人間のいろいろ 9



<やさしさに包まれたなら>(2008年7月6日)


アニメ「魔女の宅急便」にも使われたユーミンの曲です。
ここをご覧の全ての方に贈ります。



<目指せば良いのだ>(2008年7月5日)


目指せば良いのだと思う。
私が分からずや、特に分からずやの善人に厳しいので、
「if は分からずやが嫌いなんだ。」
「if は分からず屋をバカにしている。」と、思った方、それは勘違いです。

私の周囲には過去から現在まで分からずやが居なかったことはありません。
そしてその分からず屋は家族だったり友人だったりします。
その友人が嫌いかというと、トンデモない、むしろ好きです。
分からず屋でタチの悪い人は私の友人には居ませんが、
分からず屋でタチの良い人が友人には沢山いますよ。

「でも if さんは分からずやを批判しているじゃないか。」
そりゃしますよ。
その分からずやが、自分が分からずやであることを自覚せず、その位置に留まっているので批判します
無意識に(これで良い)と、思っていることに対して、容赦無く批判し鉄槌を振り下します。
これで良いと思ったらいけないからです。



「人間のいろいろ」の過去記事で分からず屋の善人の方が書いた、ブログを取りあげ
容赦なく批判したことがあります。
「人間のいろいろ7」→<一見「善いこと」をする人>(2008年2月3日)の記事。



たまにサイト(ブログ)で、こういうコトを書いてる人を発見します。
「売上の一部または全部を、〜〜に寄付します」と。

こういうコトを書くってことの奇妙さを管理人は知らないのだろう。

イエス・キリスト曰く
「右手がしたことを左手に知らせるな」(だっけ?)
つまり、自分がいかに善いことをしても、それを皆に知らせては
何にもならないのである・・・ってことです。
自分にも知らせるなってことです。

誰がそうだったのか覚えてないが、そういう日記を読むと
感心するどころか、その低級さに私は暗澹となっています。

何故私が暗澹となるのか、そういうサイトの管理人には想像を絶するでしょう。
下から上は分からないからです。
面倒臭いが説明しましょう。



もし、その管理人が寄付やボランティアをしたいなら、黙ってすればいいのです。
何も公にする必要はありません。
黙って誰にも知られず黙々と好きなこと(善いこと)をすれば良い。
それを
「陰徳を積む」と言います。
人に知られず隠れて善行をすることです。
自分の心が満足すれば良いのです。

イエス・キリストが言ったのは
「自分がした良いことを自分にも知らせてはいけない」ということでしょう。
「善いことをした」ってことなど、したら即忘れるが良い。
良いことをして自慢したり、得意になったりするなら「やらない方が良い」


私が応援するのは「お金を得る必要がある人」です。
遊び半分、ボランティア半分、売上は寄付の方を応援する気は全くありません。
そういう方を応援する人を好む人も世の中には沢山いるので、
そちらと縁を繋ぐのがよろしい。

で、私は上記の方が自分で稼いだお金をどのように使おうと
勿論文句は言いません、勝手にやればよろしい。
なので、その方たちが売上を全額寄付しようと家屋敷を売り払って貧民に施そうと
それは私の関知するところではありません。




ここに説明したことが分からない方がいるかもしれない。
私はこれからそういう方を探しだし、申し訳ないがリンクを解除します。
何故そんなヒドイことをするのかって?
理由は上に書いてありますよ。
理解出来なければ理解できるまで読んでください。

それでも分からない?



それは・・・そういう考えがあまりにも
低級で愚劣で汚らわしいからです。




ま、言い過ぎですw
しかし、この管理人さんのような人が多いと思って書きました。
この方には犠牲になっていただきました。

この管理人さんはかなりの善人です。
それは良い。
問題は「自分はそれで良いと無意識に思っている点」なのです。
普通、こういう人には他人は何も言いません。
だって、悪いことをしているワケじゃないし、自分には何ら被害が及ばない。
別にどうだっていい、と思う。

しかし、この管理人さんのように無意識・無自覚で、自分がやることは良いと思っているのはまずいんです。
何も考えずそこに安住してしまう。
その位置にいる。
そのままず=っと居る。
進歩しない。
そこが問題。



「では if さんは分からずやはダメだと言いたいの?」
いいえ違いますよ。

上にも書いた通り、
分からず屋なだけではダメではありません
分からず屋が(私も含めていますよ)分からず屋であることを自覚せず、その場に留まることがダメと言ってます。
分からず屋でもいいんです。
悪いのは変化しないことなのです。

分からず屋がダメ、ということになれば、世の中の99.9%の人がダメ、ということになる。
マットウなのは1000人に一人と神(日月神)が言ってます
(ぎょへ〜私もダメじゃん!)
マットウな生き方を目指しているのなら、今の状態が分からずやでもOKです。
私だってそうだし。
私も勿論分からずやです。

つまり、目標を定める必要がある、ということです。
双眼鏡で敵を発見する。
そこへ徒歩で行く、そんな感じです。
二次元の図で表せば、平面上の一点を定める。
そこを目指して進む、というほどの意味です。
目標は日月神示でもいいし、沖縄の聖人でも良いが、なるべく高波動のものがいい。
高波動のモノに近づくには、自分が高波動にならないと近づけない。
ただ歩きゃあ良いってものではない。
自分の波動を上げないと歩いても歩いても近づけない。


これは努力が要りますが楽しい努力です。
楽しんで進めば良いと思う。


私が問題にしているのは、到達度ではなく、目標を定めないことなのです。
目標が定まっていれば到達度など問題では無い。
「オマエずいぶん遅いなw」などと他人をバカにする人がいたら、その人は目標の設定が間違っているのです。
慢心と取り違えをしているだけです。
ここらへんが理解出来ないなら、その人は分からずやです。
この文章も理解できればいいが、理解出来ないならもっと判断力を上げないとならない。


目標に近づくにはいくら知識を仕入れてもダメで、理解力、思考力、判断力を上げないと。
そして意識レベルを上げないとならない。

下の記事の方達ですが、そういう方達は目標を定めてそこに進む、という地道な作業をせず
自分は波動を上げず、その場(意識レベルの場、という意味)で、異次元のモノと繋がり
喜んだり得意になったりしている人達です。
二次元の図でいえば、平面上を目標まで進むことをせず、その位置のまま「上」の世界につながろうとする、
二次元での進歩を止めた人。
それぞれがその場で自分の波動と同等の「上」のモノと繋がり、会話するw
楽しい。
何より特殊な能力だと思っているのでプライドを満足させられるし、他人が自分を称賛するのが嬉しい。

今は、図式化して説明していますが、二次元の平面上でみれば、そういう人たちはその場に留まって動かない。
自分で「自分は留まっているのだ」と気づかない限り、その場に居続けるでしょう。
それに対して「それではいけない」などと忠告しようものなら、凄まじい勢いで怒ります。
低級霊(その人に相応しい霊)が憑いてますからね。
私は一応そういう人には「それではいけない」と言いますが、いつも凄まじい勢いで感情的になられて
お終いです。
その様子を見ても別に予想通りなので、最近はガッカリもしなくなりましたが、以前は私も怒ってました。
私も進歩しているようです。


さて。
二次元の平面で説明したのですがこれはあくまでも図式化した結果です。
頭に思い描き易いようにしただけです。
実際にそうだというわけではありませんよ。

今度は三次元に図式化してみましょう。
目標となるもの、日月神示や沖縄の聖人を、円錐の頂点に置きます。
日月神示のクニトコタチノミコトは沖縄の聖人の部下や弟子のような関係らしいので、
目標を沖縄の聖人にしますね。
円錐ももっと具体的なモノにしましょう、富士山にします。

富士山の頂上に沖縄の聖人が居るとします。
人類が達することのできる高波動の頂点という意味です。
私達凡人が聖人の波動を目標とするなら富士山を登らなくてはならない。
これは苦労を伴いますね。
現実の富士登山なら、私は疲れるからしたくないです、運動嫌いだし。
でも、これは精神の登山なので、家に居ながら日常的なことをしながら出来ますからね。

山を登る人、登らない人、というのがいます。
山を登る人は目標を定めて自分の波動を上げようと決めた人です。
登らない人は無意識、無自覚に生きている人です。

私が罵ったブログの管理人さんは自覚は無いだろうが、下のケースの人でした。
今は何かを悟ったようで、良かった。
富士登山は常に頂上が見えているわけではない。
麓には樹海などという場所もあり、そこでは自分の感覚だけが頼りです。
「登っているか」「降りているか」という身体の感覚が頼り。
地図もあるが、それを読め無ければ無意味。(自分がどこにいるのか分からないなら無意味)とかね。
話が果てしなく膨らみそうなので、ここらへんで止めておきますが。



要するに何が言いたいかというと。
◇目標を定めよ。
◇到達度は(今のところ)問題では無い。

ということです。

<そんなに特殊な能力が欲しいか>(2008年7月4日)


チャネラーに憧れ、チャネリング出来るようになりたい人がいますね。
いますね、というより多いと思う。
何故そんなに、そのような能力が欲しいのでしょうね。


「本もののスピリチュアル・ヒーラーになるための修行とは」
これを参考にしてください。
これを読んだら、ヒーラーになりたくなくなる人が99%ではないかな。


「ヒーラーなんかになりたかぁないんだよ!チャネラーになりたいんだ!」
という方。

チャネリング能力などというものは、生まれつきの才能です。
チャネラーの友人がいますが、その方は努力してなったのではありません。
本人はそういう能力を持っていても何にもならない、
要らないのに、チャネラーなのです。

「だけどチャネリング出来たら面白そうだし。」

チャネリングで通じる世界は殆どが低層四次元だということです。
つまり、殆どの人、霊能者は低層四次元の存在とチャネリングしているんですよ。
これはまずいです。

何もしなければ低層四次元と通じることは無かったのに、
なまじチャネリング能力があるために、低層四次元と通じてしまう。
その人の魂の質、レベルと同等のものとしか通じることが出来ないので
当然ですね、これが宇宙の法則です。

「私はちゃんとやっているから大丈夫♪」

それが危ない。
本人のレベルと同等なので、自分ではそれを「おかしい」と思うわけがない。


実例はありますよ。

以前私に絵を描いてくれと依頼した人がいました。
で、「戦争中に死んでしまった子供の絵」を描いてくれ、と言うので描きました。
描いていたら紙に水をこぼしてしまった。
それをティッシュで拭いたらそこが白くなったので、これは面白いなと思って
背景全体をティッシュで拭きとってみました。

ところが、絵を送ろうとしたら受け取りません。
「その絵はifさんから出てきたものです。
それはifさんの絵です。」と言って受け取らない。
調べたら、住所も名前もデタラメでした。
どうもこの人に憑いている低級霊がさせたことのようです。
水をこぼして拭き取ったので背景がまだらになっていましたが、
それを良く見ると・・・無数の不成仏霊の集合でした。
(怪談)
この絵をネットで流しおおっぴらにして、自分たちに対しての同情の念を
集める気だったようです。
同情の念のエネルギーを吸収するのだろうか?
戦争で亡くなったという、可哀想な少女の絵なので閲覧者が同情しますね、
その念が欲しかったようです。
この絵は燃やしました。
(オマエに相応しい場所へ逝け!)と、念じつつw
面白かったです。
この人とのやり取りは証拠として保存してあります。
この人はレイキ・ヒーラです。
日常的に天使や女神と会話しているそうです。



もうひとつ。
その人は過去に受けたセッションを切っ掛けとして霊能が開花したようです。
良い人なのでネットで付き合っていましたが、どうも変。
簡単なことがまるでわからないのです。
で、本人は常に自分の身体の不調を訴えている。
それをブログに書く。
すると「善人」が激励のコメントを書き込む。
自分に注目を集めるために画策する。
これも他人から同情の念を集めていたのだと思う。
無意識にね。
そういうことは辞めるよう、忠告しました。
何より本人のためにならないからですが、その言葉を全く理解しません。
そのうち偽名でPANDORAで荒らしをするようになりました。
この人は或る人からのアドバイスで「ifさんがあなたにいろいろ言うのは
あなたに嫉妬しているからです。」という、さらにヒドイ「霊能者」のアドバイスを
聴いたようです。
はああああああ。
申し訳ないが、私は相手が米倉涼子でも嫉妬しません。
嫉妬心はクリアしています。
申し訳ないが私が「×いちで旦那も子供もいない、容貌に恵まれず体重に恵まれた人」
にどうやったら嫉妬できるのか、誰か教えて欲しいです。
この方のようではない、30代で美貌で独身でも旦那と子供が居ても
嫉妬するどころか、応援しているんですよ。
はあああああ・・・
頼む、低級霊よ、どこかよそでやっておくれ、と言いたいです。
この人も低級霊にとり憑かれている人です。
この人に描いた絵にも上の人と同様、低級霊が沢山浮かんでいました。
描いた当時は意味が分からなかったけど、後で分かりました。



また、言葉は丁寧、天使やアセンデッド・マスターと会話していると日記に書いている人
がいます。
この人も残念ながら低級霊に憑かれていました。
何故分かるのだ?
というと、会話すれば分かりますよ。
常識で分かるのです。
この人は異常なまでにプライドが高かった。
勿論間違ったプライドです。
この人も「おいで直し」(日月神示)になるでしょう。
(※おいで直しとは、多分鉱物からやり直すというほどの意味)



また、自分には霊能力がある、と思っている人がいました。
この人はチャネリングで仕事をしている人が妬ましくてしょうがない。
ケチばかりつけていましたが、私は「そういう人なんだろうな」と、放置していました。
ところが、この人は途中から私に対しても変なことを言いだした。
物事を素直に見ず、曲解する、そういうタチの悪さを発揮したのです。
この人には判断力、思考力が殆どないので、説得がきかない。
この人については低級霊が憑いたと思ったので、プロに訊きました。
するとやはり憑いていたようです。
憑いてないのは仕事(翻訳)をしている時だけだそうです。



この人に気をつけた方がいいですよ、と或る人に忠告したら、
「ひとの悪口は言うものではありません。」と返事が来ました。
はあああ・・・・そういう問題では無いのに、と私は腹が立ちましたね。
相手の言うことを聴かず自分の想いだけ(杓子定規)を言ってきたので、
怒ったのですが、この人は何故私が怒るのか理解できなかったようです。
この人もある恩人の悪口を数年間言い続けていたのだ、ということを後で知りました。
(自分は悪ぐちは言うが、他人が忠告のために「気をつけなさい」という言葉には
「ひとの悪口を言うものでは無い」という、ここらへんがワケ分かりません)
私は(ああ、この人は上の人と同波長なのだな)と、理解しました。
他人の言葉を理解するには、その言葉が理解できるほどの波動量(知恵)を
獲得しなくてはならないからです。
(この人は特殊な能力を欲しがる人ではありません)


さて。

このようにチャネリングできるなどと言ってその能力を自慢するレベルにある人は
その程度(低層四次元・低級霊・不成仏霊と同波長)だということです。
私は普通の人がこのような能力を持つことをお勧めしません。
ピラミッド予言でいえば「副葬品室」行きの人生になるだろうからです。




上の事例の方の中には天使や女神と会話している人がいます。
それはあり得ると思うのです。
低層四次元の存在が自分から
「えっと、私は低層四次元から来ました、不成仏霊です。」なんて
言うわけがありません。
天使や女神、アセンデッド・マスターを騙るんですよ。
「天使です。」
「女神です。」
「アセンデッド・マスターです。」
「クワン・インです。」
と。
だから、天使だの女神だのと言ってるからと言ってそのまんま信じるのは
どうかと思いますよ。

チャネリングなどというものに惑わされず、自分の判断力を使い、冷静に
見抜きましょう。
そのためにPANDORAがあります。



上の方達の中には自分の正体(自分が通じている次元、相手)を
私に見抜かれそうになり、手のひらを返した人もいます。
いまだに何が問題なのか分かってない本質が善人の人もいます。
いろいろいます。

<ランタンとつる>(2008年7月3日)


私があまり好きではない店の一つにスターバックスがあります。
理由は「不必要なまでに高い」から。
本家の方は1万2千人の人員削減だそうですね。
日本は大丈夫かな。

ところで、スターバックスに珍しく良いモノが売ってました。
「ランタンとつる」という、アメリカの出版社から出ている、
英語と日本語併記の絵本です(1900円)。
アマゾンでは売ってません。

核廃絶!戦争反対!と、拳を振り上げるのではなく、
淡々と自分に出来ることをする。
日本人の集団がそれをアメリカ人に見せ、
それに感動したアメリカ人が絵本にしました。

人種や国籍が違っていても、波長が合えば理解し合えるのだ、
と思いました。

<シンクロの罠>(2008年7月2日)


シンクロがあるということが、その道を進むことに対して「OK」「YES」のサインであると、
私は過去、書きました。
それは一応合っている。
でも、もっと深く考えてみましょう。


ある人の魂が或る次元にあるとする。
その人が進んで行くと、シンクロが起こる。
それはその人の魂が属する次元でのシンクロなんだそうです。
その人の魂が住んでいる次元内でのOK、YESなのだそうです。

どういうことかと言うと、シンクロはどんな次元においても起こっている、ということです。

高次元(5次元以上)でも。
低次元(4次元=幽界)でも。
どんな次元でも起こり得る。

なので、シンクロが起きているから、自分はこれで良いのだ、正しい道なのだ、と
思うのは早い。というか、まずい。


実は或る人を観察していて、おかしいと思ったのです。
その人は明らかに変なモノと会話している。
言ってることがおかしい。
話に整合性が無い。
物事が分からない。
気が利かない。

でも、その人は「自分にシンクロが起きているのだから、天使が導いてくれている。」と
思っていました。
私は(あり得ない)と、思っていました。

それから一年以上経ち、「シンクロは高次元と限定しなくても、どのような次元内においても
起こる」という一文を読み、納得したのです。
(※その人には何度も説得しましたが、私の言葉を理解しないようでした)

私達の進む道にシンクロが起こる。
その道を進めと言っているかのようです。
でも、やはりその時、最低限の思考力、判断力が無いと道を誤ります。
シンクロに踊らされず、自分をしっかり保ちましょう。

喜んで幽界と繋がりたくないですからね。

<他人のことはよく見える>(2008年7月2日)


この場合の「よく」とは「善い」という意味ではありません。
簡単に見える、見え易い、という意味です。

今まで物事が殆ど分からず生きて来た人が、相似象を初めとして
分かり方を分かるようになると、少しづつ物事が分かってくる。
すると、周囲の分からずやのことが見えてきます。
或る人などは
「今まで何も見えて無かったってことが分かった。」と言いましたが
本当に魔法をかけたように見えてきます。

すると他人に対して批判が始まる。
まぁ、見えちゃうのでね、正直な方ならそうなりますね。
他人のことはよく見えるのです。

で、散々他人のことが見えた後、やっと自分のことが少しは見えるようになります。
◇他人のことは何の苦労もなく、すぐ見える
◇自分のことはなかなか見えないし、見る時は通常凄まじい苦痛を伴う

これがタチの良い善人の中でも素質に恵まれた方です。
その他の人はどうやっても「自分のことが見えません」。


このコトについて記事を書こうと思っていたら、「GAIA」(リンク1)のまはるださんが
記事にしていました。
そこへリンクを貼りますからご覧ください。
「つぶやき」 http://www.geocities.jp/gaia_image_art/tsubuyakiflame.html の
sunny side→<「わかる」の向こう>(2008年6月28日)



物事が分からない人を分からず屋と言いますが、
物事が多少分かっても、他人のことしか見えず、自分のことは見えない人は
分からず屋です。
そのレベルの人は何も分からない人と同じなのです。

◇物事が殆ど分からない人
◇物事は、他人のことなら分かるが自分のことが分からない人
◇物事が分かり、自分のことも分かる

上のケースで言うと、一番上と二番目が「同じ」で、一番下が質が違うのです。
%で言えば
◇80%(日月神示ではこのレベルの人を獣と言います)
◇19%


◇1%(日月神示ではこのレベルの人が神の御用出来ると言います)

くらいだと思います。
だから他人のことがよく見えてきたくらいでは、分かる人とは言わない。
(少なくとも私は)
多くの人はここで勘違いをしていると思うので、書いておきますね。

だから、相似象では1%(素質的には7%)の人のことを「少数者」と言います。
ちなみに私は1%の人の周囲をうろうろしている人です。
少数者ではなく、素質も無いが、行動は出来るタイプ。
(アワ量の多い低次のサヌキ人間)
素質は無いが「分かりたい」「向上したい」という思いがある人。


でも少数者でなくても努力すれば近い場所(レベル的に)には行ける。
だから諦めてはいけないのだ、と思います。

たとえば沖縄の聖人のS師のようにはなれないなぁ、、、と思う。
でも、一歩でも近づきたいと思うことが大事なのでは?

<人間らしく生きるための十法>(2008年6月29日)

S氏の「人間らしく生きるための十法」の、
「目に見える部分の五法(陽)」の中の三項目に記されてます。


三、
子育てをしましょう
人を育てることは、あらゆるものを育てるということを学びましょう。
人間は子育てしながら、子供に育てられるものです。
特に忍耐力(平和につながる力)を養うことができます。
子供を持たなければ、人生の三分の一を知らずに終わってしまいます
親になって初めて親の心を知ることが出来ます。

二、
結婚しましょう
社会における最小単位、他者との関わりのもっとも基本型。
夫婦で協力できない心は社会においてもゆがみをもたらすでしょう。
陰陽和合の道を知り、男女の愛のコミュニケーションを学びましょう。
結婚しないと、人生の半分はわからないのです
(自分が親でいらっしゃる方は、成人した子供たちに、
結婚とはどのようなものであるかを伝えることも大切です)

<気を使う人/たとえば二人の課長>


人間を見ていると、(あ〜〜〜あ)と思うことが多々あります。
たとえば、会社を想定します。
仕事は山のようにあるが、もうキリが無いので仕事は止めたい。
でも、職場で一番上の上司が仕事を止めない。
なので、社員も止めづらい。


課長Aが言います。
「後はオレがやるからみんな、帰っていいよ。」と。
しかし、そう言われて
「そうすかぁ?んじゃ!」と、言って帰るのは帰りづらい。
しかしこの課長は何度も何度も
「オレがやっとくから、君たちは帰れ。」と、部下に強要する。
社員達はこの働き者の上司に気がねしつつ、遠慮しつつ帰宅します。
この上司は(このオレさえ、犠牲になればいいんだ。
可愛い部下のために)と、思っているフシがある。
いや、そういう人だから自分一人で仕事を背負い込み犠牲になり
満足しているのでしょう。

さて、もう一人の課長Bはこう言います。
「あ〜〜あ、嫌んなっちゃったなぁ!
もうキリが無いからオレ、帰るわ。
みんな仕事は止めて続きは明日にしよう、今日はご苦労さん!
ほら、帰った帰った。」
と言ってサッサと帰り仕度を始めます。
部下達は誰にも気兼ねせず、課長の怠け心に感謝しつつ帰宅します。

とかね。

私はこういう会社勤めの経験が無いので、想像ですがね。
こういう場合、というのを想定してみました。


で、私が何を言いたいかというと・・・

自分は良いことをしたい。
皆のためを思っている。
なので、責任や苦労を一人で背負いこんでいる。
皆のためだ、と思っている人は何も見えていない、自己中である、ということです。

こういう善人が多いです。
善人でもいいんですよ。
でも、このレベルではいけない、ということを何度も私は書くわけですよ。
PANDORAは善人のために書かれていますからね。
悪人(タチの悪い人など)のためには書かれていません。


善人のレベルが低いと自分の気持ちだけで考え、行動する。
なので、その結果周囲に気を遣わせていることに気づかない。
大変、低次です。
自己満足です。
課長Aのようなレベルの人は多い。
そのレベルの人が多いからです。
(たしかに、自分のことしか考えない、
 もっと下のレベルの人達がいることもたしか。
 で、善人にはそういう、自分より下のレベルのことは見えるので、
 あれに比べたらオレの方が、私の方がずっと良いと思っている)

こういう善人にとっては「部下を差し置いて自分だけでサッサと帰宅すること」
は、とてもヒドイことに思えている。

実際、このような課長は少ないと思います。
こういう人は本当なら課長にはなれないからね。
(でも、間違ってなっちゃっているケースあるかも)
(いや、普通にあるかも)


主婦の中でも、何を見ても聞いても学習しない人は課長Aのようになってますね。
子供を登校拒否にするような分からず屋の主婦に、コレが見られます。
本人には自覚無し。
意識の上では「とても良いことをしている」と思っている。
まさか、それが「物事を知らず分からない結果であり、トンデモない勘違いである」
と、分からない。
だから自分で自己犠牲をして、満足するわけです。
周囲の人の思惑など考えません。
何故ならこういう人は無意識に
「自分がやる良いことは周囲の人も良いと思っている」と、思っている
のです。
無意識にね。
だから、言語化していませんよ。
そこまで精神が達していないのです。

子供が登校を拒否ったら学校や友人のせいにしてはいけない。
何故なら学校が原因なら、そのクラスの子供は全員登校出来ないからです。
なのに、クラスのほとんどの子供は登校出来ている。
ということは原因は学校にはなく、拒否ってる本人にある。
というとても簡単なコトすら理解出来ないレベルの人がいて、
勿論その人の子供は登校を拒否ってます。
「先生が悪い」
「◎◎ちゃんが悪い」
と、勝手に原因を特定する。

真の原因はそういう分からずやの母親にある。
(※父親はどうなんだ?と思った方。
   父親はほとんど全員、問題なんですよ。
   つまり、子育てには向いてない。
   だって、役目が違いますからね。
   父親は居てくれればいい、みたいな感じ。
   何もしなくていいんです、居てくれれば。
   母が安心して子育てが出来るよう、父親は居てくれるといいです)


普通の主婦は課長Bのようなレベルになっています。
子育てしていたらこのレベルにならざるを得ないのです。
だから、通常子供は登校を拒否らないし、普通に育っています。
(※この場合の普通とは「普通に言う普通」です。
  特殊な考え方による「普通」ではありません。
  日常的な会話に出て来る「普通」です)


課長Bの場合。
こういうケースの方が多いと思うけど、どうでしょうね?
「オレが帰り支度を先にしたら、部下に申し訳ない」なんて思う奴、
つまり課長Aの方が課長だったらその会社が危ないですね。
その会社の人事部に人を見る目の無い奴が居座っていることになるので、
これはまずいです。

課長Bは部下が帰り易いように、率先して帰り仕度をしてあげる。
自分は、「怠け者の課長」と部下の中の分からず屋からバカにされても構わない。
だって、そういうバカにいくら説明しても、理解出来ないので、
そういう部下は仕事で鍛えて少しはモノの分かる人間にすれば良い、
と思っているか居ないか分からないが、とにかくこの場はオレが帰らないと
部下は帰れないのだ、と分かっている。
だから実行します。
可愛い部下のためにね。

これはあくまでもモデルとして想定したものです。


「(神とともに)真心」
という本にS師の言葉としてありました。


「ひとに気を使うより、ひとに気を使わせないことを考えた方が良い。」
みたいな言葉がありました。(ウロ覚え)
本当にその通りです。

S師が言う言葉は当たり前のことばかり。
それを最小限の言葉数で言えることが凄いです。
タダものでは無い。
だって神だし。
何でも宇宙の根源の神から遣わされた光の元の神が人間の身体に入った。
S師には霊感は無いので、このことはそばにいた霊能者が教えられたもの。
S師の意識としては「タダの人間」だそうです。



さて、このように人には見えているモノが違います。
下の次元(課長A)からは上の次元(課長B)の「心が見えない」のです。
で、この課長が隣同志の部署だとする。

課長Aの部下は課長Aとともにいつまでも残業する。
課長Bの部下は課長Bとともにサッサと帰宅する。

課長Aは思います。
(あ〜〜〜あ、Bさんもしょうがないなぁ。
 あれじゃあ出世出来ないぞ。
 あんなに仕事嫌いじゃダメだな。
 仕方無い、このオレが会社のために彼の分まで働いてやるさ。)

こういうひとには何をどう説明しても無駄かな、と思います。

この人がいずれ窓際族になった時、聴く耳を持てばよいな、と思います。

<次元とは何か>
(2008年6月29日)


下の次元から上の次元は見えない、
という物理を説明した本を紹介します。

図が多く分かり易い。
素人にも楽しめる。
お勧めします。

<事例>(2008年6月29日)


上の上の記事<気を使う人/たとえば二人の課長>に関連して。
このような状態に陥っていた実例があるのです。
その人は

「みんなお喋りばかりしてちっとも真面目に仕事をしない。
働いているのはオレだけだ。
毎日残業して土日も一人で出勤して頑張っているのだ。
あの上司は大昔、オレの部下だった。
調子がいいだけの野郎だ。
何であんな野郎が出世したんだ?
仕事振りだって、いい加減じゃないか。
このオレの方がよっぽど働いている。
なのに何でこのオレが今、奴の部下なんだ?
みんなお喋りばかりしていて、ちっとも一生懸命やってない。
この職場は怠け者ばかりだ。
それは奴(上司)が怠け者だから、みんな真似してたるんでるんだ。
働いているのはオレだけだ。
なんで皆、このオレを見習わないのだ?
この職場で仕事をしているのはオレだけなんだよ。
みんな分かれよ!」


とうとうこの人は肝臓ガンになりました。

こういう人にはどんな説得も無駄ですかね・・・
言ってみればこの人は長生きしない方が幸せでした。
何故なら生きていてもちっとも楽しくないからです。
気の毒ですが、寿命が延びれば延びるほどつらく、苦しいだけなのです。



この人は上司が何故出世したのか、理由を考えれば良かった。
それなのに考えない。
自分の考えだけに拘っている。
いくら見ても見えないのです。

見える人には、たとえば初めてその職場に来た外部の人でも
一瞬で見えるものです。
(何だこのおっさんは!)
(うへえ・・・)
(こりゃ上司の◎◎さんも大変だなぁ)
とね。

なのに、この人は毎日この職場に通っていながら、何も見えない。
分からないのはこのおっさんだけ。
この人は
自分の考えを変えず、常に自分に分かる範囲で考えている。
今までもこれからも。

でもそれじゃあダメなんですよ。
今、この人に求められているのは、自分の思考の範囲を超えたものを
感受し、理解する能力なんです。
本人に分かっているレベルのことなど、誰も求めていないのです。
本人にそれが分からないので、周囲が困っているんですよ。

