろうともしない。
 
彼のことを考えるとき
否定的な言葉しか浮かばなかったのに
ずっと打ち消してました。
でも「あーこれが、守護の声だわ」と気がついたんです。
「ダメだ!」って浮かぶのは、メッセージなんだって。
 
そして、昨日の朝、朝日に手を合わしていました。
(日課とは言えません。ちょいちょい忘れるので)
「清浄」という言葉が浮かびました。
 
いつもどおり「字」で見せてくれました。
 
なんかわからないけど
「よかったなー」って思いました。

良かった。



Mさんはソウルメイトの彼と付き合い、彼になんとか光の方向に
進んでもらおうと努力をしましたが、結果は彼が「その位置」に留まって
動かず、縁も薄れて行ったようです。

上の記事<2012年は今年>に書いた通り、今年は離合集散が
激化しているようです。
同波長で親しくなり、異波長で分かれて行きます。
いいコトです。

日々向上を続けている人の場合、相手が向上せず変化なしだと
当然のコトながら縁が切れますが、この世が半分霊界化しているので
しょうがないのです。
やるだけのことはやった。
後は相手を祝福して自分は自分の道を歩む方が良い。

Mさんの場合は結婚前でしたが、既婚の方にも同様のことは起こっているのです。
男女の関係だけではなく、同性同士でもそれは起こっている。
毎日毎時間毎分毎秒、変化していると言えます。
変化についていけない人にはヂゴク。
変化を歓迎する人には天国。



とても面白い時代、いや、年です。

<真ん中よりちょっと向こう>(2007年7月7日)


落語家が書いた本で
「あばらかべっそん」という本があります。
文庫本も出ています。
その中に参考になることが書いてある。
記憶を基に書きますと・・・



著者が子供の頃、自宅(か、奉公先)の家の前の道路を毎朝掃き掃除するのが仕事だった。
で、著者が自分の家の前を掃いていると向かいの家のオヤジが怒鳴る。
「てめえの家の前だけ掃いてんじゃねーや!
 てめえさえよけりゃそれでいいのかよ!」

著者はそれならと、次の日の朝は向かいの家の前まで掃いた。
「こっちまで掃いてんじゃね=や!俺の仕事がなくなるじゃねーか。
 余計なお世話してんじゃね=よ!」

次の日の朝は道路の真ん中まで掃く。
「ばっか野郎!半分掃けばいいってのかよ!
 なんてせちがれえ野郎だ!」

著者は困ってしまう。
自分の家の前だけ掃くと怒られる。
相手の家の前も掃くと怒られる。
それならと、ちょうど半分掃くと怒られる。
いったいオレはどうしたらいいんだ?

次の日の朝、著者は
「道路の真ん中より、ちょっと相手のテリトリーに入ったところ」まで掃いた。
すると、オヤジ
「やっとわかったようだなw」




さて、この話を紹介したのは、教訓があるからですよ。
もう、おわかりのことと思いますが。
掃き掃除を
「親切・世話焼き・気が利く、利かない・利己主義・個人主義・余計なお世話」
などに置き換えて考えてみてください。


いくら思いやりがあっても、悪気はなくても判断力がなければ
頑固親父に怒鳴られた著者のような目に遭います。
その時はこの著者のように謙虚に考えたいものです。

<憑依体質>(2007年7月6日)


ブログ「月のささやき」(リンク2・管理人はruchanさん)に
また面白い記事が載っていたので、転載しますね。



今日ふと、家にあった本(スピリチュアル・セルフ・ヒーリング /
江原啓之)を読んでいたら、「憑依体質」度チェックなるものがありました。


「憑依体質」度チェック

人ごみが苦手。
物事をいつまでもクヨクヨと考えてしまう。
淋しがり屋だと思う。
喜怒哀楽が激しい方だ。
病院に行くと気分が悪くなる。
頼まれると、NOと言えない。
人よりも気が利くほうだ。


☆解説
一つでも当てはまれば、憑依体質です。
当てはまる数が、2個以下なら軽度。
少し気をつければ改善できるでしょう。
3〜5個は、中程度。
6個以上は、強度の憑依体質です。



ちなみに、私は3個でした。中程度・・・
気をつけなければ・・・


この本で、江原さんは、対処方法として
1 炭水化物と果物の食べすぎに気をつけましょう
2 呼吸法で体の新陳代謝を高めましょう
3 スピリチュアル入浴で体の中からきれいになりましょう

ここでいう「憑依体質」とは、周囲の雰囲気に影響されやすい敏感な人
のことらしいです。
「憑依体質」の人は、太りやすいとか。。。
その対策なので、ダイエット法のような対処方法になってるんですね。
やせたい私には、ぴったりかも^^;



う〜〜〜む。
私は一個も当てはまらないようです。
良かった(のか、悪かったのか)。

<良い心、悪い心>(2007年7月5日)


ブログ「スピと現実の挟間で・・・」(リンク2)の2007年7月5日の日記より。

良い心、悪い心

以前、このブログにあるサイト経由でアラシがきた。

そのアラシはある人の名を語ってコメントしていったのだが、
その内容があまりにも稚拙で常識を逸しており、すぐに低級霊に憑依されているのだとわかった。

辿っていくと、憑依されている方は多分女性。低級霊は笑いながらアラシを楽しんでいる。

その女性の心は闇で埋め尽くされているように感じる。が、奥底に押し込められている光を見つけた。

私はどうかその光がもっと大きくなるようにと祈った。

(こういうことは本人の気持ち次第なので、それ以上のことはできない。)

『可愛いもの・・・』という話を書いた時、

>でもnonokaさんも、自分が半分は悪霊だってことを自覚している方とお見受けした。

というコメントを頂いた。

(実は私のコメントです)

これは、私だけが半分悪霊という意味ではない。(多分(笑))

人はみな、「半分神、半分獣(悪霊)」だそうです。

人間はみんな、割合の差はあれど、悪い心を持っていると思う。

その通りです。

悪い心とは、人に対する恨み、妬みなどの嫉妬、人を貶めようとする心、
特別意識、慢心、そういったところだろうか。

その通りです。

悪い心の割合はともかく、自分には悪い心があると自覚しているかどうか
ということが何より大切なのだと、私は思う。


んだ。

人はとても弱いので、自覚なしでいると、悪い心(闇)がどんどん心を蝕んでいく。

そして制限なしに低い波動を発し続けていると、憑依された彼女のように、
同じ波動のモノが寄ってきてしまうのである。

その通りです。

頂いたコメントの通り、私は自分が半分は悪霊だと認識している(笑)

そして、その悪い部分が一人歩きしないように、常に見張っているのである。

そこが一番重要なんです。
それを自覚している人が殆どいない。
自覚出来るまでに精神レベルを上げられる人が居ないのです。


認識しているからこそ見張れるし、悪霊部分の悪さを、最小限に留めることができるのだと思う。


その通りです。

人は、良い心と悪い心が葛藤することにより、成長していくものなのではないだろうか。

その通りです。

そうだとしたら、私は強くありたいし、自分を見失わないように、
いつも客観的に自分を観察し、自分が納得できる自分でいたいと思う


nonokaさんが私の言いたいことを代わりに言ってくれました。
有難う。

<アドバイス>(2007年7月1日)


