人間のいろいろ 8

記事は上に追加されますが、下の方にも記事は追加されている場合があります。

<宇宙心>(2008年5月12日)


今アリゾナに住んでアンダラ・クリスタルを
販売している美保子さんの著書です。
美保子さんのサイトはここ
http://www.mycosmicheart.com/
この本は平成15年に初版が出ています。
この本を読みたいという方に貸すと
あまりにも良いので自分で買っているようです。

今、絵が暇なので久しぶりに読み返していますが、
素晴らしい内容です。
いや〜以前読んだけど、内容を殆ど忘れていたのでね、
新たに読む気がして新鮮で良かったです。
(どhっひー、読むの無駄では?)
皆さんもぜひこの本を読まれることをお勧めしますよ♪

これを読めば世にある偽物が分かってきます。
本物を知れば偽物が分かるようになりますからね。
(途中まで正体を隠している場合がありますが)

<素人(心が素朴な人)のアセンション論>(2008年5月14日)


こんにちは。突然ですが、
アセンションについて閃きました。
 
アセンションって心に沿った生き方をすることだと思いました。
 
良心にそむいて、本心を知りながらも現実はそんなに甘く無いとか
女子供の感傷につきあえるか、とかなんとか言っちゃって
良心に目を背けて働いたり、行動したりしていた時代から
 
損してでもアホと思われても、自分の心根(良心)に沿った生き方を
しようと心に決め、行動することができる人をアセンションした人と
言うのではないでしょうか。
その方が気持ちいいし、楽しい。
 
私のまわりには良心に正直に生きる人がたくさん出てきて居ます。
まわりを引っ張っていこうとしています。
私もその一人になれるように踏ん張っています。
勇気と体力がいりますが。
 
でも、アセンションってこういうことじゃないかな〜。
 
この時代、あんまりこむづかしいことや半霊半物質??になるとか
ではなくて、こんな生き方ができるかどうかを上に
試されているような気がしますが。
 
こりゃ私の直感ですわい。

アセンションてあまりにも当り前のことなので却って難しく考えている人がいるのではないか。
リンク1の「アセンション〜」というサイトにもそのようなことが書いてあります。
知識や情報が邪魔するそうです。
日月神が生まれ赤子の心になれと言ってるので、難しい知識や情報が必要では無い。
ただ、おおいに参考にはした方が良いと思いますが。

私も素人ですが、この方の直観はいいセン行ってると思います。

<お疲れ様です!>(2008年5月14日)


チベット問題、ミャンマーサイクロン、中国大地震と、立て続けに
世界の大問題、一日に十万人が死に出して
(中国では1976年にも十万人以上の死者は出ているようですが)
愈々世の立て替え立て直しの時代が迫って来たようです。

この時、様々な事件事故周囲の問題で、感情的になる人がいます。

チベット問題であれば、自分はチベット問題についてとても真剣になっている、
でも世の中の人は平然としている、無関心である、と非難めいた気持ちになっている人もたまにいます。

他人を責めるためにするなら、辞めた方が良い。


今から10年以上前のこと。
ある左翼の人と知り合いになりました。
その人は市民運動をしていました。
で、その左翼の友人と一緒にチラシ配りをしたことがある。
それで分かったことがあります。

左翼の人は「自分達が意識が高く、そうではない人の意識が低い、ということで
自分のプライドを満足させていること。周囲の普通の人を見下しバカに
することによって、自分達のプライドを満足させていること」を知った。
即、呆れました。
で、行動を共にすることを辞めた。

私にとってチラシ配りを手伝うことは、ただのお手伝い=奉仕、です。
御役に立ちたいだけです。
まさか、左翼二人が妙な「使命感」に燃え「自分を高くするため」「周囲を低めるため」に
チラシを配っているなんて、想像を絶したのでね、途中まで手伝っちゃったけどさw


己のプライドのためにやるならやらない方が良い。


中国の大地震が来たのは、ブッちゃけ「チベット問題他の天×」という意見もあります。
それも一理ある。
そしてそれとは別にやはり生き埋めになっちゃった人は可哀想だし、
生き残った被災者には救援物資を送ってやりたいと思います。

災害については経験豊富で、資金も豊富な日本が本領発揮する時です。
官も民ももう、自分のモノを追いかけるのは適当にして、困ってる隣人のために何かした方がいい。

軍事政権下の国(ミャンマーなど)に援助物資を送っても、軍が途中で自分のモノにしてしまうだろうが
だからと言って、何もしないわけにはいかず、それなら日本人が行って現地の人に
直接手渡すとか、方法はありますね。
で、まずは若い人や定年退職した人や無職の人やフリータの人が現地へ行けるよう
お金を集めることが先だろうし、やれることは沢山あります。

とはいえ。
私にはその能力が無いので誰かやれる人がやってくれたらいいな、と思います。
ブログに書くのもいいが、実行するのはそれよりずっといい。
ただ、現地がどういう状況なのか私は調べていません。
実行する人は自分の意志で自分の責任でやってね。

自分がそれをやりたい、困っている人のお役に立ちたいと思えばやった方がいいです。

<毒矢の譬え>(2008年5月14日)


ブッダの有名な教えで、「毒矢の教え」というのかもしれません。
大意はこうです。


或る男が毒矢を射られた。
男が家に運ばれて来て周囲に人が集まり、皆で毒矢を抜こうということになった。
ところが男は
「この矢は誰が射たのだ、どこの村の何て名前のどういう男だ。
それが分からない限り、この矢は抜かせない。」
と頑張っている。
周囲の者は困ってしまった。
早く毒矢を抜かないと男は死んでしまうというのに・・・


この話は勿論譬え話です。
どういうことかと言うと。

人に、何かを分からせたい場合がある。
教える人をAさん、教わる人をBさんとします。
Aさんは人生経験豊富でもいいし、豊富ではなくてもいいが
とにかくBさんの知らないことを知っている、Bさんに分からないことを分かっている人です。

AさんはBさんに何かを教えようとしています。
ところが分かるということは大変難しいのです。
知るのは簡単、分かることはとても難しい。
他人から何を聞いてもそれを聞いた人が分からない限り、分からないものです。

毒矢とは
「それ(自分には理解できないこと)を分からないと人生間違う(失う)ほどの重大なこと」

です。
Bさんは何も知らない分からないで生きて来た。
勿論「分かり方」など分かりません。
でも、それを分からないと大変なことになるということが、Aさんには分かっている。
なので、
毒矢を抜こうとします。
つまり、Bさんには到底理解できないことを理解させようとすること
です。

でも、Bさんはそれ(毒矢を抜くこと=Aさんの言うことを理解すること)を拒否。
Aさんの言ってることを理解しないので、まさかそれが重要なことであると思いません。
その代わり自分の理屈を述べ立てます。
それが
「この矢は誰が射たのだ、どこの村の何て名前のどういう男だ。
それが分からない限り、この矢は抜かせない。」
というセリフなのです。

Bさんは「自分が納得しない限り、Aの言うことは聞かない(毒矢は抜かせない)」と
頑張っている。
Bさんには分からない、
今のBさんにはAさんの言うことが理解出来ないのだ、ということが。
今のBさんの頭(理屈)ではAさんの言うことを理解出来ないのだから、
Bさんが自分のレベルの理屈をいくら述べてもそれは無駄です。
それも勿論Bさんには分からない。

「理屈悪ざと申してあろうがな」とは日月神の言葉。
(スマ師も「人はみな自分が正しいと無意識に思っている」みたいなことを言ってます)


BさんがAさんの言うこと(理屈)を理解するにはまず、Aさんの言うことを受け入れること。
これが「毒矢を抜くこと」「Aさんの言う通りにすること」
です。
BさんがAさんの言うことを分かるにはまず、「素直になること」です。
日月神が言う
「生まれ赤子の心と成りてくだされ」です。
その後、Bさんに知恵がついていけばいつかAさんの言ったことが分かります。
(BさんがAさんの言うことを理解できるまでの波動量がつけば、理解出来る)





分かりたかったらまず、素直にならないと無理。
そして
真の意味で素直な人はほとんどいません
(私も一つの命題を分かるのに数か月〜数年かかります)
殆どの人はこの「毒矢を射られた男」レベルなのです。


でも、感触としては女性の方が素直です。
女性は豊富なアワが災いして感情的にならなくても良い場面でなり、
不必要に心を汚してしまう点に注意すればいいです。
(女というのは思わなくても良いことを思う傾向があります)

男性は単純なので、その点はいいと思うんですよ。
ところが男性は社会に出て十数年経つと今度は頭が硬くなってしまう。
(※刑務所にブチ込んでも10年入れておかないと、人は変わらないんだそうです。
  一ツのことを身体で覚えるには10年かかる、心を変えるには10年かかる、
  ということだと思います。
  相似象も「まず10年やってくれ」と師匠が言ってます)
三十代でも頭がガッチガチになっている人がいます。
(社会に出て社会勉強して十数年経った頃ですね。
 知恵がつかず、真似だけしていれば三十代になれば頭がガッチガチになれます)

社会でやっていくのはそれだけ大変なことである、ということです。
世間体、とか外聞とか、そういうモノがあることを学習してしまう。
しかし、それで終わってはいけない。
そこを突き抜けないと。

自分の頭の固さを自覚して、つとめて柔らかくしましょう。
仕事をちゃんとやる、社会人としてちゃんとしていることと、頭の硬い、柔らかいとは
本来無関係ですよ。
男も女も意識して生まれ赤子の心となりましょう。
素直になる、という意味です。

<素直じゃないと伸びません>(2008年5月14日)


上の記事と関連して。
昨日Mさんと「素直」について会話しました。


Mさんは中学生の頃お母さんが亡くなってしまったんだそうです。
で、すぐ継母が来ましたがこの人が凄い人だったそうです。
Mさんのお兄さんは寮のある高校に通っていましたが、寮に入れさせられた。
続いて入学したMさんも寮に入れられました。
継母が二人を厄介払いしたようです。

夏休みになると寮の生徒は皆帰省します。
Mさんも家に帰ったところ、継母が家に入れてくれなかったそうです。
玄関から中へ入れてくれません。
長い夏休みに帰る家がありません。
Mさんは仕方なく寮に戻りましたが、寮は夏休み中は食事が出ません。
即席ラーメンやパンで食い繋ぎ、友人の家に行ったりして過ごしていました。

「ホームレス中学生」よりはマシですかね。
一応建物の中に住んでいられるので。
しかしこれが卒業するまでずっと続いたのです。
他の生徒は土日には帰省出来るのに、勿論家には帰れません。

そのうちお兄さんが就職したので、
それからは夏休みになるとお兄さんのところへ行っていたそうです。



普通の人なら参ってしまう。
99%グレちゃうと思いますね。
ところがMさん生来明るく元気だったので、逞しく生きていたようです。
スポーツが好きだったのでテニスをやってました。

女性のコーチが居たそうです。
Mさんの学校は男子校だったので他の生徒は女だからと、
コーチをバカにしていたようです。
でもMさんはテニスが巧くなりたいので、女性コーチについて
一生けん命練習したそうです。

そのうちその女性コーチはMさんしか指導しなくなりました。
何でだろう?と思っていたらコーチが言ったそうです。
「素直じゃないと上達しないよ。」
「素直じゃないと伸びないね。」
「素直じゃないと何をやってもダメだよ。」

と。
この言葉を毎日のように聞かされていたMさん。

その言葉はMさんの身体に沁み込んで(潜在意識に到達して)しまいました。

捨てる母あれば拾うコーチあり。
両方女性です。
女性には鬼から神までいますね。
若い頃、人生の指針を教えてくれたコーチはMさんの大恩人です。
しかし、Mさんはもともと素直だったから、コーチの言葉を素直に聴けたんですね。
(もともと素直なところに、コーチがハッキリと言語化してくれたことが良かった)
また、Mさんはコーチをお母さん代わりにして甘えていたのかもしれません。


「素直じゃないと上達しないよ。」
「素直じゃないと伸びないね。」
「素直じゃないと何をやってもダメだよ。」


今はオヤジのMさんですが、この言葉を自然に実践しています。
そして部下の中に素直でない三十代〜四十代の男性が
沢山居ることを嘆いています。
まだ若いのに頭がガッチガチになってしまった男性がいる。
Mさんは言います。
「素直でない奴は伸びません。」と。



最も難しいのは
素直になること=生まれ赤子の心と成る
こと
だと思います。


さてさてMさんはその後結婚し
毎日のように「あんたは素直さが足りない!」と奥さんに叱られてきました。
自分では素直だと思っていたMさんが実は自分でも気づかない部分で
素直で無い部分があったことに気づきつつ二十数年。
そして去年私のところへやって来ました。

「ようこそ、虎の穴へ!(熱烈歓迎)」

私はご存じの通り日本国憲法より自分の意志を優先させています。
世の常識習慣などはあくまでも参考意見として捉えています。
MさんはPANDORAを読んでショックを受けたらしいが、その後
管理人から実地で常識粉砕、徹底素直の訓練を受けることになる。
(思えば気の毒。Mさんどこで道を間違ってしまったんだろう?)
これがMさんの「素直道」の総仕上げになるかもしれません。

<後悔〜反省〜原因究明>(2008年5月13日)


PANDORAの沢山のお客さんが私に「反省しました」とメールをくれます。
凄い・・・
管理人の私が滅多に反省しないのにね(笑・・・いや、泣)

何か失敗をする。
大抵の人は後悔するのではないでしょうか?
何かドえらい失敗をする。
私は感情が動かない方なので冷静に「原因究明」して終わります。

で、どちらもダメだと思います。


後悔する人は後悔して終わる。
散々(ああ!オレは何てバカなんだ!)(あああ、またやっちゃったわ!うわ〜Nn!)
と、感情を動かすだけです。
原因究明をしません。

この時
(そうか、オレはあの時こうやれば良かったんだな、そっか分かった)
(ああ、あの時私はこれこれこうだったのね)と、原因究明をしない。
ひたすら後悔する。
頭が働かず心だけが動く。
で、頭が働いてないのでまた同じことをするんですよ。
原因が分かってないので何度でも同じことをします。

私のようなのは(そうか、あの時はこれこれこうだからこうなったんだな、はい了解)で終わり。
原因究明するだけ。
後悔無し。
感情動かず。
で、たいしてダメージを喰らわないのです。
へこたれません。
いったいどうやったらちょっとのことでへこたれられるのか、納得出来ません。
心が動かないのでダメージ喰らわないのです。
ダメージを喰らわないので何度でも同じことをしますね。

だって、どんな結果でも(まぁ、いいさ、これから学べばいいんだし)と、言って学びません。
なので、あまりにもポジティブなのは考えものです。
やはりここで思いっきり後悔し心にダメージを喰らわせる必要があると思いますね。
私のようなのはこれ(ダメージ食らうこと)がなかなか難しいのです。
心より頭が働くタイプの人間も大変なんです。
何度でも何十回でも同じような失敗をやらかします。


反省とは、原因究明をしっかりした上で、二度としたくないという情動を伴って行われるもの
です。
広辞苑の定義は調べていませんが、私に言わせればそうなんですよ。
頭と心、サヌキとアワ、イとミ、両方で行われないと反省したことにはならないと思います。
後悔と原因究明の両方を伴う意識、とでもいいましょうか。

感情が動いている時は思考出来ません。
だから、通常反省は出来ない、難しいのです。
だって「堕ち込みつつ思考しろ」と、私は言ってるわけですからね。
でも、それが真の反省なんですよ。
私の定義では。


と、いうワケで。
PANDORAのお客さんはしっかり反省しているようで良かったです。

<同波長の話・・・音声>(2008年5月12日)


最近GREGORIANにはまっている私です。
伝統的なグレゴリオ聖歌は我が家にテープがありますが、それは主人が聴いてます。
私は現代風にテンポ良くアレンジしたのが好きです。

これだけではなく、ペルーのフォルクローレも現代風にアレンジしたのが好きです。
般若心経を現代風にアレンジした曲も聴いています。
これはウッタラ・クルという日本のアーティストで民謡やお経を
ロック調に仕上げていて、何ともいえずいい感じ出しています。

どうもね、伝統的なのは好きではなく、伝統を現代風にアレンジしたのが好きですね。
私はシンセサイザーのような人工的な音が好きです。
好きな作曲家はヴァン・ゲリス。ギリシャ人ですね。
日本で行われたサッカーワールドカップのテーマを作った人です。

彼の曲を流して色を感受したらインディゴだったようです。(本では圧倒的な青と表現)
これは昔あった雑誌「A to Z」の記事にありました。
私は彼の曲が大好きなんですが、インディゴのケがあるのかな?
そうではないとしても、彼の曲はインディゴに対応するチャクラに相応していると言えるかな。
かなり精神性(波動)高いと思いますね。


同波長の法則というものがありますが、
音が最も身近で分かり易い波長ではないでしょうか。
声はその人の心・精神の波長だといいます。
声が似ている人は心精神も似ているそうです。
だから親子は声が似ている。
同波長の法則ですね。
私なんかすぐ下の弟と声がそっくりと言われて嫌〜な感じです。
(く〜〜〜〜っ、あんな奴と!)
(第一男と女で声がそっくりってどーゆーこと?)

そうそう、私の声は変わっているそうです。
今まで沢山の人から言われました。
「その声!」「初めて聞く声」「今まで聞いたことない声」とかね。
「声が良い」そうです!おおっ!一つだけ褒められた感じがするぞっ!
とにかく何とも言えない声だそうです。
先日カモワンで電話で会話した方から終わってからメールが来ました。
「ifさんの声は
セクシーでした。」
おおおおおおおおっつ!やはり分かる人には分かるんだねっ!!!!


それはともかく、そうそう、波長の話ですよ。
音声=波長
音声が似ている=波長が似ている

これは分かり易い。

好きな音楽が似ている=波長が近い
と言えるでしょうね。

私の好きな曲は伝統的な音楽を現代風にアレンジしたものです。
伝統的なものなので、時間の淘汰に生き残った本物です。
でも、本物そのままではやはりつまらない。
それを現代風にアレンジしていないと、現代人の私の感性に合わない。
私は本物でいてしかも現代に合っているものが好きなようです。
皆さんはどうですか?


GREGORIANは果たしてどのようなチャクラに対応しているのでしょう?
私は一番上のチャクラに対応しているのではないかと思います。



音楽の好き嫌いは厳然としてあります。
絶対譲れないくらい、人は好きな音楽と嫌いな音楽があります。
何故なら音楽は精神の波長と密接な関係があるからです。
他のものも全て関係ありますよ(色や言葉他も全て)、でも音楽の好き嫌いは分かり易い。
演歌を好きな人嫌いな人。
クラシックが好きな人嫌いな人興味無い人。
フォルクローレが好きな人嫌いな人どうでもいい人。
さまざまな波長があると言えます。


或る人との相性を見たければ音楽で確認出来ると思います。

<未来の仕事のあり方>(2008年5月11日)


さて、アセンション後には仕事のあり方はどんな風になっているのでしょう?
リンク2→「日月ブログ」→「ひ☆ふみの詩」に参考になる記事があります。



キの巻 第五帖 その2
次の世となれば、これ迄の様に無理に働かなくても
楽に暮らせる嬉し嬉しの世となるのざが、

臣民今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落として取る様に
なりてゐるのざから神も往生ざぞ、

神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、
自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となってきたのざぞ。

其処にまだ気付かんか、


-----------------------------------------------------------

楽に暮らせる嬉し嬉しの世!!なんて、目指せって感じです。
(実は、私も、お金のためだけに働くのだけは、もうゴメンって感じなのです)

上手くいったとしても、自分だけの力ではないこと、改めて
感謝する必要があります。


日月ブログの方はみな、日月神示(ひふみ)から好きな文章を抜粋している
わけですが、選び方もコメントも個性的で面白いです。


それはさておき。
やはり将来は自分の好きなことをする時代が来るようです。
いや、自分が好きなことをしている人が次の世(アセンション後の世界)に
生きているのでは?

自分の好きなことを探しましょう。
そして毎日楽しく生き生きと暮らしましょう。
そして、周囲の人のために何かしましょう。
自分が簡単に出来るちょっとしたことでいいんです。
感動する映画や音楽を紹介することでもよし。
ブログで世のため人のため主義主張するもよし。
公園でゴミを拾うのもよし。

私の場合はクレームつけること、説教すること、かな?
私の性格に合っているので実行するのが簡単です。
え?
他人に文句ばかり言う奴はアセンションなんて無理だろうって?
そりゃオマエ間違いなくヂゴク逝きだろうって?
うそ!

ともかくも、だ・・・・・・・・・・ひとに福を分けながら生きましょう。

<未来の仕事のあり方を読んでの感想>(2008年5月13日)


上の記事を読んだ自営業を営む男性から感想が来ました。

仕事の話の記事、そしてrakanさんのブログの話も読んで、そうだなあと思いました。
楽しいことというのは、喜びの中で自分を輝かせながら力をだしきることができることだと改めて思います。
 
最近、本業でお客さんに”あなたの力を出し切りなさい”と言葉は違いますが、そんな意味だと感じれるお叱りをいただきました。
何日も前から前フリがあったので、最初はフィーを負けさせるための言いがかりかと思ったんです。(恥ずかしい限りです)
でも、話を聴いているうちにこれは、天の声だなと思いました。
たしかに仕事に関して消耗している心があり、手を抜くわけでは無いですが、自分でも力をだしきれていないのは気付いていました。
 
どこかで、誰かのために、誰かのためにという思いもありました。
どこか苦しいのは自分のエゴのせいと頭で言い聞かせていたところもありました。
仕事量とフィーのことや仕事の内容について、垢のような思いもありました。
そんな状態に、趣味は楽しいのでエネルギーを注ぎ込む量のバランスが崩れていたようです。
 
つまり本業があまり楽しくないので、趣味に力を入れていた?
本業に没頭出来ない人は趣味に走りますね。
趣味が悪いとは言わない。
問題はバランスでしょうね。


しかし、しばらく抱える鈍痛のような苦しさと、ここ数日の出来事や記事などを通じて、
ああ、まず自分が嬉しかったらいいんだ!それで自分を出し切ればいいんだ!
もっと乱暴に言えば、自分の為が人の為なんだ!人が喜ぶのは、おまけ程度かもしれない。。。。と気付きました。

その通りです。
この方は良いことに気づき、悟りましたね。

自分が楽しいこと≠他人が喜ぶ
と思いこんでいたことが間違いです。
自分と人とを分けている。
本当は
自分が楽しい=他人が喜ぶ
が正解。
(※今はそうではないけど、そのうちそうなる予定)
(※また、自分が楽しいことが他人の喜びである、そのレベルまで自分を高めることも必須)


たとえば私は日月ブログの管理人さんに言います。
「まずは自分が楽しんで書いてね。
それを読む人のためになるのは勿論だけど、まずは自分のために書いてください。」と。
日月ブログの方は閲覧者の反応があろうとなかろうと、自分のために書いてるはずです。

次の世は多分そういう世界ではないか。
自分のために楽しんでしたことが他人にとっても喜びである世。
(※そのためには自分にとって楽しいことが他人を害するものではないことが条件。
   だから、自分が何を楽しむか、が問題ですね。
   他人を害することが楽しい人は次の世には居られない)

やってる本人が楽しくないことは、他人が見ても実は楽しくないということは、盲点ですかね。


このことは以前から言葉の情報としては頭にはありましたが、ハラには落ちてないなかったようです。
 
まずは情報として頭に入れればいつかそれが腑に落ちます。
それが腹で分かったという状態、相似象で言うところの
「ミ(身)の次元で分かる」ということです。
心で分かるということが本当に分かるということです。

頭で分かるってのは分かったことにはならず、それを「知る」と言います。
イ(意)の次元で知る、ということです。
しかしまずはイ(頭)に知らせなくてはなりません。
この方はちゃんと順番通りやっていたわけです。


おそらく自分のやり方が悪いということもあると思います。好きでもやり方が悪いと楽しくなく苦しいばかりです。

そこで判断力の向上が必要になりますね。
頭(サヌキ)を使います。

ずっと、この変化の流れは感じていましたし、ここらで、ひっくるめて見つめ直す時がきていると感じます。
 
いい感じです。
あなたが何も考えないでやって来たら、悟ることは無かったでしょう。
仕事をするということは、自分を知る手段であります。
趣味でもいいが、趣味はやらなくても良いものですね。
それより、やらなくてはならないことをした方が悟れる可能性が高い。
実際は仕事をしても何も悟らない人が殆どですがね。

女なら子育てをすると良い。
子育てが嫌でもヘタでもやらなくてはならない。
子供を捨てるわけにはいきません。
一人につき18年は面倒を見なくてはならない。
だから、心が鍛えられます。
実際は何人育てても何も悟らない人が殆どですがね。


男性は仕事で悟り、女性は子育てで悟るのが自然で良いです。
勿論男性も子育てで悟るし女性も仕事で悟れます。


この方は仕事を通して自分を見つめ、分かり、悟っています。
やる気があれば誰でも出来ます。
やろうと思えば出来る。
出来ない人はやろうとも思わないのでw

<フランスで個展>(2008年5月11日)


PANDORAのお客さんの中に芸術系の方が大変多い。
プロのデザイナーも数人いるようです。
当然、皆さんとても上手です。
これから紹介する方はフランス在住の女性SYさんです。

チベット問題を切っ掛けとしてチベット人の顔を描くことを始めました。
チベット人の経営するチベット書籍屋で、写真集を買って描きました。
ご存じのとおりフランス人のチベット理解に関しては大変熱いものがあります。


パンフレットが刷り上がったので画像を送ってくれました。

素晴らしいですね。

SYさんの親戚が明治時代にチベットに行ったそうです。
SYさんがチベットに親近感を抱くのも自然というか、
何か見えない世界からの導きではないでしょうか。


チベット問題だけに限らず世界中に問題があります。
世界の60数億人中8億人以上が慢性的な飢餓に苦しんでいるそうです。
日本は平和で食物は溢れ文化は高い。
日本人の多くはもっともっととモノを追いかけたり、幸せを求めたりしていますが
それを止めると日本人は幸せになるような気がします。
つまり、自分のことは放っておき今、困っている隣人のために
自分が出来ることをすると、幸せになれる。

◇デモに参加
◇チラシを配る
◇ブログに書く
◇募金する
◇祈る
◇絵や音楽を作る

自分が楽しくやれることをすると良いと思うので怒ってはいけません。

SYさんのように絵を描いて訴える、という方法は大変良いと思う。
その心はきっと高次元世界に通じていると思います。
なので、描かれた作品の波動は
自分が認められるために描かれた作品や
売れるために描かれた作品よりずっと高いはずです。


さて個展の会場はフランスです。
お近くへお越しの際はぜひお立ち寄りください。

<スマナサーラ師>(2008年5月10日)


スマナサーラ師(略してスマ師)を、教えてくれたのは
北海道に住む最近大学を卒業した女の方です。
(TT)さんといいます。
いえ、泣き顔ではないです、イニシャルです。
この方のおかげで沢山の人の魂が助かりました。
有難う♪


自分が知ってることを他人に教えるのは
心さえあれば簡単にできることです。
ところがこの簡単なことも心が無いと出来ません。
どんなにちょっとしたことでも出来ない人がいるんですよ。

ほんのちょっとの手間と勇気があればいいだけなのにね。

<GREGORIAN>(2008年5月9日)

リンク2の「Lalala」のemunimaさんがGREGORIANを紹介していました。
「Guide Me God」です。
私も真似をして同じGREGORIANの他の曲「Sad」を紹介します。



<誤解されても腹立たない>(2008年5月9日)


私は今から20年以上前に「腹が立たなくなる合宿」に参加しました。
当時幼児を子育て中でした。
私の親が怒ってばかりいたので、それが私に沁みついて(潜在意識に入ってて)
腹が立ってしょうがなかったのです。

で、合宿に参加している間中、腹を立てていました。

でも、そこで相似象を知っている方と知り合いになり、本を買って読み始めました。

6年くらい経つと変わって来ました。
10年経つとかなり変わっていました。
相似象は読んで知識としてもダメです。
それが身(ミ)につかないと。
そのためには毎日毎時間毎分の質を変えないと。
いや、変えるための手段が相似象ですが。


さて、腹を立てることよりもっと苦しいことがあります。
それは「ガッカリすること」です。
これに比べたら腹を立てることなど何でもないくらい軽いです。

今から9年ほど前のことですが、主人や友人達に心底ガッカリしてしまいました。
友人の方は私が言うことを理解しない点についてです。
こんな簡単なことが分からないで、しかも誤解しては感情的になり怒ってる様を見て
とてもガッカリしたのです。
怒ってない方の友人も、殆ど理解せず何度も私をガッカリさせるような言動でした。
主人は勿論いつでもこんな簡単なことが分からず怒っては筋の通らないことを言って
私をガッカリさせていました。

で、それから9年。

今ではガッカリもしなくなりました。
1〜2年前まではたしかに誤解している人を見ては、私は怒っていましたが、
今では相手が物事が分からない場合は
(ああ、分からないんだな)と、私が分かるだけ。

「物事が分かってないくせに分かったと思い違いをしていい気になっているわからずや」
については「そうじゃない!」と、腹が立つことがありますが、
(※これは分かっても居ない癖に自分は分かっているのだと勘違いをしている態度
  については、腹が立つということです)
単に「他人の言うことが分からないで誤解している人」については、
腹が立たなくなったのです。


誤解をすれば困るのは誤解した本人なので、それでは気の毒だから誤解を解く
お手伝いをしたいけど、誤解する人は理解できないから誤解するので、
他人に出来ることは無いのです。
本人が判断力をつけて誤解を止めて理解しなくては、誤解は解けません。

このように判断力が増してくるとあまり怒らなくなります。
20年ほど前の合宿については得るものはありませんでしたが、
そこで相似象を知ったのは人生において一番の収穫であったと思います。
「腹が立たなくなる」という本気の願いが叶ったのです。
(全部では無いですよ。他のことでは今でも怒ってますが)
もし、相似象と出会わなければ大変だったと思います。

<誤解されても腹立たないを読んで>(2008年5月9日)


今朝、ifさんにメールをしようと思っていたことが
<誤解されても腹立たない>と似たような内容でした。
 
私、Lenさんからアンダラクリスタルを購入しました。
ダークグリーンアンダラです。
それが7日に割れてしまいました。
 
すぐにLenさんに連絡をしたら
 
アンダラはエネルギーに対して非常に敏感で
ネガティブエネルギーを受けることでクラックが入ったり、
割れたりすることがよくあるということでした。
 
 
自分でネガティブになっていると気付いていました。
 
今日の記事のように
私が言う事を理解してくれずに
「がっかりしていた」ことです。
 
ガッカリなんですが、苦労する能力の有る人が
ガッカリする傾向にありますね。


どうして解らないのか、
なぜ素直に聞けないのかと。
 
そこで「どうして分からないのか」と思うと腹が立つし
ガッカリしますが、答えは「分からないから分からないのだ」です。
なので、これが分かるとガッカリしなくなります。


 
逆にそう思う自分の心が
相手に対してエゴになっているのではと反省したり。
堂々巡りをしていたところでした。
 
解っていました
この感情は負のものだと。
 
ところがこれを手放そうと思っても
なかなか手放せずにいました。
 
頭(理屈)で分かっていても心(感情)で納得しないのが
普通ですね。
分かるには時間が掛るんですよ。
自分だってそれを分かるのが難しいんだから
(※それとは、家族が分からないということ)
家族が、あなたの言うことを分かるのは難しい。

自分に出来ないことなのに、家族にはさせようとしている、
その矛盾に気づくと一つ悟れます。


そんな中
まず不死鳥のストラップが金具から外れました。
幸いすぐに付ける事が出来ましたが
続いてアンダラクリスタルが割れました。
 
あ〜…
また意識がマイナスになっていたのかと…
 
で、色々考えたんです。
 
旦那を始め家族が理解してくれなくても、
一度放っておいてまた伝えればいいと
それが家族だから。
 
考えすぎず、楽になること
今、分からなくても、明日分かってもらえるかもしれないと。
 
そうそう。
私は(ま、いつか分かるだろう)
(分からなくてもいいし、しょうがないし)と、
思うことにしていて、実際にそう思っています。

そういう心に私が変わってゆけばいいんだと。
 
そんなメールをしようと思っていたところに今朝の記事だったのです。
 
ifさんでもそうだったんだなぁって。
私みたいな未熟もんは
まだまだ遠い道のりですが、
懲りずに前に進んでゆきます。

ま、この方は若いし。
私が分かってくれない相手に、ガッカリしなくなったのは、一年くらい前なので。
その前はガッカリしまくってて、その前は怒りまくってましたw
 
心って簡単には変わらないけど、決意すれば
つまり(私は心の中から余分な感情を無くす)と、決心すれば
徐々に変化して行って、いつのまにか、
がっかりもカッカもしなくなってる自分に気づきます。
 
半年〜一年くらいかかるかも。

<リンクについて>(2008年5月8日)


リンクページからリンクしているサイトと、記事からリンクしているサイトがあります。
どうも誤解を招いているようです。
どうも、「どちらが上か」という思考回路の方が多い、普通のようです。
なので説明しておきますね。

リンクのページに載せているサイトは
◇お店
◇更新が頻繁
◇内容がトンデモ
◇記事が無いのでとりあえず
◇関連記事が多いので、では一か所にまとめておくか

というくらいのモンです。

記事からリンクの場合は上の条件は要りません。
内容は日常的なことでも何でもOK。


或る方がブログで商品を売ることになりました。
「リンクのページと記事から、どちらからリンクしますか?」と訊き、
上の条件を述べました。
するとその方は
「記事からリンクでお願いします。」とのこと。

トンデモなことが起こったら記事が書ける。
で、そこからリンクした方が閲覧者の方は行き易いのです。
記事に「リンク2から行けます」などと書いてあると、わざわざ「リンク2」に
行かなくてはならない。
それは面倒です。
なので、来てもらえない確率が高いです。
この方の場合、トンデモな記事を書ければこの方のサイトにリンクしているので
数か所からリンクすることになってます。
これからも記事が増えればリンクも増えることになる。
かなり、賢い戦略であると私は感心しました。


リンクのページからと記事からと、どちらが良いとも言えません。

リンクのページからリンクしている方の場合、記事からリンクはしないので、
わざわざ「リンク1」とか「リンク2」にいったん、行かなくてはならない。
それは見る方にとっては面倒ですよね?
(ったくもう、記事からリンクしてくれや!)という、管理人さんの声が聞こえそうです。

だから。
どちらが上とも下とも言えないのです。
私なら、他のサイトへ行った場合、そこのリンクページからよそへ行くことは
まずありません。
興味があるのは、私が行ったサイトまで、です。
よほどのことが無い限りリンクを辿って行くことは無い。

記事からリンクの方のが見た方が自然とクリックしてサイトへ行けるので
よほど確実だと思うのです。
実際に記事からリンク先へ飛んでいる方が多い。


とはいえ。
リンクページからリンクしているサイトは私がほぼ毎日行けるように
集めてあることも確かです。
ほぼ毎日行くということは、更新が頻繁であること、内容がトンデモ、或いは
バカバカしいこと、これだけです。

それから、ピラミッド型の組織関連のサイトは記事からリンクにしてます。
レイキとか伝授の類です。
これは悪いものとは思いません。
でも私の趣味では無いので、積極的にお勧めするものではありません。
私は個人で、オリジナルなことをしている人を応援します。
この方達は何の後ろ盾もなく行動している、その心が気高いと思う。
なので伝授のサイトは記事からリンクにしています。

何か勘違いする方がいる。
リンクのページからリンクされてないと、格が下がったと誤解する方です。
そういうレベルの方は残念ながら記事からもリンクが無くなると思います。



サイトを閉じる際には連絡を下さるとリンクを解除できるので有難いが、
連絡をくれない方もいます。
管理のことを考えれば、リンクのページだけにして
記事からリンクを無くせばいいのですが、
それでは気の毒なので記事からリンクをしているのです。

リンクのページから記事からリンクになったことを
がっかりする方が居たら申し出てください。
記事からもリンクを外します。
記事からリンクはお客さんを確実にその方のサイトへ送る方法であることを
想像出来ないレベルにある方。
遠慮なく申し出てくださいね。

「神はもう機嫌取りは御免ぢゃ」

私は神ではありませんが、日月神の気持ちも分かるような気がします。

<魔境>(2008年5月8日)


リンク2から行けます「rakanのhara」に、とても深い記事がありました。
ここに勝手に掲載します。


2008年05月05日 21時50分36秒 /  Weblog

何がダメにするのか?

