<「言い方が悪いと言うヒト」を読んでの感想3>
<「言い方が悪い」というヒト>を読みました。
読んでいて途中で、
これ、言い方だけじゃないよな。。。と思っていたところ、
『これは「言い方」に限らず全ての点で無意識にしているので、
大抵善人の方は「常に周囲に不平不満を抱き、心はヂゴク」に陥っています。』
ははは・・・。。 仰るとおりです。
ナゼ自分でヂゴクを選ぶのか。(無意識ではありますが)
みんな一緒ならば、ヂゴクであっても心地よい♪なのでしょうか。
でも。それは違う。
まず、「みんな一緒」なんてことは幻想だし。
それに、しっかり、しっかり、よぉぉぉぉく心を見たり考えたりすれば、
ヂゴクにいること、それは違うということ、がわかると思います。(多分・・うーん・・でもわからない。。)
どこかに書かれていたのですが、
(これは、と思うものをノートに書いておくのですが誰の言葉かは記さずじまいで不明)
『他人があなたにどのような態度を取るかはその人の問題である。
あなたがそれに対してどのように反応するかはあなたの問題である。
他人を判断しているとき、あなたはその人を定義しているのではなく、
自分を定義しているのです。
感情は選べるのです。
問題の解決策を外に見出そうとしてはなりません。
あなた自身が解決策でありましょう。』
ifさんはよく仰っていますが、
私はまず、私自身が「善人」であることを自覚することだな、と思っています。
そうなんですよ!
あとは、他人のことは他人のこと。
これは少しずつですが出来るようになってきました。
前までは、例えば職場で機嫌のよくなさそうに見える人や、
挨拶をしてもそっけないような人や・・そういう 感じ を受ける人に対して、
なんなんだよムカつくなぁと思ったり、逆になんか気に障るようなことしてしまったんだろうか、
と思ったり、
そんなモノをひきずりながら仕事をしているからか、
その日一日(酷いと次の日までとか)その人に対してだけでなく、
仕事そのものがスムーズに進まない感じがありました。
それは私だってムカつきます。
今から二十年近く前、子供が通っていた保育園に、自分の子を通わせていた女。
朝会う時挨拶をしても絶対挨拶をしない。
何度実験してもやはり挨拶をしない。
ムカつきました。
で、それから十年くらい経ってからわかりました。
(そうか、あの人は挨拶をしたくないからしないのだ。
私はあの人が挨拶をしないからと怒っていたが、それは筋違いというもんだ。
だって、あの人は挨拶をしたくないので、しないと決めているのに
それを私が挨拶しろよ、と思うのが間違っている。
そうか。
わかった。
あの人は挨拶をしたくないのだから、こちらからもしないでおこう。
それをあの人は望んでいるのだ)
実はその時は引っ越して来て違う土地に居たのですが、
そこにも「挨拶絶対しないぞ女」が棲息していたのです。
どこにも似たようなのは居るもんです。
で、私はこの二回目の「挨拶絶対しないぞ女」に対しては
こちらも挨拶をしない(それが相手の流儀だから)と決めたら、心が軽くなりました。
私も善人なので、挨拶はするべきだ、とつい思ってしまう。
それが盲点でした。
相手が挨拶したくないなら、挨拶をしなくて済むよう環境を整えてやるのが
アワってもんです。
実際はアワではない私ですが、相手と比較した場合の話です。
おっとだいぶ話が脱線しました。
しかし、最近、それは必要のないことなのでは、と思い、ある日実験しました。
朝から機嫌の悪いオーラを出している社員さんに挨拶をしました。
案の定そっけなく、まるで私がなにか悪いことでもしたような雰囲気でした。
もちろん私はムカつきました笑
でも次の瞬間、お!これは実験できる!と思い、
ああ、でも私には関係のないこと。
ひきづられてたまるかい!
それに別に私は気分がいいんだし〜ららら〜♪
と思い、切り替えて仕事をし始めました。
すると、
その社員さんがさっきとは打って変わって穏やかなのです。
雰囲気が全然変わってしまっていました。
この間になにかあったのかとははわかりませんが。。。
でもこの際そんなことはどうでもよかったです笑
それからその日一日はやる気のある状態で楽しく仕事が出来ました。
ほおお・・・
ほんのちょっとのことですが、
私にはとても大きい嬉しいことでした。
他にも日々実験しています。
もちろんうまくいかないこともあります(というか行かない方が多い・・)。
でもやってみて、思ったことは、
意志の力、と、自覚、だと思いました。
ネガティブに考える自分や、(だから?)憑依体質っぽい自分はもうわかっています。
あら、あなた憑依体質だったんですか?
でも、ネガティブに考えなきゃ済むことなんですよ。
考えるのは誰でもない私なんだから。
私が考えなきゃいいことであって笑
憑依体質だって、わからないけど、
自覚があるんだからそうなのだろう。(チェックでも明らかにそうだった。。)
でもそれだって、PANDORAをはじめ色んなところに対処法のヒントや情報があるわけだし(有難うございます!)、
やろうと思えばやれる。
そしてやってくうちに、
あんまりやりすぎるのも自分に呪いをかけてることに繋がる気がする。。
とも思ってきて、
それからは自分に合うもの、続けられるもの、これは〜♪と思ったものだけ続けたり。
でも続けてみて飽きたら笑、別の面白そうなものがあったら笑、
またそっちに変えてみたり。
そしてそして、最終的には、とどのつまり、
自分の意思だな、と思っています。
あなたは日々の行動を無意識ではなく、意識化してやっているんですね?
だから、こんな短期間でいろいろ物事がわかるようになり、
それにつれて心も安定し、余分な感情はないし、どんどん良くなっている。
『私の主人公は私』って、凄く強い言葉ですね。
私は揺らぐとき言います。
私の場合は『私だけが私のマスターだ!』と言います。
泣いても笑ってもそれだけが事実であるなら、
笑っていたほうがいいですもんね笑
ちょっと長くなってしまいましたが、
そしてかなり(相当)話がそれてしまいましたが、
読んでくださってどうも有難うございました。
大変ためになるお話、有難うございました。 |