この人は周囲の人間が自分を持てあましていることなど感受出来ません。


自分の思考の範囲を超えたものを感受し、理解する能力を獲得すること。


それが出来る人と出来ない人がいます。
今、人類が二極化していると言われていますが、
その二極化とは実はコレだと思っています。
自分の理解を超えたものを感受し、分かって行けるかいけないか、
それだけです。

と、こう書いても分からない人には何のことだかさっぱり分からないだろうが、
分かる人にはそれこそ「当り前」のように分かるんですよ。

だって日々、そういうコト(周囲の分からずや、困ったさん)を
見て、どうしたものか、と悩んでいるからです。

<事例を読んで>(2008年6月30日)


「人間のいろいろ9」の〈気を使う人〉の
<事例>(2008年6月29日)を読みました。
最近同じようなことを考えていたのでシンクロでした。
モヤモヤしていた事をifさんがわかりやすくまとめて下さっていました。
まさに一緒に採用された人のことと同じだったからです。


彼女はあれから逆ギレすることはありませんが
相変わらず他の人と上手にコミュニケーションを取ることはできず
彼女が質問したらしたで、質問の意図がわかりにくく、
わかっていないのに「知っています!」と言い返したり
なかなかうまくいきません。
じゃあなんで質問したの?みたいな感じで、それを繰り返した後、
最後に大事なことを全然わかっていない部分が顕わになり
お決まりのごとく厳しく注意されたのでした。

そういう女ってどこにでもいますね。
私が以前勤めていたところにも居ましたよ。


仕事の面でも、
全体の流れを把握しながら自分は今どこに集中すべきか判らないようで、
キョロキョロ落ち着き無い動きをいつもしています。

何も分かってないんでしょうね。
そういうのを相似象では「ジタバタ運動」と言います。
低次のサヌキ人間がする、行動をそう名づけています。


(本人は良かれと思っているのかもしれませんが・・・。)
入ったばかりの時ならいざ知らず、2ヶ月も過ぎてきて
仕事内容もそこまで複雑でないのになかなか理解が深まりません。

思考力・理解力・判断力が無いんですね。

しかし、やはり彼女は自分自身に非が無いと思っているようでもあります。
『だってできないんだもん。お互い助け合っていくのが大切でしょ。』みたいに
うまくできない自分を周りの人がサポートするのが当然というような
意識もあるようです。

そういう女、いましたよ。
大変でした。


一事が万事こんなふうで、ifさんが書かれてあったように
自分の考えに拘って、なかなか向上していきませんねー。

仕事上・・・例えば、他の人が置いてスタンバイさせているものが
何故そこに置いてあって、その置き方をしていて・・・というのも
彼女からすると意味がわからず、
彼女に任せるといつも違うやり方になっています。
それぞれの動き一つ一つに意味があることがわからないし、
意味を見出そうと努力していないんだと思いました。

その人にはそういう視点が無いんですね。
何を見ても何も感じず分からない。


こんな彼女は現在私と同じ試用期間ですが、もうすぐそれも終わります。
経営側としては、彼女の本採用を切りたいらしいのですが
それを通達したらまた逆ギレして「不当解雇された!!」と
言いふらすのがオチだろうから、なんとか自分から辞めると言って欲しい、
それまでは他の皆さんに我慢して欲しいと頭を抱えているとのことです。

そりゃ困りましたね。

肝臓ガンになった人もそうですが、
彼女も同じようにifさんの仰った
「自分の理解を超えたものを感受し、分かって行けるかいけないか、」が、
難しいのだろうなと思いました。
たぶん彼女が自分の考えや感情に拘っているからなんでしょうね。
アドバイスも全然ピントはずれに受け取るしで・・・。
でも、なんでここまでわからないのかがわかりません。
それが一番不思議ですね。

これからの時代は、判らない人はますます判らなくなって行くんですかね。
判らない人の前には、まるで壁ができているように感じてしまいます。
それも自分で作った壁なんでしょうけど。
でも、わかってくれるといいのにな〜。


分からず屋の周囲の人は大変苦労します。
その人が自分からこの職場を辞めるよう仕向けたいですね。
「あなたほど仕事が出来る人がこんなところにいるなんて勿体ない。
もっと良い仕事があるはずよ〜。」と、吹き込みましょうw

<仕事でインナー・チャイルドを癒した人>(2008年6月29日)


映画「西の魔女が死んだ」に祖母役で出演している、サチ・パーカーさん。
(本名サチコ・パーカー)
名前が日本人のようだな、と思ったら、母親がシャーリー・マクレーンでした。
シャーリーは顔立ちも日本風ですが、若い頃は日本贔屓でした。
(シャーリーは前世日本人なのです。たしか芸者だったと思う)
それで生まれた娘にサチと名付けた。
しかし、映画の仕事で忙しいシャーリーは滅多に娘に会えなかった。
サチさんは父親と、2歳から12歳まで日本で暮らしていたそうです。

で、サチさんの周囲には母親も祖母もいなかったので、寂しかったそうです。
女の子には女の血縁者が必要ですからね。
男にも男の血縁者が必要です。
モデルにしたり、相談相手にしたりするために。


サチさんは、この映画に出演したことで、当時の自分を癒せたそうです。
当時、寂しかった、ということを思い出せたらしい。
そして、こうだったらいいな、という自分の理想を自分で演じることが出来た。
これを語りながらサチさんは泣いていました。
二人子供がいる大人のサチさんですが、心の中の子供には年齢は関係ない。
一生その子供が心の中にいる。
その子供が悲しんだり寂しがったりしていれば、生涯祟りますね。

自分で気づかない場合は、自分の子供に影響します。
(或るカウンセラーによれば、秋葉原の通り魔の母親が、自分が傷ついていて
 自分の母親に認められなかったので、自分の子供を他人から認められる 
 優秀な子供にしようとしたらしい)

子育ての問題は三代目に出ます
周囲を見れば分かります。

サチさんに「登校拒否中学生の母親役」が来たのは、天の恵みと言いましょうか
天の配剤と申しましょうか、不思議な巡り合わせですね。

<火災報知機をつけた>(2008年6月27日)


今日、パソコンでお世話になってる電気屋さんに来てもらって火災報知機をつけてもらいました。
5月から家には火災報知機をつけなくてはならないことになったそうですね。
我が家では台所が火事になったら、他の部屋(寝室2部屋と廊下)でも警報が鳴るタイプにしました。
この4つの機械は連動していて、どの部屋から火が出ても他の部屋で警報が鳴るタイプ。
しかも、アラーム音の次に「カンカンカーン」と、昔の消防車の音がして「火災が発生しました」と声が出る。
あ、台所のは熱感知で他の部屋は煙感知にしました。
なかなか優れもので、満足しています。
付けて良かったと思います。

が、本当はこんなモノ必要無いと思いますよ。
でも、これを付けてないといざ火災になった場合、保険金の額が違って来るのだそうです。
保険屋が
「え?おたく、ついてなかったんですか?んじゃ、全額は払えませんなぁ。
だって、条例違反だもんねぇ。」と言うそうです。(想像です)

役所は決まりを作るのが好きですね。
そんなに決まりを作るのが好きなら、自分達が変なことや妙なことをした場合には
極刑になるという決まりをまず、作るべきですね。
極刑の中身は日本の江戸時代、或いは2000年前のイスラエルの方法でいいです。
あ、中世ヨーロッパ魔女狩りの時代も参考になりますかね。

とは言え。
警報機はつけて良かったですよ。
これで保険金も満額入るでしょう・・・その前に火事になったら嫌でしたね。



電気屋さんは家電製品について、大変詳しい(当り前)。
サイトのブログ「でんきの修理やさんのひとりごと」には家電製品のためになる情報が書かれています。
参考にしてください。

<沖縄の聖人の言葉>(2008年6月26日)


価値

我々は形ある社会の中で
人の価値をややもすると
家柄(血筋)や学歴、職歴、地位、財産やらで量りがちですが
本当の価値は心にあるのです
心にも段階があるのです
代議士のなかにも、学校の先生のなかにも
心の幼い人々がたくさんいます
学歴がなくても、地位が高くなくても、財産がなくても
心の次元の高いひとがいます
わかるひとにはその心が見えるのです
神が一番大切にされるのは
その心の在り方です


「目覚め」という本にあった言葉です。
ピンク色の部分の文章と同じことはPANDORAでも何度も何度も書いて来ました。
これは当たり前のことなのですが、
この言葉をよおおおおおく知っていても、
意味が良く分からない人がいます。

常々このようなことを言っている人が、それとは反対の事象で
得意になったりしていたり、他人の言葉の意味が理解出来なかったり
しているのを見るとガッカリします。
私にはその人の「分からなさ」が見えて(ああ、分からないんだな)と
思います。

言葉は知っている、意味は簡単だ。

でも、その意味するところを分かるには心が無いと難しい。
心が幼いと、他人の言葉や行動の意味が理解できないのです。
頭(の先)の良い人は「なんだ当り前じゃないか。」と、すぐ分かった気になる。
なのに、その人は何も分かってない、ということが普通にあります。

簡単で当り前のことを分かるのは一番難しい。

<境地は説明出来ない>(2008年6月25日)


境地を説明することは不可能です。
何故なら、その境地に無い人、達してない人には、その境地は未知だからです。


たとえば寄付することがどうしても出来ない人がいます。
嫌で嫌でしょうがない、損したような気になる、勿体ない、その金があったら
自分のために使いたい、とする。
そういう人は「喜んで寄付する人の境地」が理解できない。

たとえばすぐ心に差別心が浮かんでしまう人がいる。
人種、性別、年齢、住んでいる地域、所得、学歴などで差別心が浮かんでしまう人。
そういうひとに「差別心が起こらない人の境地」は想像出来ない。
自分が差別するので差別しない人を見ても、それが分からず、
(きっと差別しているのだろう)と、邪推します。
そうでは無いんだよ、と説明しても、それが理解出来ない。
差別しない人の境地が想像出来ないのです、未知だから。

たとえばその程度のコトで怒る人がいる。
その程度では怒らない人もいる。
その程度で怒る人には、その程度で怒らない人の心が分からない。
なので、「きっと怒っているのだろう」と邪推する。
怒らない人は「その程度のこと」に笑っているかもしれないのに、
自分を中心にして、その可能性を考えない、想像の範囲外である。

たとえば疑心暗鬼になる人がいる。
そういう人には疑心暗鬼にならない人のことも、きっと疑心暗鬼になっていると
勝手に想像する、邪推する。
疑心暗鬼になる人には疑心暗鬼にならない人の境地が想像出来ない。



この他にも全ての点で言えます。
その境地に達してない人には想像を絶する場所、それが境地です。
つまり、意識レベルのことです。

<相思相愛になる石鹸?>(2008年6月22日)


「momosmansion」(リンク3)で販売している
ローズクォーツの石鹸は、ローズクォーツのエッセンスが入っていて

・あなたにぴったりの人と相思相愛になる  
・ハートをオープンにする  
・自分と向き合うこと、
 そしてパートナーと向き合うことを応援してくれます。  
・女性的な魅力を高める。  
・恋愛体質になる。  
・自分を愛し、そして愛されることを認めます。

そうです。
見た目も可愛いです。

他にもいろいろあります。
http://lohaslotus.cart.fc2.com/?ca=1

<ガキ大将スクール>(2008年6月24日)
(「日常の異次元U」にも同じ記事があります)


Mさんが主宰するガキ大将スクールに小学生は参加すると良いと思います。
身も心も逞しくなります。
家に居られることがどれだけ有難いことか、身体で思い知ります。
ウチの子は全員ここにブチ込んでやりました。
一回目=長女と次女
二回目=次女と長男
三回目=長男と二男
中の二人が二度参加する羽目に・・・・


ウチの子供たちは参加すると「二度と行きたくない。」と言いますが、
数年経つとまた行きたくなるようです。
今は上野村では開催していないようですね。


Mさんは元自衛隊員。
サバイバルの達人で、とても優しく度胸のある人です。
このような子供向けの合宿スクールは日本中にありますが、
そのリーダーが口を揃えて言うには
「ウチではとてもそんなことは出来ません!やったら死人が出ます!」
だそうです。



なお、ここでは子供には一切口出ししません。
最初に子供達にナイフ(たしか肥後の守という名前)
を一本づつ支給し、これで生き抜くよう言います。
あとは生き抜くための情報伝達。
それだけ。
子供達が不真面目面白半分おふざけでナイフを扱うと
怪我をしますが、怪我をするまで放っておきます。
怪我をしても「ほおら、だから言ったろ。」とは言いません。
リーダー(学生)はニコニコしています。
ナイフの怖さを身体で覚えてもらうためです。
ここでは怪我をしたら「良かったね♪」と言います。

ウチの次女も二度目の参加の時、手の平をざっくり切り、
車で診療所に運ばれたそうで、その日の夜主宰のMさんから嬉しそうに
電話がかかってきました。
「おたくの小子ちゃんが手の平をざっくり切りまして、×針縫いました♪」
「・・・・・・・・(心中複雑)・・・・・・・。」

一夏でオキシドール数十リットル、カットバン数百枚消費するそうです。
重篤な場合は麓の診療所まで車で運んでくれます。


食事は子供が作りますが、アルバイト学生は何も言わず、せず
黙って見ているだけです。
で、食事が作れないとその班は何も食べられません。
空腹のまま寝ることになります。
アルバイト学生はそれでも子供と一緒に我慢します。

(※学生アルバイトはこのスクールの経験者です。
   そうではない人には出来ないということがだんだん分かってきたので
   今は経験者しか採用していません)


風呂も子供が沸かします。
火がつかないと食事も出来ず風呂にも入れない。

「それをするな。」という禁止事項がありません。
何も言わない、見てるだけ。
何をして遊ぶか、というのも子供が決めます。
子供達は初対面なので、覚えやすいようあだ名をつけます。
そして皆であだ名で呼び合います。

30日間コースというのが以前あったようです。
一人で山で30日間生き抜くコースです。
テントも明かりも無い真っ暗な山奥で。
小学生がw
これは今は辞めたようですが・・・

まぁ、Mさんは凄い。
奇跡は
「今まで死者が一人も出ていないこと」です。
普通なら誰か死にます。
私は絶対見えない存在がMさんを初め子供たちを守っているのだと思っています。

人間が本気、真剣になると神が手伝うのだそうです。


子供は日本中から参加しています。
京浜地区が多いかな。
不登校児も多い。
中には自分で小遣いを溜めて参加する不登校児もいるそうです。

上野村の川の水は大変澄んでいて水道水と比べモノにならないくらい美味しい。
で、川の水をそのまま飲むのですが、親の中には
「川の水を飲ませるとは何事だ!」と、クレームつけるのがいるそうです。
そういう親は上野村の川を見たこともなく、
自分達が住んでいる都会のドブのような川を想像して怒るらしい。
そういう親だから子供がおかしくなる。

Mさんは親には大変苦労している。
でも、親の中には意識が高い人も勿論いて
自分の子供が1週間の合宿で真っ黒に汚れて
東京の駅に帰って来たのを見た時は、泣いたそうです。
子供の汚れ方は尋常ではなく、周囲の人が怖そうに遠巻きにしていた。
(何!この浮浪児!)みたいな視線を感じる。
穢いものでも見るかのような嫌な顔。
実際汚いんだけど。
子供の身体は凄まじく汚れているが、目はキラキラしていて
大都会のシティ・ボーイがすっかり野生児になっていたので
こんな目は見たことが無い、
ここまでになるにはどんな体験をしたのだろう、と泣いたそうです。
勿論嬉しくて。

ウチの倅も保育園児の頃参加しましたが、真夏に一度もお風呂に入らなかったらしく
おねしょもしていたのに着替えもしなかったので、凄まじい臭気を発していました。
いや〜凄かったです。

人間と思えませんでした。


Mさんは講演もします。
喋るのは苦手みたいですが、とても良いことを言いますよ。
理論理屈だけの子育て論をする人もいますが、Mさんのはそうではなく
本気で実践している体験者の言葉なので、大変感銘を受けます。

<使命を知るには>(2008年6月23日)


自分の使命を知りたい、という方が大変多いです。
私は好きなことをやれば良い、と思います。
すると、「好きなこと、やりたいことが分からない」と言うのです。
だったら「分からないならそれをしなければ良い。」のです。
ていうか、分からないんだから、やりようが無いですね。

何か間違ってますか?

今、したいことが無いなら、「しなくてはならないこと」をすれば良いのではないでしょうか?
とても単純な話だと思います。

でも、使命を知りたい人は今しなくてはならないこと(主婦業・学業・仕事など)
は適当にしておいて
本当はあるはずだと思っている「自分がやるべきこと」を探しているのです。
でも「自分がやるべきこと」は今、自分がしなくてはならないことなのではないか。

何かがおかしい。

目の前にあることを見ないで、見えないことや自分にも分からないことを探しているのは
おかしいです。

違いますか?


また、自分に特別な使命があると思っている人がいる。
そういう意味の使命もあると思います。
でも、そういう意味の使命は「世のため人のため」にすることですよね。
しかし、自分に特別な使命があると思っている人は、その使命を
世のため人のためにしようとは思ってない人が殆どではないか。
では何のためにやろうとしているのだ?と考えれば「自分のため」ですね。

自分のために使命を探している。
特別な使命を果たす自分が好きだ。
自分の心を満足させるために特別な使命を探すのだ。
私は特別な使命を果たすために生まれて来た(に、違い無い)。
とか。
そう思っている人がいる。

しかし、世のため人のためにする使命なのだから、自分のために探していたら
見つかるわけがありません。
矛盾していますね。
だから見つからない。


また、特別な使命があるとしてもそれをすることが本人にとって苦手だったり
苦痛だったりすれば、もし、使命が見つかったらどういうことになるでしょう?
嫌で嫌で、苦痛で苦痛でしょうがないのでは?
たとえば私の使命を考えたら「料理をすることである」と答えが出たとする。
「げええっ!!!」となります。
「ざけんな!」と言いたくなります。
誰に言うのか分からないけど。

だから
私は使命が見つからないという人には「好きなことをすれば?」と答えています。
すると、「好きなことが無い」と返事が来る。
最初に戻ってしまいましたね。
堂々巡りです。


使命を果たしたければ

自分の好きなことをすれば良い
  それを真剣にやってみる。
  真剣さの度合によって魂が磨かれる。
  
◆世のため人のための使命を知りたい場合。
  まずは
「自分が自分が」という「我」を除く
  そして世のため人のために何か自分に出来ることはないか、
  という心の姿勢になってから探す。
  勿論世のため人のための仕事だとしても、それを好きでないことにはやれません。  


私のように好きなことだけをしていても罪悪感を感じないタイプの人間には
好きなことがすぐ見つかる。
誰に認められようとか思いません。
有名になろうとか尊敬されようとか思わない。
評価は自分で下してますからね。
どんな人の意見よりも「自分の意見」を優先させています。
あ、日月神は別格です。
第一彼は人じゃないし。

周囲の思惑そっちのけでひたすら「自分の楽しいこと」を追及します。
ということは心の自立も必要ですかね。

また私は世のため人のため、と大上段に構えることはありませんが、
心の姿勢が既に「世のため人のためモード」になっているので
自分の好きなことをすることと、人のためになることとの矛盾が生じません。
人のためになることが好きなことなんですよw

やはり境地が問題ですかね。
それほど高くは無いが低くも無いという境地です。


使命を知りたい人のために、有効な祈りの言葉を「資料室」に掲載してあります。
PANDORAを隅から隅まで読むとだんだん自分が分かって来るはずです。

<クルマ考・・・独断と偏見>(2008年6月21日)


「独断と偏見」はいつもですが、読むと腹が立つ恐れがありますのでご注意。
3月に車を買ってから、道路を走る車に目が行く私です。
普通は買う前に他の車が気になると思うのですが、
急に買ったので、買ってから車種が気になっています。

それで気づいたことがある。

ろくな車が無い・・・


車メーカーの方達の苦労を思うと、こういうことは言いたくないが、
車の質がどんどん堕ちていると思います。
あ、私が言うのはあくまでも外観です。

私が今、(おお!名車だ!)と思うのは「日産マ一チ」なのです。
その理由は
◆コンパクト=買い物に便利、駐車場に止め易い
◆デザインがシンプル
ですね。
私はこの車に乗ったことが無いので、乗り心地は知らないが。

私が乗っていたカローラUがそりゃ「世界一」素晴らしいデザイン&機能の車ですが、
この車種はあまり見かけません。
何でこんな良い車をT0Y0TAが生産打ち切ったのかな、と思います。


日産マ一チには新型車がありますが、これはヒドイ。
VWの真似をしたような外観。
(※VWの新型もヒドい)
大変ダサイ。
(乗ってる方ゴメンなさいね)

実は日産マ一チも、当時は私はダサイと思っていましたが、
新型車のダサさには負けるので、前のデザインがずっと良かったと思います。
コンパクト・カーとしてなら旧型の方がずっと便利です。
なのに何故このような中途半端なデザインにしたのでしょう?

他のメーカーの車も皆車体が大きくなっています。
カローラUが出た当時のT0Y0TAのコンパクト・カー、
ターセル・コルサ、その前からあったスターレットなどは
皆、コンパクトな車体でシンプルなデザインだったのに、途中から
「不必要なまでに大きく、コケおどしのような、不要なデザインでしかも格好悪い」
車が日産からもT0Y0TAからも他からも(?)出たような気がします。

一時期カンガルーが居ない日本の国に、何故か「カンガルー除け」なるもの
が大袈裟に憑いた4WDの車があっちからもこっちからも発売されました。
いったい、何を避けようというのだろうか?
北海道ならヒグマや鹿を避けるのに必要かとは思うが、
本州以南には必要ありませんね。
この時私は車メーカーは発狂したのかと本気で思いました。
今は、その愚を悟ったのかカンガルー除けが付いた車は販売されてませんが。

思うに「売るために他社の車より大きく、ゴージャス感を出そうとした」結果ではないか。

しかし、コンパクトカーの当初の目的は「コンパクト」なのです。
(と、私は思うのです)
それをゴージャスにしてどうしようと言うのでしょう?

実はBELTAも気に入らない。
車体が大き過ぎるからです。
二周りは小さい方が良い。
だって、「買い物」にしか使わないからですよ。


だったら、軽に乗れ、と言われそうですが、軽のエンジン音には耐えられません。
良いのは駐車が楽で税金安いことだけ。
そのためにうるさいエンジン音を我慢するのは嫌なのと、やはり道路で怖い。
大きな車の隣になると怖いですね。

カローラUに13年乗ることになったのは「乗りたい車が無い」からです。
それほど今道路を走っている車には魅力を感じません。


どんなに高くても人気があっても、私から見ればつまらない車です。
これならBELTAの方がまだ良い。
本当はカローラUに乗りたいが、生産中止してから年数が経ち、あったとしても
古くて乗れないでしょうね。

その点、日産マ一チは健闘しています。
まだ沢山走っています。
オーナーの方は金が無いので、新しい車を買えないのでは無いと思う。
旧型日産マーチが良くて、新しい車にはろくなのが無いので、
買い替える気がしないのだと思います。
オーナーの方は旧型マ一チが好きなのだな、と微笑ましく思います。


多分車はどんどん売れなくなるでしょう。
売れるのは電気自動車ですかね。ガソン代がかからないし、
一度の充電で7時間走るらしい。モノ凄く燃費が良いそうです。



車メーカーが良い車を作れなくなった。多分これからも売れないだろう。

◆車作りに心が無いので。
  目先の目新しさを追及した結果、つまらない車ばかりになった。
  メーカーが違うのにデザインがほぼ同じ。
  自社のプライドというものが無い。

◆グレードが高い割に魅力を感じない。
  たとえばBELTAは安い車ですが、大きさもデザインもマークXと変わりません。
  マークXが特別良い車に見えない。
  ひとによってはBELTAはレクサスに似ていると言ってます。
  どの車も皆ネコ目の似たようなデザインです。
  どのメーカーの車も皆、同じようなデザイン。
  (多分欧州車を真似したのだろう)
  個性が無い、つまらない。
  30年前は車には個性があり、それぞれ個性を発揮していたので、
  面白かったです。
  スカイライン、フェアレディZ、117クーペ、コスモ、セリカなど。
  (スカイライン、Zには新型が出ているが、デザインがつまらない。
   前の方が良かった)
  もうちょっと後発ので、B一1、パオなどは大好きでした。
  ラシ一ンも聞いた話によれば作りがチャチだそうですが、外見はいいです。
  
  今の車には個性を感じない。
  「いつかクラウン」なんて言葉は死語になって逝きますね。
  私はそう思っています。

◆前の車に乗っていた時、T0Y0TAの営業マンが○ッツを勧めると
  マジ、ムカついてました。
  その車だけは勧めないで欲しかった。
  ダサ過ぎる・・・
  あれに乗るくらいなら、軽に乗るね。
  (※新型○ッツはデザインがちょっと良くなりましたが)

◆例外的に良いな、と思えるのはフィガロ。
  あれは優美で良いけど、私には大き過ぎる。

と、いうワケです。
「ホンダの○ットはどうなんだ?」と思った方。
あれはつまらないですね、勿論デザインの話です。
車幅が細いので駐車し易く、買い物には便利だと思いますよ。

<クルマ考/車を売りたいなら>(2008年6月26日)


車を作る人には作品へのプライドが無いのだと思う。
もし、自分達が作った車が最高に良いなら、そのデザインでず=っと作り続けると思う。
例えば名車の誉れ高い日産マーチ。
はい、私だけが名車と認定していますが、私は常に自分のセンスを最優先させているので
これで良いのです。

マーチのデザインは非常にシンプル。
無駄が無い。
前も後ろも横も何も無駄が無い。
全ての装飾をそぎ落しているかのようなコンパクトなデザインです。

日本中の運転のヘタな人用に、どんな狭い駐車場でも
自分ちの車庫でも楽々駐車出来るそのボディ。
素晴らしいです。
マーチに乗っているのは
◆おばさん
◆免許取り立ての若い女性
◆お爺さん
が殆どのようです。

そういう人でもちゃんと運転出来るよう、考え抜かれたデザイン。
作った人の心が感じられて大変、微笑ましい。
これを「心有る」と言います、私的には。


オーナーの中にはお爺さんの一歩手前くらいのオヤジもいますが、
若い女性を抜かせば、発売当時免許を取った主婦やオヤジさんが初めて乗ったか
二台目くらいだろうか。
一台目を10年も乗って次がマーチで、あまりにも乗り易いので15年乗ってる、
みたいな感じですかね。
免許を取ったのも遅くて30歳過ぎていたので、今、
50代〜60代のおばさんが乗っているわけです。

で、こういう人は新型車が出たからと言ってすぐ買い替えるようなコトはしません。
車には元々興味が無いのです。
私もそうだけど。

で、こういうひとにとっては毎日乗り慣れている車が良いのです。
性能が良いので壊れないから15年くらい平気で乗り続けます。
この人達が次に車を買うとしてもグレードアップなどはしません。
見栄を張る必要も金も無い。
子供は巣立って行き、車は大きくするどころか小さくしたいくらいです。
軽で充分なのです。


なので頭の中は

◆次の車は軽にしようかしら?
◆でも、乗り心地が悪かったら嫌だわ、馬力もないし坂道登れないと困る
◆でも、軽って税金安いわよね、軽にしようかしら?
◆でも、軽って小さいのに高いし、どうせお金払うなら普通車がいいわ。
  だって、同じ値段ならそりゃ大きい方がいいに決まってるでしょ。
  大根だってスイカだって大きい方を買うわよね。
◆それにどの車がいいのか、さっぱり分からないし。
◆この車と同じのが売ってたら買いたいけど、もう、売ってないし
◆どうしよう・・・ま、当分コレでいいわ、壊れるまで乗ろうっと♪

と、いう結論になっているはずです。
私がそうです。


もし、今乗っている車と同じデザインであちこち少しづつ改良された車が発売されたら
多分売れると思います。
燃費が旧型車より、かなり改善されていますよ=、って聞けば
「あっら〜、そうなの!じゃ買うわ、ひとつ頂戴!」となる(はず)。

それなのに、車業界では毎年(だか、一年おきだか)新型車を発売することが
常識になっているかのようで、同じデザインの車を何十年も作り続けることをしません。
そして、車ってのは買い替えるたびにグレードアップさせようと言うかの如き
風ちょうがある。
誰が決めたのだ?
こういう風ちょうに乗るのは若い人や男性ではないか?
主婦には無縁の発想です。


毎年意味の無い新型車を発表し、そして売れずw
そりゃ新しモン好きの若者はいます。
でも、全員がそうではない。
同じ車に何十年も乗り続けたいオーナーも多い。
なのに、そういう本当に車を愛してくれているオーナーのことをメーカーは考えていない。
自社の車を何十年も乗ってくれている、本当の、その車のファンのことを考えない。
かなり低次のサヌキですね。

車作りに心が無いからだと思います。
心とは「相手のことを理解する頭」のことで、本当の賢さ(アワ)です。
新しい車、話題の車をどんどん開発するのは「頭」(サヌキ)です。
自分達が売りたいから他社に差をつけたいから、と結局同じような車を皆で作る、
これを低次のサヌキと言います。

頭の先で作られたものは、歌でも文章でも服でも何でも飽きられて消えていく。
高波動のものは人に愛され息が長い。
派手ではないが、誰も格好良いとは言わないが、持ち主に愛され何十年も
所有されます。
私は日産マーチを見るたびに、このことを思います。
勿論カローラUも同様です。
いまだに走っているカローラUを見ると、オーナーに愛されているのが分かり
(いいな)と思います。

<クルマ考/感想>(2008年6月26日)


上の記事を読んだ方からメールが来ました。

マーチの話よませていただきました。
私も運転の苦手なおばさんです。
旧マーチのユーザーとして
今日書かれた内容は100パーセントそのとおりでした。
本当にifさんは、見えるのですね。



ありゃ〜(汗

この方もマーチが大好きだったそうです。
私には霊能力・超能力はありませんが、
推理すれば分かります。
その前に自分もそう(マーチのオーナーと同じ)だし・・・

<クルマ考/その他の名車>(2008年6月29日)


私が良いクルマと認定するのはガソリンの消費が少なく、
場所を取らない小ぶりな車のことです。
デカい車は認めていません。
何故ならガソリンを沢山消費し、限り有る資原の無駄使いと
排出ガス量の点から、地球と人類を初め諸々のモノのためにならないからです。
これからはそんな時代では無いでしょう。