こんな実験を心理学ではやったようです。

幼稚園児を2グループに分けて絵を描いてもらいます。
片方にはご褒美をだします。もう片方にはなにも出しません。
むろん、褒美があるほうはがんばります。
しかし、褒美をもらったグループはその後顕著な変化が出たそうです。

半年後また絵をかいてもらいました。
褒美をもらっていないグループに比べて、もらったグループは時間をかけないで仕上げてしまうのです。
まぁ、手抜きするんですね。褒美がないならやれないや!みたいな感覚が芽生えてしまう。

この話を聞いて「はっ!」としました。

一般的に言ってお金をもらって行うのがプロの仕事です。
代価にみあった仕事をする。それは当たり前です。それがプロです。
ところが、これをやると創作活動に影響がでてきます。
なぜなら、代価に見合ったことしか出来なくなるからです。

知らぬ間にやる気が金や報償に支配されているのです。

私が教えに行く彫金教室の生徒さんの中には、かなりハイレベルな作品を作っている人たちがいます。
自分が気に入るまで手を入れるので一つ一つに思いがこもっています。
それを見たとき「あ〜俺にもこんな時期があったな〜」と純粋に作っていた頃に持っていた、
大切な何かを失っている事に気がつきました。

私が作る事に魅力をもてなくなっていた時期があります。
生活に追われて、簡単に作る事が楽しいなんて言えなかったのです。
いつも作る前に、頭が電卓をはたいていました。
これだけやって、これだけか、と。
面白いはずがない。

本来、作る喜びは金額の過多に左右されるものではありません。

しかし、これはプロへの登竜門なのだど思います。
一度、単純に作る事が楽しい時期を忘れてしまう。
その後、取り戻してからが本物です。


そして、この100個リング企画はそんな時期の私を純粋なやりがいに目覚めさせてくれました。
純粋な喜びを持ち続ける、その中でしっかり儲ける これですね。
これからもまだまだ、躓ずいては学びを繰り返し進んでゆくでしょう。
皆様のお陰で楽しく作れています。ありがとうございます


rakanさんのお尻を蹴っ飛ばして良かったです。
rakanさんは大変優しく謙虚なので私の「rakanさ〜ん、指輪作って販売しなよ=」という
悪魔のささやきには、天使の謙虚な心が邪魔をして尻ごみしていたのです。
一年近く経っても開始しないので(そうかい、そんならやらせてもらうぜ)と、
悪魔の決断で無理やりしていただきました(悪魔わらい)。

しかし、皆さんから思いがけず沢山の注文が来て、rakanさんはやらざるを得なくなりました。
遠慮していては何も動きません。
無理やりにでも開始させて良かったと思います。


さて、話は魔境についてです。

rakanさんの話は作品作りについてですが、その他にも至るところに魔境はあります。

ちょっと人気者になる、皆が注目する、仕事が巧く行く。
そんな時、人は増上慢になります。
故・高橋信次師曰く、増上慢になってはいけないそうです。
(※高橋信次師の著書は大変参考になります)
鼻を高くする。
すると
「鼻高さんポキンぞ」になる。(日月神)

人というものはちょっと売れたから、ちょっと頭がいいから、ちょっと金が儲かったからと
言っては簡単に
「鼻高さん」「増上慢」になるのです。

精神世界で大変多いのは「自分は普通の人は知らないことを知っているのだ」という慢心です。
普通の人は日々の生活と仕事に懸命で精神世界のことなど、知るわけがありません。
だから(ああ、知らないのだな)と、感情を入れずに思えば済むことです。
でも、慢心する人は普通の人が知らないことを、自分が知っているので、
得意になり慢心する、これが増上慢であり、魔境です。

いったんはなってもいいと思う。
人間の心は弱いので。
でも、いつまでも魔境に居てはいけない。
魔境に陥ったら自力で悟るのは大変難しい。
そんな時は友人に指摘してもらうのがいい。
「オマエ、最近何さまのつもりだ?」と。
そういう友人を作っておくのも、いざと言う時の備えです。
必須ですよ。

また、常に自分の心を点検するために日月神示や相似象、
高橋信次師の本でチェックするのもいいです。


rakanさんは魂の次元において大変非凡なものがあります。
普段はそのようなことは微塵も感じさせませんが(わらい)たしかに非凡です。
だから、自力で気づくことが出来るのです。
平凡人は増上慢になって終わりです。

苦難と誘惑、どちらに負けるかと言えば圧倒的に誘惑の方ですよ。
人間は良い時には悟れないのです。
それ(順調な時に悟れること)が出来るだけで既に非凡です。

平凡人は魔境に引っ掛かりそこから抜け出すには心を変えなくてはならない。
何年かかるでしょうか。
今、この時に魔境などに引っ掛かっている場合では無いのに。

精神世界にはこのように至るところに落とし穴(魔境)があります
それに負けない謙虚で素直な方だけが進めるフィールドであります。

<サイン病>(2008年5月7日)


5日の夕方からPANDORAのTOPページが映らなくなってました。
御迷惑をお掛けしました。
TOPページだけがサーバーからなくなっていたようです。
その時、転送の調子が悪かったので、すぐ直せませんでした。
で、その間心配した方達から「TOPが映りません」というメールをいただき
恐縮してます、ゴメンなさい。
で、その方達の中で「TOPが見えないのは何かのサインなのでしょうか。」という
ことを言ってる方が何人かいました。

他にも
「〜〜なのはサインでしょうか」
「〜〜なのはサインだと思います」
と、語る方が多い。

PANDORAのTOPが見えなかったのは、閲覧する人にはなんら原因は無く、
ただの私の粗忽の結果です。
TOPが見えなかったら、通常は「サーバーに何かあったのだろうか」
「if がまた何かやらかしたのだろう。」と、思うのが普通だと思います。
思考したり推理したりするのが普通では?
思考せずいきなり「サイン」にしてしまう、これは陶酔です。
まずは思考しないといけません。
思考した上で遊びの意味でサインを捉えるのは良いと思う。


「サイン」というものを皆さんに紹介したら、なんでもかんでもサインにして
片づけてしまう、これは失敗でした。
サインという考え方に負けているのです。
サインという考え方のレベルに達してないと言えます。
自分の頭の方がサインという考え方よりも低いということです。
振り回されている。
(※これは人間にも言えます。
   二人の人間がいるとする。
   片方が片方に振り回されるとしたら、振り回される方の力量が少ないから。
   振り回されたくないなら相手の上を行かないとならない。
   しかし、子供に振り回される母親が多いです。
   子供に上を行かれてしまっている。
   この場合の上とは、判断力のこと)


これも「魂(たま)の戦(いくさ)」と言えますね。
力量で負けるという意味ですよ。
自分自身がしっかりしないとどんどん負けます。
世の中には負けてしまいそうなモノが沢山あります。
サイン如きに負けていては情けない。

と、書くと今度は「勝つだの負けるだのと、人生を戦争と捉えているのか」と
また誤解する人が出てきそうですね。
通常の戦いではなくてあくまでも「魂(たま)の戦」のことです。
これも、この言葉を理解出来ないレベル(判断力が)にあれば理解出来ない。
悟らないと分からない言葉です。

毎日、当り前のように耳にし目にする言葉や物事を、本当に理解しつつ
生きて行くだけでかなりの勉強になるのに、殆どの人は勉強は学校で
やるもんだと思っています。
精神世界でナンたらカンタラを勉強することに価値を置いたりしていますが、
私に言わせればそんなモノには価値はありません。
毎日の生活に比べれば、の話です。
アメリカ発祥のナンタラクチュアルナンタリングを身につけることによって
自分の意識が増上慢になればマイナスでしかありません。
これも「負けた」状態です。

<本気になると事態が動く>(2008年5月6日)


世の中に離婚したい奥さんはゴマンと居ると思います(わらい)。
かくいう私もごにょごにょごにょごにょ・・・でも本気じゃなかったなぁ。
あ、でも本気か!
どっちやねん。
そうそう、思い出しました。
自分のことは殆ど占わないんだけど、数年前にアッタマ来て
「私は離婚出来ますか?」とカモワンで占いました。
で、メモ帳にそれを書いておいたんですよ。
結果はどっちだったかな、忘れてしまった(という辺りが本気度が低い罠)。
で、この通り粗忽なので、そのメモをちゃんとしまわないで、しまったつもりで
そこらへんに置いておいたようです。

で、或る朝、いつも主人が腰かけている椅子の前にあるテーブルに
そのメモがあり・・・ってことは「見られた」か!
ぎょえええ!
で、最善の策として「トボける」ことにしました。

はあああ・・・心臓が止まるかと思ったぞい。

で、その後、主人の態度が良くなりました。
ヘタすりゃ女房が離婚を計画する、と分かったようです。
なので、以前よりはかなりマシになったのです。
いや〜〜〜
「禍転じて福と成す」


下の記事の友人は、本気で離婚を計画したのです。
子供達に「実はお母さんは離婚する」と計画を打ち明けた。
すると子供達は皆「そうだそうだ、それがいい。」と賛成してくれたのです。
友人は私が渡した「吉方位表」を見ながら、具体的に計画に入った。
私もこれまでの事情を聴いたから大賛成です。
それで友人は「悩み・苦しみ」が、「楽しい計画」に変化しました。
毎日とても前向きです。
金を貯めるために元気一杯で仕事をしていたそうです。

ところが、実家の両親が遊びに来て何泊かしたら
嫌になってしまったのだそうです。
老人なのでワケが分からず我ままだったり、心配症だったり、ずれていたり。
その様子を見て、(これならダンナの方がマシ)と悟ったのでした。
で、離婚は止めましたが、ご主人は家族の態度や表情から何かを察知したようで
それからはとても態度が良くなったんだそうです。
以前は考えられないような態度です。
きっと本気の念が通じたのでしょう。

友人に「離婚なんか辞めなよ。」と、言わなくて良かった。
友人の離婚したい願望が私によって「具体的な計画」になったので
事態が動いたようなんです。
結果的には離婚はしませんでしたが、友人はご主人が嫌いではなく
あまりにもワケが分からず自分に苦労をさせるので疲れてしまったのです。
今では御主人はどんどん家事をやるようになり、変身しちゃったそうです。

ご主人がいつかまた横暴になったら、再度本気で計画すればいい。
離婚したかったら願望のままにしていては何も動きません。
計画にしないとね。

私は道徳的な人間では無いので、離婚するな、なんて言いませんよ。
毎日楽しく生きることが出来ないなら、その原因を取り除く方を勧めます。
「原因」(つまり旦那のこと)を排除し、楽しく生きましょう。
金銭のことはまた別に考えましょう。



コトは離婚だけではありません。
全てにおいて、言えると思いますよ。
事態が動かないのは、方針が決まってないからですね。
願望も(〜〜だったらいいなぁ)くらいの、叶ってもいいし、
叶わなくても、ま、いっか、しょうがない、くらいの気持ち、
これでは叶わないのでは?

或いは叶っている様子を思い描く。
なるべくありありと。
これでも叶います。
で、忘れてしまうのもいいですね。

◆実際に楽しんでわくわくしながら計画する。
◆リラックスしてありありと思い浮かべたら忘れる。


どちらかの方法で叶います。
就職、転職や離婚だったら計画すればいいし、
転職や恋愛、結婚だったら思い浮かべて忘れるといいですね。

<離婚!>(2008年5月7日)


上の記事<本気になると事態が動く>を読んだNさんからの報告です。

ifさん
 こんにちは。Nです。
本気になると事態が動く、読みました。
 ifさんも離婚についてゴニョゴニョ言っちゃうんですね(笑)
 
そりゃあ言いますよw
ワケが分からない奴を相手にするとね、誰でもそうなりますね。


私も旦那相手に忍耐と許しと練習させられてる気がします。
実際、わがままな面が自分にあるので、そこを突っつかれてるみたいな。。
 
まぁ、私も悪いっちゃあ悪いが・・・

で、3年くらい前になりますが、本当に旦那にあきれ果ててたんです。
(いまはそこまではひどくないです)
ムカつきムカつき生活していたら、ある日夢を見ました。
 
夫婦喧嘩の夢でした。
夢だと分かっていても、自分の思いをぶつけてやりたくて
で、思わず本当に声に出して言ってやりました。
(意識がボーっとしてるので、ことの重大さをイマイチ把握せず)
 
「離婚!離婚!離婚して、っていってるでしょぉぉぉーーー!!!」って。
 
自分の声でハッと目が覚めまして。
子どもを挟んで隣に寝ている旦那、、、
どうもいまの声を聞いてしまった、という雰囲気が伝わってきたんですが
 
うわ、それはまずいっしょ!

ま、言っちゃったものはしょうがないや、と私はスッキリした気分で
そのまま寝ちゃいました(笑)
 
わっははh!

その後、旦那の態度が軟化したんですよ。
私の想いがつたわったんでしょうかしら。

いやというほど伝わったんじゃないでしょうか。
良かったですね♪

<就職出来た>(2008年5月6日)


こんにちは、ifさん。

以前絵を描いていただいた、Hと申します。
仕事が決まったので、ifさんにメールしようと思い立ちました。
3月くらいに、金運アップの絵を描いていただきました。
仕事を探していたので、仕事運アップの方がいいかな?とも思ったのですが、
半年くらい前に(当時別の仕事をしていた)仕事運アップの絵は描いていただいた
ので、今回は金運アップの方をお願いしていました。
(どちらにせよ、仕事が決まるまで生活にお金は必要だったので)

年齢も年齢だし(30代後半)、正社員希望だし、うーんなかなか難しいな、と
思いつつ、ハローワークなどにまめに通って仕事を探してはみるのですが、
二次面接まで行く会社はなかなかありませんでした。
そうしたら、今のわたしにできることは、イメージして想像する(妄想?)くらいしか
ありません。

「家からこのくらいまでの距離で、いくらのお給料で、こんな感じの働きやすい
雰囲気の会社に入って、こんな仕事内容で、・・・・(以下妄想続く)」
そうなんです、いい機会だし、引き寄せの法則を試してみようと思ったのでした。
以前ジュネさんも「寝る前と朝起きた後は、特にイメージするべきです」
言われていたので、そうして一ヶ月くらいブツブツ口で唱えては、しっかりイメージして
アファメーションをしていました。

そうそう。
夜寝る前と朝起きた直後にはまだ半分寝ているので、その時願うと叶うといいます。

そうしていた先月、いい感じの会社の求人がポンと上がり、「受けてみようかな〜」と
かるーい気持ちで受けたら、あれよあれよという間に合格してしまいました。

軽い気持ちが却って良かったですね。
緊張しないから。
緊張は、願望実現を邪魔するのでリラックスするのが一番いいです。

最終面接に出てこられた社長もとてもいい方で、パンドラに載っている
「人間の話」みたいなことを理解される方で、この人の会社で働けるのを
とても嬉しく思いました。

それは既に
「同波長の法則」ですよ。
これからは社長さんとトンデモな人間の話をすると楽しいですね。

この厳しいご時勢で、正社員で採用されて、感謝です。
好きな方面の仕事だし、精一杯勤めさせてもらおうと思っています。



いいなぁ!
30代後半で正社員に採用されたなんて!
絵を描いてから半年で叶ったのは早いです。
下の方の記事<年収400万円>の方は一年近くかかっていますから。
まずはあなたが「自分を活かせる、楽しい仕事に就きたい」と、願望する。
で、絵を依頼するw

絵は高いです。
それを注文するのだから本気ですね。
で、絵は何もしてくれないので、本人が動かない限り事態は変わりません。
Hさんは上の記事の願いを叶える方法の両方をやってます。

◆実際に楽しんでわくわくしながら計画する。
◆リラックスしてありありと思い浮かべたら忘れる。

これをやってましたね。

それから就職してもそこがトンデモない職場の可能性もあるので
楽しい職場であることが一番ではないでしょうか。
本当に良かった、Hさん。


<心に沿う>(2008年5月3日)


さてさて。
相手を慰めたり励ましたりするか、説教するか、叱咤激励するのが
カウンセリングではありません。
カウンセリングとは「相手の心に沿った言葉を言う」だけです。
相槌のことです。

ここでまはるださんの体験談が面白いので紹介しますね。
まはるださんのサイトは「GAIA」(リンク1)です。



即効の依頼者さん (2008/5/2)

※記事は依頼者さんの許可をいただいています。

先日Uさんという方から「新しいあなたを見つけるお手伝い」の依頼をいただいた。
これはけっこうすごいことなのだ。
「書く行」もそうだし、このメニューに依頼するのはかなり勇気がいることだと思う。

私は胡散臭い。
博学なわけでもなく、これといった資格も無く、年齢もこの手のメニューを抱えて
信用を得るにしてはまだまだだと思っている。
そんなどこの馬の骨とも知れない者に
「新しい私をさがす手伝いをしてください」というのは
なかなか言えた事じゃないんじゃないかと思う。
通りすがりの小学生に「どの企業の株買ったらいい?」と聞き、
言われたとおりの銘柄を全財産投資するぐらいの勢いだ。

だから依頼しない方が世間でいうところの「普通」の感覚なのだと思う。
実際サポートメニューを依頼される方は少ない。
(多すぎて配慮が足りないと困るので丁度いい具合ではある)
「書く行」にしても「あれはifさんだから書いて送りたいものの、まはるだに
わざわざ金払ってまで書くのもなんだかね。」と感じるのが「普通」。
今まで依頼くださった方のそのチャレンジ精神には尊敬してしまう。

それにしても不思議なほど皆さん何かしらを掴んで終了されている。
何故だろうか。

たぶん皆さんが「普通」というラインを飛び越えたからではないかと考える。
「とりあえずいっとけっ!!!私は変わりたいのだから!!!」という具合に。
バンジーとか清水の舞台並みかそれ以上の勢いがないと無理なことである。

Uさんは私のサイトを目にされたことはなく、ifさんに絵を依頼されたのが
きっかけで私に依頼をくださることになったのである。
前もってUさんのことを色々と聞いて、正直少し身構えた。
長い間ずっと抱えているものが多くあるとのことで、
色々な方とお話・相談されてもまだ手ばなせていなかったのである。
一ヶ月コースのお申し込みだったのであるが、
一ヶ月では区切りがつかないのではないだろうかと考えた。
ところが・・・
わずか数日で、

ifさんに紹介してもらって、このコースの案内を見て何も迷わなかった訳じゃないですが、
あまり考えずに直感でこれかなと感じました。
実際にまはるださんとメールのやり取りを始めてからは、当たりだわ♪と確信しました。
信頼できなければ多分続けられなかったと思いますし、ずっと文章を作っていなっかったので、
こんなにすぐに楽にお話できるとは思ってもいませんでした。

 
となり・・・


ん十年の悩みが解決しました。
ありがとうございます。

となった。
(Uさんの問題をすべてクリアしたわけではないが、
Uさんが長い間抱えていた悩みの一つをクリアされたということである。)

私はこれといってUさんに何をしたわけではない。
上記に書いたとおり未熟でカウンセラーやらなんちゃらの資格もなく、
Uさんよりも少し年齢も下なので経験も浅い。
諭したり、癒したり、導いたりなどできるはずもない。


ひたすら・・・合いの手を入れていた。
餅つきの時に手を入れてウスに餅がくっつかないようにする役目である。
あくまでも解決に導くのはUさんご本人であるのだから・・・


こんな短期間でこのコースに申し込んだ時に期待した以上の成果があったので、
少し気が抜たような。。。
まはるださん、これで終了でも十分すぎる程充分なんですが、どうしましょう?

え゛え゛???もう???こちらこそどうしましょう???
確かに最初にメールをいただいた時からかなり変わられたけど・・・

でも・・・はじめてまだ一週間ですよ!

Uさんは「これくらいできればいいだろう」と考えられていたラインを
あっさり飛び越えてしまったようであった。
一応「つづけてみては?」とおすすめしたが、本当に満足されたとのことで、
それならばとUさんの了承を得、プライマルアートを2枚お送りすることにした。


すべての方が短期間でこんなに変わるわけではない。
私と合う、合わないも多少なりとも影響すると思う。
けれど何よりUさんの素直さ、謙虚さ、真剣さが普通じゃなかった。
本当に「自分次第」という言葉をこの上なく実感したやり取りであった。

数日後Uさんとメールのやり取りをした。
メールの印象もとても明るいさわやかなものであった。
Uさんの目の前にまた新たな課題が現れたのだそうだ。
それでもメールからはUさんの「やっていける。」という自信が伺えた。
私も「今のUさんなら大丈夫だろう。」と感じた。



引用長かったです・・・

カウンセリングは相手の気持ちに沿えば良いのだと思います。
相手の気持ちに沿って話を聴くと、相手は心を開き語り始める。
自分で言語化出来れば問題はほとんど解決するのではないでしょうか。

私にも経験がありますよ。
去年、ご主人と離婚したいと言った友人がいました。
でも、それから3か月もしないうちに離婚とり止めになったんです。
何でも「実家の親の方が亭主よりまだ悪かった」そうで・・・
これなら「まだ亭主の方がマシ」だったそうで・・・
あんなに泣いてたのにねぇ・・・

私は友人のために「そんなダメ亭主離婚しなさい!」
「引っ越すならこの時期ね!」と、
竹下氏(リンク3)から買った「吉方位表」をコピーして渡し、
「必ずこの時期に別居するよう」激励しておいたのになぁ・・・
「まず息子をこの時期に先に実家へ送る。その間、息子が居ないことをなんとか
亭主にバレないよう、誤魔化す。友達の家に泊まりに行ってる、って言えばいい。

で、その間、宅配便で荷物を少しづつ実家に送っておく。
なあに、モノがなくなったって亭主が気づくものか、わっかりゃしないって。
で、最後にこの日にあんたが引っ越しね♪
他の段どりはこう、あれはああして、これはこうして、ああ!忙しくなるぞう!」
と、とても親身になって段どりをしてあげた、
あの努力は何だったのか・・・(やり過ぎたかね)

でも、離婚する必要が無くなったんだから、ま、いっか。

<その前に自分を顧みる>(2008年5月2日)


「Rakanのhara」(リンク2)の2008年5月2日の記事に

こんな妄想ではなくて、猿なみに凄いマナーのオバサンについて書こうとおもったのですが、
書いていてオバサンに負けず劣らずの(自分の)頭の構造に気がつき、
まっいっかぁ〜と発散してしまった。
(一部補足)

という一文発見。

Rakanさんは他人を批判する前に自分を顧みることが出来るので、
他人を責めないんだな、と分かりました。

翻って私の場合は・・・

たははっはは!
他人を責める前に自分のことをすっかり忘れているもんだから、大変安易に他人を責めてます。
たはっははh!


ここんとこ見たい映画が重なったので毎日映画館へ通ってる私です。
殆どの観客は静かなんです。
でも、中にはグループで来てお喋りしているおばさん達が居る。
本編が始まる前の映画の予告が始まってもまだお喋り止めない。
本編が始まっても隣同志でひそひそ喋っている。
(あああ!うるさい!)
「ちょっと静かにしてもらえませんか?」と、席を立って一こと言おうと思ったら気がついた。
自分が「映画館で販売している飲み物が高いので自宅からお茶のペットボトルを
持参して来ていたこと」を。
えへ。













えへ!

で、他人のことは言えないなぁ、自分だって「ルール違反」やってんじゃん、と悟ったのです。
で、自分だってルール違反やってるので他人には文句を言えない。
ということは、他人に文句を言うヒトは「自分は正しい」と思っている人なのではないか、
と思った。

「人間のいろいろ」のどこかに既に書いたかもしれませんが、
真面目な人ほど他人に対して厳しいです。
自分はちゃんとやっているという頭(気モチ、考え)があるので、
ちゃんとやってない他人を批判する。
こういう人は沢山いますね。

本当にちゃんとやってるのならまだ分かる。
でも自分がちゃんとやってないってことに気づかず
他人がちゃんとやってないことにはすぐ気付く人が殆どではないだろうか?
私の体験ではそうです。

rakanさんのように自分はちゃんとやってても、他人を責める前に
(自分もいまいちだよな)と、思い出し受け流すというのは凄いです。
こういう人は例外的ですね。

他人に寛容なことが望まれます。
寛容たらんと欲してもなかなか寛容にはなれない。
その時は「自分」を思い出すことが一番良い方法ですかね。
Rakanさんとシンクロしたようです。

<ネ申>(2008年5月1日)


germaniaがまた「ネ申」を発見したらしい。
頑張れ農村!
私はコレを聞いて踊りました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3101468

素人だか玄人だか分からないけど、こういうのを無料でやる
時代となりました。
こういうことでお金を稼いでいるプロが困る時代。
どんどん変わっている世界。
私は次の世(変化が完成した世界)に期待する。

<好条件で就職!>(2008年5月1日)


ブログでもないのに毎日幾つも更新しなくてはなりません。
閲覧者の方から嬉しい報告があるからです。
はああ・・・(疲労感
時間をおくと忘れてしまうので、覚えているうちに掲載しますね。


その方は40代の主婦です。
結婚してから仕事を辞めて子育てに専念してきました。
で、最近猛烈に外で仕事をしたくなったそうです。
すると、自宅のそばで大変条件の良い仕事が就職情報誌に載っていたそうです。
しかし年齢制限を超えていた。
普通ならそこで諦めるところですが、この方は臆することなく申し込んだのだそうです。


ifさん



こんばんは。
ちょーうれしい出来事がありました♪

先日メールで話していたパートの仕事が決まりました!!

働こうと思った頃に目に飛び込んできた求人募集で、
トントン調子で決まって良かったです。
ハイパースシーン<龍神>のブレスが引き寄せてくれたかな!?w

去年の3月からPANDORAで学んだこと、
心で戦わないとか、無心になることとか、
その他多くのことを実際に生かしていけるように
したいと思っています。

それにしても昔の私だったら、
人間関係も、いい人達とかなりの問題児達が
どこかで対立するようなところに縁ができる事が多かったし
私も心で戦うしで、ネガティブに引っ張られやすかったです。
今度、またそんな場所であっても、昔の私にならないように
学びの場と思っていきたいと思います。


あ〜PANDORAに出会っていて良かったー♪


どんな仕事かと訊いてみたら、これがまぁ、
◆短時間
◆時給高い(相場の二倍です)
◆楽
な仕事でした。

主婦なので、勤務時間はなるべく少ない方が良い。
家から近い方が良い。
時給は高い方が良い。
キツイ労働や屋外の厳しい条件の元での労働は困る。
私もこれらの条件で仕事を探していました。
ただし、年齢制限があったりして、なかなかこういう仕事には就けませんよね。
でも、この方は採用されたそうです。
奇跡に近いです。


思うにこの方の守護存在がこの方の心を見て、
相応しい場所に連れて行ってくれたのだと思います。
この方に就職情報誌を見せたことも守護存在の働きだと、私は思う。

この方は一年間PANDORAの「人間の話」を読んで勉強していたそうです。
その間、この方の周囲は何も変化しませんでした。
試行錯誤がありました。
でも、心は着実に変化していたのです。
その心の変化に相応しい結果が出たのだと思います。

「まず心ありき」


これは「アワが先」「サヌキは後」ということです。

皆さんも、もし自分の運勢を良くしたいなら、まず心を変えましょう。
するとその心に応じた世界が開けますよ。

<年収400万円>(2008年5月2日)


上の記事<好条件で就職!>を読んだ方から、体験談が来ました。

ifさんに希望の会社に入れる絵を描いていただきましたが
その時に年収400万円!って言っておりました。
その他にも人間関係が良くて、育児休業も取れて。。。と良いことだらけをお願いしました。
で、年収400万円は難しいかな。。。という採用条件でしたが
前は非正職員だったので年収は倍になりました。
その他は人間関係も良く、育児休業も是非取ってください という会社なのです。
年収400万円ですが、もしかしたらいくかもしれません。
今年の夏のボーナスはまだ就職したてなので、
皆さんの半分ですが、それでも半分もらえるのは有り難い。。。
私は今給与担当なので色々情報が入ってくるのですが
求人にのっていた賞与の率より、実際はもっと良かったんです。
つまり求人は少なめに載せていたみたいです。
嬉しいです!

この方には「就職を支援する絵」を描いてます。
条件を沢山挙げてくれてまして、いくらなんでも全部叶うってのは無いでしょう、
と私が言いました。
そして「この方にとって最良の職場に就職出来る絵」を描きました。
絵に描かれたビルはイニシャルが
「S」でしたが、本当にイニシャルSのビル内の
会社に就職したのでした。


この方が最初に挙げた条件の一つが「年収400万円」です。
年収400万円て月収25万円、ボーナスが二か月分50万円二回、ですかね。
かなり良いです。
なので、「いくら何でもそりゃあ無いだろう」と。
だって、この方はその他にも「育児休暇有り」他、沢山の条件を上げていたのだから。
私は通常、他人の言うことにはOKを出してます。
ポジティブな私なので、他人の夢の足を引っ張ることはしません。
が、いくらなんでも、それはちっとムシが良過ぎねえだか?と、思ったのでした。

それが殆ど叶ってしまったようなんです。
しかも会社の雰囲気は最高だそうです。
経営陣の意識も高いそうです。
同僚の女性たちは幸せオーラを発散しているそうです。
凄いです・・・

たった1年ちょっと前には堕ち込んでいた方ですが、何度も何度も悟り、
ここまで高まったのでしょう。
私も嬉しいです。

夢は何を願っても良いそうです。
遠慮しないでいいみたいです。
楽しく、最良の夢をみましょう。

<怒らなくなった>(2008年5月1日)


「怒ると瞬時にレベル20」だったM氏が、怒らなくなったそうです。
我慢しているのではなくて、腹が立たなくなったそうです。

レベル20と出てから、腹を立てるたびに
(あ、これがレベル20だな)
(あ、またレベル20に!)
(うわ、またかよ!気を憑けよう)
と、自覚していたら、いつの間にか腹が立たなくなっていたそうです。

全然腹が立たなくなったのではないと思います。
今まで、5段階で表せば「3」くらいの刺激で怒っていたのが
耐性がついて今では「4」とか「5」の刺激が来ないと腹が立たないのでは?
と、思います。

私もそうです。
以前は「2」くらいの刺激で怒っていたのが、今では「4」くらいの刺激が来ないと
腹が立たない。
耐性が憑いたのでしょう。

世の中を見てみると、刺激「1」とか「0.5」とか「0.1」くらいで
怒ってしまう人がいます。
そういう人の心はさぞかし苦痛だろうと想像します。

自分の心の中の鬼=ちょっとしたことで怒ってしまう鬼
がいるのを自覚すれば、その鬼の力が次第に無力になっていきます。
やはり自覚することが大切ですね。


さてさて、M氏。
また謎の方の意識レベル判定を受ける日が楽しみですね。

<私も怒らなくなった>(2008年5月2日)


上の記事<怒らなくなった>を読んだ方からの報告。


意識レベル判定をしていただいてしばらくは
その判定結果を踏まえて行動・自分を見たり出来なかったのですが
最近は、自分が怒ったとき
どうして私は今怒ったんだろう?
とか
どうして今私は落ち込んでいるんだろう?
とか
見れるようになってきまして
怒る⇒すぐに怒った事を意識して自分を見る⇒原因を探る
そんな作業をしていたら、
だんだん怒らなくなりましたし、今の環境が怒るような事が滅多にない環境なんですけど・・・。
毎日楽しくなってきました。というか楽しい!

