中居屋重兵衛



珍しく前世の名前がハッキリしている人が登場しました。
Xさんという方です。

Xさんがあるときメールの最後に
「中居屋重兵衛改めX」と、書いたので

私「中居屋は私の住んでいるところの出身です。
   遠く離れたおたくが何故中居屋を名乗っているの?」
X「前世鑑定して頂き、重兵衛の生まれ変わりであることを
  思い出したからでございます。
  『動天』という映画のビデオを見ました。
  あの通りの人生でした。」

私「え?・・・・・・・・・・・・・そ、それはまことでござりまするか?」
X「まことにて候。
  水戸藩浪士に鉄砲渡し、井伊直弼を撃たせました。」

私「なんと!」
X「動天」にて描かれている中居屋重兵衛の波瀾万丈の人生は本当に最高です。
  このような生き様を動乱の幕末時代に自分が過去生で体験したのかと思うと、
  感動で身が震えます。
  重兵衛が水戸藩浪士に拳銃を渡すときの台詞がいいんですよ。

 『遠くからではなく懐に入り込み、撃って撃って撃ちまくれ。』
  これですよこれ。
  蜂巣にしてから、引きずり出し更に斬首。


 
桜田門外の変のシーンでは魂が震え、思わず叫びそうになりました。
 というか叫びました。
 脳天に雷が落ちるような『しびれるような』感覚でした。
 文献も数件取り寄せ、暫くは自分の過去生を見詰め直しているところです。

 因みに、重兵衛の建てた横浜の銅(あかがね)御殿とよばれる豪壮な
 店舗のあった生糸貿易商は神奈川県横浜市中区なのですが、
 私の本籍は神奈川県横浜市中区だったりします。
 サインの連続ですね。」


なんと「動天」の主人公、中居屋重兵衛の生まれ変わりがいたのです。

中居屋重兵衛の店がある地に、この方は本籍を持っている。
前世の縁がそういう風に現れているのでしょう。
或いは自分を思い出すように、自分でサインを設定したのかもしれません。



中居屋重兵衛は幕末の豪商・武道家・学者です。

(以下の文章は重兵衛の子孫のサイトから転載しました.。
  http://www.kappou-nakaiya.com/01_page.html)

重兵衛は此の地に生まれ、育ちました。
二十歳の時、江戸に出て、書店和泉屋善兵衛方に身を寄せ、
国学・儒学・蘭学・医学・砲術・武術などを学びました。
三十五歳の時「子供教草」という本を出版しました。
このなかでは「利を以って利となさず、義を以って利となす」と
人間の生き方を述べており、重兵衛の生涯を通じての生き方でした。


「集要砲薬新書」は当時秘伝とされていた火薬の作り方などを公表したものです。
翌安政三年には、「和蘭文典読法」「和蘭文典訳語筌」の出版に努力したと序文を書いています。
横浜開港と同時に、豪壮な店を建て(銅御殿<あかがねでん>と呼ばれた)
開明派幕吏の支援を受け横浜一の貿易商として活躍しました。
安政六年六月より十月までの生糸輸出三万五千斤の約半分は
中居屋が売り込んだものと記録に残っています。



学者であり、商人でもあった重兵衛は
「浜の門跡様」と呼ばれていました。
重兵衛の考え方は尊皇開国であり
安政の大獄でおこなった井伊大老の行為を
「国を誤るもの」と考え身の破滅をも
かえりみず浪士の支援をしました。

桜田門外の変で使われたピストルは
重兵衛が提供したと伝えられています。
重兵衛は四十二歳の時幕吏に追われて
横浜の店を逃れ、謎の死をとげました。
横浜開港第一の功労者であり、
生糸産業の基礎を作った
先駆者といわれています。




平成三年一月、北大路欣也が重兵衛を演じ、映画「動天」として全国一斉に上映されました。
(画像はhttp://www.city.yokohama.jp/me/naka/sighthist/sanpo/rekisi/rekisi-62.html)



前世鑑定をしたら有名人が出て来た例でした。

Xさんはこれが本当なのか、検証しました。
すると思い出したそうです。

御殿炎上の後、本当は船で千葉(安房)にひとまず身を隠し、そこで
表舞台からは消えます。その後の記憶はないので、もしかしたら42歳
ぐらいで逝ってしまったかも知れませんね。アメリカには行っていない
はず(奥さんと娘は群馬だったし)。


それで子孫が今も群馬のその土地にいるんですね。

Xさんは今世硬い仕事に就いていますが、中居屋重兵衛も学者だったことから頷けます。
写真を見ると町人には見えません。
どう見ても侍です。
だから、当時横浜に店を出すなどという、他の商人が尻込みすることを平気でやってのけた。

中居屋の人生を見ると、とても個人の力で出来たことではないな、と思いますね。
見えない存在(守護霊団)が手を貸したに違いありません。
もし中居屋がいなかったら水戸浪士は井伊直弼を討てず、維新が成立しなかったか、遅れたか。
生糸で外貨を稼ぎその金で明治維新と文明開化を進める、その基礎を作った。
そのくらい重要な仕事をして、自分は店に火をつけ出奔してしまう。

並みの商人には出来ません。

彼は侍の魂と学者の頭と商人の才覚を持った、稀有な人物です。
今世のXさんは侍でも学者でも商人でもないけれど、
性格は生まれ変わっても変わらない
という法則通り進取の気性を持った方です。

生まれた場所といい、まだまだ前世の縁や共通点などの
証拠が出て来るかもしれません。
それを探すのも楽しみですよね。

Xさん、貴重なお話を有難うございました。