石井清龍さん(リンク1)がの「易日記」(2006/2/26)より。


最近の人達が、まともに物を考えることができない人が増えているのは、社会の
情勢を知れば誰もが感じることですが、占いに来るお客様で、体調の悪い人や
異常な思考をする人、根性の悪い人、やる気の無い人に対して、何が彼らを悪くさせている原因かと占うと、
食べているものが原因だと占いにでる事が沢山あったのです。
(恥ずかしながら、この私もその代表的な脳血管異常に陥る一人ですが)
世界中のリーダーたちも、皆食べ物が悪いのでしょう。
食べ物は体や心に大きな影響を与えてしまうようです。
まさか、食べ物なんかで、そんなに変わるわけないと思うと思います。

占いを信じる私ですら、占ってそういう答えを見ながらも、市販される食べ物が
そこまで人の体と心を悪化させているとは、思ってもみませんでした。
それほど、食べ物が人をいかに変えてしまうかと、驚愕する事実を知ったことがあったのです。
同じ人間でも人間の質はピンからキリまでで、これほど最低な虫けらのような人間がいるんだ!
と絶句してしまうほど、とんでもない思考をしたお客様を鑑定したことがあったのです。



サラ金に雪達磨式に借金を重ね、さらに働かず、誰かに寄生することしか考えない、
どろどろした退廃的なオウムの麻原のようにむくんだ顔をしたお客様でした。(麻原も食べるものが異常でしたが・・)
この人は棚からボタ餅が落ちてくることを期待して占いに来た人でした。
そんなむちゃくちゃな堕落した人に向かって、人は誰も本音で話してくれません。
事実本音で話すべきじゃないと私も思います。
どんなに本気でその人を思ってアドバイスしたって、恨まれるだけですから、ほっておくのが正解です。


わたしも占いながら、本音で真剣に答えても無駄だろうと思いました。
そのお客様のお友達や知り合いは、その人になんと言っているのか?
そんな質問をすると耳障りのよい言葉ばかりをボソボソボソとした覇気の無い声で教えてくれました。
「思ったままで生きればよいんだよ」「そのうち良いことがあるよ」「がんばってね」
「お参りしたらいいよ」

そのお客様の周りの人が良い言葉しか言わないならば、私は最後の
可能性をその人にかけてみるべきだと思い、そのお客様が
二度と私のところに来たくなくなるほど、思ったままを語りました。

「私の占いであなたの未来を当ててほしいと思うならば、あなたの未来は生きる屍になってしまうと断言します。
自分の性格なんて、根性で直せるもんじゃないですから、根性をどうこうしようと思う必要はないです。
でも、私の占いをはずしたいと思うならば、今食べている物をやめるしかないです。
あなたの食べるものは、体も脳も根性も腐らせていると出ているので、それをやめて
トマトやにんじんやリンゴ、大豆、納豆、海草、きな粉をとるようにこころがけ、
カップラーメンや嗜好飲料をやめれば、未来のあなたは蘇りますよ」そう言うと
そのお客様は、面倒なのでカップラーメンとかコンビニ弁当だけの生活だった話をしてくれました。
あまりに情けない思考をしている、ウミウシのようなぐったりしたお客様だったので、
わたしのアドバイスを実行する人とは私は99.9%思っていませんでした。
別れるときも、不愉快そうに重い足取りで帰っていきました。

その暗さと不快感を観ながら、このお客様は、二度と私のところには来ない人だと思ったのです。
ところが、このお客様が私のところに一年以上過ぎてから2度目の鑑定に来たのです。
私は、人を記憶することが苦手なのですが、このお客様を見たとき、すぐに
あのお客様だと判りました。
私は奇跡を見るようで、涙を抑えるのが大変でした。
涙を見られたら、変に思われると想い、必死で感情を抑えました。
そのお客様の体つきも顔つきも嘘のように変わっていたのです。

私に言われたとおりに食べ物を変えたら、朝も起きれるようになり、
体が気持ちよさを感じて幸せを感じる。
お酒もやめて、体が気持ちが良いのを感動していると言うのです。
すっかりものの考え方も地に足の着いた考えができるようになり
私に占ってもらったことを感謝しているというのです。
人からも別人になったと言われるそうです。
本当に体も心も別人になっていました。我が家の夫よりもまともになっていました(小声です^^;)
10キロもやせたそうで、顔も体もしまりが出てきて、きっと本質的には、性質はまともな人だったのでしょうね。
ご本人を見ていただかないで、こうして書くだけでは信じてもらえないお話だと思いますが
食べ物はここまで人を変えることは本当なのです。



これは良い食べ物の話ということで紹介するのではありません。
こういう「最低のレベルにある人」への対処法の例として挙げました。
石井さんが書いてるとおり、こういう方には通常は誰も本当のコトを言いません。

そんなむちゃくちゃな堕落した人に向かって、人は誰も本音で話してくれません。
事実本音で話すべきじゃないと私も思います。
どんなに本気でその人を思ってアドバイスしたって、恨まれるだけですから、ほっておくのが正解です。

と、石井さんは書いていますが、そうでしょう。

誰も「自分が嫌な思いをして忠告した挙句、相手から逆恨みされる」などという
面倒なコトには巻き込まれたくない。
なので、殆どの場合はこういうヒトには本当のことを言いません。

でも、石井さんはそれを知りつつ、本当のコトを言った。
それが結果として良かった、このどうしようもない人の意識を変えることに成功した、という実例です。




人が誰かに鑑定を依頼する場合、相談を持ち掛ける場合、どういった心境でしょうね?
◆ウソでもいいから耳障りの良いことを言って欲しい。
◆耳に痛いのは覚悟しているので、真実を言って欲しい。


私は相談されたら「上の二通りがありますが、どちらか選んでくださいね。」と言います。

※そうではなく、こちらがその方の代わりに選ぶ場合もあります。
   (耳に痛い方、だな、こりゃ)とか。

相談を持ち掛けてはいるが、それは相談ではなく
「こういう私を認めろ」と言ってるとしか言えない人がいる。
こちらの方が実は多い。
本気で相談持ち掛ける人の方が少ない。
で、耳障りの良い言葉を期待する人が多いので、鑑定人もそれに応えて耳障りの良いコトを
言って、そのお客や知人がさっさと自分の前から居なくなって欲しい、みたいなのが普通ではないかな?


で、それをし続けて何になるんでしょうね?