原因を探る、という作業はかなり有効です。
何故なら怒っている時、泣いている時、つまり感情的になっている時は
思考出来ないからです。
そこを思考するということは、感情的になるのをいったん中止する、と
いうことですね。
これが出来ると感情的にならずに済みます。


また、怒らないと決めたら環境が怒らなくて済む環境になっていた、そうです。
環境が心と同波長になっていたんですね。
心のままの世界が展開しますね。

<クリスタル・チルドレンの歌>(2008年4月30日)


先日「パンドラの壺」→「etcX」に<クリスタル・チルドレンの歌>を掲載しました。
複数の方から「if さんはもう聴きましたか?」というメールが来たのと、
歌詞が分かったので記事にしたのです。
私はまだ「みんなのうた」を見ていませんが、Uチューブでちょっと聞きました。

さて、この「クリスタル・チルドレンの歌」について、
GAIAのまはるださんが面白い記事にしています。
まはるださんはPANDORAの「クリスタル・チルドレンの歌」の記事を
引用して記事にしていますが、その記事をまた引用したいと思います。
行って帰って来た、みたいな感じ?



とあるところ (2008/4/29)=「GAIA」(リンク1)の記事より。

面白い?ブログを発見した。
先日PANDORAで紹介されていた「クリスタルチルドレン」の歌についての
記事
(抜粋したい部分が長すぎるのでリンクします)も読んだ。

・・・突っ込みが面白い・・・・

重箱の隅というか、小姑的というか、そういう突っ込みなのだが。
文章最後の決め台詞?「まぁ、、そゆことで」はイラっとというか
ちょっと小憎らしいのであるが(おっさんが使ってるトコが@偏見)。

少し考えてみた。
この方の言うことも確かに頷ける部分もあるのである。

基本的に、光の側に、「憎しみ」は無い。
憎しみというコトバを持つのは、、「闇」です。
つまり、光との戦(いくさ)に敗れて、地に堕とされた側だから、、
光に対する「憎しみ」「憎悪」を、、長年しつこく抱えていたわけで、、
だから「許せる勇気」って表現であって、、、
光の側に、何かを許すとか許さないとかいうモノは、、元々無いんですよ。
ですから、、出自は、ブラック、、
それらが、地球を支配する為に、「偽りの愛」を叫びだす。そんな構図ですね。
第一、スピ的には、「許す」「許せる」ってコトバが、、ナニサマかもです。


「出自は、ブラック、、」というところでふきだしてしもうた。
別に天使天使というのを小ばかにしてるわけじゃなく(私も天使は好きである)、
この方の「あくまでも自分が正しいということ前提」の物言いの
小気味よさ、リズムにふいてしまったのである。
「光の側に、「憎しみ」は無い。」「元々無いんですよ。」と言い切るところが。
そうかも知れないが、この方が神示や次元上昇をまやかしとか
そんな類で受け取っているように、自分の持ってる
「核(この方はこの言葉をよく使うみたい)」
自体がまやかしという可能性だって万が一にもあるかも知れないからだ。
まるで自分だけ真実を知っているかのような言い回しも気にかかる。

私が頷いたのは「許す」「許せる」ってコトバが、、ナニサマかも
というところである。
ナニサマとは思わないけれど「許す」と言う言葉について
最近考えていたのである。

この「許す」というのを目にする度に「ひとつ屋根の下」の
あんちゃんのセリフを思い出すのである。

「許すとか許さないとか・・・人間ってそんなにエラいんですかね」
確かこんな感じだった。

シチュエーションによるとは思うのであるが(もう明らかに被害者に非がない場合、
児童虐待とかはそりゃ「許す」とか「許さない」とかも使われるかも
知れないと思う)、「何?あの娘、あんなに男はべらせちゃって!許せない!」
というようなのは「ナニサマ」にあたるような・・・
自分で視野の狭いルールを作ってそこからはずれたら「許せない」と
いった感じはどうよ、だろうか。
このブログの方は極論のような気もするが、まるきり否定も
できないと感じた。

神示(たぶん「ひふみ神示」のことだと思う)についても意見を書かれているが、
人により8通りに解釈できるという神示の一通りでしか解釈していないというのを
知ってか知らずか(この方は神示が命令口調というのを取り沙汰しているが、
それも一通りの解釈・受け取り方でしかないのだと思う。別の受け取り方を
してる人が別の受け取り方をしてる人に説明しても通じないと思うし)
否定しているのには違和感であるが(より所を奪われてムカついてるわけでなく。
それにこの方はたぶん神示を全部読んでいないか読んでても内容を忘れてる)、

神と交信できる事が、「存在意義」になっているんで、、
その視点でしか物事を判じる事が出来ない。
そこを否定されると全てを否定されたと捉えてしまう。
まぁ、、それだけが、自分の「頼り」なんです。
だから執念深く粘着する。
まぁ、、そういうのは、、肉体を持って
この世にいることに意味が無くなるってコトです。

という点には深く頷けるが(確かにそういう人がスピリチュアル好きな人に
多いと感じている。)、
「クリスタルチルドレン」の歌については言葉面どおりに受け取っただけで、
あの「憎しみ」というワードは別のとこにかかるとか、
今目の前にキツイことがあってその子を勇気づけるためのものだとか
(酷い目に遭って「憎しみ」をわかないようにするというのは
難しいのではないだろうか。あの歌は作詞したシンガーソングライターが自分の娘に
なんとなく書いた詞だそうなので、まんまクリスタルチルドレンのことを
歌っているわけでもないらしいし。「たまたま」のことの
ようである)色んな可能性を考えたら
小姑的意見にならんのじゃないか、と思ったりもする。

私もそんな小姑的なことを考えながら、
まあ・・・また覗くと思うんだけども。
チャネリングやリーディングへの意見も頷けるところがたくさんあるので、
たぶんまた覗くなぁ・・・
と考えている。


紹介されていたブログへ行ってみましたが、突っ込みが秀逸だと思いました。
「クリスタル・チルドレンの歌」については、情報の一つとして
PANDORAに載せましたが、両手(もろて)を上げて賛成するものではありません。
Uチューブで一度、途中まで聴いたけど歌詞の力(意味)に頼ったような曲でした。
曲は平凡だと思った。
私は感動出来なかったです。
今日本で流行っている曲の殆どに私は感動しないので、この曲に特に
感動しないということではありません。

このブログの管理人さんは頭で考えて意見を書いてるけど、
そういうのもまた参考になると思うのです。
天使やクリスタル・チルドレンと聞けば「善いに決まってる」と
思うのは陶酔次元です。
天使と聞くと、もうそれだけで嬉しくなり舞い上がり両手を挙げて賛成し陶酔する。
そういう傾向に対しての警告のような記事ですね。
良い意見だと思う。

でも日月神は「どんな悪神を拝んでも、拝む人間の心に等しいモノ(異次元)と
繋がるのでOK」みたいなことを言ってます。
○○学会に入っていても麻原○○を信じていても、その人が本当に心が清ければ
本人の波動と等しいモノと繋がっているのだから、大丈夫です。
ただ洗脳の恐れは、何もしていない人よりも高まりますが
これらのモノを信仰していなくても人は他の(さらに困った)モノを信仰しているので
特に困ったことでもないと思います。


天使などに情緒的に陶酔しても、心が清く波動が高ければOK。
天使などを理性的に考えても、心が清く波動が高ければOK。


これが私の意見です。

<鬼>(2008年4月30日)


上の記事<クリスタル・チルドレンの歌>を読んだ方から感想が来ました。


人間のいろいろ8(クリスタルチルドレンの歌について)を読ませて頂きました。
まはるださんの文章も紹介されていたブログの文章も面白いですね。
二人ともツッコミが面白い。
ごく当たり前のことも書いている。
こうゆう意見はあった方がいいんだろうと思いました。
誰かの言葉を鵜呑みにするのではなく
それを自分で考える材料の1つにしていくことが大事なのかもしれません。
自分の立ち位置を確認させられ、身が引き締まる思いでした。
 
昨夜お風呂に入っている時にふと「人の心には鬼がいる」という言葉が浮かびました。

日本酒の銘柄に「鬼ころし」というのがあります。
たしか飛騨の銘酒だったような・・・
この場合の鬼も「心の中の鬼」のことです。


鬼は退治するか・・・いや、それは無理だな、退治しようとする心もまた鬼だな・・・
ということは・・・・仲良く共存?
鬼がいるということを受け入れて生きる・・・?
 
それなんですが。

日本の昔話に「大工と鬼六」という話があります。
山奥の村の川に、何度橋を架けても流されてしまっていたので
とうとう腕利きの大工が村人に頼まれてやって来ます。
大工が或る晩、橋を架ける場所に来て思案していると
そこに鬼が現れ「オレが橋を架けてやろう。」と言います。
でも交換条件があって、橋を架けたら大工の目玉を寄越せと言います。
大工は良く考えずに「くれてやるよ。」と約束してしまいました。

翌日大工が川へ行くと橋が半分出来ていた。
その翌日には橋が完成していた。
そこへ鬼が現れて早く目玉を寄越せと言います。
大工は慌ててちょっと待ってくれ、と言って逃げ出した。
鬼は「オレの名前を当てたら許してやるぞ=っ!」

大工は怖くなって逃げて逃げて山の中に入って行った。
するとどこからかか細い声で
「は〜やく鬼六目玉持って来〜」という子守唄が聞こえた。
(ははあん、これが奴の名前だな?)

次の日大工が川へ行くと鬼がやって来た。
その鬼に「おまえの名前は『鬼六』だろう!」と叫ぶと
鬼は「誰に聞いた。」と言って姿を消した。

西洋のお伽話にも、悪い小人に殺されそうになった男が
小人の名前を呼んだら小人がその人に手出しが出来なくなって
去って行った、というのがあります。

これらの話の意味は「正体が分かってしまえば、もう悪さが出来なくなる」
ということ。
鬼や(悪い小人)というのは、ひとの心の弱みに付け込む存在の
象徴です。
また、それらが住んでいるのは「心の中」であると言えます。
夢判断でも鬼や小人などは「当人が見たくない、自分の欠点」です。

それらの名前を知るということは「自分が見たくない欠点などを知る」
ことです。
名前を知る=正体を知る
見ようとしない知らない気付かないから、悪さをするのです。
無意識の怒りや憎しみ妬み悲しみなどが、当人を破壊します。
そのことを象徴的に表したものが鬼や小人です。

知ってしまえば悪さをしません。
これは
「悪、抱き参らせよ」という日月神の言葉の一つの解釈です。
(私なりの)

多くの方が「自分の心に悪が有る」ことを知っていますね。
知識として。
ではどんな悪があるんですか?
なんだか分からないがあると思う・・・くらいですか?
良くわからないものを抱いている、みたいな状態ではありませんか?
ただ何となく抱いているだけではダメだと思います。
自分の心の中の鬼の正体がいったい何なのか。
妬みなのか怒りなのかを見極めることが「名前を知る」ということですね。
お伽話はそういうコトを言っているのです。
(私の解釈では)


光だけというのは有り得ない、光があるなら闇もあるはず。
であれば光も闇もどちらも受け入れるしかない。
まはるださんが紹介されていたブログ主さんの「光の側に憎しみ(闇)は無い」を読んで
昨夜の鬼のことを思い出しました。

一人の人の言うことを鵜呑みにせず、自分をしっかりと持ち
自分の頭で考える態度は素晴らしいです。
さまざまな意見は全て「参考意見」として取り入れるが良いと思います。
信じてもいいが、信じ込んではいけない。
判断するのはあくまでも本人です。
それをしないであっちの情報こっちの情報と渡り歩いていると
思考ということが出来なくなる。

情報が溢れている今、この方のようなしっかりした心の姿勢が望まれますね。

こういう態度を続けていれば、自分の心の中の鬼の正体を
いつか発見できるでしょう。
思考しないで過ごせば一生分からないでしょう。

<呪い>(2008年4月28日)


祟るだの、呪いだのと禍々しい記事が続くぞえ。
知らぬとは恐ろしいことじゃて、ふえっふえっふえっ。


ここで言う呪いは
「普通の人が悪意無く、無意識に他人にかける呪い」のことです。
これは意外に多いです。
無意識なので自覚出来ない。

一番多いのが子育て中ですかね。
子供の居ない人は子供が欲しい、居たらいいな、と思うかもしれませんが、
居たら居たで大変です。
子育ての大変さ、経済的な理由だけではありません。
親が子供に無意識に呪いをかけてしまう可能性が高い。
(殆どの親はやっていると思います)
スマ師も
「子供が居ない人は子供を欲しがって苦しむが、子供が出来ても苦しむ」
書いています。
その通りです。
なので、私は子供の居ない人を気の毒だとは思いません。
羨ましくもありませんが。


今から20年ほど前に聞いた話です。
私は或るお店で買い物をしていました。
すると年配の女性客が他のお客にこんなことを言ってました。

或る人(婆さん)が孫が悪いこと、悪戯をしたので
「この手が悪い!こんな手、なくなっちゃえばいい!」と叱ったそうです。
するとその子はそれから数年後(十年後か)事故で片腕を失ったんだそうです。
その女性客は「そういうコトを言うものではない。」と言ってました。
尤もだと思いました。

孫を叱るのに「手がなくなればいい。」とはトンデモない祖母さんです。
しかし世の老人の多くはそんな程度だと思います。
素質もあるだろうが今までの日本の歴史と教育も原因ですね。
例外を除いて、マットウな教育とは今までどこでも為されてない、と私は思います。

祖母さんの心無い言葉が幼い孫の心にしっかり刻み込まれてしまった。
それが十年後(くらい)に具現化しました。
潜在意識に届いたら実現せざるを得ないそうです。
その通りになりました。
これが
「呪い」です。


特に幼い子供の場合は、顕在意識が殆ど発達していません。
言葉はそのまますんなり潜在意識に届いてしまいます。
怖いですね。

我が家では子供は毎日「良い子だ良い子だ」「可愛い可愛い」「賢い賢い」と
言って育てました。
言葉はタダなのでね。
手間を掛けたり世話をするのは嫌いで、料理もろくに作りませんでしたが
これらの言葉かけはして良かったな、と思います。

しかし失敗も沢山していますよ。
知らないうちに呪いを掛けてしまったと思います。
イマイマにキを入れれば今の発言の意味や及ぼす影響を自覚出来たでしょうが
そうではなかったので、きっとやっちまってます。

また、親の言葉が子供の潜在意識にストレートに入るなら
もっと意識的に言葉を掛けてやれば良かったと思います。
「オマエは勉強が出来る」と、言えば良かったなぁ!
あ〜〜あ、後の祭りだ。

「オマエは勉強が出来る。」
「一流大学に入る。」(その前に「現役で」とつけないと)
「きっと東大に入るよ。お母さんには分かる。」(なるべく現役でお願い)
「おまえは天才だ。」(あ、これは我が家で毎日言ってるな)
「天才だから絶対ノーベル賞を取れるよ。」(賞金が目当てか!)
「仕事が成功して大金持ちになる。」(ヤバイ仕事では無いことを祈る)
「大きくなったら仕事で世界中を飛び回る。」(これもヤバイ仕事では無いことを祈る)
「総理大臣になる。」(ならない方がいいか)
「有名人になる。」(でも、犯罪で有名になるかもしれないな、やめておこう)
「立派な人間になって世のため人のために働く。」
「日本の国に役立つ人になる。」
「物事が分かり、スマナサーラ師のように人の心を救う人になる。」
「何かドえらいことをする。」(これもまずいか)

実現したらまずいこともあるので、言葉は慎重に掛けないと。
しかし、学歴や職業などは本人の好みがあるので、限定するのは良くないですね。
上に書いたようなことをまとめて
「オマエはきっと幸せになる」
「オマエが願えば何でも実現する」
(まずいことを願わない子に育てた上で)
で、どうでしょう?
これなら細かいところは本人の才能や趣味でなんとでもなります。

上に書いたような他人に掛ける言葉でプラスのイメージのものを
「祝福」と言います。


西洋のおとぎ話には呪いや祝福の話が良く出て来ます。
日本は
言挙げせぬ国(黙ってる=アワ)なので言わない。
しかし西洋はサヌキなので言います。

王様のところに王子や王女が誕生する。
そこへ魔女が招かれて生まれた子供を祝福するのです。
「この子は将来かならずや立派な王と成りましょうぞ。」とか。
それを聞いて王は満足するわけです。
ところがタチの悪い魔女が招かれてもいないのに(箒に乗って)やって来て
16歳の誕生日の日没までに糸紡ぎ車で指を突いて死に、
 愛する人といつまでも幸せに暮らすことは決してないだろう
。」
という呪いを掛けたりします。

これは子供が幼いうちに掛けた言葉が将来を決定するということに、
昔の人は気づいていたから出来た物語だと思います。
その言葉が良い意味なら「祝福」、悪い意味なら「呪い」です。
プラスとマイナスの違いはありますが、「幼い子供に言葉を掛け、
潜在意識に到達させる」という意味では同じです。


主に幼児時代について語りましたが、幼児時代に限定されません。
本人が「他人の言動に左右されなくなる」まで、祝福も呪いも有効です。
年齢的には大人でも他人の言動に左右されない人はあまり居ないので
祝福も呪いも殆どの人は有効です。
ただし、やはり幼い子供への影響は比較にならないほど大きいと言えるでしょう。

<呪いの実例1>(2008年4月28日)


うちの姉妹、全員が離婚してます。
これは母に祟ったんじゃないかと思います。
 
小さい頃から、父方の親戚の離婚した人や
近所で再婚した人、婚期の遅れている人などのことを
母はいつも悪く言っていました。
そして、自分は子供たち(私たち姉妹)のために
離婚したくても、ずっと我慢してきた、と言ってました。
 
それなのにどうして自分の娘はこうも離婚するんだろう・・と母は言ってます。
まだ気づいてはいないようです。
 
私はそうやって他人のことばかり、それもうわべや結果だけで
陰口ばかり言ってるから、全部返ってきているんじゃないかと思います。
 
結婚してない人も、離婚した人も、再婚した人も
それぞれに理由や事情があるのに、さんざんバカにしてきましたから。
 
私はサイトにも書きましたが、母と絶縁状態です。
でも私は今すごく落ち着いてスッキリしてます。
母の押しつけから、ようやくこの年になって解放されて。

この方は「祟り」の実例として報告してくれましたが、
これは呪いですね。

願望実現の方法に二種類あります。
自分がそうなりたい、欲しいものを思い浮かべてそれが叶う場合。
自分がなりたくない、怖れていることが実現してしまう場合。
その二種類です。

心に強く思い、それが潜在意識に到達すれば叶うらしい。
だからマイナスなことは思わない方が良いのです。
本気で心配すると実現してしまうので怖いです。

この方のお母さんは毎日離婚した人の悪口を娘たちに聞かせていた。
毎日聞いていれば潜在意識に到達しますよ。
なので、この娘さん達は全員、お母さんの言葉の通りの
「心配ごとが具現化」したのです。

これも呪いです。
「〜〜しちゃえ!」というのは呪いですが、
「〜〜しちゃダメ!」というのも呪いですね。



このケースも原因は母親です。
本当に母親や祖母が原因となって、不幸になるケースが多い。
お伽話の魔女のようです。
女には男より豊富な心がある。
その心のレベルが低く腐っていればこのような結果になります。
女はその点をしっかり自覚し、意識を高く持ちましょう。
でないと周囲に不幸な人間を増やすことになります。

<呪いの実例2・・・低身長>(2008年4月28日)


以前、本質の絵を描いていただいたNと申します。
人間のいろいろ「呪い」を読んで、最近感じていたことと重なるので、
思い切って書いてみます。

私の小学生の息子はとても小柄で、同級生と比べて頭一つ分くらい背が低いんです。

ウチの子も皆小さいです。
次女なんかアタシより小さいくらいですよ。

成長ホルモンの分泌が正常かどうかの検査を勧められて、先日受け
今は結果を
待っているところです。
産まれたときから小さめで、私ずっと「ちっちゃくて、かわいい」と何度も
何度も言ってしまっていたんです。
息子はもしかすると、ちいさい=かわいい 小さくないと可愛がられない
と思ってしまったのではないだろうか?

可能性はあります。

遺伝(主人と私の家族双方とも小柄)もあるだろうけれど
「ちっちゃくて」は余計だったな、
ととても反省しています。

あなたは今、いいことに気づきました。

私が無意識に発した言葉が、息子の潜在意識に刷り込まれていったのかもしれない、
他のことでも同じようなことがあるかもしれないと思うと、すごく怖いな、
気をつけなくてはと思います。

大変良い悟りを得ましたね。

それから身長については、或るところで読んだんだけど、
自分の息子に「オマエはうんと背が高くなる」と毎日言ってた父親が居たそうです。
著者だけど、いろいろな神理を知ってる人ね。
そしたら本当に息子の背が高くなったんだって。

おたくのお子さんはまだ小学生。
大きくなるのはこれからです。
私の小学校の同級生で一番小さい奴が居た。
そいつと同窓会で会ったらあまりにも大きくなってたので分かりませんでした。
他の同級生よりずっと背が高かったんです。

オトコは25歳まで背が伸びます。
息子さんの背を伸ばすのはこれからです。
今までのは失敗っちゃあ失敗だけど、致命的ではありませんよ。
だって、そのおかげで「自分が無意識に発した言葉の重み」を思い知ったのだから。
あなたは賢くなるきっかけを掴んだので成功したんですよ。
でも、これからは息子さんに
「おまえは見上げるような大男になるね!お母さん楽しみだな♪」と毎日言いましょう。


<呪いの実例2を読んで・・・同波長がマイナスに作用・・・
  一刻も早く心の姿勢を「向上する」に変えましょう>
(2008年5月1日)


上の記事を読んだ方からメールが来ました。

「呪いの実例2」は、衝撃的でした。
じつは、私の娘(中1)も同級生よりも頭1つ半位小さいんです。
主人の成長過程にそっくりなので、遺伝だと思っていましたが、
まさか「小さくて、かわいいねェ♪」の言葉の後ろに呪いが隠されていたとは・・・
全く気付きませんでした。
Nさん、ありがとうございます。
それから、このNさんのお子さんの事を実例としてupしてくださった、ifさんにも感謝です!
 
私はともかく、皆さんに参考になるメールを送ってくれたNさんには感謝ですね。
ここ(人間のいろいろ)で疑問点を質問してくれたり、
体験談を語ってくれるとそれを読んだ方にとても参考になります。
それは徳を積むことにもなる。
有難いことです。


で、ifさん、ご相談なのですが、うちは女の子なので、

『あなたは見上げるような大女になるね!お母さん楽しみだな♪』
とは、言えないので、何て言い続ければよいものか、
何かアドバイス頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いします!

あなたはお子さんに「小さくて可愛い♪」と言って育てたのですか?

私は、「小さいけど、かわいいからいいじゃん!」って言ってました。

ああ、多分この方は自分の娘さんが小さいので、
娘さん本人が自分が小さいことを気にしている、と思ってしまったんですね。
で、本人が気にしているのかしていないのかを確かめもせず、
勝手に、自分なら気にするので、娘さんを「励まし」「慰め」ていたのでしょう。
本人が言いだす前に「気を利かせ」ていたんですね。
善人の自己中です。

本人が自分が小さいことを気にしているということを確認した後なら
「そのうち伸びるよ。大きくなる時期には個人差があるからね。」とでも
言っておけば良かったのに。
本人が言う前に勝手に気を利かせる。
女、主婦、母親には多いタイプです。
「人間のいろいろ」を良く読めば、そういう「欠点」に気づくわけですが、
人は「自分が分かることしか分からない」ので、やはり分からなかったようです。

あとは、「小さいと色々得な事があるんだよ!」とか・・・
娘の友達のお母さん達や私の友人達には、
「○○ちゃんは、今のままでかわいいから、ずっとそのままでいて欲しいなぁ!
大きくならなくていいよぉ!」
って言われています。


ここで、お友達が登場しています。
この相談者の方と同波長の方のようです。
類は本当に友を呼びますね。

愛玩犬じゃないのだから
「ずっとそのままでいて」というのは大変おかしな言葉だと
私は思いますよ。
他人のお子さんに失礼ですが、言った本人も聞いた相談者の方も
それを変だと思わないほど低い感受性の持ち主です。
だから同波長なのです。

もし、ここに異波長の人がいればこの場の空気は一瞬にして破壊されます。
この方の人付き合いは「空気を壊さない」というものなのではないか。
だからその波長を受けて近づいて来る人達は皆
「この場の空気を壊さない人」、つまり「善人」だけになってしまった。
だから、このような
非常識な発言「ずっとそのままでいて」と言うのを
聞いても腹も立たず何も感じません。
何故なら「同波長」だから。


下の方の記事に、私に注意されると「この場の空気を何とか明るいものにしようと」
無理やり笑う友人の記事を書きましたが、たぶん同波長です。
明るく、その場の空気を壊さないことが「真実を知ること」よりも優先させている、
所謂普通の主婦
の方達です。
このような会話が変だとか、決して思わない方達。

娘さんは呪いにかかっているかもしれません。

やっぱり・・・
娘は、そう言われても、嬉しそうではなくて、いつも苦笑いをしていましたね。
娘の友達のお母さんから、ホルモン注射を薦められ、
とりあえずホームドクターに相談しましたが、そのドクターに
「私は専門外だが、この子は内臓関係には何も異常がなく、
生理もちゃんときている。小さくて何が悪いのか?
娘さん本人が注射を打つことを望んでいるなら、私は紹介状を書きますよ。」
と言われました。
娘が注射を打つことを嫌がったので、それからこの話はしていません。

 
相当重症です。
何も考えない友人の言うことをそのまま受け取って、ホルモン注射を打つ相談までしています。
類は友を呼ぶ、本当にその言葉は真理だと思いますね。
医師はマトモでした。
ここで初めてこの方に反対する意見が登場しました。
それでもまだこの方には医師が言う本当の意味が分からなかったようです。

次に娘さんが注射を打つのを嫌がった。
この方はこの時点で無理やり強行するということはしていません。
まだ良かったです。
でも、娘さんに「苦笑い」されても「注射を断られても」、
その本当の理由が分かっていませんでした。
この感受性の鈍さは大いに問題です。

心配なのは身長のことだけではなく、他の場面でもこの程度の判断力を発揮しているだろうと
推測される
ことです。
多分全ての場面でこの方の判断力を発揮しています
これが一番問題です。
そこに気づかせてくれる友人はいないようです。
何故なら同波長の法則通り、友人達もこの程度の判断力を発揮しているからです。
(記事中の友人達の言葉、意見から分かりますね)

分からずやの大人に囲まれて、ただ一人娘さんだけはマットウなようで良かったです。


この方は優しいので無理やり娘さんに強要することは無いのでまだ良いとも言えますが
一刻も早く判断力を上げた方がいいですね。
そうじゃないと娘さんが苦しくなり、まずいことになりますよ。

PANDORAのお客さんにはこの場合の娘さんのように
「母親が分からずや」で苦労している方が沢山います。
皆さん大変苦労をしています。
心理的には既にかなり離れているので物理的にも離れて行く人が多いし、
私も「一緒に住んで苦しむなら離れなさい。」とアドバイスしています。
(※
母毒という考え方もありますよ。リンク1の「調息センター」をご覧ください)

身長の話からはみ出して大きくなってしまいましたが、
子供が親の判断力の上を行くと、母親がいくら子供を手元に置きたいと思っても
会話したいと思っても、出来ない方向に運命が進みます。
その時、そばにいたい、会話したいと母親が思っても叶えられないので苦しみます。
(※判断力が有り、自立した母親なら子供がそばに居なくても平気です)
苦しんで分かる人もいるので、運命がそっちの方向に動くのです。
それでも分からない人が殆どですが・・・

真剣になりましょう。
人によって分かり方が違うのは分かっていますが、真剣になりましょう。
何年かかっても良いから向上する方向で生きてください。


ここで大事なことを言っておきます。
向上する方向に生きれば良いのです。
ここまでの判断力がなければダメだ、と目標値を設定し、そこに到達することを強要していません。
ここらへんを誤解している方は多いかもしれない。
誰も、「このレベルまで来い」とは言っていません。
そのレベルを目標として日々、自分の意識を自覚して生きてください、と言ってます。
問題としているのは「点数」ではなくて「毎日の勉強時間と真剣さ」です。
「80点取らなきゃ不合格だ」と言ってるのではない。
「毎日、この問題について30分でもいいから真剣に勉強しましょう」と言ってます。
3時間勉強しても不真面目、適当ならダメです。
いくら真剣になっても素質の違いが大きく、人とは同じように分かることは出来ない。
でも、それでもいい
んです。
大事なのは
「分かる方向に生きること」
「そのために心の姿勢を『分かりたい』モードにすること」

です。
その人の波動量なりにいつか分かります。
分からなくてもその心の姿勢だけで良いのです。


子供が問題を起こす家庭の母親は、心の姿勢が「自分には分からないことはない」と
無意識に思っているのです。
たとえ分からずやでも「自分には分からないことが沢山ある、だから分かりたい」
という心の姿勢なら、問題は起きません。
母親が相変わらず分からずやでも、心の姿勢を「分かりたい」モードにしただけで
子供の問題はなくなっていますよ。

心の姿勢を変えましょう。
どういう風に言葉を掛けたら良いか、などというテクニックの問題ではありません。
あなたが変わらない限り、今までの友人達とこのまま付き合いが続くでしょう。

<祟る>(2008年4月25日)


せっかく下の方のマザーの記事で神々しくなったのに、今度はこんな話題。

今、このPCで「たたる」と入力したら「祟る」という漢字が出ました。
上に「出」があり、下に「示」があります。
その話をしようと思います。
ただし、神や幽霊の話ではありません。


人が人に無理やり何かをさせる、またはさせない場合がありますね。
そういう時、無理やりを押し付けられた方の人が祟ります。
本人は祟る気はありません。
運命が祟る方に行ってしまうのです。


私の知り合いから聴いた話です。
或る両親と息子が居た。
息子はとても勉強が出来た。
で、両親は息子に沢山勉強をさせ、良い高校に入れた。
すると息子は入学式には出たが、次の日から学校へ行かなくなった。
「高校には入った。これからはオレのやりたいようにやる。」
と宣言して引き籠りになりました。
両親には何が原因か分かりません。
原因は息子の気持ちを無視して自分達のやり方(偏差値高い高校入学)を
押しつけたことにありますが、この両親は悟ることはないでしょう。


或る人の息子の場合。
やはり高校受験の際、息子が行きたかったのは偏差値が二番手くらいの
努力しないで入れる高校でした。
でも、親は息子に努力させたかった。
努力をする人間は良い、人間とは努力するものだ、
努力しないのはダメな人間だ、という思い込みがあった。

これ、多いと思いますよ。
特に自分が努力家の親。
我が家もそうです。
倅が努力しないで入れる高校を志望した時、主人が怒ってました。
私は自分が努力と勉強が嫌いなので、倅の気持ちが分かった。
また、倅には倅の人生があるのだ、という個人主義が幸いしたので
何も言いませんでした。
むしろ志望校のことは「良い学校だから(このまま)頑張って(ないけど)
入るように。」と激励していました。
だから善かった。

さて、上の人の場合、息子は親が勧める高校に入りました。
が、学校が嫌になり、中退してしまいました。
祟りましたね。


或る高校生。
本人は専門学校に行きたいと言うのに今時大学を出ていないと、と言って
親が本人に大学へ行くよう、説得しました。
こういうの、多いと思いますよ。

本人は本当に嫌がったのに、嫌がれば嫌がるほど親が必死になった。
親では足りなくて親戚の高学歴の人(進学校の教師)を呼んで
説得してもらったり。
本人の周囲には「大学へ行け」という大人ばかり。
私を呼んでくれれば「本人のやりたいようにさせろ」と言ったのになぁ、
だから私は呼ばれません。

はい、親戚の話です。
その男子は大学へ入ったが中退してしまいました。
そして自分の好きな専門学校に入りました。

その子は性格は素直で良い子です。
私がジャージ姿で主人の実家へ行き、その子と会うと
「おばさん、そのジャージ、ナイス!」と御世辞を言ってくれます。


私もそうです。
ウチの主人は典型的なオヤジなので、大方の人のように
年中行事や儀式などをこなすことが正しい、それ以外には無い、と
思っています。
私はそのようなものには何の価値も認めない。
たとえば今、年中行事や儀式(結婚式など)となっているものは
たかだか、早くて明治時代、遅くて昭和時代、もっと言えば
終戦後一般庶民に広まったものだと思うからです。
そんなに伝統が好きなら、貫頭衣を着て身体に入れ墨をして
歯に刻みをつけ、森で獣を捕って暮らすべきですね。
はい、縄文時代です。

と、いう屁理屈を主人が聞くはずもなく、毎度のこと「行事」に参加させられます。
そのつど、祟りがあります。
やったことの数十倍の損害が出ます。
意識的にしているのではなく、運命がそのように動いてしまうのです。


他人に無理やり何かを強いた。
そのエネルギーに対する反発心は、強いたことの何十倍にもなる。
これはひとによってエネルギーの大きさは違うかもしれませんが
まだそこまで私が考えていません。
人の心のエネルギーというのは大きいなぁ、と思います。
見えないけれどたしかにあります。

さて、私が祟りについて考えたのはここ数日ですが、
今までの事例は記憶にあり、それらを総合して書いています。
何となく分かってはいたけど、文章にして考えなかっただけです。
だから、薄々は知っていました。