そのような観点から見た良い車、名車とは・・・

◆カローラUwindy(TOYOTA/意外と燃費が良い18km/L。流線形デザインは最高)
◆旧型マーチ(日産/小ぶりで無駄の無い完璧なデザイン。頑丈そうで良い)
◆デュエット(TOYOTA/小さいボディ、デザイン良いがやや華奢に見える)
◆旧型デミオ(マツダ/新型はデザイン良くない。シンプルな旧型が良い)
◆新型スイフト(スズキ/格好良くなったと思う。デザインがシンプル)
◆R1(スバル/軽ですが、これは別格でしょう。乗りたい車だが燃費は平凡)
◆スマート(ダイムラー・クライスラー日本/2人乗り。デザインはまあまあ)
◆ミゼットU(1リッター11〜35キロ走るそうです。これでも2人乗り。デザインは最高w飾っておきたい)
◆パジェロ(三菱/カタチが好き)
◆?(マツダ/いいなぁ!と思うが、名前が分からん)


車は基本的に一人で乗れれば良い。
たまに同乗者を一人乗せられればよい。
ごくたまに4人まで乗せられれば良い。

普段一人で乗るのだから、基本的に一人で乗ることを前提とした方が良いのでは?
皆が大きな車に乗っていると小さい車に乗るのが(接触、衝突の際)怖いというのはある。
だから、みなで最小限の小さい車に乗れば良いと思う。

車の中をやたら広くする風潮があるが、運転席が茶の間のように広くてどうするのだろう?
最近出た新型車の売り文句が「おもてなし」だと!やはり車業界はおかしい。
車の運転席など飛行機のコックピット並に無駄なく空間を使えば良いと思う。
運転中にリラックスするのが目的では無いと思う。


未来の地球は太陽光で走る小ぶりな車ばかりになっているといいな。

<クルマ考を読んで(感想)>(2008年6月23日)


クルマ好きな方から上の記事<クルマ考>を読んでの感想が来ました。

それから、車の記事読みました。
私も同感です。。。
確かに乗りたい車がないですね、今の車は・・・。
そして個性がない、これも同感です。

免許取って間もない頃は、車道楽をしてました。
30歳までの12年間で国産高級車から外車まで
かなりの台数を乗ってみましたが、今はど=でも何でもいい感じです。
フェアレディーZも20代前半で乗りましたw
今の前型のZ32でしたが、私は結構好きでした。
本当はフェンダーミラーの頃のロングノーズZが一番好きですが(かなり個性派ですよね)
愛車のZちゃんも結構お気に入りでしたよ。
あまり実用性のない車でしたけど、走り心地は良かったです。
お店を出したときに、繁華街に入るのにその車ではあまりにも派手(マフラーの音が)なので
手放しましたけど、今でもあの型の車なら乗ってみたいと思います。
今の型のZにせよ、GTRにせよ何だかな〜って感じですよね。

そうなんですよ。
デザインが平凡になっちゃいました。


知り合いの仲のいい中古車屋さんが言ってましたけど
車道楽をしている(た)のは、今の30代が若かった頃までの話で
最近の若い子は車を買わないらしいです。
こちらは田舎なので、車は必需品です。

私が住んでいるところも田舎なので、車は必需品。
子供や凄い老人(90歳以上)を抜かして県民なら一人一台車を持ってます。


県民は結構車には皆お金をかけてたらしいですけど
それも一昔前の話だそうで・・・。

やっぱりそうなんだ。

いまどきの若者は免許は取るけど、車は別に欲しくない。
家にある父親、母親の車で十分って思っているらしいです。
なので、中古車屋さんは厳しい〜!!!と言っておりました。

車を所有すると、
◆車のローン
◆税金
◆保険
◆ガソリン代
◆車検
で、金がかかってしょうがない。
若者は賢いですね。


ifさんの仰るように、個性のある「乗りたい!」と思えるような車種がないので
車への興味も薄れて 買い替え時になるまで(壊れるまで)
車を買おうとする人も多くなったし、若者はそれが分かっているからこそ
車が売れないのでしょうね。

そうです。
メーカーが自社の車を売りたいがために、流行を作り出して来たが、
その流行のせいでどこの車も皆、外見が同じになってしまった。
これでは選ぶ楽しみも乗る楽しみも無いです。
車のデザインを見ると、販売された時代によって各社のデザインが同じなので、
古い、新しい、というのが分かる。
で、今、新しい車を見ても魅力を感じないばかりか、モデルチェンジする前の方が
ずっと良かった状態(日産マーチなど)ですね。
これじゃあ車が売れるわけがない。

そのうち電気自動車ばかりになるでしょう。
とにかく殆ど維持するための金がかからない上に自治体がエコロジーだというので
税金を安くするらしい。
電気で動くのだから、そのうち太陽光で動くようになるでしょう。


これも時代の変化なのでしょうかね・・・。

<ブランドが消える日>(2008年6月21日)


数年前に東京に進出して来たヨーロッパのブランドが、各社値段を下げているそうです。
理由は「売れないから」だそうです。
当り前です。
ブランドものが売れるためにはそのブランドを所有することが
格好良い、という多くの人達の共通の意識があることが前提です。
もし、多くの人達がそのようなコト(持ってると格好いいんだよ)など
どうでも良くなれば、売れなくなります。

何故ヨーロッパのブランドが相次いで東京に出店したのか。
元々ヨーロッパ人は流行に飛びつかないんですよ。
個人主義なので、ひとが持っているから自分も、とは思わない。
むしろ「他人が持っているのは持ちたくない」のです。
(実は私がそうです)

本当に良いものをずっと使い続けることが格好良い、と言う意識だから、
新しいだけでは売れない。
だからヨーロッパではブランドものはそれほど売れはしない。


なので、ブランド各社は「売り出せば売れる日本」に出店したのでした。
最初は良かった。
モノ珍しくブランド品に群がることが恥ではなく、格好良いことだった。
でも、ブランドものを買う人は一度買えば二度三度は買えない。
儲かっているのは質屋でしょう。
今では例外的な金持ちかブランド収集家しか買わないのでしょう。
そういうひとは数が少ないのだから、売れ行きが落ちるのは当然です。


また、ブランドものを売るにはまず、情報が先にある。
でも、今、本屋で売ってる雑誌などが売れなくなりました。
情報を得るのはネットに移行しつつある。
雑誌の情報とネットの情報は全く違う。

雑誌なら、買ったら殆どのページを見ることになる。
でも、ネットの場合は自分が興味を持っているところしか読まない。
その違いがありますね。
ということは、多くの人達が共有する情報という前提が崩れてきているのです。
ネコも杓子もブランドに狂奔した時代は終わりました。
世の中が不景気で食料品とガソリンの値段が上がっている、というのは
ブランドものが売れなくなった理由の一部ですが、全部ではありませんね。

◆ブランドものを買う金が続かなくなった(所得の二分化促進。金持ちは少数)
◆一個所有すれば事足りる
◆雑誌などマスコミの威力の低下
◆「ブランドものは格好良い」という共通意識が減少



売れる時は雑誌などの情報でわっと売れたが、売れなくなるのもあっと言う間です。
もう、情報ですら無いのだと思う。
私が新型車を見て良いと思う車が一台も無いと気づく前に
ブランドものはさらに「何も良くない」と思っていましたが、
人々がそれを「良い」と思わなければ売れない。
雑誌(マスコミ)は人々に「良い」と思わせるために日夜洗脳して来たが
もう、それをやっても効果が無くなってきたのだと思いますよ。

「流行とは本来、とても醜く見たくもないものなのだ。だから、次の流行が始まる。」
みたいなことをアメリカの有名な人(バーナード・ショーかな?)が言ってます。

流行。
ブランド。
これらを作り出していたものが、神通力を失いつつあります。
本当のコト、本物を求める人にはとうの昔に、通用しなくなっているが、
そうでは無い人たちは、まず「世の中がそれを格好良いと認めるから、
自分も認める」という立場(心の姿勢)なので、それが無くなれば雪崩を打って
流行もブランド信仰も消え去るでしょう。



今、ちょっと前までは力を持ち、上の立場に居たものが化けの皮を剥がされつつある。
エジプトのピラミッドの内部は予言になっているそうです。
そして、今の時代は「逆様の時代」だそうです。
それも永久には続かず、いつかグレンとひっくり返り正常になる日が来るそうです。

精神世界でアセンションのことを知識として知っている私達ですが、
多くの人はアセンションのことなど知らなくても、潜在意識では知っているので
人類の集合無意識がどんどん変化して来ているのは、当然のことですね。

◆人類(の集合無意識)は変化している


ブランド品を漁っていた人が見向きもしなくなった。
目新しさでは何も売れなくなる。
本当に必要なもの、自分の意識を上げるモノが売れる。
心を癒すのが先決かもしれないので、まずは癒しグッズが売れる。
心身の浄化が必要なので浄化グッズが売れる。

有名ブランドや一流メーカーという神通力がなくなって行く。

◆逆様の時代の終焉(上下グレンとひっくり返る日近し)


昨日まで良かった業種がどんどんダメになる。
(タバコ店がTASPO導入で売れなくなり、凄まじい数のタバコ屋がつぶれたらしい。
 私が住んでいる地区の酒屋は10年で30件から3件に減ったそうです)
どんどん変わる。
今の一年は数年前の10年に匹敵するかもしれません。
変化を観察しましょう。
私達は時代の変化の証人となろうではありませんか。

<ブランドが消える日を読んでの感想>(2008年6月23日)


上の方と同じ方です(笑)。
この方はお水の花道を歩まれていた方です。
観察眼はさすがなものがあります。

ブランド物も実際そうですよね。
繁華街では、ある程度のファッションセンスは必要とされてましたが
私が若い頃は「ブランド持ってなんぼ」って感じで
夜の繁華街を歩いていて、ノーブランドの物を身につけている女の子を
探す方が苦労するだろ・・・と思ってましたが
今時の若い子は、ブランドに拘らず個性を出している子の方が
多いように思います。
それも時代の流れなのでしょうが、流行廃りについていくよりも
個性的な方が光って見えますね。

若い頃に買い漁ったブランド品は、今では箪笥の肥やしとなってます。
最近はアジアン雑貨のお店で購入したと思われる
ゾウ柄の綿のバッグがお気に入りで持ち歩いていますw
やっぱり、人と同じよりも自分が本当に気に入った物の方がいいですね。


これだけ雑誌を初めとしてマスコミが流行を作ろうとしていても、
それに乗らなければ良いわけで、乗らない若者が増えて来たのでしょうか。
良いことです。
流行に乗るのは低次のサヌキ人間ですね。
乗らないためには「自分が流行の上を行く」ことです。
流行の下にいれば流行に振り回される。
上を行けば流行が何をしようと関係ありません、心が動かされることが無い。


これは、子育てや人間関係にも言えますよ。
よく、子供や姑に振り回されている主婦がいます。
それはその主婦が子供や姑の下(パワーで)に居るからです。
情けない・・・
一家の主婦が子供や姑に振り回されるほど、
◆判断力
◆パワー
が低ければその家はまとまらない。
もし、そういう家庭があるなら、奥さん、しっかりしなさい。

enlightenment=エンライトメント>(2008年6月18日)


一年ぶりにEさんがメールをくれました。
一年間PANDORAを読んでいたようです。

一年で、まぁ色々とありました。
色々ないほうが、おかしいのかもしれませんが。
 
少しだけわかったのは、ネガティブな感情や言葉はものすごい重い、という事です。
当時付き合っていた彼氏は、とてもネガティブな人でした。
何かにせよ、「どうせ俺は…」「なにをしてもだめだ」ということを言う。
彼は傷ついているのだと思いました。なんとか自分の力を信じて前向きになって欲しいなあ
と思って3年半くらい付き合っていましたが、どうにも耐えられなくなって、
他に好きな人が出来たのもあり(まあこれが一番ですけど 笑)、別れました。
 
同波長の法則、同質結集が進んでいますね。
向上している人、変化している人の方が、より環境が変化しています。
変化の度合が大きいです。
当然、付き合うヒトも変わって行きます。
今までは一緒に居られた人とも別れることになる。
今までは波長の違いが明らかにならなかっただけです。
もう我慢はしなくて良いと思う。
己の心の欲するままに進めば良い、進むしか無いのでは?
ただし、その己の心はなるべく上を目指したいものですが。

多分彼と私は同次元にいたので、今までは付き合っていられたのだと思います。
似たもの同士だったのですね。
でも、パンドラと出会って、少しでもわかろう、気づこうと前向きになっていったら、
一緒にいられなくなりました。
そして、彼が無意識に吐くネガティブな言葉が、重い膜になって私を包むのに気づきました。
 
職場で悪口・文句ばかりを言っている人もそうです。
前は普通に悪口や文句を聞けました。でも今は聞けません。
 
いいことです。
同調しないのは勿論、相槌も打たない方が良い。
そのことによって苛められるなら、それは「そういうレベルの職場なのだ」と、思えば良い。
感情的になる必要はありません。

人間のいろいろを読んでいていつも思いますが、
ほんとうに私はなんにもわかっちゃいない、獣だなあと思います。
ほんとうにひどいです。ひどいことに気づけただけで幸せなことです。

あなたはまだ若いから。
私だって若い頃は何も分かっていませんでした。
失敗だらけでしたよ。
思い(想念)も当然、ヒドいものでした。
経験が無いのだから当然ですわね。
私なんかこのトシになってもまだ、(ああああああああああああああああ!なんてバカなんだっ)と
たまに思ってますよ。

 
獣は無自覚だからこそ獣なのかなと思います。

そう、良いコトに気づきました、
獣は獣であるだけで責められることはありませんが、
人間に生まれながら獣をやることはない、それは間違いです。
人間と獣の違いは「言語を解すること」で、言語化、意識化、自覚出来るかどうか、です。
犬は犬のままで素晴らしいです。
でも、人間が犬とイコールなのは間違っているのです。

無自覚のままの混沌とした暗闇を、からまった糸をほぐすように分析していくことで、
すこしずつわかっていけたらいいなぁと思います。
自分を理解すること。
「啓蒙」ですね、蒙を啓く。いい言葉だなあと思います。
英語だとenlightenmentというらしいです。くらいところに光をあてる。
 
光だとか闇だとか、スピリチュアル系のサイト・ブログでよく見かけましたが、
よくわからない、と思っていました。
 
書いてる本人が陶酔次元なので、良く分かってないか、
分かっているのだが、言語化する時点で難しいので、巧く表現出来ないか、ですね。

今の段階では、私的には、闇は自分の中に眠る無自覚・無意識・曖昧模糊とした混沌で、
光はそれに焦点をあて、取り出し、分析し、理解すること、なのかなぁと思いました。
言語化も、光をあてる作業ですよね。
 
そうです。
考えがよくまとまっています。

 
長々とすみません。読んでくださってありがとうございます。
いつも黙々とパンドラを読んでは身を振り返っています。

有難う。
当の管理人がそれ(我が身を振り返ること)が出来ているかっつうと、どうも、出来てないような気もしますが。
まぁ、いっか(←おいおいおいおい!)

<考えない人1>これは続きます(2008年6月17日)


或るコトをする際、何も考えない人がいます。

先日、M氏がお昼に我が家へやって来ました。
しばらくM氏が来ないので、「遊びに来ませんか?」と、ケイタイにメールしたら「行きます。」という返事。
「午後から休暇を取ります。」と言うので、「ではお昼を御馳走しますよ。」と返信。

その前にK子がウチに来ていました。
お昼のメニューはスパゲッティです。
まず私が、自分の分とK子の分を盛りました。
その後「Mさんの分を盛っておくれ。」と頼んだら鍋の中のスパゲッティを全部入れてしまったので
凄い山盛りになっています。

考えてない。

どのくらいの量を食べられるか、まず、考えるべきですね。
たしかに鍋には大量のスパゲッティは入っている。
しかし、そのことと、Mさんがそれを全て食べるということは別です。
そこでひと考えすればいいのです。
(Mさんはどのくらいの量を食べるかな)と。
一瞬で済みます。

でも、それをしません。

何故なら「何も考えてないから」です。
◇食べる量はどれくらいが相応しいのだろうか
とか、考えるべきですが、それをしないので、
◇鍋に残ったものを全て皿に盛る
ということをしでかす。


こんな簡単なことをするのに何も考えないのでは、他の面でも思いやられます。
実際、K子の考え無しの仕事ぶりを何度も叱りました。
一度で分かれば良いが、以前はその都度「自分なりの理屈」を言うので、怒りました。
私の示す理屈(レベル、考え)が理解できないからです。
善意の人でこういうひとは他にもいますよ。
善意なのは分かる。
でも、私が問題にしているのは「それではない」ということを分かって欲しい。
いや、分からないと本人が困るのです。

このように通常の友達付き合いをしていては分からないことも、一緒に仕事をすると分かります。
私が皆さんに才能を発揮して好きなことを仕事にしなさい、ネットで仕事をしなさい、と言うのは
「自分の考えの足りなさを体験してもらうため」です。
お金は二の次なんですよ。


私が「ちょっと!馬に喰わすほど盛ってどうすんの!」と大きな声を出したのを聞いたMさん
「大丈夫です、馬並に喰いますからw」と、またまた
「さう男」の気配りを見せていました。
(※リンク3の「うさうさ診断」をご覧ください)
Mさんのように優しい気配りの人ばかりなら苦労は無い。
世の中にはMさんのような人ばかりではありません。
最低限の思考力判断力を獲得しないと、自分が困った状況になるのは必至です。

しかしなかなか分かるようにならないのも人間です。
でも、K子は最近は以前のように言いわけをしなくなりました。
何かを悟ったのだと思います。
それを推理してみれば「 if さんが言うことは分からないけど、間違ってないだろう」という気持ち。
分からないけど、ここは一ツ素直に聞いておこう、という気持ち。
つまり
「生まれ赤子の心」です。

大人になるとこれが出来る人はほとんどいません。
でも、何かを悟りたければ、今の自分には理解できないことを分かりたいなら、
心の姿勢をこの態度にしなくては無理なんです。

本当にPANDORAでは何度も言ってますよね、このこと(生まれ赤子の心)については。

なかなか分かるようにならないK子ですが、一応心のベクトルは上を向いているので、まぁ、いいか。

分からず屋が悪いのでは無いのです。
自分が分からずやであることを自覚しないことが悪いのです。

<考えない人2>(2008年6月18日)


次に記事にするのは私のことです。
はい、私も「考えない人」です。

「え?ifさんて、いつもいつも人には『考えろ』って言ってるじゃん?
 なのに、自分は考えないわけ?」
と、疑問を持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、
そうです、私も考えない人なんですよ。

この、「考えない人」には幾つか種類があります。


@余計なコトを考えない。

  私は根が単純に出来ているのと感情的では無い方なので、
  普通の女が考えるようなコトは考えません。
  (コレをしたらきっとああするだろうから、アタシはコレで・・・)
  (本当はあの人はああ思ってるだろうから、アタシはこうしよう)
  とか、いろいろ考えてるようです、皆さん。
  あ、女性だけではなく男性もそういう余計なこと、詮索をする人はいますよ。
  さぞかし心がそのようなコトに占められて忙しいだろうな、と思います。
  私はそのようなことは考えるのも嫌です。
  面倒臭いので。


しかし、これはいいけど次のは困る。

A必要なことを考えない。

 問題はこれなんですよ。

<考えない人3>(2008年6月19日)


若いと思考力が無いか、乏しいので考えませんね。
私などはその上に面倒臭がりなので、余計考えません。
私がまだ二十代の頃、こんな話を読みました。

或る高名な画家の家に苦学生がやってきた。
戦後すぐの頃のことです。
苦学生は画家に
「先生の描き損じの絵をください。それを売って学費の足しにしたいのです。」
と、頼んだ。
画家は
「いや、描き損じの絵が市中に出回っては私の恥になります。
 いつかちゃんとした絵をあなたに描いて差し上げましょう。」


苦学生は画家の言いたいことを分かり、恥入りました。
数年後画家はこの学生に絵を描いて私たとか・・・


で、この話を読んだ当時の私の感想は・・・
(描き損じくらいやったっていいじゃん!このケチ!爺い!)でした。

それから数十年経ち、この画家の気モチが分かるようになりました。
当時の私はこの苦学生と同じような年齢。
で、今の私はこの画家と同じような年齢です。
すると説明が無くても分かるのです。

しかし、当時の苦学生は凄いですね!
今の大学生とは質が違います。
画家が言いたいことを瞬時に理解したのですからね。


当時の苦学生のような秀才ではない、盆栽の私などには
頭がついていきませんや。
なので、(こんのぉ!クソ爺い!)と、短絡します。

特別賢い人以外の話に限定しますが、
若いと人生経験が少ないので、物事が分かりません。
しょうがないです。
その時は
(ああ、自分はまだ経験が足りないから物事が分からないのだ)と、
分かれば良いだけです。
若いのに何を間違ったか(自分には分からないことは無い)と
無意識・無自覚で思っている人がいます。
無意識・無自覚なので、正確に言うと「思ってもいません」。
思ってないのに、思っているのです。
これがまずい。

で、ほとんどの人は無意識・無自覚に陥っているのです。


<ひとの悟りを邪魔する人>(2008年6月15日)


ひとに悟らせる人は例外的に少なく、ひとの悟りを邪魔する人の方が圧倒的に多い


一例を挙げます。
今から10年ほど前、友人から聞いた話です。

友人は心はとてもきれいだが、物事が分からず、会うたびに毎回私に分からなさを指摘されていました。
そして、「もっと分かるようになりなさい。」と叱咤されていた。
しかし、他人に指摘されたり叱られたくらいでは、分かるようになるわけがない。
でも、情報として耳に入れておかないと可能性は限りなくゼロに近くなる。
なので、私は情報として「もっと分かれ」ということを耳に入れてもらっています。

今すぐ分かるのは無理なのは百も承知している。
しかし本人が心の底から「分かろう」「分かりたい」「分かるぞ」と、思わない限り、一生分からないで終わるでしょう。
だから一見無駄なようだけど、心の姿勢を「分かる方向」に向けるために言ってるわけです。


ところが殆どの人にはこの、「分かること」のサトリが無い。
なので、私のようなことを言う人を「分からない」し、理解出来ない。
理解出来ないなら(ああ、私はifさんが言うことは理解出来ないのだな)と、理解すれば良いのだが
それが出来るほどの人には私の言うことは即座に理解出来ます。


この友人は自分が何かを悟らなくてはならないことは分かっていた。
(子供二人が登校拒否〜非行・中退・家庭内暴力・借金・引きこもりに進化)
でも、悟り方が分からなかった。
十年以上、悟りません。
そのくらい物事を分かる、悟るとは難しい。
でも分からなくてはならないことがあるのだ、ということは分かっていました。


さて、この友人が或る会社に就職した。
社員数人の会社です。
そこに大変仕事が出来ない男性がいた。
この友人も分からずやなので仕事が出来なかったが、友人から見ても仕事が出来ないのが分かった。

この男性の親は「おまえには一般企業は無理だから公務員になりなさい。」と言ったそうです。
(公務員に失礼ですよねw)
でも、この男性は公務員にはなりたくない、一般の企業でこういう仕事をしたいのだ、と夢があり、
念願の仕事がやれる会社に入ったのです。
ところが、仕事が出来ない。
何故出来ないかというと、物事が殆ど分からないのだそうです。

分からず屋の友人から見ても分からない人だ、というのだから相当な分からず屋です。
で、毎日上司に叱られるわけですよ。
殺されるような勢いで怒鳴られる。
「てめえなんか辞めちまえっ!」と。
この男性は上司に叱られている最中は頭を垂れておとなしくしています。
上司は散々怒鳴ったら部屋から出て行きます。
意気消沈する男性。

すると周囲の女性が声を掛けるのだそうです。
「気にしない方がいいよ。」
「ああいう言い方はないよね。」
「自分(上司のこと)だってまずいことしているじゃないね。」
と。
するとこの男性は途端にへらへらしてしまう。
周囲の人が優しい声を掛けてくれると嬉しくなってしまう。
そしてまた同じ間違いを犯す。


友人は大変温厚ですが、これはまずいということが分かっていたようでだからこの話をしてくれたのです。

男性は上司に叱られても理解できないのは分かる。
でも、理解出来ないまでも(オレは何か分からなくてはならないことがあるのだ)と、いうことを分かる必要がある。
周囲の人が「気にしない方がいいよ。」と、言ってしまうと
思考力の無い人なので(そっか、気にしなくていいんだ)と、その上に上書きしてしまう
(思考力があれば周囲が何を言おうと自分の非であることが理解できる)
せっかく入った情報(上司の罵声)を活かすことが出来なくなる。
そうやって二十年やって来たらしい。(当時男性は40歳くらい)
これでは何年経とうが何も学びませんよね。
これ(この男性のレベル・判断力)はヒドイです。

せっかく悟るための情報を入れながら、それを本気で受け取ることが出来ないのです。
何故なら思考力の無い人は無意識に、人や環境に甘えているからです。
自分に都合の良い方を無意識に選択しているのです。
(余談ですが、秋葉原の通り魔もこれです。周囲に甘え常に自分を甘やかし都合よく解釈し続けた結果)

甘えている本人が問題なのは当然で、これを主犯とすれば、甘やかす周囲の人も共犯者です。
善意でやるところが最も悪い。
何も考えていないからやる。
それをするなら、「これをすると本人のためにならない」と、自覚してやるなら良い。
しかし、自覚出来る人は「安易に慰めること」はしません。
それをすれば本人のためにならないことが分かっているからです。

安易に慰める人は「これをしたらどういう結果になるか」と考えない。
先のこと(未来)や相手のことを考えない、ただ、今、目の前に展開されたことについてしか考えない。
見えないからです。
目の前に争い(と、見えるのです、こういう人には)が起こった、それはまずいことだ、
平和が良いから平和にやりたい。
この人は落ち込んでいる、なら慰めよう、そうすればこの人は元気になるはずだ、
そうだ、元気になるようこの場が明るく楽しく平和になるよう、慰めよう。
と、感覚的に捉えて声に出す。
「気にしない方がいいよ。」と。

つまり「安易に他人を慰める人は物事が分かってない人」だと言えます。

◆甘える人
◆甘やかす人
どちらも悪い。


他人が悟るチャンスを邪魔することは「悪」そのものです。
「本当の悪は善の顔しているのぞ」とは日月神の言葉。


さて、この話をしてくれた友人はそれから十年以上かかったけど、やっと自力で少しは分かるようになった。
私が最初に指摘してから20年以上経っています。
素質にもよりますがこのくらい分からないものなのです。

<別れ道>(2008年6月13日)


amanesuさんのブログ「utura-utura」(リンク2)の記事が秀逸なので、転載します。
文字の色が変えられないので、もとの色のまま掲載します。



別れ道


昼寝してたら悪夢を見ました。

悪夢の原因は・・・親父さんがテレビをつけてワイドショーを見ていたから。だと思われます。
内容は『秋葉原無差別殺傷事件』についてでありました。
異様で暗い雰囲気の夢でした。

しかし、夢のお話ではありません。
事件のニュースを聞きながら寝てると悪夢を見るんだね。
やっぱ、耳から入れる言葉にも気をつけなくっちゃ!!
と、思いもしましたが、本筋で思っていたのは事件とあまり関係ないコトでありました。

容疑者は静岡から2tトラックで秋葉原まで乗りつけた。
犯行に使用するナイフを福井にまで買いに行った。

福井にナイフを買いに行ったさい、「店員さん良い人だなぁ」「タクシーの運転手さん良い人だなぁ」等々思ったのだとか。

そこで、戻れれば良かったね。正気に戻れるチャンスだったろうに。。。
そう思えて、なんとも物悲しくなってしまいました。

犯行を決意させたのは会社のロッカーから作業着が無くなっていたから。だとか。
ロッカーから作業着が無くなったのは・・・容疑者の思い違いかもしれませんし、
悪意の無い誰かの手違いかもしれませんし、悪意のある誰かの些細なイタズラだったかもしれません。

ワタクシは『コンスタンティン』のセリフを思い出しておりました。
この世には半天使と半悪魔が人間に混じって暮らしている。
半天使はたった一言で相手を勇気付けたりする。
半悪魔はたった一言で相手を絶望させる。

容疑者は、その両方に逢ったのだと思えました。

でも、悪魔も天使も内側にいたんだろうと思えます。
作業着が無くなっていたコトは・・・気分を害することでしょうが、無差別殺人にまで結びつくコトとは思えません。
(ま、隣家のピアノの音が煩いって殺人があったそうですし、積もり積もればはかりしれなくなるものでしょうし。。。)

容疑者が福井で出会った店員さんや、タクシーの運転手さんも特別に優しく親切にしたワケではないと思います。
他の人ならなんとも思わないやりとりに、容疑者は温かさを感じたのだと思います。

それぞれ、身のうちにいる悪魔と天使が反応したのだと思えます。

福井で心が天国に通じた瞬間もあったはずだと思えます。
でも、地獄を選んで秋葉原に行ってしまったんだろうな。。。
誰しも紙一重なんだろうと思えました。


それでも、地獄界に通じきってしまっても心に光差す一瞬はあるんだな。と、思えたのであります。
目を背けなければ救われる道が必ずあるんだと思えたのであります。

<ROME>(2008年6月13日)


レンタル・ビデオ屋にアメリカのテレビドラマ「ROME」が置いてある。
歴史大好きなので借りてみたいが、どうしよう・・・と思っているところ。

ところで、下の記事<言葉>の続編(補足)のような記事が「GAIA」で更新されていた。
可笑しかった!
<面白いもの、面白くないもの>(2008年6月13日)という記事ですが、
ここに載せるのはひかえておきます。
読みたい方はGAIAへどうぞ。

まはるださんて面白いな、と思う。
前世は古代ローマ帝国の戦士かな。
マハルダヌス・ヨウシャナシウス=ローマの百人隊長」かな?
私がそこにいたら
イフノス・ボケティウス=マハルダヌスの上官、千人隊長」だったりして。

しかし、最近多いですね。
スグニス・キレニウスな人。
ちょっとした刺激でキレてしまうヒト、危ないです。
こういう輩は軍隊に入れて厳しい軍律の元で訓練するべきではないか、と思う、
千人隊長としては。



ところで、ルネッサンス時代の銀職人
ユビワーノ・ツクルジオさん
の指輪制作が遅れ気味ですね、日本名はrakanさんですが。
先日問い合わせたところ、100個完成するのは9月頃だそうです。