(こいつには何を言っても理解しないだろうから、いいや、テキトーで)という心は、相手をバカにしている。
人間を尊重していませんね。
一見優しいようだが、実はこバカにしているのです。

やむを得ないのはわかる。
でも、(自分は相手を信頼していない、人間として尊重していない)ということを
自覚した上でそれをするべきでしょうね。


また、こういう相手は理解力が乏しいので、理解しないでしょう。
でも、この忠告の言葉を頭に入れておけば、いつかわかるかもしれない。
なので、その時のために、「情報」として、相手の耳に入れておくしかないです。
間違っても「今、理解させよう」と思わない方がいいです。

耳に痛い忠告をする人は今現在わからずやの相手の1%の可能性に賭けている。
たった1%だけれど、ゼロではないのです。

<闇からの攻撃について>(2007年6月29日)


先日の荒らしを見ていた謎の方からアドバイスがありました。
ペンジュラム、カードを引く方は参考にしてください。


かつて攻撃された経験からですが、
本当の闇の連中が動き出すのは、
とにかく、ほとんど太陽光のピーク午後2時以降で、
午後4時をまわったあたりからです。
仏壇の扉を閉める理由はそれです。
特に夕方4時以降は注意してます。
そして昔から一番鶏が鳴くまでといわれている。
この時間帯のチャネリングは危険です。
だから活動は朝は日の出を待ったほうがいいかな。
光の少ない時間帯は闇の力を跳ね除ける気構えでないと。

夜〜夜中〜明け方までは、チャネリング(ペンジュラム)は
避けた方がいいですね。
私は午前中の元気なうちに絵を描いています。
午後まで描いてる時はあまりありません。
たまには間に合わなくて午後も描いてる場合がありますが。


そうそう、それから疲れているときや、
状態が悪いときもアクセスはやめたほうがよいです。
まずは自分の疲れをとるのが先です。
ペンジュラムもチャネリングのうちだと思う。
簡単にいうと太陽が見えない時間帯は要注意。
自分なりの結界を張ってやらなきゃだめみたいです。
昔、助けてくれた人が言うには
電車の中で居眠りもほんとはとても危険とのこと。

自分が意識をしっかり持ってないと危ないですね。

私が今回の一件から考えたことは、

@閲覧者がペンジュラムを使うことでハイアーセルフなど、
 守護霊にきっちりつながるようになっては困る。
Aif さんが今回デザインした指輪が広まっては困る。
 (とくにあれは
につながる指環ですし)
B精神世界を健全な方向にもっていかれては困る。
 (力のある人がみな正しく歩み始めれば最強。)



ここ、重要です。




謎の方は先日指輪に関係する夢を見たそうです。
闇(外宇宙)の存在が出て来て攻撃を仕掛けて来たそうで。
謎の方はPANDORAの指輪を数個買っています。
その指輪を夢の中で壊されたそうです。

で、指輪の中の一個「宇宙からの訪問者」と名付けた
指輪だけが無事だったそうです。
半覚醒夢だったようです。



目に見えない世界ではいろいろなコトが起こっているようですよ。

郵便物に千枚通しで刺したような穴が開いていたという報告が
沢山あります。

封筒が破れて中身がなくなっていたり(アタシの所に来たのが
そうだったので、この件で郵便局にクレームつける予定です)、
或る方に指輪にキリ番プレゼントのおみくじを同封したら
「おみくじだけがなくなっていた」り。
これは考えられないことですが、実際に起きています。

闇からの攻撃はあるようです。

その人が霊的に成長しては困るのだと思います。

その人に憑いてる低級なモノが邪魔をする場合もあります。
しかし、その人の守護存在が「その人の意識を薄くさせて、
指輪などを注文させる」場合もあるのです。
で、届いた時は「封筒の中のおまけが折られていた」り、
異常なコトが起きています。

◆闇(低級霊、悪霊)からの攻撃は、実際にある。
◆しかし、守護存在も助けてくれている。


意識を守護存在に向け、自分が間違っても低級霊とならないよう
(あ、人間も霊なので、人間が低級ならその人は生きてる低級霊です)
心を明るく、意識を高く保ちましょう。

そのためには「素直な心」が必要ですよ。
中途半端に素直でもダメです。
とことん素直じゃないとダメです。
中途半端に素直な人は私から「我が強い」と説教されています。
それではまだまだダメ。
しかし、箸にも棒にもかからない人には説教をしないので
忠告・説教されているうちはまだ良いと思ってください。

<豹変した人>(2007年6月30日)


たまたま今日、PANDORAのBBSを見て、オレさま様のブログを見てみて思いました。
低級霊の憑依とはああいった表現になることがあるのか…と。
で、振り返ってみて思い出しました…もしかして、あれって低級霊がついてたのかな?と。

実は昨年の秋、それまでネットで友達付き合いをさせていただいていた人と縁を切られました。
その後は、私も縁が切れたのをこれ幸い…と思って関与していません。もう、二度と関わりたい人
ではありませんからw
そのネット友さんとはかれこれ3〜4年ほど、ネットでのグループでお友達付き合いしていました。
決して、ネットで関わっていた時には問題のある人とは思えませんでした。むしろ、心優しく気遣
いのある人だと思っていました。

昨年、たまたまちょっと個人的に関わってから妙なことになりました。お互いに鬱でもあるし実際
に一度会っちゃったんですね。で、その後、その人から「話したい」と言って電話で会話を求められ
るようになりました。そして、何となくその人の行動に違和感を感じ出したのはしばらくたってか
らのことです。

私も鬱、その人も鬱…私の鬱は割と劇的に回復に向かっていきました。私は共に回復したいなぁ…
と話しをすることを承諾しました。と言っても、結局、いつも話すのは私だけって感じで、向こう
が話さないから私は自分が努力してること、思ったことを相手に話すだけでしたが。まぁ、私も同
じ鬱だということもあるし私の経験がその人のためになればとも思ったし、たぶん私自身に
「救世主
願望(私ならこの人を救えるなんつー思い上がり)」
があったのでしょう。

思いがちですね。
その人のためになんとかしてあげたいという、善意です。
善意があるので放置しておけない。
なぜなら放置したら事態は悪化すると思えるからです。
善意であるような思い上がりのような・・・
しかし、その心を精査すれば、ただの善意か思い上がりかはわかってきます。
善意の全てが思い上がりではありません。

でも、自分はいったいどっちなのか・・・と、考えることは常に必要ですね。
これを「自分の中に他人の目を持つ」「第三者の立場でものを見る」「自分を客観視する」
ということでしょう。
これが出来れば、心の病気は軽くなると思います。


初めは「うん、うん。そうだね」と聞いていたその人ですが、そのうち…その人は何を言っても「その
うち、やる気になったらね」、そして最後には「自分にはできない」に変わってきました。その頃に
は、私自身がその人には自分を変える気が全くないことに気付き、話しをしたくないと思うように
なっていました。私もそうですが、その人も現状(鬱)から脱するためには「自分自身を変える」気に
ならないと無理なのに、その人は今までの周囲の人や環境をひたすら憎悪するだけで「自分は全く悪
くない、自分は被害者だ」と言う考えから抜け出せず、結局、自分で好んで現状(鬱)に縛られている
としか思えない状況でした。私にはその人自身が「好んでその状態に留まっている」としか思えな
かったのです。そして、その人と話しをするたびに、私自身がその暗い渦に引きずり込まれそうな
感じがして恐怖感を感じていました。

そしてそんな時…ぞっとしたことがありました。
その人から求められ会話をしていた時です。結局、いつもの通り話題に詰まり、「自分のことを信じ
て。自己否定は良くないよ。〜をしてみれば?」と軽く言い、相手から「できない」と言われ、私が
「やってみなければ、できるかどうかわからないよ?」と言った時です…