今から十数年前のこと。
ウチの次女が大変活発で土日には家に居たことがありませんでした。
小学生でしたが友達と自転車やバスでどこへでも出かけて行きました。
主人は典型的なオヤジなので子供にはダメと言うのが躾けだと思っていました。
なので、子供が何をしようとしても「ダメ」と言います。
私は「いいよ。」と言います。
私には無理やり行動を制限すれば、そのエネルギーは消えず
今度は違う形で噴き出す、ということを知っていたのです。
私には兄弟が多くその様子を見て知っていたのでした。
もぐら叩きゲームのように、一ツを禁止すれば他のことをやり始めます。
キリがありません。


嫌なものは嫌。
これは当たり前のことです。
それを見て「我がまま」と受け取る親が多い。
でも、我がままの場合とそうでは無い場合とがある。
この差が分からない親は、子供に祟られます。
作用があれば半作用があります。

勿論犯罪や他人の迷惑になること、意地の悪いことはさせられません。
でも、通常の範囲内のことなら行動を制限する必要がありません。
する必要のない制限をすること、本人がしたくないことを
無理強いすることは、本人の心に反発心という凄まじいエネルギーを
発生させます。
ウチの主人だけで子育てしてたら子供はきっとおかしくなっていたでしょう。
(母親がウチの主人のような家庭があります。父親は居ません。
 子供は登校拒否〜学校で異常行動〜深夜徘徊〜家出と
 どんどん違う方面にエネルギーが出て来ました。
 祟りましたね)


何かをさせるにしろさせないにしろ、本人の納得の行かないことを
押しつけたら祟りが来ます。
(この何か、ですが。
 人間として必要不可欠なこと(神理)なら、祟らず、
 どうでも良いことを他人に強要すれば祟ると思います。
 これはまだ考え中です)
世の多くの人は「常識だから」「みんなやってるから」「昔からやってるから」
と、何も考えず今まで通り、人がやる通りに生きれば良いと思っている。
無意識に。
それを自分でやるなら良い。
自分が嫌なことをすればいいんですよ。
でも、他人に強要すれば必ずや手痛いしっぺ返し(祟り)が来るでありましょうぞ。
ふえっふえっふえっ。
「祟る」と言う文字の上は「出る」で下は「示す」です。
出て示す、これが祟りの意味です。

心の中にある怖い破壊エネルギーが「出て」それを強要した相手に「示す」
のです。
怖や怖や・・・

<祟る2>(2008年4月27日)


上の記事を読んだSさんから相談メールが来ました。
「自分が祟るのは嫌だ、でも、お父さんが祟るのも困る」という内容です。


こんばんは、

先日中国の事や怒らない事についてお世話になりました、Sです。
今日の人間のいろいろが、今日親と話してた事と
プチシンクロしてましたので、聞いて下さい。
うちの父親はいわゆる善良な常識人でして、
常識とは、世間とは、というのを良く聞かされます。
(私はあまりそういうのには重きを置かないので、
うちには必要ないお歳暮だの親戚行事だのは、ことごとくしない方です。
自分の判断に自信ないので、それでいいのか迷ってたのですが、
パンドラを見てるうちに、やっぱりそれでいいとわかりました。
最初は納得しなかった夫も
今では無意味な慣例行事はしない家族として生きることを喜んでいます。

ご主人も世間に洗脳されてたんです。
それが解けて良かった、あなたのおかげ。

私が見ていて思うのは、男性の方が頭が硬いということ。
女性の方が頭が柔らかい。
勿論一番頭が柔らかいのは子供なのでよく「女子供」と言います。
この言葉の意味は「女や子供などの判断力の無い連中」ということでしょう。
この場合の判断力とは「世間に合わせた判断力」「社会の常識」という意味だと思います。

男性の方が世間や社会に洗脳され易くどっぷり浸かっているから
そっちの方を「正しい」と思い、そうでは無い方(女子供)をバカにする。
これは世の大方の人の心に意識的、無意識(無自覚)的にあります。
社会に洗脳された方がされてない方をバカにしている様子です。

しかし国家や社会の洗脳が外部から見たらいかに滑稽か
中国や北朝鮮の様子を見れば分かると思います。
「他人の振り見て我が振り直せ」
翻って日本を見れば良いと思う。

年賀状に血道を上げている姿は果たして「正常」でしょうか。
私も年賀状は出さない人間ですが、出す人をバカにはしません。
出す人は出すのが好きなんだろうなぁ、と思うだけです。
しかし年賀状を出す人は出さない人を「出さないのが好きなんだろうなぁ」と、通常は思いませんよね?
変人、非常識、ということにしてしまうのではないか。
年賀状は出しても良いが、出さない人のことをバカにしたら
それは傲慢の罪を犯すことになりますね。



親戚からは変人扱いです・・)
それで・・話が脱線しましたが、
うちの父の事なんですが、
とにかく我が家の年賀状に半端じゃなくこだわるんです。
もう5年近く、出す出さないでヤイヤイやっています。
出さないと縁を切るとか、もうわけわかんないです。
夫は年賀状のような付き合いは必要ない仕事ですし、
我が家には要らないと、自分たちで判断しての事なので、
横から介入して欲しくないのですが。

お父さんは、年賀状を出すのは日本人として当たり前、
それをしない娘夫婦は、日本人としてあるまじき行為をしているので、
それは大変だ、常識を教えようと必死なんですね。
うちの父もそうです。年賀状に限らず全てのことにおいてそうです。
ほとんどのオヤジがそうだと思う。

今日も母とその話をしたところなので(母は拘っていない)、

良かった。

ちょうどパンドラを見て、うちもこれ?と思いまして。
年賀状の話になると父は激昂するんで、
その対応は面倒くさいし、あまり怒らせすぎて脳溢血にでもなったら困るし、
とりあえず、もう出すって事でいいやと最近では思っています。

あなたが、分からずやを相手に説得は無駄、と悟ったんですね。
そして、相手にここまでレベルを高くしろ、と設定するのではなく、
自分が相手のレベルに降りて行ってあげたんですね。
優しいですね。

で、これって、
すごい小さいことだけど、父がうちに嫌がる事を強要してるって事ですよね。
すると、うちの破壊エネルギーが父に行くのもなんだか・・可哀想なんですけど、
そういう場合、どうしたらいいでしょう?

いや、お父さんに行くという単純なものではないんですよ。
あなたが我慢すると、あなたが破壊エネルギーを出してしまう、ということです。
あなたがまず、変化する。
悪い方に変化です。
その結果、お父さんはあなたが起こした「変化」を「見る」んですが。

逆にお父さんに我慢させると、お父さん自身が破壊するでしょうね。
自分の我ままの念によって。
あなたはお父さんが脳溢血になることを予想していますが、その通りだと思います。
破壊エネルギーが自分自身を破壊するでしょうからね。

病気の原因は殆どが本人の間違った想念の結果(具現化)です。
(※子供の病気怪我は親の想念が原因だそうです)
(※前世に原因がある場合もあります)
(※原因が無く魂の進化のために病気になる場合もあるようです)



父は好きなので、納得してない事を強要されるとはいえ、あまり祟って欲しくないです。
かといって、望んでもいない不必要な事をしぶしぶやらされるのは事実ですし。
私は祟りたくないんだけど、この場合もやはり、
運命は祟らされちゃう方向へ行ってしまいますか?

あなたは「祟り」を理解したので、それは無いですね。
つまり、今回の件についてですよ。
この件に関して「これをしたら祟る可能性がある。
何故なら私は年賀状を強要されたからだ。」と、意識化する。
「強要されてとてもムカつく」とハッキリ自分の意識を自覚する。
しかし、私は、いかなる破壊エネルギーも出したくない。」と思えば、祟らないでしょう。
だって、頭で処理(納得)しているから。
で、次に心で納得すれば大丈夫です。



祟るのは、そこらへんが無意識の場合です。
イマイマにキを入れてない(無意識になってるってこと)場合です。
強要された、ムカついている。
でも、それを意識化しない場合、祟ります。
何となく嫌だ、したくない、でもしなくちゃならない、
でもしない方に使うエネルギーは大きい。
それは面倒だ。
だからやらなくてはならない。
でも、やるのも嫌だ。
というどっちつかずの嫌な気分。
で、こういうコトって考えるのも嫌なんですよ。
だから考えないんです。
で、思考停止する。

しかし考えなくても嫌なものは嫌なので、その嫌なものを押し付けられたという
エネルギーは消えてなくなりません。
ちゃんと心の中にあります。
それが祟る元です。



でも出来事が小さいから、祟りも小さくて済むかな。

えっと、できごとの大小より、それによって感じることの大小の方が問題です。
心のエネルギーの問題だと思う。
あなたが年賀状問題を小さく捉えるか大きく捉えるかによると思う。
つまり、あなたはお父さんによって不本位なことを押し付けられているわけですよね。
そのことを本当に「たいしたことない」と、思えば祟らないが、
本当は「嫌で嫌で仕方ない」と、思えば祟るでしょう。
たいしたことないなら、お父さんに従って「お父さんと親戚だけには年賀状を出す」
という選択をすればいいんだし、ここらへんはどうなんでしょう。


どうなんでしょうね。なんか心配になりましたが、
やはりやったぶんはきちんと帰るんだなー、と納得もいきました。
あと、自分も娘に無意味な押し付けを無意識にしてるのではと、ドキッとしました。
意識化、気をつけなくては・・と改めて思います。
今日も面白い記事を読ませて頂き、
ありがとうございました。では。。

祟らないためには自分の意識をはっきり見ることでしょうね。
(イマイマにキを入れる)
そして頭を使い、解決方法を考えるか、理屈で納得することです。
(年賀状の場合は、お父さんには言っても理解できないのだな、と
納得するとか。この時、本当に納得しないとあなたが祟ります)

私もそうですが、嫌なことを考えること自体嫌なので考えません。
だから解決しないし納得もしません。
で、祟ります。
もっと嫌なコトが起こります。
「もう一段下の地獄あるのざぞ」(日月神)という事態になります。
ああああ、面倒臭い!
と、思うけど問題は放置しておいてもなくなりません。

祟りの結果が病気を始め様々な不幸です。
本当に人間の心というものは扱うのが厄介ですね。


<祟る3>(2008年4月28日)


上の記事を読んだ方からメールが来ました。

ところで、年賀状というのはなかなか厄介なもので、年賀状
は出すのが礼儀というわけのわからない常識のせいで、いろい
ろと問題が出ているわけですよね。中学のとき、プロレス好き
のクラスメートが本名を書かずに「ハルク・ホーガン」とだけ
書いてあったため、誰か分からず、年賀状を返信しなかったの
で、それ以降なんとなく気まずい思いをしたことを思い出しま
す。


あっはh!そりゃハルクの方が悪い。

 
で、それ以降は面倒くさいなあ、という気持ちを持ちつつ年
賀状は出していたのですが、あるとき、いっそ楽しんでしまえ
ば良いのではないか、と考えるようになりました。だって、年
賀状出す、出さないなんて、どうでもいいことなわけで、そん
なことで嫌な思いをするぐらいなら、いっそ、自分で出したい
という気持ちに変えてしまえばいいのではないか、という感じ
です。現在の自分、家族がこんなに幸せに暮らしている、楽し
んでいるということを年に1回みんなに自慢する、という感じ
です。そう考えるとけっこう楽しくないですかね?
 少なくとも、そうすることで、嫌々やっている感はなくなり
ます。


嫌な気持ちを良い方向に転換するんですね。
知恵を使えば可能です。

 
スマ氏の本、稲垣式理論などいろいろと考えてみると、どう
も人間にとって良くないこと”怒り”の1点につきるように感
じています。年賀状の件にしても、祟るのはその件に関して怒
りがあるから。「こんな面倒臭いことをするのは年賀状なんて
制度があるせいだ(怒)」「親に言われて書くなんてなんだか
癪に障る(怒)」「年賀状のせいでこの時期、郵便物が遅れて
届く(怒)」「せっかく書いたのに返事をくれない(怒)」
 年賀状制度のおかげでずいぶん怒りが発生しているのかもし
れません。でも、ぜんぶ、怒る必要がないものでしょうから、
年賀状はパソコンを使って面倒くさいことは楽にして、年賀状
の内容の評価は気にせず、返事が来ることなど忘れてしまい、
「生きとし生けるものが幸せでありますように。」とスマ氏の
言う瞑想をする機会と考えれば、けっこういい制度に感じてい
るぐらいです。


祟りは「本人には自覚出来ないほどの些細な怒り」が原因です。
怒るほどのことではない。
まぁ、我慢も出来そうだ。
仕方ないやるかぁ(止めるかぁ)・・・みたいな。
他人の強要に対して反発するのは面倒だ、だったら仕方ない
受け入れるか・・・でも、心には不満が燻る、この心が祟ります。

その時、(ああ、自分は怒っているなぁ)と、自覚すれば祟らない。
でも、その時は自分でも別に怒ってはいないのです。
だから意識化するのが難しいのです。

よほどイマイマにキを入れないと、自覚するのが難しい。

<下から上は分からない・・・マザーの気持ち>(2008年4月22日)


マザー・テレサが或るホテルに泊まった際、最上級の部屋か、
調度品が素晴らしいものだったことにクレームをつけ、部屋を替えさせたか、
調度品を撤去させた、というエピソードについて。

マザーの気持ちが分からない人の方が多いかもしれない。
私も分かりませんでした。
そのエピソードを批判していたシャーリー・マクレーンは、その件を理解出来ないので、
批判したのでしょう。

そのホテルのオーナーや従業員の気持ちを考えると、マザーのしたことには賛成出来ない、
というのが普通です。
でも、マザーはそれを分かった上でやっているのです。
そんなことはマザーには分かっている。
でも、その豪華な部屋に一泊したら、次のホテルでも最上級のもてなしを受けることになる。
そうではない、ということをマザーは言いたかったのです。

それを分かるか分からないかが、分かれ道です。

自分の我を引っ込めてマザーの気持ちを理解する方向に進むか(向上する)
自分の我を押し通すかの別れ目です。

これはマザーの件だけではなく、全てにおいて言えるのです。
これが分からない人が殆どですが。

<マザーの気持ち>(2008年4月23日)


上の記事の続きです。

ホテルの部屋が最上級だったことについて、
マザーがアワ人間ならホテルのオーナーに対して
一応お礼を言ったと思います。
オーナーの心を汲んで受け入れたと思います。

でも、それをすることがいいことでしょうか?

マザーは「自分を特別扱いしないで欲しい」と思ったのだと思う。
そして「私を優遇するのと同様に世の中の貧しい人を優遇してください。」と
言いたかったのでは?

ホテルの人の気配りはマザーは分かっています。
でも、それではいけない、ということも分かっている。
なので、敢えて「部屋を交換する」(或いは調度品を撤去させる)ということを
して見せたのです。
マザーはホテルの人を教育したのでした。

また、マザーの言動行動の裏には
(あなたはこのままではいけません。もっと考えなさい)
という心もあると、私は思う。


親切で優しいのは良い。
でも、その上を目指してください、とマザーは思ったと思うのです。
(ここまで来い、のサヌキです)

これを理解出来ないレベルにある人はマザーがした行動の表面だけを見て
(マザーって思いやりが無いよな)と、思ってしまう。
それは自分の判断を優先させるからです。

スマナサーラ師の本に
「ひとは自分が正しいと無意識に思っている」
書かれており、これは相似象の考えと一致します。
相似象とは秘儀でも秘密でも何でもない当たり前のことです。
なので、気づく人は相似象など読まなくても分かっているんです。


マザーの気持ちを理解しようとせず、自分の気持ち判断を優先させるのが
普通の人です。
(シャーリー・マクレーンとか)
でも、それをしていたら、一生向上しません。

向上するか現状維持か、それを選ぶのは本人です。

マザーに「ホテルの人の気持ちを分かってやれよ」と思うのは
自分の意識レベルにこのままずっと居続けたい人です。

<中国腹立つ!>(2008年4月21日)


Ifさんこんにちは。
以前守護存在の絵を頂きましたSといいます。
怒りと軽蔑のコントロールが難しいんですけど、
どうやったら軽蔑しないでいれるのでしょう?
中国の事なんですけど。

スマナサーラさんを読んでいるところなんですが、
なかなか本の通りになんて思えなくてですね、
本当に下から上は全然理解できないんだなーと、自分の低さを夜毎見ています。
「怒らないこと」を読んでも、
2ちゃんねるのニュースでチベットや中国の記事を読むと、
速攻で、中国憎しの感情が盛り上がってしまいます。
怒りながら、今脳みそで毒作られてるのかなーと思うとすごい嫌なんですが。


ああ、なるほど。
私は中国には腹が立ちません。
ただ、中国がやっていることは、てんでバカだと思います。
ど−しょもないなぁ!って思いますね。
フランス系のスーパーの不買運動したり
ネットで悪ぐち言ったり、どうしようもない国民です。
最低です。
 
で、私は中国に対して腹が立ちません。
 
上に書いたようなことは思うけど、
腹は立たないんですよ。
ただ、批判しているだけなんです。
 
ここがあなたと違うかな?
思考に感情を入れないのです。

ああいう状態をみたとき、
どうやって怒らずに軽蔑せずにいれるでしょうか?
ダライ・ラマさんは、中国人を憎んではいけないよと仰っています。


◆ダライ・ラマも、中国という国は困ったものだ
冷静に思っているのでしょう。

腹は立たないと思います。でも、自国民が中国人に殺されたら、
きっと悲しいし、たまには腹を立てると思います。 


ダライ・ラマさんが仰るんだからそうしたいです。
低級霊の活動をみてムカついて、
一緒に低級霊化してるなー自分、とも思いますし。
でも、スマ氏の「生きとし生けるものが幸せでありますように」の祈りが、
なんか素直にできないです。
「中国以外の生きとし生けるものが・・」ならいいんですけど。
やっぱりそれじゃだめですかね?


◆中国の様子を見ても、頭で「ダメだ、こりゃ。」と判断するのはいい。
 でも、感情的になってはいけない。
 私は人間が出来てないけど、中国に対しては腹が立ちません。

 そういう国なんだな、と思うだけなんです。
 中国と言う国を理解することも必要です。
 彼の国は日本を攻撃することで国家がまとまっているんです。
 韓国、北朝鮮も同様。
 自分たちの能力が低く、国家としてはたしか先進国に数えられてないと思う。
 これは世界情勢の統計を読んで分かりました。
 国体がそうなので、一般国民も政府が気に入るような言動と行動をしているんです。

 歴史を勉強すると分かりますが、複雑な事情があるんです。

 これからも情報は知りたいけど、見る度に低級な気持ちで終るのが困ってしまいまして。
あ、でも今日は、
「善行寺に断られたのでスタートの場所が‘ただの空き地‘に変更になった」というニュースを見て、
ちょっと良かったなって気になりました(しかも刑務所跡地の更地)。


◆善光寺のニュースには笑いました。なかなかやるじゃん、と。


ここで私が怒ったって、中国がチベット虐殺をやめるんでもないのに、
中国にムカつく気持ちが収まりません。
もうちょっとマシな考えで中国の事を見れたら楽なので、
何かキレずに見ることのできる考え等、教えてもらえませんでしょうか?
今の私のレベルでは、中国を罵倒するところ止まりです。
もっとレベル上の見方で見れたらと思うんですが、わからないもので・・
すみません、ifさんのご意見頂けたら助かります。
よろしくお願いします。


◆私は中国を罵倒するけど、感情が動かないんです。
 まずは「どんな時でも腹を立ててはいけない」と、理解し
 それを毎日忘れず潜在意識にまで届くように念じ、
 心の姿勢を「腹を立てないモード」にするよう、努力してみましょう。

◆また中国についてはあのようなことをしていると世界のマットウな国から
  近代国家として認められなくなります。
  あのようなことをする前から認められてはいません。
  このオリンピックで世界に認めさせようと目論んだのですが、
  やはり近代国家ではなかった、と世界のマットウな国が判定を下す。
  その結果をそのうち中国は見るでしょう。
  そうなってから中国が取る道は二つ。
 
 @反省して近代国家への道を歩む。
  Aあくまでも中国が正しいと言い張り、先進国入りの夢が消える。


◆これは国の例ですが、実は人間も同じです。
  何かに対しての答えが
 
 @反省して自分より上のものを受け入れる。
  A自分はその位置から一歩も動かず向上しないでそのまま。

  国家と人間が相似象です。

◆私達に出来ることはこのことから学び、自分は@の道を歩むことです。


<笑えばいいってモンじゃない>(2008年4月18日)


下の下の記事<(笑)について>を読んだ方から「よくぞ書いてくれた」というメールが来ました。

その方は昔海外に住んでいました。
そこでちょっとした事件に巻き込まれてしまい、当時幼児だったお子さんを日本人の友人に一日
預かってもらったそうです。
ちょっとした事件ですが、嫌な事件です。
子供を迎えに行ったらその奥さん笑いながらこの方に興味本位で質問してきたのだそうです。
この場合、私だったら「それはヒドい目に遭ったね。そいつ(相手)はロクな死に方しないね。」
くらいは言うでしょうが、この奥さんの場合は何だかとても嬉しそうで
根掘り葉ほり質問するんだそうです。
この反応に驚いたこの方は(自分の感覚の方が間違っているのかもしれない)と思いました。

次の日、お子さんを幼稚園に送って行ったら現地の幼稚園の先生(外人です)が
皆、目に涙を溜めて黙ってこの方を抱きしめてくれたそうです。
(これは日月神示の言葉
「日本人の中にも外国人いるのぞ、 外国にも日本人居るのぞ」
 というのを思い出させます。
 外人の先生の方がよほど心があります)

もう一人の日本人は「民事訴訟を起こしてお金をせしめてやればいい!」と
何度も何度もこの方に「アドバイス」したそうです。
この方が「いや、私にはそんな気はないから。」と、言ってもその日本人はニコニコ笑いながら
民事訴訟を勧めたのだそうです。

上の二人の日本人女性は
「絵に描いたような善い人」だったそうです。


もう一人の方から。
その方のお子さんが今度小学校に入学する、という頃の話です。
お子さんが通う幼稚園か何かの知り合いの奥さんが
「私、近所にお付き合いしている人が居ないので、小学校のこと、何も分かんなくて。」と
言うので、この方は自分が知っている限りのことをメールで教えてあげていました。
さて、入学式当日。
知り合いの奥さんの周囲には明らかにこの奥さんの友人にしか見えない人が沢山いました。

それを見て、この方はびっくり。
(何だ、友達がこんなにいるじゃないの!)
知り合いの奥さんはこの方を見るとニコニコしていたそうです。
もし、私がこの奥さんだったら、自分には知り合いが居ないと宣言したのだから、
明らかに知り合いに囲まれている姿をこの方に目撃されたら、ウソをついたことがバレるので
かなりバツが悪いと思うのです。
でも、この奥さんは友人たちに囲まれてニコニコしている。
いったい・・・



まぁ、社交辞令なのだとは思いますよ。
上のケースの日本人奥さん二名は、この方を励まそう力づけようとしたのだと思います。
根掘り葉掘り質問するのは
「私はあなたがやっていることに、これ、この通り興味を持っていますよ。
決して軽く見てはいませんよ。」というつもりかもしれません。
もう一人の、訴訟を起こしなさいよ!と、いうのも励ましのつもりだと思います。

下のケースの場合は何で「私は知りあいが居ないのでわからない」と言ったのでしょうか。
ワケが分かりません。
言う必要の無い台詞です。
そんなコトを言わなければこの方は時間を割いてメールを送るという無駄なことをせずに済んだのです。
思うに、この方が初めて子供を小学校に入学させるという状況を知った、知りあいの人は
(あなただけではなく、私だってホラ、知りあいは居ないし)と、謙遜したつもりか
似たような状況にある人間であることを告げて「不安なのはあなただけではありませんよ」と、
この方の心を軽くしようとしたのかもしれない。
思いやりの気持ちから発しています。

たとえそれがすぐバレようと、そんな先のことまで考えていません。
今、相手の状態を軽くしてあげようという思いやりなので、大事なのは「今」だけです。
未来に、自分のウソがバレるのは必至ですが、別にそうなったからといって
たいしたことではない、だって、相手を思いやって言った言葉だし、誰も困らないでしょ、
そんな細かいこと言うわけ?あら〜アタシの気持ちを汲んでくれないのね、というような
思考回路かもしれません。
そして「あ〜〜あ、○○さんて話が分からない人ね。」となってしまうかもしれません。
思考力が無く自己中心で生きていればこのような考えになってしまうのではないだろうか。
こういう人とは面倒なので、付き合わない方がいいです。



このように絵に描いたような善人の人達がワケ分からん言動&行動をする。
本人たちには自分なりの理由があるのでしょう。
決してそれを「悪いこと」とは思っていないはずです。
なので、それを見た人はびっくり仰天してしまうのです。
他人が見てびっくり仰天することでも、本人にとっては何も感じないか、「善いこと」になっている
これは判断力が乏しいからですね。
こういう人にいくら「それはおかしいよ。」「あなたは間違ってますよ。」と言っても
理解出来ないので無駄ですね。

また、私は一方が○で一方が×だと言うつもりもありません。
人間を○か×かの二種類に分けるのは究極では出来る(そのうち分けられる)だろうが、
通常人はは真っ白〜真っ黒の間のグレーゾーンにいると思うのです。
白に近いか黒に近いかの違いがあるが、ほとんどの人は灰色だと思ってます。
そうは言っても「白に近い灰色」と「黒に近い灰色」の区別はつきます。
似たような灰色でも両者を並べて良く見比べれば見分けがつきます。

一方を良い一方を悪いと決めるのは○×式。
世の中の殆どのことは灰色なのです。
その、灰色同士を良く見て考えて判断することが望まれる。



私にも経験がありますよ。
絵に描いたような良い人の話です。
ひとが真剣に話しているのに、それを聞いていた相手が「あーーーっ」と大きく溜息をつき、
ニコニコしたことがあります。
私が話題にしていたのは、そのひとの子育てのまずさです。
その人は殆ど何も分からないで生きているので、子供が登校拒否〜中退〜ニートという
コースを歩んでいました。
子供全員がです。
この人に何を言っても理解しないので最後には私は話も説教もするのを止めましたが。

こういうひとは相手が話をしていても意味を取ることが出来ずただ、音声として聴いてるだけなのです。
頭の中には意味不明の音声が数秒間記憶されますが、意味不明なものはすぐ消え去ります。
なので、マットウな思考というものが出来ません。
思考力が無いので、新たな情報も入りません。
聴いた時に音声となっているので意味が分からず、従って記憶も出来ません。
これを20年間は続けていたようです。
ひとが真剣に話しているのにその真剣さが理解出来ず大きく溜息をついて笑う。
意味が分かりませんが、自分なりに考えてみました。

この人は私がさんざん説教している言葉の意味が取れないので、
さっきから if ががなっているが、意味が分からないのです。
うるさいだけです。
なので、私が喋るのを止めたので(ああ、やっと静かになった)と感じたのですね。
それで今までうるさいのを我慢していたのと、意味不明の言葉を聞かせられるという
ストレスから解放されて、終わった途端溜息が出たのでした。
そして、説教がようやく終わった喜びで笑みがこぼれたのでした。

私は説教するのを止めました。



説教をすればするほど笑う人もいます。
説教によって重苦しくなったこの場の空気を和やかにするために笑うのです。
和やかにしてはいられないほどその人の分からず屋が重症なので、
私は説教しているわけですがそれは理解出来ない。
なんとかしてこの不穏な空気を変えよう努力する人がいます。

説教する方は空気がどうたれ言ってる場合では無く、相手の理解力の無さを相手が自覚し
真剣に改めない限り一生まずいことになるので説教する。
しかし相手はそれが理解できないので笑ってこの場を明るくしようとしているのです。

で、私が真剣に話しているのに相手がそれを真剣に受け取らず笑っている様子を見て
さらに説教のレベルが上がります。
この場合のレベルとは放射能の危険度みたいな感じです。

レベル1=警告
レベル2=注意
レベル3=説教
レベル4=叱りつける

相手は私から「何を笑っているの!笑いごとじゃないよ!」と、怒鳴られる。
それを聞いた相手はその剣幕に驚き、さらにこの場を明るくしなければ、と必死で笑います。
しかし心は悲しみと怒りと落胆と様々なものがいっぺんに浮かんでいるのです。
とても笑えないのは分かりますね?
でも、険悪になったこの状況を必死で立て直そうとさらに笑うのです。
なので、その形相は泣いて怒って驚いて笑っているという、凄まじいものになっています。

これですが、私が体験しなかったことで上のようになったと、報告を受けたことが
今までに何度かあります。
学校関係で担任から子供のことを皆の前で注意された母親が、やはり
上の人のような形相になっていたらしい。
いっそ笑わなければいいのだけれど、ここは学級懇談会だし、と笑おうとしているのでしょう。
笑いたいのに心は笑えません。
その矛盾で凄まじい形相になったのです。
だったら笑わなければいいのにな、と私は思います。
ここまでして笑いたいか。
笑いたいんでしょうね。



笑いの一つの意味は相手に対して「私はあなたの敵ではありません」ということを表明する手段です。
西洋にも東洋にもあります。
ここで語るのは東洋の笑いについて。

敵では無い、という表明なので笑うのは嬉しいからでも楽しいからでも可笑しいからでもありません。
アメリカ映画でベトナム戦争を描いた作品があります。
兵隊がゲリラを探すために民家に入る。
そこの住人にゲリラは居ないか尋ねると住人の男性が笑顔になる。
それを見た兵士はパニックになってしまう。
兵士が真剣に質問しているのに相手は笑っているのです。
「笑うな。何で笑うんだ。」と銃を向けます。
すると住人はさらに相手の敵意をそらすため、相手の心をなだめるために思いっきり笑う。
ますますパニクる兵士。
もう叫んでます。
「笑うな!!!!何で笑うんだぁ!!!」
半分泣いています。
相手が「不審な行動」をしたら射殺しなければならない。
でも、この状態をどう解釈していいか、分からない。
銃口を向けられて笑っている人間が理解出来ず不気味で、どう対処したらいいのか分からず
パニックを起こしてしまう。
騒ぎを聞きつけた上官がやってきて
「撃つな!東洋の笑いだ!」

東洋人はアワなので、相手の猛々しい気持ちを柔すために笑いますね。
そういう文化を知っている同士なら理解し合えますが、それを知らない文明から来た人には
通用しません。
(その代わり、西洋人は知らない人と会ったらまず、ニコっとします。
 これも相手に敵意は無い、と伝えるためです。
 東洋人は見ず知らずの外人にはニコっとしないのではないか?
 銃口を向けられたら笑いますが・・・
 笑う場面が東洋と西洋では違うようです)



さて、「笑い」についていろいろ書いてみましたが、これは本来の笑いとはちょっと違う笑いでしたね。
自分の身を守るための意識的な笑いでした。
あ、意識的と書いたけどやってる人は無意識です。
意式的な笑いを無意識でする、それが問題です。
一刻も早くこのレベルから抜け出した方が良いと思います。

このような思考力判断力の無いことを日常的にやっているのは、自分の本心に気づくことから
最も遠いと言えるでしょう。
「絵に描いたような善人」が一番タチが悪いと思うのは、そういう理由からです。

心の姿勢が
「本当のことに気づく」モードになってないので、
そういう人は思考力判断力が無いのは勿論、感覚さえも誤魔化しているので
自分が本当にやりたいことは何か、何をしたらいいか、適職は何か、天職は何か、
などということはおそらく分かることはないでしょう。

<ナッゼ〜ワッライマスカーッ!>(2008年4月18日)


上の記事<笑えばいいってモンじゃない>を読んだYさんからの報告です。

おはようございます。Yです。東洋人の笑いを読みました。
見たことがあります。
私はスポーツクラブ内の施設にいるので、受付がよくみえる。

ある日、白人の男性がすごい剣幕で、
スポーツクラブの受付の人達に英語で怒鳴ってました。
英語の分かる人の解説では、施設の利用の際
あまり台数がない例えばベンチプレスみたいなものを一人が占領している。
それは外国では譲り合うらしい。時間を決めていたり、などで。

それに対してのクレームなのに
、なぜ笑うっ!と。
日本にいてるとそれが当たり前になってて
怒る人の気持ちが分からないということさえも、わからないんですよね。
あらためて見直さねばいけないです。日本人のマナーのわるさ…


問題点が幾つかありますね。
まず、マナーの悪い日本人が居るのだ、という当り前の現実を
把握する義務が、このクラブにはあるのです。
それをしない。
私が郵便局で非常ボタンを押さなくてはならなくなっている
現実と同じです。

あ、それはどうでも良かった。
問題はこのスポーツクラブですね。
このようなマナーを知らない自己中の客が居るということを
まず観察しなくてはならない。
そして一人でもそういう輩が居るのを発見したら
それに対処するのがクラブの義務でしょう。
それをしない。
観察をしません。

少数の困った客(自己中人間=低次元=獣次元)のために
多くのマットウな客が困っているのです。
このクラブとうちの近所の郵便局ではそんな簡単な
当り前のことが出来ないのです。
だから白人利用者や私のような日本人離れした人間に叱られる。

次に、クレームをつけられているにも関わらず
関係者が揃って「笑顔で対処」している。
怒りが倍増します。

クレームつけた白人男性客には東洋の笑いは理解し難いものでしょう。
しかし、日本人の女性客=私=にも、理解し難いものです。
(どうも私の感覚は日本人の平均値から外れているようです)
クレームをつけられたら表面上だけでもいいから
「あなたのお腹立ちはご尤もです。
 それについて何ら対策を立てていなかった私どもの手落ちで御座います。
 早急に対処致します故、なにとぞ御許し下されませ。」

と、平身低頭するのが普通では?