我が家の跡取り息子
セガレニウス・ボケナスはどうしているかなぁ・・・

<言葉>(2008年6月12日)


内容が秀逸、かつバカバカしくて可笑しいので転載します。
まはるださんの「GAIA」(リンク1)→「つぶやき」→
Sunnny Side→<言葉>
(2008年6月12日)より。



言葉 (2008/6/11)

書き記されたものというのは「ホンモノ」を見分け易いように思う。
何度読んでも面白いものはホンモノ、一度読んだら二度と読もうとは思わないものは
そうじゃないとかが私の基準(あくまでも私のだが)。
流行作家というのは「流れ行く」というだけあって、一度読んだらもう一度読む気がしないし
内容も憶えていない。

古けりゃいいってもんでもないだろうが、古くから伝わるものは
ホンモノが多いように感じるし心にも響く。
ホンモノだから人びとの心に残り、自然に伝わっていくのだと思う。

精神世界にも情報が氾濫しているけれど、読んだその時にはそれが私にとって
よいものかどうかは分らない。
上記のような理由から少し経つとわかるのである。
その場その場で「あぁ、面白いわ」と思ったとしても、
時間を置くとそれを読み返したいと思わないことがある、というかほとんどそうである。
多分だけど、純粋に「この情報を流し伝えるという目的」ではないからかも知れないと思う。


ひふみ神示に「闇のものがよい言葉を発してもその言葉自体はよいものなのだから
よいではないかというけれどそれは違う」というような感じのことが書いてある。
言葉と心が一致しないのがいけないのだそうだ。
「愛だ光だ」とキレイな事をいいながら、金銭欲丸出しの鼻クソほじりながらじゃあ
ダメ(もののたとえ、鼻クソはいいのかも知れない)なのだな。

「天使が言いました・・・」とメッセージを伝えながら恨んだり妬んだり、欲こいたり、
ネガティブ丸出しじゃあ言ってることとやってることが一致せず魂は濁っちゃうってことで、
アセンションから遠くなるってことか。
ならば逆に本人の意識と言葉が一致しているものは
伝えた相手の魂に響くんじゃないだろうか。

私は自分が言葉と心は一致してるとは思う。
今の私は「鼻クソ」と魂が一致してるってことである(一致してても心には響きません)。
それもいいことかどうかと言うといいことではないだろう。
魂がきれいなら「鼻クソ」(連呼すんなよ)とかあっさり出てこないのでは?
一致してるとしても濁りもしなければ決してきれいにもならないだろう。
レベルというものがあるから上げてく気で生きてこうかなと思う。

そういえば「ありがとう」と繰り返して言ってればそういう風になってくるという人も
いるけれどそれはどうかと思っていた。
ホントにありがとうと思わなければ一致してないんだから魂に不健康ってことでは、と。
言葉に魂を合わせてくという意味ではアリだったんだなと思う。
潜在意識に届けるという意味でもアリなんだろう。
しかしその時に、その言葉に魂を乗せたるという気持ちは必要なんじゃないだろうか。

余談だけど「ついてる」連呼するというのは好きじゃない(個人的意見)。
「自分はついてる」と言い聞かす時に「ついてる人になりたい」という
ものすごい欲を感じるからである。
本当に自分は今ついてる、と言い聞かすということなのだろうが、
本当についてると感じてたらそもそも言い聞かさないだろう、
というのが今の私の考えである。

「皆にコレを絶対にひろめなくちゃ!」という感じも萎える。
ひろめてもらったはよいとしても、実行するかは選びたいところである。
「いいことなんだから是非やってみてくださいね♪」という言い回しはナニサマだと思う。
何であんたに「やる、やらない」を決められなきゃならんのだ、と。
とは言え、実際にこれをやっていいことがあったんだ、というサクセスストーリーを
読むのは面白いから好きである。

文章からにじみ出る楽しそうな印象も時には心地よいものである。
ずっとそういう感じならばだんだんと「なんだかな。あんたいつまで・・・」となるのであるが。
私にとって一番どうでもいいのは「面白くもなんともない文章」である。
一瞬でも「面白い」と思えるならそれはそれで私にはアリなのである。

<「舐めてる!」を読んで>(2008年6月12日)


Nさんから。

「人間のいろいろ」は本当にいろいろですね。
いろんな事象があるもんだな、と感じます。
 
心の在り方の天と地ですが、舐めてる!と感じること、私もあります。
昔ほどではないけれど、時々感じます。

私も他人から舐められますよ。
他人を舐める人、バカにする人は実際います。
高校生の時、同級生に舐められていたけど、その時私は
(ああ、舐めてるな、バカにしてるな)と、思っただけでした。
大人になってからもタチの悪い女が、一生けん命私をバカにするのを見て
可笑しくて笑いました。


自分に対する自信のなさがそう思わせるのだと思います。

そうかも。
二種類の場合があると思います。
こちらに落ち度、非が無い場合。

@本当に相手がバカにする場合
A本当は相手はバカにしていない場合

@の場合は怒ってしまってもしょうがないけど、
  (ああ、そういう奴なんだな)と、思えば腹も立たない。
Aの場合、こちらが誤解してはいけない。
  ちゃんと確認しないとね。
なので、他人からバカにされても舐められても別に怒る必要はありません。


絵と一緒に頂いたおみくじの「自信を持て」
最初はうっしゃー!とみなぎる感じでしたが、今はじんわり胸に染み入る言葉になっています。

相応しい言葉が行ったようですね。

精神状態によって感じ方も違うのかもしれません。

はい。
精神状態は常に変動していますから。


そして、ケモノって常に横でスタンバってるなと思いました。

そうですよ。
どこにでもいます。
というか、異次元(四次元)にいるんだけど、空間的には「ここ」にいます。


波動が落ちるのは一瞬だとパンドラでもよく目にする言葉ですが
本当なんだろうと思いますね、ケモノにいつ乗っ取られるかわからない。
気をつけないといけないですね。

常に意識を高く保ちましょう。
それには、自分の意識を観察する、もう一人の自分を持て、と
相似象の師匠は言ってます。
自分を客観視せよ、という意味です。

<感想>(2008年6月12日)


Rさんから感想が来ました。

<感受性について6・・・「私はまだ1/3なんだ!>を読みました。
 
これは『真実のアセンション』を読んだ後に思ったことですが、
アセンションへの情報や知識とかは、もう必要ないんじゃないかと思いました。
(ある程度の知識は必要だと思いますが)
というより、やることべきことというのは、実はもう既に知っているし。
ただ、そのやるべきこと、というのが、
とても地味で、退屈で、飽きてくるし、目に見えないし(当たり前)、
それに難しい。
進んでんだか、進んでないんだか、さっぱりわからないし。。
そうするとだんだん、(無意識にでも)疑いを持ち始めてきてしまったり、
(まぁ、つまりはめんどくさ〜になってくる自覚・無自覚有り)
で、刺激的なものに引かれていったり、
もっと簡単でやさしいものがあるんじゃないかな〜と思ってみたり。
でさらには、なんかこう、そういうのをやっていること自体に満足しちゃったり。
これも陶酔次元なのでしょうか。

まだ、思考の方法が分かってないようです。
日々、自分の意識を観察しましょう。


 
なので、上の記事を読んだ時、そうなんだよなぁ。。と思いました。
やっているようで、カッコばっかり。
それでやっているような気になっている。
やるもやらないも自分しだいだけど。
自分は一体、『何を』やりたいのか。やるべきなのか。
『どう』したいのか。するべきなのか。
それだけをじっくり、見ていけば自ずと見えてくるんですよね。
でもきっと、見続けるのが難しいんだろうな。
 
また一からやり直しです。
 
あともう一つ、
自分のやっていることや、自分自身を、正しい、と周りに証明したり、
証明するためのものを探したり、証明してくれる人を探したり、
する必要はないんだな。と思いました。

でも自分でそれ(証明)をやるのは難しいので
◆スマナサーラ師のような高波動の人が書いた書物を読む。
  シュタイナーでもいいです。
  高橋信次もお勧めします。
◆日月神示を読み、そこに書かれていることを基にして思考する。
  照らし合わせる。
  これをサニワと言いますが、これが一番高波動です。



以前ifさんは、
私は人から好かれたいとは思わない。とおっしゃっていましたが、
それと似ているのかな。。そんな感じです。ちょっと違うかも知れないですけど。
でも、周りから認められたり、褒められたりしても、
それは、それだけであって、
そのために何かをやる、とかでは違いますよね。
私は私のやることをやる。
周りはそれを見て、それぞれが反応する。
それだけなんですよね。 

そうです。

そうでなくちゃ本当の自分を生きていることにはならないですよね。

いいことに気づきましたね、そうです。

私はいつでも本当の自分を生きたかったんだった。

そうです。
かなり、良いことに気づきましたね。


あ、それが、考えと言葉と行動を一緒にする、ってことなのかもしれないですね。

<自由>(2008年6月12日)


Mさんから。

今は自分の気持ちや考えに従順でいたい姿勢が強くなっています。
自分で考えて進んでいきたいといった気持ちです。
また、数日前にジュネさんの解読を受けていて
「これからの時代は、楽しく・軽く・明るい方を選んで進んでね。」と
言われていましたが、では、私にとって××をすることが
「楽しく、軽く、明るい」になることかと自問自答したら
そうだとは感じられなかったので踏みとどまれました。
今思えば、ジュネさんからも救われていますね。


PANDORAにもありましたが、
今の時代、主婦でいること、地位や権力から離れた位置にいること、
一人一人がそれぞれ自分の頭で思考していくこと、
そんな自由な状態でいることが大事なんだなーと
今更ながら実感しました。


自力で考えることのできる人がどんどん増えています。

<子供の心を忘れた大人>(2008年6月12日)


二年前に急に思い立ってチャームを作りたくなりました。
で、材料を集めていたらK子が遊びに来て、子供の頃ビーズ手芸をしていたことを思い出した。
ビーズで指輪を作ることがとても楽しかったことを、すっかり忘れていたらしい。

K子だけではなく、
多くの人が子供時代楽しかったこと、本当に好きだったことを忘れています
勉強や仕事子育てやさまざまな雑事にかまけて忘れてしまう。
これが普通の大人ですかね。

そして子供が大人から見て、つまらないことやくだらないことをやっているのを見て
自分もやっていたくせに忘れていて、何だかんだと言う大人がいます。
それをする暇があったら勉強しろとか、もっと建設的なことをしろ、とか言いだす人もいる。

子供時代の自分を忘れている大人がそれをやります。

子供に文句を言わないまでも、自分は、自分の子供時代に何を考え、感じ、行動していたのか
それを忘れている。
そして、日常生活に一生懸命真面目に取り組んでいる。
それを無意識、無自覚に「善い」と思っている。
無意識なので自覚していませんが。


そういう大人もふとした切っ掛けで、子供時代に好きだったことを思い出すことがあります。

子供時代に好きだったことというのは、自分の本質が表れているものです。
常識も無いし、顕在意識が発達していないので、
「これは自分には無理だ」
「こんなことをしたら笑われる」
という、
心の制限が無いからです。

心の制限は成長するに従って家庭や社会で作られていく。
そして、大人になる頃には「自分が何を好きだったのか」わからなくなってしまう。

子供時代を思い出せば好きなことや才能が見つかります

<好きなことを見つけるために>(2008年6月12日)


PANDORAのお客さんには「自分が何をしたら良いかさっぱり分からない」方が大勢います。
私のように何を置いても最優先で「自分のしたいこと」をして生きて来た人間からは
考えられない事態に陥っている人が多い。

「if さん、私は何をしたら良いでしょう?」
「if さん、私の使命は?」
「if さん、私の才能は何ですか?」


そんなこと、自分で考えなさい、私は他人なので知りません。
自分のことは自分が一番知っているはずです。
でも、分からなくなっている場合、探すお手伝いなら出来ます。


しかし多くの人が自分が好きなこと、やらなくてはならないこと、才能を知らないで生きている。
自分の本当の心、気持ちが分からなくなっている。
それほど、家庭や社会の縛りがキツイんでしょうね。

私のような弩級の我儘者には家庭も社会もそれほど影響を与えません。
〜〜しなければならない、とか〜〜しないと笑われる、とか好かれたいとか認められたいと
言う気持ちが無いのです。
自分の好きなことだけを追及しています。
(※朝食の時、自分だけに目玉焼きを作ったりしています。
   倅が「母ちゃんて本当に自由に生きてるね」と言うので
   「そうだよ。母ちゃんは自分がやりたいようにやっているのだ。」と、居直ります)


そりゃやりたくても状況が許さない場合が多いですよ。
そういう時は「私は好きなことをやれないんだぁ(泣」と、感情的になる必要はなく
「金が足りない」
「小さい子がいる」
「時間が無い」
と、頭で考えれば済む。
そして
「今、やれることをする」


家庭や社会で洗脳されまくって、適応しまくってしまった人は、
なかなか、自分の本当の気持ちを探ることが出来ません。
それをやると
「家族からは非難され」
「社会からはのけものにされる」
と、思っているのです。
怖いので自分の本当の気持ちを出せない。
だから、正直に生きられない。

(※
大変正直でも、自分の本当の気持ちが分からない人が多いです。
   そういうひとは、他人には正直なんだけど、自分に正直では無いのです。
   私は他人に正直に生きる前に自分に凄く正直なので
   好きなことをするのは苦もなくやれますが、これを周囲の人が非難する場合があります。
   私の場合はそういう時「非難する奴が悪い」と思うので兵器、いや平気ですが)

でも、
実際は他人は他人のことなんか、実はどうでも良いのです。
一番大事なのは自分のことで、他人のことはその次ですよ。
あなたを理解しない、出来ない他人の目や非難などはたいしたことではない。
あなたの人生にそれほど影響を与えない。


アワタイプの人は本能的に他人と敵対関係になるのを恐れる。
しかしそもそも他人が、他人が何かしていることについて、本気で非難することはありません。
(やってることが合法的なら)
アワタイプの人が自分の心で勝手に非難される状況を思い描いて怖がっているのです。
とにかくアワの人は「自分を守りたい」という本能が強く、これがあるので生存出来ているのは
分かるが、この現代において生きるの死ぬのと大げさじゃないでしょうかね、
戦争中なら分かるが。

あ〜〜〜あ、あんなコトやっちゃって。
それどころじゃないんじゃないのぉ?
あんた何言ってんの?
おいおい、そんなコトをしている場合ぢゃないだろ。
バカも休み休み言え。
ええええっ!くっだらな〜〜〜い!!!
まさか、本気じゃないだろうね?


と、他人(主に家族や友人)に言われたら一度で凹むことが予想される。
これはやりたくない、避けたい。言い争い(と、思ってる)になるのは嫌だ、避けたい。
「嫌なこと」(他人と敵対)はどんな犠牲を払っても避けたい。

(※こう考える人は
他人から非難されること=敵対、になっているのです。
   
弱い人は普通の会話ですら「文句を言われた!」と、感じる。
   全て自分で作り出している。
   これは、そういう感受性だからです)

(※弱いんだから可哀想なんだよ、if 少しは思いやれよ、弱いのは強くならないんだよ、
   と思うヒトがいると思う。
   しかし、気が弱いというのは実は頭が弱いんです。
   いくら勉強が出来ても知能が高くても、本当の賢さでは無い。
   頭が弱いんですよ。
   なので、本当の賢さを身につければ強くなります。
   そして、それは可能です。
   毎日、自分の意識を点検し、知恵をつけていけばいい)

だから「自分が本当にやりたいこと」が出来ない。
やりたいことがたとえ見つかっても怖くてできないのだから、それならいっそ
「見つからない方が良い」と、無意識に判断してしまうからです。
自分で自分に目隠しをしているのです。


さて。
指輪のK子も普通の主婦です。
長いこと目隠して生きて来たのです。
二年前に指輪を作ってみたらだんだん「自分が本当に好きなこと」を思い出した。
ただし、これはK子が自分で切っ掛けを作ったのではなく、
私が材料を買ったから出来たのですが
友人知人テレビネット本がヒントを与えてくれる場合が多いので、これでいいんですよ。

自分が何を好きなのか分からない。
自分が何をしたら良いのか分からない。
人は、まず
「私は自分の好きなことを見つける」
「私は自分がやりたいことを見つける」
と、心に決めましょう。

その決定が本物なら潜在意識に届く。
(※好きなことが見つからないのは上にも書いた通り、
   潜在意識では見つけたくない場合がある。
   それをするのが怖いから出来ない。それならいっそ見つからない方がまだ良い、と
   無意識で思ってる場合など)

怖さ(恥など)を乗り越えるために、心を勉強し波動量を上げるのも有効です。

そしてまず、動いてみましょう。
ネットでもいいし、旅行でも散歩でも、普段行かない場所、店に行くとか、
友人と会うとか、なんでも良いから動く。
自分の義務は果たしておく(家事や仕事のこと)。

そうすれば、やりたいこと好きなことが見つかります。


私は他人の誰にも忠実ではありませんが、自分の欲望には大変忠実なので、
好きなことをするのは、実にカンタンなのですが、それが出来ない、やりづらい方のために
書いてみました。
これは私の意見なので、他の記事と同様、これが正解ではないし
これだけが正解でもありません。

<人に説明されて分かる人は滅多に居ない>
(2008年6月10日)


人に説明されて分かる人は滅多にいません。
或る件について
◆最初から分かっている
◆説明されても分からない

この二種類で9割以上占めます。(if の概算)

<ジュネさんの対面解読を受けた>(2008年6月9日)


if様
 
何枚か絵を描いて頂いたFです。
 
7日、8日とジュネさんの対面解読とお話会が京都でありました。
対面解読で言われたことが
ifさんの5日の記事の「何故今世主婦なのか?」「女に生まれて良かった」の内容とシンクロしていました。
 
私、子どもがいない専業主婦。
何をやっていけば いいのやら?と時々考えていました。
〜自由な心を持ち、自由な時間を使って、自分がアセンション出来る波動量を獲得し、
自分の周囲の波動を上げ、周囲の人もアセンションできるよう、お手伝いをする使命〜
このifさんの記事に目からうろこの気分でいたのです。

その翌日、ジュネさんから「あなたの波動が周りに影響します。これからの
アセンションに向けて今、日本、京都に居る意味を考えてください」と言われました。
電話での解読によると
私は日本がはじめてらしいのです。
今の日本のルーツとなるようなムーなどには居たとのことですが。
 
地球での生も100回程度で少ないとか。
変化、変革の時に地球に来ているらしいです。
 
今、自由に時間が使える主婦という立場。
なんだかワクワクしてきました。
 
パンドラの影響で、自分の感情の観察を続けていたのですが
反射的にマイナスイメージを持つ言葉があります。
ずいぶん前のおみくじに「小さい」というのがありました。
その時も反射的にマイナスイメージが湧きました。
すぐに「なんで?」「小さいという言葉には 良い悪いの意味なんて無いのに」
と思いました。
言葉に付いてくる感情があります。
 
昨日の記事に「その言葉に感情を入れず、ただ、情報として受け取れるかどうか」とありました。
本当!まずは自分を毎日、観察です。
 
そうそう 対面解読でジュネさんに「ifさんに似ているわ!」と言われました。
なんとなくウフフです。

似ているって何がでしょう・・・うう・・・

<感受性について1・・・感じ方はひとそれぞれ>(2008年6月7日)


感じ方はひとそれぞれですね。
同じ人は殆どいないのではないか。
似たような感じ方の人ならいると思うが、全く同じ、というのはいないか、
居ても大変少ない、と言えるのでは?

感じ方が近いか似ていると問題はありませんが、
かけ離れていると問題が生じる場合がある。
違っていて当然、と思えば済むのに、他人が自分と同じ感じ方をしないことについて
怒る、泣くと言う風に感情的になる人(レベル)がいます。
「みんな違ってみんないい。」と、誰かが言ってるように、違っていることを
非難する理由にするレベルはいけない。
と言って、そのレベルの人を非難する気はありません。
ただ、「それではいけない」と言ってるだけですよ。


実例を挙げますね。

今から十年以上前かな。
或る人Oさんと言うヒトが、ゴールデン・レトリバーの老犬を拾ったんですと。
その犬は誰かに捨てられたのか、自分で逃げたのか知りませんが、
とにかく野良犬になっていて、痩せこけていて、気の毒だったので拾ったんだそうです。
で、Oさんの家には他にも同様の犬がいて、全部で三頭飼っていた。

この話を当時、K子がしてくれました。
私は(へえ)と、思っただけでした。
どう感じた?と、問われればそうですねぇ、
「笑った!」と答えるでしょう。
だってバカバカしいじゃありませんか、老犬の捨て犬を三頭も拾って飼っているなんて!
笑うしかありません。
勿論この笑いはOさんをバカにしているのではなくて、面白いから笑ってるんです。

で、K子はさらに、こんな話をしてくれました。
Oさんが老犬を拾って飼っている話を聞いたRさんと言うヒトは
「まったく。気がしれないよ!」と、言ってたそうです。
まぁ、それも言えるかな。
モノ好きっちゃあモノ好きです。
Rさんはやり手で有名な人なので、きっとOさんをバカにしたのかもしれません。
Rさんから見たら殆どの主婦は「何も考えていないお人よし」に見えると思います。
Rさんは計算高く決して自分の損はしない、頭の先が働く人ですから。
この人を恐れる人や嫌う人もいましたが、私は好きでした。

K子は優しいので、Oさんの行為はきっと「優しいなぁ、偉いなぁ。」と映っていることでしょう。

ちなみにOさんは性格がきつく恐れる人や嫌うヒトもいましたが、私は好きです。
私は他人の評価や評判は参考意見に留めておく。
評価は自分で下します。


さて、Oさんが捨て犬、しかも老犬を拾って育てていることについて、
皆、感じ方が違う。

◆Rさん=Oさんの気が知れないと、呆れる=非難、反対意見、対立
◆K子=Oさんて優しいな、良いことをしたね=共感、称賛、親和
◆if=わははh!こいつは笑える!=非難も共感もしない、楽しむ

円グラフを想像してみましょう。

すると、Oさんが老捨て犬を拾ったことに対して三人の反応は

◆Rさん=Oさんの対極
◆K子=Oさんと同じ位置
◆if =Oさんと対極のRさんの中間地点にいるか、
     Oさん達が居る平面より上の段階、上から俯瞰、同じ土俵に居ない

こういう図式が浮かびましたが、どうでしょう?
自分が一段階上、ってのが不遜な気もしますが、事実なんだからしょうがない。

他にも実例を挙げましょう。

<感受性について2・・・感じ方はひとそれぞれ2>(2008年6月7日)


これも昔の話です。
私の父が毎年同業者と海外旅行に行くんですよ。
大抵東南アジア、中国、韓国ですかね。
あとはハワイとかオーストラリアとかかな。
近いところが手っとり早くていいんでしょうね。

で、或る時。
飛行機の中で父がくつろいでいたら、後ろの席から足が伸びてきたんだそうです。
ろくでもない業者ばかりの旅行なのです。
同業者の或る会社の若社長がリラックスしようとして、
靴を脱いで前の席に足を伸ばしたようです。

で、私の父ってのはT市では10本の指に入るかもしれないほど凶暴な人でして
その足を見るやいなや、安全ベルトで殴り始めたんだそうです。
この記事を書いてる最中も笑いが込み上げてきます。
で、ガッチンガッチン、ベルトの金具部分で殴っていたら、
後ろの席の●●会社社長が
「痛え痛え!」と喚いた。
するとうちの父、
「痛えためにやってるんだ!」と、怒鳴ったそうで・・・
すぐ足は引っ込んだが父の怒りは収まらない。
騒ぎを聴きつけたスチュワーデスが駆けつけて
「済みません、済みません!」と、謝ったそうです。
「あんたが謝ることはない!」と、なおも憤怒の形相が収まらない父なのでした。


と、この話を父から聞いた時
◆母は呆れ顔で無言。
◆「呆れた!」「最低!」と言ってバカにし、怒ったのは妹。「日本の恥」と言ってた。
◆「痛えためにやってるんだ!って、既に日本語じゃねえし。」と
  突っ込み入れたのは中の弟
◆私は笑い転げました。そりゃ呆れるけど、面白いじゃん?
  バカバカしいのは好きなのでOKですね。

いや〜感受性って人それぞれですね!

私は大抵の場合笑ってしまいます。
勿論面白い話に限りますがね。

北京オリンピックの聖火リレーがイギリスで猛反対に遭い、妨害された後、
フランスへ行くことになった。
フランス人が「もっとやってやるぞ!」と、聖火を待ち構えている、という報道を聴いたら
可笑しくてしょうがありません。
主人と笑い転げていましたわ。



不謹慎に見えるかもしれません。
でも、中国VSイギリス、或いは中国VSフランス、という対立の図式とは
同じ平面、土俵、レベル、次元(レベルという意味で)にいないことはたしか。

ここで感情的になれば、同じ土俵に上がったことになります。

<感受性について3・・・驚くほど低い感受性>(2008年6月7日)


或る方Bさんからこんな報告がありました。

ホテルに泊まったんだそうです。
Bさんのお母さんとお兄さん、Bさんのお子さんとで。
で、バイキング形式の朝食の時、
スクランブル・エッグが無かったんだそうです。
Bさんは(無いのね)と、思っただけでした。
ところがBさんのお母さんとお兄さんが怒っているんだそうです。

「何でスクランブル・エッグが無いんだ?考えられない!」と。

Bさんは無いなら無いで別にいいし、そんなに言うことではない、と思っていた。
でも、お母さんとお兄さんは本気で怒っている。
で、ホテルの人にスクランブル・エッグを作ってくれ、と注文したそうです。
ホテルの人は心よく作ってくれた。
で、Bさん達のテーブルに運ばれてきた。
山盛りのスクランブル・エッグ。
Bさんはサービスしてくれたんだな、申し訳なかったな、でも有難う!と思っていたら
お兄さんの発言を聞いてビックリ仰天した。

「あてつけだな。」





は?





お兄さん曰く、スクランブル・エッグを注文した客に、ホテル側がムカつき、
あてつけに喰いきれないほど大量に作って持って来たのだ、と。
Bさんは驚きました。
こういう考え方もあるかと。


Bさんは思った。
(こういう考え方をしていたら人生を生きるのは大変だろうな)と。
同感ですね。
お兄さんのトンデモ発言を聴いても感情的にならず、このように思考出来るBさん。
かなり波動量は多く、意識レベルは高いと思います。


お兄さんがこうなってしまったのは
お母さんがそういう人だからだそうです。
何でも素直に受け取れない人。
Bさんは大変苦労したそうです。
お兄さんもBさんと同様に苦労したはずなのに、結果はお母さんと同類で、
同レベルになってしまった。
だから、本人は苦しいのでしょう。
Bさんはお兄さんの心を思いやると、気の毒で仕方ない。
でも、他人の考え、感じ方を変えるのは不可能です。

私は
「良い性格は一生の宝」だと思っています。
多少頭が悪かろうと、身体が不自由だろうと、性格が占める割合に比べれば
たいしたことはありませんよ。


また、
感受性=意識レベルです。
意識レベルがちょっとやそっとでは変化しないので
感じ方を変えろというのは無理です。
本人が自覚して死ぬ思いで向上させない限り、上がりません。

それを考えると気の毒です。

<感受性について4・・・物事を悪く取る人>(2008年6月8日)


私が驚くのは「物事を驚くほど悪く取る人がたまにいること」です。
これにはびっくり!
でも、驚くことが好きなので、まぁ、いいかな。
Mさんから、そういう人(物事を驚くほど悪く取る人)の報告があったので、
参考までに実例として載せます。
皆さんの周囲にも必ずこういう人は一人や二人居るはずです。


ifさん


こんばんは。

昨日、今日の「人間のはなし」の記事はですが、
私もちょうどこの記事とシンクロだーと思うくらいの
できごとが職場で起きています。

ウチの職場は、医療関係なので
仕事説明などオリエンテーションをキチンとすればいいのに
あまり教えてくれもせず、見て聞いて覚えないといけないところでした。
その職場にかなりきつい物言いをする人達がいるのですが
その人達は新人がわかっていないのにわかったつもりで行動しないよう
ミスになる前に厳しく注意する人達です。
(その突っこみは、ホントにきついものでした。)

◆おお、まるでウチの近所のOさんやRさんのようだ。
  二人とも裏が多少はあるようだけど、
  でも、そんなのは誰でもある。
  一見おとなしいようで、他人の言うことをほとんど理解しない人の方が
  困りものですよね。


そんな人達に多少の不満を感じつつも、
とにかく仕事さえ覚えてしまえばこっちのもんと思って
きつい注意も何のそので、
むしろ怖い人に積極的に質問するなど前向き前向きにやっているうち、
他の人達も私を受け入れくれつつあるようでした。
そうなると、きついと思っていた人達は実は気さくで裏が無く
責任感ある人達ばかりがいる職場だとわかりました。

◆感情的にならず物事の本質を見抜いたんですね。

そんな職場をますますラッキーと思える私なのですが、
私と一緒に採用された40歳ちょいの女性の方は、
注意してくる強い人達に対して強い緊張感を抱いていて
そのうち恐怖感に近い感じで避けるようになり
聞かなければならないことも聞けずに仕事で失敗したり
取らなければならない確認も取らずに医療ミスを犯しそうになったりしていました。

◆弱いんですね=。

私はその人に、「とにかく仕事を覚えるしかないよ。」
「きついこと言われてもきつい言葉はスルーして、
教えて貰った事だけ受け入れればいいんじゃない。」
「きつく注意する人にこそわからないことを聞くべきだ。」と励ますと
「そうだよね。」と彼女は返事していたのですが、
私だと全然気にならない注意の意味を理解することもできず
少しずつ恨みとして溜めていたようで

◆その人は無自覚、無意識に人間を敵と味方に分けているんでしょうね。
  自覚、意識的かもしれませんが。
  弱い奴ってこれ(敵と味方に人を分けること)をやるね。
  
  何が弱いかというと、「気」や「頭」ね。

  相手と同じ平面で戦ってる気になるのね。
  でも、相手はそんなこと、考えていない場合だってある。
  それなのに、「やられた!」と、思って悔しがり、
  それ(自分がやられた、と思っていること)に対して、報復しようとする人がいます。

  これは確実に居ますよ。
  
  何でそんな風に受け止めるんだろう?と、不思議になるが、
  しょうがない、
それがその人の「感受性」なんだから。
  そういう感じ方はするなよ、って言っても、理屈は理解してもらえるだろうが、
  そうは言っても、本人はそのように感じちゃうんですよ。
  他の感じ方をしろ、って言っても不可能に近い。
  