「い〜〜やぁ〜〜だぁ〜〜〜!できないものはで・き・な・い!」

…この時の異様な言い方。これはいつものその人の言い方ではありませんでした。
今でも耳に残っています。言いようのない不気味な低い間延びしたような言い方。正直な印象とし
て「気味悪い、怖い」と言う感じでした。
たぶん、可哀想にこの人は自らの憎悪が発している低い波動に低級霊が絡みついているんでしょう
ね…
それを払い除けるには自分自身が際限のない憎悪と自己憐憫から脱して、低い波動を発するの
を止めるしかない。
でも、この人には…できないでしょうね。とても優しくていい人なのに…で
も、
自分が発するネガティブな波動に低級霊が無数に絡み付いて、際限のない不安と満たされるこ
とのない欲求不満の蟻地獄にさいなまれているのでしょう。


そうなんだと思います。
あなたは霊視をしたわけではない。
でも、それは見えないけれど霊視しているのと同じですよ。

直感ですね。
直観です。
(実はカタカムナ、直観物理とは、このことなんです。
見えないけれど、たしかにある・・・ということを直観したものです)

目には見えないが、理屈から言うと「そうとしか言えない」場合。
それはたぶん「そう」なんですよ。
いわゆる勘の良い人は霊視が出来るなどと自称している人よりも
物事や人間を見抜いています。

最近の例では、BBSに登場したじぇいオーの正体を数人の女性が見抜きました。

そんなモンですよ・・・

<「闇からの攻撃」を読んで>(2007年6月29日)


「自分を攻撃している」…と思っている方がいますね。

ああ、BBSの荒らしですね。

もしかしたら「パンドラの壷/直感について6/生霊が自分の首を絞めている話し」と同じで、自分自身
の発した想念(エネルギー)が自分に返ってきているのではないかと思います。
> 弾かれた念は行き場を失います。
> そして、その念は自分と同波長のモノを探します。
> すると・・・ああ、あったあった、その念とぴったり同波長のものとは
> その念を発した当人しか居ません。(ifの記事)

まさにこの状態で、本人からすると「攻撃されている」状態なんじゃないでしょうか?

というと?
どういうコトでしょう?


いろいろな所でよく「自分のレベルと波長と同じ(単純にレベル、プラスとかマイナスとかの方向
性が同じと言う意味)人、モノ、サイトに惹かれる。特に自分より低いあるいは自分にとって悪い方
向性を持ったモノには違和感を覚えるから近付かない」と書かれています。

はい。
そう書きました。


しかし、人は、自分自身よりレベルが上のモノや良い方向性のモノに憧れを抱く。憧れが「自分もこ
うなりたいから頑張る!」と言う前向きな方向(向上心)だと良いのでしょうが、特にネガティブな傾
向の強い人は往々にして「羨ましい」と相手を羨み、恨む方向(愚痴、不平不満、嫉妬)になりやす
い。自分よりも良い波動(強い守護力や高いレベル、良い方向性)を持っている人やサイトに対して
恨みの念を発すると、自分の発した念が発した対象の波長には合わず跳ね返されて自分自身に向
かってしまうのではないでしょうか?

そういうコトですか!
なるほど・・・ふむふむ・・・


「念」自体には意思がないので、発した本人か狙った相手か、敵か味方かは全く判断しません。ただ
ただ、「念」は念自身に似た波長を持つものに引き寄せられるだけです。だから、自分の発した念が
悪ければ悪いほど、強ければ強いほど、自分自身に悪い影響を及ぼすのではないでしょうか?

それは言えます。

そしてそれは、発した本人から見れば「(跳ね返された=波長が違うから受け入れてもらえなかった)
念が自分に向かって攻撃している」という状態になるのではないでしょうか?


なるほどぅ・・・
そこらへんのコトは実は考えていませんでした。
何となく思ってはいたけど、ちゃんと論理的には考えていませんで、
あなたの推理は鋭いと思います。

BBSの荒らし。
誰も相手なんかしていないのです。
当然誰も攻撃していません。
なのに、この荒らしの方は「皆が自分を攻撃する」と、怒っている。
?????
??????????????????????

ワケわかりません。

でも、この報告をしてくれた方の言う通りだと思う。
納得しました。
皆の代わりに考えてくれて有難う。

一人の人間のやることはたかが知れています。
一人ですべてを網羅したり把握したりは出来ません。
そういう場合は皆で知恵を出し合えば良いのです。

私は考えるのが面倒で苦手。
なので、代わりに考えてくれると助かります。

コロさん、お仕事中にも関わらずメールを有難う。

<低級霊がすること>(2007年6月25日)


「リンク1」の「石井清龍の本筮易」の2007/5/3Bの記事をご覧ください。
低級霊が、こういうことをするのだ、その理由は・・・ということが書かれていて
とても参考になります。


ここです

<先生>(2007年6月26日)


ifさま

「先生と、言われるほどの、馬鹿じゃなし」
ですね。
ちゃんと五七五になってます。

この言葉の意味は
?先生と言われるほどの人なのだ、だから馬鹿じゃないのだ。
?先生と言われているのは馬鹿なのだ、私は先生と言われてないので、馬鹿ではない。

どちらでしょうかね。
二通りの意味があるのかな?(if の文章)


を読んで思ったことです。

この言葉は40年以上先生だった父が良く言っていた言葉です。

「先生と呼ばれる事を、喜んでいるような愚か者ほど先生に多いのだ。
だから俺は自分を先生と言ったことなど一度もない」
と良く言っていたものです。

先生と言われることで偉くなった気になって、自分を棚に上げて人を見下すような人
に対しての戒めの言葉だと受けとめていました。



果して父はどうであったか。
モラリストではありましたが、価値観はどこか狭かった。

本人はブランド信仰を笑います。
しかし、学歴ブランドに毒されていることや朝日新聞を初めとする権威主義にはまる
で疑問をもちません。

人間は誰でも「自分がわかっていることしか、わからない」のです。
お父さんは「ブランド信仰」が無意味、恥ずかしいということだけはわかっていた。
でも、その他の「自分が学歴ブランドに毒されていること、権威主義が無意味で
あること」は、わからない。
お父さんの理解を超えていた。
そして、息子のあなたが、お父さんのそういう面が見えるのは
あなたがお父さんを超えたからです。

父の場合、自分を先生と言わないことで自分は愚かな人間で、けして高邁な人間では
ありませんよと思いたかったのでしょうが、結構それは自己満足で口で言わずとも態
度が先生だったと思うのです。

頭(イ)(意)では「先生と言われるほどのバカでない」が「わかっていた」が
身体(ミ)では、「わかってなかった」ということでしょう。
本当の理解というのは、体(ミ)でわかることを言うのですが、
普通はそこまでのサトリはない。
ほとんどの人は頭(イの次元)でわかったことを「わかった」と言いますが
本当は頭(イの次元)でわかったことと、わかったとは言わない。
それを「知った」と言います。
「知る」と「わかる」の違いです。
人生の達人なら相似象など知らなくても、このことを知っているし、わかっています。


学校の教師にわからずやが多いのは、頭で理解したこと(知識)を
「わかった」と誤解していることです。
中には話がわかる人もいますが・・・

生徒は教師がわからずやであることを見抜きますから、
わからずやが担任などになった場合、子供からバカにされ、
教師の命令、注意、忠告を聞かなくなります。
これが学級崩壊の、教師側の原因の一つです。