クレームをつけられて笑っている職員。
私は何も外国が素晴らしいとか優れているとか正しいとか言いません。
しかし、困った事態を笑いで誤魔化すのはまずいと思いますよ。
勿論当事者は誤魔化している自覚は無い。
相手の怒りを笑顔で柔しているだけです。
しかし、それでは問題は解決しないのです。


ここが多くの日本人には分からない点です。
なので私の方が変人、クレーマーとなってしまっています。
ま、私は外国でも平気でカタコトの英語と日本語でクレームつけてますが。

<美人不美人>(2008年4月17日)


誰が見ても美人というのがいます。
誰が見ても不美人というのもいます。
この場合の「誰が」というのは、全員という意味ではありません。
世の大方の人、といいう意味です。
だいたいどのくらいの人のことを指すのでしょうか?

9割ですかね。8割かな。

美人の場合なら「8割が美人と言い、1割が不美人という、
あとの1割は分からないと答える」でしょうかね?
私にも分かりませんが一応、
9割の人が「この人は美人だ」と言った場合を
「誰が見ても美人」と定義しますね、勝手に。

で、その対極に不美人というのもいます。
誰が見ても不美人というのも存在します。


で、どの程度、誰が見ても美人と不美人が居るかというと、
これも根拠のない推測ですが、それぞれ人口の1割づつではないかと。
ただ、私が住んでいる県の場合は、
何故か日本三大ブス県に指定されているそうです。
我が県は特例として
「美人0.1割、ブス5割、あとは普通」かもしれません。

これは実は思いあたる節々があります。
幼少の頃より住んでいるので、それが当たり前だと思っていましたが、
20歳の頃から先祖の出身地秋田県に年に一度くらい行ってました。
今はもう、行かなくなって10年にもなりますが当時は行くたびに

あんれま〜〜っ!まんず、びっくらこいただ〜!
あっちもこっちも、ホレ、美人ばっかりでねえか!
なんしてこんただ美っ人ばっかり居るど?

という感想を持ちました。

多くの女性は目はパッチリ色白で、秋田県では
「誰が見ても美人の生息数がヤケに多い」と感じました。
「美人5割、ブス0.1割、あとは普通」かもしれません。

それに引き替え本県は・・・「誰が見ても■美人の生息数日本一」に
なりそうな勢いです。
そのうち猟友会の方々に猪と間違われて射殺されそうな方も
中にはいらっしゃいます。
心当たりの有る方はくれぐれも歩行に注意してください。


さて、私が言いたいのはこんなことではありません。
今までのは前フリです。

全女性人口の1割が誰が見ても美人で、1割が誰が見ても不美人
だと、私は思うのです。
で、あとの8割は「美人でも不美人でもない」方がたです。
あ、これをご覧の皆さんの8割が「美人でも不美人でもない」に
当てはまりますが、申し訳御座いません。

ここまではいい。
問題は、これらに当てはまらないジャンルの方が居るということです。
つまり
「美人なのか不美人なのか分からない」という
全く別のジャンルの方です。
これは美人にも見えるし不美人にも見えるので、
美人でも不美人でもない人とは違います。

この方たちの立場は微妙ですね。
或る時は美人或る時は不美人。
しかしてその実態は?

私はたまに現実世界とかテレビなどでそういう方を発見します。
テニスの伊■公■選手とかね。
判定が難しいです。
美人なら美人、ブスならブス、どちらでもない平凡顔ならそれでよし。
でも、美人にもブスにも見えるというのが、私を悩ませます。

と、このような考察を常にしているのが私です。
はい、時間の無駄とも言います。



(2008年4月24日)

記事を読んだ秋田の血筋の方からメールが来ました。

どもども。
以前ブサイクな関羽を書いてもらった
純正秋田美人のMです(笑)
ifさんに秋田の血が入っていたとは。
俺だばー両親ともに秋田出身んだども、
秋田県内でも、美人の産地からははんずれるってーことと、
現地で育っていんねもんだばってー秋田美人とはいえねが
タイムリーだばっていってみたっべしゃ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



誰かーっ、通訳してくれーーーっ!

<(笑)について>(2008年4月17日)


下の記事を読んだ方から反省した、というメールをもらいました。

ifさん
 
改めて
<私がひとからされたいこと>の記事
 
ありがとうございました。
 
自分で気がつかないとはこういうことなのだと
勉強させてもらいました
(以下略)

ああ、なるほど。
私のあの記事はキツかったですね。
 
(笑)を多用する人は文章そのもので笑わせることが出来ない。
でも、他人に笑ってもらいたい。
なので、(笑)を使う。
 
最小限ならいい。
どうしても(笑)が外せないところはある。
 
でも、多用しても、文章は面白くならない。
そんなコトにも気付かない人が(笑)を多用する。
それは盲点ですね。
 
気付かない人、分からない人、判断力の無い人の文章は面白いですか?
私は面白くないです。
面白くないのに(笑)を多用し、笑ってもらおうとするのは、
自分は努力しないで、他人に笑いを強制しているので、
これは低次元の「我」以外の何物でもありませんね。
 
 
 
 
(笑わせる)努力放棄。
他人に(笑いを)強制。
 
 
 
 
この、心の姿勢を見ただけで分かると思うけど、
こういうひと、面白いですか?

 
いいえ。面白くないです
 
自分のメールを読み直していましたが
ひどかったです
 
 
>他人に(笑いを)強制。
 
本当に読んで「なんだこいつは!」でした
それは自分ですが
その時は気付かなかったです

文章を書くことは難しいですけれど
今までは逃げたりしてましたが
今度は逃げずに進んでゆきたいと思います

実は(笑)は表面上のことでしかない。
それをさせている、その人の判断力の無さが問題ってのは分かりますね?
 
(笑)を多用する人の意識を分析するといろいろ分かってきますよ。
 
◆ここは笑うところなんだ、と読む人に強要
◆自分では笑えるような面白い話を書くことができない
◆出来ないのなら努力すればいいのに、しない
◆自分を甘やかしている
◆これは冗談なのだと、いう誤魔化し
◆キツイ言葉も(笑)でうやむやにする
◆とにかく自己中
 
 
と、いうような心が見えます。
 
 
過去、(笑)を多用していた人で、ほとんど物事が分からない
人がいました。
その人はほとんど分からないのに、勿論自覚出来てない。
で、トンデモない言動をしていました。
私が悪ぐち言われるならいいが、
何の罪もない人に、トンデモな言いがかりをつけていた。
このように、最低レベルであるにも関わらず、
自分ではそれを自覚しない人が(笑)を多用する。
 
スマ師の本は読みましたか?
スマ師は「誤魔化しからは何も生まれない」というようなことを書いています。
深い言葉だと思う。

誤魔化すというのは「分かる」ことの反対側にあります。
分からないのにそれから目をそむける。
こういう態度が一番悪いです。
その悪い態度を(笑)で誤魔化すのです。
なので私は(笑)を多用する文章を読むと笑えないのです。

<(笑)>(2008年4月16日)


下の記事<私がひとからされたいこと>の一番上の項目
「バカっ話をして欲しい」を読んだ方から反省のメールが来ました。

ifさま
 
(笑)の件、鋭いつっこみにまいりました。
しかと目を開け、一生懸命 生きます。
○子

え?
この人、そうだっけ?と、昨日来たメールを見てみたら

なんで、親はちゃんと育ててやらなかったんだろうと
哀れな気持ちになります。
でも、義母も天然だからしょうがないのかな(笑)
うちの主人は、三男ですが、次男の義兄は超いい人です。
頭もよく人の気持ちもよくわかる。
家族に苦労したんでしょうね。

という文章。
特に問題は無いと思いますよ。
(笑)を多用するとはつまり

なんで、親はちゃんと(笑)育ててやらなかったんだろうと(笑)
哀れな気持ちになります(笑)。
でも、義母も(笑)天然だからしょうがないのかな(笑)
うちの主人は、三男ですが(笑)次男の義兄は超いい人です(笑)。
頭もよく(笑)人の気持ちもよくわかる(笑)。
家族に(笑)苦労(笑)したんで(笑)しょうね(笑)(笑)(笑)。

このくらい(笑)が使ってあれば問題ですがね。
この方の文章は普通の範囲内ではないでしょうかね。

<私がひとからされたいこと>(2008年4月16日)

私がひとからして欲しいことは・・・

◇バカっ話をして欲しい。
メールでも対面でもなるべくバカっ話を聞きたいですね。
だって笑いたいもん。
バカっ話をするにはかなり頭が良くないと出来ません。
頭が悪いとバカっ話ではなく、バカな話になってしまいます。
バカな話は面白くない。

で、メールの文章に(笑)を多用する人がいますが、
(笑)が多い文章ほどつまらないものはありません。
(笑)を表示しないで、笑わせないと。
まぁ、それが出来ないので(笑)を書くんだろうけど、
少しはあってもいいけど、多用はいただけません。

(笑)を書くのは、もし、これに(笑)がついてなければ
トンデモなくヒドイことと思われる場合か、
特に「これは冗談です」と、相手に理解して欲しい場合です。
冗談というのは頭の程度なりにしか通じません。
(スマ師もそこらへんを解説しています)

(笑)を多用する人は「これは笑うべきことなのだ」「冗談なんです」と
強調することにより、誤解を避けている。
その人間の小ささによって文章をつまらなくしています。
また、この冗談が相手に通じないだろうということを念頭に置いている
ということは、相手の能力を見くびっていることにも繋がりますね。
勿論そのようなことは考えては居ないのも分かる。
これは無意識のことを言ってます。
誤解されないよう、気をつけるということの目的は
やはり自分を守ろうとしていることなので、そういう小さい人間の
書くことは私にはつまらない。

バカっ話をしている、ということは、そういうことを語る自分というものを
笑い物にすることです。
他人から笑われ呆れられ踏んだり蹴ったりされてもいいや、
それより笑いを優先しますよ、というその心がバカバカしいから
笑えるのであって、相手の反応を心配し自分の身を守る言葉が
面白いわけがありません。
でも、本人は笑ってもらおうと思って(笑)を多用する。
ここに矛盾が感じられます。
バカな話はしたいがバカにされるのは嫌だ、という。
この心の姿勢そのものがつまらないので、笑えませんね。

あ、「して欲しいこと」を語っていたら「して欲しくないこと」になってしまった。
バッカだなぁ・・・


◇向上して欲しい。

今いる場所で自分の意識レベルを上げて欲しい。
波動量を増して欲しい。
これが、私が他人に臨む最大のコトです。


◇理解して欲しい。

これはなるべくなら、というくらいで、ぜひとも理解して欲しいとは思っていません。
でも、理解してくれることは私の喜びです。
誤解してたら(ああ、理解出来ないんだな)と思うだけで感情は動きませんが。


◇自分の才能を発揮して欲しい。

人は自分の才能を発揮すれば生き生きします。
そうすれば小さな問題は解決、周囲の人にも良い影響を及ぼします。
「うれしうれし」となります(日月神示)。
良いことづくめです。


◇成功して欲しい。

判断力が増し才能を発揮すれば、仕事が出来るようになり採用される、
出世する、店なら繁盛する。するとお金が寄ってきます。
金、金といくら思っててもその人に相応しくない金は来ません。
お金が寄ってくる人になることが先です。

私は他人が成功するのを見るのが好きです。
なので面白いからお店の立ち上げに協力します。
その方達から恐縮されたり感謝されているけど、感謝されたいから
やっているのではありません。
面白いからやってるだけです。
また、成功するためには苦言も呈します。
協力は歓迎するが苦言は断る、という人は成功しない。
或る程度まで成功してもそれ以上の伸び目は無いでしょう。
仕事、商売、芸術、人生に「これでよし」「もう充分」ということはありません。
これが分からないと
「九分九厘でグレン」(日月神示)です。


◇〒番号を書いて欲しい。
絵の依頼の際住所に〒番号が無いと私が調べなくてはならず困ります。
私は物臭なので〒番号を書いて欲しい。



◇生まれ赤子の心と成りて欲しい。
日月神の言葉ですが、これが一番重要です。
これさえあれば上のことが出来なくてもOKではないだろうか?


私はたまに、というかしょっちゅう「異常に高いプライドを持った人」と
遭遇して驚きます。
相手の言動、行動が読めません。
ようやく、相手が異常に高い(間違った)プライドを持っているのだ、と
分かり、ビックリ仰天するのです。
勘の良い人は相手の言葉の端々からそれを感じ取れるそうですが、
私は鈍いのと自分には無い境地なので毎回分からないのです。

相手が、私がその人の間違ったプライドを散々刺激したので
それによって大変感情的になり、怒ってしまった様子を見て、やっと分かります。
面倒なのでそういう方は最初から
「私は間違ったプライドを持っているので
言動には注意してください」
と言って欲しい。
取扱説明書のようにきちんと明言しておいてくださいね。

でないと、私は人というものは間違ったプライドを持っている可能性が有る、
ということをすぐ忘れてしまい普通に取り扱ってしまいます。
そのエネルギーは無駄なので、最初から申し出て欲しい。
そうすれば私は相手をしないで済むので時間とエネルギーの節約になります。

<怖い転職1>(2008年4月14日)


Sε(暗号にしてあります)の話です。
Sεは仕事は出来るだろうけど、
思考力の点でいまいちなモノがあるのではないだろうか?
特に大学が理系でバリバリの理系の人。
頭の良さと判断力は別モノだと、私は思っています。
しかし、これほどとは・・・
これから話すのは私の身近なところで起こった事件です。


Sεは簡単に転職しますね。
ちょっと待遇が良いと聞くとすぐそっちへ行ってしまいます。
このケースの人は転職する際、奥さんと相談をしません。

或るSεが結婚後来た引き抜き話に乗り、すぐ転職しました。
奥さんは転職の後でそれを知り、驚きました。
当時幼児だったその家の子供が父親に対して
「オマエが悪いんだ!オマエが悪いんだ!」と、
殴る蹴るをしていたので私は驚きました。
母親は何も言わず、ただ見ているだけでした。

幼児は普通そんなコト(オマエが悪い)を考えません。
母親と幼児は同じ心なので、これは母親が亭主に対して
殴る蹴るしたい、心を代わりに子供が演じていたのでしょう。
(倫理研究会=子は親の鏡)
母親は何の相談も無く勝手に転職する夫に対して
殴る蹴るをしたい、でも出来ないのでしょう。
(我が家の場合、母親は遠慮なくやるので子供は却って
 外れた襖を直したり投げた一升瓶を拾ったりテーブルの上から凶器を隠したり、働いてくれます)


ちなみにこの母は生理が重く、妊娠すればトラブリ
子供は一人なのに腹を二回切っています。
私はそのようなことはありません。
生理も妊娠も出産もトラブったことが無い。
私は何も考えないし心配もしない。
腹に何も無いので腫ようとか筋腫などが出来ません。

これは「怪我・病気」の所で語った方が良いかもしれない話です。
その奥さんは腹に言いたいことを沢山溜めるが、言えない。
でも、腹は煮えくり返っている、そういう状態が何年も続く。
何故ならそういう性格だから。
この件から二十年も経ってから、今度は子宮の病気になって手術したそうです。
本当に性格を変えるのは大変ですね。


さて、一度転職した後、このご主人はまた転職しました。
その時も家族に相談無し。
奥さんは猛烈に怒ったけど、ご主人は何故奥さんが怒るのかが分からない。
あ、一流大学出てます、このご主人。

でも、転職すると待遇が悪くなりますよね?
今までの会社で築きあげたものがゼロになるんだから。
すると今度は(あ〜〜あ、前の職場に居れば良かったな)と、思う。
それは正常です。
ところが、思考力が無いので、また転職しちゃうんです。
(おいおいおいおい!)
きっと(今度こそ)と思うんでしょうね。
で、このご主人はまた、引き抜き話に乗ってしまった。


このSεは既に部長にまでなっていたのに、引き抜き話に乗ったんです。
想像するに・・・
たとえば、月給が40万円だとする。
そこへ「45万円払う」とか言われたのではないか?
金額は想像ですよ。
で、月に5万円増えるんだ!と思ってしまった。
今までの勤務地は都心です。
今度の会社も都心です。
想像ですが、今の会社より今度の会社の方が
自宅から通勤し易い場所にあったのではないか?
電車の乗り換えが少ないとか駅から近いとか、
いろいろ好条件が揃っていたのでは?
それで今度も奥さんに相談しないで転職してしまったのです。

三回やるか。

やったんですよ。

で、転職してみたら・・・


就職したのは都心の会社でした。
しかし就職したらすぐ「関西の支社へ行ってくれ」と、言われた。
関西へ単身赴任です。
で、行ってみたら・・・ビルの一室が「死者」じゃなかった「支社」だった。
ガランとした部屋の中に机が一つ。
電話が一つ。
パソコンが一つ。
それだけ。
社員?
その人一人。

どういうことか分かりますね?
はめられたんですね、以前の会社に。
会社はこのSεを辞めさせたかった。
でも、クビにするといろいろ面倒が起こる。
なので、架空の会社を使って(たぶんそれ専門の会社があると思う)
辞めさせたい社員を釣ったのでしょう。


スマナサーラ師の本
怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) (サンガ新書)

に、これと同じような記事があります。
もし、会社でそういう目に遭ったら、という話です。
そういう目に遭ったら師はまず、ゆっくり本でも新聞でも読んで
その時間を楽しむそうです。
このような時間を作ってくれた会社に感謝するそうです。
私の意見と同じです。
遊んでお金がもらえるなんて天国ですよ。
これ以外にも私とスマ師が同じことを言ってると、
閲覧者の方から感想をもらいます。
判断力がこれらの件に関しては同程度なのだと思いますよ。
人格や境地は違うが、判断力は似ています。

私だったら有り余る時間を使って一日中株をやりますね。
元手1万円くらいから始めて、儲けてやります。
あ、株式の勉強もネットでやりますね。
ロト6の攻略とか、ネット販売とか、カード占いで稼ぎます。
そしてこんな素晴らしい自由な金儲けの時間を作ってくれた会社に感謝します。

しかしこのSεは私やスマ師とは判断力が違っていました。
なので、毎日仕事が無い状態を楽しめない。


そうは言っても自宅ではない関西の土地。
単身赴任なのでお金がかかります。
5万円増えた月給ですが(想像ではね)
単身赴任にかかる金は5万円では足りません。
多分会社からは補助は出ないでしょう。
だって、嫌がらせをして参らせるためにやってるんだから、
何で補助金なんか出しましょうか。
5万円増えると思っていたら、単身赴任で月に15万円もかかってしまう。
(私の概算です)
ってことはマイナス10万円です。

おとなしく前の会社にいれば月に40万円もらえたのに、
転職したら実質30万円になってしまった。
文句を言えば
「え?ああ、そう?なら辞めてもいいんだよ。」と言われます。
このSεは半年も我慢できなくてその”会社”を辞めました。
そして次の就職先も無いまま一年間遊ぶことになったのです。


仕事の無い時の話です。
このSεがお正月に或る場所へ行ったらそこで何でもない場所で
頭を強く打ち、何針も縫う大怪我をしました。
正月早々頭を手術、これは天罰としか言いようがありません。
家族全員で暗く過ごしたのでした。
このSεの性格はとても良いです。
素直です。
でも、それだけではいけない、ということを私は言いたい。
考えなくてはいけないと思いますね。


その後、このSεはまた再就職出来ました。
学歴と経歴が良いので、良い会社に就職出来たのです。
しかし、一年間本人と家族は大変苦しかったようです。
(転職を繰り返すうちに会社のランクは確実に下がっています)



この話をSεになる倅にしてやりました。
ウチから出て行く3日ほど前です。
親が出来ることは金を出すこと、運転すること、情報を教えることです。
倅はショックを受けていました。
「いいかい、K、考え無しだとこういう目に遭うんだよ。」
「母ちゃん、そりゃあ怖いね。」
「就職したらあれが嫌だ、これがダメだと文句が出る。
それで転職すれば、さらにヒドいところへ行く。
何故なら『ああ、前の会社は良かったんだな』と分かるためだよ。
だから、おまえの同期は一年で半数は辞めるかもしれない。
でも、おまえは辞めちゃダメだよ。
3年間我慢できるのはどれくらいだろう?
きっと凄く少なくなっている。
同期で入った社員の中で出世出来るのは10人に一人だ。
さらにその上に行けるのはその中から10人に一人だ。
出世しなくてもいいが、簡単に転職を繰り返すとロクなことにはならないよ。」
「わかったよ、母ちゃん。」


きっと肝に銘じたことでしょう。

<怖い転職2>(2008年4月15日)


これもSεの話です。
何と、上のSεと出た大学と学部が同じ人です。
私が思うに、その大学は偏差値は高いが
学生の思考力を伸ばす環境では無いのだと思います。


そのSεは入社して3か月も経たないうちに会社の文句を言ってました。
それを聞いた私は
(ああ、こいつはクビになるなぁ)と、思いました。
文句の理由は会社が約束していたことを実行しないからとか。
それなんですが、モノは言いようというか、解釈の仕方はいろいろあります。
会社の玉虫色の言葉の表現の裏や奥が、理系の人には見えないのではないか。
それを思考力の無い頭で勝手に理解して、誤解や曲解して
憤っている場合も考えられます。
会社を経営している海千山千のオヤジの考え(まぁ、企み?それを企画と呼ぶ)を
何で大学(しかも純粋培養のようなお坊ちゃま大学)を出た若造に分かるでしょうか?

分かるわけがありません。

そういう場合は
(ああ、オレも詰めが甘かったな)と、自分の頭の悪さを認識すれば良いことです。
ところが、頭が悪いのでそれが分からない。
それどころか偏差値が高い人生を歩んできたので
まさかこのオレが頭悪いだなどとは思わない。

若いんだから世の中のことの殆どを知らないわけですよ。
思考力の無い人は「知る」と「分かる」の違いも分からない。
思考力が無く理屈ばかり言う部下ほど使いにくいものはありません。
予想通り1年も経たないうちにその会社を辞めてしまいました。


さて、次の会社は前の会社よりもランクは低い。
そこでもこのSεはまだ物事を理解しようとしませんでした。
思考力のつけ方を生まれてから一度も教わってないからです。
やはり、この職場に不満を持つようになり、同僚とトラブっていました。
その時引き抜きの話が来ました。
好条件だし、今の会社には居たくないのですぐその話に乗りました。
で、今の会社をさっさと辞めて話をくれた会社に電話をしたら・・・
「あ、あ〜、あの話は無かったことに。」と言われました。

やられましたね。

このSεを辞めさせたいと思った今の会社が架空の引き抜き話を仕組んだのです。
良い大学を出ているだけの、思考力の無い人間は引っかかります。
上の人と全く同じです。
それでこのSεは会社を辞めてしまい、就職先も無いまま途方にくれてしまったのです。
そして実家に戻り後悔の日々を過ごしていました。
はい、私の弟です。


この弟は勉強に向いた頭を持っていたので、親が特別可愛がっていました。
末っ子ということもあったけど。
私は兄弟の中で一番出来るのは私のすぐ下の弟だと思っています。
こいつは凄かったです。
進学校で一桁だったのでヘタすりゃ東大という感じでした。
でも、家庭環境が悪く大学受験に失敗していたので、親の興味は全て
末の弟に向いていたのです。
(中の弟と妹は親が全く期待しませんでした。ヒド)

親に、勉強が出来ることと物事が分かることとは別ものなのだ、というサトリがあれば
良かったが、勿論ありません。
世の中の殆どの人にはそこまでのサトリがありません。
まして昭和一桁生まれの世代にはありません。
だから仕方ないとは思いますよ。

私は弟が成長するにつれてどんどん分からずやになって行った
(分からず屋が表面化した)のを心配して
いろいろ言うのですが、理解しないもんだから大変でした。
遠まわしに言うと理解しない。
ストレートに言うと怒ってしまう。
手段がありません。

でも、無職になったところを見計らって「日月神示」と「相似象」を紹介しました。
するとやっと思考力を伸ばすようになった。
勉強向きの頭なので、理屈で自分に教え込むことが出来るのです。
実家の事業を手伝いながら次の就職先を探していました。

数年後一流企業に就職しました。
(なんだかんだ言っても学歴と経歴はプラスに作用しますねw)
そこでちゃんとやっているかと思ったのですが、やはり育てられ方が
間違っていたことなどいろんなことが原因で最後には自殺してしまいました。
親が分からずやだとこういうことになります。
親にはその自覚が全くないので分からせることが出来ません。
父は相変わらずの人生を送っているようです。


ウチの末っ子が県内でも指折りの低偏差値校に入学した時
私の弟が県内でも指折りの進学校に入学した時のことを思いました。
まさか、当時の母親はそれからン十年後にこのようなことになるとは予想しなかったろう。
親にサトリが無いためにまずい結果になってしまう。
表面上の出来不出来など人生においては重要ではない。
楽しんで生きることの方が重要です。(何を楽しむかが、問題ですが)
それにはまず「物事を素直に見る、良い性格」があればいい。

親にはもっと他に考えたり気づいたりすることがあると思いますよ。
受験で一喜一憂している方がいると思いますが、
そのようなことは人生の表面をかすったくらいのことです。
親は「最も大事なこと」を理解して子育てをし、自分でも実行するのが勤めですね。

<怖い転職を読んで=若いのに傲岸不遜>(2008年4月15日)


上の記事<転職の怖い話>を読んだ方からメールが来ました。


ifさん
 
こんにちは。
「転職」の記事を読む直前に丁度母と電話で話をしました。
 
母は産婦人科で管理栄養士として働いています。
元々、4人体制でやっていく職場なのですが、
母とあと二人の子たちのみの状態が続いているんですよね。
 
4人目として入ってくる新卒やハローワークから斡旋される若い子たちが
長続きしないようです。
 
資格だけ持っていて頭でっかちになっていて、現場での技術が伴わないのに
自分ではもっとできるとわけのわからない自信をもっているようなんです。
現場では一番下で学ばなければいけないことが多いのに、
それを下らないことと思っているようなんですよね。
 
先日も一人辞めるから一人補充という形で入れたらしいのですが、
↑のような考えで何もわかっていないのに
わかったつもりになっている子がやってきたようです。
それで実績を伴わないわけのわからない論理をまくし立て、
それを母にたしなめられたら4日で辞めたそうです。
 
最近は自分がいる立場というものを理解せず、頭でっかちになっている子たちが
多くなっているので長続きしないのかなぁと思ったりしています。
 
間違いに気づけば、母のいる職場は料理の腕がかなり上達する職場なんですけどね。
食事が美味しいと有名な産院なんです。
 
母にしてみれば、私が修行に来いといわれそうですけどね。笑

どこにもあるんですかね、こういうケースは。
いったい何の根拠があって、自分は何でも知っている、分かっていると
思うのでしょうか?
思考力が無いからですね。
こういう辞め方をする人はこれからこの先、どんな職場へ行ってもダメでしょうね。
そして、このお母さんがいる職場を思い出し
(ああ、最初の所が一番良かった)と、分かるのでしょう。

運命は自分に分からせる方向に進んでいきます。
そういうカタチでないと分からない人の方が多いのでしょうがない。
(苦しみて之を知る・・・論語)
もっと多いのは苦しんでもまだ分からない人たちです。
(苦しみて之を知らず)
これは最低最悪ですが、この段階(レベル)が一番多いようです。

<怖い転職を読んで=自分を見る訓練がされてない>
(2008年4月19日)


私ごときが偉そうに語ることではないのですが、怖い転職の話も若
い人が長続きしないことも、結局は自分を見るという訓練がされてい
ないことにあるように思います。本来は、学校などで親から離れ、他
人と触れ合い、共同作業をすることで、自分の能力、性格等を理解し
て、自分がどのポジションにいるべきか、どんな役割を担うべきか、
といったことを理解していくのだと思います。でも今は親族の干渉が
強すぎるため、親族の目を通して自分を見つめるので、歪んだ自分し
か見えず、自分自身を誤解してしまうのではないかと感じます。

なるほど。

 先日、お客さんの会社に新卒で入った20歳の子が2年で辞めました。
理由は「給料が低いから。」だそうです。確かに給料は低いといえば
低いのですが、能力はそれ以上に低いわけです。その自分の能力が見
えていないのでしょう。おそらく、同級生などと比べて給料が低かっ
たのではないかと思うのですが、能力が低ければ当たり前ですものね。
でも、平等をうたい文句にする学校教育を受けてきて、親族(という
か実際は母親でしょうね)の歪んだ目を通してしか自分を理解してい
ないとそういう当たり前の理屈が分からなくなるのでしょう。


給料だけで他人と自分を比較するというのは間違ってますね。
うちの倅は高校生の頃から東京の会社に就職するんだ、と言ってました。
早々と就職が内定した後、専門学校の友人が地元の会社に内定した。
すると月給が友人の方が3万円高かったそうです。
就職を早まったみたいなことを言う倅に言ってやりました。
「給料の額だけでは比較できないよ。」と。

□地元の企業=月給3万円高い・家から通える・家賃他タダ・金溜まる
□東京の企業=月給安い・家賃・生活費・交通費かかる・自活は大変
           金溜まらない

このように比べてしまうと地元がいいや、って思います。
でも、東京の企業に就職すれば
親元から離れて自由に過ごせて(家でも自由だったが)
自分の責任で生活し、都会で暮らす面白さなど様々な経験が出来る。

また給料が高くてもその他の手当など、細かいところを見ないと
わからない部分があります。
なので給料だけで比較することは良くないですね。

<怖い転職を読んで=職場の阿修羅>(2008年4月19日)


閲覧者の方から体験談が来ました。
この方は職場で数年経った頃、新入社員(女性)が入ってきたら
その人達は上のエスイーの如く、栄養士の如く
何も分かってないのにプライドだけは高くて、大変苦労したそうです。

で、立場上注意をするのですが、それが
気にいらなかったようで、彼女はあちこちで
私の悪口を言いふらしていたようです。
(私の至らない部分も、もちろんあるので
仕方ないですが)

そして1年後、どうなったかというと…

彼女はクビになりました。

後で知ったのですが、私だけでなくほかの人の
悪口もあちこちに(社外にまで)いいふらし、
社内の人間関係が悪化するどころか経営にも
悪影響が出だした、ということで切られたそうです。
(もちろん再三注意はされていたようですが、
それをまた他所で悪く言っていたようで)

割とスパッと人を解雇する社長ではあるんですが、
この時は問答無用!ってな感じでした。

彼女の悪口を真に受けた上司からひどい扱いを
受けたりもしましたが(仕事干された)、その間
タイピングゲームをインターネットからダウンロードして
タイピングの練習したり(おかげでものすごく今
タイピングが早いです)、興味のあることを調べたり
して、それはそれで面白かったかな。
何より、自分が一番!って思い上がっていたな、と
反省する時間ができたので、やっぱり仕事干された
この期間は、私にとっては必要な一時期だったんだと
今では思います。


その上司(男性=オヤジか?)も、一人の人間の言い分を
真に受けるというのは思考力が無い証拠ですね。
でも、この程度の人が男も女も殆どですかね。
この方は干されていた間、タイピングの練習していたそうで
スマナサーラ師のようです。



> ◆まさにスマ師の方法を実践したんですね。
>   そういうのが一番賢い。
>   また、相手だけを責めるのではなく、
>   自分の落ち度もちゃんと分かってて、
>   二十代半ばでそれが出来たってのは素晴らしい。

ところがですね、この後がダメだったんですよ。
同時期に出現した一級品のタチの悪い女が
猛威をふるいましてね。
3年間毎日嫌がらせをされたのですが、当時の私は素直な
だけで考えがないから、心の中で戦っちゃいました。
結果、どんどん暗くなり、性格も曲がりました。
始終堂々巡りの考えをするようになるし
(手相にもくっきり出ました)
ついには腸の病気で倒れる始末。
<腹(心)が悪い=腸の病気>は、本当ですね。
3年間、毎日黒い思いを溜め込んでたので、
病気にならないほうがおかしい。

そのタチの悪い女は、とにかく自分が
気に入らない人・状況を排除する方向に動く
ので、ほぼ全ての従業員が被害に遭っていたようです。


ですが、ある時から急に、タチの悪い女に次から次へと
災難が降りかかるようになりました。
最終的には会社にいられなくなって辞めちゃいましたけどね。
因果応報というのか天罰というのかはわかり
ませんが、本当にそういうのはあるらしい、
としみじみ思った一件でした。

これなんですが。
被害に遭う方にも遭うだけの原因、理由があると思うんです。
なので、自分が受けるべき被害は受けなくてはならない。
そこで、何事かを悟れば「大難が小難に、小難は無難に」なる。
大難は無難にはならないそうです(日月神)。
周囲の人も言われなき理不尽な目に遭ったのではなくて、
自分が受けるべきものを受けたのだと思う。
(悪くなくても、もっとしっかり生きるとかいろいろ勉強になります)

さて、周囲の人が皆、自分が受けるべきものを受けたら、
カルマがなくなりました。
全部のカルマではありませんよ。
他人から受ける攻撃のカルマです。
それは以前(前世も含む)、こられの人が他人を攻撃したので、
それが今、返ってきたのです。

すると、このタチの悪い女は、周囲に意地悪などをすることが
出来なくなったのではないか?
周囲の人は皆、自分が受けるべきカルマを解消したから
受けられなくなった。
すると、今度は自分の悪想念を受けるべき者が居ない。
なので、自分に返って来たのでしょう。
だから、途中からこのタチの悪い女に様々な災厄が
降りかかってきたのでしょう。

ということは、
この女は「悪の御用」してくれたのですね。
この女が居なければ周囲の人は自分のカルマを果たせなかった。
カルマは必ず果たさなくてはならないので、この女が居なくても
他の場面、他の人から攻撃されたでしょう。
しかし、皆さんがこの時心のことや神のことを知っていたら
「大難が小難に、小難は無難に」なったと思うと気の毒です。


でまあ、程度は比較にならないくらい軽いですが
最近似たような状況が起こったので、パンドラの
記事を読み返して前回の反省点を洗い出し
「もしこれが単なるいじめなら、天の裁きが
あるだろうし、もし試練ならクリアできたら
おさまるだろうし、どっちにしても采配は
天におまかせっ!」
と宣言したら、何だか心が
楽になって、無理をしなくても明るさを保てる
ようになりました。

私もやってます。
様々なことが起こるし、自分でもやってます。
他人から嫌なことをされたら、この方のように思うし
自分がまずいことをやったかもしれない場合は、もし本当に悪い場合は
天罰が下るだろうから、それで本当に悪いことをしたのだ、と
自分で分かります。
裁きは天に任せているので便利です。


ああ、こうすればよかったんだ、
といううれしさと、ああ、知らず知らず裁いていたから
苦しくなっちゃってたんだな、と気がついて反省。
心模様に比例するかのように状況もあっという間に
改善したので、明るく素直なのが一番というのは、
本当なのだと改めて認識しました。
後は、判断力が伴えばいいんですけどねー...
諦めず向上するよう頑張ります。


良かったです。
やはり情報を取り入れることは大事です。
その上でそれを理解し(イの次元)消化して自分のもの
(考え)にすればいい(ミの次元)のだから。

<減る=HELL(笑)>(2008年4月13日)


不思議なことがあるものです。
数年前、或るサイトの管理人さんから、相互リンクを申し込まれました。
その人はすぴこんにも出店している人で、私もそのお店で買い物したことがあり、
相互リンクとは嬉しいな、と喜んで応じました。

滅多に行かないのですが、たまにその人のサイトに行くことがあります。
そこは一日の訪問者は二桁、20〜30くらいですかね。
他のサイトで秀逸なのがあるので、そのサイトのリンクページから
秀逸サイトへ行ったりしていました。
そのリンクのページにはクリックされた回数が表示されています。
PANDORAは他のサイトには無い「トンデモ」を扱っているので目立つのか
カウンタの伸びが早い。

で、去年かな。
また、そのページに行ってみたら、前回よりカウンタの数字が減っています。
明らかに100は減っていました。
変だな、と思ったので、その後、カウンタの数字をこちらで記録しておきました。
(カウンタをコピーしてメールで自分に送った)

で、その後また順調(?)に数字が伸びていました。
やはりPANDORAはトンデモなので、伸びが早いです。
他のサイトは皆、マットウなので(ヒーリングとか)似たような印象になるのでしょう。
その中でPANDORAだけが堂々とおバカな道を逝ってるので目立つのでしょう。


で、また久しぶりに覗いてみたら、またカウンタの数字が100ほど減っていました。
他のサイトのことは分かりません。
私には関係無いので。
私が知ってるだけで二回やってますが、多分もっとやっているのではないかな?