  何が大変かと言って、
「モノの感じ方を変える」というのが一番大変ですね。

  理屈なんか通用しません。
  理屈以前の問題だからです。
  感覚の問題だからです。

  で、この
感じ方は感受性で、それが意識レベルですね。

  巧く説明できないけど。


彼女は相手が自分に意地悪をすると思い込むようになり、
ある日、また強く注意を受けたときに、
プッツンして逆切れしてしまったのでした。
その日、私は休みを取っていたので現場を見なかったのですが
後から聞いた彼女の様子は、表情もかなり変わり危ない状態になって
恨み溜まっていた人に食ってかかったそうです。

彼女から私に電話があったときは、自分のやったことのほとんど話さず
相手からされたことばかり話していました
それは相手の人にも確認を取ってわかったことでした。
(まさに、低級霊が取り憑いていたかの様子です。)

◆幻の「意地悪」を作りだして、それと闘ってしまったんでしょうね。
  そういう女はいます。
  (男にもいる)

  
  私とkarenが勤めていた職場にもそういう女がいましたよ。

  その女はとても「善い人」で、明るく楽しい人だったが、
  思考力が乏しかった。
  
  
※思考力が乏しいと書いたけど、「本当の思考力のつけ方」を知らない場合は、
    思考力に乏しいんです、誰でも。

    いくら、学歴が高くても知能が高くても、それは関係ない。
    だから、通常、人はほとんど全員「本当の思考力を持ってない」ということになる。
    だから、いいんだけど、その中でも「特に思考力が乏しい人」という意味です、この場合は。

   で、この女は思考力の乏しさから誤解をしては、その相手に電話をかけ、
   喰ってかかっていた。
   やられた人は4人ほどいました。
   karenも優しくおとなしいのでやられたw
   karenは何も悪いことはしていません、むしろこの人のために良いことをしてあげたのに。
   この女が勝手に誤解をして、逆恨みをしていたんですよ。
   被害者の方達は気の毒でした。

   私はこの女にやられたことはないけど、もし、そういう電話が来たら
   返り討ちにしてやったのにな、と思うと残念です。


   
返り討ちにしてやる・・・なんて書くと、物事を悪く取る人は
   (if って何て意地悪なんだ!)と、思うかもしれませんが、この言葉は冗談です。
   
if って意地悪だ!と、思うのはその人の感受性
   これ(そう受け取る人の無感受性)は他人には変えられない。


   もし、私に文句の電話が来たら、こういう女には理屈は通用しないが、
   一応、頭に入れておいてもらうために、理屈を情報として、相手に言います。
   
言語化という作業を代行してあげます。
   それで、とりあえずは聞き入れようという態度になればよし。
   (態度だけ従順だが、心は受け入れない、というのが殆どですがね)

   忠告に対してなんだかんだとまだ理屈

   (本人の理屈。今、求められているのは
   本人の理屈では無くて、その上なんですが、これが分かるようなら
   最初から、まずいことはしません。
   分からないから自分の理屈でやっているわけです。
   分かりたいならそれを超えなくてはならないが、99%無理ですね)

   で、まだああでもないこうでもないと言ったり、感情的になる場合は
   こちらとしてはキレたふりをして怒なってやります。

   その理由は、こちらの言ってることが理解出来ないってことは分かるが、
   相手に「こっちは怒っているのだ」「そういうことを言うと、すると、怒られるのだ」と、
   いうことを「知ってもらう」ためです。
   動物相手のような感じになりますが、仕方ない。
   
「人間とは相手の言ってることを理解する」だからです。
   (私の定義)
   相手の言うことを理解しないのは厳密には人間とは言えないので、
   しょうがない。
   なので、「そういうことを言うと、すると、怒られるんだよ」ということを体験していただき
   嫌な思いを抱えて生きていただく。
   いつか、知恵がつけば理解出来る可能性がある。
   知恵がつかない場合でも、「これを言うとすると怒られるのだ」という知識は得られる。
   分からないまでも、それだけは学習していただきたい。
   そんな感じです。

  
 つまり、「親切」や「慈悲」です。

   と、書いてもこれを素直に受け取る人と「言い分けしちゃって」と
   受け取る人が居ることもたしか。
   これも、その人の感受性です。

  
 他人の感受性(感じ方)は、コントロール出来ない。
   
変えるのは無理。
   変わるには本人の自覚が必要で、その時を出発点として、
   それから先は死ぬ思いの努力が必要。


  で、本当に余談ですがPANDORAを開設して3年。
  それが出来る人だけが残りました。
  (例外は少数ながらいると思います)
  私がわざわざそうした(切り捨てた)のではありません、相手から離れていきました。
  同波調の法則の結果です。
  感情は1ミリも動きません。
  ますます楽しくなって来ましたw


彼女は、見た目は大人しそうな人なのに
言うことと実際の行動にも食い違いがあり
どこかいつも言い訳をしてプライドだけは曲げない、
でもその自覚が全然無いような人です。

低次元ですね。
  何も分からない人なんでしょうね。


  私は大学時代に、指導教授に「××さんは色が黒い。」と言ったら教授が
  「そりゃヒドイな!」と答えたので、呆れた。
  教授がこのようなレベルで居て良いものか、と思いました。
  色グロ=悪、ダメ、マイナス要因、と誰が決めたのでしょう?
  それを言うなら、まずは
  色グロは悪でダメでマイナス要因であるか否か、というところから検証するべきでは?
  それを抜かして、まるで色グロ=悪、マイナスであることが当たり前なことから
  始めるってのは如何なものか?

  先入観を持っていて研究が出来るだろうか?
  この人はその点ダメだな、と思いました。
  真っ白な心、先入観の無い目が、研究には必要です。
  いくら頭が良くても、上の条件を満たしてない限り、その研究成果は???です。
  大学教授には幾つかタイプがあるようです。

  自分独自の考え、固有の考えを持っている人は例外と言っていいくらい少ない。
  ほとんどの人が生まれてから家庭や社会から教育、洗脳されただけですね。
  そういう人に「本当のオマエの考えとは何か?」と訊いてもワケが分からない。
  
  まずは、そこから始めないとなりません。
  その言葉に感情を入れず、ただ、情報として受け取れるかどうか、からです。
  これが出来る人は殆どいない。
  大変頭の良い人でも出来ていません。
  それだったら「何も知らない、教育受けてない、常識知らない子供」の方がずっとマシです。
  日月神が
「生まれ赤子の心と成りて下されよ」と、何度も警告しているのはこのことでしょうね。


同じように注意をされても、それをプラスに受け止めるかどうかで
私は昔からいるかのように馴染みつつあるのに
彼女は自分が悪くないと思い込むばかりで成長もできなくなり
孤立し始めているんですよね。
考え方一つで変わるのに、プライドに固執する彼女は
ifさんの記事にある人のように生き辛いだろうなーと思いました。

でも、本人が死ぬ気で変えようとしない限り
変わらないし成長の見込みがないということもますますよく解りました。
だから私は、そんな彼女の話しに付き合う事は止めて
私の時間を大切に使っていきます。
そして職場のハッキリした人達と楽しく仕事頑張ろうと思っています。

◆同波長、異波長の法則通りですね。
  それが良いと思う。
  その、分からない人と共に時間を過ごしても得るものは無いでしょう。

◆その新人さんはその職場の方達と異波長なので、これからは離れる方向に進むでしょうね。
  
「同質結集」「同類の法則」により。

◆その新人さんにはその人に相応しい場所(職場)があります。
  そちらへ行く方向へ、運命が動くでしょう。
  全員、そこ(医療関係)に居れば良いというものではない。
  波長が合えば天国、合わなければ地獄。
  どんな職種、職場でも、そうです。
  良い悪いではない。


昔の私なら彼女に引きずられていたでしょうが
それもなくなりました。

◆多くの人がそれ(引きづられ)をすると思います。
  分からずやの人の愚痴や悪口を延々と聴く、という作業のことです。
  それをすることによって、少しでも相手の心の負担を軽くしてやろう、
  という優しい心から発生した親切です。
  でも、それは不毛ですね。
  何にもなりません。
  と、いうことにMさんは気づいたんですね。


これもPANDORAのおかげでしょう。
どこでも学べる。
ほんとうに嬉しいですね。


◆でしょ?でしょ?
  しかもタダで。
  タダってところが一番魅力です。
  しかも臨場感たっぷり!
  自分が参加しているんだから、こんな面白いことはありませんよ。

  Mさん、参考になる話を有難うございました。

<感受性について5・・・「舐めてる!」>(2008年6月11日)


最近秋葉原で無差別殺人をした容疑者は、犯行に及ぶ数日前に出勤したら
自分の作業着のつなぎが無い、ということに腹を立て、
「この会社は舐めてる!」と怒ったそうです。
そこにあったつなぎをめちゃくちゃに荒らし、怒って帰ってしまった。
翌日無断欠勤。その翌日レンタカーを借りて無差別殺人。

実はつなぎはあったそうです。
ちゃんと服の襟のところに名前が書いてあって、それがあったのだそうです。

勝手に誤解をして怒る。
こういう人、実は多いですね。
8割はいくと思います。
「世の8割は獣の入れ物」日月神)

怒り方はひとによって違います。
ケモノにもいろいろあるのです。
おとなしい獣から凶暴な獣までさまざまなレベルの獣がいます。

この人は
普段から暗い気持ちで過ごしていたので、なんでもないことを
悪く受け取る心の姿勢になってしまった
のでしょう。
カラオケ店で歌っていたら他の客が「マイクの調子が悪いね。」と、
歌っている人をサポートする発言をしたのにも関わらず、
「バカにされた!」と、怒って暴力をふるった男
もいます。

ケモノが暴れているのです。


このように「なんでもない言葉」を、自分への攻撃と取る人が増えている。
「舐めている!」
「バカにしたな!」

と言う感受性は、自分が他人を観察する際に頭に
「舐めているか、舐めてないか」
「バカにしているか、バカにしていないか」
という観点で見ているからですね、これが心の姿勢です。

そうではない、といくら説明しても、これは理屈の問題ではなく、
感受性の問題なので、変えろというのはかなり難しい。

当人には獣の入れ物となっている自覚は勿論なく、
マットウであると無意識に思っています。
(※無意識に思う、とは、果たして自分がマットウなのかそうではないのか、
   と、思考しない。つまり、言語化をしないで、何となくそのような
   心の姿勢になっている、という意味です)

これを変えるのは他人には無理です。
本人が自覚し、自分の心の姿勢を根本から変えない限り不可能。

普段からこのような心の姿勢で生きている人はちょっとした切っ掛けが
あれば、低級霊に思考を乗っ取られてしまうことがある。
通り魔事件はほとんどコレが原因であると思います。

通り魔にならなくても事件を起こさなくても、このような心の姿勢で
生きていることは低級霊と同化している、ということなので、
先々大変まずいことになります。

<感受性について6・・・「私はまだ1/3なんだ!」>
(2008年6月11日)

或る女性の方からメールが来ました。
仕事で失敗したそうです。
お客さんが出した硬貨を良く見ないで受け取ったら外国のコインだったそうです。
先輩は怒らず注意しただけでしたが、本人は大変ショックを受けました。
自分がぼんやりしていたことに泣けて来たそうです。


その後PANDORAに
「女は女として生きてるだけでは1/3、
結婚して1/3、子育てをして残りの1/3を生きる」
とあったのを思い出し
(そうか、私は独身だからまだ1/3しか生きてないんだ!
 それなら一人前ではないから、失敗したってしょうがないや)と、
思い直し心が明るくなったそうです。

上の私の言葉(本当は生長の家の言葉)は、ひとが聴いたら
「なんてこと言うんだ!バカにするな!」と、怒っても仕方ない言葉です。
「子供が居ないと1/3足りないと言うのか!
子供がいればいいというのか!人をバカにするにもほどがある!」とかね。
いくらでもクレームつけられますわね。
あ、クレームは生長の家へどうぞ♪

このような誤解され兼ねない言葉も感受性の素直な方にとっては
心を救う福音となる。
素直な心にはどのような言葉も自分を攻撃するものにはならない。
日月神が
「生まれ赤子の心と成りてくだされよ」と、何度も言うのはこのためです。

「私は1/3なんだ!」と、上の記事の「舐めてる!」とはその境地に
天と地ほどの差がある
のは分かると思います。
見掛けでは心の中は分かりません。
しかし、心は片方は天国、片方はヂゴクを生きていることは間違いありません。


アセンションとは知識や情報をいくら集めても無駄だと思います。
最低限の知識情報は入れておいた方が良いとは思いますよ。
でも、細部に渡って知りに知り、集めに集める、その暇があったら
自分の心をまずは天国的なものに変化させた方が良い。
情報を集めるのと同時に出来ます。

そして、変化とは急には起こりません。
毎日毎時間毎分の自分の心を見て、少しでも心がきれいに「生まれ赤子」に
なるよう、精進しなくてはならない。
一日の進歩は畳の目一つだそうです。
でも、一年〜数年かければだいぶ進歩しているはずです。
たまには大きく悟ることもあります。
ジャンプしたりワープしたりもします。
「もう遅い」などと、諦めてはいけません。

「私はまだ1/3なんだ!」と、喜んだ方が居るということが
私にとてはとても嬉しいことです。
「人間のいろいろ」を書いてきて良かったと思います。

<低次元ということ>(2008年6月8日)


で、「低次元ですね」などと書くと
「低次元とは何事だ!人をバカにするのか!」と、思う人が必ずいる。
これも物事を悪く受け取る人ですが、勿論当人にはその自覚は無し。
事実を言ってるだけなのに、そこに「善い・悪い」という価値判断を必ず入れる人、
つまり、それがその人の感受性です。

例えば「あの人背が高いよね」と言う言葉を聞いて
「背が高いとは何事だ!」と、怒る人はあまりいません。
それは世間的に一般的に背が高い=良いことである、という前提条件が出来ているからです。
自分固有の考えというものが無く、世間の考え、一般論、「常識」が
自分の考えになっている人です、これが殆どです。

背が高い、と言ったことに対しては
「へえ、そうなんだ、背が高いのか」と、思うだけなら良いが、
背が高い=良いこと、と受け取ってしまう人。
まずいです。

これが「背が低い」となった場合はどうでしょう?
これは世間的一般的に言うとマイナスの評価になるのではないか。
すると、自分固有の考えの無い人は
背が低い=悪い、と受け取りますね。
そして、背が低いと言った人に対して「そういうコトを言うモンじゃない」くらいの
説教を始めるかもしれません。
説教する前に、背が低い=マイナス要因である、ということを確認するべきですが、
そんなことは通常、しません。

そこまで考えが及ばないのです。
その人の思考の限界。

<低次元(続き)>(2008年6月8日)


低次元と聞いたら「そうか、低いのか、分かった」と、思えば良いのでは?
低次元と聞いて「低次元だと!いったい何さまのつもりだ!この野郎!」と
感情的になるような低次元の人には思考力はつかない。

気温が低い、と聞いて「何だと!気温が低いだと!バカなことを言うな!」と
怒る人はいない。

低次元も低気温も物理現象なのに、一方には怒り一方には感情は動かない。
低次元と聞いたら「そっか、低いのか分かった」と、分かれば良いことです。
低気温と聞いたら「そっか、寒いんだね」と分かるのと同じように。


で、
低次元だったら「それを高くすれば良い」だけです。
低気温なら「暖かくなるまで待つ」か「暖かくなくために工夫する」か
選べばよいので、感情的になる必要はありません。

でも、ここらへんが理解出来ない人、低次元という言葉に必ず感情が入る人、
その感情を
浄化出来ない人には、不可能なことです。

浄化とは生まれてから他人によって作られた思い込みを、
一つひとつ自分で検証し、言語化して、手放すことです。

そこらへんが出来て分かって行ける人は少ない。

◆素質的には出来る人が7%だそうです。
◆高次の人間になる素質のある人のこと。
  例を挙げると<感受性について3・・・驚くほど低い感受性>
(2008年6月7日)
  を報告してくれたBさん。
◆素質はあっても、そのことに対するサトリが無いため、一生悟れない人が多い。
◆なので結果としては人類の1%くらいしか、悟れないことになるようです。
◆素質が無くても私のように理詰めで考えて、時間を掛ければ可能です。
◆この場合の時間とは、10年以上です。

 必ず10年必要というのではなく、かけた年数に比例して分かる方向に進みます。
◆人によって遅い早いはあります。
 マイペースで進むしかありません。

余談<教授のタイプ>(2008年6月8日)


この教授は教授というよりは商人に近く、政治力が高かったです。
それはそれで結構なことです。
大学教授の中には

◆教師タイプの教授=学生に教えるのが巧い
◆政治家タイプの教授=学長になるのが巧い
◆商人タイプの教授=外の世界との付き合いが巧い、常識人間
◆研究者タイプの教授=学問研究一筋、外の世界とは無縁に生きている


などがいます。
そのどれも結構なことで、私はみんな好きです。
どれが上でも下でもありません。
タイプが違うだけです。

<相手と、言葉の意味を一致させること>(2008年6月6日)


或る方に「言語化したらいいんですよ。」と言ったら
それを「相手に言葉にして伝える。」「言う。」「喋る。」ことだと思った、
ということが分かり、驚きました。
私が言う言語化とは、脳内作業です。
無意識無自覚でいて言葉になっていないものを、ハッキリと認識するために
言語化する、という意味です。


同じ言葉でも人が抱くイメージは様々です。
同じではありませんね。
同じく日本語を喋っているので、通じていると思ってしまう、これが慢心です。
そして誤解をする、これが取り違えです。
「慢心と取り違え、一番怖いのぞ」(日月神)

相似象ではこの点について、警告をしています。
お互いの理解のためには、
◆自分が言ってる言葉の意味と相手が言ってる言葉の意味とが
  果たして一致しているかどうか

それを常に意識しないといけませんね。
でも、これをやらない人が殆どですけどね。


日常生活では見えているので見れば分かることもあるし、
お互いの状況を知っているので通常そこまではやりませんが、
メールの場合は見えないので、ここらへんを意識してやった方がいいです。
本も同じです。
なので日月神は何度も何度も
「慢心と取り違え、怖いのぞ」と警告しているのです。

<主婦業=菩薩行>(2008年6月5日)


下の記事<今日の料理>の中で「主婦が家族のために毎日家事をするのは菩薩行」という内容のことを書きました。

主婦がする家事はあまり感謝されていません。
社会的にも認めてもらえない。
少しは認めたり感謝されるかもしれないが、「たかが主婦」みたいな気モチが誰にもあるのではないか。
主婦本人にさえあるのではないか。
仕事の才能が無いので仕方なくやっている、みたいな気持ちがあることは否めない。
多いか少ないかは別として。

せっかく主婦が家族のために一生懸命やっても、認めてもらえないような気がしてしまう。
主婦が主婦業をしているだけで素晴らしいのに、ここで勘違いをする。

実際、周りで子育てで悩んでいる人を見れば
手をかけすぎと言うか、何でそこまでしてやるの!?
と不思議に思えます。(私やその友人がしなさ過ぎなのでしょうけど)


という情報が来ました。
せっかく菩薩行をしているのに、判断力が足りないためにこのような事態になっている人が多い。
お子さんが登校拒否になったりいろいろ不都合を起こしている人です。
また、感謝してくれない、認めてもらえない、と、
「〜〜してくれない症候群」に罹っているいる人もいる。
主婦が主婦の仕事をしているだけで素晴らしいのに、そこに何か欠落感を感じてしまい、
満たされない心を他のモノで満たそうとすれば、うるさいほど子供の世話を焼いてみたり
従わせてみたりするのかもしれない。


でも、主婦業は菩薩行ですよ。
菩薩は感謝なんかされません。
されたら菩薩では無い。

菩薩の働きは並の人間が見たって分からないからです。
自分より上の次元のことは見えないのです。

(※菩薩といえば聖フラグメントなどは周囲の人間のために生きていますが、
   普通の人はそれが見えないので
   尊敬されるどころか、舐められたりバカにされたりコケにされたりw
   でも、怒りもせずやはり世のため人のために生きています。
   それも別に意気込んでもいなくて、それが彼にとっては「普通」なんです)

主婦業は菩薩行ですが、それについて、不満に思っているレベルなら、その人はまだ菩薩レベルに達してない、
と言えます。
菩薩行≠菩薩
です。
誤解のないよう。


私は菩薩じゃないので家事のやり方が違う。
掃除は毎日はやりません。
たまに「掃除強化月間」と名づけて家中の大掃除を朝から夕方まで、一か月間やったりしています。
その時は子供のことは放置しています。
御菓子作りに凝ればやはり一か月間くらい、毎日お菓子を作ったり。
こういうのは通常の主婦業ではありません。

毎日家族のために、全ての家事をほどほどにこなすのが主婦。
プロの腕前はなくていいんですよ。
主婦がプロの腕前を獲得したらプロが困ります。
全ての分野で欠けが無いよう、漏れが無いよう、家族のデータを頭に入れてほどほどにするのが主婦。
心を使う、心を砕くのが主婦の仕事。
それが見えない人には何も見えない。
主婦業の中で目に見えること(料理掃除育児社交など)はほんの一部です。

カリスマ主婦というのがいますが、
主婦は突出している分野や才能はなくて良いんです。
突出している才能ってのはサヌキです。
主婦は専門分野はなくてもいい、家族の状態を頭と心に入れて(アワ)、家族に合わせて(アワ)
一番良い方法を探るのが仕事です。
この一番良い方法を採るためには波動量を増さないとなりません。
そのために毎日訓練する必要がある。
それが主婦の仕事です。

サヌキは他人から見える
アワは通常他人から見えない


主婦業はアワなので、これが見えない人、多いですね!
でも、
サヌキよりもアワが大事です。


社会的にも認められず家族からも感謝されないが、だから菩薩行です。
毎日楽しく主婦業に専念することが人格を磨き、波動量を増し、意識レベルを上げることになる。
さらに人生を楽しくするためにトンデモ情報を仕入れるといいですね。
トンデモ情報で驚いたり面白がったりするのもいいが、それを得てさらに人格を向上させるともっと良い。
違う視点から物事を見られるので、知恵が憑き、余計な感情も考えも減ります。


また、菩薩行は主婦業だけではありません。
全ての仕事職業がそうです。
それをしているだけで世のため人のためになっているのだから、菩薩行です。
なのにそれが分からず気づかず、何か満たされないものを抱えては尊大(卑屈)になる人がいる。
ただその仕事をすればいいのに、威張ったり僻んだりする人が多い。
淡々とこなせば良いのにね。
せっかくの仕事が台無しですね。

「鍬(くわ)取る百姓の心は尊い」みたいなことを日月神は言ってます。

<何故今世主婦なのか?>(2008年6月5日)


閲覧者の主婦の方が前世を調べたら殆ど男性だったそうです。
しかも学者が多く、何かを専門的に研究していた人ばかり。

それから、ジュネさんの解読ですが。
 
アトランティスの天体観測の仕事ですが、現在の仕事よりだいぶ進んだ科学で、
宇宙ステーション等もあったとか。
だからifさんにもお会いできたんでしょうね。
 
それから私の前世を見ていただいたとき、普通はランダムに出るのに、
私は律儀にちゃんと今世の一つ前から二つ前、三つ前・・・という風に出てきたと
おっしゃっていました。
一つ前はアメリカで大学の教授で冒険家まがいな仕事。
二つ前はギリシャで獣医。
三つ前はエジプトで建築家。
 
八割がた男性だそうです・・・・。
そしてなんか見るからに使命に燃えている感じ?な人みたいですね・・。



でも今世、その人は主婦です。
結婚してから長いこと、主婦をしていました。
最近職場に復帰したようですが。

何故、前世の殆どを男性として生き、専門的なことをしていた人が
今世女性に生まれて主婦をしているのか、です。

今は大事な時のようです。
アセンションするかしないかの瀬戸際のようです。
アセンションするのに必要なのは
◆素直な心=生まれ赤子の心
◆明るい心=明るい想念、プラス思考、良い想念
◆利他心=我よしでは無い心

ですかね。


男性はアワが少なく単純で良いと思うが、反面三十歳過ぎると頭が硬くなる人が多い。
社会に出て十年以上経つと妙な自信が出来あがってしまう。
「オレは今までコレでやってきた」
「だからコレで間違い無い」

という、根拠の無い自信、自負心が発達する。
そして、物事が分かる能力はほとんど訓練されてない。
男性は女性に比べて頑固で頑迷なようです。
単純さだけが救い。

また男性は社会に順応するタチなので、この社会、この世界に順応してしまう。
この社会で巧く生きること=成功、みたいな気に意識的無意識的になってしまう。
そういう面が無いとやっていけないことも原因ですが、
そこを意識化して
「本当は違うけどな」と、分かっていれば良い。
知ってるだけではだめ、分かってないと。

男性は女性に比べて頭が硬くなる。
このことを知っている男性でも、自分は頭が硬くなっていることに気づかない場合もある。
大変ですね。


その点女性は本質がアワ。
心が多い。
心が腐っている女が多いが、そうでは無い場合もある。
女が腐ると男より悪い(高校教師達の言)ので、今世、女に生まれることは
良い、とは言えない、一か八かです。
ギャンブルです。

「今世、女に生まれて心のことを悟り、家族友人、世のため人のために生きる」
「つまりアセンションする」
「さらに周囲の人(縁の有る人)もアセンションさせる」
ために、生まれて来た人が多いのではないかと思います。
だから、前世男性の学者ばかりの人でも今世また学者をやって頭がガチガチに
なったら失敗する可能性が高いので、今世女性に生まれたのではないかと思う。

アセンションには専門的な知識は必要ありません。
(参考までに採り入れるのは良いと思う)


女性に生まれたら年齢が来たら結婚して主婦になる人が多いと思う。
生長の家によれば
「女がそのままで生きているなら人生の1/3しか生きていない。
結婚してさらに1/3、子供を育てて残りの1/3を生きる。」

と説いています。
結婚していない人、子供が居ない人には耳が痛い説ですが、
これは生長の家の谷口雅春が言ってるので、私のせいではありません。
文句はそちらへ言ってくださいね。

で、上の視点で見てみるとやはりそれは言えるのではないかと思います。
女には豊富なアワを持っている、そのタチ(本質)から、
「アワを鍛え波動量を増す」ことが使命です。
仕事はサヌキなので、女が専門的な分野(サヌキ)でいくら成功しようと、
それは女の本質(アワ)を発揮したことにならないのです。
ここが男性と違う点。
男性はサヌキですから(アワ男もサヌキ男も、本質はサヌキ)
仕事(サヌキ=行動)で才能を発揮し、世の中を作るのが使命。
勿論男性だってアワ(心)が無ければやっていけない。
アワのレベルが低ければ自滅しますよ。


今、主婦をやっている人は何と言いましょうか
「ちょうど良い時にちょうど良いことをしている」としか、言いようがありません。
このラッキーに気づいたら
周囲の人の波動量が上がるために頭を使うか(アワ量の多いサヌキ女)
周囲の人の矛盾を一手に引き受けて、その場が明るくなるよう心を砕き、
縁の下の力持ちになるか(アワ女)

どちらかの道を選べます。
選ぶというより、その人のタチによって決まってしまいますが。

世界の中でも最も恵まれた国である日本。
その国で主婦という恵まれた身分でいるのだから、それに安住せず、
その幸せを自覚してもらいたいな、と思います。



今世、若くてまだ結婚していない人やお子さんが居ない人は
「ダメ」だというのではなく、

「女がそのままで生きているなら人生の1/3しか生きていない。
結婚してさらに1/3、子供を育てて残りの1/3を生きる。」

ということを頭に入れ、自覚すればいいんです。
世の中には結婚してても子供がいてもダメな人が殆どなので
(※ただ、このダメさ、とは質は違うが)
決して卑屈になってはいけないが、「それがどうした」と言って居直ってはいけない。
感情を動かす必要はありません。
ただ、頭に情報として入れればいいんです。

<女に生まれて良かった♪>(2008年6月5日)


上の記事<何故今世主婦なのか?>を読んだYさんから。

(何故今世主婦なのか?)を読みました  
私もほとんど男性が多く(宇宙、天文、星図などを研究し、教えてたとの事)女性はシャーマンなどで、、で
実は  ダンナさんとは縁が深いと言われて兄弟、恋人、戦火で散り散りになった時に、
また生まれ変わってその時は最後まで添い遂げると決めて来てる。
とジュネさんに言われました。  
確かに、懐かしくしかも私の方が何歳か年上です。
解読受ける前からも、家事主婦業の苦手な私、料理を作ってストレス発散してるダンナさん。
やっぱりと思いました。

しかも、仕事の大変さを見て感じると、、つくづく女性で良かった!と思います。

そうなんですよ。
あまりにも社会で生きること、仕事が大変なので、男性たちは精神どころじゃなくなっているんです。
もともと女より心に疎いところへ、マスコミが変な風調を作る。
「宗教」とか「カルト」とか、そういう誤解を敢えて声高に言う。
いろんな惑わしがある。
男はそれを信じてしまう。

何故なら元々女より物事が分からないように出来ていて、
社会の方を信じるような精神構造をしている。
勿論、男性の中のマットウな人は女が足元にも及ばない人がいますが、
それは誰も知らない人です。

私もYさんも今世、男性に生まれていたら、女房子供がちょっとでも精神だの心だのと
言い出したら「何をたわけたことを言ってるんだ?」と、邪魔したかもしれません。
かなり、まずいです。


前世について思いを馳せたり、これからアセンションと思っても、
男性ならよっほど、核がしっかりしてないと社会に順応するだけで大変だなぁと思い、、
私の代わりに男性で生まれてくれてありがとう♪と思ってます。

その通りです。
男性でこういうコトに興味を持ったりするのは珍しいし、
知識を増やすならちょっと賢ければ簡単にできるが、物事を分かるにはかなりのハンデです。
知識なんか要らない、心のレベルなのだ、境地なのだ、と言っても、
その境地を説明するのは不可能。
知識に強い男性にとっては今世、求められているものを分かるには、かなり難しい。
勿論女にも分からない人は多いが。


子供はいないですが、それも意味があり、ちょっと人から見たら変わってる奥さんと思いながらも、
自由にさせてくれてるダンナさんには、心の中で感謝です。

今、20代30代で小さいお子さんを育てている主婦の方は毎日めまぐるしくて大変ですね。
私はそれを過ぎてしまったので、今は自由にやってますが、子育て期間中は
何も出来ませんでした。
(その代わり読書はしていましたが)
子供が居ないということは不幸ではなくてチャンスです。
子供が居たら出来ないことがやれます。
きっとそのように人生を設定して生まれてきたんでしょう。


今世で添い遂げる♪はOKです!とジュネさんに確認しそこを忘れずにと思ってます。
そうしたら、何かあったとしても、縁があり肉体を持って一緒に居られるのはありがたいし、
大事にしたいなぁとこの時期特に感じます♪


御主人を見捨てないとは素晴らしい。
上の方の記事の方はこの方ではないので、
こういう方
(前世は学者、専門家が多いが、今世は女)は沢山いるようです。
今までの転生の総決算が今世だとして、今世そういう話に乗る人は主婦が多いということは
「自由な心を持ち、自由な時間を使って、自分がアセンション出来る波動量を獲得し、
自分の周囲の波動を上げ、周囲の人もアセンションできるよう、お手伝いをする使命」

あるのではないか、と思っています。

また、女の特性として「世話をしたい、役に立ちたい、面倒を見たい」というのがある。
なので、この点からも周囲の人を導いたり世話をしたりするには
やはり女の方が適任ですね。

<他人の成功を喜べるレベル>(2008年6月5日)


アンダラを売ってるLenさん(リンク1の「ミルラ」から行けます)と話したのですが、
PANDORAのお客さんは殆どの方が
「他人の成功を喜べる人」です。
他人が成功して悔しい、妬ましい、腹が立つ、というヒトが居ない。
以前は少数ながらいましたが、今は居ません。
私が知らないだけで、本当はいるのかもしれないけど、表向きはいません。
少なくとも私にメールをくれる方で「他人の成功を羨む人」は居ない。

自分が成功したければ他人の成功を喜ぶことですね。

また、もしアセンションがあるなら、他人の成功を妬むレベルの人がアセンションできるわけがないと思う。

PANDORAのお客さんは心が
◆協力したい、協力しようという姿勢
◆成功して良かったね、と他人を祝福
◆気の毒な状態にある人には祈りの念を送ったり、物質的に援助できる
◆低級霊に憑かれた人が、攻撃して来ても、うまくかわし相手をしない
◆常に心を向上させる姿勢
◆常に何かに気づこうとしている

になっている人が多いです。



私からlenさんに送ったメールです。


うん、ぜひ、記事にしてね。
アンダラ販売好調で良かった。
 
今、売れているのは、モノでは無いと思う。
個人の神話=エピソード
が売れているのだ、と思う。
 
自分だけのもの、自分だけのお話。
自分だけの、ってのは、自分が体験した、と言う意味。
で、そのお話は皆に読まれることによって
もっと楽しくなる。
それを皆で共有する。
それに参加したい!て人は多いよ。
 
よく「シェアする」って言うけど、私は英語は使わないので言わないが
「一人の体験を皆で分かちあい、喜び、祝福する」のが楽しい。
これが出来る人がPANDORAに集まっているようだ。
出来ない人は、最初はモノ珍しくて参加しても
他人の幸せを喜べないので、嫌になって行くようだw
 
私はそういうのは最初から意図したことは無いが
今までの経緯を考えてみると、そうとしか言えない。
 
面白いだろ?