態度が先生。
実はこれ、必要な事でもあると思うのです。

戦後教育の歪みを受けた生徒達の中には
「人間に上も下もない。先生も俺も同じじゃないか。先生なんて呼ぶのがおかしいん
だ。」
と思っているような生徒もいます。

この手のタイプは友達として接してゆくと上機嫌で、少しでも上から言うと臍を曲げ
ます。

なので実力で違いを見せつけて尊敬心を起こさせて、ようやく言葉を聞かせることが
できます。

見た目がマッチョでこわ面の先生はその点有利です。
優しく可愛い女の先生は、わがままな生徒を躾けるのが難しいようです。

そういう状態を「低次のサヌキ社会」と言います。
日本は明治時代まではアワ型社会でした。
弱いものには優しい社会です。
低開発の国にはまだ残っています。
ところが、敗戦で一気に日本のサヌキ化(もちろん低次の)が
進みました。

いったん、世の中が低次のサヌキ社会になると、あとは
坂道を転がり落ちるだけになる。
少数の高次のアワ人間がそれを支えていますが、何しろ数が少ないので
とても支えきれません。
今、そういう時代です。




話しがずれました。
「先生」それは一つの役をしているのだから役に徹するのが良いのだと思うんです。
いろんな役を演じながら生きているのが人生の面白さ、だからその時はその役に徹す
る。役者が演技中に素の自分を見せてはいけないのです。

つまり、あなたのお父さんが「オレは先生と呼ばせない云々」などと言わず、
その役(先生)に徹するのが良い、ということですね。
くちでは「オレは先生ではない、そんな呼び方をされても嬉しくない」などと
言いつつ、態度はしっかり先生をやている、その矛盾に気づかないほどの
意識レベル(もちろん低次の)では、いけないな、という話ですかね。

あなたは成長してお父さんを超えてしまいました。
お父さんの意識レベルが見えるようになったのです。
これから、そういうお父さんに対してどのような態度をして行くべきか、
新たな課題が発生したようです。

知恵をつけるチャンスですよ。

◆おやじもしょうがね〜な〜と、呆れて、矛盾した言動は無視する。
◆そうかそうか、おやじも可愛いな、と、微笑ましく思い、お父さんの言葉の矛盾は
  「はいはい、そうですか。」と、受け流す。
◆おやじ!そうじゃね=だろ!と、説教を喰らわす。

いろいろな態度があります。

あなたは優しいので、二番目のようですねw

<幸せと好都合>(2007年6月24日)


「月のささやき」(ruchanさんのブログ・リンク2)の
2007年6月13日の記事より。


***********************

私たちは、ともすれば「幸せ」と「好都合」を混同し、
「好都合」を求めて走ってしまいます。

ところが、いくら「好都合」を追求しても、本当の幸せにはたどり着けません。
それどころか、結局はたいへんな不幸を引き寄せてしまいます。

「好都合」とは、「不安」「不快」を避けるために、
一時的な「快楽」を求めてしまうことです。

                   野坂礼子 
        




「好都合」について、考えてみたんですけど
買い物やお酒で、一時的に気分よくなることってありますよね。
私は、主人の親と同居している時、たいして欲しくもないものを
いろいろ買っていました。
買いたいものがないのに、ショッピングに出かけて
本や雑貨、服などを買ってストレス発散をしていました。
でも、一時的に気分よくなるんですが
また、ストレスがたまるんですよね。
何かを買う事によって、日常の不満を紛らわせていただけ。
今は、当時ほど自由に使えるお金もありませんが
それでストレスがたまって辛いなんてことは全然^^

同居していた頃の私は、まさに「好都合」を追求していたんですね。
だから、何かを買っても幸せにはたどり着けなかった。。。
間に合わせでしかなかったから。


と、言う事は、お金がな〜いと嘆いている今の方が
幸せってことかしら?
はい、断言できます。
今の方が断然幸せ^^

<知ると分かるの違い>(2007年6月16日)


Hさんからの報告です。
参考になるので、載せます。


さて、今日は考えさせられた事がありましたのでメールしました。


私は福祉関係の ある講座の講師として働いています。
資格取得のためにやって来た65歳の男性について 思う事がありました。
その男性は 座学や実技など 教室では至って真摯に受講されており 
真面目で熱心な人だとある程度は評価していました。
ところが 実習先の施設から戻ってくるや否や態度が一変。
今まで学習してきた事が 何も身に着いていなかったことが解りました。

実習先の高齢者施設で高圧的な態度を取り 職員に注意され 大した仕事もさせてもらえなかったそれ
を「嫌な事」と捉えた男性は 戻ってくると同じ態度を私にも取りました。
真摯だった男性が 一転!人の話を聞かない 聞けない高慢な人になっていたのです。
きっとその姿が 彼の本質だったのでしょう。

その通りだと思います。

実習先での出来事を 顔を真っ赤にし 口角泡飛ばすほどの勢いで語ります。
語る・・といっても 何の主張も信念も見受けられず 
その姿は周囲(全員彼より年下)の失笑を買うほどのつまらないものでした。

ああ・・・やはり「知っているとわかるは違うんだ」と改めて思い知らされました。

そう、「知る」と「分かる」は違いますね。
それを「知らない」人が殆どですね。


その男性にとっては 自分の得てきた知識だけが全てで 
思いも寄らない事態や 経験したことの無い出来事は有り得ないのでしょう。
ましてや 自分には想像もつかない行動を取る人間(認知症の方々)を受け入れるなど
頭の中では出来ていたにしても 目の前にするとどう対応してよいやら皆目見当もつかず
「出来ない自分を受け入れられない」がために 他者を非難して自己を保とうとしていたのだと思いま
す。

ていうか、殆どの人はそうですが、特にオヤジはそれが強いですね。
自分が間違っているってことがわからない。
何故かというと、「自分は間違っている」と、判断出来ないからです。
判断出来ないのは思考力がないからです。
で、思考力がないから、やること為すこと、間違っている。
これが「悪循環」です。
こういう人を相手にすると、どこから手をつけていいかわからない。

ここまで程度の低いのはともかく、人は多かれ少なかれ、こうなのです。
重症か軽症かの違いだけです。
私だって、同じで、「自分に分からないことは、何が分からないのか、分からない」のです。


頭の柔らかい人間であれば
「そういう人もいるかも知れない そんな出来事もあるかも知れない」と思えますが

子供、若い人、性質の良い女、モノの分かったおばさんなどは、分かることが出来ます。
と言っても、すぐ分かるのではなくて、分からないが、一応受け入れて考える姿勢はある。
姿勢があっても、分かることとは別ですが、とりあえず姿勢だけでもないと、
分かることは不可能です。

私が見たところ、分かりたいという姿勢がある人は1割くらい。
分かる人はその中の1割くらいです。


頭がガチガチに固まってしまった人間は
「そんな人いるわけがない そんな事は起きるはずがない」と
自分の経験値だけで否定してしまうのでしょう。
「自分が高齢者になるはずがない 自分が認知症になるわけがない」
・・・全て他人事 想像力に欠ける
介護の勉強を始めたのも きっかけは「人助け 役に立ちたい」