これはカウンタの数字を操作しているのだな、と思いました。
何故そんなことをする必要があるのでしょう?
腹も立ちませんが。
このサイトはヒーリングなどを扱っています。
精神世界で仕事をしているわけです。
そういう人がこういうコトをする・・・


実は珍しくないと思ってます。
私の持論ですが、
「HPやブログを運営している人より、何もしていない人の方がマトモ」
だからです。
運営しているのはサヌキ(行動する、表現するタチ)だからで
波動量(心のレベル)とは関係ありません。
極論を言えば「サイトを運営しているのは if のようなおっちょこちょい」なので
人格者でも何でもないのです。
運営と、人格は別モノです。
(だからサイト運営者の中にも本当の人格者は居る)

それにしても並の人よりかなり下回っている方が
他人を指導しているとは、何ともお寒いことでした。
このサイトへは最近リンクを解除し、相手にもこちらへのリンクを切ってくれるよう、
頼みました。

これは数年に渡って観察した事実です。
私の勘違いではありません。
また、怒っているわけでもないのです。
精神世界にはトンデモない人が多い、というのを知って欲しかっただけです。

<意識レベル判定を受けた方から>(2008年4月12日)


i f さんへ
 
おはようございます。
意識レベルを見てもらってから1ヶ月半が経ちました。
私も最低レベルを意識するようになって
ネガティブでいる時間がすごく短くなりました。
ネガティブなままで
「あっ!これが
“やりたくないと思っていることに従事 80”だ。
このままどんどんネガティブに陥っていくと、
60、50と下がるんだ…!
危ない、危ない。
グチグチ言わないで
無心でチャチャッとやれば600だ☆」
と思えるようになっています。
 
あなたのように、判定結果を使えたらいいですね。
上限はともかく、下限を高めて200をクリアすれば良いと私は思います。


前よりネガティブでなくなったから楽しい!
かと思ったらそうでもないのです。
 
楽しいのは楽しいですが
楽しさの違いが分かってきた感じです。

なるほど。
それはかなり深いコトを言ってると思う。

たとえば、子育て。
最初の子は可愛い。
でも、二人目三人目四人目になると可愛さが違うんですよ。
これは親の心が育ったからだと思うんです。
波動量が増したんです。
子育てをして苦労しているうちに心が鍛えられ、波動量が増し、
心が作られたのだと思う。
だから、あなたの言うことは分かります。


そして違いが分かると本物を求めたくなる(笑)
それで、この微妙な話を分かってくれる人が
ifさんしか思いつかなくて。
 
おお、そういう時に思いだしてくれてありがとう。


やっぱりレベル200を越えて
肯定に見れるとイメージがカラーになります。
 
200以下だとイメージ的に白黒、グレーの世界です。
(以前、幻聴と幻覚があったんですが
ありもしない黒っぽい小動物が視界の隅で走ってたんです。
これって日常が200以下だからだったから…?)
 
それはヤバイ世界ですね。
そっちへ進まなくて良かったです。


レベル200を越えると安心します。
でも、安心=楽しいではない。
 
知人に楽天的(レベル310)で有名な人がいますが
その人といても私は楽しくないんです。
なんかその笑顔の裏に不安や悲しみがチラついて
そっちが気になって仕方なくて。
逆を言えば、
不安があっても楽天的にしてれば
レベル310にいくということなんでしょうが…。

あなたの勘が正しいのか調べるためにこの先生の
意識レベルを測ってみたら300でした。
あなたの勘は当たってました。
勘ではなくて観察力ですね。
「意識レベル1」の表に照らし合わせればいいんだから。

300の方でも「平均値であり、人間としての最低限の200」を超えています。
なので、他人を指導する道を選んだのでしょう。
しかし、それを超えている人からはこの方は疑問視されます。
だからあなたはこの方の言動と行動を疑問視したのでしょう。
他の生徒さんはOKらしいですね。
気付かないんでしょうね。

300でも善意なら良いと、私は思いますが、
この方は、もし自分を超える生徒さんが多くなれば大変です。
しかし、多分この方(先生)は、そのようなことは
考えたこともないでしょうから、前途は多難ですね。
でも、いいのかな、自分が楽しくやれれば、と思います。
この先生も生徒さんも。


私の「楽しい」ってなんだろう?と考えたら。
 
家族といるとき
(自分以外の方と一緒でリラックスして楽しいと感じるとき)
→580
 
仕事を時間も忘れて没頭してできたとき
(ひとりで何かに集中し充実感を味わっているとき)
→600
 
本音が言えるとき。ifさんとのメールも本音
(メールや対面のやりとり)
→530
 
いつも毎日24時間こんな楽しさでいたい!!
と思うようになっています。
もしかして私の求めてる楽しさは
「喜び」レベル540かもしれない。
 
 
さて、どうしたら毎日24時間楽しくいられるかが
今の課題です。
 
相手に合わせるのではなく、
自分がいつでもどんなときでも
高レベルでいれば良いんでしょうね…
 
しかも相手に喜びを与えることができたら最高だろうな…!
 
それは「相手よりも高波動を出せば良い」のです。
ただし。
相手より高波動でも、相手を鍛えて高波動にしてあげようと
すれば相手が苦しむので、喜ばれません。
相手より高波動で、相手を理解してあげたり、
お守をすれば喜ばれます。
また、高い判断力を出して他人の役に立つこともできます。
判断力が無いと、いくら善意でも、やることなすことが
巧くいかず却ってまずいことになります。


善人は、相手が喜ぶように、と働きますが、
低次元であればまずいことばかりします。
そして自分では「善いこと」をしたつもり(意識)でいるので周囲が大変です。

良いことをしたい、皆さんに喜んでもらいたいなら、
1にも2にも、自分の波動を上げることです。

パンドラも読んで、
身近にいる喜び上手な人も見て、
研究、研究です♪

<M戦記1・・・苦霊無(くれいむ)四天狗>
(2008年4月9日〜11日)



自治体勤務のMさんの仕事の内容は道路を作ることです。
用地の買収交渉が主な仕事。
すんなり用地を買収出来れば良いのですが、それが出来れば苦労は無い。
なかなか話がまとまらず、十数年かかる場合もある。
その間担当する人が何人も交替します。

クレーマーは大変多いそうで、どんどん増えているとか。
中でもMさん担当の地区には4人のクレーマーが凄く、
Mさんも「彼らは特別」と言ってます。
4人なので
「苦霊無(くれいむ)四天狗」と名付けましょう。

(※苦霊無とは、霊が、このままでは「粉も無きように」なってしまうのを
   予想して最後の悪あがきをしている様子。
   粉も無きように、とは日月神の言葉で、
   人間として生まれながら獣の入れ物となり、
   周囲に迷惑と不幸を巻き散らす人の魂は
   いずれ転生なども出来なくなり、霊すら、魂すら消滅することです。
   これは最高に怖いことです。
   苦霊無とはつまり
   
「自分の霊(魂)が無くなってしまうのが苦しい」という意味。
   自分は粉も無きようになるのが分かっている。
   だったらなるべく沢山の人を道連れにしてやる、となってしまった霊。
   勿論当の人間にはその自覚はありません。
   やっているのは憑いてるTQ霊ですが、そのTQ霊と同波長だから
   憑かれているので、当人にも責任はあるのです)


「時刻天狗」=過去の担当が×月×日という期限、時刻を
         守らなかったことについてクレームをつけ、
         それ以来拗れに拗れた。
「増長天狗」=担当者と業者に文句を言い「慰謝料」をせしめること数回。
         常に相手から金をせしめることを計画していて
         ○○に会わせろ、××を呼べ!と、どんどん増長した。
「項目天狗」=ちょっとした書類の項目の間違いをいちいち見つけて、
         そこを攻撃。
「多文(句)天狗」=ちょっとしたことで怒り狂って文句の電話を
            多数回掛けてくる。

          

あ、仏教の四天王は「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」ですが、
四天狗とは関係ありません。


「M戦記」とは、クレーム処理をするMさんの
雄々しくもバカバカしい武勇伝です。
今回は「増長天狗」の話。

<M戦記2・・・引き寄せの法則、失敗!>


Mさんは忙しい仕事の合間を縫って読書をしています。
「ザ・シークレット」(角川書店)を読んだら
「引き寄せの法則」について書かれていました。
それを実践してトンデモない目にあったそうです。
よりによって「増長天狗」を引き寄せてしまったのです。


増長天狗は6年前からその地区では札付きのクレーマーでした。
Mさんが来る前の4年間は、誰が担当しても増長天狗は許さず
担当者を片っ端から
土下座させていたそうです。

そこへ2年前にやってきたMさん。
増長天狗相手に一歩も引かず、とうとう相手に納得させて満足させて
円満解決でケリをつけたのだそうです。
この間3か月。
素晴らしいお手並みですね。


ところがそのことから一年半ほど経った或る日、増長天狗の土地を部下とともに
車で視察していたら、Mさんは増長天狗を思い出したので、冗談で
「そういやあの増長さんはどうしたかなぁ?
 元気でやってるかなぁ?
 何も言って来ないのは寂しいなぁw
 また来ればオレが相手してやるのになぁw」

と、部下を笑わせていたら・・・
3か月も経たないうちに増長天狗から久し振りのクレーム電話が来たそうです。
Mさんは
(しまった!引き寄せちゃった!)
後悔したけど後の祭りです。

<M戦記3・・・やってみなw>


過去、増長天狗はMさんの事務所にやってきては
理論武装して担当者を罵っていました。
時には灰皿など手近なモノを持って投げつける仕草をするそうです。
Mさんは
(おお、やってみなwやってくれた方が話が早いや、早くやれやれ!)
とあくまでも冷静。
もし相手が暴力を振るえば
警察沙汰にできるので、却って好都合。

私「でも、ガラス製の灰皿なんか投げつけられたら大怪我するじゃないですか。
   Mさん、危ないなぁ。」
M「いや、勿論投げられたら咄嗟に避けられる距離は取ってあります。」
私「さすが
『さう男』!」
M「あhっはh!いや〜(照」


Mさんは「うさうさ診断」(リンク3)では「さう男」(左右男)のことで、
気配り目配り思いやりに優れた
策士です。
しかし、相手がいくら爺さまでも器物を使って暴力を振るえば怖いですよね。
Mさんの仕事は命懸けですね。



他の職員は皆、増長に土下座させられているのに
Mの野郎だけは態度はデカイし、土下座もしない、これは許せん!
Mさんは増長から
「オマエだけは許さん!訴えてやる!」と、何度も脅された。
しかしMさん
「どうぞどうぞ。増長さんの好きなようにやっておくれ。」
と平然としていたそうです。

この自治体では訴訟を起こされた場合のために
個人に
訴訟保険を掛けさせているんだそうです。
しかし、自治体の仕事に個人が責任を負うというのは変ですね。
このような制度があり、自治体が職員にこれに加入するよう
指導するのも間違っていますが、それを「間違ってる!」と
叫んでも現実的ではないので、Mさんは保険に加入しています。
(※Mさんは理屈は理屈で置いといて、現実的に対処します)

また、もし相手が自分を訴えたら却って都合が良いのです。
法律が自分に味方しない、自分の方が間違っているのだと
判断すれば困るのはクレーマーだからです。
なので、Mさんは堂々としていました。


いや〜本当に大変な仕事です。

<M戦記4・・・パソコンで再生しておくれ>


理論武装し暴力的でもある増長天狗が、
今度はまた、格好の言い掛かりを発見してやって来たのでした。

或る日、増長天狗の家の塀に或る会社のトラックが突っ込んだ。
増長は相手を半日説教し、塀を全部修理させた上、
「慰謝料」として一件から10万円づつせしめた。
(この事故には二件の会社が絡んでいた)

おかげで塀が新品になりました。
すると増長は家の反対側が古くて汚いことに気づいた。
なので、今度はこの地区の担当であるMさんの事務所からも
「家の反対側の修理費」をせしめるという、グッドなアイディアを思いつく。

それでMさんの事務所に電話が来たのです。
束の間の平和を味わっていたMさんの事務所に再び重苦しい空気が流れた。
この件もまたMさんが担当することになりました。



Mさんは増長の自宅へ行ったり、増長がMさんの事務所に来る際、
「言ったの言わないのという話になると困るから」と、
Mさんは会話を録音しておきました。
勿論増長の同意も得ています。

Mさんは増長が「家族の前では絶対クレームをつけない」ことを掴んでいました。
なので、会話は、PCじゃないと再生できないものに録音したのです。
そして
「これはパソコンじゃないと聴けないから、増長さん、息子さんにでも
頼んで聴いておくれ。」
と言って内容証明郵便物として郵送。
しかし増長は自分ではパソコン操作が出来ない。
息子に自分がクレームつけていることを知られたくないので、困ってしまった。
(ニヤリ)
心の中で笑う策士のMさん。

どんな手を使って脅しても一歩も引かないMさんに、さすがの増長も
お手上げのようです。
とうとう増長の方から折れて来ました。
或る日増長はMさんの事務所に現れた。

増長「いや〜オレ、なんだか疲れちゃったよ。
    だからさ、このことは終わりにしようと思うんだい。」
M  「そうかい。
    あんたは能力があるんだから、その才能を人の役に立つことに使えば
    みんなのためになると思うよ〜(そのファイトは凄い)。
    文章書くのも上手だしさ(クレームの文章を書く能力)。
    疲れた(憑かれた)なんて言わないでさ、元気に頑張ってくださいよ♪」
増長「まぁ、そうなんだよね。
    んじゃ、オレはこの件はもう辞めるから、
    Mさん、業者にも言っておいてくれよ。」
M  「いや、これは増長さんが始めたことだからそれは自分で言ってくれよ。」
増長「オレは話しているうちに怒っちゃうんだい。
    だからMさん、オレの代わりに業者に言ってくれねえかなぁ。
    頼むよ。」
M  「そうかい、増長さんに頼まれちゃしょうがない。
     オレから業者に
言っといてやるよ。」
増長「そうかい、そりゃ悪いね、有難う、助かったい。」




Mさんは増長に恩を売る形でこのトラブルを終わらせることが出来た。
凄い能力です。

<M戦記5・・・10(天)の法則>


TQ霊の活動がいよいよ活発化してきたようです。
Mさんの職種に限らず、どのような職種でもクレーマーが異常に増殖中だそうです。
Mさんの体験談はクレーマー対処の一つの方法として参考になると思うので
載せました。


Mさんは何故クレーマーに対処できるのでしょうか?
分析してみました。

@絶対折れない、謝らない。
  他の職員はちょっと脅されると謝ったり土下座しています。
  でも、Mさんは通常の相手には謝るがクレーマーの言いがかりには
  絶対謝らないそうです。
  こちらが悪くない場合は謝らない。
  勿論こちらが悪い場合は謝りますよ。
  普通の日本人は謝罪すれば許してくれますね?
  でも、
クレーマーは「相手が謝ったら最後、とことん攻撃する」のです。
  だから、表面上丸く収めようとして謝ることは却って悪い結果になります。

A気が強い。
  いきり立ってる相手に対して一歩も引かないというのは凄い。
  普通ならビビりますわね。
  Mさんは子供の頃から凄まじい苦労を重ねているので、
  それを思えばこのくらいのこと・・・と、平気だそうです。
  子供時代のオレがあれだけのことが出来たのだから、なんのこれしき、と。
  苦労をして、それに打ち勝った経験のある人は強いですね。
  日月神も
「この道(日月)を歩むものには(普通の)人に出来ない苦労
  させてある」
と言ってます。

  志が高いのは良い。
  でも、気(頭)が強くないと理論だけで実践が出来ません。
  大事なのは理論ではなく実践です。
  実践出来ない人は精神世界には大変多いです。
  悟りから一番遠い人です。
  「宇宙心」に出てくる沖縄の聖人は
 
 「特別なことは何も要らない、しなくて良い。
   ただ、普通に結婚して子供を産んで育てることが悟りへの近道。」

   のようなことを言ってます。
   普通の生活によって心が作られるからです。

B優しい。
  Mさんは怖い人ではなく、むしろ優しい人です。
  まず、クレーマーの言い分をとことん聞きます。
  思い切り相手の心の中の欝憤を吐き出させます。
  Mさんは相手の心に添うように語るので、相手は安心して本心を言います。
  すると怒りのエネルギーは言語化されるので、エネルギーが減ってくる。
  怒りが緩和されます。
  相手の心に添わないと相手の心が満足しません。
  なので、優しいこともクレーマー処理には必要ですね。

  しかし、
多くの優しい人は=弱い人、になっているのではないでしょうか?
 
 強くて優しい人=強い善人
  は殆どいませんね。
 
 強い善人=日月の民
  です。
  
C怒らない。
  昔は相手が滅茶苦茶言うので、そのつど「それは違う」と反論していたそうです。
  でも、いろいろ勉強することによって、反論が無駄だと知り、
  今では反論していません。
  なので、それが良かった。
  しかし、反論はしないが、自分の意見はちゃんと言ってます。
  「相手の言い分を受け入れつつ自分の言い分は言う」
  という、離れ業をやってのける。
  達人です。

D知恵を使う。
  かなりの知恵者であることが分かりますね?
  思いやりや優しさがあるのは良いけれど、知恵がなくてはなりません。
  知恵が無いと相手にやられ放題、後手後手に回り、振り回されます。
  Mさんは相手の性格や生活を観察して見抜き、先手を打つので負けません。

E心で戦わない。
  Mさんは温厚なので戦いません。
  心の中でも戦わないのです。
  
心で戦うとは「相手を憎み、あの手この手でやっつける方法を考えること」で
  感情的になっていることです。

  
心で戦うヒトが多いです。
  それが現象化するだけですね。

  Mさんはあくまでも仕事としてやっているので、相手を憎むことはありません。
  そりゃ嫌ですよ。
  でも、面倒だな、まぁ、しょうがない、これが仕事だ、と思うだけで
  相手を憎まないのです。
  もし、こちらを憎んでいる相手と同じように、相手を憎んだら
  獣と獣の戦いになってしまう。
  そうなったらTQ霊が増殖するだけになってしまう。
  Mさんは心で戦わない。
  ひたすら頭で解決方法を考えます。

F常に勉強。
  まぁ、「引き寄せの法則」を知ったらクレーマーがやって来たのだから、
  たまにはまずいこともあるけどMさんは常に本やネットで勉強しています。
  Mさんは人を使う立場、外部の人と折衝する立場にあるので
  相似象を買って読んだそうです。
  また生きる指針として日月神示を読んでいるそうです。
 
G祈る。
  或る日のクレーム処理の時。
  増長がMさんと部下に散々文句を言いました。
  部下が増長の応対をしている間、Mさんはずっと心の中で
  「ひふみ祝詞」を唱えていたそうです。
  人事を尽くしてから祈っています。
  何もしないうちから祈ることはしません。
  人力だけでは、不可能なことは沢山あるということを経験から知っている。

  若い人が理屈だけでやろうとするので
  「理屈じゃないんだよ。」と指導しているそうですが、
  なかなか分かってもらえないそうです。
  理屈を超えた境地に達しないと分かりませんからね。

H常に愛情を持ち、周囲の幸せを考えている。
  Mさんは常に周囲の人の幸せを考え、ひとのために働いています。
  なので、クレーマーについても同様に、幸せになって欲しいのです。
  だから、表面上カタチだけで謝ることはクレーマーのためにはならないので
  相手の気持ちが一時的に良くなるようなコトはしないのです。
  根本的に解決しない限り、同じクレーマーが何度でも来ることでしょう。
  
根本解決=クレーマーの改心
  まで持って行けるのはMさんくらいしかないでしょう。

I最後に、楽しむこと。
  これが一番大事かなと思いますが、Mさんはこの事態を「大変だ」と言いつつ
  楽しんでいるのです。
  本当に面白そうに話してくれます。
  心の余裕が有るので困難なことも楽しめる。
  これが一番凄い。
  
  スマナサーラ師は
 
 「怒るのは簡単、怒ってはいけない、怒るのは最低、してはいけない」
  「笑うことは難しい、知識や知恵が必要、理解出来ないと笑えない」

  と、語っています。

  日月神も
「この道、楽しみてやりてくだされよ。この方、苦しむのは嫌ひざ」
  言ってます。
  Mさんは日月神示を読む前から、性格が明るいので物ごと全般を
  楽しむ傾向にありましたが、神示を読んだら、さらに余裕を持って
  楽しめるようになった、或いは「自分が今楽しんでいることを自覚」出来る
  ようになったのではないかな。
  
  
楽しいと思えば最後には楽しい結果=円満解決、が待っています。


本当にMさんには感心しますが、本人は決して思い上がらず
「怒るとレベル20」というのを心に刻んで自戒しています。
たしかに知恵と分別があり、精神が逞しいけど、特別な人ではありません。
やる気になれば誰でも出来ます。
クレームで悩んでいる方にはぜひ参考にして欲しいです。

<M戦記6・・・戦後処理>(2008年4月10日)


ところで、今日の午前中、例の増長さんからまた電話があったんですよ。
用件は二つでした。
一つは、なんと私に対するお詫びの言葉でした。
意外と素直で良いところがあるオジさんなのですよ。
σ(^◇^;)。。。
「自分が間違っていた。あんたは何も間違っていないのに威張り散らして申し訳なかった」と言うのです。
私としては、間違いや勘違いは誰にもあるので気にしてないから、と中々太っ腹な対応をしました。
事実、限り無くメタボなので太い訳です!
(^_^)v
もう一つは、このトラブルに巻き込まれていた業者が彼に送った回答書(内容証明付き)についてでした。
彼は、その回答書を読んで、近いうちに自分が恐喝で訴えられるのではないかと不安を抱いたのですね。
(増長さん本人の談)


何と増長の奴、Mさんに助けを求めるために、とりあえず謝罪したようです。
でも、本当に謝る気モチもあるのだとは思いますがね。
Mさん、あまりにもやり手なので、とうとう敵から援軍要請されてしまいました。
Mさんの策士ぶりに感服したのでしょう。
あ、策士じゃ悪いな、”軍師”と呼びましょうか。
しかしMさんていったいドコまで有能なんでしょう。

ちなみに、彼が依頼の手紙を送ったことなど私は知りません。
自分でやれば良いのですが、やはり出来ないのですね。
なので、業者には彼からの話だけを伝えて、対応は任せることにしました。
今後、業者側がどの様な対応をするのかわかりませんが…。
気を緩めることは出来ませんが、私の方とは一件落着という感じですね。
つくづく、日常の生活の中にこそ、学ぶべきものがあるんだということを実感しています。


たしかに。
本の中やDVD(好きだけど)の前、ネットの上ではこれほどの
臨場感は味わえませんからね(って、当り前だろ、本ものなんだから)。
本当にこの世は面白い。

この世なんか嫌だ、早くアセンションして新しい世になればいいんだ、
こんな腐った社会なんか・・・と、思ってる人がいたら、それは違いますよ、と言っておきます。
この世をクリアしなければ次の世に行けないと思います。
この世を呪ったりバカにしてたら
「もう一段下の地獄」(by 日月)が待ってますよ。
だって、この世をクリア出来なかった、ということになるから。
これは私の(今、思いついた)意見ですが、たぶんいいセン逝ってるはずです。



ああ、でも、面白かったな、Mさんの戦記はw(←おいおい!他人の体験で遊んでるだけじゃねーか)
いつかまたupしますね。

<M戦記7・・・家庭編>(2008年4月11日)


職場では大変有能で雄々しい戦士のMさんですが、
家に帰ると途端に立ち場が逆転。
強い奥さんに頭を押さえつけられ、
強い娘さんに下から突き上げられ、
親戚の強い強い女達に囲まれて苦戦中だそうです。



奥「ったく、あなたって・・・
  だからアタシが最初に言ったじゃないの(怒」
M「え?そうだっけ?」
奥「いつもひとの言うことを聞いてないんだから、バカ。」
M「そうかいそうかい、どうせ、オレはバカだよ。」
奥「やっと分かったの?この粗大ゴミ。」
M「おい・・・おまえなぁ・・・ちょっと!・・・あれ・・・・もう居ない。」
娘「お父さん!!!」
M「ひえっ。」
娘「んもう〜!ちゃんとやってよねっ!」
M「何を?
   それにお父さんはいつもちゃんとやってるだろ。」
娘「はあ?どこが?」
M「おい、その言い方は何だ、その」
娘「バカ!爺い!」
M「こら、親に向かって・・・ありゃ、逃げられた。」
奥「あなた!」
M「はい、何でしょう?」
奥「ちょっとこっちへ来て手伝って!早く!」
M「はい、すぐ参ります!(誰か助けてくれ〜)」



rakanさんには、今度、どんなクレーマーよりも手強いカミさんに
指輪を頼もうと思ってます。
早く募集しないかなぁ〜。


Mさんは職場で平和を味わっていたんですね
(号泣

<友との会話>(2008年4月7日)


私の子供くらいの年齢の、若い友人がいます。
DVDを見たいな〜と言うので、ウチにあるのを適当に見つくろって送ってあげるよ、
と約束。
「円卓の騎士」を図書館で借りて読む、と言ってる友人に
「キング・アーサー」がお勧めなので送ることになりました。
ついでに幾つか送ったら、今日届いたそうでメールが来ました。


おぉ!!
○○ちゃんおすすめの『レディ・イン・ザ・ウォーター』がある!!
沖縄旅行に行ったとき勧められたのですよ。
レディ?妖精?と会った人はそれぞれの役目を思い出すんだよ。
って。
まずは『キング・アーサー』から。
うん。
精霊は出てきませんでしたな。
ま、精霊とはに拘り過ぎないように。
とも思います。
私はどうも、雑事が気になりすぎるようなので。
ではでは、楽しんでDVD週間を始めてゆきます!!


つまぶきの「憑き神」もまあまあ、いいんだけどな。
それは後で送ってあげるよ。

ほぉ〜(そのまま息を繋げて・・・)がも観るんですね。
ホラーっすか?
戦闘シーンが無いのはご覧遊ばされない性分かと。。。
(おいおい、そうでないDVDも一部あったじゃないか、一部)

う〜〜〜む、たしかに。
我が家には「ロボ・コップ」もあるが、どうだね?
ビデオまで入れるとそれはもう、
「戦闘オンパレード」になるが。。。
(大佐)
「憑き神」は可笑しいよ。
邦画の中では良いと思う。

ロボコップは日曜ロードショーあたりで網羅しておりまっす!!
ロボコップの人皮がはがれたとたん歩行音に
『ウゥ、イ〜ン、ガッション』と今にも
壊れそうな音がしだすのが印象的でありました。
CG技術も進歩したっすよねー。。。

「薔薇の名前」は入ってた?あれは最高。
中世ヨーロッパの僧院で起こる殺人事件。
素晴らしいよ!

入ってました!!
ダビンチコードも入ってました。
戦闘モノと宗教。
なんとなく、ifさんの前世をうかがい知れる感じがします。

う〜〜〜む。
祈っているか戦っているかどちらかだったのだろうか?
主よ、さっき敵兵を100人ぶっ殺したことを許し給え、アーメン」
 
今現在となんらお変わりなく・・・
自らの不動の信念を持つがゆえに
神をレンタルするような分らず屋連中から
戦いをけしかけられ、そのつどつど、
完膚無き勝利をおさめてきたのでは??


笑った!

本当の意味での神を守る聖戦の騎士、聖戦士ですなぁ。
(どっこい、わっしょい、ヨイショッ!!)


このやりとりバカバカしいので、載せちゃおう。


こうして見ると若い友人の方が私より一枚も二枚も上手だってことが
分かります。
若い人は才能豊かですね!