<今日の料理>(2008年6月3日)


まはるださんのサイト(リンク1→「GAIA」)に行って「つぶやき」→「まはるだ家のつぶやき」
→「アホな姉弟」を読んだ。
天使とチャネリングなどいささか食傷気味、のような内容が書いてあり、
「今日の料理のようなサイト」がいいや、とリンクされていたので
飛んでみたらPANDORAに来た。
(あれ?)

そっか、「今日の料理」ね。

実は何か月も前から料理について書こうと思っていたんです。
でも他の記事を書くのが忙しいのと、料理の話がくっだらないので、延び延びになっていました。


でも、これって料理とは言えないかなぁ。

K子とkarenが来た時、昼食の話になりました。
私は昼食を買いに行く暇も外食する暇も無い時が多い。
料理をする時間が無いんです。
時間があってもやらないけど。

私       「普段の昼飯は味噌汁の残りにご飯の残りを入れて煮るだけだよ。」
K子とkaren「そうよぉ、アタシだって、ご飯作ってる暇が無いもん。」
私       「で、そこに納豆を入れるわけだ。」
K子とkaren「え?」
私       「だって、納豆汁ってのがあるんだから、いいだろ。」
K子とkaren「まぁ、そうよね。」
私      「で、ご飯が足りない時は、そこに『冷凍うどん』を入れて量を増やす!」
karen    「うわはっはh!」(撃沈)
K子(とてもすまさそうに)「それ、ウチでは犬に食べさせているんだけど、ゴメンね。」




米・納豆・味噌汁・うどん、これらは全て食べ物です。
だから、いいんじゃないのかな、みんな混ぜたって。
カロリーと栄養が摂取出来れば良い(というのが私の料理観)。


トマトサラダを食べた後にトマト風味のドレッシングが残る。
それを捨てるのは「勿体ない」ので、
それをご飯にかけたものが大好きで「サラダライス」と名づけていますが、最高に美味い。

あ、天丼が好きです。
前の日の天婦羅の残りを醤油味で煮てそれをご飯に載せると最高です、お勧め。
え?もうやってる?

昨日の夜のおでんを朝も食べて、昼にはその煮汁に冷凍うどんを入れて
「おでんうどん」にしていますが、何か?

残ったパラパラのご飯を、小麦粉を水にといたものに入れてそれをすいとんにします。
粉だけで作るより歯ごたえがあって美味いです。(残飯整理もできるし)

基本的には「冷蔵庫にあるものを使って、食べられるものを作る」作業をしています。
時間はだいたい20分ですかね。
こうしてみると我が家の食事は、既に食事ではなくサバイバルですね。
冷蔵庫の中にある食材を使って食べられるものを20分で作成する、という
条件のもと、知恵の限りを振り絞るのが好きです。
そういう面では試験問題のようです。


スーパーでは見切り品専門で、必ず探しています。
見切り品のワゴンの中にお宝がないか探すのが好きなんです。
はい、発掘とか捜索が好きです。
たまに掘り出し物を発見するととても嬉しい♪
しかし殆どは「まずい・・・・なので売れないから見切り品なのだ」と、いうケースなのがいまいち。

冷蔵庫には「定番商品」を常備しています。
定番とは・・・
◇豆腐
◇あぶらげ
◇納豆
◇キムチ
◇牛乳
◇卵
などで、なくなりそうになると補充しています。
これはどこの家庭でもやっていると思いますが。


以前友人が「バーガーヘルパーを使うと、美味しく出来るよ。」と言うので
「そんなの使わなくたっていいのに。」と答えた。
すると「だって、市販のハンバーグは美味しくないよ。」と言うので
「ハンバーグなんか食べなきゃいいんだよ。」と言ったら大笑いされてしまった。
わざわざ作って食べなくたっていいんじゃないですかね。
ハンバーグを食べないと死ぬと言うのなら一大事、必死で作らなくてはいけないが、
死ぬことは無いんでしょう?
だったら最初から食べたがらなけりゃいいと思う。
どうしてもハンバーグが食べたいなら、レストランへ行く。
そうでもしないとレストランの存在価値がなくなってしまう。
レストランが気の毒です。

世の中には「別に食べなくたって死にはしないもの」ばかりですね。
人間贅沢を言いだしたらキリがないです。
人間の中には「生きてる間に喰える限りの食べ物を食べたい」と思ってるのがいます。
うちのダンナとか。
こういうのはどうかと思う。
栄養を摂取出来て生きられればいいのではないか?
そんなに美食を求めなくても。

と、料理が嫌いなので、しなくて済む理由(アイディア)がどんどん湧いてくる私でした。
でも本当は私は料理が巧いんです。
こう言ってはナンだが、料理好きな人の料理より、私の方が巧い。
だって、「本当は美食家の天秤座」ですから、料理のセンスもいいですよ。
友人たちにふるまうと美味しいので驚かれます。

でも、嫌いなんですよ〜。

@料理は嫌いで滅多に作らないが、作らせるととても美味しい女房
A料理はへたでいつもなにか一味足りないが、毎日ちゃんと作る女房


どっちがいいかな?


それから、たとえばケーキ、クッキー、スイートポテト、ゼリーなどに凝ると大変です。
一週間くらい毎日作り続けます。
自分の家だけでは食べきれないので、それをあちこち運ぶのも大変な作業ですがね。
毎日大量に作るのは、
「独自の美味しいレシピ」を研究するためです。
市販のレシピは私の舌に合わないのです。

台所は研究所と化していて、グラム数、焼く温度などを少しづつ改良を加え
ああでもないこうでもない、と研究をやり続け、家族は文句を言わず食べ続けてます。


つまり私は家事に向いてない。
サバイバル(残飯整理)になるか研究になってしまう。
家事とは、家族のことを第一に考えて毎日当たり前のことをこなしていく作業ですが
それが私には出来ないのです。

毎日一年中一生、家族のために食事を作る奥さんは凄いです。
毎日三回(?)食事を作るというのは、簡単なようでいてそんなことはありません。
毎日目先を変え旬のモノを使い、家族の好き嫌いを頭に入れ、
飽きないよう、栄養が取れるよう、量も調整しながらの食事作り。
なるべく安く新鮮で無農薬で添加物のない国産品を選ぶとか。
季節に合わせたり、体調に合わせたり、
病気の人がいたらメニューを合わせなくてはならない。
小学生のお子さんがいれば「給食とメニューが重ならないように工夫」もするらしい。
本当に感心しますよ。

こんな大変なことをやっているのに、給料がもらえるわけではない。
家族のために無償で働いている主婦。
これは
菩薩行ですね。
誰も認めてくれないけどね。
特別なことなんか何もしなくて良いと思います。
普通の当り前のことをしている主婦が一番素晴らしいのでは?


私は学校のメニューなんか気にしたことが無いです。
しない理由は「一生のうち、昼飯と夕食のメニューが数回〜数十回重複したくらい
何でもないことだ」と、思うのでメニューなんか見ません。
同じメニューになる確率は低いと思う。
その低い確率のために毎日メニューをチェックするのは無駄に近いと判断したのです。
「え”〜〜〜っ、今日学校でカレーだったよ!」と子供が言ったら
「あ、そう、良かったね。」と言います。
長い人生の間にはそういうコトもあるさ、と思う。
お若い方よ、それが人生と言うものじゃ。



しかし、これでよくウチの子が真っすぐ育ったな、と思いますね。
子供を王様にしている家庭もありますね。
食事に文句を言わせているとかね。
そういうのは却ってまずいのではないかと思いますよ。
文句を言ったら、子供に食事を作らせましょう。
子供は(衣食住などが)ちょっと足りないくらいがちょうどいいんですよ。
満たされてはいけないんですよ。

満たされてしまうと社会に出られない子になる可能性が高まります。

子供達から「ヒドイ母ちゃんだ、こんな家、早く出てってやる!」と思われた方が良い。
そうじゃないといつまでも家に居ますから。
それがニートなどですね。
親がさせてますね。

<ウソつき>(2008年6月2日)


誰でも一度や二度〜十数回〜数十回はウソをついたことがあると思います。
通常の人間はウソをつくものだ、という前提で話しますね。

通常人間はウソをつくが、中には
◆通常よりも回数を多くウソをつく人
◆異常なウソつき(ウソをつく回数がとても多い人)
がいて、このどちらもがウソつきと呼ばれます。
通常の範囲内の人はウソをついてもウソつきとは呼ばれない。


ウソには幾つかの種類(原因)がある。

@当人にとっては、それってウソではなく、本当に、そう思っている。
  思考力が無いから、そうなります。
  そういうひとに思考力あれ、と言うのは酷。

A空想と想像と現実の区別がつかない。
  伝聞を事実と思いこむ人がいます。
  (子供の空想も、これに入る)
  これも、思考力が乏しいからです。
  私は主婦の中に
「仮定の話」が理解出来ない人がいるのを
  十数年前に発見して驚きました。

Bこのくらいのウソ、たいしたことない誰でもついてる、と自分に超甘い、
  思考力が無い、自己中なので全て自分に都合よく考えている結果、ウソをつく。
  この場合はウソであるという自覚はあるが、罪の意識は無い。

C自分に何か(害とか)が及ぶのを避けるために、目前の責任から逃れるためのうそ。
  子供がよくやります。
  バレたらもっと叱られるのに、目の前の嫌なこと(叱責・説教)から逃れるためにやるのです。
  目先の嫌なことから逃れたい気持ちからウソをつく。

D単なる勘違いや思いこみの場合。
  これは私もしょっちゅうやりますよ、粗忽なので。
  この場合は真相が分かればすぐ訂正出来ます。

E解釈の違い。
  よく脱税摘発事件の時、これが問題になりますね。
  ウソをついたのではなく、解釈が違っていただけ、という場合。

F詐欺師の場合は、最初はウソだった。
  が、途中から、自分でも「これは本当なのだ」と、思い込む。
  最初は意識的に自分に思い込ませるが、途中から
  空想と現実の違いが分からなくなる、と、自分に思い込ませる。
  自分で自分に自覚なくマインド・コントロールを掛ける。
  敵を騙す前にまずは味方(自分自身)を騙せ、みたいな人。

  
順不同でいろいろ挙げてみましたが、この中の一つだけが原因でウソをつくのではありません。
幾つかの要因が複合的にあって、ウソをつく場合がある。
また、ウソつきの人も常に一種類の原因でウソをつくのではなくて、
場合によっていろいろいな原因でウソをつきます。

人間はウソをつくものだ、と思えば、他人がウソをついても腹は立たないかもしれません。
ちなみにウチの二男はウソをつく傾向があります。
これは原因Cのケース。
誰も叱らないのに面倒が起こるのが嫌でウソをつく。
腹は立ちませんね。
末っ子なのでね、子供ってのはど=しようもないなってのが上の三人の子育てで
学習しているので。
目の前の嫌なことから逃れたいのだ、と分かるので、それを理解しているので腹は立ちません。
この時、親が「ウソをつくなんて、人間としてあってはならないことだ」と真面目に思えば腹は立つ。

が、私は幸い真面目では無いので腹は立ちません。
(また、ウソついてるな、ま、いっか、そのうちバレるのも知らないでバカな奴だ)としか思いません。

で、バレます。

この子には先日こう言ってやりました。
「オマエさ。
ウソばかりついてると、今度生まれ変わったら身体の不自由な人になるんだってよ。
それを覚悟の上でウソをつきな。分かったね?」

シュタイナー著病気と治療参照

不具の原因の全てがウソだとは思いません。
何も原因の無い人が学習のために、不具者として生まれて来る場合はあると思う。
カルマと言っても一口には言えないくらい複雑らしいですよ。
魂が菩薩級の人が敢えて魂を鍛えるために不具者として生まれ、
さらに魂の次元を上げる場合もあるらしい。


それはともかく。

最初に戻ります。
人間とはウソをつくものだ、ということです。
これが腹に入れば他人がウソをついても、感情的になることはありません。
真面目な人は他人がちょっとウソをつくと、物凄く感情的になる。
しかし、感情的になる必要は無いんです。
ただ、淡々と
「ウソをついてはいけないよ。来世、大変だよ。」と警告すれば済むことです。

世間的には「ウソをついてはいけない」ことになっている。
なので、世間全体が自分に味方をしているような気がして、
ウソをついた相手に居丈高になる人がいる。
こういうひとはこの他にも、ありとあらゆる点で、世間をバックにして、感情的になり居丈高になります。

自分の価値観では無い。
世間体が自分の価値観になっている人です。
そしてこういうひとは世間が皆、同じ意見であるはずがない、という当り前のことにも気付かないのです。

こういう親が居ると子供はウソをつきますね。
ウチの末っ子がウソをつくのはどうも主人が「世間体を気にする人だから」かもしれない。
私はウソをついても叱らないのでね。
警告はしますがね。

世間体などというものが、思考の基準となっているような意識レベルにあると、
これからは大変だと思います。
理由は
◆世間というが、世間の人は同じ意見ではない
ということ理解出来ないレベルにあるのは、まずいからです。


さて。
話が脱線しました。
病的なウソつきの話をします。

私の親戚にもウソばかりついている叔母さんがいました。
その叔母さんは良い人だったので、私は好きだったけど、娘は嫌がっていました。
私の父もその叔母を凄いウソつきだと、非難していました。
でも、私はその叔母は良い人だったのと、私は叔母のウソによって被害を被っていないので
別にいいや、って思ってました。

この点は、私が真面目ではなく、清らかでもなく
「清濁併せのむ」タチであるからです。
自分だって、時にはウソをつくかもしれない。
粗忽が原因のウソならしょっちゅうついてることになる。
勿論それはウソでは無いが、相手がそれを「ウソである。」と認識すればウソになる。
なので、絶対ウソをつかないで生きることは不可能なのです。

これは日月神が言う
「悪抱き参らせよ」ということです。
自分の中にもたまにはウソをつくことがある。
それを認めよ、という意味。
それを認めれば悪を自分で抱き参らせたことになる。


自分は絶対ウソをつかない、と思っていても「親が末期がんになったが、病名は知らせない。
良性の潰瘍だと、言っておこう」・・・・とか。
これウソですね。
私ならこういうウソはつきたくないな、真実を言ってやれって思う。
そして本人にとことん、反省させ、生まれ変わってもらうけど。
でも、殆どの人はウソをつくじゃないですか。
これもウソですよね。

ウソをつく人は自分では罪の意識が無いか、とても少ないのです。
病名でウソをつく人と同じです。
病名でウソをつく人にも罪の意識はない、むしろ良いと思っているが、ウソつきの人も同じなのです。


と、このように、自分だってそれをやるかもしれない、と分かれば
いい加減な人、いい加減に見える人を非難せずに済む。
真面目な人が他人を非難します。
「悪抱き参らせて無いから」です。

悪を抱き参らせれば、その分野(ウソつきなど)を、自分の中に取り込むことになる。
そうするとその分野の分だけ、自分の心=魂が大きくなるという理屈は分かりますね?


真面目だったり、清らかだったりする人の人間性が小さいのは、「悪抱き参らせないから」です。
こういうひとはいつまで経っても小さいままです。
一生、小さいままです。
純粋とも言う。
しかし小さいこともたしかです。


と、こういうことを考えてみました。
私などは自分の中に悪の部分が沢山あるので、だから想念が悪いんですが、
でも、小さくはないな、と思います。

柄は悪いが、だから他人のことを「柄が悪い」と非難することはありません。
礼儀正しくないので他人を「礼儀がなってない!」と、非難することはありません。
真面目では無いので他人を「不真面目だ!」と非難することもありません。
怠け者なので他人を「怠けるな!」と非難することもありません。
おっちょこちょいなので他人を「この、おっちょこちょい!」と、非難することもありません。
忘れっぽいので他人を「何で忘れた!」と、非難することもありません。
他にも沢山あります。
こういう点では寛容だと言えます。

しかし、
考えが穢い人のことは、たまに発見すると「なんて穢い考え方をするんだ!」と、非難しています。
自分が言いわけしないので、素直に謝ればいいものを言いわけする人を
「往生際が悪い!」と非難しています。
方法がヘタな人のことを「やり方が悪い!」と、非難しています。
他にも沢山あります。
こういう点では狭量だと言えます。

まだまだ抱き参らせなくてはならない「悪」が沢山あります。
私もまだまだってことです。

<要らなくなったセッション>(2008年6月1日)


或る男性Nさんに、或る人が行っているセッションを勧めておきました。
セミナー形式で、その後個別のセッションを受けられる、というものです。
Nさんも個別セッションを申し込んでおきました。

申し込んだ日から80日が経ち、Nさんはセミナーに参加しました。
セミナー終了後の個別セッションに入ったら何故か、
申し込んだはずの予約が取れていません。
料金(とても高いです)はちゃんと払い込んである。
なのに主催者側の手違いにより、どうしても受けられなくなりました。

Nさんは
「まだ、私自身のレベルがそこまで達していないのかもしれません。」
と、言ってますが、違うと思う。
そのレベルを超えてしまったのだと思います。


以前、そのセッションを受けた方数人から私は報告を受けていました。
それを受けることによって人生が変わった、転機になった、というプラスのものばかりです。
だからNさんにもお勧めしたのですが、Nさんはセッションを申し込んでから80日間、
かなりの変化を体験しました。

自分の理解力を超えた難問奇問珍問と対処し続けていた。
Nさんが
「メールを確認してみるとifさんに
××セミナーを紹介されたのは×月×日。
あれから、本当にいろいろなことがありました。
たった3ヶ月ちょっととは思えません。」

と言うくらいいろいろなことがあり、相当勉強になったようです。
何度も悟っていました。

セミナーに申し込んだ日には、Nさんには個別セッションが必要とは言わないが
受けておいてもいいだろう、くらいの波動量でした。
個別セッションがNさんに必要だとは思いませんでした。
ただ、何事も経験なので受けてみると何かのヒントが得られるかもしれない、
くらいの気持ちでお勧めしたのです。


Nさんは素直にその提案に乗りました。
が、彼の現実世界でのさまざまな「事件」と、それに対処する彼の頭と心(波動)が
80日間の間に鍛えられてしまった。
なので、セミナー当日は既に
「個別セッションを受けなくても良いほどのレベルに上がっていた」のでしょう。

申し込んだ料金数万円が返って来ました。
これは本気で(何かを得ようと)申し込んだNさんへの、ご褒美です。
”上”の方が彼の心を見て「よし」と判断し、彼に返してくれたのでしょう。
過去記事で
「本気になると変化が起きる」と書きました。
Nさんも本気になったので事態が動いたものと思われます。


変化は以前より早まっていると思います。

以前なら予約から当日まで80日あっても良かったかもしれないが
Nさんのように気づいて行ける人には80日は長すぎますね。
全てがスピードアップしているような気がしてなりません。

<多重人格>(2008年5月28日)


テレビで多重人格者のことを放送していました。
精神病院に入院している女性(30歳くらい?美貌に恵まれない、肉付きの豊富な方)が
多重人格だそうで、リポーターと会話中にも交替で人格が出てくる。
いろんな年齢のが。

でも、不思議なのは
◆異性が居ない
◆外人が居ない
◆年上の人が居ない
ことです。
(居るケースもあるかも)


アメリカ人の人格が出てきて流暢な英語を喋ったら信じるのにな。
アフリカ人の人格が出てきて流暢なスワヒリ語を喋ったら信じるのにな。

それから、3歳児が出てきたりする点。
3歳児ならおもらしするなぁ、この人がおもらしや寝小便をしたら信じるのに。
おむつは外れたのかな。

アンパンマンが大好きだろうなぁ、とか考えます。
この人の目の前に
◆一千万円の札束
◆アンパンマンのおもちゃ菓子
を出して選ばせます。
アンパンマンを選んだら、この人が3歳児であることを信じますよ。

人前で裸になっても平気なはずです。
都会の人ゴミの中でソフトクリームを食べさせて服に垂らし
「あらあら、こんなに汚しちゃって!」と言って裸にしてみましょう。
抵抗したら怪しいな。

人前で排泄するのも平気なはずです。
「おしっこ出る〜」と甘えたら
「そこらへんでしな。」と、言いましょう、商店街の道端で。
実行したら信じます。

また、大人が見たら一目で危険と分かるモノも3歳児には分からないので、
実験したら、「中身が3歳児か大人か」が分かるはず。
両手を出させて瞬間接着剤を見せ
「さあ、お手てにコレを塗ろうね♪」と言ってみましょう。
「はい、あ〜〜んして♪」でもいいかな。
虐待じゃありませんよ、真似するだけですからね。
ホントにやったらこっちが犯罪者になっちまう。

「これなあに?」
「わかんな〜い。」
「そうかいそうかい。これは危ないからおばちゃんが預かっておきまちゅね♪」
「悪い人が取っちゃうと困るからね〜。」
と、言って財布を取りあげる、と。
あ、預かるだけですよ、取ったら犯罪ですよ、いくら私でも盗るなんてそんなコト
しませんよ。
ず==っと預かっておくだけです。
いつか
「おばちゃん、アタチのおちゃいひゅかえちて♪」と言いだすまで、保管します。
3歳児が大金を持っていると危ないですからね。
でも3歳児の記憶は翌日まで持ち越さないのでね、一日経てば忘れますわね。
三日経っても
「おばちゃん、アタチのおちゃいひゅは?」
なんて言ってたら、これは怪しいな。

風呂敷をマントのようにつけてやります。
そして二階の窓のところへ連れて行き
「ほおおら、●子ちゃんはアンパンマンだよ〜♪お空、飛べるかなぁ?」
とか言ってみる。
「はああい、飛ぶでちゅ〜!」と言って飛び降りたら
「あら、本ものだったのね、ゴメンなさいね♪」と言っておく。
大丈夫ですよ。
3歳児は言いつけやしませんからね。
「痛いの?どこが痛いの?かわいちょでちゅね〜。」
「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んでいけ〜!」
ここで3歳児なら笑って、落ちたことなど半日で忘れますからね。
大丈夫です。
あ、やりゃあしませんよ、いくら私でもそんなヒドいこと、やりませんて。
シュミレーションしているだけですよ。

ホント。

やりゃあしません。


今から20年ほど前にもこういう「多重人格」の人が話題になりました。
その時も私は上のようなことを考えました。
つまり私は信じません。

さて。
犯罪を犯した後で、本人が言うんだか弁護士が考えつくんだか分からないけど、
多重人格だとか、別の人格が出てきたのだ、という理屈があります。
で、「だから被告は無罪」「だから刑の軽減を」とか言うんです。

しかし、その被告の中に犯罪を犯した人格が入ってるのは「たしか」なんだから、
その人格に対して刑を執行しなくてはならないのでは?
あとの人格何人いるか分からないけどしょうがない、同じ身体に入っている
ので連座してしまうが、他の人格がそれを止めさせなかった罪はあるし
「自業自得」ではないだろうか。
(※ただし、他の人格が居ることは知らないケースもあるようです。
   全ての人格が居ることを知っている、主人のような人格もいるようです)

私は多重人格者の中には本物もいるだろうが、ほとんどは注目されたい病気
にかかった人だと思います。
犯罪を犯しておいて「自分は知りませんでした。だって他の人格がやったんですから。」と
言うなら
「そうですかそうですか、分かりました。
あなたは全然悪くありませんよ。
私は何もあなたを罰しようとは思っていません。
ええ、思っていませんとも。
あなたのお隣さんね、その方がやったんですよ。
なので、その方に30年間刑務所に入っててもらいましょうね。
ええ、あなたには全然罪は無いんですけどね、その方が罪を犯したモノですからね。
しょうがないんです。
なんだったらあなた、この身体から出て行ってもいいんじゃないですかね。
誰も困らないし。
罪のないあなたがこれから30年間刑務所に入るなんてヒド過ぎますからね。」

と言ってやるけどなぁ。

<憑依>(2008年5月29日)


さて、上のような「(多分)自覚があって、演技している多重人格」とは別に
本当に憑依されている多重人格はあると思います。

或る男が女性にいたずらをしようとした事件がありました。
そこに第三者がいきなり登場して大声で咎めたらその男は気絶してしまった。
これは、憑依していたモノが大声で驚き、また立場が危なくなったので急いで
男から離れたためだと思われます。
憑いてるモノがこの男の意識を支配していたのだけれど、瞬時に離れたので
気絶したと思う。

残酷な事件や分けの分からない事件は憑依のせいだと思いますよ。


意識が低い人には同等のモノがやってくる。
でも、この世には法律があったり、世間体や見栄などで
犯罪までは犯せない。
でも、身体の無いモノにはそれが通用しないので、
ストップを掛けるものがありません。
なので、低級霊に憑かれると普段はやれないことまで
やってしまうのだと思います。

こういうのがどんどん増えていますね。


<進む二極化>(2008年5月29日)


世界的にあちこちで災害が起こったりしていますが
それを知って募金したり人のために働く人も増えています。
中国四川省で起こった大地震の募金の集まり方が
大変早かったそうです。

助けてあげたい、何かお役に立ちたいという方の人の心の姿勢が
ハッキリして来たからだと思います。

このように
◆低級な思いで生きているので、低級霊に憑かれ易くなっている人
◆だんだん意識が高くなって行く人

と、別れて来ているように思います。

二極化が進んでいます。

人類の殆どを占める「灰色の人」が白と黒に別れて行ってるのでしょう。

<私の転生論(思いつき)>(2008年5月27日)

私達は三次元に身体を持っていますが、本体(潜在意識、魂の所在)はあの世です。
あの世のどの階層に居るのでしょう。
それはひとそれぞれでしょうね。

私の本体とイエス・キリストの本体が居る階層が同じわけがありませんね。
あの世は四次元から十次元以上もあるらしいです。
私達の本体はその次元に、今、存在しています。
三次元にいる私たちは本体の一部分が三次元で活動しているのです。


ジュネさんの鑑定で私は彗星を飛ばしていると言われました。
絶対ではないと思うが、これを信じるとしましょう。
あの世の私は「今」彗星を飛ばしているのです。
太陽系内の、彗星の巣と言われる場所にいるのでしょう。

暇だな、と思いますね。

で、本体はたまに彗星を飛ばすが、分身である私は今、こうして
日本人として生きています。
忙しいです。
子供が順番に独立してくれたおかげで食い扶持が減りましたが、
まだまだ大変なんですよ、奥さん、うちも同じよ〜、とかそういう話では無い。


私は今、日本人として生きていますが、あの世には時間がありません。
故・高橋信次師によれば「魂は6人構成」だそうです。
(※高橋信次師はモーゼを導いたエホバだったそうです)
これは高橋信次師の得た悟りなので、それ以上の次元からみれば
また違うかもしれませんが、ここでは一応その説を採りますね。

私の本体は太陽系内の彗星の巣でたまに彗星を飛ばしています。

分身の私は地球に生まれて来ています。
順番に生まれるような感じで高橋師は書いていましたが、
あの世には時間がありません。

つまり、順番で生まれて来てはいるが、あの世の本体からみたら
「全ては同時刻」ですね、だって、時間は無いはずだから。


ある外国人が書いた本を読みました。
彼は身体のどこかが痛くて治療していました。
原因は不明です。
彼が時空を超えて分かったのは
「前世(中世ヨーロッパ)の自分がその部位を槍で
刺されたか矢が当たったかで負傷し、苦しんでいる姿」でした。
原因不明の自分の「病気」の原因は前世にあったのです。

で、彼はその前世の自分に対して「敵を許し運命を受け入れる」ことを実行しました。
すると、今世の彼の病気は治ってしまったのです。

これはどういうことでしょう?