意地悪な私は
「助けてもらった方がいいんじゃないの?」なんて思ってしまいました。
高圧的な態度で介護をしてもらいたくはありませんもの。

オヤジにありがちな態度です。
しかし、オヤジ本人にはそれが分からないのです。
このオヤジは長い人生、何も分からないで生きて来た。
見かけは「他人の役に立ちたい」というものですが、彼がここへ来た理由は、見えない存在の
導きがあったのではないか?
一生ワカラナイで過ごすより、最後のチャンスとして、ここへ来させられた。
彼はここで学習しなければならない。
そうじゃないと、もう、分かるチャンスはない。



ifさんの
 
 「心は一生コドモ〜青年でありたいものです。
   そして大人の分別(頭)を持てば素晴らしい、これが理想です。」

 

・・・この言葉が改めて胸に刺さります。

このオヤジは」それとは逆ですね。
「頭が子供並で、心はガッチガチの大人」・・・しかし、これが殆ど、9割以上ですね。
「心は子供・・・」ってのを紙に書いて壁に貼っておいたら如何でしょう?
それを見た心有る方には響くかもしれません。


私もそうありたいです 固定観念ガチガチ頭にはなりたくないと思います。
柔らか頭で いつもワクワクドキドキしていたいと思います。
不思議なこと トンデモ話大好きですし 
知らない事 分からない事 まだまだ沢山ありますもの。

私もです。

でも この「講師稼業」からも早く抜け出したいんですよ。
他に何も出来ないので 今は甘んじていますが 
このままでいると私もヘンになってしまいそうで・・。
「先生と言われるほど馬鹿じゃない」
これは 明治生まれの方に教えてもらった言葉です。

「先生と、言われるほどの、馬鹿じゃなし」
ですね。
ちゃんと五七五になってます。

この言葉の意味は
@先生と言われるほどの人なのだ、だから馬鹿じゃないのだ。
A先生と言われているのは馬鹿なのだ、私は先生と言われてないので、馬鹿ではない。
どちらでしょうかね。
二通りの意味があるのかな?


以前ifさんが言われてましたが その通り
「認知症の方に 資格職だった人がとても多い」のですよ・・・。

そういう人は
@専門的なことをしているので、人間を相手に苦労したことがなく、知恵を働かせることがなかった。
  なので、知恵がつかなかった。
A知識と知恵の違いが分からないほど、素質が悪い。
  人生で何も「分かって」来なかった。
こんなところでしょうかね。


低級霊と悪霊についても 思う事がいろいろありました。
介護の仕事をしていると 職員には低級霊が憑いてることが多い?なんて思います。

いや、普通に皆、憑いてると思うんです。
憑いてない方が少ないと思う。
憑いてるモノのレベル(悪質さ)などはまちまちだと思うけど。
で、どんなに良い人でもたまにはとり憑くんですよ、弾みで。
私なんかしょっちゅうとり憑かれているんじゃないかな?
なので、これを外すには自分の心を点検するしかない。
まずは、(自分には憑いてるんじゃないか?)と、疑ってみることです。


また気付きがありましたら メールさせて下さい m(_ _)m

毎日PANDRAを読んで勉強させて頂いています 改めて有難うございます。

こちらこそ、貴重な話し、有難う。



ここから下はお金の話、仕事の話が続きます。
新しい記事は下に追加されます。


<欲張りではない>(2007年6月16日)


Ifさん
おはようございます!!

Ifさん、
金運効果、急速に発揮、目覚めたようですよ。

今朝起きてPCを開いたら、またまたリピートの大量注文が入りました。

今日は、パートのお給料日。
あわせて、20万円以上になってしまった!! (@_@)

まだ15日。
まだ半月もあるわ。

素晴らしいですね〜!! φ(゜▽゜*)♪

Ifさんが仰った30万円も夢ではありませんね。

Sさんが以前パートとネットの収入を合わせて20万円になりそうです!
と言ったので、凄いと思いました。
主婦が月に5万円稼ぐのは容易ではありません。
正社員ならともかく、パートで週に数日出勤するだけで
月収が20万円とは凄い。

でも、私はSさんに言いました。
「Sさん、今度は30万円を目標にしてごらん。」


あっ!
欲のかきすぎはいけませぬ。

そうだ、先に計算はいけない。

あらぬ欲は、削除です。

いや、欲ではないな。
あなたが何もしないで、30万円寄越せと言ったらそれは欲でしょう。
でも、あなたは30万円を働いて稼ごうと思っているんでしょ?
それが欲でしょうか?

それは正当な報酬ではないだろうか?

今の仕事ぶりで20万円稼ぐなら、それを30万円にするには
今の仕事振りではダメってことです。
時間を有効に使わなくてはならない。
限られた時間を有効に使うことが必要です。
そのためには、知恵がないとならない。
その知恵をつけないとね。



また、覚悟も必要です。
日常生活でお金を使うところ、使わないところを点検してみる。
仕事場を最優先させないと、あと10万円増やせないのです。

たとえば、お金を最優先させると・・・
日常生活は切り詰めれば良い、と思うのが普通ですね。
家で出来ることは家でする、とか。
クリーニングに出さないで家で洗濯するとか。
外食はお金が無駄なのでしない、とか。
特売品を買うために遠い店に行って行列して買う、とか。
手作り出来るものは全て手作りする、とか。
野菜も自分で栽培する、とか。
ガソリンが勿体無いから自転車と徒歩にする、とか、健康にもなるし、とか。

すると、時間が取られます。
一日の大半を「お金を使わないで済むための作業」に費やす。
そういう生き方をしてもいいんです。
エコロジーでロハスでスローフードだ、賛成しますよ。



でも、そうではない生き方。
お金を稼ぐには?に特化した生き方を選んだ人の場合を今、論じています。
その時間を「お金を稼ぐこと」に使ったらどうでしょう?

つまり、お金を使わない頭ではなく、お金を稼ぐ頭に切り替えることが
必要なんです。
普通の主婦にはなかなか出来ません。
仕事最優先にしないと出来ないのです。
PANDORAのどこかに「あなたの一番大事なものは?」という
心理テストがあります。
これをやってみて、「仕事最優先」と出た方は、仕事最優先にしてください。
そうではない人が仕事をすると、それは自分の性に合ってないので
苦しいことになるのでお勧めしません。


あと10万円月収を増やすには、生活を変えることも必要ですが、
それ以前に心を変えないと不可能でしょう。

また、仕事最優先とは「お金最優先」でありません。
仕事とお金は別に考えてください。
仕事が好きで楽しければお金が後からついて来るのだ、と理解してください。



Sさんは収入を増やすことが「欲」だと言ってますが、上の説明で
「欲ではない」ことがわかりましたか?
欲ではなくて、意識の違いなんです。
収入を増やすこと=欲
というレベルではいけない。
それでは収入が増えません。
だって、大抵は
欲=悪いこと
という意識がありますね?
ということは
収入を増やす=欲=悪いこと
になってしまいます。

つまり、こういう人は
収入が増えれば増えるほど、(ああ!私は欲ばりだ!何て悪い女なんでしょう!)と、
自分を意識的、無意識的に責めます。
そういうひとは善人なので悪いことというのが本能的に出来ません。
だから収入があればあるほど後ろめたく、罪に苛まれる。

そんな苦しいこと、出来ますか?