<成長する人・・・「やられたなw」>(2008年4月6日)


PANDORAにふらっとやって来て、記事を面白がって読んでいるうちに判断力を増す人が多い。
中には一年経っても変化無しの人がいますが、少ないです。
その、成長した人の中で私と同年配の方=オヤジ、の話をします。
オヤジでもオバサンでも素直で素質が良ければちゃんと成長するのだ、という事例です。


Mさんは某地方自治体勤務の男性。
中間管理職です。
性格は温厚真面目、とても賢くて気配りの達人。
たまに瞬間的にレベル
20になるそうで(笑い)これはご愛敬。
車を運転中、乱暴なドライバーを見ると(かっ!)と来るが
瞬間沸騰瞬間冷却だそうです。
(謎の方のコメント)
このくらいなら誰にでもあり、自分でも怒ってるという自覚はあるし、いいと思いますよ。


さて、このMさん、若い頃民間企業で働いていたので、公務員らしからぬ人です。
かなり仕事が出来るようで、まだ二十代の頃は上司を差し置き、一人で仕事をしていたそうです。
上司にも臆せずモノを言い、後輩を可愛がり、部下を育てるのも巧い、
女性職員には優しい(大笑い)という「上司にしたい理想の人」です。

ところがMさん、昔上司にたてついた罪で(爆笑)ある偉い人から目の仇にされてしまいました。
本人は気が強く神経太いので平気で過ごしていましたが、
今年の人事異動の前に周囲の偉い人達から
「今度オレのところに引っ張ってやるから。」と、言われていました。
そのくらい受けが良く人徳もあるのです。
で、Mさんはこの部署に来てから年数が経つし、今年は異動になるだろう、と思っていたら・・・
異動になりませんでした。

Mさんが昔たてついたことを根に持っている上の方の人が今年退職になるので
最後っ屁のように意趣返しをした模様です。
あからさまな妨害に一瞬
(え?)となったが、すぐ(ああ、やられたな)と思ったそうです。
周囲の事情を知ってる人は皆、憤慨してくれたそうですがMさんはとても冷静でした。

(やられたなw
まぁ、しょうがない。
彼は今年で退職なので、うっぷん晴らしでやったのだろう。
でも、オレにはまだ時間(未来)がある。
今年一年くらいここに居たってどうってことない。)

本当はそこには既に一年余分に居るのでもう一年居るというのは、その自治体の中では
ちょっと”恥”になりますが、
(まぁ、いいさ。今は動かない方がこの先良いことがあるだろう)
と、本気で思ったそうです。


そして思ってから、自分が今までこのような考えをして来なかったことに気づきました。
今までならきっと
相手の心の穢さに憤っていたことでしょう。
レベル
200を切ることは間違いないです。
多分レベル
20は軽いでしょう(藁
ところが、今回は自分でも驚くほど感情に変化が無かったそうなので、
レベル
200をはるかに超えていることは間違い無さそうです。
「賢い、理解、理性」のレベル、
400は行ってると思います。
Mさんは自分の考え方がとても余裕のあるものに変化していることを知りました。

で、私はお礼を言われちゃいました。
いや〜〜〜、そんな、私のおかげだなんて♪
でも、まぁ、そうです(照+自慢
えっ?そんなお礼だなんて、いいんですよ〜(慌
本当にいいのに、何も要らないのになぁ(恐縮
は?別に手みやげなんか無い、気持ちだけ?
あ、そう・・・・・・気持ちだけね・・・・・・(落胆

それはいいとして、
意趣返し→即、反応!=瞬間沸騰!→血液ドロドロ+瞬時にガン細胞発生→
怒り・恨みつらみ・復讐の念持続→ガン細胞の増殖→(数年)→ガン患者

だそうです(或る健康法より)。
Mさんのように
意趣返し→即、受け入れ+理解+手放す→平常心→健康、幸福
のような人は少ないでしょうね。


心は、毎日の変化を見てみれば殆ど変化していないように見えます。
でも、Mさんのように一年経てばだいぶ違っているのが自分でも分かります。
心の姿勢を「進歩」モードにすればいいのです。
つまり「物事を分かるモード」です。
単純でしょ?
単純ですが、簡単ではありません
でも、幸福になりたいなら、これ(地道な方法)しかないですね。

またMさんは意識レベル判定で「一瞬でレベル
20になる」と出ていたので、
それからはそこに注意して過ごしていたようです。
会うたびに
「瞬時にレベル20ですからw」と言って私を笑わせてくれました。
しかし、怒るとレベル
20、というのを自覚したら、結果としては「怒らない」ひとになったのです。
これは凄い進歩です。
やはり、自覚することが問題解決の一番の近道ですかね。

他にもMさんのように
「気づいたら進歩してました!」という報告をしてくれる方が沢山いますよ。
皆さん本当に良い方向に変化しているようで私も嬉しいです。
私もこれでも今でも進歩しているのです。
これでも。
もし、何もしていなかったら大変な事態になっていたろうと思います。
だから、たとえこの程度でも、相似象や日月神示他をやって来て良かったのだと思います。

<五十の坂>(2008年4月6日)


上の<成長する人「やられたなw」>と関連していますが、相似象はまず、
◆心がある人(潜在アワ量の多い人)
◆心が柔らかい人(素直な人)
を対象にしています。
男性よりは心のある、女性を対象にしています。
勿論、男性も勉強した方がいい。
経営者や教師、部下が居る方には必須だと思いますよ。


相似象の言葉に
「五十の坂が越えられない」というのがあります。
この意味は・・・

若いうちは心(アワ・波動量)が無くても体力と気力で何とかやっていける
周囲も「まだ若いから」と大目に見てくれます。
しかし
50歳を超えると体力と気力は無くなる。
その時、心が無かったらどうなるでしょう?
その人は「何も無い」ことになります。

しかも周囲は「若いから」と大目に見てくれませんね、若くないから。

心の無い人とは年相応の知恵、分別が無い人です。
ただの年を取った人、です。
もし、そうなってしまったら周囲の人は苦労すると思いますよ。
本人はマットウな思考力をつける訓練をして来なかったので判断力が無い。
でも、本人の意識としては「自分はちゃんとやっている」という意識です。
これでは人はついて来ませんね。
その結果本人は周囲が自分を理解しない、裏切りだ、と思えてならない。
その結果苦しみますね。


PANDORAのお客さんには親や上司で苦労している人が多いです。
周囲を「五十の坂が越えられなかった人ばかり」に囲まれた人がいます。
気の毒です。

上の記事の<成長する人「やられたなw」>のMさんは、若い頃から苦労をして
また仕事と家庭を持ちさらに苦労を重ねて来たが、その都度苦しんで
心を歪ませるのではなく、苦労に負けず順調に波動量を増してきたようです。
そういう人だから「相似象」を読んだ時、理解できたのだと思います。
何も考えずにただ年を取っただけなら五十の坂が越えられなかったですね。
体力気力は勿論無く、知恵も分別も無い、ただ頭の固いオヤジになって
いたかもしれない。
そういう人がPANDORAを見たら何が書いてあるのかさっぱり分からず
宗教と勘違いしたり毛嫌いするかもしれない。

五十の坂が越えられる人は少数なんだそうです。
その坂を越えるには若いうちから準備しないと無理です。

準備とは「マットウな思考力をつける訓練」のことです。

<相手の成長が自分に救いをもたらす>(2008年4月5日)


意識判定を切っ掛けにして精神が急に成長する方がいます。

「意識レベル判定」では、謎の方が判定数値の他にコメントを出してくれていました。
それに対しての感想を謎の方に送ると、返信が来る。
それを依頼者に送るとさらに答えが来る、というカタチで2〜3回
やりとりをしたところ、依頼者の心に大きな変化が起こることがあります。

私は霊能者では無いので、相手のことは相手からの詳しい情報が無いと分かりません。
でも、霊能があると最小限の情報で分かるようです。


或る方に去年絵を描いていました。
その方が先月意識レベル判定を受けました。
依頼文に「〜〜の絵を描いてもらったことがある」とあるのを読んだ謎の方が
「この方は○○神社に縁があります。その神社を思うだけで良い方向に変化します。」
と言ったのです。
依頼者の方がさっそくそのサイトへ行ったら、頭がクラクラしたそうです。
その後、仕事上で苦手な人と会う時、その神社を思い浮かべたら
苦手な意識が無くなったそうです。

これは気のせいなどではない、とその方は言っています。
多分その神社(祭神)と共振した結果だと思われます。
謎の方は依頼者の方の前向きな変化を知って喜び、自分の救いにもなっている、と
メールをくれました。


他人・相手の精神の成長が、お手伝いした方にとっては最大の喜びであり、
自分の心も救われる思いがします。
つまり、お手伝いした方の精神も成長している。

先日或る人へのメールに
「他人に教える一方の人間など、この世にいるものか」と、書いたら大いに受けました。
御互いに教えたり教えられたりするのが、普通の人間ではないでしょうか。
教える一方の人間て、偏っているのではないでしょうか。
もし、そういうのが居るとしたら妙な人ではないだろうか。

人はお互いに成長し合い、進んで行くのだと思います。

<心を閉めている人、開放的な人>(2008年4月3日)


或るユニークな健康法の指導者が出している会報に面白いことが書いてありました。


◆心を閉めている人は、酸欠で病!◆

欲深!守り!カーテンを2重3重にして人目から隠す!周りばかり気にしている!
細かい!失敗をすごく嫌がる!損を怖がる!不満!憎む!もらい過ぎ!尽くされ過ぎ!
祖母、母に近過ぎ、くっ付き過ぎ!金や財がすべて!
出す事に猛烈にショックを受ける!臆病!気が小さい!きれい事、常識がすべて!
見っとも無いことができない!噂を怖がる!見栄っ張り!損したことをいつまでも後悔する!
物事にいろいろなこだわりが強い!家、着物、自動車など持ち物は高級品で飾る!
人の持っていないオリジナルが好き!自分の血統の子供、孫をめちゃめちゃ可愛がる!
いい人間を装う!世間の評判が良い!自分の意見を言わない!争うことを避ける!
慎重で安全安全が良い!自己中心!なんでも人のせいにする!窒息。
(この世に自分の物は何一つない!全て、どんな物も体も地球の物!)

◆心が広く開放的な人は、長寿!◆

相手に喜んでもらう!相手や他人に尽くして自分の血統に尽くさない!相手が得をするように!
自由と自立。勇気と知恵と度胸。



私の意見とほぼ同じです。

<意識レベルとアセンション>(2008年4月2日)


本当かどうか、保障はしませんがカモワンで訊いてみました。

◇意識レベルが高くなくても下限が200以上あればアセンションできますか?=YES
◇アセンションと意識レベルは関係ありますか?
  意識レベルが高い方がいいですか?という意味=YES
◇意識レベルは高ければ高いほどいいですか?
  つまり、上から数%〜10数%がアセンションできるということですか?=NO



最後の質問では未来の位置に「恋人たち」が正位置で出ました。
これらのことから・・・
アセンションは下限が200をクリアした人で、アセンションを選択した人がする
のだと思います。

あくまでも私の意見です。

<心眼>(2008年4月1日)


心眼とは文字通り「心の目」のことです。

肉眼で見えていても何も見ていない人が殆どではないでしょうか?
それは言い過ぎかな。
いや、そうでもないな。

男性は心眼が無いのが普通かな。
男性で心眼があれば

◇生徒はついてくる
◇部下がついてくる
◇上司に受けがよく
◇社長なら事業は成功
◇商人なら商売繁盛
◇家庭内は円満、女房子供はお父さん大好き♪
◇女にはモテモテ
のはずです。


男性は女性よりも潜在アワ量が少ないのでしょうがないけど、
それでも乏しいアワを波動量に変えれば良いのだから、
上のようなことは不可能ではありません。

*******************************

また女でも心眼の無い人はいますよ。
もし女に心眼が無い場合


◇彼氏に殴られ
◇亭主に殴られ
◇亭主はよそに女を作り→離婚
◇ご近所とうまくいかず
◇子供には嫌われ→家出、非行、その他の問題
◇舅・姑には嫌われ
◇友人いない
◇彼氏が出来ない
◇結婚出来ない
◇結婚出来ても続かない
◇集団の中で浮く(非凡で群を抜くので浮く場合もあるが)
ことになりますが。


倫理研究会の会誌を読んだことがあります。
事業家が商売が巧く行かなくなり、倫理研究会に助けを求めたんだそうです。
助けというのは「教え」「指導」のこと。
すると
「社長というものは男の身体に女の心」と指導されたそうです。
幸いにもこの社長はそれを理解しました。
何故なら本気だったからです。
もし、これが理解出来なければ倒産するわけですからね。

それからはこの社長は毎日毎時間毎分「社長は男の身体に女の心」と
念じ、仕事を上向きにさせることに成功したそうです。


さて、今度は私の体験談です。

先月、或る方からチャームの修理依頼がありました。
karenに仕上げてもらって発送してもらいました。
ところがおみくじを入れ忘れてしまいました。
当然私はkarenのうっかりに対して文句を言いました。

チャーム修理を依頼したNさんに
「ゴメン!karenがおみくじを入れ忘れた。」とメールしたらNさん
「どうかkarenさんを責めないでください。」と返信が来ました。
あら。
何でアタシがkarenを責めたことを知ってるのかしら。

見てもいないのに見ているかのように分かること、これが心眼です。
(※見ている場合、隠れた事情まで察するのも心眼です)


Nさんは、if なら99%karenのうっかりの責任を追及するということが
見えているのです。

凄い・・・
Nさんは目が不自由です。
なのに「見える」んですよ。
これを
「潜象勘」(せんしょうかん)と言います。(相似象)

世の多くの人に心眼が無く、見てても見てないのに、Nさんは見えないのに
見ているのです。
私たちがいかに自分を甘やかしていることか、思い知らされた一件でした。



これを読んだ方から・・・

「心眼」の話はおもしろかったし、おそらくNさんは心眼の
持ち主でしょうけど、パンドラを見ている人のほとんどは、
ifさんがkarenさんを責めることは予想できたのでは。(笑)

そうですか・・・(暗澹

<洗腸ノススメ>(2008年3月31日)


「調息センター」(リンク1=健康)から洗腸器を買いました。
このサイトを読んだら洗腸が良いようなので、試しにやってみました。
チョウ気持ちいいです。
詳しいことはこちら→http://www014.upp.so-net.ne.jp/cscenter/senntyou.html

このサイトを教えてくれたIさんという方は、朝晩洗腸をして1年半になるそうですが、
大変快調だそうです。

私は以前本で「血液は骨髄から作られるというが、違う。腸で作られる」というのを
読んだことがあります。
医学がここまで進歩しているのに、まだ骨髄で作られるというのが常識になっている。
本当の医学にまだ達してないのではないか、と思うのです。
この発見はノーベル賞ものだと思うのですが、ノーベル賞というのは
「それをノーベル賞ものだと、認識されて初めてもらえる」のであって、
人類の理解を超えていたら、ノーベル賞は受賞できないそうです(相似象)。
下から上は分からない、その通りですね。
なので、今、学会で社会で世界で認められていなくても、本ものは沢山あるはず。
それを見出す人が居ないので、誰も認めない。
そのような状況は大昔から変わっていません。

さて、洗腸が何故良いのかは「調息センター」をご覧ください。
1年半洗腸をしているIさんが言うには
「洗腸をしている女性スタッフ(調息センターとは別の場所)は
半年前、一年前と比べて明らかに肌がよく女性らしく魅力的になっています。
私の身体も絶好調です。」と報告してくれました。

何でも試してみるのが好きな私なので、やってみたらたしかに気持ちが良いです。
朝晩の歯磨きの感覚でやると良い、とIさんが言う通り、簡単にやれます。

またもし病気になった場合は一日10回以上腸を洗えばいいらしい。
(それと必ず治るというのは別モノ。寿命というのは本人が設定するようです)


それから私はビールが大好きでお酒も好きです。
毎晩飲んでいますが、実はこれが悪いと分かりました。
身体の水分を追い出してしまうそうです。
そういえば、お酒をたった50ccくらい飲んでもすぐおしっこが出たくなります。
ビールを飲んでも即、トイレに行きたくなる。
これをおかしいと思っていました。
水分が身体に入るからだと思っていましたが、他の飲み物ならこれほど
すぐトイレに行きたくならないのです。
なので、アルコールはすぐ血液に溶けるそうだから
尿になるのが早いのだろうか?と、思っていました。
それは違うんだそうです。
御酒ビールは身体から水分を追い出すので即、尿となるらしい。
やっと謎が解けました。

私は知らないでビールを飲み続けていたので、
毎日身体から水分を追い出していたわけです。
これはまずい。
皺しわの婆さんになってしまう。
というより、半ばなってるじゃありませんか!
知らないということは恐ろしいことですね。

<アニソン>(2008年3月30日)


アニメ・ソングのことです。
アニソンの歌手は巧いですね!
感心します。

子供が四人居た時たまにカラオケに行きました。
ウチの子は流行りの歌はあまり歌いません。
専らアニソンです。

アニソンばかり交替で歌うのです。
母ちゃん(私)も昔のアニソンならまかしとき!ってんで、
「ウルトラマン・シリーズ全部」
「デビルマン」
「科学忍者隊ガッチャマン」
「エースをねらえ!」
「アタックNO.1」
「魔法使いサリー」
「宇宙戦艦ヤマト」
「キャッツ・アイ」
「みどりのマキバオー」
他、何でも歌います。


どうしてうちの子、こんなにアニソンが好きなんだろ?と
思ったら、上の二人が特に好きなんです。
子供が長女一人の頃、車で毎日アニソンをかけてました。
アニメは当然のことながら毎日見てました。
それでアニメ・アニソン大好きになったのかな?
それが嵩じて次女はアニメ制作会社に入ったのかな?



もっと知的なことを子供に教えれば良かったです(後悔)

<心は病気>(2008年3月29日)


アルボムッレ・スマナサーラ師の本です。
主に心の病気について語っています。
治し方が具体的で大変面白い。たとえば・・・

「悩み6
人が触ったものに触れるのさえ嫌で、いつも消毒薬を持っています。
手すりにつかまることも出来ません」

(答え)
「自分は物凄く不潔です。(中略)
私がもし精神科のお医者さんだったら、まず、
『あなた自身のものですから最高にきれいですよ』と言いながら、
からだ中に自分のウンコを塗らせます。
一回それをやれば、だいたい治るはずです。
自分だってからだの中から汚いんだから、とバカバカしくなりますよ。
自分は何より清潔を大切にしているつもりですが、
勘違い甚だしいのです。(以下略)」

と、こんな具合に素晴らしい知恵で回答しています。
他には釈迦の時代に「純粋真っ直ぐ君」が連続殺人をしたので
釈迦が一言でそれを止めさせ改心させた話も凄い。

<タクシー・ドライバーの知恵>(2008年3月27日)


これを知恵と言って良いのかどうか複雑な心境ですが。

私の弟はタクシー会社の専務ですが、小さい会社なので自分でも運転します。
この弟は運転が大好きなのと社員を管理する頭脳労働がダメなので
タクシーを運転しているわけです。
でも、運転大好きなのでいいんですよ。
ところが、最近タクシー運転手が乗客に殺されるという事件が起きました。
弟はもし、そうなったら・・・と、ちゃんと考えているそうです。
御客がナイフをチラつかせて脅したら・・・

@まず、時速60キロ以上で電柱に突っ込む。
  後部座席の真ん中にいる賊はフロントガラスを突き破って外へ放り出され
  電柱に激突する。
A猛スピードで右に急ハンドルを切りUターンしつつ、後部左側ドアを開ける。
  すると賊は外に放り出される。

とか。

私「で、それを社員にも教えたの?」
弟「いいや。だってオレの言うこと聞かねえもん。
   だいいち理解しねえんじゃねえの。」
私「いいんかい!それで!」

いいんでしょうか?
ちゃんと教えておいた方がいいのでは?
しかし停車中に襲われたら怖いですね。
弟は巨漢なので敬遠されるかもしれませんが・・・

<さよならカローラ>(2008年3月27日)


はああ・・・子供が一人づつ家を出ていっても何とも思いませんが、
とうとう明日、愛車とお別れすることになりました。
はああ・・・(脱力感
昨日の朝、車を動かしたら変な音がします。
とうとう壊れてしまいました。
なので、近所の中古車屋へ行って車を買いました。

この車は親が買ってくれました。
或る日、それまで軽自動車に乗っていた私に親が
「ちょと来い。」と言います。行くと
「この車種を買ってやるから色を選べ」と言うんですよ、いきなり。
で、(えええっ?)と、思ったが
軽自動車は危ないから乗るな、ということなんです。
で、しょうがないから選んだのがこの車でした。
(当時の父の取引先が売ってた車なので、付き合いで買ったらしい)
で、細かいデータより「色」と「形」で選ぶ私です(こういう点が「うう」人間)。
迷わずこの色にしました。

新車でウチに来てから10年あまり苦楽を共にし、
ほぼ毎日私と一緒にどこへでも出掛けた可愛い可愛い愛車です。
子供が小さかった頃は4人乗せて毎日出かけていました。
子供が走行中、ドアを開けて落ちないように2ドアです。
窓から落ちないように後ろの窓は開きません。
そこまで考えて車を買いました。
子供は何をするか分かりませんからね。

毛皮も宝石もブランドものも何も要りません。
性能の良い車が一台あれば何も要らない。
車は私の持ちモノの中で一番高価で重要なものです。
毎日酷使しても文句も言わず故障も無く元気に走り回ってくれました。
加速も素晴らしく「50〜80喜んで」という感じ。
「オマエ100までわしゃ99まで」みたいな感じ。

134143キロ走りました。
10万キロを超えたらさすがにあちこち調子が悪くなり、
何と!一度エンジンその他を替えてます。
このことを昨日、車屋に言ったら
マニアと思われたのか呆れられましたが
そうじゃないんです。

こぶりで小回りが利き、車高が低く安定していてとても気に入っていました。
なので古くなったのでさて車を買い替えようかな、と思っても
これ以上の車が無いので買わなかったのです。
(あるにはあるが、それはバカ高い外車です)

この車はマニュアル車ですが、今はマニュアル車が殆どありません。
あってもバカ高いスポーツカーらしい。
私はオートマでもOKなんですが、主人がオートマは嫌だ、と言うので
主人がたまに乗ることを考えるとマニュアル車じゃないとダメなんです。
でも、世の中からどんどんマニュアル車が無くなったので
主人もオートマ車の運転を覚えると言ってくれたので、オートマにしました。
(覚えるなどという大げさなものではありませんが、
頭が硬くなっているオヤジには大変なこと)

今まで無事故で乗せてくれてありがとう。
いくらお礼を言ってもまだ足りないくらいですが本当に本当にありがとう。

これでお別れと思うととても寂しいけど、
でも、しょうがないかぁ、と思ってるところです。

<私がされたくないこと・・・補足>(2008年3月26日)


下に<私がされたくないこと>を書きましたが、
これらのことをされても私は怒りませんので、
むしろ有難う、と思うので遠慮なくしてくださいw


こういうコトなんです。

下に書いたことを目的にして行動してはいません、という意味です。
たとえば

「感謝されたいので、他人に良いことをする」のではないのです。
「私がそれをしたいからする」だけなんです。
自分がしたらそれで満足するので、それに対して
(感謝の気持ちを持てよな!)とは思いません。
でも、喜んでくれたらいいな、と思います。
喜んでくれなかった場合は(ありゃ、失敗したかな)と思います。
次に(またやっちまったなぁ)と思い、その後忘れます。
そぉねぇ半日くらい経つと記憶から無くなりますかね。

謝罪されたくないというのは、
「謝罪の真似はされたくない」ということと、
謝罪しないと許さないよ、といつまでも怒るとか憎むことが無い。
謝罪はしてもしなくてOKですよ、という意味。

認められたくない、というのは他人から認められるために
行動することは無い、という意味です。
それを目的にして生きてはいない、という意味。
まぁ、私は大抵周囲の顰蹙を買うような言動&行動しているので
認められる場合の方が少ないわけですが、
間違って私を認めてしまう方も中にはいます。
その場合、認められたくないんだから、何でアタシを認めるんだよ、
どういうつもり?と文句を言うつもりはありません。
その方の感想、気持ちを有難く受け止めます。
照れくさいけどなぁ!


尊敬されたくない、という言葉の意味。
他人から尊敬されたい人がいますね!
あれ、疲れないですかね。
中山康直氏と会ったけど、彼は本当に普通の素直な方でした。
それでいて、素晴らしい雰囲気を醸し出していました。
彼のそばにいただけで人は癒されることでしょう。
彼は全然偉ぶるところがなく、むしろ普通で謙虚で素直なだけでした。

私は
「対等に付き合ってくれること」が望みなので
尊敬なんかしてくれなくていいです。
また、人より「上」に立ちたいと思うことが間違いと思っています。
尊敬されたらお終いだ、と。
偉い人になってしまって
「この人の言うことは間違い無さそうだ」
「この人は立派な人だから」
などと思われたら、もうダメなんじゃないでしょうか。

スマナサーラ師くらいの高レベルの魂で、
判断力が高ければ尊敬されてもしょうがないけど、
普通の人間で判断力もボチボチで意識レベルもそこそこくらいで
何で他人様から尊敬をされようなどと思うかな、私は思えません。
私が望むのは対等の関係。
言ったり言われたり突っ込み入れたり入れられたり
からかったりからかわれたり、が楽しいんです。

「if さま」という書き出しもいまいちです。
そういうひとが殆どですが、私は(あ〜あ)と思います。
「if さん」で結構ですよ。
でも、そういう書き方をする人は言葉が丁寧なんだから
まぁ、いいか、と思っているんです。
「いふっち」「いふちん」「よお、いふ」とメールくれる方がいますが、
OKです。
呼び方は何でもOK。
タメグチ?OK〜い。
スマナサーラ師ほどの人物以外はたとえ聖人F氏だって
まだまだ若く判断力が乏しいので敬語を使うほどではありません。
また、
本当に意識レベルが高ければ「私を尊敬しろ」とは
思わないはず
です。
(※私は高レベルではありませんがね)

神様に比べたら私達は皆同じドングリの背比べと言えます。
私たちは対等なのです。

今偉そうにしていたら、それが既に間違い。
今は逆様の時代だそうです(ピラミッド予言他)。
地位の有る無しに関わらず、偉そうにしているのは
心の姿勢が「上」なわけですよ。
本当は上でなくても「上」を気取っているんです。
(※心の貧しい人は幸いなる哉。とはイエス・キリストの言葉。
   貧しいとは素朴、謙虚という意味です)
ってことは今、逆様の時代なんだから、
心の姿勢で「上」をやってるってことは本当は「下」です。


そのうち「上下グレンとひっくり返る」のです。
それを思えば怖くてとても偉そうになんかしていられません。
偉そうにするのは、たとえば占い師の■木■子とか、
霊能者の■ヨ■子とか、低■霊が憑いたような方ばかりで
あることからも分かると思います。


だから、私は尊敬されたくないのです。
その心配は無さそうですが、万が一のことを考えて書いてみました。

好かれたくない、という言葉の意味は。
他人から好かれようと思っていろいろ親切をするのではなく、
自分がしたいからするのです。
その人が少しでも明るくなるように。
その人が勘違いをしていたら、それに気づくように。
その人がお金が無いなら、考えましょう。
その人が知恵が無いなら、私も無い知恵を絞りましょう。
みたいな感じです。
好かれることが目的では無く、自分がしたいから、と
相手が少しでも今の状況から進歩して欲しいから。
そして良い循環に入って欲しいからです。

好かれたくないので、相手に厳しいことも言います。
平気なんですよ、だって好かれたくないんだもん。
その結果恨まれますが、そうなった場合
(ああ、分からないんだな)と、冷静に思い、そして・・・忘れますw
かなり嫌な結果でも数日で平常心に戻ります。
だって最初から好かれたくないし、感謝もされたくない、
認めなくていい、尊敬なんか
するなよってんだ、なので、平気なのです。
まぁ、理解されないのは残念だけど、それは「その人の
判断力の問題」であり、私の問題ではありませんから。


以上、補足説明でした。

<私がされたくないこと>(2008年3月24日)


私は他人から

◇感謝されたくないのです。
お礼は言われたくないですね、その人が喜んでくれればいいです。

◇謝罪されたくないのです。
こういう事情になる前には謝罪しなくてはならないような事態が生じていると思うんですよ。
でも、その時その相手の人は「それを悪くない」と思っている、だから謝罪しないのです。
謝罪する気になったということは、「それを悪いと分かった」からです。
なので相手の人が謝罪したら(ああ、やっと分かったんだな、良かった)と、
相手の向上を喜びますが、自分に謝れとは思いません。

また、謝罪の気持ちが無くても謝罪の態度は取れますね。
だから私はその二点から謝罪を望みません。
絶対謝るんじゃねーよ!と、言うのではありませんよ。
謝るということは上にも書いた通り、悪いと分かったからだろうから、OKです。
態度だけの謝罪は要りません。
それは私の気が済まないから、ではなくて、ウソを言ってるのと同じことになるので、
本人のために良くないからです。

謝罪する気はない、でも、ここで謝っておかないと自分が困る、世間体が悪い、
だから、謝っておく、、、というのは一番悪いです。
悟りから一番遠い。
その人のためになりません。

◇認められたくないのです。
私は他人が私を認めなくても自分で認めているのでOKです。
どのくらい認めているかというと、たいして認めてはいませんが。
まぁ、こんなモンだろ・・・しょうがないじゃん、半分ボケてるんだし、
生まれついての粗忽者だしね、よくグレずに育ったものだ、我ながら偉いね、
案外丈夫だよ、病気もしたことがないし、悪いのは頭とクチだけかね、
というような認め方ですがね。
私はコレで充分です。
そりゃあもっと美人なら良かったですよ。
でも、それは贅沢というもんですよ。

なので、他人が認めてくださるのはありがたいけど、それよりも
「自分が自分を認める」ことを優先させているので、他人の評価は二の次になります。
参考意見程度です、済みません。

◇尊敬されたくないのです。
間違って私を尊敬している人がたまにいます。
それは事実誤認ですよ。
本当に粗忽で想念悪いですからね。
え?
そのバカとも見紛うポジティブ・シンキングと、気の強さと図々しさを尊敬する?
そ、そうですか。
でも、あなたも年を取れば、こうなりますよ。
保障します。


で、以上のようなことをされても私は困るけど文句は言いません。
だって、それをしたいという方の意志を尊重しないとね。
私が尊敬されたくないんだからすんじゃねーよ!とは言いません。
それでは自分の「我」を通すことになる。
相手の気モチを尊重したら、自分は(そうじゃないんだけどな)と
思っても、「そうですか、有難う。」と答えます。
あなたのその気持ちはしっかり受け止めましたよ、という意味です。

幸いなことに。
私は我が家でも実家でも親戚からも知人からも
◇感謝
◇認める
◇謝罪
◇尊敬
されていません。

なので、居心地が良いです。



そうそう、私は
◇好かれたくないのです。
別に好かれなくて結構。
私は自分がやりたいようにやります。
これをすると嫌われるからしないでおこうとか、
これを言うと嫌われるから言わないでおこうとか、
思いません。

そのせいか、毎日行ってる郵便局では、私が行くと何故か緊張が走っているようです。
別に脅かした覚えはありませんが、変ですね。
私はただ
「仕事は素早くやるように」
「一度言ったらそれを瞬時に記憶するように」
「手順を合理的にするように」
「お客のことを考えて仕事するように」
「余計な作業をしないように」
「とにかく緊張しないように」
と、言いませんが思いっきり態度と表情で示唆しています。

かなり、嫌われているかもしれないな〜

先日はATMで「御願:後ろに並んでいる方がいる場合は、お1人様二件までと
させていただきます。まだ用事がある場合は再度お並びください」という表示が
あるにも関わらず三件以上の作業をした後、
四件目に突入しそうな奥さんを発見。
その奥さんに「待って」と言って「お願い」の紙を見せたら
「あら、知らなかった!」と、とぼけるので
今後何人(なんぴと)たりともトボけることが出来ないよう、
郵便局長を「ちょっと来て」と、呼んで
くどくどとクレームをつけ、三か所に注意書きを設置してもらいました。


「これでも三件以上する人がいたら私はこのボタンを押します。」と宣言。
それは
「非常ボタン」ですが、何か?
〒局員にも本気になってもらいたいからです。
はい、私は嫌われても構いません。

そもそも好かれようなんて思っちゃいません。
そういう趣味は無いのです。


その割には私は倅達から好かれてますがね。
二人ともお母ちゃんが大好きなんだそうです。

<班長苦労話1・・・嫌々ながらの心理>(2008年3月22日)


なんだかタイトルがとても老人臭いですね。
実は不肖私メ、一年間地区の班長をしていました。
10数年に一度回って来るアレです。

「意識レベル」の記事の中に
☆やりたくないと思っていることに従事
   100
   →無心で従事 350

などというのがあります。
謎の方が細かく判定して下さってますが、こういう項目を設けたという
ところに謎の方の見識の高さが覗えます。

やりたくないことに従事しなくてはならない場合、
殆どの人は嫌々ながらやるのではないでしょうか?
でも、いったんやり始めれば「無心で従事」と変化します。
或る方の判定で
「やりたくないことを思っただけで数値が下がる」と出ました。
その方は「本当にその通りです」と、反省のメールをくれました。
実は私もそうです(うへえ



ここらへんをちょっと分析してみましょう。

「やりたくないことをやるのが嫌」なのは低次のサヌキです。
アワのタチは「受け入れようとする」からです。
サヌキは「排除・分裂」の方向のエネルギーなのです。
アワは「親和・統合」です。

やりたくないことを排除する心なので、サヌキです。
しかも、やるべきこととは社会的に見たら義務か、それに類するもの。
つまり、やらなくてはならないこと、です。
そういう対象を「排除」する心とは低次のサヌキであることが
御分かりになるでしょう。

で、私はそういう類(たぐい)のことが面倒臭くて嫌いなんです。
考えただけで暗くなるタチです。
ああ、何と低次のサヌキのことよ。
これを我がままと言います。

もっと低次のサヌキになると、どんな理由をつけてでも
義務から逃れようとします。



謎の方の意識レベル判定は、その数値について真剣に考えれば
いろいろなことが分かり、自分を客観視できます。
一度でも客観視出来れば「イマイマにキを入れる」(自分の感情を見はれる)
ので、数値が上がって行きます。
低い数値が出た方、ガッカリしないでください。
半年後、一年後にはかなり上がっているはずですからね。



さて、話が脱線しましたが、地区の班長を嫌厭ながら一年間
適当に休みつつ怠けつつやってきました。
その中で体験したくだらないことを書こうと思います。

<班長苦労話2・・・もう、書いちゃったよ>


さて、班長となって最初の会合の時、区長が私に
「〜〜婦人会」の委員になってくれ、と頼むのです。
私は嫌なので断りました。

ところが、区長は他にも女性がいるのに私と私の他のもう一人にさせようとします。
もう一人の人はやれば良いと思います。
でも、私は嫌です。
班長やるだけでも大変なんだから、絶対断ります。

区長が皆の前で「if さん、頼むよ。」と言いますが何をどう言われても嫌です。
これ以上ないほどハッキリと「御断りします!」と宣言しているのに、まだ言うか!
すると、私の後ろの方の男性三名が
「もう、書いちゃったよ。」と相談しているんですよ。
何を書いたかというと、その〜〜婦人会のメンバーとして、
私の名前を書いたと言っているのです。

勿論睨んでやりましたさ。

ジロリ。

三人はびびっているようでしたが、構いません。

私は地区でどのような目に遭おうと私のやりたいようにやります。
嫌われようとなんだろうと構いません。
そうなったら人間強いですね。

好かれたいために他人に良い顔など決してしないのです。
それが私にとって一番気モチが良いからです。

<班長苦労話3・・・いつも留守の人の正体>


私の担当地区にアパートがあります。
アパートの住人は一人暮らしの方が多く、なかなかつかまりません。
市報などを配るならいいのですが、集金となると本人と会わなくてはなりません。
留守がちな部屋の人には苦労しました。

集金業務がありました。
その方の部屋に、いつ行っても留守です。

朝=留守
昼=留守
夕方=留守
夜=留守

おかしいです。
「ここに電話ください。班長」と書いた紙を挟んでおいても返事無し。

で、近所の人に訊いてみたら「いるんですよ。」とのこと。
でも、いついるのか分からない。
集金はしなくてはならない。
困りました。



で、作戦を立てました。

私が車でその人の部屋の前に乗りつけ、思いっきり急ブレーキを踏み、
すぐさま車から出てドアを乱暴にバタン!と閉めた。
そして走って行ってドアのチャイムを乱暴に鳴らしたら、即、出て来ました。
(サラ金闇金の集金人と思ったのかな??)
(とにかく、ヤバイ系の人と思ったことは間違いない)

その人は若い男性(二十代〜三十前後)でした
カーテンが引いてあって昼間なのに部屋は真っ暗。
玄関には先の尖った靴が三足。
白のメッシュ、茶色のとかげ皮、黒のエナメル。
(ぎえええ!ホストやんけ!)
その男性は寝て起きたばかりなんでしょう。
目を真っ赤にして応対してくれましたが、気の毒でしたね、
寝ているところを起こしちゃって。

無事集金は終わりましたが、アパートで仮住まいをしている人に
一戸建ての人と同じ負担を背負わせるのは私は反対です。
平等は大事ですが場合によりけりですね。

<班長苦労話4・・・総会荒れる!>


で、今日地区の総会があり、やっと班長の任務を完了しました。

で、総会ですが・・・

会計係が、或る件で「〜〜を廃止したらどうか」という意見を述べた。
最後にまた、その話題になり区長がその件について意見を述べた。
すると会場の端の方にいた男性から
「だったら最初からそんなこと言いだすなよ。
 区長はちゃんとやれっつってんだよ。」
みたいな怒声が飛んだ。