彼は潜在意識の奥の奥、自分の本体にまで接触することが出来たのですね。
あの世には時間がない。
あの世に居る、自分の本体から見たら「どの転生の自分も同時刻に存在」
している
のです。
なので、彼は本体の自分を通して前世の自分の心の傷を癒し
結果的には今世の自分の病気も治すことが出来たのです。
いったん本体を経由しています。


PANDORAの絵のお客さんの中には「前世の自分」が出てきた方がいる。
一例を挙げると「中世ヨーロッパの騎士」の方です。
その方は前世の自分に対してヒーリングをしたそうで、
それが今世の自分を癒すことになったようです。

前世の自分と今世の自分は「今」同時に存在しているのです。

今、日本で平和で暮らしている私たちですが、同時に過去の時代で
闘ったり祈ったりしている、今。

仏教の言葉(御経)に
「始めも無く、終わりも無い」とはこのことも含むのでは
ないだろうかと、考える私です。

どこかの国が好きだとする。
前世鑑定を受けるとその国に居た、ということが分かる場合がある。

それって、
「その国を好きなこと」
「その国に住んでいたこと」
どちらが先か分かりません。

今、その国が好きだから、その国にその時代に生まれることを選んだのかもしれない。
その国を好きなのが先かもしれないのです。
実にトンデモですが、「あの世には時間が無い」のだから、このように推理出来るわけです。
なので、自分の前世は「今世、自分が面白いと思った時代に生まれたみた」結果、
その時代に生まれた、という「事実」が生じたのかもしれません。

アワが先です。

思いが先行している。

今世で出合った人、縁があった人も、同様に、
「今世で出会ったので、過去世、一緒に居てみた」のかもしれません。
今が先です。
だって、「あの世に本体が居て、本体から順番にこの世に分身が送り出される。
でも、あの世には時間が無い。」のだから、あの世から各時代に分身を送りこめば良い。
未来に出会ったので、では過去でも一緒に・・・というのはあり得ます。

<前世療法と未来世療法>(2008年5月30日)


過去も未来もあの世にいる本体から見れば「今」なので、
両方の自分を癒すことが出来ます。

前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)
前世療法―米国精神科医が挑んだ、時を越えたいやし〈2〉 (PHP文庫)
未来世療法 運命は変えられる



未来の自分も「今」存在しているので、今世の自分が癒せるようです。

<前世は姉妹という幻想>(2008年5月30日)


上の方の記事<私の転生論(思いつき)>に書いた通り、
今世も前世もあの世にいる本体から見れば「今」です。
なので、今世、知りあった人と前世に縁があっても、
今世、私が知り合ったのが「先」かもしれません。

なので、前世の縁というのも今の私達から見たら「今」或いは「未来」に
知り合った縁かもしれません。


私は今まで前世姉妹だった、という人と多数出合っています。
でも、その中には私が言った何でもないことを誤解し感情的になるような
こう言ってなナンだが意識レベルの低い人がいました。
私は「前世姉妹だったのに、何でだろう?」と考えました。
前世、私が彼女らにヒドいことをしたからだろうか?
そのカルマだろうか?と。

また、鑑定では私が年上のケースが多い。
これも何でだろう?と、考えた。
今世、私が年上なのは前世で姉だったからだろうか?
そんなにうまくいくのだろうか?
前世姉だったので、今世も姉のような立場で対応するのだろうか?
疑問がどんどん湧いて来る。

それで分かったのです。

「今世が先」だと。

今世、彼女らと知り合ったのが先です。

今世知りあったので「では」と、前世でも一緒に居てみたのです。
なので、今世の通り私が年上です。
姉のような立場で付き合うことになる。

何故、彼女らと知り合う必要があったのだろう?

私は今世が先であると分からない時は、前世に縁があったので
今世、この大事な時に前世の縁でなんとか彼女達の意識を
アセンションの方向に、
或いは日月神の言う臣民の方向に持って行こうと思ったのだ
と、思っていました。

でも今世「再会」した彼女達はそこまでの波動を獲得出来なかった。
せっかく前世縁があったのにな、と思っていたが違う。

もうひとつの例。
karenのことです。
karenとの前世の縁を、数年前、アンジュさんに訊いたことがある。
その時は「ギリシャ時代に同僚だった」と言われました。
当時、私とkarenとは職場の同僚だったので、納得が行った。

それから数年経ち、今度はジュネさんにも訊いてみたら、
「前世は姉妹や夫婦だった」と言われました。

アンジュさんに訊いた時は、私とkarenは今世は同僚だった。
でも、ジュネさんに訊いた時はkarenは私と一緒に
しょっちゅう会って一緒にチャームを作る仲になっていたのです。

おかしいです。
だって、アンジュさんに訊いた時、真っ先に出てくるのは
前世は姉妹と夫婦の関係でないとおかしくないですか?
ただの同僚が先に出てくる、あとは無し、というのはどう考えてもおかしい。


もうひとつの例。
聖人フラグメントのことです。
彼とは最初「前世は中世ヨーロッパで上官と下士官の間柄」だと出た。
その後、「姉弟」だったと出ました。
これもどう考えても「姉弟」の方が縁が深そうだ。
なのに後から分かった。
鑑定する人が同じ人か違うのか、ちょと分からないけど、
これも「より親しくなってから、より親しい間柄の前世の縁が出来た」
ように思える。



今世、縁が深くなったので前世の方でも「では一緒に居てみる?」
みたいなことになったのではないでしょうか。


今世この大事な局面で知り合ったので、では過去でも、と会っていただけです。
カルマも何もない。
ただ縁があっただけ。それが先。

トンデモです。

でも、そう考えるのが一番私は納得が行くのです。

もっと厳密に言えば過去も未来も無い、時間が無いのだから。
あるのは縁と波長だけです。



今世、気が合うので「では前世でも一緒にその時代を過ごしてみる?」
となったのではないかと思う。
今世、その人と気が合うのは前世の縁だからではない。
今世、同波長だから気が合うだけ。
そして波長は変化します。

上がる人と変化しない人、下る人がいる。
波長の違いが大きくなって許容範囲を超えれば(夫婦だと4段階、
と、足立幸子の本にある)同調不可能になり、離れていく。

だから、「前世は姉妹なんだから気が合うはずだ」というのは幻想です。

<縁>(2008年5月30日)


上の記事の続き。

姉妹に限りません。
今世、知りあって友人・家族になった相手との前世を調べてみると必ず縁がある。
(ただの知人の場合は前世に縁が無い場合もある)

地球に生まれてくるのはあの世の自分(本体)からすれば、苦痛ですね。
大変不自由だし、ヘタすれば(というか殆どの場合)
生まれる前より波動を落とすらしい。
痛い目に遭う、苦しい、苦労ばかり。
スマナサーラ師が何度も書いてますが、
ブッダは「この世は苦」と喝破したそうです。
この世に生まれて来ること=苦
だそうです。

そう考えると気が楽になる。
だって
苦=普通
なんだから、そこにちょっとでも楽があればこれは儲けものです。
仏教というのはブッダの哲学であり、宗教にしたのはブッダの教えを伝えるための
方便ですね。

話が脱線しましたが、あの世で楽に暮らしていられるのにこの世に生まれてくるのは
まず、カルマを払うためです。
これは前世で作ってしまったものですが、前世もあの世の本体からみれば「今」。
高橋信次師の説では
◆本体=1
◆分身=5
で、1グループ=一人

だそうです。

分身は分身が作ったカルマを清算すればいいが、
本体は分身が作ったカルマも清算しなくてはならない
らしい。

さらに言うと背後霊は「次に生まれる、自分の分身」だそうです。
三次元に生まれないであの世で待機している分身ですね。

登校拒否の話を素材にして「本心」について語って行きます。
(本心1〜本心10まであります)



<本心1>
(2008年5月26日)


お子さんが登校を渋っているという、方がいます。
で、その方にアドバイスしました。
すると、お子さんは言いたいことを言うようになった。
好転反応ですね。

で、この方はお子さんに自由にしていい、学校も休んで良い
みたいなことを表明したが、本心では
(学校に行って欲しい)のだそうです。
本心で学校へ行って欲しいと親が思えば、子供は親の本心を見て
(子供には分かるんですよ、ただし無意識で)
学校へ行くとでも思ったようです。

これはかなりまずいです。

子育てのセンスに乏しい方なんでしょう。
なので、ちょっとアドバイスしても却ってまずいことになります。
困りましたね。

「本心」という言葉が出たので、本心についてこれから語ってみましょう。

<本心2>


昔読んだ文章にこんなのがありました。

母親 「私は子供を本好きにさせようと思って、子供の前で本を読んでいます。
    でも、子供はちっとも本を好きになりません。
    どうしてでしょう?」
回答者「お母さん。
     あなたは本当は本が好きでは無いのですね?
     本を好きなふりをしているのですね。
     それならお子さんはあなたと同じように、本を好きにはなりません。」


こんな感じでした。


まぁ、この母親は浅はかですわね。
自分が本当に本が好きではないのに、何故子供が本好きになるでしょう。
もし、本当に子供を本好きにさせたいなら、親が率先して本好きになり、
家事も育児も放棄して本を読みましょう。

子供はその姿を見て本好きになるでしょう。

ただ、子供の素質というものもあるので、全員が本好きになるとは限らない。
本よりも好きなことがある場合は(ゲームやスポーツ)本好きにはならない。

或いは母親が家事育児を放棄して本を読んでいる姿を見て、
悪いのは読書だ、と思い本が嫌いになるかな。

まぁ、家事放棄は極端ですが、親が本好きであることが子供に興味を
持たせる上では有効です。


子供は親の本心を見抜いています

<本心3>


さて、子供が登校を拒否っていた家の話です。
そのお母さんは子供が学校へなんか行かなくたっていいや、
と思うようになりました。

と、言いたいのですが、違っていました。

この方の子育ての問題について、私がその人に説明したのですが
どうもちゃんと理解していなかったようです。
どんな忠告も聴く方のレベルにまで成り下がります。
誤解もします。

この方は「子供は学校に行かなくて良い。」と、思ったと、
自分で思っていた。

ところがこの方のもう一人のお子さんがその後、登校拒否になりました。
一人が登校拒否するだけで、自分の心は大変なのに、
さらにもう一人も拒否り始めたのです。

っが===ん!

物凄いショックを受けました。


しかし、おかしいですね。
たしかこの方は「学校になんか行かなくたっていい。」と思ったはずですよ。
なのに何でショックを受けるんですか?
別にいいんじゃないですか?
学校なんか行ったって行かなくたってどっちだっていいんだから。


勿論、この方は本当は本心では
「子供は学校へ行くべきだ。」
「学校へ行かないのはおかしい。」
「学校へ行ってちょうだい!」と、思っているのです。

だったら、何故「学校になんか行かなくたっていい。」なんて思うのでしょう?
思ってもいないのに。

これっていったい・・・


この人は自分で悟りました。
自分が本当は子供に学校へ行って欲しいこと。
それなのに強がって(解決出来ないので、いくらやっても
子供が学校へ行かないので)「学校なんか行かなくたっていいや。」と
言っていたこと、に気づいたのです。
表面上だけで「学校へ行かなくて良い」と、いうことにしていた。
でも、本心は勿論「学校へ行って欲しかった」。
その矛盾をやっていたことに初めて気づき、そういう自分が情けなくなって
泣いてました。

ああ、目も当てられないです。

でも、自力で気づけて良かった。

この時からさらに数年過ぎて子供はやっと学校へ行くようになりました。
その間、この方の無意識行動を意識化するために私もお手伝いをしました。
本人は大変だったろうと思います。
でも、子供が登校を拒否ったおかげで、やっと少しはモノを考えるように
なったのです。
そうでもなければこういう人は一生何も考えないで過ごすから。

登校を拒否った子供が一番親孝行だったのです。

<本心4>


上は、「自分で自分の本心をごまかしていた」例ですね。
誤魔化す意識(自覚)も無いのです。
全て無意識無自覚でやってます。


ちょっと考えれば分かるのに、
分からないのは考えてないからです。

子供は親の本心を見ています。
(分かるんですよ、これも無意識、無自覚に)

親が「学校なんか行かなくたっていいさ。」と言いつつ、
本当は行って欲しいことを感じています。
だから「行かない」のです。

子供は親がさせたいようには決してならない。
親が自分の本心も表面もめちゃくちゃ(矛盾しまくり)なら、
そのめちゃくちゃぶりを演じます。
「お母さん。
 あなたの言葉と心とはこのように矛盾していますが、
 私はどちらの行動を取れば良いですか?」
と。

悪いのは親です。

子供の理屈は合ってますね。
(子供は理屈は思わないし言わないが)


実はこういう親が多いですね。
口の指令と本心が矛盾している人(母親)は多いです。
こういうのを或る本に
「気持ちの悪いお母さん」
書いてありました。
なるほどね、と思いました。



親戚にもいましたが
◆顔は笑って
◆言葉は叱っている
母。

冗談なら分かるのですが、どうも冗談では無さそうです。
笑い方も目が笑ってなくて口の端が上がっていて
頬が引き吊っているのです。
これは怖いですね(怖
その母の顔を見た子供が怯えたような
不思議な表情をしていました。

それから10年後くらいかな。
その家の子が登校拒否になりました。

<本心5>


傍から見ると拒否って当然、という感じですが
当人にはそれが分からないのです。
あ、この例だけではなく、登校拒否児童生徒の親の
分からなさは傍から見たら分かります。
分からないのは本人だけです。

で、ほとんどの人はこういう人には何を忠告しても
理解せず誤解されて逆恨みされるだけなので
何も言いません、関わりません。
自分の子供の同級生が拒否った場合、
ちょうど良い具合に疎遠になるので会話をしなくて済む。
わざわざ電話を掛けてまで会話する必要も無い。

拒否児童の親は情報も無くなり孤立しますが
もともと人の中に居ても情報を共有出来るレベルには無く、
物理的に同じ空間に居ようと心は全くかけ離れているので
同じことです。

また、こうも言える。

まず、心の面で同級生の親からかけ離れたので
その結果、物理的にもかけ離れることになった、と。

アワ(心)が先で、サヌキ(行動)は後。
「アワはサヌキに前駆する」

<本心6>


この時、拒否児童の親が反省(原因究明)すれば良いが
「学校へ行けてる子の方が異常だ」
くらいのことを思う人がいます。
登校拒否の原因は親の分からなさなので、
このくらいの勘違いは普通にあります。

こうなると登校拒否〜引きこもり〜家庭内暴力〜警察沙汰〜
に発展するかもしれません。
子供の素質にもよりますが。

<本心7>


登校拒否を例にとって書いてみましたが、
表面上(言葉)と本心が違う場合、かけ離れている場合というのは登校拒否には限りません。
至るところでこれをやっている人がいると思いますよ。

表面(言葉)と本心がかけ離れている場合、どちらの願いが叶うのか

さらには本心の奥にある、潜在意識(本には意識化出来ない思い)と
本心がかけ離れている場合、どちらが叶うのか。
潜在意識が叶う。
するとせっかく叶っているのに、意識(本心)では「叶ってない。」と捉える。


このように、意識の統一が取れてない方が殆どです。
だから、
自分がやりたいことがやれない(何をやりたいのか決まってない)(本当は何もやりたくない)
人が出現します。

下の文章、左が意識(本心)で、(  )内は潜在意識です。

彼氏欲しい(本当は彼氏要らない)=(付き合っていく自信が無い、フラれたらプライド傷つく、
                            自分に自信が無いのでさらけ出せない、
                            嫌われたら困る格好悪いダメージ大きい、
                            もっとイケメン、高収入がいい、平凡な相手なら要らない)
結婚したい(本当は結婚したくない)=(自由がなくなるのが嫌だ、家庭を運営する能力が無い
                           大人として社会生活をするのが嫌だ面倒だ、親にさせたい)
就職したい(本当は就職したくない)=(自信が無い、怖い、面倒だ、家に居ればタダで食える、
                           自由な時間が無くなる、ひと付き合いが怖い嫌だ)
離婚したい(本当はしたくない)=(自力で生きていく自信が無い、誰か男(女)に頼りたい、
                        主婦はやっぱり楽だ、この旦那(嫁)で我慢するしかない)
作品売れたい(本当は売れたくない)=(実は質の良い作品をどんどん作って行く自信が無いので
                           売れたら困る、制作に時間を取られるのは嫌だ、
                           暇な方が良い、遊んでいたい)
商売が繁盛したい(本当は繁盛したくない)=(忙しいのは嫌だ、怠けたい、面倒臭い、休みたい)
子供が欲しい(本当は子供要らない)=(育てる自信が無い、自分の出来無さ、分からなさがバレる
                          自分の時間が無くなるのが嫌だ面倒だ)
病気を治したい(本当は治したくない)=(治ったら自立しなくてはならない、自立する自信が無い、
                          病気じゃないと誰も同情してくれないし大目に見てくれない、
                          働かない言い訳が無くなってしまう)


とか、いろいろ。
願望を抱いているわりには叶ったら困る場合が多いのです。
なので、
本心の通り、その「願望」は叶わない

<本心8>


日月神も「口と行と心を一致させよ」と言っていたと思います。
この三つが一致すれば願望は叶う。

本当は潜在意識が望んだ通り叶うのですが、表面の心が違うことを考えている場合には
願望が叶ったとしてもそれを「叶った」と、認められないだけです。
口と行と心が一致した場合のみ、自分でそれを「願望が実現した」と認識できるので
日月神の言う通りです。

<本心9>


要するに子供は親の本心を読み、
◆表面のこと、言葉に従うか
◆本心に従うか
を、決めかねています。


だって、親が同時に二つの指示を出しているからです。
同時に二つの相反する指令を出す。
気モチが悪いですね。

気モチが悪いことも悪いが、まずはこのようなことをするという
レベルが問題ですね。
モノの(或る程度)分かった人はこんなことはしません。

なので一番の問題はこのようなことをする親であると言えます。
そしてこの場合の親とは大抵母親です。

自分の矛盾に気づかず、子供には「正常」を要求するのは
こう言ってはナンだけど、異常です。
その異常さが、「子供が学校へ行かない」という世間一般から見た
「異常」さとなって具現化しています。

私は学校へ行く行かないはどうでも良い、本人の好きにしろ、と
思っているので、学校へ行かないこと=異常とは思わない。
でも、子供に登校を拒否らせている親は
子供が学校へ行かない=異常
と、感じているのです。
(世間体を気にしているレベルにある)
だから、それが具現化しているだけです。

だって、言うことと本心が違う=異常
なんだから、子供だって
学校へ行かない=(そういう親が思う)異常行動
を取るのが当然ですね。


登校を拒否っているお子さんは身体を張って親に
「これでいいのか?」と問うているんですよ。
親が本気になって分かるべきでしょう。

<本心10>


では、登校拒否をしている子供に対し
◆口で学校へ行けと指令を出し
◆本心でも学校へ行って欲しい場合

これでも子供が学校へ行かないケースが殆どだが、
これはどういうことだ?
という場合を考えてみます。

「子供は親がさせたいようにはなりません。
 親がしている(思っている)通りになります。」


それなら親が学校へ行って欲しいと思ってるんだから、
行くはずだ。



多分子供は親の意識より高いところからこの事態を見て
行動しているのでしょう。
親の思う通り学校へ行くことが親のためにはならない場合です。

親が自分をマットウにしないでいて、小手先だけで解決しようという、
その安直な心の姿勢はまずいです。
なので、親の意識が心底から変わらない限り、
子供は問題行動(登校拒否など)を続けます。

小手先やハウツーではないんです。


そして親の潜在意識も「このままではいけない」と、思っている。
親にはそれが意識出来ない。
だから子供の登校拒否を「直す」のは難しい。
登校拒否を直すとは自分の意識を直すことですが、
無意識のことを意識化することが一番難しいので、
なかなか「直りません」。

<パレード>(2008年5月25日)


閲覧者のAさん(十代女性)からニコニコ動画の情報が来ました。
これは凄い。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm444307

最近「ナルニア国物語」を見て、敵軍の見事な行進に
感動してしまった裏切り者の私です。
小太鼓は軍隊の行進のために発明されたのだと思う。
人間は聞こえている音のリズムに逆らっては歩けないそうです。
兵隊の歩調を合わせるために打楽器が有効だし、
携帯出来る小太鼓は最適ですね。

人間は戦争をする。
でも、その当時はそれしか無かったんだろうし、
一生けん命やる姿は私には微笑ましく見える。

<エド・はるみの言葉>(2008年5月25日)


エド・はるみが好きです。
もともと「ハルミ」という名前が好きですが、勿論それだけではなくて、美人で芸が面白いから。
エド・はるみがインタビューに答えてとても良いことを言ってるので、掲載します。


<エド・はるみ>ロングインタビュー(1) 「グ〜」で社会を豊かに

5月24日12時53分配信 


◆エド 20代のころはもっともっと幼かったと思いますし、若いころは自分のことしか見えませんでした。
それこそ「いいお仕事したいな」とか。でも30歳を過ぎて、なぜ私はこんなに役者になりたいんだろう、
この思いが消えないんだろうと思ったときに、自分のためだけじゃない、
私利私欲のためだけにやりたいんじゃないと気づいてきたんです。

 その思いはさらに、仕事ってものは何なんだろうとか、夢ってなんなんだろう、
ひいては命とは、生きるとはなんだろうと考えたときにそういうことが自分なりに、
それは正解かどうかわかりませんけど、気づく思いがありまして、今こういう風にお話しているんですけども。

 若いころはもっともっと、わからないでぼんやりしていたと思いますけどね、
それなりにはその時は一生懸命がんばっていましたけど。

 もうこの年だからそろそろどうなんだろうって思うのはすごくもったいないことだと思うんです。
人間の持っている可能性は命がある限り無限だと思うんです。
それを、有限というか、可能性を閉じこめているのは自分自身のマイナスな想像力だけであって、
「もう〜だ」とか、「もう○歳だから」って、実は何の意味があるんだろうって思うんです。
もちろん体力は落ちますし、肌の色つやは老いていきますが、
人間の内面の部分は死ぬまで伸び続け成長し続けていけるものだと思うんです。
その可能性を自分たちでつみ取ってはいけないと思うんです。もったいないことだと思うんです。

エドさんは40代。
十代の頃からドラマに出て女優をしていました。
二十代、三十代は売れなかったようです。
仕事はそこそこあったんだろうけど、主役をやるわけでもなく、
端役はあったろうが、美人なので中途半端ですね。
見るからに三枚目なら主演女優の引き立て役で、準主役くらいはやれたかもしれない。
でも、美人で上品。
主役の女優を食ってしまったら困る。
やはり中途半端です。


エドさんは軽く語っていますが、若い頃、心の内は大変だっただろうと思います。
だからいろいろ考えた。
女優俳優歌手タレントの中には私から見て何も考えていない人がいる。
(顔を見れば分かる)
この場合の「考える」とは、或る程度の波動量が必要な「考え」のことです。
動物並の「考え」のことではありません。

若くして売れると周囲がちやほやする(金のために)。
本人は周囲が自分をちやほやする、という自覚は無く、それが当たり前だと無意識に思ってしまう。
無意識に思うとは、「周囲が自分をちやほやしていること」に気づかない、という意味です。
気付かないが、周囲はちやほやする。
それを無意識に「当然」と思っているのです。
全て無意識のうちに行われます。

周囲がちやほやしてくれない人、売れない人、悩む人はここで「考え」ますね。
何故売れないんだろう?と。
真剣に考えることが思考力や判断力を向上させます。
ひとたび考える癖=心の姿勢、と獲得すればその時から毎日毎時間考えて
(感じて)行けるので、年月が経てば経つほど心が充実してきます。

「若い時の苦労は買ってでもせよ。」

とは昔の人の言葉ですが、その通りです。

勿論苦労に負ける人も多い。
でも、苦労に負けなければ自分を向上させることが出来ます。

若いうちに売れる(才能発揮する)か、年がいってから売れる(才能発揮する)か
これは「寿命」とともに生まれる前に自分で設定したのかもしれません。


同じように遅咲きの女優がいます。
戸田恵子さんです。
若い頃は歌手をしていたが全然売れなかった。
同期の歌手はどんどん売れていくのに自分はいつまでも売れない。
とてもつらい思いをしていた。
その後戸田さんは女優に転向しましたが今ではとても人気があります。

この人も苦労に負けなかった人です。

◆早めに売れるがそれでいい気になり、何も考えず消えて行く。
◆遅く売れるが苦労に負けてしまう可能性がある。

この二種類の売れ方がある。
自分で設定するのだと思います。

若くして売れる場合、いい気になり天狗になると自分のために困る。
だから誰かが忠告してくれたらそれを素直に聴ける自分になっておくよう、手を打っておくはずです。
そうじゃないと必ず消える、
九分九厘でグレンとなる。
そこで忠告を聞ければ良いが有頂天になっていれば聴けない。

なので聴かざるを得ない状況を設定する。
困った事態を仕組んでおきます。
◆怪我
◆病気
◆事故
◆不幸
◆失敗
などです。
溺れる者は藁をも掴むので、忠告(書物の言葉も)を聴き易くなりますね。

また
グレンとなった方が物事を考える姿勢になれる場合は、グレンとなります。
大事なのはグレンとならないことではなくて、「物事を考える姿勢を獲得すること」
だからです。
これに比べたらグレンくらい、なんでもありません。
仕事で成功してお金を貯めることよりも、「物事が分かる人間になること」の方がずっと重要だからです。


さて。
女優やタレントだけの話ではありません。
作家、実業家、芸術家、マンガ家にも若くして売れてその後人生を誤り、消えて行った人は多い。
私達一般人にも言えます。

<クライマーズ・ハイ>(2008年5月23日)


1985/8/12に日航ジャンボ機が墜落しました。
日本だけでなく世界を震撼させた事故でしたね。
事故原因は何か、何故捜索救出が遅れたのか謎の多い事故ですね。


不思議なことも沢山あります。

よりによって墜落した村の村長が、次の日航の機内誌の
インタビュー記事に載る予定でしたが、
事故が起きてしまったのでその記事は載せないことになったとか、
この村長はその年の正月?あたりに霊能者(?)から
「あなたは今年世界的に有名になる」と、言われて
「まさか。こんな山奥の村のこのオレが。」と、笑っていた、
それから半年あまりでこの予言が成就したこととか、
さらにこの村長、大東亜戦争中はゼロ戦パイロットで
「飛行機」つながりだとか。

いったいこの世の仕組みはどうなっているんでしょうね。
ここまで伏線が張られているとは・・・本当に不思議なことです。


さて、
「クライマーズ・ハイ」です。
NHKのドラマですが、この事故に関わった新聞社の
上を下への大騒ぎの様子が描かれています。
原作者は当時この新聞社の社員でした。
このDVDはアマゾンのレビューを読むと大変人気があり、
高い評価を得ていますがテレビ放送もとても楽しめました。

原作の映像化権を数社で争っていた際、
NHK側の
「日航を実名で出す」という一言で、横山氏はNHKでの
映像化を決めたそうです。 (アマゾンレビューより)

題材は墜落事件ですが、テーマは
「社員(中間管理職)の苦悩」です。
ぜひご覧ください。きっとあなたも社長を■したくなりますw

役者がとにかく巧い、面白い。

映画化(7/5封切り)されたそうです。

<寿命>(2008年5月22日)


人間は生まれる前に寿命を自分で設定するようです。
「××才で死ぬ」とかね。

で、死ぬ時期は一度ではなくて何か条件づけをした上で
一度目のチャンス=45歳
二度目のチャンス=55歳
三度目のチャンス=60歳
とか、設定しているようですよ。

考えてみると分かります。
この世は、あの世に居る本体が三次元でRPGをするために
分身(自分の一部分)を送りこむ所です。
ゲームをするところ。

で、その三次元であまりにも年を取ってヨボヨボになって生きていても
たいしたことは出来ない。
身体の自由は利かないし目は霞む言葉はもつれる、なんてのは
体験してもつまらないですね。
なので、早めに三次元から抜け出す方が良いに決まってます。

ところが、三次元に生まれてしまうと、洗脳されますから、
長生き=良いこと
と、思いこんでしまう。
自分で設定した寿命を超えてまで生きたい、と願うようになる。


自分で設定した死ぬチャンスの時、臨死体験をする人がいます。
(設定してない時にも臨死体験はするかもしれません)

自分でその年齢になったら、三次元とおさらばしようと思って
あの世に居た時設定していたんですが、いざ三次元で暮らしてみると
子供はいる、孫はいる、まだまだ死ねない、と思ってしまう。
孫が大人になるのを見届けたいという、欲が出てくる。

或いはこの人生でクリアすべき問題をまだクリアしていない。
為すべきことをまだ為していない、そういう場合も寿命は延びる。
これは多いみたいですよ。

潜在意識では55歳で潔く死ぬことにしていたのに
(つまり55歳までにクリアしていて使命を果たしているはずなのに)
(身体が元気なうちにね)現実的に55歳になったら
様々な事情が生じてとても死ねないことになってしまっていた。
(クリアしてないし、使命を果たしていない)
その気持ちが潜在意識にまで到達しているので、
最初の計画が変更になってしまうんですね。

臨死体験をする人は、そういうことをあらかじめ設定しておいたのかもしれません。
物質だけで生きてきた、本人の人生の軌道修正のためです。
臨死体験をすることによって霊、精神、心、本当の生き方に目覚める人がいます。


もっと若く死ぬ人もいます。

三次元は身体が不自由で過酷な次元だそうです。
あの世の方がずっと楽しいらしい。

だから、45歳まで生きる?とんでもない、嫌だね、そんなおじさん。
20歳で死にたいね、こんな所長居は無用だ、とばかり早死にする人もいます。
若くして死ぬ。
周囲の人から見ると不幸そのものですが、本人には
「何もかも不自由で嫌な世界」から早く抜け出せたのでラッキー♪
だと思いますよ。


昔の勤務先での話。
或る高校生が高校を卒業しました。
大学受験に落ちたので、予備校に通っていました。
家に居たら保険の勧誘が来た。
母親が応対した。
そこに居た予備校生は「ボクも入れてよ。」と、軽く言ったので
母親は何も考えずに保険に入れた。
するとそれから一か月足らず。
その子は予備校に通う道で転んで、死にました。
怖いのは、転ぶ前に既に死んでいたとしか言いようが無かった・・・

保険を掛ける最短期間でこの子は親に多額の保険金をもたらしたのです。
親にしてみれば金よりこの子の命の方が欲しかったことでしょう。
でも、死んでしまったのだからしょうがない。
教員達はこの子が直前に自分に保険を掛けろと言ったのは
無意識に自分の寿命を知っていたのではないか、と話していました。


もっと小さい子供の話。
これは本で読みました。
仲良しでいつも一緒に遊んでいた小学生三人に、絵を描かせた。
すると三人とも自分を描いた絵のお腹の辺りに何か模様を描いた。
次の日、三人は車に轢かれて死にました。
車のタイヤが三人の子供のお腹の上に乗ったので死んだのです。
後で三人が描いた絵を見たらちょうどその位置に車のタイヤの模様が描かれていた。

小学生達は明日自分達が車に轢かれて死ぬことを潜在意識で知っていたんですね。
子供は顕在意識が発達していないので、潜在意識(あの世の情報)が出てきます。
絵が予知していました。

でも、これもこの子達が最初に死ぬチャンスを自分で設定したのだと思うんのです。
この世(三次元)は波動が粗く、出来たら一刻も早く抜け出したい世界のようです。


私は母と弟を亡くしましたが、悲しくありません。
二人の本体はあの世に居ると思うからです。
そして会いたいと思えば会えると思うからです。

二人とも寿命が来る前に死んでしまったけど、
もうちょっと我慢出来なかったのか、でも、しょうがないか、精神が
おかしくなっていたんだからな、と思います。
心残りは精神がおかしくなった二人のことを私が知らなかったことです。
知っていれば何とか力になれたのにな、と思います。


年を取ってもまだ生きている人は、生きている間に何事かを悟り
世のため人のために何かをするチャンスを、自分の本体が与えている、
そう思わないとね。
しかし年を取れば取る程、自分のことしか考えない老人だらけです。
生きていればいつか何かを悟るのではないかと、
自分で自分に無意識に期待している、それが寿命ではないでしょうか。

長く生きれば良いというものではない。
人生の中身が肝心です。

<もっと子供を認めよ>(2008年5月21日)


子育ての話です。
母親に多いと思うのですが、自分の意志と判断と決定は常にOKで、
子供の意志と判断と決定は常にnot OKというヒト。
(父親にもいるかな)
これをやっているといずれ問題が表面化しますよ。
だって、そういう思考回路は間違っているからです。
なのでそれを正すためにあなたのお子さんは様々な問題を起こし、
あなたの心(性質、生き方)の問題を表面化します。

表面化してもまだ自分が悪いのでは無い、悪いのは子供だ、
と思ってしまう人が99%ですが。
でも、子供としてはたとえ可能性が1%でも、やります。
無意識、無自覚で。


今から20年ほど前のこと。
いとこが私の母校(高校)を受験するというので、私が勉強の相手をしていました。
教えるなんてものではなく、ただ、受験勉強の相手をするだけです。
半分遊びです。
いとこは一人っ子なので年上のお姉さんが相手をするのがちょうど良い。

この子は大変優秀でした。
でも、母親に対しては忌まわしいものでも見るかのような顔をしていました。
何故なんだろう?
叔母ちゃんはとても優しいのにな・・・と疑問に思った。

その後、
叔母(私と血が繋がっている)の、いとこに対する態度を見て(あれ?)と思いました。
叔母は自分の娘の意志、判断、決定より、自分の意志、判断、決定を優先させていた。
自分の娘の判断や決定を認めず貶す。

たとえば娘が宿題で描いた絵を貶す。
「こんな絵。」
それを聞いたいとこの顔は凄まじいものでした。
まぁ、たしかに巧いとも面白いとも言えない絵です。
私は「ずいぶん枯れた絵だねぇ。やっぱり老人4人と暮らすとこうなっちゃうかね!」
と言ったらいとこが大笑い。
あははっは!
二人で大笑い。

私がある小説を読んでいる、と叔母に言ったら
「ああ〜その作家は少女小説よね。」と、さもバカにする。
おいおいおいおいおい!
オマエは小説書けるんか!
少女だろうとおかまだろうと、何だって良いと思う。
私には小説は書けないから書けると言うだけで感心する。
いったい、叔母の頭の中はどうなっているのか!