なので、自分が苦しまないよう、「常にお金は足りな目」なのです。

それこそが、こういうタイプの方の意識構造です。

クチでは「お金がもうちょっとあったらなぁ・・・」と言うが、本当はお金があると
それは「欲が深い結果」なので、「イコール、悪いこと」だと思ってる。
そんな「恐ろしいこと、とても出来ない」「だって、私は貧乏な善人だもの」と。

するとその結果心の欲する通り貧乏なままなのです。
でも、それは自分が「欲を出さなかった結果」なのだから、本当は満足なのです。

でも、意識では「沢山は要らないが自由に使えるお金が欲しい」のです。
だってお金がないと、不自由ですよ、やれることが限られる。

いったい、どっちやねん!

金が欲しいのか、要らないのか?

顕在意識と潜在意識の間に乖離、矛盾がある。
苦しみというのは、大抵はここの乖離、矛盾から発生します。

お金を稼ぐのは欲ではないのだ。
意識の転換(向上、レベルアップ)の結果なのだ・・・ということを、
心から悟らないとその乖離と矛盾はなくならず、従っていつまで経っても
(こんなに働いているのに貧乏)状態なのです。

そこに気づきましょう。

それにしても嬉しいです。

なんとも嬉しくって・・・言葉で表現できません。。。

Sさんは以前ここらへんのサトリが浅く、誤解をしていました。
その結果お金があったのに、だんだん貧乏になってしまいました。
友人に相談したら
「お金は後からついてくる。」と言われたそうです。
当時その言葉の意味がわからなかったそうです。
それから数年間、この言葉の意味をずっと考えて来たそうです。

それでもわからない。

Sさんは去年PANDORAに来てから意識が向上しました。
PANDORAでは難しい理論や理屈、学説などは語りません。
私がわからないからです(わっは!
しかし、物事を筋道をつけて考えることの訓練をします。
抽象的なことは言わない。
必ず具体例を挙げます。
なので、Sさんは数年前友人に言われたことがだんだん分かってきて
気がついたら収入が増えていたのでした。

で、今度は次のステージです。
さらに10万円増やす相談ですよ。
ここでまたSさんは足踏み(誤解)をしていました。
10万円増やすには10万円の欲を出すのではない。
その収入に相応しい意識レベルを獲得することなのです。
これが本当にわかった時、収入は10万円増えています。

感謝して、気を抜かず、精進いたします。

楽しい、楽しい精進です。


Sさん頑張ってね♪

<専業主婦→パート→正社員>(2007年6月17日)


或るサイトの管理人さんがネットで商売を始めたらパート主婦くらいの
収入になったと報告してくれました。
次は正社員くらいの収入が目標だそうです。
目標が具体的且つ、大変前向きです。

この方は理解力、判断力があるので、私が説明しなくてもそこらへんのことを
分かっているようです。

どういうコトかというと・・・



この方ではない或る閲覧者の方がこんなメールをくれました。
「職場に50代のおばさんが来て、研修をしている。
しかし、人の説明を聞いてない。
お客の前で『そんなこと聞いてなかった』と、繰り返す。
お客の前で、それは大変失礼であることを知らない。
注意しても『自分は悪くない』と言い張り、それ以外にも勤務中ずっと
おしゃべりをしている。
上司が来て注意すると黙るのはその時だけ。
また、忘れて喋り出す」のだそうです。

私はこの50代のおばさんはパートすら出来ない人なのだと、判断します。
こういう人は家庭に居ればいいのです。
でも、50代になると、子供は独立して世話をする相手が居ない。
なので、時間があり余っているのでパートでもしてみようかしら・・・
と、思って就職したのでしょう。

遅かれ早かれこのおばさんはせっかく得たパート仕事を失うでしょう。
それは、パートをするに相応しいレベルに達していないからです。



次にパート社員と正社員の差ですが、これは今は殆どないようですね。
仕事の内容では差がない。
あるのは労働時間だけじゃないでしょうか?

ここで、問題となるのは「時間」です。

一日数時間、週に数回で年収が103万円以下(だか未満だか)なら
ご主人の扶養の範囲内になる。
で、これを超えると扶養手当がもらえない。
なので、ここを超えるか、超えないかが、問題になります。
超えなければ年収が103万円以内なので、まぁ適当にやっていれば
扶養手当もつくし、いいかな・・・みたいな。

103万円(だかなんだか)を超えると扶養手当がもらえないので、
そこらへんで計算をして、沢山働いて稼ぐしかないですね。
だって、もう扶養家族じゃないんだから遠慮することはありません。
で、沢山稼ぐということは労働時間が多くなるということです。
すると、今まで家事労働で節約していた部分が当然出来なくなる。
食事やクリーニング、育児など、お金で済ますことになります。

覚悟が要ります。

意識がそのレベルに達してないと出来ませんね。

これだったら家事だけしていた方がいいや。
と思うかもしれませんが、それでいいと思いますよ。

さて、このように会社勤めをして稼ぐ人がいれば、在宅でネットで稼ぐ人もいます。
この場合はパート並の意識ならパート並の収入が得られると思います。
正社員並の意識なら、正社員並の収入が得られます。
ネットで仕事を始めたらまずはパート並の収入を得て、生活を立て直す。

それで満足ならそれを続ければいいし、実際に続くでしょう。

もっと上を望むならさらに意識を変えて生活をさらに見直す。

最初に挙げたサイトの管理人さんはそこらへんのことがわかっているのです。
まだまだ自分は向上出来る、向上する、と決めています。



収入を上げるには心のレベルアップが先で、不可欠です。
管理人さんは自分の心のレベルを上げればそれに見合った収入が得られるので
楽しみながらやっているようです。
自分の心のレベルが上がればそれに連れて収入が上がるので
心のレベルがどの辺にあるかを、第三者の目で見るためにも
仕事をしているのです。

実はこれ(意識の向上)も仕事をする理由の一つです。
何度も言いますがお金が一番の目的ではないのです。
自分では「成長した」と思っていても、それは主観ですよね?
客観視するためにも仕事をする、この態度がいいと思いますよ。

<宇宙銀行>(2007年6月17日)


Kさんからのメールです。
Kさんは先日アンジュさんのセッションを受けました。
するとお金について、とても参考になることを教わったそうです。

それと 例のお金の事も聞いてみました
(叔母と父が妹に大金を貸してる事)
すべて この世のした事は宇宙の台帳に書かれているから 
この世のお金には執着してはいけない。とのことでした。

ま わかってはいるものの・・・なにせ 大金でして・・・

でももういいんです わかってはいるのです
返ってくるわけもなく if さんにカードで訊いた時もそうで
したから 諦めてはいます。
もういいんです

この時の話しは覚えています。
Kさんのお父さんとお父さんの妹が、もう一人の妹に
それぞれ大金を貸している。
で、全然返さない。
で、返す気もない。
妹と言ってもKさんから見たら叔母さんに当たる方です。
叔母さんには子供が居ますが、子供達も返す気はない、
と出ました。
呆れた話しです。


それに お金は 日本銀行の上に 宇宙銀行があるそうで
必要な時は 宇宙からお金の天使さまが持ってくてくださるそ
うです
全てを お任せすればいいそうです

ですから これからは宇宙銀行にお願いする事にしました

そう考えると よく聞くことですが 生かさせているんですね
。 この地球に産まれて命をいただいて こうしてこの世で 
命の限り生かされているんです。
神聖な事ですね