この件を持ちだしたのは会計係なので、区長には責任はありません。
その後もその件について副区長や会計係、監査が意見を述べるたびに
「区長はちゃんとやらなきゃしょうがなかんべや。
 区長は立派な人間がやるもんだい。
 犯罪者じゃなくてさ!」
などと発言がどんどん過激に。
どうも区長の人選の際、順番を飛ばしたとかで、それが不満のようです。
しかし犯罪者とはいったい・・・?
順番を飛ばしたこと=犯罪
なのでしょうか?
まさか・・・

トンデモには慣れている私もこのトンデモ発言にはびっくりしました。

これには温厚な副区長も反論。
さらに他の方から区長を擁護、弁護する発言が合い継ぎました。
皆、一丸となって区長を擁護。

また、支出の項目についていちいち細かいことを疑問視する真面目な方が
何度も質問をしてまして、議員を困らせていました。
何でも一年前の町村合併によって区長以下班長の報酬が減った。
なのに議員の報酬は上がったらしい。
で、いくらになったのか。
倍に跳ね上がったそうです。
「そらあおかしいんじゃねえかのぅ。」
あちこちでどよめきの声。

さて、総会も無事終わり(流血騒ぎが無かったという点で)
私は区長のところへ行って
「一年間お世話になりました。有難う御座いました。」と挨拶。
区長も喜んでいました。


ああ、無事終わって良かった♪

<外人が日本に来て驚くこと>(2008年3月20日)


外人が日本に来たら全てのことに驚くとは思います。
外人がウチに来たら納豆の臭いで驚かしてやろうかな、などと
ロクでもないことを考えている私ですが、
その中でも弩級の驚きのことを取り上げたいと思います。

まずは
「地面が動くこと」です。
勿論地震のこと。
日本人は慣れていますが、外人にはどビックリのことのようです。
数年前にロサンゼルスで大地震が起きた際、
日本から若者がボランティアとして駆けつけました。
現地でテキパキと働く日本人の姿を見て現地人は驚き感動したそうです。
地震慣れしている国の人であること、意識レベル世界一の国民であること
教育水準が高いこと、アワ型社会の人間であることなどが
高い判断力を発揮した原因であると思われます。
世界に自慢して良いと思います。

次に
「仕事が正確」であるということです。
日本製品の質が良いことは世界中の人が知ってますが
これから話すことは製品の話ではありません。

日月神示の研究者、中矢伸一氏の著書にあったエピソードです。
一人の日本人がドイツから来た知人を案内して東京のある駅に居た。
ドイツ人がホームに書かれた線を見て
「これは何だ?」と訊くので
「これはここに電車のドアが来るという表示だ。」と答えた。
ドイツ人は大笑い。
(よせよ。オレを担ごうったってそうはいかないぜw)
するとそこに電車が入って来た。
電車はすーーーっと止まり、ちょうど線の場所に電車のドアが来た。
それを見たドイツ人は傍から見ても分かるほど震え出したそうです。
そこまで正確に仕事をする日本人が怖くなったようです。

ところが日本人にとってはそれが当たり前のこと。

日本人の意識レベルが高いそうですが、
これは勝手に高くなったのではなく、先人たちが努力して
正確に仕事をし子孫を教育した結果ですね。
まずい部分も沢山ありますが、私はこのような、
「仕事を正確にこなす国」を作ってくれた先人に感謝しています。

まずはこの基礎があるからその上に私たちはそれ以上のものを
作ることが出来る。
世界にはこの基礎すら出来てない国が多い。
今、日本に生まれたことの幸せを感じます。

外人でも見る心があれば日本人の素晴らしさが見える。
これからはもっと世界の人にそういう日本の良さを見てもらいたい。
日本人でも見る目(心)が無い人が多いが、外人にも見る目(心)が
ある人はいます。
「日本にもがいこくじんいるのぞ、がいこくにも日本人いるのぞ」とは
日月神の言葉です。

<天国へ行ける人の%>(2008年3月19日)


リンク1の「石井青龍の本ぜい易/易日記」「天国の門」(2007年12月16日)より。

(略)

しかし、占って出た答えには私だけでなくお弟子さんも「え?ほんとうに?」と目を丸くしていた。

天国にいける率は、人口の約7%ぐらいで、
100人いれば、その中に天国へ行く善人は7人もいるらしい!!
そうなると天国も結構人口が多いと言えるし、この世に神様が認めてくださるほどの善人が
一割近くもいるなんて、この世もなかなか良いところと言える。
ちょっと私の周りの人達を冷静な目で見つめなおしてみたら、殆どの人達が善人ばかりだ。
私の方が毒気がある人間かもしれない。

人の為に何かをしてあげるのが苦痛な人は、天国には行けないようだ。
人を喜ばせたいと心から思える人が天国に行けると易は言う。
天界に行った人々が人を助ける事を嬉々として仕事をしている様子が、卦にでていたのだが、
人の役に立つこと、喜ばれることが天界にいる人達の生甲斐になっているそうだ。
悪いこともしていないに幸せに成れないでいる人、悲しみを背負っている人、
そういう人達を幸せにできること、それが彼らにとって嬉しくてたまらない。

人の幸せを自分の幸せに感じる価値観を持つ人が天界の上のほうに行く人達だと易はいう。
そういう価値観があれば、少しぐらいの人間的な欠点を大目に見てくれるのが
天国の審査だと易に出たので、一気に希望が出てきた。


この易日記はあまり更新が無いけど大変面白いです。
日月神も「我よしではならん」「ひとの十倍も働け(みたいなこと)」を言ってます。
「神の御用」しろ、と言ってます。
つまり何もしないのはいけないようです。


する時は「善いことだから」よりも「楽しみてやりてくだされよ」と言ってるので
いくら良いことでも嫌厭ながら、見返りを求めつつ、なんてのはダメです。
それ(良いこと)をするのが楽しいからする、というヒトでないと。
口と心と行が一致していないと。



で、自分が満足するためにお節介をする人がいます。(善人の自己中)
これはいいのだろうか?
良くないと思いますよ。
お節介をすれば相手から嫌がられます。
すると相手の反応が「怒り〜怒りに近い反応」となって返ってきます。
その時、お節介をした人が(ああ、これは私がお節介をしたからだな)と
分かればよし分からねば、今度はお節介発信者の心に「怒り〜悲しみ」が浮かぶ。
地獄の発生です。
それではいけない。

これは行動が「相手のため」と言いつつ相手の性格、能力、状況を考えてないので、
自分の気持ちだけで行動する場合です。
私は世の中の親切とはたいていこのレベルだと思っています。
自己中から発している場合が多いのではないか。

日月神も「なんでもいいから親切にしろ」とは言ってません。
他人に親切出来る人間(高波動)になるための方法を丁寧に示してくれています。
やはりそこに頭(物事が分かる心、本当の知恵、賢さ)が必要です。


或いは他人からどのような反応が返ってこようと、
心からニコニコしていられるほど、素直で謙虚で心がきれいか、どちらかでしょう。


スマナサーラ師は「それをする場合」
◇自分のためになり
◇相手のためになり
◇第三者、無関係な人、多くの人のためになる
かどうかを、考えなさい、と書いています。
これは分かり易いですね「メリット論」と呼ぶそうです。

<岩塩で動物霊を取る>(2008年3月17日)


浄化専門グッズ販売店の「ミルラ」(リンク1)の、ブラック・ソルト(パウダー)を買った方の感想です。


ところで、今日、いつもお世話になっている霊能力の先生のところへ 行ってきました。
で、思いつきで塩(ブラックソルト)を持って行きました。
神棚にお供えする塩にしたらどうかな?と、思ったので、見てもらおう と思ったんです。
塩を見てもらったところ「勿体ないくらいいい塩だね。 
これは、霊を取るのにも使える。特に動物霊は一瞬で取れるよ」とのことでした♪
特に動物霊に効果がある、という理由は、野生の動物は岩塩を舐めているから、
それと同じ理由で塩にくっついて取れるんだそうです。
霊が付いたかな〜と思ったら、お湯に溶かして(ほんのちょっとでいい みたい)
肩から流せばいいとか。。。
私はとっても憑かれやすいので(お恥ずかしいですが。。。)
毎日継続したらいいみたいです。
お風呂に入れてもいいって行ってたんですが、感覚的に肩にかけて流しちゃった方が、
残らなくていいのかな〜と思いました。
今度は、ロウソクも一緒に持って行ってみようと思いました。
ミルラホームページにも書いてありましたが、
解る人にはどんな風にいいのかもわかるんですね。
今日から早速、神棚の塩はブラックソルトにします♪
他にも気になるものが沢山あるので、また利用したいです。
 
動物霊〜の話は、「特に効果がある」という事です。
その他の悪いものにも効果はあるけれども、動物霊ならすぐに取れちゃうと言っていました。
毎日の入浴に使うなら、それこそ、毎日浄化する事になるからとってもいい、って言ってました。



私は黒い岩塩の塊(ブラックソルトブロック)が好きです。
最初は「何だこりゃ」と言ってた主人も、何度か使ううちに自分で一個
湯船に入れるようになりました。
子供たちは最初硫黄臭いので嫌がっていましたが、今は慣れました。

<スマ師の本を読んでの感想>(2008年3月16日)


ifさん

こんばんは。

最近スマ師の本にはまっています。
ものすごく大切な内容なので、意味を飲み込むのに
何倍も時間がかかっているように感じます。

今は、
怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) (サンガ新書)

結局は自分のことを何もしらない (サンガ新書―役立つ初期仏教法話 (019))

私もスマ師の本にはまってまして、
発行:アルマット
発売:国際語学社
の「心を育てる本」のシリーズが安くて(1000円)

活字が大きく漢字が少なく文章が平易で文字数が少ないので
大変読み易いので気に入ってます。

こういう大人になってはいけない―ぼくたちの生きる道に水を差さないで… (心を育てる本 (3))
幸福に至るYESとNOの法則―智恵が湧き出る善悪論 (シリーズ心を育てる本)
が好きです。

また、ブッダは仏教をやっていたのではなく哲学をやっていたので
ブッダの思想と知恵は大変面白くためになります。


・・・の本を同時進行で読んでいますが、
意識レベルの「怒りについて」シリーズと併せて読んでいますので、
なおさらいろんな事が紐解けるように見えてくる気がします。

私が今までどれほど無意識に「怒り」の感情に甘えていたか、
いかに私がいろんな状況を自分の都合が良い見方で捉えていたため
廻りのことがよく見えていなかったかもわかってきました。

自分の怒りを自覚するのは難しいですね。

何事も大袈裟に物事を捉え表現することを感情豊かで好ましいとか、
相手の気持ちに同調できなければ人間的でないかのような思い込みを
私を含めた周囲の人達は続けてきたと思います。
(「少しばかり感情的なのは、むしろ人間らしい」といった考え方です。)

世の中の多くの人がその意識レベルにあるので、
それが正しいかのような錯覚に陥りますよね。
多数=正しい
みたいなね。
それは間違いですね。


でも、間違った認識で生きていれば間違った結果しか出てこないのですね。
何かにつけて繰り返し繰り返し苦しさが出てきました。


そんな私でしたから、スマ師の本を読めて良かったです。
世の中に過剰な期待をしたり斜め視線で捉えたりせず
そのままの姿をただただ素直に受け入れていけば
どんな物事でも本来の姿が見えてくるものなのですね。
そして、それをもとに素直に行動すれば良いだけで
感情の衣を着せる必要はなかったんだとわかりました。

それでも今までのやり方が癖になっていますので、
今でもつい妄想フィルターを通して物事を見がちになりますが、
本を読んだ今は、感情は振りかざすものじゃないこと、
むしろ感情を動かさない生き方ってこんな楽な感覚なのかな・・・とか
読む以前よりもかなりスッキリ見えてきました。

私は思考と感情を分けられるので、楽です。
そりゃ、感情的にはなりますよ。
喜怒哀楽は通常の人より激しいくらいです。
でも、その時(今、メッチャクチャ怒ってるでえ!)と、自覚出来る。
アレで自覚出来なければ頭おかしいですからね。

でも、思考する時は感情が入りません。
たとえば最近upした記事。
「意識レベル」の下の方の記事<怒りについて6・・・心に地雷を抱える人>
の場合。
友人は私に対して謝ったり泣いたり学歴で卑屈になったりと
いろいろしていますね。
私は他人がどのような感情になろうとそれはその人の自由なので
好きにしてもらいます。
「泣くな」「謝るな」「怒るな」とは言いません。
しかし、同情もしません。

そういう私のような人を見て「同情しないのは冷たい」「怪しからん」と
思うのは正しくないとは思うが、それもそう思う人の自由なので
私には関係ないな、って思うんです。

向上したいなら、そういう考え(同情しろよ、とか)は不要な考えなので
捨てた方が良い。
向上したくないなら、持っていれば良いと思います。



さて<心に地雷を抱える人>の友人の場合。
私が友人と一緒になって怒ったり泣いたりしてもこの件は解決出来ない。
解決するには頭を使わなくてはなりません。

なので、ひとつひとつ考えを整理しました。
悩みがある人は考えを整理出来ないので手伝ったのです。
私はカウンセラーでもアドバイザーでもありませんが、
生活の知恵ならあります。
それを使って考えを整理します。
これを
相似象では「整序する」と言います。

整序が出来ないと頭の中は常にごちゃごちゃと混乱し、
その結果その人には頭の中に相応しい運命が展開します。
つまり、ごちゃごちゃな運命、事象です。
運命や事象がごちゃごちゃならさらに感情的になり
思考出来なくなるので、さらに混乱します。

これの繰り返しが、今の困った事態を引き起こしているのです。

なので、頭の中を整理するお手伝いをちょっとしてあげると
本人は整理できて、今度はちゃんと思考が出来るようになる。
まだ、本当の思考力ではないので、この一件に限り、ですが。

それを何度か繰り返すとだんだん思考方法が分かってくる。
最終的には自力で思考出来るようになるといいですね。


世の中には悩んでいる人を励ますのがカウンセリングだと
思っているかのような人もいます。
それもカウンセリングなのでしょう。
そのレベルで良いという依頼者ならそれでもよいのだと思います。

解決なんかしなくていい、おまえ(カウンセラー)は
アタシの愚痴を聞いていればいい、と無意識に思っている場合。
愚痴を聞いてもらって一時的に心がすっきりするレベルで良いと
いうひともいるのでね、需要があれば供給あり、です。

また、一時的な解決では困る、根本的に直したいのだ、という方
がいるなら、そういう方に相応しいやり方もありますよ。
この一件だけが解決したって困るんだよ、
自分自身が問題を解決できるようになりたいんだ、という方用に
相似象があるんです。



ifさんの普段の心の中は、きっとこんなニュートラルな感じで
それがごく当たり前になって楽しく過ごされているんだろうな〜と
ほんの少しですが解った気がします。w


はい、心に不要な感情考えが湧くことはあまりないです。
そりゃたまには湧く。
でも、たまに、なので、湧けば気モチが悪いので自覚出来ます。
だから、なんとか意識を立て直そうとする。
不要な考えが常に頭の中にあったり、
不要な感情が常に心にあれば、
それが「普通」となってしまうので、
立て直そうなどとは思いませんよね。


心に怒りや悲しみ恨み妬みを抱えて生きているのに、
それが当たり前になってしまっている人がいます。
当り前なので意識化出来ません。
意識レベル判定で「レベル10」と出てびっくりしする人です。
まさか、自分がそのような低い数値が出るなんて思わない。
だからその結果を間違いだとすら、思う。

ところがその数値を「意識レベル1」の表で良く見てみれば
その通りの意識にあることが分かる。
中には表を見てもまだ、分からない人もいますが。

このように自覚するということは大変難しいのです。

自分が常に抱いているこの感情を自覚するには
「そうではない感情」「それを超える感情」「もう一人の自分」が無いと無理。
客観視せよ、という意味ですよ。

それが出来るようになると、ふと、自分で嫌な感情を抱くと
自覚が出来るんです。
(あ、今、怒ってるな)
(あ、今、嫉妬したな)
(あ、今、不愉快になったな)
とね。
これが
イマイマにキを入れることのひとつです。
意識せよ、ってことです。

このようなことも
「悪、抱き参らせよ」ではないかと思います。
つまり、
心の中に悪(悪感情のこと)を抱くというのは、
その感情を悪であると、まず認識しなくてはならない。

抱いていてもそれを「悪」と、思ってないのが普通ではないでしょうか?
悪どころか、「善い」とさえ、思っている。
これが取り違え(の一種)です。

悪なのに善だと思っているのです。

心の中に悪を抱えながら意識化出来ないので「善」になっちゃってる人
とても多いと思います。



そういう取り違えは多いし、根本が間違っているのに
自分は「善」だ「正」だ、と思いこんでは良い気になっている
感違い人間がいます。
これが
「慢心」です。
大変多いです。
まさか、あの人が、と思うような人がこれに堕ち入っています。
神が最も心配する事態です。

そして、
神が最も嫌うのは「我良し」と「鼻高さん」です。

神が好くのは「生まれ赤子の心」の人です。



生まれ赤子の頭で、大人の心の人は多い。
それは反対ですね。
逆です。
生まれ赤子がよろしいのは「心」で、頭ではありません。


ここでも取りちがえをしています。
本当に多いです。



さて、スマ師の本を読んでメールをくださった方、
やっと何かが分かったのかもしれません。
この方も何度も私に「何かを分かった」「何かに気づいた」ような
メールをくれましたが、今度こそ本当に何かを分かったのかもしれません。

傍から見て何も分かってない場合でも本人が分かったと思ってしまう場合が多い。
自分に甘いのと、本当の思考力が無いのと、
そもそも「分かった状態」というのを体験したことが無いんだから、
今自分が体験している、この心理が「分かった」という状態なんだろうな、と錯覚をする。

これも大変多いです。


この方が何もしなければ、分からなかったということが分からないので
やってみて良かったんです。
HP閲覧も読書もメールの送信も、です。
動いてみれば何かが変わり、何かが分かりますからね。

<戦々恐々1>(2008年3月14日)


聞いた話ですが、60代男性のクレーマーが複数居るそうです。
大変、タチが悪い。
学歴があり一流会社に勤務していたので、凄くプライドが高い。
理屈を言う。
でもめちゃくちゃな理屈です。
自覚は無いようなんですが、家族がいるところでは言わないそうです。
(ってことは自覚はあるのか)

私はこの年代の人は進駐軍の極端な思想教育を受けてしまったので
そうなってしまったのではないかと思っています。
権利意識とか、です。
団塊の世代より上の人達です。

さて、もうすぐ団塊の世代が会社を定年になります。
どっと社会に出てくる。
ある職場ではその人達のうちのかなりの人数がクレーマーになるだろうと
予測して対策を立てているそうです。
何事も準備をしておくに越したことはありません。

<戦々恐々2>(2008年3月14日)


親戚の話。

主人も主人の兄弟も兄弟の配偶者も50代後半になりました。
すると役職定年と言って給料がガクっと減るんです。
定年まで勤められるが年収は半分だよ、という感じです。

私は一年前にそれを聞いて(へえ)と思いました。
主人「来年から給料が半分になるんだぜ。」
私 「へえ、そうなんだ、はいよっ。」
それなら準備をすればいいや、と思いました。
ポジティブ・シンキングな私なので
給料が減ることよりも、会社に勤めることが出来て
一定の収入があって良かったな、と思うんです。

でも、一年間準備はしましたよ。
去年は家のローン以外の借金を返済してました。
まず、我が家には貯蓄というものがありません。
子供が四人いて家を買えばこうなります。
貧乏人の子沢山という言葉は真理です。
それでも私はどうにかなるさ、と思うんです。


ところが親戚は子供一人、二人なのに戦々恐々としているんです。
今年の正月に会ってもうちの息子達にお年玉1000円もくれません。
そしてしきりに給料が減るので大変だ、と言ってました。
凄いです。
この戦々恐々ぶりが・・・
(で、一件のうちはその後家族で海外旅行に行きました)
(もう一件は200万円の新車を買いました)
(あまりのことに笑いました)

お年玉など欲しくはないが、一人1000円として計2000円の
出費も出来ないほど心に余裕を無くしているんでしょう。
ああ、小さいな、と思います。
私は怒ってるのでも軽蔑しているのでもありません。
(そうか、小さい人間だったんだなぁ)と分かったんです。
(データが上書き保存されただけです)

この親戚達は子供の数が少なく奥さんもずっと働いていたので
貯蓄が沢山あると思います。
でもマイナス面に意識が行くんでしょうね。
だから、「大変だ大変だ」と思ってしまう。
(たとえ海外旅行には行けてもw)

まぁ、いいんですけどね。

我が家は主人の年収が半分になっても私がその分稼いでやるさ、と
(しょうがないから)前向きです。
私には定年はないし。
「父ちゃん、これからは私が稼いでやるからね!」と言ったら
父ちゃん「バカ言え。」と言いつつちょっと嬉しそうでした。
定年まであと数年、半分でもいいから給料をもらってちょうだい。
定年後は今アルバイトで行ってる大学の講師にでも
なってくれるといいなぁ・・・なれなくてもいいけど。

そんなワケでめげない私なのでした。

<モップ犬のこと>(2008年3月13日)


私が近所のモップ犬を轢き■そうとした記事を読んで感想をくれた方がいます。


if様
 こんにちは。Kです。お久しぶりです。
 このところ気になることがありまして暫く悩んだんですがifさまに聞いて頂きたくメール致します。
 私は人と話をしていて受け答えをする時に私の言っている事は的外れなんじゃないかと思うことがあるのですが、
 このメールも的外れを覚悟しつつ、長々と書かせて頂きたいと思います。

 if様は以前放し飼いの犬について記事を書いていらしゃいましたが、私の気になることと言うのがこの記事のことです。
 最初にこの記事を読んだときは「スゲーな、ifさん!」と言う感想しかもたなかったんです。そして新しい記事が更新
 されるにしたがい放し飼いのモップ犬についても忘れていたんですが、一ヶ月前ぐらいにふと、ifさんはなぜモップ犬を
 轢こうとしたんだろう?と思ったんです。それから思いついた時につらつらと考えたり記事を読み返したりしてたんです。 
 確かに犬を放し飼いにするのは迷惑だし、お子さん達に向かって行くのも危険だとおもいます。他人に迷惑をかけて
 いる事に気付かない飼い主に気付かせる為とはいえ、他に方法はあったんじゃないかと考えました。

もちろんそうです。
でも世の中には言語を理解しない人の方が多い。
そういう時どうしますか?
99%の人は泣き寝入りするんです。
私はしません。

とはいえ。

あれは冗談ですよ。
かなり本気に近い冗談。
 
飼い主の目の前で犬を轢き■そうとしたら、
飼い主が気づくじゃないですか。
で、(放し飼いは止めよう、だって近所のifさんに■されるもん)と、
悟る道を示してあげたんですw
 

 けれどifさんは轢こうとした。なぜだろう?と。記事をよく読めばifさんの運転する車に吠えながら付いてくるとかいてある。
 車から降りて追い払うのもメンドクサイことだし、追い払っても車に乗ったらまた付いてくるなら意味がないと思ったのかな?
 とまず考えました。でも、なんかちがうような気がする。だって飼い主の前だしな・・・と。ん?飼い主の前?
 もしかしてifさんは放し飼いにすることは犬にとっても危険なことだと飼い主に言いたかったのかな?と思いました。

そうですよ。
その通りでしょ?
 

 だって動いている車に向かってくるってことは、タイミングが悪ければ本当にお星様になりかねないし、万が一ホントに
 お星様になちゃったりしたら、この飼い主放し飼いにしていたことなんか高くて遠いところの棚の上に放り上げて轢いちゃっ   
 た人を恨みそうな気がする。その点ifさんは飼い主の目の前でコトにおよんでいる訳で。それでifさんが期待した通り
 ifさんに文句を言ったら、この飼い主は他人に迷惑をかけていることのみならず、犬にとっても危険だと言うことに気付いた
 かもしれないと思い至ったわけなんですが、最後はその犬も庭に閉じ込められたと書いてあったので星にならなくてよかった
 なと。

本当に良かったです。
飼い主が何かを悟ったんでしょうね。


ここまで考えてだからifさん轢こうとしたのかなと私なりに納得したんですが、本当のことは分かってないのかも知れま
 せんね。でも、まあモップ犬記事が昨年12月で途中空白があるとはいえ今3月。私ってばほんとにバカだ・・・。
 と思い知った次第であります。こうやって1つの事をああでもないこうでもないと思いながら、私には分かると言う事がよく
 分かってないのだな、と分かりました。それでも亀より牛より遅い歩みながら無理せず諦めずぼちぼちやって行こうと思い
 ます。これからもパンドラ楽しみにしています。最後まで読んで頂きありがとうございました。

PANDORAは読む人の能力のままに読めます。
自由に読んでもらっていいんですが、誤解はしないでね。
幸いあなたは誤解をしていません。
あくまでも本当のわけを考えている。
その態度でOKです。
怖いのは理解していないのに、
勝手に理解すること、つまり、誤解することです。
 
PANDORAは理解力が無いと誤解するようになっています。
ある閲覧者の方が「PANDORAは八通りに読めますね」と言いました。
そうだと思いますよ。
PANDORAだけではなく、世の中の全ての文章(言葉)は理解力が無いと誤解するようになっているんです。
その時、誤解せず本気で理由を考える必要がある。
多くの人はそれが出来ません。
皆、自分の考えの通りに誤解する。
それではダメです。

<岩塩>(2008年3月13日)


いま寒い時期なので塩を入れたお風呂に入るととても温まります。
塩風呂に入って寝ると、寝ているあいだに汗をかき、翌朝は気分爽快。

「ミルラ」(リンク1)のヒマラヤ岩塩、ブラックソルトというゴツゴツしたブロック塩は
一個が一回分のようです。
市販の似たような岩塩を粉砕したものは量が少ないのに1袋150gで780円のと、
1袋400gで980円のとがドラッグストアにありました。
ミルラの塩は1000gで1000円なので、安い方と比べても半値以下です。


で、この岩塩が一番好きなんですが、使用する際は入浴する前に
湯船に入れておかないと溶けるのに時間がかかります。
それを忘れなければ一番使い易いです。
ゴミも出ません。

さて。
本当にこの岩塩は効いているのか?と、考えました。
岩塩を入れないただのお湯の場合はすぐ身体が冷めてしまうことが分かりました。

たまに眠くなってしまってお風呂に入らないで寝てしまうことがあります。
すると翌朝は目覚めが悪い。
前日の疲れが抜けてないようで、一日中身体が重い。
体重も重いがそれだけではなさそうです。

ということで、これはやはり効いてるな、と思いました。
◇身体が芯から温まる
◇汗をかくので悪いものが出ると思う
◇疲れが取れる
◇なので寝ざめが大変良い
→朝から元気


また塩は邪悪なもの、邪念などを浄化する働きもあるそうです。

ジュネさんと念について会話しました。
私   「人の念て来てますかね?」
ジュネ「来てますよ。頼って来たりします。」
私   「じゃあ念が私にくっついてますかね?」
ジュネ「それは大丈夫です。ifさんは自分で払ってますから。」
知らないうちに払っているそうです。

ドリーン・バーチュー女史の本にもありますが、
女史も他人の依存の念が沢山来るので、意識して取っているそうです。
念はチューブのように見えるらしい。

それよりも自分が作ってる邪念を浄化する方が先ですが・・・

念の方はともかく身体から疲れが取れないと身体が弱ってしまうので
やはり一日の疲れはその日に消化した方がいいですね。
疲れを翌日に持ち越さないのがいいです。

1<「死後はどうなるの?」という本>
(2008年3月12日)

今、スマナサーラ師の本にはまってます。
「死後はどうなるの?」という本を買いました。
ブッダの話が出て来るので(当り前だけど)
仏教には興味の無い私は最初、あ〜あ、
仏教の話なんか読みたくないな〜と思ったけど
そうではありませんでした。

ブッダは宗教をやっていたのではなく、
哲学をやっていたんですね。というよりは「当り前のこと」を
説いていたんです。
ブッダの知恵は凄いや。
当り前か。
とても面白い。

スマナサーラ師はブッダの教えに忠実に
人間や世の中を分析していて、これが大変面白いのです。
私が好きな高橋信次師はブッダの生まれ変わりか
近い魂のようで、高橋師の本にもブッダのことが書いてあります。
スマナサーラ師が本の中で行ってる言ってることは
高橋師が言ってることと同じなので、
やはり高橋師はブッダ関係者だと思いました。


スマナサーラ師の教えは「日本テーラワーダ仏教協会」
http://www.j-theravada.net/
というサイトをご覧ください。

2<「死後はどうなるの」から>


「よく逝った人々の話」より。

スリランカで死期が近づいたおじちゃん、おばあちゃんに接すると、
ふだんから仏教に興味がない、道徳的なことにも興味がない人は、
亡くなるときになってもみんなに文句ばかり言うのです。
お茶を飲ませると「これは熱すぎる」とか「こぼれるのではないか」とか、
自分が死にかけているのに、一生懸命に面倒を見てくれている人に
文句を言うのです。
でも、そういう時には、「親切に看病しているのだからいいかげんにしなさい」
とは叱れないでしょう。
だから「はいわかりました、ごめんなさい」と言いながら面倒を見てあげるのです。
いつでも文句を言う人は、行くところがもう決まっています。
文句ばかり言われる場所に、
苦しみの次元に堕ちるのです。


なのでマザー・テレサはインドで死にそうな人が少しでも良いところへ逝けるよう
一人一人に声を掛けていたんですね。

3<「死後はどうなるの?」から>


「生まれ変わる場所が決まる瞬間」より。

怒り憎しみと恐怖に覆いつくされた地獄界から、一切衆生への慈しみと平安の境地に住する梵天界まで、
とほうもなく拡がる多次元的な輪廻の世界で、私たちは死んだあと、どこに生まれ変わるのでしょうか。
ひとつ知ることのできる方法があります。皆さんにも高熱を出したり意識が不明になったり、
そんな経験があるでしょう。
そのときの自分のこころの状態はどうでしょうか。
重病になって倒れて、前後不覚になって高熱を出したら、支離滅裂なことをしゃべってしまったり、
いろんな幻覚が見えたりするのです。
あのひどいこころの状態を考えてみてください。
そうやって自己管理ができないときのこころのあり方が、来世を知るうえでのポイントなのです。

もうしそういうとき、皆さんがくだらないことや自己コントロールができないで
おかしなことを考えているならば、来世がちょっと心配です。
たとえば母親が熱を出した子供に薬をあげようとしたとき、
子供が「鬼が来た」と怖がったならば、それはその時の子供のこころの状態なのです。
ふだんどんな高尚な哲学を考えていたとしても、病気で倒れて意識がなくなったとき、
私たちのこころの状態がどうなっているのか、そのポイントで次の生が決まります。

だから死後があるといっても、あまりおもしろい話ではなくて、かなり怖い話です。
そこで仏教では「常によいことを考えてください」「慈悲のこころを持ってください」というのです。
「怒りや嫉妬の感情は毒ですよ」「冗談ででもそういうことは考えてはダメですよ」と。
明るくポジティブな考え方、生命を愛する考え方、善行為を喜ぶ考え方を、
癖になるまで訓練して習慣づけて、根元から立派な人間に育っていなければダメです。
そうすると、もうろうとしたときでも、すばらしいものが自分に見えたり、
清らかなことを考えたりするのです。
そうであれば、もう次の生まれは心配ないといえるのです。



これは考えが、表層ではなく潜在意識にまで届いて初めて本物である、ということでしょうね。

4<「死後はどうなるの?」より>


「生命の幸福は相対的」より。

わたしたち人間の立場でみれば、ミミズという奴はなんてつまらない生命だろうか、
と思うかもしれません。
しかし私たちの命も、人間より上の次元、天界の神々などから見ると同じことです。
なぜ人間という生き物はそんなに欲張って、臭く汚い人生を送っているのかと、
向こうはこちらをバカにしているのです。
神々に言わせれば、人間が放つ悪臭といったら、100ヨージャナ離れた
ところからでも嗅ぐのはイヤなくらい、たまらない我慢できない臭さだそうです。

それなのに、世の中には「私には神が乗り移っている」とか
「私には神のことばが聞こえる」とかいう人々がいます。
鬼のことばは聞こえたとしても、神のことばを聞くのちょっと無理じゃないでしょうか。
世の中にある「神のことば」を読んでみると、実際には鬼のことばばかりです。
嫉妬、怒り、憎しみにあふれた「殺せ!」というメッセージなのです。

しかし人間が道徳を守って、こころに汚い思考がなくなって、
明るい善の思考がきれいに回転するようになると、
その波動は神々にとってたいへん役に立つのです。
その場合は神々が人間に興味を抱いたりする。
そのときは身体が臭いことは気にしない。
心清らかな人からは、神々も悪臭は感じないそうです。



日月神が言うには「人間は謙虚な上にも謙虚にならないといけない」そうです。

5<諦めてはいけない


スマナサーラ師の教えの中に「諦めてはいけない」という言葉が何度も出てきます。
これ以外にも私が日ごろ思っていることが書いてあったりして、心強い。

厳しいが優しいことが書いてあります。

<危ない霊能者>(2008年3月8日)


或る方からの情報です。
本を出し、テレビにも出ている霊能者のSさん。
正体はヒドい人だそうです。

自分の言うことをきかない人(つまり常識人)に対し、
威張り憎み、呪っているようです。
一見良い人だけど●級霊が憑いてるんでしょうかね。

縁を作らない方がいいですね。