この叔母、他人を貶すが自分はほとんど何も分かってないということが後日判明。
典型的な分からず屋でした。
これじゃあいとこは母親に嫌な顔をするわけです。

謎が解けた。

この叔母は典型的な
「 I’m OK,you are not OK.」の人です。
女にはこの手の人が居ますね。
自分は主婦をン十年やってきた。
間違いが無かった。
(※実は間違っていてもそれを感受出来ないだけ)
なので妙な自信に満ち溢れている。
大きな間違いです。
でも、本人にはそれを感受出来ないのです。

社会に出れば良いというものではない。
でも、家庭に居れば良いというものでもない。
山奥にこもれば良いというものでもない。

どちらにしたって何かを悟らないなら、どこに居ようと何にもならない。

こういう人多いですよね?
周囲に居ませんか?
「 I’m OK,you are not OK.」と、思うこと自体がNOT OKですが。


登校を拒否ってるお子さんがいます。
子供は学校に行きたくない。
すると母親は必死で子供を学校に行かせようとする。
無理やりです。

これ、正しい方法でしょうか?

何故お子さんは登校を拒否ってるのでしょう。
原因は母親の分からなさです。
解決したいなら母親が猛反省して、自分の意識を変えなくてはなりません。
それをしないで表面上だけとり繕う。
これが大きな間違いですよ。

何故、子供を学校に行かせたいのか?

学校に行かないと子供は死にますか?

それほど重篤な問題ですか?


もし、お子さんを学校に行かせたいなら子供の意志、決定、判断を認めることです。

我が家の例ですが。

先日次男の◎クンが「これに名前を書いて」と言って紙を出した。
それは「買い取り承諾書」だった。
「何か売るのかい?」
「あい!」
「カードかい?」
「あい!」
「●●(店の名前)に売るの?」
「あい!」

書いてやりました。

数日後次男に訊きました。
「いくらになったの?」
「100円。」
「100円!あはっは!そうかい、それは良かった、◎ちゃんはいい子だね!ははhh!」

次男は三枚のカードを売るために片道4.5キロのお店まで自転車で行って売ってきたようです。
で、儲けは100円です。
100円のために片道4.5キロ、往復9キロ、時間は1時間も費やしています。
可愛いなぁ!


大人の中には・・・・というか殆どそうだと思うけど、先に答えを言ってしまうヒトがいる。
失敗をさせないよう、行動を止めさせる人が多いのでは?
子供が失敗するのを黙って見ていられない「小さい親」が多いのでは?
「100円くらいやるよ。」と、言ってしまうヒト。
子供から楽しみと経験を奪うヒト。
母親に多いと思う。

大人には分かり切ったことでも子供には未知の世界です。
それを探検させないというのはいったいどういう量見でしょう?
そんなに自分が賢いことを誇りたいのか?
(これは実際いるんです。子供に自分の優秀さを誇りたい親)
それをして子供が楽しいでしょうか?
何か悟るでしょうか?
悟るとしたら(ウチの親はどうしようもねえなあ)と、いうことくらいですよ。


最初の叔母。
子供が「くだらないドラマ」を見ていることにイラついていたのです。
恋愛とかなんだとか、叔母は興味が無いようです。
そんなこと当り前だっつの。
50過ぎたおばさんがそんなことに興味があったらおかしい。
でも、十代の子供には未知の世界なんだから、興味があるんですよ。
そんな簡単な当り前のことが分からないこの叔母だから、
娘に凄まじい顔をされて嫌われるのですね。


それから20年。
いとこは一人娘なので実家の庭に家を建て住んでいます。
結婚もしました。
この子は大変優秀で受験した一流私大は全て合格した。
高校の成績はオール5だったそうです。
いとこは、この分からず屋の母親と屋敷内で別の建物に住んでいます。
いとこは私と違って素質が良いので無駄な戦いはしない。
大変おっとりしているし。

叔母は素質の良い娘に救われたなぁ、と思いますね。

もし私のような子供だったら大変だったでしょうね。
家中の襖は破れ、ガラスは割れてますわね。

叔母はたぶん一生悟らないでしょう。
でも、それが普通だし、まぁ優しいし、いいかな。
(とはいえ、去年私になんだかんだとクレーム電話を寄越したので怒鳴ってやったけど)


長々と書きましたが、私が言いたいことは
「子供の意志、判断、決定を認めよ。」です。
(※100%ではありませんよ。
   認めたら困る場合は認めなければ良い。
   でも、子供に判断させているとトンデモないことはしませんよ)

自分だけをOKにしてはいけない。
他人だってOKです。
(※他人が明らかに間違った道に逝っちゃってる場合は忠告しますが)
だからやはり親が判断力を高めることが必要ですね。
判断力という視点が無いと高めることも出来ないので、まずはこの視点を持つことでしょう。

<フォーク並びを徹底して欲しい>
(2008年5月20日)


Sさんからの情報。
http://jp.youtube.com/watch?v=nyTuPQdiAJY
フォークソングでフォーク並びを布教している人の歌。

<仕事の願望が実現した!>(2008年5月19日)


仕事に関しての願い(条件)が叶ってしまった方から。

今の職場、思い返すと「こんな職場ならいいなぁ〜」っていうのが結構
叶ってました。
自宅で仕事をする期間が長かったので、自由が欲しかったんですが

・オーナーが常駐していない(用事があって出かけてたり、出張してたりが多い)
・尊敬して「ついて行くぞ!」っていう上司・社長であること(オー ナーです)
・好きな音楽をかけて仕事できる
・土日祝日が休み
・休みがしっかりとれる
・楽しんで仕事できる(やりがいを持っていける)

考えると、ほとんど叶ってしまいました。
あとは、お給料がいい事。っていうのがあるんですが
これは、基本給+歩合なので、がんばりが反映されます。
自分次第です。

幸い、日報を読み返すと、ほんとに1歩ずづ、成長できているので
このままちゃんとやっていけばいいんだ! と、自信に繋がっています。

ifさんに描いてもらった「仕事運UP」の絵が、まだ謎ですが
(鳥居と、それに続く階段、左右にあるつばきの植え込み)
鳥居に到着するっていうのは、ちゃんと仕事ができるようになっていく、
一段ずつ上がって行く
という意味かなぁ〜、とも感じます。

そういう意味だと思います(なんちゃって)。
でも、自分はそのまんまで、就職先の条件だけは贅沢こいてたら
願いは叶わないのではないだろうか。
自分が想像する、素晴らしい職場に見合う、自分であることが条件だと思います。
他の方もそうで、皆さん過去の失敗をちゃんと分析しています。
そして少しづつでも物事が分かる方向に進歩している。
進歩しようとする、その心の姿勢だけでいいんだと思いますよ。
完璧な人間なんて居ないんだから、向上する姿勢だけでも人生が変わります。

そして、仕事がちゃんとしてきたら、結婚が待ってるらしいし!(おみくじ)
毎日毎日、充実して、ワクワクして、
去年までのどん底の私からは想像つかないくらいです。

投げ出さないでよかったです♪
そして、チャンスを掴めて(オーナーの話に即答して)よかったです。


仕事での夢が叶った方が沢山います。
ムシが良すぎるような条件でも叶ってしまうようです。
凄いな。

<親バカちゃんりん>(2008年5月19日)


PANDORAのお客さんの中には子煩悩な方が多く(敢えて親バカとは言わん)
お子さんの写真を送ってくれる方が沢山います。
中には
連続写真を送ってくださる方もいて、
私もすぐそばにいるような臨場感を味わっております。

皆さんが送ってくれるお子さんの写真を見ると
(おぅおぅ、可愛い子じゃ♪)と祖母さんが孫を可愛がっている図になってしまう、
婆さんでは無い私です。
ホント。
まだまだ婆さんではない。

でも子供って小さいうちは本当に可愛いですね!
赤ちゃん、超可愛い。
幼児は本当に可愛い。
小学6年までは文句なく可愛い。
中高生になってもまだ可愛い。
大学〜社会人になっても凝りずに可愛いです。



先月前の車が壊れたので、新しい車を買いました。
お店の人が「これがお勧め」と言うので、本当に余計なことを考えない私は素直にそれにしました。
で、その車、カローラだと思っていたんですよね・・・
ところがそれはBELTAと言う車種でカローラでは無いことが、買ってから判明した!
「えええっ!これ、カローラじゃないんですかっ!」
ちょと驚く。
私よりお店の人が驚いていました。

乗ってみたら発進時の加速が大変悪い。
これはオートマ車の宿命ですかね、だからオートマは嫌いだ。
40キロにするのに時間が大変かかる(6秒もかかる)。
前の車は3秒で40キロになったのにな〜あ〜〜〜あ、とガッカリしていました。
(あくまでも私の感触で)

でも、50キロからの加速が大変良いのです。
隣のスカイラインがヒーハー言ってるのを尻目に軽々と×0キロ出します。
(あっら〜〜〜お兄さん、ゴメンあさあせ!お先に失礼〜)とても優雅。

それから知らなかったけど、燃費がとても良いそうです。
19.6/Lだそうです。プリウス、フィット、デミオなどや一部の軽についで良いらしい。
(あら、知らなかったわ)
お店のお兄さんの言うことを素直に聞いておいて良かったです。
私は大抵お店の人の言うことを素直に聞いてます。
(裏があるんじゃないだろうか)
(これを売りたいからウソ言ってるのでは?)とか思わないんです。
単純で良かったです。
(ま、騙されないように気をつけないとね)
BELTA

で、BELTAは特別気に入って
買ったわけではありませんが、
毎日顔を見ていたらウチの次男に
良く似ていることに気づいた。


(か、可愛い!)
(ウチの◎ちゃんにそっくりでちゅ!)
(◎ちゃんのようにニコニコ笑ってるでちゅ♪)
(おぅおぅええ子じゃええ子じゃ)



親バカだろうとナンだろうといいんですっ。

<人生はRPG!>(2008年5月18日)


下の方の記事、
<RPG「PANDORAの洞窟」クリア>(2008年5月16日)を読んだ方から。


さて、RPG話。

先月なんですが、前世の話を友達としていて、その時にこんなバカ話をしてました。


超斬新次世代RPG!
輪廻転生ゲーム
ゲームは、基本的に7代の転生を繰りかえす。
(末代まで〜というのが7代のサイクルだから)

なるほど。

転生する度に、前回のカルマや能力を引き継ぐ
生まれて来たときの基本スペックは、前世の自分の責任。
今世をいかに生きるかが、来世の自分に大きな影響を与えまくる
自己責任システム搭載。

それはスリル満点。

さらに、前世を見られる霊能力者に出会う事により、
攻略法ヒントを与えてもらう事も可能。

それはグッドなアイディアです。
謎のお婆を登場させましょう。

まじないグッズや、開運グッズにより、運勢を大幅にあげる事も。

おお!アイテムも豊富に揃えましょう。

生まれて来た意味を知り、
生まれて来た目的を果たせるも、果たせないのも、自分次第!

あなたの魂は、どこへ向かうのか?!



とか、どんなゲームになるのかを真剣に語り合っていました。

RPGゲーム(ウィザードリーというゲームがわかりやすいんですが)
を始める前に、基本にプラスして、ボーナスポイントを振り分ける場合があります。
ボーナスポイントも、運が良ければ沢山もらえるんだけれど、
それを
・知能 ・腕力 ・運のよさ〜〜〜
みたいに、振り分けていくんです。

基本能力が高いのは、前世でどれだけ努力したのか?っていうのみたい だし、
ボーナスが多いのは、前世で徳を積んだラッキーポイントかも。

それは転世システムのまんまですね。いいアイディアです。

そして、ゲームを話の道筋に沿って、サクサククリアしていくのか
横道にそれて、実際にはあんまり関係ないイベントを楽しんでいくのか
攻略本を見ながら裏技を駆使していくのか
攻略本を見ちゃったら面白さ半減だから、どうしても!っていう時だけ見るのか。。。

人生って、ゲームかなぁ〜〜〜
だったら、大いに楽しんで、ちょっと裏技使ったりして上手に進めていって。。。
そんな風に思っていたので、
今回の話は、すごく共感でき、また、笑いました。

他の人とゲームの中で会えるってのもいいですね。
ウチの子供が多数の人が参加するゲームをやってますよ。
他の人の人生と交差するってのも面白いです。


以前パンドラで「深刻はだめで、真剣なのがいい」(頑張る話だったかな)
(深刻ってのは心がやられて病気の一歩手前の状態ですかね。真剣は前向きです)
って読んだような記憶があるんですが、
ゲームもね、深刻にやっても全然楽しくなくって、
真剣にやるのは、楽しいです。


若い人はアイディアが豊富ですね!

<嫌いな人が居なくなった>(2008年5月17日)


ここ数年、嫌いな人が居なくなっていた私です。
5〜6年前に霊能者の電話セッションを受けたことがあります。
その時「あなたの周囲には嫌な人が一人も居ません!」と言われましたが
その時は仕事をしていなかったので、それもあるかな、と。
でも世の中には近所に嫌な人がいるって奥さんもいますよね。
近所にも嫌な人はいないんです。
親戚兄弟にも嫌なのは居ない。
父親はど=しようもないけど、別に嫌でも嫌いでもありません。
ひたすら面倒なだけです。
なので、付き合わなければいいだけです。

ところが最近まで居たんですよ、嫌いな人。
それはテレビの中にいました。


お笑いタレントの中に嫌いなのが数人いました。
双子の人達や顔芸の毛深い人が特に嫌いでした。
頭が薄くて司会をしている猿のような人も嫌いかな。
(オ■ラさんではありません)
で、PANDORAにも思わず「ザ・田っチ」が嫌いだ、なんて書いてました。
てへH。
でも、その後一年ほど経ったら別に嫌いではなくなっていました。
むしろ好きな方になっていた。
顔芸の毛深い人を見ても何とも思わなくなった。
頭が薄い司会の人の方もあまり感じなくなった。
(※一般的に頭が薄い人はむしろ好きです)
タレントが嫌いだ、などと言うのは我儘以外の何物でもありませんよね。
本当に人間が出来てません。

俳優やタレントの中にはあまり好きでは無い人がたまにいるけど、
嫌いではありません。
好き嫌いがなくなったようです。

だいたい、ヒドい目に遭ったわけでは無いのに他人を嫌うというのは
人間が出来てないにもほどがある。
私もやっと少しはマトモになって来たかな、と思います。
中年でも毎日少しづつ進歩していれば、数年経てばこのくらい変われます。
若い人ならもっと変われる。
「若いうちに神を覚えよ」とはたしかキリストの言葉。


ところで、私は本々好き嫌いはハッキリしてはいるが、激しくはないのです。

意味は・・・
私の場合好きなら好き、ではっきり表明するし、嫌いでも表明するだけ。
その好きと嫌いの度合はそれほど大きくない。

好き嫌いを表明しないが、好きな人は本当に好きで、大好きで
その人の言うことなら何でも賛成しちゃう、みたいな人がいると思う。
そして同時に嫌いな人のことはもう、大っ嫌いで顔を見るのも嫌、
考えるだけで嫌、という人もいるのではないか。

こうしてみると、私は好き嫌いをハッキリ表明するが、好きと嫌いにはそれほど差は無い。
好き嫌いはあまり表明しないが、好きと嫌いには天国と地獄ほどの違いがある人、
というのが居ると思う。


御互いに日本語で会話をしていても、言葉の内容はひとそれぞれです。
だから、言葉だけで会話しても100%理解は出来ないと思う。
100%ってのは完全完璧なのでそれはあり得ないので、では99%としましょう。
相手の言い分を99%理解するのはかなり難しい。
80%理解できれば良いと思う。

でも、多くの人は同じ日本語を使っているので、或る言葉をそれぞれが違う風に
受けとっている可能性については、あまり考えないようです。
言葉はそれを使うヒトによってその中身が全く違うものになるのに。

と、いうようなことも相似象で言ってます。

( IF さんて好き嫌いが激しいんだな)と、思った人がいるかもしれません。
でも、私の好き嫌いと、その人の好き嫌いとでは内容が違うので
そこに留意しないとね。
言葉だけでは何ごとも理解することは不可能に近いので、分からない部分は
「心の心で取りてくだされよ」(日月神)するしかないと思う。
そのために「心」があります。

<RPG「PANDORAの洞窟」クリア>(2008年5月16日)


rakanさんは去年の1月、魔がさしてPANDORAに迷い込んでから
自分の無意識を意識化することと、
常識(思いこみ)の粉砕をさせられて来ました。

無意識&無自覚で生きていると、人は常識・思い込み・習慣に陥ってしまう。
ここから出るためには生みの苦しみを伴います。
今までの自分の思い込み(生活、人生)を破壊するのは怖いし苦しいのです。
通常の人間はここで泣くか腹が立って終わる。
逆上する人、激昂する人が普通ですかね。
ここをクリアすれば、新しいステージが開けるんだけど、
殆どの人は最初のステージをクリア出来ない。

rakanさんが人生をRPGにたとえていたけど、それは一番分かり易い。
RPGの主人公が三次元の私たちです。
画面を見ながら操作しているのは私たちの本体で、異次元にいます。


さて、「rakanの大冒険」が始まった。
最初のステージをクリアするにはボスと闘わなくてはなりません。
ゲームだとボスをやっつけて勝てばいいんだけど、
このゲームは管理人が登場して「これをクリアしてみろ」と、
いきなり無理難題を出します。
その問題とは「素直になること」などです。

これをクリアしない限り次のステージに行けない。
なんだか分からないが物語りとは無縁そうな不気味なお婆が出て来て
「ふえっふえっふえっ、旅のお方よ。この謎を解くが良い。」なんて
言うので、主人公は驚く。

ここで素直に謎を解けばクリアだぞい。

(な、なんだこの婆あ!)

相手にするのを止めて他の敵を探しに行ってしまう。
しかし、そのステージの中をいくら探しても次のステージへ行く方法は他には無いんです。
不必要なダミーの敵との戦いで時間を浪費。

ふおっふおっふおっ。
お若いの。
闘いに明け暮れるとは難儀なことぢゃなぁ。
素直に成りなされ。
さすれば道が開けようぞ。

(まさか、この婆さんが!)

おお、ようやっと気がついたようじゃの。
この婆の言うことを素直に聞くがええぞい。

<分岐点>(2008年5月16日)


上の続き。
このゲームですが、現実問題ではこのように展開しました。

rakanさんが私に絵を注文してくれたので描きました。
で、rakanさんには指輪を作ってもらったんですよ。
「if という文字を指輪にしてください。」
作品が到着。
見てみたら・・・ありゃ、想像と違う。
(ここらへんのいきさつは「rakanのhara」(リンク2)の
2月18日の記事にあります。

う〜〜〜む。
力作なのは分かる。
でも、私の想像と違う。
そしてこの指輪には
(どうだ、凄いだろう、この技術!)という思いが感じられた。
もっと言えば最高峰のプライドです。
違う、私が欲しかったのはこんな指輪じゃない。
これをrakanさんに言おうか言うまいか、どうしようか、と迷うこと1日。
(私としてはかなりの長期に渡って悩んだことになる)


「あのぉ・・・(おずおず)・・・これ、私が想像していたのとは違うんですが。
もっとホラ、単純な、簡単なデザインが良かったんですよ。」
「え?そうですか?(落胆)
実は、最初に作ったのはifさんの想像通りのものだったんですよ。
でも、ウチの嫁さんがね『そんなのを送ったら笑われるわよ』って言うもんだから。」
「どんな指輪でした?」
「チャオの付録みたいなものです。」
「え?私が欲しかったのはそれです!」
「は?」


で、作り直してくれたのがこれです。
最高です!

何の飾りもない、
そのまんまの素直な作品。
これが欲しかったんですよ。
私の想像通りです。
ああ、可愛いなぁ、この指輪。
ここまで想像通りに出来るなんて
rakanさんは何て
素晴らしいんでしょう!

しかし、rakanさんは最初、このデザイン
で作っていたんですよね。
でも、他人の言葉に左右されてしまった。
おいおいおいおい・・・
あなたが作家でしょう。
もっと自信を持ちなさい。
あなたのセンスは良いのだから、もっと自信を持ち素直に表現しなさい。

大丈夫ですよ。


さて、もしrakanさんが「この指輪じゃ嫌だ、作り直して」というクレームに対して
(だとぉ!ゴルァ!オレを何だと思っていやがるっ!)と
感情的になればその後の展開はありませんでした。
(あ〜あ、こんなゲーム、つまんねえや。このくそゲー!)
とリタイアしてたかもしれない。

日本の芸術系の大学では最高峰、しかも大学院まで出ている方の作品に
クレームをつけるという荒業をやってのける私は、魔界の、じゃなかった、
「PANDORAの洞窟」を守る御婆ですわいのぅ。

rakanさんはここで一面クリアしたのです。
最初の直観が正しかったことを知る。
素直になることとプライドを捨てること・・・
これはrakanさんはもともと素直で、妙なプライドは無かったのです。
ただ奥さんが気を利かしてしまったのが間違いでした。
他人の言に惑わされないで自分の心を優先させるということ。
自分の決定に自信を持つ・・・これが一番必要なことでした。
つまり、「自分の思うように生きよ」ってことです。
一つの指輪から沢山のことを学べました。

リタイアするか、踏ん張ってクリアするか、それが「分岐点」です。
これは日常において誰にでもあります。

「PANDORAの洞窟」はクリアしたので、rakanさんは次のステージへ進みます。
そこにはさらなる冒険の世界が待っていたのです。

<次のステージへ>(2008年5月16日)


さて、rakanさんのその後は遠くから憧れていた人達と
身近に会話するという、不思議な展開になりました。

クリアすべき課題はどんどん現れます。
たとえば「自分で勝手に作っていた限界突破」とか。
それをどんどんこなして行きました。

近頃のrakanさんは思うがまま、という観があります。
何故「思うがまま」それが可能なんでしょう?
それは次の記事に書いてあります。

<示現力(じげんりょく)>(2008年5月16日)


示現(じげん)とは、神仏が霊験を現すこと、仏・菩薩がいろいろな形で
この世に姿を現すこと、ある現象が現れること、だそうです。(新明解国語辞典)
願望実現力とは似ているがちょっと違ってるようです。



さてrakanさんですが、彼はどうも錬金術師らしい。
或る超能力者がrakanさんを見て何も知らない(金属を扱ってること)のに
「君は錬金術師だな。」と看破したそうです。
凄い。。。
で、rakanさんはテキトーに
「そうなんです♪」と、答えたのですが実はこれが当たっていたと思う。


「アースエンジェル」(ドリーン・バーチュー著/クレイブ出版)という本に
「示現力」という言葉が出てきます。
魂が錬金術師の人と、その相方である自然霊の人は、この示現力が強いんだそうです。
念じるだけで現実化するんです。
魔法使いですよね。
rakanさんの本質は錬金術師なので、この示現力にかけては凄いものがあるのに
それに気づかずン十年生きて来たのでした。
普通の日本人は自分を魔法使いだとは思いませんからね。
PANDORAに来て一年経った今、本来の自分になったのか示現力を発揮しています。

ifさんへ

ブログにも書いてますが最近本当に恐いほど想いが実現するんです。
夢の中にいるみたいに感じるほどです。
ちょっと前に、こうであったらどんなに良いだろう、と思っていた ことがほぼ叶っています。
(※まさしくこれが示現力です)
まだあるのですが、これは進行中なので今度話します。
唯一、武術の進展が今一つかな。
これがグンとアップしたら何か確信できます。

rakanさんの本質が強力な示現力なので、思ったことがどんどん実現するのは
当り前と言ったら当り前ですね。
自然霊の私も示現力にかけては強い。
しかしアホなのでとんでもないことを願望してはトンデモない目に遭う始末。
自業自得です。
これは自分が困るだけなので、まぁ、いいか。

◆錬金術師の示現力は、深い考えが現実化
◆自然霊の示現力は、思いつきやきまぐれが現実化

示現力は、持ってもまずい事態にならない人が持った方がいいです。
もし普通の人が思ったことがどんどん実現したら、困った事態になることもある。
変なこと、妙なことを思ってしまうかもしれませんよね。
だから、やたらな人は示現力な持たない方が身のためでもあります。
◆rakanさんくらい高波動で、良いことだけを願望する人
◆if くらい無反省で、状況が悪化してもめげない人

どちらかなら大丈夫です。


それはともかく、rakanさんが本来の自分になったら途端に示現力を発揮し始めた。
私の才能の一つに「その人の本質(才能)を引き出す才能」というのがあります。
何故か引き出してしまう。
良いことも悪いことも引き出します。
良いことが引き出されると才能発揮〜波動上昇。
悪いことが引き出されると低級霊憑きが表面化〜災厄発生。

私はそういうのが平気なのです。
スリル満点であります。
そういうところも自然霊かな。

<みんなRPGの主人公>(2008年5月16日)


さて、最初の話に戻りますが、rakanさんの話は一つの例としてとり挙げました。
皆さんも私も自分のRPGをやっている最中です。

三次元の私たちはゲームの中の主人公で、本体はあの世(異次元)に居ます。
あの世の本体が三次元の私達の冒険を見ています。
(※この世と現象界、あの世を実在界と言います。
   これは高橋信次師や生長の家などの説)

三次元の中の主人公の自分と、あの世の自分とは、同一人物です。
あの世の自分はどこにいるんでしょう?
心の中に居るんですよ。
このゲームはゲーム中の主人公の心の中に居る、あの世の本体が
主人公を動かし観察しているのです。
超面白い!

途中で死んでしまったらGAME OVERです。
でも、所詮ゲームです。
嘆く勿れ。

ゲームの目的は何でしょう?
死なないで生きることでしょうか?
それも大事だけどもっと大事なのは、ゲームの中で自分が主人公であることを
自覚し、勇者となって敵(マイナス感情、低級霊の影響、苦難と誘惑、怠惰など)
と闘い、思いやりを示し精一杯楽しく明るく生きることではないでしょうか?

自分が何者かが分かればrakanさんのように「毎日示現」という奇跡が起こります。
そして、もっと人生(ゲーム)が楽しくなり、世のため人のために力を発揮できるのです。

ひとたび、存分に力を発揮すると決めれば次なるステージに進めます。
そこでも苦労はあるだろうけど、でもやりがいはある。

苦労は嫌だというなら次のステージへ行かなければ良い。
苦労しても行きたいなら進めば良い。
魂の欲するままに生きれば良いと思います。