父と叔母が 妹にお金を貸さなければいけない理由も
前世絡みのようでした。

私の代には係わってはきませんが 父と叔母の代までは前世の
何かで係わっていたようです。

セッション受けているうちに 気持ちが和らいでいきました

父に対する気持ちも楽になりました
構えることなく 自然に話せるようになりましたし 叔母
にもそうです。

叔母は私に甘えてるから いつも愚痴を言うようです
それを受け取ってあげると 叔母も気持ちが安心するようです。
どしても身内って お互いにわがまま出ますからね。

父も叔母も まったく どうしてあんなに わからんちんなの
かと腹を立てていましたが それも全て寂しさからでした

叔母も一人で暮らしています
父もそうです(一人暮らし) 不安なのですね。


貸したお金を回収出来ないと腹が立ちますね。
正義感を持つともっと腹が立ちます。
でも、視点をこの世だけでなく、あの世にも持つと
Kさんのように心が安らぎます。

アンジュさんの言う通りだと思いますよ。
お父さんと叔母さんは、もう一人の叔母さんに対して
前世の借りがあった。
で、前世では時間とお金がなくて、返せなかった。
だから、今世、返しているのでしょう。
この二人は、お金を今世返さなければ来世に持ち越しになってしまう。
それではせっかく今世生まれて来て、苦労した甲斐がないのです。


傍から見たら理解出来ないことも、前世がらみだと
考えれば納得が行きます。

<派遣社員の場合>(2007年6月19日)


ifさま

こんにちは
Mです
本日のパンドラにとっても私にタイムリーな記事がでていたので
びっくりしました!!!
「人間のいろいろ8」の最新記事です
私はスーパー派遣と記事にしていただいたMです



今年の2月から3ヶ月だけの契約がさらに3ヶ月更新して
扶養内で働けるようになったと以前ご報告しました
そしてまた
ありがたいことに更新のお話を派遣先より打診されました!
またまたお仕事運UPの絵の効果ですね☆うれしい♪
今度は6ヶ月契約でと…派遣先の人事異動がおもうようにならず
人手不足のためもあり私に続投のお声がかかりました
できれば同じ方(私)につづけてほしいとの意向でした

でも…今年は扶養範囲内で働くことになっていたのに
今回お仕事更新してしまうと扶養からはずれます
そのことで迷っていて…



本日パンドラの記事を読み
自分の向上心のなさや甘えが身にしみました
そしてお仕事運UP絵のおまけにいただいた絵が「向上」だったのですが
その意味がもっと今わかりました

頂いた時は向上心がたりないのだと思っていましたが
お仕事が何度も更新されるのはこの意識・心のレベルUPのための「向上」だったのですね
記事を読みハッとしました!
扶養でいることへの甘えが…
ホントは働きたくないのではないかと
働かない働けない理由を扶養範囲のせいにしているだけで

お金もほしいと金運UPの絵も書いていただいているのに
収入を得られるお話がきているのに躊躇している自分って笑えますね (^^;)
記事にあったように欲張りじゃないと同じで矛盾しているのですね



私は派遣ですが勤務時間が短くパートのような感じなんです
パートよりは時給はいいです(しかし交通費はありません)
条件はありますが派遣会社の保険にも加入できます
なのに迷ってます
夫は扶養からはずれるのには反対だったから…
そして今回のことはまだ話してないのですよ
自分の意志が決まるまではなせないでいます

それで
先日naoさんにカモワンを依頼しました
結果は↓の通りでしてすごいです!今の心境をピタリとあたってます


「質問:派遣の仕事を続けた方がいいですか?
答え:YES
 
カモワンでは続けた方がいいと出ました。
添付画像を見ていただいたらわかると思いますが、とても単純な展開になっています。
 
過去:力
現在:神の家・逆位置
未来:吊るし
 
過去の「力」は、真由美さんが頑張って働いている様子。
あなたの仕事ぶりに、派遣先も契約更新を申し出てきたのでしょうね。
とってもしっかりと仕事をされる方なのでしょうね。
 
現在の「神の家・逆位置」は、あなたが外へ働きに出ることを迷っている様子ですね。
ご主人あまり賛成はしていないし・・という感じでしょうか。
下に解決カードとして「悪魔」が出ました。
これは派遣先があなたに続けて欲しいと申し出てきたことが出ています。
未来の「吊るし」。
これはじっくり考えてみるということかな、と思います。

カードにはいろいろな意味がありますが、「吊るし」のカードの意味は
「モノの見方を変える」ことが、一般的ですかね。
MさんがPANDORAの上の記事を読んで、まさに「モノの見方を変えたこと」が
カードに出ていたのです。

 
今回はYESと出てますが、悪魔という金銭・物理的なつながりを示すカードも出ていますので
扶養や税金問題といったことではなく、あなたにとって「働く」ということや
ご主人との家庭のことを、考えながら決められてはいかがでしょうか。
 
配偶者控除などの税金関係も大きく変わってしまいましたので、
以前のように「扶養内での就労」は、難しそうですね。
あなたがどのような姿勢・目的で
働くかどうかをご主人とよく話し合いされるのが望ましいのかもしれません。」


naoさんの鑑定は鋭い。
その通りですね。


まだ話せてない夫と話すことが問題解決の糸口
明日にはちゃんと自分の意志を決めはなしたいとおもいます


自分が向上する方向、「本当にやりたい方向」に、進むといいですね。

<仕事の感動が薄れたという人>(2007年7月17日)


結婚式場で仕事をしている方からメールが来ました。
最初は結婚する二人を見て感動して泣いていたが、
最近は仕事の手順を間違いなくこなずことに神経を使うので
感動がなくなり、新郎新婦を見ても(どうでもいいや)と思ってしまう
自分が居るので、なんとかしたい、という内容です。

それに対する私の返信です。



仕事に慣れて仕事の感動が薄れてしまったんですね。
殆どの人は仕事に感動を持ってやってないと思うので
あなたは真面目ですね。

ただ、毎日毎日感動はないと思うんです。
たまに(ああ、この仕事をやってて良かった)と、思うくらいではないでしょうか?
一年に一回とか、そのくらいの頻度なのでは?
毎日感動したい・・というのがそもそも、無理な話だと思いますよ。
他人に感動出来る作品を作ってる
たとえば映画関係の方だって、仕事は淡々とこなしているのだと思う。

ただ、あなたの場合はお客さんに対して
(どうでもいい)と、思ってしまうほど、意欲が下がっているのは問題です。
感動などしなくていいから、
(お客さんに満足してもらいたい)
(お客さんの一生の思い出を、自分で出来る限り良いものにしたい)
と、思うべきでしょう。

あなたはお客さんより、自分を先にしています。
それが一番問題です。
お客さんの喜びが自分の喜びにならない限り、
何をしてもダメでしょう。
ネットで仕事をする人にも、この点は注意しています。
友人のK子(指輪作り)はお客より自分を優先させたので、
私に怒鳴られました。
K子にはその意味すらわかってなかった。
それがわかってないから怒鳴られたんですけどね。